ソローにも学ぶ森の生活

NO.135
2026/07/04

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苫東コモンズ 地域活動15年の歩みとこれから


若いころから色々な訳で読んできたヘンリー・デービッド・ソローの『森の生活』を、今回は漫画版の原書と日本語版で読み返した。昔は少し退屈に感じることもあった訳本だが、今回はどうも違った。秀逸だと思ったのは、漫画に挿入された言葉がソローの漏らす箴言、アフォリズムの詩のような効果を持ち、これまでとは別の直接性をもって伝わってきたことだ。漫画家の言葉選びの巧みさが何割か、しかし、残りの多くは共感を呼ぶそもそもであるソローの森におけるひとりの内観だ。




雑木林のカムイミンタラ

2026/07/04 sat 曇り 22℃

■夏の普請へ



気温は20℃前後、肌を刺す虫もおらず、いや、毛虫はたくさんいるからそうも言えないけれども、ともかく仕事を中断して追い払うような不快なものはいない、そんな意味では林で暮らす適期と言える。

草の伸びが早く、小屋周りで2回目の刈払いをすますころ、地元のSさんが小屋修理用に足場を運んでくれたので、一緒に組んだ。アスファルトのスレート屋根の雨を滴らせるあたりの木舞が腐って、中の防水シートが垂れ落ちている。これをこの夏の間に直しておこうという段取りである。

当たりは一面、フタリシズカの群落。
昼頃やってきた山仲間のO教授の奥様が車を降りてすぐ、かがんだのがこの花だった。「これって、フタリシズカですか?」。自宅庭にはヒトリシズカがあるらしい。教授からは、自然系ではないんだ、と聞かされていた奥様が小屋裏に回ってスドキの花を見に行った時も、どうしてどうして極めて常識的な自然愛好家であることがわかった。用意したシナモンロールで魔法瓶のコーヒーを分けて飲んだらもう1時間以上がたっていた。家族3人、このあと港へ出てホッキ丼を食べたと連絡があった。1時間の列に並んだという。

■夕方の林に魅せられて



新緑後、家路に向かう頃の林が美しく感じる。
陽足がもっと長く感じられる秋口なら、またそれなりに心に残る風景が現れる。もう30年近く前の2月、霧のように小雪が降る寒い日、ひとりで間伐をしているとき、ふと気が付いて目をあげると一面が幻想の世界だった。その時頭をよぎったのが神々の遊ぶ庭、アイヌ語でいうカムイミンタラであった。

白老の人たちの間で「あそこはカムイミンタラよね」などと話すのを聞いて、これは季節を問わず、かつ、場所を問わないことを知った。なにも大雪山のお花畑のようなところだけではないという意味である。それ以来、神々が遊びたくなる空間は、時期、場所を問わずあるという考えが広がり始めていた。

きっと微妙な光線なのだろう。
その冬の瞬間はデジタルカメラに収めても、感動はうまく再現できなかった。今日の帰途、林道で出会った光景も、山仕事帰りのわたしにはカムイミンタラに見えたが、ほかの人と感じ方は共有できないし、勧めもしない。林道に出る前の時間をテラスでボーっとしていたことの延長で、これは「光と時間」の魔法とでも呼んでおこう。


自然の再生するエネルギー

2026/07/08 wed 曇り時々晴れ

■薪を積み終えて

予定通り、約1時間で薪積みが完了してガンタッカーでシートを固定した。これで昨秋からの徐間伐に始まる一連の薪づくりは正真正銘の一段落となった。乾杯の気分だ。実に長い。

しかし、これで来年、再来年の薪はストックをほぼ終えたことになる。こんなに余裕ができたのは、根返り木が予想以上にボリュームがあったせいである。別の見方をすれば、ボリュームがあるから風で倒されるのだ。周辺の木にもたれかかるから、何本かが道連れにされることも影響する。これからは根返り木は作業の安全ばかりでなく、出来上がる丸太の量の計算にも配慮が必要かもしれない。

■モモンガ散策で見た自然再生エネルギー



2024年の秋に行った小面積皆伐跡地に、モモンガ探しの散策3回目で行ってみた。びっくりである。皆伐跡地に芽生える草、樹木もろもろのパワーが総和となってどっとこちらに押し寄せてくる。圧倒的な生命力に圧倒される。



芽生えはやはりキタコブシが目立つが、ナラの実生も見える。冬の間もシカの食害に合わず持ちこたえたものが少なくないことがうかがえるが、2,3年後、雪面を超えて30cm当たりを超えてからどうなるか、遠浅は柏原や静川に比べて被害が少ないのか、見てみなくてはいけない。決して楽観はできないが、コブシの一斉林になるのも悪くない。




毛虫だらけ

2028/07/13 mon くもり 26℃

■一回目の刈払い終了





確か5月末に始めた刈払いだが、ようやく第一ラウンドが終わった。25℃以上あったようで、さすがに暑い。できれば今年はこれで終わりにしたい。

現場はいたるところ、毛虫だらけで小屋周りには蚊がいる。遠浅では、上のような蛾が出てきた。google調べではサラサリンガ。6月初めに見つけた毛虫のひとつがもう成虫になっている。

■鼻隠しの対応



いよいよバールで腐れた部分を剝いで見たところ、屋根からの雨滴を抑えるべく数センチせり出させたうすい屋根材を、折れないように支える役目と判明。

腐れは思ったよりひどく、屋根を乗せたパネルも一部腐っている状態。イタヤなどの日陰となり乾かないのも一因のため、枝を切りつめてみた。これは窓に日が差さない原因にもなっているので、この冬には薪材として利用か。

なんとかできそうだが、今後の修理の方針も含めとりあえず設計者&所有者のK建設に連絡をとり扱いを相談、帰宅後さっそく画像送付。近日中に立会の可能性あり。
社長に「もうすぐ築50年ですよ」と携帯で話すと、「もうそんなになるかな?」と驚いていた。屋根のコケもどうするか、メールに書いた。



何もする気が出ない暑さの中で

2026/7/16 thu 曇り時々晴れ 30℃

■「よど」と「雨覆い」



湿度が高く無風、気温は27,28℃くらいだったが昼には30℃になった。

10時にログハウス設計者のSさんと小屋で待ち合わせし、当方の修理方針についてアドバイスしてもらった。屋根の下部、つまり雨が落ちる部分は垂木の下端の鼻を隠す「鼻隠し」という言葉は使わず、当初わたしが聞き覚えていた「雨覆い」という用語を使った。

また、そこに張られて現在くされ始めているという木舞は「よど」と呼んだ。建築用語らしい。この「よど」の役目は想像した通り、屋根材が雪などで折れないよう支えるためらしい。「よど」を剥すと「雨覆い」に釘が残ってしまうが打ち込んでも大丈夫とのこと。スレートの屋根材を張っているパネルの最下端の腐った部分を張り替えてもいい、という話だが、これだとパネルの構造に手を付けることになるのでこれはやめることにした。

しかし、それにしても「よど」はぶよぶよに水を含んでいて、防腐処理をした新しい「よど」に替えてもまた水分過剰で腐っては無駄になる。そんなことを考え、高所のこぎりでイタヤカエデの大きく張り出した下枝を大分落とした。結果、屋根には上の写真のように太陽光がかなり当たるようになった。これで数日、「雨覆い」を乾かしてみたい。それでよければ木舞の貼り付けに取り掛かることにする。

これからの段取りの前後には、Sさんとこの数十年の仕事や環境などについて雑談にふけった。お互いの関係するネットワークの確認もある。越し方を振り返って、公私ともに「ずいぶん、変わった」と。

■モモンガ散策4



打ち合わせが終わっても、この暑さではなにもする気がしない。

足場に乗って古い木舞を剥しただけでもう着替えをして読書に入った。ちょうどそのころから林をそよ風が渡ってくるようになった。椅子に足をのせてうとうととした。枝を落としたおかげで少し明るくなった小屋に戻って、別の本を小一時間読んだ。静かですずしい。湿度が低いようだ。

遠浅に高所のこぎりを返却しなければならなかったので、ついでにモモンガ探索の walking に出てみるとおお、ついにモモンガ! と思いきやエゾリスだった。なんだか周辺の静けさにはまるで似合わない「ギャー」という声を出して裏に隠れた。

帰りにN先生宅に寄ってフットパスのシカの全体骨格放置について心当たりがないか聞く。情報はなし。冷たいお茶をご馳走になり、パセリなど野菜をいただいて着いた自宅は、なんとまだエアコンをつけていなかった。




スドキの繁殖力、ハルニレ、ナラの芽吹きなど

2026/07/25 sat 19℃ くもり

■雨覆い修復一段落



雨続きで雨覆いが乾かない。

Sさんと待ち合わせた今朝も苫小牧は霧雨だったため、ダメもとでも一応小屋で待つというメッセージを送っておいた。着いてみたら、小屋あたりはまったく濡れていなかった。Sさんとはさっそく仕事にとりかかった。Sさんには雨覆いに防腐剤クレオパワーを塗ってもらい、わたしは持ち込んだ胴縁に塗った。2回目を塗る前の乾燥時間、雑談が弾む。小一時間待って、胴縁を打ち付けた。

上右は仕上がりの様子。横の板の上の方は今回付けた胴縁で、これで屋根材をしたから支えるわけだ。屋根材が乗っている大きなパネルが一部腐って釘が効かないので4寸ほどの釘も数本使った。

■2回目の芽吹きとイタヤの葉っぱ



芽吹いたばかりのナラの葉が食べられつくしたのは5月末から6月初め、それから40日ほど経って、新芽が芽吹いてきた。聞くところでは厚真は今が蚕食のさなかという。今もって不思議だが、樹木は葉が食べられたというシグナルをどうキャッチして、失われた葉を即刻補うように芽吹くのか。

ふと地面を見ると、前回7月16日に落としたイタヤカエデの枝に一枚も葉が付いていない。芽はないから芽を食べたのではなく明らかに葉っぱのみを選んでいる。よく見ると、枯れ葉はなく踏み込んだ形跡があるので、まずはシカが食べつくしたとみるべきか。林床にはやわらかい草が食べ放題状態なのに、それでなく樹上にあった葉を食べている。イタヤの葉の嗜好性か、珍しさか。ここで群落をつくるスドキもフタリシズカも、コブシ同様にシカはあまり食べたくない植物のようだ。

■スドキのパワー



10年近く前に綿毛のみ持ってきたスドキが小屋裏で大分増えて小さな群落ができた(左)。午後に出かけた大島山林が静川群落の原産地だが、そこは上右のような大群落がいくつも見えた。数キロしか離れていないのに、植生の違いが明瞭だ。

スドキの増え方はある種ののエネルギーのように感じる。

■北大キャンパスクラスのハルニレ





毎年6月7月になると、コナラのフットパスのハルニレ群落のあるあたりをよく見て歩く。薮だったこのあたりが手入れによって変わっていく様子を定期的に見ておきたいというねらいと、あわよくばタモギタケが出ていないか、という観察も目的である。

キノコはみつからないが、元気なハルニレで出会えるのがいい。なかでも最も太いのがこの木だ。直径はほぼ1メートルあるので、北大キャンパスのエルムクラスと言っている。何年か前、このエリアに保育を着手したころ、ハルニレの風倒木を2,3本片づけたが、枝が張ったハルニレだから壮観だった。無様に寝ころんだ切り株二つを、ポータブルウインチで起こしたのだった。5,6年前なのに妙に懐かしい。

■遠浅の様子

薪ヤードには7,8人が思い思いの仕事をしていた。フットパスの2回目の刈払いも進み、今日は岬の径も4人で完了したと聞いた。エゾシカの骨格放置もやはり散策者の誰かが藪から移動したようだった。M先生によってnewsletter とハスカップ記事の載っている「ひらく」を届けた。町内の新たな動きも知った。




今日から豆を挽く

026/7/28 TUE  雨  19℃

当分雨が続くので、意を決して雨の小屋番。床に置いてあった道具類(簡易ベッド、シュラフ、羽毛服、防腐剤一式、炭など)をロフトにあげ、メッシュネットの小道具類なども少し整頓した。といってもこの程度だから、なんともおかしい。「物置」の原型ともいうべきもので、どこに何があるかが少しわかりやすいように、タダ、ものを置き並べる。それを垂直な壁に見せたという代物である。物置なんだから、ま、いいかな、と。





小屋の入り口側半分は物置で、その奥は「書斎」「読書室」「ライブラリー」である。というより、そうみなすことにしている。

見えない境界からこっち側の小屋時間をもう少し大事にしようと、今日は安物のコーヒーミルの一式を持ち込んで、まず湯を沸かし豆を挽いて、コーヒーを淹れた。インスタントコーヒーもよくできているが、豆の香りはさすがに手作りの重さがある。

小屋番とは、小屋時間という追憶、休養をともなう創造にしたい。



小屋番、57回目、ただ「居る」

2026/08/02 sun 快晴 25℃

■2度目の新緑本格化




7月下旬、お隣の高齢のご主人は、朝、この頃は石油ストーブを焚くんだよ、と言っていた。九州熊本では大地震と猛暑、そして関東から以西は軒並み酷暑日の警報が告げられている中、このあたりだけは長袖がほしいのである。

樹木を扱う人たちの間では、俗に「土用吹き」という芽吹きがしばしば口に上るが、今年は食害で裸になった後の、本当の「再芽吹き」だった。そんな新緑風景をなかば愉しみながら、林道とフットパスの枝拾いをした。枯れ枝は、普通、強い風で落ちると考えがちだが、実は太いものは雨を含んで重くなった自らの自重で落ちる。朽ちてスポンジのようにスカスカになったものが落ちるので、往々にして落下時に粉砕することがある。

小屋は「居る」ことを目的とする小屋番が、山好き、小屋好きにはたまらない。何もしないでいい、などということは普通の日常生活では考えられないことだが、不思議に小屋は「何もしないでボーっとしている」ことが自他ともに許される場であった。何もしないでいい、という状況の中で、「ひとり」を痛切に実感できる貴重な時間が生まれるのである。高齢の「ひとり」は格別である。ただ、ボケはそんなところに忍び寄る気がする。



まるで春のような

2026/08/05 wed 晴れ時々曇り 25℃  室内23℃



今年の雑草は6月に刈った。

その後、伸びすぎることもなく、もうお盆だ。お盆といえば、草の伸びは収まり、かつてそれ以降に刈ることはなかった。ひょっとしたら、今年はこれでブッシュカッターは使わないで済むかもしれない。

省力化のためには早めに刈っておくのはいいことである。芝生でもあるまいし、などと言い訳まがいの言葉も用意している。小屋周りも、潔癖に刈る必要などない。その方が気分ものんびりできてよい。懸命にやりすぎない。手を抜けるなら抜く。テキトーは欠点ばかりではない。

今日は、10日ほど前にトラクターで刈払いの終えてある林道を、今後の保育スケジュールを考えながら北上して、巡視する。土用吹きで、まるで2度目の新緑のようだ。それも育林コンペで多少なりとも手入れしたエリアは、写真右のように春のように明るい。対する左側の保安林は、薄暗い林のままだ。

画像のエリアは、わたしがオーナーになっている育林コンペの区域だが、平成9年にコンペをスタートした当時は、「いぶり雑木林懇話会」という任意団体が1、2度だけここに集い作業した。この団体は色々な人が出入りしてBBQパーティなどもしたが、宮崎駿監督のアニメもあり、里山への注目は現在よりは異様に高かった。いわゆる意識高い系のリベラルな人も混じったグループだったかもしれない。

なんとなく時流に乗っていた感がある。わたしは発起人で懇話会の事務局・世話役をしていた。代表をお願いしたHさんは先日85歳で亡くなったと新聞のお悔やみ欄で知った。Hさんは厚真の篤農家で農文協の書籍などを通じて、地域ばかりでなく全国的にも知られた方だったと思う。晩年は林の中の別荘のような自宅に単身で住んでいたが、地域の雑木林についてはもっとも造詣の深いお一人だった。心よりご冥福をお祈りする次第である。




林の中ではやっぱり蚊が猛攻

2026/08/09 sun 晴れ 30℃ 中24℃



雨模様の土曜日を避け、小屋番は今日日曜日に順延。あいにく札幌のSNS仲間ふたりが、秋の視察の下見で小屋に来ていたのを、facebook の「どっとねっと」グループ欄の書き込みで知った。行き違いでもこうしてリカバーできるから助かる。

新緑は春であろうが夏であろうが美しいことを再発見する。盛夏にはあまり雑木林の写真など撮った記憶がないのだけれども、今年はちょっと違う。今日も小屋のアクセス路をまず記念に一枚。

昼頃、育林コンペまで巡回したところ、北外れでコモンズの会員tomi-k さんがササ刈りをしていた。多忙でなにもしていなかったせいで、林も暗いままだ、という。となりのわたしのエリアはそこそこ手がけてきたし、共有のyama さんもたまに来ているようだから、見た目の差は結構大きい。あるいは競争心を刺激しただろうか。

懸案の野鳥とシカのエサ台は余っている枕木を使うことにした。そのため今日はチェンソーを持ってきた。早速半分に切って用意だけしたものの、さすがに穴掘りはやめた。先週より蚊がいるのだ。で、小屋に蚊取り線香を焚いて読書に切り替えた。城山三郎氏の70歳からの日記『どうせ、あちらへは手ぶらで行く』である。こちらの歳と重ねながら、単調に記される日常の中の変化を読み取る。伴侶の看病など、ウルウルする場面が続く。



陽がすこし傾いたころに大島山林に向かい、フットパスを歩く。歩き始めはなかなか快適で「今、歩かないのはもったいない」などと心の中でつぶやいていた。が、間もなく、あちこち、特に肩や背中が痒くなった。シャツの上から刺され始めたのだった。

それでも池のそばの広場風景には立ち止まった。人がかかわった時間を偲ばせる雑多な木々が育っており、かろうじて雑草も刈られている。これも草地が維持されているおかげだ。だがこの手間が馬鹿にできない。こぎれいに保つための妙案はないものか。

結局、蚊の猛攻に敗れ、シンボルツリーのドロノキから薪ヤードに引き返してしまった。
(帰宅後、鏡に上半身を映してみて驚いた。おなかもわき腹も背中も虫刺されの跡が痛々しいほど。まるでドクガにやられたように赤い点がつながっていた)




小屋番の帰りに
    
  ~2026年夏、工業開発と自然~

2026/08/12 wed はれ 32℃ 中26℃



雑木林の小屋はベランダで32℃だった。

小屋の中はまだ26℃だったので、窓を開けないで蚊取り線香を焚いて昼過ぎまで2冊の本を読み継ぎした。育林コンペまで北上する間には若いエゾシカの群れがふたつ。今年一番暑いこんな日に、元気に林道を横切り、活発に動いている。

帰途、ルートを変更し久々に港方面に向かうと、幹線わきの輸送空間に、刈り取られた後の芝生の新葉を懸命に食べている群れが点々と見つかる。柔らかい西洋芝がもっとも美味しく栄養価も高いのだろうか。これは苫東も西港も同じだった。潮風にもまれた樹木も、なんだか不貞腐れたように頑固に生きていた。

北海道における道央の歴史の始まる地、勇払で陸橋の上から安平川と勇払川が合流するポイントが見えた。一面の湿原はまるで芝生のように単調だが、恐らく現地の植生は人を寄せ付けない、踏み込めない状態のはずだ。このエリアのほんの先に、あるいはちょっと東や西で、広大な工場や倉庫が立ち並び、港には大型貨物船が日々行き来しているとは想像がつかない。この想定がしにくいのは、広大さと平坦さのゆえである。

勇払原野という風土は、産業にその空間をごくゆっくりと明け渡している。

端的に言えば土地利用の変更であるが、もっと厳密にいえば、粗放な農業利用にすら適さない半自然に建物や道路などが建設されて利用可能になって、まさにそれが延々と建設途上なのである。

「建設途上」という段階は実に殺風景なもので、特に平坦で単調なここは、ことごとくさびしい。限りなく心細い。文化不毛の地、とはよく言ったものだ。そう見えても仕方がないくらい、ぶっきらぼうである。

さらに、小一時間も車で巡っていると、こちらの生活実感やヒューマンスケールというのがおかしくなってくる。この画像は、今の勇払原野のひとつの象徴といえる。数百メートルそばに北海道で初めての三角点が作られ開拓がはじまり、正面の河川勇払川を左に遡上してウトナイ湖に至り、さらに美々川をつめて、千歳を経て千歳川を下って札幌に出たのであった。

地の利という動機付けがあって、地勢という流れにのって、得体のしれない(=実像が見えにくい)建設が着々と進んでいることだけは間違いない。人々は、その中の小さな歯車、あるいは捨て石、そして時に重要な駒である。それが北海道の経済を目には見えない部分でしっかり支えていることを思い起こしてみて、やっぱりこの「得体のしれない動き」というのが、今のわたしの認識の域を超えている。

開拓や開発と自然、その歴史に身を置いている、ということだけはかろうじて実感できる。



蚊が出る間は外に出るの止め

2026/08/16 mon 晴れ 28℃ 中28℃

林床の雑草が盛んに伸びていて、このままではそのうち刈らねばならないかも、と懸案がひとつ産まれた。うまくいけば、今年はもうからなくてもよいか、と気を抜いていたのでちょっと困った。やるならやる覚悟がいる。

外にいるとシャツの上からでも蚊に刺されるので、早々に小屋に入って窓際で本を読む。雑木林のライブラリーは読書に集中できる。



暑さと蚊に負けず、刈る

2026/08/22 sat はれ 29℃ 中25℃

■盛夏の雑木林





苫小牧では今日が一番熱くなりそうな予報だったが、草も気になる。

昼過ぎまでは小屋の中と外で、『イギリス的風景』を開き、完読。テラスでは双眼鏡をテーブルに置き、鳥の気配があった都度、焦点を合わせる。ピントの具合のコツがわかれば、葉っぱの蝸牛までよく見えるので、重宝であるうえ、肘を椅子に固定できるので疲れない。

ゴジュウカラ、シジュウカラ、コゲラの気配があり、もっとも頻度良く来ていたのはヒヨドリ。ミズキの黒ずんだ実を一所懸命についばんでいる。おかげで、木の下に置いた車のフロントガラスは黒紫色の数か所の糞で汚された。鳥たちは、いまどき、ほとんど鳴かない。

刈払い開始は午後2時。わずかだが蚊がいるので防虫ネットをかぶっての仕事である。腰の固い例の禾本科が多く、時々刈払い機の回転数を上げ、ワイヤーで処理する。これも3時過ぎには終えた。というより、きりがないので熱中症なども勘案して残りは次回へ回すことに。

百均のコーヒーミルの具合がよくないので、家から kalita のミルをもってきて役目交代。静かな暇つぶしには好都合で、コーヒーもいささか味わい深い。

■松浦武四郎の涅槃図と風土の共有

テラスで鳥を見ているときに思い浮かんだのは、三重県松阪で見た「武四郎涅槃図」である。

中央の廟の手前やまわりに動物たちが居並んでいるのである。この松浦武四郎記念館の説明では、武四郎が知人の画家に依頼して数年かけて描かせたもので、北海道での記憶だろう野生の生き物たちが、あるいはアイヌもいたかもしれない、武四郎の死を悼んで廟を取り囲み座っている図柄であった。(2019/3/14撮影)

なぜ急に思い出したのかといえば、小屋が野生の生き物の集う場であることがはっきりしていること、むしろ、普通に雑木林の生き物が生息する中に、自然風に小屋が建っている光景が、あの涅槃図にちょっと似ていないかと思ったのである。この秋には、エゾシカの鉱塩台と野鳥の餌台をテラス前にしつらえる構想を持っているのでなおさらその構図がひらめいたようだ。

これは北海道に住む意味、風土とのかかわりの素描として眺めると理解しやすいのではないか。丸ごとが風土であり、人間以外の生き物とこの環境を共有するというのは、当たり前の話に自然と見える。この小屋で、勇払原野の四季を通じて、生き物が生まれ、動き、死ぬ姿をわきで見ていると、この感覚が少し研ぎ澄まされる。サイエンスでは描写や再生、まして伝達などできない世界だ。ヨガ行法ではたしか「不立文字」の世界と呼んでいた。




秋からの walking のために

2026/08/26 wed くもり  26℃ 中24℃

■フットパスを刈る





2回目の刈払いを始める。

もっともよく歩く「ささみちフットパス」のスタート部分は、あまり伸びておらず100mほどで止めてカラマツ林に入る。ワイヤーのカッターを振り上げるようにして、覆いかぶさるササを刈る。そうすると、径が少し広く感じるからである。

刈りながら、「そうだ、秋には森林ボランティアグループの視察案内があった!」と思い出し、できればきれいなフットパスを見せたいと欲が出る。年寄りは飽きやすく、作業は早く切り上げたのだ。刈って良かった。

それにしてもミヤコザサがまるでじゅうたんのように生えそろう風景は盛夏ならではのもの。背丈が50cmくらいだから、麦畑に近いかもしれない。

夜来の大雨で林道に雨裂ができて大きく掘れている箇所がいくつかあった。水を含んで落ちた枝も車を降りてその都度拾った。水たまりにできたぬかるみで足跡を確かめるが、クマはない。これらの点検も小屋番のルーチンである。

■ルーチンになった薪ヤードでのシャドウ・キャスティング



このところの facebook で、昨年あたりから顕著になったのは、欧米人によるフライフィッシングのダブルハンドを使ったキャスティングのデモが急激に増えたことだ。従来の定番キャストとは大分違ったトリッキーなものもある。その刺激を受けて、静川の小屋番のあとは大島山林の薪ヤードで、ダブルハンドのキャスティングを夕方の日課にしている。

今日は Sage #10のダブルよりもずっと軽めの#6の Orvis のロッドにした。6番は久々だが、まずまずいつも通りのキャストはできる。動画にあるようなラインを弄ぶような技はまだちょっと無理だ。開けた、刈り払われた草地だから、バックキャストのラインループをゆっくり確かめながらできる。

これでも充分楽しい。もう渓流や岩ごつごつの湖でフライをすることは不可能になりつつあるから、こうしてシャドウを楽しみながら、歩きやすい大きな川や、砂地の湖、そして樽前浜でのキャスティングに備えておくのは理にかなった心得だと思う。何事にも言えるが、上達する楽しさは格別にある。



夏の雑木林は山仕事なしのバカンス気分で

2026/08/29 sat はれ  24℃ 中22℃

■働かねば、という呪縛を外して

どうも、「山に来たらなにかせねば」という義務のようなものをうすうす感じてきたけれども、暑い盛りはなにも汗して刈払いなどしなくてもいいのではないか、そう悟ったのは、テラスで本を読み始めた時だった。逆にこうした時間を楽しむために、風土を共有する苫東コモンズはあるのだ、と原点回帰のひらめきもあった。

青空トイレまでの100mを刈り払って、この秋の抜き切りするエリアまで刈払いを伸ばした後のことである。この束縛はどこから来るのか、といえば、同じ苫東コモンズというほかのメンバーが間違いなく今日も長いフットパスで汗をかきつつ刈払いをしているだろうからである。向こうで労働、こちらは夏のバカンス、というのはさすがに申訳が立たないだろうという思い込みがあろう。それと、実際、里山的雑木林に小屋があったりすれば、探せば仕事はいっぱいあるのである。

だが考えてみよう。
扱っている林に憩う日が何日かあってもいいのである。むしろ、山仕事と憩いは半分半分くらいあっていいのだ。「憩えるような環境を創る」というのもそもそもミッションのうちである。特に私は2,3年前になかば勝手に「これからはシニア・メニュウをこなす」と宣言して、フィールドを分かち、薪の共同生産・分配の枠からもはずれ、小屋番をルーチンとし高齢者マイペース路線を試行し始めたのである。

やはり働かねば、の呪縛は外し、マイペースを心掛けたい。これは安全作業のためでもある。




コーヒーを淹れて、用意したアップル・シナモンロールでおやつのような昼食のような休みのあと、「ささみちフットパス」を歩いてみる(左上)。ミヤコザサのじゅうたんが小道を浮き立たせて快適だ。

ただ、10日ほど前、1kmほどの近くでヒグマ目撃情報があったので、小さなクマスプレーを右ポケットに入れた。商品のラベルには、ポリス・マグナムとある。45オンス入り、0.5秒で4~5回しか使えないから、日本の環境省が認定する規格からははずれるかもしれない。摘要ラベルには、black bear と bad man 用と書かれてある(右上)。お守りである。

それと第一、勇払原野まで入り込む自然派&逍遥派のクマは、見通しの良いこのあたりでは襲ってくることはない。相手はほぼ間違いなくヒトを避ける。経験から、そう信じている。昔からここに住む年配者は、「このあたりでクマにやられた話は一つも聞いたことがない」というし、千歳のアイヌの古老は「クマに襲われていないのは良いクマの証。駆除して悪いクマに置き換わることのないように」と教えていたのを思い出す。

■林には藪だし幹線が必要だ

歩きながら、すでにこの秋からの抜き切り作業を頭に描いているから、少ない労力で効率的に運び出せる段取りをあれこれ考え始める。やはり決断しなければならないのは、藪だし用に軽トラがゆっくり往来できる広い幹線が必要だということ(左下)。直進を妨げるような木立は、薪に使おう。

思い起こせば、20年近く前のフットパスを開設する際には、極力、木を残そうと意図していた。徐間伐材を藪だしする工程を考えれば、その意図は本当は間違いで、残そうとした木は「伐るべき」と相なる。林内を徐行する軽トラのためには、できるだけ支障木のない、カーブの少ない、灌木も邪魔しないルート設定が必要だった。これは軽トラを何回か傷つけて代償を払ってから決心がついた。

来週は、この藪だし幹線を創るべく、テーピングと、鋸刃ブッシュカッターでの刈込みをしようと思う。

■切るべきか、残すべきか

写真右下は、テラスに覆いかぶさっているコシアブラの繭。隣のヤマグワからはびこってきた毛虫によるもの。ふたつとも小屋周りを明るくするために切ってしまおうかと思ったこともあるが、反対側のミズキとともにこのあたりには珍しいので悩んでいる。




藪だし路線拡充とカエデたち

2026/09/05 sat  晴れ 22℃ 小屋中15℃

■今となっては藪だしを邪魔するカエデたち



そろそろ11月からの徐間伐の準備に入る。ここに里山景観を創るというミッションをもって40年近くなるけれども、どうも当初の目論見と違ったことがひとつある。それはフットパスを兼ねる藪だしの径の狭さである。かなり神経を使って軽トラを進めても時々は接触する。そして被害は甚大だ。

当初は、効用の美しい雑木林を目指してパフォーマンスにも意欲があったから、ナラの茶色に赤や黄色の割合を増やすべく、イタヤカエデやヤマモミジは極力伐らないで残すことにしていた。それが裏目に出て、藪だしのトラックのソロソロ運転でも時々接触する確率がどんどん高まってきたようなのだ。もちろん当方の加齢も原因だ。


そうして改めてフットパスを歩いてみると、やっぱり軽トラの徐行を妨げるのは、カエデ類だった(上左)。それと、デンと構えるナラの木(上右)。寄り添うように径を創ったからだ。

今年の徐間伐対象にする木は、フットパスを歩く都度チェックしてきたからもうなじみの木ばかりだが、今日はこれらに緑色のテープでマーキングした。ほぼ直径20cm前後だが30本ほどあった。これを薪にして運び出せば藪だしで車を損傷することはまずなくなるだろうと思う。

木はできるだけ残そう、という思い入れは数十年たってみると後悔することが多い。家を建てるにも径を創るにも、木は思い切って伐るべし、あるいは徐々に伐っていくべし。これは経験を経ないとわからない。むしろそういう経験はできれば踏んだ方がよい。



■カラマツ林は広葉樹との混交林へ進んでいる



晩秋に向かおうとしている雑木林は、陽が傾くほど美しくなる。林道の向かい側のカラマツ保安林も、枯損木や倒木の処理が功を奏して、一見身ぎれいに見えるようになってきた。何よりうれしいことに、広葉樹の混交も進んでいて、その移り変わりがスムーズに行けそうな気がしてきた。




雑木林のバード・ウォッチング・テラスへ本腰

2026/09/09 WED 晴れ 20℃

■雑木林の森カフェ、鳥見テラスに



今年66回目の小屋番は、到着が夕方になった。

日中は千歳の青葉公園を歩き、嶋田忠さんの BIRD WATCHNG CAFE とさけます情報館に顔を出した。カフェは今年から本腰を入れようと思っている鳥見テラスの参考である。冬、シマエナガがよく見れるので特に人気があると思うが、見せる仕掛けとしては窓越しに近間で見られること、カメラ用の有料個室があることかと思うが、取り立ててオリジナルなものがあるというのでもない。嶋田さんらしさを活かしたビジネスであろうか。

ともかくエアコンの効いた、冬なら温かい室内から野鳥を見ることができるのは、都会人にとって望ましく、珍しい体験なのだろう。その点、コモンズの雑木林では外のテラスから360度、ウォッチングができる。そこに今年から餌台など何種類かを足していく予定でいる。そして遅くない時期に野鳥の手載せを実現させるつもりである。あくまでワイルドなのだ。想定利用者は今のところ、わたしだけ、というのが良くないか。

■青葉公園を歩く



BDC のあとにきた青葉公園、千歳川沿いのお金のかかった総合公園である。面積102ha、サインとトイレが充実し、コースは多岐にわたる。

林は向こうを見通せるから安心感が高いし地盤もしっかりしているから、市民の散策やジョギングにも安全に見える。また、勇払原野の薪炭林のシンプルな植生に見慣れると、植物のバラエティが驚くほど光っている。樹木が多種で、適度に放置されているのがむしろ気持ち良い。林道網が発達しているから管理車両がアクセスできるのだろう、かなり手が届いている。林業の気配はない。



小屋の雑事

202/09/12 SAT 晴れ 22℃ 中18℃

■こまごま動けば2km以上



いい気温になってきた。幸い蚊も消えたし、空気も乾燥していて気持ちがよい。残しておいた刈払いは大鎌で済ませ、刈払い機は小屋の隅に収めた。こうなると、秋の体制に代わる。炉のそばにためておいた枝をタブロイド紙1枚で焚火を起こし、ゴミも燃やした。

来春の藪だしに備えたルート確保のために、気になっていたへこみ、穴をスコップと島田ぐわで埋め戻した。スコップにぶつかる根っこは使い古したのこぎりで切った。これで軽トラックは支障なく移動できる。

お昼はおととい遠浅のMさんからいただいたスイカを持参したのでこれでバッチリ。この頃は夜半に腹が張って調べると年甲斐もなく食べる量が依然として多いことに気が付いた。胃と腸がオーバーワークになっており、消化不良の栄養分が大腸に送られるとそこで細菌により分解されガスが出るという理屈だ。一昨日の夜、スイカはこれらの宿便を一掃してくれるようにも働いたのである。

読書は江藤淳著『閉ざされた言語空間』の終盤クライマックス。戦勝国の米国が連合軍側としてしいたマインドコントロールのシナリオ、war guilt information program が今も執拗に支配している日本の現実には暗澹とせざるを得ない。

小屋ではやればきりがないこまごまとした雑事が待っているので、こちらはそれに喜んで付き合う。チョコマカと2,3kmは歩く。フットパスを歩けばさらに増える。70代半ばがやれる仕事はだんだん細くなっていくが、それを嘆かずマイペースでこなしていく。これこそ「居場所」というにふさわしい。



ボリボリが出始めた

2026/09/16 wed 22℃ 中16℃

■秋深まる



ようやくボリボリらしい姿が見え始めた。だがよく見ると特有のツバがない。ということはナラタケモドキか。帰り際に径沿いにいくつか採ったが、一人分に満たないのでテラスに戻ってから土に戻した。

午後3時過ぎ、斜め光線が弱くて秋が来たことを風景からも知る。気温は低く日中は蚊がいない好天だったが、3時過ぎるころに蚊が2匹出てきて読書をやめることになった。

■9/16 堂々の脱皮



一輪車に道具をのせて小屋の北に向かう途中だった。ライブラリー窓の下に一本の蛇の抜け殻を見つけた。昨年はテラスのわきだった。アライグマもタヌキも徘徊するのに、よくもまあ堂々とこんなところで無防備な脱皮をしたものだと驚きつつ、ネズミを退治してくれるある種の守り神が小屋周りに居ついてくれていることにちょっと安心もした。

このしっぽの左1m足らずのイタヤカエデの幹に、トレイルカメラがセットしてあり90度角度をふれば、神秘的な脱皮があるいは撮影されていた可能性があったと思えば、ちょっと残念な思いもするし、鶴の恩返しの故事のようにやはり見ないで正解だった、というような微妙な気も湧いた。