
| 「広葉樹二次林を手入れした林なんて見たことありませんね」。 道の水産林務部に勤務するた方を静川の雑木林のフットパスに案内した時に話された感想の言葉。 「いい木を伐って、そのくせ期待していた除伐もしないで手入れと称している」「林をボロボロにしていった」。 こちらのふたつは、近くで業者と契約して実施された作業跡の、森林所有者の受け止めだった。これに対して林業行政に携わった別の方は、それが林業活動として普通の姿だとみていた。 苫東方式あるいは苫東コモンズの保育は、林業の技術は使うが一般に言われる林業ではない、と大分前から気づいていた。はっきり言えば造園に近い修景作業なのである。材は結果的に発生するが目的ではない。 だから「枝なんか片づける暇があれば次の現場に移る」とある林業マンは、わたしの仕事を見て少し冷たく言ったものだ。つまり、わたしが主導して行ってきた35年余りの行為は、表題のように「森林の、林業ではない扱い」だったのである。それがこの頃、どうしたらこういう林になるのか、と聞かれる。 なぜ、これを目指したか、それは身近なところで行われる林業や森づくりがわたしのメガネにあわなかったからである。わたしは、こつこつ、ひっそりと、癒されるイヤシロチを目指したのである。庶民がつい行ってみたくなるような風景を、まず小屋の周りから始めた。 |
| 盗難もシカの躯もなし 2026/01/06 tue 晴れ -1℃ 室内-13℃ ■まずは安堵の年明け ![]() 年末年始はマイカーが使えなかったので、年末は 12/17 に小屋番を終え、今日が今年初めての小屋だった。気がかりだったのは丸太の盗難だったが、今のところいずこも無事だった。監視カメラもチェックしたが、対象画像となるものは自分以外になかった。 また、撃たれたシカの死骸も付近にはなかった。オジロワシが二羽、上空を旋回していたがそれだけだった。雪はほとんどなくて、木々の幹や梢には、ハシブトガラとゴジュウカラ、キバシリがいてフットパスを巡る時は双眼鏡を首にかけて歩いた。出会ったのはつがいのようなクマゲラだけだった。 それにしてもかなり寒い。室温は―13℃、ベランダは-1℃で気温差は12℃もある。こういう日は、入口ドアも3枚の窓も全部開放して、相対的に「温かい」外気を入れる。 薪ストーブの灯り窓を掃除しようとしてティッシュに水を付けて吹いたところ、さすがにガラス面で氷となって磨くことはできなかった。作業の意図もなかったし、薪がもったいないような気がして、フットパスを歩いた後はベランダ瞑想でしばし時間を使い、現地を離れた。気持ちのいい新年の雑木林であった。 宙づりの木をさばく話など 2026/01/11 sun 晴 -1℃ 中-6℃→16℃ ■寄贈本の本棚 ![]() 梅田先生からの寄贈本が、小さな段ボール5箱にコンパクトに収められていたのでとりあえずそのまま縦に積んでいたのだが、困ったことが起きた。当たり前のことだが下の方は重みでつぶされて、本の出し入れができないのである。迂闊だった。思い立って、安価な縦長の本棚を探し買い求めて、朝、小屋で組み立て150冊近くを収納し直した(右の黒いボックス)。しかし納め切らず後日ブックエンドでもう一段重ねることにした。 これでライブラリーは550冊あまりが、右から梅田先生、abe-b 顧問、そしてわたしの分と少し雑然とだが木製本棚に一応並んだ。英国田園&風土論など(梅田文庫)、森づくり・技術・自然関連など(abe 文庫)、そして山の随筆・雑木林・フライ・風土など(kusa 文庫)のような品揃えである。ギターは本棚の間のすき間に置いた。 ■宙づりのシラカバを降ろす ![]() 年末からの懸案だった宙づりシラカバを、マーベルプラロックで牽引して降ろした。プラロックは一見簡単そうだが、実は仕組みがまだよくわかっておらず、飲み込んでも一年以上もすればまた忘れる。手順を思い出しながら、ロープとプーリーを2度張り替えて、落下に成功した。 ■トレイルカメラの動画を見ると 数か所に分散して伐りっぱなしの丸太は、その後、持ち去られた形跡がない。まさか、「持ち出し禁止」や「監視カメラ作動中」の段ボール看板が、そんなに効果的とは思えないのだが、実際のところ盗難などはない。 トレイルカメラをリプレイしてみると、昼と夜、キツネが行ったり来たりしているほかは、映っているのはわたしだけだった。ハンターの往来も映っていない。このままだと、「なあんだ、丸太は要らないものでなかったのかい?」とか「捨ててあるものと思ってた」などと、言い訳されるような状況ということになる。しかしこれには一発反論できる。「自分の土地、自分のものでないものは、すべて他人に所属する」「あなたのものでないことだけは間違いない」。従って、無断で持ち去れば、ドロボーということになる。 ただ、コモンズのネーミングがにおわすように、ここ北の地は本州方面に比べ人口密度が低いためか所有権が明瞭でなく、きわめてゆるい共有のような慣行がある。だから、わざわざ「横取りはいけない」という意思表示はしておくべきだった、ということだろうか。いやいや、そんなに甘くはない、とわたしは見ている。 自然体で林に出向く 2026/01/14 WED 晴 -1℃ 中-6℃ ■真冬が少し億劫になって来た まとまった雪が降った13日、夜からはみぞれが雨に代わり翌朝は-8度まで下がったので、路面はすべて凍った。こういう日は山に出かけるテンションが大いに下がるようになってきた。必要な除間伐の山仕事は年末までに終わったから、どうしても片づけるべき仕事がないこともある。 そこで寝床で考えた。わたしは何者にも追われていない、自由だ、好きな時にでかけ好きなことをして過ごしてよい…、こんな呪文を繰り返していた。そうなのだ、それでこそシニアワークである。まさに後期高齢者になりかかった当方は「小屋番」で十分。そこで居眠りをしていてもいい、それが歳相応のウラヤマニストだ…。それでもゆっくりと車に乗って、11時ころには小屋に居た。 ■目に入る光景 ![]() 小屋の室内は十分に冷え込んで、マイナス6度。これは滞在する室温としては寒すぎるし、かといって3、4時間で帰るのなら薪がもったいない。2時間かかってもプラス10℃にしかならないだろうからだ。 そのようなときは薪ストーブを点火しないで林の見回り、散歩に限る。幸い、積雪は2,3cmだ。今日は北に向かう奥の笹道から、林道にもどって小屋を右手に見ながらさらに南下してフットパスの交点から小屋にもどった。2.7kmだった。 写真は途中の林道沿いにある保健保安林。国民の保健のために指定された、制限の多い民有林であるが、その未来に向けて継続させるための制限故に、結果的に手入れを拒むこととなり荒れ放題である。この頃は、もうその辺の事情を逆手にとって、法の矛盾と林業行政の至らぬところを示す見本として淡々と眺めることにした。 また風景としては決して市民が入りたくなるような状態にはなっていないが、腐れ放題の林はキノコの供給地であり野生生物にとっては格好の隠れ場所になっているだろう。それを視覚的にとらえるコントラストのためにも、小屋側はイヤシロチのように手入れする意味が膨らむのである。 ![]() また、小屋の周辺には少なくとも2羽のクマゲラがいるが、この頃、カラマツにうがかれた穴が目立つ。最近はこの穴でよく見るが縦の長さは40cm近い。かなり壮観である。 人跡まれなエリア歩く 2026/01/17 sat 晴 0度 中マイナス8度 ■「まほろばコース」にて ![]() 今朝もログハウス内はマイナス8度。相対的に外より大分低温だから、こんな日はまず窓を開けて気温零度の外気を入れる。そして薪ストーブを点火する。薪が燃えだしたことを確認して、歩く用意をする。今日は雪がないうちに「まほろばコース」を歩く。トップページに寄せた文を以下にコピー&ペースト。 『わたししか歩かない、あるいはほとんど誰にも知られていない、コモンズ内で自称する「まほろばコース」を歩いた。積雪は3cmほど。少なくとも用地買収が行われてからこの半世紀の間、人の手は入っておらず、明治の開拓後でも人跡稀な場所である。そんな手つかずの林が小さな起伏を伴いながら広がる。 かつては薪炭を採ったであろうこじれた広葉樹二次林で、枯れ木や倒木の目立つ山である。風倒木はまとまって随所に見られ、ツルにからまれているものも多々。それらを息絶え絶えとか呻吟などと従来は形容したものだが、実はこれが萌芽再生林の自然であることはわかっている。今日はそんな紋切型のネガティブな表現はしないで淡々と見て歩いた。ここ数年温めてきた思いを前に出し、思い切り気持ちをチェンジした。「荒れ放題もいいじゃないか」。 朽ちていく木々は生命力を表に出した若木に比べれば醜いという表現はできるが、次の世代につながる新しい芽生え、再生の一歩であることも間違いない。そう観察することにして、大人の見方へ一歩を刻んだ。これまでは無理に手入れが必要だと、つなげていた。 しかしどう考えても近々手入れが及ぶ可能性のない林は多くて当たり前なのだ。更新、再生の現実を見据えて、そこに利活用の仕組みが加わると地域の環境は変わるのだが、そのために越えなければならない前裁きは気が遠くなるほど過大だ。だから、一方で朽ちて、一方で萌える、そんな自然状態が続く。』 ■「まほろば」の今 ![]() まほろば、とは、20年ほど前にエゾシカが一頭息を絶えていたカラマツのくぼ地のことで、なぜシカがここを選んで死んだのかを不思議に思って見渡すと、静かで美しい別天地だったからである。シカでも最高の場所を探すのか、と、わたしのなかでは厳かな特別な風景として心に刻まれた。それ以来、ここに至る踏み跡のないフットパスを「まほろばコース」と呼ぶようになった。 テープだけがところどころに目印としてあるだけだから、普段は人々の眼にも止まらないナチュラルコースだ。草丈の低いミヤコザサの土地だからこそ可能なウォーキングである。一昨年秋につけたテープは、しかしひとつも見つからなかった。小屋を出てから約1時間、、まほろばに着いたが、見下ろすくぼ地(写真)は、やはりカラマツの風倒木が重なっていて、往時の面影はもうない。 根雪になるのか、林道閉鎖 2026/01/21 wed 0℃ 中-10℃→プラス2℃ ■大寒に突入し雑木林に本格的な雪降る ![]() (まず、トップページのコピペから) 大寒の声に合わせたかのように、今朝は自宅玄関脇の温度計はマイナス11度を指していた。この寒波は天気予報でも予想されていたので、あまり寒かったら山仕事はやめようかと、寝床では少し日和見状態だった。しかし、夜明け前の東の空は今年で一番の、雲のない快晴、拝みたくなる茜色が見えた。これは行かねば…。 ところが現場である苫小牧の東はずれ・静川は積雪が25cmもあって、かつ林道入口は除雪車の排雪で封鎖されていた。それをスコップで排除してひと汗かいてみたものの、先行車がなく、やはり途中でスタックしても大変だ。おもむろにスノーシュウを出して歩くこと30分。ソリにチェンソーなどを積んでの人力牽引だから、50mほど歩いては休んだ。 そして小屋。ふっかふかの雪だった。 ■生き物が俄然動き出した エンジン音もたてずに雪道を歩くと、エゾシカは無警戒に群れで林道に居た。原野のススキの原あたりで餌を探しているのか、足跡は無数に林道を横切っている。小屋前の整理した枝は、ナラといわずシラカバといわず、ことごとくシカの食痕がみられきれいに食べ尽くされている。もちろん足跡だらけだ。 ![]() 考えてみれば、一夜にして地面の餌が消えたわけで、地上に出た枝先には小粒とは言えあと数か月後には萌える植物の源基が眠っているのだから、これらが餌にならない訳がない。スノーシューで林を横断していると、雪面から飛び出た若木たちはことごとく新芽を食べられていて、これでは更新できるわけがないと思わざるを得なかった。 ちなみにイギリスには「ポラード仕立て」という広葉樹の更新方法があるが、シカが食べられない地上1.5mあたりで伐って萌芽させるのである。わたしは今から14年前、ロンドン北部のエッピング・フォレストでこれを見た。胆振でもこの方法を試す必要が出てくるのか。 それにしても寒い。マイナス10℃の室内より、日の当たるベランダの方が温かいのは当然である。とはいえ、フリースの上に、小屋に常備した厚手の羽毛服を着て椅子に座る。そして、高齢者特有の「ボンヤリ」である。何を考えるでもなく、目に映るものに集中するでもなく、なにか過去を思い出すでもなく、静かさの中の平穏に身を任せる。 聞こえるのはクマゲラ2羽のドラミングだけだった。恍惚とは言わないが、無為自然、大袈裟にいえば梵我一如など、とにかく若い時には考えたことがない境地に浸る。傍から見たら、ボケたのかと心配されるかもしれないが、もうその境界は自分でもわからない。 冬の森林公園 2026/01/24 sat 晴 -2℃ ![]() 今日の林の walking は高丘の森林公園に出かけた。車で5分くらいだから、近所の散歩に飽きたらここに限る。結構、ファンがいるから尾根筋の径はこなれていて非常に歩きやすい。二組3人と出会い、挨拶。枯れ木も大木も樹種様々に、放置されてただ「生えている」感じはすごくいい。 ![]() エゾシカはだいぶ慣れてきて、餌付けもできそうなくらいである。奈良に行くと奈良公園のシカと北海道のエゾシカとどちらが幸せか、とよく冗談交じりに考えたものだ。はたして、北の地で命がけで冬を越すエゾシカではあるが、自由とスピード感ならエゾの方も負けないだろう。 その足で、かつて静川の小屋周辺の手入れをして来た、会友のSさんを病院に見舞った。Sさんは会話ができず反応もまばらな時が多かったので、今回は話題が共通する静川の小屋周辺の画像を2枚用意していった。小屋の赤い屋根は、足場を組んでSさんと二人で葺いたもので、保育地と小屋周辺はもっとも思い出が深いところだ。そんなことも考え、紅葉時と今週の雪の小屋一帯の写真を見せたところ、一瞬反応した。「わかる?」と聞いたのに対して、わかる、とかすかに頷いただけだった。山づくりは様々な担い手が、時折は途切れながらつなぐ、と言うことであろうか、それが正解だろうと思う。最後は縁がどれだけ深いかという点に尽きる。土地との縁が風土保全の隠れたチカラになる。 冬の雑木林を歩く人 2026/01/28 wed 晴れ -3℃ ■冬を歩く ![]() カナディアンのスノーシュウを履いて大島山林を歩く。積雪は苫小牧よりずっと多く30cm程度。カナディアンは、ジュラルミンのかんじきタイプよりも長く雪面を滑らせるので太ももを持ち上げる負荷が少なくて良い。 (*スノーシュウは道北・鷹栖に住むカナダ人・ダニエルさんのハンドメイド・クラフトである。小柄の日本人に合うよう、やや小ぶりに作ってあり、パートナーの kyouko-wan さんとはわたしが管理人をしていたSNS「どっとねっと」のメンバーとして知り合った。二人が手がけた犬ぞりツアーは今も海外に人気だったが、そのダニエルさんが今月初めに亡くなったと聞いた。これからスノーシュウを履くたびに、いつもあの早口の英語でべらんめえのようにしゃべるダニエルさんを思い出すことは間違いないだろう。合掌) こんな積雪なのに山林内のほとんどに踏み跡がある。町内の人たち数人が毎日歩くためだ。緑の季節よりもむしろ冬の方がよく散策者と出会う。ダニや蚊を嫌ってのことだと思うが、蚊がまったくいない年など、歩かないのはもったいないので「今年は蚊がいないよ~」とわたしは余計なお世話でふれ歩いたりするのである。 靴の踏み跡はさりげなくていい風情なので、作業でスノモで圧雪したりするときに、無骨に感じないか、ウォーカーに聞いてみたことがある。歩くスキーの人たちなどは、他の利用者の足跡がトレースをこわすことを忌避するからである。 「スノモでフットパスに跡を付けられると気分悪くしません?」 「いいえ、助かります!」 それ以来、できるだけ、メインルートのトレースを心掛けるようにしている。 ■スノモ、傾く スノーシュウで一回りした跡、スノモのトレースをすることにした。スノモのエンジンをかけてみると一発で始動した。リレーやバッテリーなど不具合があって始動できない期間があったのだが、どうやらスノモ担当が処置してくれたようだ。 ![]() 林内は、歩いてもスノモでも、とても明るく快適で、思えば毎年いつももう早春の陽気がきたなどと浮かれる頃合いだ。そんななか、サワシバの枯れ葉が美しい。 ![]() ノーマルなフットパスを巡り終えて最後に池から遠浅川に沿ったルートも、と欲を出して間もなく、倒木をよけたつもりが池に落ちそうになって進めなくなった。重心を左側に載せて発進させれば脱出できそうだったが、倒木と灌木が邪魔をしているので、無茶をせず仕方なく座席の下に入れてある鋸をだして伐り始めた。驚いたことに雪の下の池は凍っておらず、防寒靴を濡らしてしまった。 小一時間奮闘してようやく脱出に成功した。スノモでは横転したことなどトラブルも何度かあるけれども、短気を起こさないで用心深く対処すると意外とうまくいく。脱出作業中、遠浅在住のメンバーにSOSを出そうか、とも考えたが、あとあと年寄りの冷や水などと笑われるかも、などと予想して踏みとどまった。 ■山仕事と住民のつながり 脱出したその足で、今季、若い人たちが徐間伐しているエリアに顔を出してみると、大分順調に進んでいるように見えた(上右)。平日仕事をしながら、よく通ってきている。 他人の土地で、冬の寒い時期に、近代的装備や重機などもたずに、人力中心で林の掃除をして、薪に使えるものは林から出して暖房を自賄いにして利用する、そこでできたスノモの径をフットパスにして住民が出入りし、徐間伐のおかげで風が通るようになって不快昆虫もいなくなる林は、地域に快適な憩いを提供する場に変わりつつある。 そこには「さりげない」「多様な人が行き来する」「営み」がある。これが他人の土地で、無償の、GDPに表れない価値を生んでいる。こういった関係性を時間的空間的に眺めてみると、なんだか透明な、無味無臭のプロジェクトのように思われる。それを少しだけ活字にして残してきたのが、この「雑木林だより」である。 30mごと休み休み40分で小屋に着く 2026/01/31 sat 曇り 2℃ 中-6℃→+6℃ ■苦行 ![]() まずは今日の小屋番がいかにつらかったか、スノーシューの雪から書いておこう。ツボ足では深すぎる雪、スノーシュウもこの状態だった。行きも帰りも重く、スノーシューにたっぷりの雪がついてしまうのだった。 林道は車で行けば4,5分なのだが歩けば恐らく15分ほど、それが冬になると少なくとも30分、雪が深ければ5,60分となる。特に帰りは雪温がさらに上がって、踏み跡があるのに難儀した。しかし、学生時代の奥手稲の小屋番は片道3時間くらいが普通だった。たっぷりの新雪をシールを付けたスキーでラッセルするのだから、今となればまるで遠征気分である。 今や、もう歳も違う。だから20m、30m歩いては一息つくアプローチをよしとさえすれば、尺取虫のようにいけばよい。そう言い聞かせて小屋へ。なに、急ぐ用事ではない、休めばいいのなら休めばいい…。心掛け次第でかくも違うものか。しかし、いやいや、長い時間だった。 ■シカの影 (トップページから一部コピー) ![]() 安平や厚真はたっぷり雪が降って、小屋ちかくも40cmほど積もった。今日の小屋番は林道入口からスノーシューを履き重い雪をラッセルし延々40分歩いて小屋到着。あたり一面雪原に変わり、雪面から出た稚樹や枝枝は軒並みシカに食べられている(上左)。 小屋の裏はシカのねぐらになった形跡(上右の手前のでこぼこ)があった。前回の降雪でわたしが片づけた伐倒木の枝にシカが集まっていると記録したが、今日はさらに足跡が増え、ねぐらはシカの晩餐の跡のようにも見えた。もうまともな食べ物がないのである。 トレイルカメラで確認すると、案の定、一昨日の1月29日の夜に、シカの移動が見られた。せっかく萌芽更新した新しい枝を必ずのようにシカに食べられてしまい更新がうまくいかないと嘆いている身だが、餌になるものがことごとく雪に埋もれて齧られた枝をを歩きながら見ているうちに、少しだけシカに同情する気持ちが芽生えてきた。「これじゃ、生きるために食べられても仕方がない」。 それにしても不思議だ。彼らは何故、毎年のように小屋のそばで寝るのか。小屋のそばは撃たれないと感じているのか。もしそうだとすればそれは素晴らしい見上げた本能ではないだろうか。あるいは里山的な手入れでは必ず「餌になる枝がある」と見込んでいるのか。 こうなると、わたしとしてはかつてのように餌付けしたい気分になるのである。 |
| 好まれる風景、失われる風景 2026/2/4 wed 1℃ 快晴 ■雪道の散歩人気 ![]() 1週間ぶり、今季2回目のフットパストレース。ブルーテント前で出発の準備をしていると、コナラのフットパスから柴犬を連れた女性が出てきて挨拶をかわし歓談。犬と散歩する方はたいてい冬だけだ。夏期の林の散歩は犬にダニがついて大変な目に合うからである。自宅は床屋さんの裏なので、玄関を出てすぐコナラの大木から歩きはじめるという。散歩には絶好の位置である。スノモのあとは歩きやすいと語っていた。 大島山林はどちらかといえば平坦な地形だが、細かく言えば沢も坂もある。そのような場所は平坦地とは見え方が違って、正確に言い換えると個人的に好みの風景に見える。上の場所はコナラのフットパスの中間にある三差路で、正面は3年前に手掛けた保育あと。わたしが立つこのポイントにはかつて大量のシカの足跡があり、まるでパーティでも開いたかのようだった。人の好きな風景というのは、シカの安全と関係するのかと、その時は考えたものだ。 ■変化する地形、失われる植生、激変する風景 トレースの後、静川の小屋に行くために今日は柏原を通ってみた。北海道開発局から受託して担当した柏原試験地は造成して50年が経つ。その南はかつてE-6地区と呼ばれた工業用地で、今、あらたに注目のデータセンターが建設されようとしている。そしてウイスキー工場、さらに南ではかつての広葉樹二次林が切り開かれて、別の工事が始まっている。そしてその南は200ヘクタール近いメガソーラー。営業しなくても土地が売れる苫東の柏原の現状である。 工業用地というのはあらかじめ土地の改変をして産業を立地するために用意されていて、都市計画法の用途地域も「工業専用地域」だから、工事が行われ施設が立ってもそれはもともと予定されたことである。それでも元の地形、元の植生を知るものにとって、頭の中の記憶を無理やり変化させるような軋みがある。改変や変化に対する不安ともいうべきある感覚。しかし自然保護というものとちょっと違う。 一般的に、広大な製造施設はフラットな造成地を求めるだろうから、基本的に地形は切り盛りされたりして変わる。そこに木が生えていれば当然事前に伐採される。結果、忽然と風景が変わるのを余儀なくされる。それでも残る心の動き。 一方、地形をできるだけ変えない、植生も可能な限りもとのものを利用する、そのような現況有姿の考え方で造成されたのがアイシン精機と日邦バルブの用地であった。アイシン精機では道路側の法面を1:5のゆるい芝生にして南側の雑木林を敷地に取り込んだ。日邦バルブは 現況有姿(雑木林)の率をさらに上げた仕上がりになっていて、鋳物工場とは思えない緑に囲まれた工場になった。 企業のニーズに合った生産空間を作ろうとすれば、景観の統一性は二の次になるが、賢い用地分譲とは、先見性を持ったエリア区分と同時に、どこかに別天地型の贅沢なエリアを設け、企業人が憧れるようなインフラと景観を提供することを望みたい。苫東の柏原なら、今、それができる。分譲する側の、雑木林の価値評価が決め手になるような気がする。 楽々、アクセス 2026/02/07 sat 快晴 -4℃ 中-12℃→10℃ ■篤志家メンバーの除雪 ![]() NPOの掲示板で、小屋番(当方)が深雪で難儀していると知った会員の yamaok さんが、2/5 に連絡をくれて 2/6 には除雪をしてくれたようだ。が、こんなにきれいにパーフェクトの除雪をしてくれるとは思っていなかった。以前、事務所で見せてもらったスズキ・ジェミニに排土板をつけた、割とシンプルでコンパクトなものだ。それが積雪40cmほどある林道を、小屋のベランダ前の階段までしっかり除雪してあった。雑木林センターがまるで公共施設のような扱いにランクアップした感じだ。ありがたいことだ。当分の間、あえぎあえぎでたどり着くのを覚悟していたから感謝しかない。 ![]() 11時ころ、その本人がやって来た。除雪はしたものの途中でスタックしていないか心配だったので、という。平木沼の結氷状態、シカのねぐらの話などもして北の方へ向かった。わたしは薪ストーブに多めの薪をくべてからスノーシュウで周辺を巡回した。春のやや固雪の上を縦横に雑木林ウォーキングすることほど愉しいことはない。 ![]() 「木になるベンチ」周りにもシカたちのねぐらがあって、雪を掻き起し落ち葉を食べている様子がうかがえる。ここに来る前、国道沿いの海岸段丘の南斜面は雪が解け始めて地面が見えたが、案の定、一帯はシカが転々と張り付いて何かを食べていた。 ■林がもっとも美しい季節に ![]() 雪は閉まっていてスノーシューの跡がつかない。例年通り、立春を過ぎたのでもう春の日差しだ。2月から雪が消えるまで、林床の猥雑なものすべてが姿形を消すので、林は樹形とその影だけが強調される特別な時期である。ひょっとして雑木林が一年で最も単純な美しさを見せる時間ではないか。 室温が-12℃からようやく+2℃になったころ小屋にもどって、背中をストーブであぶりながらボンヤリ過ごす。本当にボンヤリと何も考えずに、ひたすらボンヤリといる。かつてなら、「居る」以上何かをする、という暗黙のしばりのようなものがあったが、すべては整えられ、準備されているから、何かをする必要もない、思い煩うべき心配も差し迫った懸案もない。あっても列後に回せる。結果、ボンヤリが可能になった。だからボンヤリは恵まれた年寄りの特典といえる。 朝方、目を覚ました時に枕元の『古事記は日本を強くする』(中西輝政・高森明勅共著・2012年徳間書店)を再読して大きな感銘を受けた。今日は小屋にもってきたので、薪ストーブを背にして窓辺で読んだ。 大きなオスジカの群れに遭遇 2026/02/12 thur 晴れ 0℃ ![]() 大島山林にフットパスのトレースに出かけた。雪はすこししまっていて、walker は快適そうにすべてのルートに足跡を付けていた。 奥の昔の作業場跡あたりで急に黒い生き物が立ち止まってこちらを見ていた。10mちょっとだった。大きな角のあるオスジカばかり9頭だからちょっと威圧感もある。スノモのトレースは縦横におこなうから、この群れとは3回出くわした。もう本気で逃げないが、ある距離になると一斉に飛んで行った。 それといつものように、上空はオジロワシである。トレースを終えてから現在若手会員が手掛けているエリアにポールをもって巡回した。あわよくばシマエナガにでも出会えたら、と双眼鏡を首にかけて行ったが、小鳥は気づかず、目に入るのは烏だけだった。今日はずいぶん多かった。 静川にも回ったが、林道のわだちが深すぎてスタックしそうになるので、途中からバックして戻ってしまった。過去の苦い経験は、時に蛮勇を正しく抑えることもある。 小屋時間とはなにか 2026/2/14 sat 晴れ 4℃ 中ー4℃ ■除雪サポート隊来る ![]() 一昨日は深い轍にたじろいで車は林道途中で敗退した。今日はやはり安全をとって林道入口から歩いて小屋番にきた。かかった時間はたった17,8分というところで、さすがに除雪後だけにノンストップだから、早春の雑木林walking は例年の如く夢のようだった。着いたベランダの温度計は、あたりが温められたのか、18℃と表示されていて、-4度の室内よりはるかに外の陽だまりの方が温かい。薪を焚くのはやめて、ベランダの椅子で林を眺めて時間を過ごす。 ややすると、ジムニーのyamaok さんが北の方からやって来て、わだちの凸凹をさらってあげるという。願ってもないことで、しばらくしてから車を取りに戻って小屋に横付けすることができた。雑木林センターはこのようにして土地の昔を知るいわゆるコモンズ風土会員の依り代になりつつある。 ■萌芽食害と、生態学に基づいた緑化のその後 ~自然復元力を見誤り、そしてまだ定着していない緑の工法~ ![]() 車からスノーシュウを出して、北電の線下地の萌芽を見に行ってみる。切り株から萌芽した芽はことごとく食べられてこじれていて、林になるどころか、藪にもなれない状態である。これが野生生物の自然であるから、食害の加害者たるエゾシカの密度をさげるか、冬季間の食料を確保するかしなければ、再生しようとする樹木が育つ環境にならない。(だから言葉は悪いが、徹底的に放置して成り行きに任せる、何もしないで放置する、というのがここ勇払原野の本筋ではないかという気がしている。) そこにひとつの考え方がありうる。それは左の写真のようなキタコブシを密生させてしまうこと。エゾシカが嫌うこのコブシは苫東あたりではどんどん更新してくるから、伐採跡地はいったんキタコブシ群落で密生させて、その林床にナラなど本来の地域の植生を復元するのである。 というのも、実際に伐採した後はコブシ群落かシラカバ群落かに変わっていき、閉鎖された状態では食害がストップするように見えること、さらに、そのようにできたであろう植苗や厚真の広葉樹林は、やがて立派にナラ類を交える「雑木林」に移ってきたからである。 一方、生態学を基本にした復元緑化が今から3,40年前は唱えられていて、鉄塔敷地など、保全緑地で林を切り開いて設置する敷地周りは、林縁を保護するという目的でマント群落を形成されるよう設計された。ところが、工事の性格上、植樹された樹木を成長させるためと称して、植栽木の周りに生えてきた実生のシラカバやハンノキ、コブシなどを、下刈りという名目ですべて刈り取ってしまうのが通常だった。お金を投下して緑化したエリアより、放置された作業道などに実生の天然更新が盛んだという逆説が普通に見られたので、実は一目瞭然だったのである。 わたしは道庁が主催する植生復元の委員会に参加していたので、このことを指摘してむしろ天然の植生復元力を見込んで積極的に放置すべき、という意見を述べて了解が得られた記憶がある。当時、オダム生態学を学ぶ人も多かったが、杓子定規なオダム理論は現場を無視していないか、という反省も出ていて、委員会の結論はそれなりに当時の方向性にのっとっていたようだ。 写真右は、そんなことは何事もなかったように、植えたもの以外の樹木が自然に更新している。地域の植生復元力をよく見定めるということの重要性は増すばかりだが、これからはさらに勇払原野方式などと銘打って何もしない緑化、植生復元をもっと理論的、実証的に「経験知としてまとめておく」必要がある。百聞は一見に如かず、だからモデル林でもよい。 ■日向ぼっこの小屋時間 ![]() 昔の山男なら多くがあこがれた小屋番。今わたしはその小屋番の時間をほしいままにしている。接客をするわけでもないので、小屋の世話をするのが役割だが、何もしないでも一向に誰の迷惑にもならない。若いころなら静かな小屋で本を読もう、などとロマンチックなことも考えただろうけれども、この頃はその必要性も必然性も感じなくなった。 結果、ただひたすらボーっとするのである。少しも褒められた話ではないが、なにか気の利いた表現はないかと考えてみた。「季節と向き合う」「季節と語る」「雑木林との対話時間」などというのもよい。勇払原野の産土(うぶすな)を感じるようなら、原野スピリットとの接点だろうし、元気がえられるならパワースポットになっていることも考えられる。逆にいえば、原野のスピリットを感じるためには、ひたすらボーっとする必要がありそうなのである。心頭滅却して、勇払原野の魂に触れるのである。きっと小屋時間とはそれではなかろうか。 とにかく小屋というのは、その土地のもつ雰囲気を自分、あるいは一部の共感する仲間たちと共有する空間としてカスタマイズしていくこと(営み)のようである。 小屋時間は冥想時間 2026/02/20 fri 快晴 ベランダ12℃ 小屋-2℃⇒12℃ ![]() 大島山林のフットパストレースは、スノモのエンジンがかからず、やむなく断念した。 小屋へ回ると林道はまだ車が通れた。もうすぐ水たまりは雪解けで池状態になって、いく手を阻むのだ。今日はラッキーだった。歩かずに済んだ。 春の日差しが厳しくなった。昨秋伐倒した木は雪の下で、積雪は40cmもある。これでは木を伐る仕事はしばらく休みだ。そうして生まれる無為の時間は、ゆっくりとベランダでその日差しをあびて冥想である。何もしないでいられるというのは、恐らく成長か成熟だ、と思いたい。 ![]() スノーシューで林を巡る。厚真側の林内は実によく倒伏している。これからこのエリアに手入れをしていくつもりだが、1,2年の間に、どう片づけたらよいか、思案しながらのミニツアーである。思案は「試案」でありひょっとしたら、生きるうえでの希望になっていくのかもしれない。片づけてこぎれいな風景を創りたいと本気で思っているからだろう。作業には終わりがない、ということがすごい。そのかわり、いつ中断してもいい。まるで人生の晩年のようだ。そして手を離した途端、自然はもとに戻る。 役割の分担 2026/2/21 SAT 晴 4℃程度か 午後から大島山林の作業テントで運営会議。理事会にかける前に新年度の事業計画や予算、その他の懸案をやりとりした。いろいろな役割が代表に偏りすぎていないか、などの指摘もあったせいで、分担の見直しも少しだが行われ、肩代わりの申し出もあった。小さな組織だが一応は地域の中の社会的な法人でもあるから、それなりに雑務もあり見過ごしてしまう不備も隙間もある。各人がそんな隙間を埋め互いに世話役の目線を育てながら、本業とも折り合いをつけつつ動いている様子がうかがえる。 設立して16年を経過した。会員もかなり入れ替わったが、善意の持ち寄りで成り立ってきた慣習は続いている。70歳以上の会員も体力の許す範囲でチェンソーを使った森づくりの作業をしている。高齢者も立派な働き手として、期待され期待に応えている。ただ無理はせず相応のもので良いのである。人手不足などとしゃくし定規に嘆く前に、生涯現役の心づもりこそ、時代に即した知恵ではないかと思う。 林道の雪解けすすむ ~今季最後のスノモのトレースか~ 2026/2/25 wed 晴れ 4℃
![]() 午前10時、スノモの不具合点検でバイクやスノモのメカに詳しい会員yamaokさんと待ち合わせ。そこへ、偶然、札幌のsasakが顔を出して、電気系統を中心にテスターやポータブルバッテリーも駆使して調べる。sasak さんはこれまでもよくスノモをフォローしてくれた人だ。今日は早朝に連絡があり、わたしの木灰を引き取りに来たようだ。 不具合の原因はさらに詰めてみないと判明しないが、一歩前に進んだことは確かだ。専門業者に携帯で車台番号を告げて在庫の有無などもその場で判明していく手早さは見事である。牽引部分の破損は、仕事で使っている溶接機材で対応可能だとのことで、シーズン後引き取って作業してくれることとなった。 できるだけ自賄いして間に合わせる。車はおろか宇宙空間で人工衛星の故障も平気で修繕できるというロシア人の伝説的な話を思い出すが、ローカルな小さな団体では当然で、自然なことのように見える。このステージでは、知識も腕もないわたしに手助けできることは残念ながらほとんどないが、この道が得意な人とコンタクトをとってつなぐことだけはできる。 修理の打ち合わせが済んでから、スノモでフットパスを回る。広場は一面の雪原だが林道は地面が見え始めたから今日が最後になるだろう。落ち葉だけでなく雑多なものが顔を見せ始める。 今日はこの足で早来の図書館に行って、ハスカップ自生地に関する安平川の洪水と治水対策の経過について資料を探した。遠浅の歴史も一読した。かかわりの深い郷土あるいは風土のことを紐解くのは格別にいい時間である。歴史の末裔の端っこに今の自分がいるという位置づけは、生きる意味ともつながるようだ。 遠浅の開拓期のこと 2026/2/26 thu 晴れ 日中は3℃ 昨日の早来町の図書館(まなびお)で町史を開いた項目は、ハスカップ自生地と安平川の氾濫と治水関連、そしてコモンズのフィールドのひとつ「大島山林」の開拓のころの歴史だった。後者の遠浅については、明治20年代に初の入植者が入ったようで、山形から大島清吉氏が土地の払い下げを受け大島牧場を開設したのが明治30年代初めだと記されていた。 一帯は、安平川と遠浅川にはさまれた地域で、当時の自然状態はみごとに湿地の連続で、そこへわずかな資本で排水工事を施すなどして少しずつ開墾していった様子が余すところなく記述されていて、活字の上ながら昔日の感があった。 大島清吉氏がやはり同郷の山形県人であることは昔この町史を開いたときに記憶していたが、今回気づいたのは牧場開設時に豚を120頭ほど飼育していたことと、それらがドングリを食べてよく成長したと記されていることであった。ドイツやイギリスの文献を読むと、豚を太らせるため秋になると林に放してドングリを食べさせたという話がよく出ているのと同じ光景が、ここにも広がっていたことである。 50年近く前に大島山林を初めて訪れた時、放置されていたはずの林が、樹齢が若い割にとても清々しい雰囲気を持っていたのを覚えているが、わたしは牛か馬を放して混牧林に使われていたと勝手に想像していた。それが牛馬でなく当初は豚であった、ということである。もちろん、後年、一帯は雪印乳業の前身となる企業が商業チーズを国内で初めて生産したのだから、大島山林も昭和時代は乳牛を産していたことは想像できる。 また、当然ながら生業として薪炭業、つまり炭焼きも盛んだったから、いわゆる林業も行われた。今でも炭焼きの窯の跡が斜面の一部を利用して残されているので名残をしのぶことができるが、わたしたちコモンズが12月の山の神の日に池のほとりのドロノキに参拝することにしてきたが、5,6年前からはドロノキの次に遠浅神社も参拝するのが習わしになったが、なんと、この神社も当時山子(やまご)の安全を祈願するために山の神を奉祀したのだと知った。 手入れしている林の近くの神社なのだからお参りしておこうと、単純な動機で始めた行事だったが、正解だったわけだ。大したけがもなく、素人の山仕事を続けれているのも、そのご利益かもしれないと思った次第である。 |
| 雪解けの林を歩いて 2028/03/01 晴 4℃ 中0℃→22℃ ■冬は終わったか ![]() いよいよ春めいてきた。運よく、林道は低みでも大きな池ができておらずスムーズに小屋に到達できた。久々に薪ストーブののぞき窓を水を使って拭いてから、気温零度は脅威でもなくなってゆっくりと赤い炎を作り出すことができた。結局、4,5本の薪で小屋にいる3時間余りの間に22度まで上げた。 小屋番らしい仕事といえば、焚き付け作り。ストックしておいたカラマツの細枝を細かく折って、小枝専用のバスケットに収め、少し太めの焚き付けはフットパスから大枝を引きづって来て折ったり切ったりして、これも別の容器に確保した。これで連休ころまで大丈夫だ。 ![]() 林内もあらかた雪が消えたが、ウォーキングのストックの先は2,3㎝下の凍結した地面にカツカツと当たって音がする。林道の低みに水たまりができなかったのは、つまるところ積雪が少なかったということだろう。こうして歩くとまた、この秋に伐っておきたいと思う木に出会う。うれしいストックのような気分になるから面白い。 ■林の落ち枝とアイヌ民族の燃料、そして更新 ![]() 歩いていると、地面にはおびただしい量の枝と出会う。この冬の間の落ち枝だけでも随分な量だが、これらはすべて燃やせるものだから、いわゆるエコな燃料である。アイヌ民族の話では、燃料には事欠かなかったというから、たしかに村落の周りを囲む広葉樹林では、拾っても拾っても落ち枝がみつかったというのは当然だ。落ち枝は生木の可能性もあるから、戸外で少し干せば間に合う。しかし、いわば煙突のない室内の焚火だから、目がやられる。ネパールの山の中の住居と同じだ。みんな赤い目をしていた。 この春の藪だしのルートを探りに歩いた帰り、北電の送電線下を観察して戻った。皆伐の跡だから、本来ならおびただしい萌芽更新がみられるはずだが、これがほぼまったくと言っていいほどない。あるのは、写真右のようなシウリザクラと、いつものキタコブシだけである。 このようなことから、古来、シカが多い勇払原野の広葉樹の更新は、萌芽枝の食害を考慮し2段階を考えてみてはどうか。まず、シカが嫌いなコブシやシウリザクラの叢生を誘導し、ヘクタール1~2万本くらいの若木を作ってから、天然下種や萌芽の再生を待つのである。 ナニワズ、つぼみ顔見せ 2026/3/6 fri 晴れ 壁14℃、中4℃ ![]() 比較的楽に小屋へアクセスできた。水たまりも例年のようにひどくない。 雪がほぼ消えて、ナニワズが顔を出した。不思議なことにこの青々とした緑を、シカは食べない。大体が、コブシなどハーブや薬草系のにおいが嫌いで、ナニワズの場合はジンチョウゲのにおいが薬草に近いのだろう。常緑のフッキソウも食されない。ナニワズはもうすぐ開花だ。 それに引き換え、今のままではミズナラ・コナラ林は継続できない、つまり保全できない。きょうも送電線下地の皆伐跡地を見て回ったが、完膚なきまで萌芽枝は食べられている。毎年繰り返されて、50cmを超えられない。これは深刻だ。やはり、コブシとシウリザクラのブッシュ作戦か。それとも柏原の小面積皆伐地にあったような、萌芽枝密生作戦か。 ![]() きょうの小屋の風景は早春のいつものものだが、ササや落ち枝いっぱいの3月は、一年でもっともごみごみした時期。落ち葉や雪で林床が全く隠れないでむき出しだ。 小屋に向かう車中に、yamaok さんから連絡が入って、スノモ修理のために軽トラでj歌謡の作業場に搬出したとのこと。仕事が正確で早い。このところ、除雪もスノモもおんぶのしっぱなしである。 news letter 『勇払原野のspirit 』の出番 20266/3/9 mon 晴れ 5℃ 昨春NPO の代表を降りてから、それまで半分はこの法人の広報誌として制作していた news letter を、個人的な発信に切り替えた。この方がより自由なコンテンツを発信できると考えたのも理由の一つだが、もうひとつの動機は、勇払原野の魂のようなものが、会員個々に共有を求めても無理がある、とわかったからである。それほど、勇払原野にかかわった年月も角度ももちろん動機も違いすぎたからであり、それこそ無理からぬ話であった。 設立時、苫東コモンズがうたった「勇払原野の風土を共有する」という精神のもとで、コナラを中心とした雑木林とハスカップの見守りを続けるというミッションは、もうわたしだけの課題と割り切ってしまえばいいことが自然とわかってきたのである。だから、これらは単に自分事として向き合えばよいことになって、それらは「コモンズ」という土地の問題に収束されてきて、日本という国のあり方にまでつながっている懸案でもある。 そんななか、この2,3日、思うところがあって、ホームページのトップの「日々迷想」に下記の書き込みをした。このような問題意識を、これからの news letter に綴っていこうと思う。 「ハスカップの自生地が、安平川の治水が成功したために近年まったく洪水が起きなくなり衰退し始めている。一方、勇払原野あたりが群落の北限とされる(ミズナラ)コナラ林が、シカによる萌芽枝と実生の更新若木が食害されつくされることによって、今のままでは後継樹が育たずこれまでのように将来に向けて群落を継承できなくなりそうだ。わたしは今、雑木林のフィールドに小屋番として通いながら日々そんなことを考え、少しずつ、調べものを始め対策を思案している。しかし、ほしい資料にはなかなかたどり着けない。かつ妙案はまだだ。 NHK番組「タモリ・山中のびっくり・はてな」(3/7)は「神様仏様だのみ」がテーマだった。番組は地震が神頼み、疫病が仏様頼みにつながったと推論し、当時の人々がどうしようもなかった災害について、1000年の時間を経て歴史家と紐解いてみせた。やはり日本の成り立ちから言ってどうしようもないことって、ありうる。鴨長明はそんな世を『方丈記』であきらめの哲学で文学的に開陳した。ほうぼう歩きつづけた鴨長明の庵を日野の山里に尋ねた数年前の歴史旅は強烈だったが、今日はその諸々の歴史のコマがつながって見えた。ひょっとして、ハスカップもミズナラ・コナラ林の存続も、人間側として簡単には解決できない、自然だけでなく地勢も含めた風土の傾きなのか、と思ってしまうのである。」 *以上2026/3/6 日々迷想から 勇払原野の広葉樹萌芽枝はすべてシカに食べつくされるのか 2026/3/11 wed 晴れ 6℃ ■皆伐跡地4か所を巡る ![]() シカによる萌芽枝の食害は、広葉樹林の天然更新と再生にとって致命的な打撃を与えている。苫東会社がミズナラ・コナラ林の経済的利用を始めた当初から、シカの食害は顕著で懸念されていたため、平成30年の受託調査で保育跡地の全箇所で萌芽状態を調べ上げ、その果は、択伐エリアは無論のこと皆伐エリアも再生の見込みは持てないという暗澹たるものだった。そして現状は、シカの生息数の増減データは今は手元にないがさらに悪化しているようだ。2/14 の北電線下地の下見でも伐採後10年以上経過するにもかかわらず、まったくブッシュを形成していない。 それでは主だった皆伐跡地をいろいろ見てみる必要がある、と考えた。 まず、イコロの森の沿線の皆伐跡地である(上左)。ブルックスカントリーに隣接して面積は約200haくらいの広さに見える。伐根をしているからここもあの悪名高いメガソーラー建設なのだろうか。すでに伐根が済んだ箇所が圧倒的に多いが、残された切り株を見ると、高さ50cmあたりですべてきれいに食べられている。写真右は、この皆伐跡地の南端の市道沿いで、シラカバが若干藪を形成している。静川小屋まわりではトレイルカメラによると夜間に食べていることが多いので、車通りの多寡と食害が少ないことが相関があるとはちょっと考えにくい。 ところで、やはりいずれもコブシは食害を免れている。シラカバは食べられたり残っていたりする。 ![]() 2か所目は旧植苗病院の裏山(上)である。中央の境界ポールから向こう側は、20年ほど前に皆伐された跡地。この日も眼下に数10頭のシカの群れが走っていったが、当時から目立った食害がなく順調に藪ができ、今では直径3cm~15cmほどのの萌芽再生林が出来上がっていた。はたしてこの差がどこから来るのか、皆目見当がつかない。 ![]() 3か所目はおととしの小面積皆伐跡地(大島山林)。雪面上に萌芽枝がポツンポツンと見えて、直感的に「これは藪ができる」と思われた(左)。コブシは手つかずで育っているからで、まずコブシ群落ができればそれでもかまわないのだ。 右の写真は8年前の平成30年の小面積皆伐跡地。一部はシラカバの間伐試験に使われたが、1/3は遷移のままだ。多くは直径2,3cmのシラカバやコブシがヘクタール25,000本で生育している。皆伐後4年ほどは電気牧柵でシカの食害を防止しその後撤去した場所である。 大島山林を一巡りしながら、必ずしもミズナラ・コナラでなくとも、いろいろな樹種で林は続くと予感した。たとえ、コブシ林になったとしても、周りは圧倒的にナラが多いから、いずれは徐々にナラの再生もありうる。 ちなみにシカが嫌って食べない樹種がいずれも強いにおいや渋みを持っているが、コブシは漢方のような芳香を放つのに対して、シウリザクラは枝をかんで見ると、苦味か渋みのようなもので舌がマヒする。常緑で越冬するフッキソウは青臭いにおいが強く、春一番に緑を見せるナニワズはジンチョウゲの芳香を持っているから、シカが嫌うものが食べ残されてることだけは確かだ。街路樹や家庭の庭ではイチイがことごとく食害にあっている半面、庭園木や公園樹として多用されるツツジ系は食害がない。これはツツジにシカが痙攣や嘔吐を起こす成分が含まれていると、説明されていた。 ■ガンと白鳥とキバシリ 大島山林も静川もガンとハクチョウの渡りがにぎやかであった。折からの北風で編隊は低空で乱れがちだったが、その数たるやおびただしくやかましいくらいで、しかし壮観である。 ![]() 大島山林から静川の小屋に向かう途中、右田さんの畑に寄った。今年94歳になった右田さんは、春に植える野菜の苗づくりを始めるところで、手伝いのセキちゃんと準備をしているところだった。大型のトラクターを格納して久々の立ち話である。この2年の間に両膝の人工膝関節手術をして調子もよく、そろそろ走ろうかと思っている、と元気のいいところを見せていた。 静川の小屋の雪は消えて、3か月ぶりにテーブルと椅子をテラスに出した。飲み物を出さない「北の森カフェ」の開店だ。カフェを起点にして枝拾いのフットパスウォーキングにでかけて、一周した。今日の歩行距離は約5km。ガンやハクチョウの鳴き声は一日中消えなかったが、フットパスでは久々に黙って素早く上り下りするキバシリの姿を見た。至近距離でみられる鳥はかわいい。 |