生成りで語る


●第3回 

平成14年3月16日
アイビーラザ
テーマ:「アメリカの自然観」「万華鏡セラピー」ほか


このページは、会合で見聞きし語った内容を、わたしの
勝手な脈絡でつなぐ私的メモ。3回目の今回は、わたし
の都合でわずか2時間だったが面白かった。わたし(た
ち?)のなかに浸透している自然観とか、自然へのぼん
やりとしたイメージは、どこかソローやその系譜の人た
ちの影響が小さくないのではないか。

 ヨセミテ国立公園

●わたしたちの自然観は誰の影響を受けているのか

いきなり個人的な話しになるけれど、わたしの自然観というのは本当に日本のオリジナル
な影響を受けているだろうか、とよく考える。純日本的な田舎風景に育てられ、地域社会
の閉塞状況の中で息苦しく感じながら18までを過ごしてきたが、そのころ、NHKの自
然のアルバム(モノクロ画像)に痛く感動しながら見続け、日本野鳥の会の創始者とされ
る中西悟道の探鳥記を読んだこと、小学校の先生が博物学、特に植物採集に高校までさそ
ってくれたこと、などがその後の自然寄りの人生を決めたように思う。

 絵はがきのセコイア

 しかし、その後、実生活により近いものの考え方、自然とのつきあい方となると、当時
の流行、メディアに取り上げられるものの中から最も自分の息づかい、言葉遣いにフィッ
トするものを選んできたのではないか。そこには、西欧よりどちらかというとアメリカの
影響が強かったのではないか。
 セコイアの林

 バックパッキング、フライフィッシング、クライミング、自然保護。いわゆる和魂洋才
のようなライフスタイルを「見せる」作家が出てきた。その1人が、芦沢一洋であり田渕
義雄である。芦沢はバックパッカーでフライフィッシャー、田渕は森の中で自給自足の暮
らしをしながら、フライフィッシャー、薪ストーブ、欧米起源の家具などに一家言をもっ
ている、ま、いってみれば草分け。そして、そこここに「森の生活」の作者・ヘンリー・
デービッド・ソローから影響を受けてきたことがしのばれる。
 ハーフドーム

●ソローとアメリカの自然観

 前置きが長くなった。わたしたちの自然観に、どうもアメリカ的なものが醸成されてい
るのではないか、というのが率直な話の発端である。ソローやジョン・ミューアなどアメ
リカのネーチャー系の人と自然に関心を持っているNさんに、その辺の話しをしてもらう
ことになった。
 わたしが、その、ソロー

 Nさんが用意してくれた資料は「アメリカの自然・環境に関する流れ」。1800年の
はじめのエマーソンからケネディまで6人の写真とコンパクトなプロフィールがはめ込ま
れたちょっとした年表みたいなものだ。これにしたがって、具体的な経歴がひとりずつ紹
介された。以下、Nさんの話をもとに骨子を述べてみよう。

 最初のエマーソンは、アメリカの独立宣言1776年から約30年後の1803年生ま
れ。当時のアメリカの自然は開拓の対象であったが、彼は自然と人との密接な関係を説く
牧師であった。わたしなどはエマーソン個人よりも「ソローの師」としてのイメージが強
い。このエマーソンと次に述べるソローが、その後のアメリカにおいて大きな自然思想の
流れを創ったとされる。

 さて、ヘンリー・デービッド・ソローであるが、「森の生活〜ウォールデン〜」は彼の
有名な著作で、米国の古典文学。一方、様々な人が新訳に挑んでいるように、日本でも根
強い人気がある。ソローは28歳の時、マサチューセッツ州ボストンの近郊にあるコンコ
ードのウォールデン湖のほとりで森の生活をはじめた。自分でつくったちいさなログハウ
スで、2年2ヶ月の自給自足の暮らし・生活実験を綴ったのがこの本である。1980年
の新訳の訳者・真崎義博はソローを評して「ヒップな自由人」と言っている。やはり、ど
こか突っ走る血気盛んなところがあり、戦争と奴隷を支持する政府のために税金を出すこ
とを拒んで刑務所に入れられるのである。面会に行った師・エマーソンに対して、あなた
はなぜこちら側にいないのか、と問いかけたというエピソードはおもしろい。

●自然の中のシンプルな暮らしの意味

 ここで注目したいのは、その辺の思想よりも、自然の小鳥や動物や魚たちとの、シンプ
ルな暮らしのことであり、そのライフスタイルの描写が多くのアメリカ人に共感を与えて
米国の古典文学のひとつになっていることだ。第1章「衣食住の基本問題」から18章の
「こうしてぼくの森の生活が終わった」まで、日々の森のくらしが丹念に書き込まれてい
る。そこでは自然と人間の精神のつながりが濃厚にうたわれ、森の中のシンプルな暮らし
のうちに人生とはなにか、の答えを見つけるのである。

 ソローを初めて読んだとき、自分の中に、森の中の暮らしへの共感があることにいささ
か驚いたのだが、にぎやかで飽食も辞さない日々にあって、どこか静かで質素な暮らしに
憧れを抱いていたのだと思う。もう買うものは何もない、と言われる文明の飽和期にいる
からこそ、シンプルな暮らしぶりが見直される。今、自分がしている生活がどこか間違っ
ているのではないか、と人々は感じ始めているのである。加速的に生きてきた時代に別れ
を告げる人々を「減速生活者」(down-shifter)と呼ぶようになり、一説では現在の米国
人の20%がこれにあたるという。森の暮らしはその象徴で、アメリカ人と相似した形で
日本のわたしたちも概念として森の暮らしに憧れるのだ。

 ただ微妙なことに、森の中で悟りに似た静かな境地をうち立て、仙人のように暮らした
か、というとそうでもなく、戦争や不平等などの社会悪に対してしゃかりきになって闘お
うとしたのである。著書「市民の抵抗」は社会悪に宣戦布告したアジテーションの本でヒ
ッピーなどに支持されたという。お上にたてつかない遺伝子を埋め込まれた我が日本国民
としてはちょっと異質なエネルギーを感じるけれども、わたしたちもいずれ自己表現がバ
ーストする、いや、しなければならない、余談だけど。

 余談のついでに話は飛ぶが、わずか2年2ヶ月ではないか、という気もする。マチにも
たびたび出かけていたから、世間と隔絶した世界を築くということにあまり大きな意味は
もっていない。あくまでも森の中でのライフスタイルと自然との対話なのだろう。わたし
が読んだ「独りだけのウィルダーネス」(リチャード・プローンネク著)では、アラスカ
の森の生活16ヶ月であり、これはアウトドアマンのバイブルだ、と表現されていた。こ
ちらは荒々しい自然と戦い抜いた50歳の男を英雄として迎えている。難行苦行をこなし
た修験僧に近いかも知れない。日の昇らない冬、そして極寒、自給自足、そして何より鋸
とのみだけでつくるログハウス。そうして綴られる日記は読ませる。やはり、憧れは隠せ
なかった。

 自然との対話は独りでするものだ、ということだ。気のあった仲間とのおしゃべりもい
い、気のおけない仲間数人での小屋の暮らし(ヒュッテン・レーベン)は楽しい。しかし、
基本は独りの精神世界。漠然とした憧れの究極のところは、自然の中で自然と対話したい、
そのために独りになる…。田渕義雄氏のことを、ソローの影響をうけて森の生活に入った
かも知れないと冒頭で書いたが、正確に言うとそうではなく自然の中が落ち着く、好きだ
と思う人がソローと同じように森に居を構えるだけの話だ。田渕さんはもう10年以上、
「寒山の森」に住んでいるから「わたしの方が先輩だ」というかもしれない。ここで、自
然を生きている地球・ガイアと置き換えると、ぐんと精神世界に近づいていく。

●ジョン・ミューアと自然保護

 Nさんは、エマーソンとソローが「自然思想の流れ」をつくり、ジョン・ミューアとセ
オドア・ルーズベルトが「自然保護の流れ」として引き継ぎ、レーチェル・カーソンやケ
ネディの「環境保護の流れ」につながっていったと語る。わたしはなるほど、とうなづく。
ジョン・ミューアは世界最大の自然保護団体シエラ・クラブの創始者として我が国でも有
名だが、Nさんはジョン・ミューアの生い立ち、青年期、ヨセミテ氷河運動説の論争と検
証、そしてヨセミテ国立公園に指定へと、彼の足取りをくわしく説明してくれた。
 また、Nさんがたどったアメリカの国立公園の話しも興味深かった。日本の国立公園は
どこから圏内に入ったかもはっきりしないが、アメリカのそれでは、入った時点でそこか
ら聖域だ、というのがはっきりしているらしい。だから、レギュレーションを守り、マナ
ーに厳格になるのである。日本はその点、公有地はみんなのもの、つまり、入会地をもっ
としばりを緩くしたみたいな感じがあるのとは、大違いのようだ。
 ジョン・ミューア

 26代ルーズベルト大統領はなにかというと、国内問題は森と水だと位置づけ、様々な
保護区を設け、5つの国立公園と23の国立記念物を指定したのだそうだ。そういえば、
英国の貴族で大臣を務めたエドワード・グレイの著書「フライ・フィッシング」の中に、
ふたりが英国の田舎を歩きながら鳥を観察して互いの造詣に感じ入ったという下りがある。
ルーズベルトとジョン・ミューアもふたりきりで3泊4日の自然の旅をしたことがある、
とNさんが言っていた。

●ネイティブの自然観と生きている地球・ガイア

 アメリカの自然観にどこか影響されてはいないか、という視点でNさんの話を聞きなが
ら、わたしはアメリカ人であるソローの森の生活の中に、ちょっと東洋的なにおいを感じ
ていたのを思い出して、Nさんに聞いた。そうすると、エマーソンもソローもヒンズーの
教典を読んでいたという。自然とのつながり、というとき、この頃はヨガを想像せずには
おられない。ヨガは大地と対話するときの入りやすいイニシエーションだと思う。大地と
自分の身体がまずほのかなつながりを生み、精神的なものが修行によって追っかけていく
ような、それでいて、宗教色や宗教臭さがない。実は今、世界的にはヨガの大ブームらし
い。健康はもちろん、セラピー的な効果が見直されているのだろうか。自己治癒力を増進
する、予防医療としての効果など、わかるような気がする。

 話はインディアンなどネイティブの自然観に移った。アイヌの人たちもそうだが、世界
各地のネイティブの人たちは、信仰や呪術、予言などまか不思議な世界をもちつつ自然と
の深いつながりをもってきた。日本の草創期もそうだったから、ネイティブというより少
数の民族だった時代のひとびと、というべきかもしれないが、彼らはその後の文明人より
も自然と行き来する感受性が高い。

 問題は、自然との行き来、生きている地球・ガイアの声を聞けることが、人間にとって
幸せなことなのか、ということだ。レジェンド・サーファーのジェリー・ロペスは、映画
「地球交響曲(ガイア・シンフォニー)W」で、「ヒトの魂がガイア(地球)の魂を感じ
取るようになること、それが生きている意味だ」といっていたのを思い出す。意外なこと
だが、サーファーはヨガをやっている人が多いという。大きな波のトンネルをくぐるとき、
何かが起きるらしい。くぐり抜けた後、その時間何があったのか覚えていないというのだ。

 龍村仁さんが描くガイアシンフォニーでは、過去の4回とも、いわば、わたしたちが語
ってきたようなネイティブの、自然の意志のようなものに感受性の高い人たちを選んでき
た。動物の気持ちがわかる科学者、植物の気持ちになって2万個の実が付くトマトを育て
た人、ケルト族(アイルランド)のエンヤ、臨死体験をもつラインホルト・メスナー、潜
水の記録をつくり先日自殺したジャック・マイヨール、スターナビゲーションを復活させ
たナイノア・トンプソン、などなどである。日本人では星野道夫氏が登場するが、彼はア
メリカのあるネイティブの間では、ワタリガラスの末裔とされていて、ヒグマに召される
ことが予言されていたというのだった。

 メスナーの自宅は、曼陀羅の図が掛けてあったりして東洋っぽい、というかネパールの
お城みたいな感じだった。マイヨール、ロペスをはじめ出演の何人かはヨガをやっていた
のも興味深い。また、話は飛躍するが、平坦でだだっ広い我が雑木林にカラマツのログハ
ウスを立てた途端、周辺はわかりやすいものになった、そして里山に生まれ変わった、と
書いてホームページにアップしたとき、ロンドンに住んでわたしのホームページを英文で
紹介してくれていた佐藤万理さんが「あっ、ケルト人のニメトンと同じだ」と思ったと便
りをくれた。ニメトンとは、ヨーロッパの原始宗教の聖地で、ケルト人たちは、キリスト教の
影響を受ける前は、森の中の小さな空き地で宗教行事をしていたという。佐藤さんは、わたし
たちの雑木林を聞いて、ニメトンが森と人をつなぐ軸だったのではないかと直感したと書いて
いる。わたしはニメトンの話を聞いて座標を連想した。ま、そんな風に、その地その地で大地
を見つめていると、なんだか地球のどこかとつながっていくような不思議な気がするのである。
話がとりとめもなくなってきた。

●この日のサブテーマ

 アメリカの自然観のほか、Sさんは障害者施設を対象とした森林利用に関するヒアリン
グの話をしてくれた。道内の7つの施設で森林をどのように使っているか、野外活動の際
の問題点はなにか、森林や自然とのふれあいの療育効果はどうか、について聞き取りまと
めたものだ。身近なところで、内輪で活動できる場所があるととてもいいと言うことがわ
かる。いずれ調査がまとまった時点で、じっくり伺うことにした。

 わたしは万華鏡セラピー(「万華鏡はこころを癒す」から)のコピーと、「人にとって
の"自然"の快適さをさぐる」(森林総研)というレポートを出した。世の中には実にいろ
いろやっている人がいる。それが少しずつ頭の中でつながっていきそうな予感がある。内
容は割愛、ということで…。

●3回目を終えて

 今回もNさん、Sさんのおかげで思い出多い話しになった。なにか、話しながらとても
実になっている、という実感がある。俗にいうところの「すとんとはまっっている」とい
う感じかも知れない。テーマはいっぱいあるから、行けるところまで行ってみようと言う
ところ。できれば、ドイツのバートウェーリスホーフェンの市内をめぐる250kmの林
道や、本州の長期療養型施設も巡ってみたい、などむくむくとやる気がわく。

 ここでちょっとソローの話から反芻しておこう。それは、森とか自然との精神的なつな
がりを究極的に求めたいとするなら、群れてはだめだということである。森林ボランティ
アなどのアプローチが、森づくりの手助けや環境教育など集団で取り組むプログラムその
ものをゴールにしているのならそれでいいが、最終的には自然と人とのつながり、森への
入り口を探すのならば、もっと独りの時間を多く持たねばならないだろう。

これは最初とても寂しいことだ。おどろおどろしい「もののけ」を感じるのだ。だから、
こころ穏やかに過ごすにはいろいろな心づもりや仕掛けも必要なのだけれど、これは慣れ
ていくしかないのではないか。親しみやすい自分の好きなフィールドを創っていけばいい
のではないか。ソローの森を思い起こして思わぬところへつながってきた、と思わずには
いられない。これは手応えのしっかりした収穫といえる。
 
注)画像はすべてNさんにお世話になりました。merci!


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