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181203青年寄宿舎日誌(昭和)

日記  昭和二十年二月二十七日以降 青年寄宿舎
必ずペンで書くこと。鉛筆で書くことを禁ず。
自分の姓名(号にても可)をわすれないやうに。

2月17日 春らしくなって来た。昼は陽ざしが眠気を催す程に快適に暖かい。氷柱を伝
って落ちる雫も大分頻繁になってゐる。
小生目下医学生最後の試験。「大東亜戦に負け相な気する矢先、何をぼやぼや試験なんかさ
せて吾々学生を遊ばせて置くのか。どんどん引っぱって行って呉れぬか」とは先実勉強す
るのが厭になって小生の所へ遊びに来た友人が言であるが、小生も試験勉強が嫌になった。
昨日日本近海に敵機動部隊が来て、艦載機が空襲にやって来た。なんとかやって貰いたい
もの。癪に触る。(望月)
2月17日 朝カーテンにうつる陽射しを見ると床の中で余暖を楽しんでゐるのがはづか
しい様になって来た。東京からの手紙には寒い寒い何年ぶりかの寒さだ、札幌はさぞかし
寒かろう等と云うて来るのが妙な感じがする。併し戦局は益々利あらず、我らも「引っぱ
って行って呉れぬか」ではなく吾々から進んで「征かう」でなければならぬのではないだ
らうか
又も長靴消失あり、憎み手あまりあることなれど此方の不注意にも責任なきにしもあらず、
御注緒肝要? (石川)
2月18日 日曜日 朝起きたのが十時過、今日でも日曜はよく寝る、いい天気である。
日ざしも何となく春らしい感である。雪さへなければとうらめしい。東京等はもう梅の盛
りであらう。東京といへば空襲の被害も大きいであらう。午後ストーブをつけて後何する
こともなくしてゐる間に夕飯の拍子木なる。とかく日曜になると何もできない。日曜は休
むものといふ長い習慣によるものかもしれない。五時、我が潜水艦と硫黄島の戦果あり、
硫黄島は完全に要塞化されてゐるとの事なれど物量を誇る敵なれば油断は出来ない。
(k.k)
2月19日 昨日に比すると割に寒い今日であった、敵が我が懐に迫って来たといふのに
何とのんびりした春であらう、陽ざしはやはり暖かく心を浮かせる,石田、平両君帰省、
戸倉君余市へ。
2月20日 朝寒し、硫黄島上陸発表さる、戸倉君余市より帰舎、直ちに帰省。
2月21日 今朝も寒かった。佐藤君荷造に奔走してゐた。夜帰省、変った事なし、今井
君角田へ。
2月22日 昨朝と同じく寒かった。マニラ皇軍奮闘を報ず、
2月23日 朝雪降る、再び暖かくなったが、夜などは流石に寒い、小母工合悪し、石田
平帰舎、
2月24日 暖い、電車道は土がでて何となく心を柔げてくれる、だが汚らしくなって
来た、佐本君帰省、再会の日は?田崎さん荷造りに忙しい。
2月25日 暖い、予科生諸君定休日、スキーに出かけるものあり、小生はストーブ
(食堂)のふちで一日過ごす、望月さん猛勉、戸倉君帰省、
2月26日 暖くなったり、寒くなったり嫌な気候である、
本日海軍委託学生の発表あり、我舎からは化学の権威北野君を海軍に送ることになった。
日本海軍の化学、期して待つべきものあらんか。(河村)
2月27日 今日も亦晴天、此頃は晴天が続き張るの来訪も間近い事を思わせる.田崎
さんも離札が近い内、望月さん試験に大奮闘、予科生もそろそろ試験期に入る様、悲壮
極むる現下の学生の身としては感情をちとおさへて真の日本人の血のほとばしりに従ほう.
現実の生活に生かす理科の日本学校のあり方は難しい。 (北野)
2月28日 変わったことなし
3月1日 変わったことなし
3月2日 変わったことなし
3月3日 今日も晴、節句なり、少し春らしくなってきた。
3月4日 山本さん朝帰って来る、太田の話を聞き一同憤慨○○○○○○
3月5日 近頃はだんだん春らしくなり、電車道も相当融けた、早○○○○○○
3月6日 予科生も十日から試験との事、一生懸命勉強○○○○○○
3月7日 今日は望月さんの送別会であった、午前中に授業は終わり○○○○○○
宮部先生はじめ青木さん、亀井さん、奥田さん、時田さん等5人方々御出席なさる.
おばさんの作った赤飯も全くおいしかった、一同大喜び、望月さんも相当皆に云われ
小さくなってゐたのは気の毒な程であった、
3月8日 望月さん今日は新婚旅行士別に朝早く出発なさった.6年間の学業を終へ
られ、開放された様な気持ちで汽車の中ではさぞ心ゆくまで話する事が出来たであら
う.うらやましい位。
3月9日 近頃は少々よい天気が続かない
















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