径から風景、風土に出会う

NO.129

20254/01/03

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いつの間にか世界はあまり現実感のない世界に迷い込んだかの観がある。ゼロ-カーボンなど架空の炭素排出量の取引をクレジットで行うのも現実となってずいぶん経った。まるでマネーゲームの経済ではないか。そして、どこか絵空事の世界に入っていないか。GX、電気自動車EVなどのトレンドも、方やではほころびや誤認が指摘されるなか、世論も人も大音量の声に流されたままだ。

加えて、そもそもどうも怪しくないか、と庶民は感覚で根っこのところから疑っている。国連以下、国から大学、地方の自治体、企業まで、出遅れは敗者だとばかり右習えの統制で進んでいて、ここ苫小牧も企業が先行して自治体も施策の中にゼロカーボンを位置づけている。一旦動き始めた世間の底流はもう簡単には止まらない。一方、庶民はと言えば、やはりほとんど関係性を感じていないようだ。

庶民はリアリティとして、地球温暖化について気象変化や魚類、植生の変化を感じ取り身をもって体験しているものの、因果関係についてはなお注意深く見ている。地球温暖化問題のスタート時、英米の科学者が「温暖化していることにしよう」とメールで密約をしたことが暴露されたクライメート・ゲート事件も知っていて、その後しばらくして道庁などによる市民道民に向けた活発な啓蒙活動も、まるで嘘のようにしりすぼみになったのではなかったか。

浅学にして真偽のほどはますますわからないままだが、個人としては眼前に展開する日常生活、風景、天気、植生、食料など身近な中に答えを見つけていこうと思う。幸い、人生の後半にあって、歩いたり車を操作したりが注意しながらであれば可能な状態になったから、恵みの白秋期をいわば慣らし運転でどうにか暮らしていける。

雑木林やコモンズ的里山が比較的身近にあるのは実に幸運だった。今年も地元勇払原野や各地の風土を感じながら、できるだけ歩こうと思う。そして花鳥風月に向けて感性を満開にし晴林雨読生活を深めていく中、無理せず雑木林を修景し、出てきた材をコツコツ薪にして暖を採る、0.5馬力の「もったいない」生活を続けようと思う。




体幹を鍛えて歩く

2025/1/3 FRI 晴れ 朝−11℃

■体調は変えられる



実に、体調は変わるし、変えられる…。これは今、うれしい実感だ。

主な不具合を列挙してみると、まず20年近く前に始まった座骨神経痛と臀筋の痛みは、いつの間に影をひそめている。長年の札幌通勤時の朝、痛みで起き上がれない日もあったのに、である。ヨガ・アサナ(ストレッチ)のやりすぎで股関節が開き、その後、若い時からの酷使と頑張り過ぎた山仕事がたたった。股関節痛で跛行する日が続き悪化し、人工股関節手術をしたのが3年前だった。このごろは少しずつ改善し、「軽く走ってみるかな」という気になる時がままある。それにwalking-pole 2本を持って歩けば数kmは嫌でなくなってきつつある。

また、5年程前からは不整脈がでてちょっとしたことで動悸と息切れがひどくなった。病院の検査結果では要観察状態となったが、どうなることかと毎朝の血圧測定はすこし暗い気分にさせた。が、先月の中頃から徐脈状態で心拍数が40台にダウンし不整脈と息切れがなくなりつつある。どうしたことだ、なんとも不思議だ。

しかし、山仕事で枝に躓くのはもちろん、簡単な段差でも転びそうになるのは同年代の友人知人が嘆くのと同じか、それよりだいぶ悪い。脚立仕事はバランスを崩し落ちそうになる。

個人的な思い込みかもしれないがこれは体幹が機能減退し、弱っているのではないか、と診断している。股関節をかばってきたここ10年、恐ろしく体力やバランス感覚は落ちてしまったのだった。これはジムに通ってでもなんとかリカバーしたい。

しかし、表題のような気付き、「体調は変えられる」「自然と変わる」、まさに人の体はホメオスタシス・恒常性をもって自ら治ろうとするのではないか、とさえ思えるのである。地球と同じく、人の体にも自然がシステム化されているとすれば、それはほぼ「神」の世界だ。

重いチェンソーを持ち、かつ軽くない安全ズボン、重くて歩きにくい安全靴(上の写真)を履いてわざわざ不自由な状態にしてでも安全を優先し、コツコツ、愚直に注意深く動けば、後期高齢者の山仕事も薪自賄いも十分可能なような気がする。この田舎臭い手仕事こそSDG’sだと言えそうで、農夫らもそんな川柳でSDG’sを皮肉って話題になったほどだ。

年寄らしい半日仕事で晴林雨読生活の実践。この感覚を得られるようになったことが新年のうれしい実感である。以上、ご同輩にnever-giveup の応援メッセージのつもりで書いた。自分宛てとは言え、勝手な不具合自慢をお許し願いたい。



ハスカップ自生地の行方

2025/01/09 thu 晴れ 2℃

■ハスカップの昨今

新年を迎えてから、今年の抱負のようなことをいくつか考えてみた。

その一つは、NPO苫東コモンズがハスカップ・サンクチュアリと名付けて調査したハスカップ自生地の扱いについてである。そもそも苫東コモンズというNPOを立ち上げたのも、ハスカップ自生地と勇払原野の雑木林が、慣習としてであるけれども、まるでコモンズのように地域の自然史を彩っていたからで、これは地域文化の一つかもしれないと考え、疑心暗鬼の中で推し進めたものだった。

以下、今の現状とこれからの方向をメモしておこうと思う。



流行りすたりの波があるハスカップ。昨今は、ヒグマの心配もあってか下火のころかもしれない。自生地を訪れる人は極めて少ない感じだ。

長い間、勇払原野の夏の風物詩といわれ、いすゞ自動車がハスカップ自生地の北半分に立地を決めるころ、開発主体の苫東は環境庁指定の貴重植物「クロミノウグイスカグラ」の生息エリアと実数を調査した。開発行為の時点ではこれを受けてミチゲーションとして数万本を基地内に移植し、残りは道内各地に無償で現地分譲したのだった。それが時の減反政策と共鳴して全道各地で特産物になっていったのである。



こうして分散したハスカップだったが、もともとの自生地は勇払原野だから、当時は「里子に出した」と表現された。だが、苫東そのものは栽培の適地では必ずしもなかった。というより、霧が多いここは、糖度が高まらず大粒にもならなかったのである。一方、自生地では上の写真のように老木が枯れ始め、樹林地化が始まって日陰となり徒長し始めてもいた。わたしはこれを結構深刻に受け止めた。

この自生地が、いすゞ南の湿地の三角地帯に今現在辛うじて残されていて、今や国内唯一の広大な自生地と目されている。苫小牧の農地開発、宅地開発、工業開発の波に押され、ここに凝縮されることになったわけである。そして河川用地として用途が変わり確定することになったから、やっと永久の安住の地を得たということになった。



さて、その野生の原野はどうか。

勇払川沿いから見たハスカップが自生する現地は、この上の写真のように眺められる。東には日高連峰の主峰ポロシリ岳が見える。原野は、地下水や野生生物調査に入る人以外、分け入る人はいない。ハスカップ摘みの市民も、さびしいぬかるみの湿原にわざわざアプローチしない。湿原の核心部はほとんど人を寄せ付けないのだ。



わたしは一介の市民としては稀なくらいにここに行く関心と用事があって、10年近く前もスマホのGPSが示す位置をひとり歩いていた。野生生物の影が漂う、勇払原野の湿原の核心部の素顔が見えるエリアで、実にうら寂しいところだ。開拓の悲惨さも連想を誘う。もし北海道開拓の原風景を味わいたい方には、是非おススメしたい場所である。

■北海道遺産「的」な扱いを探して


自生地のハスカップ、酸味があり甘みは少ない


平成31年、今から5,6年前にNPO苫東コモンズが発刊した『ハスカップとわたし』の最終ページには、その頃取り組んでいた「ハスカップを核にしたまちづくり」をハスカップ・イニシアチブと称して提案し、シンボル的な最終目標の一つに、ハスカップ自生地を北海道遺産「的」なものに格上げしよう、と書いた。あくまで「的」である。

というのも、ハスカップに関係する人たちは、行政、農協、栽培者、土地所有者、自然保護関係者、植生と生態学などの研究者、河川の治水関係者など多岐に及ぶが、当然という言えば当然ながら、国内唯一の自生地に正面から向き合う主体は見えてこないのだった。

根元直径5cmもある記念すべきハスカップの老木も数本現存するここを、なんとか旗揚げしてマーキングし、保全の意味をもっと明示したい、というのも実はこの現状を受けた出版のねらいの一つだったのである。


厚真町の栽培地のハスカップ、大粒で比較的甘く、たわわ

いろいろ調べてみると、北海道遺産は地域が誇る一つのブランドのように選考され、それを活動として盛り立てる組織が計画と実績を道に報告するような仕組みで成り立っている。もしそんな理解が正しければ、この点でハスカップ自生地の扱いは北海道遺産といささか相いれないような気がしていた。

その後、厚真町では栽培品種ハスカップを北海道遺産に申請する動きがあったので、そちらの行方も興味がもたれたが、まだ北海道遺産として認定はされていないようである。

ちなみに工業都市として高い経済実績を誇る苫小牧という行政機関は、農産物としても地域資源としてもハスカップについて特に積極的な関心を示しているようには見えない。工業、製造業という産業の柱が健在だから当然かもしれない。観光に対してもそうだが、この辺は道内各地で目玉産業に四苦八苦する自治体とは、根本的に事情が違うのだ。

そんな背景もあり、地域の経済活動、換言すれば地域開発の曲折を経てここに残されたハスカップを、歴史遺産的、地域のシンボル的、風物詩的、ふるさと意識醸成的な、なにものかでスポットライトを当てておきたい、というのが一市民としてのわたしの継続した心境だ。

が、これは時代の雰囲気が決めるだろうという覚めた見方も自らにあって、きっとそれが正解だろうと思う。ただ、今年のNPOの活動計画の中に、こんな一項を将来に向けた取り組みとして盛り込んでおきたいと思う。

もし新たな保全主体(NPOの内外に拘わらず)がいれば(恐らくわたしの次の世代)話はぐんと進めやすいだろうと考えるからである。これには期待したいところだ。ハスカップは関心も関係者も、そして愛好者もまるまる世代交代の時期にあり、特にそもそもの「関心」をどう引き継げるか、そこがカギになるかもしれない。




トレイルカメラ設置へ

2025/01/11 sat  晴れ 2℃ 中-6℃→12℃

■ねぐらは移動してまた新たに



いよいよ野生生物を24時間感知する「トレイルカメラ」を設置する。機種は KJK201 。小屋の周りには、写真のようにあちこちに落葉荒らしの光景がみられ、やはりねぐらに使ったような形跡もある。ひょっとしてシカの体温で雪が解けたのではないか、と思える痕跡も見える。



いざ取り付けようと最後のセットアップをしてみたのだが、どうもうまくいかない。自宅で簡単に下見してこれならいける、と算段したのだが、いざ撮影開始のセットをしようにも、簡単な取説では実はよくわからないのである。試行錯誤を繰り返し、模擬撮影をしたのを画像で確認しようとしても出ない。

仕方がない。一旦持ち帰り、WEB で詳細なマニュアル動画を見てもう一度セットアップしようとあいなった。(翌朝、手はず通り操作をし直して、ようやく始動ができるようになった)

予定がちょっとずれてしまったので、雪に埋もれたフットパスをたどってみる。理想的な空いた密度の雑木林にするためには、まだまだ随分と抜いておくべき立木がある。上の写真右も、今年手が付けられなかった傾斜木で懸かり木になっているものだ。春までに、ポータブルウインチで引っ張れればいいのだが、その牽引の方向について、雪の中でシミュレーションした。

■「厚真森林結びの会」のSさん、育林コンペの作業に



小屋のベランダでこのトレイルカメラの操作に苦戦している時に、Sさんが軽トラでやって来た。これから育林コンペに行くという。

しばらくして午後からわたしもこのエリアに行ってみた。札幌ウッディーズと向かい合う角地で、抜き切りをしているところだった。かなり細いものまで利用し、枝は細かく裁断して林床に戻す予定だという。

ちょうど、近くで長年農業をしていたというYさんが「久々だ~」、とSさんのところに立ち寄っていて、地域の古い話しなど聞く。今年はジュンサイを採ろうと思うと話をしたら、沼の水が停滞して採れなくなったようだと聞いたという。わたしは昨年、ネオプレーンの胴長で平木沼に入って採ったからあるにはある、と応対した。あとは船だが、これは何とかなりそうな気配になって来た。



動物を感知するカメラを設置

2025/01/15 wed 晴れ 2℃ 中-6℃→12℃

■野生動物感知の愉しみ



取り扱いの動画で再確認してセットアップができた。さっそく昼前には林の手ごろなところに取りつけた。附属品の取付用ベルトが見当たらないので、6mmのザイルとスズランテープで間に合わせた。



上左の画像はカメラの向いている方向で、雪のない落ち葉のヤードは、やはりシカが寝ていた形跡と糞がある。うまくいけば、ここに集うエゾシカの群れが収録されるはずだがどうなるか。1/18 の土曜日、回収して小屋でノートパソコンで再現してみたい。

小屋の周りは薪を焚いた匂いが漂っていて気持ちがいい。小屋には古い薪がまだずいぶん残っているので、一度使い切るまで補充しないでおこうと思う。盗まれていないのが助かる。

■ささみちフットパスを歩く



幸い、ほとんど雪がないのでフットパスはスノーシューなどなくてもツボ足でまだ十分歩ける。林はその後枯れ木を中心に倒木が増えた。小屋までの林道には今にも倒れそうな危険木が数本目につく。これらはこの冬に林道に倒れるだろうから、片づけるのはそれからにしようと思う。



昼ころ、ささみちフットパスを時計回りに一周にでかけうっすらと汗ばんできたので途中でダウンパーカーをザックにしまった。小屋にはもう一つ別のダウンが掛けてある(上)。山に登っている頃に買った中国製のアルバータであるが、こちらに常備しているダウンは小屋で読書する際に欠かせない。背中のログから冷気がきて寒いのである。着いたときはマイナス6℃、2時間ほど薪を焚いてもプラス12℃、これでも外から戻ればうれしいほど温かさを感じる。そういえば、クラブが管理していたパラダイス・ヒュッテも奥手稲の山の家も、通常は決して温かくはなく10数度で満足していたように思う。

ところで、この小屋での読書は実に興味深い。非日常の空間だから、どこかへの帰属性が飛んでしまい集中できるのである。家族とも、仕事からも組織からも、下手したら世間からも隔絶した世界で、文字と観念を追う。正真正銘の「ひとり」感覚であろう。だから冥想にはとても向いている。今日は、中野孝次著『うちなる山々』を開く。




小屋のそばで「エゾシカは寝ていない」?!

2025/01/18 SAT 晴れ 外2℃ 中-12℃→+12℃

■さっそくカメラをパソコンにつないでみると…



持参したノートパソコンにつないでみると、いくつかのシーンが記録されていたが、予想していた群れで寝場所に使っている動画は得られなかった。ただ、しきりに何かを食べている。林床にあったのは小さなササがポツポツとフッキソウ。しかし、食痕のようなものは見えない。

アップしたYOU TUBE はこちら。→ https://youtu.be/zBP0kKaoMvs

気を取り直して再セットする傍らで、ちいさな痩せたタヌキが日向ぼっこしていた。皮膚病にやられているので、なんだか同じ空気を吸いたくない感じで、小屋へは遠巻きに出入りした。

フットパスからカラマツ林へ林を塗っていると、動物の頭部か腰の骨のようなものに出くわした。

 

ほんの小さなこのエリアに野生生物が種々生息していてつながっていることを実感する。ここは産業用地の一画を占める計画緑地だが、環境は完全に野生と共有状態にあることをだいぶ前に気づかされた。近年は緑地のコモンズ利用が、ヒトだけでない他の生き物と一緒だという事実が次々と押し寄せてくる。

クマゲラの声は今日もしていたし、変わったものでは昼前にけたたましいハクチョウの鳴き声がして上空を通過したことがわかった。秋まき小麦の芽などを食しているあの群れかもしれない。また車で往復する途中では、渡って来たワシタカの飛来が面白い。植物が育ちにくし湿原の多い勇払原野は、気象や土壌が厳しい分だけ、野性味が濃い。だからこそ残された土地だった。地勢のめぐりあわせというものか。

■ココナツの香りを発するのはハリギリだった

動画の確認とカメラの再セットを済ませてから、林道沿いで今にも倒れそうな枯れ木3本をチェンソー担いで出向き片づけた(下左)。いずれも上部は粉々に砕けたが、まとまって落ちて来れば怪我をする重さだ。



一方、小屋の焚き付けが少なくなっていたので小屋前の林で小枝を拾いキンドリングクラッカーで小割りをつくり補充した。小割利用の材は年末に伐倒したハリギリの枯損木。持参した鉄のクサビで割っていたら、なんと、ココナッツの香りが漂ってきた。自宅玄関に積んだ薪から匂っていた正体不明のココナッツの香りというのは、このハリギリが発生元だったことがわかった。