庭からの発信 '01



2001年、わたしの庭では、原点に戻って自分のペースで楽しく
できることを
最大のテーマにしました。その結果が、ハーブであり
、日本庭園めぐりであり、
クラブ活動継続断念でした。結構大き
な節目だったといえます。さてその中身は?


●ハーブで見えてくる庭づくり  
                        
「できるだけ花の咲かない庭」「もっと立体感のある庭」「もっとゆっくりできる庭」。
今年の庭の実験テーマはそこにおいた。もとより、国籍不明の庭だから、どうあらねばな
らないという原理原則もない。 
                          
 なぜ、このようなテーマにおち着いてきてしまったのか。はしょっていってしまうと「年
だから」、と言うことになるのではないか。死期が近づいてくるとわがままになるのであ
る。そして色の鮮やかな花にそろそろ疲れてきていることはもちろんだが、極論してしま
うとやはり自分のための庭にしようということになる。自分で食べたりする農園菜園は場
所のうえからも庭への未練の点でも現状では無理だからせめてハーブのようなもの(中間
物)でうめて、見られることのプレッシャーはあまり意識しないでいこうと決めたのだ。

 本当のところをさらにいえば、パジャマ姿でできる庭にしたい…。だが現状でこれをす
るには高い塀や垣根が必要で、悲しいかな、高い塀をまわすとわがミニガーデンに陽は射
さなくなってしまう…。仕事のフィールドではハーブ畑をつくってはいたが、自分の庭に
意識的に何種類も植えるのは初めてだった。立体的にできるか、興味もつきなかった。 

6月。石灰を混ぜて置いた露地に少しずつハーブを植え込んだ。

ヒメケマンだけがすでに満開だった。どっこいしょ、これから仕事だあ〜!
 植えたハーブは、フェンネル、チャービル、チャイブ、カモミール、タイム、レモンバ
ーム、スウィートバジル、ミント各種、セージ数種、マロウ、ヤロウ、パセリ、オレガノ、
ナスタチウムなどどこにでもあるものばかり。
                   
 で、やってみての結論。ハーブの庭がこんなに落ち着きのあるものとはまったく知らな
かった!色のある園芸の花々が「社交の花」とすると、ハーブはやはり「普段着の暮らし
の植物」であることが実によ〜くわかった。サイモン&ガーファンクルのスカボローフェ
アで繰り返しリフレインされるパセリ、セージ、ローズマリーそしてタイム。あれらはい
わば日常性のシンボルであり、戦などあらゆる非日常と対比して見せたのである…。そん
なことがハーブを育てながら次第に実感としてわかってきた。 
           
 小さな苗が1m近くにみるみる育っていくあのスピードも快感だった。貧乏だった学生
のころ、友達の家によばれてごちそうになっていると、そこの両親がよく「なんでもよく
たくさん食べてくれるのは見ていて気持ちいい」と目を細めて喜んでくれたものだが、ち
ょうどそんな感じである。

8月のお盆過ぎ、こんなボリュームに育った。パイナップルセイジのモリモリに救われた。
                            
 もう一つの結論めいた提案。冷涼な苫小牧はハーブにめちゃめちゃ向いていることを利
用して、苫小牧の特徴ある花飾りをハーブに傾斜して見せてはどうかということ。気温が
あがらずじっとしている夏花の中にあって、ハーブ達は元気にどんどん伸びて実に感動も
のだ。そういえば苫東に視察にきたある薬品関係者が「ここは漢方の植物栽培に向いてい
る」と語ったのを思い出した。早来あたりの農家で漢方の植物を受託栽培しているところ
も実際にある。もし、夏花のピークが札幌や恵庭より1ヶ月遅いのがくやしいなら、ハー
ブのぐんぐん育つ成長ぶりをほれぼれと見守る方が健康的でもあるだろう、とかんがえた
のだった。 

家の方から見ると…。フェンネル、オレガノ、ミントなどがブッシュ状に。
 そうしてハーブ達の空間の取り合いをあれよあれよとながめているうちに、せっせと草
取りをしながらシーズンが終わった。見てくれは少しも良くなかったし、立ち止まる人も
さすがに見なかったが、こんなに深く満足したことはなかった。そして何より、朝な夕な
にハーブを束にして抱くようにして、においを腕の中に包んでにおいを嗅ぐときに感じる
至福。茶と食用への利用など日常的つきあいの中で覚えるありのまま感覚。いずれもあわ
ただしい日々の息抜きには格好の空間になった。                  

●「花の社交界へのさよなら」、そして「庭へのひきこもり」 
             
 2001年の庭づくりを振り返るならば、年のはじめにグリーンサムクラブをやめたことに
も触れておく必要がある。クラブはちょうど十シーズン目に突入の記念すべき年であり、
そのシーズンの開始を前にわたしはクラブの世話をするスタッフを降り必然的に代表も退
いた。
                                    
 きぜわしく仕事に追われる日々の思いが園芸をつまらなくさせ、地域におけるこんな活
動も思うようにならなくなったからだ。クラブの活動など社会にに向かったアクションを
脅かすプレッシャーは転職後3年間ずっと続いてきたことだが、2000年の年の瀬、もう
これは一区切りをつけたほうがいい、と結論を出したのだった。
           
 まず自分の庭の時間があって、その先に地域の仲間とのつながりがある。重心と優先順
位は庭においておけば、地域とのつながりの方は細くとも存在する。庭づくりをおろそか
にして庭を通じたクラブに身を置くことはわたしにはむしろつらいことだった。幸いとい
うべきか、クラブはネットワークが進化して「花の社交界」のような方向に自然に歩き始
めていた。 
                                  
 わたし自身、クラブはあくまでも「庭の手作業と感動のつながり」であって、運動では
ない、と考えてきたから、手作業と感動を手中におさめていれば、つながりはいつでもど
こでもネットでも発生するものだ。また、クラブでは各々の拠出できるサービスを持ち寄
るのだという考え方できたから、わたしの担当するサービスが止めることによって欠落す
るけれどそれが必要なものだとするならば、必要な人が労力と時間を拠出すればいい…。

 9シーズンのクラブは手応えがあった。特に100人程度の花好きの方たちと直接庭を
伺って庭と人となりに触れることができて生まれた人のつながりは、そう簡単につくれる
ものではない。毎年、早朝か夕方か、そして週末のかなりの時間、庭めぐりにさいてきた
成果だと思うと自然と笑みが出る。それは地域への関心と隣り合わせであり、自分の家族
や庭から外に出たという実感は、なにか不思議な感覚であったことは記述しておきたい。
それはおそらく、社会参加、コミュニティー感覚と呼べるものではなかったかと思う。 

 お世話になったスタッフとメンバーの方々、応援してくださった市民の方々にあらため
て感謝の気持ちを捧げたいと思う。                        


●理想の具現化として庭をみる 〜尾上町の庭めぐりメモ〜             

【日本庭園を巡る】 
                              
 ここのところ、日本庭園とガーデニングの融合みたいなところにひとつのモデルを見い
だしていた。苫小牧のガーデニングでも日本庭園のしっかりしたところの、インパクトの
ある花飾りはあずましさが別格のように見える。そんなわけでこれからは遅ればせながら
日本庭園をできるだけ多く見て歩こうと思っていた。そんな折りの5月、青森県は弘前市
のとなりにある"尾上(おのえ)町"の庭めぐりを体験することができた。もちろん、サ
クラの終わった弘前城も駆け足で巡った。尾上町は北大農学部の梅田名誉教授が「地域資
源としての農村景観」という講演をなさるのに同行させていただいたものである。関係者
が案内してくれるので、あとを付いていく鞄持ち風のわたしにはありがたいヒアリングに
もなった。                                   
お城には造園の粋が詰まっている。

 尾上町は平成2年に国土庁の「農村アメニティ・コンクール」で最優秀賞を受賞、平成
4年に日本初の「ふるさと尾上町の生け垣を守り育てる条例」を制定し、同年、農水省の
農村景観百選に八幡崎地区が選ばれている。その道では由緒正しく知名度が高いところ。
 5月26日と27日は「旧家・庭園・生け垣・植木問屋めぐり」が行われ、わたしは旧
家などの庭園のすべてと生け垣(総延長15kmの一部)を見せてもらった。いま、注目
されて日本でも始まっているヨーロッパ起源のオープンガーデンの一種(日本庭園モー
ド)といえる。いわゆるガーデニングの草花の飾りはまったく見えない。徹底している。

 古来、尾上町では、豊かな農産物収入を「隠し禄」として蓄え庭につぎ込んだという。
庭は室町時代以降、裕福なものたちの極楽観を形にしたものだと言われているわけだから、
日本人の感性にひそむ快適感・あずましさにはとても因縁の深いものといえる。そしてそ
の庭園技術を支えたのは、弘前城の庭園管理に従事する庭師たちだと聞いた。そうやって
蓄えられた庭園の庭木も、家計や商売のやりくりが必要な折々に庭木として市場にながれ、
その延長で「尾上の庭木」とりわけ、「尾上松」の名声を得る……。また池泉回遊式の  
名庭「盛美園」「藤田記念庭園」など、高い技術の域にある庭園を身近に見ることができ
た。 
山谷先生のアトリエ「至楽舎」から庭めぐりは始まった。
建物も庭も作りが秀逸。岩木山と庭の借景にしばし足を止めた。
                                     
 2001年1月に開いたばかりの当「雑木林&庭づくり研究室」では、庭づくりは、昨
今の「はなやかさ」から緑優先の「おちつき・あずましさ」に移行する変貌を注意深く観
察していくつもりでいるが(前述のハーブへの取り組みもその一つの試み)、その観点で
見ると、尾上町でめぐった庭は個人の日本庭園としては技術とお金をたっぷりつぎ込んだ
特別な位置にいるのかも知れない。                        
池泉回遊式庭園の盛美園。右手の土手から水田地帯を見下ろせる。

【庶民の庭のルーツとこれから】 
                        
 庭は財産だったのだという側面があぶり出されくる。隠し禄が本格的な庭園に集約され、
また、蔵を持つことがステータスとなっており1400世帯で330の蔵があるという。
庭は本来何であったのかと照らして考えてみると、蓄財された財力は、自分がもっともあ
こがれる別世界を作り出してみたいという欲求につながっていくのではないか。王や領主、
金持ち、似たような実現を目指すのは歴史が示すとおりだ。そして、ここでは結果的にそ
の庭園につぎ込まれた植栽や景物が財産的価値も併せ持っていたということである。
こんな風な軒先をつないでグルグル庭をめぐった。いや〜、別天地である。  
月見石があったり芸がこまい。彩りも雰囲気もさすが。冬囲いの納屋は小さな家サイズ。

 では現代のわたしたちの庭はなんなのだろう。宅地全体でおおむね100坪以下の一般
家庭では、決して財産としての価値をもつほどのスケールにはなっていかない。同じヨー
ロッパ起源の植物を使うとは言え、英国でスモールガーデンと呼ばれる庭が数百坪である
のも、わたしたちの身の回りの実状とは違う。類似性を探し出そうとして思い浮かべるの
は、ベルギーやオランダ、フランスの田園地帯の庭である。ニュージーランドのクライス
トチャーチの個人の庭などもお仲間としていいのではないか。それらのホームガーデンは、
せいぜい200坪前後以下ではないだろうか。オランダのアールスメーア近傍で見た農家
の敷地は、100坪以下でありわれら庶民となんらかわらないサイズだった。
      
 共通点は自ら手がけることにある。尾上町の庭で見るクロマツや公共の大型日本庭園が
プロの園丁の手になるのと対照的に、こちらはあくまで素人。手仕事道楽。自らの楽しみ
のため。見てみられて、社会参加のようなネットワークが生まれる…。        
画面左下に白い花。さつきの満開のあと、この程度の地味系で推移するのだろう。紅葉まで。

 規模や貨幣価値、素材など、確かにホンモノの日本庭園と市民の庭は異質な点が多いが、
共通点もある。それは自らが理想とする空間を作ろうという点だ。浄土の世界、風景とし
て最も美的だする自然風景を模した庭、そして年毎にリニューアルの可能なハンディな庭。
いま、さまざまな情報、価値観の中で、かつてのように収束する共通イメージはない。で
は、金持ちの庭、男社会の庭から、何でもありのハンディな、アットホームな庭へと向か
っているその先には、一体どんな庭があるのだろうか。願望も込めていうならば、少なく
ともそこには、「しっかりとした緑」が機軸になっていくと思う。
           
 それは庭だけでなく、街のなかにこんもりとした公共緑地を相当の面積でもとうという
声になっていくだろう。そして、都市周辺部の里山が当面もっとも資質の高い緑として着
目され、手入れされながら確保されていくだろう。市民が求める声と重なればそれは森林
ボランティアも参画できるものとなろうし、庭を理想の空間にしようという動きが暮らし
そのものを快適な場にしようという動きにシフトする大きな変換点でもある。 



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