今年の秋はどう始まり、どう終わるか

NO.132
2025/10/02

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苫東コモンズ 地域活動15年の歩みとこれから


気象関係のニュースを見ていると、暑い夏が長すぎるため結果的に春と秋が短くなる、多くの日本人が楽しみにしている紅葉時期はちょいの間ではないか、ということが叫ばれている。

けれども個人的に地球の恒常性、ホメオスタシスというしくみを信じる身としては、それも自然だと受け流したい。気象が災害化してしかも頻発という状態になったから、嫌が応にもニュースとして誇張され、民は一喜一憂する。ニュースが創り上げられているという可能性も少しある。つまり得体のしれないもの(時代の感性)に誘導される。温暖化対策の国際世論も、わたしは作られた疑わしいものだと考える者で、SDGs なんかまるで魂胆あっての絵空事(そんなこと毎日やってると冷やかした農民もいた)、まともに付き合っている国や行政にも実はいかがなものかと斜に構えているひとりだ。ひそかに国連など脱退するつもりで付き合え…、などと。

クレジットと呼びビジネス取引にする話などは、トリッキーでどこかの陰謀ではないかとさえ疑う。再生可能エネルギーで目に見える本物はやはり「木」が本命ではないか。が、大量生産になじまないローカルエネルギーとわきまえるべし。メガソーラー、風力発電に群がるのは地球環境への配慮とは離れた別のインセンティブがあるからである。あれで儲かる人が必ずいる。「木」の方は手仕事で「手間返し」が似つかわしいほどスモールだ。これだとGDPに表れないのである。

さて季節と林の話しに戻ればいつもの雑木林だって、毎年同じではない。キノコだって虫の出方だって毎年違う。さて紅葉はどうか、年末までの徐間伐はどう段取りして春の集材、薪づくりにつなぐか。そしてイヤシロチ的なワンランクアップの風景をどう創れるか、そこだけに集中していきたい。





腐朽廃材を前にして

2025/10/2 thu 23℃ 中18℃

■保育年サイン6基完成



雑木林の保育年表示を6基、リニューアルした。枕木を使ったのでボリューム感がでて、サインとしてばかりでなく構造物のような存在感がある。これは風景づくりにも寄与する。なにしろ、のっぺらぼうの雑木林は「人工工作物」を待っているのである。

この画像の平成7年といえば、NPO苫東コモンズの前進ともいえる苫東地区森林愛護組合が市民や関係者とともにノコギリで除間伐をしていたころだ。あれからざっと30年。ちょっとした記念碑になる。

■腐らすか、燃やすかの選択について



エントランスの看板をリニューアルしたついでに、旧看板に色を添える目的で積んだ薪のオブジェが腐っていたので周辺の枝とともに三差路の反対側に寄せた(画像上部)。ちょうど太い危険枝が何本も見つかったので、高所チェンソーで処理したところ、こちらも相当の材が貯まった。いずれも腐朽した材である。集めると相当なボリュームいなるけれども、出来れば燃やせるうちに燃やす方が、なにかと無難であった。

そこで整理してみた。考えてみると除間伐で発生する枝は歩きやすさと手入れの見栄えのためにコモンズは元来小さな塊として集めるようにして来たが、この時点で燃やすと手入れ後の林はスッキリする。もし燃やさない場合は、1,2年後以降に薪ストーブの焚き付けにする。さらにその以後は、10年単位で放置し腐って時点で林内に散らす…。

この最後の手段は腐朽材の山を見ながら考えた新しいアイデアである。ボロボロに腐ったらそれが可能で、早々に一部を実施するところ。ただ懸念するのは、その腐った腐朽材の山が小動物の棲み処になっていないか。幸いこのところの実験では、ミミズ以外はカナヘビ程度。ネズミやヘビは出てこなかった。



ボリボリ始まり、ガン飛来

2025/10/04 sat 晴れ 23℃



ようやくボリボリが出てきた。どこにでもまんべんなく、というのではなく、山仕事などで一昨年まで足しげく歩いたあたり。昨シーズンではないあたりが興味深い。

採らずに残したスドキがいよいよ綿毛を飛ばすところ。10年ほど前に遠浅から花穂のみ積んで挿したものが良く増えた。小屋周りがフタリシズカ群落からスドキ群落に変わる日は近い。



これがボリボリ採取途中の収穫。このあと、焚き火の20mさきにもうひとつ群れを見つけて採集。お隣さんに日頃の野菜のお礼にお裾分けだ。



焚き火は楽しい。林内を歩くついでに乾いた枝を集めて燃やしいている間に、小屋周りは整頓されていく。今日の仕事は枕木6本の泥を落としていつでも使えるように積んだ。雨で洗い流されれば自ずと使い道も見つかるだろう。

それと先日採材して運んだシラカバの風倒木を玉切りして小屋裏で割った。次から次へと仕事がやってくるというか、見つかる。ボリボリなどは仕事でなく娯楽なのに、どこか季節の勤めのような感があって、アソビでなくマストなのである。

とは言いながら、小屋のライブラリーの読書は30分でもするようにしている。今日は坂本直行さんの『開墾の記』のエンディング部分。読書時間を労わるように、少しずつ読み進み開拓時代を共有するのである。あと、池澤夏樹著『アマバルの自然誌』。

やはり秋が近い、もうすぐ冬なのだ、と思ったのはガンの声を編隊の初見。テラスの空いた空に数10羽の精悍な姿が見えた。あと20日で紅葉まっさかりに本当になるのだろうか。




木の枝を拾い燃やす愉しみ

2025/10/11 sat くもり 16℃ 中8℃

安来、松江への旅行から帰って、昨日は急いで庭の花の半分を片づけた。花々は当方の栄養診断と水管理よろしくモリモリに育ったからハンギングやコンテナの中の根のからみがすごい。来年使える自家製(ピートモスなど)の土を振るっても、植物体と根がらみの用土は大きな袋5つ、重さ50kgほどあった。今日はこれを小屋のわたし専用の穴に運び降ろした。そして穴は全然埋まらない。雑木林はこれら腐朽を待つものをかように寛容に飲み込むのである。このような寛容さ、生き物全てを受容する底なしの受け身は雑木林の特徴的な属性で、さらにアウトロー、世捨て人、罪人、狂人も受け入れてきたとものの本にはある。それはあるところでアジールと呼ばれてきた。



小屋に来るたびにまずやることは焚火をおこすこと。ベランダ下に置いた焚き付け用ミニコミ誌「ひらく」の古紙一枚で、半日以上火焚きを続けるのである。したがって、焚き火スペースの周囲は同心円状に枝が燃やされていく。この快感は実に素晴らしい。

今日は先週やり残したシラカバ風倒木の薪割りを完結させた。ここはエンジンの薪割り機などないから、太い偏屈な丸太を割るのにしばしば難儀するが、モノは考えようで小屋の薪は売り物でないから採寸はどうでもよい。従って割り易く長さを従来の35cmから15cmくらいに狭め細断してしまえば、たいていのものはよく割れるのである。

そんなわけで寸法まちまちの薪が新たに積まれて、もうこの秋の薪割りはやめ。ついでに小屋周りにある腐れを待つ薪割り台など廃材も、焚き火に運んで燃やした。原始的で究極の断捨離だ。考えようによっては生活風景の改善にあたる。

朝の最低気温はこの週から10℃を切ったが、選手までのボリボリは完全に姿を消した。クリタケもなし。これはシメジやエノキタケに切り替わる端境期に当たるのか。




除間伐の選木

2025/10/15 wed くもり 16℃ 中10℃

小屋周りは里山景観を目指す特別な場所で、過去何度も抜き切りをして来た。それでもまだ、枝先が過度にかさなっていたり、枯れた木が残っていたりする。先方も生きているのだから、毎年伸びもし、中には枯れるものだってある。小屋について早々、11月からの山仕事に向けてこの秋の徐間伐のための選木をして、略図を描いた。大小込みで約30本もある。



印を付けたはいいがさてどの方向にどんな方法で掛かり木になることなく倒せるか、それは今後の課題。

選木のあと、焚き付けをストックするためにカラマツ林に入る。カラマツも広葉樹も紅葉はしていないし、これから冬を迎える風景は乏しいのだが、光線は明らかに秋らしく弱々しくなった。それがわたしには美しく見える。秋ならではのシーンである。





このフットパス風景には何度立ち止まったか知れないが、わたしにはパワースポットのようなものかもしれない。いや、パワーというよりも平穏を感じさせる和みのスポットか。

ちょうど昼前後に地元紙のOさんがやってきて紅葉のピークのころに再訪したいという。ここ静川の里山風景をことのほか気に入って応援してくれる方のひとりだ。少なくともあと1週間は待たなければならないのではないだろうか。



キノコは気配を消したままだ。焚き火の枝を拾っていると、小さなアマガエルに出会った。結構冷えていたから、「大丈夫かい?」と思ったが、寒さに震えているようには見えなかった。

わたしにとってこの雑木林は山仕事をするよりも、「ただ居る」ことが目的になって来た。「ただ居る」のはそれなりの熟達と加齢が必要かもしれない。若い人にはボケにみえるかも。



試される危険な掛かり木処理

2025/10/22 wed くもり時々晴れ 12℃ 中2℃

■紅葉は4合目あたり



朝の最低気温はもう0℃に近いはずだ。ログハウスの室内気温が2℃を指していたことでもわかるが、紅葉は、といえばイタヤカエデもヤマモミジも緑色の葉が一杯だ。派手に赤くパフォーマンスをしているのはキウルシとツタウルシである。

上の画像の真ん中で右横に枝を伸ばしているウシコロシは間もなく黄色く色づくはずだがご覧のとおり、緑のままだった。地元メディアの方がここの紅葉を取材したいと言われたが、やはり早ければ週末の10/25 あたり(これなら平年の日)か、昨年同様あと1週間後の10/29 ころに2025年の紅葉のピークがくるだろう。




フットパス「ささみち」の掛かり木を処理するため、チェンソーを担ぎ大トビを杖にして1周する間も、上二枚のような風景である。4枚組写真の左下はカラマツの大沢、右下は大島山林のシンボルツリー・ドロノキ周辺である。カラマツはまだ葉っぱが緑だ。

■秋らしいショット





ようやくクリタケが出てきた。毎年、このうつくしいキノコを採って食べるが、あまり出汁が出るわけでもなく多様なキノコを入れるキノコ汁なら埋めぐさに十分なボリュームとなるが、今日は家人が旅行中でひとりの食卓でもあるので採らずに見るだけにした。

焚き火はルーティンどおり、小屋の薪ストーブは今季初日。山仕事を終えて帰ると18℃になっていたから最も暑い時刻には20℃を越えただろう。初焚きらしい暑からず寒からずの空模様であった。

■チェンソー仕事、初日の初心



わずか2kmに満たないフットパス「ささみち」であるが、6本の掛かり木があって小屋に戻るまで3時間かかった。1本目はニセアカシヤで、追い切りを繰り返しもう少しで掛かりを外せたが、体重が足らず宙ぶらりんであとは次回ロープ使用だ。ここでは早々にチェーンが挟まれて大トビで回収、最後のカラマツ(上の写真)も掛かりを外す前にチェーンを盗られた。ほんの一瞬、ガツンと噛んでしまった。諦めかけたが辛うじてここも大トビで脱出。倒したあとも枝が複雑で慎重に枝降ろししていると、燃料が切れた。

山仕事は危険と隣り合わせである。シーズン初日ということもあって、注意力の配分も思い出しながら、気配りを慎重にしながらだが、油断してなにか簡単な基本を疎かにすれば事故につながるシーンは随所にある。慢心することなかれ、という戒めの言葉を反芻。

しかし、怖がってばかりもいられない。瞬発力もスピードも体力もなくなった代わり、あわてずゆっくりやることである程度リカバーはできる。臆病すぎてはいけないが、内心冷や冷やの予知警戒は、身を守る秘術でもある。言葉にすればそれは「初心回帰」、あるいは「慢心することなかれ」ではないだろうか。



カラマツと広葉樹の混交林への途はまだ遠い

2025/10/25 SAT くもり 9度 中2度→18℃



前回に続いてカラマツの掛かり木処理である。未だ葉が落ちていないので除間伐には早いのだが、11月1日着手予定で提出した森林法の伐採届の受理通知もまだのようだ。従って小屋周りの雑木林の除間伐はできないから、今のところは林道向かいのカラマツ保安林の枯死木整理などが妥当な作業にあたる。

前回時間切れとなった掛かり木のカラマツは、結構太く生き節が多かったから枝払いも片付けも手間取った。といっても小一時間だが、このほかの枯死木、掛かり木はうんざりするほどある。



約1ヘクタールあるこのカラマツ林は10年以上前に、キクイムシとマイマイガに連続して食害にあって、同時に左上の写真のように野ネズミの食害に見舞われて、秋なのにもう葉がない状態になり急速に枯れ始めたのであった。保安林は伐採やその他行為が原則禁止されているが、枯損木の処理は除外されているため時間のある時に独りで少しずつ枯死木を伐倒してきた。

作業しながら、このカラマツを観察する動機を持つ人は、土地の所有者、行政、NPO、いずれを眺めても、いない。のみならず、周辺を含めた数100ヘクタールをとっても、森と人の関係は途切れていると見て良いだろう。シカのハンター、道内外のオリエンテーリング協会、自動運転コースとしての利用など、地の利に目を付けた短期間の利用者が入れ代わり立ち代わりやってきては去る。それをわたしとシカが定点で眺めていることになろうか。

さて話はこのカラマツ林の保育に戻ろう。捨て伐りで搬出をしないからさほど伐倒には手間取らないと思ったが、最初のうちは予想に反してほとんどすべてが隣接するカラマツに掛かり木になって仕事は遅々として進まなかった。しかし第1回目の除伐が一巡して密度がやや減ったため、これからはもう少しスムーズに伐倒できるだろう。

ただ、まだまだトンネルを抜けた感じはしない。しかし、空の空いたギャップを見るにつけ、広葉樹がそこここに見つかるようになった。母樹もナラばかりでなくホウノキやコブシなどがあるのでカラマツと広葉樹の混交は進むだろう。そしていつかは美しい混交林に仕立てられたら幸いだが、それを見届けるまでこちらが生きながらえることは難しそうだ。



雑木林の今日は風もなく実にのどかである。

小屋の薪ストーブを点ける前にテラス脇の炉で焚き火をおこすと、秋の弱々しい光線とたなびく煙が実に美しい。何もしないでいる焚き火の時間が、気をはって動き回る現代人にわずかばかり分けてあげたいくらいだが、現役で仕事をする間は、この無為のひとときが世の中に存在することすら想像できない、という人もきっと多いだろう。ボンヤリ焚き火は、なにやら雲の上から下界を臨む雰囲気がある。色即是空の声が聞こえてきそうだ。。



左は10/22 水曜日の紅葉、右は10/25 のものである。最低気温が0℃を切ったはずなのに、わずか3日では大きな差がでない。やがてヤマモミジが赤くなり、ナラ類が茶色になって落ち始め、画像中央のウシコロシが黄葉する頃が今年の紅葉がクライマックスになる。それは10/29 頃とふんだが、異例の猛暑だった今年は、それが11月にずれ込むのだろうか。もしそうなればこの半世紀で初体験となる。



里山の風景が時間をかけて出来上がる

  ~今さらの結論、大木の雑木林風景の達成=薪を取るには太くなりすぎた~

2025/10/29 wed 晴れ時々曇り、時折にわか雨 9℃ 中2℃→2℃

■今季の修景をエントランスから始める



いよいよ、今シーズンの雑木林修景が始まる。すでに30本ほどの徐間伐木の目印を付けて作業の工程も頭の中にはできた。あとは、ひとつずつ慎重にひとつひとつ作業を進めるだけだ。看板もできたから入口から再度風景を整えることにして、ヘクタール密度700本程度になった区画を今季は400~500本にするつもりでいる。実生のあばれた大木を含むので、枝先がほぼすべて触れ合う段階に来ているのである。大木にさらに頑張って生きてもらうために、枝先の触れる中高木を疎開させる必要がある。

そもそもここの間伐を始めた動機は、何度も書くように美しいコナラ主体の、大木がそろう雑木林景観を創ってみることであったから、やや大木なったエリアのさらなる抜き切りは自然な成り行きでもあったのである。

一、二度密度調整をしているおかげで、初めての徐間伐とは違い掛かり木になる可能性は幾分低くなったとは言え、コントロールをちょっと間違えばとなりに簡単に掛かってしまう。初日、初回の伐倒はテンションの方向をやや右に振るため右側のツルを心持ち厚くしたところ、運よく、いや、首尾よく木と木の間をするりと抜けて倒れた。心の中で、快哉を叫ぶ。



こんなことを何度か繰り返して昨年の手入れエリアをふりかえって眺めるとこんな具合だった。紅葉の具合は10月末というのに緑がかなり残っているが、にわか雨が挙がったばかりの木漏れ日と相まって、実に美しく感じる。里山的な和みが感じられ、山仕事冥利に尽きる。

ちなみに、小屋周りのこの風景は、今朝の北海道新聞の朝刊で大きく報道された。記者が昨日雨の合間を塗って撮影したものだ。企画の意図を外れないようコモンズに関する表現を工夫された跡がしのばれてうれしい。工業用地の中にきれいな緑地がある、という発信も地味で、かつ意外性があり、なかなか良いのではないか。

■野生生物たち

作業している間、北東側50mさきにトビが数羽飛び交っていた。何かあるなとふんだ。作業後、ササを踏み分けていってみると、あった。エゾシカの死骸である。倒木の切り株の裏に、血まみれのアバラをむき出しにしているので、思わず「アッ」と声に出すところだった。予想はしていたものの、やはり驚きがある。

林道から20m離れた厚真町のエリアで、猟期は10月1日にスタートしているから問題はないが、狩猟の結末だとしたら地下埋設を義務付けられているので違反ということになる。このままでは、タヌキ、キツネ、猛禽類など野生生物をおびき寄せることになる。これから本格的に狩猟期間が始まるとなると、誤射事故の懸念も残るが、時節柄ヒグマを誘引することにならないか、注意を要する。





また、周りでは複数のクマゲラが連絡を取り合うように離れて呼び交わしているのに気づいた。2羽ではなくもう一羽がいるように思えたが、テラスの椅子に座り双眼鏡で眺める頃には、目に入るのは2羽だった。



奇妙なことに、残っている2羽は、画像のように向き合ったままほとんど動かず、鳴きもしない状態だった。段々下へ下がって、地上から80cmあたりの高さに静止したままなのである。繁殖期は過ぎているはずだが、行動ははペアリング風で、何があったのか、何をしているのか、聞いてみたい気がした。

今日からは、失くして買い足した補聴器の左右をホルダーで繋いで使用した。伐倒時に木が出す異音に遅滞なく気づいて危険回避の対応を取るためと、このような生き物の声をできるだけ聴き取るためである。野鳥、特にシジュウカラの鳴き声の意味が分かる、という段階にも来たようだから、ぜひ、聞き耳頭巾のように一部動物の交信内容なども知りたいものである。これは幼少のころからの希望でもある。




晩秋に突入、小春日和の山仕事

   ~雑木林の癒し系エリアか~

2025/11/3 mon 晴れ 10℃ 中2℃→22℃



土曜日曜の低気圧通過で胆振地方は大荒れだった。おかげで今週あたりが紅葉のピークのはずだったが、残念、葉っぱが落ちてしまった。いきなり、晩秋の景色に代わって、今日はまさに小春日和。淡々と除間伐を、しかもゆっくりと。シニアワークとはこれである。

玉切りを急げば、シカ猟のオヤジがこれ幸いと RVに積むなどして持ち帰る。まぎれもなく泥棒なのだが、それならこちらも避けねばならないと、玉切りはシカ猟を終える4月以降にまわし、仕事の仕上がりは写真のように乱雑に積んで枝だけは片づけておくことにした。道ばたに手頃な丸太を放置して盗難を誘発した可能性がある、という自らの反省もある。たくさんあるのだからいいだろう、などと出来心を誘ったとも考えた。



一方、一帯は大木の雑木林風景に近づいてきた。密度を目で勘定するとヘクタール300本程度のところもある。枝張りはどうかといえば、それでも枝先は数年でまたぶつかるだろう。実生と思われるコナラの大木(樹齢100年以上か)が3本、雄々しくそびえる小屋周辺だ。なにか、雑木林のイヤシロチ、あるいはパワースポットを創っているような気がしてくる。「雑木林&庭づくり研究室」の面目躍如である。





今日も小春日和

2025/11/5 wed 13℃ 室内2℃→20℃

市街地では数日、霜が降りたのだが再び温暖な日がやって来た。薪ストーブは薪3本焚いただけで20度まで上がった。小屋の「雑木帳」をみると、2025(令和7)年の正月から今日が80回目の小屋番である。なにかかにか、いつもやるべき雑用と山仕事があるのだから、里山というのが、いかに人の手間を経て「手自然」になっていくかを、この手間日数だけでも示していると言える。



今日は何本かを伐倒して整理した後、3本株立ちのシラカバを追いヅル伐りで倒した。すでに1棚(約3か月分)の薪はできただろう。天気のいい日に、ゆっくりと、わずかな実働時間で、何に追われることなく、マイペースで、雑木林のガーデニングのつもりで修景し、翌春には翌々年以後の薪ができあがる。



先日は落ち葉でテラスの板が見えないほどだったのに、掃いた後今日まで、すっかり落ちる葉もなくなったようだ。落ち葉が林床や路面を隠し、林は美しく明るく感じられるようになった。