vol.5


自宅から最も近いみどり @

林の「こもれびの道」と緑道「とよかわの道」を歩く

ホンモノの林とはちょっと違う「こもれびの道」、しかし、人々はここをよく歩く。
なぜか、を考えてみる。



林帯と道の関係。20m幅のほぼ中央を透水性の歩道がうねる。

行きやすい散策路                                                   「林とこころ」の勉強会の5回6回では森林散策を話題にした。レポーターのSさんの森林公園におけ る調査によると、森林散策路は滞在するキャンプサイトからの近接性によって利用者数や頻度がかわる、 つまり散策路が近ければ人は散策にいきやすい、という結論を導き出している。公共が整備した森林公園 が日常のエリアから遠く離れているケースが多く、日常的に利用できる人はほんの一握りである、という 現実を脇においておけば、この結論はまったく正しい。散歩というのは必ずしも目的地を定めて往復する というより、漠然としたコースを描いて、むしろルートを縛られずに歩くのだから、家や車を出たときか ら散歩は始まるわけで、「行き易さ」は散歩の大前提で、散策路の必須条件だと言える。        歩道と芝のエッジが気持ちよい。 こもれびの道のプロフィール                       ただ、それがなぜ森林であり、庭庭を巡る町内の散策ではないのか、どう違うのかという面白いテー マが横たわっている。しかし、ここでは森林散策の方には踏み込まないで、比較的人気の高い「身近な みどりの散策路」のプロフィールを紹介しよう。ここは、わたしの自宅から最も近い公共緑地であり、 片道3車線の幹線道路わきにある。以下、「林とこころ」5回目に記述したメモを引用してみよう。  『…しかし考えなければいけないのは日常的に行ける森林散策のことである。遠くにある立派な施設と あまり整備がされていないし不備なんだけどそばにある森林と散策路。広い立派な森林と散策路が身近 にあるに越したことはないけれど、それがままならないというなら、後者の方がわたしは選びたい。つ まり、「整備レベルが十分でなくともまず近くにあること」。                   少し伐りすかしてある。  そんな例が実はわたしの家から50mのところにある。これは「こもれびの道」といい、高さ約10 mのヤチダモの耕地防風林の一部にアンツーカー色の散策路を設けたもので、緑道の幅は約20m、延 長は2,3kmあるだろうか。片道3車線の幹線に隣接しているから、自動車の騒音もかなりだし、も っと閑静な場所を散歩したいところだが、どっこい、すごい数の市民が一日中散歩を目的として往来し ている。                                           すけすけ、丸見え。これが安心のもと? 歩道と車道、向こうにケンタッキー。  この利用状態を見ながら考えなければいけないもうひとつのことは、これが必ずしも立派な森林、多 様な植生を持つ豊かな植生とは違うという点だ。間伐がやや遅かったせいも             あり葉が木の先端に偏るものが多く樹形は良くないが、しかし単純で見通しがよい。動物に襲われる危 険もない、林床はササがなくマイヅルソウやコナスビ、シダなど低く刈られ             ている。いわゆるキャンパスタイプの平地の人工林だ。林の専門家たちは森林散策路といえば、まず立 派な森林を用意しなくてはいけない、と推論して行くが現実のニーズは違って、木はできるだけ少なく うっそうとしない、樹木ぱらぱらの中を歩く環境を人々は好むようで、これはドイツのクナイプ療法の コースなどでもよく見た。                                   正面は緑道「とよかわの道」。林の「こもれびの道」はこの緑道と交差する。 とよかわの道の人通りは少ない。                       要は、奥山風とでも言うような一見ほんもの的な林やキャンパスや水辺など、さまざまなロケーシ ョンがあって選べるようだと申し分ない。わたしなら明るい開けたキャンパスを通り抜けて、やや薄暗 い林をくぐるコースを選ぶかも知れない。ひとりで静かに歩きたいから、そしてちょっぴり、「ものの け」も感じたいからである。キャンパスなど「半自然の緑」をわたしたち人間のためにもっと注目して あげなくてはいけないと言うのが、わたしの近来のイヌの遠吠え的提案である。半自然、それもあって いいではないか。ヒグマすむ林ばかりが本当の自然や本当の林だと決めなくてもいい。でもそんなこと を言う人は、実は、あんまりいない。』                              http://village.infoweb.ne.jp/~forester/kinari4.htm                  「こもれびの道」の隣の民家はツツジの満開。 なぜ、「こもれびの道」ははやるのか                   なぜ、この道ははやるのか。やはり、好まれるための、きわめて原理的ないくつかをこの散歩道はも っているからだろう。まず、第1に考えられるのは、ヤリダモは元来下枝があがっていて見通しが良く 林そのものの好感度が高いこと。ヤチダモの疎林はアンケートでも好評であり、その人々の好みそうな 樹木で構成されていること。                                                                   緑道脇の畑。わたしはこれが大好きだ。林の道と同様、わたしは農地のルーラルパス が魅力的に見える。手入れされた畑は庭と同じだ。いや、もっと感動的かも。     2番目に、家々に近いこと、そしてどこからでも入ることができて、どこからでもスピンアウトでき ること、つまり、コースの長さを選べること。実際、アンツーカーから外へ出るあまたの踏み分け道が できており、南北の緑道とも2,3回交差している。                        第3には、にぎやかであること、寂しくないこと。これは森林散策のような要件とはちょっと違うが 市街地の誰でも利用できる散策路としては大事な条件といえる。むしろ、南北の緑道がこちらの条件を 満たしていないかもしれない。閑静でよく整備されているが人通りがなく、人目に付かないからだ。わ たしはこっちの方をよく使う。                                 石の緑道を使う人は多くない。避難通路でもある。  第4には当然ながら夏、涼しいこと。第5には、歩道がわりに利用できること。第6には、絵になる こと。シンプルな芝の植生、ヤチダモの幹のバーチカルな線、アンツーカーのワインレッド、この中で 人の動作は写真写りがとてもいい。目に美しいということは、この道の大事な要件ではないかと思う。  その点、緑道「とよかわの道」はあまり人を見ない。これはなぜだろうか。オープンガーデンのよう に緑道側に庭が開けているわけではないが、庭がよく見えるので、気持ちよい。直線的で、高価な石だ たみとインターロッキングになっているのが逆に冷たいかんじだというウラミは確かにある。だけど、 都市計画において、緑道のスペースをあちこちに確保したのは行政を評価したいと思う。しらかば町の ラドバーン方式のまちづくりもわたしはある程度評価するのだけど、あそこの歩道もインターロッキン グにした途端、とても平板になって、空地の畑もつぶしたら、アジも素っ気もなくなった。スペースの デザインが、人のこころをちょっと無視した、コンサルによるはやりのデザインだから、といえば言い すぎだろうか。                                        街区公園でわたしの朝の散歩は終わる。ここは町内会のまつりや、 冬はスケートリンクができる。



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