take/草苅健の ミニギャラリー


北海道の山々

(順次足していきます。青字は山行日記から)

職場のある苫小牧の苫東。勇払原野の初冬はさびしい。
が、素敵な雑木林がある。1978年 no11


「草苅の絵はさびしい」といわれたことがあるけれど、
風土は力強い。
1979年か。アポイ岳の6月。

山行日記から。

「つる山の会。夜は(ツルの)おばさんが得意の白金なべ。
のんべえ?は4時にテントに入ってきた。花にはやや贈れ、
人はたくさん、千尋さんと中腹で遭遇。僕は長靴で。スケッチ2枚。」
幌尻岳の北カール。8号のスケッチブックの見開き。
この頃は、乗っていたようだ。28歳のころ。
79年
白金温泉の80年5月。この頃は防災工事がまだで、
風情があった。
1980年の奥手稲の小屋。昔からこういった習作
みたいなのに手を出す癖がある。

この絵、山仲間の田宮女史にほめられたことがある。
大雪山の春スキーの帰り。志比内あたりで
早春の山々と柳。うるわし春。これもややさびしい、
と言われるかも知れない。でもこのかそけきモヤモヤは
好きだ。82年


1981年の元旦。「北の国から」で有名になった麓郷から
原始が原というアカエゾマツの純林へとシールでのぼり
夏テントを張って小屋がけし、仲間と1週間ほど遊ぶ。
この日は上ホロカメットクに登って深雪のスキーをした、
はず。

富良野盆地と、遠くに夕張岳が見える。
原始が原、今はどうなっているだろう。


2007年11月18日、古い山行日記を見つけたそこには
こうある。タイトルは「禁煙の原始が原」メンバーは、
坪井、山下、鍛治、平沖(以上は先輩)、高井、高橋圭二

「1981.1.1快晴 マイナス22℃ 
6時45分起床、(テントは)
寒かった。九時発。高井は足に豆が出来て
テントキーパー。九時25分、上の平坦地でタバコを吸い
ながら、手は記録をつけ、朝の勤めを終える。三つのこと
を同時にやる。おかげで皆に15分遅れ、さらに30分行った
ところでスケッチして15分。

12時 5人はフラノと三峰のコルから沢底めがけて滑り出
した。平沖さんは大きなパラレル、坪井、山下、鍛治さんと
続く。僕は15分は縮めたつもりだったが、なお10分遅れて
いる。後で聞くと、なんと彼らは僕を落胆させるために、こ
こまで2ピッチ(つまり1回しか休まずラッセルして)できた
とのこと。独り、右手のやや急斜面へ進み、富良野に向か
って鍛治さんのところまで一気に下る。快調だ。」…
1980(昭和55年)、羅臼の国立公園事務所に勤務中の
先輩・鍛治さんを訪ねる。

「汽車で。斜里に下りて右手のこせん橋から斜里岳を描く
(これは羅臼岳)。迎えを気にしてそそくさと戻る。庁舎に小菅
さん(今をときめく旭山公園長)と身内の方らと。翌日小菅さん
らは釣りに。僕はベランダで絵を描く。子供ら、集まる。夕方、
鍛治さんとラウス湖へ。夜はボタンえびとチンジャオロースーを
つくる。」
(山行日記から)
上に同じ80年5月。安足間岳をすべりに行った折、ここ白金温泉
の白樺荘に一泊。メンバーは鍛治さん、金谷、波男、青池、重田、
圭二。

「5月3日は浩さんパーティのテントが見つからず、アパッチの下で
C1。はためくテントはあずましくない。
5月4日 夜が明けると快晴。8時前に出る。冬と同じ斜面を登ると
旭岳の稜線にありのように人間が見え出した。暑い。稜線に立つ
と愛別が吊り尾根の向こうに見える。滑りにくい、思い雪質、不本
意なまま沢へ。…」


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