前著の『コモンズ 地域の再生と創造』を執筆していたころ、わたしの頭の中には
地域に経済のためにやってきて仕事が終われば妻子の居る場所へ帰っていく人々を、
いわば旅人のように位置づけ、
逆に、わたしたちのように風土に愛着を持って定住する者達と区別していた。
後者こそが、地域の社会的共通資本やコモンズの守り手だ、という仮説を立てて、納得していたのである。
だが、ここ2,3年、地域おこし協力隊のOBや現役と会い、データや文献も読み進むうち、
仕事のために来て旅人のように過ぎ去る経済人も、やはり地域にとって重要な助っ人、サポーターだと
心から思うようになった。実際、そのようなミッションをもって動いている経済人は多く、
むしろ定住しようとする地元の人の方が、のんびりしすぎだなあ、とか
地域を支えていこうというプレイヤー意識はうすいかなあ、と
思うことも少なくない。
でもきっとそんなことはないだろう。
人と人がもう少しつながって思いを確かめ高めあうこともできたら
社会は変わる。世代が変わろうとしている今のことを考えると
不安より希望の方が勝っているようにも見える。
2015年、山仕事納め 2015/12/26 sat 曇り 4℃ oyama kai kusa tomik & m =5 persons 先週は、わたしは入院中で、現場はoyama tuduki の二人だった模様。 今日は仕事納めで5人が参加。ほとんど雪のない作業日はこれが今季最後ではないか。 定刻、みんな現場に入り、だいたいみんなが見える、聞こえる範囲で黙々と作業に徹した。一人一人のエリアに撮影にもいかないで終わった。 abeさんが整理したハンノキ。赤い木口が印象的。これはハンノキの特徴。 わたしは広場からテントまでの切り残しと、コーナーのスノモ・支障木が気になって林道沿いに伐採すべきものを探して玉切りまで。6本ほど手掛けた。かなり重い丸太を運んだので夜は猛烈に股関節が痛み出した。しかし作業そのものは順調だった。 4時前、盛んに燃えるストーブを後にして家路へ。日が暮れる前に。 |
2015/12/23 ABEさんの危険木処理に関して(やり取りメモ) この記事は11月の中旬ころ発生したハンノキの幹折れ(11/14記事参照↓)をいかにして処理するかに関して、チェンソースキルアップの講師・abeプロに一任していたものを、23日実施した旨連絡があったので、その具体的方法について掲示板に投稿を依頼し結果を記録した顛末を記録したものです。 (abe) takeさん、とんだ災難でしたね。ご無事に退院でき、何よりです。呉々もご自愛ください。 さて、懸案の宿題ですが、やっと本日片付けてきました。 慎重に作業したので、4時間弱かかりましたが、何とか、、、 (草苅) どうもお疲れ様でした。風景はがらりと変わりましたね。 せっかくですから、abe笛木さんの見立てと作業手順をご披露ください。 (abe) 先ず、「宙吊りハンノキ」や他の折れ枝を、手の届く範囲のモノを総て落としました。これは「宙吊りハンノキ」を動き易くすしつつ、その際の動きを小さくするためです。 次に、「宙吊りハンノキ」に接触していて伐木しても「宙吊りハンノキ」の動きに大きな影響のない木(縦写真右側の赤ペンキ)を伐りました。 その後、「宙吊りハンノキ」の枝股が幹に嵌っているシラカンバを伐木しようと思いましたが、危険度が超高いので、その枝を高枝鋸で落とすことにしました。 シラカンバの幹の外側にある枝を落とし、幹の内側の撓んだ方の枝を切り進み、ペキペキッと音がした瞬間「宙吊りハンノキ」がドスンと落ちました。時間にすると、コンマゼロ何秒でしょうか。 後は、「宙吊りハンノキ」に上半身を折られたイタヤカエデと、ハンノキ本体を伐木。 総て薪サイズに玉切りして集積、、、でその日の作業は終了です。 説明下手で、実況中継には程遠いですが、大体の流れはご理解頂けたでしょうか? (草苅) だいたいわかりました。 |
山の神に参拝 2015/12/12 sat 晴れ 5℃ abe inaba oyama kai kusa tuduki tomik & m migita wada nakatu = 11persons インディアンサマーを連想させる陽だまり これからの山仕事の安全を祈る@つた森山林山林 つた森山林の鳥居前で6人⇒⇒⇒大島山林に移動してドロノキの前では9人に さらに夜は、町に移動して。ここでは11人に。 |
大島山林の間伐に本格着手 2015/12/05 sat 曇り 9℃ inaba oyama kusa tomik &m ■間伐はじめ やはり、雪がない方が仕事はしやすい。唯一困ったのは、重い荷物をソリで運ぶときに、ソリが滑らないこと。ま、当然の話。しかし、薪小屋から草に覆われた広場、落ち葉が敷き詰められた林道へとソリを挽いてみると、まあ、滑らないわけではないことがわかった。食器棚もでき薪の上の物置も増えた。ティッシュや小物も完備。仕事の準備は整った。 さあ、山仕事だ。わたしはまず、赤いスプレーをもって、間伐の届け出をしたエリアをめぐってみる。一つの林小班で8ヘクタール以上ある大物で、どこまでが境界かも不明だった。それをたのみのGPSを使って境界を明示したのがおととしだった。 ■ヤリができた 午後から、スプレーをチェンソーに持ち替えた。午前中にずいぶん歩いたので股関節がオーバーワークを訴えていた。だから少しずつ、というつもりだったのに、仕事が始まるとそんなことは忘れてしまう。 仕事のさなか、まったく久々にヤリができた。 ツルの厚さに差ができてしまったようで、oyama式でクサビを打ったあと、回転気味に割れた。コブシだったせいもあるかも。 ■今年の間伐の覚書(続) 先週、こんなメモを書いた。 1.間伐の主力は11月、12月、1月とする 2.搬出メインを2月とする 3.3月は付け足しとし、5月に軽トラで搬出する 今日、oyamaさんから、薪材として運ぶものは「藪だし・集材」の段階で、なにか目印をしようと相成った。それ以外は放棄する。細い枝の薪割りに時間をとられるのは避けようとの配慮。で、何人かはすでに実行しているように、 4.薪にしようとする材は、まくら(横木)の上に並べる。 もうひとつ、思いついたことは、 5.間伐をするとき、その一帯をスノモがはいれるかどうか、も気を付けてみること。 ■ハンノキの危険木 早朝、ひらめいた。テントの前の危険木は実は倒れたもののほかにテント上空に長い枝を伸ばしている。アンバランな伸び方であり、もしこれが落ちればテントを直撃する。サバのイキ腐れと同様、ハンノキの枝の生折れも心配しなくてはならない。それで、倒れた枝を除去したのち、ハンノキ本体も倒す必要があるのではないか。これもいずれabeプロと相談。 |
薪ストーブを新調 2015/11/28 sat 晴れ時々曇り、たまに雪 4℃ inaba oyama kai kusa tomik & m tuzuki migita = 8 persons ■銀世界を目にして考えた山仕事の新サイクル 過ごしやすい晩秋だと季節をほめておりましたら、やはり今年は素性がいいのか、静かに冬が来ました。雑木林ケアセンターに寄ると、こんな状態。いよいよ冬。12月から3月いっぱいの山仕事が始まります。 で、大事なことに思いつきました。 @毎年、紅葉後、11月、12月にゆったり余裕があること Aこの時期はほぼ雪がなく間伐も準備も格段にやりやすいこと Bスノーモービルの搬出の正念場は2月がピークになること C3月は雪解けが心配で搬出ルートの確保が難しくなること D道が傷むこと このことから、今後は 1.間伐の主力は11月、12月、1月とする 2.搬出メインを2月とする 3.3月は付け足しとし、5月に軽トラで搬出する ことを考えてみたい。それで27年度は来月12月から本番へ。 ■間伐用の新テント小屋が充実 先週完成した小屋に、いよいよ薪ストーブやテーブルやらを搬入しました。厚真のSさんに軽トラックを借りて、混合油を補給し、薪も2,3往復して薪小屋から運んだ。外部の方には、火持ちのいいナラやカバを分譲し、自らは、とげがあり燃え尽きやすいカラマツやトドマツ、それに端材を使うという、なんか商い道にのっとったような仕掛けに。 薪ストーブはinabaさんが小樽の新保製作所に注文し、角形で窓付きのを新調。焚口が大きくて、ブリキではない、ややしっかりしたものだけど、もちろん鋳物ではない。こうしてもろもろを据えてみると、意外にもあずましい。テーブルを合計3卓入れたから、収納も区分できる。ガラクタ小屋だけど、設営に関わってきた面々もなかなか満足の様子。部材を提供してくれた右田さんも顔を出し、喜んでいた。 かくして、11月は育林コンペやその他で費やしたが、12月は精力的に伐採を進める環境が整った。今季も安全作業を心がけていこう。午後から未着手のゾーンに入ろうとしたのだけれど、気になるものが数本残っていたので、クサビを用いて基本通りの伐倒。股関節への負担を少なくするため大トビで転がして積んだ。来週は赤のスプレーでマーキングの予定。 |
小屋の薪づくり 2015/11/21 sat 曇り 4℃ inaba oyama kai tomik & m tuduki kusa = 7 persons ■作業用前進基地が完成 先週手掛けた大島山林のハウス型小屋を右田さんが木曜日に完成してくれたというので、静川での作業前に寄ってみた。ビニール製だから堅牢というのも変だけど、鉄のフレームにシートがしっかり押さえられているから、実にしっかりしたものである。来週、トラックをレンタルして資材の引っ越しをしよう。混合油なども備蓄したうえで、ストーブを新調し薪を運ばねば。 ■雑木林ケアセンター(静川)の薪づくり 久々にtudukiさん。今年は勤務のシフトが変わってなかなか出てこれない。この日は夕方まで育林コンペで作業していた。 タイヤのパンクしたままのリヤカーも結構活躍した。 11月7日のチェンソーの研修で発生した丸太を、小屋用の薪にした。もともと窓の下に積んである薪は平成9年か10年のもので、窓から手を伸ばしてとるための土台になっていたものだから、15年以上もたっているはず。これらをできるだけ、窓の直下にまとめ、早々に使い切ることを考え、土台部分を新しいものに替えた。北側と東側の前面に格納を終えた。これで3,4年はいけるはず。 それと今回から薪のサイズが35cmになったから簡単には倒れない。地震のたびに倒壊を心配したこれまでとはそこでも安心感が違う。 |
■育林コンペが見違える 冨永夫妻がオーナーになっているエリア。立て木(将来的に残す木)の選木を終えてから伐倒。その前に2回ほど刈り払い済み。さすがにすっきりして見違えるようだ。 oyamaさん、kai & tuduki さん、そしてabeさんのエリアも、実にこざっぱりして、「見れる」状態。inabaさんとnakatuさんのゾーンは手つかず。わたしのところは開き直って省力化モデル(少ない手数で意外ときれいな例)を目指すことにして努力中。 午後、みんなでこの育林コンペゾーンに出向いて、精力的に作業を進めた。小屋から林道を1〜2kmで、エリアは林道脇だから、実はこんなにやりやすい作業はない。そして人にも見られる。短い間(ざっと10年くらいはかかるだろう)だが、「オレの山」「自分の林」と呼べる。 今日は林道側にかかっていた木を2本、クサビを使って反対側に伐倒。inabaさんは小屋周りの「里山モデル」の枝の散乱がどうも気になるといい、小屋に残って一人片づけ。これもかなりアズマシクなった。 ■月夜のソロ泊 作業の終わりにkaiさん、tudukiさんらとたき火を囲んでいると、遠くで白鳥の声が聞こえた。好天を予告していると判断して急きょ泊まることにし、沼ノ端にワインと軽い食事を買い出しに出て、小屋にUターンした。月齢8日程度の月を東南東に見ながら、延々、焚火に当たって夜が更けた。 霜が降りた落ち葉を踏むと、いつもより大きなこわばりを壊すような音が鮮明だ。昨日から、野鳥が活性化しているように見える。いつものカケス、ヒヨドリ、クマゲラ、アカゲラ、シジュウカラ、そして白鳥だが、一部は渡りの直前を迎えているのか。早朝、テラスに座っているとまずやってきたのはカラスだったのはちょっと残念。しかし今年はのんびりして、いい晩秋だ。 |
作業の前進基地づくり 〜札幌ウッディーズが恒例の間伐応援〜 2015/11/14 sat くもり inaba oyama kusa tomik & m migita wada sekimura = 8 persons 札幌ウッディーズ 8名 ■小屋掛け 今年の前進基地はビニールハウスのフレームを利用しようということになっていて、農家のmigitaさんがいろいろ取り混ぜて用意してくれた。 テントの幅は約4m、奥行きは5.2mほど。昨年は1間半だというから、1.5倍、奥行きは1mほど伸びて25%アップ。面積を比較すると、昨年=2.7m×4m=10.8u、今年は4m×5.2m=20.8u。なんと面積がだいたい倍になった。 自由自在に継ぎ足して思い通りの形に 位置だしが済むとフレームを差し込むための案内棒(ガイド)ツッコミ。フレームはmigitaさんの使い古しも再利用し、グラインダーで切ったり、つないだり、つぶして連結部を作りドリルで穴をあけたり。わたしを除く7人がなんかかんかやることがあり、かなりしっかりしたフレームが出来上がった。 煙突のメガね石もステンレスをバインダーでカットして。芸はこまい プロは40mほどのハウスに数十万かかるといいますが、ウツボやパッカーなど約2万円で外枠が完成。シートが少しばかり小さくて落成には至らなかったが、残りは遠浅の会員2名がやってくれることになった。 ■危険木の処理 わたしは運材の幹線ルートで例年いつも邪魔になっていたものを伐採して回った。回転半径を大きくするだけでもスノモ運転の疲労が減る。スノモを壊す確率も減る。今季は樹木間をだいたい3m確保することにしたので、ある程度、縦横に走れるよう改善されるはずだけど、それは結構な手間でもある。 ハンノキは伸びるがもろい また、テントわきのハンノキの幹折れを排除すべく、漁業用ロープを使いトラクターに引いてもらったが、残念、解けてしまった。折れた部分がもっと腐れていると予想していたのに意外と堅牢だったのだ。バケットに乗って切る案とか、ウィンチ案、掛かり木を先に切る案などがいろいろ出されたが、先日、危険木伐採の事故の動画集を見たばかりのわたしは、いずれもちょっとためらって、持ち越しにすることにした。複数に掛かり木になったこういうものは、もう少しテンションの掛かり方をもうすこし解析してリスクを回避した方がいいように思う。幸い掛かり木に固定されている。いずれabeプロにも相談しよう。 |
■札幌ウッディーズ 札幌ウッディーズとのお付き合いも6年目になるだろうか。川崎代表のころからだからずいぶん前のような気もする。今日は下山代表と石田事務局長、それに長老?の高川さん、そして中堅の太田さん、森林科学科の後輩にあたる北原さんと在定さんなど。 札幌ウッディーズさんにお願いしたエリアは、テントの筋向いに当たる一角で、南側数十mはフットパスを作るときに軽く抜き切りを終えた場所だから物足りなかったかもしれない。本当の藪はさらにその南にあり、午後の後半、一部のメンバーはそこに達したようだった。約6000u程度がすっきりした。 ■エノキタケ 枝を拾うときにかがんだりすると、あちこちにエノキタケがあった。痛んだものばかりで残念だったが、このうら寂しい季節に、少しずつ、エノキを探して歩くのもいい。テントで散会してから、道具を積んだ一輪車を押しながらフットパスを遠回りしてみた。切り株に何らかのものがあるというのは余禄としてうれしい。 落ち葉を踏む音を楽しみながら進むと、今まで気が付かなかった面白いモミジが目に入った。何かに似ているがなんだかわからない。 あえて言えば、なんとなくETか |
チェンソーのスキルアップ研修 2015/11/07 sat 曇りのち晴れ 12℃ abe inaba oyama kai kusa tomik &m kuri+1= 9 persons 林という自然を美しくするにも、そこからエネルギーを得るにも、木というものを切りながら持続して育てなければならない。「伐る」あるいは「切る」行為は不可欠だ。そのベースとなるツールはかつては斧、のこぎり、今は普通はチェンソーと言うことになっている。そのチェンソーとは高速度回転する文字通り、扱い方によっては大変危険な「刃物」であり、毎年、林業者が労災で亡くなるニュースが耳に入る。 わたしたちは、週末きこりの素人としてこのツールを扱う。だからこそ、毎年毎年、初心に帰ってチェンソー扱いと伐採の初心に帰る。今日はシーズン初めの定例の務め、座学からテクの基礎、応用まで手掛けた。 スキルアップ研修の講師はNPOのメンバーのプロ・abeさん。毎年、長年の経験と日頃の研鑽と新情報を盛り込んでテキストを作ってくれる。 座学のあと、モデルの伐採のデモをしてもらってから、各自の実技チェックとなった。各々日頃のテーマをもって伐採に関わるから、質問も真剣であるのはもちろん、自然現象の予知できない動きには常に冷静に多様性に富む応用問題として向き合おうとしているのがわかる。 午後、林道向かいの、野鼠害などで枯れ始め倒れ始めたカラマツ林の対策をした。これもabeプロのでものあと、ノルマのように枯死ぼくの一部を片づけた。このカラマツ林の真ん中を、フットパスが通っているのせいもある。 お昼は焚火でBBQだった。終了後も黄昏るまで焚火を囲んで反省会やら何やらで過ぎた。 |
開拓時代のハスカップの様子を聞く 2015/10/31 sat 曇り 7℃ oyama kai (現地) kusa(ヒアリング等) 総会を終えた翌週。関係スタッフや事務局としてはちょっと一服気分・・・、というわけではありませんが、用事が重なってバラバラに活動。oyamaさん、kaiさんは大島山林のフットパスの整理。大風のあと、たくさんの枝がフットパスに落ちたり倒木ができたりしたものを片づけ。(詳細は現在不明) わたしは千歳に赴いてチェンソーなどをもらい受け大島山林で雑務をしてのち市内に戻って、午後は「ハスカップとわたし」の聞き取り 調査。以下はそのあらましと感想。 **** 昭和23年、樺太から引き揚げて苫小牧市弁天で開拓に従事した長峰さん、黒畑さん。わたしたちはお姉さんの黒畑さん宅を伺い、開拓時代から品種登録の現在までのハスカップのお話を聞きました。 お二人の家族は、昭和40年代半ば、苫東開発の用地買収に応じて、ハスカップに囲まれたような弁天の地から市の西部に移る際、3年ほどかけてハスカップを移植して新たに購入した自分の畑で栽培し、長峰さんは「勇払1号」の品種登録の礎を築き、黒畑さんはご自分のお名前である「ミエ」という品種登録の実績を持ちます。 約70年前と今をつなぐ、興味深いお話であるばかりでなく、古い時代のあまり知られていない話は、自分の住む町や地方のアイデンテティを自覚する貴重なきっかけです。苫小牧や勇払の自然史は、ある程度よく記録されファンもいっぱいいますが、社会史、市民史という側面は見えにくく気が付かないものです。しかし、この地に住む年月が長くなるにつれその意味もようやく実感として分かりかけてきて、おのおのの郷土観というものも出来上がってくるようです。 同行者は美術博物館の小玉愛子さん、ライターの菊地綾子さん。今回のヒアリングは27年度から本格スタートした,NPOと美術博物館の連携事業の一環。今あるものを撮りため、書き溜め、聞き溜めていずれは『ハスカップとわたし』(仮称)という市民エッセー集のようなものにまとめてみたいというのがNPO側のミッション。その背景を探る資料集として『ハスカップと開発』という新聞や雑誌記事、文献などを並行して収集し整理してきました。 ハスカップを中心において樺太の生活、特にハスカップやサケの遡上などのエピソードにも耳を傾けました。そして分かったことは、北緯50度を超える樺太の大地が想像以上に豊穣な地であったこと。わたしの連想は、もし樺太が日本の領土であったなら、豊富に賦存する石油やガス資源のために日本のエネルギー事情は全く違ったものになっていただろうという点に行きつきます。 「地域遺産」であり勇払原野のブランドであるハスカップ。ハスカップは、原生地保全から栽培、利用と商品化まで実に様々な多くの方々の思いと行動が錯綜し結晶した苫小牧や勇払原野のアイデンテティ。このハスカップを核にして、新たな街への出発点が見えてくるのではないか。『コモンズ・・・』の出版のための原稿を書いているときに思い浮かび自ら言い始めた「ハスカップ・イニシアチブ」とは、このような社会史、市民史のことを指していたのではないか。そのプラットホームのようなものを今作り始めているような気がする。 *これらの聞き取り調査は前田一歩園財団による助成事業の一環で実施しています。 |
初雪、紅葉の見納め 2015/10/25 sun 1℃ 25日、やはり紅葉の盛りが来た。そして終わりそう。 昨日、inabaさんや瀧澤先生が掃き清めたテラスはこの通り。食べ残しに動物は来なかった。きのうの帰り際、 板の上に木灰を載せて足跡を確認できるようにしたが、無駄だった。 雨と雪の間に、林道に倒れそうな枯れ木を5,6本整理。ミラクル落ち枝が林内にも多い。それだけ危険ということになる。 みぞれがひっきりなしに降って、やがて積もった。 |
第6回総会@紅葉 2015/10/24 sat 雨のち曇り 12℃ abe inaba oyama kai kusa takizawa tyujo tomik & m nakatu miyakawa migita wada 13 季節のはっきりした北海道だからこそ、そして厳しい季節に突入したり 離脱つしたりするこの地だからこそ、季節ごとのメモリーをはっ きりとさせメリハリを付けたい。10月25日前後はここの雑木林が 最も赤く、黄色になる日である。間もなく、葉を落として10日ごあたりは 晩秋か初冬の風景に代わります。 NPOの秋のイベントはそんな時期に、ここの雑木林のPRを図る ために行われてきたけれど、イベントをやめてからは総会の日を 10月25日前後に決めた。27年度総会の今日は、11時からの総会は、 出来立てのテラスのお披露目のつもりもあったが、あいにくの雨で、 議事は小屋の中で。 総会でこの1年の総括と反省、これからの段取りを打ち合わせた のちは、雨が上がったテラス前で軽くバーベキュをして歓談。 散会後、フットパスをめぐってみると、台風崩れの大風のせいで 大小かなりの枝が落ちていた。ミラクルにグサッと地面に刺さった落ち枝は久々に10本ほど見つけた。 |
日米のハスカップ研究者をサンクチュアリなどに案内 2015/10/13 tue 晴れ 13℃ kusa+2 オレゴン州立大学の川合先生と北大の星野先生は、ともにハスカップの研究者。オレゴンから川合先生が来日したのを契機に、ハスカップサンクチュアリなどを案内した。実生のサンクチュアリと、成木のサンクチュアリの両方を案内してこんなに関心を持ってみてもらったのは初めてだ。推論、結論、持論、疑問が万々飛び交いつつ現場でディスカッションをしていく。土の中に手を突っ込んで根を見る。土をつかんでにおいをかぐ・・・。 オレゴンのハスカップ栽培では鳥の食害を防ぐ防鳥ネットが欠かせないなど、こちらでは考えられない彼我の差もある。そして開花が1月なんて信じられるだろうか。川合さんの恩師で90歳になるトンプソン教授(女性)がこのサンクチュアリや今回の北海道視察にとても来たがっていたという話もほんのりとする。 厚真のJAの外のベンチで昼食をとってから、ハスカップの山口ファームを訪問した。現地の、お互いの質疑と意見交換がさらなるハスカップ理解につながる。寒風吹きすさぶ中の3時間はあっという間にたった。わたしは、熱中した研究者や栽培家が立ちっぱなしで丁々発止をする姿を自らも含めて数多く体験してきたので、ウィンドブレイカーの下に早々に羽毛服を着こんで過ごした。 (写真←上=サンクチュアリで星の先生と、右=厚真JA前でデザートに「よいとまけ」。べとべとになった。 下左=サンクチュアリで枯れた根を掘ってみる。下右=Yファームにて、寒風のなか3時間が過ぎた) |
理事会と小屋掃除 2015/10/10 sat 曇り 17℃ inaba oyama kusa tomik & m = 5 persons 再来週の第6回INPO総会を控えて、通算14回目の理事会を新設 されたばかりのテラスで。写真はお昼の団欒風景。焚火を二つ作ると、 ああ、暖がほしい時期なんだなあ、と感じるほどの秋の深さ。 そ、結構中途半端な寒さであり陽気だった。先週もこんなインデアン・ サマーのような感じだった。 |
割られた薪は35cm前後、古い薪は25cm。だから当時からよく薪棚が崩れた。小屋ができたころはブリキのストーブだったので、薪サイズは制約を受けたのだ。当時は3年モノはよく燃えるから、熟成されたコニャックのようだと「コニャック薪」などと読んでいたが、あれから17年もたってみれば、もう本当にマッチで火が付くほどのカラカラ状態。樹皮の間は粉。 これを全部崩して、この日割った薪を下に置き直した。安定はよくなるし、まず古い薪にご苦労さんと声をかけて燃やしてあげたい。写真の窓の下あたりの黒ずんだモノが、いわゆる朽ちる寸前の薪。昨年作った薪がすでに裏に積んであるし。 |
先週間伐したナラと枯れかかった桜の木を運び出し、tomikさんが 薪割り。見ているとほとんどを一発で割っていた。切ったばかりの 生木であるせいと、あとは腕か。 |
女性陣のおかげで小屋掃除が進んだ。泊まりたくなるほど端正に仕上がった。これで、総会時に雨が降っても快適に過ごせるだろう。 |
山仕事、始める 2015/10/03 sat 晴れ 16℃ inaba、kusa 2 persons いよいよ、今年の冬の山仕事モードになりました。シーズン終わりにクリーンアップし、目立ても済んだ2台のチェンソーはじめ小道具をテラスに並べてみました。 |
小屋に久々のヘビの抜け殻。シマヘビではないかと思います。これが妙な場所に。ガスコンロの空き箱の中なのです。何が気にいったのでしょうか。 |
昨日の金曜日はoyamaさんとinabaさんがコープさっぽろのご一行をつた森山林山林に案内。今日は掲示板に予定を書き込み、大島山林の薪小屋とテーブルに防腐剤(inabaさん)を塗り(下の写真)、草苅は小屋の枯死木片付毛というように、たった二人ながら別行動になりました。なにせ、移動だけでも2,30分かかるから、ちょっと手が離せない作業だと、移動時間を惜しみます。 2度塗りしてくれたようで(掲示板から転載)、今年もシックなナチュラルな色になりました。 わたしは薪小屋から南へ直線で3kmほどのところにある小屋の周りの「里山景観維持作業」。こういえば難しそうですが、近年、どんどん明るい雰囲気を創造している丸太小屋の周りを、さらに「きれいに」「気持ちよく」「くつろげる」場を目指した行き当たりばったりの作業です。 今日はサクラなどの枯れたものを伐倒し、何本かナラの抜き切りをしました。在庫が払底した小屋の薪用です。 |
何本か伐倒したもののうち、葉っぱのついた枝の一部はオブジェに突っ込みました。その他も歩きやすいようにまとめて。いわゆる、枝がいっぱいの状態をできるだけなくしてみることで里山風の雰囲気は変わります。当然、本数も1000uあたり5,6本に。 inabaさんと携帯で連絡を取り合い、独り飯。火をたかなかったので今一つ寒い。結局、作業開始時点ではこんな↓完全装備のような格好でした。 |