ついに、シニア・モードの

NO.123

2023/07/01

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NPO苫東コモンズ トップ


今年の4月から、大勢でやる作業から一人離れて、山仕事の原点でもある「里山景観の創出と維持」に向けたひとり態勢に入った。年齢に伴う身体の事情もあるので、NPOのメンバーには、シニア・メニューをやらせてほしいと掲示板を通じて一方的に自己申告し、お願いしておいた。

苫小牧・静川のログハウス一帯の雑木林は、平成2年に雑木林の除間伐作業と里山景観づくりに着手したから、ざっと33年、ログハウスができてからでも26年が経つ。NPOの設立に動き出して今年は16年目である。少しずつ、気持ちのいい里山的な手自然が出来上がって来たのが、わたしにはよくわかる。

そんなこともあり、コモンズの原点でもあるここの小屋を預かって来た者として、育林コンペを含む一帯の、ゆるやかな手仕事をマイペースで進めることにしたのである。思い出せば、若いころ、「小屋番のオヤジ」という立場に山仲間たちは一時的にせよ、憧れたものだ。



<NO.123 から、記事掲載は期日の順に変更しました>

これからしばらく小屋と一帯の専属管理人に

2023/07/01 sat 朝方まで大雨、のち曇り 21℃

夏の緑、深まる



朝方までの大雨のあと、いつもどおり静川の小屋へ。

やり残した薪を割り、まだ終わっていないフットパスをブッシュカッターで刈り込んだ。ササのほとんどないところなので、落葉を蹴散らしながら、しかしなかなか良い径が顔を出す。もう深い夏の緑だが、虫もおらずひんやりして、気持ちのいい時間が過ごせる。この小径の散策は、時として、人を詩人にし、セラピーになると言われる。


トップのリードでも書いたように、これからはマイペースのシニア・メニューに入りたいと思う。アクティブで結構な重労働になるチェンソー作業から離れて、年寄でもできる山仕事をしよう、とようやく決心がついたのだ。

というのも、苫東コモンズの設立の核になる事業の一つが「里山景観の創出と維持」であり、これはワッセワッセとやる形より、まさに自宅裏山をコツコツ手入れするようなスタイルの方が向いているからである。言葉にすれば「里山景観の・・・」と固いけれども、薪炭を採った再生林のヤブを、気持ちのいいイヤシロチに変える、雑木林のガーデニングのようなものだ。

かつ、ここがコモンズ活動の骨格であるにもかかわらず、ルーチンの薪の片付け(@大島山林)に追われてこれまではわたしが小屋番に来る以外は、この大切な事業になかなか手が回らないで来た。そもそもこの林に付き合いの長い人以外、大方にはなじみがない。そんな背景もあるのだが、薪以外にあんまり関心がない、ということもあろう。

そしてもうひとつ、札幌方面のメンバーに限れば、静川は遠回りになるので、特に関わってまだ年月が浅いメンバーにとっては、それでなくとも疎遠なのに自然と縁遠くなるということも世の中の道理であろう。

これもいつまでできるか。わたしももうすぐ72歳だ。若いころのような体力も俊敏さも今はない。小屋向かいのカラマツ枯死木の始末だけでも、わたしには十分すぎる手応えだ。しかし、ここに来ることと、手入れする喜びだけは人一倍だ。





ハスカップサンクチュアリにて思う

2023/07/04 TUE 快晴 24℃

ハスカップ・サンクチュアリの現状と今年の実なり

いよいよ、ハスカップのシーズン。

今年のサンクチュアリの実なりはどうか、出かけてみた。サンクチュアリは、勇払原野の自生地の中で最も広大なエリアで、10年ほど前にNPOで調べてみるとヘクタールあたりで約3、000本前後で、45年前にわたしが担当していたころと大差ないことがわかった。

ただ、NPO会員とGPSを使って詳しく調査をしてみると、ハスカップがハンノキやシラカバ、サクラなどの樹木の下になり、大きく伸びすぎたり、枯れたものも少なくないこともわかった。乾燥化と上木の繁茂、それに伴うハスカップの徒長と枯死である。これらは、平成31年に出版した『ハスカップとわたし』の中で、地域とハスカップのつながりなども含め、広範な視点で紹介した通りである。



今朝、サンクチュアリに行ってみて驚いたことは、まったく実がなっていないこと、枯死木が一段と目立つこと(写真左)、そして訪れる人も居なくなって踏み分け道も無くなったことに尽きる。ホザキシモツケなどの繁茂が著しく歩けないほどである。

いったい、どうなってしまったのだろうか。

自生地の原野の状況を一応つかんでから、このエリアから移植したハスカップの栽培地・つた森山林はどうか、立ち寄ってみたのが上の右の写真である。一応、刈り払い管理され日照を遮るものはない移植栽培地である。驚くことに、つた森山林もまったく同じような状態であった。



委託されて収穫をしていた方々が木の陰で昼休みに入るところだったので、身分を明かしてお話を聞いたところ、ここも例年の3分の一か4分の1だといい、当分収穫は期待できず、こんなことは今までなかったと年配の現場責任者は言っていた。

おおよそ、その年の出来がいかほどかがわかるのは自生地の沿道の車の数だが、今朝はそれが全くなかったのだ。それにアプローチの排水路脇の径も人が歩いた形跡がほとんどない。エリアは踏み分け道もわからないから、歩くのさえ困難で、土地勘がずば抜けいたはずのわたしも、一時現在地確認に手間取ったほど。これでは市民がハスカップ・コモンズとして夏の風物詩を楽しむことなどほとんど不可能だ。それにこれは今日明日のことではないようだ。自生地に訪れる人の数が栽培種のPR攻勢と裏腹にジワジワと減っているのではないか。

実はこのエリアが安平川の遊水地となることが予想されてから、苫東コモンズでは現状を調査し結果を公表して、ハスカップと市民のつながりやサンクチュアリの意味を明らかにして出版したのちは、公共が預かる遊水地であることを鑑みて、ハスカップ保全をコモンズ活動の主軸からはずして大きく身を引いた形にしてきたところである。保護や保全の運動に巻き込まれるのは避けたい思いだ。それに利活用のために設置されたボードのようなものからも、足を使って実際に現場をよくフォローしてきた当方らに全くアプローチもなかった。

今日のサンクチュアリの感じでは、苫小牧の悪い傾向が出たのでなければよいと懸念した。市など当局者は貴重種の保全と盗掘、ゴミ捨てへの配慮からか、各所でどうも市民との隔離が行われなかったかと危惧するのだ。ハスカップは、野鳥や貴重植物の保護のために立ち入り禁止のような扱いになる前に、実際は湿原の乾燥化によって入林することも困難になっていたのである。

あともう一つ、近年はヒグマがクローズアップされる。ヒグマは河川敷をまるでコリドーのように川沿いに移動して、例年春先、まず最も早い時期には海岸の弁天浜で第一番の目撃があることが続いたように記憶する。つまり、ヒグマは樽前からウトナイ方面に来た後は、勇払川の河川敷を誰にも会わずに真っ先に海岸に到達するのではないか。

勇払川と安平川にはさまれた、ここサンクチュアリなどデルタ地帯は、当然、ヒグマのよく往来するところとわたしには思える。確か、20年近く前に老婦人が一帯にハスカップ摘みでかけたまま、未だ見つかっていないようで、当時はヒグマに襲われた可能性がある、などと語られていたのである。

*7/5 追記

2週間ほど前から治療に励んでようやく治癒しかけたドクガ症状が、また悪化しだした。部位はやはり腹の正面、胸、脇腹、そして腕。猛烈な藪は随所にいろいろな毛虫が一杯いたのでもしや、と思っていたが、案の定だ。ドクガ発生のニュースを聞いていたら、市民はかなり警戒するだろう。かつてヒグマが出没している情報が発せられた時も、ハスカップ摘みはストップしていた。今年はそんな歳でもあるのか。



コモンズ論が再燃か

先日、地元紙・北海道新聞の記者の方から電話取材を受け応対した。取材の本旨はハスカップの背後にあるだろうコモンズの理論的背景についてだった。

先の『ハスカップとわたし』ではその背景までは書かなかったが、その代り、宇沢弘文氏らの社会的共通資本、さらにエリノア・オストロム博士らのコモンズ理論については、平成26年に北海道大学出版会から出された共著『コモンズ 地域の再生と創造』の第一編で、小磯修二先生が詳述しているので『ハスカップとわたし』ではコモンズ概念までの論述とし、宇沢氏のことには特に触れなかったという事情を告げた。(本著でわたしは第二編においてコモンズの実践について詳述した)。

そのやり取りが、実は今朝の朝刊の「卓上四季」がNPOの名前入りでふれていた。



近年、市場主義経済の破たんの弊害という見立ての反対側に、コモンズが対置されるような構図が見え隠れする。宇沢弘文氏は恐らくそのような文脈の中でクローズアップされており、わたしも月刊誌「世界」に掲載されていた特集を先日読んだばかりであった。

薪調達の相談を受ける

十勝に別荘をもつ、北大工学部の名誉教授(古い山仲間)が薪の調達と保管について細かいアドバイスを聞きたいというので、別荘の帰り道に遠浅の薪ヤードに寄ることになった。わたしはハスカップの調べもあったので、そのあとだったからちょうどよかった。

「薪は、地元の人と仲良くなって、調達して横移動をできるだけ少なくするのが得策」と伝えていた件は、うまく成就しているらしいが、薪づくりと保管は何をするにもお金と労力がかかり、薪生産はビジネスどころか市場単価では間尺に合わないことも痛感したようだ。

薪を広場に積んでそのまま燃やすという手法にも驚いていた。それにはわたしこそちょっとびっくりした。「積み直さなくていいのか?」。薪小屋をつくらなければ薪は保管できないと思い込んでいたようだ。彼の別荘は幸い敷地は十分あるから、これなら問題ない。

わたしが facebook のグループのやりとりを見て知った怪しい話「薪は雨に濡らしてよい。蒸散するときに木材中の水分も引き出す」という説に、科学的に「なるほどあり得るかも」と吟味して見せた。わたしが日常感じてきた「木材が乾く話と濡れるのはべつのこと」というのと底はいっしょだ。かつて雑木林のミラクルな落ち枝について、寺田寅彦的考察を加えてくれたのも、彼ら山仲間で工学部の先生たちだった。自然現象の多くは未解のサイエンス領域だ。

結局、薪の話しだけで1時間半ほど過ごしていった。わたしはあわよくばコモンズの薪の上客にならないかという下心もあったが、なにせ十勝の別荘はここから遠すぎる。それに身近な地元調達を勧める当方だから、所詮無理があったのだ。しかし、取りに来る薪の顧客はこんな風にしてマンツーマンの対応がどうしても必要だ。これをコツコツ積み上げていくのが、実は非常に面白い。




手探りする地域の森づくり

2023/07/08 sat 晴れ 32℃

今季2回目の研修はニセコなどにて



土曜日、ニセコの「ひこばゆ」を訪問し、澤田夫妻にガイドしてもらった。

午前は、澤田夫人がトドマツ精油の抽出についてガイド(写真左上)。精油を蒸留する機器とトドマツの枝葉が積まれた倉庫で、地域おこし協力隊としてのビジネス展開の方法と経過をお聞きした。

抽出される精油のα-ピネンなどは、森林浴やセラピーが注目を浴びていたころ随分注目を浴びたものだが、いまや森林セラピーも癒しもさっぱりだ。世の中では被害妄想やイライラが原因とみられるような凶悪犯罪やテロが続く毎日で、日本はすっかり変わってしまった。いまさら、森林で癒しを、などと言ってももう手遅れ感が強くないか・・・。レクチャー終了後、夫人とそんなやり取りをしつつ道の駅の駐車場に戻った。

午後は、ご主人から町有林における林道づくりを軸とする森づくりの経過と成果を見せてもらった。林はカラマツと広葉樹の混交林が出来上がりつつあり、完成しつつある林道網を活用してこれからどんな風景を創っていくのか、これからが楽しみだ。

林業の羅針盤はどこにあるのか

澤田さんは森林や林業とはほとんど無関係の美容師が専業だったようで、地域おこし協力隊としてニセコにきて、今や、新しい森づくりの担い手として町有林を色々な組織や個人と連携して進めている。つくられた坂の林道を巡りながら色々考えさせられたが、わたしの思いは簡単に言えば、

「森や林の扱いは、いろいろだ。個人の山だったり公共だったり企業だったり、広葉樹も針葉樹もある。100ha単位の大面積も小さいものも、山奥も里山も、平坦地だったり斜面田だったり、儲け重視のビジネスだったり林業のまねごとでもOKのケースもある。」
「それだけ林の方向には幅があり隅間が多く、目的やゴールに大変なグラデーションがあって関わりとして多様性を受け入れる。」
「幸か不幸か、何もしなくても基本的に問題がなく推移する・・・。」 
「こういう物差しを用意すると、色々なNPOも企業体もたいていはグラデーションのどこかに収まる。」

というようなことだった。

とはいいながら、森づくりなどと呼ばれるジャンルこそ、なにかいかにもマニュアルのようなものがありそうなものだが、自然環境と所有実態が千差万別で、そこに経済的な制約が加わるから中身は様々で、各地に一気通貫するセオリーなるものも、実は存在しない。万が一、あるように見えても実際の役に立てない。現場ごとに方法は変わるので、どこもここも試行錯誤の実験のさなかと言える。総論として「適地適木適作業」ということになるが、これでは何かを言ったことにもならない。にもかかわらず、森林環境税が令和6年からスタートすることになって森林整備に税金が使われるのだそうだ。なにも方針が定まっていない個人や公共の森など、どうするのだろうという心配が湧くのは当然だ。

林業という業種を、堂々と「絶望的」とまで評価するセンセーショナルな著作もあるほど、歴史ある林業に実は定見がなさそうに見える。そんな中、近年は地域おこし協力隊の参入が目立っている。素人がひと時腕を磨いて働き始めるのである。それ程、森と林業は隙間でありビジネスになりそうでいて、公有林を持つ自治体にとっては扱いが難しいものになっている。西粟倉村のような成功事例が反映されけん引しているのだろうか、仲介するコンサルビジネスも盛んなようだ。「オレに任せろ」の世界である。

しかし、協力隊に任せる、などというのは任せる方にはずいぶん虫のいい話であり、危険できつく儲けも薄い3Kの仕事を「緑」「森林」という訳の分からない「記号性」で引っ張りこんでいる。疑いもなくはまり込む人はそうそういないだろうが、林業のジャンルで受け入れ口を用意して募集する自治体は少なくない。まるで、緑は大切だ、などと唱えるばかりのポリコレ(ポリティカリー・コレクトネス)の世界でないか。好きなようにアイデアしぼってやってくれ、とほのめかしておいて問題が起きればきっと大騒ぎする。しかも地元の若者は敬遠してきたジャンルだ。

それに、森林と林業は、このままでは、問題があればそれをテーマに研究する大学と、問題があれば人を従事させる(いや、従事させずに逃げるかも)都道府県等自治体は繁盛するが、今もって先が見えないのはどうしたことか。しかもこれに明快に方向性を示してくれる人は研究者の中にはまずいないのではないか。ややゲリラ的に日本中を席巻している自伐型林業や、いわば自然発生的か、あるいは勝手に動き出した民有林、一部の事業型NPOなどに、すこ~しだけ希望が見えようか。・・・・・

このたびの研修で現場で案内をしてもらいながら、そんなことを考えさせられた。地域の森の新しい担い手である。

所有権をはぎとって(あるいは放棄して)、地域ごとに個別に解決、という事例が見え隠れする。とりわけ里山的な身近なエリアは、「自然や森はみんなのものだ」「社会的共通資本だ」というスタンスで仕切り直さないと将来が見通せないのではないだろうか。

さらに森や林という(湿原や原野でもいい)地域課題を、先見性を持ってジャッジし方向性と分担を明確にしていくような、「地域の自然研究センター」のようなものが求められているのではないか。たしか、山陰地方のある県に山村問題の全体を扱うセンターがあった、あのさらにローカル版だ。その際、立ち入り禁止にする貴重種主義ではなく、理活用を十分加味したものでなければ意味がない。

自然や土地は本来誰のものか。先日、C国に杉の山ごと買い取られて港に輸出用に丸太が山積みされている状況を熊本で見て寒気がした。北海道などは、もっと深刻だ。道民の3,4代前は誰の土地でもなかったところだから所有感覚も本州以南よりはるかにうすい。森づくりとはほとほと因果な、間口が広くてかつ底の深いテーマだ。さらなる工夫が試されているような気がする。



カラマツのログハウスを長持ちさせるために

2023/07/22 sat 曇り 26℃

ログに防腐剤を塗る



コモンズの拠点である静川のログハウスで、丸太の防腐処理(ナフタデコール)を行った。築26年で、時々はベランダや屋根の補修をして来たが、防腐処理は初めてだ。ログエンドにキノコが生えてきたせいもあるが、昨年、窓をくりぬいた際に、丸太が全く健在だったことに勇気づけられたこともある。「あと、50年近く持つかもしれない」と。

NPOの前理事だったinaba さんから商売用の足場を7セットお借りして朝一番に搬入、組み立てて、丸太のホコリを落として昼前から本番。合計4人で4時ころまでに7割程度を塗り終えた。来週、残りを仕上げて竣工の運び。聞けば、遠浅の薪割り薪積みも、今日完了したとのこと。



酷暑に負けず防腐剤塗る

2023/07/27 thu 晴れ 31℃
solo-work

丸太小屋の最も弱いところをみつけ、補うべし



もう30度に近かったところでまず焚火。虫よけの儀式である。さいわい、蚊はおらず、かわりに「めまとい」が顏周りを飛ぶ。目の周りも嫌なものだが、先月から補聴器をつけており、そのそばで唸られるのが非常にうるさい。

ひとり作業は、まず先週やり残した正面妻の右半分とドア、窓を塗ったあと、今回の作業の隠れた要点、屋根直下の軒板「破風板」に防腐剤を塗った(東側のみ)。だが、手遅れかもしれないなあ、だいぶ腐っている。そしてもう一つの本命である、丸太のログエンドはあと少し。

今週末は、全ての一度塗りと軒板を塗った後、ベランダの屋根を支えるポストあたりも出来ればよい。防腐剤が残れば2度塗り。



夏の緑は、新緑や紅葉のような感動シーンは意外とないものだが、林道を歩けば木漏れ日が美しい。芝生と葉っぱは逆光こそ真骨頂。3時前に終えて帰る。庭のハンギングバスケットの花々も、朝の出がけにたっぷり水をあげたが、どうも心配だ。年に数回、こんな日があってもいい。



ローカルな現場でGDPに現れない仕事の数々

2023/07/29 sat 曇り時々晴れ 30℃
abe-e kawam kusa tomi-k&m wada

ざっと70万円の工事か




「命に関わる危険な暑さ」に気をつけながら、静川ログハウスの防腐剤塗りに、計6人集合。

先週以後残された4分の一ほどに注力した。腐れが進んでいるログエンド、破風の部分はもちろん、窓枠も細筆で仕上げる念の入れ方だ。一方、ベランダの裏板や支えのポストなどは、作業がしにくいためにいい加減な、笑いを引き起こすようなお粗末なものになった。最後は、テラスとベランダにクレオソートを塗って足かけ3日の作業を終えた。来週は、足場を返却して、薪を積み直す仕事が残る。

ところで、この仕事を外注すればどれほどになるか、メノコ勘定をしてみると、職人に一日2万円(交通費込)として、足場の運搬、借り上げ費、材料・資材費など合算すれば、ざっと70万円ほどでないかと思う。

昨今は、少なくなったが、昔は納屋の改築などは近所で手伝いながらやって、金銭の授受はなかった。これは日本全国の慣習で冠婚葬祭もその範疇だった。お互い様の世界である。今回の小屋の普請は、正真正銘の奉仕活動で、貨幣が動いたのは、防腐剤の資材関係とトラックのレンタル料程度だ。

人海戦術で、これだけのことをやってしまい、あと数十年、小屋が持つのであれば、こんなうれしいことはない。窓など、職人技のようにきれいに仕上がった風景は、宝である。一点豪華主義のような、申し送りがされるだろう。

令和4年度シーズンは27棚の薪ができた



先週、薪割り薪積みが完成したようだ。除間伐から運搬、薪割り薪積みと運営に関わった全員の労を多としたい。

tomi-k さんによれば数えると27棚だという。例年、20棚から30棚前後だから、標準的なところである。27というのは、ちょうど数年前に譲渡を受けた材でできた「ドロ薪」が27棚だったから、イメージがしやすいところか。除間伐開始を11月に前倒しし、あまり追われない作業を進め、かつ、コナラのフットパス沿線も整備できたから、ここでもGDPには出ない高度な作業になったと言える。

成果を薪の量だけで計ったり、有償で譲渡できた額でいえば実に数十万円の僅少だが、実は「地域の森づくり」として作業を外部委託していれば、チェンソーをもった特殊作業員の単価を稼働時間等調整して仮に1万5000円/人・日として、稼働人工300とすれば、ただそれだけで450万円程度になる。あくまで仮定の試算に過ぎないが、コモンズはほとんど貨幣価値に換算しない、つまり国のGDPに算入されない価値を、日常的に創っていることになる。

これらは財団の研究所時代に、小林好宏北大名誉教授(経済学・地域開発)の研究会で地域経済のテーマの際によく話題になった。社会関係資本(地域のつながりや助け合い、結いなど)が下支えする、という文脈だったかと思う。




摂氏30℃、林抜けるそよ風、昼寝あり

2023/08/2 wed 曇り時々晴れ  30℃

酷暑に薪積む



小屋入口の温度計は30℃をさして、里山仕事とはいえ作業にはまったく適さない。が、先日終わった防腐剤塗布で、薪棚をいったん崩してあるので、その積み直しを窓側のみ。もうすぐ72になる年寄がひとりでやる軽作業にはもってこいだが、意外と量もある。汗だくになって一時に終わった。仕事始めに刈り払い機を使ったのも応えた。

コナラは暦を見たかのように土用吹きを始めたのが梢でわかる。ムンムンするころにこれが始まるのが常だが、気温の割には林を抜けてくる風が文字通りのそよ風で、よくこなれている。強弱があまりなく、スーッと通り抜けるから、昼寝の邪魔にならない。いい時間を過ごした。蚊が出始めるお盆過ぎまで、もう少し通える。




近隣調達、里山仕事におけるローカルの宝

2023/08/05 sat 曇り 30℃

NPO活動に不可欠な地元調達

雨が心配されたが、大型コンピューターによるwindy.com の予報を信じて予定通りレンタカーのトラックを借り、午前は薪を置くパレットと、施設保守に使える廃材を薪ヤードに搬入した。

午後からは先週完了した防腐剤塗布にあたって、NPOのもと会員からお借りした足場(専門家はしばしばビデと呼ぶ)7セットを小屋で積んで、市内糸井の倉庫に返却した。薪ヤード周りの刈り払いに一人(kuriちゃん)が残り、ほか5人が対応した。

先日来、山仕事や施設補修をお金に換算するとどうなるかをメモしているが、今日の仕事もビデ借り上げの費用もまさにローカルな地域活動らしい「やりくり」であり、レンタカー料金以外地域経済にほとんどリンクしない内輪のやり取りであった。繋がっている人たちの間の「持ち寄り」は、地域活動によくある善意とwin-win の結果であるが、仲介役としてはもらいっぱなし、というのが最も気になる。お礼を何にするか、というもう一工夫が残っている。

借り上げのお礼や借料に関して、コモンズらしい発想で行けば、「山菜の永久採取チケット」「2024年のボーフーとコシアブラのプレゼント券」などというものもあるが、このような慣行はオジサンオバサンの間で日常的に行われていて、表に出てこないものであるから使えない。最終的にはお礼の品か格安の謝金か、ということになるだろう。正式に借り上げ単価と借り上げ日数をかけて支払うと、NPOにとって実はかなり高額になるのである。

というようなこともあり、今日は珍しく画像なし、と相成った。

酷暑の山仕事の謎

札幌の森林ボランティア・札幌ウッディーズさんが、予定通り、21人の大所帯で山仕事に来ていた。この暑さでは熱中症対策をくれぐれも、とF会長とあいさつ。長老のTさんもやってきて、最近心臓の検査をしたのだとおっしゃるので、山仕事と健康と老いの話しに花が咲きそうになった。

83歳になるTさんは以前からある程度はシニアメニューに移行しているように見受けたが、この暑さで山仕事をされると、70代前半の当方はちょっと立場がない。話の続きはメールにしようと、足場積みのためにメンバーの待つ小屋に急いだ。

ところで、これだけ多くのメンバーがなぜ酷暑でも駆けつけるか。先方の秋の予定が大幅変更になったこともあるが、もう一つの大きな要因、それは薪需要である。入手できそうな集いには極力参加することになるようだ。これは森林ボラの背景の一面であり、薪需要というのは、思えばすごいエネルギーである。



小屋の薪、積み直し終える

2023/08/09 wed 曇り 30℃



夏緑のトンネル。フットパスは落ち葉がウッドチップ代わりをして、雑草を押さえてくれる。これもどういう訳か、お盆過ぎ頃から急に腐食し始めるのだ。



今日は、掃除機を持参してまず小屋の内部を掃除した。床やストーブ周りはもちろんだが、特に、窓わくに散らばっている小昆虫をていねいに吸い取った。フローリングと丸太の境目なども念入りに長年のちり芥をクリーンアップ。憩いの環境にまた一歩前進だ。

本命の仕事は、薪の積み直し。先週までの防腐剤塗布のために一時避難した薪をもとに戻す手作業。気温が30℃あったから、こんな些細な仕事なのに下着を2回着替えた。

しかし、作業というようなものは、始めがあればいずれ必ず終わる。修行の作務である。いい汗を流させてもらった。



薪は、この前まで雨のないカンカン照りのあとに、今度は数日たっぷり長雨にあたったので、可愛そうにビッショリ濡れてしまった。見た目の商品価値も大幅ダウンだ。

幸い、今日も蚊がいない。オニヤンマのようなものが穴になったテラス上部をクルージングしている。そこで足を投げ出し、読書の時間をもった。




苫東の緩衝緑地と風土圧

2023/08/13 sun 曇り 朝24℃

緑地はもう見向きをされない過去のものか

一昨日、上厚真でお通夜があって出かけたのだが、随時参拝と通夜本番の間に時間があったので、40年近く前、上厚真に造成された苫東緩衝緑地を一回りした。わたしの最初のなりわいが苫東の緩衝緑地づくりの手法を決める試験調査だった。その関係で、誕生から現在まで関心を寄せてはきたが、失敗せず順調に生育しボリュームを増大させていたのがわかったから、10年近く訪れることがなかった。

しかし、緑地帯をよく見ると荒れて枯れているカラマツの樹群や欠如した林分なども含まれ、現況は様々だった。地域とのつながりもないのだろう。民地との境界も判然としない。言ってみれば、世間からほとんど見向きもされない存在に代わったのだろうと推測された。

なるほど、工業地帯と隣接する農業地帯の間の、公害の発生防止を目的としたものである、という公害(騒音や大気汚染)でも体感できるものが存在しないから、数年前受け入れて対応した北大大学院生一行の視察でも、「なにとなにを緩衝するために創られたのですか?」と質問されたほど、現地には緩衝を連想させる風景はないのだった。

それでもわかる気象と地象の圧、これが風土だ

とは言いながら、確実に緑のボリュームは拡大して、緑地の「存在効果」は拡大していた。「存在」していることも忘れられていることは、ある意味で喜ばしいことだ。

ただ、港や臨港地帯の工場群やコンテナヤード、送電線の空間を横断するにつれ、「産業空間」というものが着々と拡大し、経済のダイナミクスと容赦ない「非人間性」が迫ってくる。どこかヒューマンスケールが見え隠れする柏原など内陸のエリアとは全く雰囲気を異にしている。このブッキラボーさには正直、大変驚かされた。本州以南の工業地帯も先日車窓から眺めたが、それに比べても都市計画の中の土地利用が未完成だからか、まるでここは「開拓の途上」であるかのようだ。

久々の風景にびっくりし、ショックすら感じた。しかし、妙に懐かしく感じられるところがあった。

生産施設の周りの植生に感じられる、「荒れる力」「飼いならさらされることを拒む何かの力」。わたしは密かに「風土圧」と呼んできたものが健在だったのである。風土圧というのは、海から来る潮風、海霧、霧と湿原による低温、火山灰の土壌、湿地など、気象、地象だ。これらが植生の環境にジワジワと滅亡への圧をかける。勇払原野が勇払原野であるための特徴が、まったく衰えていなかったのである。

約50年前のわたしは、原野に試験植栽としていくら色々な樹木の苗を植えても、原野に戻そうという気象、地象の風土圧に負け枯れていく様を見て、気分はいつも暗く押しつぶされ、この土地の風土にそんな情緒的な反応しかできなかったのだった。そのある部分は、いまも変わらないが、それでもなお、その風土圧をそのまま受け入れられる自分が認められたことに、少なからず充実した手応えを感じた。半世紀近くこの地に住んで、雑木林やハスカップコモンズに付き合って、ようやく風土が少しわかってきたのだろうか、と思う。

自然型産業から工業への否応なしの変遷

こうしてふり返ってみると、明治時代、農耕に使えるところはすべて農地として改良するという国の大号令のもと、勇払原野には石狩低地帯の南末端の湿原と、防風林を利用しないと農耕ができない火山灰台地と、それに、造林して林業を行うのには不利なため定期的に薪炭財を採る若い広葉樹林が残され、それが勇払原野を形成したわけである。

しかしこれらは、農林業にとって生産力(≒競争力)のない、いわば「あまり使い物にならない土地」だった、と言えるが、戦後は全道各地で、北海道経済を本州並みに豊かにする目的で製造業誘致が進められた。そんな中で、1次産業に不向きだった勇払原野は、道内でダントツの交通の要衝として優位性を持ち、一次産業から工業の2次産業、それを支える港と空港、道路網が拡充されて流通の三次産業も進展を見たのである。それでもスタートから約半世紀たって、ようやく軌道に乗るというスピードの遅さだった。

わたしが見た勇払原野南端の風景は、その現在進行形を切り取ったものだと言える。しばしば使ってきた「勇払原野はB級自然}というフレーズはそんな社会風景を感じながら生まれた。素直な感想を言えば、経済と社会のダイナミクスは、情緒的な風土感覚を笑うかのように一直線で太く、もう後戻りしない。当然ながら、一個人など実に無力で、サイバー攻撃などされればもろくも破壊される巨大なシステムに支えられていることが明るみに出ている。あの殺風景な港周辺のうごめきが、そんな背景の中にあると思うと、そら恐ろしく実はこれからがなかなかイメージできない。




ベランダ上部の防腐剤、塗り終える

2023/08/18 fri 曇り 29℃

今年一番の汗かく



29℃の気温に少しも驚かず、淡々と残った部分(ベランダ上部のポストなど)に防腐剤を塗り終えた。補助具に使おうと頼りにしていた、小屋脇のホオノキの枯れ木が、鋸を入れて思い通り倒れたのは良かったがすでに腐っており、使う予定の細い上の方は粉々に砕けて、重たい根元部分が残された。おかげで、ローラーを取り付けた棒状の仕掛けは結構重くなってしまった。

おまけに、防腐剤で服が汚れるのを防ぐため、塗装用のつなぎの作業着(不織布)を着たが、サウナ状態となりとても耐えられる代物でなかった。しかし、予定通り、カラマツログ60年存続を目指した、折り返しの防腐処理は終わった。NPO苫東コモンズのメンバーとOB、いやOG会友のおかげである。

「中島先生」ののこぎり



枯れたホウノキを切ったのは、梅田先生に譲ってもらった故・「中島先生」ののこぎりである。刃渡りの長い、所持するのがはばかられる「ナタ」といっしょだった。「中島先生」とは、樹幹析解の中島廣吉先生のご兄弟で昆虫学の大家だったと記憶しているがどうも自信がない。札幌農学同窓会名簿を出して調べたがわからない。私の勘違いだったかもしれないが、束のところに「中島」とマジックのようなもので署名がある。いずれにしても、大先生がフィールド用に使っていたという由緒正しい道具で、梅田先生に確認してから、いずれ小屋に寄贈しようと思っている。



今日も色々な鳥の声が聞こえる。オオタカ、キツツキ、アオバト、ゴジュウカラ、それと上空をムクドリの大きさの群れが往復したが、何だったのだろう。この山でコムクドリは時折見るが、ムクドリは普通いないからだ。また、鳥ではないが身近で大きな声はアマガエルだろうか。小さい体で、よくもあんな大きな音を出すものだ。

大汗が少しひいてから、そんな声を聞きながらテラスで本を開く。メイ・サートン著『終盤戦 79歳の日記』。故障がちの毎日の庭仕事などが、細々とメモされている。なぜか、心休まる。

今日の、帰りがけのビックリ。先日積み直した裏の薪が無残にも倒れていたのだ。折からの台風7号の南風のせいか。小屋を後にする前の一回りで見つけた。超がっかりである。次回のシニア・メニューの仕事ができた。





蚊もアブもトンボのいないがキノコが出てきた

2023/08/23 wed 曇り 30℃

梅田先生の献本を搬入、本棚もついでに追加新設



かつてNPOの会員で現在会友でもある梅田安治先生から、15冊の献本をいただいた。雑談の際、昨年から小屋のライブラリーを拡充しているのが話題になったことによる。これにあわせ、わたしの森林とアウトドア関係の蔵書もあと何10冊か加えたいので、しっかりした、ウッドの本棚を購入して寄贈した。間もなく寄贈図書リストを整理したら再搬入の予定。

雑木林の小屋は、少しも避暑にならなかった。逃げ帰りたいと思ったくらいだ。とは言いながら、薪の積み直しなどの手仕事を終えて帰ろうとしたら、テラスの上に微妙に涼やかな風が通った。これはいけるかも、と椅子に座ると、1時間半も読書してしまった。自宅2階の部屋や居間の扇風機よりいい。写真のように時折、陽が射すので、椅子ごと、少しずつ移動する。余りの暑さに蚊もアブもトンボもいないので、意外なくらい平穏な読書環境があった。気温、30℃である。


キノコが出始める

今日は倒れた薪棚の積み直しも用件だった。当然汗だくになりながらも、小一時間で終了し、まじないの如くツッパリをかませた。

読書を終えてからフットパスを歩いてみると、もうキノコが出ている。汗が引く、気持ちのいい散歩だった。街中より、はるかにいい。

 




食への執着は生への執着

2023/08/26 sat 30℃ 曇り

遠浅で簡単な打ち合わせをすませてから、会友の厚真のSさん宅へ伺い、2週間ほど前に亡くなった奥さまの仏前に線香をあげさせてもらった。もう50年近いお付き合いで、Sさんはわたしの山の先生だった。苫東の用地買収に応じた開拓者の末裔だから、つた森山林や安平川の流域、柏原、浜厚真や備蓄基地の一帯の地域の昔の様子に詳しい。この地区の面影や風習は、彼や亡くなった奥さんに聞いたものが多かった。

娘さん夫婦が来ていたので、自然とというべきか、川エビやアキアジ、ホッキ、シシャモ、カジカ、コイ、アカハラ、毛ガニなど、地域でとって食べたものの話が次々と出てきた。ただ出てくるのではなく、実際に採って食べた様が、イタズラっ子のように熱中してきたものばかりだから90歳近い高齢にもかかわらず自然に熱がこもって止まらない。いい光景だ。

小屋は、今日も30℃あり、内部も快適さはみじんもない。寒さなら、服や暖房でいくらでも改善できるが、暑さは歯が立たない。風はそよとも吹かない。刈り払いなどの作業はもちろん、散歩する気にもなれなかった。

それでもテラスで涼んでいるとチチチッ、と小鳥の群がる声がする。一羽一羽はかなり小さいが枝先を飛び歩いている。双眼鏡を出してみると、コガラかハシブトガラ、シジュウカラ、中にはヤマガラも交じって、目まぐるしく飛び回っている。親鳥と一緒にカラ類のコッコたちがエサ取り散歩をしているみたいだ。

枝先のマユのようなあたりを往来しているのがレンズに入った。枝先あたりに豊富な虫がついているのか。ちょうど、秋遅くになってカラ類は群れて採餌するが、あれを盛夏の猛暑のさなかにも行われるのは初めて知った。

鳥と言えば、先日ここでムクドリサイズの群れを一瞬だけ見た。街中では、この夏にヒヨドリが目立っている。なにか微妙な環境変化があるのだろうか。




ラーニング・コモンズの充実

2023/08/30 WED 曇り 25℃

酷暑少しおさまりトンボ



この夏、久々に小屋で長袖のシャツを着た。

枝拾いようのボッコを持ってフットパスを歩くと、トンボが先っぽに止まりたそうにするので、ちょっと貸してあげた。小鳥の手載せより感激はうすいが、まずまず、生き物とここを共有する点で横並びの感覚はある。

昨年夏、山の同窓生である urabe さんと創り上げた採光用の窓。まだまだ緑の時期の明かり採りとして不十分だが、環境改善は進んだ。窓辺によれば十分本は読める。独り用の図書スペース、ほぼ完成 だ。

二つ目の本棚が埋まって一段落

先日持ち込んだ本棚に、ほぼ本が埋まった。U先生から頂いた15冊に、今日はわたしの100冊あまり。



昨年初冬の127冊をあわせて230冊、先のabe-b さんの約150冊、さらに前からあった小屋の蔵書を合計すると400冊あまり。スペースから言えばこれで限界に近い。abe-b さんの森づくり、伐倒技術、森林に関する教養書に、昨年12月にはわたしが森林医学や少し固いものを加え、今回は画文集が中心となった。山と森の画文集は、大きく自然や森を謳いあげるから、科学と文学好きまで、幅広く読める。

特に、坂本直行、辻まこと、串田孫一、上田哲農、田淵行男などの各氏が2,3冊から10数冊ずつ並び、小樽の版画家‣一原有徳氏の懐かしい本が数冊加わった。「アルプ」の同人たちだ。画文集は絵と随筆あるいは詩からなるが、わたしが山に登りながら淡彩スケッチを何10冊も描いていたため、これら「アルプ」の同人らにずっと師のごとく親しみを覚え魅了されてきたせいだ。

思い起こせば昭和50年代まで、山に登っていた人はしばしばナチュラリストであり文学青年のような人が実に多かった。山岳会の関係者、北大のオケラ、美術のクロユリ会などの面々が集った、狸小路の居酒屋「つる」の30周年記念文集なども棚に収めたが、あそこはそんな多士済々がよく来て、よく飲んで議論し、山の歌をハモった。戦前戦後あたりの人々は特に筋金入りで、その中でも開拓の直行さんのものは異彩を放つ。

わたしが大事にして来た蔵書は「辻まこと」だ。先日、辻まことが創作活動の拠点のようにしていた富士・河口湖のそばの西湖にいってきた。本の中では「ツブラ小屋」と書かれていたように思う。山小屋暮らし、つまり山仲間が良く使ったドイツ語のヒュッテン・レーベンは、避難小屋でも単なる飲み会の場でもなく、実は独りだけの静かな時間が肝心でありライブラリーが似合っている。時代は図書館をラーニング・コモンズと称して、学生などが議論しながらクリエイティブな世界を目指すようだが、ここ静川の小屋は狭いので独りを楽しむライブラリーの方がむしろピッタリのように感じている。これまでも、高頻度で訪れるのはわたしだけだが、これからどうなるだろうか。雑木林で過ごす独りの時間に耐えられるかが問題だ。

このほか、開高健のオーパシリーズや、フライや薪ストーブの田淵義雄氏らの著作も20冊以上そろった。北海道撮影社が健在だったころの、写真集「大雪山」や「日高山脈」は付き合いもあって購入したが、値段を見ると16,000円だ。貧しかったのによくぞ手に入れたものだと思う。あの頃は山にぞっこんだったのだ。が、今は里山の平地しか歩かない。家に残った山の本は遅からず廃棄処分にする予定。




読書のスペース兼ねた作業小屋の雰囲気へ

2023/09/02 sat 曇り 23℃

メッシュ・パネルを取り付ける



一昨年、小屋の大掃除をしてもらって昨年は採光の窓を開け(写真右)、年末に完成した会員お手製の本棚に献本300冊弱を搬入した。この夏、さらに100冊あまり(↑8/30書き込み)を加えて、今日はいよいよ、乱雑に立てかけただけだった作業小道具を整理した。釘やカッターなど小物は透明のプラ製抽斗に、立てかけたり釘に吊るしたものたちは、メッシュ・パネルにすべて吊るし直した。

ライブラリー性を先行した格好だが、もともとここは、いままでなかった里山景観を苫東に創出するための作業小屋とするのが本務だ。だから本来の姿にさらにぐんと近づいたと言える。無垢のコナラのテーブルの扱いが象徴するように、座る「和式」から、椅子の「洋風」に切り替えたことによる。これで室内移動がだいぶ楽になった。見にくい薮にすぎなかった雑木林の景観を除間伐によって改善し、フットパスをつくり、散策でこころを癒し、小屋やテラスで静かに読書もできる。そのための森林、森づくり、山、自然、アウトドア関係のいくつかが収められている。

ミズキの実などと

小屋で片付け作業をしていると、明らかに小屋をつついているものがいる。窓から外を見やると、ベランダの屋根を支えるアカシヤの柱をゴジュウカラが上下に走り回っていた。彼ばかりでなく、横柱にはシジュウカラが来ていた。先週と同様、カラ類が群れを成して採餌中なのだろう。



テラスに落ちていた実はミズキだった。今年は、6月の中頃からフットパスや小屋周りを刈り始めたから、今さら刈るほどの草がない。それに9月になったのに蚊が来ない。トンボも目に入らなかった。昨年はテラスに集められたクワガタの頭部も今年は見かけなかった。顔を出すもの、今年は出さないものがある。森羅万象とは言うが、もろもろの生き物に囲まれて快適にこの空気を吸えることは心地よい。




季節の移ろいを感じながら

2023/09/07 thu 24℃

蚊がいない九月は

こんな年があっただろうか。9月の中旬に差し掛かるのに、蚊に攻められることなく外で仕事も食事もできる。朝、町の中は20℃を下回るようになったから、雑木林はもっと寒暖の差があるはずだ。そんな時、往々にして蚊の大群にやられて霜が降りるまで小屋に来なかったこともある。

テラスの椅子に座って小屋の屋根周りを囲む木々の葉、幹、枝のあちこちに、今日もカラ類がざっと15羽ほど飛び交い、ほとんどここにいる。あるゴジュウカラは、またもやアカシアの柱や小屋のベランダ上部の大引きで長い時間羽繕いをしていた。小さな双眼鏡でそれらを小一時間観察していたが、まったく飽きない。頭の中は空っぽだ。



カラマツのフットパスにはイグチが出てきた。2,3日前の風のせいか、コナラのドングリが葉っぱごと落ちていたりするが、まだまだ多くない。ミズナラは見かけない。



ちょっと奇妙なキノコもあった。最初は冬虫夏草かな、と思ってみたが、いやいや、アンタッチャブルなカエンタケのようだ。大きな切り株の周りに10個近く出ていたが、緑の中で深紅の異形が目を引く。危うく手で触りそうになったが、以前、ピザ窯の脇にあったのを思い出してカメラだけにとどめたのは正解だった。

キノコはちょっと歩いただけでも10種類近く出ていたから、これからはキノコ好きの方にはたまらない季節になろう。

気が早いが焚き付けなども



少し気は早いが、小さな焚き付けを2種類用意して持参した容器に収めた。意外に寒さを感じた朝など、思い立って打を欲しくなった際に慌てたくない。新聞や段ボール、次にカラマツの枝、そして小割した薪の順にくべていけばパーフェクトだ。この小屋が恵まれているのは、カラマツがそばにあるので、最初の焚き付けに困らないことと、軒が長いので窓の下に薪が並べられること。窓を開けて薪を室内に入れられる。灰は窓から捨てられる。実は木灰に含まれるミネラルに、タヌキやシカが来ないものか関心があったが、ここ10年以上、その兆しは見えない。

今日の仕事はのこぎり(これは「窓のこ」というらしい)の刃本体が柄から抜けたので、炭をやすりで粉にして柄に注いで本体を突っ込んでから瞬間接着剤を流し込んだ。さて、これでうまくいくか。次回、先日伐倒したホオノキを切って試そう。




ポルチーニとプラロック

2023/09/09   sat  曇りのち雨 23℃

仕事は山まわり

静川の雑木林の保育を検討し始めたのが平成2年だからもう34年も前になるが、萌芽再生林の込んだナンデモナイ若い林が、散策に値するような風景に変わり始めたのが平成9年のログハウス建設後だった。何度も書いてきたことだが、ノッペラボーの面積500ヘクタールに及ぶ一帯の林が、ログハウスという「建物」=「依り代」を得てから、次第次第に周りが「里山化」した結果だった。

里山化とは人の出入りであり、人が出入りすれば人間の快不快の「快」の方へ嗜好が進んでおのずから周辺はイヤシロチ化=里山化するのだった。



「里山化」では、やるべきことを「作業」に落とし込まないできた。そうすることで30年以上、一帯を見守り続け風景改善の山仕事を続けることができたのだと思う。その際、最も大事なこと、良かったことは何か、と問われれば、「よく山を(林)を見て歩くこと」と答えてきた。だから、来ればほぼ必ず林を一回りして、風倒木や虫の発生、動物の食痕などがないか、見て歩きながら枝を拾ってきた。小雨の中、今日もフットパスや林道を歩いてきた。

それに、土地の産土(うぶすな)を感じる、つながることを目標の一つに掲げて(密かに)きた身としては、寂しい、野生のモノノケ漂うフットパスを小一時間歩くことは、実は至福の時間でもあった。クマスプレーを持つようになったのはここ一、二年だ。この緊張感がないと実は「行楽」に落ちてしまうのだ。



来月から、カラマツの枯死木の片付け2年目に取り掛かる。今年は、伐倒もさることながら、最も手の懸かる掛かり木処理に、abe-b さんが提供してくれたマーベル・プラロックMRP2000を使う予定だ。いつも現場で場当たり的に扱ってきたので、実は細かい装置の中身、ボタンや作動の仕組みなどを理解していない。そこで、ワン・セットがどのようになっているか、ベランダに広げて資材やら仕組みを点検した。で、大体理解した。霜が降りる頃から、一輪車でプラロックとチェンソーと大とび、フェリングバーを近くのカラマツ現場に持っていけば、いい線行くような気がする。

ポルチーニか、でも手を出さず



昼過ぎ、雨が本降りに替わった。こんな時はベランダで頭を空っぽにして林を眺めていても、退屈しないもの。誰も来ない小屋の小屋番冥利に尽きる時間だ。だから冥想にはもってこいだ。勇払原野の産土に出会いたい人は、虫のいない時期に外のテラスかベランダ、あるいは小屋の室内で足を組んで冥想されることをお勧めする。枕木の小さなステージは最初からそれを目指し冥想テラスと呼んでいた。

と、ストーブ脇の迷想を終えた頃、雨は止んできた。朝のささみちフットパスとは違うもう一つのパス「奥のササミチ」を歩き始めて間もなく、あの有名なポルチーニに似たキノコを見つけた。ヤマドリタケモドキだろうか。その見事な姿に見惚れて、先日のカエンタケ同様、これも手は触れなかった。もう少し大きくしてこの後の訪問者にもお見せしたいからだ。

ちなみにイタリアでお土産に買った乾燥ポルチーニは、水で戻すと家の中がキノコの匂いに包まれた。できのいい肉厚の干しシイタケのように、芳香を発してあたりに充満する。せめて、とキノコに鼻を近づけてみたがかぎ覚えのある匂いはなかった。

キノコはまともに勉強をしなかったので、食べた経験のある約10種以外、基本、手を出さない。イグチ類も種類が多く、毒のあるものもある。素人の冒険は禁物、こうして周りの風景とともに見惚れるだけでわたしには十分だ。




abe-b さんの寄贈図書目録を作る

2023/09/13 wed 曇り 26℃

伐倒技術の指南書



昨年秋、技術顧問のabe-b さんから受けた献本のリストがなかったので、小屋にパソコンを持ち込んで10冊ずつ棚から取り出して書名など打ち込んだ。終わってみれば約120冊。伐倒や刈り払い、作業安全に関わるモノを中心にツリークライムやロープワークの本などもある。タイトルを打ち込みながら、伐倒作業が気の抜けない仕事だったことを改めて思い出した。そうしてもうすぐ、その時期が巡ってくる。

季節は変わる、風景は変えられる



無風で暑い。パソコン作業を終えて林を回ると、昨年秋の落葉がまさに土に還る寸前だ。例年、8月から9月にかけて忽然と落ち葉が消えるのだが、前年秋に落ちてから朽ちて土になるまで、ちょうど一年を要していることになる。そこに、ニュキニョキとキノコが出始めた格好だ。季節は途切れのないサイクルである。そのすき間でわれわれ人は生かされている。

それに不思議なことだが、里山らしい景色にフタリシズカとオシダは有った方がいい、と話し合ってこれらを残して刈り払いをして来たが、いつの間にかフタリシズカは群落を広げ、もしかしたらササを押さえているような風にも見える。スドキの自生地も確実に拡大している。風景をコントロールできるという時間スケールに身をおくと、雑木林はぐんと近くなる。




里山コモンズの運営、知恵試される

2023/09/16 sat 23℃ 曇り

■オジサンたちの地域おこし協力隊

ある懸案について、午前10時から昼まで、静川の小屋のテラスで理事会。いまでこそ20人ほどの小さなNPO組織でも、多い時には70人ほどの所帯だった。それを、時々に知恵を絞って縮小させて今日がある。

かつては純粋に勇払原野の自然が好きで、他人の土地なのにそこに堂々と居ても良い「コモンズ」」という仕組みに賛同して善意のボランティアが保育活動に励んだが、同時に薪という産物が生れることがホームページや口コミで広がり、折からの高齢化と相まって、今度は副産物の薪が粘着剤となって会員が集うようになった。

元は、町内会や居住地の地縁のネットワークだった。ソーシャルキャピタルの考え方では、これをボンディング型と呼ぶ。やがて勇払原野の風土の匂いをかぐことのエリアの会員が少なくなり、外周の遠くの人が多く来るようになって構成比が変わったが、こちらはネットなどでつながる橋渡し型(ブリッジング型)のコミュニティと呼ばれる。ボンディング型とブリッジング型が併存するというのが、今の苫東コモンズの特長といえるが、ソーシャルキャピタルの観点でいえば、このバランスはプラスである。

ただそれなりに課題も問題も懸案も生れる。骨格にある大義を見失わないようにしながら、知恵が試されているというところか。オジサンたちの地域おこし協力隊みたいである。地域に起こったこういう組織は「知恵を絞って独自の解決策で乗り切っていけ」というのが、どうやら天の声のようだ。

■どこにもあるカムイミンタラ




集まりが終わってから、来月早々整理を始めるカラマツ林に入ってみる。枯れ木が片づけられて陽光が射す林になったが、今日はなにか、神々しい風景に見え、久々にカムイミンタラを感じた。神々が遊ぶ庭。そう、神々は至る所、色々な時間帯に突如集い、遊ぶのである。それをここに通い詰めた人だけがほんの束の間だけ垣間見ることができる。ここでは30年近く前の吹雪の晴れ間に、チェンソーの手を休めてカムイミンタラを見入ったことがあった。

写真で記録して人に見せても、「どこがカムイミンタラ?」「???」とという反応されるのがオチである。





ふたつの山をひとまわり、6.5km

2023/09/20 wed くもり 23℃

■ヒマラヤ瞑想の本



ヒマラヤ瞑想の相川圭子氏の書籍を小屋に持参。精神科医を一時中断し瞑想伝道に入られた前代表Tさんから時々1冊ずつ譲り受けたもの。いかにして瞑想するかではなく、こころの持ち方指南と言った方がいいかもしれない。なにか、行き詰まりを感じるときなど、ちょっと開いてみるのも良い。瞑想の年月が長い当方はあまり違和感なく読めるが、買ってみたものの入っていけないと言って数ページで投げ出した人も周りには何人かいる。新設の棚の上左側に、ASKUL の箱に入れてあるので、希望者は手にしてほしい。

■思えばよくここまで径が延びたもの

静川は今日も蚊が全くいない。Tシャツの腕丸出しで2.5kmのフットパスを歩いた。径は色々なキノコが待ち受けていた。写真の撮りようによっては、まぎれもなく彼らが林の主人公である。







朝の冷え込みで、急激にキノコの種類が増えたようだ。いつもどおり枝拾いをしながらの山巡りだから、6.5kmも気ままなもの。もともと手入れのために創った径の一部だから、来し方を振り返るとよくここまで来たな、と思う。早く歩けず、長距離は無理となって、今日の12、000歩は今のわたしの歩行限界の目安だ。

そんな当方にとって、少しずつ増やしてきた休憩の椅子は、やはり有難かった。↓
まるで自分のために置いたように見えてしまうが、そうではない。入口で町内会の女性のKさんと会った。蚊がいないのでよく歩いている、きれいにしてもらってありがたい、と言われた。普段ご夫婦で歩くときはかなり奥まで入るので、恐らくこのコメリの1万円ベンチ(下左)はご愛用かと思う。(ということにしておきたい)



特に印象深いのは、昨年開設したコナラのフットパスの風倒木に創ったコブシの腰掛。(↓左)



右上の土場Aは小さな里山拠点のような広場に見え始めた。木がたくさん生えたところばかりでなく、これからはこういうゆったりした空間をもっとつくるべきだ。木はどこにでも生えるが、林の中の空き地や空は、人が創ってあげないと普通はなかなか生れない。ひとり、楽しい数時間だった。




牽引器具マーベルプラロックを試す

2023/09/23 sat 晴れ時々曇り 20℃

■焚火が自然に思える日



防腐剤塗りに使った枯れホウノキを玉切りして焚火にくべる。案の定、、いい按配に燃える。そこにボロボロになった麦わら帽子を投入。使うたびにくたびれていく装身具を数シーズンの終わりに燃やすというのも悪くない。



間もなく始める枯れたカラマツの処理のため、掛かり木用に牽引器具を使ってみる。ラチェットを5,6個ずつ引くだけだから随分のんびりだ。カラビナの強度もちょっと心配だった。持参した大とびと併用してみたが、わたしの感じだと、結構疲れるが大とびの方が性分に合っているような気がする。

いただいた窓鋸の相棒のナタも見つかったのであらためて寄贈品を紹介する。元の持ち主は北大の昆虫の中島先生とだけ記憶にあったので、農学部の同窓会名簿を開いたがどうもそれらしい人が見つからない。しかし、いずれもしっかりしていてよく切れる。ナタは、刃渡りが30cm以上あるので、銃刀の不法所持にならないよう、札幌から大きな袋に包んでうJRに乗り込んだのを思い出す。

昼前、naka夫妻がこれからの焚き付け集めにやってきて昼食後3時近くまでたくさんの段ボールを車に運んでいた。フットパスを一回りするとキノコはいろいろと見つかるが、見知ったものには出会わない。ただキノコの目線で林を見ると、自然と同化したような気分になる。実はそれが楽しい。



そういえば、朝、小屋についた際に後ろでカサコソと音がするので振り向いたら、小シカがテラスの10mあたりにいた。過去、最短距離だ。

ついで、カラ類が今朝も来ていたので、冷やかしにホーミーを唸ったら、何かがブーンと接近してV字飛行して屋根に飛んだ。ゴジュウカラである。最近上達の跡が見えるわたしのホーミーに、明らかに反応したようなところがうれしい。




掛かり木対策の要諦は「掛かり木にしないこと」

2023/09/27 wed 晴れ時々曇り 26℃



前回9/23 に牽引器具マーベルプラロックを試してみたので今日は懸案の掛かり木に本格挑戦。ロープもトリプルにしてみた。その結果、牽引は比較的スムーズにできて操作方法もわかった。しかし、掛かり木の先端はいつものように二股にがっしりとかかっており、やはり牽引しても写真のように浮き上がるだけだった。ここからは牽引具の有無に関係ない。

それでどうしたか。ロープのテンションを解いて、追い切りを2回し、直立に近くなった幹を手で押して倒した。器具への期待は大分落ちて、達した結論は、「枯れ木と言えども、倒れる方向の枝を慎重に見極め、掛かり木にしないこと」。転ばぬ先の杖、ということだった。万が一、掛かり木になったら、今まで通り、大とびを使って横移動させて追い切りする方が効率的にはるかによい。もちろん、安全を確保し最新の注意を払って、である。

いつも通り昼をとらないで続けたせいと、予報以上の高温(25℃くらいか)で、汗だくとなった。500ccの水をほぼ飲み切った。爽快な気分だった。

キノコの様子に変化はなさそう。疲れたので、散歩はやめて、小屋の日誌「雑木帳」にひとこと書いて帰宅。




雑木林の自然観察

2023/09/30 SAT 22℃ 曇り

農水省の動物検疫所から左に折れて平木沼緑地に入ると、ナビ表示が消え周りの風景は人のためのインフラが消えて動物王国に替わる。この林道では数頭のエゾシカの群れにあうのは通例だが、最近小屋周りには子ギツネが徘徊していて、9月は特にテラスのすぐそばにシカたちがいる。野生が人(ひと)気に寄っているのか。頻度高く訪れる当方に、警戒心がだんだんと薄れてきたのか。

今朝最初に目に入ったのは、カラ類の群れで、林道に入った直ぐの右側に広がるススキの原野から、左の放置された藪に小さな移動をしていた。林道の地面で何かついばむのもいたが、よく見るとシジュウカラの幼鳥のように小さい。これが数羽混じっていた。群れは原野から薮へと移動したが、わたしはEV運転を止めて眺めた。夕方、小屋を後にする頃は、すぐそばでクマゲラがかなり大きな声で鳴いていた。上空からは、ひとときハクチョウの声も聞こえた。猛暑続きで秋の渡りの季節が来ていたとは考えてもいなかった。

■カラカサタケ、フタリシズカ白葉、スドキ拡散



 

 


上は帰り際に見たキノコなど観察記録。小屋周りには取り立てて興味を引くキノコは見えなかったが、高さ20cm以上に伸びたカラカサタケがふたつ。傘の下から小屋を望むと、ちょっと小人の世界だ。これも次の風で倒れる。

数年前に移植して自生エリアを広げてきたスドキ(モミジガサ)は今、種子散布の真っ最中だ。この拡散力だと、採っても無くなるはずがない。頼もしい山菜だ。小屋周りの林床で最も目立つのはフタリシズカ。これも選択除草で残してきたものだが、コシアブラのように白葉化してきて、なにやら小さな妖精のようだ。かくして里山はある程度植生をコントロールできる、という楽しみがある。

■危険防止は遠隔操作



話は戻って、朝、100m先の現場に出る前に一輪車に積む今日の道具を並べてみる。あらゆる状況に対応できるように一通り持参するのが常だが、先週使った牽引器具プラロックは「役立たず」と見きって小屋に置いて行った。ところが、またもやシビアな掛かり木となって二股にがっしり食い込んでしまった。右の写真は引きずり落とした後の様子。

ひとりの山仕事はこういう時、とても臆病になる。慎重と紙一重でいわく言い難いものだ。年寄の冷水などと言われないよう、安全な策を選ぶ。いままでずーっとそうやって来た。

結局、選んだ方法は、悔しいけれど一度見きったプラロックを小屋に取りに行き、セットし牽引した。幹は宙に浮いたので、今度はロープを二股の反対側に人力で弾いて、ようやく外した。ロープを使うことにより、危険エリアから離れて客観視しながら作業するので、安心感が高まるのだ。あとは余裕をもって玉切りと片付け。

たったこれだけで汗だくの2時間だった。誤算は、枯れ木の上部の枯れ枝がすべて頑強に強度をもっていたこと。だからいつもことごとく二股にかかってしまって倒れない。わずか50cm余りの伐倒方向ミスだったが、侮れない距離だ。

■棚を作る



今日の仕事はもう一つ、棚増設だった。床に置くものをできるだけ少なくすることと、増やした寄贈書を補完するスペースだ。ヨグマタ・相川圭子氏の本もそこに載せ、わたしが今日持参した内山節氏のシリーズ物など20冊を加えた。ホームセンターを2,3軒見て回って最安値を求めた結果、棚二つが2000円でできた。コンベックスなど使わず、水準器と電気ドリルとのこぎりだけのいい加減な手仕事だったが、小屋らしく出来上がった。ログの室内は暗いので、ガスランタン、電池のスタンド、それにろうそくの明かりを加えての作業となった。

4月から、シニアメニューに切り替えて山仕事のメインを大島山林から静川の小屋に移した。里山と小屋の維持は細かい仕事が次から次と見つかるから、晴林雨読の生活がほぼ日常化している。9月は最終日を入れて9日通ったことになる。