home

2025年、日々の迷想


■3/08 早春の空あおぐ



数日前の伐倒の際に掛かり木にしてしまった木を片づけ
た後に仰いだ空は、開放感があふれて見えた。それまで雪が消えかけ春がすぐそこまで来ていたのに、啓蟄の3月5日、苫小牧は翌日にかけて大雪に見舞われた。しかし、おそらくこれが最後だ。これからは、駆け足で春に向かうだろうから、来週はナニワズの花芽が見られるのではないか。

一方、今年はどういう訳か林道に水たまりが出来ない年だ。十分寒かったのに土壌凍結がない、と見た。この30年近く、小屋まで車で行けたのは初めてだったことなど、少し変わった冬だったのではないか。植生や害虫など、夏にどんな影響が出るだろうか。

■3/06 豆鼓(トウチ)を使って



素人料理というのは和洋中を問わず、できることならプロや本場の味に近づけたい、と内心は思っている。簡単そうなマーボー豆腐にしろ、山椒ではなく「花椒」にすると、実は四川風のそれらしくなる。中華の調味料も、甜麺醤や豆腐乳(フールー)のほか干しエビや干しシイタケを仲間入りさせるだけで、ぐんと味が変わる。紹興酒や日本酒もしっかりと役割がある。

五目焼きそばを作る際にはオーソドックスにカキ油や豆鼓醤を使っていたが、先日は豆鼓醤の代わりに原形をとどめる豆状態の「豆鼓(トウチ)」を入手したので水で戻し小さなすり鉢でつぶして用いたところ、風味も色も俄然プロっぽくなった。

今日の晩酌は、家人のつくった料理のほか、晩酌のつまみに冷凍イカで、ショウガ味のイカ焼きでビールを飲み始めるところ。これの言わずと知れたコツは、焼きすぎないこととショウガを惜しまないこと。イカの皮のおいしさが良くわかる。イカはいつもながら本当にエライ!鶏肉は豆板醤とニンニクをメインにして少し甘く焼くつもり。 

■3/04 地域活動15年の歩みとこれから

2024年度で苫東コモンズの世話役と代表をおりるのを契機に、わたしの研究室HPの入れ子になっていたNPOの公式ページを会の担当に任せて分離独立してもらった。そして新しくなった当方のもとのページのタイトルが標記である。コモンズのルールや今年の春から初夏にかけての風土の恵み探訪予定などを書き込み、ともに愉しみたい同朋も募った。また、個人的に関わった出版関係から3件紹介したが、その中のひとつにこれ以上のヨイショはないだろうと思えるレビューが見つかったので、感謝を込め「記念」にリンクさせた。ホームぺージ「雑木林&庭づくり研究室」は2025年の春、再スタートになりそうだ。

■3/02 春のような陽ざしと雪解けと



小屋裏の林はもうこんなに雪解けが進んでいる。このエリアが木が少し空いている関係もあるが、それにしてももう春一番のナニワズや山菜が顔を出しそうな気配だ。2月中旬から自宅にはもうほとんど雪がないという寡雪の年だったとはいえ、真冬でも小屋までマイカーで来れたのは30年近くの間で初めてだ。

2年分の薪を用意しなければならないという、不測の事態だったから林道が冬中通れたのは運が良かった。この日(3/1)2日目にしてほぼ、年明けに被った盗難分を補充確保できた。
週2,3日のj除間伐と薪づくりという自賄いの山仕事が生活の柱になっている(晴林雨読)ので、日常の雑務や読書がそのすき間で、実に着々と小刻みにくこなされる。シニア・ライフはそこに病院通いや旧交を温める交信なども加わるからかつて予想しなかったことだが結構退屈しない。そこに、この雪解けである。せかされない様、マイペースを守ろう。

■2/25 『ぼけますから、よろしく…』

信友直子さんの『あの世でも仲良く暮らそうや』(文芸春秋)を読書の合間に楽しみながら少しずつ読んでいる。読書の忙中閑あり、みたいに。今104歳の父親の母の介護や近所づきあいを見守る娘がドキュメントとして広島弁で温かく描いている。認知症と高齢者の微笑ましい見方の一つとして励まされた。というか、老いてボケることの「普通さ」加減がとても良く描かれている。表題は、著者の作った映画のタイトル。ボケながら介護する、される、両親を描いたもの。youtube や Netflix などどこかでみれないだろうか。

■2/23 立ち上げから15年余り経って



地域活動の節目がきた。先日のコモンズ運営の集まりで、わたしは15年にわたる世話役の責任から開放されたと個人的には考えている。あとは形式的に年度末の役員会で事務手続きを完了するだけとなった。57歳で立ち上げるまえの2年間は関係方面にヒアリングをして設立の可能性を探っていたし、札幌の森林組合に努めるAさんとはそのさらに前に山仕事を始めていたから、ざっと20年ということになる。少しずつフェードアウトするように、責任や束縛から離れていくのは一つの希望であり、活力であり、寂しさなどはない。あわせて心配もないのは、どうせ一代で終わって解散しても悔いはないと肚に決めていたせいだろう。というのも、新しい世代と動機や目的を本当に共有することなどできないことなど普通ならば自明だからだ。もし解散しないで続けられたらもうけもの、若い者たちの手柄だ。

春からは写真にある小屋の看板を直したり新人の風土ウォッチャーと対応したり、小屋番として、また「あくつライブラリー」館長として、伸び伸びと楽しいことをしていこうと思う。

■2/21 さつまいものサラダ

ゆうべはいただいた安平産のさつまいもでサラダを作った。大きな芋だったので、3分の1は先週、イカの天婦羅を作る時の脇役にしたが、どうしてどうして良かった。次の3分の一は薪ストーブのオキにくべておいしくいただいた。昨夜はその残り。皮のところが黒ずんで傷んでいたのでそいでみたら、こじんまりとした丁度良い大きさになった。それほど大きかったのである。ゆでるよりも薪ストーブで焼き芋にした方が甘くなるので40分、蒸し焼きにしてからフォークでつぶした。バターで玉ねぎを炒め、ヨーグルト、カレー粉、マヨネーズなどを足して味を調えたら、デザートのような甘いサラダになった。料理はたのしい。家人が用意した新聞のレシピ切り抜きを元にした。

■2/19 早春の林を歩く



2月も半ばになると、林は大きく春に傾く。昨日は24節気の「雨水」、そして間もなく「啓蟄」となる。林を歩くにはもうサングラスが必携で、そのまぶしすぎる陽光が、こころを少し浮き立たせる。雑木林を歩くなら、今である。

■2/17 ジャズを聴く耳


(写真@大島山林は本文と関係ありませんが、何かつながりはあるかも Feb 8/2025)

大量の楽曲が盛られたSDカードを数年前に山仲間からもらって、その中のひとつ、ジャズをジャンルを問わず自動車の運転中に、結構な音量で聞いている。そのうちにわかったことは、ジャズそのものが遊びに近いということである。演奏の技法は錬磨やセンスが必要だが、内容は、アソビである。いつだったかプロのジャズマン(キーボード)と会話した時に、彼は「しょせん、たかがジャズですから」と言い放っていたことが、最近よく理解できる。音楽は感じればよいと割り切って、今朝はモーツァルトのクラリネット協奏曲K622を聞いた。良く説明できないが、ジャズとクラシック、聞く耳あるいは気分?がちょっと違うのではないか。わたしはクラシックギターをかじってきたせいか、楽譜がちらつくのである。ジャズはその点、基本ラインを守りつつテクを駆使して即興でいく。

■2/15 山小屋のカスタマイズ



遠浅で、スノーモービルによる雪道のトレースをしてから小屋へ。小屋では次年度用の丸太が盗難にあったため、再度除間伐の選木をした。まったく予定外の仕事になるが、意外と怒りは低い。山仕事の必然的な理由ができたことが少しうれしいらしい(内心)。小屋の室温はー4℃からプラス18℃まで上がった。小屋には最低必要なものがそろい、ひとりかふたりでボソボソ語ったりするには丁度良い雰囲気が出てきた。もちろん、メインは作業の資材置き場の小屋「雑木林ケアセンター」としてだが。

■2/13 身体の不具合や病の対処法

70歳を過ぎる頃から医師に診てもらう機会が多くなったが、高齢者に多い脊髄や頸椎では必ずしも治癒するわけでもなく、時として病名も漠としたものになる。不定愁訴もそのあたりで生まれる。そこで友人知人問わず高齢者の病気自慢ネットワークとネット情報が結構役立つ。通常の場合、うまくいけば医師は病名を下すが、たいていの場合は確実な治し方までアドバイス出来ない。そこで、クローズアップされるのがこの情報収集だった。聞けば周りではみなさんがそんな感じだ。

考えてみると症状や不具合の詳細は本人しか知らない。自分の体が当の現場だから、どんな症状にどんな対応があっているのか、自分で情報収集するのが得策だということが、年寄りの多くはわかって来たのである。これは素人判断と言われようが究極の方法であり、やはり自分が自分の主治医となって納得するしかない。

3週間前に急に右肩があがらなくなり、五〇肩と脳梗塞を勝手に疑って医者にかかろうかと思っていた。そこへ家人が二冊の本を借りてきてくれたので早速読んでみたら、どうも二年前に診断された頸椎ヘルニアが悪化した可能性が最も強く疑われた。そういえば数か月前から、未明の時刻から床の中で枕を高くして読書する習慣が続いていた。俗にスマホ首とも言われるストレートネックである。これだ、と思い当たりこの指南書が示すように日常生活では時々顎をひき姿勢を正し、枕をしないで寝る方法もとりいれたところ、次第に改善して開始五日目にして腕が少し上がるようになった。快挙と呼ぶべき久々の成功事例である。日同じくして、下半身の貨幣状湿疹がようやく下火になってかゆみが軽減したため、半年ぶりに軟膏の塗布をやめた。不具合との付き合い方、なんとなくわかってきたような気がする。こんなことで希望が湧いてくるから不思議だ。

■2/11 歌にみる庶民の共感 31

毎週月曜日に掲載される読売新聞の歌壇俳壇、これを毎朝10作品程度を小さな声を出しながら読み上げる。できるだけ感性のレベルをハイにしているつもりだが、どうしてもついていけない、不明のものも多い。そういう時は恐らく読み間違いかもしれないな、と思いながらよしとして次へ進む。特に躓いて調べることの多いのが俳句だ。知らない季語、むつかしい言葉がなんと多いことかと未だに驚くが、調べるとその言葉の裏に日本のこころの深みが見える。

◎世界一やさしい温度計だろうひたいにふれる母のひたいは  新宮市・Oさん
…思わず幼いころの母の看病を思い出す人もいるだろう。まさに、の思いだ。何者にも勝る母親の本能的看病。母性と呼んでしまえば冷たすぎる、きずなを感じた瞬間だろう。

◎小説の残り数ページ日本酒を味わうようにちびりちびりと  白井市・Kさん
…あんなに長いと思った小説がようやく終わると思ってホッとする反面、ストーリーを振り返りながらスピードはスローダウンする。余韻、味わい、反芻。日本酒党のわたしだから、よくわかる。実はいつまでも飲み続けたい、つまり対話をしたいのだが、そうもいかず…。

◎差し障りなきやりとりは足ることは無けれど人を傷つけもせず   岡山市・I さん
…基本、傷つくかもしれないスレスレのやり取りでないと満足できない、人と付き合った気がしない…、しかし、そうはしないジレンマが滲む。わたしなど後悔ばかりして来た。二十歳前後のクラブ活動や集団生活はそんなこんなごった煮だった。懐かしいが、もうしないように心掛けて久しい。このごろ若者は、そのずっと手前で立ち止まるらしい。賢明であり、淋しくもある。

◎認知症病む弟の目はやさしくて芋分け呉れし昔のままに   大阪市・Sさん
…病む側と見守る兄の目。きっと「どちらさまでしょうか?」などと聞かれたこともある、そんな光景を想像した。そう聞く当人は困った泣きそうな顔をするのだ。自分ではどうしようもない。体もこころも、明日は我が身だ。いたわるこころ、大事にしたい。

◎草の名をよく識(し)る我と鳥の名をよく識る妹たまにランチす   安中市・Tさん
…知るは楽しみなり、という。知ろうとする傾きが明日につながる。知識は先があって引っ張る。その周りには感性が満ちている。感性を語り合うランチもあるだろう。自然を膨大な知識や情報で理解しようとする傾向が世の中では強いが、わたしはあるころからか森羅万象を花鳥風月のアンテナで感じたくなった。霊魂も信じる。

◎咳の子がごめんなさいと目で言えり   対馬市・Sさん
…いいな、この気遣い、きっと常識のあるやさしい両親に育てられた。日本人のこころ、良識を感じる。

◎読む程に酌み交わしたくなる賀状   茅ヶ崎市・Sさん
…ついこの前に感じた自分の経験そっくり。年賀状じまいの年齢はとうに過ぎたのに、このスレスレの時期にいただく賀状や寒中見舞いに、こちらも丹精込めて近況などしたためる。出来れば携帯でコンタクトとろうか、と。お別れはいつでもできる、細々と続けることもできる、どちらを選ぶか。

◎息白くして先生に口ごたえ   
川崎市・Oさん
…今回のラストは、絵に浮かぶ微笑ましい光景。小学校1年生あたりのボーズの小生意気な様子が白い息でホーフツ。時代を超えてアルアル。立春を過ぎてもうすぐ気温は緩む。そんなこともふと連想した。

■2/08 除間伐の現場にて



午前中、エゾシカの死体を見、共喰いのタヌキの躯を片づけたので、口直しに午後、苫東ウッディーズの面々が作業している除間伐の現地に出向いた。まさに、清め、であろう。冬の雑木林は、凛としていて精神も正される。

■2/06 氷都と呼ばれたマチで

ネピア・アイスアリーナで行われたアイスホッケー女子五輪予選、スマイル・ジャパン対フランスをBSで観戦して、そのあまりのレベルアップには本当に驚いた。わたしが職場のアイスホッケーチームでゴールキーパーをしていたころ、出来立ての女子チームが入れ替わりで練習をしていたのを下手くそだなあ、などと笑いながらよくみていたから、つい比較してしまうのだ。スティック裁き、ドリブル、パス回し、シュート力、そしてタフさなど、往時とは5歳児と大人ほどの差がある。7対1という快勝もうれしい。

苫小牧に赴任したころは町内の公園に町内会の父兄が水を撒いて造った小さなスケートリンクがいたるところにあって子供らは幼子も器用に滑っていた。沼でワカサギが釣れる頃だと思う。土までが凍り雪があまり降らない土地だからこその風物詩だ。湿原のマチだから、たいてい水溜まりのような沼があって、天然のスケートリンクがあったようだ。ミュンヘンオリンピックの全日本チームが、市内の沼のリンクで合宿した、なんていう古いニュースを見たような気がする。この風土にあって、この競技、あるいは遊びと言える。環境は色々なものを制約し、方向を固め、地方色がでる。

■2/04 ホンモノの刺激



毎日30分から1時間、クラシックギターの練習を心掛けている。古希を迎えた頃に高価な補聴器を付けるようになり、お店で特に難聴気味の高音も聞こえるチャンネルをセットしてもらい演奏時に切り替えるようにしたら、音がとてもきれいになって練習に弾みがついたのだった。ところが調子に乗って昨年スマホで録音してみたら、これがひどかった。プチュプチュ音が多すぎて目立ち、もうギターなんか止めようかと落ち込んでしまったが、気を取り直してレパートリーとなる数10曲の演奏レベルをなんとか維持すべく、多少は難行のように取り組んだ。困ったことに今度は実は時々めげそうになるのである。いささかつらいから、逃げたい。

それでも、去年から取り組んでいる難曲が、ギター界のMozart と呼ばれるフェルナンド・ソルの ESTUDIO 17番。一日の練習の後半、指の動きが良くなったころに弾く。昨日、YOU TUBE でプロのこの曲の演奏を聴いてみたら、なるほど、やはりすごい。実にいい曲だ。美しい。こうしてたまに刺激を受ければまた少し前進できる。人間、どうしても低きに流れ妥協するらしい。わたしもすぐ楽な方に行こうとするが、本物の刺激なるものを鞭か飴玉のように使い分けるとたしかに継続の力を得る。75歳あたりでもう一度動画か録音にチャレンジしてみたい。それまであと1年半しかない。できるだろうか。

■2/02 県人気質

司馬遼太郎の歴史小説を読んでいると、土地土地の気質や藩ごとの訓えのようなものが出ていて実に興味深い。特に藩校のあった歴史あるところ、例えば長州や水戸藩、熊本や薩摩など、学生時代以降に出会った個性派を思い出しながら、なるほどと思い始めた。風土よりも藩の伝統、巷でどんな習慣があったのか、教育を受けたか、土地の気風はどうだったかが大きいように見える。明治維新のころに活躍し歴史に残る人たちが、薩長土肥に偏っていて他は埋もれたように出てこない藩も多いが、司馬小説は時々その埋もれた藩の師弟がひょっこり出てきて、司馬氏が丁寧に気質批評をすることがある。ああいうのも実に面白いと思う。


■1/30 人付き合いからの距離

「よくこれだけ大勢の若者たちを束ねられますね」と、20年以上前の育林コンペの集いで年上の人に言われたことがあった。それ以後も、それらしい評価をもらったこともあったが、いずれもボランティア活動についてだった。関係者の思いはバラバラだから、何かあるテーマに偶然収束した場になったことがあったのだろう。熱があってのことである。まとめる、束ねるということでいえば、思えば中学、高校、大学とクラブ活動にどっぷりつかり、学生時代はごった煮のような人のるつぼの寄宿舎生活だったことなどから、陰でまとめたりするのが好きだったのかも知れない。権威などとはもともと無縁だから、まとまっていく場の雰囲気というものもあったのだろうと思う。確かに、束ができジンと来るうれしい場というものが生れたこともあった。

とりわけ山のクラブは遭難騒ぎなどもしたから関係性は嫌が応にも濃密だった。だから時には言動が相手を傷つけそうな議論もしばしばあった。むしろお互いがそんな議論も辞さないという風があったが、若さゆえの直進、ピュアさだったかもしれない。。わたし個人は社会人になってからも本業のかたわら、いつも何かの地域活動を立ち上げて関わり、時には牽引していたような気がするが、たいていは10年もすると疲れが出てきて、そこに組織のほころびもあって見切りをつけたものだった。ほころびは粘り強くケアする寛容さとやさしさがないと繕うのが難しい。付き合いの濃淡は当然ながら人それぞれで、なかなか、うまく長くはいかないものである。

振り返れば凝りもせずグダグダと色々な世話役をしたが、しかし、さすがに70歳を過ぎる頃から、群れざるを得ない地域活動はもう卒業してもいいかな、という気持ちが強くなった。人生の終焉に近づき「ひとり」が独特の意味を持ち始めたことに加え、「ひとりでいたい」という本音に抗しがたくなってきたのだ。それに、知らず知らずのうちにだんだん、こちらがわがままになったりして周りの人たちに迷惑をかけていないとも限らない。これは人として避けねばならない。

それだけでない。身体があちこち故障しだして周りに合わせて同じスピードで動くことができなくなった。結果、群れ状態から必然的に離脱せざるを得なくなった。心身共に、戦線離脱が余儀なくなったと言える。

高齢になったものの諸々の過度な発言は、老害とも揶揄される。それは、世代交代という美しい言葉で言い換えられると、コトは軟着陸したかに見えるが、世代交代というのは実は意外と難しいものだ。生業や利害、損得が絡む場合は継続は動機になり得るが、ピュアな地域ボラの部分は、創設のモチーフが途切れやすいから一世代で終わっても無理はない。と、これはずっと以前から達観していた。それでも、人間そのものも、人生もともに複雑に絡み合い、だからこそ面白いのだし、そこを楽しめる寛容さがないと務まらない。束ねるなんて、そう見えるだけで内実はバラバラだったが、人と付き合いこそ、実に面白いのだから、それで十分、つかず離れず、結構だと思う。以上、このごろの自省を込めて。

■1/28 星空観察

このところ快晴が続いて星空がきれいだ。数日前は見とれて眠ってしまうところだった。凍死は恥ずかしいからやめてね、と家人は言うが、意外と寒くて目が覚めるから泥酔でもしなければそんな心配はまず要らないものだ。せいぜい風邪をひく程度だ。

この頃は夜8時過ぎには南にオリオン座が現れ冬の大三角形もなるほどと思わせる迫力を感じる。三角形の内部に星がなくて真っ暗であるところが素晴らしい。このような星空を見ているとご褒美のように突然現れるのが流れ星である。昨年は確か15か16、出会った。正直言って、子供のようにうれしい。

嬉しいと言えば朝の日の出前の東の空。うっすらと赤みを帯びた、昨日今日なら6時半前頃からの風景。まだ隣近所から人の気配などしないころだ。雀に餌を播くためにパジャマにダウンジャケットなどを羽織って出るときの、冷気。雀のはしゃぎ。昨朝の朝6時は、南に糸のような三日月が浮かんでいた。あれほど細ければ、お月さんだと気づかない人もいるだろう。2月のフィンランドに行った折、暗い雲が低く垂れこめて病気になりそうだった。「ムンクの叫び」を思い出すほどだった。その点、星空、快晴の朝マズメ、季節を問わず喜びと感謝のこころを引き出す。

■1/26 丸太の盗難とタヌキの共食い

トレイルカメラによるシカのねぐら観察が一段落したと思ったら、小屋の前の丸太が盗難にあった。そこで、バチが当たるからやめなさいよ、と段ボールに当方のメッセージを書いてガンタッカーで取り付けてみた。カメラを、野生動物観察から盗難監視に切り替えた途端、案の定、またやってきて雪の中から掘り上げて残していった丸太を、しっかりと盗っていった。

林に入り込む車はバッチリ動画カメラに収まったのは良かったが、そのあとに入っていた動画は、ベランダ下に出入りしていたタヌキの永眠と、それを食べにきた身近なタヌキによる共食いの姿だった。人間の世界で言えば、身内だろう。いやはや、参った。



勇払原野の定点観測をこの小屋周辺で初めて約半世紀になった。この小さなエリアとは言え、実に色々なドラマを見せてもらった。自然との共生とはこういうことをも含むから、ある時期からこの関係と感覚を悟ってしまい、市街地と自然環境の境界はかなり好ましく思えるようになった、というか、自然への単純な憧れは消えた。本当の自然は、本当に好きな人が行き住めばいい、と。

■1/22 寒中見舞い

楽しみながらひとりずつ顔を思い浮かべて書く寒中見舞いは格別である。恐らくこれで一区切りかと思われる1枚を今日出した。この方からは「これで年賀じまいにする」という年賀が数年前にきたから出さずにいたら、毎年、思いのたけをいっぱい書いて寒中見舞いを下さるのである。気持ちはよくわかる。義務的に追い立てられるのがいやなのだ。年明けに、ゆっくりと義理ではない方々に一筆、と言いつつ一杯書いて出す。こんな後出しの新年のあいさつは、高齢者ならではの楽しみ方ではないだろうか。ひととの関係性など、もうケセラセラ、といういい加減さもいい。 

■1/20 老後の一人住まいをどう生きるか

季節は今日の大寒で折り返すのだろうか。昨日からの暖気で、雪はまたほとんど解けてしまった。ひょっとして一月末までまとまった積雪のない年になるのか。そしてこのまま春に向かうのか?まさかそんなことはない、と思うけど、そう思わせる苫小牧のこのごろ。

正月2日の朝7時過ぎ、うちの台所から3,4mしか離れていない、まさに目の前の独居老人のアパートの換気扇からボヤで真っ黒な煙が出た。やがて窓サッシを外したところからも黒煙が出始め、放水も始まった。その直前、酸素マスクをした消防士に、「歩けないおばあさんが一人で住んでいます!」と大声で教えたら隊員は意を決して飛び込んでいって、おばあさんの悲鳴のような声が聞こえて間もなく、無事運び出された。元旦の夜から朝にかけ隣が焼ける夢を見たから、まさに正夢だったのである。

そんな年明けだったが、「月刊ひらく」を見ると苫小牧の高齢者ひとり世帯は17,910世帯、夫婦世帯は11,479世帯と、なんと独居の方が多いらしい(2022年)。町内で家族の代わりをする人も高齢化したり、行政もそこまではとても手が出ないから、備えがなかったら実に目の前真っ暗の高齢社会になってしまう。ついわが足元を見つめてみるのだった。はたしてうちは本当に大丈夫か、と。

実は先日も、隣町で独居老人のクレーマーにあることが元で理不尽な因縁を付けられ、独居老人のこころに思いを致したばかりだった。行政の支援も拒絶し、キレて孤立する人のようだった。今、わたしたちのコミュニティには、歩けなくなった人、認知症がかった方、難病にかかった方、もろもろ枚挙にいとまがない。人さまざま、上手に老いて死ぬのも楽でない。上でリンクした坂村真民の言葉のようにいかないものか。

■1/18 エゾシカを動画でキャッチ(コモンズを野生と共有)



ライオンは寝ている、という曲があったと思う。その言い回しを借りれば、今回の感知カメラでは「エゾシカは寝ていない」ことがわかった。真夜中にしきりに何か食べている。トレイルカメラは生き生きとした野生を完全に盗撮?していて興味深い。本当に小屋周りをねぐらにしていないのか、まだ結論はだせないが降雪後までもう少し観察したい。YOUTUBE にアップした動画はこちら


■1/16 「ひとり」の哲学

山折哲雄著の本書は現代の精神病理を解き明かすうえでも、示唆的な論考があった。かねてからいくつかの著作で、西洋的自我(西洋流の「個人」)と日本古来の、例えば親鸞や道元の「ひとり」とを比べる論考は興味深かったが、実はよくわからないことが依然として多かった。ただ、夏目漱石や石川啄木の屈折が、この個の認識と把握に由来するというところは、明治期の歴史ものを続けざまに読んでいるせいか、少しわかるような気がしてきた。

また、ハイデッガーやデカルトの唱える「個や自我」と、日本人の「こころ」の間に、やはり、そこはかとない違いがあることに気づいた。拙著のタイトルを『林とこころ』(2004年)とひらがなで決めたことに、ちょっとホッとした。「心」と「こころ」は違うと山折氏は書いていて、簡単に言ってしまうと「こころ」は煩悩系、「心」は観念世界を志向する信ずる中国由来の心ととしている。この辺は日本という歴史と精神を考えるときにとても興味深い。

■1/14 日本の伝統的家族を崩壊させるWGIPの洗脳と浸透、そしてその先にあるもの

これまでも何度か書いてきた、米占領軍GHQ の WGIP (WAR GUILTY INFORMATION PROGRAM)。今や、静かに議論の舞台にのぼっている夫婦別姓法案や、すでに成案となったLGBT法案の、その根っこを探ると、マルクス・レーニンらが描いた「自由と平等」に由来するようだ。既存の秩序という悪しき因習が根源で人々が解放されないから、家族や社会の仕組み、国の在り方を一度壊滅して壊してやり直す、というのが基本原理。そこに向かう力は「造反有理」とした毛沢東の思想に象徴されるように、平等になった人々は国家・党の基ではじめて平等になれる、とした。リベラルな人たちに大いに支持されている。

激しく抵抗した太平洋戦争の日本の、恐るべき戦闘の執念の根は、神国日本という根強い国の見方、儒教に根付いた倫理観、歴史観、先祖崇拝などバックボーンになる精神性があると見た占領軍GHQが、日本がこれらの精神を捨てとことん自虐的となって壊滅するよう仕組んだのがこのWGIPの戦略だった。教育制度も指導者層も官僚大学の要人20万人を切り、憲法まで変えた。

しかしもう遠い話だ、戦後80年だよ、などと思っていたら、GHQの呪縛は効きすぎて今もなお、すべて平等、個人の権利、自由などの声(ポリティカリー・コレクトネス)のもと、LGBT法案が通り、夫婦別姓の問題が取りざたされている今にしっかり繋がっている。これらは家族の在り方に関わっており、つまるところ日本人のこころの根源的な在り方に繋がっている。ここを誤ると、親子のきずななどは分断され、男女夫婦はバラバラになり、結果、コミュニティや社会が不安定に傾きやがて崩壊する…。実はもうかなり進行していたのだ。

結末まで予想はできないが、今の流れはそんな風にとらえられないか。江戸時代まで強固に守られたかに見えた身分制度や家長制度のほか、儒教に支えられたであろう長幼の序など、先祖を敬い目上の人たちの考えを大事にした(押しつぶされそうになりながらもがいた)のは、大戦の執拗な戦闘意識を支えた精神風土として徹底的につぶす、なくすとの考えが先のプルグラムだった。これがしっかりとまだ生きている、と感じられ指摘することができるとは驚きだ。身の周りの色々な事柄と関連させて考えてみたときに、思い当たることがこんなにあるのかと。

日本史上の最も大きな革命的出来事から150年余り、何とも命名しがたい苦悶の時代にいるようだ。そういう実感は強まっている。

■1/12 居残った白鳥



小屋の帰りに厚真の田んぼを見るとハクチョウの群れが畔に沿って並んでいて、一瞬目を疑った。地元の人に聞くと、秋まき小麦の芽を食べているのだという。農家には立派な農業被害だが、風土watcher の当方としては、申訳ないけれどもそれはそれで珍しい正月明けの風景に見えた。居続けるのか、雪が降り積もれば南下するのか。日高山脈のはるか前の丘もまだ雪をかぶっていない。珍しい1月の光景かもしれない。

■1/10 ハスカップ・サンクチュアリ



「明日」という日は「今日」の続きなのに、新年というのはどこか前と違う抱負のようなものを抱かせ、夢も見る。とてもいい時間であり、わたしの場合、抱いた抱負のうちかなりのものは現実のものになっているようだ。というより、実現のハードルが低い出来そうなものを夢の枠に入れ予定に組み込んでいるからだろう。今年は数ある抱負の中に、ハスカップ自生地の扱いがあった。

■1/08 司馬遼太郎著『胡蝶の夢』全5巻を読んで

明治の初めにかけての西洋医学の導入期を、尊王攘夷派と佐幕派の対立、オランダ人など西洋人と日本人の考え方の落差と共感、各藩の制度と人びとの気質、そこに独特の身分制度を絡め、維新前後のあわただしさ、命がけの確執などが目まぐるしく展開した労作だった。その分、時代の感覚というものが大いに感じられたが、270ページものが5巻となればさすがに結構な長さだ。時々、ふと「源氏物語」を思い出しながら読んだ。当然、登場人物の多様、大人数は関係図を思い描かねばついていけないのも「源氏」と同じであった。

それにしても著者の下調べは想像を絶する膨大なものだったろう。全体を通じて顔を出す蘭学(医学、工学、兵学、航海学)の中に、オランダの「市民社会のにおい」を嗅ぎつつ、医学は殿様や藩主など上位の者が独占するものではなく「公」である、という主張は日本人医者にはとてつもないカルチャーショックでなかなか理解できなかった。黒沢監督の「赤ひげ」につながるものだ。

また日本の伝統的な諸技芸が秘伝や「…道」にしたがるのに対し、「世間に公開する」という作法の違いには個人的にすこし納得するところもあった。わたしがフライフィッシングを始めた時、ある人が「どうして日本古来のテンカラ釣りをしないのか」と詰問するように聞いたことがあった。答えは簡単で、古来のテンカラの入門書は当時目につかなかったのに英米のフライフィッシングの教書は、より取り見取り状態だったのである。

司馬さんはあとがきに書いている。「(かれらは)社会という巨大な、容易に動きようもない無名の生命体の上にとまったかすかな胡蝶(蠅でもよい)に過ぎないのではないか」、と。風雲急を告げる時代の先端で蠢いた彼ら、いわば国士が身分制度を越えた農民上りが多かったようだ。そんなかれらが胡蝶なら、現代の市井の市民などどう表現すればいいのだろう。やはり容易に踏みつぶされて命を絶える昆虫だろうか。

■1/06 自分でやる楽しみ、その背後にある「減速生活」気分

「米国やカナダでは D I Y が普通で家だって自分で建てるんだ」と聞いて驚いたことがあった。現在では隆盛を誇るホームセンター産業ができ始めるころだから、もう半世紀も前の、日本上陸したばかりの新トレンドだったのではないだろうか。その前後、丸太小屋づくりがブームになって、わたしもログビルダーの講習を受けてダグラスファーの丸太小屋を数人で建てたことがある。当時はアウトドアの男の夢は丸太小屋だった。さらに小さなカラマツバス停も作って今も残っているが、その時はほとんど、ひとりだった。仕事との両立が難しくみんな去ったのだ。そのログビルの前後にチェンソーワークを覚えたので、その後の林の保育に必要な樹木の伐採技術に割とスムーズに入ることができた。

リタイヤした後、このなんでも自分でやる、という習慣が割とスムーズに抵抗がなくなったが、心の動きをたどって気づいたのは、D I Y の世界が「減速生活」、英語でいうダウンシフターの生き方、と表現するとしっくりいくことだ。庭仕事、畑仕事、そして山仕事はそれに通ずるものがある。時間に追われない、マイペースでできる、そしてかつてと大違いなのは YOU TUBE というかなり多種多様のハウツー動画があってハウツーを自分で習得できることだ。料理は素材を入力すると付き合いきれないくらいのレシピが出てくる。下手したら、自分の体の不調など、医者に聞くよりネットであたりを付ける方がしっくりいく、ということもあるくらいだ。

身近なことでは、年末にはカタログの取説を見ながらお風呂のバスタブ脇のエプロンを外して、大量の水アカ落としをした。また、昨日今日は読書の合間に、アルミのブラインドのコードが切れそうになったのを修理しようと試みており、現在、WEB で部品や交換方法を調べているところだ。生活に必要なたいがいを自分でやる、あるいは周りの手伝いを得てやる、というのは今の貨幣経済やサービスの仕組みを古い方へ引き戻す感じだが、そこに助け合いやコミュニティ存続のオーソドックスな知恵が潜んでいるように思う。

■1/03 庶民感覚

年賀状じまいの賀状が増える一方で、一筆書きのメッセージが入れ込まれた賀状の割合が増えた。その中にK先輩の「専門家より庶民感覚の方が正しいのではないでしょうか」という一文を発見。これは慶事である。丁度、自然や環境認識の点でそんなことを考えていて、雑木林だより129のリードに書いたばかりだった。自然や環境を根拠の不確かな数値やバイアスでとらえるのではなく、勘あるいは感性でとらえるのもあながち間違っていない。松岡正剛がいう「花鳥風月」というアンテナで掴むのだ。

それに加え、ドクターたちの診断とは裏腹に、体の不具合が知らぬ間に改善している部位と症状がある。これは不遜なことだが、本当の医者、あるいはケアマネージャーは自分しかいないという思いもあながち間違っていないような気がする。かと思えば、先般の大腸憩室炎診断の若い女医さんは、血液検査の数値とわたしの既往症の情報をもとに実に明快な養生の処方箋を出してくれた。まったく久々の納得。そんなこともある。

■2025/01/01
太平洋からの初日の出、献上  明けましておめでとうございます。”



朝、6時40分、まずめ時に目を覚ますと天窓から見える上空は意外にも晴れていた。これはひょっとして行けるかもしれない…。パジャマ姿にダウンコートだけ羽織ってまず車の雪を撥ねて、南へ1km余りの有明海岸へ。そこは、市民が海岸の堤防で列をなして並んでいた。かつて見たこともない光景であり、人びとはこれほど新しい年に希望を託すのかと、少しジンと来てしまった。国内も世界の情勢も、混迷と戦乱に悩む時代は過去にもあったにせよ、世界中が近年ほどうれしくない情報を共有したことはなかっただろう。「今年こそ争いのないいい年にしよう」、年はじめに初日の出を見ながら自然と誓いを立てた人も多いのではないか。 





2024年、日々の迷想
2023年、・・・・
2022年、・・・・・