定点から風土を眺める
このところの山仕事はグループで行うものから離れて「ひとり」のシニアメニュウをこなしている。思い起こせば、平成9年、静川に雑木林のための山小屋が建って、その翌年に勤務先の経営破たんで職場が札幌に代わったが、小屋を根城にした山仕事はひとりで続けていたから、いわば、昔に戻ったような感じだ。なんとなく今の雑木林生活が懐かしいのはそのせいだろう。 と同時に、のっぺらぼう状態で続くただの広葉樹二次林ともいわれる林の真っただ中にこの小屋が建ってから、周りがやがて小さな里山風の光景に変わっていくさまを、おそらくわたし以外に鮮やかに刻印した人はいない。開拓が始まって100年ちょっとだから、林の多くは人跡未踏に近く、道のない林の中を歩くようなときは、「この場所はほとんどだれも訪れたことのないところではないか」と思う時がある。 見方を変えてかっこよくいえば、数十年、ここから勇払原野を定点観測していたことになる。眺める、というよりは木を切って風土を感じていた。こんな経験をさせてもらえたことは、一生の宝だと思える、そんな歳になった。この一帯の自称「勝手な後見人」だ。 |
清掃の極み、「掃く」そして「拭く」 2024/10/2 wed くもり 22℃ ■掃除の徳 小さな自宅の庭のインターロッキング約30㎡には、ハンギングバスケットやコンテナから落ちる花びらや枯れ葉がおびただしく落ちるので、早朝4時半から6時の間にその日一日の始まりとしてほうきと塵取りをもって掃き掃除をする。そうした静かな誰にも邪魔されない時間をくぐると、掃き掃除とは、寺の雲水の作務、修行に似ているのではないかと思うようになった。雑木林も庭も、清めながら胸の膨らむ空間「イヤシロチ」を目指したかったのだから、この発見はひとしおであった。 数日前の煙突掃除で、小屋の床を煤で汚してしまったので、今日はマイナスをゼロにする、お詫びのような小屋掃除が待っていた。まず、掃いて、バケツに水を入れて雑巾で拭いた。拭きながら、跪いて拭くという動作は、どこか祈りにも似て、先週実は、すごいな、と思ったのだった。所作が小さな気づきを呼ぶ。 そんなわたしの思いに水をかけるように、小屋のベランダでは、アライグマと思われる動物が糞を2か所落として、今頃になってスズメバチの巣をこわしてあさっていた。糞は未だ柔らかかったので今朝か昨日のしわざだろう。立派な狼藉である。 ■山椒の秋の実 先日の日曜に家人と高丘の森林公園を歩いているときに、秋の山椒の実を見つけた。赤い果肉が割れて、中は黒い硬い実だった。自宅裏の山も山椒がよく目につくが、高丘も普通に見つかる。 6月末頃収穫する実はだいたい冷凍して1年で食べきるが、このごろ中華料理屋の麻婆豆腐とどうもひと味違うと思って調べて突き当たったのが「花椒」だった。山椒だけではまだあの深みが出ないのである。 林との付き合いいろいろ、研修 2024/10/05 sat~06 sun 快晴 22℃ 恒例になった苫東コモンズの森づくり研修、今年は旭川。10/5は「もりねっと」の山本さん、10/6 は「ペーパン木炭?」の大橋さんにガイドしてもらった。 縁あって「もりねっと」は平成25年(2013)に一度お邪魔しているので2回目になるが、メンバーはわたし以外は初めてでここでも世代交代の時間経過が垣間見える。指定管理の突哨山と、山本さんの持ち山を案内してもらい、現地では熱心な質疑が相次いだ。密度の濃いやり取りに山本氏は「こんなことなら勉強のためにスタッフも連れて来ればよかった」と言っていた。終わったのは午後5時半、山の斜面や棚田は黄昏ていた。 翌日は炭焼きの大橋さんを訪問。どのようにして炭を作るのかのイロハから始まり、製品化、流通、採算まで具体的な質疑がこの日も続いた。 地域の樹木をどう収穫し、保全し、利用するか、その付加価値化の度合いが高いほどビジネスとして成功率が高いが、その辺は実に微妙であり、今のところ地元の「旭川家具」を超える付加価値創出のモデルはないと思われるが、森づくりという川上から超エリートの川下の家具製造まで地元でつながりがある、というのは旭川の大きな特徴である。 色々なアプローチで樹木を活用できればカスケード利用とも呼ばれる多角化につながるが、その仕組み、制度作りは依然として道半ばである。今のところ、ベンチャーのエネルギーを持った志ある人が各地でゲリラ的につながって足跡をしるしている。 日本各地で森に限らないが自然や農の魅力に憑りつかれ心折れそうになりながらもがんばっている人を何人も見てきたので、内心応援しながら打開の芽が出るよう折るようにみている。何かにしがみついて志に燃えている若者、それを支援し応援している家族や関係者を知るのはこちらもうれしくなるものだ。 ちなみに林学には、「適地・適木・適作業」という、土地土地の立地に見合った森づくりがあるという大原則があるが、そこに「人」というファクターが大きく関与するということが、今回の研修でも明らかだった。 この秋、初めて薪ストーブを焚く 2024/10/09 wed くもり 外18℃、中10℃ ■秋は近いか キノコが出るにはまだ十分な刺激がないのだろうか。少なくともボリボリが出ないし、シメジが出るような寒気もない。上二つは、数日前に旭川の林でみたもので、左はチャナメツムタケのような感じだが、ナメコのようなぬめりが強かった。上右はカバに出ていたヌメリスギタケモドキか。 10/9 静川で見て食指が動いたのは下左、カノシタのようなもの。列をなしていた。郷里でカノコと呼んで納豆汁に欠かせないとしてよく入れていたと思う。右は定番のボリボリ(手前4個)だが、フットパスを一回りしてもこんなものだった。 ■初焚き 先週、煙突掃除を終えている。吸い込みは十分。初焚きは秋を迎える儀式に近い。室温10℃。 のぞき窓の煤も落としているので、とりあえずはいい感じ。 ルーチンとして、テラスの炉は、周りの枝を拾って数時間燃やし続ける。炉のヘリに座って枝をくべ、無為の時間を過ごす。 雑木林だより NO127 のタイトルは「無為のしあわせ、来し方の受容」だったが、来し方など何も考えずにただ無心、放心である。思えば、何かをすることにずっと追われていたのだろう。シニアの里山時間は「自由」であり、何もしない、考えない、計らない。これは歳が引き寄せてくれる能力みたいなものか。引き寄せてくれる環境は、静かさ、林のスピリチャリティ、炎、そして循環の感覚だろうか。 来シーズンの薪のための20本選木 2024/10/12 sat 晴れ 18℃、中10℃ 朝の最低気温が10度を下回って来た。そろそろ霜が降りて紅葉がピークを迎えるはずだが、まだ緑はほとんど変色せず林は緑である。なるほど、フットパスはようやく去年の落ち葉が朽ちる直前だ。 今日は来シーズン(来年2025年秋から翌年)の薪用に、掛かり木や除間伐を要する樹木約20本にマーキングした。何度も下見した結果の最終選木だが、驚くほどあっという間に終わった。言い換えれば、里山、裏山のような十分広い面積をもしを持てば、自宅用燃料などはいともたやすく調達できるということである。おそらく、除間伐のあとはどこがどう保育されたのもかわからないほど軽微なはずだ。 11月からの平日、一人でこの作業をできると思うと、幸福感が湧いてくる。そしてこれもあっという間に終わるだろう。わたしのなまくら根性がこの時間を引き延ばしたくて、ダラダラと引きずるだけである。といっても、もうなにも急ぐ必要もない。敏捷性とバランスを失った身体の不自由さは、もう決して急がせないようにできている。 栗の大木連なる尾根筋を歩く 2024/10/13 sun 快晴 18℃ 苫小牧市の森林の公園を集中して立て続けに歩いて9日か10日になる。前回、入口をわからず歩けなかった錦大沼公園の樹木園の入り方が見つかったので、温浴施設「ゆのみの湯」に駐車して樹木園に入り、柵の出口から沼を巡る尾根径に出た。 シカの食害を防ぐネット内は1ヘクタール余りでその外周を巡っていくと高台がある。そこの下り階段はカツラの並木になって楽しませてくれる。残念ながら並木はヒョロヒョロして少し貧弱である。 樹木園の裏木戸を抜けるように柵をあけて大沼を1周するフットパスに出ると、そこは4km近い周回路でちょうど尾根筋だった。しかし樹木が茂っていて湖面はほとんど眺めることはできない。ただ尾根筋はなんと直径が60~70cmもある栗の大木がデンデンと立ち並んでいる。久々に手をかざしてみると、かすかに気を感じるようだった。20年近く前、英国のコッツウォルズのフットパスを歩いた折に、径沿いのブナの大木に感動したのを思い出したので画像を探してみた。 確か5月の末だったから緑がまぶしく優しいが、錦大沼も同じ時期なら緑滴ること疑いなしだ。ただ海外と日本、そして北海道は空気の色が微妙に違う。特に英国はいつも曇っていて庭や木々のトーンが実に美しい。ガーデニングの写真は曇り空で撮るべき、とあの時強烈に叩き込まれた。 やはり大木はいい。あることだけで嬉しい。 となにやら見覚えのあるキノコが群生していた。とっさに夜の鍋を思い浮かべたが、どうも毒のあるツチスギタケモドキのようだった。家に持ち帰ってあらためて検索してみるとやはり食べられないことを確認してちょっと助かったような残念なような気がしたが、立ち止まって良かった。 舗装道路に降りるとそこはオートキャンプ場になっているから、尾根筋とは別世界だ。連休の中日のせいか、車と大型テントがびっしり並んで、子供たちは跳ねあそび大人はのんびり寛いでいる。音は静かだが相当な人出だ。さすがに日本屈指のオートキャンプ場である。 こうして集中的に地元の森林公園を歩きながら、ずいぶん手をかけた、グレードの高い緑地を苫小牧市民は持っていることがわかる。欧州で見てきた憧れの森と、もちろん、質は違うがコンパクトで変化に富んでいる点など遜色がないのではないだろうか。1周しても2,3時間あれば戻ってこれることやサインが完備されて道に迷う危険が少ないこと、路面が良く歩きやすい点など、数え上げればいくつも出てくるだろう。唯一、支笏湖の森林地帯と地続きだから、時々ヒグマが出没することは気が抜けない。 一方、わたしは歩きながら、行政の担当者や設計者や管理に携わってきた人々の顔を想像していた。快適なまちの環境のためには、公園や郊外の森林などの緑は不可欠と認識される今日だが、欧米の都市計画を見習って日本の都市公園の施策は実に急激に進んできたのではないか。それに緑を大切に思い位置付ける教育も発達してきた。 さらに、胸の膨らむ尾根筋を忠実に径をつけてくれたことに感謝もし、仕事とはいえ、組織として人から人へと交代しながら淡々粛々と業務として携わった人びとの流れを思い浮かべずにおれない。プロジェクトの主体の顔は見えないが、いつのまにか積み重ねられて宝のようなものが出来上がっている。たとえ利用する市民が今は多くなくて行楽の賑わいはなくても哲学をするような寂しい山道が出来上がっていることは、やはり恵まれた環境の一つだと、称賛の意味も込めて挙げざるを得ないと思う。 待望の五目キノコ採り 2024/10/16 wed 晴れ 18℃ ■紅葉は遅い 気温は朝でもさほど下がっていないから、風景は夏の終わりに似ている。しかし週末から寒気が来るというから紅葉のピークは来週末ころとなって、なんだいつもと同じでないか、ということになりそう。 ■6種のキノコ採る ただ、キノコの方が寒さの刺激を待ちきれないのだろう、歩いてみると合計6種の食用キノコを見つけ、採取した。最も群生していたのは、上のクリタケ。残念ながらさほど美味ではない。見た目と歯触りがいい程度だ。とはいっても群生する様は、なんだか宝物を見つけたように派手目なパフォーマンスである。 うれしいのはエノキタケだ。古いナラに地味に出始めた。これは朗報だ。収穫期が比較的長いから来月まで切り株めぐりを楽しめる。 このほか、ハタケシメジ、カノシタ、ナメコ、そしてナラタケの6種を採ったが、家人と二人の食卓で食べきる量となると、大したことはない。豚バラ、豆腐、しらたき、白菜などとお酒と塩味を利かして白銀なべにした。混然一体となった2024年秋のキノコ味覚は申し分ない。 朽ちていく美、傾く陽ざし、秋の魅力 2024/10/20 sun 10℃ 晴れ 手術前後の運動不可による機能を回復するために、今できるだけ歩く努力を続けている。しかし、近所だけではもうほとほと飽きてしまったから、今年は晴れた日は10km圏内の森林に足を延ばしている。今日はやや範囲を広げて隣の白老町のポロト湖自然休養林に来てみた。 バンガローとキャンプサイトのあるエリアを見ながら奥(北)の方へひとり歩く。一帯は国有林だから、インフラもしっかりしているが道有林や私有林とも微妙に異なる雰囲気がある。ともかく誰もいないキャンプサイトはどこも悪くない。沢の向こうでオスジカと思われる鳴き声がずっと聞こえている。ヒヨドリが群れていた辺りは、植樹会でコブシを植えたあたりで、赤い実が異様に目立っていた。樹高は5m程だが、コブシはこの高さでかくも実をつけるものだったか。 森林の散策のいいところは、身体の運動だけでなく、目と感性がよく働きひょっとすると無意識に「気」が充実するのではないか、というメンタル、スピリチャルな一面もあるような気がする。どこにもない、ここだけの植生と風景、そして空気感。針葉樹の木漏れ日など、思わず深呼吸をしたくなるのである。 湿原をめぐる径に入って目につくのは、朽ちていく倒木、倒れかけた幹、枝、そして一面の落ち葉である。いずれも朽ちて土に還ろうとしている、解ける直前の姿だ。萌える春のエネルギッシュな林ももちろん感動的であるけれども、下り坂のような秋の風景にはとてつもない和み、親しみ、そしてなにがしかの哀しみのようなものがある。消えるもの、弱弱しいもの、夕方の斜め光線そのものがこの季節独特のもので、それが情緒を少しダウンさせるのだろうか。だが懐かしい日本的な情感ではないか。 直径1.5mほどのナラの大木がフットパスに面している。ここは国有林の遊歩100選に選ばれた場所で、このナラは東胆振では最も太いナラではないかと思う。北大苫小牧研究林にもほぼ近いサイズのナラを見かけるが、さすがにいずれも寄って触れたい衝動が起きる。 賑わいなど全くない森を歩いて1時間半。寂しい径ではあるがそれだけに忘れがたい時間になる。途中、埼玉から来たという若い女性二人とワンちゃんに会った。ポロト湖までいきたいというのだが、往復6kmもあるから帰りには暗くなるよ、と車に戻る近道を教えてあげた。紅葉はまだだったが、これから大滝に抜けるというその峠はよく紅葉しているはず、と付け足したら喜んでいた。気温は10℃、フリースのマフラーをして丁度良かった。 勇払原野の「雑木林」から発信する意味 2024/10/25 fri 快晴 朝5℃ ■秋の渡りについて ここ数日、白鳥とガンが高い高度で南に渡っている。今年の渡りで鳴き声が小さく聞こえるのは、高気圧が続くためか飛行高度が非常に高いせいだろう。秋の実なりがよかった反面、キノコの収穫は地味だった、紅葉は1週間以上遅く、渡りは分散してあまり聞こえず、したがって視認の頻度は落ちた。こんな風なこの秋の評価をしつつ、間もなく薪ストーブを焚く晩秋へと移り変わる。 ■山小屋、里山、雑木林、そしてウラヤマニストについて 青春を山にかける若者にとって、山小屋生活は特別なものだった。語らい、歌のハーモニー、質素だがボリュームのある食事、深雪の滑り、その時間の重要な部分に、焚き火と薪ストーブの炎が同居していた。Hさんのこの版画は、そのあたりをズバリ描いている。 山の先輩でもあるHさんは版画と文芸をたしなむアルピニストであった。左の写真はHさんからいただいた版画で、14/30 とナンバーが打ってある。その画像を、平成9年に始めた育林コンペの初回の総括集(平成12年)の表紙に使わせてもらって以来、すっかり原図を持っていたのを忘れていた。 *かつての苫東の雑木林紹介 奇しくも、今朝は、勇払原野の雑木林の背景と未来について、依頼されて短いコラムを書いていたところだった。蔑まされたように地域の隅に置かれていた「ゾーキノヤマ」が、実は市民にも、そして行政からも全くのように価値を見出されていない間に、雑木林環境のリゾートができてしまった、というのが地域の現状で、ある計画が持ち上がって、カジノの場所に開発されてしまったら市民がギャンブル依存症になるから反対だ、から始まり、ウトナイ湖の水源に当たるから反対だ、そして保全緑地に隣接するから、さらにヒグマのコリドーだから、ととってつけたように反対理由が次から次と出てきたが、「雑木林は美しい」「気持ちよい」「多様性の宝だ」「好きだ」などという雑木林そのものへの讃歌はまるで出てこなかった。 苫東の雑木林をインダストリアルパークの魅力発信に有意義だとみて、雑木林の手入れに着手し内外に発信し始めたのが平成2年だから、わたしが雑木林からの発信を開始して34年になろうとしている。較差の大きいところにエネルギーが湧くのだとすれば、勇払原野の雑木林の実力と地域の評価の間にもエネルギーを傾斜すべきギャップがある。わたしの地域におけるポジションは、これからもどうやらそのあたりの発信にあるようだという気がして来た。 コラムなども書いてみるものだ。書きながらおぼろげなテーマの輪郭が、次第に明確になってくるのである。知るは楽しみなり、の伝でいえば、書くは確信への一歩なり、である。もともとアルピニストと言える山登りはしなかったが、やがては平坦な裏山などで憩うだろうと、「辻まこと」のいうウラヤマニストを自称していたのだ。が、どうもこれは人生数少ない言行一致、自己実現のようになってきた。 山を任せてもらい、預かるということ 2024/10/26 sat 晴れ 15℃ ■選木は楽しい 11月から本格化する大島山林の除間伐作業を前にして、伐採の届の予定エリアに集まり、今季久々に導入する「小面積皆伐」の約1000平方メートルを簡易に測量(by compas glass)して赤のスプレーで確定した後、すでに終わった除間伐エリアの東側に赤いスプレーで参加者8人みんなでマーキングした。 紅葉、本格スタート 小面積皆伐のエリアでは、苫東の雑木林で約30年続けてきた選木の判別方法についてわたしがプレゼンし、意見交換をした。個人的な好みが入ってもいいような、マニュアルっぽく定まっていないゆるやかさが雑木林らしいかもしれない。 作業後のミーティング わたし 「選木作業は楽しいよね」 kawai さん「やっぱり山仕事の中では選木が一番ですね」 広い山林を所有する大会社に勤務する若い kawai さんもそう言うのだ。また、同窓のkuri ちゃんも一緒だったので、最近読んだ『森林未来会議』で提言されている市町村フォレスターを話題にした。私見では、北海道大学の林学科、あるいは森林科学科を卒業した同窓生の少なくない人達が、道内各地の市町村や道庁や森林所有会社に勤務して、持ち山や地域の森林の後見人のようにして主体となって取り組んでいる事例を数えてみると、かなりいるのである。これこそは地方大学の特徴であり使命でもあろうと思う。 ところで、今シーズンの除間伐は、例年方式と小面積皆伐のほかにもうひとつ、フットパス沿いの軽トラ通行の支障木伐採が加わる。午後、kuri ちゃんと軽トラで実走しつつ、とりあえず30本(約2棚)にマーキングし、さらに20本をカウントしたので、進捗によってはフットパス沿いでさらなる搬出が可能になるだろう。これで選木していけば、まだまだ残っており、かなりの数になることは間違いない。 手前は先日 tomi-k さんが防腐剤を施した旧テント前のベンチ。奥が大活躍の、プレートがない軽トラ。車両の前面には緑の苔のような汚れが大量についていたので、水をつけたタオルで拭いてみたら、そのタオルはもう使えないほどにグタグタに汚れてしまったため捨てざるを得なかった。林では、落葉や枝だけでなく、放置すればまるで車まで朽ちそうになって来るような具合である。 ■役員とは世話役である 午後、oyama さん、wada さんはカップ麺容器による高熱燃焼などで破損したルンペンストーブを外し、煙突掃除とテントポールの補修に取り掛かった。tomi-k さんはスノーモービルのバッテリー交換と太陽光パネルの取り付けをしていた。小さなNPOだが、140ヘクタールにおよぶ雑木林の目配りと作業段取りにはそれなりにいろいろと手間やメンテナンスがかかのである。 もっと大きなことを言えば、他人さまの土地を預かるということは、実は義務や責任も多く結構重たいもので、むしろ除間伐や薪づくりの作業そのものは、ある意味、肉体的に汗はかくが決まり切った軽い気軽な案件ともいえる。 過日、世話役2名が済ませたテント周りの排水工事もそうだが、年間予定には書ききれない雑事が、やる気になれば満載でこれらを主体的に、かつ自発的に取り組んでいるのは役員(や事務局員)であることが多い。逆に、そういう世話役を積極的にやってくれる人が順に役員になってもらっている、という背景もあるだろう。個人的な経験で言えば、現役で仕事をしていると世話役として動くのはかなり厳しいという事情もある。 ただ、日常的に出入りする里山というのはそういうもので、暇を見つけてケアする、その時々の出入りがひと気をつけ、さらに手入れされた景観を生んで里山化していくのである。これは平成9年に立てた静川の小屋がまさにそんな進化をとげて現在があることでも、すでに自明のこととなっている。 また、自律的な組織には活動の枠組みというのがあり、船のような枠組みと進路を定め運営する地味な世話をする側なのか、あるいは単に乗っかる側なのか。どんな組織であれ、これはいつもついて回るグルーピングだ。設立のミッションを堅守して、かつ共有して、はて、どこまでやれるのかは、神のみぞ知る、である。 お互いの立場を尊重し、なんとかやれる人が分担をカバーしつつ、協力して知恵を絞ることはいつも試されているわけだが、世話役が実は縁の下で支えていることは普段は当然、表に出てこないものだ。それに世話役はしばしば寡黙でそれを語らない。そしてそれは世の常であるが、そこには実は互いの人生観、人生の冥利、さらにいい意味の損得が隠れているのが興味深い。恐らく、世話役は各人、誰が褒めてくれなくても人知れずの奉仕にそれなりに勝手に充足しているものだ。 ここ1,2週間の動きを眺めながら、そしてこれまでを振り返りながらそんなことをつらつら想った。 小さな川のある雑木林風景 2024/10/28 mon 晴れ 散歩コースに隣の町内の奥、有珠の沢を選んだ。樽前山の噴火に備えた防災工事で山すそは一変してしまったところがあるが、登ればまだかつての面影が残っている。 放置された林の、なりゆきにまかせた風景に近頃は寛容になって、下のような風倒木もいいなあと感じている。 苫東会社のコモンズ担当者に現地ガイド 2024/10/29 tue 晴れ 14℃ ■紅葉はピークか 苫東緑地の紅葉のピークは例年、10月25日ころ。今年は4,5日遅れて今が見ごろのようだ。今週から大島山林の除間伐が本格化するのにあわせ、事前に進めていた伐採届に関連して、土地所有者・苫東会社の交代した若い担当者おふたりを今年の届け出場所とコモンズが活動する現場の隅々を案内した。半日かけてみて歩いたのは初めて。 お二人とも緑地管理が専門ではないので、すこしガイダンス的にこちらが説明することになった。静川の小屋周辺の「里山景観の維持」、「育林コンペのブロックと新規着手場所」「大島山林の天然更新試験地」、さらに今年の除間伐エリアの順に移動したところ、終わるころは日が傾いていた。 10/31 追記 15年前に作ったコモンズの二つ折りパンフをお渡しした。そこには「勇払原野の風土を共有する」というスローガンがメインに書いている。そう、わたしたちは土地を持つことはできないが、風土に愛着をもつことと、わたしたちの風土と宣言することはできる。たとえ、土地所有する側の人たちが旅人のように次々と入れ替わっても、風土を共有する人達はいつまでも愛着がある限りは見守ることはできる。まるで後見人のように、である。 夜更けにめがさめて、コモンズが手入れしている彼らも訪れたことのないエリアに案内したことを反芻した。協定で土地の使用を認められている側が、所有者をガイドするという、思えば妙な役割をしたわけで、だいぶ前(恐らく10年以上前)にこんな図を描いたことが頭に浮かんで開いてみた。土地におけるコモンズの位置を示したものである。 経済は、ある主体が権利を有する土地の表面を造成したり建物を立てたりしてある期間営利事業を続けるが、森林や気候風土は地域の社会的共通資本として空気のように不可視のものとして存在しているから、それを必要不可欠なものとして、かつ、そこに軸足を置く人が時間を超えて実質的な後見人にあたるのではないか、という思いを絵にしたものだった。眼前には、古くて新しい「土地は誰のものか」「自然は誰のものか」というテーマが社会的な合意を先送りするように大きく広がっている。 その概念がローカルコモンズであり、どのように関係性を紡ぐかが今日的なちょっとした実験である。コモンズにかかわるわたしたちはそのささやかなプレーヤーというわけだ。 |
山の一日 2024/11/02 sat くもり 14℃ ■チェンソーの勘をもどす 11月からいよいよ今シーズンの除間伐を開始する。 本格着手の初日、コモンズではチェンソーの相互研修を行った。毎年、冬はずいぶんチェンソーの山仕事をするのに、シーズン初めは、その操作手順など、すっかり忘れてしまっていることがある。それと、基本の確認、おさらいを含め、安全のために伐倒のデモンストレーションと意見交換を行うものだ。心のどこかに、静かな緊張感も湧いてくるはずだ。 10時前から、oyama さんが進行役となって青テントの中で座学。A土場のそばでデモを開始したのは11時少し前。 一番手のデモはkuri ちゃん。太目のナラ(直径40cm)をピッタリと予定方向に倒したが2m以上の「槍」を作ってしまった。ツルの残し具合など点検。あらかじめスカーフカットをすべきだった、との反省意見も。 naka-f さんは3番手。いつも使っている追いヅル伐りで伐倒の途中、ソーチェーンが外れた。2番手のkawam さんは、チェンソーが切れず青い煙を発して午後に回したが、ソーチェーンを見ると刃が円い。聞けば5年目だという。わたしは「お金持ちなんだから、早々に取り換えて」と冗談めいた檄のようなアドバイス。 4番手のya-taro さんは、操作中、アクセルを手放した段階で高速回転だったことを指摘した。エアクリーナー、キャブレター、燃料パイプのつまりなどが原因か。トルク調整の穴を探してみたが、STIHLのMS201は見つからない。おそらく素人はイジルナというメッセージだとも言えそう。きっとそうに違いない。かつてゼノアでいじっていておかしくしてしまったことがあるから。あれは本当に微妙だ。 ■落ち葉浄土始まる 圧倒的な量の落ち葉だ。径や林床に敷き詰められた赤茶の色は、収穫の色という人もいるし、成熟の象徴と連想する人もいる。わたしはいつも「落ち葉浄土」という言葉を思い出す。 午前の伐倒デモを終えたあとはひとりで林を歩いて回った。特にキノコ目当てではなく、2024年の紅葉をただメモライズするためである。それでもエノキタケとヒラタケと自然に出会った。2時過ぎは小屋に向かった。夜は少量のヒラタケで和風の吸い物をいただく。 この時間、この風景を独占的に静かに堪能できるのは、勇払原野の雑木林という超マイナーな林と付き合うことができたおかげだ。山仕事冥利というのだろうか。ここ数日、『これからは誇りをもって(勇払原野の林を)雑木林と呼ぼう』という題でコラムの依頼原稿を書いて校正していたところだった。贅沢だなあ、と思う次第。 今年の山仕事初日 2024/11/10 SUN 10℃ 室内0℃ くもり ■新たな気分でチェンソー持つ 2024年秋の伐倒始めは数年前にマーキングしていたコナラ。密度調整エリアの500本区のはずれか。比較的倒しやすい直径25cmで、手始めとしては適当だった。 小屋周りは雪が降る前は落ち葉があらゆるものを隠してくれる。この落ち葉浄土の世界が何故美しいか。答えは、風景がシンプルになるから、でもある。紅葉の色は様々だが、モザイクとなって全体は茶色の時間があと2か月。この間に山仕事はあらかた終わらせて、来春4月早々、レンタカーで丸太を運び出す。盗難にあわないことを祈る。 今週はあと2日やってくる予定で、少しずつピッチを上げて仕事ははかどるだろう。チェンソーはバーを35cmにして、ソーチェーンは角型のスーパーに替えた。下手な目立てで作業効率を落とすより、ソーチェーンを新しくする方が手っ取り早いような気がする。 ■室温24℃にあげると・・・ 薪ストーブに点火して外の仕事に出た。窓辺にはいつも羽化した虫がいるものだが、作業を終えて戻ってみると、異様な蠢きに変わっていた。種名はわからない。小型のハエのようなもので、一斉に羽化したものだろう。 室内温度計を見てみると、朝は0℃だったのが24℃に上がっていた。正味24℃のアップだ。梯子の下にはなにやらなつかしいヘビの糞のようなものが落ちていた。そして恐らくトガリネズミの糞。毎週、掃き掃除をしていたはずだが、これらは初めて見つけたような気がする。なんの兆しだろうか。 山の辺の道をたずねて ~里山のフットパス~ 2024/11/5~11/8 前回の奈良訪問は、高野山の帰りに明日香路の一部を自転車でめぐった。この小さな風景の中で大和の国が動いていたことに正直驚いて、日本の歴史をますます掘り下げて知りたくなった。大和のあったあたりはヒューマンスケールのようなものを感じる。近畿ではありふれた古墳も、最北の土地に住む自然優先の住人にとって、異国の歴史のように遠い存在であった。 ともかく奈良のスケール感に惹かれる。そうこうしているうちに山の辺の道が歩きやすく、かつ古刹、御陵、田園風景が盛沢山であることを知ってから次の目標にしていた。2日がかりで35km、古刹なども時間をかけて所要時間は11時間。以下、画像とワンキャプション旅日記。 序盤Nは11/6、法隆寺参道に面した宿の特別メニューに法隆寺のレクコースがあり、この日は仏像に限定した現地講座、正味2時間、早口で濃密なガイドを聞いた。極めてマニアックな若い学芸員風で、仏像の素材、技法、それと表情で、作られた年代を見分ける方法というのを伝授された。 右は南大門の千数百年耐えた木の柱。そもそも日本最古の木造建築とか聞き覚えたが、さすがに根元はつぎはぎの補修が行われている。技である。 柿食えば鐘がなる法隆寺を後にして、天理から南コースに入った。柿の収穫は終わったようだ。まほろばの風景は自分が日本人のDNAを引き継いでいるような気にさせる。結果的に、南コースを南下した今回の行程は上り下りの点からもちょうどよかった。棚田あり、柿、みかんの農園あり、そして随所に野菜と果物の無料販売所があって、料金箱が無造作に置いてある。そして多くは売り切れていた。そこで、真っ赤なミニ唐辛子と別のところではレモンを購入した。 古刹は、代表的なのが石上(いそのかみ)神宮、大神(おおみわ)神社、長岳寺などがあり、10代崇神天皇と12代景行天皇の古墳の脇を通過した。 右は山の辺の道ファンクラブが設定したビューポイントから見た大和の風景。畝傍山、雨の香具山が何とも小さく盆地を埋めている。ここに3世紀ごろ、謎に包まれた邪馬台国があったという議論の場所である。このファンクラブは、フットパスの修理や沿道の植栽など、地味な活動を続けているようだ。 ふと、「勇払原野の雑木林ファンクラブ」なるものを歩きながら考えた。今から30年以上前に、「いぶり雑木林懇話会」なるものを作り、事務局と世話役をしていたのを思い出したのである。文字通りの雑木林ファンがそこに数人いたが、あまり折り合いがよくなく自然解散となった。 今はどうか。わたしひとりだけ残留している感があり、自称ファンクラブ会員1名が週2回の山仕事の例会を静川を中心に勝手に催している格好である。そして日々、飲み会。まあ、これで十分だなあ、と思う。 集うよりもひとりでいたい、もう無理はしないが、時に人恋しくなることもない訳でない。どちらかと言えば雑木林ファンは山仲間に多くいる。特に「辻まこと」を愛読したファンなどは申し分ない。そういう宝のような方が実は道内と本州に計2名おいでになるのである。実際、それで上出来、十分というべきか。本当の趣味の共有なんて、ふつう出来ないのである。 73年前皆伐された再生林、30年前に初回除間伐、今、2回目の美の手入れ施す 2024/11/13 wed 曇りのち晴れ 10℃ 室温4℃→18℃ ■今回の間伐の意味は 先日のチェンソー操作慣らし運転に続いていよいよ間伐初日。伐倒方向と伐り残すツルと称する伐倒方向コントロール幅など、イロハを丁寧になぞりながら、6本の立木と何本かの枯れ木を倒し、いくつかの切り株を切り戻し角を削った。森林調査簿によれば、ここは1951年が発生年とされていて、恐らく薪炭用に皆伐されたはずだ。 この年はわたしが生れた年で、ここに小屋を建てたのもこれが大きな理由の一つだった。つまり樹木の寿命と成長をわかりやすく体感できる。ここは平成4年ごろ、ヘクタール当たりの密度は2500本から3000本で、それを1500本まで抜き切りしたエリアだ。 薪炭用材を採って地域の木材業者や農家に販売し、作業員の賃金に当てるという経済的目的もあったが、個人的な願望として、コナラの広葉樹二次林を上手に手入れするとどうなるか、きっと美林になるという仮説を立ててそこに着々と近づけてきた。それは別の言葉で言えば「里山化」することだった。 案の定、勇払原野の他のヤブヤマは、リゾート開発されて別荘地やゴルフ場に変わるところも出てきた。放置すれば「野生王国」、手入れすれば「リゾート」、これが勇払原野の雑木林の潜在的素質だった。 手入れを初めて30年。今、眼前にこのような樹林地が展開している。林内を歩くたびに枝を拾い集めるから、一面の落ち葉のローン状態になってくる。 ■ひとりの小屋 作業を終えたところで室温は18度になっていた。ほぼひとり用の作業小屋は、家族とも仕事とも何かの社交などからも完全に離れて、勇払原野の「産土(うぶすな)」を感じ、向き合える神秘体験の場でもある。 ひとり、というのはいわばどこでも気持ち次第でなれる、という人がいるが、果たしてそうだろうか。わたしの経験で言えば、ひとりに集中する環境、それは山小屋に優るものが無いと思う。深く、重たく、しかしひとりが暗くない。それをもし身近に探せば、家人も近所も誰も起きていない未明の居間の、ひとり時間のひととき。来し方も余命もなんとなくわかったような、そんな全人的なインスピレーションがやってくる。 休み休み、73歳だもの 2024/11/16 sat くもり 12℃ 室内4℃→21℃ ■ゆっくり玉切り 玉切りと枝片付けを休みながら。まさに高齢者の山仕事だ。本当に体力がなくなったことを実感する。しかし、何かの感覚に似ているなあ、と思った。「山登り」である。ネパールではシェルパやポーターが、トレッカーに「ビスタリ、ビスタリ(ゆっくり、ゆっくり)」と声をかけた。あの要領だ。 チェンソーは約7kg、登山靴のような安全靴と安全ズボンで4kg、ヘッドギアだって1kg近いのではないか。これで歩くだけで十分難儀さを感じる。これに、燃料と機械油のコンビ缶、大とびと手トビ、フェリングバー、トング2本、約3kgのハンマー、それと調整用小道具など一切合切を一輪車に積んで歩きにくい落ち葉のフットパスを、小さな切り株に躓きながら、すぐそばの作業場所に向かう。たったそれだけでも、今日は一回休んだ。情けない。「ビスタリ」を思い浮かべつつ自らを励ましちょこちょこ歩き回って、万歩計は2.9kmだった。 夕方、森林系の同窓会があるので2時ころ帰る準備を始めた。シルバ会苫小牧支部と銘打った3人の会。帰途に着く前に、辻まことの一冊を手にして貸し出し帳に記載した。1980年にわたしが購入し2023年に小屋に寄贈したものだ。この間、何度読み返しただろう。扉の裏にこうある。 「雪の山と森はわた私に語った。必要なのは情熱と夢ではなく冷静な目覚めだと、愛することではなく憎悪を超えることだと、多弁な歌やマイクロフォンの声ではなく沈黙だと・・・・。目標を失くし錯雑した感情を病む私の心は、この凍結した白い永遠に救われる。」 山や林と「ひとり」が何時間か向き合っていて、心に浮かぶアフォリズムがこうして凝縮されていく。言葉を煮詰めることは悟ることでもある。生きている実感でもある。吾想う、ゆえに吾あり・・・。 |
落葉の上に、雪、降り積む 2024/11/19 tue くもり 4℃ 室内ー4℃→20℃ ■雑木林は童話環境 林は一転、銀世界へ・・・、いやその一歩手前まできた。雪の間から落ち葉がまだ垣間見えるからだが、2024年の天気の特徴は、かくも穏やかな変遷をして来たことだ。大きく荒れないで静かに季節がめぐった。ただ気温だけは暑い夏が長かったので、生き物たちには色々な影響をあたえただろうことは想像に難くない。 雑木林に裏山や里山のように足しげく通うようになるといつのまにか、林がわたしに語り掛けているように感じるようになった。錯覚かもしれないが、続くとそれは常態として意識される。作業の安全を祈ったりするからその反応といってもいいかもしれない。 その源泉を探せば、森林というものが心身を落ち着かせリラックスする引き金を持っていて、その結果、ヒトは本来の自分に立ち返ることができる、ということに根付いていると思う。換言すれば、内省する、内観する、という状態に引き込まれるということだ。 ここでアフォーダンス理論というのを思い出した。アフォーダンス理論では「物や環境自体が、動物や人間の行動を引き出す性質を持ったものとして存在している」と考える。林に置き換えれば、森や林は内省、内観を促すもの(環境)として存在しているということになる。内観すると、林とのあいだで対話がおこり、童話の足掛かりが生れるのだ。これがひとりの時以外には訪れないというのが要諦である。そしてわたしがかつてのように、ひとりの山仕事に戻って来た理由でもある。 ■静かに倒れた大木に思う 今日はヒヤリとする出来事があった。 これまでの伐倒木4,5本を2時間ほどかけてすべて玉切りした後、懸案の掛かり木にチェンソーを入れたのだが、やはり一気に倒れないで隣の木に懸かってしまったため、追い切りをした。その追い切りの、チェンソーを引き抜くタイミングがほんの0.2~3秒遅れたためにみごとに挟まれてしまったのである。迂闊だった。 その修復のためチェンソーを入れ替えて数分後、さあとりかかろうと向きなおったら、くだんの掛かり木はナント、すでに倒れていた・・・。ままあることだが、ちょっと居場所を間違えたら、と思うと少し青くなりそうだった。もちろん、木の下に入ることはなかった。音も感じないうちに倒れた原因は、切れ込みも重量の負荷も倒れるには十分だったこと(倒伏は時間の問題だった)、それと難聴のわたしがイアマフを常用するためわたしには倒れる兆候が発するわずかな音を聞き取れなかった(休憩時は片側だけでもはずすべきだった)、ということである。 今シーズンの山仕事にやっと慣れてきたと感じていた朝に、初心を思い起こさせる事案が発生したことには、むしろ感謝したい。「ビスタリ」だけでなく、「周到な準備」「情報聴取」「手順確認」など、あらためて心掛けるようにしたい、と誓った。「80歳まで木こりをする」ためにも。 エノキタケはえらい。ユキノシタと呼ばれるだけあって、春の雪解けまでこの状態を維持できるが、キノコの内部は濃度を濃くしてしのぐのだろうか。指で押すと気持ちの良い弾力があり、ビロードのような肌も実に好ましい。 まとまった雪が来る前に 2024/11/21 thu 10℃ 小春日和 育林コンペのプレーヤーが変更になるのに合わせ、主役となるSさんと境界の立会をした。広いまとまりのある面積の一部を前団体の会員であるSさんが、当面50m×200m引き受け、残りはコモンズの共同利用エリアとした。数年前、馬搬を利用した除間伐が行われた場所で、テープをつけながら切り株を見て回ったが、残念、エノキタケは見つからなかった。 昼過ぎから、これからの焚き付けづくりにいそしんだ。雪で濡れる前に、乾いた細枝を集め折り、少し大きめの焚き付けはキンドリングクラッカーで割った。小屋周りでいくらでも補充ができるから安心だが、山仕事の日はすぐ仕事にかかりたいから、こういったストックとか準備は意外と大切だ。 小春日和の一日だった。テラスの椅子に座っていても寒くない。なにもしないで座っているだけで幸せな時間となる。森や林の評価軸は主として自然科学に偏っている昨今、医学、美学、文学、宗教学など社会科学のものさしが聞こえてくることはまれだ。だが、古来、日本の森は罪人や精神に異常をきたした人の逃げ場所としても、あるいは姥捨て的な場としても重要な場だった、と言われる。わたしの軸足はこちらに重心がかかっている。ひとりを愉しめる所以でもある。 バリアフリーの山仕事、ようやくペースつかむ 2024/11/23 sat 晴れ 6℃ 小春日和 高齢者の山仕事には絶好の日和。と思っていたら遠浅で作業していた若い人たちも絶好の日和だと言っていた。わたしはもう昔と違って、暑くなく寒くもないそんな日に、汗をかかない程度の運動量に調整して動く。安全は技術的な配慮だけでなく、安全ズボンや手袋まで面倒がらずに万端怠りなきようにしている。安全対策は服装や姿勢でもやれることは何でもやる。何しろ、急には動けない機能制限者なのだから。 昨日、穴の開いたスチールの皮手袋を補修した。編んだテグスで結び付けてからボンドと瞬間接着剤で貼り付けた。これで気持ちも整う。 残っていた玉切りを雪の前に片づけるべく、延々とチェンソーを動かしていく。単調な繰り返しは無心である。それが終わって、ナラの伐倒今日の一本目。クサビを使って予定通りの方向に倒す。 平成6年の初回間伐で1500本、今回の間伐はそれから約30年経ってのことだから、掛かり木になる確率は低く、しかも林床の枝は里山風景維持のため日頃から集め片づけてあるから、作業はとても楽に行うことができる。まるで、「バリアフリーの山仕事」みたいである。そんなこんな、諸々を理解し、今季の山仕事のペースがつかめて来た。 だからこそ、時間に追われない、風景と語り合いながらの仕事ができるのである。雑木林ではぜひ情緒的なやり取りをして過ごしたいもの。雑木林のまずめどきはその点格別だ。土地の産土の神が一緒に見ているような、そんなひと時である。 話はちょっと変わるがギターのことである。20年以上前に北大の学生が小屋に寝泊まりして育林コンペをやっていたころ、一台のギターが小屋の備品になり、かなり長い間放置されたものが3年前にロフトから出てきた。なんとか捨てないで、自分が使わなくなったオーガスチンの弦に入れ替えもう一度張り替えたりして古いギターケースを持ち込んで保管している間に、不思議なことには、放置された安物ギターらしいホンキートンク的な音程が是正され、一応12フレットあたりまであまり狂わず音が出るようになった。矯正というのだろうか。やってみるものだ。しかし音色はやはり望むべくもなかった。 ハリギリの枯死木、焚き付け利用 2024/11/27 wed 夜半の大荒れ後、くもり 12℃ ■理屈通りの優等生伐倒 天気予報では11/26の夜半から風速35mの暴風が吹くとされたが、苫小牧の市街と違って静川の林道や林内はさほど落ち枝はなかった。しかし、隣接するカラマツ林は傾斜木が増えたように見えた。 年寄半日仕事も5日目になる。正確で安全な伐倒が続くが、今日は直立するナラに対してクサビ一枚を使った伐倒を行ったところ、さすがに理論通りの正確さで倒れ、履歴となる切り株のあともきれいだった。 ここは林道からも良く見える位置で、むしろ丸太の盗難が懸念されるほどだが、高齢者の単独山仕事は、たまにやってくる通行者からも丸見えであることが、むしろ安心材料だ。山奥ではこうはならない。小屋周りや育林コンペでの作業のもっとも理想的な点であろうか。 ■ハリギリの枯死木 前々から気になっていたハリギリの枯死木。根元にバーを入れたらズブズブだったので、上部の太枝が振動で落ちないか、気になった。こういうのが意外と危ない。 異変があったら逃げるつもりで上部を見ながら切り込みを入れた。念のため使ったクサビはほとんど役に立たず、少しずつ差し込んだチェンソーが働いた。もう幹の内部の腐れ部分がどうなっているか、想像がつかなかったので手探りである。 無理をするつもりはなかったのだけれど、実はハリギリの枯死木はしばしばよく乾燥した優れた焚き付けになるのでもしや、との思いがあった。玉切りしてみると案の定、幹の真ん中部分は写真右のように、しっかり乾燥して優秀な焚き付けになること請け合いだった。これで小屋の焚き付けは来年分まで確保できる。 ■カムイミンタラ ここの山仕事の充足感をなんと表現すべきか、よく考えるのだが、ありきたりになってしまってはいけないので、古い記憶を遡ってようやくたどりいついたのが「カムイミンタラ」。アイヌの人たちが言ったという、神々の遊ぶ庭、である。山々ではよくそういう風景を感じたが、ここでは冬の粉雪のひとり仕事で初めて知った。この世のものとは思えない風景に出会って、これだ、と思ったのだ。もう20年以上前の話しだ。そのころ、白老の人たちは、白老のあちこちにカムイミンタラがあると言い、紹介してもらったことがあった。カムイミンタラは大雪山やカールのお花畑にあるのではなかった。 そう、そう思える場が、実は色々な、ちょっとした場所にある。というか、そういう瞬間に出会うのである。胆振の雑木林にも、そしてハスカップの繁る原野にも、神々が遊ぶ庭をわたしは見てきた。これは体験した人でないとわからないだろう。感性や霊性の世界だから、生物多様性をかたる世界の裏側や対岸にあるかもしれない。 ヘクタール500本の風景づくり 2024/11/30 sat くもり 4℃ 室内マイナス4℃→16℃ ■雑木林風景を数値化すると 環境省で自然公園行政に長らく従事された山の先輩 K さんとのやり取りで、自然環境を風景という視点で付き合う立場は、数値化したり見える化を重視する当今の注目とは大分立場を異にする、とおっしゃるのである。人の感性はもっとファジーなものだと言うことだろうか。自然を俯瞰できる行政に関わってきた人だけだからこそ到達す明快な整理に、久々に我が意を得たり、とも感じて久々に気分を明るくした。こういうやりとりができる森林科学系の人が、今、わたしの周りにはほとんどいないのである。これは少し問題ではないか。 今朝はそんなやり取りを思い出しながら、では、自分がずっとプライベートに費やしてきた時間は何だったのか、と氏の枠組みで考え直してみると、それは「身近な雑木林」の「風景づくり」だったのではないか、ということに落ち着いた。美しいコナラを大木の疎林に仕立てたらどれほどの美林になるだろう、というのが着手動機だったから、まさに雑木林の風景づくりというのは、正解で、正確な表現である。あえて数値化してみれば、「ヘクタール500本(の密度)の風景づくり」、ということになろうか。 *前にも書いて繰り返しになるが、この林分の発生年、つまり皆伐は昭和26年、それを平成5年(樹齢42年)に1回目の間伐をし た。ヘクタール約2500本を1500本を目途にして抜き切りし、平成30年前後(樹齢67年)に700本程度に再調整した。萌芽更 新と実生の天然更新、さらに里山風景の再評価のためである。この段階で、ようやく求める心地よい里山景観が現れた。 ■できるだけ安全に木を倒すヒント 70代の前半に差し掛かった今、この「雑木林だより」でも、自分を諭すように基礎的な安全確保を呪文のごとく唱えわざわざ書き連ねて自戒と自問自答をしている。数日前から、ジェフ・シェプソン著『伐木造材術』をふたたび開いて、危険予知や伐木のヒントに、なるほどなあ、と感嘆しながらめくっている。経験してきた人でなければ気づかないヒントが満載で、なおかつ、この本の訳者が一度京都の森林療法の学会でお会いしたジョン・ギャスライト氏であることにも気づいてぐんと親近感が湧いている。何度も開いた本だが、都度、新しい発見がある。これからは時間があればもっと頻度よく見ていくことにしようと決めた。 ■ヒヤリハット「クサビが割れ飛ぶ」 密度が低い、「バリアフリー型雑木林」がフィールドのせいもあって、だいぶシニア・ワークのペースがつかめてきたそんな時、昼前に思わぬ落とし穴が待っていた。直径28cmの桜が、思い通りの方向に倒れたのはよかったが、四方に伸びた枝が下右のように見事にかかってしまった。 3本計3mほど元玉を追い切りをした後で、テンションが微妙に変化し捻じれが加わったようなので、ソーチェーンがはさまれないようにプラスチックのクサビを打ち込んだ。その4打目か5打目だった。クサビが割れて飛んで消えた。どこへいったか、そばを捜しても見つからない。作業を中断してあたりを回ってみると、破片はわたしの後方10mまで飛んでいた・・・。 立ち止まって、次第に青くなった。いつも必ずフェースガードをしているのにこの時だけは正確にクサビを打つべくガードを上げていた。慢心である。もし、顔や目、口に当たっていたら大怪我をしていた・・・。きっとガードだって役に立たなかっただろう。大体において、このプラスチックのクサビを過信していた。なんたる不覚・・・。 (帰宅後、ジェフの伐木のあのヒント集を開くと、「閉じている追い口にプラスチック製のクサビを打ち込んではいけません」と明記している。粉々になったり、作業者の方に飛んできて、顔や目をケガするおそれがある、と。) ■札幌からのボランティアが抱く感想 「苫東の林はいつ来ても気持ちがいいね」 「春も秋も、本当に美しいね。でもどうしてか、よくわからない」 10年以上前から苫東へ間伐の手伝いに来てくれ、数年前からは育林コンペにエントリーしている札幌ウッディーズの面々は、年に数回ここで作業する都度、上のような感想を述べ合っていると聞く。動物検疫所から北上する林道を見てのことである。この11月も、2回にわたって苫東の作業場に来て、計画通りの除間伐が終わった。20人近い大勢で枝集めのような軽作業も子供動員でこなすから手が置き届く。仕上がりの変化は一目瞭然だ。 ここのように若い広葉樹二次林はそれなりに、静川のケアセンター周りのように大きくなった雑木林はまたそれなりに、林のそれぞれのステージに応じて、勇払原野の美しい雑木林の実力を示したいものだ。 |
再び、クサビ割る 2024/12/4 WED くもり 4℃ 室内ー4℃→18℃ ■教訓「小道具は賢く使え」 先週末やり残したサクラの掛かり木は、禁止されている元玉切りをさらに数回繰り返し、大とびで持ち上げながら曳いてようやく写真のように倒した(写真左)。てこを応用した移動距離は計4メートル近くあった。やはり、疎林になっているとはいえ、枝ぶりの良い広葉樹の掛かり木は難儀する。 伐倒は順調に進んで予定の本数に達した。が、その順調な伐倒のさなか、またしてもSサイズのクサビが割れた。原因は、 ①Sサイズはそもそも使用する部分の素材がうすい。うすいのに過大な持ち上げ力を求めて強く打たれる ②挿入の限界で打音が変わるのを構わず打つと、割れる。音が変わったらやめるべきだった ③STIHL のチェンソーのバーはゼノアに比べうすい。クサビ挿入口が狭いので結果的に割れやすい ④Sサイズは苫東の間伐では機能的には十分で持ち運びも楽だが、わたしの使い方を続ける限り損耗も激しい 大とび、手トビ、クサビとハンマー、フェリングバー、ロープなどなど、あると便利な安全小道具はいろいろだが、おのおの一長一短がある。こちらがそれを使いこなさなくては、と痛感するこの頃だ。 ■かつて、里山や雑木林の小屋暮らしは山男の憧れだった 所要のため1時半ごろ作業をやめ、ドラ焼きでコーヒーを飲んだ。昼ごはんの代わりでもあるが、こうして昼食時間をなくして作業を続けた方が無駄がないし、効率的だ。帰り際にはちょっとでもライブラリーの本を開く余裕もできる。 思えば、山小屋は若いワンデラーには憧れの的だった。特に学生時代は青春の憂鬱と向き合う格別の時間で、大学の小屋の管理は交通費と若干の小遣いも出たこともあって、100g30円ほどだったジンギスカンの肉を買って、2,3人連れ立って、またはひとりで手稲のパラダイスヒュッテや奥手稲の山の家に、交代で行ったものだ。山の家は片道何時間もかかるから、暇な学生ならではのプチ山行、あるいは山旅となった。 この春、千葉県庁に勤務していた山仲間 K君は、奥手稲の小屋日誌を画像に収め、編集して、わたしの書いていた若き憂鬱をデータで送ってくれた。赤面ものである。齢70歳にして、本格的に山小屋(雑木林の小屋@静川)の管理人として自薦し、文字通り週2、3日を過ごすこととなった。もう寝泊まりはしないが、それでも山仕事、そして昔の山男の冥利に尽きるのである。 山の神参拝など (今回は画像がたくさんの特別便り) 2024/12/07 sat くもり 3℃ ■つた森山林から大島山林へ 山仕事に関わるようになった昭和51年から、作業の安全を祈願する山の神参拝は欠かしたことがない。一時期は職員に神職の方がいて祝詞を上げてもらい、焚き火しながらお神酒をいただいたものだった。話も盛り上がってスルメなどで飲む冷酒は実にうまかった。 今日もまず、懐かしいつた森山林の山の神のひとり参拝から始めた。25年携わった山林管理の原形は今もほとんど残されており、フットパスのサインなどはわたしがデザインして創ったものが残っていたり、池の橋や看板は新しいものにさすがに新しいものに更新されている。ハルニレに囲まれたシイタケ乾燥小屋は上右のように取り壊されて跡形もない。50年の植樹会で植えられたアカエゾマツは、被圧されてほとんどが消えた。このあたり、さすがに年月の経過を感じる。 初代のご神木はヨーロッパトウヒだったが、本来、その山で一番多く太い樹木、特にしばしば伐倒するのが危険なものをご神木にするという識者のご高説にしたがい、現在のこのナラに代った。このナラも毎年、根元に大きなキノコが出るようになった。ここで、ゆっくり、ひとり参拝。 大島山林では注連縄をはり紙垂を垂らしてY字の枝で持ち上げて準備完了。 お神酒、米、塩、スルメ、若干のお菓子を供えて9名で参拝。この一年大過なく済んだことへの感謝と、これからの作業安全、会員家族の無病息災を祈念した。 今から11年前の12月7日は、薪小屋の建設さなかで、作業テントを張っていた。facebook が当時のわたしの投稿を知らせてくれたので、画像を探してみた。(下3画像) 余計なお世話のようなサービスだが、 時々、時間の流れをこうして知るのである。 棟梁はoyama さん、サブは kai さん。大活躍のサポートは kuri ちゃん。竣工は年明けだった。 この年のテントは確か現在の五差路のそば(上左)で、nakatsu さんとわたしが1週間前に2時間で建てたものだった。顔を突き合わせるような狭い空間だったから、関係は濃密だった?かもしれない。 ■除間伐の進み具合 今シーズンは、間伐材の安定供給のために従来方法に二つの工夫を加えた。 ひとつは、フットパス沿いで通行に支障のあるものの間引き。フットパスがもともと、できるだけ木を残して樹間を縫うように創ったためで、軽トラやスノモの運行ではすこし気になるのがかなり残っていたための措置である。これには、kuri ちゃんと wadaさんが取り掛かって、参拝前に歩いてみると、予定の約半分が終わっていた。 工夫のもう一つは小面積皆伐。ya-taro さんとurabe さんが11月中旬からあたってくれてこちらも約半分を終えた感じだ。全体を見て歩くともうすでに20棚は確保できているから、もうあくせくする必要はなく、ストックでいかようにも対応できる。薪担当のya-taro さんには、参拝前のテントで、夏3シーズン経過したわたしの薪が腐れなどまったく問題がなかったこと(つまり風通しの良いここの薪ヤードなら3シーズンストック可能)、市中の薪単価との差を少し是正したいことなどを話した。 いずれにしても11月からの除間伐作業前倒しは正解だった。雪が降る前に所定の伐倒が終わって年明けのスノモ藪だしを待つことになる。90歳になる会員に除雪などの作業を頼るのはそろそろやめねば、ということが理由の一つだった。少しずつ、改善しているかもしれない。 ■地域活動とクレーマー、そしてコモンズに関わる民度の成熟 ドロノキ参拝のために車で移動する際、町内の一住民が大声で駆け寄ってきて怒鳴る一幕があった。旧知のクレーマーだったのでわたしは淡々とやり取りしていたが、まったくらちがあかなかった。6,7台車が並んだので、折角だからみんなを呼んでやりとりみてもらっていると、会員がかわるがわるクレーマーを遣り込めるような方向に事態は急展開した。これは面白い現象であり、わたしとしてはジンときた。 やり取りは物別れというか、先方の一方的で理不尽な対応は変わらなかった。その後わたしは町内会長と連絡をとったあと、フットパスをよく利用するN先生宅を訪れて報告をしておいた。また週明けには土地の協定のもう一人の当事者である町役場に連絡を取り、実情を話す予定でいる。 土地を使って地域活動をする際に、利害関係や損得、不満などが混じって飛び交い、下手すると町内が分断されるようなこともあった。その辺を、若い会員にもある程度知ってもらう必要があったのでいい機会だったかもしれない。これまでも誤解や連絡の行き違いなどでこのようなトラブルはあったが、その後は割合いい方向に向かうことが多かった。ただ、相手が常識のまったく通らないクレーマーでは簡単には収まらないかもしれない。 地域の自然を北欧のコモンズのように営んでいこうという時、こういう出来事を実はいくつも越えなければいけないのだろうと思う。これはいわば、民度の成熟のためである。 雑木林の小屋の意味 2024/12/10 tue 外4℃ 中-6℃→20℃ ■玉切りが済んで 昼過ぎ1時半ころまで、丸太の玉切りをする。そしてしばし、室温20℃に近くなった小屋にたたずみ、まったく無為の時間を過ごす。きっと、西欧が自我とか、個の確立とか言った同じような認識の時間が流れているような気がする。「ひとり」である。辻まことにとって小屋が創作の源泉のように見えるところに、「ひとり」のこの時間があるのではないか。 なにも考えない、思い煩わない、家族も仕事も世間のしがらみなど全部消えて、ボーとする小屋時間。見えるのは林と落葉、匂うのは原野の風土、聞こえるのは静寂の無音。小屋時間は、夜が明ける前のあの時間も訪れる。それからゆっくり家の薪ストーブを焚く。 うっすら雪景色に、早くもやる気粗相 2024/12/14 sat くもりのち晴れ 2℃ 室内-10℃→プラス16℃ ■来年の薪はもう足りたかも うっすらと雪が積もっただけで、里山的山仕事もそろそろ止めようかな、と弱気になって来た。来年の薪はほぼ確保できたようだし、小屋の薪も一度古いものを使い切って積む土台も底上げしたい。そうすると雪深い中での仕事はもう不要だ…。人間というのは、逃げる、止めるという方向に傾き始めるとどんどん止める理由が湧いてくるからおかしい。 実は2週間ほど前の大風で隣接するカラマツ林で風倒木が何本か出た。枯れ木が多いから倒れてもらって良かったのだが、掛かり木もある。雪景色のなかであれば倒木はよく目立つ。下見に行ってみるとササはまだ出ている一方、シカはまだここをねぐらに使ってはいないようだ。 と、その原因、背景に思いをいたせば、この程度の雪ならシカの大好きな柔らかい牧草は海岸近くの公園や草地でまだ十分食することができるのだろう。ということは、真冬にこのカラマツのササ林床が寝場所に選ばれるのは、もしかの時のササ食か。確かにひずめで掘れば簡単に餌が出てくるのだ。研究者に聞けば、シカは「落葉食」というのもするらしい。確かに、雪を掻き起して落ち葉を食べている痕跡もある。 今日からは機材を運ぶのに一輪車をやめてソリにした。短い距離でもこっちの方がずいぶん楽だ。 ■ヘクタール500本の雑木林風景 平成4年度以降、2度目、その後の補正と通算3回目の間伐で恐らくヘクタール密度は500本、あるいはそれを下回るところまできた。「美しいコナラの大木の雑木林風景を見てみたい」という当初の個人的願望が、まだちいさなエリアだが着実にやっと実現しつつある。この思いは格別であり、そこまで思い入れがあり共有できる人は周りにほとんどいない(実はひとりいた)。上空の樹冠を見上げると、重なり合う枝はなくなった。 2本目の伐倒も方向はうまくいったのだが、倒れる初速が足りなかったかすんでのところで微妙に掛かってしまい、チェンソーを横にして元玉を切っていると今度はソーチェーンが外れてしまった。付け替えようとすると、どうも新しい角型スーパーチェーンにバリが入ってしまったようだ。新しい別の縦引き用ロゴチェーンに張り替えたりしているともう午後一時を回っていた。掛かり木処理の残りは次回にしようと、ここでもすでに逃げに入ってしまった。でも、思うのだ、それでいいではないのか。それが里山的シニアの山仕事だ。 ■人生の下山時間 わたしの今の年恰好は、人生というスパンで言うと「下山の時間」なのだそうだ。人生の、働く勤め人として山場や頂を越えて、もう重力に逆らわずにひたすら麓に向かうのは、確かに登りの辛さに比べたら雲泥の差であることは間違いない。ただ流れに任せて下ればいい、気楽なポジションにある。 ある意味、かなりいい加減な人生を送ってしまったと後悔と反省ばかりしている我が身だから、それは山場でも頂でもなく、ただの薮か荒れ野だったかもしれないが、それでももう大汗をかかないで済むという開放感はある。 作業を早々に終えて着替え、あまり温かくならない中国製薪ストーブにあたっていると、時間や仕事に追われる人たちには、無駄な時間とか余計な時間に思えてパタパタと用事を足して帰り支度をしそうな、余されたようなひとときであることに気づく。 しかし、下山時間のわたしは違う。この時間そのものが人生のご褒美であり、約50年付き合ってきた勇払原野の雑木林の日々が走馬灯のように浮かんでは消えて、今が人生で最も穏やかでしあわせな時間だと実感する。長年の山々で身に着けた、小屋時間の過ごし方が生きているのである。 このような下山時間があれば、人生を閉じるときがきてもそう慌てずいられるのではないか。家族にも恵まれ仕事でもさまざまな地域活動でも先輩後輩に支えられそう大過なく来れたが、そうであっても所詮、「ひとり」である、と小屋のストーブをぼんやりと見つめつつ思うのだ。 結局、最後は「ひとり」で舞台から去る。小屋で感じる下山の時間は、その「ひとり感覚」とかなり近いものを持っていないだろうか。 オホーツクのウニ漁師の3時間 2024/12/18 wed -2℃ 室内 -10℃→16℃ ■冬の山仕事時間 まだ積雪量が少ないのでアクセスは楽だったが、とにかく寒い。苫小牧の市街ですら-11℃だったというから、ログハウスは外気マイナス15℃くらいまで下がっただろう。室内の温度計でもマイナス10℃を下回っていた。 外の方が気温が相対的に高いのでいつもどおり窓を開け広げ、かといってストーブが温まるのを待つだけでも寒いので、早々に外へ出たが、皮の安全手袋もかなり冷たい。掛かり木を大トビで処理している間に体は内側から温かくなってきたものの、手はかじかんで痛い。30分ほどしてたまらず戻って、薪ストーブのガラス窓に手を寄せざるを得なかった。こんなことは初めてだ。 掛かり木を処理して玉切りをし、もう一本は重心方向から45度左に振れるよう、ツルで伐倒方向を調整した。残念ながら半分しか補正できず、しかし幸い今度は掛かり木にならずに済んだ。枝も片づけてここまで2時間半あまり。手術前の元気な頃なら、こんなことはなかった。シニア・ワークなんだと言い聞かせる。 NHK・BSの新日本風土記だったか、オホーツクのウニ漁師が、資源保護のため一日3時間しか働かないのだという。そうだ、これだ。長く働くためにわたしもこれで行こう。山仕事は正味3時間、残り時間は小屋時間。散策や読書や冥想にあてることにしよう。 ■エゾシカの珍行動 こんな光景が雑木林のあちこちにみられるようになった。ササを食べているのかと言えば、そうでもない。掘り返してもいないが、シカの糞は落ちている。ねぐらかと言えば、道ばたにも小屋のすぐそばにもあるから考えにくい。シカ研究者が、餌がない時は落葉も食べると言っていたが、落葉食も信じがたい。ただたむろしただけか。 |