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庭からの発信

政治や行政からみるとほんの小さな個人のステージ、庭。でもここにはわたしたちの
環境への糸口と、忘れていた快適さへの入り口のカギがあります。生活の快適さ、も
っと幸せな暮らし。わたしたちはもっと追求していい!!庭からの発信は、「政治」へ
のパイプではないか!! ……というような勇ましい思いから始まっていますが、中
身はいたって穏便な内容で終始します。



99年のグリーンサムクラブ

1999年は思いがけず温暖な夏となって、いつもの苫小牧とは違う花づくりの体験をしました。マチの中の花のボリュームもまた一段と増え、何より個々のコンテナなどのトータルな仕上がりもデザインもずいぶんとレベルアップしていることに驚くことがしばしばでした。これが1999年のシーズンの特徴ではなかったかと思います。また、花の庭づくりが、生活の中に居場所を見つけて自然に展開されていることが、マチを歩く度に伝わってくるようでした。

 花のマチづくり、などというと運動のように聞こえてしまいますが、グリーンサムクラブの根ざすところは日常の花の庭、生活の中の庭であり、個々の庭の感動がネットワークを得た状態そのものがクラブだと考えてきましたから、そんなネットワークのどこかで、花のマチづくりを支えようとしたクラブのデモンストレーションなどもきっと少しお役にも立っていたのだと思えてきます。

 日常的に花の庭づくりが行われていく一方で、グリーンサムクラブが新聞に顔を出すことがほとんどなかったというのも、99年の特筆すべき出来事のひとつでした。地元のメディアとのやりとりは実に静かに推移しました。クラブ立ち上げのころ、地元紙の記者の方々と個別にお話しすることも多く、記事として取り上げられることも少なくありませんでしたが、多くの花の庭が日常的に淡々と美しくケアされるようになっている今日は、新たな切り口を求めるニュース性という面では目立ち度合いは相対的に低くなるいい見本だと言えるかもしれません。

 何らかの形で社会とのつながりを持ってきたグループとしては、これはちょっとさびしいのではないか、と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。でもこれは花の庭づくりやそういうネットワークが、このマチでなんら取り立てて珍しいことではなくなったことを示しています。そう言えばこれはマチ本来の形ではないかと思われてきます。

 花の庭づくりは少しずつ向上していく「自己実現」と「継続」の産物であり、そこで生まれてくるある種芸術的とも言える成果を相互に評価し会える、あるいは交流できるネットワークがあればまずは十分だとわたしは考えます。「自己実現」と「継続」は「快い達成感」を生み出しますが、それが新たな目標へと再びつながっていくもののようです。今、グリーンサムクラブ自身もこんな位置にいるのではないかと思います。むしろ、空気のようにじっと継続している楽しい花の庭づくりこそ、勝手に進んでいく「運動」には不可欠の要素だ、という議論をクラブの中はずいぶんと前から繰り返ししてきました。

 そしてもともと、グリーンサムクラブの社会への小窓は、「グリーンサマア」というささやかな広報紙だ、という位置づけでスタートしたものでした。これが本当にささやかな原点であり、ネットワークのつながっていく広場だというのはここに来てもう一度思い起こします。華々しいニュース性、発展するイベント性などに耳目を傾け追跡するのが商業紙だとすると、クラブの広報の方向はは最初から逆方向を目指していたと見るべきかもしれません。

 自分が社会の中でどんな役割をしているのか、時にはあれこれ詮索してみたくなるものですが、そういう観点からみると1999年のクラブは、社会の中のポジションを再考するいいチャンスでした。小さな庭から社会、世間をみてみるという経験はしかし、悪くありません。人の顔と庭の表情が浮かぶ人口17万人のマチも好ましく見えます。もっともっと快適なマチになるためにやっておきたいこともたくさんあります。また行政や社会にコミットしていくべきこともしっかりと存在します。小さな庭から何も発信してこなかった、これが国のあり方を弱いものにしてしまったという反省がよぎります。それもこれも2000年からの新しい課題だと思うことで、わずかですが力が湧いてくるような気もします。


「99年のわたしの庭」

小さな庭はどう見せる?
 ホントに小さな庭だから造作が限られているというのは、わたしたち庶民ガーデナーに共通する悩みでもあります。わたしの庭の場合は1片が4mと5mの三角形の露地、木製の物置の壁、ベランダ、枕木のへい、電柱が花飾りの場で、このほかカーポートのひさしに丸形のハンギングがかかります。
 何だか、これに無性に飽きがきてしまいました。カーポートが場違いな色であること、造作が全体として細かすぎることなど理由はいくつか考えられますが、ケアが行き届かず庭が荒れ始める頃、「エーイ、もうやめた!」と撤収したくなるのはきっとわたしだけではないと推測しています。

 そんな折り、やはり最もバリエーションがあり奥深さもありむずかしさもあるのが、露地の花壇です。芝とのスペースのとりあい、エッジの花の繰り返し、多年草の背景づくり、そして遠近感の持たせ方。広い露地なら、ああ、一日中、庭仕事をやっていたい!そんな思いに打ちひしがれる日がありました。別の庭が欲しい、新天地で新しい出発をしたい、でも、与えられた庭でがんばるしかないか…。

 やや悶々と芝を刈っていたある日、近所に住むという年輩の男の人がやってきて話し込みました。聞くともなく話される内容からは、某有名なゴルフ場のリストラにあって無職なのだということがわかりました。

 その時、その方は思いがけないことを教えてくれました。ゴルフ場のコテージづくりの際に、コテージ前のミニガーデンづくりのモデルのひとつがわたしの庭だったというのです。四季の写真を撮ってスタッフの検討資料にしており、造園のたしなみもありそうなその方は、ひとこと、「この小ささでよくここまでバラエティつけましたね」。そして小さな我が庭が最もよく見えるビューポイントももちろん知っていました。

 うっ、うれしいなあ(こみあげて、ウルウル)。毎週繰り返すわずかな単調な作業に、悶々、うんざりしていたわたしは舞い上がる気分でした。そんな風に見てくれている人がいる、というのもまさに久々のビッグニュースだったと言えるほど、昨今、庭における交流は途絶えていました。もっともわたしの庭にいる時間が少なすぎると言うこともあったのでしょう。

 ともかく、自分の庭に飽きてくるときどうするか。小さな庭であればあるほど、バリエーションがむずかしいと考えがちですが、小さな庭は実験だ、と割り切るとゼロからのやり直しも可能で、かつ、変身できるというメリットもあります。

 英国人の場合は、スモールガーデンを小さいからこそ楽しめる、とガーデンライフを謳歌するのだといいます。そしていつか、個人の庭のガイドブック「イエローブック」に載る日を夢見ると物の本で見ました。スモールガーデンとはいっても、苫小牧のビッグガーデンに相当するくらいの広さがありそうですし、オープンハウスでお茶を用意して庭好きの訪問者を受け入れるチャリティーを写真で見ましたけれど、あれらもスモールガーデンの範疇に入るとすると、彼我の差はあまりに歴然、唖然としてしまいます。

 積み上げの歴史、都市計画、風土、などなど急に変わり得ない現実をのろったり、単に羨んでいても仕方ありません。「小さいからこそ楽しめる」。この一点に着目してやりくりするしかなさそうです。そのうち、"極小ガーデンタイプ"の決定版が生まれないとも限りません。そのために、まず庭の造作、デザインする力、そして花と語りあえるハート、さらにそれらを丸ごと下支えする園芸のテク、この4つを自分のものにしなければ。

追われる園芸よ、やっぱりしばし、さようなら
 おしゃれ園芸という言葉がデビューしたとき、たしかサブタイトルに「育てる園芸よ、さようなら」というセンテンスが載っていたように記憶しています。あのころが、ちょうど、ガーデニングブームが動き出して少しした時期だったようです。園芸とは育てることから始まるという固定観念が園芸の垣根を高くしてきた、でもこれからは、みんな忙しいのだし一番おいしいところだけ、咲いたポットをどんどん買い込んでディスプレーしていく、そんなアレンジの園芸でいいんですよ、というのが主旨でした。

 そうですね。水をやるだけでそこそこに花のある暮らしを満喫できるのは、ある意味ではとても都会的なスタイルかもしれません。わたしはというと、ちょうどそのころにタネから育てる園芸に手を染めました。露地もハンギングも好きな花の数で満たすためには、安く仕上げる必要があるという、まさに経済的な理由が主で、次に通販への好奇心。

 99年は、前の職場のある施設を管理していた70歳前後になるご夫婦と、最後の苗づくりをしました。会社が破綻して施設を手放し、花づくりが今年で最後になることが確定していたからです。おばさん達は、寮の想い出を数年続けてきた花づくりで華々しく閉めようというつもりでおり、わたしはずっと応援してきた関係で3月からタネを買い込んで播いたり移したりと、一喜一憂していました。作りすぎと言うくらいに作った苗、特にインパチェンスは5月の連休明けにハウスに入れた途端、低温で1000株から2000株がやられてしまいやり直しました。

 週末の2時間、土を作りハウスの内外で移植の作業を繰り返しました。寮のおばさんとおじさんは平日にも少しずつ移植をしてくれたので、どうにか、捨てることもなく、プラグ苗を作ってきたのです。

 しかし、わたしは苗づくりのプレッシャーに、今年も園芸の楽しさを忘れてしまいそうでした。お百姓さんのように追われて作業するのは本当につらいもの。園芸に罪はないものの、スタートとなる苗づくりは、のしかかってくる圧力として決して小さくないものです。どんなに忙しくてもとにかく土曜か、土曜が仕事であれば日曜日というふうにこなすしかありません。やり残してしまう分は、おばさんが平日、少しずつこなしてくれたので助かりましたが、おばさんの方も会を重ねていくうちに楽しさとは別のものを感じ始めたようでした。生き物を扱う日々は、自らが癒されることが往々にして多いものですし、農業的ケアには収穫など区切りの幸福がついてきますが、継続は我慢ややりくりを求めてきます。育て上げようと言う自分の目標に自らがどんどん束縛されていきます。
 
それでも、クリサンセマムやアリッサム、マリーゴールド、リビングストンデージーなどなど、外に出せるものを順繰りに植え付けていって残りが次第になくなっていくのが分かった頃、今度は達成感のようなものもやっと感じられるようになりました。6月の終わり頃から7月中頃まで、インパチェンスをハンギングなどに整理してようやく完了。フーッと息をついて、やれやれです。

 やりすぎは苦痛につながる…。楽しみが苦しみに変わるなら方針を変更せよ…。園芸には余裕をわりふれ……。99年はいい勉強になりました。また、温室で苗の移植を2時間すると、翌日は必ず腰痛が出たのですが、検査してみるとヘルニアが原因の坐骨神経痛であることが分かりました。同じ姿勢で固まるのが良くないことも判明しました。そうか、そうとわかればそれなりに。ライフスタイルも少し針路変更です。どうも人生は、進路変更と設計変更の連続のようです。

(追:寮の花飾りは順調に推移しました。が、夏の終わり頃、寮のご夫婦が引っ越す前後から、花々は抜かれ、その跡を見続けるのは寒々としたものでした。それに、隣の公共の公園の木々よりはるかに大きく緑陰を創っていた緑は、忽然とすべてがなくなりました。)

競争とは異質な花たちの世界
 疲れたときに落合恵子を読みたい、と無性に思うようになって何冊か立て続けに読みました。新聞の毎週のコラムの目線が、自分ととても近い感じがしたからでした。その中で落合さんは、育てるプレッシャーなどと無縁な花飾りをしているのがとてもよくわかり、そもそもこれだったんだよなあ、と深く反省してしまったのでした。

 ガーデニングはともすると美しさのコンペに入り込みそうな面を常に持っています。また個々の花の庭でできあがるマチも、マチづくりの典型的な手法として競われています。コンペが感動につながる技術やグレードの修練であっったり、何かを立ち上げる運動だったりはしますが、その流れにのっていては、花育てのオリジナルな楽しみが見えなくなる
ことがあるのだと思います。個人が楽しむ庭づくりがマチづくりをしっかりサポートすること、その一点でも社会につながっていること、そして育て上げた素敵な庭は意外と多くの人を感動させ和ましていること、ここのところは忘れないでおく必要があります。つまりそれは、花のスキルの研鑽がついつい競争にはまりこんでいく、わたしたちの向上心という性(さが)をコントロールすることになるのでしょうか。

 忙しいときこそ、ちょっとの間にやる。忙しいなら少ない花を思いをこめて丹精にケアする。余裕のある分だけ花に注ぐ。気力と時間のある年はウーンとガンバル。そんな力とセンスを、ライフスタイルの中にいつでも使えるようにしまっておく……。

 落合さんの目線の先を想像したとき、そんな当たり前のことが自分の中にも湧いてきてしみじみと一人納得したのでした。