いよいよ人と林の関係の深みに入って来た

NO.121

2023/01/07

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年末年始の休みに、もとい年末年始の箸休めに、昨年秋のフォーラムにおける講演のテープおこしを始めた。といっても1日1時間ほどの手指の運動のつもりだった。しかし、わかりやすく平易に語ってくれた講師・東大癒しの森研究所の齋藤さんの問題意識を一句ずつたどりながら、森と人の関係が途絶えてしまった現代に共通する問題を、ここ勇払原野で試していることがひしひしと実感することとなった。

ここに気の利いた一言を投げるのはなかなかで手ごわい仕事で、言葉ではわかってもらえない世界のような気がする。いわば「不立文字」の世界だ。日本人が大きく変わってしまった、と嘆くかそけき声を聴くたびわたしもそう感じるこの頃だが、それがもし本当だとすればその一因は、この言葉で伝えられない世界が、世代をまたいでいない、つまり伝わってこなかったせいではないか。教えてもらうのではなく、自分で悟るしかない世界。

その不立文字のめざすところは、時折行われる森のイベントや環境教育とは、だいぶ違った世界であり、その方法論は闇の中と言える。ピグミーやアイヌの猟、密教やヨガの世界などにその片鱗がわかる。たかが、身近な山仕事だが、深みというものがある。万事、そうかもしれないように。



桜と森と「花鳥図」の旅

2023/03/27 mon ~ 3/31 fri

三月弥生の最後の週、初日と最終日を長女が、中日3日を山仲間のA君がアテンドをしてくれて、東京と山梨を旅行することができた。以下は、樹木と庭を中心にした写真日記。


初日3/27は早速靖国神社を参拝して桜と人の波。その足で千鳥ヶ淵へ。立ち止まると整理員に注意される。

さらに目黒川(左下)へ。地下鉄を降りた途端、人込みは渋滞。日本人は桜が大好き、というか江戸庶民の楽しみ方と変わらないのかも。何故か若いカップルが多い。その足で、中目黒のスペイン料理屋「バル・エンリケ」へ。ミシュランのビブグルマンを獲ったという超人気の店で職人肌のシェフとのやりとりが印象に残った。

翌日3/28は八王子でA君にピックアップしてもらい、大正天皇、昭和天皇の陵墓を訪れ、稜(みささぎ)の森を歩く(上の右下)。広大な整備された森を歩く人はたった5,6人。

ここは桜と他の木々が上品な混じり具合。陵墓は大正天皇と皇后、昭和天皇と皇后の陵墓が別々のドーム型となって納まっている。武蔵野の雑木林の風情はほとんど感じられないような、荘厳なつくりになっている。大正天皇ご崩御のあとの建造だから歴史も100年あるかどうか。杉並木も名だたる古刹名刹のそれに比べればとても若い。

3/29は日本三大桜の「神代桜」を見に行く。樹齢2000年、ほお杖で支えられつつ、やや痛々しい。もう一つの三大桜である「三春の滝桜」の若木桜が納められ、風格を偲んだ。

この桜のある実相寺の墓地の中に直径1.8m程の大ケヤキが構える。四方見がよく、ケヤキはどこも落ち葉の量が半端でないから、さぞやと連想。しかし、さすがの壮観である。

A君は甲斐市の敷島梅の里クラインガルテンに畑付き別荘を借りている。畑越しに富士山がどんとそびえる。もとは桑畑だったとか。欧州のクラインガルテンによくある作業小屋ラウベというより、和風の別荘型住宅である。以前は奥多摩の別荘付きクラインガルテンだった。いずれも100坪から150坪で、年間50万円程度だから、もろもろ考えれば別荘を建てるなどと言わないで借りた方が賢い。

右は、その裏の雑木林。ここも、ゴミ捨て場の危険をはらんでいて、言わずと知れた民有地だ。しかし、別荘のたたずまいと言い雑木林の雰囲気と言い、ヒトの匂いのする本州独特な和みがある。

今回の旅の3つ目の目的である山梨県立美術館。ここでミレーとバルビゾン派の絵画を堪能。

やはり、朝マズメなどの陰影の美しさを愛でるバルビゾン派は心が動く。そして美術館の森公園のデザインが大変優れていると思う。しかも30年近いのに管理も行き届いている。

この日は、山梨の縄文遺跡などを展示している博物館も訪問予定だったが、時間が取れず別荘へ戻って夕食の準備へ。集まった山仲間計5人は、部屋の掃除、食器洗い、トイレ掃除など自発的にテキパキとこなすので、付き合いの多いA君はわれら山仲間は特別だと自慢げだった。

翌3/30、A君に今日の宿泊地・箱根宮ノ下の老舗ホテルまで送ってもらい、家人と長女に再合流。途中、太宰治の『富岳百景』で有名な御坂峠の天下茶屋に寄ってくれた。ここでふたりの山仲間と再会を期してお別れ。各々、茨城、松本に戻る。昨日は富山は黒部の先輩を別荘で送った。四つ葉マークをつけて峠を4つ越えるのだという。それもナビのついていないプジョーで。

創業140年を誇るホテルの庭はよく手入れされて気持ちが良かった。仕事をしていた園丁の方に伺うと、今年は桜の開花が10日以上早いとか。雑木林の保育同様、快さは維持しているのは人の手仕事。一人で淡々とこなしておられるのは見ている方も気持ちが良い。

最終目的地は3/31の岡田美術館。ここでは伊藤若冲と田中一村の特別展が行われている。田中一村は、昨年11月に訪れた奄美大島の田中一村美術館でたっぷり鑑賞したが、200年ほどの年月の隔たりがある伊藤若冲のながれでスーッと日本の美に気付かされる。

とりわけ、ふたりが取り組んだ一つのジャンルが花鳥図だが、虫も含めてこれらは「生き物讃歌」だという。著名な館長・小林忠氏の言だろうか、なるほどと思う。花鳥風月そのものが土地の「気」を感じるアンテナだと思う。その伝で行くと、枯れ山水画も翁、媼たちのひとつの理想的な空間描写だったことがしのばれてくる。

写真右は帰途、箱根の登山電車からみる山肌の桜。乗客の1、2割を占める外国人観光客も見入っている。
3/31 夜、10時ころに帰宅。明日の山仕事は午後からにする。


倒木処理の攪乱場所で鳥たちの朝の宴

2023/3/25 sat 晴れ 6℃
abe-aki abe-e oyama kai kawam kusa naka-f&s tomi-k&m tomiz wada ya-taro = 13 persons

■朝のひとり探鳥

数日前、手入れ跡地の枝だらけの薮にカラ類がよく来ていたので、今日は朝一番にコナラフットパスの逆ルートで歩いてみた。緩やかなくだり道に入った途端、クマゲラとツグミに出会った。シジュウカラの声もする。ゴジュウカラなどカラ類とコゲラを含むキツツキが多いが、これは5月の探鳥会よりもずっとにぎやかである。何より、クマゲラが右に左にと忙しい。どうやら1羽だけではない。




最もよく顏を出したのは、クマゲラでもっぱら地面のカラマツ風倒木のある地面に降りていた。アカゲラも半分は地面にいた。

除間伐や枝処理の跡では、往々にしてウサギがイタヤの枝を食べてマコロン状の糞を落としていたりする。一番多いのは、地面に落ちたナラの枝先の目を食べるシカである。2月15日のブログで紹介したエゾシカの集いの跡も、そのような宴の後だったかもしれない。

それにしても、山仕事のあとのやや荒れた林床は、林学や生態学などで攪乱地などと呼ばれるが、わたしは森林風致や美学の観点から長らく好きになれなかった。だから、林業という施業がなされた跡地に切り株がブルでひっくり返されていたり、凸凹に掘り返されていたり、枝が乱雑に放置されていたりするのは、人の風致体験もなされる場所としては、無神経だと見てきたのである。

しかし、動物の研究者は、「それがなにか?」とまったく意にも介しないことにびっくりしたことがある。新たに植物が侵入してきたりするから、森林に多様性を呼び戻す契機としては、確かに、このような攪乱箇所とかギャップはいいのかもしれないなあ、とは考えてはきたものの、この2回の探鳥で初めて実感として納得した。鳥も動物も嬉々として宴をはるのである。

薪割りして、すぐ積む



今日は朝一番にヤード進入路のわだち均しから始まった。2月下旬から3月の初め、地面が解け始めた頃にできた轍である。小一時間でこれを終えて、風倒木処理と玉切り&薪割り班に別れた。薪割りは今季初仕事である。午後から、割られた薪を積み始めた。積んでみてわかるのは、今年のストックがこれからどれほどの薪割り時間を要し、どれほど生産されるかという感覚である。仕事としてのユニット、あるいは1棚という原単位に附属するモロモロというものか。

玉切りし、割ってすぐ積んでいく作業は新鮮で楽しい。これらを半日ローテーションで回していけば、新鮮で飽きない。新しいシーズンの開幕である。


シマエナガに出会う


2023/03/21 tue 晴れ 9℃
solo-work

鳥が寄ってくる日はうれしい

雑木林はすっかり雪が消えたが、落葉の下は、まだ凍っており、不均等に溶けるものだから凸凹で歩きにくい。切り株も埋もれた枝も多いから、フットパスと呼んではいるがバリアだらけだ。よく躓くし、登山靴のような重い安全靴を履いているから、一輪車を押して歩けば、直ぐ休みたくなる。

そんな風にして着いた現場は、鳥のさえずりがにぎやかで、一輪車を置く早々、目の前に来たのはヤマガラ。右前方にキバシリ、そして5mそばまで寄って来たのは、今、人気のシマエナガだった。シジュウカラは、イアマフを外していると、シジュウ聞こえる。

今日も枯れたカラマツの処理がメインだ。樹冠の枝をかなり失っていても、やはり懸かり木にはなる。何度も追い切りと大とびのてこを利用して、倒して片づけ終えるまで結構な一仕事だ。




先週みんなで立会してシミュレーションした風倒木処理の跡(上の左)を見に行くと、ハルニレはほぼ玉切りを終えて、あとは根元だ。abe-aki naka-f さんに午前はurabe さんが加わっていたが、早いものだ。幹の多くは枯れているようで、無造作に寄せられているだけだが、なんとか、焚き付けなどにならないものか、と薪ストーブユーザーは心を砕きそうだ。

帰りに、静川のケアセンターに寄ってみる。林道は案の定、ぬかるみの泥んこで、あと10日ぐらいは林道はパスしたい。ログの窓から見る早春の雑木林風景(写真右)は大好きなもののひとつ。室温も9度を示していた。



大きな風倒木群に取り掛かる


2023/03/18 SAT 晴れ 6℃
abe-aki abe-e urabe oyama kai kawam kusa naka-f&s tomi-k&m wada ya-taro = 13 persons

早くも来シーズンの保育エリアと搬出経路を検討する


完全に雪が解けて、薪割り薪積み体制に入る直前の隙間の今日、この秋の11月から手掛けるエリアを早くも全員で踏査した。午後からの理事会で、一年の事業計画を議論するためもある。

ハルニレの大木や風倒木がある平坦地で、ここはハルニレフットパスと名前を付けて径を創る構想である。そしてその径は年が明けた1月ころから、集材とスノモによる藪だしと運材をするルートになる。この平坦地に入る斜面と広場に抜ける、インとアウトのルートもアタリをつけた。


kawam さんが、頼んでおいた伐倒をスムーズに終えたのが見えたので見に行く。持参した荷物を運ぶカートがなかなか良さそうに見える。ただ、里山のフットパスは不陸が多いので不安定だと言っていた。

abe-e さんもカラマツとキハダの伐倒を無事こなしていた。今シーズンから伐倒技術をさらに向上させるため、ふたりとも従来より少し太目の伐倒にチャレンジしてきた成果が、積み上げられた丸太に見えている。


午前の踏査の終わりに、コブシのベンチでなんとなく記念写真。

ハルニレ大木の風倒木処理に取り掛かる

朝の踏査のとっかかりで、ハルニレ風倒木の処理順序について、参加者全員でシミュレーションした。最後は、根返りした切り株を、ポータブルウインチで元に戻してモニュメントにすることにした。英国のフットパスでは、直径1mもある丸太に木工を施した格好のいいオブジェを見たが、そんなアートが、里山のフットパスに人知れず存在すれば、それも面白いのではないか。


里山はなごむ


2023/03/15 wed 晴れ 6℃
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山仕事風景の意味するものは何か




今日も朝から快晴、山仕事には絶好の陽気である。そしてようやくハクチョウやガンの上空飛来がにぎやかになった。斜面の枯れ木とツルを片づけて、ふと振り返った風景がこれだった。陽ざしと言い、雪解け具合と言い、いくつか積まれた丸太とやや乱雑に積まれた枝と言い、ああ、これが里山風景だよな、里山らしいなごみだなあ、としみじみ思った。

窃盗や人殺し、政局をねらった国会の質疑、領土侵略の危機すら報じられる内憂外患の今日、このひととき、この風景は何を意味するのか。世界の末端にある庶民の日常、小さな幸福のような、なごみがここにはある。



山全体で雪解け


2021/03/11 sat 曇り 6℃
(abe-aki) oyama kai kawam kusa tomi-k naka-f&s = 8 persons

■フットパスが川になる



この春、ガンの渡りは遅いように感じる。この時期は例年、大群が上空を右往左往するのだが、まだ声は数えるほど。

一方で、雪解けはすごい。ヤードの北西角(薪小屋の北端あたり)からこのナラのフットパスの終点にかけての低みに向け広場の水を集め、雪解け水はフットパスに収斂し、かそけき音を立てて土場の方へサラサラ流れ下っている。いやはや、渡り鳥とともに季節の底流れを感じるひと時だ。昼、原野の陽光ともあらためて一期一会の時間を過ごす。



入口の床屋さんの奥さま(会友)から、春の恒例になってきたお昼の差し入れをいただいた。今年はカレーとリンゴ入りパン(ケーキかも)。今日はサラリーマン現役世代は年度末の繁忙期も重なり、かつてない少人数の8人だったので、ご飯をタッパひとつ手つかずで残してしまった。カレーや豚汁の昼食差し入れは毎年人気が高く、欠席者からは「残念」のメッセージが多数届いた。



kawam さんがキハダの伐倒に取り掛かっていた。受け口はつくったものの、枯れが気になるので、ツッコミ切りをしてから追いヅルを切ることにした。隣の木が掛かっていたため、案の定、音を立てて倒れたが、枯れ木はツルでコントロールできないから、いつも要注意だ。そんな伐倒反省会をしながら、切り株を前に、キハダの焚き付けの優位性についてやりとりした。先週の ya-taro さん同様、使えそうなら持って帰る、と。



oyama さんは午後から土場Bへ、tomi-k さん、naka-f さん、kai さんは風倒木の整理など。捨て置いてもいい長材ではあるが、寄せた方が見栄えもよく今後のモノと人の移動の邪魔にならない(上左)。

わたしは相変らず、フットパスの北端から両側を片づけ、午前は枯れつつあるカラマツを5,6本倒して使えそうなものを径沿いまで運んだ。少しずつ、風景が変わっていくのを見る楽しみは、やった人しかわからない、限りない自己満足の世界だが、これはよそからの評価など求めない、人生の大事な醍醐味に似ている。上の左の写真を片づけていた tomi-k さんも同じようなことを笑いながら語っていた。

ハルニレ・フットパスのルート探し



このところ、秋からの除間伐エリアと、発生材の搬出経路を探して歩き回っている。コナラのフットパスは沢筋(これもいいが)だが、尾根筋は手入れするとイヤシロチのようなパワースポットになる可能性をもつ。コナラの径の東100mあたりにある尾根状の平坦地はこのパワースポットになれる要素を持っていて、運よくハルニレの大木が数本立っている。ここにルートを見つけてフットパス入口のコナラの方へつなぐと、なんとかスムーズな藪だしと、なにより目的とする修景が出来そうだ。

ただ、あいにくというべきか、大木のハルニレ2本が、2年ほど前、周りのカラマツなどを巻き込んで、風で倒れている。この風倒木は完全な根返りだが、別の木が絡んでいるので用意周到な準備と人の配置が必要だ。どの木の、どの枝をどういう順序で切っていくかなど、詰めておくことにしたい。来週、朝一番、みんなで下見して午後の理事会で事業計画を一歩具体化しようと思う。



ガンが上空初飛来、腐ったカラマツで消耗


2023/03/08 wed 曇り 8℃
solo-work

アウト・オブ・コントロール

どんよりした曇り空で、温度も高い。薪ヤードの水溜まりはいよいよ本番だが、テント内部の洪水は収まった。周囲から入る量と、床に掘られた穴に沁み込むスピードの収支バランスか。それと先週のプチ土木作業も効いたようだ。

上空からはガンの声が聞こえる。今季、山林初飛来と見たが、風にもまれて一瞬のうちに林の向こうに消えた。



烏(カラス)どまりの止まった、フットパス沿いのカラマツに受け口の切り込み入れて、2枚目のクサビを打ったところ、たった1打で倒れてしまった。挙句、思った方向より20℃ほど右に寄ったため、ハルニレの二股に懸かってしまった。一枚目の右のクサビは効いたので、これは簡単に行ける踏んだのだが、左側が完全に腐って、コントロールが効かなかったのだ。

懸かり木は、追い切りを繰り返し大とびで根元を曳きながら連続するしかないが、あいにく、カラマツは結果的に直立してしまった。直立してしまったものは、どちらに倒れるか読みにくくなるので、一人ではあまりやりたくない作業だが、切り込みを入れたあと、今度は反対側に大とびで曳きながら慎重に倒しおえ、ようやく丸太を片づけた。



先週、oyama さんが手がけたサクラのツルのからまりが気になって、かなりの量を丁寧に落とし終えたが、それでも少量が残って釣り下がっている。その先を見ていると、ツルのもとのナラが傾斜していて、かつ、ハルニレとカラマツに挟まれているのに気づいたので、このナラを伐倒した。先週終了したはずの薪運搬だが、意に反して、きれいな薪用の丸太ができてしまった。
さすがに大きな薮の跡(写真左)はこれ以上手を加えたくないほどの古戦場だ。

予定外のカラマツの不始末とナラ丸太の小運搬でヘトヘトになってしまった。それに昼なしの連続作業だ。雨が降りそうなくらい暗い空になったので、1時半過ぎ、ソリを曳いてテントに向かった。





除間伐のシーズン終わる


2023/03/04 sat 晴れ時々曇り&雪
abe-e oyama kusa kuri kai tomi-k&m wada ya-taro = 9 persons

最後の整理作業に着手



フットパス両側斜面の、超目障りな倒木などはほぼ片付けが済んで、7,8人で奥へ向かい始めた。このままいけば、新緑のころまで、ハルニレフットパス新設の目途が着くかもしれない。



わたしがヤマモミジを玉切りするそばで、ya-taro さんがヤチダモのような枯れ木に取り掛かる。立ち枯れだが、幹はしっかり直立しているのでクサビを使って倒したが、残念、二股にかかった。追い切りを繰り返し、大とびで根元をひっぱり、最後はフェリングバーで根元を起こした。

これらは焚き付けに良さそうなので、玉切りしてヤードに搬出。



もう一つの枯れ木に取り掛かって、いくつかに分枝した樹冠があちこちで懸かり木になり、応援に行く。倒れる枝などを大局的に見てくれる人とペアになると、安全性は上がる。暴れた枝は記念に片づけないで午前は終了。

■午後は役員の打ち合わせ、のち最後の運材、そしてスノモを格納



わたしは骨休めに、フットパスに倒れていたコブシの幹にチェンソーを突っ込んで、ベンチを作ってみた。なかなか、按配がよろしい。

午後は、テントで理事・監事と事務局の運営会議。日頃の懸案を「未来志向」で意見交換。会員20人足らず、常時実働する人10人前後の小さなNPOだが、他人の土地100ヘクタール近くを預かるうえに、商品価値のある薪という最終産物を扱うから、自賄いとはいえ、自ずと取り組みは自律的になる。まあ、いいじゃないか、と言う前に結構「堅ぐるしく」律するので、合意したい事柄は次々と出てくる。

また、日々、回転する活動だから、コアになって動く人たちを中心に、時々参加する人がまごつかないような配慮も欠かせない。文言でルール化しない、ゆるい、善意の関係者の営みを、さて、どこまで継続できるか、毎日が正念場である。

ヤードの周りでは、イタヤカエデの樹液採取が今年もマイ・ブームとなっている。今がシーズン真っ盛りで、右のペットボトル2本は、wada さんが昨夕取り付けたもので、一日たって両方満タンとなるほどだ。

左のポリタンクは、イタヤ初登場のya-taro さんの今日の仕掛け。ドリルで穴を開けた途端、ポトポトと滴り始めた。

間違いなく、春は駆け足でそこまで来ている。テント内の洪水は辛うじて避けることができたが、来週はヤードの雪は半分消えて、勇払原野特有のぬかるみが始まる。夕方、最後の運材で6往復して、スノーモービルを早々に薪小屋に仕舞った。この先読みが、快感でもある。



これからの山仕事スタイル


2023/03/01 wed 晴れ 6℃
kusa wada = 2 personz

先週から急速な進捗で新しい局面見え始める

いつもの一人の山仕事に、今日は地元のwada さんが顔を出した。先週、丸太の運び出しをすべて午前中に終えたので、総勢でコナラのフットパスの支障木整理に入ったおかげで、土場Aから先が格段に仕上がって来た。しかし、径の東側は特に、尾根の奥まで風倒木が累々と見える。



これから片づける風倒木の山を、初めてみるwada さんは「これは当分、終わんないわ」と呟いた。山仕事がたんまりとある、というのは、しかし、うれしくもある。先週のように大勢で関われば、意外と早々と風景変化に加速がつくだろう。

カラマツを枯死木を追い切りを繰り返して片づけていたら、先端部が二股に入った。これを倒して枝片付けと玉切りをしていたら昼過ぎには終わらないと思い、残りは週末に回そうと別の倒木にかかろうとしていたら、wada さんが来て「やってみるから、見ててね」とおっしゃる。

懸かり木を受けた側のヤマモミジは、(写真右)画面上部の向こう側と手前に太い枯れ枝を持っていて、心配しなければならないのは、このふたつ。wada さんは受け口を作って、やがてクサビを打ち込む。

先端が静かに30cmほど倒れ始める瞬間は、往々にしてハンマーを打つ本人は気づいていないので、ピピピピと細かいインターバルでホイッスルを吹いて知らせる。やがて、枯れ枝が急に落下することもなくスムーズに伐倒完了。やはり、玉切りは来週に回す。

フットパス、つながる



ようやくメインの径の直近風景は写真のようになって、フットパス全体がなんとなくつながった観がある。この右手が尾根筋まで手入れを待っているのだが、例えば今日のように、わたしともうひとり地元の人などが加われば、身近な民有林の手入れの新しい仕組みが見えてくるのだが、今年、その概形ができるかどうか。その意味で、今日のふたりの山仕事スタイルは、安全の上からも理想だ。

これから数日の作業で、尾根筋のハルニレの大木4,5本の周囲を片づけることによってハルニレをクローズアップし、コナラのフットパスから「ハルニレのフットパス」を新設して、それを4本ドロノキまでつなげたら、おもしろいなあ、と夢見る。

昼なしで午後1時まで作業してテントに戻る。テントの地面には、朝、わたしが着替えた頃はまだ水はなかったが、午後は洪水状態だ。入口から小さな流れができてテント内に注いでいる。駐車場や周りの雪解け水が、テントという踏み固められた低みめがけて注いでいる構図だから、土手を築くか、水抜きに期待するしかない。

カップ麺をすすって歓談して散会。



冬の除間伐の成果、すべて運び終える


2023/02/25 SAT 晴れ 0℃
abe-e oyama kawam kusa tomi-k&m wada ya-taro = 8 persond

林に残した丸太のスノモ運搬、完了

午前11時、土場Bの最後の材を載せ終えて、ここの主だったメンバーと。


午後3時過ぎ、土場Aの担当責任者tomi-k さん(右)とともに、最後の山盛りのソリを囲む。



いつものことながら、雪の山からシーズン最後の丸太を運び終える日は格別な思いだ。

秋口や初冬に取り掛かるツル切りと除伐、そして間伐と、毎年異なる現場で樹木構成とケースバイケースの扱い、そして運材のタイミングなどをすれすれに判断しながら薪の生産予想(心配)までする。それがたいてい、搬出路の雪解けギリギリだったからだ。

今シーズンは穏やかな冬で、本格的な除雪は1,2度で済んだほどで、その分、雪解けが早い。午後は総力でコナラのフットパスの支障木伐採(右)とスノモ運搬にあたった。おかげで、フットパスはメインの通りが画然と見えてきた。

来週からはフットパスの東側斜面の風倒木と枯れ木処理に取り掛かりたいが、薪になるような材はないので、切り捨てと整頓だけでよい。

 
フットパス脇の枝を処理するtomi-m さん(左)。こういう作業の積み重ねがフットパス沿道の風景を少しずつ変える。右は薪ヤードの集積(ラス前あたりの積み下ろし風景)。

今日は一日久々にスノモ運転の代役をしたが、17往復でスノモの距離メーターは1700kmを超えていた。最後の満載のソリ運転時はトルクメーターの針が6200回転でさすがにスノモが悲鳴を出すように唸っていたよ、と言われたが、わたしにはスノモが逆に喜んでなつかしい歓喜の声を出しているように聞こえた。

久々に、oyamaさん、tomik さんの積み込みコンビで運材をしたが、誘導や合図はさすがの呼吸で、現場がヤードともっともっと離れていたころ、サイクルタイムを削って鍛えられたものかと振り返った。薮をくぐるため、よく木立にソリをぶつけもした。スムーズな運搬工程はそんなことを継続的に経験しないとなかなか身につかないもの。そのoyama さんは、時々出がけに体が重いと呟いていた。わたしも夜は熟睡してトイレにも起きなかった。もろもろの世代交代はいよいよ近い。


早春を寿ぐ

2023/02/21 tue 快晴 -6℃

木立に春を感じて




ファッションは季節を先取りする、と言われる。人の心情は過ぎ去った季節よりやがてやってくるステージに何やら希望を託して渇望するようなところがある。北欧の人たちが、冬や春の到来をメモライズするために祭りをするという話しに共感して、小屋ができたころから、年の瀬に冬まつり、早春を告げる2,3月に春祭りを、勇払原野のこのログハウスに泊って毎年飽きることなく祝ってきたものだ。

快晴の2月、やはり心は踊って静川の小屋掃除に出かける。防犯の意味も込めた点検である。建物は古来、人が来ないと寂しがる、と聞く。一帯は案の定、端正な「手自然」風景を見せる。積雪は30cmあまり、小屋の訪問者は、先月中旬の自分以外にはなし。小屋と自分の間には一本の糸が見える。

それにしても、これほど平坦な雑木林風景は、奇跡ではないだろうか。それも半世紀前は炭を作るために伐られたエネルギー調達の跡の薮だった。B級自然「勇払原野」の素顔がこのあたりにある。

酷寒の雪の上で眠る動物



小屋の室温は-6℃。外の方が1、2℃高いような気がしたので、薪ストーブを点火してから入口と窓を開け放って換気しながら掃除。それが終わって間もなく、春先に手掛ける枯死木を見て歩く(写真左下)。この林小班は1ヘクタール近くあり、枯死木は相当な量だから、一人では手に負えない。画像だけではわからないが多くは立ち枯れ状態にあり、これを整理して広葉樹林に置き換わる補助になるかどうか、ちょっとした実験になる。



歩いていると、雪面に大きなへこみがいくつもある。周囲にシカの足跡がたくさんあるから、夕べ、シカたちがここで休んだところだとわかる。-20℃近い寒気の中で、しかも雪の上で眠る生き物という点では、エゾシカこそ北海道の風土にもっとも適応した種の典型だと思える。


コブシ、キハダ、そして、ドロノキ

2023/02/20 mon 雪のち晴れ


薪ストーブ生活を支える脇役的な樹木たち


ストーブ脇のコブシの焚き付け(写真下)と薪。写真上部の中央がキハダ、両隣はナラ。

林学の中では、かつて「適地適木適作業」という言葉というか、習わしのようなものがあって、いわば林業や森づくりの基本となる当たり前のこととして言われていた。その土地にあった樹種を、しかるべき方法で扱って林業を営め、という不文律と理解すれば至極当然すぎる話である。

しかし、科学的にそれらを証明して見せるとなると、それは言うほど簡単ではない、と今なら理解できる。しかも、木の育たない勇払原野において、炭焼きをするために伐採をしてナラなどに萌芽更新をさせ、造林経費を費やさないでまた林にする繰り返しというのは、まさに「適作業」の典型であり、先人の試行錯誤の末にたどり着いた結論だった、と思える。

そして今。

わたしは森づくりの過程の結果として自然に薪ストーブ生活に入って、薪を自給するようになったわけであるが、自然の産物をゴミにしないで燃料にするべく愚直なまでに人力を投与して、冬の暖を取れる体制にこぎつけた。その利用の仕方に、実はかなりの蘊蓄が一杯くっついていて、それは寒冷の北欧などの暮らしが先輩格であることを、ノルウェーの名著『薪を焚く』を読んで痛感した。翻って北海道の開拓では、こと暖房の文化はまったく失敗だった事実を、いくつかの歴史記述の中にみつけてきた。

ところで、薪の暮らしの蘊蓄であるが、樹種、木の伐り方、その時期や集め方、扱い、チェンソーなどの器具、運び方、乾燥の方法、積み方、そしてストーブの仕組みや燃やし方などなど、微細にいくつもあげることができる。その以前に、誰の林でどう材を調達するかなど、むずかしい「そもそも論」も立ちはだかっている。普通はまずここで挫折するのである。

この頃の私的発見は焚き付けの材料である。勇払原野の雑木薪は、もとから多種の広葉樹でできているが、シカの食害などもあってか、樹種構成の中ではシカが食べないコブシの木が非常に多い。材として評価はあまり聞かないが、今、わたしが使っている材の1割弱はコブシであり、実は焚き付けとして非常に重宝している。小割りにしやすく、良く燃える。火持ちは良くないがマッチで火がつくほどだ。

同じく、コルク質の厚いキハダも、よく割れ、火付きがよく、雑木薪にはよく含まれているので、焚き付けが不足したら、薪棚の中からコブシとキハダを抜き出して、キンドリングクラッカーでその都度割るのである。半月分くらいを10分ぐらいで作るだろうか。このキハダの混入率もかなり高い。

燃えやすさの点では、マッチの軸木に使われたドロノキは言うに及ばず、である。勇払原野の沢筋では時にドロノキの一斉林ができるが、今の現場ではあまり出てこない。そもそも、大島山林などでは母樹がほとんどないのである。群落云々をいう時、やはり付近に母樹があるかどうかが、もっとも大きなカギになるような気がする。種子の飛散距離などはその次の条件ではないかと思う。

こうしてみると、薪ひとつに、細かい発見と工夫と、そして喜びと温もりが詰まっていることがわかる。風土から与えられた恵みを、うまく上手に日常の中で使いこなすのは、わたしのリタイヤ後のモットー「晴林雨読」の醍醐味だと感謝する日々が続く。風土感覚に根付く薪調達は、消費経済とはまた別の世界にあるのが興味深い。



雪解け、すすむ


2023/02/18 sat 曇り 5℃
abe-aki abe-e urabe oyama kawam kuri kusa naka-f&s tomi-k wada = 11 persons

山の手入れ、終盤



穏やかだったこの冬が終わろうとしている。明日は24節気の「雨水」という日に、苫小牧は朝、雨がぱらついた。スノモの搬出路(フットパス)は地面が見え始めた。こうなると雪解けはもうかなり早い。雪面から、葉を黄変させたササが目立って、季節の移り変わりを醸し出す。



池のそばの土場から下ると、池の向こう側の東斜面は、もう山肌の林床が見える。斜面上部の長材を玉切りして、ここはほぼ運び終えた模様。

今日のスノモ担当は urabe さん。バイク乗りだったという彼は、朝一番にギアオイルを補てんし、これで先週来、スノモのチューンナップが一段落か。購入以来7年程の間の走行距離はまだ1600km。

一方、土場Aの尾根筋では、ポータブルウインチ(PW)を諦め新たに伐倒したものをその場で玉切りし、無人のソリで土場へ下ろし始めた。naka-f さんが見守っている中、結構なスピードでソリは落ちていく。溝が掘れて滑り台方式になっており、林業的には修羅の超ミニ版にあたろうか。どうも、PWの効率や信頼度が落ちているようだ。



確かに、上の写真のように、尾根筋で玉切りしてソリで落とす方が確かに手軽そうだ。正直言えば、わたしはPW支持派だが、たしかにスキッドコーンとロープを持ち腐った雪の斜面を往復するのは、考えただけでも疲れそうだ。

わたしは、午前一番に、今週と来週用に新たに抜き切りする丸太を追加選木して黄色のテープでマーキングしたところだった。平日、コナラのフットパス沿線の薮の手入れで発生した少量の丸太も早く運び出すために、スノモのソリ走行でぶつかりそうな樹木を伐り進んで玉切りした。あと、50m程で楽に通過できる。

午後は、メンバーの手入れ跡地に残された大きなシラカバの枯れ木や懸かり木などを倒して歩いた。原木のいいメンバーは、枯れ木などには目もくれず、伐倒しがいのあるものに目が行く。

写真右の奥にはtomi-k さんが片付けをしている。




土場がシカの寄り合い場に

2023/02/15 wed 快晴 -3℃
solo-work

一人仕事は常に慎重に



今日も快晴、朝の苫小牧は-11℃、大島山林はそれより数度低かったはず。

一人の山仕事は、心がけなどしなくとも自ずと慎重になるが、このところ懸かり木やツルばかりで容易なものはほとんどない。今朝の最初の現場は、3本が上で絡んで、かつ太いナラが懸かり木になっているので、伐倒の優先順位をよく見極めてから、最後の一本に締めのようにチェンソーを入れた。大きな音をたてて3本まとまってゆっくり引きずり込むようにダウン。あまり楽しい仕事ではないが、シミュレーションが当たっていることには一応満足する。逆に当たらないのではまずいことだが・・。

土場の相互利用か?



作業後、土場Aに降りていくと、広場がシカの足跡だらけで、まるで宴でもやったような賑わいだった。今から40年近く前、シカを餌付けしようと思い立って、つた森山林のシイタケ小屋の前に乾草の餌台(小屋)を設置したが、翌朝結果を見に行った時の光景を思い出した。あれはクリスマスの前日で、まるで宴状態だった。なにがあったのだろうか。



シカたちの宴あとから今年の手入れ風景を眺める。この二股の平地からみる手入れエリアの美しいこと。左奥にはわたしの「ひとり山仕事」のエリアがあり、右奥の沢は、4本ドロノキエリアで、あと10年近く除間伐作業が続けられる。



あらためてゆっくり今シーズンの手入れ跡地を眺める。ここ土場Aに携わったメンバーには色々な感じ方や目的があるだろうと思うので、何も響かない人もいるかもしれない。わたしはといえば、早春のこのような日の、この風景に出会うため、勇払原野の雑木林に通ってきたようなものだ。

わたしにとってのイヤシロチ、パワースポット風景である。北海道の冬山を経験してきた山友達などは、絶賛すること間違いなしである。山登りとは、そもそも未知の風景への感動も動機だったのかもしれない。ここは里山の丘に過ぎないが、初めて出会う雪山風景と似ている。

心あるもの達が創っていく林の風景、これ以上のガーデニングはないのではないか。一冬の山仕事でここまで風景を変えるのだから。


分担と連携、チームでリカバー


2023/02/11 sat 晴れのち曇り 1℃
abe-e urabe oyama kai kusa tomi-k&m wada ya-taro = 9 persons

人力による本格除雪、開始



今シーズンから、薪ヤードの除雪はママさんダンプなどを駆使して人力で進める準備をして来た。大雪の時はどうする?と聞かれれば、「その時は休む」が正解だ。そのために、大雪が降る前に大方の仕事を終えてしまおうという、作戦の大幅変更である。

先週のまとまった雪は、ちょっとした手違いでmigita さんの手を煩わしてしまったが、今日は、残されたテントを回るルートを、自宅のスコップなども持ち寄って除雪。1時間余りで完了した。雪が湿っていなければ、この面積をこの時間でできる、というおよその歩掛予想ができた。結論は、「頭数と時間で可能」、と出た。

また、先週のスノモ作業をサポートした札幌の sasaki さんから、エンジンルームあたりから異音がしていて原因はドライブチェーンが伸びたのではないかという見立てのメールと関係取説が送られてきた。それを受け、コモンズでメカに強いurabe-tomi-k の二人がさっそく取り掛かって終了。とりあえず異音は消えた(ように思う)。

第1段階の藪だし、ほぼ完了



午後から、tomi-k さんと組んでポータブルウインチを使って、雪の下に残された丸太を掘り出してけん引した。玉切りされた丸太も数回スノモで運び出して、土場Aは残りが見えてきた。土場Bも、昼過ぎで玉切りされた丸太の運搬が終わった。

ちなみに、このところ不調とされたPWだが、数年前の記憶をたどって自ら操作してみると、まったく支障はなく、要はドラムにロープをきつく巻きつけて摩擦を最大限にすべく腕力が求められるだけで、牽引力も十分であることがわかった。

しかし、直径30cmクラスで6m以上もありそうな丸太はさすがに重く、曳き切れなかったため、半分に切断してもらった。そもそもPW作業は片手で鼻歌交じりでこなせるものばかりではない。極論すれば女性には無理かもしれない。そしてスタッフとしては、やはりtomi-k さんと二人ではちょっときつかった。わたしのスマホ万歩計は6kmを示したから、わたしより斜面を何度も移動した tomi-k さんは10km近かったのではないか。

作業進行を振り返って

これで、11月の着手当初に予定した分はあらかた完了したことになる。

選木されたものがまだまばらに残っていること、伐倒だけ済んで放置された長材が雪に埋もれたことと目印がないことなど、半端や虫食い状態になってしまった反省もあるが、まさにテキトーにメンバー相互にリカバーして、結果オーライとなった。

oyama さんも言うように、相互補完の冥利に尽きるのではないか。
わたしはこれをチーム力と呼びたい。この流れで行けば、雪が解けてスノモ運転ができなくなる直前まで、丸太や長材を見つけ出して運び出すことになる。また、あと3,4回は間伐と藪だしを継続できそうだから、それらを含めれば例年並みの材の量になると見込まれる。

ところで、一昨年来、コモンズの仕事の内容を事務などの内業と技術も使う外業に分類して、さらにメンバーに細かく分担した結果が、やっと少し見えるようになってきた感がある。このままいけば、いわゆる世代交代がゆっくり進みそうな気配だ。

もちろん、メンバーの多くは現役バリバリの勤め人で子育て中の人も混じるので、毎週参加できるわけでもないから、とびとびの参加にならざるを得ない。しかしそこを、リタイヤしたメンバーなどが中心になって全員参加で穴埋めをする構図である。

一般論としての旧来のコモンズでは、「みんなが略奪的に持ち去るばかりで悲劇が起きる」と予想されてきたが、人々の知恵により「持ち去り」ではなく「持ち寄り」によって、さらには不足分を「誰か」が「穴埋め」することによって、持続的な運営と管理が可能になっている。タダ乗りではない、その「誰か」という見えない真逆の役割こそ、実は手応えのある大人の世界と言えるようだ。

周辺余話

・お昼、町内の nomura さんから飲み物とお菓子の差し入れがあった。山林を最も歩き続けるご夫婦である。夕方は、山林のメイン入口から二人のウォーカーが池に向かって降りて行った。やはり、少しずつ散歩者は増えているのだろうか。

・町内の方から、NPOのヤードをトラクターで除雪してあげようか、との声があるらしい。しかし、現在の人力自力除雪という方向性を話し、丁寧にご辞退申し上げていただいたのは結果的に良かった。

・wada さんは2度の怪我のために家族からNPOのボランティア活動をやめるように言われているようだ。やはり、といったところか。本人は十分事故原因を反省したうえで、メンバーとの貴重な語り合い交流の場は失いたくないとの考えで、続行の意思である。

・話しのついでにwada さんと事故の原因を掘り下げてみた。見るからに危険そうな伐倒ではなくなんでもなさそうなところで起きる事例は枚挙にいとまはなく、要するに、慣れ、慢心、過信、注意力散漫、などメンタルな要因が矢継ぎ早に出てくる。ふたりで「そうなんだよねえ」と相成る。しかも、これらは加齢とともに増幅されるリスクとも言える。個人的な気構えとして、わたしはこの頃、自分には十分な時間が与えられているから少なくとも慌てる必要は全くない、と言い聞かせて、失ってしまった体力知力を補うべく、「ゆっくり」「step by step」を旨としている。一人の山仕事も多いから、実は切実なのである。



ケガレチ風景を変えるのは時間がかかる


2023/02/08 wed 晴れ 0℃
solo-work

ケガレチは植生改善で生まれ変わる



風景をコントロールする意味は大きい。
特に5m以内の至近景から50mほどの近景あたりの植生を改善する効果は計り知れない。それ以遠はしばしば細かい部分はとんで大目に見ることもできる。だから、径の両側の風景で気持ちがすさんでしまうような荒れ地の状態は、少しずつでも胸の膨らむような方向に向けていきたい。そのために、大きな効果を持つのは植生管理だ。まず樹木、そしていずれは今、雪の下にある草本の植生。

今季わたしがsolo-work で手掛けている場所は、最初からまさにこのケガレチ状態であり、先週からは、錆びた一斗缶などが大量に捨てられ、ホザキシモツケやアワダチソウの小さな原っぱになった一帯に手を付けており、周囲はこじれた樹木と、株立ちで枯れたヤマグワなどだ。だから大量の立ち枯れが目立つ。ここは民有地との境界から100m足らずであるから、きっと小屋か廃屋の跡ではないかと思う。

ところで廃屋はなぜこのようにケガレチになってしまうのか。
ゴミもさることながら、不自然に放置されたウラミのような残り香が漂うように感じて、できるものならナントカしたい、という気持ちがわたしは自然に湧いてくる。

今日はやはりスノーシューをはいたまま、これらを征伐して回った。ほとんどが絵にならない。まだ土場Aまで200mほどある。左奥にはカラマツ風倒木の墓場のような風景が見えるから、エンドレスだ。

90度方向が狂ったを危ない伐倒



そんな中に直径30cm近い桜の木があった。樹幹の上部は枯れているから恐らく幹の部分も腐れが入っているだろう。フットパスから5m程のところに立っているので、このままでは突然倒壊の恐れもある。

しかし、この手のものは非常に危ない。まず、チェンソー振動で枯れた枝が突然落ちることがある。また、チェンソーを当てる部分が腐っている場合は、ツルによるコントロールが効かず、思わぬ方向に倒れる。

このサクラは目指した方向の90度左に倒れた。クサビ一枚入れて調整していたがツルはほとんど効かなかった。ハンマーを一打ずつ打つたびに傾斜と音の反応を確かめているうちに、突如、バキッときたので反対側に逃げた。丁度90度ぶれたのは久しぶりだった。

フットパスウォーカーがやってきてご挨拶。絶好の散歩日和で先週のスノモ圧雪を喜んでいた。
作業後、かなり奥までスノモ圧雪に行ってみると、おびただしい人の足跡に交じって、鹿、ウサギ、狐、狸のようなものが縦横に歩いているのが確認される。クマゲラも数回、顔を出した。


AIが仕事するという時代の骨董品的手仕事


2023/02/04 sat 晴れ時々くもり 0℃
abe-aki abe-e oyama kai kawam kusa naka-f&s tomi-k wada ya-taro sasaki = 12 persons

PWの藪だし不調



今季2回目のまとまった降雪は15cmほど。前回あたりからささやかれていたようだが、ポータブルウインチの効率が著しく悪く、尾根上で玉切りしてソリで運んだ方がまし、とのこと。

それではあんまりなので、雑木林だよりの古い記録(平成29年12月17日)を見ると、仲間グループに教えてもらって事後は快調に交代で操作し、3月まで玉切りして出した。翌年は、シカの試験地を作るべく小面積皆伐後にPWによって集材して、大量の材を玉切りした。多すぎて林内に放置した丸太がみるみるカビていった、あの時である。

機種、スペックは多少違うのかもしれないが、来週、試しにわたしが操作してみるつもり。やはり駄目なら作戦を変えねばならない。

と、naka-s さんが、わたしの玉切りするの脇で、雪だらけの直径30cmの重い丸太をソリで運び下ろしていた。「AIが仕事する時代に何ということを!」と言いながらふたりで笑いあった。奥では、naka-f さんとkai さんが必死に玉切り中。



今週からスノモ運搬にabe-aki さんが参入。サポートには札幌から会友のsasaki さんが飛び入り参加してくれた。スノモ運転は、事故と破損修理を避けるため、講習を受けた人、過去操作経験のある人に限定して頼んできたが、abe-aki さんはもともとエンデューロのオフロードバイク乗りでスノモも乗っていたというので、注意事項を申し送りしてお願いした。sasaki さんは現役のオジサンバイク乗りで、過去7、8年、この時期に手伝いに来てくれていて運転経験も豊富だ。

写真右はkawam さん。蓄電池のハスクバーナで静かに玉切りと運搬作業。土場Bはこの奥にoyama wada abe-e ya-taro さんの4名が入っていた。



わたしは午前はBで1時間を先週の残りの玉切りに費やし、午後はAに移動して、集材された長材を玉切り。このところは玉切りの連続だが、これも薪づくりの欠かせない過程である。今季からは申し合わせて、写真右のようなやや腐れのある材もOKとし、採寸も原則35cmからプラスマイナス2cm程度は、よしとしている。長材は伐っていくと最後はどうしても端数が出てしまう。ほとんど仲間内の自家消費だから、もったいない、が先にたつのも一因だ。

こうやってコツコツ作業を蓄積して、一年分の薪になる。まさに手仕事の連続であり、AI などの出る幕はない。



薪利用の境目

2023/01/31 tue 晴れのち曇り -3℃
solo-work

枯れているが腐っていない



州の中日の水曜日からは雪が降りそうなので、その前にと出かける。新しい雪は数センチで積雪は25cm程度。今日も、気になる枯れ木、ツルなどを片づける。

フットパス沿いにはかなりの枯死木や不良木が目につくが、伐ってみると意外に硬いものが多い。アカシアの枯死木などはチェンソーを当てるとカチンカチンという感じだがそれと似ている。

写真左のヤチダモが枯死木もそんな感じで、枯れ木だが、腐ってはいない。薪ストーブユーザーなら思うだろうフレーズ「もったいない」がやはり思い浮かぶ。特に焚き付けには最適だ。直径20cm以上あったから、使いでがある。残雪のころに、ソリで積んでいこう。

実は、薪利用を想定すると、山仕事の跡にはまだまだ使えるものが残されているのが実情だ。ただ、割る手間は、直径20cmと10cmでは一緒なので、つい、その効率を考えてしまうのだ。結果、10cmは山に捨ててくる。もったいない、と思えば在庫は無限大である。小さい子供を連れて家族ぐるみの作業にでもすればぴったりなのだが…。

今日はずいぶん太いツルも伐った。直径15cm程はあったろう。いわば、一帯のツルの主(ぬし)のような存在だった。これを終えて梢をみると、穴が開いたように空が広がっていた(左下)。



次回からの作業場を下見して沢を下るとほどなく、土場の蛍光テープが見えたが、両側斜面の風倒木が多いから、連休までに終わりそうもない。

今日は、作業していても温かくならない。早めに切り上げて帰る雪原は、ソリが重い。



雑木林に射す日差しが変わった


2023/01/28 sat マイナス4℃
abe-aki abe-e koyama kuri kusa naka-f&s tomi-k&m wada ya-taro = 11 persons

■梢の光



直感的に、冬のピークは過ぎた、と思わせる雲だった。梢も雪面もまぶしく、裸眼の野外活動はやめて次週からはそろそろサングラスを用意しようと思う。来週はもう立春だもの。



2週前、枝の処理で怪我をしたwada 師範がカムバックして現場復帰した。なんと、のどかな光景か。この光景が、山仕事という「仕事」の最中のものに見えるかどうか。オジサンたちの山仕事はかくも優美であり、本人の手応えもなんとなく少なくないのではないか。

午後、NPOの運営に関わるメンバーで打ち合わせを2時間。新しいシーズンの方向をざっくり見定める。あとは、臨機応変に、優柔不断に、蛇行しつつ、ゴー。

■2か月の前倒し、生きる



今季、自主的な除雪の限界を考慮して、除間伐を2か月前倒しし落葉後の11月にスタートさせた。ここまでを振り返ると、明らかに例年より2か月早く進んでいる。薪ヤードの今の光景は、普通の年の3月下旬に当たることは、毎年の雑木林だよりを開いてもらえば垣間見え、一目瞭然だ。今日はkuri ちゃん、abe-e さんコンビが、土場Bエリアをスノモで17往復。お疲れさん。



わたしの午前の仕事は、先週残した雪の下の長材を掘り出して玉切りし、径の反対側に埋もれていた2本のナラの長材をまた掘り起こし6,7本玉切りしたところで終わった。たったこれだけでたっぷり1時間半はかかる。これから早春の日差しを浴びながらの山仕事は考えただけで楽しいが、引き続き油断しないで参りたい。

歩けば10分以上離れたA土場は、長材の藪だしと玉切りが継続された。
一日の終わりには、ブルーテントの入口のビニールの扉を補修し、次回に燃やす薪を追加、テントの支えも補強した。些細だが欠かせない手仕事が誰かによって静かに行われる。


寒波のピークにこそ晴林雨読


2023/01/26 thu 晴れ -5℃
solo-work

「このルート、素敵ですね」



積雪期の雑木林も非常に美しいから、晴れた日ならやはり山仕事に出かけたい。これから3月末頃にかけてサングラスが必要になる程度のまぶしい春先の雑木林は最高だ。折からの寒波は今季のピークのようだったが、淡々と先週の続きの仕事につく。足元はジュラルミンのスノーシューをはいた。

「このルート、素敵ですね」。この時期の雑木林ファンはわたしだけでなかった。

チェンソーに燃料を込めていると、突然声をかけられたのである。町内に住む奥さんで、ツボ足でコナラのフットパスを下るところだった。先週から、平日にこちらの薮に取り組んでいたこともご存じだった。新たに作られたこのフットパスを、こんな時期でもさっそうと歩いている人たちがいるのはうれしいではないか。ルート開設の情報は口コミだけで、どの程度広まっているのだろうか。

作業は、延々とからまったヤブをできるだけ小さくまとめるのと、傾斜木を倒し、薪になる丸太を玉切りすること。写真に納めたいような風景改善はほとんどないので、腰のカメラに手が伸びない。そもそもツル切除伐ほど絵にならないものはない。普通は嫌われる山仕事であり、かかる労力と成果のバランスが合わない、いわゆる費用対効果がが低いのである。

唯一、先週の桜を玉切りする際、切りくずが雪面に赤く映えたので撮ってみたがさほどではなかった。ソロワークでは昼飯は食べないが、今日はラミーチョコレートをテルモスのぬるま湯で味わった。ここでも埋めぐさのように記念の一枚。

-5℃で晴れているけれども、破れかけた安全皮手袋は冷たくて指先はかじかんでいる。イアマフでこめかみあたりの血管から鼓動が伝わるが、4拍目の脈がちょっと小さいことに気づいた。そうだ、高齢者は、伐倒の安全ばかりでなく、突然の心疾患などにも注意が必要だった。無理は禁物、異変には敏感に対処したい。晴林雨読の楽しみと全貌がぐんと身近に感じる。



雪の下の丸太を掘り出して運ぶ


2023/01/21 sat 晴れ -4℃
abe-aki urabe oyama kawai-h&m kawam kuri kusa tomi-k ya-taro = 10 persons

一足早く、雪が来た



PWで全幹集材した丸太を玉切りして積む前に、1週間待たずにやはり雪が来た。わずかな雪で済んだが、ゆっくりしてはいられない。今日は土場Bに応援に行き、玉切りに専心した。左の雪で埋もれた丸太は太いもので元口が35cmもあり、大トビで持ち上げてもかけやで叩いても、びくともしなかった。

しかし地面と丸太をはがしやすい弱点を探して何度も試しているうちに突破口が開け、何百キロかの丸太を持ち上げ、出来た隙間に細い丸太を突っ込む。こうするとチェンソーで地面を伐らないで玉切りできる。わずか五本の丸太の玉切りをすべて終えたのが午後3時前だった。

ちなみに土場Aは、午前中は長材の雪ハネと玉切り、藪だしは午後からとなった。




さっそく、スノモ部隊はフル回転で土場Bを往復した。比較的距離も近いフットパス沿いなので、20往復近くしたように見えた。快調に運び出せる気やすさか、ソリは常に大盛で、一回あたり700kgから1トンを積んでいると思う。スノモ担当のみに終日任せきることができるるのは、この太さがほぼ限界ではないだろうか。写真下の目下の最強ドライバーペアふたりにお疲れさんと言いたい。

昼休み、いつものようにフットパスのトレースに行ってみると、さすがに、新雪が降った後は、足跡はシカと狐とウサギだけで、動物王国は健在だ。シカの萌芽試験地(写真右)は向こう側が見えないような藪になっているのがうれしい。このルートも明日はフットパスウォーカーが足跡をつけているはず。



ツルがらみの伐倒で逃げ飛ぶ

2023/01/19 thu 快晴 -1℃
solo-work

コナラのフットパスを表から攻める



苫東コモンズとしてコナラのフットパスに手を付けて2年目。沢じりの土場Aから上流に向かって、両側斜面で除伐中心の作業を進めているが、今日は沢の上流部、つまり過年度作業グループのエリアはずれで、ツルがらみの一団を処理した。マイ・懸案であった。ツルがらみの薮というのは、見た目よりはるかに面倒で、複数が絡んでいるので危険もある。ウォーミングアップで周辺の枯死木などを片づけているうちに小一時間が過ぎた。

主たるものは左上のサクラであるが、現実はこれだけ伐倒しても倒れないわけで、周辺のイタヤの株立ちや枯損木などいくつかも伐ったあとに、ようやく本命のサクラを追いヅル伐りで倒した。ミシっと音がしてまもなく、バキッと大きな音をたて瞬時に倒れたが、余りの音の大きさと速さに、思わず飛んで逃げた。ツルのテンションはかなりだったことが音と速さでわかる。股関節を患っている頃はとてもできない早業だった。



それでもまだまだ倒れ切らないので、懸かったツルを伐りながら、ナラを一本、ボサになった薮の上に重しのように倒して沈めた。

ひとりだから緊張感もある。しかし、人と樹木の1対一の世界ならではの、林との交流がある。と言っても、組織に迷惑をかけないよう、細心の注意をはらう。そもそも solo-work はできるだけしないという内規があり、出かける場合は掲示板にその旨告知するようにしているので、出がけにそう書き込んだら、さっそく kuri ちゃんから「気をつけて」とメッセージが入っていた。



ここでのビフォーアフターは上の画像のとおり。絵としてはたかがこれっぽっちの「風景改善」に、たっぷり2時間以上かかった。だが忘れられない記念すべき山仕事になった。

ちなみに、ここもすでにフットパスウォーカーの定番ルートになったようだ。その証拠にこのところいつも新しい踏み跡が付いている。きっと明日でも作業に気付くことだろうけれども、今、このルートは、雑木林の手入れの意味と利活用方法を、目で感じ取ることのできる格好の場所になっている。山の手入れとは何か、頭だけで雑木林の自然を理解している人には是非一度、お見せしたいシーンだ。


大雪が来る前に


2023/01/14 sat 曇り 1℃
abe-aki abe-e urabe oyama kawam kusa naka-f&s tomi-k ya-taro = 10 persons


ポータブルウインチで土場へ曳く、スノモ運搬も快調



折からの冬型で、胆振は逆に穏やかな冬だ。寡雪でアクセスは楽だが、多少は雪があるのが望ましい冬の現場は、辛うじて雪があってPW(ポータブルウインチ)の藪だしも順調に進んでいる。右は、斜面上部で、丸太にキャップ(スキッドコーン)を取りつけているところ。ウインチまでの距離は約80mである。



午後から、土場Bからも運材を開始した。丸太が雪に埋もれる前に運び込んでおくことのほかに、スノモ運材はフットパスにも林床にもやさしいからだ。火山灰のにわかフットパスは、軽トラックでは簡単に轍(わだち)ができて深まり、やがて水溜まりとなってしまう。フットパスは轍を嫌う。

土場Aは先日来、交代で玉切りも並行してきたので、土場は空いてきつつあり、オガクズが敷き詰められた。naka-f さんは、「チェンソーがすぐ切れなくなる。氷のせいだろうか」という。土をかんでいないとすれば、あとはナラを集中的に切るときのよくある現象でないかと思う。

なお、運んだ丸太は、今、2列目に入ったが、例年並みなら合計4列以上が必要かと思う。A,Bの現場ともそこそこの成果は上がっているので、大雪で間伐が中断しても焦る必要はない。ストックは十分にある。

「何もしないのが自然」「手入れというけど、山を壊しているんでないかい?」




大島山林について、かつては「何もしないのが自然だ」という地元民の強硬意見があり、町内会の人もその辺を様子見的に見つめていたところがある。

さて、近年のコモンズの保育をご覧になって、どうだろうか。くまなく歩いている方々からは、本当にきれいになったという声がほとんどだから、そこはかつての強硬意見から、コモンズ活動の背中を押す方向に大なり小なり変わってきているのではないか。

というか、「何もしないことがいいことだ」「それが守ることだ」という自然保護原理主義は、概念的で林など実際にはまるで見ていない人が多い。人が手入れすることで、こんな風に替わることも信じられないかもしれない。わたしの独断と偏見では、この主義は、人は平等であるべきだ、差別はいけない、などというポリティカリー・コレクトネス(PC)のような一面があるように見える。

また、「あなたたちは、手入れというけど、本当は山を壊しているんでないかい?」。こんな声も実際にはある。山を手入れし整理していると言いつつ、裸山同然にしたり、違法伐採するケースすらあるからだろう。

ただこの声は、自然保護原理主義とは違って、林業の専門家からみてコモンズのような山仕事がありえない作業だからだと思う。遊びや趣味の領域に見えるはずだ。業としての林の扱いは趣味ではないし、材生産=売り上げ=生業、という厳しいビジネスのサイクルにあるから、きれいかどうか、快適かどうかなどは配慮する暇がほとんどない。林の風景とは作業の単なる結果であって、その評価に戻って作業の質を左右したりはしない。

そういう、まじめだが無責任な声がままあるために、この雑木林だよりには、ビフォーアフターをよく載せることにしている。上段の二枚は、わたしの今日の作業の一部で、林業としては「そのうち枯れるからほっとけ」となるだろう。みんながよくやる枝の片付けなども然り。わたしたちは、そこがちょっと違う。

そこを改善しないと、人は林を快適なものと感じることがないからだ。右下は、その仕上がり光景を沢の対岸からみたところ。わたしが手掛けている所は一昨年までの作業のはずれ、東の未着手の斜面であり、かつ、コナラのフットパスから見えるメインである。

ちなみに、昼にテントに戻る際、ここ2,3年手掛けて一応作業を終えたこのエリアを歩いてみると、あのツルと枯死木の薮が大きな穴(ギャップ)となり、そこそこ若木が次第に更新してきた。あと20年後の後継樹だ。写真左下である。かつ、ツルに絡まれてうめいている立木も無くなった。

確かに薮になっていくのも広い意味では自然だが、身近な、人が憩える場と周辺では人を拒絶する環境であり、わたしたちはこの雑木林を身近な人にもっと身近に感じてほしいという願望を持っていて、大島山林はそれを実現できる奇特な実験場にあたる。そして、結果として薪にあずかることもできる。

コナラの径は、ハルニレの丘でもあった



コナラのフットパスと沢の両側を何度も歩いていると、ここがヤナギなどの湿地を好む樹木ばかりでなく、その周辺にかなりのハルニレを成立させているのが興味深い。つた森山林の入口と似ている。今日も直径60cm以上のハルニレに出会った。右の写真は年末に出会ったハルニレである。この周辺は、この春、是非、修景作業に着手したい。



新年の小屋と周辺


2023/01/11 wed 晴れ時々くもり -3℃ 積雪20cm
solo

小屋は温めるのに半日

新年初めての小屋は、積雪が20cmで辛うじて車でアクセス出来た。11時ころの室温は-8℃、このあと1時間薪を焚いても室温は2度しか上昇せず、帰り際の2時半過ぎにようやく10℃になった。




小屋の周りは林床がだいぶ雪に隠れて白銀の世界になった。薪ストーブを点火して早速外に出た。ツボ足では歩きにくいが歩くスキーでは中途半端で、やはりスノーシューがスピードが出るし、格段に楽だった。



年前も、小屋周りでさらなる間伐をする必要があるのを実感したが、雪景色の中で見ると尚更で、思えば前回の間伐からもう30年近くたっている。例えば左上の写真の真ん中にヒョロヒョロと立つ樹木などは、樹冠がほとんど失っているがこのような形状になるとそろそろ芯に腐れが入る。

コモンズの間伐はこれらを枯れる前に抜き切りして薪にするのである。このように林を見ていけば、薪予備軍は無尽蔵である。

軽く食事を済ませてからでも室温は0℃ほど。軍手をしたまま寒中見舞いはがきを取り出して20枚ほど一筆ずつ書き込んだ。小屋は本当に冷え切っているが、はがきを書く時間は気持ちだけが辛うじてぬくい。

小屋東の惨状と対策




小屋の東川の保険保安林のカラマツが益々ひどい状態になって来た。右下の画像はそのはずれだが、立っているものの半分は実は枯れているからフットパスではいつ枯れ木が倒れてもおかしくない状態で危険だ。右上のように直径10cm以上もあるツルがいくつも巻き付いているところもある。

スノーシューで歩きながら、わたしは覚悟した。

苫東に申し出て、保安林内で枯死木、風倒木の除去だけさせてもらおう。ケアセンター周りのケガレチ状態はもうそろそろ耐えられない。となると、3月の末から、わたしは誰か人を募って、まず、コナラのフットパスの片付け(1/7報告)を行って後、5月末にかけて、静川のこのエリアを手掛けるべく段取りをしていきたい。



林はわたし(たち)の手入れを待っている・・・ような気がする


2023/01/07 sat 晴れ -1℃
abe-e urabe oyama kuri kusa tomi-k&m wada ya-taro = 9 persons

風景を変える喜び

tomi-k さん「だいぶ、変わってきましたね。ほんと、ひどい薮だったのに」
わたし「そうですねえ。写真を撮ってみても時々手入れされた里山に見えてきましたから
     ね」

2023年の山仕事初日、小さな最後の薮(ヤブ)を片づけ終わって、tomi-k さんと交わした会話である。昨年から手掛けた沢径のこのフットパス両側は、tomi-k さんが言う通り、50年以上も放置された沢の中のヤブだった。今シーズン、伐採の届け出をしたうえで11月から沢地形の左岸側に土場をつくり、A土場担当の数人で交代しながら周囲の間伐を進めてきたのだった。そして今日は沢の南側斜面にある最後の枯損木とツルを片付け、見苦しいものは一応方がついた格好になり、上の会話はその折のことだった。



さて、とはいえ、一日の仕事を終えてテントに帰るコナラのフットパスにはまだ上のような光景が残っていた。ここでは薪生産など覚束ない、もっぱら薮のツルと枯死木の整理である。数年前から手掛けてきた作業地にも整理したい気になる数本が残っていて、わたしにはどうしても放置しておくわけにはいかない、という衝動がある。

ケガレチをイヤシロチに変えていくような、いわば単純な願望である。4月から5月にかけて、わたしは平日にこのあたりの山仕事に励むことになりそうだ。これは今年のわたしの希望であり、小さなプロジェクトだ。

仕事始め、ペースが見えてきた




いよいよスノモによる運材を開始した。雪は5cmもあるかないかだが、スノモのソリを傷めないのであれば十分な積雪だ。担当のurabe さんが精力的に動いた。スノモが丸太を積んで運び下ろして戻るまでの間、tomi-k&m さんとわたしは土場の長材を玉切りする。スノモが来たら、中断して積むという繰り返しである。

サイクルがちょっと遅いように感じて聞いてみたら、urabe さんは上右の写真のように丸太をパレットの上にきれいに積み直してくれていたようだ。それも今日は積み下ろしは独りだ。薪ヤード担当との打ち合わせができていなかったようで、わたしは即、笑いながら「投げ飛ばして、蹴とばしてきて」と頼んだ。それ以後、サイクルタイムは格段に向上して、午後、運搬を終える頃にはスルスルと回転し、どうやら運材のペースが生れてきたようだ。来週は、abe-e さんもスノモ運搬に回ると申し出があったので、また調子が出るはずだ。

来週の運搬はメインを土場Bに移し、Aは再び、藪だしと玉切りに専念の見込み。

その他作業地周辺スナップ



昼、スノモに乗ってフットパスのトレースに行ってみると、ほとんどのルートが歩かれていた。遠浅にすむ町民の跡だ。確かに、この雪の量であれば、凛とした冬の雑木林を闊歩するのは胸が膨らむ気分になること、請け合いだ。真冬のベンチも健在だった。町内に、70ヘクタールもある雑木林が存在するという現実は、わたしには夢のように思う。



上の写真左は今日の9人のメンバーが集ったテント。雑然とはしているが一応、機能的にはできている。午後4時過ぎ、すこし陽が長くなったのか、家路に着く頃、木立の間から夕陽がまぶしかった。