2010年の下調べから、2011年初夏の旅行まで
スイスは、日本人のかなり多くがいつしか憧れる、美しい国。山々と牧野のその光景は、画像として子供のころから親しんだものだ。変な話だが、北海道の千歳空港のJR駅には、10年ほど前まで、北海道の風景写真に混じって、何割かがスイスの風景写真が飾られていた、そんな笑えない話があるほど。 しかしそのスイスについてわたしたちは、美しさの裏側の実情など驚くほど情報を持っていない。無知である。国連に加盟していないし、EUの一員でもない、もちろんユーロが機軸ではない、そして永世中立をうたい徴兵制度が生きている。また、スイスの銀行は世界の富豪や怪しいマネーにとって安全で守秘が保てる預け先として重宝がられているらしい。 さて、日本。国益という言葉も影が薄いこの国にいると、自分や家族や肉親や職場や地域は、侵されるという危険を感じることがない。身の危険といえば、天災と、不運にも凶悪事件に巻き込まれることなどが思い浮かぶ。しかし、この頃は、政府は国のハンドリングを誤っていると普通の国民が断言するほど、不安になることがままある。政治家が外国の特定国を国益よりも優先しているような、おもねりでないかといぶかるような言動まで耳にする。 国益はどこへいったのだろうか。ここ数年、わたし(わたしたち)は、そう考えることが急に増えたのではないか。近年急激に進んだように見えるグローバリゼーションとよばれるものとどこかでつながっているのだろう。そんなとき、スイスという国はとても気になる。国の守りでもしかり、風土をビジネスにする観光という仕組みもそうだ。個人的には、若いときにかぶれたアルピニズムというもののひとつの雄も、ここだった。 以下、折々のネット上の発信とそれに対するご教示を交えて、スイスという国の実像がわたしに見えてきた過程を紹介したうえで、3章目で、今年2011年の6月末から巡った先の画像とメモを載せたい。1章は「スイス、国のあり様」、2章は「スイスの牧野(アルプ)とコモンズ」、そして3章が「スイスの旅日記」である。 |
■スイス、国のあり様 2010年2月16日、わたしは運営に関わっている北海道の地域SNS「どっとねっと」に載せた下記のような日記を投稿した(内容一部変更、一部削除)。 「「黒いスイス」、これは通勤のJR車内で飛ばし読みしながら、今朝読み終えた本の題名です。福原直樹著、新潮新書。スイスの岩にはいつか登るぞ~と思っているうちに、歳をとって体力なし。もうアルピニズムのエネルギーが失せ、ウラヤマニストになりはてました。(^_^;) その代わりにコモンズとしての「アルプ」に興味をもち、Hさんからは、砂川の神社訴訟の日記の内容のやり取りで、ラディカルな宗教集団メノナイトおよびアーミッシュがスイスや南西ドイツあたりで始まったとお聞きしたのをきっかけに、これはもっとスイスを知らねば、と手にしたものでした。(中略) これに対して、日本を代表する有名な私大の元教授で、かつてスイスにお住まいだったHさんから、驚くほどリアルで懇切な下記のようなコメントを頂きました。スイスを知る上でも、またわたしが抱いている今の日本への問題意識に対して的確にインスパイヤさせてくれるものでした。あまりにもったいない論説ですので、公開されたコメントとはいえ、事後、お許しを得ることにしてとりあえず転載させてもらいましょう。 「「美しい理想の国」は、人間という生き物の世界には存在しないと考えるのがまともだと思います。国家の存在理由は、「国民の生命と財産の保護」であるというのが「近代国家」ですから、その為には何でもやることになります。かかってこられても絶体に負けない自信さえあれば(米国のように)、国連決議などなくても、他の国に軍隊を進めることもします。 リアルに紹介されたスイスの裏側に、絶句します。そしてわたし。 「Hさん、 戯れ言のようになってしまったわたしのレビューに、この著作を越えるレスを頂き恐縮&感謝です。スイスと日本の架け橋になるあるジャーナルの編集に携わって来られたHさんならではの、よそでは見ることのできない解説記事だと拝読しました。また、目からウロコです。(モウ、ナンマイ、トレタカ 森田安一著『物語 スイスの歴史』から。 「ヨーロッパの中央に位置するスイスはユニークな国である。風光明媚な観光地として知られる一方、国民皆兵の永世中立国でもある。多言語・多文化の連邦国家で、各カントン(州)の自治権が強い。中央集権化に対する国民の反発は根深く、国連や、EUにも加盟していない。こうした強烈な個性はどのようにして形作られたのか。内部分裂の機器と侵略の脅威にさらされつづけた歴史を紐解き、この国に息づく独立心の源を探る。」 |
■スイス、牧野(アルプ)とコモンズ 実は、上の日記を載せる前の2010年1月19日の「どっとねっと」に、こんな日記をアップしていました。 「コモンズの勉強をしている間に、スイスなどのきれいな牧野「アルプ」も典型的なコモンズ(共有地)だというのがみえてきたのですが、どうも実像がみえません。で、今年の春にでも、かつてはアルピニストだった夫婦連れ立ってスイスに行こうか、などと語っていたところでした。 これに対してHさんからはすぐ下記のようなレスをいただきました。 「take(わたしのハンドルネーム)さんが書いていられるように、こういうスイスの農村地帯での伝統的な決まりというのは、皆の生活がかかっているだけに、合理性と重厚な重みを持っていて、成文法に書いてあることがらよりも、実効的な力を持っているようです。似たような性質の、伝統的な約定に基づいた社会的(共同体的)な約束事は、彼方此方で見受けます。 それに対するわたしのお礼の返事。 「Hさん そしてHさんから。 「スイスの国名表記は、ラテン語ではConfederatio Helveticaであり、フランス語、イタリア語、そしてロマンシュ語でも、ラテン語のconfedertio
(統合の度合いの強い連邦)に由来する表記を使っています(何しろスイスには四つの民族と四つの言葉があり、それぞれが国語ですから、計4種類の国名表記があることになります)、もっとも、国民の7割を占めるドイツ語圏の『国語』つまりドイツ語では、Schweizerische
Eidgenossenschaftと表記され、その意味は、『スイス誓約者同盟』で、それは、13世紀末に、シュヴィーツ(Schwyz)を中心に、三つの村が、ハプスブルク家の無法な徴税を拒否して武装蜂起し、勝利して今日のスイスの原形となる政治的な連合体を造り、其処に周辺地域から『加盟』した民族的・地域的構成単位によって、今日のスイス連邦が出来ているという歴史に由来します。 そしてわたし。 「>大昔からの共同体の実践的原則が、連邦の実定法としての憲法の上位に立っているとい>う事例が幾つかあるのです。 再び、わたしからHさんへ 「H さんの、 さらに、わたし。 「>『日本とスイスは共に島国である - 日本は海の中の島であり、スイス それにHさんから。 「>その源泉にソーシャルキャピタルが横たわっている、「ソーシャルキャピタル」という言葉の意味を、自然発生的な、比較的頻度の高い人間関係、社会的な繋がり、『人間的な信頼』に基づいた交流、連帯が日常的に社会生活の中にあること、と理解しますが、日本語で言う『団結』ではないし、形式的な義務感とも違う、中々言い難い「靭帯」のような関係性が実在していることをスイスにいると感じます。 地域SNSのおかげで、スイスに抱いていた稚拙なイメージが世界史の中のスイスイメージと重なるくらいに成長しました。このやり取りを見、時にコメントもしていた参加メンバーから、「どっとねっと」は集合知を形成している、とコメントが出たのもうなづけます。Hさんに感謝します。 |
■スイスの旅日記(メモと画像) 前置き ▲6/23 thu 曇り @札幌~東京~成田 東京にいる娘と、食事など3つのお店いと浅草の演芸をたっぷり楽しんで、午後9時40分の急行で浅草から成田へ向かった。ホテルは11時ころ。早割りで航空運賃9,700円と宿泊7,000円程度、それには1,800円の朝食とトランクの輸送費も入っているから激安だ。 ▲6/24 fri くもり @成田~チューリヒ~サンモリッツ 5時半おきでヨガ、8時のバスで第1ターミナル南ウイングの阪急交通社のカウンターへ。21人の参加者はすべて中高年、まとまり第一だ。そして添乗員のいるツアーは超楽チン。9時50分から搭乗手続きで、10時半の離陸。スイスエアライン161便。機内で、時計をふたつ購入。 1回目の食事はビーフとソバ、焼きうどんの2種。2回目はピラフ。その間におにぎりがでた。パーツの一番前の席だったので、体が動かせるし足を伸ばせる。機内ではラッキーだった。「ちきりん」のエッセー、「スイスの歴史」を読む。 3時半ころ、バスでチューチヒ発、金曜午後の渋滞に突入して、チューリヒ脱出にロス。その後、5時間ほどのバスの旅となる。牧場というか牧野と林はまるで南ドイツの景観街道とそっくりだが山が高く、森が深いのが大分違う。ヨーロッパトウヒとカラマツが見える。林業のあともあるので見飽きない、興味は尽きない。今、国は、森林・林業再生プランを掲げ、ドイツ、スイス、オーストリアの林業を手本にしている。山々は褶曲山脈という造山活動を彷彿とさせる光景だ。林床の植物はまるでお花畑で、それは翌日、森林限界を超えても続いていた。ユリア湖、ユリアパスが印象に残る。 サンモリッツの近くで、silbvaplanaという素晴らしいパワースポットのような保養地があった。スイスの感動は初日から始まった。4つ星のステファニィホテル泊。 |
▲6/25 sat 晴れのち雨 サンモリッツ~ベルニナ線ティラーノ~サンモリッツ 疲労のきわみと思いきや4時半起床。ヨガをする前にホテルの窓から湖の向こうのモルゲンロートを見る。パソコンのコードを借りてメールチェック。朝食に頼んだはずの朝食の弁当ができてなくて、添乗員はあたふたする。ベルニナ鉄道に乗るための早出だ。結果、あわててレストランで朝食をかっ込むことになった。とてもおいしいパンだった。スイスのパンがまずい、なんて信用できなくなる。 ベルニナ線にのってイタリアのティラーノへ。途中の氷河、景観が圧巻なため、右へ左へとカメラを向ける。圧巻の山岳風景だ。お花畑と氷河、そして建物が織り成すものは、やはりスイスならではのもの。当然とはいえ、絵葉書とはまた別のスケール感がある。 田舎のフットパスを歩く高齢者、マウンテンバイクとサイクリングの若者の光景がまぶしい。こんなことができるのだ。わたしの視点は、北海道の資源とその活用、北海道らしいライフスタイルの追及ということになるだろうが、そのプロトタイプがここにあると思う。15時半、ディアポレッチャ駅からロープウェイで展望台に。ロープウェイで展望台に行くとアイスハンマーをもった若いクライマーの男女が大勢いる。アウトドアが実にかっこいい。 *シェンゲン:スイスやイタリアなど各国移動の協定地・ルクセンブルグのシェンゲン |
▲6月26日 晴れ サンモリッツ~氷河特急・マイエンフェルト(ハイジ)~ツエルマット 10時3分発の氷河特急に乗る。マハラジャがのる専用列車の様相である。車掌にエレーナさんという女性が付いた。昨日の山はボルタレッチ山と知る。ランドバッサー橋の撮影に向けて左右の渓谷を撮影する練習をする。山並みの斜面、谷底に道と住居などがあるセット風景が続く。斜面は森林と牧場。アルプスとは「森と山と野の花、水、牧場+暮らし、北海道は森とヒグマとササと花、繁殖力旺盛な自然…。 フォルダーラインとヒンターラインの合流点を通過、両河川の色が違う。目立つのは、砂利採りと水力発電と送電線。 「アルプスの少女ハイジ」はヨハンナ・スピリが創作した架空の話し、おじいさん、ペーター君、セントバーナード、その場所をマイエンフェルトに作る。物語は足の悪いクララのお相手でフランクフルトへ主人公が行く話。宮崎駿夫のアニメでさらにメジャーか。今はテーマパーク状態、やや「北の国から」に似ている。アニメの光景に出てくる原風景が確かにある。スピリは夫と長男を隠した主婦で、子供を慰める小編を書いた。裕福な家庭に生まれたスピリは、教会のボランティアとして書かれた作品の初版は名前を出さないものだった。アルルの小屋が舞台、スイスのイメージが作られたようだ。彼女は「アルプの仲の生活が世界で一番幸せな生き方」とハイジに言わせる。 スイスの歴史、Iさんバージョンを要約したのが下記。 スイスの風景を考えると、天然の山と地形の資質にあわせ、丈の低い牧草とそれを刈る農業との組み合わせが、園芸的行為になっている。英国もそうだが、農業従事者は国土のガーデナーという訳で、そのことに国民的合意もある。斜面に見えるアルプの小屋は草置き場だろうか。好天のこの日は子供も総出で草集めをしている。太陽を浴びてノースリーブ姿も見える。氷河特急の峠が1980年にトンネルになった。アンデルマットという、氷河特急の中継地は昔の宿場町。ローヌ氷河も後退していた。そこでキャップを購入。 ワイスホルン4,500mをみた。白いややとんがった山だ。やはりワイスホルンにちょっと似る。ツェルマット着は午後9時前。ひとつ手前の駅でバスを降りスーツケースを積んで列車に乗り換える。トリオの楽団がいるにぎやかなレストランでビールとワインで遅い夕食。8時半ころまではしっかり明るいので、9時の夕食は変でないが、さすが疲れる。あ~あ、という感じを抱くのがちょっと申し訳ない。 |
朝、3時半のモーニングコールで4時集合。登山電車、ロープウェイ、ゴンドラを乗り継いでロートホルン展望台へ。箱根の原形か。アプト式の、斜めの乗り物である。 この山岳リゾートをみていると、交通アクセスのインフラのほかに観光インフラというものがクローズアップされてくる。綾町長がいう立地学を思い出す。土地のポテンシャルを知り戦略的シナリオを立て実行に移していく…。 マッターホルンに陽が射し始める。5時前後、気温は5,6度か。台湾人と思しきグループがいるが白人はいない。異形の高山、氷河は非日常の天然素材マッターホルンと連山、じっくり堪能。7時50分まで、ワイスホルンを1枚、マッターホルンを半分スケッチする。 中間駅で降りて野の花トレッキング、ガイドはじゅんこさん。標高差34mを2時間で往復。ワイヤレスマイクで名前を後ろへつなぎながら行くが、やがて名前を実物があわなくなる。名前などどうでもいいという人もいる。ウサギギク、エーデルワイス、エンチアン、ビオラ、ヘラオオバコ、バンダイソウ、などなど。逆さマッターホルンの池までいって、戻る。 外人の家族連れも車道を池へ向かっている。それにしても快晴では熱い。 じゅんこさんに聞いたこと。…このマチの今の人口は約5700人、年間観光客200万人泊、うちスイス人34%、日本人6%、上位は英国、ドイツ。リピーターが3分の2。彼女はツェルマット在住の有名な観光カリスマ・山田桂一郎氏の一番弟子だという。バイオマス発電の取り組みなどを聞いたら、ここは水力発電の小さなダムがふたつあり、十分とのこと。彼女は環境省関係のエコの取り組みにも関係しているもよう。 昼食は駅のそばのレストランでジャーマンポテト風を美味しくいただく。その足でマチを案内してもらう。木造の建物のヒンター●●シュトラッセへ。ネズミ返しが大げさな純角材組工法である。 アプト式で途中駅3つほどを過ぎてゴグナート展望台へ。ホテルもある。白人は3,000mで背中むき出しにして身体を焼いている。マッターホルンより氷河の迫力を堪能する場所だ。それはちょっとすごいものがある。絵を描くどころではない。そして氷河は今のわたしには描けない。下りにパンタグラフの事故あり。また、添乗員のIさんにいろいろ海外のこと、勤務のシフトのこと、観光の趨勢などきく。 疲れがたまってきた。家内はcoopでビール2本を購入したが、sans alcoholとある。ゆずのバブをいれて入浴し、洗濯する。夕食後の8時過ぎ、二人散策。裏の川沿いにマッターホルンの格好のスケッチポイントを見つける。そこからはギャラリーを気にせず絵が描けそう。昼のビールが効いて来たのか、昨日買った赤ワインに手が出ない。サロンパスを塗ってねる。夜9時前だ。 |
▲6月28日 火曜日 快晴 30度 ツェルマット~ジュネーブ~シャモニー いよいよ旅は後半。3時半に起床、雑務の写真整理と旅日記をすますと、もう残り時間がない。ヨガの時間が取れなかった。部屋がマッターホルンの見える唯一の角地だったので、昨日洗濯物を干したベランダでラフなスケッチを一枚描いた。 8時半、駅に出発してテッシュで新しいバスに乗る。ドライバーは大柄なピーターさん。トイレタイムを頻繁に入れてくれるツアーはありがたい。バスは一昨日来た道を戻って途中から西に向かう。最初のストップのあたりで、セントバーナードの話が出た。セントバーナード峠は、交通の要衝で冬場など、遭難者が出た。セントバーナード犬というのはそこで人命救助をしていた犬だが、もとはそこでホスピスをしていた聖バーナードにちなんだものらしい。セントバーナード犬は、今も世界的人気があり、子犬は1匹16万円程度で取引されるという。 レマン湖がみえてくる。大きさは琵琶湖くらいか。湖につきでたシオン城で下りる。釣り人のいる桟橋にでると、なにやら小魚を釣り上げている。ブルーギルのように見えるので聞くと、なんかよくわからない返事だった。つげの垣根があり、猫のおしっこのにおいがする潅木なんだというと、猫対策に町内会で取り組んでいる、Bさんが「ほんとだ」とびっくりしている。モントルーでの昼食は中華だった。バスから5分ほど歩くが、高級リゾート地のモントルーはスイスというより、かなりアメリカナイズされた景観で、ごちゃごちゃしている。 モントルーからさらにジュネーブよりのラヴォー地区のぶどう畑を見学。2007年に世界遺産に指定された模様。レマン湖の照り返しを利用した一大ブドウ山地で、取り組みや町並みすべてが注目されている。坂の上のブドウ畑のまんなかに立ってみる。炎天下で作業は大変そうだが、こんな手作業の産物を1ボトル、安いものを500円ほどでどうして手に入るのか、不思議だ。 ジュネーブは、国際機関のある一帯から中心部へ入る。ローヌ川の右岸から左岸に入り、宗教改革の彫像を見てから湖岸に下りる。ジェットが25mの噴水をあげてランドマークになっている。公園では警察官が巡回して「すり」の摘発をしていた。いろいろな人種がいた。煩雑な雑踏。明日から小学校は夏休みとかで、親が車で迎えに来ていた。公園の水辺では若い女性たちが水着になっていた。 シャモニーに近づくと針峰群が目に入り、ガストン・レビュファの「星に伸ばされたザイル」を思い出した。モンブランが見え始める。6時、シャモニーについてレストランへ。谷の真っ只中である。上空にはいくつかのパラパントが浮かんでいる。ビールと赤ワインで、サラダ、とんかつ、エクレア。 歩行者天国を歩いてホテルへ20分。フランス的なのか、どこか、庶民風でパンクっぽい。タトゥと鼻ピアスの若者も結構目にした。なんでもありのスポーツリゾートか。スイスとはちょっと違う。ホテル・アルピナは部屋からモンブランが見える。インターネットの無線ランが自分のPCでも有料で、つっけんどんな受付と2回確認交渉をして、添乗員Iさんにも電話で聞いて諦め、6ユーロの24時間のコースを受付で申し込んで、IDを獲得。 赤ワインはここであけた。息子にメールして後、「どっと」にレスして、あとは明朝、旅日記を書く。腰(股関節)はかなり不調。2日とも、朝のアサナをできなかったせいと、座りっぱなしの結果か。30度の猛暑、シャモニーは荒れるという情報もものかわ、長袖シャツは不正解だった。 ~~~北海道の地域SNS「どっとねっと」への寄稿初回~~~ 一枚目:イタリアに向かうベルニナ線からみた氷河。裾野はどこも広大な野の花の群落。 |
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▲6月29日 水曜日 晴れ シャモニー・エギーユ・ド・ミディ展望台~ベルン~グリンデルバルト 3時半ころおきて朝のヨガ・アーサナと瞑想、そして旅日誌。「どっとねっと」へのレス。山形へさくらんぼが届いたという息子のメールに、実家への電話を頼んだがその返事を読む。万端、上手くいっているという。写真の整理とデジカメの充電を済ます。 8時10分、朝ごはんはバラエティに富んでいた。特にパン。随分多くのパンを選んで食べ過ぎた。9時出発、9時半にエギーユ駅着。1,000mのシャモニーからてっぺんは3,800m、そこから4,600mのモンブランとグランドジョラスなどを見る。遠くにマッターホルン。150kmほど向こうのような感じ。気温5度、ちょっとふらふらする。階段も上ったが、息が切れそうになる。 欧州でもっとも標高の高いモンブランがすぐ目の前にあり、ミディから東にはガストン・レビュファの「星に伸ばされたザイル」の針峰群がある。雪面を大勢の登山者グループが動いている。グランドジョラスとマッターホルン、それと7月1日にいくアイガーで、三大北壁をすべて目にすることになる。 昼食は日本食「巽」。鮭の焼いたもの。ノルウェイ産というからアトランティックサーモンだろうか。働いていた日本人女性にきくと、シャモニーにおける日本料理は、日本におけるフランス料理と一緒とか。連日、外人客で一杯と言う。 チーズで有名なグリエールのパーキングショップで250gのチーズを買う。きったばかりの簡易包装だったので真空パックしてもらうツモリだったが、すでにパックされたものがあった。店員に案内してもらう。 ベルンの旧市街地で大聖堂、時計の提示のからくり仕掛けを見る。旧市街はピロティが6kmあり、地域が買い物に使う店。地下もある。外壁はハイイロに統一されており、市民は内装を自由に変えられる。2000年に、世界文化遺産に指定。くま公園。ベルンの名前を決めるとき、○侯が一番早く取れたのがクマだったことにちなむ。ベルンは連邦の首都だが、それらしい建築は連邦議会のみ。しかし、マチはとても古風でしっかりした印象。トラムが走り、歩行者も多い。市場は酢漬け屋さんから八百屋、チーズやさんと庶民生活に直結の模様。 インターラーケンはユングフラウ地域の中心。みやげ物店で小一時間すごし7時に民族ショーをやるレストランに。ヨーデルとホルンを中心に、スイスらしい演奏を聴く。おばさん、おじさんで、参加型のショーだ。ダンスに客席からよばれ、打楽器演奏も10人ぐらいがステージに行き、わたしはホルンにでて、音がでなかった。とんだ引き立たせ役になってしまった。ホテルに9時半着、荷物を整理してシャワーを浴びると11時半だった。 スイスにあって北海道にない地域のしかけ |
▲6月30日 木曜日 曇り ユングフラウヨッホ 7時半、朝のレストランはもうおお賑わいで盛り上がっていた。そこで美味しいパンを食べる。8時45分にホテル発、歩いてユングフラウ鉄道の駅に向かう。10分ほど。ラクト式と呼ばれる登山電車だが、箱根のスイッチバックは山岳鉄道というらしい。霧の中をぐんぐん上り、EIGARWANDへ。WANDは窓、そこで来た壁の壁面のすごさを見る。5分の待ち合わせの時間にこうして窓を見ること都合2回、そして頂上3400mへ。頂上の直前、青空が見えて、電車は雲の上に出た模様で、駅の窓越しに山を見た人から歓声が上がる。展望台から見えるのは左にメンヒ、右にユングフラウ、その間にアルプス一の氷河が眼下に見える。 |
▲7月1日 金曜日 晴れ時々曇り18℃ グリンデルバルト~ロートホルン~ブリエンツ~ルツェルン 6時10分前からアイガーが顔を出し始める。雲の切れ間の写真を撮る。朝食は、外人日本人含めて満員状態。 8時半、ロートホルンの登山電車に乗るためブリエンスへ。往復で7,000円らしい。ディーゼル車で押し上げるもの。窓は全開できる。250%の斜度を上っていく。アルプと放牧場を延々とぬって頂上駅。手違いで11時に昼食。わさび菜入りのサラダ、タラのフライとタルタルソース、アイス。 頂上へ歩いて15分2,350mのロートホルンへ。下ってブリエンスの町を歩いてみる。木組みの民家が特徴的。アイガーなどは結局顔を出さなかった。 ルツエルンでカペル橋、瀕死のライオン記念碑、旧市街を見る。ホテルに行く前に1時間できたので、面々は町で買い物、わたしはカペラ広場でストレッチと青年寄宿舎のメモをしながら家族コーラスを聞き、のちおじさんバンドのレトロな演奏を聴く。パレスホテルは五つ星、湖のほとりで一泊5万円とか。 午後6時半、バスでレストランへ戻る。明日は帰国の途につく。早々にスーツケースを20kgに収める。 |
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