年寄、半日仕事で
NO.86
2015/01/03

高齢でエベレスト山登頂を果たした三浦雄一郎氏が、無事登頂できたその秘訣を
「年寄半日仕事」の言い伝えを守ったためだろう、と答えていた。
学生時代、地質調査のアルバイトで60kgの岩石を背中に背負って日高幌尻岳の七つ沼カールを
いともたやすく滑り降りたという逸話があった人にしてこれだ。
いにしえのつわものが、「半日」という。
虚弱なわたしはそんな体力もないまま、力仕事で関節を痛めて養生も失敗して、
不覚にも前期高齢者になる前に重たい仕事はセミ・リタイヤすることになった。
セミとはいえ山仕事のリタイヤは寂しいが、コモンズ林業関連でやるべきことは実は満載だ。
これセミ・リタイヤは、まあ、ステージ交代の意味の「進化」という言葉で濁すことにしたい。



早春の伐採研修

2015/3/28 sat 晴れ 12℃ @大島山林の池周辺



abe inaba oyama kai kusa tomik &m migita wada =
9 persons
80歳を超える超元気なメンバー・migitaさんと60代半ばの町内会メンバー・wadaさんからリクエストがあって、急きょ、伐採のスキルアップ研修会を開催。講師はメンバーのプロabeさん。

abeさんが用意してくれたテキストで11時過ぎころまで座学、そののち昼を挟んで実技。お二人を中心にした研修ではありましたが、そこはそこ、ほかの面々も常々初心に帰って基礎に忠実にいきたいと思っているので、今日の活動参加者全員で、熱心な実技評価、意見交換をする会になりました。

最後は伐倒した丸太を玉切りし、崖の下に落とし積みなおして終了。


 
 消防に届をして、心置きなく焚火をした。焚火は落ち枝の整理になる。
 

 

●春の樹液はコモンプール資源と認知されているか?

NPOを始める前から、英国製のタップを取り寄せてイタヤカエデなどの樹液を採取していましたが、近年、これが静かなブームなってきました。

ただ、樹液採取が山菜取りと同様のものかというとまだ疑問。わたしの認識ではまだハスカップやベリーのような「コモンプール資源」としての地位を得ていません。もしやるのなら、「自分の所有する山林」か、「庭に植えた自分の木」で採取するのが正しいと考えられます。

このたび、当ホームページの「掲示板」に、山林の比較的目立つ場所で樹液採取が許されるかどうかについて、下記のような話題提供をしました。

これから話題に上るだろうテーマですので、今後の議論のために、ここ(右・緑フォント)に転載しておきます。 ↗

~~~~2015/3/27 takeの書き込み~~~~

山林入口の駐車場わきで樹液採取をしているのは今日、初めて知りました。帰途の車中、直感的にこれはまずいと思いましたので以下メモします。

わたしたちコモンズは管理の担い手として「使わせてもらって」いますが、○西林業さんが自分の自家山林で楓の樹液をとるのとはまったくわけが違います。

たとえば、北大研究林や王子の山林で、市民が堂々と、通常の山菜のごとく樹液採取を始めるとそれはストップになるのは間違いありません。それと実は同じ。コモンズはちょっとデリケートな配慮が求められ、結果として森の管理を任せてもいいという信頼、信託が保たれていると思います。

この考え方のように、コモンズとしては小屋の周りなどで、地味に小規模の実験的利用をさせてもらっている、という方法がなじみます。入口という、公園の顔部分での樹液採取は、町内会の人々やこれから入林される町民や道央圏の住民の自由採取を誘因しかねません。

まだ堂々とやっていい、ローカル・コモンズの慣習になっていないのです。権利などもちろんもともとありません。

つまり樹液採取は、ワラビやフキなど山菜のようにコモンプール資源としてまだ認知されていないのです。これこそ、NPOが新しい土地の共有、コモンズ利用を進めて恵まれた地域環境を創っていこうという大事な部分で、そこはこういったいろいろな峻別が必要なようです。

ぜひ今後、「入口」での採取は自粛した方がいいと思いますがみなさんいかがでしょう。



    日本森林学会公開シンポジウム
   『森林づくりと生物多様性保全』

      2015/3/27 fri 13:30~@北大学術交流会館


    


表記の公開シンポジウムで、研究者、森林行政の担当者に交じって、民間の市民側で森づくりに関わるプレイヤーの一人のパネリストとして、事例紹介25分と何回かのコメントのチャンスを何回かもらいました。

(発表の内容)
結論から言えば、広域にカバーする行政・自治体のの森林では、人口造林地がいかに生物多様性を制限しているか、それをどう改善していけばいいか、が前半お二人の大きなテーマでした。

また、森林そのものがどのように所有され自治体としてどうリードしていけばいいかの計画の基礎として、エリアを確定していく根気の要る愛知県豊田市取組みも紹介されました。いずれも聞きごたえ、見ごたえのある発表でした。

(私のスピーチ内容)
わたしは民間の市民サイドということで最初から「無責任な立場でないといえないこと」を、「多少乱暴」に、そして「極端」に表現することとしました。それで肝心なことは次のようになります。

■小規模なコモンズ林業は可能だ。身近な荒れた民有林は市民が改善してこみゅにてぃ・フォレストにできる。

■コモンズのフィールドの雑木林では生物多様性など心配したことがない。広葉樹林は潜在性が高い。つた森山林山林や数百ヘクタールに及ぶ森林づくりの方針として、「観察しながら積極的に放置」して、人工林も将来的に広葉樹の雑木林に移行させる方向を、受託調査の中でNPOから森林所有者に提言した。

■生物多様性の宝の場所は、森林の奥地ではなく、人々の生活に近い里の山、つまり「里山」であることを北海道でももっと認識すべき。

■人間は都市にまとまって住んだのは正しい選択だ。生物多様性の中にいると、自然との共生など御免だ、と思えてくる。

■生物多様性を概念で理解すると同時に、自然に触れながら楽しみを見つけていく方向に、生物多様性と人間の営みの、持続性をもった解決策がある。身近な林をイヤシロチにかえ、人が里山に来るようになると、遠回りだが、座学よりこの方が生物多様性への一般市民の理解は高まるはず。

というようなことを少し思い付きで申し上げました。さすが全国から集まった参加者の質問も活発で、有意義なシンポジウムになりました。おかげさまでコモンズの提言は反響が大きく、シンポ後にたくさんの方が来られ、名刺交換と立ち話をしました。そのあとの立食の懇親会でも声をかけられ、モテモテの午後となりました。


(パンフレットに掲載された私のレジメ)

 発表要旨 「やればできる!コモンズ林業の可能性と課題」

時代は今、いくつかの節目を迎えている。そのうちのひとつは、増大、拡大を基調としたものの考え方から、改善や調整などによるよりていねいな仕組みへの変化であり、現在、まさにそのステップに差し掛かっているように見える。身の回りで感じる典型が、土地の所有の在り方、とりわけ森林など社会的共通資本とよばれるものを「みんなもの」として共有するあり方ではないかと思う。

わたしは広大な緑地管理にかかわっていた関係で、転職後も市民としてその雑木林などの保育に携わり、気づいてみるとざっと約40年間、同じ林と向き合っていた。所有セクターから市民側に立場が変わり、その林が次第と放置されるのを見るにつけ、プライベートな所有という囲い込み状態から、コモンズのような地域の住民が共有する感覚の土地利活用への移行が可能ではないかと考え始めた。幸い、ややして数100haの雑木林や湿原をコモンズのように利用する管理協定を所有者と結ぶことができ、コミュニティの町民や市民の利用が可能な仕組みを実践してきた。

特にコミュニティが中心となって、隣接する100ヘクタール足らずの雑木林で、枯れ木やツル、傾斜木の除去、さらに混み過ぎた広葉樹の間伐を通じて、薪を作りつつ森林散策のできるフットパスも作っていく工程を「コモンズ林業」と呼ぶことにした。

この活動は自然に回転するようになり、将来の展望も課題も見え始めている。そこで発見したことの一つは、プロがやることとあきらめられていた「林業のようなもの」が、やりようによって素人でもできること、もう一つは、その土地その土地の実情に合わせれば地域の経済にも寄与し、需要と供給とマンパワーがうまくつながること、3つめは、生き物多様世界を保証するのは、やはり林を放置することではなく木を伐ること、つまり伐採によるギャップや環境改変、あるいは隙間の多い人工工作物である、ということだった。

 また、生物多様性がもてはやされる一方で、多様な生き物と共生するのはごめんだ、という感覚も明確になってきた。人々は都市サイドのアメニティ感覚から今や離れにくい。不快昆虫や爬虫類などと隣り合わせでいるよりも、少し距離をおいて快適さを求めたいということにも理はある。一定の距離を保ちつつ環境をシェアする。自然を日常とするのか距離をおいて週末などにするのか、それを種々選択できることも現代の文明と呼べる。



作業安全に取り組む



2015/03/21 SAT 晴れ時々曇り 4℃

abe inaba oyama kai kusa tomik &tomim migita wada
= 9 persons



昨年秋に着手した、山林のエントランス部分の保育が、先週の作業に加え地元メンバーの平日作業でだいぶ目に見えるような変化が出てきました。今日はその2回目。入口のトドマツ、カラマツはメインの部分があらかた完了したようなので、仕上げの意味もかねて広場周りを一巡。

お昼、先々週の材の運搬作業中に別パーティの単独作業でちょっとしたアクシデントがあったことがわかり、反省会となりました。広葉樹の伐採が比較的高いスキルが求められ、ついつい慣れて慢心してしまう心の隙間で事故が起きることを語ったりしてきただけに、危険作業の経験が話題になりました。あまり披露することはなかったのですが、いろいろとあるもの。安全作業は基本に忠実な技術、確認、それと判断力が複合して可能になりますが、特にケースバイケースの判断力は見て聴いて経験して、内部蓄積するしかありません。

午後の後半も、カラマツの掛かり木がやがて宙吊りになり、ロープで引っ張る羽目になりました。そうなったことの反省会を現場でしましたが、そんな風に体験を共有することは大事なこと。

慣れとプライドを捨て、現場の状況に素直に向き合う。簡単なように見えて、そうそうできることではありません。森の遊びではなく、森づくりの核となる伐採に、相当の人がはまる理由も実はそこにあるのでしょう。

     



岩手の自伐型林業をたずねて    




2015/03/16mon ~18wed


コモンズ研究会の仕事で、岩手県の自伐型林業を見てきました。自伐型林業というのは、5年ほど前から林業白書などで紹介され、最近では「地方創生」の流れの中で石破大臣が国会で言及するなどしたため一部で大変注目されている林業の手法です。

簡単にいうと、従来、個人の民有林で施業委託という形で森林組合などに業務委託していたものでなく、自ら木を伐って売る手法です。「C材(あまり使い道のない材)で晩酌を!」というキャッチで、笑い飛ばしながら山仕事を始めた小規模林業形態。NPO土佐の森・救援隊の中嶋健造氏が中心的に動いていて、先日も札幌で講演しました。が、まだ北海道では「自伐型」と銘打った形態は発表されていません。

この手法は、提案と普及の勢いが良すぎるのか、また林業行政に対する批判精神が旺盛なせいか、異を唱える人も少なくありません。「そんなことで、日本の建築材を賄えるわけがない」と一蹴する向きもあります。

国は、民主党時代に「森林・林業再生プラン」を発表して、農業と同様大規模な管理形態に移行して欧州の林業技術を学びなおせば、日本林業を再生できるという路線を敷きました。自伐型はそれに対するそのアンチテーゼといえるかもしれません。もっと隙間の小さな林業こそ注目すべきで、そこに地域活性化の資源が眠っている、と。

その根っこには、林業はプロがやるもので素人には無理だ、組合にでも任せるものだ、という思い込みから脱却しようという、従来の神話を解消させるような新しい動きが含まれていて、そんな「林業新時代」がやってくるとわたしは思っています。

林業はプロがやるものでなく、「素人でもやればできる」「そうすれば身近な荒れた林もコミュニティの美しく気持ちの良い森林公園に変わる」という、わたしたちの「コモンズ林業」と根底でつながるのです。

そしてわたしの見聞しての結論。こと改めて自伐型林業などというけれど、一昔前はどこでもみんなやっていたことであり、特別なことではない、ということです。現に、木材の自給率の高いドイツでは農家が数十ヘクタールの森林をもって自分で出荷しています。それをやや急な斜面も多い日本で、なんとか別の工夫が要る、ということです。
 
【遠野 馬搬の森】

訪れたのは、岩手県の遠野市で馬搬による森づくりを展開している岩間さん。土地柄で幼少のころから馬に親しみ、成人してから親方についてみっちり伝統の馬搬を学んで、近年では英国の馬搬コンテストで優勝したり、長野黒姫のC・W・ニコルの「アファンの森」で馬搬をデモしたりしてきたのですっかりメディアでも有名になっています。住友林業のTV番組「森人(もりじん)」などよく放映されてきたので見かけた人も多いはず。
  
遠野の旧千葉家の曲り家。右はその納屋。農耕の各種同がなつかしい。

なぜ、馬搬がこのように取り上げられるのかというと、ブルを使った作業に比べて森林全体や特に林床にやさしいことが挙げられています。その背景にはヨーロッパにおける馬搬重視の流れもあります。岩間さんによれば、馬は畑の周りの雑草や繁茂するクズの葉やススキなど、自然の草を食するから石油を使う機会に比べて徹底して環境にやさしく、エコだという特性があります。
 
岩間さんの現地オフィス。右は馬の扱いの訓練。

ただ、生き物の馬を扱うことは簡単でありません。生命を養うだけでもきめ細かい(曲がり家のような)ケアが必要だし、斜面も縦横に木材運搬をするためには、馬の扱いにも習熟する必要があります。

そんなこんなで、まだこのトレンドははじまったばかり。岩間さんは、このような馬搬に対する注目を背に受けて、重機を使えない山持ちの運材作業を引き受け、全国からやってくる馬搬研修者の相手をするなどのほか、馬搬作業で作った材だよ~というメッセージを「焼き印」に込めてHORSE LOGGING をブランド化しました。別名「木のエルメス」。

↑マウントポニー。材を載せてキャタで曳く。欲しいけれどもう売ってない。

驚くことは、手間返しのような方法で仕事や作業の貸し借り、伐採した樹木の引き受けなどをするので、一見、お金が動かないこと。まさに遠野とその周辺のコミュニティに根差していることです。そしてビジネスツールが馬とトビ。大トビを使いこなす技は見られませんでしたがこれはこれからの課題です。
【NPO法人吉里吉里国

次に訪問したのは三陸海岸に面した大槌町の吉里吉里国。4年前の津波で町の庁舎が破壊され、その残骸を原爆ドームのように負の遺産として保存するかどうかが議論されています。当然のように見学に来る人も多く、庁舎前では若いボランティアが大学生と思しきグループの前でハンドマイクで当時の状況などをなたっていました。
  
NPO吉里吉里国は、自らも津波被害を受けて家を失った芳賀国彦さんが避難所で瓦礫の中から木材を探し出して暖をとっているうち、いろいろな支援者のアドバイスから、瓦礫の薪を「復活の薪」として販売を始め全国から協力金のように集まってきた。それは今も続いているようです。

そのうち避難所仲間で「山をつくろう」という話になって、瓦礫ではなく漁民の山主を中心に、集落を囲む杉林の間伐に着手、その間伐材で薪を作るようになりました。民有林は400ヘクタールで所有者は360人、平均1ヘクタール弱、その8割が地元の漁師。

薪は地域の施設と顧客にほぼ半分ほど出荷し、年間の出荷量は約66トン。外に積んであった薪の棚数を調べたら、約50棚ほどあり、作れば作るほど赤字だといいますが、まんざらでもなさそうでした。
  




ここはここに適した自伐型林業であり、土佐の森が「副業型自伐林業」だとすれば吉里吉里は「集落営林型」だと芳賀さんは言っています。コモンズもそれに近いですが、わたしたちは「広葉樹のみ」で、「ボランティアが中心」で、時間と生産量を気にしないで持続させることと快適な林に改善することが目標、というあたりが違います。

これからブランド材として「吉里吉里100年杉」を育てて商売につなげるのだといいますが、これはコモンズが構想している「フューチャー間伐」「将来木施業」とも共通点があります。

吉里吉里国は土佐の中嶋さんが応援し県庁の深澤さんも個人的に支援しています。林業学校を開催し各種認定の資格をとり、国や県の助成制度をフルに使っているので、いろいろな器具備品もありました。これはわたしたちとだいぶ違うかもしれません。


印象に残ったことがひとつ。吉里吉里国は素人が自伐型林業を始めた好例ですが、そこについて回るのが、「作業の安全」。研修したりして気を付け、講習会も欠かさずやっているとのことでした。杉の間伐より、はるかに難易度の高い広葉樹の伐採を、平気でし始めているわがコモンズはまさにここの部分にがっちり取り組む必要があります。





春の気、満ちる


2015/03/14 sat 晴れ時々曇りと雪 2℃

abe inaba oyama kai kusa tomik migita wada
miyakawa = 9 persons
北海道に住んで幸せだと思うことが年に何度かありますが、3月は特に北国の豊穣、野生生物とのシェア感覚という特別な幸福感ががあります。3月に入って間もなく、昼夜を問わず南から渡ってくる白鳥やガンたちの声や姿に始まり、今日はいくつかの夏鳥の声ももう聞こえたようでした。遠くの雪原を複数のエゾリスが駆けていたりしますと、そうか、春は生命の源泉、つまり繁殖の季節だったと思い当たります。

確かに日が長くなって、ま、成長が基調の季節だと言えますが、それを「まぶしい」と感じて精神的に敬遠する人がいてもおかしくない。北国の春は、しばしば、行き過ぎのようにアドレナリンを刺激するものだ。いい歳になったおじさん達の一部は湧き上がるそのエネルギーを、無駄遣いせずに溜め込みたいと願う。

今日は池のそばのカラマツとトドマツの人工林を手掛けた。昨年秋から3年計画で町内会有志と保育するエリア。隣の木に掛かってしまうのを、丁寧に大トビを使いジワジワ倒していく。

ここのカラマツは珍しく成長が良い。oyamaさんが計ったら20m以上の樹高があったとか。しかし、梢端部いわゆるカラス止まりはもう伸びてはいないから、伐採時だと思う。

今日はクサビを使って正確に倒したのはいいが、クサビが欠けた。




tomikさんが片づけた堅そうなヤマグワ

それにしても冬が逆戻りして積雪は30©っもあった。ズボズボ埋まりながら行ったり来たりするだけで、疲れ果てた。伐倒作業はスノモの往復に比べたら楽しい面があるけれども、やはり腰に来た。昼前からもう股関節がきしんだ。




丸太搬出、繰り上げて終了


2015/03/07 sat 曇り 4℃

abe inaba oyama kai kusa kurita tomik migita
yokoyama wada = 10persons

かくも雪を味方と思うことはなかったのではないか。降ってくれ、解けないでくれ・・・。昨日まで、トラクターで2,3時間、丸太の搬出路に雪を盛ってもらったが、それももうあきらめざるを得ない。恐らくこのままではもう寒波らしいものは期待できず、春に向かって行こうとしている。来週末はスノモ運搬は期待できないとふんだ。


そうふんで、今日は最後になるかもしれないスノモ搬出と覚悟した。幸い、雪のコンディションは今季最高。通常なら、朝晩でせいぜい14往復のところ、今日は18往復して、かついつもの2日分近い丸太を広場に運び込むことができた。


総勢10名、南富良野からkuriちゃん、鵡川からyokoyamaさんが応援に来てくれたほか、間伐はほぼ切り上げて戦力の8割を積み込み積み下ろしに傾注。



写真左は17往復目、約700kgの丸太を積んで運ぶところで、4時ころの記念写真。さすがにスノモは途中唸って坂で止まりそうになったのだった。
おとといあたりから夜半に白鳥の声が聞こえるようになった。ウトナイ湖の氷も割れており、渡り鳥が南からわたってきている。今朝は、薪の広場の上空をマガンや白鳥たちが強風にあおられながら編隊で飛行していた。








 
機敏な積み下ろしを心がけてみるとサイクルタイムがかなり短縮できた。雪のコンディションも影響が大。
 

薪広場に面した荒木先生から、掲示板に「土曜日はカレーライスを用意しておきます」というメッセージが届いた。いつもはみんなカップ麺とおにぎりなどの簡単な食事をするのだが、今日はおいしい、おそらく秋田米の白飯とカレーが用意されて、スノモでキャンプまで運んでセルフサービスでごちそうになった。飯場と化す昼食時は、しばし、黙々。おなかを満たすまで、ぺらぺらしゃべらない。

その荒木さんのご主人が年末に自宅を増築して移転した新理容院の名前は、よく見ると「森のとこやさん」。椅子が一つしかない、なんだか、宮沢賢治の童話に出てきそうなシチュエーションだ。もしそうなら、この森に出入りする親父たちと度胸あるオババを、賢治はどんなふうに描かれたのだろう。

想像しただけでもおかしい連想が湧いてくる。


 




雪よ、解けないで


総勢11人のランチ。誰もしゃべっていない
時間がある。黙々。


2015/02/08 sat くもり時々晴れ +4℃程度か

abe inaba oyama kai kusa tomik & tomim tuduki
migita wada sasaki=11 persons



雪はあれよあれよという間に解けて、広場は地面が見えてきた。雪が消えた運搬ルートには会員の右田さんがトラクターで雪を盛ってくれてた。除雪ならぬこの「加雪」「増雪」「盛り雪」作業のおかげで、2月末日にかろうじて間伐材の運搬ができた。

今年はひょっとしたら危ない、という予感から、多少無理をしながら年明けから林内にスノモを入れ運搬を始めたこと、それと先週から、運搬路沿いで重点的に間伐を進めたことが幸いして、今日の成果はかなりのものだった。恐らくこれで、稼働4日あまりかけ8棚(4軒分)~12棚(6軒分)は確保できたと思う。今日は約5立方m程度運んだように思う。3棚だ。まだ残りがあるから、少なくとも薪小屋は埋まるだろう。

恐らく3月の第1週の雪は残るだろうから3月7日にもう一度運搬が可能と踏んだ。この日は残りを運んでしまうほかに、新たに間伐した分も運んでしまえたらラッキー。



一本の搬出路沿いに作業。時々枝線を作る

チェンソーの掃除も終えて帰路、雪原を戻ってくる


一本50kg程度の薪をいくつ積めるかで数えたら、計算上は1回で500kg運ぶことに

広場はもうこんな状態





春の陽気に仕事はかどる




2015/02/21 sat 快晴 -2℃から+2℃

abe inaba oyama kai kusa tomik & tomim
migita wada = 9 persons
先週とはうってかわって3月の日差しになった。これまで足踏み状態であったから、「今日は頑張って間伐を進めよう」と掲示板にメッセージを送った。その功はともかく、つい仕事がしたくなる、そんな日和だった。鷹栖町で犬ぞりをしている女性マッシャーが、ソリを引きたくて犬たちがムズムズしている様子をfacebookに投稿してくれるが、そんな感じかも。人間は天候にも左右される動物。

inabaさんと広場で丸太を下ろしていると、ご近所の子がお母さんのソリに引かれて散歩に来た。いや、散歩しているのは母親だけ。午前と午後の2回、スノーモービルの回遊ルートをめぐるのだとか。ミラーのサングラスをかけているのを忘れて近づいたら2歳ぐらいのこの子は泣き出してしまった。粉雪に転げ落ちたのに笑っていた、あの子だ。

夕方、スノモで林を一周してみると、入口からサイン沿いに踏み跡ができていて、結構なリピーターがいることがわかる。夕方、N先生の奥さんと犬が帰るところで、ちょっと挨拶。冬、散歩できる雑木林の道があるなんて素敵だ、と、われながら思う。使う人が「ありがとうね」という声が直接聞こえては来ないが、時折、人づてに知る。町内の人からちょっと温かい「まなざし」を感じる時もある。



イタヤカエデの樹液が取れている。1週間で4リッター程度のペース。何とも微笑ましい光景である。春を告げるかのごとく、だ。わたしは何年か前にイタヤとサトウカエデの2種類のメープルシロップを誕生(⇒写真)させ、その年大変お世話になった英国の人に送った。その時のラベル「勇払原野のspirit」はNPOのニュースレターのタイトルになっている。



 

 

 
そのころ、樹液採取用のタップを使っていた。英国から取り寄せたもので、余市のアリスファームの藤門弘氏が雑誌で紹介していたものである。カラーの小さなバケツが下がっていたと思う。それに直接取り付けると写真上のように雪が消えたころに虫が入るので、すぐチューブに切り替えた。採取後の穴は同じ樹種の枝を切り差し込んで癒合させ雑菌が入って腐れることのなきように「祈る」。これが大事だ。

かくして濃厚なシロップができる。三越で買ったメープルシロップ一瓶は当時1600円ほどであったから、なんと手間とエネルギーの掛かるものかと驚いた。

初春のそんな大人の遊びを、昔の山仲間が子供連れで札幌からやってきたこともあった(最後の写真=平成21年)。白樺の水をごっくんごっくん飲んで、ホットケーキにシロップをかけて食していった。


さて、閑話休題が先になったけれでも、肝心の山仕事は順調だった。なにより雪が安定してきたのも大きい。スノモのトラブルが減り、ソリが滑る。


スノモを運搬路から少しずつ中へ入れて方向転換して搬出する。それもできるだけ、運搬効率のいい鉄ソリを使うようにした。

今年は丸太が太い。専門的に言えば、林の齢級が上がっていて材の成長の優劣がついている。その結果、選木する傾斜木やこみ過ぎの木が昨年までに比べて太めになっているようだ。

当然、運搬はきつい。帰宅後、腕が筋肉痛になることが分かっていたので、サロンパスをたっぷりはったら、朝、痛みなし。女性腕相撲チャンピオンだったinabaさんは大丈夫だろうか。もうすぐ古希を迎えられるので(内緒)その時は盛大にお祝いせねば。

上は先週までの分。木材の正味10立法m前後と見た。それまでは一日だいたい14往復していたが、それは積み込みに応援二人がついての話。ドライバーと助手二人だけだと10往復程度に落ちるみたい。昨日はoyamaさんに応援してもらったので11往復だった。それが下の写真。2棚強、正味4立法m近いと思う。つまり一日スノモで運搬するのは一軒分の一冬の薪、ということになろうか。手間を考えるともしこれを割って運んで10万円なら安すぎる。そんなことを考えるのは楽しい。




雪が止むのを待って


今日はバレンタインデー。紅一点のinabaさんが
殺風景な前進基地に、自家製のレーズンチョコを
持ってきてくれた。オイシイ!


2015/02/14 sat 午前大雪、12時から曇り -2℃

inaba oyama kai kusa tomik = 5 persons
(トップのコメントから抄録、つまりは省力)

「今シーズンはなんだか週末にどっと雪が降るような気がします。山仕事をする側にとっては誠にありがたくない話で、こんなことなら雪のなかった歳前にもっとやっておけばよかった、と後悔しますが、今更してももう遅かった。今日もびっしり雪が降って午前中だけでも20cmほど積もりました。が、メンバーは、イタヤカエデの樹液採取を先週から始めた。体内時計が春をキャッチしたみたいに。その執着ぶりがまた微笑ましく。」


積雪は約50cm
 

今のところ、材の集積は昨年の3割程度か。間伐の進捗はかなり遅い。なかなか、条件のいい日和にならないせいもあるでしょう。

また、スノモも意外な弱点があって、親切、いや新雪に弱く、下が氷の面があればキャタピラは負荷と同時に空回りする。だから単身でどんどん運搬するには不安が多い。だいぶ、実情が分かってきました。

来月、財団のコモンズ研究会として岩手県の自伐型林業をヒアリングしますが、その際、遠野の馬搬の伝承に励む岩間さんに、馬搬による林業も見せてもらう予定。

各々の現場にあった作法をお互い探し当てるしかありません。先の投稿「北方林業」ではそれを気取ってバナキュラー・マネージメントと呼んでみました。(vernacular management) 明日は財団のNPO助成のひとつの成果発表を兼ねた勉強会があって羽幌に出かけ天売島の森づくりの質疑に参加の予定。そこでも最大のテーマは、この各地の実情にあった作業・作法vernacular managementです。




山仕事、にぎわう

2015/02/07 sat 日中はプラス1℃


abe inaba oyama kai kusa tuduki & taiti tomik & tomim
migita sasaki = 11persons

これが胆振の冬、というような天気。温かく、日差しは春のようで、まあまあ、雪はある。本当に材は出るのか、という心配をよそに、せっせと材の運搬を始めた。その結果、昨年の4分の一程度まできた。あと1か月半、目標達成は可能とみた。総勢11人。



今日は15往復
 

イタヤの樹液採りが始まった。もうすでに採れはじめている。節分を過ぎて日差しはすでに早春だもの。




ごく、楽しい山仕事の最後に、ミスをした。スノーモービルをUターンする際に鉄ソリが直進して駐車していたoyamaさんの外車にぶつけてしまった。ソリは、3本のブレードをつけているせいか、雪があれば直進するの
だった。氷なら滑ってぶれる。一日の最後に、失敗をしでかしてしまった。反省。


1/31 コープの森づくり交流会
2/1小屋点検して山仕事へ


2015/02/01 sun マイナス3℃ 晴れのち雪


1/31 (山)abe(里の交流会)nakatu,tomik&tomim oyama kusa = 5
2/1 oyama,kusakari= 2 persons
1/31、コープさっぽろの森づくり交流会にメンバー5人で参加。にぎやかな会合で、くしくもハスカップサンクチュアリの遊水地の話になって、ちょっとだけ発言した。苫小牧はその地の利のゆえに、工業開発、住宅開発の波が押し寄せて地元生まれの人たちはあれよあれよという間の変化に、時に反対運動、時に苦渋のまま便乗、よそものの私などは、それはそれとして「地の理」と「とてつもない自然度」を存分に楽しませてもらっている。この要諦はなかなか分かってもらうのは難しい。でも、できるだけ発言するようにしている。


昼食後、第2部。丹羽健二氏の講演をテレビ会議方式で聞いた。この頃、コモンズ林業と似た話をあちこちで聞く。考えることはどこも一緒だが、北海道の事情はちょっとのんびりでビジネス色がやや薄いかも。
大島山林の山仕事の前に小屋(ケアセンター@静川)に行ってみた。春のような日差しの中をスノーシュウで1周。ベランダではエゾリスが待っていたかのようにこちらを眺めつつカラマツの方へ枝を渡っていった。室温はマイナス6℃、薪ストーブを炊いて、束の間、暖を取った。



朝から来ていたoyamaさんとお昼のテントで合流。わたしは手を付けてしまった藪をコツコツと整理、ついつい重たいものを持ってしまう自分にはややあきれる。股関節がまた病んでしまったが、この頃、筋トレしている効果がでるか。

雪が本降りになってきて、スマホで雨雲レーダーをみると、石狩湾からもろに南南東へ遠浅まで雪雲が伸びていた。断念。やや、陰々滅滅たる気分でテントに戻ってオキに薪を継ぎ足して、コーヒーを飲み始めたらoyamaさんも戻ってきた。


雑木林だより トップ




間伐材、搬出も始める

2015/01/24 sat 晴れ -2℃ 


駐車スペースと搬出路の除雪をしてくれる
地元会員のmigitaさん、82歳


abe oyama kai kusakari tomik &tomim migita
= 7persons

わたしが到着して間もなく、2時間の除雪を終え、
朝食に戻る右田さんと立ち話。薪小屋の右の
樹林にこの日はオジロワシがいた。



何せ、太い風倒木などは重い。長さ2mほど
で切っても人力で移動させるのは難しい
ソリに
載せるまでが一仕事。そこへスノモがバックで迎え
に行く。

応用問題だった伐倒の一つを手掛けるabeプロ。
半分は折れ、残ったこれは傾斜木。このサイズなら、
太い枝も含めて2立米近いのではないか。↓慎重に
伐倒て順をシミュレーション中。


大雪に見舞われて本格的に間伐を初めて2日目に
もならないが、いよいよ搬出も始めた。3月の終わり
にはフィールドの雪がまだらに消え始めるからあと
2か月しかないのだ。寡雪で有名な胆振(いぶり)地
方の苫小牧でも、積雪を利用しないと素人の
コモンズ林業における搬出は無理という背景がある。
だから、気持ちは「やれるうちにやる!」。


どんどん新雪が降り積むのでスノモにはやや
きつい。もう少し雪が硬くなって欲しい。ギア比
を落としても、約550ccのスノモが唸って、思わず
こちらも力が入ってしまう。

搬出は3種類の方法を使用。
一つはFRPのスキッ
ドコーン(左)、
もう一つは鉄製の150kgの
ソリ(右)。



そしてもう一つは鉄製のソリの台 ↓。ワイヤーで
絞めて台に頭だけを載せるもの。ケースバイケース
で使い分けるが、丸太をそのまま引きずる方法は
搬出路がU字型の溝になるから柔らかい雪の場合、
ちょっと困る


このナラの丸太は直径が30cm少々、長さ2.2m、
だいたい170kgほどになるはず。
 
作業後の道具の清掃。よく働いたチェンソーと無事故に
感謝しつつ。




どか雪到来、万事休す

2015/01/18 sun マイナス7℃⇒同2℃



oyama tomik & tomim kusakari = 4 persons
右田さんは前日除雪従事
いざ新雪にスノモで入ってみると予想以上の雪の深さでスノモがストップしてしまった。ボデーに雪が詰まってキャタビラが空回りしている。スコップ持参の応援を頼んでようやく脱出。この機種の思いがけない雪の弱さにがっかり。しかし、まあいい勉強になった。


それにしても右田さんには除雪でお世話になっている。昨日の作業量も大変なものだ。一夜明けてすっかりもとに戻っていてはさぞやがっかりされるだろう。

17日土曜日は朝から大雪でやみそうもないため、掲示板で現地作業を明日に延期と告げる。

そして翌日、朝未だき早朝は下弦の月が真南にかかっており、今日は絶好の日和だと喜んでいたら、8時半ころ家を出るときには東の方は雪雲がかかっていた。案の定というか残念ながらというのか、遠浅の団地はにわか豪雪で、昨日右田さんがやってくれたらしい除雪も、もう完全に同じように雪に埋もれていた。

運が悪いことに、道路除雪が広場入口をふさいでおりこのままでは入れない。歩いて薪小屋に行ってみると昨日から新たに30cm降ったようだ。スノーモービルのカバーシートの除雪をしていると富永夫妻が到着して開口一番、胆振東部の雪の多さに驚いた様子。あまりの降雪にしばらくU先生のところでお茶をいただく。居間からみた広場は雪に煙っていた。



4人、とりあえず、昼前に前進テントまでたどり着いて、除雪。今日はこの雪の深さでは仕事にならないが、テント周りの除雪だけはしておいた方が来週のためにベターだ。テントまでの道を踏んでおくだけでも助かる。

昼食後、スノーシューやかんじきをはいて散歩してみるが、積雪は60cm以上あってかんじきを付けたままでも太ももまで埋まるから、もはや散歩ではない。

 

 

結局、山仕事はあきらめて、とりあえず来週のために前進基地と経路を確保しただけで終わった。仕事の進捗の遅れに少々不安がよぎる。



今年は薪が集まるか

2015/01/10 sat 晴れ マイナス3℃⇒プラス



9:45 朝の身支度始まる

oyama kai tomik & tomim take = 5 persons

朝9時、ようやく雪が積もった大島山林の雑木林の保育
現場にスノモで到着。さっそく、ストーブに火をつけた。
山子をセミリタイヤしたつもりのわたしにも、実は仕事はいっぱいある。その大事な一つは間伐した材の搬出ルートづくりだ。今日はその初日、どのようなルートを作れるか、いくつか試走してみた。
また、散歩者もいるのでフットパスルートもトレースしてみた。どうも、散歩が冬に偏ってしまう噂は本当で、飼い主が犬にダニがつくのを恐れているようだ。先日、せっかくだから、無雪期にも歩いてほしいと薦めたら、あるウォーカーにいうとそんな返事が返ってきたのだ。




シンボルツリーのドロノキ「グランパ」にも行ってみた。「グランパ」とは私だけの密かな呼称で、白老のコミュ・レス「グランマ」にちなんでいる。静かで堂々としている。










ルートの大まかな道つけは昼過ぎに終えたので、そのあと、大規模な風倒木の集団に着手。この集団をなんとかすればルートのショートカットができるから。

右の写真はそのとっかかりで蔓に絡まれたイタヤを伐倒し倒れて間もなくの画像。クサビ2枚で倒れ始めたものの、絡まった蔓で抑えられ倒れず止まった。それでも自重があったせいでミシミシうなって、静観していたら5分ほどで倒れた。


やっと仕事が始まった。あと2か月半。昨年並みに16棚(みかけ43立法)ほどは確保したい。このペースで果たしてできるだろうか。

雪のない正月だったが、ついに1月7日、強力な冬型の気
圧配置になって、安平町遠浅の現地にも50cmほどの雪
が積もった。会員の右田さん(81才)が大型トラクターで
除雪してくれて、アクセスは非常に助かった。↑写真奥で
kaiさんが作業中。                       
 

前進テントは塩梅が良い。居住性もよく、雪の重さで変形
することもない。ただ、降ったばかりの雪が不安定で
スノモが傾きやすい。新雪の上で微妙にバランスを
とる必要があった。
                




個人的に今年の仕事始め


2015/01/03 sat 晴れ マイナス4℃


オフロードバイクの跡か
 
テント前の大きな株。分割して15cm切り詰め
 
随所に残る高い伐高の切り株。雪が解けたら自分の
担当エリアを一回りすることを行事にしたい

 

燃え盛る枝。やや、もったいない

オキの輻射が名残惜しい
久々の長い休みに運動もしないで食べて飲んで家にこもりきりだったので、例年のように正月3日は山に出向いた。NPOの活動としてはもちろん休みなのでひとりだが、それなりに懸案があって処理した。

一つは前進小屋周りの枝の焼却。にぎやかな交差点に小屋ができた裏返しで、整理された枝が山積されたままだった。地元消防に火入れ揚煙の手付きをしてもらったので、一応は大ツぴらに焚火はできることになっていた。ちいさな火種からだんだん大きくして結構な大きさに育った。午後も新たにくべたら、だいたいの枝は消えた。

もう一つの懸案は、スノーモービルの運材ルートの見立て。雪が降る前に切り株の少ないルートを探し必要なら小さな支障木を伐り払っておくと、これからが楽だ。伐高の高い切り株も地際まで切り下げる必要がある。

今季はすでに出来上がったメインから3つの反時計回りの搬出ルートがあればいいと思われる。これらは夕方まで一応めどがついてピンクのスズランテープをダブルで巻いておいた。積雪後の搬出初日、このルートに轍をつけておけば、あとはわかる。したがって、わたしだけの目印で用が足りる。

仕事が終わってチェンソーの掃除をしていると若者二人が犬を連れてやってきた。聞くと、団地に住んで2年目の新住民で、冬は毎日林に散歩に来るらしい。夏場は犬にダニがつくので来ないという。径に迷うことはないか聞いてみると、もう大丈夫といっていた。

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