地域の資源とはなにか
NO.87
2015/07/04

6月中旬、中欧の世界遺産を9日かけて巡った。美しい街並みや教会の歴史が売りだが、
その点に関しては確かに現存する歴史的遺産(ストック)は日本は多くないかもしれない。

だが、これらをめぐりながら、北海道そのものが、この100年で500万の人口を数える島に発展した歴史こそ
世界遺産に匹敵すると思うようになった。ヘルシンキの環境省で北海道の歴史を簡単に紹介した時にみた
役人の反応がそれを物語っているような気がしていた。

もっと次元は下がるかもしれないが、ハスカップはなぜ北海道遺産に申請しなかったのだろう。
今となっては残念だが、おそらく、ハスカップは申請しようとする後見人が不在だったのではないかと
内心わたしは思っている。

昨年からハスカップを地域の「コモンプール資源」とNPOとコモンズ研究会が位置付けて以来、
ハスカップこそ北海道遺産に登録されて新時代を迎えるのにふさわしいと
考えるようになった。

なにより、そう考える市民のプラットホームができそうな動きも感じられる。


柏原フットパスを案内

2015/09/28 mon 18℃ 曇り時々雨

 
札幌の旅行グループ26名を柏原フットパスに案内。9割が女性。今日の苫小牧は夜明けのころは快晴だったのに、集合の柏原展望台の10時ころから雨が降り始めました。雨雲レーダーで「雨は10分」と読んで、その間、バス内でNPOや勇払原野などのレクをして、あがってすぐフットパスへ向かいました。

45人に乗りのハイデッカーバスは気を使いながら沢の向こうの採草地へ。ガイドの草苅は、径の折々で樹木の「気」や森林セラピー、ヒグマの移動などフットパスの自然放談をしてる間に終了予定時刻になりました。しかし、もろもろの怪しげな話は女性の反応がよく気持ちいいほどです。実はサイエンスはこのような人の心身がすでにわかっていたにもかかわらず「未科学」な分野を追体験している構図なのは面白いところです。

1時間ほどで一周して間もなく、また雨、それも本降り。ラッキーでした。わたしの場合、往々にしてここぞというときに晴れてくれます。感謝。

 


 
「そば哲」本店で昼食後、小屋に寄ったら防腐剤を塗り終えたテラスが水をはじいて光っていました。



ほんとうの休日はどこだ

2015/09/22 tue 晴れ 25℃


年に一度は本州の大木とパワースポットをめぐりたい。今年は9/20に長野県の戸隠神社に赴いた。熊野杉の並木に縁どられた奥社への参道は心地よかった。中社の三本杉の最も小さいものが700年だったから、直径2mを超える残りの2本は1000年近かったのではないか。

しかし、人が多すぎる。神社に静かにお参りする雰囲気より、初詣に近い様相だった。そのアンバランスを復調すべく、本州から帰った翌日、つまり今日、大島山林に出向いて残りの刈り払いをした。メンバーの誰かが、すでに広場に道を作り、前進基地に至る部分のかなりを刈りこんでくれていた。わたしは、テントから東と、岬に抜けるフットパスを刈った。恐らくこれで全線が刈りこまれたと思う。こうすれば落葉後の、珠玉の散策が楽しみになる。

  
いざ、刈り始めるときにニットの作業着の上からあっという間に蚊にやられたので、一旦車に戻って着替えした。やはり9月は蚊が出る。



上品な山菜採り

  2015/09/12 sat 曇り時々小雨 22℃

  inaba oyama kai kusa tomik = 5 persons



林の東の田園地帯は稲の穂がたわわ。大雨などに会わずに
このまま行ってくれたら、と祈りたくなる。




■ボリボリの上品な採り方

テラスの仕事はあともう1回の防腐剤塗りを残すだけだったが、夜明け前からの雨で板材が湿ってしまったので、作業は喜んで断念し、キノコ観察にした。ナメコも出始めたようで、もちろん、ボリボリもすこし本格的に出てきだした。



(↓へ)

■別天地と癒しの場に「カスタマイズ」する

別のSNSにテラスが完成したと書き込んだら、道北で酪農をされていた女性から書き込みがあった。今、体調があまりよくなくてわたしがアップした画像のような林とテラスに行きたいと思う、というものだった。

何年か前においでになったことのある方で、この書き込みに対してわたしからは、ぜひ、「マイ・はやし」を持つといいよね、などと書いた。

 

自分好みに林を変えていくことは誰にでもできることではないけれども、これだけ公共の緑地が整備されている現代であれば、探すことはきっと難しくない。




これを林のカスタマイズと呼びたい。身近な林を自分(達)仕様に替えていくのだ。

関係者が多すぎると合意形成が難しくなっているのが日本の都市の現状だが、田園の色の濃い地方はまだまだOK。地方に住む特典のひとつだ。

わたしはフットパス沿いの風倒木を片づけるべく小さなチェンソーを担いで、二つのルートを回った。一帯の様子を知っている人が、平日に歩いて藪を漕いだだろう形跡があるから、結構でているのだろう。今週は特に、ナラなどの根元に生える、イシヅキの太いボリボリが、高い頻度で出ている。先週の、雨後、地面から生えてくる、あまり味のないものに比べれば、今回のは推奨できる。

昼前に大島山林に移動し、昼ごはんも早々にキノコ観察に林に入った。広葉樹林を、かくも占有するかのように自由に徘徊できるのは実に恵まれたこと。占有、というよりも、山仕事で林の様子をよく知るから縦横に動けるという恩恵によるのだから、めぐりあわせに感謝するのみだ。前進基地の小屋あとのそばで、出始めばかりのボリボリ群落に遭遇して、カニを食べる時と同じように、誰も一言もしゃべらず、黙々と採った。

ただ、このところ採り過ぎには気を付けている。シイタケやシメジ、ナメコあたりは保存もするが、ボリボリは冷凍すればドロドロになって見た目も悪い。塩漬けにする元気もない。採り過ぎると人に配るしかない。



今日も、籠から出して虫だしのために洗ってみると予想以上に多い。台所を占領されて家内はすごく迷惑そうな雰囲気だ。ようし、ここは一つと、お隣の年配のご夫婦にお届けした。

「ちょっと採れすぎて、もしよかったら」、
「あら、ボリボリ!いいのぉ?」


開口一番そういわれ、顔もほころんだ。幸い喜んでもらっていただいたが、もっと上品に採るべきであった。なにせ、われわれは大群落に弱い。






■樹木の更新

カラマツの保安林を突き抜けるフットパスを歩きながら、カラマツがみるみる枯れていることに改めて驚く。それと同時に、一昨年来、苫東の林の取り扱い指針を提言した際の「積極的観察」は間違っていないという証拠も増え頼もしく思うのだ。



カラマツは45年生ほどだから本来の寿命はまだあるが、倒れたりマイマイガに大々的に食害されたりしている間に、半分近くが枯れだした。ここはカラマツにとってストレスが多いのだろう。ほとんどが伸びをやめている。

掛かり木になってから危険防止のためできるだけ処理しているが、そうしてできるギャップ(林の隙間)に、ホウノキとキタコブシが侵入して植生が置き換わろうとしている。主役の交代であり、できればカラマツを早く伐ってあげたいほどだ。



静川のカラマツだけでなく、大島山林のドロノキ大木3本組のところも、風倒木で2本が抜けた後のギャップに、ものすごい勢いでキタコブシが生え始めた。上の写真の下ばえに見える緑はすべてコブシだ。


森カフェ

2015/09/05 sat 晴れ 20℃


inaba oyama kusa tomik & m = 5 persons


足かけ4日、働き手は延21人工、経費12万円で
完成したテラス。炉を内蔵して、なかなかにあずま
しい。
■森カフェとなる

 

 
四方八方から眺めてみる。林の暗がりがいい感じだ。

若葉が萌え、ひなが育ちキノコが生え、雨や雪が降り時に大地が揺れ月が満ち欠ける森羅万象。それらを差配するものを神と呼ぶとすれば、神を身近に感じる場と時があるような気がする。それに似た雰囲気が、ここにある。雑木林に出来上がったテラスに使い慣れた椅子とテーブルを置くと、空気は一瞬、凛として、林の薄暗がりに浮かび上がった。

■テラス完成

昨年、小屋の前で市民大学やNPOの総会をしていて、もう少し地面がしっかりした方がいいと思ったのがテラス制作の動機だった。

わたしのラフスケッチからoyamaさんがきっちりした設計図をひき、上厚真の木工所にオーダーした厚真産のカラマツ材を届けてもらったのが8月1日だった。翌週、防腐剤を塗り、お盆過ぎから位置だし、束石埋め込み、根太設置と進んで、20㎡足らずのテラスが完成。


inabaさんのインパクトに続き、丸鋸が活躍。

多少の隙間は全然okだ。

炉は使い勝手を考えながら改良が必要かでもいい感じ
■ボリボリが出始めた

2日は千歳線が運休するほどの大雨が降った。気温も秋めいてきた。早めに小屋に着いたので、枝拾いがてらフットパスをめぐってみた。当然、籠をもって。送電線の下には皆伐されたままの雑木が捨てられていて、その中には直径60cmのコナラが倒れていた。すかさず年輪を数えてみると、100+アルファだった。域内にはもう少し太いものも見受けるので、この辺のコナラの寿命はざっと150年あたりとみるべきか。本来はもっと伸びるのかもしれないけれども、火山灰土壌のために、大風で倒伏してしまうことが多いのだ。


小屋のベランダの下に巨大なキノコを見つけた。魚で言えばカラフトマスのようなもので、ぐんぐん伸びて、身はくずれそう。そのスピード感を想像させるのが面白い。
傘の下に小人が入りそうだった


ササミチフットパスにもイグチを含むいろいろなキノコが見えた。カラカサタケは強雨のせいだろうか、傘だけ壊れて軸だけになってしまったものもある。と、たった一か所だけ、出始めたばかりのボリボリに遭遇した。
  
水上勉の食の随想集に「土を喰らう」がある。仏門にも縁の深い氏の、畑の野菜と料理の話だったと思うが、土を喰らうという表現がとても斬新に思う。春秋の山菜を口にするたび、ああ、自分は土から気を得ているんだなあ、と思う。晩酌には、軽く湯通ししておろしを載せて食した。


あらためて「雑木林のフットパスはいい」

2015/08/29 sat 21℃ 曇りのち晴れ

inaba oyama kusa tomik & m
 =5 persons




葉肉の薄いヤマグワならではか。葉っぱの重なり部分だけが濃い緑になっている。(昼食時に頭上を見上げて)


■フットパス
先週、kaiさんがササミチ一周コースを刈ってくれたのでちょっと歩いてみた。テラス作業が進行していたので一周するつもりはなかったのだけれど、あまりに気持ちがいいから落ち枝を拾いながら回ってしまった。

幅広く刈ってくれているので、9月と10月のお客さん案内にもちょうどよい。

昨年の落ち葉が今まさに朽ちて土になる直前で、カソコソといういつもの落ち葉踏む音がなくなり、スポンジを踏むような感じに変わりつつある。いわゆる腐葉土の感覚だ。この時期に、キノコたちの出番が重なる。

■テラス制作
どうやら、テラス制作の先が見えてきた。8/1 材の納品、8/8 防腐剤、8/22 位置だしと穴掘り、そして8/29は、束石をすべて埋め込み、大引き(根太)をのせ、炉のスペースの掘り込み。畳12畳の「雑木林の板の間」の概形は予想した通り素晴らしい。

さっそく板を載せてみて、何やらいいテラスができそうだと思える。oyama棟梁の設計通りで、細部は現場あわせで微調整。来週、板を止め、焚火用ドラム缶を埋め込んでふたを造作、最後に防腐剤をもう一度塗って完成。

どこか埋蔵文化財発掘調査に似る。

多少の歪みは板と土にに吸い込んでもらう。

心配は春先の束石の凍上と不等沈下で天端板がデコボコにならないか。また、厚真産カラマツ材が、防腐剤の塗布だけでいつまで腐らずに持ちこたえてくれるか。
  

  

■小径で
木漏れ日が美しい。林も蚊が一匹もおらず、食葉虫もいなくて、里山は極めて平和である。と、何やら匂うものがある。タヌキの「ため○○」だ。ヒグマもそうだが、人間だってそうだ。「野○○」をするときに、お尻に草の先っぽがツンツン当たったり、笹の切り口が触れるようでは塩梅が悪い。やはり、きれいに刈り払われたところの方がよい。よくマーキングだというけれど、わたしは快ウン志向の方に一票をあげたい。




■焚火
ケアセンターの特長はふんだんな薪である。しかし、暖を取る必要もないときに薪を焚くのはやや気が引けるもの。そういう時は、枯れ枝がよろしい。しかし、落ち枝というものは、腐っているものが多く、しばしばかなり湿っていて燃えにくく熱量も少ない。

だから煮炊きには向かないが、退屈しのぎに没頭すにはすごくいい。オキがあればだましだましくすぶらせて、煙を出しつつやがて炎が上がる。



テラス制作開始と刈り払い完了

2015/08/22 sat 24℃ 曇り

inaba oyama kai kusa kuri tomik &tomim tuduki2 =9 persons



いよいよテラス制作がスタート。この束石のあるエリアがカラマツの
ボードに代わる。自然の中の人工だ。自然に囲まれた人工はいつも
人々のちょっとした理想だ。







里山整理班は小屋周りの刈り払いに5人がかり。落ち枝も多いので小さくまとめ、一部は↓のように集めてまとめ直した。さらに一番下の画像にように新たにオブジェを制作。


位置だしとレベル設定、土台の掘り込み、部材の切り込みなど、作業は多岐多用、運よく9人が集まって、刈り払いも含めて実によく進んだ。
下は三々五々の休憩。



木になるベンチわきの薪棚の上に、午前、ここでは初めてカラスヘビを見つけた。見つけたときは1m以内だったので、あまりに驚き後ずさりしたときにつまずいて、後ろ向きに転んでしまった。あまり見られたくない恰好だった。それを会のワライカワセミ、こと○○さんにしっかり見届けられてしまったから、今後、何かにつけて冷やかされる覚悟をしたばかりだ(笑い)。

この地になれた青大将のミドリチャンたちは全く逃げないがこれは午前午後しばしば薪の間に逃げた。薪や枝などの隙間は多用な生物がすむだろうとおいてきたミニ施設だが、こうやって見事に生き物がやってくると、手ごたえを感じる。そもそも、ログハウスが生き物多様性の呼び水だったから、感慨深い。しかしおかげで、林の中に住むなどということとか、自然との共生などというのは、ちょっとバカげた話と割り切ることができるようになった。人間は、かくして自然に学びつつ成熟していくのだろう。そして1000年以上も掛けて「都市」という、この魔性の蜜にたどり着いた・・・。



韓国・済州大学のコモンズ関連視察とセミナー

2015/08/20 tue & 21 fri

8/20 kusakari
8/21 北大公共政策大学院 小磯教授、関口真奈美さん、kusakari


今月はじめ、韓国は済州大学の金j慈景先生から、苫東コモンズの視察受け入れについて依頼があり、出版時の関係者と相談の上、現地対応と現地・北海道側の研究グループとしてセミナーを開催することとなりました。現地はNPOの草苅、後者は北大公共政策大学院の小磯特任教授(NPOの特別会員)が担当することになりました。

写真は8月20日の午後、大島山林で簡単なガイダンス風景。このあと、散策。


驚いたことには、苫東コモンズを知ったのはインターネットでの検索とのこと。先方は済州島および韓国におけるコモンズの研究を始めていた折、約10名の研究チームの一人の先生が、苫東環境コモンズをみつけ、その問題意識が従来の入会などとまったく違う視点であり現代的な課題解決に向かっているのを知り、視察することになったとのことでした。










ハスカップ・サンクチュアリをご覧いただく時間がなかったのでつた森山林のハスカップ植栽地を案内。その後、土地のオーナー「㈱苫東」を訪問し、望月専務から現在の苫東プロジェクトの概要について説明を受けました。


苫東にはいくつか素敵なビューポイントがありますが、無名で誰も言わないポイントがハスカップ園そばの小さな沢のこの一帯。この日、黄昏が美しかったため、お客さんを送った後もう一度来てみました。里山とは、かく、手入れしたいものであります。

また、この一帯は、樽前に沈む夕焼けを味わう一等地。ぜひ、足を運んでいただきたいものです。情けないことに、天皇の植樹会をここで開催することに汲々としていた役所関係などは、この風土については全く関心もなく、旅人のように去っていったことは、風土の守り手として声を上げ関わり始めたコモンズのプレイヤーは、きっと記憶にとどめておられるかもしれません。

そのような事情だったこともあり、かなり典型的な枠組みを的確にコンパクトに紹介するために、東方ではコモンズの現場を、①森のコモンズ「大島山林②田園と朴屋のコモンズ「柏原フットパス」③湿原のコモンズ「ハスカップ・サンクチュアリ」として、重点化しました。写真は大島山林の次に訪れた柏原展望台。

21日は、14時から北大キャンパスにあるファカルティセンターで、日韓の研究者8名によるセミナーを開催し、双方の経過説明と意見交換を行いました。終了後は懇親会も行い(写真)、コモンズの縁を深めました。


刈り払いは苦役でない
~お盆こそ草を刈る~

2015/08/15sat 曇り一時小雨 25℃


墓参りを13日に終えていたので暇ができた。20日に迎える韓国の研究者一行の訪問に合わせて小屋周りを軽く刈り払い、柏原フットパスに出かけようとしたら、abeさんとばったり。

「今、柏原を終えてきた」と。それなら、と植生復元モデルを北からと南から攻め込んだ。生い茂った草はワイヤでやっと枯れる太さで、ニセアカシアの木化した奴は特に難儀した。abeさんは丸刃。












刈り払いは苦役でないどころか、時には気分転換に良い。私見では「行動的瞑想だ」としばしば申してきた。集中するので、頭が空っぽになる。しかも、お盆というタイミングに、刈り払いの修行的な作業が実にしっくりいく。

しかし、別に内省的なわけはない。折しも、14日夕方には安倍首相の「談話」を聞き活字でも読み、お昼は車のラジオで天皇陛下の「お言葉」を拝聴した。







刈り払いを終えた後、柏原フットパスの写真を撮りに行くと、サインが二つ倒れていたので、穴を掘って建て直した。そのうちの一つは、いつも倒れている。なぜかと考えた。サインの後ろに踏み分けがあって、どうもシカのケモノミチになっているようなのだ。埋め方が甘いから、シカがちょっとぶつかっただけでも倒れてしまうのだろう。あるいは「邪魔だ」と言って(いや、言わないが)わざとぶつかるかもしれない。もっと左にずらせば、被害はへるだろうか。そう思うと、この修復も生き物とのやり取りになってくる。






自然観も加齢する

2015/08/08 sat 曇り 23℃




山仕事

先週、テラスの材料が搬入され、今週はoyamaさんにより束石が届いた。inabaさんが精力的に防腐剤塗りにとりかかった。わたしは再来週の視察対応もあってハスカップ・サンクチュアリのアクセスを刈りにいった。

午後、abeさんが顔を出したので、台風跡地の植生復元モデルの林道刈り払いをお任せした。防腐剤塗りは午後、inabaさんとわたしの二人体制で黙々と。3時半過ぎに完了、4時にabeさんと合流。


写真右=サンクチュアリの看板。やっと見えてきた。雑草の力には圧倒される。
自然観も加齢する

女性が野外の虫が嫌い(野生の生き物?)というのは子供にも移って、自然に足を向けない子供が再生産されているとよく言われる。

だが、女性が責められる筋合いはないし、この点で女性は本当に賢いと思う。「快・不快」「安全」「平和・繁栄」の3要件を敏感にキャッチするのだとわたしは観察している。冷房の効いた部屋で、屋外の緑や鳥を眺め、できれば炎の見える薪ストーブなどがあれば、自然の体験はそんなのでいい、と考えるのももっともだ。つまり総合的アズマシサだ。

実際、体験を重ねれば自然の正体がいずれわかってくる。それが、歳をとっても自然観は変わることに気づいた。本当の山小屋でも、雑木林の小さなログにいても、何から何まで自分でしなくてはいけないし、蚊やアブ、ヘビやその他もろもろの生き物、はびこる雑草退治、考えただけでもいやになる。こういう自然との共生など嫌いだ。広域なエリアで共生すればよい。

田舎ではこのほか菜園の手入れ、庭づくりなど、体の休まる時がない。ゆっくりする時間がないほどやることがあるのが楽しい、という人にとっては天国だが、みんながそうだとは言えない。特に女性の多くは、「賢明にも」そうじゃない。

大都会に住む団塊の世代の男性が、定年後田舎暮らしに憧れるが実行に移せないのは、配偶者に反対されるから、というのが大きな理由だった。ここでも女性は賢明だ。夫の田舎などに行って、あまりの人付き合いの「濃さ」がかなりうっとおしいのもよく知っているのだ。


要するに、人間の住むところは、自然の中よりも、市街地のまとまりの方が暮らしやすいのだ。御しやすい樹木を庭園のように飼いならしてあるところの方が快適であり、できれば霊魂を感じさせるような大木でない方がいい、などとも聞く。

都市というのは人々を外敵から守っただけでなく、「自然」も排してきた意味が、今はとても共感できるのである。理想を言えば、自然は「会いたいときに会いに行く」「浸りたいときに、しかるべき場で浸る」。それで十分。

わたしは今、それが週1回、自宅から30分圏内で、半日程度、という生活スタイルに落ち着いている。要はバランスだ。年間150日を山々と森で暮らしていた20代前後と訳が違う。精神的なバイタリティと体力と、安定志向などモロモロを足して引いて総合評価すると、現在、身を置きたい環境はどこなのかが、かつてとだいぶ変わってきたことにちょっとびっくりする。


NHK公文さんから

7/8のハスカップの放映でお世話になったNHK室蘭の公文さんから、その後の視聴者からの反応などについてメールをいただいた。一部を紹介する。

・・・「先日は、いろいろとありがとうございました。放送後、視聴者から様々反響があり、若い人たちからは、栽培ではない、自生のハスカップがあることに驚きの声が寄せられた一方、高齢者からは、ハスカップを摘んだ昔を思い出します、という声もありました。また、草苅さんの取り組みは、自然環境保護と文化の伝承という同時並行の取り組みでとても意義があるという、ご意見もいただきました。ほんとうに、取材にご協力いただき、ありがとうございました。」・・・

あのような大群落(ドローンで見ると迫力あり)がフリーアクセスのコモンズ状態であることに驚かれる人は、わたしの周りでも少なくない。コモンプール資源と気づかれる前の状態だから、例えて言えば、マツタケの宝庫の山に、存在を知る一部の人だけが集い収穫しているようなものだ。

これはエリアが広く、人口密度が低く、採ることが種々「面倒くさい」ことに支えられている。「面倒くさい」とは、遠い、藪の中、虫など危険でその対策、後始末、などだ。

もっと極端なことを言えば、現在の原野のハスカップは「人口減少」と「(ダニや蚊の)虫嫌い」によって守られている。これは治癒されることはないだろうから、この原因で急激にハスカップが減ずることはないと予想される。で、これはめでたい、といえるかどうか。


「地球交響曲第8番」を観る

夜、北海道初上陸の地球交響曲第8番を植苗の「イコロの森」で観た。龍村仁監督のこのシリーズは1番から欠かさず見てきたが、いつもなにかしら宇宙的なものや不可思議で偉大なもの、いわゆるsomething greatが描かれるが、今回は「樹霊」だ。樹木は霊気を感じるから嫌いだ、街路樹も好きでない、という人もいる。

この歳になって、その気持ちも分かるようになった。が、わたしはむしろ老大木を探して歩く。高山を自然に崇めるのと同じように。映画はめったにみないが、8番の樹霊のエピソードはいい刺激を受けた。

8月8日は24節気の立秋だとか。季節の移ろいを俯瞰して眺める気分。ふと大地と一体になる。全身全霊を込めて花鳥風月と渡り合う。あらまほしきことなり。

森の美しさ

自然観とともに美の尺度も同じように変わってきた。独のフォン・ザリッシュや北大の新島善直氏の森林美学を学びつつ、仕事も「森林美」「自然美」「景観」の体験に結び付けて進めていた。先達に聞いたさまざまな経験知も現場の設計に注ぎ込み、プロジェクトの実現に近づける方法を目指していた。

美しさの要素は様々あってももっとも身近な手法は、単調(モノトーン)に揃え、境界(エッジ)をつけることだ。俯瞰し、通景線をもち、あるいは見通せることなどの要件もついてくるが、それは次の応用問題だと考えてきた。これらは手入れされた国内の自然公園や庭園、さらに西洋の風景との比較を続けながら、文献でも追体験してほぼ身に着いた価値基準になっていた。


しかし、このごろは、繁茂する日本や北海道の植生復元力に脱帽して、「それはそれでいい」「美しいと思える感性にこちら側が替える」ような変革が内側に芽生えてきた。風土への折り合い、妥協、追認。はびこるところははびこれ。

ただ、これを許してしまうと困ることがある。全体が粗野になってしまうことだ。北海道は特に注意しなくてはいけない。人口密度が低いから管理が行き届かないのだ。今、苫小牧では道道の中央分離帯に除草剤をまいて全国ニュースになったようだが、ここでもっとドラスティックな選択をすべきだ。どこどこははびこらせていいのか、どこはだめなのか。担い手はだれなのか。


上のように5m以内の至近景は刈るがそれ以降は放置する、などというのも一つの妥協策だ。あるいは路肩1m幅でもいい。その吟味なしで、マチや沿道の景観をうんぬんしても始まらない。「除草剤問題」は地域景観とコスト負担を考えるいい機会なのだけど。




今季の薪作業、ようやく完了

2015/08/01 sat 晴れ 28℃


inaba oyama kai kusa tomik & tomim migita 7



一方、新設するテラスの部材が1時半にケアセンターに到着。上厚真の大浦木工所に6月上旬に注文したもの。厚真産のカラマツ丸太を挽いてもらい約2か月乾燥、前日7月31日に新品のかんなで仕上げたという。午後から、oyama棟梁が中心になって位置出しが行われ、それから徐々に穴掘り、束石埋め込みと続き、防腐剤が塗られてすえつけられる。10月24日の総会はこの新設テラスで行われる。


大浦さんは「いいところだね」。
8月といえば、気持ちの上ではなんとなく季節の峠を越えて、秋を待つ気分だ。その8月1日に26年度シーズンの薪を片付け終えたというあたりに、なんとなくねじれを感じる。

それもいよいよ完結した。12時14分だった。長かったが、めでたし。






残ったカラマツの薪を運ぶ人、積む人、薪棚を補強する人、野外に積んだ薪棚に屋根をかける人、そしてそのヤードの周りを刈り払いする人、冷たい水を用意してくれる人、そこへトマトや野菜を差し入れしてくれる人。実にスムーズな分担で進んだ。



最終的にはナラメインの薪16棚、カラマツ2棚あまりだった。これから販売先を探す。すでにあてもいくつかある。


このほか、今日は2時半から「ハスカップの聞き取り調査があるので、わたしはメンバーと入れ替えに遠浅に戻った。今日のインタビューの相手は、元会員大島清さん(故人)の奥さん、カツ子さん。苫小牧市美術博物館の小玉愛子主任学芸員とライターの菊地綾子さんの3人で伺うと、間に入ってくれた荒木徹さんのほかに大島さんの娘さんである窪田夫妻もおいでで、結局、遠浅ゆかりの4人に、各々の「ハスカップとわたし」を伺うことになった。これはおひとりに伺うよりも、話が立体的で広域になる。つながりの輪も格段に増えるから、効用が計り知れない。ただし、話は飛んで分散する。



特に興味深かったのは、カツ子さんは、遠浅沼のほとりにあったミズゴケに生えた実生のハスカップをミズゴケに包んだまま持ち帰り(林業なら山取り苗と呼ぶ)、庭に植えてきたという。これは初めて聞いた。これなら女性にも簡単にできる。

NPOが手がけるハスカップサンクチュアリの調査、フォーラムに今年から聞き取り調査を本格化させてきた。博物館との連携もまずまずうまくいっており、手応えも十分だ。

いずれ、ハスカップを
「北海道遺産」に登録するよう準備しつつ、多面的にハスカップを取り上げた出版を目指す、というのが今、思い描いているシナリオである(そんなことを言っているのはわたししかいないけど)。前田一歩園財団からは本件で助成金を受けることもできた。


(大島さんのハスカップ畑の前で)

季節の峠は越えたが、薪、ハスカップを引き継いだまま、27年度の秋に近づく。

ドローンでハスカップ原野を撮る

2015/07/30 thu 曇り take ariyama husama

(仕事のつながりで札幌のHさんに大島山林とハスカップ・サンクチュアリの空中撮影が実現した。まず、イコロの森に集合。イングリッシュガーデンを撮影するには絶好の曇りときどき霧雨。以下は当日のメモ)

=======
朝の、霧雨に煙る「イコロの森」のボーダー花壇は
素晴らしかった。話題のドローンの威力は実によくわかる。降ったりやんだりのなか、大島山林、ついでにハスカップ・サンクチュアリも、走破。ちょいの間だったが、平場のGPSでは表せない上空60mからの俯瞰景を撮ってもらった。これは自然理解において、明らかにある視点を付加する。「ハスカップ原野は森に向かっている」。これとNPOのハスカップ調査の図を重ねると面白い。


動画⇒  https://www.youtube.com/watch?v=GEHEP1JvUwk
 
曳いていくときにドローンらしさを感じる。
  
ハスカップ・サンクチュアリ。原野ではなく森に見える。

下に私たち3人が見える。  *このページは2016/02/03に追加。右上のグラフは前田一歩園財団による助成事業成果。


雨の中の作業

2015/07/25 sat 雨 21℃ 
tomik & kusa


雨雲レーダーでは苫小牧あたりは雨が止むと予想できたので、遅ればせながら9時前に雨の中、家を出る。結果は、大島山林のあの一帯は終日、北西から南東に伸びる雨雲の中にいて、ずっと降られっぱなしだった。完全に読み間違い。ちょうど冬もこんなことがあった。天気が西から東に変わるのではなく、南北の定位置(石狩低地帯沿い)に雨雲が湧くアレだ。レーダーを時折見やりながら、雨の中の作業は予定通り進んだ。雨なんかこわくない(-_-;)

軽トラックを借りて現場着は10時過ぎ。tomikさんが薪ヤードとテーブル、薪小屋周りの刈り払いをしている最中で、ラッキーだ、わたし一人でない。そして薪ヤードは20日よりだいぶ片付いている。聞けば、tomikさんは昨日夏休みだったので、薪積みに来てくれた由。(わたしは江差と函館の出張のさなかだった。⇒トップ記事参照)
 
薪積みは残すところカラマツのみになった。わたしは軽トラで6番目のユニットにカラマツを運び入れた。tomikさんは散在する枝や端材をトラクター刈り払いの邪魔にならないよう、薪小屋わきにネコで運搬。雨は一向にやまないのでお互い雨具を着ての作業。

午後は小屋に行き、テラスの場所決め。どうもヤマモミジのあるあたりをセンターにした方がよさそうだ。ヤマモミジはだいぶ弱っており、駐車スペースの真ん中に残してあったもの。一方、枕木スペースは、腐ったものを排除して組みなおせばまだ使えるし、ここは隣のナラの根っこで束石の穴掘りに難儀しそうだ。設計方針を変更し、古い腐った枕木を撤去し入れ替えた。ウム、これなら使える。

今日のもう一つの仕事はテラス周りと小屋床下のガラクタ整理。錆びたバーベキューの炉や一斗缶、金網など不要なもの・邪魔なものを断捨離すべく軽トラに積んだのはいいが、受け入れ予定のクリーンセンターで断られ、紹介されたいくつかの処理業者や施設に電話連絡したが問題は解決しない。


活路は見えず、柏原の廃棄物処理場に行ったら休み。結局、大島山林の小屋わきに積み荷を降ろした。まるで、ごみの不法投棄だ。町民から通報が来るかもしれない。

*案の定、inabaさんに住民Uさんから「通報」があって、シカジカと事情を説明。水曜日頃、inabaさんご夫妻が車検の代車を利用してしかるべき現場にデポしてくれた。かくしてめでたく解決したが、綱渡り的幸運。


柏原の草地で

2015/07/19 sun 曇り 19℃


千歳病院の伸び放題の林内と小道などを昨日からabeさんが手がけており、残務をtomi夫妻と草苅が加わり半日で終えた。フットパスはワイヤーカッターで地際から深剃りのごとく刈りこんでおいた。外周も終えた。


一旦昼で解散したが、偶然abeさんと大島山林の薪小屋で再会し、abeさんは山林のフットパスを、わたしは柏原フットパスのサイン周りなどを刈りに出た。昨日も黒松内グループを案内して柏原にきたが、おそらく年2回の採草地の収穫時期以外、「人間」はほとんどやってこないところだ。春先の山菜「ウド」目当ての人たちなど一握りだ。「つゆ、おとのうものなし」。


人々は訪れない忘れられた一角だが、ここ柏原ほどは勇払原野の風土と歴史を感じさせるところも珍しいのではないか。いや、植苗なども含む、いわゆる目立った開拓から外れて「いにしえの面影」だけ残すこんな場だからこそ、豊かではなかったこの100年余りを匂わせるのかもしれない。

この柏原のフットパス一帯を今もっとも価値を実感しているのは、採草農家や今後の企業用のお宝と考えているかもしれない土地所有者ではなく、ヒグマかもしれない。ここを東西の移動の要として人知れず往来していると思い浮かべるだけで、すでに古い時代からの原野の片鱗を感じてしまうのだろう。

実際、人と自然が妥協しながら微妙な共生を演じているエリアはそうそうない。比較的境目があるのだ。しかしここにはそれがない。人口と半自然と耕作地と放置された湿原が大小入り混じりつつ、モザイク状に繰り返して存在する。そして住民はおらず活動人口の密度は極端に低い。柏原フットパスと銘打ったが、普通、ここを一人で歩きたいと思う人はいないだろう。
 

こんな原野だからわたしはよく一人でここに座る。わたしがまったく予想もせずに40年もの長い間関わることになった勇払原野という土地。ここをなんだか「みんなものではないか」と思うようになり、時々、土地のsomething great(産土(うぶすな))とつながったような錯覚を感じるためにもここは重要なスポットだ。人間の数ある幸せのなかで、土地とつながる感覚が最も上だと考える人はめったにいないが、そう感じる人が一人でも増えることを祈る。


ハスカップ摘み@小熊出現情報あり

2015/07/18 sat 雨時々曇り 19℃

①雨の中、30名参集
②黒松内から9名、視察
③オレゴン州でハスカップ栽培を始めた人の姉妹と
両親も




雨降りで、かつ前日、近隣で小熊がいたという
出没情報をメールで流したにも関わらず(笑い)、
30人ほども集まり、そのほかに黒松内から9名
が視察に来られた。さすが、野生共生社会。

が、収穫は今一つのようだった。




つた森山林から小屋へ行き、フットパスをめぐってから柏原フットパスを車で移動、展望台に上がってから遠浅のローソンでトイレタイムと弁当の買い出し、遅いお昼を薪小屋の前のテーブルで。

視察者の中に米国オレゴン州で2ヘクタールほどハスカップ栽培をしている方のお嬢さん姉妹(ハーフ)がおられた。彼女らの祖父母に当たるご夫婦が今回のツアーに急きょ参加されたおかげだ。


9時半過ぎ、めいめいは2万本のハスカップ
移植地に散った。


黒松内のNさん、さすがに慣れていて
正味30分もしないうちに、これだけ。
縁は異なもの。昼食後はハスカップの話になって、昨年のフォーラムを記録した「開発こうほう」などをお送りする約束をしました。北大の鈴木先生とも間もなくつながるはず。こんなことなら、サンクチュアリを案内すればよかったかな、と。

話は森づくりからハスカップのエピソードに飛び面白い話で白熱しました。まさに意外な展開です。録音しておけばよかったなあ、と後悔していたら、姉妹のおじに当たる方がボイスレコーダーに録音していました。

食後は、大島山林の北の一部をめぐってのち、苫小牧研究林へ案内、4時ころ、集合写真。満足なハスカップ摘みにはなりませんでしたが、とても勉強になる意見交換ができた。ご縁に感謝申し上げたい。

2015年の春から夏は、実に印象深いハスカップのテーマで終始しそうだ。



薪積みと刈り払い
~今年の薪は22棚~









2015/07/11 sat 晴れ inaba oyama
2015/07/12 sun kusa

草は伸びてきたがそろっているので緑が映える。

気温は30℃、風邪気味だったが家に戻るとなんとか
治っていた。
11日土曜日の現地はたった二人の薪積みだった模様。草苅は札幌で「白熱セミナー」で「地方創生と再生エネルギー」のディスカッションに参加していた。

薪はやはり22棚11軒分のようだ。後半はカラマツとトドマツの棚ができることになるがそれは仕方ない。来週はハスカップ摘みだからその次の25日に軽トラックを借りて小運搬してフィニッシュしよう。柏原フットパスの刈り払いも気になる。

12日は、ひとり、残った薪積みを昼過ぎまで、午後は厚真の斉藤泉さんを訪れて博物館に展示するハスカップジャム製造器具などを借用。その足で小屋に行き、ササミチフットパスを刈りこみ。


気温は30℃だった。

7/9 NHKの報道

約3週間続いたNHK室蘭さんの
取材の成果が昨日7/8のほっとニュース北海道で4分前後紹介していただきました。この時間で収めるには取材幅が広すぎたきらいがあり、集約してみると、つまるところ主役はハスカップの動きを可視化した「GPSのグラフ」となりました。これはこれで正解だったと思いました。ただ、活動に顔をだし協力された皆さんは画面に出ずきっと少々がっかりされたと思います。その点わたしは代表してでかい顔が出ましたが、それはそれで不本意であり慙愧にたえないものです(-_-)
 ともあれ、NPOの活動の一端が
新聞を含めて種々くりかえし紹介されたことは今回の取材に感謝すべきことであり、NPOにとっては大収穫でした。 取材開始から放映までざっと3週間。映像作りのご苦労をあらためて感じました。担当されたKさんに心から感謝申し上げたいと思います。
 それにしてもハスカップは地味です。イベントの旗でも振らないと目立たない。NPOの取り組みの目的も一般受けしない歯切れの悪いものだった。しかし世の中、往々にしてそういうものです。それでOKだと思います。ハスカップの行く末を見詰めつつマイペースでじっくり参りましょう。どうやら私たちNPOもハスカップの後見人の一人になったようです。



阿寒湖の森づくり研修とハスカップ調査

参加者10名
研修;abe arai inaba oyama kai kusa tomik & tomim migita wada
踏査;arai inaba oyama kai kusa tomik & tomim 7名

2015/07/04 sat 苫小牧~阿寒湖前田一歩園
2015/07/05 sun 釧路湿原温根内と白糠の恋問湿原でハスカップ踏査
2015/07/06 mon 大樹町晩成湿原でハスカップ踏査

苫小牧6時半発、阿寒着10時50分。
冒頭、財団の新井田常務と酒井さんが前田一歩園の森の概要についておご紹介ただいた。

経路は展望台(昼食)~馬頭観音~山の中の温泉~桂の大木と倒木更新など~イダシベツ川~パンケトウ~ヘクタール700立法mの林~ミズナラ推定樹齢900年の森~


展望台にて。

里の馬頭観音。数十年の鳥居が重なっている。

マカバ大木と女子。

森づくりに関わる人に共通することに、他人の山を見る
幸福、みたいなものがあります。山をみて学ぶことは
人それぞれですが、山の人は実体験と照らして、独自の
自然観、時間尺度を組みなおすのかも。

イダシベツ川。

直径160cmのミズナラ。

推定樹齢900年の説明を受けて。

**
新井田常務とアカエゾマツの枯死の話題になった。30年生あたりでなぜ枯れるのか、意見交換しているうちに昨今の森林学会の議論が話題になった。答えはあって、森づくりに長くかかわってきた人にエピソードとしてあった。経験知。経験値の共有というのが実は人生の醍醐味だと思う。

(釧路湿原のハスカップについて)
釧路湿原はこまめに歩いたわけではないけれども、勇払原野や都と背の原生地との違いは体感できた。

釧路湿原の温根内のハスカップ。水の中のハンノキ・ヨシ群落に生えている。実は小さくとてもハスカップ摘みに出かけたくなる代物ではなかった。恋問湿原、晩成湿原では見つけることができなかった。

7/1 ハスカップを追いかける
6/30午前は雨の中ハスカップのサンクチュアリ視察の方々を受け入れ、NHKさんの取材も敢行。午後はNPOと博物館の連携事業「ハスカップとわたし」の聞き取りを行いました。終日の雨、それなりにスッキリしました。写真上は市民のハスカップ採取のおばさんたち。結構篠突く雨なのに果敢に採っていました。これは次世代の女性に受け継ぐことができるでしょうか。写真下は、この日の午後、かつて静川に住んでいたSさん(81)に「ハスカップの思い出」のモロモロを聞く聞き取り調査風景。




home

雑木林だより トップ