人はしばしば、人格を練る貴重で不可欠な 時間をくぐる。 わたしたちは青春とも呼ぶその時期を、 北大青年寄宿舎という、どこからも補助の ない完全自治寮で、寝食を共にしながら 過ごした。その生活様式は、明治の31年 から時代のながれ漂い時に翻弄もされな がらも、脈々と続いてきた。 しかし、その青年寄宿舎は平成18年には 閉鎖することとなり、前年の11月、閉じる ための記念式典を行い、記念碑を建てた。 青年寄宿舎跡の碑』から(全文) 1898(明治31)年11月3日、札幌農学校学生の 寄宿舎として市内北4条東2丁目に創立された 青年寄宿舎は、1900(明治33)年6月、移転新築 されて以降、105ヵ年の間、この地にあった。 創立時より48ヵ年の長きにわたり舎長の任に あって舎生の札幌農学校・北海道大学学生に 薫陶を及ぼされたのは宮部金吾先生である。 先生が舎生にしめされた信教の自由、禁酒禁煙 の二ヵ条は農学校クラーク教頭の言葉、 コントロール・ユア・アペタイトに由来する自律 自制の理念を説くものであった。それは寄宿舎 運営の経済的自立、生活の規範などすべてがOB 舎生を含んでの舎生自治に委ねられていた故に、 一層深い意味を持ち続けたのである。此処に若き 日々を過ごした舎生906人は心身の一隅に染みつい た理念の一片を抱き、有志の「青年」として社会 の前線-フロンティアへおもむいたのである。 時は移り、社会環境、生活条件の豊かにして 多様に変動する時代となった。その社会的変遷の なかで青年寄宿舎独特の存在意義、その重さを支 えるべき入舎生の状況、舎屋整備の経済力などは 重責に耐える努力の限界をしめすようになり、 ついに閉舎の時を迎えたのである。愛惜の思いを もって此所に碑を残す。 2005(平成17)年11月3日財団法人青年寄宿舎第六代理事長 奥田利恒 ことはそれだけでは済まなかった。 碑文にうたわれたスピリットは、今こそ、後世 に伝える大きな意味があると、元舎生らは考 えるようになった。そしてその平易なスピリット は舎生の日誌に色濃く滲んでいると考えられ るようになったのである。 そうして、舎生日誌の復刻作業が始まった。 寄宿舎のホームページ → こちら |
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昭和49年まで続いた旧寄宿舎(植物園北) 昭和50年以降の新寄宿舎(同) |
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●北大と青年寄宿舎の姿 ●舎生日誌・抜粋 明治31年 大正12年 昭和20年 ■舎生日誌復刻作業データベース (工事中) 明治時代 大正時代 昭和時代 |