マイナスイオ

  マイナスイオンの逸話 大分は直入町の長湯温泉を訪れたとき、ドイツの温泉事情に明るい旅館のオーナーに、ド イツ人は土地の「気」を感じる感性が高いと言う話を聞いた。温泉地や保養地などもその ような土地をあてるという。昨秋訪れた南ドイツのバートウェーリスホーヘンの田園のう ねりを見たとき、やはり田園の気と言うものを感じた。その印象派強烈だった。田園が何 かを主張している、あるいは元気欲旨を張っているような見え方だ。田園や林や湿原、原 野というものはドイツに限らず世界中のどこでも風土のにおいのような「気」を持ってい るのだと思う。往々にしてそれはプラスの場合に気づいてきたが、時にはマイナスのよう な場もあることを感じることもある。すがすがしい風土のにおいがしっかりあるところに 住みたい。そしてその感性というのを持ち続けていたいと願う。            そんな自分の感性を試したわけではないが、マイナスイオンを発生するという椅子に座  った。そしてあることを発見。呼吸が断然深くなるのである。ちょうど、ストレッチをし たあとコリがほぐれて息が深くなるのとまったく同じである。うーーむ、なんと単純な話 だ。コリがほぐれて血行がよくなるのである。違いがあるとすれば、椅子はマシンであり こちらはそれを意識的に自ら自分の身体で行うのか、どうかだけである。わたしは早朝の ひと時、からだをほぐしたり、休日は林の中や川や湖に出向いてそれをする。それが気持 ちがいいからだ。                                 滝および沢旅                                    『グリーンホリディの時代』を書いた九州大学教授の佐藤誠さんは、滝の周りで1時間を 過ごしたら疲れが消えて、それをマイナスイオンの効果だろう、と述べている。このエピ ソードを読んだとき、学生時代の何泊かする沢旅を思い出した。沢旅とはいわゆる沢登り をする登山だが、わざわざ旅というのは、沢をいくつか道代わりに使って稜線の向こうの 土地に出たり戻ったりして数日を沢登で過ごすからだ。もちろん、その間にはイワナ釣り なども行い、自給自足する人もいる。                         その沢旅。疲れないのである。先日、古い山仲間に聞いてみたが、やはり、同じ高度さ をかなり早いピッチで登っても、夏道を登る場合に比べると疲れが非常に少ないと感じて いたという。佐藤教授の話で連想したのはまず滝の存在である。沢登りには大小さまざま な滝が現れる。石が大きい沢であれば、小さな滝の連続である。だから、滝に多いマイナ スイオンには、沢旅の途中に身体がふんだんにさらされていることは間違いのない事実で ある。                                       疲れないもうひとつの理由は、集中である。沢登りは岩を飛び歩くことが多く、足の置 き場など常に集中していないと危険なことがある、そんな登山だ。かつ、岩は往々にして 滑る。だから用意周到にならざるを得ず、早い話が身の安全のために集中している。これ は岩登りも一緒であり、リフレッシュということを目的とするなら、あんな気晴らしにな るものも少ない。岩から落ちると怪我をする確立はものすごく高いから指や足先、足裏、 身体のバランスにすべての感覚を集中させる。その間、巷の、日常的煩悩などと隔絶され る‥。                                      集中と行動的冥想                                   沢旅には岩登りに象徴される「集中」がもうひとつの特徴といえるが、これは行動的冥 想と呼んでいいのではないかと思うようになった。必ずしも運動にこだわらず、食器洗い や編み物なども極端にいうと行動的冥想になりうる。わたしは間伐や刈り払いなどの林の 作業がこれに当たる。あるドクターに聞いたところでは、4,5時間の手術もほとんどこれ に近いという。人命に関わることだから自ずと集中しているはずだが、数時間の手術のあ とは、意外と疲れがなく爽快なんだそうな。                      ともかく、こだわりのある何かから離れ、別のある何かに集中することに、人知れず紅 葉があるということは確かだ。冥想の話はいずれゆっくり取り上げることになるが、冥想 は、数を数えたり、呼吸に意識を集めさせたりして、「今起きていること」に集中してい くことで、無心の状態に近づくものである。その無心状態を創る行動が、人それぞれで様 々なバリエーションを持っているし、そのことに気づかずにいる人もいるだろう。    コリをほぐす意味                               椅子で味わったマイナスイオン(というか身体に電気を流す行為、これをここではマイナ スイオン、としておく)は、結局なんだったのだろうか。コリがほぐれて呼吸が深くなっ たのは、血流がよみがえったことと言い換えられる。コリとは血液のよどみだから、それ を改善するのに、電気は有効であるということか。わたしはできるだけマシンでなく、自 分の身体の観察と働きかけで済ましたいから、ストレッチをするだけである。また、空気 清浄機でマイナスイオンのようなものを発生させ体調を整えるよりも、自然に出向いてそ れらを正しく呼吸するほうを選びたいから、週末の林に出かけることになる。       Webで調べ物をしていたら、マイナスイオンの研究は、戦前の北海道帝国大学で行われ ており、それは潜水艦の室内の空気をきれいにするための、軍事対応だったという。その 資料は今は失われているらしい。わたしは研究者ではないから実験の数値などによる証明 evidenceははなから出せないが、一人の人間として身体がどう反応していくかという点に ついて、記録だけをしておきたい。一種のエピソードとしてである。このコリとマイナス イオンのことで気づいたことは、つまり「コリはマイナスイオンと筋肉ほぐし(ストレッ チ)で可能」「コリがほぐれると呼吸が深くなる」の2点であるが、呼吸が深くなるとどう なるかは、冥想をテーマとするころに改めて振り返ろう。 注)画像は樽前山のふもとの川にて

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