report 3

ドイツにおける森の散策
〜疎遠になった緑とのつきあいをどう取り戻すか:その北海道的展開〜




「緑と人」の現状は

ドイツの観光街道の今回の視察は、街道に付随するさまざまな施設、文化、景観等をできるだけ多くを見聞し、
北海道内で構想している北海道型の観光街道に生かせるヒントを見つけることを目的としたものである。
ドイツの街道が誇るお城や農村景観、史跡、食べ物、イベント、文豪や音楽家ゆかりの品々、みやげ物などなどと
その関連施設を、できるだけ多く「見る」ことに主眼をおいて駆け巡ったというのが、旅行を終えたあとの印象である。

 北海道に視点を移しこれからの新しい観光の芽を考えると、北海道に豊富に存在する森林は観光等分野では
未開拓であり、その一方、まだ快適とは言えないケースが多い農村と景観はまだ完成型が見えていない。あるものを
利用するという発想から見てもそれらの要素はもっと料理(付加価値化)の方法をさらに工夫できる段階にあると考えられる。
 森の散策に特化すると、「緑」が声高に叫ばれる割にきわめて低調であるといわざるを得ないのではないか。
むしろ、近年の「緑ばなれ」はもっと深刻であり、個人的には人と緑(森や林)の間に新たな「入り口」を
見つけてあげたり仕組みを作る必要があるとさえ思う。

 そんな折、昨年の夏、ドイツに森林散策を療法に用いるクナイプ療法の存在を知り、若手研究者・上原巌さんに出会って、
ドイツでは森林療法地をふくむ療養地が、観光とは違うが長期滞在地となっていること、そしてそれは森林の存在が大きいことがわかった。
上原さんは知的障害者を療育する信州の現場で、クナイプにヒントを得た森林療法・森林散策カウンセリングを探求し実践している。
 またドイツ人の森の散歩好きはつとに有名で、緑や森林の「入り口」をドイツにおける雰囲気の中に垣間見たい衝動があった。
以下、クナイプ療法のコース探しを軸にして、森と散策ルートについてのささやかな見聞を、日本とドイツの歴史などを
織り込みながら体験記として述べてみたい。

ドイツのクナイプ療法

まず、クナイプ療法について簡単にふれておこう。「クナイプ療法」は、今から100年以上前にバート・ウェーリスホーフェン
(ドイツ・バイエルン州)のカトリック司祭であったセバスチャン・クナイプ(1821〜1897)によって提唱された自然療法で、
「水療法」「運動療法」「食事療法」「植物療法」「秩序療法」の5つで成り立っている。このうち森林散策を伴うのは運動療法で、
クナイプ療法士のもとで軽い運動をしたり、独特の浅いプールの水に足をつける。この小さなプールは色々なところで発見することができる。
 さて、クナイプ療法の発祥地バート・ウェーリスホーッフェンはミュンヘンの西80kmにあり、人口1万4700人で、
クナイプ療法を行う長期滞在型の療養地となっている。近自然河川工法をみたビースバッハ川のすぐそばであることは
実は後で知って地団太を踏んだところである。総ベッド数は約7300である。またここには総延長250kmの散策路や自転車道があり
滞在者の用に供されている。残念ながらバート・ウェーリスホーフェンを訪問することはできなかったのだが、保養地オーバースターフェンで
クナイプ療法のコースを聞いたところ、やはり、「それはバートに行ったほうがよい」と言われた。実際には、その宿泊施設の
わきにあった小道がクナイプ療法の施設(小道とプール)につながっていたのに、そのことは意外と知られていない。あるいは
クナイプのメッカ、バートの直近なんだからそっちへ行ったらどうか、ということか。

 クナイプ療法のうち、運動療法と地形療法、つまり森林散策が積極的に取り入れられている疾患例は、
動脈低血圧症、緊張低下症、血液循環関係の疾患、自立神経系失調症、末梢神経循環不全、器質性の脈管昨日障害、
神経症、ノイローゼ、不眠症、便秘、掻痒症、乾癬、肥満などとされている。
 ここでは、森林散策が心身疾患の療養の一環として機能するということに注目し、林内散策路のルートどり、
シチュエーション、沿道の見え方と仕掛けを紹介したい。

散策ルート体験記 T 「ローテンブルグ」



雨の中をローテンブルグの城郭一周を試みる。まず高さ十数mの城壁に上り、時計回りにローテンブルグの
俯瞰景と眼下の建物のディテール、屋根の重なり、庭、ベランダだとかを覗く。フラッツのような住宅、瓦、庭も見飽きない。
城郭の南から、タウバー谷方面へ下る。城壁から急斜面をつづらで降りて、ややフラットな回遊コースに出た。
トチノキ、リンデンバウムなど大小の木々が比較的ラフな芝地に散在する。斜面下はもっと樹木の密度は濃い。
雨が晴れて、雨上がりの緑のルートは散策のシチュエーションとしてはとてもグレードが高い。橋の手前に大小いくつかの
サインがあり、一番小さなサインに「ring weg」とある。タウバー谷をわたって、ルーラルパスらしい入り口に着いた。
ルーラルパスの入り口には、木製の杭に、白地に赤線のしるし(サイン)がみえ、木立の樹皮にも白地に赤棒がひいてある。
この後各地でもプレートサインがないところはこの簡略サインがみえた。50mほど進むと朽ちたベンチとやや離れて
もうひとつ座れるベンチがおいてあった。振り返ると、そこは緑に包まれた城壁を見上げる絶好の眺望だった。
ベストビューポイントだったのである。

← タウバー谷のルーラルパスとサイン



 城郭都市ローテンブルグは、紅葉を始めた緑の斜面上に枝の間に見える。
ここでもしばし迷いを感じてからスケッチを始める。建物は小さく押さえて
見ると斜面はとても大きな構造物のように見えてくる。梅田先生ら、ギャラリーも
応援してくれる。梅田先生は最後まで待っていてくれて、雨滴が落ちない傘を
差し伸べてもらったりした。
 そそくさとスケッチを仕上げたあと、先生と二人で途中まで戻り、
簡易舗装された別の細いレーン(幅1.5m)を上る。城郭に登りつめるらしく次第に急になってくる。ふっと、振り返るとタウバー谷の
対岸が紅葉に染まっている。もっとも風景の構図のいいところに必ずといっていいほど、ベンチがある。ここにじっと座っていると、
きっと目が休まり気持ちもないでくるのだろうと想像する。この坂も高齢者にはちょっとつらいかな、という気はするが、高低差では50m程である。

 その坂の途中で偶然knippeのサインを発見した。上原さんのスライドで見たものと同じ、白い水槽やベンチがある。
こんなに早くクナイプのコースと施設にめぐり合うとは思っていなかったので、思わずラッキー!とつぶやいてしまったが
ドイツでは思ったよりポピュラーなのかも知れない。そばに柵があってそこはknippe verein(クナイプクラブのような意味)
のもっと大きな立派な水槽もみつけた。そこは何本かの小道が集まるところで、ベンチがあり、タウバー谷とそれを挟んだ
向かい側を眺めるとてもいいビューポイントになっているのだった。先生も息を切りながら、わたしとクナイプとのラッキーな
出会いを喜んでくれて、「草苅さん、思わぬところで願ったりかなったりだね」と言われた。


← 城郭を囲むつづら折りの小道とサイン


















 ← 展望地のベンチ





















← クナイプ療法で使う小プール



 クナイプの施設からはすぐ城壁の中に入ることができた。「あ、こんなところに出るんだ!」。
そこは前夜夕食を取ったレストランのすぐそばだったのである。ここまでの所要実時間はおよそ
40分といったところである。



 散策ルート体験記 U 「シュバルツバルト」

散策する時間はまったくなかったが、シュバルツバルトのにおいをかぐことができたので、そのプロフィールと
現地で感じた彼我の違いをメモしておきたい。
 まずシュバルツバルトの概略を整理しておこう。シュバルツバルトは司法の都市カールスルーエからスイスの
バーゼルにかけた全長170km、幅20〜60kmに及ぶ山並みである。針葉樹が多いことから黒っぽい森に見える。
森林植生の70%は針葉樹、残り30%はブナなどの広葉樹である。針葉樹はヨーロッパトウヒなどの在来種に混じって、
北米産のダグラスファーの造林もさかんである。わたしたちが訪れたバーデンブルテンブルグ州は36%が森林で
その面積は130万haである。昭和50年代の中ころ訪れた研究者のデータでは州有林の林道密度はすでに100m/haで
あったとされる。この数字は管理を含む林業活動がかなり活発に行われていることを示している。

← バスから見る黒い森・シュバルツバルト

 シュバルツバルトの一角にあるフライブルグ都市林はヨーロッパ有数の美林で有名だが、
平均蓄積は昭和50年代半ばの段階で350立方m、年間18000立方mの木材生産を
している(「ヨーロッパの林業」北方林業叢書57 北方林業会)。都市林というのは、
市民のレクリエーションに供するかたわら、木材生産も平行させ、
もちろん動物の生息場所を提供する比較的広大な都市近郊林をさす。
市民のための森林の確保と整備はヨーロッパで進んでおり、このフライブルグ都市林や
スイスのシールバルトなどが有名である。

 シュバルツバルトの人々は、長い間林業を経済生活の基礎にしてきた。建築資材としては事実上、木材のみが用いられ、
かっこう時計など木製の手工業は現在もさかんな産業部門のひとつである。
 このように森林資源的利用がレクリエーション利用と並存している現状は、シュバルツバルトのいたるところで
伐採された樹木がうずたかく積まれた場所(土場)が見られたことでも推測できるが、沿道で見た伐採木は、
実は1999年12月26日の暴風による風倒木だと思われる。ドイツでは経常伐採を縮減して被害木を優先的に処理する
対策が実行されており、虫害予防のためスプリンクラーによる散水が見られたのもそのためであろう。ちなみに
バーデンブルテンブルグ州の被害が特に甚大で2,500万立方mの風倒木被害が発生したとインターネットで報告されている。
通訳のKoy さんの話ではここ2,3年、酸性雨の被害は、話題になっていないということだった。

↑ 風倒木の整理によるとみられる土場          ↑ フロイデンシュタットの墓地の並木と道



 さて、わたしたちがシュバルツバルトを目にしたのは、カルフCalw を過ぎたころだった。斜面が急になり、
確かに黒い森林地帯に入った。ほとんどヨーロッパトウヒ Picea Abies が続いており、林床が単純であるのは
教科書どおりであった。日本の林学はドイツ林業を手本にしたのだが、日本にはササが存在したためにドイツ理論の
ように天然更新が進まないことがわかり独自路線に方向転換した歴史がある。しかし、ヨーロッパトウヒの鉄道防雪林や
森林美学の基礎理論など、ドイツに学んだところは少なくない。

 だが、森との人との付き合いはあまり学ばなかったのではないかと思う。ドイツのある都市で行われた市民アンケートでは、
週末に必ず行くという人が約70%近くいて、少なくとも月に1回はほとんどの人が森に行くと答えた。
かたや日本のわたしたちはそんな環境にも置かれていないし、日常の優先順位の中に森や緑が入ってくる人は極めてまれであろう。
ロンドンにおける100人のアンケート(1995,1998)では、3人に1人は週に1回以上、緑豊かな公園に行くと答え、3人に2人は
月に一回以上行くとしている(「イギリス・緑の庶民物語」平松紘著)。

↑ 森の散歩A                     ↑ 森の散歩B



 100年少し前、国木田独歩が「武蔵野」を書いたとき、彼は"日本人はこれまで広葉樹林の美しさを知らなかった"
という意味のことを述べて武蔵野の雑木林や里山を描写した。それ以後、伝統的な花鳥風月の世界は、
遁世のライフスタイルとして多少揶揄もされながらどこか心の片隅に宿しながら生き延びたのに対して、
森の散策というキーワードはなかなか生まれなかった。これは、ドイツのように散歩に適した平地林が身の回りに
見つけにくかった現実とともに、緑の中にいる心地よさや快適さを体験的に目覚めることができなかったことによると
わたしはひそかに考えてきた。

 実は、この辺になると、ドイツには、ソーセージの原料の豚は森に放しミズナラのどんぐりをたっぷり
食べさせて脂肪分をつけるなどしたほか、庶民にとって手ごろなレクリエーションの場であったなど、
人と森との歴史的な付き合いがあり議論や運動が歴史的に展開されてきたとことによると考えられる。
また、このことは、ロンドンの公園が、「保養と健康のために散歩する慣習的権利」が住民が闘いとってきたこと、
コモンズと呼ばれる一種の入会地の獲得という、快適な空間への要求と継続的な運動の経緯に似たものがある。
ドイツでも英国でも、「まず住民の森や緑への欲求ありき」として注目しておきたい。
 

散策体験記 V オーバースターフェン

「わが村は美しく」の受賞村・ヘルゲンスバイラーをあとにして、バスはアルゴイ地方の美しい田園地帯を横切った。
スイスのエンメンタール地方と風景がよく似ているそうで、エンメンタールというブランドのチーズを生産しているとか。
スイスのエンメンタールは「エンメンタール美(うるわ)し」の歌(ヨーデル)で有名な場所であり、知る人ぞ知る地域である。
エンメンタールと似たこの一帯は、旅程ではノーマークだった。アルゴイは、まさに山岳というより緑の丘のまことに絵のように
美しい田園地帯の風景が延々1時間以上も続く別天地に映った。風光明媚な絵葉書はよくあるが、この絵葉書が流れるように続き、
どこを切り取っても絵になる。

↑ エンメンタールに似ているというアルゴイのの景観@   ↑ アルゴイの景観A

 牧場の緑が視野の過半を占めながら、黒々とした森や林と、レンガ色の屋根をもつ集落が点在するという、
いってみればその連続だが、俯瞰できる丘の田園は、風景の上ではとても恵まれた与件だといえる。また、
そのことは美瑛や富良野でもわたしたちは経験済みであり、だからこそ、わが空知の平坦な田園はどのような見せ方がいいか、
が議論されるわけだ。だから高速道路ができてから、その俯瞰景によって見直したという人も実際にいる。
エンメンタールの風景に現れる小道は、緑の牧野をジグソーパズルのように大きく刻むようにしてうねっていた。

 さて、そのようにして療養地オーバースターフェンに着いた。散策ルートを探すわたしたちは、
街外れにあるクアハウスへと向かいそこでバスを降りた。オーバースターフェンは大きな丘に挟まれた平地にあり、
クアハウスはその丘の縁にあった。やや小高いクアハウス周辺から見た町並みは緑の中にうまり、
対岸の丘は放牧地のような草地と針葉樹のモザイクのように見えた。ここオーバースターフェンにもクナイプコースが
用意されていると、あるガイドブックで見たので、クアハウスのレストランで聞いてみた。「クナイプのコースは知らない」
とそのひげの中年男性は返事し、「バードウェーリスホーフェンに行ったらいい」という。仕方なく引き下がり、
梅田先生とクアハウスをあとにした。

↑ クアハウスからまちへ続く道             ↑ クアハウスから山沿いへ続く道



 クアハウスの前の芝の広場と散策路は、適度な木立がマッチして心地よい雰囲気を作っていた。
散策路はクアハウスから中心街に向かって下るものと山の縁のルートがあり、ややルーラルっぽい山沿いの
道をわたしたちは選んだ。道はまさに山沿いの縁にあり、右手は林と雑草地が入り混じるやや急な斜面である。
谷側は施設が出て来たり、林が出て来たりでアップダウンがある。林の前で親子連れが林をのぞきこんでいたので聞いてみると、
何か小動物のようだった。「彼らはシャイで」とお母さんは林の中をを指差す。。「リスsquirrel?」と重ねて聞いてみると通じない。
見かねた梅田先生がリスの尾を強調したボデイランゲージを試み、お互い爆笑のうちに納得した。
親子連れはお母さんと10代前半の女の子で、クアハウスの方へ歩いて行った。服装は、やはり歩く意図をもったいでたちで、パーカーを着た軽装だった。

← 家族連れと会った山沿いの道



 小さな沢の地形があって水が流れていた。そこにさらに細い小道が上に
続いていたので上ってみるとすぐとおせんぼの柵があり、どうもプライベートの
土地のようだった。山道でプライベートのサインを見たのは今回これで3回目である。
元の道を進んでいくとやがてマンション形式のレンガ色の療養所に着いた。
道の分岐のところにはkneippe の文字が入った小さなサインがあった。
また、施設の方に近づくと、そこにはローテンブルクで見たと同じ、クナイプの
ミニプールがあり説明看板も建ててあった。
 プールの中は、ローテンブルクもそうだったが掃除されておらず、水垢がついている。10月はもうオフなのか。
使用する際に洗うのか、それともこのまま足をひたすのか。この施設を実際に使った風景には出会えなかった。


← オーバースターフェンで見たクナイプの小プール

 オーバースターフェンはサナトリウムを含む高級療養地と言われるだけあって、
緑の多い静かなたたずまいで、メイン道路やバスステーションはとてもにぎやかで、
いわゆる療養地にありがちな沈んだ静けさは感じられなかった。歩き回っても道に迷わないような、
安心感がある。数kmのところに山の斜面が見えていることや道にストーリーがあるからだろうか。
 山沿いの道は、北海道でも散策ルートとして考えやすい。土地利用の境界部で所有者が
平地と斜面では異なることが多いだろうが、すでに道がつけられていることも多いはずだ。
私の住む町でも雑木林の麓のそこは、一部舗装された車道になっており、
砂利道の山沿い道路は散策にむいていてファンもいるが、いずれも車両の通行が多すぎて快適ではないどころか、暴走族の通行路にもなっている。

散策ルート探訪 W ヒュッセン
森林カウンセリングの上原さんに、クナイプのコースとして進められたのがヒュッセンである。
ドイツでは「ヒュッセンに行く」と言えば「日本人に会いに行くのか」と半ば冗談を言われるほど、
日本人の多いまちになっているようだ。しかし日本人の多くは、ノイシュバンシュタインなどの有名なお城に
観光客としてつめかけるが、レッヒ川をはさんだ対岸のこの森林散策にはだれも行かない、と言っており、
お城をみたあと午後その足でそそくさとミュンヘンに向かうらしい。

 ヒュッセンで散策したのは、中心街の南西部でiセンターから直線で1kmほどのところである。
広く雑然とした駐車場からコースへは、岩盤が両側から迫った通路を通って入る。すると、
トンネル状の向こうに緑のたたずまいが現れるといった仕掛けになっている。意図的かどうかはわからないが、
いわば別天地へのプロムナードとして静かな緑のゾーンへたどり着く。地図によると正式には「Bad Faulenbach」と
なっていて、東西に長い周遊コースが数本あり、2km、4kmというふうに選べるようになっていた。
コースは湿地から流れる川とせき止めたプール状の池を回る形でできており、メインの舗装道路は隣町のPfrontenまで10km続いている。

↑ 散策路と池                    ↑ ビューポイントのベンチ


 さて、エントランス部分は施設中枢部のような建物が集まり、日当たりの良い北側高台にはマンション風の
宿泊施設が見られた。芝生と木立とサインと、要所要所にやや古めの建物が散在し、クナイプの資料館も
あったようである。散策ルートはできるだけ長めのものを選んだのだが、地図で図ると片道4km近い。
川の源頭にあたる湿原、さらにその上部まで確認したので、ほぼ間違いないだろうと思われるが、
ちょっと長いかなという感じである。
 池を右手に見て進むと、左は林の斜面(ヨーロッパアカマツと広葉樹)、右手は平坦地ではテニスコートだったり
建物だったりする施設用地で、コースは池とそれらを回るようにできている。15分もすると大きな池が現れ、
対岸の紅葉が水面に反射していた。"これは、元気になれる"。そんな声が出てきたのが面白かったが、
それくらい、緊張が思わずほぐれるような風景に見えた。ベンチがあって、早くも「ここで十分」という人たちと別れた。

 池には、湖岸から10mほど中心に寄ったところに、木製のベンチのようなものが取り付けてある。確定はできないが、
足を水につけることがクナイプの水療法であることを考えると、それは、腰をかけて足をつける水中ベンチではないかと思う。
そこまで歩かねばならないが、そこに腰を下ろし、対岸の景色に見ほれる、というところか。
 また、池の対岸の一部が白い柵で囲まれているのを2箇所見つけたが、地図で見るとプールのマークがあるから、
やはり推測どおり水浴場だったのだ。路面は簡易舗装で、落ち葉が道路境界を隠して自然風である。
林はほどよく手入れされている感じだが、日本人の好きそうな天然林仕立てといえよう。湖岸は石で護岸されているところと、
そのままの所があった。左側は至近景、右側は遠景で、対岸の見え方がいいな、と感じられるところにはやはり
ベンチが設置されていた。やや離れてベンチが連続してあるところは、さしずめ人気スポットということかも知れない。




↑ 幹線道路にあったベンチとたたずまい            ↑ キャンパスの中の小道



 源頭部はヨシの湿原だった。ここで幅1mほどの川を渡り、幅5mほどのメイン道路に出た。
ヨシの原野を見慣れたものにとってはなんでもないヨシの湿原の前にも、やはりベンチが置いてあり、
ビオトープの国ドイツではこの風景に独特の思い入れをして眺めるのだろうと想像した。広い道路だが車は通らなかったので、
真中を大きな声でしゃべりながら入り口に向かった。ここでも所々に土場があり、針葉樹の丸太が積んであった。
入り口に1,2kmのあたりで、道はキャンパスに数本枝分かれした。

 このコースを歩きながら、森林の風致体験が人一倍多い自分でもヒュッセンのこの散策路の森林景観は
とても好ましいものに映った。といっても、それがドイツ固有のものかというとそうでもなく、北海道のそ
れとあまり変わりはない。空沼岳の万計沼をやや雰囲気を明るくしたような周遊コースである。
 では、何が違うのだろうか。それは言うまでもなくまずアクセスである。マップからスケールで計ると
ほぼ1km。またヒュッセンのこのコースすべてがバリアフリーであり、車椅子でも十分まわることができる。
簡易舗装は人工的だとして自然内歩道から避ける向きが日本ではままあるが、ぬかるみ歩道やでこぼこ不陸はバリアになるので、
透水性舗装であれなんであれ、そのような歩道整備は、人と森の距離を近づけるてだてのひとつである。
 人と森を近づける基本はまず時間距離が短いアクセス性、そして歩きやすい歩道、さらに人間の「快」の方向に
あわせてデザインした緑の景観。2番目、3番目は今の公共がやればできそうなことばかりだが、
まちの中心部での場所の獲得は、市民の声がないと始まらない。

散策ルート探訪 X ミュンヘンの英国式庭園

ミュンヘンの英国式庭園は、外周派はうっそうとした森林、内部は芝生広場でイザール川を取り込んでいる。
急流のイザール川の水位がGLから20cm程度であるのには心底驚いた。レベルの高い河川管理能力がしのばれた。
園内は、英国式の呼称によれば、馬も通れるbridle way と細い歩道のfootpassが、特に樹木の中にだけ巡らされていた。
芝生の中に入りこむfootpassは見えなかった。森をやや低みから見上げるゾーンにたどり着くと、
そこにはそれまであまり見られない数のベンチが並んでいた。ここは日当たり、風景の面などでミュンヘンっ子の
好きなスポットだと推測された。

  
← 英国式庭園の内部。広葉樹林が広大な芝生を囲む

 また、ここでは森の幼稚園 waldkindergarten が行われている。
自然・森林環境を利用し、特定の園舎や敷地にとらわれることのない
ユニークな幼児教育を展開するものである。現在ドイツには220以上の
森の幼稚園があり、益々増加の傾向にあるという。風邪などの罹患率の低下、
問題解決能力の向上、手指の微細作動能力の向上、適度なストレス発散による
情緒・感情の安定など、さまざまな効果があげられている。

総括〜これからの森と人との出会い〜
 上述の効果は成人にそのまま当てはまる事項であろう。森林散策は自己内観の時間であり、
うつ病等の患者と散策による療育で改善例を多く持つ上原氏は、森林の散歩の効用を次のようにまとめている。
「…歩行するという行為は、視界・視野から情報を収集し、それによって身体の平衡機能を保ちながら手足の
交差運動で場所を移動することだが、この一連動作を行うことによって脳内部には、内因性モルヒネ様物質である
エンドルフィンの分泌作用が行われ、それによってある程度のストレス緩和作用が得られる。また、「散策する」
という行動は、ただ単に歩くという行為だけでなく、それによって引き起こされる関連事象もその目的に含み、
自分の足を自ら運ばせて移動しながらそこで出会う風景や場面、その変化から受ける印象、またそれから得られる
感受性や情操感、過去の記憶の再生や思索、周囲の環境の認識なども、歩行による具体的効用と関与しあって、
精神、肉体両面の変容を行うことができ、さらに散策による「場」の移動は、短期的な転地療法でもあり、
行き詰まっていた思考方法に新しい視点をもたらしたり、論理の展開を進めるうえでの介助を行う効果もある。」

 以上のように、森林は特にメンタルな部分において現在評価されている以上にわれわれ人間の味方にしたい存在であり、
もっと身近なところに再生して行くことがもっとも望まれる公共財ではないかと考えられる。このような森林を身近な場所の、
アクセスしやすい場所に持つことは、都市計画や土地の所有のうえからも現状では簡単に行くものは何ひとつ見つからない。
しかし、森林や緑を「いじめ」やがて「仲直りした」ドイツや英国では、住民に不可欠だという魂の叫びをエネルギーにして
身近な緑を獲得してきた。

 その文脈で見て行くと北海道に住むわたしたちにその気があれば、今、スタートラインにつくこともできるではないか。
散策路モデルの試作と実践、NPOによる森林保育、発生材のバイオマス発電利用と高齢者住宅への熱供給など、
市民生活と産業をコーディネートし前向きに工夫していけば、現状より心地よい生活空間は創造できるはずだ。
そういったことを、もっとも地の利と気運が整った地域が取り組むことで、新たな交流資源がここ北海道に生まれると思う。                        



参考文献
*「自然散策が医療・保養に取り込まれているドイツのクナイプ療法」上原巌 「森林科学 19,1997/2」

*北方林業叢書57 「ヨーロッパの林業」
*「イギリス・緑の庶民物語」平松紘著 明石書店
*「ドイツにおけるヴァルト・キンダーガルテンについて」上原巌ほか
*日本カウンセリング学会第29回発表論文集「自然散策とカウンセリング (T)」
 上原巌


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