**この稿はいぶり雑木林懇話会の98年会報に草苅が載せたものをもとにしました。これまでの林とのつき合いを風景の面からながめたものです。

文字エッセー
雑木林を考える

第1弾 『風景から入る緑』




 林、雑木林、環境、自然保護、ネットワーク。森林という自然には、純粋に自然科学的な面と、人間から見たもの、人間との関わりの中でとらえられていくものがあります。いろいろな切り口がある中で、わたしは「風景」を核にしてつきあってきました。そしてそれがとても長い間のこだわりであったことにいまさらながら驚きを覚えます。漠然とした嗜好のようにも感じますが、こうまで長いお付き合いだったのは何か自分にも気づかない理由があるのではないか。あまりまじめに考えたことがないことで、しかしいつかは少しずつ整理しておこうと思っていたので、つぶやきの「自己治癒」(セルフカウンセリングと呼べるかも)のようにしてちょっとほりこんでみようと思います。

<めぐりめぐる風景へのこだわり>
 田村剛氏の「森林風景計画」という古い著作の中に、森林の風景計画は風致体験のもっとも豊富なものが担うべきだ、という意味のセンテンスを見つけたとき、わたしは我が意を得たりと小躍りして喜んだことを今でもよく覚えています。覚えているというより、その言葉に支えられて苫小牧の20年あまりを過ごしてきたような気がします。森林や山を林業的なとらえ方や森林生態学のアプローチを学ぶかたわら、本音の所は風景としての森林として見続ける癖は一向にとれなかったうえに、水彩画でどのように表現すればいいのか、という具体的なテクニックも興味のある対象だったのです。

 20数年前の4、5年間は実際、春夏秋冬、年間150日くらい山や林にいた勘定です。そのうちの数十日は、青年期の憂鬱をせおって山小屋にいて、日がな、景色をながめては本を読み文章を書きなぐるというような生活でした。冬ならば、ちょっと新雪のスキーをし、夏なら薪を割って。

 卒業論文で森林の美学的な側面を扱って、自ら森林の「風景」をあちこちで生け捕りしていたのですが、それは専攻が何であるかというような比較的短い関わりとしてよりも、モノゴトをまず情緒的・感覚的に受け止めてみるという性癖に由来していたようです。時間を経た記憶のラベルが、詳細の言動やデータよりも、それがまず何色の心模様として引き出しにしまわれているかが大きな要素になっておりそのパターンに身を任せるといった具合でした。

 だから思春期から青年期にさしかかって、そして過ぎるまでの間、わたしは山と森と酒(ただしホドホド)を友達にし、友人、知人にはずいぶん生意気な人間でしたが、風景としての自然にはとても従順な存在であったようでした。山々で味わう自然は時に恐ろしく、決してあなどれない、こわい存在であり続けました。

 卒業後のわたしは森づくりを日々のテーマにしてきましたが、それが緑化や造林として始まりやがてランドスケープという言葉もわたしのテリトリーになった頃、もう一度、田村氏の言葉にであったのでした。折しも、既存の緑地を手入れしはじめるときであり、わたしの方向性が正しいなどと誰も言ってはくれないはずでした。しかしあのセンテンスは「君がやっていいんだ、だって君しか適任者がいないんだから」と言われたような気がしました。そのころの自分にはとりたてて練達したプロとしてのスキルがあるわけでもなく自信もあるわけではありませんでしたが、数多くの風致体験、という点では人後に落ちないといううぬぼれに似た自信があったのです。またそうでないと、あの山々の日々の意味もかすんでしまう……、そんな気持ちもあったはずです。。

苫東の景観形成をテーマにするようになったとき、こだわりというものがこんなに長く持続するものかと自問したことがあります。結局わたしは風景という切り口にどうしても意味を見つけだしてしまい、戻ってくる。きっと、もっとも居場所のいい、おちつくステージなのだろうと思います。どこへ旅行するときも、たとえそれが身近なところでも、それはいつも風景の原理を探し歩く小旅行でした。カメラで切り取り、メモもして、それらがまったく独りよがりの自己満足的な原理であったかもしれませんが、苫東のフィールドで思ったことを実現化していくとき、それがおおむねリーゾナブルであることがみえてきました。ヨーロッパなどで風景を鑑賞し、実際に淡彩画を描いてみているうち、自分の感性とデザインの方向が的外れでないという自信も少しずつでてきました。しかし、フィールドというのは各々がオリジナルであり、模倣できるものなどない、というのも確信しました。

 人間はどんどん新しいことに拡散していく人と小さな核に求心的に執着していく人とに分かれるとすれば、わたしは後者にあたる、と振り返るものですが、執拗にこだわるエネルギーがあるのならそれはきっと何か意味があるのだ、と半ば開き直って自分を信じられるようになってきたのは40の半ばにさしかかってようやくでした。

<林の中の小屋の意味>

 平成9年が何だったのか、と聞かれれば、それはまずわたしが関わってきたプロジェクトの清算が始まった年であり、また、地道に育ててきた林の一角に保育のための小屋(カラマツのログハウス)ができた記念の年だと言えるでしょう。もてあますほど広い現況緑地を相手に、わずかの経費で最大効果をねらう管理作業を少しづつ続けてきた者としては、小屋はひとつの節目にあたると同時に新しい時代を覗く小窓のように見えます。なぜなら、小屋ができて以来、わたしはあの小屋に重心の半分をおいてプロジェクトの顛末を見ていたのですから。

 話しはいったんわたしのフィールドに触れておきますが、何気なくみえる苫東の沿道景観は、実は自動車交通を念頭においた景観作業の産物であり、風景を整えることで地域の見え方を本来のものかそれ以上にしたいという考えでいました。雑木林が介在する産業や研究の用地を確保するのには、雑木林が素敵だと思うファンをつくり増やす必要がありますが、昭和60年前後に始めた草地と樹林地を混ぜた修景の積み重ねとモデルづくりによって次第に評価を得るようになっていました。

 ここ10年あまりのわたしの仕事は、幸運にも自然を活用したグランドデザインをしてきたのではないかと思います。苫東が、依然として視野にしめる植生の割合が高く、植生の利活用と管理の必要度が高くほぼ自由にできたこと、「苫東にゅうす」という広報紙を10数年編集しながら苫東の自然環境も外側に向かって発信できたこと、などが大きな理由に挙げられますが、場の雰囲気がわたしにそれをやらせてくれたことが何よりのサポートだったと言えます。関わったプロジェクトは骨太な計画がうたわれる反面、空疎であり穴だらけであり、それにひきかえ、現場というのは内側から肉付けや隙間の目張りをしているのだ、という自覚がでてきたものです。空疎になってしまった計画でもやりようによっては生きるのではないか、そんな気分も交錯していました。

 話しの筋が遠回りしてしまいましたが、土地土地にはそれぞれグランドデザインがいるのだということを述べてみたかったのです。風土に愛着をもった誰かが(できれば多くの人が)グランドデザイナーになって風景や自然の保全ををプランしていくこと、これがとても大事なことだと思います。大切なことは教えられた自然保護ではなく、風土への理解とデザインの共有(その手法は幸いなことに農林業と手を組むのが一番でした)。

 実はこれが林にあてはまります。各々の林にはそこの林に深い愛着をもったフォレスターが必要だということではないか。いぶり雑木林懇話会のメンバーはそれぞれ自分のフィールドのような場所をもちまさに自らがフォレスターの立場にいますが、ほとんど手の着いていない林もいつか、フォレスターを得て必要な手入れが始まればと願うものです。それができない場合は、所有者が望むなら第3者が代わりにオタスケするしくみはできないだろうかとも思案します。育林コンペでは、「これだけの手法を守ればだれでも林の手入れができる」という初歩的な実践を目指してみたかったわけですが、林とつきあっているうちに、またいろいろなこともわかってきます。「基本的にあなたもできる」、これを入り口にしたいと思っています。

話しはどんどんわき道にそれました。さて、小屋です。ある建築家が「建物は場をつくる」といっていますが、ケアセンターの半年とつきあってけだし名言だと思ってきました。ケアセンターがある平木沼緑地は、計画緑地だけでも500ヘクタール以上あり、そのほかの現況緑地をいれるともっと広大な林ですが、それまでは、一面の林に核になるものが本当に乏しかった印象があります。わたしたちのように実際にフィールドにしている者は別にすると、通常は延々と続く林の連続でしかありません。のっぺらぼうの林です。

 しかし、もっともよく目だつ場所を選んで小屋を作ったとたん、しっかりした座標軸ができたかのような地理感が生まれました。たとえば、林のある芝生の公園の人間の動態を調べると、多くの人が林の縁や大木のそばをもとめ、どうやらその理由が広場の中の座標的位置の確認欲求による、という説がありますが、どうもそのような気もするのです。 

 小屋はもうひとつ大変な役目をしていることに気づきました。というのは、仕事柄も含めて小屋に行く頻度はわたしがダントツに多いのですが、そうこうしているうちにあの小屋の周辺が「わたしの里山」になったことです。小屋で昼ご飯をすますと外に出て、ハンガー用の枝をとってきたり、枝を焼くために集め始めたり、来年はアレとアレを抜いておこうと目星をつけたり、薪を割ったり片づけたり。必要なものは周りから調達しようというなれなれしさ、この親しみやすさ、そしてこの身の丈の感覚はナンナンダ、と自問するとひょっとしたらそれは里山感覚のひとつじゃないか、と気づいたわけです。たきぎはもちろん、最も身近な山で利用しながら保育も考える…。これぞ里山でなくてなんなのだろう。

 そこでわたしの結論。「林の中に作られた小屋は、その周りを里山にする」。つまり、どんなのっぺらぼうでも、小屋に代表される「場」ができると、人間は比較的簡単に林と行き来する、小屋は林の玄関口になる…。このような実感が日に日に生まれるあたりが小屋におけるわたしの発見であり、したがって、わたしには平成9年が小屋の年と言えるわけです。でもこれも完成まで足かけ3年ぐらいの月日はかかっています。一見のろいこのスピードはかなりヒュウマンな感じもしていますし、わたしの仕事を見守ってくれた職場関係の何人かの恩人たちに支えられなければできなかったことです。ありがたさでジンとくるものがあります。

<林道の風景>
 林道はなぜ絵になるのか…これはなかなか含みのある質問で、はたまた林の風景を考えるときには重要なポイントだと思います。そもそも、風景をどこから見るのかを場合別に分けていくと、わたしたちの日常的な風致体験の多くの部分が道路の上で行われることに気づきます。もちろん、山のうえや展望台、タワー、船上など俯瞰する場所はもっとも風景をワイドにとらえることができますが、こと林に焦点をあてると道が風景に案内すると言っても過言ではありません。

 ところが、どんな道も(わたしの)風景を愛でる気分を刺激するかというと、そうでもありません。まず、道幅は3メートルくらいあること、そして道であると識別できること。奥行きがあること。できれば道路と林の色のトーンの差が明らかであることが重要なポイントのひとつと言えます。また、フランス式の幾何学庭園とは言いませんが奥行きがあってビスタ(通景線)とよぶ遠近の線ができていること。これはそんなにむずかしいことはありません。3メートル程度の道が林の中にあれば通常はこのビスタは形成されるものです。

 こうやってみてみると、どうも絵になる要素とあまり変わらなくなってきます。逆に林の中で林を描こうとしてみるとすぐにわかります。林の懐にどっぷりと入ってしまうと、雰囲気を肌で感じることはできても、絵画として成立させるのは至難の業になります。演習林などの林の懐で実際になんどか水彩画を試したことがありますが、これはやはり逃げ出したくなります。しかしこのようなときに、観測塔やナラの大木など、これといった一種の構築物のようなものを取り入れるとちょっと絵が成立するようになってきます。
 林道の色のトーンの違いも、いわば構築物の役目をすると考えられます。飛躍すると、林の緑は基本的に「図」(figure)ではなく「地」(ground)なのだということに気づきます。「地」のみで絵を成立させることが本来無理なのではないか。

 その点、バルビゾンの絵描きたちは、実に丹念に森を描きましたが、彼らの描く緑は、とても個性的な大木が多くあり、ひとつの構築物(オブジェともいえる)になりきっています。フランス人は、畑の真ん中にヤナギを残し、それを刈り込んでトピアリーに仕立てるようなこともやってしまうのですから、個性ある大木を残すぐらいは当然とも言えます。

 林の風景は見通せることも大事な要件だと思われます。直線ではなく地形に沿って大きくうねうねとする林道は、至近景から近景、そして中景というぐらいに、距離別に分けることができる風景の切片がつながれ、重ねられできあがっているようで、その構成要素のひとつひとつがすべてニュアンスが違う。ホントに良くできているものですが、人間がやれることのひとつは、至近景や近景だけになってしまう林に中景を加えてやること、すなわち、切り空かして見通しをつけてやることもあります。トンネル風に仕立ててビスタを形成することも絵(写真)になる林、あるいは絵(写真)を描き(撮り)たくなる林の条件ともいえます。

 また、アップルマンが、人間が環境から美的な満足感を受け取るのは、その環境が生息するのに適した場所であることを象徴的に表現しているからだと言います。そして、動物が最も安心できる空間が、「自分の姿を見せることなく相手の姿を見ることができる」場所、と看破しましたが、これは重要なことだと言えるでしょう。この林の中では、自分が定位置を確保し目立たない色でじっとしていれば、そこにやってくる人や動物にほとんど気づかれないで(少なくとも視覚では)いることは可能です。

 先日、つた森山林にあるエゾシカの餌付け施設のそばのトドマツの陰に30分じっとして、対岸のトドマツの林を凝視していたところ、わたしは勝ちました。ついにブッシュの中でシカの群が動き始めるのを確認しました。先方は、わたしの姿に気づいた瞬間、きっと本能的に動きを止めてわたしの一部始終を見ていたのだろうと思います。

 ヒグマの心配でも、出会い頭に会わないよう、ある程度見通しがあると幾分恐怖が和らぐというのもこの真理に近いものがあるのではないか。これはいずれの機会に譲ろうと思いますが、森の中の散歩を楽しむためには、ヨーロッパの都市林のように人間に致死傷を負わせることのできるモノ(それがなんであれ)が居ないことが必要ではないかと常々考えてきました。オオカミにもヒグマにも責任はありませんが、わたしたちの日常出会いたい林の生活というのは、ヒグマと会うような緊張を必ずしも求めないのではないか、日常求める林は、できればもっとはるかにリラックスできるものではないか。大型哺乳動物がまずやってこない、つまりコリドーを持たない飛び地の本格的緑地があってもいいのではないか。日常的な緑と、多用な動植物が生息する自然が別々の位置にあってもいいのではないか……。

 今、さかんに言われる「自然との共生」という言葉を具体化しようとすれば、みんなで考えてみたいことが一杯あります。舌足らずで締めくくるにはあまりに重要なテーマでもあるので、ひとまずペンを置くことにします。   (おわり)