年寄半日仕事

NO.125

2024/01/06

雑木林だより トップ
雑木林&庭づくり研究室 home

NPO苫東コモンズ トップ


今年の寒中見舞いはがきは、いつもの林の風景や薪関連をやめて山菜だけを描いてみた。ボリボリ、ボルチーニ、クリタケ、そしてスドキ、ワラビ、コクワである。季節の恵みを味わえる幸せをこうして毎年出会えることに感謝する心が強くなってきたせいだろうか、山菜たちを見る目が優しくなったような気がする。

 そうして「年寄半日仕事」というわたしたち高齢者の内輪の合言葉も、昨年からのシニアメニューと小屋番のオヤジを実践するようになって、がぜん実感が湧くようになった。もともと、三浦雄一郎氏がだいぶ前の何かの対談で、故郷青森のことわざだと紹介したので膝を打ったのだが、その当時、webで検索しても見つからずことわざ辞典でも記載がなかったので超ローカルな言い伝えだとみていた。が、80歳でエベレストに登ったころ氏は極意を聞かれてこのことわざを引用したことからいきなり有名になって、今や検索すればほとんどそればかりになった。エベレスト成功は年寄半日仕事の精神が効いた、ということらしい。

ところで里山、山仕事、いずれも労働のようにして取り組んではちょっともったいない。特に年寄は半日仕事と割り切って、もっと楽しんでよいと思う。もちろん保育の山仕事も楽しみだが、散策、山菜、釣り、団欒、お茶などとともにありたい。沖縄で訪れた森カフェをヒントに、「北の森カフェ」と謳ったテラスも健在だ。あの周辺に活動の半分以上が戻って来た現在、ゆるい山仕事の喜びが自然と浮かんでくる。




<NO.123 から、記事掲載は期日の順に変更しました>

仕事始めは小屋の徹底暖房

2024/01/06 sat くもり 2℃ 小屋マイナス6℃→18℃

■年はじめは4.2kmを歩く



令和6年、2024年は災害で幕開けした。元旦と2日連続だったから、案の定、竜神さまの怒りにふれたのではないかという書き込みがSNSではなされた。また一方では、奇妙に大地震は社会党系の政権(村山富市氏の阪神淡路、菅直人政権の東日本)に発生する、などと余り根拠のない例示もあった。3日からは災害はとまり一段落して、6日山仕事に出かけるときは平常心になれた。

まず大島山林でメンバー各位に新年のあいさつをしてからドロノキのシンボルツリーに自然神の代表としてゆっくり参拝した。静川の小屋に移動し、薪ストーブの窓のすすをぬぐい落とし大量の灰を捨て点火してから、ささみちフットパスを一周した。積雪は10cm、今のところ最も頻度よくパスを利用しているのはシカとタヌキみたいだ。

■ヒュッテン・レーベン(小屋暮らし)



たくさんの薪を詰め込んで歩いて戻ると室温はマイナス6℃からプラス2度に上昇していたが、とてもこれでは辛い。つきっきりでストーブのケアをしている間に18度まで上がった。ゴーっと音を立てて燃えるので、どんどん薪をつぎ込んでいけば20℃も十分可能だ。

すこしアズマシクなったころに、辻まことの画文集を開いてみる。機知に富む挿入文に束の間別世界を味わう。掃き掃除をしていて、ストーブまわりに敷いていたマットがかえってゴミをとらえるとわかったので5枚全部のぞいてみた。こうすると、冬の泥靴でない期間は靴のまま入室OKにできる。ただ、オキが爆ぜると床板が焦げてしまうから要注意だ。

また、改装後、機会あるたびに2階で死蔵していたギター(北大演習林時代に浪速さんが持ってきた)の調音を繰り返してきた。おんぼろギターの部類のこの寄贈品は、家で使ったオーガスチンのちゃんとした弦を張り替えてある。当初、聞くに堪えない音だったが、年の瀬あたりから、狂いが是正され今日は驚くほど正確な音が出るようになっている。相変らず共鳴は地味すぎるが、音(楽器)が成長したような気がした。




神経痛が本格的にやって来た

2024/01/11 thu 晴れ マイナス2℃  室内マイナス12℃→17℃

■いよいよ潮時か

前夜から、いつもよりひどい神経痛におそわれて今朝になっても良くなっていなかった。しかし、現場で何かの拍子で治るかも、と楽観して家を出て小屋に着いた。ところが、一向に改善しない。実は、車中、いよいよ山仕事から引退かと半ばあきらめの言葉が頭をよぎる。少なくとも、グループで足並み揃えて作業するなどというラインから退いて、それはそれで正解だった訳だ。里山は、そんな高齢者の「年寄半日仕事」も「シニアメニュー」も矛盾なく受け入れてくれる幅広い受け皿を持っている。

座骨神経痛もいやらしいが、臀筋痛にも似た今回の痛みはそれとも違う。歩けない状態になるから脊柱管狭窄症かと思い、対症療法として屈んでみたら多少楽になる。いよいよ恐ろしいこれかと武者震いする。それでも痛みでは自分を甘やかさない人間なので、ビッコをひきつつチェンソー一式をソリに載せて作業にかかったのだった。



何本かを倒してから、フットパスの真ん中に残しておいたコナラを倒した。軽トラックを入れていくためには明らかに支障になるからだ。根張りがあったので、一旦伐倒してから切り戻してみると中心が空洞になっていた。年輪を数えてみると約70。森林調査簿ではこの林班はわたしの生れた昭和26年に伐採されているのがわかるから、恐らくそんなものだ。地際の直径が25cmもないが、70年余り、中心が腐れ、なんだか自分の身体状況を垣間見ているような按配だ。しかし腐れは地際だけだったから、なにか生い立ちの事情があったのだろう。

写真右は2年前からすぐそばに倒れ掛かっている根返りのナラ、こちらは直径30cmだから順当な生育だ。放置してきたのは、軽トラ藪だしをまだ決断していなかったため歩ければいいと見逃していたせいだ。もう腹を決めたから、軽トラなら薮出しできる。間もなく手をかけたいと思う。

■冬の雑木林の美




冬の雑木林の美は、直立するモノトーンの樹、青空、そして風景をシンプルに見せる雪原だ。とりわけ猥雑なものを隠し去る降雪なるものの力は大きい。腰が少し落ち着いてから歩いてみると、毎年のいつもの光景がある。ここで見られる光線はもう春のものであり、この光線の変化を人間は敏感に感じ取る本能があるようだ。そしてこれには何気なく勇気づけられる。白夜を経験する北欧の人々と、どこか共通するものをわたしは感じるのである。



伐倒したミズナラの先っぽを3本持ち帰った。芽が春を先取りして膨らんでいたからだが、毎年こうして、桜やコブシの花芽を持ってきて自宅の出窓に置いて、2月か3月に先んじて開花を楽しむが、葉っぱだけでも一足先に新緑を愛でるのだ。




シニアワークとはこんな具合だ

2024/01/13 sat 晴れ 0℃

■ゆっくり、コツコツやれば



「年寄半日仕事」は、いよいよ現実味を帯びてきた。否応なく、そうせざるを得なくなりつつある。

令和5年度のシーズン当初からシニアメニューを宣言して単身で作業していたことが正解だったとも思えるようになってきた。シニアメニューへの移行は、伐倒作業で機敏な避難行動ができないことと、ノルマ的な義務感と束縛感からもう離れたいという内なる声に従ったわけだが、客観的に見てこれは歳相応のことであり、事態はもっと進んで神経痛で動けないようでは何をかいわんやの状態になる。たかが高齢者の山仕事だ、所詮無理をすることはない。臨機応変、弾力的対応で良い。

とは言いつつ、調子を見ながらやれることをするというのも年寄の知恵だ。今日はまた数本をクサビを使って首尾よく倒してから、2日前のものも含めて玉切りし雪が来る前にできるだけ小屋裏に運ぶことにした。まず何本かの玉切りから始めた。積雪は15cmあるからチェンソーが土を噛むことはなくなった。膝まづいてコツコツ切り進める。夕べは座骨神経痛のツボをもみ、右の向こう脛にサロンパスをはり、娘に勧められたレッグウォーマーをして来たのが効いているようだ。

直径約20cm前後、長さ35cmに玉切りしたナラの丸太は、15kgほどある。これを6~8本ソリに積むと丁度なんとかソリで動かせる重さになる。100kg前後だが、これは一輪車で運ぶよりはるかに楽だから、藪だしは積雪期に終わらせる必要がある。小屋裏までは50mちょっと、これを7,8往復したから運んだ総重量は約700kg、これはスノモで曳く鉄ぞり1杯の分量だ。伐って玉切りして運んで2時間半、これが年寄りの仕事の一単位とわきまえた。これなら続けられる。要はこれを0.5するのか1か2単位こなすのか…。

こんな風にして己の体と仕事量の折り合いをつけていくのが里山仕事の、特にシニアの付き合い方だと思う。どうしてそこまでしてやるのさ、という問いがかけられそうだが、答えはこの雑木林をイヤシロチに仕立てていくというわたしのミッションまで遡及する。そうすることがわたしの喜びであり自己実現の極みだから、と応じることになる。やれるところまでやって、超えられない壁に出会ったらその時はその時、終わるなら終わればいい。それはきっと余命も尽きる頃ではないか、と見ている。

■大島山林の進捗と利用者の声

小屋を出て2時半近くに遠浅のブルーテントに着いたところ、まだチェンソーの音がするので作業エリアに歩いていくと、さすがにそろそろ片付けをしている頃だった。間もなく暗くなるからである。



今シーズンはコナラのフットパスを手掛けてきた ya-taro さんは丁度作業を終えたところだったので、様子を聞いてしばし歓談。2年そこらの間にだいぶ腕をあげて、孤独な山仕事に打ち込んでいる。何より山仕事が楽しそうに見えるのがこちらもうれしい。今日は参加者が数名で休みの人が多かったが、休んだ人たちの多くも、わたしの見るところ山仕事にたまらなく手応えを感じている風に見える。いかんせん、現役の勤め人で家庭人だから毎週参加は実はきついのである。

尾根筋は完全にフットパスルートが支障木なく見通せる状態になった。薮の支障木一帯は右の写真のようにこじれたサクラなどが積まれていたが、その先はツルや枝だけで実入りの少ない片付け作業だったことが伺える。

帰りに町内のフットパスウォーカー・Nさん宅によってニュースレター32号を届けた。最近わたしと顔をあわせることがなかったから腰の按配が悪いのかと心配してくれたようだった。わたしはシニアメニューに至った背景などを話したが、Nさん夫妻も町内の方も、ヒグマ騒動のあとは妙に足が重くなってこの雪になってようやく心配が薄れてきた、と最近の事情を語っていた。





山小屋は人を詩人にする

2024/01/20 sat 晴れ マイナス2℃ 小屋マイナス8℃→ プラス16℃

■林道700mを30分かけて歩く




静川の小屋に続く林道はさすがにセダンのFFでは無理になった。かつて無理に踏み込んで何度スタックしたか知れない、その学習効果であきらめは瞬時だった。積雪は25cm以上あるから、先日まで見えていたササがほぼ消えた。白銀と木立と空というシンプルな風景に変わった。

林道には大きな4輪駆動車のわだちがある。そのわだちを歩くと言っても、そう簡単ではなく一歩一歩ぬかるんで進むスピードと負荷は、冬山でスキーにシールを付けていくラッセルのロードにやや近い。正常歩行が出来ていない当方にはスノーシューを付けても今日はあまり変わらないので車に残してきた。

それにしてもいい天気だ。数日前までのフットパスの踏み跡は完全に消えて、おぼろげにわかる木々の隙間にルートを見つけ小屋に到着。長年かけた間伐と雪が、すべてを隠してくれたおかげで、小さい小屋ながら実に威風堂々としている。

小屋のストーブに点火すると小屋一帯はしばらく煙で覆われる(写真右下)。わたしはこの風景が好きだ。絵にはなるが瞬間芸のようなもので画像としてはうまく表現できない。ただ、マイナス8度の小屋内部が徐々に温かくなるまで、掃除したり片づけたり本を開いたり、薪ストーブの炎を見たりしている間に、この非日常性が日常の煩瑣なものを捨てていくことに気づく。

積雪が煩雑な林床を隠すように、なにか、こころの中の「見切り」をつけていくのだ。大事なこととそうでないこと、これを納得のいく正しさで選ばれていって「道」が見えていく。丁度、林の手入れのために除間伐をして、将来的に残していく樹木を「立て木」として立てることに似ている。これは山小屋のもつ特筆すべき効能というべきか。

一方、人はひとりの小屋なんて居ても退屈するだけだ、と内心は考えている。それは何かをしなければ人生の無駄だと思い込んでいるためであり、現代病とまではいわないが止むを得ない日常が延長するからである。生業の仕事をリタイヤしてこの歳になると、何もしないで良いことに慣れるというか、無為を許すことができる。

しかもわたしには瞑目してなにも考えない、いわゆる冥想という趣味があった。この何もしない、何も考えない時間を持てるということが、小屋暮らし、ヒュッテンレーベンの醍醐味である。

■記念すべき2024年の新雪風景




午後3時前に大島山林に顔を出すと、遠くでまだチェンソーの音が聞こえる。やや太陽が傾いた広場と林は、感動ものだ。そこの一本の踏み跡。ここから500mほど先に今年の山仕事の現場があり、メンバーは昼を挟んで2往復する。散会する前の4時すこし前、おやつを食べながらの歓談で、この復路の坂がきつくなった、と誰かが言うと、そうだそうだと複数の賛同があった。思わず「仲間ができた」とわたしは内心で喜ぶ。

わたしなど、人工股関節後の筋肉減衰と機能低下で、息切れと不整脈も重なって途中何度も立ち止まって休んでいる所を、数人の若手に抜かれてついに引退を決意したほどだ。1年前だったか2年前だったか、今は判然としない。

スノモ担当のurabe さんがバッテリー充電を兼ねてフットパスをトレースしてくれていたが、わたしはその残り2割を巡った。また今年の新ルート・コナラのフットパスも往復してみたが、丸太を積んでの下りはなかなか手ごわいはずだ。勝手に滑り落ちる鉄ソリが、進路わきの木立にぶつかってしまいドライバーや助手がむち打ち状態になるのである。いまのところ、この対処法は徐行しか思いつかない。これでも一番ゆるい斜面を登り、もっともゆるそうな斜面を探して設けた下りルートだ。はて、どう対応するか。


スノモによる林の巡回

2023/01/24 wed 晴れ 2℃



先週土曜日に大島山林を回った時に大きな落ち枝があったので、チェンソーを積んで林道を巡る。フットパスウォーキングのトレースを兼ねている。丁度ガソリンがエンプティ状態だったので、まずスタンドで20リットルを携行缶で購入しスノモを満タンにしてからの発車。ついでにエンジンオイルも満タンにした。

落ち枝の片付けはすぐ終わった。一月下旬の陽光はまるで春のようだった。



今日の用務はもう一つ、山林南で先週見つかった丸太である。何のために誰が切ったのか不明という報告だったので確認のために現地に行ってみると、案の定、北電による線下地伐採だった。高圧線の保安距離確保のために、樹高が高くなったものや林分を皆伐するものである。わたしは帰宅後すぐ土地所有者の担当者に電話して、譲り受けるお願いを伝えた。





GDPに出ない「薪活」と生産流通の実態考

2024/01/27 SAT 晴れ

放棄された丸太を見に行く

 wadaさんと。

わたしが見ている薪と薪ストーブのSNSでは、八方手を尽くして薪を調達する、いわゆる「薪活」がさかんで、主流は農家や林家の廃棄材など、要らなくなった丸太の流通に対する真剣味はハンパでない。そこではSNSが、需給の連絡掲示板の役割もこなしている。

北欧などの薪暖房のシステムと供給の歴史がほとんどないわが国では、このようなやり取りは、逆の意味で自然でメジャーである。単純に、薪利用後進国、と割り切っておくべきだろう。ケプロンだったか、開拓史の役人が銭函の小屋で見た暖房が極寒地でありながらあまりに貧弱であるのにびっくりしたという記録など、事例は探すとあちこちにある。薪生活は器具と供給システムの両方が必要だが、きっと両面で、まだこれからかもしれない。開拓時代は部分的に実は終わっていないようだ。

そういう事案は確かに枚挙にいとまがないほどあるが、今でも身近な所で材の放置が経済的理由=すなわち搬出して再利用するとお金がかかる、という理由でいとも簡単に材は捨てられるのだ。SDG’s とか再生可能エネルギーなどと一見もてはやされる木材だが、地域の現場や利用の仕組みはいたってちぐはぐで、需給の連携もネットワークも欠けていて、遠くのネット販売とわずかな個人的つながりを頼って見つけていくしかない。

午後3時近く、前日約束していたwada さんをそんな現場に案内した。丸太は採材されて雪の下に眠っているが、それは半端な量ではないので、氏を今後の現場指揮官にと目論みお連れしたのである。わたしの推定では50立方メートル、コモンズのほぼ1年分だ。氏は「任が重過ぎる」と辞退しているが、これを利用できる最短距離にいるのは紛れもないコモンズだから、これをやらないのは男が、いや、地域のNPOのコモンズの、名が廃(すた)る。

というわけで、2月下旬ころ、雪が融ける直前頃に、5,6人連れ立って運び出す段取りをすることになるだろう。こういう時々のストックのおかげで、実はほぼ2年かそれ以上の乾燥が標準の「雑木薪」が生れるのであるが、いまどき、2年乾燥の薪など、いったい、どこで手に入るだろうか。この恵まれた仕組みと結果を体感している人の声を聴くのは本当に稀であるが、ある薪会員ふたりは、いつもここを評価したメッセージをくれる。ありがたい支えだ。。

スノーモービルの藪だしが始まる


積み込むkuriちゃんとkawaiさん

時間経過は前後するが、除間伐材の有効利用として、伐倒した丸太の藪だし運搬が大島山林で本格的に始まった。先週から十分雪が降ったおかげだが、降り過ぎてまだ雪が落ち着いていない。そんな中、雪に埋まった丸太を掘り出して鉄ソリに積み、スノーモービルで作業ヤードまで運ぶのである。いつもの静川の里山はもうスノーシューでしかアクセスできないことと、今日は運搬車スノーモービルのドライバーがいるのか心配だったので、メンバーが集結するこちらの山林に顔を出し、結果、夕方まで藪だしやら積み込・下ろしなどの作業をしたのである。若手会員と一緒の行動をするのは実に久々だ。静川の小屋は雪が落ちつく来週からにしようと思う。


掘り出す kuri ちゃん(左)と終点薪ヤード

鉄ソリに載せスノモで曳かせる丸太の重量は700kgから時に1トン。今日は新雪が40cm近いので数回スタックしてドライバーは一苦労した。スノモの藪だしと運搬は後進にバトンタッチしたので、今日のわたしはあくまでピンチヒッターだが、スノモの始動や運搬時の微妙なコツ、ルートの取り方など、若い人に若干伝えておくべきこともあるな、と思った。いわゆる、ちょっとしたキャリアの長さに伴う、格好良く言えば、ここの里山作業の経験知であろうか。有体(ありてい)に言うと年寄のちっぽけな知恵だ。

こうして活動しながら、シニア世代の山仕事における働き方を改革、開発しておくことも少し意味がありそうだな、と感じている。足跡をつけておいてのち各々が各自の方法でマイメソッドを獲得してこそ、年寄になってからめざす長いしあわせな里山ライフ(薪ストーブライフ)を続けることが可能になる。90歳あたりまで生き延びるのは普通になった昨今、これからは生きがいと養生の選択が問われる。それと人と地域に相手にした、つながりの構築。

作業をしながら 今日のパートナーの kuri ちゃんは、「北海道で、丸太を人力で雪の中から掘り出すような、こんな本格的な人力の山仕事をして薪を産み出しているなんて、想像もつかないでしょうね」と実感を込めて言う。わたしが見ているSNSで発信されている本州の「薪活」の実情を話していた時の反応だ。逆に、この自賄いの手ごたえを感じて評価できる人がどれだけいるかはわからない。おそらくわたしが見ているSNSの、本州の薪焚き人に限れば、コモンズの営みは理想的な方法と絶賛されるような気がする。


再び、「薪活」というGDPに現れない仕事について


何がうれしくてこんな粗末なブルーテントに集うのか、と人は言うかもしれないが、昼の憩いも実は格別

経済という言葉に縛られると、薪の流通は今の日本、北海道では歯切れの悪い言い方にしかならないし、メソッドが確立しているようには見えない。ローカルの手間がえしのような、口コミと人のつながりネットワーク依存のような、金銭の授受システムとはあまり関係ないところがあって、逆にそれも面白味と言えなくもない。

しかしそれは薪については当然だと思う。通常は、泥臭い、人の手間がかかり過ぎる、手間を手間賃として回収するにはあまりにも非効率の連続になるからだ。つまりものすごく高上りになる。簡単に言えば「あわない商売」になる。

しかし、そこにはエネルギー獲得と土地所有・山林所有の深い意味が込められていて、大袈裟に言えば社会と人の暮らしのベーシックな要素が込められているとわたしは思う。さらに極論すれば、薪を自賄することができなくなったら、つまり山仕事が出来なくなったら、個人的に末期は近いというような、生活感覚の中にも見え隠れする。

もし、こういうもの(薪)をタダで手に入れるのはずるい、とおっしゃる方がいれば、是非、ゴミを燃料に変える一連の手仕事を、この「雑木林だより」ででも疑似体験されればよくわかるだろう。このように、未整理、不都合、不条理などもろもろのすき間をぬって、ようやくコモンズ的薪活が結果的に出来上がっている。そして、そこにゆるやかなルールや寛容や人のつながりなどが混在するから、紐解いてみればそれなりに複雑なモノ=応用問題だなあと思うのである。

ただ、残念ながら、このちょっと複雑な仕組みは壊れやすく転覆しやすいのが難点であろうか。苫東コモンズはなんとか乗りこなしているが、支える人とただ便乗する人が同じ船に乗ることがあるからである。そこの微妙なかじ取りは、実にスリリングになる。





ギターケースをソリで運ぶ

2024/01/31 曇り 0度 室内マイナス8℃ 積雪40cm

■今日は安息日として



今年もこの時期特有なのか、動悸と息切れがして来た。不整脈もあるからあまりいい状態ではない。こういう時はしかし、わたしはいつも動くようにして来た。臆病になって消極的になるのは避けたい。

今日は小屋にギターケースを届けるだけにした。ジープの往来が多いのか、わだちが少し広かったのでスノーシューをはかなくても歩けるところはソリを曳きそのまま小屋に向かい、途中からスノーシューに履き替えた。

小屋のクラシックギターは、20年以上前に育林コンペに参加していた北大苫小牧研究林の naniwa さんが小屋で使い転勤時に置いて行ったもので、学生らもガチャガチャ引いていたものらしい。さすがにモノはお世辞でもいいものとは言えないが、わたしが数10曲の楽譜と譜面台を持ち込んでオーガスチンの弦に張替え、小屋に行く都度調弦をしていたらアラ不思議、少しずつ音の狂いが少なくなった。

先週、ちょうど自分のギターケースを新調したので要らなくなった古い粗末なギターケースを小屋に運んだ。本当に貧しい半世紀前の学生時代に数千円で購入した安物だが、プラスマイナス50度の温度差にむき出しにしておくよりはいいだろうと思う。

帰途、大島山林のスノーモービルの座席下ボックスに、昔冬山で使っていた組み立て式のスコップを装備した。テント周りは今日もきれいに除雪がしてあった。

■10年前の小屋泊り (face book から)

2014/02/01 撮影@静川の小屋

わたしのブログ

『雑木林の小屋ににソロ泊Now。昼の山仕事で股関節が泣いている。自賄いの薪をストーブにくべて、寝転んで、ただ炎をながめて、時間が勝手に経っていく。ワインも飲んだのでもうやることがない。星を観るぐらい。』 以上の書き込みに対して、山仲間やSNSの面々が色々な書き込みをされた。 「草刈さん、ご無沙汰です。山小屋暮らしが似合ってるね。これ、どこの山小屋?」 山の先輩のOさん
草苅さん、フィールドでの静かな時間を過ごされてるんですね。」 観光などカリスマ的女性 Kさん
草苅さん  渋いっ!!」 コモンズの女性会員
「星を観るぐらい。」これって憧れちゃいます(=^0^=)」 SNSどっとねっと メンバーOさん
いいなあ。行きたいなあ」 あの頃よく来訪していた大学の後輩 Sさん
「ソローの「孤独の楽しみ方」みたい。」」 コモンズの女性会員
「健ちゃん、こちらも毎日 林通いしていますが、薪を背負って何度も往復すると、身体のあちこちが悲鳴をあげます。しかし 翌日になると身体がウズウズして、また林に向かう。不思議な力で吸引されるように・・・。」 余市の縄文人 Hさん





雪原を歩く

2024/02/07 wed 晴れ 0℃  室内-9℃→0℃

■春の日差しの中、雪原の快哉





スノーシューで小屋へ。
空には雲一つなく、雪の状態は、ぬからず、べとつかず、しかし積雪は50cmある。ジープもところどころでアズっている。

シカの足跡は縦横無尽、そこにウサギとキツネが交差し、チョンチョンとリスのようなものもある。昨年から手掛けているカラマツの枯れ木林に直行したところ、伐倒した幹が雪に埋もれて実に歩きやすい。林床の雑多なものがすべて隠れて清々しい景色に代わっている。

数年前まで使われていたオオタカの巣が今はむき出しになっている。本州では桃の節句で居間の角などに飾られるミズキが、小屋の正面で先の方をシカに食べられながらも赤い枝を目線の高さで見せてくれたが、このままだともっと食べられてしまうだろう。




去年の雑木林だよりを見てみると、1月から3月にかけて、平日は遠浅でコナラのフットパス沿いのツルやカラマツの除間伐をしていて、動悸や息切れをおしてコツコツ、マイペースの山仕事を一人でこなしていた。昨年春からは、そんなこともありシニアメニューに移行して体力と体調に見合ったリハビリ生活のようなモノになった。こちらも相変らずおひとり様の作業だが、おかげで怪我や事故もなく、晴林雨読の生活が可能になって歩行障害も軽微になった。

そして今日は厳冬期とは言え束の間の陽気とベランダの日向ぼっこだけを目的にやって来た。やはり冬は格別の別世界。思えば、里山ライフのような時間を工夫してみるのは、ちょっとした醍醐味である。冷凍庫状態のログハウスから、陽だまりのベランダに移ると「おたたかい」と感じるが気温はれっきとした零度。





春のたよりは樹木から

2024/02/10 SAT 快晴 2℃

■ナラの芽が開く



先月初めの静川でとった枝先が数日前から開き始めて葉脈がはっきり見えだした。勇払原野の新緑は5月20日過ぎだから、相当早い春のたよりだ。

■ハルニレを運び出す



藪だし作業は本番に入った。雪解けも急速で早いから、少し気をもむのは例年のこと。わずか7人の参加者だったから、ふと雪解けに間に合うか、心配もでてくる。11月、12月で伐倒の作業本番は終わるので、積雪期となると人手不足になるのか。

しかし、積んで運んで降ろしての一連のサイクル作業では、特にドライバーはへとへとになる。自分の世界に浸ってマイペースで伐採に打ち込むのとはちょっと訳が違う。わたしは積み下ろしと玉切り専門の手伝いだったが、明けて今朝は上半身がとても凝っていて、雪の中をコチャコチャ移動するので、当然ながら太ももも疲れていた。しかし、爽快。

後半、ついに懸案のハルニレの風倒木が搬入された。2年前に倒れたのを見つけ、昨年2月ころ現場で玉切りしたものだが、昨年3月、までに運びきれなかったもの。暗い林に放置したものだから、上の写真右のように、樹皮ははがれ、木口は黒くなり、中にはキノコが生えているものもある。従って、見た目は極めてよろしくない。



しかし、銘木ハルニレ。直径30cm近いハルニレをチェンソーで立てに挽いてみると、写真右側のように、見事なハルニレ独特の正目が浮かび上がった。左はナラ。いずれも思わず撫でたくなる美しさで、これらを近いうちに薪にする幸運を思った。あのままでは林内で腐らすしかなかった風倒木と除間伐の利活用だ。

これを4月から割って薪にする。スノモのドライバーの urabe さんはコモンズのセオリー通り、数メートルおきにハルニレを分散して積み下ろし、薪配分のの均質化に配慮してくれた。薪としては燃えすぎてあまり評価の高くないキハダも同様にしてくれた。すでに重量は結構違うが、1年乾燥したら雲泥の差だ。

お昼は、町内のAさんが絶品の豚汁とオニギリ、ワッフルを差し入れてくれた。昼前後は、町内のNさん夫妻が林の散策から戻ってくるのが見えた。



ナラの更新を見ながら岬をめぐる

2024/02/14 晴れ 10℃くらいか

■雪の雑木林 walking

氷が解け始めたテント前でスノーシューをはいていると、懐かしい鳴き声が聞こえてきた。白鳥である。2月中旬だから先発隊に近いだろうけれど、ウトナイの氷は割れたのだろうか。

昨日から雪解けが進んで今日は水分を含んでだいぶ重いが、スノーシューに団子になる状態は通り越して、まずまず。今日は岬を目指してコナラのフットパスの土場から4本ドロノキに向かう。



土場から沢の下流に向かって左手斜面を見ると、先週の作業だろうか、高さ2m近い丸太の棚が見えた。もう、巨大オブジェの様相だ。一方、沢の中はさすがにヤチハンノキの赤い木口が顔を出し、ローカル色があって新鮮だ。積雪は40~50cm。



沢型の地形を遠浅川に向かって南西方向に下れば、来週手掛ける送電線の現場に出るが、そこにはまだ径がない。スノモも通れない。右手に2本の沢が入るが、2本目は「四本ドロノキ」に出る。今日は1本目を選んで登ってみると盛大に絡んだツルの薮(右)と出会った。

■ナラの萌芽更新はやはりここもゼロ?!除間伐ではダメ!



この時期は、晴れた日に雑木林をwalking することそのものが喜びだが、今日のもう一つのねらいは、ナラの更新具合の観察だ。伐倒直後からシカさえ防除すれば3年ほどでシカも嫌うブッシュになるから、ヘクタール2万本以上の密度のシラカバとコブシの薮になり、ナラの更新も守られることが過去の調査でわかった。が、電気牧柵をしなかった場合はどうなるのか。

残念ながら、2時間歩きまわっても雪面から顔を出したナラの萌芽シュートは1本も見つからなかった。静川や柏原とまったく同様だ。ここの更新はほとんどがコブシでサワシバが少々、カエデやモミジは雪面すれすれでウサギの食害にあっている。

今、見ているのは間伐跡で、萌芽も元来活発でなかったから、これを皆伐したらどうなのか。これを是非試さねばならない。そのためには萌芽するように皆伐しなければならない。「将来的に雑木林景観を残すためには皆伐しなければならない」という一見矛盾したような仮説は、9割以上の確率で真実だ。この秋の除間伐では、1か所、小面積皆伐を盛り込みたい。

旧テントあとのベンチで休んでから岬に回り、ブルーテントに戻った。わずか2時間しかたっていないのに、テント前は水のはったスケートリンク状態にかわり、そこからテントの右側の溝へさらさらときれいな雪解け水が流れていた。入口に土盛りし板を埋めたのが功を奏して、今のところテント内部に水は侵入していない。夕方、担当していたwada さんに現状を報告。





苫東ウッディーズとシニア・メニュー

2024/02/17 sat 晴れ 2℃

■藪だしは雪解けと競争

大島山林の除間伐材の藪だしし始めたのが1/27 だから今日で4日目、しかし運搬のトレースができ雪の状態が良くなったのはつい先日だから、今日が2日目本番というところか。午前だけでも10往復していた。残念ながら、スタックを考慮してソリの中身はいつもの半分の量のこともあった。昼休み、現場をスノモで見て回ったら、ほぼ二分の一が搬出完了といった感じに見えた。丸太は例年3~4列が普通だから、来週の雪質と全員野球ができるか、そこにかかる。あらたにnaka-f 教授がスノモドライバーのひとりになって午前の後半から活躍。大学の冬の森林実習でつとに経験があるので危なげなくこなしていた。

■コモンズの運営

午後、テント内で役員と事務局で運営会議を開き。役員の改選、新年度の事業と予算のほか、仕事の分担とコモンズ・ルールについて意見交換した。

新旧の会員で共有出来ていないキーワードは、「苫東ウッディーズ」である。かつては勇払原野の風土を文字通り楽しむ人と、林の手入れをする人が一緒に活動していて、後者の木こり部隊を特に「苫東ウッディーズ」と称していたのである。発生した材はNPOのものにして、ウッディーズのうち2,3人は働きに応じて薪をいただくというのが旧来のスタイルだった。ほかは会への寄付である。見る人が見れば不公平さ満載だが、表だって問題はなかった。チェンソーを使って木を伐るという不思議な体験は、言葉よりこころと体が手ごたえを感じていたのか、自らやめる人はいなかった。

また、シニア・メニューの扱いも始まったばかりで、まだ運用は固まっていないが、最近のわたしの考えは若い人の入会を期待し過ぎるするより、定年前後のシニア世代こそターゲットでないか、という方向にある。いまなら、メニュー次第では80まで動ける。冷静に考えれば、山仕事というのは語感からしてシニアにふさわしくないか。

さらに女性の山仕事もシニア・メニューと同等に扱うことにしてみると、女性会員こそ「勇払原野の風土を共有する」という大命題に沿って、純粋に楽しく活動に参加していると断言できる。ここでの山仕事をもっとも満喫しているのは、間違いなく彼女らだろう。見返りなどというチャチなことは意識の外である。そして楽しみ度合いでさらにそのうえを行くのが、かく言うわたしである(笑い

他人さまの広大な土地を管理することが内包する課題と問題、そして有価物でもある恵みの扱いと公平性、いろいろと歯切れよく表現できないことは多いが、中心になってリードする人の気持ちひとつでどうとでもなり得る。弾力性と若干の寛容性、そして善意があればよい。リーダーたちの気持ちが一つになれるか、そのあたりが別れ目か。

高齢化が進み、土地の管理が行き届かない今日、わたしたちのコモンズ的対応は大袈裟に言えば地域の土地の扱いに対するとても大きな提案である。適性な技術対応、育てることへの信用、美観、生産材への控えめな応対、そして地域へ開放できる糸口。そこに求められる地域環境への誠意。このような社会への地味なメッセージは、読み取ってもらうことは絶望的に複雑だ。昨今の社会風潮から見れば、まさに「絶望的」かもしれない。





包む里山時間

2024/02/21 wed 薄曇り 0℃ かた雪

■かた雪を踏んで気付く里山時間



朝の街の気温はマイナス10℃近く、歩きだすころの山は0℃、雑木林は久々のかた雪であった。スノーシューもはかないでツボ足でどこでも歩けるベストコンディションだった。



室温-8度の小屋は薪ストーブに火をつけても、じっとしていれば体がジンジンと冷えて来るばかりで、本など読んでいれば風邪をひく。こういう時は外を歩くに限る。

わたしが昨年から手をかけているカラマツ枯死木の一帯は、現在もシカの寝床になっていて、あちらこちらに数頭が重なるように寝たであろう跡が随所に見られる(上左)。今のところ天敵のいないエゾシカは、北海道に最も適した大型哺乳動物であることは間違いない、とこの塒(ねぐら)をみるといつも思う。

昭和56年の15号台風の後処理で植えられた人工造林地は、その後の管理者不在で倒れたまま、荒れたままで(上右)、ここでも林の後見人はいないのではないか、と感じざるを得ない。少なからず税金が投入されているから、実にいい加減な仕事かと断じざるを得ない。土地の所有と管理の義務や責任、愛着などはさまざまであるからその頓珍漢はいまさら問わないが、フリーアクセスできるコモンズ風であることが救いである。だからこそ、土地は持たないで「風土を共有する」という、北海道らしい自然への向き合い方が生れる。

■里山時間に包まれて

小屋までかた雪を踏んで歩き、無心でストーブを焚く。窓の外とストーブの火を眺めてぼーっとしていると、はっきりは言えないが間違いなく何かに包まれている感覚がある。

アジアの東、日本列島の北のはずれの太平洋に面した低地に生えた雑木林。噴火による火山灰と湿地を開拓していた途次、たまさか「農業」から「工業」へ経済を転換しようとする歴史的一画に、迷惑そうに扱われている林がある。

そんな今、ここの時間を差配するあるもの、それはここの「産土(うぶすな)」である(と思っている)。わたしはもう何年も前から、この里山を見ている土地の神様と、この場と時間とを共有していると感じるのである。梅原猛氏のエッセー『老耄と哲学』の言葉を借りると、「暴君のように荒れ狂う自然」であり「慈悲に満ちた母である自然」である。氏は尊敬する「神道の精神を再考」しなければと説く。「自然神道」である。自然科学がコペルニクスによって天動説が地動説に置き代わったのに対して、人間の哲学は、科学技術によって自然なんぞいかようにも手なずけられるという「天動説」的人間中心主義に未だに支配されているというのである。

しかし苫小牧静川のここで、忘れ去られた開拓時代の「置きみやげ」と時間を共にしていると、科学技術なるものが生活を便利にしている一方でいかに上滑りなものか、考えさせられるのだ。いや、考えるというより身体に伝わってくるのである。そもそも、人間は生命を産み出すことはできないし、暖をとるという火の扱いも、ここでは原始に帰ってマッチで焚き付けに火をつけるのである。風も雨も地震も自由になどできずにひたすらしのぐしかない。

こうしてみると、小屋時間は文明に対する、自然に親和性を感じる人間の、割り切れないささやかなレジスタンス、モヤモヤのようでもある。

■焚き付けを確保する

静川の小屋から大島山林に移動して、なくなった焚き付けを補給した。11月中からこの3か月は、薪ヤードのゴミ、木端を集めて使っていたので、雪の上に顔を出している除間伐時の枝は、乾燥度合いから言っても採り放題の画期的逸材なのであった。

ちょうど oyama さんが来ていて、コナラのフットパス沿線の残材を見てきたという。かた雪だから山回りには最適な日だ。これから送電線下地の現場を見てくるといって出かけて行った。

このままでは週末の藪だしすら雪の状態が危ぶまれるから、来週は3月になる前にシニア・ウッディーズに声をかけ少しでも手掛けてみようかと思う。



ああ、いまどき、人力の総力劇

2024/02/24 sat 晴れ 1℃

■恒例となった丸太の藪だしと搬出

雪が落ち着く2月の半ばころ、冬の間に手入れした広葉樹の丸太を径のない藪の中からスノーモービルで運び出し薪ヤードに積む作業が山場を迎える。今日は事務局が呼びかけたせいか、いつものメンバーが勢ぞろいしてほぼ完了した模様だ。



このスピード感のある動きを見てほしい。スノモが曳く鉄ソリに猛スピードで丸太を積み上げるのだ。その時間は1,2分、そしてすぐ出発だ。時には総重量1トン以上を載せる。4人のうち3人は、現役の勤めをすでにリタイヤした60代後半のメンバー、残る一人はバリバリの現役30代、幼い子供二人のパパ、働き盛りである。



一方の積みおろしは、わたしを含むシニア組の3名、シニア・トリオである。こちらも1,2分もかけずに丸太を降ろしてから10分余りの間に、74歳のoyama さんはマサカリで丸太を割って薪づくり、同じく74歳のwada さんと72歳のわたしは、長い材をチェンソーで35cmに玉切りしたり、なかには50~60kg近くもある丸太を縦引きして半割したり。そしてちょっとした合間には、実は健康情報、病気不調の自慢などを織り込んで、休みを入れる。シニア・ワークを地で行くわけ。

■サイクル・タイムについて

冬の藪だしと搬出において、ベストの状態で搬出できる日はせいぜいたった2,3日。それも2月中旬あたりの約2週間の間に終わらせるとなると、問題は一日にどのくらい運べるか、言い換えると1回運ぶためのサイクル・タイムの問題になってくる。過去には薪ヤードのずっと南のエリアから20往復というのが最高だった。

果たして今季最終日となる今回はどうだったか。

距離はかつての記録日より若干短いが今回は斜面があり藪だしだから当然木立も多い。結果は、午前に9往復、わたしのカウントに誤りがなければ午後も9往復で、計18往復だった。午前午後稼働の正味は4時間で240分、これを18往復で割れば13分/周となる。これは置かれた状況を総合判断して驚異的なスピードである。

総力線には、上の画像の積み込みと積み下ろしのほかに、スノモの進路誘導と道付けに(コモンズでは若手)ya-taro さんひとりが着いた。運搬のかなめであるスノーモービルはドライバーの体力と技術がものをいう。ドライバーの urabe さん(こちらもコモンズでは若手)は、ギリギリの隙間を余裕をもってスノモを滑らせ、なかなか進路をコントロールできない鉄ソリをかなり思い通りに操っていた。重たいハンドルをあやつる上半身の腕力疲労と気を使う神経は相当なものなのだ。それにルートの凸凹はこれもピークになっていた。

要所を現役の若手が担い前期高齢者が周辺を固める、そんな構図の見事な総力の劇だった。これらが基本的に人の筋肉の力に依っていること、そしてこれが北国の生活に欠かせない冬のエネルギーに替わる、ということだ。地域で汗を流す手応えのようなものを求めるなら、こんな格好の仕事はそうそうないのではないか。木質資源を使い切るカスケード利用というのは、かくも泥臭いものである。

ただ、俯瞰してみると、例年25棚の薪を生産していたころは丸太は平均でも3列か4列あったから、今年の2列は若干少ない可能性がある。これを北電の線下地からの残材搬入で1列補うというのが今季の成果かもしれない。その残材処理の足掛かりは、2/27の火曜日、シニア・トリオが取り掛かり週末の総力戦第2段につなぐ予定。




かた雪に山仕事断念

2024/02/28 wed 快晴 風強し 0℃くらいか

■作業は凍った深い雪に阻まれる  



3日間も続く強風、時々の吹雪は苫小牧界隈では珍しいのではないか。

遠浅の薪ヤードには上のような風紋ができ、自宅の薪ストーブはおととい、昨日とドラフトが良すぎてストーブ天蓋の温度計が400℃を越えた。

そんななか、oyama さん、 tomi-k さんと3人で、今週末から手掛ける北電の皆伐跡に残材処理の段取りを目的にスノモに乗って出かけた。快晴だが、風は強く、送電線は唸りっぱなしだ。



できれば掘り出してソリで運ぼうと、スコップのほかソリ2台と大とび、カケヤ、それに玉切りまで想定してチェンソーも持ち込んできたが、丸太を覆う雪は深さ40cm近くもあって、かつ、かた雪だから、プラスチックのスコップではあまり歯がたたないような状態だった。

多少こんもりした箇所は軒並み確実に丸太が埋まっていて、上左のように掘り出したあとの下にはまだ写真右のような丸太が寝ていて、しかも凍り付いている。



小径木ならともかく、写真左のように直径が30cmを超えるものが長さ4mも横たわっていたりする。余りの手ごわさに1時間ほどして作戦立て直しのため中止した。

週末は、雪解けを待って全員で雪はね、掘り出し、林道までのソリ運搬をすることにした。薪ヤードからここまで800m、シカの試験地を通って歩けば20分近くかかるが、スノモと鉄ソリでチェンソー他道具一式を運んでもらって、作業スタッフは空身で移動してはどうか、と相成った。テントに戻ってからも段取りの打ち合わせをした。

仕事は中断してしまったが、明るい収穫もあった。一番奥の現場に近い鉄塔の下から車道へアクセスする径があったことだ。これなら地盤のしっかりした道を余裕で国道234号に抜けられる。

■連携のない樹木利用の現場と作業経済

これから手掛けるこの現場は、送電線の安全保守を目的に架線との十分な離隔距離をとるために線下に伸びた樹林地一帯を何十年かのスパンで順次皆伐するものだから、当然ながら樹高15m近く伸びた近傍では大木に当たるものが混じる。請け負った業者は、皆伐さえすれば目的は達するから、北電からの仕様書がそうなっているのだろう、寸法は無視し、俗に「切り整頓」と呼ぶ利用度外視の、片付け程度でまとめておいただけである。おそらく作業員が歩きやすいように、かつ、一応最低限の見栄えもあろうか。

もれ聞けば、やはり近年の線下地はすべて切り捨てとのこと。この工業用地は、北電だけでなく、道路やその他の工事でも、樹木はあちこちで伐採されて「切整頓」されるが、処分まで段取りする現場人は不在で、みるみる数年放置されて利用されないでとうとう腐る例がほとんどである。再生可能エネルギーが取りざたされ、木質バイオの発電まで行われる昨今、この辺の需給調整はまったく行われていない様子で、発電用の材の供給面では皆伐や過伐まで懸念されていることを勘案すると、著しく連携がない。作業効率の確保できない小規模伐採は、対象外なのだ。

作業経済などという言葉あるかわからないが、作業するものは仕様書通りで受託金はもらえるから、余計なことはしない。だから、重機など持たないNPOや町内会などが、人力で利用するという町内会的な経済行為に落ちて(任せて)いかざるを得ないのである。

それならそれでいいではないか、というのが実はわたしなどの覚悟である。バクテリアやアメーバのように、有効利用させてもらえれば良い、という割り切りもこの際大切ではないか。既に実績もあるこの作業は、薪の安定供給には欠かせないものでもある。



雪解けの読み違いで半日棒に振る

2024/03/02 晴れ 風強し 1℃

■誤算による無駄骨

背中でもうやめようよと語る

雪解けが進んで雪の下の残材が掘り出せると踏んだのが、まったくの見当外れとなって午前中は無駄骨になった。無造作に伐倒された丸太が大小確実に埋もれているのはわかったが、所によれば4~50cmもの堅い雪とザラメ雪が積もっていて、歯がたたない。いや、掘れるのだが掘り出す時間がもったいないので、ここは天気任せ、時間任せで出直すことにした。

10時には出発して1km弱の現場までスノーシューをはいての往復だったから、「壮大な無駄」だった。時間単価の超高いドクターや研究者らも来ていたから、なおさらだった。午後は、折角得た雪なので、スノモの藪だしには思いがけないアドバンテージ、あるいは天の助けとばかり気を取り直して、今季の除間伐エリアに残していた材をスノモで10往復近く運んだ。

今日もわたしのポジションは積み下ろしだが、4~50kg近い元玉のような丸太を数回、若い urabe さんが「ボク、やります」と代わってくれた。3,4回目の時、とっさに背骨と腰の骨が砕ける図が頭に浮かんだのがおかしかった。年寄の冷水、と笑われてはいけない。申訳ないが今となっては彼に任せて正解だった。

■風土の共有感覚から思索へ

午後の作業を終えてから地吹雪のヤードを眺めていると、強風の中、トビやカラスに交じってオジロワシも飛んでいて、オジロはやがてティピーテントのトイレそばの太枝に止まっていた。青空だが、またもや春の嵐のような様相だ。一昨年新たに手掛けて今も継続している保育エリアに歩いて下っていくと、雪で林床を覆われた木立群が凛々しく見える。

「思えば、遠くに来たものだ」。学卒でプロジェクトの緩衝緑地づくりに勤めとして参加して以来、勤め先を代えながらも勇払原野の林にはずっと関わり続けて半世紀近くになるから、NPOの中にあってもわたしが見ている光景は周りの人とはちょっと違うのだろうなあ、とこの頃はよく思う。おそらくコモンズに関わる動機もだいぶ違っているはずだけれども、それは当たり前だ。

地吹雪のヤードへ戻るとメンバーはもうみんな帰った後だったが、このまずめの時間がたまらない。数日前、美術博物館で鹿毛正三展をみて思った「風土の共有感覚」ではないだろうか。この感覚に浸っていることができれば時間を忘れ、無為の時間が意味を成すような、不思議な気がする。と、梅原猛氏はエッセーの中で「哲学には閑暇が大切」と書いていたことを思い出した。わたしが哲学しているわけではないが、思索の入口で必要な時間、いうところの「閑暇」が余るほどある、ということは間違いない。現実に精いっぱい向き合う勤め人時代には考えられなかった「閑暇」の恵みが天から降りてきて、遊べ、というのである。




小屋における小さな悟り

2024/03/06 wed  晴れ 小屋室内-6℃

■小屋ならではの時間とひらめき

積雪は60cm近い

林道は北海道電力の工事のために除雪がしてあり、車を置いてから18分で小屋に着いた。乗ってきてもスタックするところはなかったが、それは結果論である。読み間違え、無謀にも雪道に侵入させて何度汗をかいたか知れない。

薪ストーブを点けてから、室温より温いベランダで対応を浴びながら瞑目。大事なこといついて、ひとつは確信、もう一つは小さな悟りのようなあることが浮かんできた。

ひとつは、「自然風土はみんなのもの、薪は伐って運んで割った人(たち)のもの」ということ。薪は小さなエリアの循環が得意で、むしろそうでないと回らない、という、いつもの到達点。今日のひらめきは、自然や風土がみんなのものだという真理と並んだこと。もう一つは、月刊誌致知を読みながら、合気道の「氣」を考えていた延長で、人間のぶれない秘法についてだった。

こんなことを「ひらめく」のは、特有の時間がここにあるという証拠に違いない。「木こりは病気知らず」というように、山仕事の運動と森林浴と、そこでの独り言と小さなひらめきが、人に自然治癒力をつけるのだと思っていたが、今回の手応えは格別だった。神秘めかして言えば「降りてきた」感覚である。

■これからの小屋周りの仕事をイメージする

めぐり巡ってポータブルのウインチを借用できそうな状況が近づいてきた。ひとりでは無理か、難儀するのが見込まれた仕事が、これから可能になる。遠浅の山林は当然だが、ここ小屋の周りではちょっとした広さの「土場」を用意すれば、半径100m近くから楽々集材して薪を作ることができるようになる。



ウインチをかけるナラと、滑車をかけるナラに印をつけて、材を集めるスペースを目測で決める。軽トラを横付けできる200平方mもあれば十分で、段取りはいとも簡単に終わった。これならシニア・ワークも可能だ。風倒木を寄せるだけでも小屋の暖房と焚火用の薪は十分足りるだろう。





薪25棚分の除間伐丸太、搬出完了か

2024/03/09 sat 晴れ 2℃

■少数で精鋭化

3月になっても低温と降雪、結果、雪が多くて助かった。3月9日でまだ5,60cmの積雪があるため、残っていた丸太をスノーモービルで全て運び終えそうだった。「終えそう」というのは、午後から郷土歴史の講演を聞きに行って休んだため。

このところ、参加者は多くても7,8名、それも役員と事務局だけ、などという日も少なくない。もっともよく出てくる人が役員なり事務局なりになっているから当然と言えば当然だが、所帯の割に雑務も多いので全員参加型の運営にさらに舵を切ることになりそう。


土場正面の薪はほとんど運び終えた。

3列目とnaka-f ドライバー。↑     ↑沢の中の最後のデポ。丸太は凍りついている。

参加者5人。5人のうち3人は70歳代、残り二人は65~70歳だから立派な高齢者集団である。それでも実に精力的にスピード感よくことが運んだ。スノモ担当は naka-f 教授。余りの体力と手際よさに、「教授にしておくのはもったいない」と冗談が飛ぶ。

人不足、金不足はどこのNPOにも共通だという話をかつて聞いたが、札幌で開催された環境活動助成の説明会だったかで、人も金もあまり心配していない、と述べたら助成団体の幹部が「そういうところは早晩つぶれる」と予言したのを思い出した。メンバー=若い人、という図式に縛られ過ぎている。金も余るほど稼ぐ必要はない。高齢者でも十分パワーになるし、若い人より重宝だともいえる。そう考えれば、人口減少社会の見方も変わる。

今日のような山仕事を見ていると、人生に前向きでありたい、いわば生涯現役を標榜するシニア集団ではないか、という認識も間違っていない気がする。人生の酸いも甘いもくぐって来たランナーが、いろいろな事情を背負い工面して週末の一日を共にしているのだった。ここにシニア社会の希望の灯が見えないかだろうか。(笑い

今日の作業で丸太の列がようやく例年のように3列に達した。恐らくこれで過年度平均の25棚が確保できそうだ。送電線下から今後搬入するものは予備のストックにできる。

■「ユウフツ越え」の講演で

午後2時から、苫小牧市勇払の「勇武津資料館」で『ユウフツ越え』の講演を聞いた。講師は資料館の学芸員Tさん。

初期の北海道開拓は勇払川の河口あたりから始まったが、開拓に入った八王子千人同心は冬の寒さの備えもなく次々と死んだ様は実に悲痛だ。北海道の寒さは本種人の我慢レベルを通り越していた。甲州街道など交通の要衝八王子は、わたしには古い繁栄の都に映るが、先年、昭和天皇の武蔵御陵などをお参りしてその感を強くした。そこは武蔵野の面影が残っていた。そこは温暖な武蔵野の面影が残っていた。

道南松前藩はともかく、道央や石狩空知の開拓は勇払川や千歳川、それと石狩川という川を船で遡上して内陸に移動して行われ、特に1700年代後半あたりから明治初期にかけては、勇払川から美々、駒里を越えて千歳川に入り石狩方面に出た。今日のテーマ「ユウフツ越え」は美々川から陸路を馬に船や荷を引かせて千歳川に行くそのルートを指している。Tさんの話では明治6年、札幌本道ができてからは、そちらの場車道に徐々に役目を代えていったという。

新千歳空港の滑走路でみつかった遺跡調査では、当時の轍(わだち)がしっかりと判別できる写真があり、今までなんとなく漠然と見てきたものが初めて現実味を帯びて伝わって来た。峠とも言える空港周辺は標高100m足らずではないか。そこを越えれば全く風土の違う日本海側に出るのである。古来の目の付け所はさすがに確かだ。

ここの地の利は古くから港の構想が湧いては消えしていることでもわかる。その一つのあだ花が「千歳川放水路計画」だったが、放水路は往時の人々の夢の実現でもあったわけだ。Tさんはそのいくつかの計画に駆け足で触れてくれた。自然保護か開発かと二者択一のようにマスコミでは対立軸に見立てて議論されてきた苫小牧だが、わたしには地政学的な運命だと思えたから、それをどのようにうまく折り合いをつけながら行くのか、だと見てきた。放水路は「ユウフツ越え」の地域理解を踏まえて100年近い熟議を要する懸案だったのにもかかわらず、急ぎ過ぎて無謀であったかもしれない。

雑木林コモンズをなんとか利活用している当方にも実は無縁の話しではなく、極論すれば現在のコモンズ利用は、巡り巡って勇払原野の「地の利」の恩恵であり、ノベタンになってしまいかねない産業用地に中の、アソビのようなオアシスが苫東の緑地であると言えまいか。わたしたちはその一部の緑地管理プロジェクトに住民サイドとして参画していることになろうか。



残されたカラマツを運ぶ

2024/03/13 wed 晴れ 2℃

■独占、里山時間




思いがけない暖気の後に、これまた予期しなかった時期遅れの大雪が降って、広場も林内もまだ40cm以上の雪がある。しかも林道は路面がまだ見えない。が、雪解けの足は早いから、スノーモービルを縦横に操れるのはあと数日だ。

苫東コモンズの丸太運搬は先週で終了したので、残されたカラマツを自家用にヤードに運んだ。熱量のある広葉樹をもっぱら使い慣れたコモンズ会員には、針葉樹の評判は何を問わず不評で、優先順位の高いものから順に運んだ結果、最後にカラマツが取り残された格好だ。無造作に積まれた細い広葉樹枝もそうだ。

針葉樹もいとわず使いこなすわたしは、カラマツはもちろんアカエゾマツやトドマツも混ぜて使ってきて、この1週間は丸太でもらったイチイを焚いている。はじめてのイチイは、もともとが枝だらけだから材は節だらけということになり、とてつもなく割りにくい代物だった。マサカリでは無理で当然薪割り機を使用した。しかし、これは思いがけず火持ちが良く、見てくれは悪いが実に重宝している。

さて今日の早春の晴れた一日は、時間を気にすることなく、余されたこれらカラマツの一部をいただいた。ついでに雑木林の里山時間も「苫東休暇」を実践するかのように独占状態。1周ちょうど1000mのルートを2周して止めた。きりがないからである。




風土の共有と今年の山仕事占う

2024/03/16 sat 晴れ 6℃

■今年の山仕事あれこれと、山アソビの余暇のバランス

午前は最後の丸太運びをスノモで。午後は数人が理事会、残り多くの会員は線下地の作業にあたった。

小じんまりと地域活動を展開しているコモンズであっても、100ヘクタール近い他人さまの森林を、順法精神にのっとり事故なく、かつ持続的に森を育てていくとなると、随分色々な大小さまざまな雑務があり、法人として登記しているものの常として税金の手続きや行政への届け出も不可欠である。

個人的に古希を迎え、ここ2年は世代交代を図るにあたって、これらの雑務を全員参加で過不足なく分担して進めるための模索が続いている。これまで、古い役員の間で申し合わせでやりくりしてきたものを、このたび、わたしが文字化して「しおり」にまとめて理事会に諮った。これまでなぞって来た足取りが「しおり」として明文化されるだけだから大きな異論もあるわけでないが、A4サイズで10数ページに及んだ。

役割分担もより明確にし、なんでも事務局に任せてしまうようなイメージは事前に一新することにした。露悪的な表現をすれば、会員みんな「タダ乗り」はしない、ということである。人が関わる地域活動だから、各自に言い分はある一方で一言で言い表せる妙案などなく、よろず歯切れは悪くなるが、それは身の周りの世の常。動いたものに、もっとも大きな手ごたえが残る。どうするかは個々人の人生観の差だが、置かれた環境にあわせてかなり良くよくこなされていると思う。

今回の理事会では、薪に引き回される多忙さから離れ、もう少し勇払原野の風土を楽しむ時間を多くしようと申し合わせた。




雑木林上空をマガン飛び交う


2024/03/20 sat 曇り 2℃





静川の小屋は、まだ結構な雪でざっと40~50cmはあった。陽ざしが強いはず、もう春分だ。樹木のシルエットはまぶしいほど。マイナス6度の小屋室内をベランダに出てすごす。小屋では辻まことの「山と森は私に語った」を読む。帰り、厚真の田園によると、マガンの楽園、遠くに日高ポロシリ岳。







線下地の残材利用へ

2024/03/23 sat 快晴 5℃




北海道電力の送電線下地の皆伐跡地。
土地所有者の了解を得て、搬出利用の段取りをして来たが、今日、ようやく最短の搬出路と工程の目途がついた。電線の安全離隔のために伐採を請け負った業者は、材の利用の算段はせず、寸法などお構いなくバッタバッタと切り倒しただけだ。雪の下のフリーサイズの丸太を、苫東コモンズは、薪として使うべく、雪から掘り出して玉切りし、せめて林道沿いだけでも薪ヤードに運ぶことになる。

FRPのソリで2,3回運んでみた(右上)がとても手に負えるものではない。掘り出しから始めたらとても手に負えるものではない。林道の近くだけを集めただけで、薪ヤードの一列分30mはあるから、薪のストックにはそれでも好都合だ。ナラやキハダ、ハンノキ、ハルニレなどで、かなり太いものが混じっている。薪としては実に使いでがある。

このところ、道路わきの工事現場などで伐採木が放置されているのが良く見かける。扱いにくい木材の常で、ここと同様、投げ捨てになる可能性も大きく、小規模の木材集積のジレンマだ。腐らす前に使える手立てがほしいところ。カーボンニュートラルなどというきれいごとと現実の間は、かくも辻褄があわない。ただ相手は腐るから、有効利用は鼠小僧的になりかねないのだ。わたしたちはしっかり関係者の承諾をとったが、この先、盗難にあわないよう看板を立てておこうと思う。



昼休み、この秋以降の現場となる沢筋を下ってみる。うまくいけば、線下地にたどり着くのだが、15分も行ったころ、サビタやハンノキ、ホザキシモチツケの湿原ブッシュに出会い、進むのをやめた。ここでのフットパス開設は無理かもしれない。

そこで東の沢から尾根に出る。4本ドロノキのそばだが、そこは写真のようなこざっぱりした雑木林風景だった。早春のこの時期、雑木林の林床はことごとく隠れてしまうので、歩きやすさ、光線、シンプルさなどで林が最も輝く時期だ。こういう散策は人々の胸を膨らまし癒しになるのだが、いかんせん、その辺の共感は住民の間には余りない。

午後の作業はテントから20分歩いて現場に向かった。移動には20分近くかかるから、その分無駄な時間と言われそうだが、こんな林を鼻歌気分で歩けるのはむしろ幸運だ。何者にも追われない自由時間に幸アリ。

ちなみに昼過ぎには、あたらしい薪割り機が到着した。燃料を入れて試運転してみるとパワーはあまりなく馬力調節もなし。ちょっと拍子抜けしたが軽くて安いので現有薪割り機のアシストの位置づけには十分だ。




小さな土場できる

2024/03/27 WED 快晴 8℃ 室内-4℃→14℃

■この冬最後の焚き付け



久々2か月ぶりに小屋の前まで車でアクセスした。チェンソーや焚き付け割りの器具など持ちこめたから、春の山仕事いよいよ本番である。林はまだ積雪が30cm近くある。

到着早々、恐らくこの冬最後の焚き付けを作る。カラマツなどの小枝はもっとも最初の焚き付け、次に小割した薪、そうして最後に薪、という順になるから結構不可欠の仕事だ。

さすがに温かくなったのだろう。窓辺には室内で孵化したハエや小さな羽虫が集まってきた。ここ数日、今使っている温かくない中国製ストーブをあきらめて、直ぐ熱くなる鉄板ストーブに代えようかと思案している。だが、今日ログハウス内に入った第一印象は、外が温かくなればまあまあ使える、厳冬期の2か月我慢しようか、ということだった。これは瞬間のひらめき、直感だからきっと正解だろう。まあ、当分このままということになりそうだ。

■とりあえず、土場ができた



予定したエリアに小さな土場をつくり始めた。この林の履歴を見るとここはわたしが生れた昭和26年に皆伐されたところで、つまり林齢は72年、その割に太いものはあまりない。平成6年頃、自ら調べるとヘクタール2500~3000本だった立木密度を1500本にした林班である。伐った材は地元のシイタケ農家に分譲した。

20m四方程度の土場を作って周囲の風倒木や間伐木をここにウインチで寄せる計画である。そうしてでき始めた里山景観復活の修景作業を継続する予定。

それにしてもこんな好条件はあるだろうか。
平坦で美しく、フットパスとログハウスがあって、ベランダやテラスなど「北の森カフェ」を味わうステージがそろっている。昨年春から少しずつ森と自然のライブラリーを充実させながら、1年前からは週2日、ここを根城にシニアの山仕事をほそぼそと続けている。

人生の林住期、あるいは白秋期という宝の時間をここで過ごせるのはラッキーだ。小屋を作って27年目、この緑地を整理し始めて34年にあたる。土地の利用、林の運営が手薄になったすき間に、束の間とは言え育林のプロジェクトをコモンズという概念ではめ込めたのも勇払原野の宿命だったような気もする。

勇払原野は150年以上前の北海道開発のスタートの記念の地であり、地政学的に土地利用が流動的になるのだ。これは「B級自然」勇払原野の運命であるから、腕組みしてみてるのではなく、数十年のタームで変わるだろう計画のエアポケットを、土地所有者とwin-win の関係を築いて有効活用するのである。生々流転、随流去、わたしはそこにあまり逆らわない。



土場の上空は次第に開けてきた。遠くに傾斜木が何本か見えるから、今年の作業段取りも頭に中に出来つつある。今日倒した中にはヤマモミジが1本あって、チェンソーを入れた途端に樹液があふれてきた。オガクズ交じりの樹液をなめてみると、やはりほのかに甘い。

この時期の雑木林は、癒し系を越えてパワースポットに代わるようだ。




線下地の片付け、完了

2024/3/30 sat 晴れ一時雨

■11人で予想外の完了




今月初めから、大雪を挟んで挑んできた線下地の玉切りと運搬に向けた準備は、先週と今週の正味2日で終わった。中高年中心に生きのいい若手が一人加わって精力的に作業が進行。作業開始して1時間余りがたったころ、シニアを代表して休憩時間をとらせてもらった。シビアな作業に水を入れた感じ。

それにしても晴れた雑木林の歓談は楽しい。この時間も十分コモンズらしい情報共有で、やりだしたら止まらないのが常だが、そこはうまく作業に戻って今日の区切りとなる快挙につながった。案の定、74歳の wada さんは夕方「もうヘロヘロ」と呟いていた。72歳のわたしも背中をちょっと押されれば転ぶ状態。だからいつもどおり慎重に歩を進める。

ところで過去に経験した盗難を抑止すべく、「苫東コモンズ」と表示した蛍光テープを数本掲げておいた。悪意の盗難者にとっては何をしても無駄だろうが、このバカバカしいほどの手間を水の泡にはしたくない。かそけきプレッシャーでもいいからかけておきたい。かくなる上はできるだけ早く薪ヤードに搬出することだ。



実は皆伐跡地はここの北西200mにもう一か所あり、午後わたしはそのアクセス路を作りながら玉切りしてみると、ほとんどがヤチハンノキであり、ナラなどは太すぎたり奥だったり運びにくいものばかりだった。今日の予想以上の進捗を勘案して、tomi-k & urabe 両氏にこれにて打ち止め完了を提案したところほぼ快諾の様子で、来週からは薪ヤードでの薪割り薪積みが本格化する。

タウンエーストラックで換算すると10往復、12~15立方メートル、約6棚と見積もった。薪ストーブ1シーズン消費量で行くとざっと3軒分くらいか。なかなか割にあわない相当の手間だが、これが木材の地域利用の現実である。

右上の手前は、玉切りした端材など。
十分、薪利用に耐えるので「もったいないねえ」が口々に連発されたが、はて、この手間をだれか引き取るかどうか。