ソローにも学ぶ森の生活

NO.135
2026/07/04

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苫東コモンズ 地域活動15年の歩みとこれから


若いころから色々な訳で読んできたヘンリー・デービッド・ソローの『森の生活』を、今回は漫画版の原書と日本語版で読み返した。昔は少し退屈に感じることもあった訳本だが、今回はどうも違った。秀逸だと思ったのは、漫画に挿入された言葉がソローの漏らす箴言、アフォリズムの詩のような効果を持ち、これまでとは別の直接性をもって伝わってきたことだ。漫画家の言葉選びの巧みさが何割か、しかし、残りの多くは共感を呼ぶそもそもであるソローの森におけるひとりの内観だ。




雑木林のカムイミンタラ

2026/07/04 sat 曇り 22℃

■夏の普請へ



気温は20℃前後、肌を刺す虫もおらず、いや、毛虫はたくさんいるからそうも言えないけれども、ともかく仕事を中断して追い払うような不快なものはいない、そんな意味では林で暮らす適期と言える。

草の伸びが早く、小屋周りで2回目の刈払いをすますころ、地元のSさんが小屋修理用に足場を運んでくれたので、一緒に組んだ。アスファルトのスレート屋根の雨を滴らせるあたりの木舞が腐って、中の防水シートが垂れ落ちている。これをこの夏の間に直しておこうという段取りである。

当たりは一面、フタリシズカの群落。
昼頃やってきた山仲間のO教授の奥様が車を降りてすぐ、かがんだのがこの花だった。「これって、フタリシズカですか?」。自宅庭にはヒトリシズカがあるらしい。教授からは、自然系ではないんだ、と聞かされていた奥様が小屋裏に回ってスドキの花を見に行った時も、どうしてそうして常識的な自然愛好家であることがわかった。用意したシナモンロールで魔法瓶のコーヒーを分けて飲んだらもう1時間以上たっていた。家族3人、このあと港へ出てホッキ丼を食べたと連絡があった。1時間の列に並んだという。

■夕方の林に魅せられて



新緑後、家路に向かう頃の林が美しく感じる。
陽足がもっと長く感じられる秋口なら、またそれなりに心に残る風景が現れる。もう30年近く前の2月、霧のように小雪が降る寒い日、ひとりで間伐をしているとき、ふと気が付いて目をあげると一面が幻想の世界だった。その時頭をよぎったのが神々の遊ぶ庭、アイヌ語でいうカムイミンタラであった。

白老の人たちの間で「あそこはカムイミンタラよね」などと話すのを聞いて、これは季節を問わず、かつ、場所を問わないことを知った。なにも大雪山のお花畑のようなところだけではないという意味である。それ以来、神々が遊びたくなる空間は、時期、場所を問わずあるという考えが広がり始めていた。

きっと微妙な光線なのだろう。
その冬の瞬間はデジタルカメラに収めても、感動はうまく再現できなかった。今日の帰途、林道で出会った光景も、山仕事帰りのわたしにはカムイミンタラに見えたが、ほかの人と感じ方は共有できないし、勧めもしない。林道に出る前の時間をテラスでボーっとしていたことの延長で、これは「光と時間」の魔法とでも呼んでおこう。