生成りの声を聞く

第11回勉強会

2008/07/27 SUN 13:30--17:00



英国のコミュニティの森


ボルビックの水

いつもイントロの雑談が面白い。11回目の今回は、volvicのミネラルウォーター、fruit kissという製品が結構飲まれていること、それが鶴居村の山崎山林のhpに登場し、あれはYさんの職歴に関係するのだろうか、とか。ヘビが小屋の2階のものすごい暑いところに鎮座していて、ブッシュカッターのバーがぶつかってしまったこと、もう何年もいついていること、ヘビの好きなひともいること、それから、キツネにだまされる内山節さんの話、だまされる人にはヒステリー気質の人が多い報告、それが現代は種々開放されたからそういう話はなくなったこと。そしてカッパときゅうりの話。子供のころ、何か妖精のようなものと語り合っていた話、それはイマジナリー・コンパニオン・プレイメイトというらしいこと…。ちょっとしたヒントでどんどんジャンプする脈絡にこだわらないこんな雑談は、楽しい。そうでいながら、林とスピリチャリティからずれないで戻ってくる。

フォレストリー・コミッション(以下、フォレ・コミ)

今回は瀧澤さんがスウェーデンの老人介護の話題を提供する予定だったが、先生が飛行機か新幹線に資料を一式わすれたようで、急遽、フォレ・コミの英文資料となった。タイトルは、TREES AND WOODLANDS。その前書きでは、この冊子がいかに森が人々の健康とよりよい生き方に意味を持っているかを述べたものだと書いてある。フォレ・コミは英国では土地の管理では最も大きな組織で22万ヘクタールを扱っている。これがすべて森林とは限らないかもしれないが、英国全体の森林が280万へクタールだから、そのシェアの大きさがわかる。政府側の機関だから林野庁にあたるようだが、わたしにはなんとなくアウトソーシングされた公的機関のような微妙なニュアンスも感じ取っている。

瀧澤さんは、この資料に出会って読んでみたところ、その森が国内のあちこちにあり、手入れが行われて医療に役立てている様子から、英国こそ森林療法の先進地ではないのか、と思ったようだ。コミュニティがメンタルヘルスにかかわるような部分も読んだようなことをいっていたと思う。心臓病協会がこれをサポートしているのだが、森林における運動を奨励しているからだ。メンタルにもフィジカルにも効果的でウェルビーイングへ、というシナリオが横たわっているようだ。しかも、「遠くでなく近くの森」で、と強調しているあたりはうれしくなる話だ。林と人が近くなる第一の条件は、「簡単アクセス」だからである。そして次に質と広さ。スイスの生命保険会社VITA社が主導するビタパルコースというものに近いものがあると思われた。

このフォレ・コミの具体的フィールド「コミュニティ・フォレスツ」などちょっとフォローしてみようと思った。実際にその勉強会も上原さんらと始めようというメールが別便で瀧澤さんから届き、わたしはわたしなりにホームページの検索を始めたら、英国在住の友人「みかんさん」の住むブリストルに、このコミュニティ・フォレストがあることがわかった。わたしはすぐことの次第をお話し、現地レポートを頼んだ。そうしたところ、みかんさんは先週もご子息と散歩したという反面、この呼び名は知らなかった。で、丁度来ていたネイティブの義父に聞いたら、最近は行きやすい公園になってきた、と語ったという。昔は社会的物理的に使いにくい森だったのだろうか…。と、こんな風に実態が見え始めた。一方で、上原、瀧澤、草苅の3人で情報交換しているうちに、ここはひとつみかんさんや、グラウンドワークの柳さんも加わってもらおうと勝手に判断して、1週間後にメーリングリストを作った。林とスピリチャリティのメンバーも入れば、いつもの雑談もここでできるし、いつも勉強会になる。それが、この資料のフォローであり出口である。

書ききれないことども

このところ、この勉強会では、頻発する殺人事件の背景を語り合うことも多い。秋葉原の犯人をデタッチメントイとコミットメントという面から眺めたりする。今の時代は自分の高ぶる気分を鎮めたりする力がとても弱いという。孤立が怖いと感じており、集団でワーッといく。そこで孤立する言動があると仲間はずれになる。実際はやり直しなどいくらでもきくし、気持ちひとつで世間の見方も変わるし勇気も生めるのに、その感覚はなかなか小中学生などにつかめない感覚なのだろう。どうやったらそれが伝わるのだろう。老いてみると、若いときとは比べものにならないこころの安定を獲得するようになる。そうしてはじめて述懐する境地でもある。逆に言うと、いろいろ悩むことはあるが、そのときそのときを正直に生きていいのだ、ということではないか。内面に起きる喜怒哀楽も素直に受け止めしなやかに生きる方法を自分で見つけて行け、と願うのだ。

このところしばしば、「王様の耳はろばの耳」と叫んでもいい穴を林につくってはどうか、というアイデアが出る。わたしはそんな意味も込めて喜怒哀楽の森づくりをしていきたいと考えている。各々の、気分状態に合わせて、どこの身近な森に行けばいいかのインデックスを作るのである。腹に膨れるようにたまったストレスを、言葉にしてそこで叫ぶのである。

またまた雑駁なレポートになってしまった。楽しい雑談を含む勉強会はレポートに向いていない、という教訓と安心をここで得る。



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