1 ネパール(1982年12月〜1983年1月)
1982/12/27 恐らく、ネパールに着いた翌朝ではないかと思う。 宮殿風の右の建物の前で、衛兵と記念写真を撮った。 カトマンズ中心のバザールから映画館を。 なんとも寂しい光景。これが25年前のカトマンズの印象 ではあった。 |
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12/27 この日は早速歩き回った。が、そんなに広い中心市街ではない。 地図にある名所をグルグルと。 ブダナート。五体投地をみる。麻薬だ。 後ろに人だかりをつくった子供たちが口々に、 「ガネッシュ・ヒマール」と口にした。絶景だった。 北大山岳部が厳冬期のダウラギリ登頂を果たし、 まだカトマンズに滞在していた越前谷隊長を表敬訪問。 |
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12/28 カトマンズから空路ポカラに飛んだ。陸路でたしか5時間ほど。 ホテル・アンナプルナの庭から、ポカラ空港。 |
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12/28 ポカラ空港にて。 独特の雑踏が目の前にある。 宿泊のホテル・アンナプルナのまん前に空港がある。 キャラバンの荷卸が行われていた。 |
12/29 ポカラからのトレッキングはずっとこの山々が右に見える。 |
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12/31ウラリにて アンナプルナはいくつかに分かれており、そのうち本峰はどっしりして 最も描きやすい。5000mのベースキャンプまでいけばさぞや、と思わ れたが、それだと近すぎて絵にならない、という話も聞いてこのまま ジョムソン街道を 西に進んだ。 |
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1/2 マタタティにて 雪のゴラパニから、雪中を一目散に駆け下りる。シェルパニらは 霙の降る山道で、澄んだ大きな声で歌いそれにあわせて踊って 見せる。これは我々への元気付けかと思われたが、要はただの やがて来る解放への喜びだったかもしれない。 実によくとおる声で、谷間に響き渡るのだった。 ビレタンティにあと1時間ほどのところで、やっと木を取り直して画帳 を広げた。沿道の町というのは、日本でもナガマチなどという 道路沿い一列だけのマチがあるが、ここのような軒先をくぐって歩く 街道は珍しくて仕方がない。 スケッチの最中、いつものように村人が何人も集まってきた。 |
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12/31? チャンドラコットにて |
2 インド(1987年9月)
9月24日 マリデワールにて。お昼。 ツアーの途中、チャーターしたコーチバスから降りてお昼を取ることに した。わたしはあの木の下がいいというと、エージェントのナンディさん は、難色を示した。そこは牛の憩いのばでもあり、糞だらけだった。 |
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9月26日 スリナガールのハウスボート「swift」にて。 夜、現地の人が集まって「俺たちはパキスタン人だ」 と気勢を上げた。戦争のエネルギーがそこにあった。 インド政府に巻き上げられているような被害者意識が ある。 |
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9月23日 グラスカンラからジャオンリ峰。 命日の日、霧が晴れ、冥福を祈った。 近くにマナスルが見えた。 |
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9月○日 これから丘のうえに登りヒンズーのお坊さんにお経を あげてもらった。 |