生成りで語る



第1回 「すてきだなあと思える林について、まず、考える!」
2001/12/22 Sat @ivy plaza

●語りの場のプロフィール  自然に惹かれる人たちがいる。自然に戻ってくる人もいる。また、時折起こる驚くよう な荒れた社会現象の原因、遠因を都市環境や、人と自然の結びつきがきれてしまった現状 に求める人もいる。                                 ところで、こころを病んだ場合、その人々には様々なサポートが必要だ。ニューヨーク では成人の5人に1人が何らかのセラピーを受けているという報告を読んだ記憶があるが 日本に住むわたしたちでもセラピストにかかって自己との対話をもっと深めたいとか気持 ちを楽にしたいという願望はある。しかし、そんな自己との対話のひとつといえる自己内 観のステージを林の中の散策や作業が担うこと、そしてその改善効果がかなり高いことは あまり知られていない。                               わたしは、林の中の自己内観のひとときを癒しと呼びたい。そして林の中の癒しに注目 したい。だから、生成り(きなり)のまま、「こころの林」を語り合うことにした。以下 月1回程度続けられるはずの語り合いの輪郭を、わたし(草苅)が漠然と備忘録として記 録することにする。発言者の特定や照合もせず、わたしのこころに残っている各々の体験 とキーワードの羅列になるのを許してもらおう。                   ●13年師走、アイビープラザにて生成りで語る              「理不尽な自然破壊をしない」「郷土の自然をもっと知って残そう」「それを破壊しようと する行政やその他の動きについては市民が結集して意見を述べていこう」という自然保護 運動が高まって、目に余る自然破壊を阻止した実績がいまや日本のあちこちにある。    しかし、貴重な自然に焦点をあてているうちに、身近な自然と人との交流がどんどん  希薄になってしまった。これはなぜなのか。レクリエーションにも癒しにも資源にもなる 緑・自然の捉え方があまりに貴重種と学術によりすぎていなかったか。なにか、大事なこ とを忘れてきたのではないか。                            そんな状況の中で、わたしは「美しい」「快適な」林をつくろうと、林の景観の方から 実務・実労働的な手仕事としてかかわって動いてきた。一方、精神科のT医師(以下ドク ター・T)は人の心にとって林の癒しの力の大きさに注目し、精神を病む若い人たちと林 の中で多くの時間を使ってきた。その効果はやはりはっきりわかるという。        つまり、生成りの語り合い「こころの林」を世話するひとり、森林科学の側にたつ草苅 は林からこころへ、そしてもうひとりのドクター・Tはこころから林へと向かっているよ うにみえる。そして12年9月、森林で精神に障害を持つ人の療育を手がける森林カウン セラー・上原巌さんを苫小牧にお呼びして勉強会をすることになったのである。ここにひ とつのスタートがある。                               ドクター・Tは、20代を中心とした患者さんとしばしば苫小牧を主とした林に出かけ る。錦大沼、本田山林、苫東、北大演習林、支笏湖の林などで時には海岸というリクエス トもある。遊ぼう会という名前のその会は参加者に人気で2年が過ぎた。「情緒が安定す る」「人間関係がスムーズになっていく」「セルフコントロールが自然とできていく」な どの傾向が明らかに見え、社会復帰の芽が感じられるようになるという。しかし、どうし て効果があるのかについて計数などで明らかにすることは日常の仕事ではとてもむずかし いのが実状のようだ。                                一方、ドイツで行われているバルト・キンダーガルテンは屋根のない幼稚園であるが、 現在ドイツには約200のバルト・キンダーガルテンがあって増加中だとされている。森 の中の遊びで子供達に判断力が付くようになり、おもちゃを持たないで遊ぶうちに葉や枝 などで遊びを見つけるようになり、手指の能力も増している。年齢の異なる子供と遊ぶう ちにコミュニケーション能力も備わり、適度な運動で疲れるのでよく眠る。そして風邪に 強くなり、問題解決能力も向上する…。                        といいことづくめのバルト・キンダーガルテンだが、わたしたち個々の経験に照らして もすべて合点がいくことばかりである。ドクター・Tはこのバルト・キンダーガルテンを 例示しながら、「小さい頃からもし、バルト・キンダーガルテンの活動をしていると身体 もこころもいろいろな予防の力が備わっていく」とみる。                また、立派に亡くなっていこうとするターミナル状態の人にも、森はとても有効ではな いかとドクター・Tは考えており、森林を治療法に取り込みたいと語る。         ただ、林とこころの間には実証という壁があり、効果を数字などで明らかにしていくの が事実上とても困難だという実状がある。問題行動の回数が軽減していった、というよう な回数のカウントが可能でも、こころが成長していった経過や健常者の癒し効果になると 決定打をもたない。しかしドクター・Tによると、ヨーロッパでは患者語りの快適さに目 を向ける臨床分野があるということだった。                     ●通底する林・自然の記憶                              このあと個人的に自己を紹介しながら子供の頃からの森や自然との関わりを語り合って みた。10人足らずの参加者にやはりどこか通底するトーンがある。身近な緑でたっぷり 遊び、濃厚に記憶していることである。そして今、成人になって自然を礼賛している。身 近な緑・里山的な環境は人間にこころのよりどころのような感覚を与えていることは、ド クター・Tがバルト・キンダーガルテンの体験が心身の病気を予防するとした構図に割と 重なるように見受ける。                               わたしの関心事のひとつは、「快適な林の散策コースが身近にあれば人々は林に近づき 林のファンになる」という仮説のもとに、快適な林を「創る」「育てる」ことだ。森林の 散策運動を療養に取り込んでいるドイツのクナイプ療法はそのコースにとても興味があっ た。そんな折りもおり、12年の秋、運良く南ドイツのいくつかを訪れることができたの で、クナイプ療法のコースも探して、その際撮影することができた「林と散歩道」をいく つか紹介した。また、その他のヨーロッパとニュージーランドで見た気持ちのいい緑のス ライドも一緒にして、合計50枚ほどの緑景観を連続して見た。                                ●景観を読んでみる、そしてキャンパスタイプにひそむ普遍性                                           ヨーロッパの散策路などを含む緑景観は、農や林が人間を気持ちよくさせたり快適さを 創ったりすることを認めた上で、身の回りのどこにどう配置していくかを自覚的に試行錯 誤してたどりついたような積み重ね=歴史を感じさせる。基本的に創った(クリエート) といっていいかも知れない。                             かたや、わたしたちは元来、手のあまりついていない自然を良しとしてきた。だが、本 当に手のついてない自然がいいのだろうか。きっとそれは違う。国木田独歩の武蔵野も、 さらにそのはるか以前、ケンペルなどが日本的な美を見いだして高い賛辞を送った沿道(里 地)はなべて人手がたっぷりかかった里地・里山の景観だったのである。          気持ちのいい林や景観は人が生活の一部に利用したり育ててはじめてできあがっていた ことはもっと注目した方がいい。日本庭園とまでいかなくても、手入れをしたかどうかわ からないような、そんなかそけきレベルである。遅まきながら、林や個々の樹木の保健休 養機能は少しずつ研究が進められ、快適だと思う林の「かたち」がわかってきた。野幌の 調査では枝下が高く、大木が低い密度で生育する状態、いわばキャンパスタイプに快適さ を見つけている。                                  わたしが見て歩いたクナイプ療法のコースの多くも立木の密度が極端に低い大木と芝生 で構成されるキャンパスタイプが圧倒的に多い。あと、特徴的にあげるべき要点は、「俯 瞰景の存在」「水辺の取り込み」「山際・山辺ルートづくり」である。            自然が癒すプリミティブな部分とか機能に、精神を病んだ人々やこころが疲れた人たち がもっともよく感応すること、幸い今は病んでいない人々でも快適と感じる林の「かたち 」には、あるパターンがあること、このふたつの事実は地続きのテーマであるように見え る。今後、ドクター・Tとわたし、そして自然の中で憩う術を知っている仲間、また研究 者たち、そんな輪の中で、生成りで語り合いながら「こころの林」を探検してみたい。 




home

第2回へ
第3回へ
第4回へ
第5回へ
第6回へ