径から風景、風土に出会う

NO.129

20254/01/03

雑木林だより トップ

雑木林&庭づくり研究室 home

NPO苫東コモンズ トップ


いつの間にか世界はあまり現実感のない世界に迷い込んだかの観がある。ゼロ-カーボンなど架空の炭素排出量の取引をクレジットで行うのも現実となってずいぶん経った。まるでマネーゲームの経済ではないか。そして、どこか絵空事の世界に入っていないか。GX、電気自動車EVなどのトレンドも、方やではほころびや誤認が指摘されるなか、世論も人も大音量の声に流されたままだ。

加えて、そもそもどうも怪しくないか、と庶民は感覚で根っこのところから疑っている。国連以下、国から大学、地方の自治体、企業まで、出遅れは敗者だとばかり右習えの統制で進んでいて、ここ苫小牧も企業が先行して自治体も施策の中にゼロカーボンを位置づけている。一旦動き始めた世間の底流はもう簡単には止まらない。一方、庶民はと言えば、やはりほとんど関係性を感じていないようだ。

庶民はリアリティとして、地球温暖化について気象変化や魚類、植生の変化を感じ取り身をもって体験しているものの、因果関係についてはなお注意深く見ている。

地球温暖化問題のスタート時、英米の科学者が「温暖化していることにしよう」とメールで密約をしたことが暴露されたクライメート・ゲート事件も知っていて、その後しばらくして道庁などによる市民道民に向けた活発な啓蒙活動も、まるで嘘のようにしりすぼみになったのではなかったか。

浅学にして真偽のほどはますますわからないままだが、個人としては眼前に展開する日常生活、風景、天気、植生、食料など身近な中に答えを見つけていこうと思う。幸い、人生の後半にあって、歩いたり車を操作したりが注意しながらであれば可能な状態になったから、恵みの白秋期をいわば慣らし運転でどうにか暮らしていける。

雑木林やコモンズ的里山が比較的身近にあるのは実に幸運だった。今年も地元勇払原野や各地の風土を感じながら、できるだけ歩こうと思う。そして花鳥風月に向けて感性を満開にし晴林雨読生活を深めていく中、無理せず雑木林を修景し、出てきた材をコツコツ薪にして暖を採る、0.5馬力の「もったいない」生活を続けようと思う。






体幹を鍛えて歩く

2025/1/3 FRI 晴れ 朝−11℃

■体調は変えられる



実に、体調は変わるし、変えられる…。これは今、うれしい実感だ。

主な不具合を列挙してみると、まず20年近く前に始まった座骨神経痛と臀筋の痛みは、いつの間に影をひそめている。長年の札幌通勤時の朝、痛みで起き上がれない日もあったのに、である。ヨガ・アサナ(ストレッチ)のやりすぎで股関節が開き、その後、若い時からの酷使と頑張り過ぎた山仕事がたたった。股関節痛で跛行する日が続き悪化し、人工股関節手術をしたのが3年前だった。このごろは少しずつ改善し、「軽く走ってみるかな」という気になる時がままある。それにwalking-pole 2本を持って歩けば数kmは嫌でなくなってきつつある。

また、5年程前からは不整脈がでてちょっとしたことで動悸と息切れがひどくなった。病院の検査結果では要観察状態となったが、どうなることかと毎朝の血圧測定はすこし暗い気分にさせた。が、先月の中頃から徐脈状態で心拍数が40台にダウンし不整脈と息切れがなくなりつつある。どうしたことだ、なんとも不思議だ。

しかし、山仕事で枝に躓くのはもちろん、簡単な段差でも転びそうになるのは同年代の友人知人が嘆くのと同じか、それよりだいぶ悪い。脚立仕事はバランスを崩し落ちそうになる。

個人的な思い込みかもしれないがこれは体幹が機能減退し、弱っているのではないか、と診断している。股関節をかばってきたここ10年、恐ろしく体力やバランス感覚は落ちてしまったのだった。これはジムに通ってでもなんとかリカバーしたい。

しかし、表題のような気付き、「体調は変えられる」「自然と変わる」、まさに人の体はホメオスタシス・恒常性をもって自ら治ろうとするのではないか、とさえ思えるのである。地球と同じく、人の体にも自然がシステム化されているとすれば、それはほぼ「神」の世界だ。

重いチェンソーを持ち、かつ軽くない安全ズボン、重くて歩きにくい安全靴(上の写真)を履いてわざわざ不自由な状態にしてでも安全を優先し、コツコツ、愚直に注意深く動けば、後期高齢者の山仕事も薪自賄いも十分可能なような気がする。この田舎臭い手仕事こそSDG’sだと言えそうで、農夫らもそんな川柳でSDG’sを皮肉って話題になったほどだ。

年寄らしい半日仕事で晴林雨読生活の実践。この感覚を得られるようになったことが新年のうれしい実感である。以上、ご同輩にnever-giveup の応援メッセージのつもりで書いた。自分宛てとは言え、勝手な不具合自慢をお許し願いたい。



ハスカップ自生地の行方

2025/01/09 thu 晴れ 2℃

■ハスカップの昨今

新年を迎えてから、今年の抱負のようなことをいくつか考えてみた。

その一つは、NPO苫東コモンズがハスカップ・サンクチュアリと名付けて調査したハスカップ自生地の扱いについてである。そもそも苫東コモンズというNPOを立ち上げたのも、ハスカップ自生地と勇払原野の雑木林が、慣習としてであるけれども、まるでコモンズのように地域の自然史を彩っていたからで、これは地域文化の一つかもしれないと考え、疑心暗鬼の中で推し進めたものだった。

以下、今の現状とこれからの方向をメモしておこうと思う。



流行りすたりの波があるハスカップ。昨今は、ヒグマの心配もあってか下火のころかもしれない。自生地を訪れる人は極めて少ない感じだ。

長い間、勇払原野の夏の風物詩といわれ、いすゞ自動車がハスカップ自生地の北半分に立地を決めるころ、開発主体の苫東は環境庁指定の貴重植物「クロミノウグイスカグラ」の生息エリアと実数を調査した。開発行為の時点ではこれを受けてミチゲーションとして数万本を基地内に移植し、残りは道内各地に無償で現地分譲したのだった。それが時の減反政策と共鳴して全道各地で特産物になっていったのである。



こうして分散したハスカップだったが、もともとの自生地は勇払原野だから、当時は「里子に出した」と表現された。だが、苫東そのものは栽培の適地では必ずしもなかった。というより、霧が多いここは、糖度が高まらず大粒にもならなかったのである。一方、自生地では上の写真のように老木が枯れ始め、樹林地化が始まって日陰となり徒長し始めてもいた。わたしはこれを結構深刻に受け止めた。

この自生地が、いすゞ南の湿地の三角地帯に今現在辛うじて残されていて、今や国内唯一の広大な自生地と目されている。苫小牧の農地開発、宅地開発、工業開発の波に押され、ここに凝縮されることになったわけである。そして河川用地として用途が変わり確定することになったから、やっと永久の安住の地を得たということになった。



さて、その野生の原野はどうか。

勇払川沿いから見たハスカップが自生する現地は、この上の写真のように眺められる。東には日高連峰の主峰ポロシリ岳が見える。原野は、地下水や野生生物調査に入る人以外、分け入る人はいない。ハスカップ摘みの市民も、さびしいぬかるみの湿原にわざわざアプローチしない。湿原の核心部はほとんど人を寄せ付けないのだ。



わたしは一介の市民としては稀なくらいにここに行く関心と用事があって、10年近く前もスマホのGPSが示す位置をひとり歩いていた。野生生物の影が漂う、勇払原野の湿原の核心部の素顔が見えるエリアで、実にうら寂しいところだ。開拓の悲惨さも連想を誘う。もし北海道開拓の原風景を味わいたい方には、是非おススメしたい場所である。

■北海道遺産「的」な扱いを探して


自生地のハスカップ、酸味があり甘みは少ない


平成31年、今から5,6年前にNPO苫東コモンズが発刊した『ハスカップとわたし』の最終ページには、その頃取り組んでいた「ハスカップを核にしたまちづくり」をハスカップ・イニシアチブと称して提案し、シンボル的な最終目標の一つに、ハスカップ自生地を北海道遺産「的」なものに格上げしよう、と書いた。あくまで「的」である。

というのも、ハスカップに関係する人たちは、行政、農協、栽培者、土地所有者、自然保護関係者、植生と生態学などの研究者、河川の治水関係者など多岐に及ぶが、当然という言えば当然ながら、国内唯一の自生地に正面から向き合う主体は見えてこないのだった。

根元直径5cmもある記念すべきハスカップの老木も数本現存するここを、なんとか旗揚げしてマーキングし、保全の意味をもっと明示したい、というのも実はこの現状を受けた出版のねらいの一つだったのである。


厚真町の栽培地のハスカップ、大粒で比較的甘く、たわわ

いろいろ調べてみると、北海道遺産は地域が誇る一つのブランドのように選考され、それを活動として盛り立てる組織が計画と実績を道に報告するような仕組みで成り立っている。もしそんな理解が正しければ、この点でハスカップ自生地の扱いは北海道遺産といささか相いれないような気がしていた。

その後、厚真町では栽培品種ハスカップを北海道遺産に申請する動きがあったので、そちらの行方も興味がもたれたが、まだ北海道遺産として認定はされていないようである。

ちなみに工業都市として高い経済実績を誇る苫小牧という行政機関は、農産物としても地域資源としてもハスカップについて特に積極的な関心を示しているようには見えない。工業、製造業という産業の柱が健在だから当然かもしれない。観光に対してもそうだが、この辺は道内各地で目玉産業に四苦八苦する自治体とは、根本的に事情が違うのだ。

そんな背景もあり、地域の経済活動、換言すれば地域開発の曲折を経てここに残されたハスカップを、歴史遺産的、地域のシンボル的、風物詩的、ふるさと意識醸成的な、なにものかでスポットライトを当てておきたい、というのが一市民としてのわたしの継続した心境だ。

が、これは時代の雰囲気が決めるだろうという覚めた見方も自らにあって、きっとそれが正解だろうと思う。ただ、今年のNPOの活動計画の中に、こんな一項を将来に向けた取り組みとして盛り込んでおきたいと思う。

もし新たな保全主体(NPOの内外に拘わらず)がいれば(恐らくわたしの次の世代)話はぐんと進めやすいだろうと考えるからである。これには期待したいところだ。ハスカップは関心も関係者も、そして愛好者もまるまる世代交代の時期にあり、特にそもそもの「関心」をどう引き継げるか、そこがカギになるかもしれない。




トレイルカメラ設置へ

2025/01/11 sat  晴れ 2℃ 中-6℃→12℃

■ねぐらは移動してまた新たに



いよいよ野生生物を24時間感知する「トレイルカメラ」を設置する。機種は KJK201 。小屋の周りには、写真のようにあちこちに落葉荒らしの光景がみられ、やはりねぐらに使ったような形跡もある。ひょっとしてシカの体温で雪が解けたのではないか、と思える痕跡も見える。



いざ取り付けようと最後のセットアップをしてみたのだが、どうもうまくいかない。自宅で簡単に下見してこれならいける、と算段したのだが、いざ撮影開始のセットをしようにも、簡単な取説では実はよくわからないのである。試行錯誤を繰り返し、模擬撮影をしたのを画像で確認しようとしても出ない。

仕方がない。一旦持ち帰り、WEB で詳細なマニュアル動画を見てもう一度セットアップしようとあいなった。(翌朝、手はず通り操作をし直して、ようやく始動ができるようになった)

予定がちょっとずれてしまったので、雪に埋もれたフットパスをたどってみる。理想的な空いた密度の雑木林にするためには、まだまだ随分と抜いておくべき立木がある。上の写真右も、今年手が付けられなかった傾斜木で懸かり木になっているものだ。春までに、ポータブルウインチで引っ張れればいいのだが、その牽引の方向について、雪の中でシミュレーションした。

■「厚真森林結びの会」のSさん、育林コンペの作業に



小屋のベランダでこのトレイルカメラの操作に苦戦している時に、Sさんが軽トラでやって来た。これから育林コンペに行くという。

しばらくして午後からわたしもこのエリアに行ってみた。札幌ウッディーズと向かい合う角地で、抜き切りをしているところだった。かなり細いものまで利用し、枝は細かく裁断して林床に戻す予定だという。

ちょうど、近くで長年農業をしていたというYさんが「久々だ~」、とSさんのところに立ち寄っていて、地域の古い話しなど聞く。今年はジュンサイを採ろうと思うと話をしたら、沼の水が停滞して採れなくなったようだと聞いたという。わたしは昨年、ネオプレーンの胴長で平木沼に入って採ったからあるにはある、と応対した。あとは船だが、これは何とかなりそうな気配になって来た。



動物を感知するカメラを設置

2025/01/15 wed 晴れ 2℃ 中-6℃→12℃

■野生動物感知の愉しみ



取り扱いの動画で再確認してセットアップができた。さっそく昼前には林の手ごろなところに取りつけた。附属品の取付用ベルトが見当たらないので、6mmのザイルとスズランテープで間に合わせた。



上左の画像はカメラの向いている方向で、雪のない落ち葉のヤードは、やはりシカが寝ていた形跡と糞がある。うまくいけば、ここに集うエゾシカの群れが収録されるはずだがどうなるか。1/18 の土曜日、回収して小屋でノートパソコンで再現してみたい。

小屋の周りは薪を焚いた匂いが漂っていて気持ちがいい。小屋には古い薪がまだずいぶん残っているので、一度使い切るまで補充しないでおこうと思う。盗まれていないのが助かる。

■ささみちフットパスを歩く



幸い、ほとんど雪がないのでフットパスはスノーシューなどなくてもツボ足でまだ十分歩ける。林はその後枯れ木を中心に倒木が増えた。小屋までの林道には今にも倒れそうな危険木が数本目につく。これらはこの冬に林道に倒れるだろうから、片づけるのはそれからにしようと思う。



昼ころ、ささみちフットパスを時計回りに一周にでかけうっすらと汗ばんできたので途中でダウンパーカーをザックにしまった。小屋にはもう一つ別のダウンが掛けてある(上)。山に登っている頃に買った中国製のアルバータであるが、こちらに常備しているダウンは小屋で読書する際に欠かせない。背中のログから冷気がきて寒いのである。着いたときはマイナス6℃、2時間ほど薪を焚いてもプラス12℃、これでも外から戻ればうれしいほど温かさを感じる。そういえば、クラブが管理していたパラダイス・ヒュッテも奥手稲の山の家も、通常は決して温かくはなく10数度で満足していたように思う。

ところで、この小屋での読書は実に興味深い。非日常の空間だから、どこかへの帰属性が飛んでしまい集中できるのである。家族とも、仕事からも組織からも、下手したら世間からも隔絶した世界で、文字と観念を追う。正真正銘の「ひとり」感覚であろう。だから冥想にはとても向いている。今日は、中野孝次著『うちなる山々』を開く。




小屋のそばで「エゾシカは寝ていない」?!

2025/01/18 SAT 晴れ 外2℃ 中-12℃→+12℃

■さっそくカメラをパソコンにつないでみると…



持参したノートパソコンにつないでみると、いくつかのシーンが記録されていたが、予想していた群れで寝場所に使っている動画は得られなかった。ただ、しきりに何かを食べている。林床にあったのは小さなササがポツポツとフッキソウ。しかし、食痕のようなものは見えない。

アップしたYOU TUBE はこちら。→ https://youtu.be/zBP0kKaoMvs

気を取り直して再セットする傍らで、ちいさな痩せたタヌキが日向ぼっこしていた。皮膚病にやられているので、なんだか同じ空気を吸いたくない感じで、小屋へは遠巻きに出入りした。

フットパスからカラマツ林へ林を塗っていると、動物の頭部か腰の骨のようなものに出くわした。

 

ほんの小さなこのエリアに野生生物が種々生息していてつながっていることを実感する。ここは産業用地の一画を占める計画緑地だが、環境は完全に野生と共有状態にあることをだいぶ前に気づかされた。近年は緑地のコモンズ利用が、ヒトだけでない他の生き物と一緒だという事実が次々と押し寄せてくる。

クマゲラの声は今日もしていたし、変わったものでは昼前にけたたましいハクチョウの鳴き声がして上空を通過したことがわかった。秋まき小麦の芽などを食しているあの群れかもしれない。また車で往復する途中では、渡って来たワシタカの飛来が面白い。植物が育ちにくし湿原の多い勇払原野は、気象や土壌が厳しい分だけ、野性味が濃い。だからこそ残された土地だった。地勢のめぐりあわせというものか。

■ココナツの香りを発するのはハリギリだった

動画の確認とカメラの再セットを済ませてから、林道沿いで今にも倒れそうな枯れ木3本をチェンソー担いで出向き片づけた(下左)。いずれも上部は粉々に砕けたが、まとまって落ちて来れば怪我をする重さだ。



一方、小屋の焚き付けが少なくなっていたので小屋前の林で小枝を拾いキンドリングクラッカーで小割りをつくり補充した。小割利用の材は年末に伐倒したハリギリの枯損木。持参した鉄のクサビで割っていたら、なんと、ココナッツの香りが漂ってきた。自宅玄関に積んだ薪から匂っていた正体不明のココナッツの香りというのは、このハリギリが発生元だったことがわかった。




シカ感知、転じて盗難監視カメラへ

2025/01/22 wed くもり ベランダ8℃ 中マイナス2℃→12℃

■シカ用のカメラを防犯に



シカ感知カメラのチェック2回目。カメラのファイルを開いてみると、19日深夜を中心に4、5頭の採食活動が確認されたが、やはり寝床にはなっていない。どうやら、隣のカラマツ林で見られたような、積雪の上での集団寝床状態というのはここでは見られないようだ。次回は、カラマツ林にセットしようかと思う。

と、カメラを持参して小屋に戻る際に、太目のタイヤの跡と、この春に搬出して薪にする丸太がなくなっていることに気づいた。林道のそばも確認すると、ここも4,5本分の玉切り丸太がなくなっている。車を入れて、ご丁寧にソリで集め運んでいるのがわかる。タイヤとソリの跡から今朝か昨夜のことかと想像された。



一般論としては里山ではありがちな忌まわしい盗難ではある。そして現場には車の荷台が満杯になったのか、雪の中から掘り起こしたままの丸太がまだ丸々1本分残されている。これはもう一度やってきて残りも横取りするつもりだろうか。

無駄とは知りながら、丸太ドロボーに3つのメッセージを段ボールに書きなぐり、ナラの木にガンタッカーでうちつけた。改悛は無理かもしれないが横取りを思い直してくれるような、キャッチはないか…。現場で思案したものの単刀直入で、かつやさしい、生ぬるいものにしかならなかった。言い訳すれば、なにせ、無人だから小屋の窓ガラスを割られて侵入されたり、放火などされたらたいへんだから、そこは慎重に対応しなくてはならないのである。腹いせ、報復のバンダリズムだ。

思案の末、決め手の文句は「バチがあたりますヨ」だ。日本古来の、ひょっとしたら日本人なら神代の時代から使われたであろう文化的メッセージだ。

シカ感知という野生動物の謎を知るために個人的に用意したカメラを、防犯感知に使うことになるとはうかつにも思っていなかった。実はこれで3回目だから、さらに自衛策を講じなくてはならないが、「玉切り、即、搬出」という当たり前の対策が簡単で最強ということは変わらない。横取りされるのはくやしい。が、まあ、必要経費的な犠牲だ、と太っ腹に構えている。




タヌキの共食い

2025/01/25 晴れ

■里山らしい出来事、「丸太の盗難」と「タヌキの共食い」

丸太の盗難を発見した際、雪の中から掘り出した丸太の残りを、この犯人はきっともう一度盗りに来るだろうとみていたら、監視カメラは 1/24 am10:42 にしっかりと侵入する黒いX-TRAIL を動画撮影していた。打ち込んだメッセージもしっかりと読んでの行為である。

誰でもアクセスしやすい、実に里山にありがちな犯罪行為だ。きれいな雑木林というのは、軽トラックなら楽に入り込める木立の間隔だから、林道沿いならさらに入りやすい。その盲点を突かれた。



里山らしいもう一つの出来事は、タヌキである。皮膚病にかかった小さなタヌキが先日、小屋のベランダ下で日向ぼっこしていたが、1/22 にセットしたベランダ下のカメラは、このタヌキが息を引き取る頃合いの動作と、やがてそれを食べに来た別のタヌキを映していた。

余りに里山らしく、そしていかにもありそうな冬の食物連関だ。おごそかに野生生物の世界をのぞいた気分だ。





生物多様性地域戦略策定の委員会を終えて

2025/01/31 fri 晴れ 4℃

■計画の盲点と修正

2021年から生物多様性に関する市の委員会に関係していて、おとといの1/29 地域戦略策定員会の2023年から通算6回目が開催され終了した。委員会の名前が多少異なり構成委員も違ったが、地域の生物多様性を議論する点では一貫したテーマだった。足掛け5年にわたる。

わたしは苫東環境コモンズの立場で、「苫東」「ハスカップ」「雑木林」「環境NPO」を中心に意見を述べたが、ハスカップと雑木林については、市の立ち位置が明確でなかったために少し詳しく考えを説明した。特に広葉樹二次林と雑木林については、約800字のコラム執筆を依頼されたので、『これからは誇りをもって雑木林と呼ぼう~広葉樹二次林の背景と未来~』というタイトルで要点を寄稿した。


最初の候補画像はこれだったが、勇払原野とは言え遠浅だったので取りやめ、

最終的に静川のこれに変更。

ハスカップも割とそうであるが、苫小牧では行政も雑木林についてほとんど関心はなさそうでほぼノーマーク状態に見える。実際、確たる呼称も与えられておらず、カジノの絡むIR計画の対象地になったり、ヒグマのコリドーとして云々された場合に、慌てるようにして存在を明らかにする程度だった。薪炭を採った後の、蔑まれた萌芽のゾーキヤマや原野として、恐らく二束三文で取引された名残があることと、ほとんどが民有地であったことが背景にあるのだろう。

そこにニドムの別荘風コテージ群が建てられ美しい雑木林の中に整然と現れた頃から、少しずつ見直されてきた。わたしはだいぶ前から、苫小牧で広葉樹二次林のポテンシャルを正当に評価して修景してきたのは、「ニドムとコモンズだ」と冗談半分で豪語してきたのだった。武蔵野や軽井沢の雑木林にまったく引けを取らないし、ドイツの森やウィーンの森に近い雰囲気があるのである。

ハスカップについては、植苗の雑木林同様、民間の所有地であったことも背景にあり、かつ行政が保全措置をとれる立場になく扱いを担保できないからか、踏み込んだ記述はなかった。しかしその一方で農産物として積極利用をうたうなどが事務局の原案だったため、わたしは基本戦略の柱の第一番目に、「国内唯一となった勇払原野のハスカップ自生地を継続観察し保全します」という一項を挿入すべきではないかと意見を述べた。

今やハスカップは世界的にポストブルーベリーの位置をを担うしょう果樹とみなされ、アイヌ語のhaskap がそのまま英語表記されていること、自生地はそのオリジナルな遺伝子がプールされている国内唯一のエリアであることを、あらためて風土を代弁するように申し述べた。市側からは、この意見を受け入れるような答弁があったから、このままいけば、今、苫東コモンズで行っている継続観察がこの戦略の中のひとつの方策として位置付けられる可能性が出てきた。

■生物多様性戦略は「風土保全計画」だ

方針や計画を作ると、行政のどの部課がこれをフォローし施策として担保できるのかが問われるから、こういう計画は逆算して行える施策に絞っていくことになりかねない。しかし、生物多様性戦略は、野生動植物を扱いながら実は勇払原野や苫小牧の風土の扱いを「風土計画」として煮詰めていく仕事だと思う。対象が風土であれば、その関係者は行政や土地所有者だけでなく市民全体である、と考えるべきで、そうすることでより広い協力体制を創ることができると思われるのである。




すべての丸太、盗まる

2025/02/01 sat 晴れのち曇り 3℃  中マイナス4℃→プラス12℃

その後の丸太の状況を見に行ってみると、なんと、間伐して玉切りした丸太すべてがなくなっていた。修景間伐で立木密度が減った分、RVで簡単に入れるようになってしまった。コモンズのタダ乗り、悪意に対する対策は大甘だったから、そこにたやすく入り込まれたことになる。

今後は、初心に帰り、基本通り伐ってすぐ運ぶ方法をとらねばならない。伐採届は3月31日までだから、それまで再び伐ってだけおく必要が出てきた。そして4月以降に玉切り、運搬。

それと警察に盗難届を出すか。あるいは地元紙に事件としてネタを提供するか。これは明日、土地所有者とも相談する予定。とりあえず、盗難時、侵入した車の動画をアップし、段ボール掲示を出した。「ナンバーはばれてるよ」のメッセージが遅かったか。

https://youtu.be/TW7xLC7vERs



それにしても、これまでの作業が水の泡、灰燼に帰す、の感覚にはいささか動揺しさすがに当方のちからが抜ける。3月から5月の予定はもう立てていたから、やり直しになる。このガッカリ感が大きいけれども、里山修景が進むのは間違いないから、辛いけど気分は暗くない。

コモンズは生れからして悲劇、難問が伴う。だから、大島山林のクレーマー事件や今回の盗難など、この程度の悪意の世間との対応は前から想定内だったし、これまで頻発しなかったことの方がラッキーだった。そういう点でもここで初心に帰ろうと誓う。



自然界は無駄なく消費する

2025/02/08 SAT 晴れときどきくもり 3℃ ログ内 マイナス4℃→プラス12℃

■山小屋はどこも寒かった(自分に言い聞かすごとく)

静川の小屋は四季を通じていつも外気よりかなり温度が低い。冬は特に15℃ほど低いので、ログハウス内に入室するとまず窓を開け放つのが常である。南側のベランダに丸太腐朽を防ぐため雨覆いを目的とした屋根をかけたため太陽光が半減したせいもあるが、もともと構造上採光は不十分だった。

 

ただ、以前にも書いたがわたしが山で経験してきた多くの無人の山小屋というのは常に冷え切っており、翌日下山するころにようやく温もりがある、というところがほとんどであった。だから、いまさら高望みするつもりもない。そう思えばあきらめがつく。しかしマイナスの室内に長くじっとしていると、本当に寒さがジンジンと沁みるのである。

■野生動物の躯(むくろ)

小屋の周辺では上空を多数のカラスやトビ、さらにオジロワシが数羽(頭?)旋回していた。ストーブに火をつける際に耳を澄ますと、窓の外ではクマゲラ(下の写真)がなき、アカゲラやコゲラの姿が見えたから、春の日差しで活性化しているのか、とも思っていた。が、過去のいくつかの経験からもしやと思って隣接するカラマツ林に入ってみると、案の定、すぐ血痕が見つかった。フットパスの左側に1頭、右にも2か所ほど血の跡が見え計2頭の解体跡があった。



うち一頭はアバラの骨が見えた。解体して必要な部位だけ持ち帰ったのだろうか。ハンターの足跡は恐らくふたつ。林道からわずか30mの至近距離である。車を降りてすぐ打てるこの猟の状態はハンターにとってこの上もないハンチングのパラダイスなのかもしれない。オジロワシたちはこれらに群がっていたのである。夜はキツネやタヌキなどが入れ代わり立ち代わりやってくるだろう。



小屋番のわたしはベランダの下の、毛皮だらけになったタヌキの躯も片づけなければならなかった。熊手を使い、まずむき出しの足骨をひっかけると、毛皮と頭部がつながって引っかかって来た。これらをそのまま引きずって30m離れた切り株の上に載せた。肉食系のコゲラなどキツツキ類が来るだろう。

自然界は、実に無駄がない。林床の植物もドングリなどの種も葉っぱも、他の生物が食するために供給するかのようだ。腐る前後に動物たちが食べ、そしてバクテリアや昆虫などが分解して土に還す。こちらはそれを見守るだけだが、異臭を放つ前に骨と皮だけになってくれるのは実は大いに助かるのであった。

かつて脱皮に失敗したヘビが2階のロフトで死んだときも、大掃除で見つけるまでその異臭を我慢せざるを得なかったし、自宅物置にしまったはずのネズミ捕りに勝手に入ってしまったネズミも見つかった時は骨だけで、あの腐臭も耐え難かったが、まさか餌もない空のネズミ捕りに入っていたとは思ってもいなかったのだ。

■大島山林でスノモの搬出始まる



小屋の帰りに遠浅に寄って口だけで応援しながら除間伐の進捗を見た。やっとスノモが使える積雪があったため、いよいよ本格搬出である。小面積皆伐も写真上のように、保育地のように見えてきた。数年前の間伐跡は、十分天然更新が進んでいる。シカの食害も今のところ、ない。



径に迷う

2025/02/15 sat 晴れ3℃

■フットパスのトレースで

このところ、除間伐後のシカと盗難対応が続く。シカがねぐらにしていないことはトレイルカメラで納得したが、同じころ合いに発生した丸太盗難が一度で終わらず、トレイルカメラを防犯カメラとして使用する展開になった。それで車を特定したので「警察通報の直前だ」という主旨の貼り紙をしたら、その後、轍は見えなくなった。2/12 は、小屋のドアに「防犯カメラ作動中」の貼り紙をして念押ししたところだった。



大島山林では、除間伐材の藪だし、搬出作業が真っ盛りだった。わたしは作業の合間となる昼休みめがけて出かけて、フットパスウォーカーのためのトレースをした。30cm弱の積雪だけれども、ツボ足よりはるかに楽に歩けるから利用促進にもなり、事実喜ばれてもいるからだ。


広場にちかいところは、この日のドライバーのurabe さんが朝ひと回りしたのでわたしはその奥を走ったが、あるところで迷子になった。というより、径を見失った。妙な気分になるのは、軽いパニックになるからだろう。アレッ、ここはどこだ?

1981年の映画でヘンリーフォンダが主演した映画『黄昏』をまたリアルに思い出した。径に迷ったときには必ず思い出すシーンに、もう何度となく出くわしているので、認知症の前触れか、といつも穏やかでないのである。

実際は雪でフットパスが判然としないだけだから、そう大袈裟に言わなくても良いのだが、幾度となく使ってきた径だから迷うはずがないという思い込みがあるのだろう。それができないショックだ。方向感覚や記憶力、そして判断のスピード感、これらがいずれも落ちているのだから仕方がない。

歳相応に、もう一度めぐるか、ゆっくり薮のなかにルートを探せばよいのだ。見失ったルートは、ヤブをくぐって最後は斜面を下り見慣れた旧知のルートに出た。

■変わり果てた姿



先日アップしたシカの躯は、無残な姿になっていた。というか、きれいにしゃぶられて、毛皮は付近に引き出されてあった。まさにほとんど身はついておらず、よくもまあ余すところなく、と感嘆せずにおれなかった。狩猟によって打ち捨てられたということを別にすると、マイナス20度近い厳冬期の自然界のきびしさと食のつながりを目の当たりにする事件だった。お見事、と言いたい気もする。



室温は入室時マイナス4℃、外で選木などをしたり本を読んだりしている間に家に帰るころは18℃になった。小屋はテーブルとストーブと本棚と焚き付けなどで、窮屈なくらいだが、ちょうど田淵義雄氏の寒山の森の家づくりの本を開きながら、小屋を持つことの男の夢を反芻していた。ひとり用かふたり用にカスタマイズしたこの小屋のありようは悪くないな、と思うようになってきた。



盗難によってやり直すことになった除間伐の選木のために、スン―シューをはいて回った。積雪は30cmほどだがスノーシューを使った方がはるかに楽だった。

2025年冬の山小屋生活、ドイツ語でいうヒュッテン・レーベン、かくの如し、である。




雑木林の愉しみ

2025/02/19 wed 晴れ 2℃

■春の山仕事

林を相手にしていると、楽しみがいろいろやってくる。まじめな仕事らしい仕事で言えば、まず、そのシーズンに除間伐する対象の木を選ぶ「選木作業」、そしてもう一つは、その結果生産されて運び出されるだろう材の量の推定である。

勘違いされると困るが、材は、きょう日の世間の扱いのように放置することもできるのを、コモンズは冬の間にわざわざ手間をかけてスノーモービルで運び出して利用可能なように加工していくのである。「放置すればゴミ、運び出して利用すれば資源」という原理原則がある。語るのが面倒くさいが、ここのコンセンサスも社会の仕組みも全くできずに、再生可能エネルギーが語られる。そのあたりも含め、行政の特に環境エネルギーの視点について不満があるが、それはさておこう。今日は、その「生産量の推定」という個人的な楽しみのために、大島山林をひとり歩いた。



2月も半ばになると、林は大きく春に傾く。昨日は24節気の「雨水」、そして間もなく「啓蟄」となる。林を歩くにはもうサングラスが必携で、そのまぶしすぎる陽光が、こころを少し浮き立たせる。雑木林を歩くなら、今である。

先日付けた walker 用のスノモのトレースはやはりありがたい。スムーズに苦労なく歩くことができた。そして小一時間、胸の膨らむ時間を過ごせた。こういう時間、体験は勇払原野の身近な市民、町民にもっと味わってほしいと思う。その「勇払原野の風土の共有」を今年は再び少しまじめにやっていこうと思う。



直径60cmのコナラ。よくぞ、いてくれるなあ、と見上げる。ところどころに残された大木は、薪に利用するにはもう太すぎる。倒れるまで見届けることにしよう。万が一、倒れたら、薪にする。これが勇払原野の雑木林の扱い方のもう一つのルールであると悟った。




立ち止まって見ると…

2025/02/22 sat 晴れ 3℃ 中マイナス8℃→16℃

■小屋番&ライブラリー館長



NPO苫東コモンズは、今日の運営委員会で正式に拠点を二つ持つことが決まる。拠点のひとつは苫東ウッディーズという俗称を持つ木こりグループが雑木林の保育作業を続ける大島山林とブルーテント、そしてもう一つは、苫東の雑木林の本家、レジェンド、保育歴35年の静川の小屋周りと育林コンペゾーンだ。

70歳を超え一昨年からいち早くシニア・ワークに移行したわたしが、この小屋(雑木林ケアセンターを単純に「雑木林センター」と改称)の小屋番と保育と、さらに2年目になる山と森づくりのライブラリー「あくつ文庫」(寄贈者、abe,kusa、takizawa,umedaの頭文字、現在仮称)の館長を、毎週水曜日と土曜日で常駐して務めるのである。



入口のサインは腐れかけて愛着もあって好きなのだが、崩れかけたのでこの機会にそろそろ他の物に変えようと思う。そうしてこの一帯が、雑木林のショーウィンドウになるよう、できるだけひと気を付けてさらに美しく仕上げてみたいのである。

これというのも、今年中に固まるであろう苫小牧市の生物多様性地域戦略の中で、勇払原野の雑木林とハスカップ自生地にかつてないスポットライトをあてられ、苫東コモンズがこれまで静かに傾注して来た保全、観察、修景が風土計画のような本戦略に静かに位置づけされそうなのである。これはきっと再スタートのきっかけになる。

■立ち止まる観察の視点



そろそろ盗難にあった来年用薪の再調達を始めねばならない。今日は少し固雪になっているのでジュラルミンのスノーシューで21本の立木に緑色のテープを巻いた。これは 2/26 の水曜日に着手する予定で、掛かり木になったとしてもそのままにし、ゴールデンウィークを過ぎた頃の玉切りの直前まで放置するつもりだ。運びやすい丸太状にしてしまえば盗難を誘発しかねない。それを避ける狙いがある。

一方、小屋よりベランダの日差しの方が温く感じ、早春の凛とした輝きが心の選択になるのだ。異様にボリュームあるアルバータの羽毛服を着て座ってみると、何もしない小屋番の幸せがふつふつと湧いてくる。





こういうまったく暇な、無為な時間が自分のものだと知れば、忙しい人はナントカシナケレバ、と焦るかもしれないが、ナニ、何も考えなくてもいいのである。こころを空しくして「ただ居る」というのは素晴らしいことだ。そんな心持ちで周りの樹木を見ていると、思いがけなく勢いと衰えが一本の大木(写真上)の枝に見えてきて、広葉樹が絶えず代謝を行っているのが手に取るようにわかってくる。そして大風のたびにこれらの腐れ枝を落としていくのである。

そばのカラマツにはこのところクマゲラが来てつついているが、ちょっと見ぬ間にどでかい穴ができてきた。そのうち、巣作りでもしてくれたら楽しみができていいと思う。脇の林道をヒグマが通り、シカ、タヌキ、キツネ、ウサギ、数多の野鳥が棲んで、ワシタカがやってくるこのあたり、それらが繋がって命が保たれ、その中心あたりに小屋がある。

遠浅の運営委員会に向かう途中の厚真の田園には、今日も白鳥の大きな群れが小麦の芽を食べている。もう南下しないことを決めた白鳥の越冬は、もう大雪は来ないという証になるのか。間もなく3月弥生である。




やむなく、再び、徐間伐開始

2025/02/26 wed 晴れときどきくもり 3℃ 室内‐4℃→12℃

■歩掛かりを確認しつつ、2時間で8本



来年分に用意した薪用丸太がすべて盗まれたので、あらためて除間伐を始める。雪はところどころ解け始めたが、早春の山仕事としては恵まれたコンディションだ。

長塚節の代表作『土』に、薪にするには大きくし過ぎた雑木林、という意味の表現があるが、これは勇払原野のこの林にも当てはまる価値基準で、その見方でいうと、ここの樹齢74年の林はギリギリのところかもしれない。

ただ、わたしの雑木林保育の本当の動機は、樹形の美しいコナラが大木になったらどれほど素晴らしいのだろう、という素直な期待とか希望があったから、薪にならないような大木は願ってもない存在だ。そのまま天然更新の母樹として保残木で残せばいい、という考えに至った。今の選木はそのような基準で行っている。

あと、2,3時間で1年分は確保できる。かねてから想定している歩掛かりどおり、1年分の薪用丸太は15本から20本、4,5日から1週間で林外搬出して確保できるのは間違いない。ひとり1馬力の手間をかければ、放置されている身の周りの雑木林の保育は格段に進むことが証明できるだろう。

それにしても手間がかかる。(-_-;) そしてその手間こそ、里山の山仕事の楽しみだ。枝を片づけ4月になったら急ピッチで玉切りをして間髪おかず遠浅に運ぶことにしよう。




山仕事における気づきと小さな悟り

2025/03/01 sat 晴れ3℃  室内-3℃→22℃

■この日最後の1本にてこずる



雑木林はもう春に向かっている。
2/26 開始のリターンマッチ徐間伐に続いて今日は2日目。2日で17本ほど確保したので次回 3/5 からはそろそろ枝の処理に入ろう。これからの枝処理は、今までと方法を変えてできるだけ集めず散乱させてみようと思う。作業効率はもちろん少し良くなるだろうが、のみならず腐朽が思いのほか早く見た目でも林床に落ち着くようだからである。



今日の作業は掛かり木が半分で進み具合が遅かった。たしか最後の9本目が面倒な掛かり木となって、35cmの丸太を3つ続けた玉切り(約105cm)を6,7回続けたあと、宙づりになって落ちた。元玉切は禁止されているので要注意だが、丸太上側にノッチを入れてからアンダーカットする方法は、避けて通れない。大トビで何度も横移動させたから全身運動で汗ばんだ。

こんなふうにして安全も作業方法も、いろいろ考えをめぐらせて眼前の問題解決に集中する。そして時折、丸太に腰を掛けて開放する。こんなとき、昔はタバコという得難い逸品があったが、今は水以外にはない。放心するのみだ。そんな時、思いがけないひらめきも味わう。

■田渕義雄氏『森暮らしの家』を読みながら



正味2時間余りで作業を切り上げた。2月から、小屋のアフターの時間はライブラリーに家から持ってきた田渕義雄氏の『森暮らしの家』を開いている。丁度、薪づくりが主題のページで、佐久森林組合から6立方メートルの丸太を10万円で買って、ひとり作業員を雇って玉切りし、近所の人と共同購入した薪割り機で割り積んで、手間を入れれば30万円と見積もっていた。

流通に向かない薪だが、それを楽しんでいる風が良いだけでなく、彼のエッセーの書き方が読者になにがしかの憧れを抱かせるナチュラリスト的な呼びかけがある。彼がBe-pal というアウトドア雑誌にエッセーを書いていたころ、わたしはログビルを手掛けカヤックやカヌーをあやつり、ルアーやフライのフィッシングをしていたから、志向する方向も心情的にも通じるものがあった。薪づくりや薪ストーブ生活に関する彼の言葉はかなりの部分で共有できる。

黙々と薪づくりの肉体労働を続けるために小さな悟りがいる、というようなことも書いている。これも当たっている。それにこちらは薪素材を購入するのではなく、除間伐と伐倒から自賄いしている。つまり、一年中、林と薪に向き合っている。悟りは小さいどころかやや大きくなくてはいけない。

ちなみにこんな田渕氏が北海道の生活を標榜してあるエッセーを前の職場の広報誌によせたことがある。その文章をわたしはヘンリー・デーブッド・ソローや鴨長明を引用しながら小文『地方に住む意味と動機~田園の風土と産土考~』を書いた。そのつながりは今も太く残っている。

■Sさんとともに掛けたベランダの屋根



薄暗い小屋は内省的、内向的な趣がある。その点、ベランダから見る風景は希望や風土を見渡す別の動機を喚起する。そのために小屋と周りにいる時間の何分の一かはこのベランダの椅子で過ごす。

上を眺めていると屋根を支えているアカシアの丸太が目に入った。カラマツの丸太を渡し波板のトタンをはってこのベランダを覆って以来、ログハスの丸太のログエンドが進行する腐れを免れるようになったのだが、この増設を棟梁として普請してくれたSさんが今かなり重い症状で入院してしまった。わたしは普請のてことして一緒に屋根にのぼって作業したが、あの頃の機敏さが今は懐かしく思い出される。こうして身の周りは日に日に想い出や記念だらけになっていくのである。



やはり片づけずにおれない枝

2025/03/05 wed 3℃ 内部-4℃→20℃

■修景方針を変換



今季2度目の徐間伐では、枝の整頓はやめて林内に散らばすつもりだった。しかし、やってみるとどうも落ち着きが悪い。里山らしい、手自然の修景がねらいだったから、一帯は枝があまり落ちていないこぎれいな林床を作り、枝は寄せ集めて「手入れ感」を出してきた。やはりこうせざるを得ない。

散らばす、というやり方は手間がかからないだけでなく、ネズミの害を誘発させないという点でも利があるが、小屋周りの修景にどうもあっていないような感じで、結局、また少しずつ集めることとなった。

■久々の宙吊り



朝一番の伐倒で早くも掛かり木となった。受け口を切りアンダーカットを2度繰り返して2玉をとったところで万事休す、二股に挟まってしまった。小屋に戻ってロープを持ってきて引いてみてもあと少しのところで落ちない。これはもう一人応援を頼むか、マーベル・プラロックを使うか、だ。結論として後者に決めた。装備は帰途、遠浅で調達し、週末に再チャレンジだ。それまで大風が吹けば落ちる可能性もある。

■墨絵の世界



湿った雪が止まず枝片付けを断念して小屋に戻ったのが14時だった。室温はだいぶ上がって18℃、1時間後には20℃になった。遅いコーヒータイムをとって今日も田渕本『森暮らしの家』を開く。薪づくり、家具づくり、庭仕事、これらはどこか親和性の高い営みだ。内省的な手仕事はエッセーを書くための気づきが途絶えない。そんな田渕氏の思いが伝わってくる。

外は雪が止まず、墨絵の世界になっていた。晴れた林はもちろん美しいが、神々が喜ぶ風景は、実はこんな雪煙るさなかも垣間見せる。



プラロックで掛かり木に対応

2025/03/08 sat 4℃ 内部 -4℃→25℃

■急がず、丁寧に、安全に



3/5 の最後の伐倒で不運にもできてしまった掛かり木を処理するために、簡便な牽引器具・マーベル・プラロックを遠浅から運んで朝いちばん(と言っても10時半過ぎ)にまず西側に牽引すべくセットした。2年ぶりなので操作を忘れてしまったためややてこずったが、ようやく要領を思い出して引き始める。しかしラチがあかない。掛かった枝が外れないのである。やれやれ、だ。この徒労感…。

そこで落ち込まず思い立って作戦変更、反対の東側に引くこととしてロープを張り直して再試行した。今度はミシミシと音がする。にもかかわらず、掛かった枝が完全に相手の二股にはまり込んでいるために作業はまたストップ。こういう音を確実に聞き取るために、イアマフは片方だけでも外しておく方が良く、上からの枝がぶつかってもケガしない様に作業の邪魔になっても、アイマスクもして作業だ。

また掛かり木はいつ突然どこに倒れるか予想もつかないので注意しながら動く。振り返ったら倒れていたなどという冷や汗ものもある。加えて、ロープの内側のクランクには決して入らない。滑車がはずれて飛んでくることがあるからである。これまで経験し目にしたこんなことを、ひとつひとつ復習しながら着実に手を打つ。伐採作業は一つずついつも個別で新しい。こちらもそれに注意深く相手をしなくては、といつもの心構えを反芻する。

こうなれば最後のあがきである、助けてくれる人はいない、駄目もとのようにし牽引したロープを大きな力で揺さぶること30秒あまり。よくあることで、その時掛かり木は大きな音を立ててやはり倒れた。が、再び今度は直下のアズキナシに掛かった。手のかかるナラだ。やれやれ、である。

ただ、たった1本の掛かり木を倒すのに短い午前を費やしたが、イライラせずに、なかば無駄骨のような回り道を覚悟し諦めるように粛々とこなせたのは我ながら人間として成長したのかな、と立ち止まった。と同時に、これというのも時間に追われないシニアワークの幸運を想った。以前は背後から「急げ急げ、こうしてはいられない」と声がするような気がしてとてもこうはいかなかったのだ。



ちなみに伐倒にこの木を選んだのは、実は上の写真左のようにいくつも虫瓔(ちゅうえい?)が出来ていてまるで黒い団子の木のように見えたからである。このコブはデニムを染めるインディゴが多く含有されていると、何かで読んだ。ちなみに柏原ではカシワが選ばれて伐採されたと聞くが、それはカシワに含まれるタンニンが「皮なめし」の薬品として用いられたというのも苫小牧市史かなにかで知った。

今日の掛かり木は後始末であり、それをプラロックを使って修復したのだが、実は玉切りのさなか、不覚にもスチールMS201が挟まれたのを、安全助っ人用に持参しているMS150で救出したのだった。これもまた修復である。修復、リカバー、備えあれば、愁いも落胆もない。

■空が大きく開く



ナラとアズキナシを倒した後の空は伸び伸びの枝模様に変わった。なにか、ちょっと良いことをしたような錯覚に陥る。

そんな合間に、丸太に腰を落として春の陽光を浴びる安堵、高揚感はさすが早春のものである。丸太にカメラを載せて自撮りするのも恒例になった。風景がどこか期待と違ったのは、24節気「啓蟄」の日3/5に、苫小牧は20cm以上の珍しい大雪になったせいで、もう落葉の晩秋風景になるはずだったのが、冬へ逆戻りとなった。だが、雑木林の雪景色も今日が最後になるだろう。



さてこれからの山仕事の予定である。

伐採届の最終月である今月中に、所要の伐倒と枝片付け、4月にはまず自宅物置と薪を運び入れる小屋「ウッド・シェッド」の修復をしてすぐ、ヤードの今年秋の薪をこのウッド・シェッド薪小屋に運び込む。遠浅の薪ヤードのパレットがあいたら今度は、小屋周りの丸太を玉切りしてすぐ翌日にトラックで藪だし(盗難防止)、連休ごろから薪割りと薪積みの予定。かくして年間の半年は薪づくりをゴールとした山仕事にかかかきりとなる。その基本は、「晴林雨読」である。

北海道の沢登りや岩登り、森めぐり、冬山のツアーなどに夢中になっていたころ、いずれ自分の山は「ウラヤマ」にかわり、辻まことのように「ウラヤマニスト」になろうとぼんやり憧れていた。しかし、実際その位置になって、世の中にとって何の役にも立たないこのような時間と作業に、深い満足が得られるなどということまでは、若いころには考えられなかったことである。価値観は動くし、実感は正直だ。つくづく運がいいと思う。