里山づきあいの深みへ
猛暑が納まっていよいよキノコのシーズンが到来した。 蚊に邪魔されず、小鳥の観察も悠々と、かつ、フットパス歩きも快調だ。危険と隣り合わせとは言え、山仕事も少しずつ暑さを耐えながら始めた。 里山道楽は申し分ない。小屋番のオヤジ、面目躍如の日が続く。 |
<NO.123 から、記事掲載は期日の順に変更しました>
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一年分の薪、伐り終える 2023/11/15 wed 晴れ 5℃ 小屋室内ー2℃ 雪が降り始める頃、勇払原野では小春日和が続く。昨朝は樽前山が真っ白に雪化粧していたが、今朝、里の雑木林はありがたい小春日和だ。季節の移ろいの中に、寄り添うように暮らすことができる里山ライフ。わたしにとってありふれた日常だが、実はなかなか恵まれた環境である。 今日はシニア・メニュー、シニア・ライフの初成果として再来年の1年分の薪の伐倒を終えた。正味5時間ほどで、みかけ5.4立方メートル分の16本と枝の片付けが済んだのである。長さ35cmに玉切りするのにこれから3時間、積み込み運搬とヤード往復に4往復4時間、薪割りに5時間ほどかかるからまだ先が楽しめるが、それが「労働」でなく「楽しみ」、というところがミソ、つまり道楽である。 朝一番に小屋の薪ストーブを付ける頃、室温はマイナス2℃、2時過ぎに引き上げるときには15℃に上がっていて、オキに薪をくべてから遅い昼食代わりにココアを一杯飲んで読書するには十分な温もりである。 雑木林の葉っぱはあらかた落ちたので窓辺は明るく、読書可能になって来た。串田孫一のエッセーと詩集を読もうとしたら、字が小さすぎて数ページで諦めた。伊藤秀五郎氏の古い『北の山』を手にすると、若いころの山に没頭していた時代がよみがえってくる。何故、あれほど山に打ちこめたのか。伊藤氏は、静的な登山とか、心の山などというキーワードを用いて、山の意味を解きほぐしていてわたしはその世界にもはまり込んだのだった。今日の雑木林のある暮らしも、おそらくその延長線上にあるような気がする。 現場移動数キロ、静川から遠浅へ 2023/11/18 sat 12℃ ■腐れた木と生きたものとの扱い、慣れる 混んだカラマツ林の除間伐は、腐っているか否かを問わず、広葉樹より難しい。隣の木の固い枝にちょっとでも掛かるとすべて掛かり木になるからである。だから早々に穴のような空間を造って掛かり木にならない方策を立てる。しかも腐れの入ったものは伐倒コントールが難しい。また枯れ木とて侮れず、しっかり掛かり木になる。掛かってから「枯れ木のくせに」とぼやいても仕方がない。 それもだいぶ慣れてきた。どの程度の腐れか、推し量って実行する。今日は久々に腐れていない太目の伐倒をする機会があって、予測通りの方向へきれいに処理を終えた。この現場ではなかなかそうならないから、ちょっとした喜びがあって記念写真を撮った。しかし、伐倒時のヒヤリハットはいつもそばにある。今日は、倒れ始めた木の周りから枯れ枝が脳天に落ちた。フェースガードしたヘッドギアで良かった。こういうことがままあるから、伐倒時の数秒、決して上を仰がない。 このカラマツ林は南から沢地形に沿って海風と強風がくるため、風倒木はほとんど北側に倒れる。そこを枯損木を中心に除伐して広葉樹に置き換えようと言うのが場所の命題だ。だから今ある広葉樹はとりわけ大事にしている。またこの林分の中央にささみちフットパスが縦断しているのだが、わざわざ写真のようにコナラを2本残したところもある。広葉樹と競り合っているカラマツも大きく抜き切りしてドングリの母樹にしたいところ。 昨日の大風でも針葉樹広葉樹問わず大分風倒木が増えた。横倒しにはならず、ネガエリか掛かり木だ。これらは林道から見えるところだけ、可能なものからいずれ片づけることにしよう。カラマツ作業を終えてから、林道の大きな水溜りふたつに水ミチを造って逃がしてみた。効果が薄ければ、次回、もっと深く掘りこまざるを得ない。 ■遠浅の進捗 午後3時を目安に遠浅の現場に顔を出す。コモンズの伐倒集団苫東ウッディーズが今日も作業中で、トレースしてみると予定通りスノーモービルルートも 2/3ちかく出来つつあった。あとは中間にあるツルと倒木の処理地を開けば、ほぼ完成だ。玉切りされた丸太も予想以上たくさん積まれている。 歩いてみると、切り株にポツポツとエノキタケが出ているがいかんせん小さい。もう少し大きくして食べたいところだ。 キノコはまだまだ見かけるが、シーズンも終わりころかと思う。カラマツ林では白いきれいなキノコを見つけカノシタか、と思ったが違ったようだ。先日つた森山林のクルミの大木で同じく白い塊を見つけた。図鑑ではアイカワタケのように見える。残念ながら、まだシメジに出会っていない。 到着時、遠浅町内はミニパトカーがしきりに走って何かアナウンスしていたが、聞けば、アイリス公園にクマが出たとのこと。 山はみるみる見違える 2023/11/25 SAT 晴れ 0℃ ■チェンソーで石を切る?! 前日から寒波が来た。今朝はマイナス5℃ほど。小屋のテラスは強風で落ち葉が払われ、そのあとに1センチの深雪が積もった。風があるので寒い一日になりそうだったがこれは終日変わらなかった。 1/29 頃にトラックをレンタルしてヤードから自宅へ薪を運び、その足で午後は玉切りした丸太を静川からヤードへ移動させるので、残っていた玉切りをまず済ませることにした。ところが着手して間もなくチェンソーの切れ味が急に落ちた。丸太の下の落ち葉を除くと、そこにはなんと天然の石があって、マイ・チェンソーはその石を切っていた…。特に変な音もたてず、だ。 刃はスチールのピコチゼル(角)刃でそれまで抜群の切れ味だった。が、驚いたことに石に溝を掘るほどに切り込んだのに、その切れ味の格差はそれほどでない。石があったこと自体驚きだが、その石を特に異音もなく切り込んだこと、切った後の切れ味、いずれも脅威だ。気を取り直して10度の角度を意識して目立てし、作業を続けた。盗難防止のためタウンエーストラック2回相当分だけにし、あとは長材のままにした。 大風の後で、林道に掛った支障木などを片づけながら小屋に戻ると、ストーブは消えていて4℃。わずか5℃しか温度が上昇していない。この中国産の鋳物ストーブはまったくの見かけだけでちっとも暖房に寄与しない。熱エネルギーをすべて外に出してしまう代物だ。週に2回の使用だから、丸太は保冷材の役目をして、温めるのに実は一日かかることをこれまでの宿泊で何度も確認済みだ。これなら、鉄板のルンペンストーブの方がずっとましだ。 ■無雪期に山仕事はかどる 遠浅は今シーズンの除間伐を初めて4日目、2時過ぎ静川からこの遠浅の現場に移動して進捗を見て回った。折からの寒さにもめげず、午後3時近く、面々はまだ作業中だった。oyama さんは先週からコナラのフットパスの入口から刈り払い機でスノモのルートを開設し、ハルニレ風倒木周辺の、人があまりやりたがらない枝条や薮を整理していた。ハルニレはここでは珍しい大木だけに、この3月に運び終えなかった丸太が痛々しく黒ずんで残っているが、腐ってはいないので早々に運び出すことになりそう。 土場近くのシカの集会場周辺から一帯を眺めると、着手前とはもう見違える風景に変わった。その成果が、一番上のような写真になる。除間伐して風景を変え、薪を造る、これは素晴らしい好循環の仕組みだとしみじみ思う。メンバーに聞いたことはないが、風景を変える喜び、というのは薪を得ることと同じくらいうれしいことだとわたしは思う。 テントに戻るためにフットパスに出て振り返るとこんな風景が見えるが、写真ではなかなか臨場感が出なくて残念だ。昨年の着手前はまったく道らしくないヤブだったのだ。社会も家庭も職場も、そして雑木林の風景も、良かれと思う快適な方向に変えられればこんなうれしいことはないが、このうちでもっとも容易にできるのが「林の風景」(=修景)ということになるのではないか。この延長に、実はイヤシロチが待っている。 自然へのアクセスとコモンズ 2023/11/27 mon ■11/27 欧米の自然と人のつながりとコモンズはどうなっているか 日本では人々の生活と、自然とか緑環境がつながりを失って久しいと思われる。緑などなくても生きていけると豪語する人もいる。メディアが自然環境の重要性を強調し少なくない人が「自然は大切だ」と唱えるのとは裏腹の現象だ。 森林や造園を通じて長年緑と関わって来たひとりとして、この理由を見定める作業は今も続いているが、先日たいへん参考になる本を読んだ。三俣学さん編著の『自然アクセス~みんなの自然をめぐる旅~』(日本評論社)である。欧米ではどのような仕組みや文化的背景によって人と自然がつながっているかを、旅人の目で考察したものである。その背景に人々が自然を共有するコモンズの伝統も大きく取り扱っている。 わたしがコモンズを学ぶ際に熟読した平松紘氏と短い交流もあったと書かれ、勝手に親近感をもった。平松氏は英国のコモンズが緑の権利獲得の歴史と法律の運用で出来上がっていることをわかりやすく提示して見せた。現代の自然共有は、古来の入会的なものではなく新しいタイプになっていくだろうことは間違いないが、自然の共有は、法律で整理するにも文化に頼るのも大変な年月がかかる歴史的テーマのようだ。ただし日本文化の底流には、欧米とはひと味違う底流があるのではないか。メディアに誘導されてきた自然の見方を一旦脇に置かないとこれは見えてこない。わたしは実体験の日常の中でこのテーマを再構成したいと思っている。 薪づくりとジェンダー適性 2023/11/29 wed 2℃ 晴れ時々くもり 薪ヤードにストックしていた2立方余りの自宅用薪を積載750kgのタウンエーストラックで2往復して運び入れた。また、今月間伐した広葉樹15本のうち丸太にしておいた7本分をこれもヤードまで2往復して運び込んだ。来週、もう一度運べば、再来年1シーズン分の薪が用意できたことになる。 家人にはこれまでも自宅に運び込んだ薪を、薪小屋に積む仕事をしてもらうことはたまにあったが、今回は丸太も運んでもらった。意外と知られていない難儀な仕事だからで、この苦労はちょっと知っておいてもらいたいという下心もあった。曰く、 「原始人のような仕事だ」 「この仕事は奴隷労働に近いかも」 「こんな仕事をしていたら体をこわす」 「人工股関節はこのせいじゃないの?」 ぼやく割には実によく動いてくれたので返す言葉もないが、つくづく伐倒から始まる薪づくりは「男の仕事」だと思わざるを得ない。危険だし重たくて、女性に向いた仕事とは決して思えない。女性が参入しやすいのは薪積みからではないか。 ただ、女性は薪づくりの苦労を知らない、と年配の薪ストーブ愛好者に聞いたことがある。いくらでも生れてくると考えている節があるというのだ。重たい思いをして、繰り返し、コツコツこつこつこなしていかないと1年分の薪なんてできやしないのに、いともたやすく簡単に手に入ると見損なう。薪の値段を聞いた女性が「そんなにするの?」と驚かれる時も、似たような感覚だがこの頃は呆れるより怒りを覚えるときもある。 しかし、やっぱり男と女は違う。今日家人と一緒に同じ仕事をしながら、そういえば、女性は自然とか森林とかよりもデパートとか買い物などの方があっているような気もする。家人もかつては山女で岩登りなどはわたしよりうまそうだったが、子育て後はきっぱり都会派、デパートごのみに転身し、テント住まいなど大嫌いになってしまった。キャンプはわたしも願い下げで、もう布団やベッドに寝る旅行しかしなくなって久しい。 話は戻って、薪づくりだが、ノルウェーの名著『薪を焚く』の写真のページを見ても、顔を出すのはもっぱら男、それも高齢者ばかりだ。個人の薪づくりを一本の川に例えれば、薪づくりは川の上流の、文字通り原始的な一次産業的な営為で、一方、暖を取るのは下流の川下だと言える。つまるところ女性は川下の消費者が向いていて、したがって川下消費者の常で、上流に向かってアアセイコウセイと注文を出すのである。 ともあれ、8時半に借りたレンタカーを返し終えたのは4時半だった。走行距離140km。この自己完結した薪づくりという仕事は、現代ではかなり珍しい代物になった。車一台を一人で作り上げる到達感が注目されたことがあるが、薪づくりは文字通り原始的ではあるが典型的な自己完結した営みであることは間違いない。そして主役のジェンダーはやはり「男」だと認めざるを得ない。 |
手入れの匂う林へ 2023/12/02 sat 曇り 2℃ 小屋内マイナス10℃ ■初冬の雑木林と初心 わたしは初冬の雑木林が好きで仕方がない。画像を撮り始めると止まらなくなる。高村光太郎の詩「冬が来た」が歌うようなきっぱりと、身の引き締まる冬景色、実は胆振に来るまで雪のない雑木林風景を知らなかった。若くて薮でしかなかった50年近く前の雑木林は、確実に充実して今のような風景に衣替えしてきた。この変遷は実に得難い予想もしなかった心境変化と経験である。 実は大木が点在する雑木林はどんなに美しいだろうと夢見て、密かに手入れを続けようという気持ちが大きかった。そのうち林が人の心を癒すことに身をもって気づき、森林美学を念頭にセラピーのフットパスを創り始めたのだった。鬱に悩む方が何人も来た。だから、わたしにとっての林は、安全で胸膨らむ、心地よい場でなくてはならないが、その根っこには、手入れされた「手自然」の匂いが不可欠だった。 その延長で、静川の小屋周辺は林道のアクセスも含めて、沿道に倒木や枯れ木、掛かり木やツルに絡まれた木がない状態を、せめて見えるエリアだけでも確保するようにして来た。手入れ感覚イコール「手自然」である。今日は夕方から用事があったためカラマツの処理は中止して、沿道の危険木を倒し、折れた枝などを高所のこぎりも使って片づけた。気になっていた案件で、出来れば年内に、と考えていたものだ。大木の根返り木などは手を付けられなかった。 これらの山仕事は薪に直結する作業とは違って、里山の景観維持のようなものである。典型的なシニア・メニューにあたるだろうか。こんな片付けをしている間に昼が過ぎた。朝、小屋に着いたときには室温が-10℃だったが、煙突の排気口を半分閉じておいたら、プラス12℃まで上がった。この調子でこまめに薪をついで行けば、真冬でも室温20℃は夢でない。 ■今日の遠浅の間伐風景 左の写真は自称「シカの広場」。ここから見る正面の昨年の土場は一応役目を終え、ここがスノモの搬出ルートのスタートになる。今年のルートは着実に開設が進んで、oyama さんが腐りつつある汚れた古い丸太を左右にどかして難所を中央突破している所だった。その近傍で、5人の精鋭が着々と除間伐を続けていた。50mほど奥は、右の写真のように除伐を待っているのがわかる。 昨年から除間伐を繰り上げて11月と12月をメインにしてから、明らかに効率が良くなって余裕が出てきた。降雪が十分になって1月後半から着手するスノモによる藪だしまで休業してもいいくらいだが、毎週末山仕事をするというルーチンは生活の中に組み込まれた人もいるらしく、雪の日でも「にわか木こり」が集まって来るのである。 年内はあと4週ほど。来週は山の神の参拝で、山仕事はしないから雪のない初冬の作業は今日が最後かもしれない。 葉落ち尽くし雑木林は裸木となる 2023/12/06 wed 曇り時々小雨 10度 何という落ち葉の量だ。ファインダーに納まる落ち葉はすべてコナラ。そして全山、葉は落ち尽くし地肌は消えた。あらためて、何という季節の反復、自然はこれを無駄とは言わない。神がかっていはしないか。そう思って改めて見ると、葉っぱも一合一会、立派な個性がにじむ出る。 時折小雨が混じる重苦しい曇天、残りの伐倒木を休み休み玉切りしてようやく終えた。金曜日にもう少し景色を整える作業をして来週12日軽トラック運び出す予定にしていたが、まてよ、12月12日は山の神が林に降りてくる日だから山仕事はしない風習のはず。伐倒ではないとはいえ、日を改めよう。 2年越しの半枯れシラカバ大木 2023/12/08 fri 曇り時々晴れ 10度 ■キハダの萌芽 会友saitoh さんの息子さんと育林コンペの除間伐をした。saitoh さんは静川に入植した人の末裔で、地域の生き字引としてわたしの風土感覚の先生だったが、現在は静川の小屋から直線で2km程の、厚真町共和に住んでいる。会友saitoh さんは苫東や子会社で長年現場管理を任されてきた関係で、平木沼周辺はドライブコースで、息子さんは林道の見回りをしてニュースがあれば情報もくれる。地元役場を退職したばかりで、林務関係のプロである。 今年の育林コンペ作業は今日でほぼ終了するので、除伐中心に鉄塔線下地の方へ作業を進めて一段落した。線下地の皆伐後に同じ種類の萌芽枝が目に入った。普通は、シラカバやコブシが一斉に更新して群落のようになるのだが、ここは違った。 よく見るとキハダのようだ。萌芽しているもとの幹が直径10cm以下で若く色は赤褐色、枝は無骨に二股になって太い。目はところどころ対生だ。小屋に戻った時に、四手井綱英・斎藤新一郎共著『落葉広葉樹図譜』と佐藤孝雄氏の樹木図鑑をみたが、やはりキハダのようだ。原野で単木で自生するのは見かけるが、一斉に更新するのは初めてで、これはちょっと驚きだ。これから時々様子を見ようと思う。 ■シラカバの半枯れ大木を片づける 今日は珍しくふたりなので、2年ほど懸案で残しておいた半枯れのシラカバを倒した。5年ほど前にアブナイ枝折れを片づけた時、当分手をつけたくない要注意枯死木としてマークしていたもの。直径40cm、高さ14m、当然幹にもキノコが生えているので、どの程度腐れているかが問題だ。そして重心は偏心している。放置すると益々手が付けにくくなるので意を決して対応した。丁寧にカットラインにチョークを入れてクサビは一枚、一年の山仕事を総括するように掛かり木になることなく思い通りの方向に倒れた。断面は3分の2に腐れが入っていた。 これまでの山仕事で危ない思いをしたのは今のカラマツ枯死木とシラカバの枯死木、それとナラの大木の枝折れだ。シラカバは皮が腐らないため判断を誤ると、突如、太枝が落下するのである。 シンボルツリー、ご神木、大木 2023/12/12 tue 雪 マイナス2度 ■つた森山林にて つた森山林は昔苫小牧市森林組合長をしていた蔦森春明氏が所有・管理していたところで、作った木炭は今のJR室蘭本線の遠浅駅から本州に送っていた。先祖は明治の終わりころ入植、以来、「里山」として利用してきた道内では珍しい有名な山である。昭和51年、苫東の仕事に関わり出した当時、わたしが手で触れている写真のカラマツは、地域でも珍しい樹齢50年と言われていたもの。あれからざっと50年だから、ほぼ100年ということになる。直径は80cmあまりで、まだ順調に成長している。当時、カラマツは樹齢が30年に満たないと材にねじれが生じて使えないという川下側の評価が出始めて、樹齢と材について議論がなされていた。そこでこの50年生を切ってみようか、と森林組合から話が出たような記憶がある。静川小屋の隣で枯れ始めたカラマツとは数百mしか立地は違わないが、樹勢に雲泥の差がある。 100年経っても変わらないものがこのように存在する、というのは人生に物差しを当てるみたいで楽しい。ちなみにわたしの苫東での25年は、この「つた森山林」とともにあった。ひとつの山を重点的に管理するというのは、実に勉強になるものだ。台風の復旧造林で余ったシラカバ苗木を斜面の林道沿いに植えたが、数十年後、現在の上皇陛下と上皇后がここに植樹会でお見えになった。あのシラカバが並木として沿道を飾ってお迎えしようとは当時考えもつかないことだった。 赤字でリンクした記事は2008年モーリー12月発行の号である。北海道には厳密な意味で里山はない、と言われていた時期、堂々と100年の間ずっと里山の実績がある場として、つた森山林が選ばれたのはさすがと編集者に1票差し上げた。 ■ご神木 12/09 苫東コモンズの大島山林における山の神参拝の前に、いつもどおりつた森山林のご神木にお参りした。会社の参拝はまだの様で注連縄やお供えはなかったが、ご神木はキノコが生えてはいるが健在だ。昔の人が伐倒を避けたかったのがわかる異形のナラだ。かつて第一号のご神木は実は池の向こうのヨーロッパトウヒであったが、台風の被害などで消失してしまったから、そうなる前にこちらに代えて正解だった。また、山仕事の大先輩から、ご神木はその山に一番多く自生するものを選ぶこと、また山の現場では伐倒すると怪我のしそうな暴れたものが選ばれた、などと聞いた話からしても、この選択は間違いでなかった。 一方、大島山林はご神木というより正確にはボランティア作業のシンボルツリーである。連携不足で今年は塩とお米だけのお供えになったが、準備がまちまちになったとは言え注連縄の紙垂が用意されたのでシンプルでしまりのある参拝になったのではないかと思う。 シンボルツリーは直径1mのドロノキだが、上の100年カラマツと同様斜面にへばりついている。空知の三笠の山林で見た樹齢300年以上というミズナラの大木もやはり斜面にあった。いずれも水はけのよい、風の通り道でない場所のようである。 つた森山林の四阿(あずまや)手前の堂々としたオニグルミは先日よりもさらにキノコが増え、なんだか末期を知らせているような印象だった。白く大きなアイカワタケのように見えたが、これからどうなっていくのだろうか。勢いよく生きるもの、衰えるもの、枯れるもの、融けて土に還るもの、それらで生かされるもの…。人間の生もそんな循環の自然のほんの一コマだと思えば、束の間だが懸命に生きようという勇気が湧いてくる。 小さなソリと軽トラで行う「藪だし」 2023/12/14 thu 曇り 0℃ ■勇払原野の薪生産の歩掛 10月31日から平日に絞って始めた育林コンペの間伐も今日が最終日、シニア・ワークだからダラダラと足かけ7日目。伐倒はいつもの見立てから15本、これで見込み2棚、層積5.4立方メートル、正味材積3.4立方メートルを創り出せる。我が家ではほぼ1シーズン賄うのに若干足りないという薪の量となる。 かかった正味の時間を概算すれば、伐倒と枝片付けに1日、玉切りに1日、藪だしとヤードへの運搬に2日、このほかツルや枯れ木整理の修景に1日かけているから、正味5日弱である。これから割って積むのに2日かかるから、1年分の薪生産に7日ということになる。これを前期高齢者で身体不自由な老人がひとりで行うのである。 ■軽トラとソリによる藪だし 機械力はチェンソーだけでこんなにコンパクトに除間伐と薪生産ができる理由は、この雑木林が平坦であることと、灌木を除伐して伐根を低くすれば軽トラックが林の中に入り込めるという勇払原野特有の利点がある。わたしの育林コンペのテーマは、文字通り「軽トラ林業」である。 苫東のフィールドは最も高いところでも標高がわずか25mという立地がこの作業を可能にしている。こんな風にして他人さまの土地を美しい森に変えながら、放置すれば腐っていくだけの木を運び出して暖房エネルギーに利用するのだ。 他人さまのものを一方的に収穫して得ばかりしているのではないか、どこに win-win があるのか、と言うムキもいらっしゃるだろうが、是非お試しあれかし。そもそも、林から材を抜き出して丸太を造るこの手間たるや大変なもので「奴隷労働」と酷評する人も少なからずいるくらいだ。さらに、土地所有者との間の関係性構築は一朝一夕に出来上がるものではない。コモンズ的な仕組みは奥が深いのである。 それにここを強調したいのだが、苫東コモンズの手入れした跡は、こぎれいになると評判だ。美しい雑木林に生まれ変わるというということか。土地所有者のなかには、山仕事の跡地はコモンズのような仕上がりがスタンダードだと思い込んで、効率を重んじるプロの仕事が雑に見えるという話を聞いた。だから両者間に win-win は成立していると言えるが、残念ながらこの修景モデルが人目につかない山の中にある、というのが難点である。 ところでこの日の最終日、わたしの作業の読みがぴたりと当たって、軽トラ借用を頼んだ前夜にうっすらと雪が積もった。藪だしは重いものを運ぶので、軽トラと一緒に実はソリが役立つからだ。上左の写真とは別に、試しに積んでみたところ重さ20kg前後の丸太6本、約100kgでもうっすらと積もった雪の上を結構楽に運べる。わたしの今の力では近年愛用する子供のソリ遊び用のサイズがちょうど按配が良い。この季節であれば雪がない「ぬれ落ち葉」状態でも可能だ。 ■歩掛の諸元など 育林コンペの現場から遠浅のヤードまでは12km、これを今日は3往復した。先日はタウンエーストラックのレンタカーで家人に手伝ってもらって2往復したから、2棚では丸太も薪も大体6台分がこれにあたる。長距離を6往復では疲れるので、その際は2トントラックで一気に、ということになる。軽トラはあくまで10数キロメートルの小運搬用だ。 (*この歩掛は、苫東に限らず自分の身の回りの環境改善の動機を促すものではないだろうか。) 雪を前にしてヤードにはブルーシートをかけて来年のゴールデンウイーク頃までデポしておくことになる。写真上右ではボリューム感がないが、確かに「えっ、これで一年分?」という感じはあるかもしれない。ともかく暖房用薪の自賄いは本当に手間がかかるが、ヒューマンスケールとはこのことだと思う。 午後4時、借りた軽トラを返しに行ったら薪づくりの話になった。 長老 「薪はよく簡単にできると思っている人が多いなあ」 当方 「そうなんですよ。でもわたしに限ればいつまでできるか、そこが問題で…。」 長老 「80までやれるよ。がんばれ~。」 里山的なシニア・ワークとしてわきまえ、ゆっくりとコツコツ気をつけながらやればたしかに可能かも知れないな、と考えながらヘッドライトをつけて家路に。地域の森づくりをコモンズ的に展開することを思えば方法はいろいろあるが、そこにはルールのきつさとゆるさとが応用問題として横たわっている。 |
濡れる雪に気持ち折れる 2023/12/16 sat マイナス1℃ 室温マイナス6℃→プラス16℃ どんよりした雪の日、ソリに荷物を載せて小屋近くの現場へ向かうと、横倒しの長材に雪が積もって、放置しているのが丸見えとなっていた。雪は作業用ジャンパーが濡れる状態で、薄暗い空模様と相まって気分が滅入る感じである。カラマツ枯死木の伐倒では相変らず立て続けに掛かり木となり、次第と気力が衰えてくるのがわかる。ひとりでの作業はその減衰度が倍速となるのが普通で、もろくも魔の誘いに負けて1時前に辞めて小屋に逃げる格好になった。 それにしても長年愛用の極地用ブーツ「Baffin」はスグレモノだ。おとといミツウマの長靴で作業したら足がかじかんでたまらなかったのに、今日は寒さを忘れることができた。北極のマイナス40度以下に対応というだけのことはある。ただ、寒さには十分でもチェンソーの危険に対する安全策はできていない。こちら立てればあちら立たず、であるがこれは仕方がない。気を付けるしかない。 小屋は到着時はマイナス6℃だったのが、作業を中断して戻った時には16℃まで、20℃もアップして久々に快適になった。掃除、調べもの、新年のカレンダー取付などをしてから読書。手にした小屋の蔵書は中井正一著『美学入門』。小屋では思い切り高邁な精神に触れるテーマが似あっている。串田孫一の哲学エッセーなどは従って結構好みに上がる。里山生活の実践と言えば言えなくもないが、わたしはともかくこの状況に慣れないと普通の方は小屋に来ても暇をもてあますだろう。実はここでは何もしなくてもいいのだが、一般に、「空ずる」ことは訓練しないと難しいのである。 読書といってもこんな暗い日は新設した窓の雪明りもあまり頼りにならなかった。そのうえ、専用の老眼鏡を今日は持たなかったので、「美学入門」も数ページで断念、冥想に切り替えた。雑木林の冥想は、テラスがベストだが小屋内部も勇払原野の里山の包囲感が抜群で、産土とのつながりがうっすらと見え隠れする。 危険な枝処理と地域の生物多様性について 2023/12/21 thu 晴れ 0℃ 室温マイナス12℃ ■林道にかぶさる危険な枝 明日は冬至、さすがに朝の冷え込みは真冬並みとなり日本海側は週末にかけ大雪が見舞うようだ。もちろん最高気温は全道軒並みマイナスとなって来た。猛暑のあと、あまり日をおかず厳寒である。 今年は蚊が少なかったせいと、わたしのシニアメニュー移行のため小屋番がメインになったせいで、カラ類のにぎやかな饗宴を夏のさなかから見学し、初秋のころからミヤマカケスが身の周りに飛び交いつい先日などは数えると10羽近くがいた。こんなことはかつてあっただろうか。 小屋前の獣のサインは、シカのほかにキツネ、ウサギ、タヌキ(アライグマか?)のようなものがテラスだけでもしっかりと交錯している。室温はマイナス12℃だったからまず窓を開け放ってストーブに火をつけた。ゴーっと音を立てる割には温かくない代物だけれどもないよりはましだ。来週あたりに大雪が降れば自家用車での来訪は無理になるから、いきおい、薪の減り方は緩やかになるだろうが、ひょっとしたら、薪は補てんする必要があるかもしれない。それはそれでいい里山仕事だ。 林道に覆いかぶさる危険な枝がまだ数本目につくので、高所のこぎりで落として回ったが、手が届かないものも多い。ついでに傾斜木、掛かり木も片づけたため、小屋に戻ったら午後1時を回っていた。 ■苫小牧市の生物多様性戦略の委員会と「風土の後見人」 平成3年に立ち上がった地元苫小牧市の生物多様性戦略の取り組みがいよいよ策定に向けて動き出し、昨日20日、1回目の委員会が開催されて副市長から委員の委嘱状が手渡された。2年前の検討会でと同様、わたしの役割は市民が保全に携わるコモンズという仕組みについてのものと理解されるが、生物多様性について市民レベルで関与する隙間があるかは実はまだよくわからない。 苫小牧の自然保全行政の流れを遠くから見る限りでは、自然保護か開発か長い間もめてきたことも反映して、貴重種や絶滅危惧種などをまず学識経験者に選んでもらって保全地区のようなもので囲い込んで、盗掘防止などの理由で市民を遠ざけるような施策が続いてきたように見受けられる。行政は、囲い込んで命名して公表して一段落となる。市民と自然がつながりを失うことを残念に思う当方としては、せめて、湿原なら湿原を一望できる展望台や木道のようなものを造ってアクセスを促すべきではないかと、犬の遠吠えのように言ってきたがウトナイ湖の展望台、高丘の展望台などができているのでいい見本ができたと思っている。 さて1回目の委員会では、在京のコンサルの担当者から、国の戦略の概要や苫小牧の現状などについてわかりやすく説明があってから質疑や意見交換がなされた。わたしは説明を聞きながら二つのことに気付いて申し上げた。 ひとつは、雑木林についてである。 臨海都市と言われる苫小牧だが実は「臨森林都市」であり住宅地のすぐ裏から羊蹄山や定山渓、余市に続く森林地帯が広がっていることの認識、そしてもっとも身近な広葉樹二次林についてまったく言及がなく注目もされていないように見えることである。半世紀以上前の、エネルギーが石炭と石油に代わるまで、日本の木炭需要を賄った薪炭林が数千ヘクタール、あるいはそれ以上あって、小学校が4つか5つもあったという植苗地区は、はげ山の原野となった時代に2足三文で取引され、現在はゴルフ場などのリゾート地か候補になっている。その雑木林こそ手入れすれば里山的なリゾートに変わる資質を持ち、環境省がSATOYAMA イニシアチブなどと謳いあげた生物多様性にも関わるゾーンであるが、これまでの行政の視点としては、この雑木林についての視点と言及がないのではないか。これが1点目。 もう一つは、ヒグマとエゾシカである。 住宅地と大森林地帯の間に田園や里山を欠く苫小牧は、ヒグマやエゾシカと同居しているようなものだが、これら大型哺乳動物も人の住む環境の中で「多様性」などと数え上げるのは間違っていないか。生物多様性はいいことである、というようなゆるいコンセンサスも大いに問題だがそれに一歩踏み込んで、ヒグマならば高速道路をバリヤーとみなしてヒグマの住むエリアと人の住むエリアを分断しヒグマを締め出す施策に踏み出すべきではないか。締め出すというより、広大な森林地帯に「いてもらう」というのが正確かもしれない。エゾシカもすでに市街地にかなりの頭数が出没しオスジカまで来るようになったから逃げ惑うシカによってけが人が出るのは時間の問題になっていることなど。ちなみにわたしは市街地を含め市内で2度シカとぶつかって車を破損させた。ヒグマの絶滅を避けるためにコリドーが不可欠だという神話的保護説を再考することになる。 生物が多様で人と共生している、などというのは現実離れした笑い話になって来たことを、市民は感覚的に理解し始めた。苫小牧市の戦略はそこに先鞭をつけるような提案に繋がらないか。むずかしい問題だがぜひその近辺に踏み込んでほしい気がしているので、さわりを申し上げ問題的させていただいた次第である。個人的には風土の守り手は誰か、にもっとも強い関心があるが、行政は担当が束の間頑張るが、守り手の主役ではない。この際、土地や風土の「本当の後見人」は誰か、とあらためて問えば、市民ひとりひとりというのが本当の答えのようだ。バラバラの個人であるところが悩ましい。 令和5年の山仕事の納め 2023/12/23 sat 晴れ マイナス2℃ ■枝を燃やしていく山仕事の喜び 今日からはカラマツをひとまず離れて「ささみち・フットパス」に軽トラを入れて藪だしができるよう、間伐とパスの拡幅を始めた。カラマツと違い、広葉樹は伐倒が比較的予測通り進んで、はるかに楽しい。 小屋のそばだから整理した枝が散らばっているのは避けたいので、思いついて急遽燃やすことにした。かつての苫東時代、開発行為で大面積で皆伐した際には、枝条をすべて焼いていわゆる「火入れ地拵え」をしたもので、伐採工事が終われば直ぐ土工ができる状態だったが、消防法が変わって手続きが面倒になり火入れも許可されなくなって、枝条を燃やす人はあまりいなくなったが、実は燃やす仕事を手伝ってみると止まらないくらい達成感のある作業だった。コモンズ活動の初期は、昼休みのために焚火を作っていた。 今日はそれを思い出して少々写真のように燃やしてみた。マッチ一本と段ボール一枚で次第に炎を大きくしていき、生木生枝も燃やし切るのである。勢いさえつけば、本当に生木もどんどん燃やせるので、炎の高さが3m近くになることも多かった。針葉樹が混じればなおさらである。こうして炎を大きくしていけば、作業跡地はきれいになるけれども、火を大きくしたら今日中に帰れなくなるので今回はほどほどでやめた。 しかし、正直、楽しい。フットパスのルートにある支障木と両側を抜き切りして、火の世話をしているとあっという間に昼過ぎとなった。今年のチェンソーの山仕事は今日で終わりにしようと思う。 ■大島山林で山周り、「お疲れさま」と見て回る 仕事納めでもあるので、静川から大島山林に行って山を一巡りした。大雪のせいか札幌、恵庭、江別方面のメンバーはあいにく全員休みで、仕事納めの挨拶ができたのはoyama さんと tomi-k さんだけだった。ふたりともコモンズきっての古いメンバーだけに、おのおの別の場所で施設の補修などマイ・ワークをこなしていた。 山林は今シーズンの搬出ルートが先週全線開通して、作業工程が読めるようになった。写真右の、従前は大変な薮だった箇所もどうにか形がついて一周ルートが見えている。例年の平均的な薪生産量25棚には若干足りないように見受けるが、年明けに搬出と並行しながらもう少し間伐が進めば大丈夫だろうと思う。 日が傾いた頃テントに戻ると、oayamaさんとtomi-k さんは帰り支度とお茶の時間で、今度は3人で仕事納めの歓談で小一時間を過ごす。平和な憩いのひと時が流れる。林の中の憩いの時間は格別である。 |