里山&裏山ひとり仕事の醍醐味

NO.126

2024/04/03

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NPO苫東コモンズ トップ


体力の劣えを契機に、若い人たちとの作業から分かれて本格的にシニア・メニュウに入って1年が経った。「高齢者メニュウに突入」をもっと丁寧に修飾すれば、「一足先に」という一言を添えておきたい。山仕事の気持ちさえ持続すれば、各人いずれ味わうはずの境地だから。

週2日、小屋のある一帯の、中断していた里山修景作業に裏山のように専念して、ようやくリズムのようなテンポになじんできた。のみならず、人生末期まで付き合うストーリーというか「林じまい」の工程表みたいなのが浮かんできて、俄然、あたらしい生きがいが出てきたように感じる。わたしの山仕事は、もともと、美しく和む「イヤシロチ」をガーデニングのように創り上げることだった。そして20代のころにはすでにウラヤマニストを目指していたのだった。

この山仕事を本当に全人格的に楽しむならば、やはり、「ひとり」でないといけない。(独り、と書くほど悲惨ではない。)そうでないと林ならではの至福のひと時はやってこないのである。もう「人事」を卒業して、ひきこもりたいという高齢者の心根が自分にもしっかりと巣食っているのだろうと思う。






雑木林の雪消えて

2024/04/03 wed 9℃

■歳相応の半日仕事



さすがの雨と暖気で雑木林の雪は消えた。先週伐倒しておいたミニ土場の枝片付けと丸太の玉切りを行った。10時半ごろから昼休みなしで1時に作業を終えたがまだちょっと仕事が残った。時間があればカラマツも、と思ってきたが意外と玉切りに手間取った。

さすがに歳を感じて休み休みだ。ひとりの山仕事は誰に遠慮もいらないから気楽である。これでタバコでも吸っていたら実に絵になるところだが、ただボーっとするのも悪くない。「氣」を養うと思えば養生時間だ。

遠浅に回って混合油のガソリンを買って勇払川の川エビを点検すると、土手には小さなフキノトウが出ていた。




フットパスを「ブライドルウェイ」に拡幅

2024/04/06 sat 快晴 12℃

■シニアワークのスタイル確立か

静川は育林コンペ(草苅エリア)も小屋周りも、軽トラックを林内に入れる作業を目指して実施している。丁度、厚真の育林コンペゾーンで馬搬を利用したのと同じである。今日は、枯死木などを除伐してから既存のフットパスを利用して軽トラ通行を可能にする拡幅のための選木をした。英国では人専用のフットパスのほかに乗馬や馬車が利用するブライドルウェイがあるのと似ている。ちなみに人も馬車も車も使うルートはバイウェイと呼ばれていたと思う。



傾斜木をいずれは伐倒しながら車幅を確保する際に支障となる樹木をマーキングした。太目の丸太もこれで搬出し利用できる。進行方向に向かって右側に蛍光テープをつけてあらためて「ささみちフットパス」を歩いてみると、だいぶイメージが湧いてきた。これはいよいよ動けなくなるまでたっぷりと仕事がある。

修景と小屋に必要な薪の利用を想定すると、毎年の作業量は実に微々たるものだが、今シーズンからは伐採届を出しておこう。人生のエンディングに向けて、この里山に関わる工程表を手に入れた気分はどこかすとんと腑に落ちる経験である。

ここがわたしの根城になるのは、思い入れ多い苫東平木沼緑地や小屋のせいばかりでなく、一帯の森林施業の履歴で伐採年がわたしの生れた昭和26年になっていることもある。すなわち、林は同い年だ。72年前に薪炭用に皆伐された跡地が、放置されてのち会社とNPOの育林を経て現在最大直径約40cmのコナラ林になったわけだ。

木の育たなかった勇払原野で薪炭用の萌芽更新でエネルギーを支えた雑木林が、リゾートや癒しや環境保全という新しい役目を帯びた微妙な流れの中にいる。しかも将来を見越した後見人がいないから、流動的にどうなっていくかはわからない。

■居ながらにしてする鳥見と冥想



朝、テラスに残されていた雪がみるみる融けて昼前に完全に消えたので、小屋の床下にしまっていたテーブルと椅子を出した。小鳥たちの鳴き声も多くなって、今朝はカワラヒワ、キバシリ、ゴジュウカラが見えた。椅子に座って鳥見ができるのは楽ちんだ。小鳥たちが木々に飛んでくるのだ。

今日も昼なしで1時半まで動き回ってから、鳥見をして半年ぶりのテラス冥想を味わった。テラスはもともと冥想も目的にしていたもので、虫がいない陽気の5月一杯が適期で、思えば年間何日もない。だから勇払原野の産土と束の間だが五感で往来を試みるのである。

帰り際に、あのホンキートンクのチンピラギターを調律して弾いたが、ギターケースに格納するようになったころから、音が良くなったように思う。不思議だ。こんないい加減な安物ギターでも音質が向上するなんて思ってもみなかった。室温は今季初めて20℃を越えたから、このせいもあるのか。

■薪割りと川エビ



夕方、大島山林に寄ってみると、今季から2台体制となった薪割り機で「割り」と「積み」が進行していた。来週の線下地丸太の運搬なども軽く打ち合わせて、わたしがさっそくレンタカーの手配をすることとなった。ただタウンエーストラック1台では心配だったので、思い立ってmigita さんの軽トラックも借用できるように wada さんに交渉をお願いした。わたしの見立てではタウンエーストラック(750kg積載)で10往復は必要だったのである。トラック2台活用して一日で終われば幸いである。

話は代わって、3月からトライしていた川エビがやっと採れた。やはり4月にならないと遡上しないのだろうか。例年のピークは4月中旬だから本番はやはりこれからということになる。フキノトウが出始めたから、今年はホッキとフキノトウのかき揚げが、川エビのかき揚げと同時になるかもしれない。



裏山的作業とは

2024/04/10 wed 晴れ 12℃

■森カフェの風景



一冬の間にテラスは落ち葉だけでなく黄砂や花粉のようなもろもろのゴミを載せていたので、大きなほうきで掃いてテーブルを正位置に収めた。そして眺める林、いつもながらなかなかいいものだ。今日は久々にここで、昼はカップ麺をすすりコーヒーを飲んだので、2024年の「ひとり森カフェ」の開店だった。



フットパス拡幅に伴って支障になる桜とアズキナシとナラとサワシバ計4本を伐倒しながら、軽トラックの通路となるルートのへこみ2,3か所に不要な材を埋め込み均し、切り株の面取りをした。玉切りと枝片付けも休み休みこなしていると、いよいよシニアの里山仕事らしい。スピードは遅く重量はないけれども、やることがたくさんで絶えず動き回るので手頃な運動ではある。

ちなみに川エビは今日も採れなかった。




薪材を補充あるいはストックするイベント

~シーズン生産量はおよそ30棚に到達か~

2024/04/13 sat 14℃ 晴れのちくもり

■春先の懸案解決



今年一月から検討し準備してきた線下地の放置材を、2台の小型トラックを使用し総勢10名で薪ヤードに運搬した。1台はタウンエーストラック(750kg積載)、もう一台は軽トラック。片道2.5kmの原野の道を各々9往復した。しかしまだハンノキが残っている。



さらに、この運搬路の途中の沿道にも3つめの放置ヤードがあり、ここからもタウンエースに長材を積んだ。ただ、地域の風土を共有するNPO苫東コモンズと言っても本務は薪屋さんではないので、残りは個人の自主活動として希望に応じ自宅用に供することと相成った。NPOのハンドリングする薪のストックはほぼ満たしたと判断されたから。

ちなみに今日の往復で、鉄ソリ換算30往復になるから、丸太列では1.5,約10棚を新たに確保したと思われた。総合すると2023年シーズンの総生産量は約30棚(15軒分)に達した、と推定される。





山仕事は衣替え

2024/04/16 tue 晴れのち曇り 18℃ 室内12℃

■薪ストーブは焚かず



気温が10℃を越えると、山仕事が少しきつく感じる。さすがに今朝は冬用の長袖下着はやめ、開始時からワイシャツ一枚になったが、それでも二汗をかいた。地下深いところはまだ凍ったままだから風景は晩秋と同じだが、融けた部分に根をはっているナニワズだけは毎年、規則正しく咲いてくれる。

午後2時過ぎ、大島山林のハルニレ伐根の様子を見に行くと、なんと、一帯はナニワズ群落になっておりジンチョウゲの濃厚な香りが漂っている。一面、手入れ後の実に乱雑なゴミ状態だから、掃き溜めにツルそのものだ。

ようやく川エビも採れだした。ピチピチ跳ねるので、当初は命をいただくという敬虔な気持ちになっていたが、人の常でマヒするものだ。慢心しそうになっている自分を戒める。ジャイナ教の戒め、アヒムサ・アネカンタ・アパリグラハ、このアヒムサは「非殺生」である。これを「意味のない殺生はしない」、とわたしは語訳して年に1度は風土からの養生食としていただいている。



■山野河海の恵みをいただく

弁天の浜にもうボーフーが出ているようだ。例年、見つけるのが面倒だからと連休後に出かけていたが、いつもより3週間早いこれは、葉っぱが5mmほどで茎は赤いところがなく真っ白で確かに見た目もよい。食してみると味も上品だ。



採ったエビは多くなかったので、今日はキャベツとのかき揚げにしてみた。キャベツの焦げた部分の苦味がかった風味がわたしにはたまらない。





強風の中の散策

2024/04/20 sat くもり 12℃

■太枝、落ちて

朝からかなりの強風であった。小屋に向かう途中、2,3回車を止めて枝を片づけた。数時間して戻る時、さらに太い枯れ枝含めて数本が落ちていた。ぶつかったら間違いなく怪我をする。

といいつつ、10時過ぎ、これからの抜き切り予定木をテープでマークしながら「ささみちフットパス」を1周した。約2km。ヒグマの心配ももうしなくてはいけないので、風の音も相まって、そうそう穏やかな散歩ではない。

■玉切り丸太の盗難

16日におかしいと気づいたのだが、林道沿いの丸太がやはりない。程よい太さの30~40本。林内に散らばらせても盗難は防げない。

午後、大島山林のテントで決算理事会。当面の懸案と山仕事の段取りを話し合う。川エビが採れ始めたが、残念、今日は時間がなくて希望者に託して帰る。





豊かさとは何か

2024/04/26 FRI 霧のち晴れ 15℃

■人工の自然に囲まれて

今週初め 4/21 からシンガポールとマレーシアを旅行した。アジアで最も経済的に豊かだとされるシンガポールとはいったいどんな国なのか、以前から興味があって新書の資料を読んで機会を探っている間にコロナ蔓延となってしまった。幸運なことに今回は念願のシンガポールからマレーシアに移動する小さな陸のツアーだった。陸を移動したかったのだ。

マレーシアは2度目になるせいもあり、強烈な印象は小さな都市国家シンガポールであった。当然、両国の社会格差も大きい。大都市クアラルンプールは別として田舎と都会ほど歴然とする。シンガポールが明るい北朝鮮と称される意味も、実感として多少わかって来た。そしてシンガポール的豊かさというものが実はグローバリゼーションの果実だということを知った。沖合に数え切れないほどの数の貨物船が停留しているのを見てもそれは想像できる。



そしてあくまで人工的である。都市インフラはもちろんだが特にかなりが埋立地の上にあるから公園のようなものは基本的に造園であり、高層ビルと相まってそれらが豊かさの象徴のようにも見えた。要するにディズニーランド的だ。植物はホンコンフラワー的になる。

ただし、Garden by the Bay にある Flower Dome と Cloud Forest は別で、滞在時間が長くなった。後者は、ガラスのアトリウムの中に標高1,500mだったかの人工環境を創り出して、霧が立ち込め植物の生けられたドームの周りをスカイウェイのように巡り降りる。





ここで数時間を過ごす間に、わが勇払原野の雑木林との差を猛烈に感じ取った。4月とは言え気温が40度近いここで、エネルギーを経済力で買い込んで巨大ドームの気温を20℃台に押さえ、人も近隣諸国から出稼ぎに呼び込んで、物価は高くその代りなんでも手に入るという感じだ。規則でがんじがらめにしてなんでも罰金が着いて回る。プラナカンという文化遺産的な建築を案内されたが、さほど大きくないミゾネット方式の棟続き住居が「億」単位だという。不動産投資の対象のようで、庶民感覚からはアブク銭のようで、それが華人のビジネスなんだろうな、という気がした。

結論から言って、わたしにはここの緑や高層建物にほとんど魅力を感じなかった。我田引水だと笑われるが、有象無象の魑魅魍魎の、奥行きのある林とか自然以外、もう付き合う気がしない。きっと日本の地方都市に住んで田舎の良さを感じたことのある人は共感するだろう。つまり一言で言えば「不自然」なんだと思う。そのシンガポーリアンを年間10回以上、北海道や日本へ案内するんだ、と今回のガイドは言っていた。彼らにどう映っているのか知りたい気もする。自然が何さ、というのだろうか。

話は戻って、こちらに充足してあちらにないもの、突き詰めればそれは何だろうか。いわばどうも、森羅万象に感じる神様の匂いではないだろうか。いわゆる自然神だ。逃げ込むような自然、つまり不条理すら受け入れるアジール的な森林こそ日本古来の、柳田国男や宮本常一が描いた「山」であり、原風景であり魂の故郷のようなものだと改めて思うのだ。

*日中30℃後半、バスや建物内は冷房の聞いた空間。汗だくとヒヤリを一日何度も繰り返した挙句、帰りの便はクアラルンプールを夜中に飛んで朝7時に成田に着いた。そんなこんなで昨日からちょっと不調で今日は37.5度の熱があった。年寄は無理してはいけない。




季節のはざまに、たゆたう快感

2024/05/01 wed 晴れ 17℃

■薪を燃やし終わってすぐ、薪の段取りを始める

20℃近い温度さなどで、つい風邪をひいてしまったおかげで、身体のリズムというか感性のようなものに微妙に感覚が至って、結果、良かったなあ、という感じが残った。養生の大家「野口晴哉」が「風邪をひくのは幸い」、みたいなことを言っていたのを思い出した。病後、身体は整うのだという。




4/29 レンタカー(タウンエーストラック750kg積載)で自宅用の薪を運び始めた。そのすき間を埋めるような途中経過で、再来年用の薪を割り始めた。育林コンペのエリアで去年の晩秋の平日に間伐したもの。17,8本あったかと思う。

時は胆振にしては珍しい4月後半のコブシと桜の満開の頃合い。思わず「ラッキー!」と心の中で叫んでいた。ここの広場の植生は牧草でなく畑放棄地の雑草だが、刈り揃えられたそんな雑草でも芽生えは美しい、という願ってもないひと時である。

わたしは段取り魔のようで、工程、作業見積りなどがとてつもなく好きで、山仕事も作業のサイクルタイムをいつも算段する。例えば、昨年の11月から12月にかけて、平日3,4日のシニア・ワークで17,8本の間伐を行ったが、連休に割るのはそれらである。今日は、0.5棚ほどが、割りながら積み上がった(写真左下)。このままいけば、年寄仕事であと2日を要する、…という風に。

一方、自宅では家人が薪積みに関わり始めたが、帰宅してみると意外に進んでいない(上の右下)。聞けば、近所のおばさんたちが入れ代わり立ち代わり、「大変だねえ」などとやってきては小一時間も話し込むので進まなかった、という。

「貴方の話し好きもあったのね」などと余計なとは言わず(笑い)、明日はまたわたしは薪割りに行くからお互いに頑張ろうか、と伝えた。

薪ヤードには、今日、わたしのほかに2家族が来て薪を運んでいた。薪を使い切って直ぐ、この冬用の薪を調達する義務感、強制力、プレッシャー、それらを乗り越えて季節をつなぐのである。それらがちっとも辛そうでなく、道楽のようなかをしている。この営みが好きでそこそこ足しているのではないか。






やはり雑木17,8本で薪2棚(1年分)完成

2024/05/03 fri 16℃

■女子含む3人で1.5棚割って積む

4/28 物置、薪小屋片付け
4/29 自宅用薪運び1.2棚(タウンエーストラック3往復)
5/01 薪割り@薪ヤード①
5/02 薪割り@薪ヤード② 家人は自宅で薪積み
5/03 薪割り@薪ヤード③ 3名



今年の連休は上に書いたとおり、今年の薪の自宅運搬、来年の薪の用意と2段階で、それらに連続してたっぷりと費やすこととなった。昨日はついに帰省中だった娘と家人を呼び込んで3人の薪割り薪積みとあいなって、さすがに早いもの、2時間半で1.5棚を割って積んだ。

「雑木17,8本を倒せば薪一年分が確保できる」というわたしの見立てはほぼあたって、終わってみればあっという間の完成だった。3人がかりなら1年分を4時間ほどで割って積めることになる。

連休中、ほぼ毎日薪ヤードにいたが、毎日いろいろなファミリーが来て各々の薪の準備をしていった。家族みんなの、あるいは老夫婦二人分の薪暖房を、使える手立てを使い切ってナントカ夏を迎えるのである。

薪の作業は、繰り返しの手作業であるが、それが単純な分だけ頭が空っぽになって、すこぶるよろしい。ただ帰国後毎日微熱があって疲れが取れず、体力のなさを痛感するこの10日間だった。

■部外者が見た薪ヤードの印象





映像系の仕事をしている娘が撮っていたスマホの写真を送ってもらった。時々訪れては撮るキノコも緑も、わたしの色や構図とちょっと違う。そして早春の薪もそこそこ印象深いようで、なかなか大きくとらえ、おさまりが良い。




フットパスにサイン打つ

2024/05/04 sat 晴れ 18℃

■疲れを癒しながら

どうも疲れが取れないので困った。風邪のために微熱が続き、これも歳のせいだろうと考えざるを得ない。山仕事をしていた年配者に、「山仕事や薪づくりはいつまで出来るでしょうね」と聞いたら、「まあ、80くらいだね」と言っていたのでそのつもりでいたが、どうもわたしにはそれまでもつ自信がない。





だが、ウラヤマニストたる里山仕事は実に色々あるから、選んで続けることはできる。今日はフットパスのサインをガンタッカーで打ち込んで歩いた。Northen Trail という北海道のフットパス愛好者で作ったものを今から15年ほど前に大量にラミネート加工して柏原フットパスなどで使っていたもの。これを「ささみちフットパス」に20枚ほど付け替えた。

枯れ木を処理したカラマツ林は、さすがに空が開けてこれから陽光が射す。ササが増えるが広葉樹の侵入も期待したい。小屋の周りではようやくスドキが3cmほど顔を出したが、コシアブラはまだまだつぼみにも見えない。

こんなことをして歩いた後に「木になるベンチ」で一休みした。何もしないでボーッとする効用は計り知れない。リラックスは免疫力をあげるから、風邪の治癒にもいいはず。林の中で何も考えないでいる、というのは心地よいもので、次から次と何かに追われていたころが懐かしいほどだ。

帰途、遠浅によってドリルで椅子2脚を補修した。ヤードではメンバー数名が薪片付けをしていた。各人と立ち話をしただけで、わたしは作業はしないで帰った。少し、うんざりしているせいもあるし、まだ自宅へ2往復する作業が残っている思いもある。

自宅に運ぶ「今年の秋からの薪」はあと少し。今年の新たな仕事は育林コンペから運んだ「来年の秋からの薪」を丸太から割って2段階で段取りしたから、この連休は少し追われてしまった。つまり2年分用意したのだ。正直、これをするのは、なかなか大変だ。間伐も含めたら薪に振り回される一年になるのだが、晴林雨読願望の当方としては、負け惜しみでも「望むところだ」、というしかない。




ドロノキの実力、72歳の体力

2024/05/09 thu 晴れ 14℃

■新緑始まり、薪作業最後の追い込み


新緑が本格的に始まった。ウグイス色のナラの芽が控えめに春を告げている。この時期、早々に鮮やかな緑を見せるドロノキは、街中、郊外を問わず、ここが胆振・苫小牧であることをアピールしているようだ。

今年の秋から自宅で使う薪の運搬3往復目は、750kg積載のレンタカーに山盛り積んでようやく完了。家人がわたしの単身作業を見るに見かねて手伝うというので、1回目の運搬は実に順調に終わった。

■70代の隠せない体力

そして今日の次の運搬は静川の小屋周りで今年1,2月に間伐した丸太を薪ヤードに今度は単身で運搬。ヤードに丸太を積み終わった時に、ガクッと疲労感を感じた。家人にしても、「こんな重労働する主婦なんていないよ!」と不満気味に笑うのだが、そうだ、家人ももうすぐ70の大台に乗る。伐採して、玉切りして運んで割って積んで、また自宅に運んで積み直す、という単純労働も、実は少し辛くなってきてもおかしくない年齢なんだ、と今日は痛烈に思い知る。持ち上げる瞬間的な体力などはいいとしても、疲れが取れない。翌日に多分に残るのである。根気も続かないのがわかる。

■ドロノキの実力

5/8と5/9、ちょっと寒いなと感じて薪ストーブを焚いた。用意しておいた焚き付けを使い切ったので、今年の薪に交じるドロノキを選んで焚いてみた。丸3年乾燥させたドロ薪だから簡単に燃えるが、燃えすぎた。ざっとナラの半分の時間しか持たない感じだ。「雑木林113」に書いた気乾比重を再掲してみよう。

>気乾比重 比較
①コナラ  0.76
>②カシワ 0.70
>③ミズナラ 0.68
>④タモ  0.65
>⑤シラカバ  0.62
>⑥サクラ  0.60
>⑦クリ  0.60
>⑧カラマツ 0.53
>⑨マツ  0.53
>⑩クルミ  0.53

>さてここからが、蔑まれる材の登場で、
>⑪キハダ  0.48
>⑫ヤチハンノキ  0.47~0.53
⑬ヤナギ(≒ドロノキとした) 0.42

3年も乾燥したせいでナラとドロノキの火持ちの差はさらに開いたようだ。そのうえ、ドロノキとハンノキの多い今回の薪は体積の目減りが多いようで、いつもなら自宅薪小屋に収まらないはずの量が、ことしは軽く入ってしまいそうだ。


一番下はハンノキ、他3はドロ。いずれも蔑まれる薪材。よく見ると、確かに「マッチの軸木」に見えてきた。

この二日、薪ストーブにくべたドロノキは瞬く間に継ぎ足ししなくてはならず、多くの薪焚き人に人気がないのも一応はうなづける。しかし、その多種多様な違いこそ雑木薪の面白さであり、これを楽しまないでどうするの、とわたしは考える。




切り株植菌と根返り戻し

2024/05/11 sat 晴れ 15℃

■午前に二つの作業をこなす



春5月は忙しい。

中旬に予定していた切り株へのシイタケ植菌を急遽1週間前倒しして実施することとなり、あわせて500コマを、約20本の新旧の切り株に打ち込んだ。ナラには本来、萌芽更新を期待していたのがまったく更新がままならず、それでは別の利用を、と懸案にしていたことだった。令和4年から取り掛かったエリアに限定し、さて、いつからどの切り株から出始めるのか楽しみとなった。

■根返り木修復のビフォー・アフター

フットパス「コナラのみち」の沿道には大きなハルニレの切り株が横たわって異形をさらして、フットパスの美観と安全上、2年ほど前から正位置に修復する必要を感じていた。kawai パパがポータブルウインチを貸与してくれるというので、これも急遽予定にあげて、首尾よく植菌後に連続して作業を終えた。終わってみると、実に快挙である。

集合写真にその手ごたえが伺えた。大きな二つの前後画像が下記である。特に二つ目が大きく、なんだか記念すべきオブジェのように見える。







■春のサイン




大島山林で春一番に咲くのは、ナニワズ、林道でみられる物に限れば、日本でもっとも大型とされるサクラスミレが挙げられる。

林ではスドキが15cm程度に大きくなって採りごろを迎えた。
池の周りではフキが緑色で美味しそうだ。ここであった年配者の山菜採りの数人は、ドロノキの近くで「毎年、これを楽しみに来るの」と野生の三つ葉を採っていた。

夕方、静川の小屋に顔をだしてみると、保安林のカラマツ林にコシアブラが出ていた。いくつかは天婦羅に、残りは土鍋でコシアブラご飯を作った。来週は、ワラビとスドキのダブルになるだろう。この春は4月に浜ボーフーをいただき中下旬に川エビを食したから、例年通りかやや早めに経過している。



山海の珍味の正味活動は薪仕事と錯綜しているので、春5月は実に忙しい。採るだけでなく調理も保存もあるからなおさらだが、この愉しみにどっぷり浸れる spring 、さすが。





雑木林はいつも、いとも簡単に壊される存在だった

2024/05/17 fri 雨のち晴れ

■コシアブラ採取の雑木の薮が消滅

雨上がりの夕方、裏山に当たる沢の奥にコシアブラ採りに行ってみたら、林がなくなっていた。唖然とするばかりだ。どうも下流では新しい火砕流防波堤のようなものを増設していたが、コシアブラの林は土留めの矢板が打ち込まれていたから、その延長だろうか。隣には太陽光パネルのヤードができていたから、あるいはそちらだろうか。

雑木林はその出自が、たかが皆伐後の落葉樹の二次林である、という認識のせいか、しばしば、いともたやすく皆伐されてきた。私有地の哀しみか、土地は個人に持たせてはいけない、という暗示か。



驚いたことに、わたしの独壇場というかコシアブラ採取の独り舞台だったのが、今年はどうも誰かがすでに採っている。それも、コシアブラの木をのこぎりのようなもので伐り倒して採取している。こういう馬鹿なやつが関わりだしたのか、というダブルの意味で落胆が隠せなかった。

司馬遼太郎の『土地と日本人』という対談集を再び開いていたところだったので、ショックは現実味をもってやって来た。




秋からの小屋薪積みとコシアブラルート、そしてナメコ、ワラビ

2024/05/18 sat 快晴

■小屋にて


百花繚乱ならぬ万緑大繁盛。このために樹木の一年があるように。

ささみちフットパスで輝いていたサワシバ。逆光でもっとも美しい葉のひとつ。

2023年11月ころから焚いた窓の下の薪がだいぶ減ったので、裏から持ち運んで2024年秋からの薪ストーブライフに備える。

先日、安いと思って買ったクマスプレーが実は4オンスの小型だった。0.5秒を4回計2秒噴射できる。解説書ではこれを熊の鼻先に当てれば「のたうち回って逃げる」とある。これなら十分ではないか。試しに使用期限が2年過ぎたクマスプレーを噴射してみたら、5,6秒は結構長かった。

ささみちフットパスを一回りする際に尾根筋のササを漕いで枯れたコシアブラに出た。フットパスとしてはこの尾根筋を「コシアブラルート」として追加しようと思う。6月になったら刈り払いをしよう。

■ナメコの植菌とワラビ


昼、遠浅に出向いて午後のナメコ植菌にあたる。土場Bの切り株を中心に約半分の250駒を打った。今後は、除間伐を終えたシーズンの終わり、つまり春に、エノキタケ、ヒラタケ、クリタケなどの菌を植えていったらどうか、とキノコにくわしい面々と話した。

3時近くになって、柏原にワラビ採りに移動。既に誰かが入っていたが、十分な量を5人で。木灰でゆで、「ワラビのナムル」と作ってみた。





古墳の緑など

2024/05/20--5/24

■仁徳天皇の古墳



4月はここ何年かの懸案だったシンガポールに出かけたが、今回は同じく懸案として残っていた仁徳天皇陵、いわゆる世界文化遺産「百舌鳥・古市古墳群」を訪れた。写真は正面の拝所で鳥居と向こうの森の間にお濠が一本横たわっている。長辺が800m以上ある古墳だから、その大きさもさることながら、これが住宅に囲まれて存在しているというのが初めて実感できた。

ところで古墳と言えば緑に包まれているので5世紀ころからの植生遷移でできた天然の森かと思いきや、明治20年ごろに植林したものであることを、ボランティアガイドの年配の方に聞いた。5世紀ころの完成時の姿は、実は今回訪問したかった五色塚古墳(神戸市の西部)に原形が復元されているというので写真を見せてもらったが、なんと直径20cm程の丸い石が敷き詰められていたようだ。

これらの異様な構築物の数はここだけでも相当あり、堺湾や舟運で使った石津川から眺められていたという。秦や随などとの交易や往来もあっただろうから、その使節らに王朝の偉大さを誇示するものだったというが、わたしには想像できない、先人のバイタリティである。1500年も前の話である。

堺市の博物館を見学するにつれ、秀吉のゆかりの地であり、利休や与謝野晶子の生地であること、鉄や鋼の生産が盛んだったと知った。古墳のための掘削など大規模な土木工事が、鋭利な鉄のクワなどが登場したことと関係するのか、とガイドに聞いたところ、それは関係ないだろうとのことだった。

■哲学の道など



旅の初日は有馬温泉、2日目は古墳、3日目は京セラ美術館と平安神宮、そして4日目は三十三間堂と銀閣寺、夕方近くに哲学の道を歩いた。連日短くて6km、長ければ10kmの歩行はわたしにはきつくて、電車とバスを乗り継ぎ夕方はタクシーを2回利用した。

いずこも外国人旅行者が半数以上で、三十三間堂や銀閣寺は押すな押すなの混みようだったが、タクシーの老年ドライバーによれば、これでもまだガラガラだといい、京都市民は観光客対応で実は大変なんだと語っていた。

写真は、いつか来ようと思っていた哲学の道。京都大学の北東側の山の辺の道だが、琵琶湖疎水の脇に桜並木の石畳が続くから、羨ましいフットパスである。ハングル語をしゃべるフットパス・ウォーカー集団とすれ違うなど、ここも往来の人がひっきりなしだった。



5日目の朝は、きもちのいい京都御苑を歩いて昼から北野天満宮に行ってみた。参拝の最後に入園料500円を払って「青もみじ」の小道を歩いた。なるほど、ほとんどがカエデだから秋はさぞやもみじの絢爛性が想像できる。春の新緑どき、それを「青もみじ」と称してアピールして見せる商魂と工夫はさすがだが、庭園は実は手間がかかる。雑木林も実はそうなのだが、修景はデザインと径、そしてメンテがモノをいう。




探鳥会と修景

2024/05/25 sat 曇り 10℃

■ちょっと変わった探鳥会



遠浅町内会とコモンズ会員を対象とした探鳥会を開催。午前8時集合でガイドは日本野鳥の会苫小牧支部会員2名にお願いした。気温は10℃と寒く、町内会の人が8時近くまで来なかったので、来年はもうやめようと呟いた頃3名が到着し、今日は小中学校の運動会だと知った。そこは臨機応変、「来年中止」は取り下げた。

鳥の声も各種聞けた。アオバト、シジュウカラ、ウグイス、センダイムシクイ、キビタキ、ハシブトガラス、オオジシギなどを確認したが、一般参加者が喜んだのはクマゲラ。写真右のようにフィールドスコープにもくっきりと捉えられて、好評だった。



午後からは、一昨年から取り組んでいるハルニレのフットパスの修景作業。刈り払いをする前に、昨年確定したフットパスルートに残る残材やツルなど、あずましいフットパスに向けてチェンソー持参で手入れ作業を施した。

思えば薪ヤードの東側一帯に取り組んで4,5年目にあたるが、ツルや枯れ木、倒木に溢れていた藪山が、コモンズ会員の人力によって着実に見違えるようになった。誰も褒めたりしてはくれないが、地域環境を確実に向上させているという実感と満足が、関わる会員には多少あろうと思う。最後に薪ができるという余禄、ご褒美がなくても、修景の喜びは作業の原動力になるのである。

6月早々、一面に広がったオシダを刈りこめば、これでフットパスらしい景観は出来上がる。そうしている間に、風景を創る楽しみと面白味もわかるようになると、雑木林の山仕事に「完全にはまった」ことになるように思う。





古い山仲間との散策

2024/05/29 WED くもり 13℃



勇払原野の雑木林には一年を通じて古い山仲間がポツリぽつりとやってくる。メープルの樹液を採っていたころには世代を超えて大勢の親子が小屋に集い樹液を飲んだこともあった。しかしもっとも訪問の多い時期は新緑の春か紅葉の時期であり、それらは山菜の時期とも重なる。

先輩のOさんは、何回かヒマラヤに挑んだアルピニストあるいはヒマラヤニストだったが、障害をもってから杖を持つようになって、さほど距離は歩かないウラヤマニストに変身した。今回訪問の先輩諸氏はアジアから世界を放浪したり、米国やカナダに留学をした経験を持つ人たちだが、今、共通するのはわたしと同じウラヤマニストに近いという点だ。

散策の途中、比較的元気に萌芽しているミズナラの株を見つけた(上右)。こういう更新があまりに少ないために5月はシイタケやナメコの種駒を打ち始めたのだが、打った翌週にこんなのが現れたのは少し驚いた。それに意外と実生のナラが見つかる。数年前、その実生を拾い集めて「林内苗畑」を作ったので、十分伸びたその苗を今週末は、

 ①遠浅のハルニレのギャップ
 ②静川小屋のカラマツのギャップ
 ③静川小屋の「木になるベンチ」脇のギャップ

に植える予定だ。シカの食害にあうのは覚悟の上である。

お昼の「そば哲」では、昆虫、植物、かいぼりの魚とりなど、幼いころの山と川遊びに花が咲いた。子供らがスマホやゲームで遊ぶという昨今とは、まったく異なる世界だ。

ちなみに林の中はもうスドキ(↓)が50cm以上に伸びている。それでも樹冠の開けた日当たりのよい空地のスドキは太くても十分柔らかくて食するに適しているように見えた。



春の山菜はこれで一段落し、6月の中下旬には初夏の山椒が登場する。





ギャップにナラの苗を植える

2024/06/01 sat くもり 14℃

■懸案のギャップ補植



雑木林の萌芽更新がうまく進んでいないために、北大の松田彊名誉教授と故矢島崇教授に大島山林の現地に来てもらい対策についてアドバイスをもらったのは5年近く前になる。

その際に林内に苗畑を作っておいて補植するのもひとつの方法だということがわかり、ヤードの真ん中の6m四方をmigita さんのトラクターで耕起してもらいinaba 前理事など大勢で早速林道から実生苗100本以上を移植して苗畑が完成した。(ブルーテントはそのあとに苗畑の脇に設置されたから、実は苗畑に先住権があったが、これから姿を消すことになる。)

近年の風倒木や枯死木発生によって生じた大きな穴(=ギャップ)にようやく植え付けることとなった。残念なことに、かわいい苗ではなくすでに大苗に育ったために、苗木の植え付けというより「移植」のような手間を要した。一部は、土が落ちてふるい根になってしまった。(下右)

移植した本数は、修復したハルニレの根返り周辺(上左)に5本、静川の小屋の北東に8本(下段右)、さらにカラマツ保安林に8本、合計21本である。








これからハルニレのフットパスは本格的に刈り払いが行われるので、どんなふうに仕上がっていくのかいよいよ見ものである。

今回の補植したすぐわきには直径が1mに及ぶ、このエリア最後のハルニレが残っており、よく倒れないでがんばってくれたものだと頼もしく感じる。フットパスはこの大木に触れるように若干迂回したいものだ。



遠浅のヤードでは、今日から刈り払いもスタートした。延々と続く薪割りのほかにパレットの防腐処理と、林内にまだ残っていた残材の搬出が行われた。コモンズとして今、何をすべきか、各自の気づきと自発性で勝手に役割分担が進んで作業が進行するという自律的循環に入っている。山仕事は実に多岐にわたるから当然の帰結だが、これをもし外注で処理するとなれば、恐らくとんでもない予算を要するだろうと、地味な作業に打ち込む面々にエールを送りたい。地域に根差した森づくりの実践の姿が細々と展開している。

新ルート「コシアブラの径」

2024/06/08 sat くもり 20℃

■静川の春の里山作業を本格化



春のミヤコザサの林床はワイヤの刈り払い機で刈れる。今日はささみちフットパスの中盤を、沢型の林道に降りないで尾根上を左折してコシアブラの枯死木に至るルートを刈りこんだ。恐らくは30年以上前に厚真町へのほだ木供給のため苫東と子会社が除間伐して以来、わたし以外、ほとんど人が入り込んでいないところで、明治以来を通してみても1,2度の薪炭用伐採以外ほぼ人跡未踏に近いゾーンだ。

左が着手前、右はアフターで写真では差が判然としないが、秋までもう一度刈りこむと3枚目の左の写真のように見えてくるはず。

この径を追加して創ろうと考えたのは、散策路をイヤシロチ化したいからで、沢は雰囲気が変わって面白いが熊でも出そうな陰惨な空気感があったからである。

色々なところを歩きつつ、胸が膨らむ径はやはり大きく開けた丘の上の風景だと気づいたからでもある。


わたしが森林散策の観点からイヤシロチを意識し始めたのはもう30年近くに前になるが、その後10年ほど経ってドイツの森林保養地で療法に使われるフットパスを歩いてからだった。

これらはいずれも土地のほぼトップに近いルートにさりげなく通っているが、なんとも気持ちのいい仕上がりだったのである(下2枚)。あるドイツ通にきくと、ドイツ人は快適な氣場を見つけるのに長けていると言っていた。そんな理由で、沢径を避けることにしたのである。




■惜春の思いと6月の花

あっという間に春のいで立ちが替わった。早春の花からも夏のものに移ったかのようだ。

まず目についたのがウシコロシ(下)、次いでテラス脇のミズキ、それとアズキナシ、いずれも涼しい白花。林床は手入れのせいかササがほとんど消えて、フタリシズカが一斉に占めてきた(下右)。これもいずれ一面の白花でにぎやかになる。



■不明だった樹種を確かめに



4月ころの線下地からの丸太運搬時、丸太を採ろうとして樹種がわからないものがあった。幹が通直で萌芽が盛んでカバのようで、木口がナラと同じ。はて、何か。

もうさすがに開葉もしているから判別ができるだろうと、薪割りを終えた遠浅薪ヤードの面々と別れて軽トラで線下地に向かった。

風倒木で通行不能となったため歩いて坂を下ったその現場で見たのはヤチハンノキだった。ヤチハンは木口が赤く、普通はヤチダモのような通直な幹にならない。それでわたしは選択肢からヤチハンを除いたのだった。

こんなわたしの経験不足と無知を茶化すように、ご丁寧にも萌芽枝の葉っぱの上には、あの懐かしいハンノキハムシがついていた。ハンノキとドロノキを植林して調査をしていたからハンノキハムシとドロノキハムシはおなじみだったので、これを見つけてハンノキに間違いないと得心したのだった。



春の森林ドライブ700km

2023/6/10(月)~12(水)

■阿寒湖にて

6月は阿寒湖にモンカゲロウが発生するので多くのフライマンを魅了する。阿寒湖は何度も来ているが、このたびはモンカゲロウを意識して初めてロッドを振った。ただ、6/10夕方と翌朝にモンカゲロウは出ず、羽根アリのような、支笏湖では「もの字」と呼んでいた羽虫が中心だった。この「もの字」に似たアント・パラシュートのフライに6/10の夕方、アタリが来たがフックオンしないで終わった。

行程は初日、苫小牧から阿寒湖まで280kmを5時間、阿寒湖から釧路間で(市内で迷子になって95kmに)2時間余り、3日目は釧路から天馬街道経由で苫小牧へ325kmを7時間、このほとんどは森の中であった。このあたりのルートはいつも思うことだが、北海道を初めて訪れる人は「人々はどこにに住んでいるのだろう」と疑問を抱くはずだ。

一方、北海道の片隅で森や林とともに人生を送って来たわたしのような変わり種にとっては、このようなひとりドライブは北海道の木々の「生い茂り」を見て歩く好機で、時速60km前後であればよそ見もできる。年寄りの目の保養、命の再洗濯のようなもの。



アングラーの背後をカモの親子が通っていった。人も鳥も魚も虫も、森に囲まれて混然一体だ。時々、目の前で大きなアメマスのライズが起きる。一方、湖岸のフットパス(写真右)は別天地であり、阿寒湖の魅力を見せるが、それは森林王国・北海道そのもののイメージとも重なる。



そのイメージは森の交代・新陳代謝とも相似であり、朽ちた木々と更新する実生らが連綿として土地に繋がっている自然のモザイク図が至る所で見える。生々流転、自然遷移、サステナブルの風景とも言えようか。

また、さすがに足かけ2日で出会ったアングラーはわたしより高齢の人はいなかったようだ。正直言えば、水底のフラットな阿寒湖ですら転びそうになるので、もう湖水には立たない方がいいようにも思えるが、いやいや、ウェーディングの際に渡床用の杖を持てばいいのである。足を引きずりながらでも 来年はこれを用意し、もっとポイントに近い宿を予約しよう。シニアだからと尻込みしないで「ハッテモズッテモ」行く覚悟でいるのが大事だ、とこの頃悟った。

■愛国緑地にて



2日目、昼前にロッドをしまった後、釧路の愛国ニュータウンの緑地に向かい市役所OBのKさんにご案内いただいた。正式には美原団地という住宅地でその外周が愛国緑地と呼ばれ、ドロノキを先行樹種として使って早期に樹林帯を創った。

ドロノキは成長が早いが、その分寿命も短いため早晩枯れてギャップができるので補植が必要になってくる。そのタイミングや方法を模索中で、緑地づくりに携わる一人として10年以上前になるが意見を求められ、団地住民の方々やKさんとともに、見学会で意見交換をしたことがある。50年ほど前にドロノキなどの植栽試験をして緩衝緑地造成に繋ぐ仕事をしていた当方だから、今もとても興味のある実験のように感じている。

特に住民の一人は、この樹林地を散歩するおかげで健康でいられるという、感想を聞いた、とKさんは言う。「身近な緑」を模索しているわたしなどには、模範解答のような反応である。そんな身近な緑体験を、意図的に実験する(してないかもしれないが)釧路という行政に、わたしは独特のバイタリティを感じてきた。案内してもらううちに小雨がぱらついたので途中で引き返したが、これはまた来年訪れることにしよう。

3日目の夕方は胆振に入って日高自動車道で苫小牧に向かう際、苫東エリアに入って厚真の緩衝緑地を時速80kmの車窓から眺めた。あらためて気づいたが、西側はもう備蓄タンクのほとんどは見えなくなって、東側の耕地や農家もほぼ樹林地に隠れてしまっている。造成後約40年を経て、ほぼ当初の目的を達成、ということになる。

この道路にしろ緩衝緑地帯にしろ、長大な基本計画に基づいて担当者を代えながら黙々と着実に進んで、インフラが整っていく国策というモンスター。来る時代のニーズを見越した未来への投資とは実にどえらい仕組みである。




本当に最後の薪割り、薪積み(ただし自宅用)

2024/06/19 wed 26℃ 快晴

■終わるとなると寂しく感じる薪仕事

令和7年の秋以降の薪、つまり来年用の薪の準備もして来たのでこの春は延々と薪づくりをしていた格好だが、それもやっと終わった。1立米程の量を、1時間で薪割り機で割って40分ほどで積み終えた。いざ、終わってみると仕事がなくなったようで淋しいような気もする。それだけ、負荷のあまりない、歳相応の仕事だった。(追記:6/22夕方、 薪棚にブルーシートをかけて本当の完了となった)

里山はしかしいろいろなケアがあり、仕事を探せば退屈しないほどある。今日は、シカの植栽試験地の奥のフットパスに風倒木が径をふさいでいたのを先日みつけたので、STIHL154を軽トラに積んで片づけてきた。


径をふさいだシラカバの枯れ丸太(直径25cm)をヨッコしてから、たわんだアズキナシのような気にチェンソーを入れる。何かのマニュアル本で見た通り、テンションのかかった部位に少しずつ切れ込みを入れて跳ね返りを避ける。当然、ヘッドギアのマスクも下げた。ひとりの作業では、小さな樹木でも基本的に手抜きしないで来た。当然、チャップスも着用した。

先週の6/14金曜日に、旧小中学校そばでクマが出て駆除されたというから、一応、クマスプレーを持参し笛を鳴らした。

■5年前の皆伐跡地の復元



正面にシカ食害試験地が見えたときに、その林分が更新のエネルギーのようなオーラを発していて思わず軽トラを止めて撮影した。2018(平成30)年の2,3月に30m四方を皆伐して4月、ポータブルウインチで丸太を集めた場所である。電気牧柵を施して、以後、その牧柵のせいかどうか今となっては不明だが、ともかく食害はなく萌芽と実生の更新が進んだ。この結果は、平成31年1月にまとめた受託調査「苫東地域内森林追跡調査」の報告書にまとめた。

オーラの波は写真では再現できないのが残念だが、おそらく密度はヘクタール2万から3万本、もっとも伸びたシラカバやコブシは樹高5m、つまり5年で5mである。中にはナラの萌芽も健在だ。かつてドロノキを植栽して10年で10mの林帯を創ることができたから、それと同程度の成長だ。




山仕事のフルコース

2024/06/29 sat 晴れ 26℃



遠浅の朝いちばん、軽トラに刈り払い機を積んで200m山に入り池の周りから刈り始める。安平町のNPOの刈り払いは1回目が済んでいて、当方の担当分の境界から順次奥へと進んだ。6月は草が柔らくて刈りやすい。

ただ、暑い。上半身汗に濡れるのが快感、いやあまり気にならなくなって、しかし休み休み、水を飲みのみ昼過ぎまで刈る。林を渡る涼風があり、かつ、木漏れ日が心地よい。写真下左はヤマグワの実。

午後は薪割りをサポート。割り残した太目の丸太中心で、若手のUさんの機敏さのおかげでかなりのスピードで片付けが進んだ。特に手ごわいのはハルニレ(右)で、この繊維のからみとねばりは材としての特殊性、特色に一役買うのだろう。



刈り払いと薪づくりは6,7月のメイン作業だが、どちらかひとつを一日続けるのはつらい。今日は半分ずつ、適度に休みながらこなした。木陰の休息の語りも、人生のオアシスになる。