里山づきあいの深みへ

NO.124

2023/10/04

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猛暑が納まっていよいよキノコのシーズンが到来した。
蚊に邪魔されず、小鳥の観察も悠々と、かつ、フットパス歩きも快調だ。危険と隣り合わせとは言え、山仕事も少しずつ暑さを耐えながら始めた。
里山道楽は申し分ない。小屋番のオヤジ、面目躍如の日が続く。




<NO.123 から、記事掲載は期日の順に変更しました>


里山の醍醐味

2023/10/4 WED 曇り 19℃

ボリボリが出てきた。そして今になって蚊も出てきた。カラ類は、ますます数を増やし、100羽近い群れが梢を移動し、そのうちのいくつかは、林道や林床に頻繁に降りてなにかついばんでいる。ミヤマカケスもうるさい。林道入口でわたしを林に誘ったのは、キセキレイの幼鳥だろう。小ぶりで、車が接近しても逃げもしなかった。

■大とびだけで倒すコツ

安全で効率よくカラマツの枯死木を処理するには、やはり正確に狙った方向に倒すという基本が大事だと再確認した。これを慎重に心がけた結果、ことはうまく進み、午前だけでも5本以上片づけた。



また、材の利用をしないので危険がなければ枝落としも省略することにした。節がほとんど生きていて時間が掛かることと、ササに埋もれさせるより倒木の存在を明示した方が良いからである。それにどうせ数年で枝は腐る。切り株も、高い伐倒位置にしてササから見えるようにした方が良いみたいだ。

次第に空が開けてきた。広葉樹とカラマツの混交林の風景が目に浮かぶ。

■ボリボリ現れ、里山冥利




小屋の周りに、待望のボリボリが出始めた。今回もっとも出ているのは、地面から生える仲間で、これは実はあまりだしが出ない。これらは単体で出ることが多く傘の色が淡い。急に出て瞬く間に干からび始める。この日はすでに乾燥しているものも多かった。

ところが6,7年前に伐採したナラの切り株には、本命のボリボリ(写真上の大きい株状)も出ている。これらが、小屋周りと「木になるベンチ」のそばでいくらでも採れた。今年最初で最後かもしれないと思いつつ、適当なところで止めた。

採りながら「里山冥利」を思った。何年も前から手をかけてきた雑木林で、それも里山化した足元で、ゆったりと秋の山菜をいただくのである。里山化とは、自分好みの山に「カスタマイズ」することだ。ここまでざっと33年、この間色々なことがあったが、この景観と雰囲気はなるべくしてなって来た。嘘のないその手ごたえは関わってきたものに与えられるご褒美と言っていいのかもしれない。

■薪ストーブを焚く



午前9時過ぎ、ログのベランダの気温は19℃、室内は10℃ちょっとだった。これ幸いと薪を焚いた。ストーブの吸い込みも申し分なく、昼過ぎに戻るころにもまだ十分オキが残っていて、再燃させた。





里山は希望のかおり、山仕事はシニア世代の極楽

2023/10/7 sat 19℃ 曇り時々晴れ

午後二時過ぎ、手仕事を片づけてから小屋の周りの林を巡る。今日の雑木林は表題のような明るい希望のような見え方をした。独り占めして申し訳ないような気もしながら、帰途に着く頃は胸が膨らんでいた。身近な里山はまさにセラピストのようだ。

小屋裏
樺の奥正面に小屋あり

■空があいて広葉樹のステージがほの見えて



カラマツ枯死木の伐倒は、フットパス沿いの不慮の倒伏事故を避けるべく径沿いから奥へ進んでいる。今日は大とびもほとんど使わないで朝から7,8本を片づけた。空を仰ぐと次第に空間が大きくなっているのがわかる。そのエリアに向かって伐倒をコントロールしつつ続ければ、広葉樹の侵入も夢でないと思えるようになった。すでに更新して目につくのはやはり、コブシ、次にコシアブラ、ウシコロシか。ともに実のなる木だ。

林道には昨日までの強風でコナラのドングリが大量に落ちていて、ミラクル落ち枝も固い林道の地面に二つ発見した。抜くのに力がいるほどだったが、幸い大木の根返りはなかった。



■ボリボリに足止め喰らう



帰り支度してから、少しフットパスを歩こうと小屋の外へ出るとキノコの塊が目に入った。待望の切り株ボリボリだった。腰をかがめてみると枝を重ねた茂みなどにも大発生の如く生えている。これはもう散歩などできないと諦めて採り始める。送電線下の切り株も写真右のように、大発生だった。こうなると、もう溶けても仕方がない。足しげく山に来る人の特権と見なして放置し、早々にテラスに戻って来た。

記憶をたどるといずれも伐倒後6,7年の切り株で、それより若くても古くても顔を見せていないような気がする。4日の夕食から5日、6日と食べ続け、7日は新しいボリボリを茹でてわさびポン酢で振る舞って好評を博した。ついでに瓶詰にしていたシカのしぐれ煮をオリーブ油で加熱し、アイヌネギの醤油漬けで味付けして瓶の3の2を食べきった。歯ごたえや、良し。アイヌネギはいつも実にいい仕事をする。




宮本常一の省察『山に生きる人々』

2023/10/09 mon 曇り 8℃ ガンのV字3編隊が南西にこの秋初頭上

■民俗学者ふたりのつながりと違い

昨年夏、柳田国男の『山の人生』を読んで、日本人における山と森がどういう文脈で見られてきたのか、学び考えさせられた。それは2022年8月16日の雑木林だよりの「日本人の山と森」に短い感想を書き綴った。柳田と宮本は同じ山(≒森林)というキーワードを使いながらその中身は、柳田が山に霊魂の籠る魑魅魍魎もくるめて民俗学のような色合いにまとめたのに対し、宮本は民族(≒民)の歴史のような観点を感じさせた。

これは『山に生きる人々』の解説を書いた民俗学の赤坂憲雄氏の指摘していることでもある。そしてこの2冊の関係は柳田の40年後に書かれた宮本が、民俗史を書きながら「民族史の大胆な組み換えを企図」していたのではないか、と赤坂氏は述べている。

わたしは宮本の山…人々』を通読して、生活の糧を求めて日本全国津々浦々で日本人が山奥で開拓とも野営ともつかない日々を送ったことが目に見えるように克明に描かれているのに出会った。貧しく、極端に不便で、生れてそこで死んで埋められて、という儚い一生も見える。どうもわたしは楢山節考の世界を連想していたようだ。一口で言えば、山で糧を得る下々の暮らしは、体を元手に酷使するものだった。富める平地民には侮蔑の目で見られるのだ。両氏の描いた世界に共通する点をひとつだけあげれば、山の民にとって山や森は隠れ家的で、年貢を逃れて新天地を開いて治外法権だった、という点かと思う。世間から見れば敵味方のない逃げ場所・アジールに当たろうか。ただノーサイドではなく、争いも縄張りもあったようだ。山の民は激しい、と宮本はどこかに書いている。

■産業の起こり

わたしは自分が住む北海道の開拓との比較で見てしまうが、銀山であろうが、砂金であろうが石炭やその他鉱物であろうが、需要のあるものはゴールドラッシュの如く民(経済活動)は押し寄せた。その前には、資本家や統治者がインフラ、いわゆる北海道の軌道系を敷いた。道路も生まれた。その付設と撤去のスピードと盛衰が示すように、不要になれば軌道は撤去し集落や町を捨てる。驚くほど足が速い。

中でも興味深かったのは、たたら製鉄で使われる木材の量や、酒樽として需要が爆発していく吉野杉の材の量の多さだった。

たたらでは一夜(4日4夜)で3,300貫の炭を焚いたといい、約1ヘクタールの山をたった3夜で使い切ったようだ。江戸時代末期、中国地方には鉄穴場が1,000か所あって、その5分の1の200か所がたたらであったとしている。そうすると、200か所として年々2万ヘクタールを使い切って移動したと宮本は推測している。2万ヘクタールとは10km四方の苫東二つ分である。

チェンソーも重機もない時代である。大変な労働だったのは間違いなく、民は激しい肉体労働で虫けらのように疲弊して死んだに違いない。それが100年単位でいくつか続いただろう。森は再生するとはいえ、こちらも疲弊してはげ山になったのはうなづける。これが産業と人の生業の姿だったと見て取れる。

また、酒が船積みされるようになると江戸積みの酒はますます増えて、伊丹や大阪、摂津、和泉全体で、年間40万石、そのほかに地場もある。仮に江戸積みの40万石だけでも4斗樽に入れると100万個の酒樽が必要で、これらが吉野の杉から生産されたという。これが林業で有名なあの吉野であり、その裾野には樽丸師が活躍したという。

わたしは宮本の描く民衆の仕事ぶり、ダイナミックさに驚く。その延長で北海道の歴史を振り返ると、開拓は主に平地で行われ、まだ完了していない状態と言えるのではないか。あるいはほぼ完了したのだが離農が進んで原野や元の植生に戻り始めている現状ともいえるのではないか。

一方、山の利活用はまだこれからという時に、時代はこれ幸いと環境保全の対象にスイッチしてしまった。また、人口圧が山に向かう前に超過疎地になってしまった、というのが現状ではないだろうか。このような歴史の必然のようなものを、柳田―宮本を連続して読んで静かに考えさせられた。

話は大きく反れるかもしれないが、考古学の瀬川拓郎氏が、今から1000年近く前、日高地方は砂金のゴールドラッシュで人口が7万人ほどに達していた(金は平泉の中尊寺金色堂に使われたという)とどこかで述べていたと思う。この説が正しければ宝と生業のあるところ、民はどこへでも出かける、そしていつか消える、という上記二人の描いた民衆史ともつながるように見える。




野生の距離

2023/10/12 thu 晴れ時々曇り 18℃ 小屋内10℃

腐れた木は、判断が難しい。今日一番最初に手掛けたカラマツは腐朽が進んでいるのは承知だったが、傾斜と反対側の空地に倒すべくクサビを使ったところ、やはり傾斜側に行ってしまった。ほかは大とびを駆使しながら、そして時々躓きながら、時にはチェンソーをほおり投げてずいぶん倒した。チェンソー仕事にはまだ熱すぎて、午前中だけで500ccの水を飲む。

ササミチフットパスに大きなナラの掛かり木2本、根上り1本がある。今後の軽トラ搬出のためにフットパス沿いにもいくつか整理する必要がある。林道沿いで腐れの激しいカラマツを見つけたので、危険予防で伐倒。小屋から育林コンペに向かう斜面でも、たしか太いホオノキが道路上に掛かっているので、これは土曜日でも処理したい。

■とうとうベランダ前にシカが寄って来た



朝、わたしが小屋の三差路を左折すると、シカが一頭ベランダの階段前にいた。3週間ほど前は小屋の南30m程に、先週はテラスのそばに、そして今週はまさに階段を上るかのように接近して、車で近づいても逃げる気配もなかった。すっかり警戒心が解かれているような感じである。

ややしてからベランダでコンビ缶に混合油を入れていると急にガサゴソと音がして、見ると目の前2,3mのアカシアのポストにゴジュウカラが採餌に来た。午後、フットパスから戻るとゴジュウカラの警戒音、寄るなと言ってるらしい。人付き合いならぬ、野生との出会いは日常を忘れる。

帰途、つた森山林よこの輸送空間に黒い大きな生き物がちらりと見えたので、駐車帯に車を止めて木々の間を覗くと、それは熊ではなくて大きな角を持った真っ黒なオスジカだった。




朝一番、林道の掛かり木を片づける

2023/10/14 sat 15℃ 室内10℃



朝一番、山仕事の身支度もしないまま、まっすぐ倒木の現場に直行して、アズキナシだったかの伐倒だけしておいた。恐ろしく重たい丸太で、数回追い切りしたあと、ちょうど通りすがったシカの下見らしいランクルおじさんに手伝ってもらって、道幅を開けた。

山仕事は、またもや腐朽したものにてこずって、今日は予定と90度違う方向に倒れてしまった。挙句、掛かり木となったから気分は最悪だった。しかしそのあと、会友の kodama 女史が訪問し、昼まで歓談、1時過ぎからはコモンズの運営打ち合わせで幹部4人とテラスのテーブルで意見交換。朝の失敗はきれいに忘れることができた。

紅葉は、ゆっくりだ。ボリボリはまた出てきた。いつものカラ類は今日も元気で、わたしのホーミーもお気に入りの様子だ。ゴジュウカラはわざわざわたしの頭上を行き来した。カラたちの真ん中で掌に野鳥の餌を載せてみたが、さすがに来ない。おとといテラスに置いたリンゴの残りもいじられていない。四時近くまで、こんなカラ類のはしゃぎぶりをテラスに立ってみていたが、飽きることがない。楽しい。




里山仕事の役得

2023/10/18 晴れ 15℃ 小屋内部10℃

■コクワに出くわす、ではコクワジャムを




数日前、応急措置だけにしていたアズキナシの倒木を片づけると、それはコクワのツルがらみだった。これはラッキー、折々に里山仕事をする者への天の恵みであろうか。ツルごと切ってしまうのは忍びなかったが、仕方がない。採れたコクワはジャムにしようかと楽しみが増えた。

実に重いアズキナシの丸太は、道すがらの人が運びにくいように、長めに、乱雑に切りそろえ、刻印の代わりにサインしておいた。これは来月わたしがいただく予定。

■選木



アズキナシを片づけたあと、育林コンペのゾーンで今年用の選木をした。目標2棚として、予定試算15本に5本をプラスして20本。林道沿いから徐々に奥に進めるから、今年は比較的楽だ。これまでのようにこうして内部へは軽トラックを入れる。そのために、通行可能なルートに目星をつけておく。今年のテープは黄緑、ゾーンのパートナーの分、同じく20本は黄色にした。

■辻井先生とのツーショット



静川小屋一帯の雑木林保育は、自然保護運動が華やかな頃に始まった。極端な言い方をすれば「木を伐ることは悪いことだ」という風評がまだあった。そんな中で始めた雑木林の間伐では、なにか、「そうではない」という実証をする必要があった。

わたしはその方法として、林道の左は手入れし、右側は放置する、という比較ゾーンを小屋の前後約1kmに創った。美しいか、昆虫のバラエティはどうなるかを、画像と昆虫研究家の調査結果で示し、色々なところで講演するたびにこれを使った。フットパスをつくったのもこの頃である。これは訪問するナチュラリストたちに好評だった。

丁度この時期、北大の辻井達一先生が2,3回、林のおいでになった。この写真は「雑木林間伐モデルゾーン」の看板の前で撮ったものだ(現在小屋のテーブルの上にこの写真が置いてある)。20年以上前になろうか。おもえば、山仕事の当初から、「美しい雑木林を創り出す」、そして「里山風に仕上げる」…。これはざっと30年抱いてきたわたしの里山ミッションだった。

夕方3時過ぎ、カラマツの風倒木を片づけて戻ると、光線はすでに斜めでやや弱く感じる。秋の黄昏は早い。しかし快晴の木漏れ日は気持ちよい。この絶好のマズメドキを逃す手はない。山仕事の終わりをテラスでの冥想で締めくくった。結跏趺坐で触れる尻も冷たくない、蚊はいない、時々、ドングリが落ちる音とカケスの鳴き声、そよ風の囁き、ジェット機、高速の車の音などが、耳鳴りのセミの音とともに届く。30分、勇払原野の産土(うぶすな)を感じる至福のひと時となった。




まほろばコースを案内する

2023/10/21 sat 晴れのち雨 12℃

今朝は冷え込んだ。寝ているときに室温のいつもと違うことを察するほどで、朝6時半、今年6月から4か月咲き誇ったコンテナの花を片づけているときには、真上の遥か上空を、白鳥のきれいなV字編隊が南南東に飛んでいった。そうか、いよいよそういう季節が到来かと、編隊を見やりながら思った。しかし薪ストーブはまだ一度しか焚いていない。

午前はNPOの14回総会を静川の小屋の前のテラスで。冒頭挨拶を求められたので、最近の苫東を巡る動きと緩衝緑地の位置づけの話しなどした。話の途中、メンバーからもエピソードなど発言がありコモンズの現在の位置関係が少し見えたやりとりになった。

着込んできたものの10℃前後は寒い。ふんだんな焚火も実は見た目だけで、数m離れれば役に立たないのがもどかしい。せめて掌だけでも、とトイレに立った時にあぶった。urabe さんから焚火に突っ込んだ男爵イモのホイール焼きと塩からをご馳走になった。



午後、kuri ちゃん、urabe さんの2人をまほろばコースに案内し、ところどころで黄色い蛍光テープを取り付けた。あわよくばエノキタケやマイタケがマイタケと遭遇しないかという淡い期待も持ちながら、出会ったのはチャナメツムタケとボリボリだった。実は紅葉前の「つゆ訪のう者」のいない勇払原野の雑木林風景を楽しめれば十分ではある。




小屋からささみちフットパスに入り、緩やかな尾根筋を伝い古い馬車道に降り、再び登って下ってを繰り返して約一時間して町村の境界林道に出た。わたしの携帯の万歩計は4km余りを示していた。

「こんなところをひとりで歩いて怖くないですか」とkuriちゃんが聞く。
「モノノケにおびえながらでないと、林を歩いた気がしないんだよねえ」とわたし。

山仕事も一人ですることに慣れてしまったが、危険な伐採仕事はできれば単独は控えるのが得策だ。しかしそれを守ればことは進まない。危険をできるだけ察知し、いざという時はチェンソーをぶん投げてでもとっさに逃げることだけ気を使う。逃げれないと自覚するときがやってくれば、その時は正真正銘の引退だ。

小屋では、雨天時の総会のために用意した投光器二つをurabe さんとつけてみた。なかなかよろしい。単三の電池4つで5時間持続すると取説に書いてある。結局、これらを消して、ガスランタンとろうそくに戻り、最後はろうそくの明かりで「雑木帳」をしたためた。




古刹名刹巡りは、森と巨木巡り

2023/10/23~10/27





伊勢にお参りするときのわたしの定番順序は、まず月夜見宮、次に外宮、そして内宮(写真上から)である。特に小さな月夜見宮の大きなクスノキを見ると、伊勢神宮に再訪したなと感じる(一枚目)。大きな古刹名刹を巡る楽しみの一つは、森に囲まれた楚々とした参道である。2枚目の外宮は画像で雰囲気を再現できていないが、なにか、昨日までのことを忘れている。

内宮の巨樹は時々手で触れながら本宮に向かうが訪れるたびに風景も雰囲気も違う。人気ない朝や閑散期が一番のような気がする。




京都御苑は初めてだった。左の御所に朝日が射すのを見て、皇統と日本の歴史が自然と思い浮かんだ。この国が末永く続くことを祈って止まない、そんな思いが募る今日の日本だ。このあと、護王神社によって足腰快癒を祈願して10/25の早朝散歩を終えた。



古刹巡りの3日目のメインは、愛読する『方丈記』の著者鴨長明が住んだ庵跡を訪ねた。大都会京都の南東のはずれ、日野にある。いわゆる観光地ではなくマニアックな人が行くだけのところだ。どれほどの森の奥に隠遁したのか、という素朴な疑問が動機だった。

結果、結構な坂道の奥にあって、「ひのやくし」で有名な法界寺から歩いても小1時間近くかかる山の中。スギ林が放置されて広葉樹が混じり倒木が転がる坂道を登った。隠れ家の風情十分だ。チャラチャラしたひとりキャンプどころでない。3m四方の庵で、炊事もし琵琶の音曲の演奏(稽古)と短歌のたしなみ、さらに仏道を探求した。脇に沢が流れていて周辺は燃料になる落ち枝も事欠かないから、生活に困らないと書かれていたはず。庵の場所は急斜面の踊り場のようなところだった。写真は露光調整されているから明るく見えるが、実は暗~い森だった。


約1000年前の長明の時代は、天災や飢饉で道ばたには餓死者続出で燃料の薪にも事欠いていたなどという記述もあるから、さながら阿鼻叫喚の地獄絵のように想像してしまう。衛生のためにも、死体の腐臭立ち込める街中より、庵の方がよほど環境が優れている。

世をはかなんだ隠居、隠遁のように受け止めてしまいがちだが、実は避難だったと思われる。それもできるだけ隔絶した方がいい…。薪はとりわけ重要だから、日野のこのあたりも、豊富な森林というより伐採されてやや貧弱で明るい再生林だったのではないか、とイメージした。

このプチ悪路の入口には、手づくりの杖が無造作に置いてある。わたしはこれを見て、苫小牧の静川の小屋にストックしてきた手づくりの雑木林製ポールをこのように束ねて、フットパスウォーカーに供しようと決めた。







この日の午後は、長明が神官を務めていた下鴨神社に参拝。方丈庵のレプリカがあるはずの河合神社はいま一部の施設が移設されていて残念ながら見ることはできなかった。世界遺産の下鴨神社は10数ヘクタールの糺(ただす)の森にあり、古都の歴史に深くつながっている。



最終日の朝は、ホテルのそばにある清明神社にお参りした(下)。約1000年前、時の花園天皇と一条天皇に重用された陰陽師安倍清明だが、源氏物語などを読めば、陰陽師や祈祷師は当時のスーパーテクノロジーを駆使する特別な人々だったのだろうと想像がつく。花鳥風月にアンテナを伸ばし科学し、清明に至っては中央構造線の地磁気などを感知して、地下の活断層の真上に神社を建てたと、モノの本で読んだ。「陰陽師」は間もなくテレビでアニメが放映されるようだから、わたしの泊まったホテルもこの神社も大賑わいになるだろうと予想されている。



ここには参拝者が祈りを込めて触れた大きなクスノキがあり、わたしも手をかざしてたっぷりと気を感じた。

ここ数日参拝していて感じたことは、京都の人はお祈り時間が長いことだ。祈ることが生活の一部になっているのを、露地裏の地蔵さんや箱庭のようなお宮など随所で見た。

また、古刹名刹でも蚊が出てくるところもある。これは林相と手の入れ具合とを照合すると一目瞭然だ。タクシーの運転手さんらは、どの方も観光コンシェルジェで、当方の求めに応じて興味深い歴史っぽい話を聞けたが、お寺の系統なや地名なども数々のエピソードを交え的確に話してもらえた。

数件の和洋の食事処では店主の顔にいい商売をしているのがしのばれた。「おおきに」と言われて店を後にするとき、何かと件の親しみが湧くのだった。ところで、カラスが鳴かない朝の静寂はうらやましかったので、これも運転手さんに聞いたが期待した名答はなかった。



山仕事前に念入りな伐倒イメージトレーニング

2023/10/28 SAT 晴れ




来月4日から、今季の雑木林除間伐が始まる。その1週間前の10/28、この半年の間で忘れかけていたチェンソーワークのイメージを復活させる自主研修を行った。個々の伐倒はひとつとして同じことはなく、常にケースとして新しい。その伐倒の成否は如実に切り株に残される。それを写真のように議論しつつ、各々が胸に収めるのだ。枯死木、腐れが多いから、どの程度腐っているかという読みもかなり難しい。

 

実技の前に行ったテント前の座学風景(上左)には結構紅葉が進んだかにみえるが、実は色が変わったのはカエデとモミジがほとんどで、ナラの本格紅葉はまだである。上右の写真も、紅葉はすべてイタヤカエデと見て良いほど。紅葉のピークは例年より1週間くらい遅れるかもしれない。

ちなみに、今日のわたしは研修を見守る前後に選木作業をメインにしたが、まだ落葉していないため、樹幹先端部の様子が見えないことが多く、選木にも1週間早い感じだった。




雑木林が紅葉し、ひとり間伐

2023/10/31 tue  晴れ 13℃ 室内8℃

■10月末、ようやく見れた紅葉





ようやくナラも色づいてきて紅葉が少しゴージャスになったような気がする。贅沢な風景だ。飽きることがない。これも来週には葉を落とすだろう。



そんな中、テラスの前の処理した風倒木の切り株に、今日はクリタケが出てきた。9月初めころは、ニガクリタケという毒キノコが出たのだが、そのあとは10日ほど前にボリボリがでて、今度はクリタケだから、同じ切り株に次々とキノコが発生したわけだ。あまり美味しいと思わないキノコなので採り過ぎないよう、ほんの少量にして、明日の夜はほかのものとあわせキノコ鍋だ。

■除間伐を開始

 

育林コンペで広葉樹の間伐を開始した。直径20cm余りのものを2時間で枝処理を含めて3本。盗難を予防するため長材で投げておき、搬送前日あたりに一気に玉切りする予定。11月中に10数本手掛ければ2棚は確保できる。

また、先日、鴨長明の史跡に行った際、登山道の入口で見た杖の束を見て、早速、小屋の入口にフットパス散策用のウォーキングポール収納コーナーを作った。13本収めたが、杖は13本うちわたしの大雑把なクラフトが11本、竹の「アルカサル」がひとつ、平取の道の駅で見つけて買ったものが一本。残念ながら、ヒグマ撃退には役に立たない。不要な枝もこうして樹皮を剝き始めると止まらないクラフト遊びに替わる。




晩秋の選木作業の密かな愉しみとライブラリー

2023/11/04 sat 晴れ 15℃

■森づくりに向けた除間伐スタート


清々しい小春日和に、苫東コモンズの山仕事がシーズン・インした。今年手掛けるエリアの搬出ルートと選木を並行させて、段取りは一応片付いた。


山仕事はそのものがいつもどれも楽しいものだが、わたしは20代のころから測量や選木の仕事が特に好きだった。この時期は思いがけない収穫にあずかるからだ。それも、完全に葉っぱが落ちて見通しの良い時期に行くのが普通だから、収穫はシメジかエノキタケが多かった。シメジはしばしば群生するから、宝の山を見つけた喜びは格別だった。なにしろ、仕事を邪魔するかのように目の前に現れるから、採集に後ろめたさがない。今日は、oyama & tomi-k というコモンズきっての、キノコ好きではだれにも負けない両氏といっしょに、たっぷりお昼までかかった。作業の合間に出会ったのは、エノキタケとムキタケ少々。

■雑木林のライブラリー、蔵書520冊へ


11/2 はもとコモンズの会友でもある北大名誉教授のumeda 先生から献本を受けるため札幌に出向き、今日は午後から頂いた140冊をちいさな段ボールに入れ直して積んだ。場所がないので、ゲリラ的な置き方しかできないのだ。abe 文庫126冊、umeda 文庫140冊、それにkusa文庫254冊が納まり、合計は520冊となった。これでもう献本はおわりだ。スペースがない。

わたしの前職の財団の研究所では約2万5千冊のライブラリーを運営していたので、500冊の意味はだいたい想像できる。小屋のライブラリーの特長はかなり偏って、専門的であること。興味あのある人にはこたえられない魅力があるだろう。今回寄贈してもらった先生の本は、わたしの趣味を斟酌してくれての話で、イギリスの田園と文化、風土論、緑地論、地域計画などで占めるられている。

ちなみに静川の小屋の蔵書がカバーした範囲は、

伐倒技術と森づくり
雑木林と管理
里山
森林生態学
薪ストーブ
森林景観
風景デザイン
森林セラピー
樹木と神話
山と随筆
風土論
文明論
イギリスと田園
公園の緑と都市計画
フライフィッシング

さらにひとことで特色を言えと言われれば、「地域の自然・緑と計画と実践、そしてその哲学」というようなことかと思われる。紅葉の葉っぱも半分ほど落ちて、小屋での読書はこれから。

小屋の周りは落ち葉浄土だ。採光の窓がようやく機能し始めた。下は、その小屋の前の落ち葉浄土の世界。







山仕事、はかどる

2023/11/8 wed 晴れ後曇り 12℃ 室内8℃

■またもや、小春日和



朝一番に、まず薪ストーブのガラスを磨き、早々と点火、ついでたっぷり入れ込んで現場へ。どういうわけか、一刻も早く現場へと気がせく。そこへwadaさんが定刻に「ほだ木を少し調達したいんだ~」とやってきたので、エリアに行ってふたりで見て回る。まだまだ、たくさんほだ木が採れることを確認して、wada さんはそれから暗くなるまで灌木を伐って雑木林のガーデニングをした。



わたしは自分のエリアに直行して、昼抜き2時までに9本を伐倒し枝を片づけた。時々、丸太に座って休憩し、どっしりした充足感、満足感に浸る。景色が変わっていく楽しみ、そして晩秋の小春日和は癒しの時間だ。次回、数本を抜き切りしたら早速玉切りして月末には運び出すつもりだ。わたしの歩掛ではこれで2棚、1年分ができる。

■wada さんのガーデニング結果



わたしの山仕事が済んでからwada さんのエリアによったら、こぎれいにもう整頓が進んでいた。ちょっとした里山風景の再現だ。熊が怖くてぞくぞくする、という氏を残酷にも置いてけぼりにして、わたしは小屋に寄ってから帰途に着いた。明日は、umeda 先生の告別式だから、泥まみれになった車の足回りを丁寧に洗って帰る。







カラマツ処理の先が見えた

2023/11/11 sat 快晴 5℃

■春はあけぼの、雑木林は初冬

立冬を過ぎカラマツの枯れ葉散る初冬、そこはかとない哀愁が漂うこの季節、雑木林は幽玄な魅力を見せる。感じる人の気持ちひとつとは言え、新緑のにぎやかさとは正反対の、まるで人生の終末期をも連想させるような、か細い光と寒気。このもの悲しさは、黄昏のマジックアワーに似てわたしは雑念をストップさせて感性のアンテナを伸ばしてみる。歌や俳句をたしなんでいればこの思いを固定できると思い、カラマツの枯れ葉散る・・・と詠んだ後が続かない。仕方なく、カラマツの枯れ木処理に入った。これが凡人のオヤジ流だ。見渡すと、この数日でフットパスはカラマツ枯れ葉で黄金色だ。





伐倒を予定したピンクのテープの残量をざっと眺めるとかなり減っており、コツコツやって来た成果が目で見えると同時に、いささか寂しくもある。伐倒の終わりが見えてくるからである。しかし切り捨ての除伐だから林内は歩きにくいことこの上なく、もう少し玉切りをして寄せる必要があるかな、という気もする。ササが増えてくる中、いかにして広葉樹の侵入と更新を進めていくか。

やや傾斜した直径30cmを追いヅル伐りで倒して年輪を数えるとざっと50年(上左)。このように腐れの入っていないものもあって捨て置くのはもったいないが、肥やしになってもらう。上の写真右は20年前にわたしが保安林の手続きを経たうえで除伐したカラマツで、ほぼ朽ちて、固かった枝も今はポロポロと折れる。幹も腐朽して苔が生えていた。この時間スケールには定点の山仕事の間に少し慣れてきたが、林の遷移を読み解くまでにはわたしの経験は浅過ぎる。



林の空を見上げれば、だいぶ空間が増えてきた。この画像の中にも葉のついていない完全に枯れたカラマツが数本見えるように、これらを掛かり木になる前にまだまだ伐倒作業は続けるが、ようやくここにきてヒヤリハットが少なくなった。今日は10本のうち2本は掛かり木になったが、コントロールできる範囲だった。悔しかったのは、簡単に倒れるだろうと踏んだ枯れ木が、隣にあったたった一本の枝に止められて掛かってしまったことだ。カラマツの枝、本当に侮れない。

隣接する造林地との境界に枝折れした太目の広葉樹がずっと気になっていたので、意を決して見に行ってみると半分枯れた桜だった。傾いた左の枝葉10m近く伸びていて隣の広葉樹に掛ったままで写真の部分は腐ってボロボロになり始めていた。広葉樹の股にはさまっているので追い切りを繰り返しても倒せない感じだ。こういう時の逡巡はいつものことだが、結局、前後から少しずつ切れ込んで、この接続を外し、最後に直径40cmほどの幹を倒して、そこで深追いは止めた。

小春日和の山仕事に感謝して、本日も無事終了。



一年分の薪、伐り終える

2023/11/15 wed 晴れ 5℃ 小屋室内ー2℃



雪が降り始める頃、勇払原野では小春日和が続く。昨朝は樽前山が真っ白に雪化粧していたが、今朝、里の雑木林はありがたい小春日和だ。季節の移ろいの中に、寄り添うように暮らすことができる里山ライフ。わたしにとってありふれた日常だが、実はなかなか恵まれた環境である。

今日はシニア・メニュー、シニア・ライフの初成果として再来年の1年分の薪の伐倒を終えた。正味5時間ほどで、みかけ5.4立方メートル分の16本と枝の片付けが済んだのである。長さ35cmに玉切りするのにこれから3時間、積み込み運搬とヤード往復に4往復4時間、薪割りに5時間ほどかかるからまだ先が楽しめるが、それが「労働」でなく「楽しみ」、というところがミソ、つまり道楽である。

朝一番に小屋の薪ストーブを付ける頃、室温はマイナス2℃、2時過ぎに引き上げるときには15℃に上がっていて、オキに薪をくべてから遅い昼食代わりにココアを一杯飲んで読書するには十分な温もりである。

雑木林の葉っぱはあらかた落ちたので窓辺は明るく、読書可能になって来た。串田孫一のエッセーと詩集を読もうとしたら、字が小さすぎて数ページで諦めた。伊藤秀五郎氏の古い『北の山』を手にすると、若いころの山に没頭していた時代がよみがえってくる。何故、あれほど山に打ちこめたのか。伊藤氏は、静的な登山とか、心の山などというキーワードを用いて、山の意味を解きほぐしていてわたしはその世界にもはまり込んだのだった。今日の雑木林のある暮らしも、おそらくその延長線上にあるような気がする。





現場移動数キロ、静川から遠浅へ

2023/11/18 sat 12℃

■腐れた木と生きたものとの扱い、慣れる



混んだカラマツ林の除間伐は、腐っているか否かを問わず、広葉樹より難しい。隣の木の固い枝にちょっとでも掛かるとすべて掛かり木になるからである。だから早々に穴のような空間を造って掛かり木にならない方策を立てる。しかも腐れの入ったものは伐倒コントールが難しい。また枯れ木とて侮れず、しっかり掛かり木になる。掛かってから「枯れ木のくせに」とぼやいても仕方がない。

それもだいぶ慣れてきた。どの程度の腐れか、推し量って実行する。今日は久々に腐れていない太目の伐倒をする機会があって、予測通りの方向へきれいに処理を終えた。この現場ではなかなかそうならないから、ちょっとした喜びがあって記念写真を撮った。しかし、伐倒時のヒヤリハットはいつもそばにある。今日は、倒れ始めた木の周りから枯れ枝が脳天に落ちた。フェースガードしたヘッドギアで良かった。こういうことがままあるから、伐倒時の数秒、決して上を仰がない。



このカラマツ林は南から沢地形に沿って海風と強風がくるため、風倒木はほとんど北側に倒れる。そこを枯損木を中心に除伐して広葉樹に置き換えようと言うのが場所の命題だ。だから今ある広葉樹はとりわけ大事にしている。またこの林分の中央にささみちフットパスが縦断しているのだが、わざわざ写真のようにコナラを2本残したところもある。広葉樹と競り合っているカラマツも大きく抜き切りしてドングリの母樹にしたいところ。



昨日の大風でも針葉樹広葉樹問わず大分風倒木が増えた。横倒しにはならず、ネガエリか掛かり木だ。これらは林道から見えるところだけ、可能なものからいずれ片づけることにしよう。カラマツ作業を終えてから、林道の大きな水溜りふたつに水ミチを造って逃がしてみた。効果が薄ければ、次回、もっと深く掘りこまざるを得ない。

■遠浅の進捗

午後3時を目安に遠浅の現場に顔を出す。コモンズの伐倒集団苫東ウッディーズが今日も作業中で、トレースしてみると予定通りスノーモービルルートも 2/3ちかく出来つつあった。あとは中間にあるツルと倒木の処理地を開けば、ほぼ完成だ。玉切りされた丸太も予想以上たくさん積まれている。




歩いてみると、切り株にポツポツとエノキタケが出ているがいかんせん小さい。もう少し大きくして食べたいところだ。

キノコはまだまだ見かけるが、シーズンも終わりころかと思う。カラマツ林では白いきれいなキノコを見つけカノシタか、と思ったが違ったようだ。先日つた森山林のクルミの大木で同じく白い塊を見つけた。図鑑ではアイカワタケのように見える。残念ながら、まだシメジに出会っていない。

到着時、遠浅町内はミニパトカーがしきりに走って何かアナウンスしていたが、聞けば、アイリス公園にクマが出たとのこと。




山はみるみる見違える

2023/11/25 SAT 晴れ 0℃

■チェンソーで石を切る?!



前日から寒波が来た。今朝はマイナス5℃ほど。小屋のテラスは強風で落ち葉が払われ、そのあとに1センチの深雪が積もった。風があるので寒い一日になりそうだったがこれは終日変わらなかった。

1/29 頃にトラックをレンタルしてヤードから自宅へ薪を運び、その足で午後は玉切りした丸太を静川からヤードへ移動させるので、残っていた玉切りをまず済ませることにした。ところが着手して間もなくチェンソーの切れ味が急に落ちた。丸太の下の落ち葉を除くと、そこにはなんと天然の石があって、マイ・チェンソーはその石を切っていた…。特に変な音もたてず、だ。

刃はスチールのピコチゼル(角)刃でそれまで抜群の切れ味だった。が、驚いたことに石に溝を掘るほどに切り込んだのに、その切れ味の格差はそれほどでない。石があったこと自体驚きだが、その石を特に異音もなく切り込んだこと、切った後の切れ味、いずれも脅威だ。気を取り直して10度の角度を意識して目立てし、作業を続けた。盗難防止のためタウンエーストラック2回相当分だけにし、あとは長材のままにした。

大風の後で、林道に掛った支障木などを片づけながら小屋に戻ると、ストーブは消えていて4℃。わずか5℃しか温度が上昇していない。この中国産の鋳物ストーブはまったくの見かけだけでちっとも暖房に寄与しない。熱エネルギーをすべて外に出してしまう代物だ。週に2回の使用だから、丸太は保冷材の役目をして、温めるのに実は一日かかることをこれまでの宿泊で何度も確認済みだ。これなら、鉄板のルンペンストーブの方がずっとましだ。

■無雪期に山仕事はかどる




遠浅は今シーズンの除間伐を初めて4日目、2時過ぎ静川からこの遠浅の現場に移動して進捗を見て回った。折からの寒さにもめげず、午後3時近く、面々はまだ作業中だった。oyama さんは先週からコナラのフットパスの入口から刈り払い機でスノモのルートを開設し、ハルニレ風倒木周辺の、人があまりやりたがらない枝条や薮を整理していた。ハルニレはここでは珍しい大木だけに、この3月に運び終えなかった丸太が痛々しく黒ずんで残っているが、腐ってはいないので早々に運び出すことになりそう。

土場近くのシカの集会場周辺から一帯を眺めると、着手前とはもう見違える風景に変わった。その成果が、一番上のような写真になる。除間伐して風景を変え、薪を造る、これは素晴らしい好循環の仕組みだとしみじみ思う。メンバーに聞いたことはないが、風景を変える喜び、というのは薪を得ることと同じくらいうれしいことだとわたしは思う。



テントに戻るためにフットパスに出て振り返るとこんな風景が見えるが、写真ではなかなか臨場感が出なくて残念だ。昨年の着手前はまったく道らしくないヤブだったのだ。社会も家庭も職場も、そして雑木林の風景も、良かれと思う快適な方向に変えられればこんなうれしいことはないが、このうちでもっとも容易にできるのが「林の風景」(=修景)ということになるのではないか。この延長に、実はイヤシロチが待っている。




自然へのアクセスとコモンズ

2023/11/27 mon

11/27 欧米の自然と人のつながりとコモンズはどうなっているか

日本では人々の生活と、自然とか緑環境がつながりを失って久しいと思われる。緑などなくても生きていけると豪語する人もいる。メディアが自然環境の重要性を強調し少なくない人が「自然は大切だ」と唱えるのとは裏腹の現象だ。

森林や造園を通じて長年緑と関わって来たひとりとして、この理由を見定める作業は今も続いているが、先日たいへん参考になる本を読んだ。三俣学さん編著の『自然アクセス~みんなの自然をめぐる旅~』(日本評論社)である。欧米ではどのような仕組みや文化的背景によって人と自然がつながっているかを、旅人の目で考察したものである。その背景に人々が自然を共有するコモンズの伝統も大きく取り扱っている。

わたしがコモンズを学ぶ際に熟読した平松紘氏と短い交流もあったと書かれ、勝手に親近感をもった。平松氏は英国のコモンズが緑の権利獲得の歴史と法律の運用で出来上がっていることをわかりやすく提示して見せた。現代の自然共有は、古来の入会的なものではなく新しいタイプになっていくだろうことは間違いないが、自然の共有は、法律で整理するにも文化に頼るのも大変な年月がかかる歴史的テーマのようだ。ただし日本文化の底流には、欧米とはひと味違う底流があるのではないか。メディアに誘導されてきた自然の見方を一旦脇に置かないとこれは見えてこない。わたしは実体験の日常の中でこのテーマを再構成したいと思っている。 






薪づくりとジェンダー適性

2023/11/29 wed 2℃ 晴れ時々くもり



薪ヤードにストックしていた2立方余りの自宅用薪を積載750kgのタウンエーストラックで2往復して運び入れた。また、今月間伐した広葉樹15本のうち丸太にしておいた7本分をこれもヤードまで2往復して運び込んだ。来週、もう一度運べば、再来年1シーズン分の薪が用意できたことになる。

家人にはこれまでも自宅に運び込んだ薪を、薪小屋に積む仕事をしてもらうことはたまにあったが、今回は丸太も運んでもらった。意外と知られていない難儀な仕事だからで、この苦労はちょっと知っておいてもらいたいという下心もあった。曰く、

「原始人のような仕事だ」
「この仕事は奴隷労働に近いかも」
「こんな仕事をしていたら体をこわす」
「人工股関節はこのせいじゃないの?」

ぼやく割には実によく動いてくれたので返す言葉もないが、つくづく伐倒から始まる薪づくりは「男の仕事」だと思わざるを得ない。危険だし重たくて、女性に向いた仕事とは決して思えない。女性が参入しやすいのは薪積みからではないか。

ただ、女性は薪づくりの苦労を知らない、と年配の薪ストーブ愛好者に聞いたことがある。いくらでも生れてくると考えている節があるというのだ。重たい思いをして、繰り返し、コツコツこつこつこなしていかないと1年分の薪なんてできやしないのに、いともたやすく簡単に手に入ると見損なう。薪の値段を聞いた女性が「そんなにするの?」と驚かれる時も、似たような感覚だがこの頃は呆れるより怒りを覚えるときもある。

しかし、やっぱり男と女は違う。今日家人と一緒に同じ仕事をしながら、そういえば、女性は自然とか森林とかよりもデパートとか買い物などの方があっているような気もする。家人もかつては山女で岩登りなどはわたしよりうまそうだったが、子育て後はきっぱり都会派、デパートごのみに転身し、テント住まいなど大嫌いになってしまった。キャンプはわたしも願い下げで、もう布団やベッドに寝る旅行しかしなくなって久しい。

話は戻って、薪づくりだが、ノルウェーの名著『薪を焚く』の写真のページを見ても、顔を出すのはもっぱら男、それも高齢者ばかりだ。個人の薪づくりを一本の川に例えれば、薪づくりは川の上流の、文字通り原始的な一次産業的な営為で、一方、暖を取るのは下流の川下だと言える。つまるところ女性は川下の消費者が向いていて、したがって川下消費者の常で、上流に向かってアアセイコウセイと注文を出すのである。

ともあれ、8時半に借りたレンタカーを返し終えたのは4時半だった。走行距離140km。この自己完結した薪づくりという仕事は、現代ではかなり珍しい代物になった。車一台を一人で作り上げる到達感が注目されたことがあるが、薪づくりは文字通り原始的ではあるが典型的な自己完結した営みであることは間違いない。そして主役のジェンダーはやはり「男」だと認めざるを得ない。


手入れの匂う林へ

2023/12/02 sat 曇り 2℃ 小屋内マイナス10℃

■初冬の雑木林と初心



わたしは初冬の雑木林が好きで仕方がない。画像を撮り始めると止まらなくなる。高村光太郎の詩「冬が来た」が歌うようなきっぱりと、身の引き締まる冬景色、実は胆振に来るまで雪のない雑木林風景を知らなかった。若くて薮でしかなかった50年近く前の雑木林は、確実に充実して今のような風景に衣替えしてきた。この変遷は実に得難い予想もしなかった心境変化と経験である。

実は大木が点在する雑木林はどんなに美しいだろうと夢見て、密かに手入れを続けようという気持ちが大きかった。そのうち林が人の心を癒すことに身をもって気づき、森林美学を念頭にセラピーのフットパスを創り始めたのだった。鬱に悩む方が何人も来た。だから、わたしにとっての林は、安全で胸膨らむ、心地よい場でなくてはならないが、その根っこには、手入れされた「手自然」の匂いが不可欠だった。

その延長で、静川の小屋周辺は林道のアクセスも含めて、沿道に倒木や枯れ木、掛かり木やツルに絡まれた木がない状態を、せめて見えるエリアだけでも確保するようにして来た。手入れ感覚イコール「手自然」である。今日は夕方から用事があったためカラマツの処理は中止して、沿道の危険木を倒し、折れた枝などを高所のこぎりも使って片づけた。気になっていた案件で、出来れば年内に、と考えていたものだ。大木の根返り木などは手を付けられなかった。




これらの山仕事は薪に直結する作業とは違って、里山の景観維持のようなものである。典型的なシニア・メニューにあたるだろうか。こんな片付けをしている間に昼が過ぎた。朝、小屋に着いたときには室温が-10℃だったが、煙突の排気口を半分閉じておいたら、プラス12℃まで上がった。この調子でこまめに薪をついで行けば、真冬でも室温20℃は夢でない。

■今日の遠浅の間伐風景



左の写真は自称「シカの広場」。ここから見る正面の昨年の土場は一応役目を終え、ここがスノモの搬出ルートのスタートになる。今年のルートは着実に開設が進んで、oyama さんが腐りつつある汚れた古い丸太を左右にどかして難所を中央突破している所だった。その近傍で、5人の精鋭が着々と除間伐を続けていた。50mほど奥は、右の写真のように除伐を待っているのがわかる。

昨年から除間伐を繰り上げて11月と12月をメインにしてから、明らかに効率が良くなって余裕が出てきた。降雪が十分になって1月後半から着手するスノモによる藪だしまで休業してもいいくらいだが、毎週末山仕事をするというルーチンは生活の中に組み込まれた人もいるらしく、雪の日でも「にわか木こり」が集まって来るのである。

年内はあと4週ほど。来週は山の神の参拝で、山仕事はしないから雪のない初冬の作業は今日が最後かもしれない。




葉落ち尽くし雑木林は裸木となる

2023/12/06 wed 曇り時々小雨 10度



何という落ち葉の量だ。ファインダーに納まる落ち葉はすべてコナラ。そして全山、葉は落ち尽くし地肌は消えた。あらためて、何という季節の反復、自然はこれを無駄とは言わない。神がかっていはしないか。そう思って改めて見ると、葉っぱも一合一会、立派な個性がにじむ出る。



時折小雨が混じる重苦しい曇天、残りの伐倒木を休み休み玉切りしてようやく終えた。金曜日にもう少し景色を整える作業をして来週12日軽トラック運び出す予定にしていたが、まてよ、12月12日は山の神が林に降りてくる日だから山仕事はしない風習のはず。伐倒ではないとはいえ、日を改めよう。



2年越しの半枯れシラカバ大木

2023/12/08 fri 曇り時々晴れ 10度

■キハダの萌芽



会友saitoh さんの息子さんと育林コンペの除間伐をした。saitoh さんは静川に入植した人の末裔で、地域の生き字引としてわたしの風土感覚の先生だったが、現在は静川の小屋から直線で2km程の、厚真町共和に住んでいる。会友saitoh さんは苫東や子会社で長年現場管理を任されてきた関係で、平木沼周辺はドライブコースで、息子さんは林道の見回りをしてニュースがあれば情報もくれる。地元役場を退職したばかりで、林務関係のプロである。



今年の育林コンペ作業は今日でほぼ終了するので、除伐中心に鉄塔線下地の方へ作業を進めて一段落した。線下地の皆伐後に同じ種類の萌芽枝が目に入った。普通は、シラカバやコブシが一斉に更新して群落のようになるのだが、ここは違った。

よく見るとキハダのようだ。萌芽しているもとの幹が直径10cm以下で若く色は赤褐色、枝は無骨に二股になって太い。目はところどころ対生だ。小屋に戻った時に、四手井綱英・斎藤新一郎共著『落葉広葉樹図譜』と佐藤孝雄氏の樹木図鑑をみたが、やはりキハダのようだ。原野で単木で自生するのは見かけるが、一斉に更新するのは初めてで、これはちょっと驚きだ。これから時々様子を見ようと思う。

■シラカバの半枯れ大木を片づける



今日は珍しくふたりなので、2年ほど懸案で残しておいた半枯れのシラカバを倒した。5年ほど前にアブナイ枝折れを片づけた時、当分手をつけたくない要注意枯死木としてマークしていたもの。直径40cm、高さ14m、当然幹にもキノコが生えているので、どの程度腐れているかが問題だ。そして重心は偏心している。放置すると益々手が付けにくくなるので意を決して対応した。丁寧にカットラインにチョークを入れてクサビは一枚、一年の山仕事を総括するように掛かり木になることなく思い通りの方向に倒れた。断面は3分の2に腐れが入っていた。

これまでの山仕事で危ない思いをしたのは今のカラマツ枯死木とシラカバの枯死木、それとナラの大木の枝折れだ。シラカバは皮が腐らないため判断を誤ると、突如、太枝が落下するのである。




シンボルツリー、ご神木、大木

2023/12/12 tue 雪 マイナス2度

■つた森山林にて



つた森山林は昔苫小牧市森林組合長をしていた蔦森春明氏が所有・管理していたところで、作った木炭は今のJR室蘭本線の遠浅駅から本州に送っていた。先祖は明治の終わりころ入植、以来、「里山」として利用してきた道内では珍しい有名な山である。昭和51年、苫東の仕事に関わり出した当時、わたしが手で触れている写真のカラマツは、地域でも珍しい樹齢50年と言われていたもの。あれからざっと50年だから、ほぼ100年ということになる。直径は80cmあまりで、まだ順調に成長している。当時、カラマツは樹齢が30年に満たないと材にねじれが生じて使えないという川下側の評価が出始めて、樹齢と材について議論がなされていた。そこでこの50年生を切ってみようか、と森林組合から話が出たような記憶がある。静川小屋の隣で枯れ始めたカラマツとは数百mしか立地は違わないが、樹勢に雲泥の差がある。

100年経っても変わらないものがこのように存在する、というのは人生に物差しを当てるみたいで楽しい。ちなみにわたしの苫東での25年は、この「つた森山林」とともにあった。ひとつの山を重点的に管理するというのは、実に勉強になるものだ。台風の復旧造林で余ったシラカバ苗木を斜面の林道沿いに植えたが、数十年後、現在の上皇陛下と上皇后がここに植樹会でお見えになった。あのシラカバが並木として沿道を飾ってお迎えしようとは当時考えもつかないことだった。


赤字でリンクした記事は2008年モーリー12月発行の号である。北海道には厳密な意味で里山はない、と言われていた時期、堂々と100年の間ずっと里山の実績がある場として、つた森山林が選ばれたのはさすがと編集者に1票差し上げた。

■ご神木



12/09 苫東コモンズの大島山林における山の神参拝の前に、いつもどおりつた森山林のご神木にお参りした。会社の参拝はまだの様で注連縄やお供えはなかったが、ご神木はキノコが生えてはいるが健在だ。昔の人が伐倒を避けたかったのがわかる異形のナラだ。かつて第一号のご神木は実は池の向こうのヨーロッパトウヒであったが、台風の被害などで消失してしまったから、そうなる前にこちらに代えて正解だった。また、山仕事の大先輩から、ご神木はその山に一番多く自生するものを選ぶこと、また山の現場では伐倒すると怪我のしそうな暴れたものが選ばれた、などと聞いた話からしても、この選択は間違いでなかった。



一方、大島山林はご神木というより正確にはボランティア作業のシンボルツリーである。連携不足で今年は塩とお米だけのお供えになったが、準備がまちまちになったとは言え注連縄の紙垂が用意されたのでシンプルでしまりのある参拝になったのではないかと思う。

シンボルツリーは直径1mのドロノキだが、上の100年カラマツと同様斜面にへばりついている。空知の三笠の山林で見た樹齢300年以上というミズナラの大木もやはり斜面にあった。いずれも水はけのよい、風の通り道でない場所のようである。

つた森山林の四阿(あずまや)手前の堂々としたオニグルミは先日よりもさらにキノコが増え、なんだか末期を知らせているような印象だった。白く大きなアイカワタケのように見えたが、これからどうなっていくのだろうか。勢いよく生きるもの、衰えるもの、枯れるもの、融けて土に還るもの、それらで生かされるもの…。人間の生もそんな循環の自然のほんの一コマだと思えば、束の間だが懸命に生きようという勇気が湧いてくる。




小さなソリと軽トラで行う「藪だし」

2023/12/14 thu 曇り 0℃

■勇払原野の薪生産の歩掛

10月31日から平日に絞って始めた育林コンペの間伐も今日が最終日、シニア・ワークだからダラダラと足かけ7日目。伐倒はいつもの見立てから15本、これで見込み2棚、層積5.4立方メートル、正味材積3.4立方メートルを創り出せる。我が家ではほぼ1シーズン賄うのに若干足りないという薪の量となる。

かかった正味の時間を概算すれば、伐倒と枝片付けに1日、玉切りに1日、藪だしとヤードへの運搬に2日、このほかツルや枯れ木整理の修景に1日かけているから、正味5日弱である。これから割って積むのに2日かかるから、1年分の薪生産に7日ということになる。これを前期高齢者で身体不自由な老人がひとりで行うのである。

■軽トラとソリによる藪だし



機械力はチェンソーだけでこんなにコンパクトに除間伐と薪生産ができる理由は、この雑木林が平坦であることと、灌木を除伐して伐根を低くすれば軽トラックが林の中に入り込めるという勇払原野特有の利点がある。わたしの育林コンペのテーマは、文字通り「軽トラ林業」である。

苫東のフィールドは最も高いところでも標高がわずか25mという立地がこの作業を可能にしている。こんな風にして他人さまの土地を美しい森に変えながら、放置すれば腐っていくだけの木を運び出して暖房エネルギーに利用するのだ。

他人さまのものを一方的に収穫して得ばかりしているのではないか、どこに win-win があるのか、と言うムキもいらっしゃるだろうが、是非お試しあれかし。そもそも、林から材を抜き出して丸太を造るこの手間たるや大変なもので「奴隷労働」と酷評する人も少なからずいるくらいだ。さらに、土地所有者との間の関係性構築は一朝一夕に出来上がるものではない。コモンズ的な仕組みは奥が深いのである。

それにここを強調したいのだが、苫東コモンズの手入れした跡は、こぎれいになると評判だ。美しい雑木林に生まれ変わるというということか。土地所有者のなかには、山仕事の跡地はコモンズのような仕上がりがスタンダードだと思い込んで、効率を重んじるプロの仕事が雑に見えるという話を聞いた。だから両者間に win-win は成立していると言えるが、残念ながらこの修景モデルが人目につかない山の中にある、というのが難点である。



ところでこの日の最終日、わたしの作業の読みがぴたりと当たって、軽トラ借用を頼んだ前夜にうっすらと雪が積もった。藪だしは重いものを運ぶので、軽トラと一緒に実はソリが役立つからだ。上左の写真とは別に、試しに積んでみたところ重さ20kg前後の丸太6本、約100kgでもうっすらと積もった雪の上を結構楽に運べる。わたしの今の力では近年愛用する子供のソリ遊び用のサイズがちょうど按配が良い。この季節であれば雪がない「ぬれ落ち葉」状態でも可能だ。


■歩掛の諸元など

育林コンペの現場から遠浅のヤードまでは12km、これを今日は3往復した。先日はタウンエーストラックのレンタカーで家人に手伝ってもらって2往復したから、2棚では丸太も薪も大体6台分がこれにあたる。長距離を6往復では疲れるので、その際は2トントラックで一気に、ということになる。軽トラはあくまで10数キロメートルの小運搬用だ。

(*この歩掛は、苫東に限らず自分の身の回りの環境改善の動機を促すものではないだろうか。)

雪を前にしてヤードにはブルーシートをかけて来年のゴールデンウイーク頃までデポしておくことになる。写真上右ではボリューム感がないが、確かに「えっ、これで一年分?」という感じはあるかもしれない。ともかく暖房用薪の自賄いは本当に手間がかかるが、ヒューマンスケールとはこのことだと思う。

午後4時、借りた軽トラを返しに行ったら薪づくりの話になった。
長老 「薪はよく簡単にできると思っている人が多いなあ」
当方 「そうなんですよ。でもわたしに限ればいつまでできるか、そこが問題で…。」
長老 「80までやれるよ。がんばれ~。」

里山的なシニア・ワークとしてわきまえ、ゆっくりとコツコツ気をつけながらやればたしかに可能かも知れないな、と考えながらヘッドライトをつけて家路に。地域の森づくりをコモンズ的に展開することを思えば方法はいろいろあるが、そこにはルールのきつさとゆるさとが応用問題として横たわっている。

濡れる雪に気持ち折れる

2023/12/16 sat マイナス1℃ 室温マイナス6℃→プラス16℃



どんよりした雪の日、ソリに荷物を載せて小屋近くの現場へ向かうと、横倒しの長材に雪が積もって、放置しているのが丸見えとなっていた。雪は作業用ジャンパーが濡れる状態で、薄暗い空模様と相まって気分が滅入る感じである。カラマツ枯死木の伐倒では相変らず立て続けに掛かり木となり、次第と気力が衰えてくるのがわかる。ひとりでの作業はその減衰度が倍速となるのが普通で、もろくも魔の誘いに負けて1時前に辞めて小屋に逃げる格好になった。

それにしても長年愛用の極地用ブーツ「Baffin」はスグレモノだ。おとといミツウマの長靴で作業したら足がかじかんでたまらなかったのに、今日は寒さを忘れることができた。北極のマイナス40度以下に対応というだけのことはある。ただ、寒さには十分でもチェンソーの危険に対する安全策はできていない。こちら立てればあちら立たず、であるがこれは仕方がない。気を付けるしかない。



小屋は到着時はマイナス6℃だったのが、作業を中断して戻った時には16℃まで、20℃もアップして久々に快適になった。掃除、調べもの、新年のカレンダー取付などをしてから読書。手にした小屋の蔵書は中井正一著『美学入門』。小屋では思い切り高邁な精神に触れるテーマが似あっている。串田孫一の哲学エッセーなどは従って結構好みに上がる。里山生活の実践と言えば言えなくもないが、わたしはともかくこの状況に慣れないと普通の方は小屋に来ても暇をもてあますだろう。実はここでは何もしなくてもいいのだが、一般に、「空ずる」ことは訓練しないと難しいのである。

読書といってもこんな暗い日は新設した窓の雪明りもあまり頼りにならなかった。そのうえ、専用の老眼鏡を今日は持たなかったので、「美学入門」も数ページで断念、冥想に切り替えた。雑木林の冥想は、テラスがベストだが小屋内部も勇払原野の里山の包囲感が抜群で、産土とのつながりがうっすらと見え隠れする。



危険な枝処理と地域の生物多様性について

2023/12/21 thu 晴れ 0℃ 室温マイナス12℃

■林道にかぶさる危険な枝



明日は冬至、さすがに朝の冷え込みは真冬並みとなり日本海側は週末にかけ大雪が見舞うようだ。もちろん最高気温は全道軒並みマイナスとなって来た。猛暑のあと、あまり日をおかず厳寒である。

今年は蚊が少なかったせいと、わたしのシニアメニュー移行のため小屋番がメインになったせいで、カラ類のにぎやかな饗宴を夏のさなかから見学し、初秋のころからミヤマカケスが身の周りに飛び交いつい先日などは数えると10羽近くがいた。こんなことはかつてあっただろうか。

小屋前の獣のサインは、シカのほかにキツネ、ウサギ、タヌキ(アライグマか?)のようなものがテラスだけでもしっかりと交錯している。室温はマイナス12℃だったからまず窓を開け放ってストーブに火をつけた。ゴーっと音を立てる割には温かくない代物だけれどもないよりはましだ。来週あたりに大雪が降れば自家用車での来訪は無理になるから、いきおい、薪の減り方は緩やかになるだろうが、ひょっとしたら、薪は補てんする必要があるかもしれない。それはそれでいい里山仕事だ。



林道に覆いかぶさる危険な枝がまだ数本目につくので、高所のこぎりで落として回ったが、手が届かないものも多い。ついでに傾斜木、掛かり木も片づけたため、小屋に戻ったら午後1時を回っていた。

■苫小牧市の生物多様性戦略の委員会と「風土の後見人」

平成3年に立ち上がった地元苫小牧市の生物多様性戦略の取り組みがいよいよ策定に向けて動き出し、昨日20日、1回目の委員会が開催されて副市長から委員の委嘱状が手渡された。2年前の検討会でと同様、わたしの役割は市民が保全に携わるコモンズという仕組みについてのものと理解されるが、生物多様性について市民レベルで関与する隙間があるかは実はまだよくわからない。

苫小牧の自然保全行政の流れを遠くから見る限りでは、自然保護か開発か長い間もめてきたことも反映して、貴重種や絶滅危惧種などをまず学識経験者に選んでもらって保全地区のようなもので囲い込んで、盗掘防止などの理由で市民を遠ざけるような施策が続いてきたように見受けられる。行政は、囲い込んで命名して公表して一段落となる。市民と自然がつながりを失うことを残念に思う当方としては、せめて、湿原なら湿原を一望できる展望台や木道のようなものを造ってアクセスを促すべきではないかと、犬の遠吠えのように言ってきたがウトナイ湖の展望台、高丘の展望台などができているのでいい見本ができたと思っている。

さて1回目の委員会では、在京のコンサルの担当者から、国の戦略の概要や苫小牧の現状などについてわかりやすく説明があってから質疑や意見交換がなされた。わたしは説明を聞きながら二つのことに気付いて申し上げた。

ひとつは、雑木林についてである。
臨海都市と言われる苫小牧だが実は「臨森林都市」であり住宅地のすぐ裏から羊蹄山や定山渓、余市に続く森林地帯が広がっていることの認識、そしてもっとも身近な広葉樹二次林についてまったく言及がなく注目もされていないように見えることである。半世紀以上前の、エネルギーが石炭と石油に代わるまで、日本の木炭需要を賄った薪炭林が数千ヘクタール、あるいはそれ以上あって、小学校が4つか5つもあったという植苗地区は、はげ山の原野となった時代に2足三文で取引され、現在はゴルフ場などのリゾート地か候補になっている。その雑木林こそ手入れすれば里山的なリゾートに変わる資質を持ち、環境省がSATOYAMA イニシアチブなどと謳いあげた生物多様性にも関わるゾーンであるが、これまでの行政の視点としては、この雑木林についての視点と言及がないのではないか。これが1点目。

もう一つは、ヒグマとエゾシカである。
住宅地と大森林地帯の間に田園や里山を欠く苫小牧は、ヒグマやエゾシカと同居しているようなものだが、これら大型哺乳動物も人の住む環境の中で「多様性」などと数え上げるのは間違っていないか。生物多様性はいいことである、というようなゆるいコンセンサスも大いに問題だがそれに一歩踏み込んで、ヒグマならば高速道路をバリヤーとみなしてヒグマの住むエリアと人の住むエリアを分断しヒグマを締め出す施策に踏み出すべきではないか。締め出すというより、広大な森林地帯に「いてもらう」というのが正確かもしれない。エゾシカもすでに市街地にかなりの頭数が出没しオスジカまで来るようになったから逃げ惑うシカによってけが人が出るのは時間の問題になっていることなど。ちなみにわたしは市街地を含め市内で2度シカとぶつかって車を破損させた。ヒグマの絶滅を避けるためにコリドーが不可欠だという神話的保護説を再考することになる。

生物が多様で人と共生している、などというのは現実離れした笑い話になって来たことを、市民は感覚的に理解し始めた。苫小牧市の戦略はそこに先鞭をつけるような提案に繋がらないか。むずかしい問題だがぜひその近辺に踏み込んでほしい気がしているので、さわりを申し上げ問題的させていただいた次第である。個人的には風土の守り手は誰か、にもっとも強い関心があるが、行政は担当が束の間頑張るが、守り手の主役ではない。この際、土地や風土の「本当の後見人」は誰か、とあらためて問えば、市民ひとりひとりというのが本当の答えのようだ。バラバラの個人であるところが悩ましい。




令和5年の山仕事の納め

2023/12/23 sat 晴れ マイナス2℃

■枝を燃やしていく山仕事の喜び




今日からはカラマツをひとまず離れて「ささみち・フットパス」に軽トラを入れて藪だしができるよう、間伐とパスの拡幅を始めた。カラマツと違い、広葉樹は伐倒が比較的予測通り進んで、はるかに楽しい。

小屋のそばだから整理した枝が散らばっているのは避けたいので、思いついて急遽燃やすことにした。かつての苫東時代、開発行為で大面積で皆伐した際には、枝条をすべて焼いていわゆる「火入れ地拵え」をしたもので、伐採工事が終われば直ぐ土工ができる状態だったが、消防法が変わって手続きが面倒になり火入れも許可されなくなって、枝条を燃やす人はあまりいなくなったが、実は燃やす仕事を手伝ってみると止まらないくらい達成感のある作業だった。コモンズ活動の初期は、昼休みのために焚火を作っていた。

今日はそれを思い出して少々写真のように燃やしてみた。マッチ一本と段ボール一枚で次第に炎を大きくしていき、生木生枝も燃やし切るのである。勢いさえつけば、本当に生木もどんどん燃やせるので、炎の高さが3m近くになることも多かった。針葉樹が混じればなおさらである。こうして炎を大きくしていけば、作業跡地はきれいになるけれども、火を大きくしたら今日中に帰れなくなるので今回はほどほどでやめた。

しかし、正直、楽しい。フットパスのルートにある支障木と両側を抜き切りして、火の世話をしているとあっという間に昼過ぎとなった。今年のチェンソーの山仕事は今日で終わりにしようと思う。

■大島山林で山周り、「お疲れさま」と見て回る



仕事納めでもあるので、静川から大島山林に行って山を一巡りした。大雪のせいか札幌、恵庭、江別方面のメンバーはあいにく全員休みで、仕事納めの挨拶ができたのはoyama さんと tomi-k さんだけだった。ふたりともコモンズきっての古いメンバーだけに、おのおの別の場所で施設の補修などマイ・ワークをこなしていた。

山林は今シーズンの搬出ルートが先週全線開通して、作業工程が読めるようになった。写真右の、従前は大変な薮だった箇所もどうにか形がついて一周ルートが見えている。例年の平均的な薪生産量25棚には若干足りないように見受けるが、年明けに搬出と並行しながらもう少し間伐が進めば大丈夫だろうと思う。

日が傾いた頃テントに戻ると、oayamaさんとtomi-k さんは帰り支度とお茶の時間で、今度は3人で仕事納めの歓談で小一時間を過ごす。平和な憩いのひと時が流れる。林の中の憩いの時間は格別である。