ていねいに綴ることは磨くことと覚えたり

NO.130

2025/04/02

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雑木林&庭づくり研究室 home

苫東コモンズ 地域活動15年の歩みとこれから


生活ヨガの師と仰ぐ故・沖正弘氏は、どんな仕事であれ「儲けられないビジネスマンは罪だ」と極論していた。その極論を野球選手や営業マンなどにも当てはめ、いかに生きるのか、工夫と努力の心を燃え立たせ啓発した。

当方に当てはめれば、晴林雨読という趣味人のような生活とはいえ、原野や雑木林という風土と向き合って何も付加価値を生まないわけにはいかない。そこで、林の大きな付加価値とはなにか。試みとしてではあったが、林を美しくすること、そして向き合った風土とそれに反応する己の感性をどう表現すれば多くの人と共感できるか、も個人的には大きな命題であった。試みも2,30年続ければ自信もついてくる。

今になって思えば、このような雑木林と山仕事の気づきを、ていねいに書くこと綴ることは読んでもらうことが必ずしも最大のねらいではなく、自分を磨いていくこと、修行に他ならないということに収斂しつつある。これは成長の証であろうと思う。



年寄二人で山仕事

2025/04/02 wed くもり 7℃ 室内2℃→24℃

■ポータブルウインチで根がえり木処理



 

2年越しの根がえり木(直径30cm)を、ポータブルウインチと年寄メンバーwada さんの応援のもとで無事処理を終えた。右下のように根がえりして、かつ掛かり木になってしまったものは、大風でも倒れなかったくらいに、枝の絡みが強固になっていることが予想される。そのうえに、テンションが上に働いているのか、下なのかを見誤ってチェンソーを挟まれたことが何度かあったので実は侮れない。

わたしが切った1本目は、案の定上に動いたので、もし掛かり木処理でよく使う「受け口切り」と「アンダーカット」をやっていたのではソーチェーンがはさまれていただろう。wada さんの2本目はしつこい掛かり木でウインチの位置を3回移動し引く方向を変えながら、最後は掛かったナラとアズキナシの2本にも切れ目を入れてようやくの伐倒だった。

■道具と扱い

 

kawai パパのポータブルウインチを借りた。そして2,3反省が残った。

ひとつは滑車が装備されていなかったのでマーベルプラロックのものを使ったが、1本目を終えた時点でフックが伸びていた。伸びきって外れていたら大変だったが、クランクには入らないように作業している間になんとか推移した。表示されていた250kgは限界強度だろうと思われるが、プラロックで使うならこれでよかったがウインチでは不可である。1トン以上の滑車にすべきである。

もう一つはロープ。このウインチはロープをねじるのでキンクが起きやすいが、気づかないうちにキンク状態のまま牽引してしまったのか左のように切れ始めてしまった。また、根元に結ぶ際に1本目は「もやい結び」で終了時に簡単にほどいたが、2本目は別の方法を用いてしまったところ、結びめの熱で、右のようにこれも部分破断した。ロープ扱いはしかるべき仕様に従うべし、とふたりで反省した。

高齢者二人の山仕事は、お互いに注意を促しながらの対応で歓談しながらの一日だった。いつもひとりの山仕事だが、久々だった小屋の昼ご飯も含め楽しいひと時であった。




山仕事の喜び

2025/04/05 SAT 晴れ 12℃ 室内2℃→10℃

4/2の作業跡。ほぼきれいになっていたのがまたあらたに仕事ができてしまったようだ。

しかし、作業というのは少しずつやっていれば、いつか必ず終わる。


なんとか、残すところわずかとなった。午後2時、心地よい疲労感と、心のどこかに山仕事ができる喜びを感じている。木こり、病気知らずというらしいが、わたしのようなヘッポコのにわか山子でも、この里山の数時間で元気の素の「氣」が充実するように感じる。



小屋周りのガーデニング。里山というのは時間をかければこんな風景になる。理想とする空間、風景を創っていくというのは人生の喜びでなくてなんであろう




次の日のために仕事を残す

2025/04/09 wed 晴れ時々曇り 12℃



もう小屋で薪を焚くのがためらわれる。室温は10℃近い。林床にはようやく満開のナニワズの花が見えるようになった。が、まだ匂うほどではない。



先日来、根返りのナラの処理に付き合っているがそれもどうやら昼過ぎに終わった。乱雑に丸太がごろごろしているのは、巻き込まれた掛かり木が数本あったからで、折り重なったそれらを片づけると、自然にそうなった。

この林分は森林調査簿によるとわたしが生れた昭和26年に発生(つまり皆伐)したことになっている。同い年ということになるが、試しに根がえり木の一本の年輪を数えてみると70までは容易にみつかった。あと数年は芯の部分でよく見えなかったが、およそ満73歳という年齢は当たっていそうだ。



落葉は絨毯だ。地面にこのまま座っても汚れるわけでもなく、遠目で見れば茶色の芝のようにモノトーンである。寝転がっても寝そべってもいいくらいで、このうえで静かに目をつむるのもよい。土地との一体感は格別である。

10時にチェンソーを使い始めて、小屋に戻ったのが14時だった。昼を食べないから小休止以外はずっと動いていた格好だから、この歳ではやはり疲れが出てくる。やることはまだまだあるが、切りがない…、と考えが及んだところで、そうだ、里山的な山仕事はつねに「やり遂げないで次回に回す」というのが励みであり、つなぎであり、山仕事を連続させるコツだと知った。なんと、頭の中に作業暦ができているのである。

この冬は、丸太の盗難にあい結局2シーズン分の薪を用意することとなったが、玉切りはこれで完了だ。4/18 に軽トラックを借りてヤードに搬出する。念のために、枝の中にカムフラージュして防犯カメラをセットした。





座って探鳥

2025/04/12 sat くもり 16℃

■自然海岸の視覚的癒しの効用



自家製の生物暦(hpの雑木林だよりなど)によればこのころに川エビが採れ始め、昨年は葉っぱの小さい食べごろの浜ボーフーを食した、とある。そんな訳で、まずはボーフー、山仕事を前にして早めに家を出て、弁天浜と浜厚真の浜を歩いてみた。弁天浜であった若いアングラーは今年のサクラマスは遅いようだと語り、この朝は40cmのウグイがヒットしただけだったと話した。

一方、浜厚真は、サーファーで人だかりがしていた。歩きにくい砂山を歩いてみたものの、葉っぱの小さい顔を出したばかりの食べごろボーフーは見つからなかった。

風土は山、森、原野、田んぼや畑、そして海と海岸のあたりで濃厚に匂ってくる。特に自然海岸の風景と空気は、人びとの悩みなんて忘れなさい、と呼びかけるように寛大だ。だからかそんな理由を言いつつ時々海に行くという人は必ずいるし、事実、コンスタントに人をみる。山、森、海、そして星空。これらは、人間が森羅万象、風土の中で生かされていることを思い出させる偉大な世界だ。

 

ちなみに昨日は初物のふきのとうを採ってフキ味噌を作った。すこし甘めにしたので晩酌のアテにし今朝はご飯に載せていただいた。いよいよ山菜シーズン開幕である。

また、ふきのとうを採る前にスーパーの魚のコーナーに小さなイワシを見つけたので、最近、肉を受け付けなくなった自分用に198円で購入し煮つけた。さすがに脂はのっていないけれども、山海の味がセットされたような気になった。

■鳥の声聞く



家の周りでも鳥の種類が少し変わって来た。もう探鳥の季節である。鳥の声を聴くには欠かせない補聴器を今朝は家から装着して海岸から林に向かった。補聴器を付けると海では風がなり、林ではいつもは聞き逃す小鳥の超高音が聞き取れる。これは昨年の探鳥会で気づいた。遠くの小さな鳥の声も波が押し寄せるが如く無限のように聞こえるのである。

ところで小屋のテラスは、座ったままで探鳥会ができる。

かつてオオタカやクマゲラの写真もここに座って撮れた。小鳥たちも実にテラスの周りに向こうから飛んでくるのである。鳥たちはここに人間がいることなどまったく気にしていない。

探鳥と言えば、近年は持ち歩く人もいなくなった、大きく重いニコンの双眼鏡(上の写真)の出番だ。この双眼鏡は昭和50年代、赴任して数年後に苫小牧で野鳥の会に入り、雑誌「野鳥」を購読しながら探鳥にいそしんだ頃のものだ。中学生の時に、野鳥の会の創始者・中西悟堂の『定本・野鳥記』を全巻読んで、鳥の世界に目覚めたのだった。

今朝、もっとも大きな声で存在を示していたのはゴジュウカラ。あの小さな体で不釣り合いなほど大きな声でさえずる。アカゲラやクマゲラの声より鋭く大きく感じた。今朝のシジュウカラなどはゴジュウカラに比べたらかなり大人しいものだった。

ところで海岸から小屋に移動する途中、メスジカと小ジカ20頭くらいの群とすれ違った。いつもこのあたりにシカの群れがたむろするから、シカたちは人間や車を完全に無視するものだが、今日は20m程の近距離を通過した時に、シカたちはみな、当方の車を怪訝そうに凝視した。どうしたのだろう。

おそらく、DEAR WARNING という高周波を発するシカ除け装置をつけているからだろう。速度による風で、自然界にはない高周波の音を出す小さな装置で、シカたちは何だろうと一瞬立ち止まるんだ、と購入時に店の人に聞いた。たしかにこれを装着してから、シカとの衝突は免れている。

■丸太づくりの本当の終わり

海岸と川エビの間に、最後の丸太整理をした。予想が甘くたっぷり3時間半かかった。頭の中で来週末の搬出の段取りをし、軽トラで侵入するアクセス路に目見当をつける。この量をひとりで大丈夫か、若干不安もあるが、家人も少しは気になっているようで「ヒグマの見張りにつきあってあげようか?」とは言ったが、力仕事を手伝うとはついに口にしなかった。




丸太を運び出す、初日3往復

2025/04/18 fri 晴れのち曇り、のち小雨



2026年秋から使う薪材の除間伐は、昨年の11月から着手し12月で終えたが、年明けにすべての丸太が盗難にあった。このため2月末頃からもう一度除間伐をしてようやく今日、遠浅の薪ヤードへ搬出の運びとなった。

借りた軽トラを傷めないよう、ゆっくり林内のフットパスを移動し、朝9時に乗って午後3時に終わった。ゆっくり慎重に丸太をトングで運び、万歩計は6.9kmを示していた。3往復しかできなかったが、わたしの体力的には丁度良かった。ただ、あと5往復は必要だろう。次回はもっと早めに出て、1日で終わらせたい。林内に散在する丸太は事前にフットパスそばに運びよせておこう。今シーズンの薪ライフもまだ先が長い。近頃はこの薪の自賄いを80歳までやろうと公言し自らに言い聞かせてきたが、はたしてそんなことができるだろうか、ちょっと不安になる。



林を出ると正面に日高連峰がそびえていた。画面中央に見える2本の線は、この日高の雪を集めて発電された水力による電気の送電線だ。若いころ北海道電力のアルバイトでポロシリ岳のそばの沢で流されそうになったことや、日高側から源頭を詰めてカールにいたったこと、Oさん、Sさんという先輩と3人で残雪のポロシリに出かけたことなどが、もろもろ思い出される。ポロシリは日高の想い出の礎。