春の恒例、今年の計画を話し合う。
いろいろなプランを提案したずっと後で、果たしてこんなこと、やれるのだろうかと不安になることがよくある。
思えばそんなことばかりしてきた。パートナーなど求めるべくもなく船出はいつも独り。
「いつもそうやってきたではないか」「壁を高くして超えるのが実りの人生でしょ」
「共働の仕組みに一応のルールはいるけど、仕事の公平や平等は似合わない」
「各々、やれるチカラと時間を粛々と持ち寄るのが一番」。
振り返ると若いころからクラブや寮生活など、実に様々なチーム、プロジェクトに常にどっぷりとのめりこんで
激しい議論と煩悶とを繰り返し経験してきたが、最後に残るのは後悔よりも充実感がまさっていた。
当然いろいろな人に出会うわけだが、とても素晴らしい人を知りその一部はまだ往来が続く。
今はもう、悟りの境地に近づいて、議論も煩悶もパス。
「おかげさまで」。人の一生には基本、無駄がない。
刈り払い、薪仕事が好まれる訳 2016/06/24 fri 曇り時々晴れ 18℃ ■刈り払いの魅力 たくさんの広葉樹の丸太をみると、割って積んで並べてみたくなる。草ボーボーの林道や広場をみると、刈りたくなる。わたしの観察と体験に、思い込みと他人の話を総合すると、それは心地よい「行動的瞑想」だからというのが動機の奥にある理由になる。 眼前の手仕事の一点に集中して頭の中がしばしば空っぽになる。岩登りの手指、スタンスへの集中と似ていると感じてきた。ロッククライミングも疲れと同時に実はものすごいリフレッシュが感ある。 それはともかく、仕事の谷間だったのと、週末は雨になるのと、7月2日はみんな帯広の研修に向かい、9日にわたしは前田一歩園の報告会だし、と予定を重ね合わせると、ここはひとつ休暇をとってフットパスの刈り払いをしようと決めたのが、23日、留萌出張の帰りの車中だった。 で、24日金曜日は大島山林で2時間、昼過ぎ小屋に移動してささみちフットパスで1時間、さらにハスカップサンクチュアリのアクセスを刈ったら3時半だった。そろそろハスカップ摘みの市民が来ていた。しかし色づいているのは10個にひとつもなかった。 ■ミドリちゃんを轢きそうになる 小屋について刈り払い機を下ろそうとしたら車の右後ろのオオバコの緑のなかに、くねくねと青大将がピカピカの緑の体をさらしていた。ミドリちゃんかその家族か。全く逃げないので、アライグマやキツネが来たら危ないよ、と思いながら、自分だって轢きそうだったじゃないかと、自らに突っ込んでみる。白状すると、見つけた瞬間、驚きのあまり飛び跳ねそうになった。いつもシーズン初の対面はこうである。ミドリちゃんに限らず、爬虫類は心の準備ができていないと人をして驚かす。 ■アカエゾマツの枝打ちに思うこと 先日気づいたこと.。柏原の国道234号から道道へ入るループ状のエントランスに育っていた視線誘導植栽のアカエゾマツの下枝がすべて落とされた。オブジェとしての植栽としては上下の枝の節間が込んで見事な円錐形を成していた、付近では稀に見る仕上がりを、誰がなぜ切ったのか、切ることにしたのか。 推測だが、管轄のトップが変わって、約30年の間、継承されてきた管理マニュアルに権力をかさにきて横車を入れなかったか。「針葉樹の下枝は切るべきである」などと。だとすると、それは思い込みの思考停止だ。 また、一角の草地の広場は、苫東のイメージづくりとして空港から苫東に入ったとたんTOMATOHマークと刈り払われたモノトーンのグリーンで迎えるのが良い、と30年前に設計時に衆議で決めたことが、15年ほどたったころ、トップが変わってその方の号令で桜が植えられたと聞く。「空地はさびしい、サクラで植栽施せよ」。 トップは時に風景を指図できる。経験知と見識のない人が権力を握ると、勘違いして時に恥をさらすことになる。 |
薪仕事と刈り払い 2016/06/18 sat 曇りのち晴れ 18℃ inaba oyama kusa tuduki migita wada = 6 persons ■急きょ、刈り払い 6月中旬、薪ヤードの広場の雑草が勢いづいて伸び始めた。メンバーはそれぞれがそろそろ刈らねばとプレッシャーを感じていたらしく、特に相談をしたわけではないのに、地元の人も含め、刈り払い機持参で集合、とりあえず1時間余りでアズマシイエリアを1000㎡ほど確保した。フットパスは5差路まで刈った。 薪はtudukiさんが機械で、oyamaさんはマサカリで、inabaさんとわたしは小屋に積んだ。なかなか、仕事ははかどらないが、手仕事は飽きさせない。しばしば崩れてそれまでの手間が水泡に帰すので、そんなことになってバカにされないよう、気配りも大変だ、これがほんとの木配り(笑い)。 昼、3棚にブルーシートをかけて、外に計7棚できた。小屋に5ユニット(計10棚)はほぼ目途を付けた残りをメノコ算すると、5,6棚分ある。となると、今年は22から24棚と相成る。読みが次第に事実に近づく。 ■静川の小屋 四季も場所も問わず、自然は「神々が遊ぶ庭」のような光景を見せてくれる。かつて冬の雪の中で独りで山仕事をしているときにすら、そう思える神秘の時間と空間を感じた。緑や花の時期はまた格別である。夕方、薪仕事を終えて出向いた静川の小屋が見えたころ、ふとカムイミンタラを思わせる瞬間がきた。残念ながらデジカメ画像では切り取ることはできなかった。 小屋の前は思ったほどの草丈ではなかった。しかしフットパスの笹は荒れ地を連想させかねない状態だった。かくして6月、7月は刈り払いに追われる。薪も片付いていないのに。 |
薪の商い 2016/06/11 sat 晴れ 22℃ inaba oyama kai kusa tomik & m = 6 persons ■1年干した薪を売りに行く 積み込みには6人でも1時間かかる。おろしには3人でも30分。午前は江別へ、午後は新さっぽろ(いずれも会員)の自宅に届けた。いわゆる2・5・10(尺)のひと棚を二つ。これで2トンのロングのトラックは、コンパネのあおりで摺り切りにしてちょうど2棚、1年分になる。 |
■「お宅はどこで薪を調達してるんですか。紹介してください」 新札幌の高橋さん宅に届けたときにはもう4時半だった。屋根付きの広い駐車スペースだから、トラックの三方のあおりを全部倒してドーン。といっても、30分近くはかかった。子供たちが入れ代わり立ち代わり、軍手をはいてやってきて手伝いたそうだ。薪がどのように家庭内の位置にあるのか、ちょっとしのばれる。「危ないから、おろし終えてから積むのを手伝ってね」とお父さん。 「近所のかたがピンポーンと玄関チャイムを鳴らして、お宅はどこで薪を調達しているのか、よかったら教えてくれないか、というんですよ。」 なるほど。これはちょっとしたマーケティングになる。薪はかように口コミでも広がる。いかんせん、マスプロにならないで、アナログの少量生産だから、たしかにありそうでない、というのが本当だろうと思われる。しかし、作る方も大変だ。ここまで来るのに、もう、何日もかかって、しかもまだ先が見えない。 裏に回って、わたしたちの薪がどのように保管されているのか拝見した。きれいに大事にそろっていた。焚き付けの枝もストックされていた。これは公園で集めているらしい。で、高橋さんは、「ナラよりカラマツの方がよく燃やせる」「腕が未熟でナラの火力をまだ十分引き出せない」という趣旨のことをおっしゃる。ナラよりカラマツの方が好きみたいな話を脇で聞いていた薪ストーブの先輩のkaiさんは笑っている。 |
■江別へは道を間違えロスする 船木さんのガレージに積み下ろしを始めたのは12時になっていた。道を間違え南幌まで遠回りしてしまったから。幸い、絶好の田園巡りで目の保養になったが、終わりが遅くなる。 船木さんはペチカ使用で、毎年少しずつ余るようだ。蓄熱がいいので、日中は薪をくべないらしい。壁の分が去年の残り。おにぎり、鶏汁、スイカをごちそうになる。わたしはスイカを3切れいただく。 帰りばな、同乗のkaiさんを整形外科の先生ですと紹介すると、奥様はびっくりした後ほとばしるように持病の相談が始まった。ドクターは、ここだけの話だけど、みたいな耳よりマル秘情報をリリースしたのでまた盛り上がってしまった。 そうなのだ。船木夫妻は80歳を超えても薪割りの手伝いに来てくれる方々だが、体のあちこちの修復も不可欠な年代。明日は我が身と承る。 |
■ひとの風景、田園の風景 朝、薪の積み込みの真っ最中に、薪小屋の裏におばあさん軍団がやってきて、なにか摘んでいる。そしてかなり慣れている。採っているのは林床の藪に生えたヨモギだった。地元の遠浅のかたかなと聞けば、隣の沼の端からの3人だった。 「ヨモギなんてどこにでもあるけど、ここだとホコリかぶってないから、毎年くるんだよ」 ヨモギもちなどにするのだとか。正月まで持たせるらしい。 「ちょっと遅いんだけど茎の先の方なら大丈夫だから」 地域の資源をこうして利用する山菜採りやハスカップ摘みの世界は、いわゆる食という文化だ。これが折々の幸せを演出するのだから、これに精通することは幸福名人ということになる。スマホでゲームをしている人も多いだろうが、この世に生まれて自らの食を創り出す贅を知らずんば損をする。もったいない。 札幌方面を2往復したら280kmだった。2往復目の帰りは独りだった。あまりに気持ちのいい風景だったから、走りながら窓の外の景色を撮ってみた。馬追丘陵の東西で、風土の環境がゴロッと変わることを今日初めて知った。由仁あたりがとてもいいのだ。薪小屋に着いたのが6時半、レンタカー屋さんに車を届けて家に着いたのが7時半。なにか大事なイベントをつつがなくやり終えた感覚。 |
セミが鳴き始めて初夏気分 2016/06/05 sun 快晴 23℃くらい oyama kusa tomik uemura = 4 persons ■林道は草ボーボー 昨日は雨の予報だったので作業は日曜日に順延、幸運にも今朝は前日とは打って変わっての快晴。8時には家を出て、作業前にフットパスを歩いてみた。 セミがうるさいほど。今年は大発生の年のような気がする。パワーがすごいのだ。林内は新緑を過ぎたばかりとは思えないような初夏の様相で、径にはもうしっかりとササや雑草が繁茂を始め、すぐ刈り払ってもおかしくない。今年は、薪割りと並行して刈り払いを始めねば。 間伐エリアのナラの萌芽状態を見る。直径50cmを超えるものは出にくいという調査報告があるが、さすがそのクラスの大木は音沙汰なし。それら以外はそこそこ出ている。できるだけ明るく間伐すれば萌芽更新はする、という感じがわかる。環境ガバナンスの視察で、岩手大学の山本准教授は、ヘクタール700本を目指しているといっていたが、一度、ここの密度を調べてみよう。まだ1000本はありそうだから、萌芽更新には至らない可能性がある。 ■今日もひたすら割る tomikさんとわたしで、薪小屋のそばに着手。来週、配達した後にすぐ入れられるように。無言で粛々と、わたしは薪割り機、tomikさんはマイ・マサカリ。昼前、養生中のoyamaさんがリハビリがてら参加。午後もびっしりノンストップで2時間。だいぶはかどったが、まだまだ、先が見えない。 ■代替展望のスポット 5/21の画像 5月21日のこの画像を繰り返し見ている間に、この広場の、このアングルは、林を展望する展望台の代替スポットではないかと思い始める。通常、素敵なスポットは俯瞰する展望台が定番だが、あいにくここにはそれがない。それがあれば、いかにここが安息の場かがよりはっきり意識されるが、平地は、見通しの良い遠望がこれに代わるのではないか。幸いここには緑の広場があった。大島清さんが身体をこわすほど難儀して開拓した畑地あとだ。今朝、瞑想時にひらめいたこのアイデアを、今日は一日反芻してみていた。 今日の画像。展望第の代替と見えないだろうか |
この仕事を独り占めするのは、実は大変もったいない 2016/05/28 sat 晴れ 23℃ inaba kusa tomik & m tuduki = 5 persons ■無心になる薪割りの仕事 ↑遠くでtomikさんがマサカリを振り上げている 薪小屋に登って、できた薪と残りの丸太を数えてみると、今年の生産量は昨年同様8軒分みたいだとわかった。まだまだ割るべき薪が残っていて、うれしいような辛いような気分だ。 でも基本的に楽しい作業というか、典型的な無心になれる手仕事。わたしたちだけでやるのはもったいない代物だ。こころを空っぽにしたい人、また頭の地獄状態で頭を空にすべき人に、ぜひ薪割りと薪積みをお勧めしたい。 今日も少数精鋭、かなりのスピードで仕事がはかどった。無心のあまり、誰も休もうとしない。動き出したらとことんやってしまう。わたしは1時間もしないうちに臀筋が痛み出した。だから休みのペースメーカーはいつもわたしになってしまう。 6月27日月曜日は、精神科医の瀧澤代表理事が遠浅公民館で、『緑に親しんで健康長寿~認知症予防介護予防』のテーマで講演される。身近な大島山林利用を促進する活動第2弾。(第1弾は探鳥会、第3弾は秋の巣箱作り) ■ハスカップサンクチュアリの向こう側 ハスカップ群落はどれほど広がっているのか。それを確かめるために先週はサンクチュアリの周辺を歩いた。今日は薪割り仕事のあと、約1000ヘクタール近い一帯の南端に行ってみた。勇払川と安平川の合流部で、安平川は結構早い流れで流れていた。 ↑滔々という流れに見えるが実は浅い。カヌーの底がするくらい。 自然環境調査の人以外、長い間ほとんど誰も来ないところだ。案の定、動物王国だった。まず、南下する管理道路に入ると、チロンヌップ、子ぎつねが飛び出した。全長30cmにも満たないような濃い灰色、生まれたてだ。頭首工の近くまで行ってヨシの湿原を眺めるところではメスのシカが4頭くらい。合流部近くでは川の中州がシカの足跡だらけだった。 かつて群落があったのは勇払川の土手から安平川の方へつなぐ砂地の道あたりだ。そこを探したらまず道はあった。そして小さなハルニレ群落を見つけた。海から1km足らずで、荒れているがこんもりした乾燥土壌の森ができている。そこではタヌキがこちらに向かってきたので、皮膚病がいやで私の方が退散した。 森はアズキナシ、シラカバ、ミヤマザクラ、そして先ほどのハルニレ、そのほかヤマグワみたいなものも見かけた。気象条件が厳しいはずで、こじれているがこんな大木も背丈を低くしながら生きている。 東西をつなぐ砂地の道から拓けた北側の湿原に出てみると、ハンノキ低木林。長靴でないと遠くまでは歩けない。今度、誰かと一緒にハスカップの時期に来てみよう。 |
ハスカップの環境適応 2016/05/21 sat 24℃くらい? kai kusa tomik & m tuduki + shin = 6 persons ■ハスカップの生態 ①千歳の大群生地 中国人留学生・秦さんを南千歳に迎えに行く前に、かつて見たハスカップ自生地からちょっと離れたところに車をとめて、新緑の広葉樹林に入り込んでみた。 あるわあるわ。車を降りて5mもしない所にこんな群生地があったとは知らなかった。けれども苫東のハスカップとは明らかに違う。こちらは、白樺や桜やナラと一緒に生育しているのである。ハスカップはハンノキやホザキシモツケに随伴する勇払原野とはイメージを一新させる。 樹林地のハスカップ つまりこれはハスカップの生育上の様々なステージを示しているのだ。苫東の湿原のミズゴケにツルコケモモやヤチヤナギ、あるいはハンノキの稚樹とハスカップの実生が共生する「ミズゴケ小宇宙」が生誕のステージとすれば、釧路湿原でみたようなジュクジュクの湿地のハスカップは過渡期、もっと乾燥化が進んで(たとえば午後に見たヤチボウズのハスカップみたいに)樹高は0.5m以下でも花も実もちゃんとつける青年のようなステージ、そしてかつてのいすゞ工場用地にあったような樹高1mほどのがっちりした、もう栽培地に近いようなもの壮年期、そしてサンクチュアリのようには枝針2,3m、樹高1.5m以上のしばしば徒長したり倒伏しかかったような過熟状態のステージまで。 満開のハスカップ 朝、南千歳でみたのは、その最後の過熟なステージの成れの果てにあたるのではないか、というのがわたしのこの頃の仮説だ。もしそうだとすると、ハスカップ・サンクチュアリの将来は100年やそこら自然の遷移に任せておけばよい、ということになる。しかし、依然として不明なのは、樹齢が50年ほどしかないハスカップはどのようにして新しい個体に更新しているのか、である「。 その疑問をとくのが当面のわたしの次なるテーマであり、やはり倒伏した枝から伏状更新しているのではないか、というのが最も可能性が高いストーリー。この日は午前も午後も、それらしい個体をいくつか見た。が、枝から根が出ている「現場」の写真は撮れなかった。 ②勇払原野のハスカップ・サンクチュアリ近傍 薪づくりを中座してわたしは予定通りハスカップ・サンクチュアリの周辺の自生地調査に出かけた。ヘクタール2500本もある一大群生地の周りがどのようになっているのか、どの程度群落が広いのか小さいのかを確認するのが今年の課題である。午後2時、サンクチュアリのいつもの定位置で人工衛星に送る電波でGPSの原点を再設定してから、いけなくなるまで西へ進んでみた。 いくつかの群落を超え、植生の切れ目のようなところを二つほど見て30分ほどで小さな丘(陸化するときの砂丘か)にでた。奇妙な場所で、そこから西は、ヤチボウズにオニゼンマイが群生するゾーンがありその先はもう靴が濡れるような湿原だった。植生図ではハンノキ低木林(高さ1.5m以内)とムジナスゲ群落にあたる。 驚いたことにヤチボウズにはハスカップも自生していた。30cmほどだ。これはミズゴケブルトの自生地から遷移したものかもしれない。となると若いハスカップはここで供給されることになる。フロンティアである。 |
いすゞの工場の付近からはしばしば羊蹄山が見えるが、この砂丘の上の木立の間からも羊蹄山が雪をつけたままで見えた。 ここからさらに南下してみた。藪漕ぎは面倒なので、シカのケモノミチを使わせてもらった。こういう時に気を付けねばならないのは、常にコンパスで方角を確認すること。歩きやすいケモノミチを利用すると、つい行くべき方向と別のところに導かれることがままあるからだ。 徒長したハスカップ 500mほど南下してから東に方向をかえ、柏原幹線排水路に戻る形になる。こうすると、ハスカップ・サンクチュアリを含む、30~40ヘクタールを囲むことになる。歩いてみるとハスカップにしては大き過ぎる木が良く見つかる。当然かなり無惨な形でベニバナヒョウタンボクが白骨のように倒れているのも良く見つかる。ハスカップ群落は波状のようにあったりなかったり。そんな奥の場所でも、かなり古い空き缶などがたまにある。径がないときにここまで来るのは大変だ。 ともあれ、サンクチュアリの周りの自生地の様子がだいぶ掴めてきた。車に戻るとズボンに合計10匹ほどのダニがいた。運転中に頬になにか感じたので指ではがすと案の定、大きめのダニだった。留学生の秦さんをダニで驚かすのは悪いから、彼女を誘わなかったが正解だった。 ■薪割り こちらはいつも通り粛々と進んでいる。目下、薪割りに追われている。チェンソーをマイ・マサカリに持ち替えた3人が、割っている傍らで、秦さんとわたしが交代で薪割り機を使って割った。そして交代で積んだ。ブルーシートは4棚にかかって、来週は合計で8つほどが完成予定。薪小屋にtomimさんが積み始めた。 tudukiさんの作品 右ふたつはわたしのいい加減な作 昼、初夏の日差しの中、食事。極楽のような憩いの場と時間だ。 ■小屋にソロで泊まる 新緑の遅霜のころと晩秋は小屋に泊まることにしている。今日は春の祝祭として、新緑を祝い緑のシャワーを浴びるべく、前日、急きょ、泊まることにした。ハスカップ調査を終えたころは日が傾いていたので沼ノ端のショップをはしごして、ビールとワイン、それと簡単なお惣菜を買い込んだ。 焚火もたっぷり薪を用意して頭は空っぽになるほど、ただただボーとして時間が過ぎていった。枝越しにお月様が上ってきて、なかなか幻想的な夜になり、願わくば頭上の空間から流れ星を見たいとと希求したが思いは叶わなかった。 久々のシュラフはあまり寝心地が良くなかった。もやがかかってまだ薄暗いうちから、キビタキとセンダイムシクイは鳴いていた。朝、何度目かの目覚めでわっと起きたのが5時半。それからテラスにヨガマットを敷いて毎朝の務めでもある冥想を今日はせっかく規則正しく泣いてくれるのでキビタキの声に集中してみた。ちょうど40分、キビタキの声を聞くうちに、センダイムシクイのほかに遠くでイカル、ツツドリ、コジバトが鳴いていた。シジュウカラはおそらく目の前の低木でしきりにさえずっていたが、この不審者に興味を持ったようでひょっとして頭に乗るかなと夢想した。そんな雑念も受け入れる緩やかな冥想だから長く続く。ゆうべからすでに蚊がいて、印を結んだ右手で吸血している蚊を当然放置しておいたが、やがてかゆみがなくなった。目を開けるとぷっくり腫れていた。 |
その地点の南(上の写真)は左から右に舌状に林が伸びている。恐らくハンノキ林(高木)で、あとで近くまでたどってみると、そこは旧河川のあとであった。河畔林のようにハンノキの10mクラスが群落をつくっているようだ。 |
泊りの日はあくる日をたっぷり使うために帰宅も早い。フットパスに落ちたたくさんの枝を拾いながら一巡りする。ああ、満ち足りた一日だった。 |
山菜、始まる 2016/05/14 sat 快晴 18℃ kusa tomik tuduki = 3 persons + nakamura2 ■現場の様子 広場の新緑が心が洗われるほど美しい。 林道のわだちは、早朝5時から右田さんがトラクターで修復してくれ、きれいに化粧直し。 14日作業は、tomikさんとtudukiさんと3人、そこへ右田さんと菊地さんが訪問、プラス北大中村さんら。tomikさんは、工場の機械故障で呼び出されて午後しばらくして現場を離れる。tudukiさんが終日、薪割り機で割り専門。わたしはあまり質の良くない薪の積み上げとカバーかけを二棚に。 近所の子供たちが広場で野球をして終日にぎわっていた。 ■山菜 スドキは小さなものがいくつかで始めましたが、まだ小さいので見つけにくい。コシアブラは夕方帰途に有珠の沢にいってみましたけれど、これも小さすぎ。サクラは早かったのに、ハスカップの花、山菜は少し遅いような気がします。 菊地さんに「ウド、持っていかないか」と誘われたので、6本もらいました。inabaさんの分を残してます。 さっそく、ウドは酢みそあえ、皮をきんぴら、葉っぱは、蕾のコシアブラ4個とともに天婦羅。スドキはポン酢をかけて完食。家内とふたり、新物の山菜を食する喜びを声にして、春を寿ぎました。合掌 |
■枝の焚き付け採取に思う 金曜日、コモンズフォーラムなどでお世話になっている北大の中村先生から、薪ストーブの焚き付け用に枯れ枝をもらえないかとメールがあって、快諾。さっそく、14日訪問したいメールの返事があり、11時半に現場着。 パンフレットやマップをお渡ししてまず歩いて山林を案内。枝は無尽蔵であることはすぐわかり、そこで将来木施業や遠浅沼のこと、そしてこのあたりの薪炭づくりと混牧林利用など説明。やがてテントまで車を入れてテント周りで枯れ枝採取。 と、薪周りでは、作業終了後、tudukiさんも木端拾い。いくつかの袋に収めている。これも現場のゴミ拾いを兼ねている。薪シーズンを4月に終えたその翌月、来たるべき冬に向けて薪や焚き付けの準備に入る・・・。因果なことではある。 おもえば、50年ほど前の田舎では、家事の煮炊きは木の枝などを利用していたのでありました。実家はリンゴや桃、桑の木の剪定した枝を束にして、それでかまどで母や姉がご飯を炊いていた。 民俗学の本を紐解くと、このような柴を家屋の壁面に立て並べるのは厄災を避ける魔よけの意味があり、地方によっては祈願の意味で川に流し奉納する所もあるようだった。 そうだった。話を戻せば、今、林内に捨てている枝は正真正銘の燃料だった。それを腐らせておいて、新たに化石燃料を燃やす生活をしている。中村さんらの訪問がそのことを強烈に思い起こさせた。 が、実際には、枝を燃やす生活に戻ることは今のわたしにはできない。貨幣経済に頼らず、GDPに現れない価値を、コモンズの空間などで共同利用するような場合に可能になる。それだけではなく、これら身近な熱源を無駄なくカスケード利用するためには、多用な熱源を組み合わせて利用するコストのかかるインフラも必要になるけれど、そこには抜け道がひとつあり、その最も手っ取り早い手法が、実は「薪ストーブ」なのである。薪ストーブは「併せのむ」のが得意だ。家庭内のかなりのゴミはこれで燃やせる。 日々、断捨離の暮らし。 中村さんが実際の生活様式を垣間見せてくれたことで、わたしの中に眠っていて、きっとほかにも賛同者が潜在する低負荷のスローライフへの憧れに気づく。わたしたちは苫東コモンズで、その実現に最も近い位置にいることは確かだ。 わたしはこれまでこのような場合の常とう句として使ってきた言葉がある。「今度生れた時にはそうしよう」。無念の言葉でもある。 |
環境ガバナンス研究者の視察 2016/05/08 sun 晴れ、風強し 18℃ 先方;環境ガバナンスの研究者16名(全国、スコットランド4、中国2、東南アジア2) 担当;北大文学部 宮内泰介教授(環境社会学) 対応;草苅、 大島山林の薪を前に ■どんな方々か 環境ガバナンスを研究するオールジャパンのグループの視察案内。当グループは、宮内教授のようにコモンズの人的部分を主にカバーする研究者の集まりのようで、宮内教授のみならず複数の先生方が、当環境コモンズの動きに関心を持たれてきたのが視察につながった模様。 特にスコットランドの女性研究者は、森づくりからハスカップ、そしてヒグマのコリドーまでオールラウンドに関心を持ってくれて質問されたのは印象的だった。英国から参加されたのは男女4名、里山の審美感覚は日本人より鋭いかも、となんとなく思った。keyword はcoppice。 それだけでなく、質疑が活発なため、一つ一つの場所に時間がかかって、10時にウトナイで集合してからハスカップ・サンクチュアリでの散会する午後4時まで、びっしり、かかった。うれしい悲鳴かもしれない。 ■お昼は「そば哲」本店 そばを食べないかもしれない英国人のために、遠浅支店でなく「そば哲」本店を事前予約し、天丼などご飯ものも食せるようにしたが、結果、みなさん、そばを食べ、おいしいと絶賛。予定より10分遅れて到着したにも関わらず、店員の応対もとてもよく、帰りしなには予約主としてわざわざ店主にお礼を言われた。こういう経験はますますのリピーターになるもの。実は遠浅支店の常連と告げた。 ハスカップ・サンクチュアリにて ■やりとりから 案内するわたしとしては、密度の濃い時間だった。環境コモンズを標榜するNPOとしては、この研究者グループほどテーマを同じくする者はないだろう。 実は内心、前日から、ちょっと緊張した。これほどの専門家グループの訪問はないだろうからだ。コモンズ研究の主流は、環境社会学とガバナンスの範疇そのものだからである。ウトナイから同乗してもらった岩手大学の山本信次准教授は森林ボランティアの動向や林政学の専門家で、車中久々にいろいろなお話ができてとても勉強になった。 その中に大島山林の将来木施業(フューチャー間伐)の目標密度をヘクタール60~70本に見立てているという事例を聞いた。これならば、間違いなく間伐しても萌芽更新する低密度だ。機会があればみてみたいものだ。 環境ガバナンス研究者ならではの質問があった。ハスカップが土地の乾燥化でハンノキなどほかの植物に被圧されて徒長し、枯死に向かうかもしれない現状を話した時だった。「脇の排水路をせき止めて水位をあげる対策はどうか」。 これは鋭い質問である。実はいすゞ自動車の土地造成のアセスメントに置いて、乾燥化を防ぐための措置(影響を緩和する=ミチゲーション)の一つとして、道路と原野の境界部分に幅5mほどの「環境維持水路」を掘り、排水路から水を供給する仕組みを設け湿原を涵養してきたのだった。対策はしたが、現状では不十分ということになるかもしれない。今後、遊水地として利用される中で、遷移を止める環境変化があるか、観察しながら次の対策が待たれることになる。 視察者のうち4名はスコットランドの方たち。質疑もこの方たちを中心に進行し、研究者たちが交代で通訳を担当。これが実にうまい。忘れかけた記憶をもとにいろいろお話していると、わたしのライフワークと正面から向き合うことになったのは本当に驚いた。 話しそびれた大事なことがあるとすれば、森林療法という、森づくりの動機と遠浅町内会との軋轢の変化だった。これはまたいずれ。 コースはウトナイの鳥獣保護センター~柏原展望台~フットパス~大島山林~安平町の「そば哲本店」(大好評)~つたもり~小屋~ハスカップ・サンクチュアリ。 |
薪、積みあがる 2016/05/07 sat 雨のちくもり 14℃くらいか kai kusa kurita tomik saitoh-pair = 6 persons ■薪、積み、カバーかける あいにくの雨でスタート遅れる。少し湿ったテーブルで昼食後、午後から本格化する。薪割りは斧だけで、機械は出さずじまい。新しいカバー方法の試作をすべく小型のブルーシートとロープを準備した。 3人の施工結果では、少し幅広に伸ばしてくくった方(右)がよさそう。 一人でだいたい2時間ほどをかければ1棚の積み上げは可能なようだ。 ■桜とハスカップの開花状況 大島山林の桜は散りはじめている。tomikさんによると、先日の5日がピークだったらしい。苫小牧で連休中に桜が見れたのはめずらしいような気がする。 小屋の間の桜は、まだ花弁は落ちておらず、ピークのような感じだった。 ハスカップサンクチュアリのハスカップは、まだ開花しているのがなかった。こちらはむしろ、連休後半に開花していないのは珍しくないか、と感じた。 サンクチュアリで風倒木をかたづけていたら5時近くになった。その足で今年のハスカップ調査の下見をすべく、勇払川の左岸の土手を海の方へ下ってみる。かなりしっかりした道が確保され、安平川合流部まで行けそう。待避所でUターンして家路につく。 環境ガバナンス一行の視察を明日案内するのだが、下見までしていろいろ準備するのは久々の気がする。それほど、苫東コモンズの活動の中身に関心を持たれそうな方々で、森林ボランティアと合意形成などをテーマ氏されている先生もいらっしゃる。段々、緊張してきたのか。でもまず平常心で。 |
早春の探鳥会は嵐、BBQでは荒天どこ吹く風 2016/04/30 sat あられ後曇り、ときどき雨とみぞれと晴れ間あり abe inaba oyama kai kusa tomik & m hubaki saitoh-pair migita wada sekim = 13名+ 昼3名 =16 persons 探鳥会は町内12人(うち会員2)、NPO4名 計16名 いやはや、探鳥会はあられのなかスタートするというとんだ幕開けとなりました。 薪づくりの作業はほぼ折り返し。あと半日で薪切りは終わって、割って積む工程に。 ■探鳥会 森や雑木林、あるいは里山、というのは人々の間では「記号」として生きている。 エコロジーであり、経済至上主義への反対概念で、減速生活の周辺を象徴する環境であり、やさしい民話のふるさと、というように、そばに存在するだけでも十分・・・。どうもそれだけで満足されて、実際に林に踏みこむ人は意外なほど少ないのが現状。 これは豊かになった日本の近年変わらぬ光景であり、いわば頭でっかちの自然観、付き合い、という一般的な現象になっています。そこにはもちろん様々な事情や背景もありますが、果たしてそんな思考停止状態でいいのか。特に住宅地と里山が隣接する、よそではうらやましがられるここで、それでいいのか!!(←ヤヤ、義憤を込めて・笑い) 大島山林の整備ももう足かけ8,9年になりNPOとしての関与だけでも今季7シーズン目となったのですが、新緑のころも紅葉の美しい盛りも、隣接する町内の方々が歩いている姿にはほとんど出会わない。径もサインもそこそこできて町内とのパイプもできてきたのに、果たしてこれでいいのか。再び、問いかけたわけです。自他ともに。 そんな反省にたって、今年はもっと積極的に広報を始めることにしました。その第一弾として企画したのが、この日の「探鳥会」。今後、巣箱づくりとかキノコの勉強会など、NPOメンバーがでガイドできる範囲で、少しずつ拡大して定例行事にしていければ現状はすこしずつ改善されるはずだ、と。ガイド役はNPOのoyamaさん。 さて、その探鳥会は朝7時、駐車場に集合してスタート。折しも、あられ、みぞれ、そして風。町内の窓口になってくれた会員の右田さん宅には、早朝から電話が鳴って、結果、子供たちの参加はゼロ、それでも町内から12人の参加でした。 例年、ヒバリの初鳴きが4月の上旬にはじまり、夏鳥の渡りも次々に来ているころですが、この日の天候もあってか、まじかにさえずりを聞くという状況ではありませんでした。ドロノキの大木から、作業用テントを経由して広場に戻るまでの1時間余り、講師のoyamaさんによれば、目視とさえずりによる確認種は、シジュウカラ、ゴジュウカラ、アカハラ、アオサギ、アカゲラ、ヤブサメ、ヤマガラなど。来年はあと1か月後の新緑の頃、ということにしましょう。 |
■薪割り本番 毎週、作業進行のトピックはゆっくりしか変わらない。黙々と丸太を薪の長さにチェンソーで切って、方やではこれまた淡々と(実はそうもないのだが)割る。機械もマサカリもフル回転で、今日は4本のマサカリが活躍した。 ■BBQ |
4月30日の薪割りの風景(一部) |
お昼は作業の折り返し記念とねぎらいの意味で久々のバーベキューを薪小屋の前で。食材一切は、inabaさんが準備してくれ下ごしらえまで万端をもれなくセットしてもらいました。味付きラム、豚ロース、イカ、サンマ、ウインナー、砂肝それともやしなど野菜。 このほか、地元の右田さんらが鵡川にアイヌネギを取りに行ってくれ、ハウスのアスパラとともに持参してくれました。BBQのコンロや炭、網、鉄板、火おこしは地元の3人にお任せで、ほぼ12時からアルコールなしで開宴。1時間余りでほぼみごとに食べつくしました。 |
薪、分譲 2016/04/23 sat 曇りのち雨 8℃ inaba oyama kusa tuduki funaki saitoh-pair waseda-family 5 = 12 persons 薪の作業もたけなわですが、もとはといえば雑木林の間伐のいつもの最終段階。いわばクライマックスであります。今日は札幌方面から会員のW家族5人がトラックとマイカーで今年の冬に使う1年分を受け取りに。また、同じく会員のFさんとSさんご夫妻は薪割りの手伝いに雨の予報もものかわ、駆け付けました。雨が降り出すまでの2時間、一気に仕事に邁進。春を呼び込む勢い。 ■雨降る前の作業 ↑2tの標準タイプだと2棚は積めない。 ↑3人組による贅沢な薪割り体制。薪割り機が見えていない ■薪の縁 ↑とにかく専心する。行動的瞑想のひとつ?(薪小屋の屋根から) ↑とにかくはしごで屋根に上りたい年頃 |
春はいつもここで足踏み 2016/04/16 sat 曇り 8℃ abe inaba kai kusa kuri tomik & m migita = 8 persons |
■わだち 雪解けのころまで使った林道は写真のようにえぐれたままで、何とも落ち着きが悪い。朝いちばん、wadaさんは「当面は畑仕事で来れないが、修復作業の時は呼んでくれ」、と言い残しては畑に向かった。そうなのだ、轍の修復作業は、奴隷のようなつらいアキラメの仕事なのだ。 |
(作業の翌日の今日、案の定、腰が痛い。痛いのが常態になるとあまり気にならなくなるから不思議だ。今朝の日曜日、臀筋が疲労しているので左右のお尻にホッカイロをはった。冬ならこれで改善されることがある。血行不良なのかも。でも、今、パソコンの前にこうして座っていれば問題はない。) ■早春の風景】 作業を終えて解散後、池のほとりを経由して散歩に出た。早春のウォーキングだ。胆振の雑木林は新緑に至る早春がもっとも生き生きとして見える。この時期、落ち葉の下はまだ土壌が凍結したままで、見た目は葉っぱが開き花が咲くのを待つばかりなのだが、その地下の凍結のため、ここで季節は雪解けから2か月も足踏みしてしまうのだ。早春のこの2か月を、ロスと見るか恵みとみるか。 この時期の定番はナニワズ。沈丁花の香りをさせて今年も絨毯のようにあちこちで咲き誇っている。 と、タタタターン。実に大きなドラミングが耳に入る。空洞の樹幹をたたいているのか共鳴音が美しい。もしやクマゲラでは、と思ったがアカゲラであった。共鳴すると小さなコゲラですら実に大きな音を出すから恐れ入る。 今は使っていないテントから広場に向かうと、なにやらすがすがしい香りがしてきた。このあたりにカツラがあっただろうか。さらに行くと、今度は獣くさいにおい。小さいほうの広場にでるとそこには毛替わりを始めた二匹のキツネがわたしを見ていた。あ、これか。今日は妙に鼻がいいようだ。 ■地元の人に勧める散策路 ここで4月30日の探鳥会のコースを一考。この林の使いやすいイメージを知ってもらうために、まず集合の駐車場から池へ下ってドロノキ、ここでセンダイムシクイなど聞けたらもうけもの。そして左手に緩やかに上って三叉路のサイン、ここを右折して100m直進、カラマツ林を右手に見て三叉路のサインを左折、このままテントに行き、広場へ戻る。こうするとにぎやかなサインに何度も出会うから安心感、土地勘がはぐくまれるのではないだろうか。oyamaガイドに相談しよう。 |
■仕事,now 4月16日もよく働いた。午前と午後、一回ずつの休み以外は、チェンソーによる玉切りに5人、薪割り機による薪割りに1人(時々二人)、マサカリによる薪割り1人、ひたすら黙々と。あと1日以内に玉切りは終わり、薪割りオンリーモードに入る。 マサカリによる薪割りを一日やったkuriちゃん。さぞや握力が落ちただろう。ところで、マサカリで割った薪はあいかわらず木口がきれいだ。 テーブルにお菓子をおいても今日はカラスが来なかった。どういう加減なんだろう。どこかで宴があったのか。 |
フキノトウ到来、「土を喰らう」 2016/04/09 sat 朝、雨、のち曇り、夕方晴れ 7℃ abe inaba kai kusa tomik & m tuduki migita sekimura wada shin = 11 persons ケアセンターに寄り道。天下はなべて早春。 まだまだ、林には材が残っていた、とwadaさん。今日は10往復以上。林の中の落ち葉の下で土は凍っているらしい。薪割りはinabaさんと留学生shinさん。疲れたのではないか。 フキノトウが出始めた。ホッキとのかき揚げ、残りをフキ味噌。今季、第一弾。。水上勉の食の作品に「土を喰らう」というエッセーがある。春一番のこれからの山菜は、とりわけこの土の恵みをいただくという気分が濃厚だ。食の気功だといわれる由縁。 |
4月2日の活動の様子 (草苅がインドネシアに行っていたため画像はkaiさんにもらいました) *kaiさんからの掲示板への書き込み ↓ 曇り 6℃風速8m migita wada abe inaba sekimura tomi(male) Kai nakatsu 「遠浅の方々は軽トラとトラクターで森から材を出してくれました(林道が心配ですね)。 私たちはご覧の通り、薪割りの2人と、残りは玉切りしました。かなり片付いたと思います。 人力薪割りの人は、割れなかったら、早めに諦めて、機械割の人に任せた方が効率がいいです。」 |