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2014年、日々の迷走   2
■12/30 田原総一郎と百田尚樹の「愛国論」
どちらかというと左翼系ジャーナリストと保守系論客のようにみられる二人の対談、さっそく読んでみました。想像以上の力作で、よく事実関係をつぶさにあげながら議論がかみ合っている。第1章は「大東亜戦争とはなんだったのか」、第2章「なぜ自虐史観が蔓延してしまったのか」など、興味深いやり取りが続きます。個人的には「世界がさばく東京裁判~85人の外国人識者が語る連合国批判」をやや先行して読んでいたせいで、事実関係のとらえ方に偏りが少ないと見えたことも好感が持てた。情緒に流れやすい「愛国」が、「見識と経験」に裏打ちされて様相を変えていた。
 しかし、戦後70年にもなる今日、このような議論がまだ白熱するという背景にあるのは、日本人がいかにこれらのテーマを避けてきたかの裏返しではないでしょうか。逃げないで正面から取り組んでいたら、いわゆる従軍慰安婦や靖国神社の問題は生まれていなかったかも知れないと思えてきます。

■12/28 雑木林と庭づくりの研究

まだホームページのソフトがふんだんでない頃、Microsoft のWORD で作り始めたホームページの
タイトルに選んだのが「雑木林&庭づくり研究室」でした。当時は別々の組織とスタンスで、森づくりと庭づくりに二又でかかわっていたのです。そして町のなかの庭づくりの達人を Green Thumber(グリーンサマー)として見つけ出して表彰しネットワークを広げていた。森づくりの方は、その逆に群れないで単独で始めて一冊の本ができるほど思考と実践を繰り返していました。そして現在は会員約70名のNPOでのんきな世話役をする羽目に。この頃思うことは、個人的にようやく「雑木林&庭づくり研究室」の本来の姿に近づいたかな、ということ。林の修景でも、美しい林を目指す緑の達人Green Thumber は社会的にニーズがある、ということです。はっきり言って、今も Have a Green-Thumb!!の合言葉は時代に生きる意味があるだろう、と。(写真は2015年に新たにお目にかかるT病院の散策する林 2014/12/27撮影)
■12/24 これからを語るスペース

遅い昼食を、通訳&翻訳家の小田さんと北大のレストラン・エルムで。欧州で近年、クリエイティブに将来を発想するフューチャー・センターが注目されているといいますが、この、あるがままの窓外の光景を見、もろもろを語りながら、ここにその片鱗がある(のではないか)と思いました。しんしんと雪が降る中、手入れなど放置した木立たちの、一枚のガラスを隔てたこちら側で創造的混沌を遊ぶ初老のふたり。

■12/23 「杖ことば」
新聞の広告で発見したフレッシュな言葉。作家・五木寛之の新刊のタイトルで、「生きることの困難な時代、はんらんする情報より頼りになる言葉がある」と解説にある。なるほど、ある日偶然、日頃思い悩んでいた課題に対してぴったりの格言や一言が、絶妙な解決策としてにこころに響くことがたまあにあります。こちらもある程度煮詰まった状態の時に、いわば卵が殻の内側からと外からと突つかれて割れる、「啐啄同時(そったくどうじ)」ということも稀にある。シンクロニシティだ。しかし、なんですね、どんなに素晴らしい名言でも受け取る側の熟度も満ちていなければ馬耳東風というわけで、言葉がひっかからないとか、メモも取ろうとしなくなったら、もうこの探求は終わったようなものだ。人生がいつまでも旅だからこその杖、ということになると、手ごろで役立つ杖を万能なくらいに用立てしておかないといけない。老いとはもともとそういうものだったのだろう。
■12/21 風景を改善する喜び
 
この秋の終わりころ、森林療法に理解の高いT病院から、広大な敷地の樹林地の修景を任されました。あらかじめ、簡単な設計図を用意し、修景のイメージを提案して本格着手したのは11月24日でした。今は左上の写真のような状況になってきました(12/20夕方撮影)。現在ある植生を利用してその樹林のいいところを引き出す。そして人々に対してwelcome のメッセージを出していく。季節がそれを必ずサポートしてくれる。林のガーデニングほど胸膨らむものはありません。写真右は10月下旬。
■12/18 北海道の自然資源の表現
海外向けの動画で出色なのが阿寒の鶴雅グループ。無人ヘリを使ったとも聞く作品で、渓谷を舐めるように下降、遡上するシーンなどは、息をのみます。そこに何をみるでしょうか。自然というのは、やはり神々が創りたもうて、しこうして依然として神々が遊ぶ庭であるような。阿寒や大雪山だけがカムイミンタラなのでなく、神はわたしたちのすぐ身の回りにも居る、とわたしは何度も感じたけれど、さて皆様はいかに。GODの話が続きましたが、北海道の自然はスピリチャル観光の対象に実はなっているということ。ほとんど意識している人はいないようですが。
■12/13 山の神に参拝
 
現代は祈りとは無縁なように思っている人は多い。けれども、山仕事のように人知ではコントロールできないような不規則、アウト・オブ・コントロールの危険な目にあったり、日常でもさばききれない悩みに遭遇した時、人は知らぬ間に祈ることを覚える。祈りはよくわからないが偉大なもの Something Great に対する帰依のようなものだ。少なくともわたしの山仕事はかつてそうだった。競い合う横の関係と真逆の縦の関係であり、Something Greatは先祖のずーっと先にあるものと感じていた。ドロノキの威風、しめ縄で清められた鳥居の向こうのナラの異形に、束の間、偉大なものを感じる。

12/12 アジアからのインバウンド観光
仕事でインバウンド情報の共有サイトを立ち上げた(12/5公開)。実はこれ、画期的な取り組みでこれから徐々にメディアに発信される。思えば世界の先進国というもののメイン産業は、必ずしも自動車などの製造業やITではなく、ベーシックな「農業」と「観光」である。日本も、ようやくそこに注目してvisit japan キャンペーンをはりシェアを獲得しようとしている。通勤する札幌駅で、アジアからのインバウンド客の声に耳を澄ませば、確実に増加の兆しを感じる。北海道で今始まりつつある産業の伸びしろ・インバウンド観光に注目。それも個人旅行FITになる。

12/10 白樺が示すストレス
木は生えるものと思ってしまうが、実は樹木たちは土地への適応性を、「生育のかたち」で結果を表現している。苫東のフィールドの典型を言えば、不適応の自己表現をしているのは常緑針葉樹、例えばトドマツやアカエゾマツ、次に意外にも白樺である。白樺はストレスがあると樹皮は「純白」でなくガサガサとした異形になる。太平洋の海岸から数キロのツタモリ山林はもちろん、10km以上離れた大島山林ですら、この異形の白樺が多く、寿命も短い。周辺に種を産する母樹があればギャップに侵入はするけれども、長い寿命は保証されない。結果、樹木による表現は「ケガレチ」。1枚目の写真のごときだ。同じ場所でドロノキは2枚目の写真のようになる。林業の要諦「適地適木」は最適な作業方法のもとで風土テクニックに昇格する。






12/07 「人生の扉」
竹内まりやの「人生の扉」がリリースされて間もなく、わたしが管理者をしているSNSで評判になり何度か繰り返し聞くことになった。ほどなく元北大合唱団だった上司に当たるK名誉教授とカラオケに行った折に、覚えたてのこの曲を歌ったら脇で先生が目頭を押さえている。「この歳になると歌の意味がジンときてね」。今週は先生の1周忌。この歌の歌詞を先生に捧げて、わたしたちの来し方も振り返ってみたい。最後の5行にはいつも泣けてしまう。
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春がまた来るたび ひとつ年を重ね
目に映る景色も 少しずつ変わるよ
陽気にはしゃいでた 幼い日は遠く
気がつけば五十路を 越えた私がいる
信じられない速さで 時が過ぎ去ると 知ってしまったら
どんな小さなことも 覚えていたいと 心が言ったよ

I say it's fun to be 20
You say it's great to be 30
And they say it's lovely to be 40
But I feel it's nice to be 50

満開の桜や 色づく山の紅葉を
この先いったい何度 見ることになるだろう
ひとつひとつ 人生の扉を開けては 感じるその重さ
ひとりひとり 愛する人たちのために 生きてゆきたいよ

I say it's fine to be 60
You say it's alright to be 70
And they say still good to be 80
But I'll maybe live over 90

君のデニムの青が 褪せてゆくほど 味わい増すように
長い旅路の果てに 輝く何かが 誰にでもあるさ

I say it's sad to get weak
You say it's hard to get older
And they say that life has no meaning
But I still believe it's worth living
But I still believe it's worth living

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■12/06 ジャネット・リン(1972 Olympic)と札幌の会場
まったく久々に真駒内アリーナへ出かけた。どれほど久しぶりかと数えると前回は42年前の札幌オリンピックの時だった。当時私は読売新聞のカメラマンの機材担ぎのアルバイト。アルバイトの価格も良かったが、取材で訪問する場所と位置が別格だった。まずは恵庭岳の男子滑降。スタート地点から10秒ほどの位置のプレジャンプ地点だった。アイゼンとピッケルを持っていた。シャンツェでは笠谷選手らの優勝のジャンプを含むフライトを飽きるほどみて首が痛くなった。極めつけは女子フィギアのジャネット・リン。前から3列目あたりで、周りは毛皮のコートを着た白人女性ばかりだった。余禄でほかの日にアイスホッケーのスウェーデン対カナダも見た。なんと野蛮なスポーツだろう、というのが当時の感想だった。
 あの節目から42年。この間の人生は長かったようで、人の常、あっという間だ。人生を振り返ってみる歳になった。これからもっと面白くなりそうだ。

■12/02 自然のガーデニングへ
わたしたちの山仕事を、エリアのとても広い一種のガーデニングをしている、という意識でみて来た。それを裏付けるように、16年ほど前、本格的に雑木林の手入れを通年でするようになってから、次第に自宅に庭がおろそかになって自他ともに許すようになった。ステージの大きさが違う。拙宅の箱庭はコンテナで十分だ・・・。で、傾注度にどんどん差が出る。ゆうべ、帰宅後、偶然にポール・スミザーさんのガーデニングを見た。そして京都のベネシアさんの興味深い営みを思い出した。二人に共通するのは、繁茂する日本の植生に対する許容である。土着の植生の良さは時に地元人間は評価が曇る。
 話は飛ぶけれど、昨年度に山林オーナーに提言した「つた森森山林の管理方針」の修景が具体化された。わたしがまず基本となる修景モデルを頼まれ創ってみたが、業者がやってくれた作業の仕上がりはそれ以上だった。見事である。あれでは普通にやればきっと赤字だろうと思うけれど、その真意をかの親方に近いうちに聞いてみたい。山仕事をする方々に、したたかな美意識があることを大いに誇りにしたい。


奥行20mだけ修景間伐をしたが、それで十分だというデモだ。
残念ながら最終仕上げで使ったブルのキャタのあとが生々しい

道楽でなければできない修景を、苫東は実践している。これだけで
静かな地域のCSRだ


■11/29 新米を受け取る
米どころ・厚真町の農家さんから、「ユメピリカ」と「おぼろづき」を1俵ずつ玄米で購入した。計3万円で、かなりリーゾナブルな価格である。食べる前に精米機で精米しヌカはヌカ漬けの床になる。おいしいし、ヌカ漬けという発酵食品に、身体が喜んでいるように感じる。去年の玄米、残すところは5kgだ。


■11/27 パール判事の碑に参る(11/24)


日本の近現代史を一人で学んでいるうちにいつか訪問してみたかったのが、東京裁判で連合国側の訴追には国際法上の法的根拠が全くない、とただ一人論証したインド代表判事ラダ・ビノード・パール博士の碑だった。東京は九段下の靖国神社にある。昭和23年11月の結審までの約2年半、判事は膨大な資料分析に没頭された。裁判そのものはご承知のように戦犯を選び処刑したが、昭和27年の米国上院軍事外交合同委員会でマッカーサー元帥は、こう証言している。
(注;下記はつまり大東亜戦争は侵略戦争ではなかったとマッカーサー元帥が証言したのである。これはほとんど知られておらずマスコミも報道しないことは留意したい。)
“They feared that if those supplies were cut off,there would be 10 to 12 million people unocupied in Japan.Their purpose,therefore,in going to war was largely dictated by security.”
(もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼ら(注;日本)は恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障(自衛)の必要に迫られてのことだったのです。)
この証言は、昭和天皇の切々たる開戦の詔と照合し、さらに入院中に読了した「東條英機歴史の証言」ともぴったりと符合する。「・・歴史の証言・・」とは、極東国際軍事裁判(通称東京裁判)において終戦直前までの首相をつとめ、絞首刑となった東条英機の法廷における証言である。証言は日本人の美徳を匂わせてすらいる。この証言を読むまで、東條英機は現代の日本人の多くから、今次の戦争をリードしたもっとも罪の重い一人として理解されてきた。しかし日本人は米国の War Guilt Informaition Program に洗脳されて、かつ、今も真相を知らされずどっぷりであることをあらためて知るに至った。なんという無知蒙昧なことだろうと己の知の怠慢を痛罵したのだった。史実はかように遅々でありつつ着々と明るみに出てきた。


■11/24 御朱印帳がにぎやかになる

2泊3日、関東に滞在しました。メインはうわさに聞く関東のパワースポット、群馬高崎の榛名神社。さすが北関東、文化的な密度が濃くてついでにいくつかの名刹をめぐることができました。今日は朝早く都内に戻って念願でもあった靖国神社を初めて参拝しました。写真は、初日の22日に奥多摩に友人シェフを訪ねた際の、彼が管理する家庭菜園。80坪の敷地でバラエティに富んだ野菜を作っていました。クラインガルテンには写真の小屋(ラウベ)がついており、夜はここで一献して泊まり。大型の天体望遠鏡で星を望んだ翌朝は霜が降りたようです。

わたしのパワースポットめぐりの主役はまず大木、そして風景、水、岩。
榛名神社の「矢立杉」には参りました。直径2m以上、幹回りは6,7mくらいか。


■11/21 明日から北海道を離れます
そんなわけで3日間は更新できないままとなります。あしからず。
コモンズ林業の拙稿にご感想をいただいたので、掲示板にご紹介しました。

11/20は再々、平木沼緑地の取り扱い方針の調査で雑木林を「迷いながら」歩きました。迷うシアワセ、というものもあるもんだ。方針決めというのはおこがましく、どこか、雑木林の神々と対話するかのような時間である。若い世代・青少年の数人を連れて歩きたいと思った。


■11/19 自伐型林業の問いかけるもの

地方再生の論議が盛んになってそれなりに「なんで今更」の感を持つ人は多いはず。そんななか、今注目されるのは自伐型林業だろう。森林所有者が森林組合などに出していた林業の営みを自前でやるという、いわば当たり前の話だ。所有と施業を分け大規模経営を標榜したのが国の「森林・林業再生プラン」のホネであるのに対して、これはその真逆。当NPOが自然体で提案した「コモンズ林業」とかなりの部分が重なる。他人がやるものと決めてきたことを、自らがやる。林業政策や林業行政ばかり栄えて、林業プロパーがすたれている光景に気づいて久しい。あの地方創生の石破大臣が、国会で自伐型林業を絶賛したと聞く。地域の雇用のベースは、今もこれからも食料、エネルギー、介護ケア、それに付随して放置された森林の利用だと思う。そこにちゃんとしたビジネスを興したいのだけれど、今は残念ながら余裕がない。

■11/16 晩秋の林を歩く
100年前、国木田独歩が武蔵野の雑木林をやや興奮気味に歩いていると、農家の老婆に、何が楽しくて歩いているのか、町の人はノーテンキでいいね、とバカにされた。そして100年後、それらしいところを一人歩くと、まるでネクラの詩人のようだ。実はここのところが大事だと思うのだけど、世はそんなことはおかまいなく、まるで病理に向かっているごとし。


■11/16 その土地の食材をほめる店
今年の誕生日は入院していたので、遅ればせのお祝いをしてもらった。市内の和食のお店だ。胆振の食材を客に絶賛し見せる光景はとても品よく微笑ましく、もちろん味も盛り付けも大変良かった。自分で野菜もつくり魚も釣る。カウンターのお客が全部帰ってから、手を動かしながらの店主と、小一時間、食・人・魚と野菜などについて歓談した。かつてご子息のグループで講演したことを思い出しその旨を話すと「何を話されたんですか」と聞かれた。「この町ではマチをほめる人はとて少ないけれど、苫小牧は自然も産業もいい、という意味のことを語ったはず」とわたし。店主は爆笑しながら「私と同じだね」。わたしは調子にのって春先の「北寄とフキノトウのかき揚げ」の話をした。「それはいいかもしれない。ぜひ作ってみたい」とおっしゃる。沼ノ端の床屋さんからこのコンビネーションを聞いたのは25年ほど前。わたしの道内外の知人の間ではこのメニュウはもう春の定番になっている。こうやって食と世は移ろうのだろうか。新しい名物に展開したら面白い。

■11/13 雪の中のキノコ
林の調査3日目は雪がパラついた。現地の林と図面の照合にエラク難儀した。午後は激しく迷ってしまい、明日、GPSの解析に任せざるを得なくなった。その直前、エノキタケに出会ってほっとした。雪の降りが心配でS氏が札幌へ帰った後、わたしは独り薪ストーブの番をする。一日の後半、ろうそくが懐かしい。


■11/12 「コモンズ林業」の提案
北海道の林業専門誌「北方林業」にコモンズ林業について小論を投稿し過日掲載された。タイトルは『人口減少社会に備える身近な林の小規模管理』。サブタイトルは「コモンズの概念で見直す「町内林」の自前林業」。高知県で行われている「自伐林業」という林業形態とちょっと似ているところがあるとすれば、既存の手法から離れて自ら手をつけること、か。当たり前の話である。確かにNPO苫東環境コモンズの小規模管理手法は、平坦で笹がなく、若い雑木林であることなど、特異なケースである意味恵まれた条件下で初めてできることではあるけれども、その土地その土地の事情と課題をなんとか越えなければ何事も始まらない。あきらめるのは早すぎる、という思いで書いた。やればできる、と。

■11/10 育林するコンペは応用できる
今年は育林のコンペゾーンでかなり作業が進んでいる。腕に自信と信用があればだれでもどこでも、第三者の林の手入れが可能だ、という見本になる2回目の試み。コモンズ林業と呼んでいるもののバリエーション。2年前から、一人またはペアで0.5ha(1500坪)の雑木林をあずかり、せっせと森づくりを実行している。壊れた看板が建て直されて今日はしっかりアピールしていた。親しみやすい光景が生まれつつある。さて、どんなコンペになるのか、それは未知数。
仕事帰りに


■11/09 自分だけのパワースポット
手をかざしながら樹木の「気」を調べ歩いているうちに、わたしはケヤキ、ヤマグワ、そしてカラマツに特に気を感じることを発見。それ以来、つた森山林の大木カラマツは密かにマイ・パワースポットになっている。眺めも風格も申し分ない。直径80cmを超えるカラマツは苫小牧では珍しいし、威風堂々として実に気持ちが良いのだ、わたしには。昭和51年学卒で現場に張り付いたころ、前の所有者からこの木が50年を超えていると聞いたからそれから約40年、ざっと樹齢90年以上ということになる。山林の間伐モデルの作業を終えてから久々に大木カラマツに背中を当ててたたずんでみた。ああ、やっぱりいい気分だ。心身が弱った時には、こんなマイ・スポットをもてれば救われる時があるもの。今月末、上京する折は群馬は高崎の有名なパワースポットに触れてくるつもり。一期一会の楽しみである。


■11/08 チェンソー扱いの初心に帰る
チェンソーのスキルアップ研修。メンバー内の先達であるプロに、機器のイロハからおさらいをしてもらい、午後は実技、最後は志願者を募り己の伐倒を見てもらった。山の神の参拝を前に、まさに山仕事の起承転結の緒に就く。考えようによっては結構おごそかな日である。


■11/07 ご無沙汰しました!
10月30日朝、札幌に通勤してから病院に診察にいって即、入院してしまい九日ほど留守にしました。病名は大腸憩室炎。入院から4日間は絶食、5日目に重湯、8日目の昨日はようやく全粥、そして今日退院となりました。30日の未明から激痛となったその元がこの憩室炎で、実は5年ほど前から右わき腹に筋肉痛のようなものがあったのでした。まさかそれがコレとは。担当医によると、今後の予防策は特になく、再発の可能性は少なからずある、という心もとない話。63の誕生日を挟んだこの9日間の入院休暇はいったいどんな意味合いがあったのか、ずっと考えていたらアッという間に退院を迎えました。それにしても絶食あけの重湯はおいしかった。3分、5分と普通食に近づくにつれだんだんと娑婆気分になって、全粥のころには「ビール飲みたい」。感覚のマヒの速さと初心をすぐ忘れる己の卑しさを知りました。
絶食あけの重湯と蜆(具なし)の味噌汁

■10/25 NPO総会
今日はこれからNPOの第5回の総会。この1週間、ひどい霜も降りず、大風も吹いていないので現地は素晴らしい紅葉が待っているはず。焚火を囲んでの懇親は楽しみ。⇒ 穏やかな曇り空のもと、無事終了。
 
紅葉はピークを過ぎ、そのおかげでフットパスはモミジで赤くなっていた。


■10/22 アイヌ神謡のアニメ

北大で行われている「アイヌを学ぶ・上級編」の昨夜は「異文化翻訳装置としてのアイヌ・アニメ」だった。講師の研究者がアイヌの神謡や叙事詩をアニメ化したものをいくつかを紹介してくれた。まだ、実験段階のようにみえたそれは、終了後の質疑で聴講したアイヌの女性から「わたしはフチ(祖母)からしばしばこれらの話を聞いて育ったが、今日のアニメは全く理解できなかった」と酷評?された。同様な感想が続出し、実は私も同感だった。魂が登場するスピリチャルなことがらを、粗末なアニメ(きっと予算もないはず)で、かつ言葉足らずで表現している。主人公のいでたちや振る舞いは、ドラゴンボールとマジンガーZを合体したようなもので、わたしはアニメの出来の悪さにがっかりしたのだけれど、一日たって、思い直した。手塚治虫の「火の鳥」や「ブッダ」、宮崎駿の「もののけ姫」など、相当なテクニックと言葉を継ぎ足してもまだ描ききれない神代の話を、たったあれだけの言葉と画像で描こうとするのはそもそも無謀なのではなかったのか。背景を解説し、エコなアイヌをイメージさせるような、まったく違った吹き替えが必要だと思う。逆に言えば、そこの工夫で新展開があるはず。
(動画のリンクが今一つうまくいきません)

 http://youtu.be/rXUzFcAM-YA

■10/20 ラーメンめぐり
麺はいずこも激戦です。2,3年前、讃岐うどん系が苫小牧に上陸して、ラーメンのシェアを食っている感じですが、これがなかなか安くてうまい。でも、ラーメン好きのわたしとしては、創作系が結構、いや、かなり奮戦していると思います。棲んでいる苫小牧では、もともとの勇払の「鳥よし」、明野方面の「赤門」、旭川系の「生成」が私の好みですが、このところ、苫小牧でもこれらとは違う別ジャンルにも少しずつ徘徊しています。今日は札幌北12条の職場から道庁に行ったついでに、最近できたKラーメンに行ってみた。チャーシューがおいしくて量も多いもののスープの味わいは今一つで、次回はパスしたいと思った。しかしこの値段で頑張ってもらうことにはエールを送りたい。あ、思い出した。室蘭発の「なかよし」のしょうゆ、これも絶品でした。古くは苫小牧に「ガタ・ラーメン」というのもありました。炭鉱ではやったという名残のラーメンでしたね。名物母さんの作。(と、言いつつ、更科系のそばもよく食べます)合掌


■10/19 紅葉の饗宴
このところ目にする白鳥たちの編隊夜行は明日の快晴を知らせる。北国の人々など地面にはいつくばる生き物を置き去りにして移動できる鳥たちの特権で、渡り鳥たちは、ある意味で季節の定点を生きている。その北国、胆振(いぶり)。今週は紅葉のピーク。できあがった雑木林のフットパスに、急いでたくさんのサインを設けた。自然の中の人工物で、林は生き生きとしてきた。これからだ。
 

 

■10/16 様々な生き物と共有する実感
19号台風が去った深夜、懐かしいコーコーという鳴き声にテラスに出た。白鳥のいくつかの編隊である。明日の快晴を知らせる秋の名物、白鳥あるいはマガンたちの渡りだ。この日の午後は北大の矢島教授と平木沼緑地を調査の下見に出かけたが、車で移動する間にエゾシカ3回6頭、キタキツネ、エゾリス2回2匹に出会った。ハスカップ・サンクチュアリへのアプローチで、写真のかわいらしいキノコにも出会った。フィールドをめぐる都度、生き物とのシェア社会が彷彿としてきて、ヒトはその頂点にいる責任を体で感じる。


■10/13 紅葉が始まった山で
3連休の最後の日、やはり素晴らしかった平成26年の季節をぞんぶん味わいたく、紅葉の始まった山に来た。with wife。29年度以降作業地の境界がずれていたのも気になっていたので、GPS作業を手伝ってもらった。ついでにあちこち一周して新設のみちの写真のモデル(注;いわゆる、ものさし)になってもらった。将来に向けた大事な立て木となる大径木15本に新たに黄色の蛍光テープを巻いた。これは200年ぐらいはあるのではないだろうか。


■10/12 スドキの種まき
秋の山菜「きのこ」もちょっと下火になったような気がする。個人に0.5ヘクタールの雑木林を預けて数年後その保育の出来栄えを競う、育林コンペという作業に、昨10/11に6人で着手した。こうして今年も冬の間伐モードに入っていく。一方、気が早いと笑われるかもしれないが、春の山菜のために、今、あの山菜の双璧のひとつ「スドキ」を小屋の周りに増殖させるために種まきを始めている。綿毛には王者の存在感が漂っている。来週あたり、本格的に種となる穂を摘んで、写真のように林床に立て込む予定。こうやって改めてみると、晩秋のにぎやかなイナウのように見えてくる。今度はもっと壮観だろうな。


■10/11 半世紀近く通う店
札幌に、俗に「つる」と呼ばれる古い居酒屋がある。昔から山登り関係やオーケストラ、絵画をものにする人などが集い伝説のマダムがいらっしゃって対応してくれた。わたしは山関係の客としてのほかにこの店の厨房で数年アルバイトもし、おばさんと呼んで親しんでいたマダムの自宅の庭の片づけなども手伝ってよく食事をごちそうになった。20年以上前の話だが、40周年と50周年の記念パーティの司会をやらされたから、ざっと70周年になろうか。マダムもとうに亡くなってもう年に1,2度しか顔を出さないが、わたしは45年、半世紀近く通ったことになる。岳友はもちろん、古くからのなじみ客で、すでに角がとれて丸くなった懐かしい顔に出会うのは格別だ。みんな平等に老けてきたので笑える。


■10/9 憲法9条のノーベル賞
巷の一部でこんなことがささやかれています。もしそうなれば、起案し署名した人の手柄なのか、不戦を施策で支えた保守政党のおかげになるのか。歴史認識の潮目にまた一つ格好のネタが登場する気配が出てきた。ノーベル平和賞は極めて政治的な賞だから、これは、やはり転換期を試されているとしか思えない。

■10/7 「コモンズ林業」
今、表記のような内容の投稿論文を書くために、「多種共存の森」(清和研二著)を読んでいるところ。そのなかにコモンズのアドバイスもしてくれている北大の矢島崇教授の研究成果が紹介されていて、先生の調査によれば、北海道のミズナラの胸高直径70cmが樹齢200年を超えていること、直径80cmで最大458年というものがあったと紹介されています。してみると、大島山林でフューチャー間伐の立て木としてマークしている最大のものである約60cmクラス以上は思ったより樹齢が高いかもしれないと思い直した。この環境にしては巨木である彼らをもっと高く評価しなくてはいけないのではないか。
 話は戻って、日本列島の豊かさをもたらす多種共存の森の生態系を最新の研究成果で解説しながら、この仕組みを活かした森づくりを提案する本著には共鳴するところ大。



■10/4 国木田独歩になりそうだ
週末は連日、広葉樹林の道作りをしていて、あっと気づいてみると林が変わっている。とにかく、グンと身近になった気分。どこに何があるか、だんだん見え始めて「開かずの間」がなくなっていく恰好である。そして林はさまざまな顔を見せてくれる。林の随筆家にでもなれそうな、そんな小さい気づきもやってくる。たくましく生きる樹木と朽ちるもの、それをまた糧に生きる生命の渾然一体となった空間。道は偉大だ。それを創るのは、何を隠そう、われら凡人。

なんでもない光景がいとおしい季節になった

■10/3 神経痛で秋を知る
最低気温が10℃を下回るころから、坐骨神経痛がやみ始めた。数日前からホッカイロを、今日からはステテコをタイツに替えた。通勤も仕事も同じ姿勢で固まってしまうのが悪いのだが、いかんともしがたい。だが、なんとかなる「冷え」の方は避けねばならない。血流を良くして、そのためにも臀筋のトリガーポイントに刺激を与えるのが良い、と聞いた。今夜からさっそくトライである。

■9/30 道づくりとGPSの結果
このところ、雑木林に歩くためと作業用の道を作っている。その成果は、GPSをぶらさげてなぞってみて後で、軌跡を道としてマップに落とす。あれま、その誤差、勘違いのすごさに驚く。驚くどころか笑ってしまうほどずれている。近間には方向音痴の人もいて、道に迷い始めた私などもいるから、実に微笑ましいこの手のエピソードに事欠かない。先週の成果を航空写真に落としてみると、新たに黄色のルートを作る必要が出てきた。この楽しい仕事が続くと思うと喜んでいるメンバーもいるのではないか。キノコも順調に出てるし。とりあえず良かった。


■9/28 土を喰らえば
水上勉の本に「土を喰らう」という食の本があって愛読したものですが、ある方からは、野菜など土から生まれるものを食することは、即ち、口から入れる気功だとも聞きました。春秋の山菜取りはまさに年に一度の食の気功だとわたしも思う。たくさんは要らないけれどいろいろなものを楽しめたらそれで十分。昨日は大島山林という安平町の林の道作りのさなか、ボリボリ(和名はナラタケ)の大群落に出会い、みんなで狂喜して採りました。時節柄、首の回りや顔は蚊に刺され、ボコボコ。
 

■9/25 維新後の歴史から見えてくる日本
本当に歴史が不勉強だったと恥じいり、こつこつと日本の近現代史に関する書物を読んできて今ようやく時代の潮目を理解できるような、霧が晴れそうなところにいるようです。『パール判事の日本無罪論』も衝撃的でしたが、まさに読み終えようとしている『大東亜戦争の正体~それはアメリカの侵略戦争だった~』(清水馨八郎著・祥伝社黄金文庫)はさらに明快で力作、そして東京裁判史観に洗脳されているなら、目から落ちるうろこは山になるような名著でした。そんな折、併せ読んだ「文芸春秋」10月号も読みごたえがありました。来年は戦後70年、歴史認識は雪崩を打つように変わっていくのでしょうか。

■9/23 オータムフェストと地域ブランド
仕事のあと、札幌大通りのオータムフェストに顔を出す。今年7回目となる札幌の食の秋祭りで、テレビ塔下の1丁目から11丁目にわたって出店が
並ぶ。普段、札幌では食べられないご当地グルメがそろう、さながら秋の豊穣祭。文字通り、道内各地の産品が一堂に会する一大物産展である。農産物、海産物、酪農品、ワイン・ビール等、次第と地域ブランドの位置を獲得して、地域がいきいきとしていく足掛かりになっているのは間違いない。売り子はエネルギー満開だからこそ、その背後にあるだろうブランドまでの長いみちのりがしのばれ、頭が下がる思いだ。競い合う地域ビジネス、ガンバレ!!最後は札幌駅の会場で締めくくったが、だいたいの会場がわたしより2世代ほど若い人が中心だった。わずか2世代まえが、なんとなくまぶしく、遠くに見えた。



■9/21 雑木林に道を作る
2年越しの道作り。振り返ると大島山林の道は、その昔薪炭を国鉄の駅に運ぶ馬車道だったという。それを苫東プロジェクトになってから一周の道を1本小さなブルで作った後は、機械なしの手作業オンリー。できるだけ、木のないところを縫って、灌木を繰り返し伐りながら木の根っこも抜かないでそのままにした道である。手作りの道。わたしたちの山仕事の跡に、確実に道はできていく。歩くファンが増えれば道はだんだん良くなる。そうなることを願って。


■9/21
薪、売ります!
いよいよ、ストーブを炊いたよ、という声が聞かれるようになりました。そう、今週あたり、衣服も夏物から冬物に替えてみようという気にもなります。秋本番の様相ですから。
 さて、NPO苫東環境コモンズが作った薪をNPO価格でお分けします。一年分(実質6か月)は平均2棚といわれていますが、現場引き取りで2棚を5万円で。5月から薪小屋で乾燥していますので、今季の使用が可能。お申し込みは上記掲示板か take' profileのメールから。


写真左右は雨に当たったが乾燥した外側の薪、中央奥は2列目。これが4列ある。

■9/18 高専の講義終える
2年目の高専の講義を今日すべて終了してあとは期末試験を残すだけになった。漫然と机の引き出しに散らかしていた断片的な知識や体験を、若い世代に伝えるためにいささか体系を作る必要があったので、自分としてはとてもいい勉強になった。いわば務め人としての総括であったからである。ただ、それが自己満足に終わらず本当に彼らに伝わったのかといえば、自信はない。希望は持てない、いや絶望的ではなかったか、と思う。
 大学で非常勤講師を務める人の話では、真剣に聞いているのは1割もいないとこぼしていた。わたしもこれは所詮無理だったのかな、と自分の幼かった20歳を振り返ってみて自分を慰めることもできた。だから高望みはしないで、なぜ地域や社会の課題なのか、問題意識だけでも明確につたえられないかに作戦を変えた。これもうまくできなかったが、ことほどさように人生は相手がいればままならない。
教えるはずのわたしがいい勉強になった。


*今回からようやく行間を広げることができました。長い間の怠慢にご容赦を

■9/14 食の楽しみ
小樽の所要が終わって少し遅い昼食をとったのはJRガード下のお寿司屋さん。「酒場放浪記」の吉田類が訪れる花園の「夢○」とか「若○」のすぐそばだ。庶民的なゾーンであり30年ほど前は伝説の庶民的居酒屋「一心太助」があった。軽くビールをいただきつつお品書きを読むとナント、大好きなカニの内子と大好物の海鮮かき揚げが目に留まった。で、流れに任せてそれもいただくこととして当然日本酒もからめることとあいなる。吉田類のように食と人情を求めて徘徊する楽しみ、とまではとてもいかないけれども、ていねいな料理と付き合うこんな楽しみは人生の踏ん張りにつながるとしみじみ思う。海鮮かき揚げの素材は前日のすしネタを使うらしい。


■9/13 風土のにおい
フィールドでの野外作業の帰り、苫小牧市柏原という勇払原野の台地の一角に毎年顔を表すセイタカアワダチソウ群落を写真に収めた。このグローバル化の時代に帰化植物を100%防ぐことは無謀なことであるとわきまえるばかりか、この風景をわたしはいつしか好ましく受け入れてきた。既存の郷土植物が駆逐されていくという悲観的な見方はわたしはしないし、むしろ風景の収め方というアイデンテティを都市計画や景観計画のなかでとらえなおしてみてほしいところだ。北大の故・辻井達一教授が中心になって、苫小牧の基本カラーは収穫色のブラウンだという熟度の高い議論が行われたことを知っている人はほとんどいないかもしれない。気象被害や災害も珍しくないこの風土のもう一つのしたたかな側面といえる。


■9/13 風土に依存する生活
大雨の警報が二日連続して出され苫小牧が全国ニュースに流れたおかげで、携帯やメールで全国からありがたいお見舞いをいただきました。つくづく、日々の生活が、気象現象などの風土に大きく依存していることを身をもって知らされます。昔と違うのは、レーダーなどで今の状況を個人がほぼリアルタイムで掌握できること。でもどうすることもできません。雨雲の流れをみているうちに、人は自然に従属し意識は心と体に乗っかっている、などと縦のつながりに連想が進んで神妙な気分になりました。

■9/10 歴史認識のコペルニクス的転回
歴史認識の節目を目撃しているような緊張感のある日々である。そして今、「大東亜戦争の正体」(清水馨八郎著・祥伝社文庫)を読んでいる。氏は結局先の大戦で日本は勝ったのではないか、という見方を提言している。なぜなら、(事実上、侵略してきた西洋列強の彼ら=白人)「この戦争で白人たちはすべての植民地を失い」、「アジア・アフリカの植民地はすべて解放され、人種差別なき世界地図が実現した」から。これは、日本の大東亜のミッションが達成されたことと同じだ。歴史認識のコペルニクス的な、びっくりするとらえ方だ。一方で、東京裁判の呪縛から、日本人はどう解放されるのか、されないのか、先の見えない課題は山積のままだ。わたしは、日本はとてつもなく素晴らしい国だと思う。これを伝えることはわたしの仕事ではない、と言い放ってきたが、できることはすべきと考えを改めつつある。

■9/7 若手起業家の本音
聞く機会がとんと少ない人の本音。その本音というのが面白い。その道では今を時めくある若い起業家が「起業は割に合わない」と本音を語っている。また、そこに至る内心の葛藤が人一倍多く、その折に、どう心を整えるか真剣に悩んだらしい。そしてたどり着いた、というか実行した行動は「神社めぐり」だったという。科学(のようなもの)で解決できることはむしろ多くないと私も思う。心の仕舞い方、気持ちの置き所こそ、人生をかけて遜色ないほど、実は難しいんじゃないかと思っている。大げさに言えば命がけで心の収め方は学ばねばならない。ここが今の教育にはすとんと抜けている。

■9/6 ボリボリ参上
先週、季節外れで、俗にいうシロシメジにあやかったので、今年は少し異変だろうかと思っていた矢先、こちらの山では結構ちゃんとしたナラタケ(北海道弁で、ボリボリ)に出会った。これはノーマルな感じがする。年に一度はひとつひとつ山菜に出会い、各々いただくことで土地とのつながりを知る。懸案だった「保育ゾーンと未整理ゾーンの比較」のための看板を制作




■9/3 成熟社会の地方のライフスタイル
地域課題を解決するのは時間も人もお金も、そして知恵もいる。わたしの務める財団ではその一部を物心両面から支援するしくみを持っている。その一環で、昨日から道北の和寒(わっさむ)町にお邪魔した。今、自治体は豊かな地域を確立するために知恵比べしている。その原動力はまずは住民と自治体、民と官だ。この日は役場の担当者に象徴的な場所と施設を案内してもらってから、夜はここにUターンされたご夫妻が経営するユースホステルに泊まって話を伺い意見交換した。今日は地域づくり協力隊で来てここで地域ビジネスを始めた方と。勝ち組・負け組の価値観は、目下、成熟型のあるものに替わりつつあるのに、それがうまくまだ表現ができずにいて実態もみえない。泊まった塩狩ヒュッテは三浦綾子の「塩狩峠記念館」と向き合っていた。聖地のようなたたずまいである。

上;記念館  下:塩狩ヒュッテで研究会の面々とオーナー夫妻、そして鷹栖から
マッシャー村上京子さんとダニーさん



■9/1 明日から道北へ
新月がだんだん大きくなってきました。朝から晩まどまことに穏やかな快適な温度。その好天のおかげで、就寝前、幸運にも流れ星に連続して遭遇。珍しいこともあるものです。明日から2日、和寒へ行ってきます。人口3700人。

8/31 「パール判事の日本無罪論
」(田中正明著・小学館文庫)
国際法学者で、東京裁判の11人の判事の一人だったインド人のパール博士は、国際法によらず事後法によって行われたあの裁判を、戦勝国による「リンチと何ら変わらない復讐」と非難した。目からうろこの指摘の数々。今まで秘めてきた様々な疑問に対して、論理的に、ひとつずつ答えが見つかっていく。大東亜戦争につながる、教科書で習ってきた日本とは違うもう一つの日本が描かれている。それは自虐的だった日本の見方を希望につなぐほど画期的なことが含まれている。あの裁判の真の被害者は「法の真理」だという見識にほっとする。第1次大戦後、有色人種に対する白人による人種差別の撤廃を訴えてきた日本の見識も勇気ある先見であった。文庫本の帯には「ゆがんだ贖罪意識にメスを入れる不朽の名著」とある。まさに。



■8/30 札幌駅の隠れた名店「蕎麦紀行」
意外にファンがいるのが、札幌駅の改札口の構内にある「蕎麦紀行」。数日前の昼、ぶらりと寄ってみました。毎月、道内そば粉の産地を替えつつ道内の蕎麦めぐりができる趣向で、今月は洞爺村産。9月中旬からは幕別の予定とか。居ながらにして各地のそばを味わえるのはうれしいし、何より実においしい。この日は揚げたての甘海老のかきあげの冷やしおろし蕎麦、750円。お試しあれ。



■8/29 世界一おいしいサーモンは苫小牧沖のトキシラズ

あらためて、トキシラズはおいしいと思う。以前、漫画「おいしんぼ」の原作者・雁谷哲氏が世界で一番おいしいサーモンは?と聞かれて、「苫小牧沖のトキシラズ」と即答していたのには驚いた。知る人ぞ知る、である。苫小牧沖のマツカワ(タカノハガレイ)もそんな言われ方をされることがある。この夏はこのトキシラズを数回食する機会があったが、やはりちょっと幸せな気分になった。薄塩で脂ののりがほどほどで絶妙なバランス。そんな土地に自分は棲んでいるんだという妙な快感もあるから不思議だ。この沖のおおすけ(キングサーモン)も実においしいけれど、これはこのところお目にかかっていない。


2014年、日々の迷走   1

■8/28 60歳からの身体管理
健康管理と書こうとして「身体」に改めた。人生60年もすれば無傷、障害なしの健康なんてほとんどありえない。ひとつふたつ、あるいはそれ以上なんらかの不具合と付き合うのは当然である。先日、右奥の歯が欠けて頬の内側にあたってどうにも気になるので、反日、おっと、半日(反日の変換が多いの?)休みをとった。歯のS主治医は「頑張って(あの世に行くまで?)持ちこたえましょう」と励ます。人生後期の身体管理はまさにこれに尽きる。医者というのは、あくまで身体管理のパートナーであって、主体ではない。明け方、ストレッチをしながら、決まってゴリゴリに固まっている体の現実と向き合えば、おのずと身体という自然との付き合い方を知るようになる。身体だけでなく心も、というところが面白い。ケアが求められているのは、実は老人やあるいは「林」だけではない。俗に日頃の養生というやつだ。

■8/26 イザベラ・バードの勇払原野評
先日平取のアイヌ博物館にお邪魔した折にもらった資料に、わたしが感銘深く読んだ英国人、イザベラ・バードの記述がありました。彼女は「どこまで続くかわからないような、うねうねした砂地の草原が続く」としながら、勇払あたりについて「ここは、荒れ果てた淋しさにこれ以上先にはあるまいと思われるような、地の果てといった感じがする」。といいつつ、「もう一度来たい」と思うほど、この寂しい土地に魅せられたようだ。あるロシアの研究者は苫小牧から札幌へ向かう原野は退屈でしかたないといったのとは対照的だ。写真は、先週、わたしが歩いた胆振の自然海岸。バードはここを馬で平取に向かった。


■8/23 雨上がりにキノコ
土曜日の朝方豪雨となり8時ころようやくやんだ。おそらく林は蚊の猛攻があろうとメロウな覚悟をして出かけたのに、なんと、まったくいなかった。どういうことなのだろう。この年較差が実に面白い。気象が創るニッチだろうか。年格差といえば今日、キノコたちがバースト状態だった。昨年とは天地の差である。名前を覚える気はもうないが、その一斉に出る圧倒的な種の多様さはまるで大地のエネルギーである。発生してくる「気」のシャワーのようなものに打たれる。キノコも大喜びしている風だ。その一部をお見せしよう。左上はシロノハイイロシメジ。いつものは紅葉の頃に採取していたから2か月早い。風味を活かしてさっそくお吸い物とそうめんに。
   

   
 
   

      

   

  

  

■8/21 地元で広報
今年の「風」は地元みたいです。コモンズの新刊こそ、札幌ばかりで苫小牧ではまったく取り上げられることもなかったのですが、ハスカップのフォーラムの前後から地元の取材がチラホラ。今回、朝日新聞の「てくてくタウン7月号」に続いて、苫小牧民報のPR誌「みんなのとまこまい」にコモンズのフットパスが紹介されています。案の定、案内してほしいという人づての電話連絡が来ましたが、丁重にお断りしました。(-_-;)

■8/20 平取でアイヌ民族のコモンズを学ぶ
今年から、コモン・プール資源とアイヌ民族のコモンズにとり組もうと思っています。文献が多いわけではないので、その収集と並行して現地の研究者やアイヌの方に、あるテーマでヒアリングをさせてもらう予定でおりましたところ、今日、晴れて、先方のキーパーソンとこちらの顧問の先生の都合があって訪問がかないました。濃かった!!顧問のT先生は実は国の有識者懇談会で司馬遼太郎にレクをされた歴史学者で、このたび随行したのはフィンランドの北部にあるR大学に留学中の女性研究者、、案内役は役場の学芸員Yさんなど。いろいろな得難いキャストにお世話になりました。写真は、オキクルミが降臨したといわれるチャシ。世界のパワースポットという本で国内では平取が推されている理由が、今日はじめてわかった。本当に濃かった。感謝、合掌


■8/19 帯広舞台の名作漫画「銀の匙」12巻目
楽しみにしている漫画がお盆過ぎに出ました。実は教育とソーシャル・キャピタルの課題を解くための資料でして、師弟同行、寮生活など北海道の実践教育で重視された「よいところ」が余すところなくちりばめられています。農業の実践教育の文献と併せ読むと実に心地よく心に入り込む。いずれ帯広農業高校にヒアリングに行きたいと思っています。ただ還暦を過ぎてから電車でマンガ読むのはちょっと抵抗がありました。さすが12巻目ともなると、慣れました。おすすめです。


■8/17 フィールドをプチ観光

盆の16日は24℃、苫東で休日を過ごす「苫東休暇」。NPOができたてのころ、フィールドになじんでもらう意味も込めて毎月1回はこんな名前でドライブしていました。今日は家内と二人。旅人気分でみると、道端の雑草も少し違って見えるから不思議だ。蚊がいない雑木林は、まことに快適で、小屋の雑木帳のひとこと「快適」としたためる。あずましい。


■8/15 護国神社へ
終戦の日はいつもどおり仕事で札幌。そそくさとおにぎりの昼食を終えて地下鉄・幌平橋駅の護国神社へ直行&往復。初めて参拝をしてきました。


■8/14 国産ワイン
自宅の夕食時に少量のワインをいただくのはささやかなぜいたくでありますが、このところは、たまのお祝い時などに、定番のチリ、南アフリカ、豪の手ごろなワインに交じって、ジャーン、国産のワインに手を出す時があります。昨年、山梨のある懇親会でいただいてからちょっと火がつきました。道内はトカップ(主として通勤電車で)はもちろん、富良野や浦臼、空知に新設の各ワイナリー、道南のゆーらっぷ、そして先日は郷里山形のhanagasaシャルドネなど。そして今日はお土産にもらったシャトー十勝2008。最初は酸味が目立ち、空気に触れているうちにやがてマイルドになっていくのがわかります。農産物問題は実はこうやってしのぐのかも。「多少高くても安全で安心でおいしいものしか求めない」。でもやはりぜいたく。


■8/14 69回目の終戦記念日を前に
還暦を過ぎてからの歴史の勉強は、難しい論文などはパスです。自分のアイデンテティの必要性に迫られての勉強ですが、ひとつひとつ、いい年こいての驚きです。『子々孫々に語り継ぎたい日本の歴史』」など、米国の war guilt information program にどっぷりつかって来ただろうわたしには、目新しいことばかり。マッカーサーが昭和26年ころ、アメリカ議会の上院の軍事外交合同委員会という公の場で日本の侵略戦争を取り消していることも、そのひとつ。まさにもっと公にしてこなければいけないことでした。これも近年の情報公開のおかげ。これからゾロゾロ続くはず。だけど時すでに遅すぎないか。で、マッカーサー発言のその重要な下りは下記。
 Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.
 (訳)あれは侵略戦争ではなかった。日本が戦争を始めたのは主としてセキュリティのためであった、
     安全保障(自衛)のために行われた・・・


日本の平和主義は他人任せの贅沢と無責任だった。これからこの微妙な舵きりはできるのか。・・・困難でも、しなければならないでしょう。東京裁判の欺瞞と罪をかみしめつつ間もなくあと数時間で69回目の終戦記念の日を迎えます。


■8/11 続々・地域SNS(実験レポートをアップ)

満8年目にして終盤に差し掛かったSNSのレポート2編を読み返してみましたところ、「どっとねっと」という地域SNSが、その時々の地域課題、社会課題にたいして集合知を提示しているのに気付きました。それで私がかかわったほかのレポートと扱いを同じくしてトップページに引き出すことにしました。提示場所は左最下段「人のつながり」で、リンク元は一般財団法人北海道開発協会のホームページ。地味ですが結構いい仕事だったような気がしてきました。国際大学GLOCOMのS准教授に、どこでもやっていない分析だ、と評価されたのは忘れがたいちょっとした自慢。(^_-)☆ 人知れず参加者500人を超えた盛衰。ネット荒らしも事件も普通にあった、不思議な管理体験。もうそんなことはないでしょう。
 
域SNSの実験レポート↓
● 「どっとねっと」の軌跡Ⅰ  手応え豊かな地域コミュニティ創造のために
●「どっとねっと」の軌跡Ⅱ 
“どっとねっと”は「つながり」と「集合知」を形成できたのか


■8/09 若者に理想とする都市近郊林について聞いた

(写真=ミュンヘン市内の公園の早朝) 

20歳前後の若者40名に理想とする都市林あるいは都市近郊林のイメージを聞いてみた。夏休み前の課題提出である。都市近郊林としては知る人ぞ知る北大苫小牧研究林(旧・演習林)を訪れたことのあるものは、なんと、ゼロだったから、所詮、身近な緑の実体験は多くないはず、とは思う。しかし、緑への視線は行間に意外にしっかりしたものが見て取れ、背後には幼いころから親しんだ出身地元での触れ合いもほの見えた。身近なところに、行きたくなる、日常的な林があればどんなにいいだろう。


■8/09 潮目がかわる

小室直樹氏の憲法概論を軸にして近現代史を紐解くと目からうろこの日々である。ヘンリー・ストークス氏の「英国人記者がみた連合国戦勝史観の虚妄」の問いかけも強烈だった。米国による、日本人に戦争犯罪の意識を刷り込む情報宣伝計画 war guilt information programはわたしにも見事に効いているからか、教えられたくびきから逃れるのに一跨せねばならない。
 折しも、朝日新聞は32年前にリリースして日本が世界から批判されるようになった従軍慰安婦問題の根拠となる記事が、実はねつ造であったことを認めた(8/5&6)。こうした状況を容認してきた日本は自ら厳しく反省しなくてはならないが、ようやく反転の潮目がみえてきたのだろうか。


■8/09 続・地域SNSのゆく方
SNSとは実は社会的につながりを復元する救世主の一つとみなしていたものである。運営してきた地域SNSが満8年目に入ろうとする今、いろいろなSNSに分散した人たちからささやかなラブコールも聞こえる。ほんと、ささやかであり、躯体は一見、すでに遅しの復元不能、消滅寸前のアクティビティに見えている。そのあたりをBBS(掲示板)で振り返った。
(現場活動のお盆休みはかくもいろいろなことができるという見本のような一日。とはいえ、半日はホームページのリンクの不具合の復旧に費やした。もったいないがしかたない。(-_-;)


■8/06 SNSのゆく方 8/8 悪文を訂正
(まつをさんのホームページに共感して書きます。) facebookに代表される新型SNSもそろそろ飽きがきて、旧型の部類に入り始めるのではないでしょうか。とっておきネタやトピックを出し合い見せ合う世界に対して、もともと冷めている人も少なからずいて、いわゆる市場へPRする必要がない人も、そもそも入り込まなかった。
 一方ではかつてのmixiI型地域SNSのうち、自治体などが運営していたものは終わり始めた。つまり潰れ続けている。地域のコミュニケーションは満足できる状態ではないのに、ツールだけが進化して、挙句、ICTによるコミュニケーションの機会は減るかもしれない。エラク、面倒になってきた。で、わたしが多用することになっているのは、シンプルな、あのメール。いずれ、この辺ははっきり整理して振り返っておきたい。回帰する可能性だってある。


■8/03 ハスカップのフォーラムの記録

5月31日のコモンズフォーラムの記録をアップしました。ひとつは、朝日新聞のミニコミ誌「てくてくタウン7月号」。トップにハスカップのこととフォーラムのねらいなどがまとめられています。二つ目は北海道開発協会の広報誌「開発こうほう」8月号。ここには5pにわたってサマリーが掲載されています。3つ目はフォーラムのほぼ全文記録。同じく財団のホームページにリンクしてあります。

■8/02 真夏のカムイ・ミンタラ
北海道でも夏本番だというその日に、雑木林の刈り払いに赴いた面々は4人。で、さすが8月。きしむような夏の光景だけど、そのひとときにカムイ・ミンタラと出会える幸せ。  
 

■8/01 八月の声
ただ、オロオロ、ウロウロして日々のよしなしごとを片づけている間に、日は過ぎてもうmid-summer。ということはもうすぐ秋がきてストーブシーズンが来る。日々のその繰り返しに、しかし後悔することなかれ。精いっぱいの日々の営みにこそ、人の道があり意味がある。おもえば、わたしたちの身の回りはそのような啓示とヒントに満ち溢れている。国内各地で発生するこころと精神にかかわる事件には、社会を構成する大人個人の立ち位置も問われている。 合掌

■7/28
あいさつとメッセージ発信
今、1700人におよぶ全道11校の高校生に回答してもらったアンケート結果を、研究会で議論しながら、コツコツ、分析している。その末尾の自由記述を見て気づいたのは「あいさつ」の意味。あいさつがうまくいっている生徒は地域とのつながりをめざして行くのに比べ、あいさつの取り交わしに躓いてしまうとメッセージ発信が滞るようにも見える。地域を悪しざまに評価する。たかが、「おはよう」のあいさつだ。
 もうひとつ顕著なのは地元志向。若い人たちが、中央志向でなく地域に居住することを望むなら、地域には、やりようによって地方の時代を設計できることを、もういちど考え直すべきだ。ピュアな若人の素顔と声を感じて、実は希望に似たものも覚えている。


■7/25 赤ちゃんたちの広場


ゆうべ遅く、遠浅のYさんからこんなメール↓をいただいた。おのおの、動く時間帯が違うから窺い知れないけれど、こんな日常も今は展開されていることを初めて知りました。実はそうして欲しかったことそのものでした。土地オーナーもNPOもひとつながりとなって小さな社会貢献になっている、という構図に見えます。メッセージの発信はかくも人をつなぐ。

> いつも大島山林での活動ありがとうございます
> 今年は、アイリスタウンの住民も採草地を利用させてもらい
> 風景を楽しませて頂いております。
>Aさんの家の前は子ども連れのお母さん方の憩いの場になっています。
> こんな素敵な風景を子どもたちと共有できるのも
> NPOの皆さんのおかげだと思っております。


■7/23 人間の成長とは何だろう
昨夜は思い切りカタイ勉強をしました。「アイヌ民族の法的立場」。法学部の先生から受ける講義です。近代国民国家とは何か、社会契約論、日本国憲法、と続きます。これでウォーミングアップしてから来週、近代以降のアイヌ政策、アイヌ民族の法的立場へつながる予定ですが、実に興味深い話の進め方だった。わたしの個人的なテーマは北欧と,アイヌの土地所有とコモンズ感覚。聴講の意図はここにあります。
 折しも、通勤電車で小室直樹著「日本人のための憲法原論」を読んでいたさなかだから、タイミングとしてこの上ない予習になっていたのでした。半世紀近く前の学生時は、あんなに関心が薄く眠りつつ聞いた憲法概論が、62歳の今は目をらんらんとして伺う。そして質問したいことがいっぱいだ。これが人間としての成長なのか、幅なのか。
 人は老いるにつれ知的な好奇心は高まる。この高まりと肉体の衰え。交差する両者を大いに意識せざるを得ないこのごろ。


■7/21 すべての田園はリゾートの可能性を持っている
子供が小さかった時、よく柏原フットパスに子供を連れていき放し飼いにした。親二人も椅子に座ってのんびり休日を過ごせた。そのころフランスの田舎でも、同じような牧草地の木陰で、読書する老夫婦を見かけた。絵になるのはもちろん、休み方の先進地はさすがだと思った。おとといの柏原、今日の大島山林(写真)、いずれもまるでリゾートである。内緒にしておこう。


■7/20 このところ、すっかりハスカップづいている

NPOの恒例のハスカップ摘み30名が集まった。例年になく成熟のピークが早く、数日前には収穫は悲観的になったのだが、いざ、ふたを開いてみると、意外にも底堅いものがあった。粒は小さいが右上の写真のような房もあった。下の栽培農家のそれと構図が似ている。
 午後、フットパスの取材を受けるため、3か所のフットパスヤードを駆け足で廻った。


7/16 やはり、ハスカップ新時代が来るかもしれない、来てほしい
Common-Pool Resources HASKAPの現地研究会。十分な条件を与えると、ハスカップはかくもたわわに育つ。原野はもう実が落ちているのに、山口ファーム@厚真のハスカップはシーズン最後とは思えない実なりだった。容器の中央がGene pool わが勇払原野産で、左右が栽培もの。今回、選抜された2品種を食べ比べハスカップの底ヂカラを知りました。tasikani
ブルーベリーどころではない。先日は洞爺のWホテルの支配人が来てジビエのソースの逸材として絶賛していったらしい。「ハスカップ新時代」は本当に来るかも。昼は、定番「そば哲」。北大小磯教授、公共政策大学院の留学生、韓国江原大学教授などと。





■7/14 勇払原野コモンプール資源 yufutu common-pool resources

ハスカップを北海道遺産に申請してはどうかと考えていましたが、先週、NPO北海道遺産協議会からあらたな北海道遺産の追加の予定は今のところない、との総会決定の連絡をもらいました。考えてみると、「遺産」という概念はもともとハスカップのこれからに合致しておらず、別のアプローチも模索していた側としては、ある意味、ちょっとホッとしました。
 既存の枠組みから離れた独自の位置づけを、たとえば上記のような淡々としたものにしておいて、いつか、手ごろな合意にまとまればいいのかなと思った次第。むしろ、ハスカップの市民の記憶を保存しておく方が先。実はこれも一仕事。意欲的に取り組める同志は、なかなかいないだろうなあ。(-_-;)

■7/14 勇払原野コモンプール資源 yufutu common-pool resources

ハスカップを北海道遺産に申請してはどうかと考えていましたが、先週、NPO北海道遺産協議会からあらたな北海道遺産の追加の予定は今のところない、との総会決定の連絡をもらいました。考えてみると、「遺産」という概念はもともとハスカップのこれからに合致しておらず、別のアプローチも模索していた側としては、ある意味、ちょっとホッとしました。
 既存の枠組みから離れた独自の位置づけを、たとえば上記のような淡々としたものにしておいて、いつか、手ごろな合意にまとまればいいのかなと思った次第。むしろ、ハスカップの市民の記憶を保存しておく方が先。実はこれも一仕事。意欲的に取り組める同志は、なかなかいないだろうなあ。(-_-;)


■7/13 たまのイベントか日常活動か

先日、コモンズの土地のオーナーである役員の方が柏原フットパスに行って迷子になったという話を直接聞いた。刈り払いが遅れ気味であったため、今季必要なサインの修復やルートの刈り払いがまだ行われていなかったのが原因だ。実は6月があっという間に過ぎたのだ。なにかと多様な用事がやってくる。あと1、2週間遅く歩いてくれたら問題はなかったのにと大いに悔やまれた。このことが示唆するように、月に1回ほどのイベントをやる活動なら世話は要らないけれど、保全と利用管理はそうはいかない。はびこる雑草や植生と、本来、日々戦わざるを得ない。「週末日常」(わたしの造語)として、働くことを喜びと思えない人にはなかなか続かない作業だ。そして誰もほめてなどくれなくてもぶれずに黙々とやれる図太さも必要だ。醍醐味でもある。



■7/12 地域で活動する方々の発表を聞く
金曜日の午後、勤務する財団で、地域活性化活動として助成した全道各地の6団体から25年度の活動報告を受ける発表会を開いた。財団の助成が地域活動の立ち上げで非常に大きな支えになったことが縷々話されて、大きな喜びを覚えた。苫東コモンズの立場に置き換えても、これまでの活動が、助成や寄付や団体会費で応援してくれた支援者あってのことと感謝せずにはおれない。

 主催者として冒頭のあいさつと最後の意見交換の司会を務めたのだが、各地のプレーヤーの表情からもパワーが伝わってきた。行政側からは「なぜこのようなエネルギッシュな活動を継続できるのか」という質問が出て、地域の担い手である参加者からは異口同音に「これをしたい、という動機、意志だ」「そして基本は集まりではないか」という返答が出された。今や、社会の隙間を埋める地域の活動はこのような熟度になっている。世の中は変わった。


■7/11 林と自己受容
高専の授業はここ2回、「雑木林と里山保全」をテーマにしている。学生はなんやら怪訝そうだが、11日はそのケゲンついでに林の中で起こるリラックスと自己受容について話した。なぜ、環境生態学を糸口にして、生物多様性、ミチゲーション、開発と自然保護、里山、そしてこんな宗教っぽい話や精神医療みたいなことになるのか、流れはずっと繰り返し伝えてきたが、うまくメッセージが届いたかあまり自信がない。いよいよ、なぜ今コモンズか、の話を今後2,3回して9月に終わる。わたしによって16回は長い。

 ところで、自己受容にも少し関連するが、ポケットに忍ばせて本当の自分と相談する「万能えくぼ」
(1月25日の雑木林だより参照) がやっと手元に届いた。ポケットに入れて持ち歩いている。石に比べ軽いのは難点だが、ポケット用と割り切れば、軽いのは助かる。


■7/9 アジサイの「気」

アジサイの発する「気」にはいつも驚かされる。今日の昼飯時に通った沿道の植えこみだけど、手をかざすとそこにわたしは気を感じる。この強い生命力というのか、感化する力の意味を、よくわかっていないけれども、高い山や大木と向き合った時とどこか通じるものをわたしはアジサイというものに感じてきた。山などに比べ、ただコンパクトなだけだ。いよいよ夏だな、と思う。

■7/6 ヒグマと隣り合わせの自然

週末の遅い午後、今季初めてフライロッドを振った。ヒグマのにおい濃厚な隣町のエリアだが、こういう恐れがないと、自然と向き合った気がしない。クマスプレーを腰に下げて、でも、この緊張がクセになる。いつもはヤマメなのに、この日に限ってイワナだった。


■7/5 選択的除草
チェンソーを刈り払い機に持ち替えて、これからはもっぱら雑草の刈り払いに励む。小屋周りは手自然風に仕上げるのを旨とし、おかげでいろいろな生き物が育つ、あるいは集う環境になってきた。雑草に優劣をつけるわけではないが、珍しくてただ刈ってしまうのは惜しい、あるいは気になるものは残したいのがヒトの心理。そこで始まるのが「選択的除草」だ。
 

■7/2 早朝ヨガ
久々の好天だったので早朝5時前の務めはベランダでしました。庭のわずかなコンテナはまったくもりもりにならずに、ベランダの手すりに這わせようと用意したアイビー・ゼラニウムなど、さっぱり。しかし、やっと霧は抜け出した感じ。夕方、札幌からの帰宅時、電車の事故によるダイヤの乱れに巻き込まれて、やっとたどり着いた駅からのタクシーの窓から、意外や意外、新月が西北西の低みに。これにはちょっと溜飲を下げました。同じ季節なんてなくて、毎年毎年、一喜一憂。

■6/28 霧の市民大学講座
フィールドの雑木林に市民大学講座の一行が参集、2時間の講義をした。林内の散歩つき。自分が培ってきた考えを、地元の方々にお話しするチャンスというのは得難いもので、遠慮のいらない質疑も圧巻。昨年から担当している苫小牧高専の講義とは人生の幅の点でそこが違う。熱心に耳を傾ける感性豊かな女性が多いのは人を饒舌にする。話は脱線、寄り道の連続だった。


6/26 マジックアワー
7時前のマジックアワーにはJRの上り線にいました。光線の妙味というのだろう何でもない厚別周辺の川べりの雑草群落が、実に輝いていました。ちなみにドイツ人はこの夕暮れ時が世界一大好きなようですが、釣りをしていると、ベストの時間帯はこのtwilight まずめ時であることは常識で、マスたちが狂喜する様は何度か見ました。それはまさに人や生き物を狂喜させる魂を歓喜させるマジック。残念ながら、まだそこにコミットしたものは寡聞にして多くは知らず。


■6/22 白老研修会
年に一回の研修会を今年は隣のまち、白老で。堀尾さんの、20年近くに及ぶカスタマイズ、手自然の林のモデルと言えます。そこで出会ったイヤシロチ。


■6/20 ハスカップのフォーラムの記事

先月末のハスカップをメインにした
フォーラムの地元紙の記事・苫小牧民報 & 北海道新聞をアップしました。地域で共有するなんでもないものを「コモン・プール資源」と呼んで、将来を占うという企画はどこかチンプンカンプンなところもあったようです。でも、川下の消費側から川上の保全まで、関係者が一緒にハスカップを語るというのは、これまでなかった出会いだといわれました。そこで大問題。大事なものは住民にさらすのか、隠すのか。もしハスカップ・サンクチュアリがポピュラーになれば心配しなければならないのが、原野火災と行方不明。資源と公開は様々なリスク管理と準備がもとめられて生きます。

■6/18 落語に笑う
勤務の後、落語を聞く。三遊亭好楽、桂雀々、三遊亭圓楽のそれぞれの軽妙な語りに終始笑わされた。周りを見ると高齢者が多いが中年前後の女性も少なくない。妙なことに、周りの男性の高齢者は前半ほとんど笑っていないように見えた。じっと固まってみつめているのだ。女性たちが相好を崩して笑うのと、ものすごく対照的だった。でも、後半では隣の75歳くらいの男性は声を出して笑った。わたしが雑木林でPOMS(profile of mood state)という調査をやった時、男性は林を歩く前と後で気分変化がなく、女性と対照をなしたのと似ている。情緒と感性は曇らせたくないが、ジェンダー差はどうもあるのではないか。緊張から弛緩、リラックスからテンション、この行ったり来たりを自在にしたい。

■6/14 薪の商い
いよいよ、保育間伐の総仕上げ、「薪の配達」。今年は札幌と江別に、2トンのロングトラックで1台ずつ運んだ。ロングにコンパネで壁を作って、その中にちょうど1年分の薪(平均)が収まる。ブルーシートで保管した小屋の薪と屋根の下のものを比べると、見た目は小屋のものがよいから、小屋建設を企画した意味はやはりあったと思う。


■6/13 「山の人」の集い
札幌ウッディーズの重鎮と一献したのは昨夜だった。それぞれのかかわってきた地方と郷土のことだけでも、もう大半の時間が過ぎた感じだった。というのも3人に共通するのは、山仕事のほかには「山形」だったからだ。お二人が私の郷里・山形に縁があったのである。そのあと社会一般や歴史の話に迂回し、やがてもう一つの共有の関心事「山仕事」の話に戻った。


■6/11 人の心は泥水である
「泥水はずっとかき混ぜていても泥水だけど、どこかに5分でも置いておけば水と泥が分かれる」。臨済宗のある住職の言葉で目をひいた(文芸春秋7月号)。禅の教えとして紹介されたが、ヨガの瞑想の極意とつながる。わたしたちのこころは、たしかにその時々の状況で揺れ動き、本当の自分と向き合うなどということはまずないのが普通だ。この言葉は言いえて妙と共感すると同時に禅の妙義、「心身脱落」を思い出した。ほぼ同義か。日々の心の条件反射がわれわれの「こころ」の本体であり、それは自分そのものではない。仮面のようなもの、と心理学の泰斗は看破した。とらわれのない、「自ら」。人には本来、揺れ動かない自分が備わっている。そこに日々にたどり着いていられるか、修行のこころがけで一日のほんの数分であっても、と語りかけられている。

■6/9 ”カトチャン、ペ
「鶴瓶に乾杯」に往年のお笑いスターである加藤茶氏が出ていた。闘病中らしく、表情の反応の素早さが影をひそめ、かく舌も落ち、全体としてカトチャンも歳とった、と思った。そこに、共感もあり鶴瓶のフォローもよかった。年寄扱いせず、ズケズケといいつつ、いたわる気遣いも見える。なかなかいいコンビだった。

■6/7 ミドリちゃん
午前中は精鋭?3人でハスカップ調査。ハスカップ・サンクチュアリの調査エリアをもう一つ増やした。ハスカップの群生地の真ん中で、形のいい、シンボルにしたい古株を見つけた。ベニバナヒョウタンボクの実生の若木もたくさん見つけた。そこは何の木か判別できないものが何本も枯れているところだった。次のステージへの移行途次のある種のギャップのひとつか。話は飛ぶけれども、現場に行く前、わたしは小屋に資材をとりに行った。その小屋の裏でここに住み着いているミドリちゃん(青大将)と出会った。丸々とした太い胴はなにかをたべたあとなのか。ミドリちゃんは、後ろのわたしを振り返り、じっと見ていた。デジカメのズームをアップして顔をみると、なんと、可愛い。ムツゴロウのようにあどけない。そうか、顔と言えばふつうは正面からみるものだ。初めて向き合ってお顔を拝見したが、これだったんだ~と驚いた。縦長の楕円のお目目、漫画の主人公みたいだ。


■6/7 パソコン入れ替えが楽になった
このたび、ハードのタワーだけ入れ替えてみた。もう、PCの立ち上がり時間、ホームページの画像変換速度など、やや限界に近かったから。で、どうだったか。①非常にスムーズにできた②その理由は、供給側の改良に負うところ大.。ユーザーたるわたしのスキルはなんらアップしていないから③結論、使いやすくなった=メッセージで送られてくる手順に従っているといつのまにかゴールに近づく。ユーザーはそんな手順書があればITCが使えるようになる、、、今回初めてそんな感じがした。ユーザーへのサービス、ケアがなにか真剣に考えられているビジネスというものに思いをいたした。

6/4 「アイヌを学ぶ」公開セミナーとコモンズ
昨夜から、北大のアイヌ・先住民研究センターが主催する「アイヌを学ぶ」公開セミナーに参加。7/29までの9回シリーズだ。1回目は北原次郎太氏のアイヌの宗教観に関する1時間半だった。大体、既知のイメージに沿ったものであったにもかかわらず、終ってみるとぐんと近くなった気がした。樺太アイヌを先祖に持つ40歳前後の氏が、アイヌ語を織り交ぜながら、穏やかでやさしい語り方で、アイデンテティあふれる話をしたせいだろう。わたしはこの講座で足慣らしをして、アイヌの土地所有、つまりコモンズ的感覚、領域を学んでみたいと思っている。電車の中で、いろいろな思いを馳せつつサンドイッチを食べながらビールを飲むというのも楽しいもの。

■5/31ハスカップの新時代を考える
当NPOとコモンズ研究会が共催で4回目のコモンズフォーラムを開催した。これまでのフォーラムはコモンズの概念やNPOの考え方を地元苫小牧で広報する催しだったが、今回は具体的にハスカップをテーマにした。コモンプール資源と呼んで、ハスカップの新しい船出を目指そうというもの。これは先の新刊で提言したハスカップ・イニシアチブのフォローでもある。


 コモン・プール資源CPRsという意味を、もう一度ハスカップにあてはめて考えてみる必要がやっぱりあるのではないか。わたしは提言の最後に、ハスカップ・イニシアチブに立ち上がろうという提言を控えめにした。ひとつは、「北海道遺産への登録」、ふたつ目は、「ハスカップと市民の交流を記録にとどめるエッセー集『ハスカップとわたし』の編纂と出版」、みっつ目は「ハスカップ保全を専門にカバーするNPOなどの立ち上げ」である。これは開発と自然保護の拮抗の呪縛からハスカップを解放して、ポジティブなシンボルに代えていく地味な活動である。そこに、ハスカップと苫小牧のアイデンテティを再確認するきっかけがうまれるのではないか。

■5/28 地域活動の評価
官学の有識者と地域のNPO等への助成活動の選考に加わった。普段は助成元から評価されるの対象の身だが、年に1,2回、立場が逆転する。もちろん申請内容や熟度はマチマチだけれどもここ10年を振り返ると、申請の中身から、北海道の抱える地域の課題と傾向があぶりだされて来るから、とても勉強になる。はっきりしていることは、すべてが行政頼みだったのが、社会のすき間を住民自らが埋めていこうというながれに移行してきたことだ。新しく出来上がりつつあるまさに公的な側面をもつ担い手であり、道内の各々の場で実にさまざまな活動が行われているコトが手に取るようにわかる。
 ただ、プレゼンするテクニックというのはまちまちだ。昨年、ある国際学会で米国の学識経験者とジャーナリストの惚れ惚れとするプレゼンを聞いた時に、自分がいかにひとりよがりの表現と技法を使っていたかを知り、赤面したのを思い出した。相手を動かすことのできる提言、姿勢。今年も襟を正すいい機会になった。

■5/25 危険枝を落とす
大島山林の手入れを始めてから作業路をフットパスとして利用する町内の人も増えた。その一方で頭上の危険な枝も気になっていた。懸案のドロノキとコナラの危険枝を、abeさんのネットワークを通じて札幌のTさんにお願いして来てもらった。大木にはつい人は集うが、その大木は枯れた枝を必ず持っている。いわば、危険枝の管理は、人と林の付き合いの保険みたいなものだ。NPOがその責任感を持つというのは、背景にローカル・コモンズの「信託」という腹積もりがある。折りしも、苫東の雑木林は新緑を宣言していた。
 
(左)コナラの枯れ枝を落とす (右)ドロノキの枯れ枝を15mの高さで手鋸で落とす

■5/24 人が棲める風景
今日は、勇払原野と呼ばれてきた中心部で、簡単な植生の調査をしてきました。植生は環境に応じて遷移していくわけですが、地質年代で言う歴史の浅い当原野は、今遷移の真っ只中で、そこに地域のコモン・プール資源「ハスカップ」があると理解されます。で、そのハスカップが自生する原野は人がほとんど寄りつかない、取り残されたような場所である半面で、生物多様性の宝庫になっています。
 しかし「生物多様性」重視はほとんど概念の世界ではないか、人々の共生のフィールドとはちょっと違うというのがわたしの考えです。基本、人々の本音は自然との共生など望んではいないはずです。実際、聞こえのいい自然との共生なんか、できないと思います。雑木林と小屋におけるちょっとした共生真似事でも、想像以上の事件があります。
 今日、原野の素顔である風景を歩きながら、逆に、人が生きられる風景というものに思いをいたしました。里山風景。この意味は意外と深いけれども、社会ではほぼ観念の世界になっている。そこは実はゆるやかなグラデーションになっているのではないか。
 
例年、5月25日は、新緑と認識される平年日だ。人の手の入った「手自然」あるいは「半自然」。それこそ架け橋ではないのか。

■5/21 欧州と見まごう森の何故
通勤風景は春の深まりを告げています。今日の帰宅時、北広島から南進する千歳線沿線風景を見ながら、きわめて欧州の緑に近い見え方だということを発見しました。春のこの時期だけの特別。それは、奇しくも生え揃った草丈、延びすぎていない潅木などによっているのではないか。つまり、欧州の自然景観の美しさの原理は、植生の暴れない単純さにあるということです。その点で千歳線沿線の風景の評価は、今こそunder control 状態と言っていいかも知れない。もうすぐ植生は奔放に伸び、繁茂し、時にアバレルように見える。しかしそこには自ずと節度があって、おのおのの自然体。それがここの自然。通勤電車はリゾートのようになります。
*画像は南ドイツのフットパス。医者の処方箋に基づいて保養客は森と田園を散策する。植生はいずこもunder control。


■5/19 セミナーにて地域力に思う
午後、さっぽろ駅そばでセミナーがあって参加。講師は京都大学の都市社会工学が専門のK教授。人口減少社会の地域政策がテーマだった。が、かなり柔らかい話をされて、結局、地域で仕事を起こすには地域力と工夫がいる、その源はソーシャル・キャピタルだと思う、という、わたしの関係する研究会がたどったと同じような検討過程を語った。わたしたちはすでに『これからの選択 ソーシャルキャピタル』(5章、6章を担当)という本にまとめている。教授も、地域に住む人たちの、信頼関係、お互い様の気持ちの助け合い、ネットワークなどが地域力の資源、宝だというわけである。その表れが小さな集まり、町内会でもPTAでもNPOなどのボランティアでもいい。パットナムがいうアソシエーション。そのモトは家族かもしれないなどと、帰りの電車でいろいろ思いを馳せた。目の前の現実と真摯に向き合い、工夫し、関係作りを惜しまない、これがスタートであり、それを喜びとできないと、地方で住めない。都会ではなく地方こそ住む場所だ、という悟りにいたらなければ人口減少社会の処方は見えてこないのではないか。これがえらく難しい。

■5/17 山菜の楽しみ
原野におけるハスカップの枯死状態を調べる準備作業のあと、場所を移してスドキという胆振以南に特有の山菜採りにいそしんだ。春の山菜、夏の果実、秋のキノコに関わらず、わたしには基本的に「ついで」であり、あれば食べられる分だけ採る。今日はスドキのほかのもうひとつの目玉山菜「コシアブラ」は見つからなかったけれども、家人が出かけたあとの一人の食卓を独占した。メインはスドキのおひたし(塩)、フキの炒め物、アズキナのおひたし、このほか、ヨモギ、アイヌネギ、コゴミ、ミツバ4種の天ぷらを揚げた。特にアイヌネギはふだん家人がパスするので久々の独り饗宴だった。その年の土からの恵みを今年もまたいただく「土を喰らう」幸運に、合掌。


■5/16 日本の強さはどこにあるのか
文芸春秋6月号はabe総理の「保守」度合いについて100名以上の識者、著名人の意見を連ねた。思想家の東浩紀(あずまひろき)が日本のいい加減さについてこんな風に言っている。「・・・日本は古来、開かれた国家だった。古代には大陸と半島の文明を、近代にはヨーロッパの文明を、教師役の外国人とともに貪欲に受け入れ、その咀嚼をつうじ進歩を積み上げてきた国家だった。その開放性をささえてきたのが、日本社会独特の寛容さ、ひらたく言えば「いい加減さ」である。この国では神仏は集合され、言葉は漢字仮名交じりで表記される。戦争で負けても天皇は残る。・・・異物を排除し「純粋」で「きれい」な日本を作ろうという感性、それは日本の伝統からもっとも遠いもの」だというのである。

 だから、セイヨウの統一した町並み、整然とした装いなどとは別に、効率、便利指向のごっちゃな環境はスンナリ受け入れられるということだろう。それとわたしは日本人は実在するかしないかは別にして心のオアシスとしての理想郷「カムイミンタラ」を持っていると思う。だから多少の猥雑さなんかいともたやすく我慢できてしまう、のではないか。大勢の識者の意見、読み応えタップリだった。
■5/14 懐かしい「ウトナイと里山のドキュメント」
facebookにこんな懐かしいダイジェストが登場していましたので改めてクローズアップ。わたしたちが大好きなB級自然「勇払原野」を扱ったドキュメンタリーで、製作は若き北川陽稔さん。どこからほりあげられたか、4年前の作品で、後半に草苅が林を語っています。すっかり忘れていました。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=thaHAIogOtY

■5/13 サンデル教授と日中韓問題
おとといの夜、BSでマイケル・サンデル教授の白熱教室「日中韓の未来の話をしよう」を見た。戦争に勝った国と負けた国では歴史の描き方が違うこと、国や政府の描く歴史がすべてではないこと、などが浮かび上がる。やや危ういくらいに自由に話す彼ら学生の議論を聞きつつ、国家と個人をわきまえた雰囲気もかいで、若い層ではあるいは今より共有する世界が持てるのかも知れない、次世代に託すことも方策だとふと思った。しかしお互いの間の情報、知識はwebの世界でもまだまだだということも露呈した。20代の政治に関する関心が高く保守の支持率が高いという報道があるけれども、ネットで見ると上位にここが出ている。そのほかずっと検索を続けても、夜は更けるばかりになりそうで途中で断念。

■5/10 サクラの木の下で
今日も延々と薪を割りました。読めてきた生産量は16棚、ちょうど8軒の薪ストーブ燃料にあたりますが、薪小屋作りにまい進した今年は、こんなものかも知れません。割り方に徹していると、何もかも忘れますが、エンジュのマメくさい匂いにはっとしました。


■5/8 地域活動の後継者
前にも書いた記憶がありますが、NPOにはとても多くのアンケートが届いていまして、その中に「貴団体の悩みは?」という設問があり、選択肢に「予算」と「後継者」が浮き彫りだった。いずれも大した事ではないと思っていたので「悩みはない」と答えていたところ、ある著名な助成企業から「そういった(悩みがない)NPOはもうすぐ潰れるだろう」と予言されて、3,4年たつ。そしてなんとか好調だ。実は後継のことを考えていては、ことを起こせないから、まずは自分のモチベーションだけを頼りに起こすのだ。恐らく、同じテンションでモチベーションを持てる人はいないだろうと確信しつつ、そろりと立ち上げる。地域活動というのは、その団体が廃業してもそれはそれでいいのではないか。無責任だが、それでもやらないよりずっといいのではないか。
 実は北海道でも全国的にもとてもスーパーなNPOのかたから後継者については悲観的なことをお聞きした。有名な貴会ですら?と驚きを隠せなかったけれど、基本は一緒。初代、2代目が泣きながら退場するのをみて動機を得る人だっている。それに、世は、リアルなつきあいの充実に目覚め始めている。高邁な遠い話より、今&手仕事。手仕事こそ充実。目前の課題達成こと生きがい。この手仕事に気づかないと、若者の地域への傾斜はないかもしれないし、いい大人が成熟がなく無理解な土地は後継者は育っていかないだろうと思う。目前のひとつひとつの課題解決こそ生きがいなのだ。

■5/6 ありがたい「経理のわかる人、できる人」
NPOや地域ビジネスなど「新たな公」が求められている昨今、裏事情として実は経理や損益計算のできるプロが大幅に不足しているのが現状のようだ。かつてなら、手堅いビジネスの大黒柱として陰に「拓銀」や道銀のOBや出向者がいたものだ。吹けば飛ぶような当NPOも官庁への事業報告の時期が来て、経理を担当してくれている会員に「貸借対照表」「活動計算書」「財産目録」を作ってもらった。今季から、減価償却や未払い金なども登場して、ちょっと経理らしくなってきたのだが、やや体系だった複式簿記の記入に「さすが」と仕上がりに感嘆・感謝したところ。
 おとといは、そんなこんな内情と活動をつづったニュースレター11号を会員約70名に送ったところだ。晴れた日は山仕事や林、そうでもない日は内業と、バランスのいい休みでいろいろなことがはかどった。今日はいい天気になったけれど、これから久々の断捨離。


■5/4 念ずれば行く
「未来は今すでに始まっている」という言葉の意味をかみ締める。念ずればその方向にいくというもので、逆に言えば、思わなければ何も始まらないということになる。2014年の年頭、わたしは「歴史を学び直そう」「パワースポットといわれるところをできるだけ訪れてみよう」などの希望を掲げたが、いずれも上手くいっている。歴史とともに今の社会と政治も目が離せず、ここ数日の通勤時は、大前研一の「日本の論点」を読んでいた。緊張感を持った政策提言とその背後にある情報収集のネタの確実性みたいなものが抜群だ。
  現代史を的確に読み取るときに、こういった「今」の分析は貴重だ。大前氏は北方領土について、独特の見解と情報を示すが、上記「論点」の後半、例えばこう書いている。「四島一括返還が日本外交の総意であるかのように思われているが、それを外務省が言い出したのは日ソ共同宣言が合意された56年以降のことだ。実は四島一括返還は日本とソ連の接近を恐れた(56年のダレス-重光会談における)アメリカの差し金で、「ソ連に一括返還をもとめないと沖縄は返還しない」という条件だったのだ」。 また、かつて、北方領土返還などといっているが戦争に負けて領土を取られただけの話だ、と敢然と言い放つ。こういう発言が物事の理解を鮮明にする。その裏も克明にさらす。で、北海道という島を占領されかねなかったことを考え合わせると、歴史の真実をどう正確に捉えるかは実は一大事だ。

■5/2 「わたし」の体の主治医は「わたし」
己の心身の不調のつど、自分との対話、医師との対話を繰り返しているうちに、主治医は自分だと思って生きるしかないな、と無惨にも悟るに至った。腰の調子が今ひとつだったため、整形外科医にはいろいろ会ったけれど、この医師ほど当てにならないものはないとみなすようになる。人の心身が痛みやすくフラジャイルにできていることに気づき、養生や心の療養を試すうちに、yogaの思想も知り、いよいよ、医者との信頼関係は疎遠になった。そして、10年以上つきあってきた坐骨神経痛の今、ついに鍼灸院に通うことになった。まあ、ちょっとした遍歴である。結果、施術士は医師よりも、ずっと心身との対話に理解があると思う。自己診断のわたしの物言いに、しばしばカチンと来るみたいだが、何人かの施術士とは、やがて懇意に話すことができた。今回はそのうちでも特によさそうだ。自然に治癒するのに、ほとんどの人が医者に通うと言われる医療の無駄。無自覚な病院通いこそ、本人にも周りにも利するところがない。

■4/30
大きなもののチカラをお裾分けしてもらう
連休の前半、上京したついでに、サクラで有名な伊豆・河津に行って見ました。めあては3つ。①大クスノキ。 来宮(きのみや)神社にある天然記念物のクスノキ=樹齢1000年、幹周り14m。②河津七滝(ななだる) 天城峠下(南部)の滝群。③わさびの本場・伊豆のわさび丼、でした。
 この年齢になればどんなことでも行く理由が見つかるから便利ですが、クスノキは実は、わたしの幼少のころに乳母代わりのセラピストでした。早朝、立入り禁止の禁をおかして触って、気をかざし揚句コブにしばし座って見ました。クスノキは優しい・・・。
 わさび丼550円は、やっぱりうまかった。で、北海道の誇るヤマワサビとどっちが上か試したくなり。ついさきほど同じ手法で調理して食してみました。結果は、どっこいどっこい。ということはヤマワサビ、全然負けていないということです。
 
  (ミニ伊豆旅の感想)
  小さな旅館に泊まりましたが、持続する観光地には、食やもてなしの作法のほかに、厳然としてパワースポットがあるということだ  と思います。北海道はこれから、知床が代表するsomething-great観光という、スピリチャル・ツーリズムに突入できるかどうか、こ  こに大きな未開拓の岐路があると思います。
   この点は、北海道の観光関係者は、まだ明確な注目はしていません。開拓という合理性で押してきた歴史は、神のような大切な  ものを片隅においてきたのではないか、さらにそうせざるをえなかったのではないか。この先はいずれまた。


■4/27 薪、ツマサル?!
昨年8月から始めた薪小屋づくり。その小屋は年を明けて2月に竣工し、4月末、そのうち3つのユニットに薪が入りだした。結構な存在感です。9ヶ月の蓄積。話はかわって、わたくしめ数日、北海道を離れますので、HPの更新が滞ります。掲示板とfacebook、あと地域SNS「どっとねっと」、twitterがオープンしてます。あ、いえいえ、メールやすべての書き込みはiphoneでリアルタイムで拝見できますし、必要な返信はすぐだしますから、いつもどおりで。写真は、薪小屋の薪たち。

資源利活用第1だから、多少の腐れ、ふぞろい、小径ゴメン。今年から木口を原則上に向ける

■4/25 漫画『銀の匙』が惹き付ける北海道の新しい世界
都市と地方(都鄙・とひ)の教育格差などの勉強会をしている間に、北海道には独特の歴史があることがわかりました。飢饉のあとの窮乏の結果として助け合いの仕組みが自然発生していたり、公民館制度で地域が総括的な学習を続けたりしています。最近読んだ資料では、北海道の開拓の支えになったのが二宮尊徳の報徳思想だったこと。報徳思想とは、「二宮尊徳が独学で学んだ神道・仏教・儒教などと、農業の実践から編み出した、豊かに生きるための知恵」である。歴史的な事実として、尊徳は北海道開拓の指導を頼まれたようです。しかし彼の当時の体調と別のプロジェクトに関わっていたために辞退、のちに尊徳の孫にあたる尊親が幕別にやってくるに至ります。昨今、荒川弘の表記漫画が大変な人気でわたしも愛読者のひとりで11巻完読ですが、その描かれる骨の部分「寮」「師弟同行」「実践教育」こそ、開拓以後の北海道農業の精神的蓄積でもあったわけです。『銀の匙』、心休まる秀作であると同時に開拓時代からの北海道「精神」遺産

■4/23 「セロ引きのゴーシュ」に似てる?
雑木林のソロ泊の翌朝に、軒下に日向ぼっこしていタヌキがいて逃げようとしない、という話を書いたら、FACEBOOKと別のSNSに「セロ弾きのゴーシュみたい」という感想が2件寄せられた。わたしは、すかさず「その際にセロにあたる概念はなんだろう」と素朴に逆質問しました。帰ってきた答えは「「コンステレーシションconstellation」。 偶然に思える出来事が実はそうではなくて互いに関連しあっていて、 林の手入れと小屋、人のこころと生き物たち、それらがつながっている、という仮説。コンステレーションを調べると、心理学用語で「布置」とある。「さまざまな観念集団が連座配置されている状態」らしい。 元の語義「星座」のように、雑然と散らばっているようにみえて、その実、ある規律に従って関連しあってる・・、ということか。
 セロの概念につなげば、生き物たちは、あの小屋に、来るべくして来ている、そこには必然的な真理が横たわっている・・・ということにつながる。実は自然の中の人工物は、生き物の棲むギャップであり、ニッチだというのが住人の実感だ。だから、生き物たちはやってくる。わたしはさらに悪乗りして「アフォーダンスaffordance」を連想した。 生き物たちや自然は、私たちにずっとメッセージを出しているが、人はアンテナがないので気づけない。これは受容する感性とでも言えばいいのでしょうか。自然と人、都市と自然を考えるうえで実に興味深い話だ。

■4/21 個と「心の垣根
「逝きし世の面影」580pの最終章のテーマは「心の垣根」だった。幕末から明治にかけて訪日した異人たちが、江戸や長崎でふれた日本の庶民世界は結局なんだったのか。西洋の異人たちは、西洋的な心の垣根の高さにしばしば疲れをおぼえ、かたやの日本の庶民社会の垣根の低さを絶賛したが、「それが高いということは個であることによって、感情と思考と表現を人間の能力に許される限度まで深め拡大して飛躍させうるということだった」(渡辺京二)。「そういうこの世界が可能ならしめる精神的展開がこの国(日本のこと)には欠けている」と異人たちは感じた。
 それが市民社会の形成の過程で、ルールや慣習や法律、社会の仕組みに反映されてきたのだ、それが市民社会の成熟だ、ということか。西洋の確固たる個の自覚と、日本の、当時の垣根の低い庶民ののどかさ気楽さとつながりというソーシャル・キャピタル。現代は人々のシアワセを約束した後者をこそぎ落しながら個へ舵を切って進んでいる。渡辺のこのしめくくりは、なるほど、古い世の面影は「逝って」しまって後戻りしないのか、という物思いにふけさせる。考えさせられる1冊だった。感謝、合掌

■4/20 焚き火は冥想に誘う
薪割り・薪積みのあと、2月に続く今季2度目の小屋ソロ泊。星空のもとで焚き火を眺めること二時間。不思議なことに焚き火の時間はまったく「とらわれ」がない。無我の冥想のような時が流れる。林そのものが冥想ではないかとある精神科の先生はおっしゃいますが、焚き火はより直裁的に理解できる。「焚き火は冥想ではないか」。最初は内省や内観の時間がやってくるかもしれないが、やがて折り合いが付いてこころは平穏・平静になっていく。心身の今から脱落していかないと見えない素顔。パーソナリティの語源であるペルソナのモトの意味は仮面。わたしたちは仮面を脱いで向き合う時間を、日常的にはもう獲得できない文明の中なのだ。そこからするりと滑り落ちる装置のひとつが、焚き火かもしれない。
 

■4/20 「社会貢献活動の主体が少ない」
北大地域経済経営ネットワーク研究センターの年報で、㈱ノーザンクロスの山重明氏が、北海道では地域経営をする際に、周りで意見する人はいるが、ソーシャル・ビジネスやNPOなどの人材や組織が他地域に比べて少ないと述べている。このことはわたしが事務局を務めている研究会でも指摘されることがあるし、ある森林ボランティアのワークショップでファシリテーターを務めたときにも痛烈に感じたことだった。札幌には各種助成制度を上手に斡旋したりする中間組織が数多くあるが、北海道各地で、まさにプレーヤーとして地域とがっぷり四つで取り組んでいる人やグループはそんなに多いとは思えない。いや地域に偏っている、というべきか。ビジネスの世界はわからないが、大小はともかくリアルな地域貢献活動こそ最高のプロジェクトであり手応えがあると個人的に思っているので、山重氏の指摘には膝を打った。地域を見つめる山重さんの視点は相変わらず健在だ。

■4/18 臥待月 ~4/17帰宅時に月が見えなかったことに寄せて~
異人(外国人)がみた江戸・明治期の日本をつぶさに紹介した『逝きし世の面影』(渡辺京二著)の最後に日本人の宗教観が書かれていて、欧米人は、日本人は無宗教だというのがメインの定説になっていた。武士はお寺をバカにし、お参りに来るのは女性と乞食など弱者ばかり、と。かのイザベラ・バードも「わたしの知る限り、日本人は最も非宗教的な国民だ。巡礼はピクニックだし、宗教的祭礼は市である」。これにはつい笑ってしまった。ただ私が思うのは、アニムズム、花鳥風月である。これは脈々とDNAに込められていないか。 https://www.youtube.com/watch?v=zAhy_EJWMTM
 今日は月齢18.3で、わたしが帰宅する夜8時ころにようやく月が出る、いわゆる寝待月とか臥待月と呼ぶアレだ。就寝前に拝むのに、札幌から帰宅する頃はまだ出ていない一両日だった。月の日変化は驚くほど早い。今日の南中は11時ころか。日の出は起床して間もなくの5時過ぎ。ところで日本人の多くは無宗教というのではなく、先祖崇拝と八百万の神ではないのか。太陽の新生と月が代表する陰の世界と、行ったり来たりする。西洋人の、神との霊的な交わりという信仰とはだいぶ違うのかもしれないがオドロオドロしくなくてわたしは好みだ。

■4/15 落ち枝の危険
胆振(いぶり)の雑木林では、とてもミラクルな落ち枝現象があって、これまでずっと画像を収集してきたのですが、実は大変危険なものでもあります。川崎市でまた痛ましい事故が起きました。枝は間違いなく枯れ、しばしば大小に関わらず落ちます。触れ合った枝から枯れ始め、太枝も落としていくミズナラ・コナラの雑木林はなおさらです。先週の土曜日、遠浅の林を歩いていると、池の向こうで、かなり大きな枝がどさりと落ちました。ぶつかれば大事故でした。落ち枝事故は、かようにわたしたちと隣り合わせです。これからはもっとお互い注意していかねば。

■4/13 林の自己実現
植苗病院の雑木林を個人的に保育奉仕を始めたのは8年ぐらい前だったでしょうか。それが今、NPO苫東環境コモンズと、ここ4年ほどは札幌ウッディーズの応援も加わり、毎年1,2度、ゆったりした保育奉仕の集いにつながっています。合同で山仕事をした昨日は作業の合間に、瀧澤先生と全山を回ってみました。

尾根の小径は素敵だ
イヤシロチのにおいがする

なんと、関わってきた林のどこにも、ツルに絡まれたり風倒で懸かり木になったり、あるいは見苦しいほど込んでいるところがどこにも見当たらないのです。すべての木々が平等にすっくと自分を見せているように見え、内心、目標にしていた、ここ独特の「美しさ」が十分オーラのように出ている・・・。あらためてビックリすると同時にひとつの達成を感じました。総勢24名の作業は、放置されて封鎖されていた路を復元し、残りの過密林分を抜き切りし、森林セラピーの療法で使用する広場を作ること、と多様ですが、いずれもなかなかの出来栄えです。
手入れしてきた若い林とセラピーの新しい広場

林をかけがえのないものと日頃考える人たちが、林を歩いて癒されることを願って奉仕する林。コミュニティや身近な林が、このような動機で変わっていくことができればなんと理想的なことか。植苗病院の林の整備の軌跡は、ある意味で、「これからの林のあり方」を具現しているように思われますし、その根底で支えるているのは、土地を固定的に考えない、林の環境は共有、だから共生して行こうね、という風土へのコモンズ的な思いやりではなかったかと思えてきます。

■4/10 お尻を冷やさない意味

数年前から、起き掛けに、臀部に歩けないほどの激痛が走るようになっていて、特に山仕事をする冬、それが顕著になっていたから、きっとその疲労だと思ってきました。寒中の山仕事の後遺症だからと、カイロを張ったりしていろいろ試し慣らし運転をしていましたが、ここ数日は、パジャマの下にズボン下を着て休んだところ、これが大幅改善。思わぬ簡単なところに解決策があって、しかも日中の股関節の具合もいいようです。臀部の臀筋はしばしば冷えて痛みを感じる人は少なからずいて、それが膀胱や子宮、内臓各所の不調につながっていることも知りました。「腰を冷やさない」。日頃、生命の根っこは腰である、と思い始めていたので、このヒントは大きい。体の不具合は、自分で原因を探り自分で生活を改善してみるに越したことはないみたいです。特に整形外科への失望が実は根っこにありますが、自分で考えて実行する養生というのは、意味がでかいはず。米国で、病気の約8割は自分で治癒するのに医者にかかっているという報告すらあります。

■4/09 バナキュラー・マネージメント vernacular management

NPOがコモンズとしてフィールドにしている苫東に、「つた森山林」という、北海道ではめずらしい100年ほど管理されてきた里山がありますが、その140haほどの林を将来に向けてどう管理していけばいいのか、という調査をNPOが依頼され、昨日は依頼主で土地を所有する㈱苫東の緑地委員会で、担当した孫田理事とわたしが調査結果を報告しました。

提案した方針を簡単に言えば、現在残されている200あまりの林小班(林の区切)は、造林した樹木らにとってここがいかに生育条件(気象、土壌など)が恵まれていないかの履歴が刻印されている一方で、枯れたり伸び悩むに林は、周りの広葉樹が入り込んで勝手に復元しているなど、再生するチカラを十二分に持っていること、したがって、未来に向けた森林管理としては、生物多様性もにらんで、「積極的に放置」する道を選ぼうというものです。

修景にも配慮しつつ行う意味のある放任ですが、これをかくも明確に打ち出して管理していくことは、実はちょっと画期的なことといえます。伐採と造林を繰り返して林業的に扱わなければいけないというドグマからの解放のようなものです。それが土地固有の、土地の特性に見合った適切な扱いだという結論は、個人的に40年この林を見続け、よその森林もあまた体験してきた今だからこそ言えることです。しかもこの結論は、検討に加わった大学教授を含む3人の共通した考えでもありました。これからはこの方法を、この土地固有の取り扱い、という意味でバナキュラー・マネージメントvernacular management と呼んでみたいと思っています。

■4/06  フキノトウ

胆振(いぶり)の雑木林からほとんど雪が消えました。うれし悲しの春はまず、林のなかの朽ち果てていく有象無象を露にします。ウンザリするほどのがらくたの山。土に返る現場とは別に、よそ行きの春も見え始めました。4/5の作業後、池のほとりで見つけたフキノトウ。ジャンバーの右ポケット一杯に詰め込んで、夕餉にお吸い物とフキミソを作りました。2014年、春の味。



■4/05 宮澤賢治の人と自然

池澤夏樹著『言葉の流星群』を読みえました。いろいろな賢治本を見てきましたが、これは賢治理解のうえで出色の作品だと思います。わたしが特に目をを見張ったのは、人間と自然のこれからについて、賢治ほど肉迫した作家はおらず、その早い開花に人々の理解がようやく射程が見えたという彼の主張。当HP"雑木林&庭づくり研究室”として記憶しておきたい勘所なので、長いけど以下、その要点部分の大意を転写。

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「日本の社会は・・次々と変わって宮澤賢治の考えたことの意味が大きくなってきた。いわば彼は先回りをして待っていたようなものだ。
 …当時の東北地方の科学好きな仏教徒の詩人に固有の問題が、なぜ日本人全体の普遍的な問題に変わったのか。一番大きい理由は、自然と人間の関係だ。つまり、時代がどんどん反自然的になって危険感が増したため、われわれは自然と人間の関係について深く考えてきた宮澤賢治を必要とするようになったのではな
いか。

 宮沢賢治は、人間と自然の関係、自然の中から一歩外へ出てしまった人間の幸福と不幸のことをずいぶんしつこく考えた。それは当時の社会を先導する人々、つまり東京に住んでいる都会人たちにとって切実な問題ではなかった。当時の東京での身近で切実な問題は、近代的な社会をどうやってつくるか、そのなかで個人として人はどうやって生きていくか、それから日本という国全体を先進国と肩を伍するような国に育てるにはどうすればいいか、その時に個人はどこまで国に対して我慢をしなければいけないか、--そういう問題だった。おそらく芥川龍之介はそういう問題意識をもって自分の文学をつくっていったのだろう・・(略)。

 それに対して宮澤賢治が考えていたのは、人間の社会が進んで、自分たちで環境をつくり、その中で安閑と暮らすようになり、技術的な意味で近代化の波が東北にまで浸透してきている。人間は自然から離れて、距離ができてしまった。それに由来する不安にどう耐えていけばいいのか、ということを彼は考えたと思う。」

「彼が死んでから70年近くたって、人間はますます自然から離れて生きるようになってきたが、人々は心のどこかで本当にこれでだいじょうぶなんだろうか、と不安感を持つようになってきた。その結果、この問題に過去の日本人で最も深くかかわってきたのが宮澤賢治だということに人々はようやく気付いた。それで作品をもう一度見直してみようという動きが生まれてきた。」

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文明生活からわたしたちはなかなか戻れない。もしかしたら不可能かもしれない。しかし現代の気づきは心身、自他を囲む環境のあちこちに自然性をどう失わないでいるかが、とてつもなく大切だ、という点である。yoga、冥想は日々、自分の心身の自然性に向き合う「行」だということにつながっていきます。

■4/2 高専講義のプレッシャーと感謝

昨年に続いて、苫小牧高専の非常勤講師を務めることになって準備に入りました。担当するのは一応、環境生態学となってはいますが、自然保護と開発のこと、アセス、里山の保全、コモンズなど、環境社会学と保全生態学など、自分が実社会で関わってきた分野をていねいにくぐる予定。所詮、当方には過ぎた講義の要望を受けてしまったけれど、わたしが実体験してきた課題と越し方を振りかえり、その果実の一部をこれからの世代に申し送りのように上手く伝えられればいい、という思いだけである。100分を16回、職場の時間休暇を利用して対応しますが、費用対効果は極端に低く、プレッシャーのみ強い。しかし、恵まれた、ありがたいチャンスだと、今年も感謝で挑むつもり。残念ながら準備が追いつかない。下記は苫高専のHPから。


■4/1 親の気持ち

外に対して発信する動機が急激に薄くなってきている。年齢が内向的にしているような、あるいは内部充実型と言っていいかもしれないほど、焦点が絞られており、その周辺は同心円的に疎に傾いていく。要するに、省力化、別名、老化というものか。たしかに、理解力、感性、論理性、おおっともちろん身体能力も、どんと落ちて人生の底だが、なにか、その、したたかな満足感が、補って余りある。人生、この歳まで生きながらえることが許されて、シアワセだったとつくづく思う。未明のヨガ・アーサナの時間、母親がフォローしてくれた自分の阻喪と、ほとんど何も言わないで見ていてくれた親父のことを思った。この歳になって、初めて親の心持が想像できる。人間としての自分の幼さを知る。合掌

■3/30 残された北国の冬

ハワイに行っている数日で雪は大幅に消え、スノーモービルが活躍できる期間はどうやら先週で終ったようです。29日は、懐かしい人力のソリで、林内に残された丸太をトラックの入れるところまで運びました。この恒例の藪出しも人力8名で午前中に完結した。午後は薪小屋前に集めた材を35cmに玉切りする作業に。


■3/29 ハワイのメリハリ

たかがハワイ、されどハワイ、そしてなんとなく「後ろめたい」ハワイの続きをもうちょっと。
リゾートのハワイを、この島はどうして人々を元気にするのか、リピーターにするのかという観点でみると、以下に述べた砂浜だったり、ビックリ大木だったり、あまり語られない熱帯雨林だったり、各種リゾート施設やアクティビティだったりしますが、つまるところ、各スポットが明快な印象を持っているせいではないでしょうか。

天と地と海、そのハザマに生きている自分という存在が見えてくる、というか感じられてくる。わたしは今回のショートとリップで国内外の自分の観光衝動がどの辺にあるのか、よくわかりました。わたしの生命のアンテナと花鳥風月をつなぐこと、どうもその辺のようです。

マカプウの岬から



二時間あまりのクルージング中に10回以上であったザトウクジラhump-back whale。体重は最大15m、体重が40トンあまり、一日のえさ摂取量が1トン。北からの数千キロの旅を経てハワイ沖で繁殖する。ガイドは、ハワイは鯨にもストレスが少ない、見たいなことを言っていた。

■3/28 少しだけ後ろめたいハワイ旅行と熱帯雨林

世界の気候帯13のうち11があるというハワイ。そのオアフ島のワイキキの北側に熱帯雨林rain forestがあるらしいのでいってみました。(実はジェラシックパークのロケ地になった森を予定したのですが島の反対側なのであきらめたのです。)

その名はマノア渓谷、目指すはパワースポットとしてちょっとメジャーになりつつあるマノア・フォール。滝は実はどうでもいいと思っていたのですが、着いてしまいました。

おそらくわたしは初めて出会う熱帯雨林です。北東から吹く湿った貿易風がオアフの背骨の山脈にあたって雨を降らすようで、この日も浜辺は快晴なのにマノアに来ると霧雨。


ワイキキの年間降水量は500mmだがマノア渓谷は5000mm降る、と一説では言われているようです。海から眺めると山際はいつも雲が立ちこめていてマノアはちょうどそのあたり。

で、どうだったか。・・・・・

圧倒されました。豊穣、旺盛、原始、破壊、再生、奔放、、、、湿潤、、、、、&巨大。直径2m、樹高30m超、つるは絡み放題、そして密生などなど。



水分が多く高温なら、植物はかくも育つものか・・。屋久島のごとき、です。振り返ってわが北海道の植生というのはものすごいハンディを背負って風土を支えていることになります。

で、わたし的発見は、おそらく「マイナスイオン」でした。高度差100mあまりを疲れ知らずに往復。それどころか束の間、丘や岬など歩き疲れが吹っ飛びました。体調の悪そうな方に何人も会いました。知る人ぞ知る癒しのスポットなのでしょうか。また、高温多湿でいてまったく不快昆虫がいないのは不思議です。

■3/26 しばらく失礼しました。m(__)m

久々に週末の山仕事を休んでハワイにいました。雪解けが進む、あわ雪の降る胆振とは打って変わって、ホノルルは気温27度ほどの「地上の楽園」かと思わせる気候でした。楽園だけにわたしのような堅物人間はハワイにいることだけで「後ろめたさ」を覚えるから不思議なものです。

信じてもらえないかも知れませんが、わたしはここ10年以上近く、観光衝動のリサーチをしていた関係で、個人的に国内外の気場を巡っておりました。今回のハワイも密かにですがその一環のつもり、と無理やり理由をつけて、負い目を緩和したところです。それほど、ハワイはリゾートすることにに罪悪感を覚えます。つまりアホになれる。言い換えると、まんまと観光地に迎えられる。そんな素材が揃っている。

 この間、朝からビールをいただいたりすることなく、岬、浜辺、丘の上、大木を巡り、両足に豆ができました。ちょうど中日にはオアフ島の熱帯雨林に行き、北国の我々の林がいかにハンディを持って北の台地で我慢にちかい適応をしているのか、肌で感じました。それほど豊穣、奔放な世界だった。その辺を日記代わりに数回少しずつ紹介してみます。まず、日本ではあまりに有名になった、この木。
マメ科のモンキーポットツリー。


ホノルル空港の北にあるモアナルア・ガーデン。ハワイ大学のすぐそば。

樹冠の中に入ると明るさの関係で、マメ科の葉っぱがあまり見えなくなりますが、外見は立派なミドリ。地面スレスレまで、枝を張って、キャンパスのような公園に、何本かが見えます。


夕方のワイキキビーチ。ホテルの窓から見ていると、朝の5時頃からサーファーは海に出ます。一方、波の要らない一般は、防波堤の内側のラグーンの白砂で憩います。自分のホテルの前浜でOKというのがあずましい。このころ、大島山林は、淡雪が降って、作業が進行していた(^_^)v


■3/18 ポケットの友達

コモンズ林業の機械化は25年度のコープさっぽろさん提供「あすもり」の高額助成に負うところ大でした。今日、コープさんの取り組みが紹介された
あすもりサポーター通信を頂きました。中のワークショップでわたしの加わったDグループの「万能えくぼ」のアイデアが最優秀賞をもらったことも報告されています。で、今日、グループのデザイン提案者を代表して、プロ「チエモク」さんが製作した現物(写真)に触ってみました。GOOD!イメージどおりでした。

説明には「お饅頭型お守り。なでて安心、願いもかなう」と書いてあります。

 また、わたくしめ・take/草苅が出演し2月16日にFM北海道Air-Gでオンエアされた「スマートライフ~あの人の話が聞きたい~」も今日、Air-GのHPにアップされました。お暇のある方、軽妙なプロの編集を味わってみてください。25分が12分に短縮されているような。

■3/17 江戸時代のもうひとつの姿、発見

先日もちょっと書きましたが、『逝きし世の面影』をまだ読み続けています。といううちに、著者・渡辺京二氏が月刊誌「致知」に著作についてエッセーを書いていました。「清き心、直き心を取り戻す」です。わたしたちの歴史観はかくも教え込まれているものだと知りますが、10年をかけて欧米人の訪日記を探り続けた労にも驚きます。長い訪日記を追加していくだけに、退屈と取るか、発見ととるか。わたしはかくも大勢の訪日観を束にしてみて江戸時代の見方が変わりました。

====冒頭を、以下、引用===

江戸時代の日本はかつて、暗黒の時代と認識されていた。

 こうした“常識”に私が疑問を抱くようになったのは、 当時の日本を訪れた外国人たちの訪日記に触れてからであった。

 イギリスの紀行作家・イザベラ・バード、 初代駐日総領事のラザフォード・オールコック、 日米修好通商条約を締結したタウンゼント・ハリスらに 代表される訪日記には、彼等欧米人の常識とは 大きく異なる習俗や価値観のもと、 生き生きと生活する日本の庶民の姿が詳述してあり興味が尽きない。

 当初、とりわけ新鮮に私が感じたのは、 搾取の対象であったはずの農民が、 実は豊かに楽しく暮らしていたという記述である。

 子供は栄養が行きわたり、満月のように肥えていた。

 日本くらい下層民が豊かで幸福な生活を送っている 国はないとハリスも記している。

 こうした事実は日本人にも認識されてはいたが、 農民の生活は悲惨だったとする戦後左翼史の主張と矛盾するため、 長らく黙殺されてきたのである。

 また、日本語に翻訳された訪日記も僅かながら存在したが、 重要な部分が欠落していた。

 興味を抱いた私は、可能な限りの文献を集め 徹底的に読み込んでいった。

 およそ十年にわたる研究成果は、 大学からの依頼で引き受けた日本文化論の講義に生かされ、 そして自著『逝きし世の面影』に結実した。

 日本の庶民の自由な暮らしぶりは、 階級社会のくびきに囚われていた欧米人の目には さぞかし新鮮に映ったことだろう。

 バーネットの『小公子』などを読むと、 当時欧米の召使いは主人の前で笑うことすら 許されなかったことが分かるが、日本の町人は武士に「悔しかったら刀を抜いてみろ」と侮辱したり、「二本差しが怖くて目刺しが食えるか」と粋がったり、 いささかも卑屈なところがない。

 日本の裁判が非常に平等で、 むやみに人に危害を加えれば、武士や役人といえども 厳罰に処せられたという背景もある。

 農民については、武士との接点は年貢を納める時くらいで、 交流が稀であったことも伸び伸び生活できた一因である。

 台風は大きな木には当たるけれども、 地面に生える草には被害をもたらさないと比喩されているが、 上層部の抱える諸問題に心患わされることなく、 自由に楽しく暮らしていたのである。

 一足先に工業化社会に入り、社会の性急なリズムに合わせ 汲々と働いていた欧米人から見れば、 日本の庶民にはまだ時間がゆっくりと流れており、 皆実に幸せそうに映ったようだ。

 明治政府顧問を務めたフランスの軍人ブスケは、 こうした日本では近代産業は根づかないとも記している。 労働者はすぐに休んでは煙草をふかし、お茶を飲む。 祭りでも始まれば出てこなくなるからだという。

 大森貝塚の発見で有名なアメリカのモースは、 土木作業員たちの地搗き唄に関心を示した。 建設地の地固めをする時など、丸太で地面を 一突きする度に皆でひとしきり唄を唄う。

 唄など禁じれば作業も早く進むだろうが、 それでは反乱が起こり、働き手がいなくなるので 管理者も黙認している。

 モースは、労働を労苦とせず明るく働く日本には、 貧乏人はいても、西洋的な概念における 貧困という現象はないことに気づかされたのだ。

 また、横浜で英字紙を発行したブラックによれば、 日本人の旅は実にのんびりしたものだったようだ。 道中、無数にある茶屋でしょっちゅう休む。 隣り合わせになった人とおしゃべりをして、またしばらく歩く。 歩いていればいつか目的地に着くという感覚で、 旅そのものを楽しんでいたのである。

 庶民がこのように明るく生き生きと生きられる社会を 創り上げた日本はつくづく素晴らしいと思う。 ただ、それをもって江戸時代こそが世界に類を見ない 理想社会と考えるのは少々極端である。・・・・・・・・・・

===引用、終わり====

皆さんはどんな印象をもたれたでしょうか。

■3/15 コモンズ林業

コモンズ林業という、まだ定義のはっきりしないわたしたちの山仕事の、実像をつかみつつあります。というか、限界と展望が見えてきている感じ。平坦地で、広葉樹林がふんだんにあって、自宅から30分くらい以内でこれて、コミュニティの方々も参加し、トラックやトラクターのお世話になり、暖房用の薪やほだ木を生産物の中から選りだして使う・・・。今、その枠組みと考え方を「北方林業」の原稿にまとめ始めた。

町内会のMさん、Wさんが整理して出した材。ホダギは若干しか出ていない


■3/13 ヤマセミの知恵

雑誌「かがり火」のコラムで哲学者・内山節氏がヤマセミ(大型のカワセミ)のことを書いていた。氏はテンカラ釣り(毛ばり釣りの一種)をたしなむ人で、ヤマセミは渓流などで魚を採るために胸毛のフワフワを抜いて水面に落とし、カゲロウなどと見まごうて飛びついてきた魚をとりにいくらしい、と。真偽はともかく、想像を掻き立たせるエピソードだ。

ワラをついばんでアリの穴に差し込んでゲットする鳥など、道具を駆使するさまざまな生き物のことが次々と思い出されてくる。心がそちらに動く自分もあるいは人も、いつしか気分はミドリの季節にあるのか。胆振の3月は、雪が少ない分、雪景色から再び晩秋のような超早春の風景に変わるのがいつも早い。しかし実際の春はとても遅い。このアンバランスに体内時計が狂う人はいないか。

■3/9 高齢とと機械化

林の手入れは重労働、かたや担い手は高齢化。当然そこで「機械化」「効率化」が求められ、運良く「コープさっぽろさん」の高額助成によって昨年春に薪割り機、冬になってスノーモービルを購入できました。並行して、薪のショウウィンドウとなる「薪小屋」を昨年8月から着手。これはコカコーラさんからのご寄付を使わせてもらいました。
そして昨日は機械化プロジェクトの締めくくりに当たる「鉄ソリ」の納品と稼動初日。なかなかの連携です。


こんなことができるのも平坦地の雑木林であればこそ。コミュニティ林業っぽい。

3/6 キノコの接待

フットパスとコモンズつながりで昨年富士山の麓でもお世話になった東大のS先生から、執筆に参加した『菌類の事典』の抜粋が届きました。ナニナニ、接待用に予め植え込む「植えマツタケ」ですって?きのこと民族もカバーするSさんのこれらのエピソードにはついのめりこんでしまいましたが、わたしもキノコの接待をしていたことを思い出しました。その頃は主としてシメジでした。あの大群落の第一発見者になるよう接待客を誘導するのです。このほか、『生き物文化の地理学』も送ってもらい、山形では納豆汁に欠かせないカヌカ(ブナハリタケ)の記事を読めたのもちょっと感動もの。記念に季節外れのクリタケの写真を一枚。



■3/4 『逝きし世の面影』(渡辺京二)

『逝きし世の面影』(渡辺京二)を読むと、西洋文明の届いていない時代の庶民のありようと暮らしの風景が、今まで聞くこともなかった無名の西洋人の生の声によって繰り返しくりかえしシャワーのように再現されている。親切、上機嫌、笑い、礼儀、幸福感、無邪気など、共通する語彙で驚くような普通の暮らしが描かれている。東日本大震災でクローズアップされた原風景と共通するものがある。私たちの心の奥底に根付いている、教えられ学んだ日本の捉えかたはどうも違うのではないか。全600pのうち100pを読み進むだけで、頭にはそんな思いが次々と浮かんでくる。


■3/2 コモンズ林業

いつもの冬らしく雪が降って積もってきたなあ、と思っていると、節句の頃になって冬の峠は越したなあ、という胸弾む感慨が突如として湧いてくる。いつものことだが今年は複雑な気分だ。せっかく、山林の丸太運搬が本調子になってきたのに、スノーモービルを疾駆させる搬路の雪が消え地面が見え始めたのだ。担い手の高齢化にあわせて導入したコモンズ林業の「プチ機械化」が、冬が短すぎるという思いがけない壁にぶつかった。真冬にもっと雪が積もっていれば、3月の陽気でも雪がなくなってしまうことはない。一方、スノモで引く丸太の重さはFRPのソリには所詮向かないことを悟って注文したのが鉄製のソリ。去っていく冬を、ソリが「まだ行かないでくれ~!」と追いかけるようなことになってきた。あと3週間でフィールドの雪は消えるのだ。


新兵器「薪運搬用鉄ソリ」

■2/28 森林哲学

二日前、大学の森林科学研究者のアドバイザーと環境系の技術士3人の計4人が、NPOの関係する森のとりあつかい方向を議論した。林の中を歩きながらの検討も含めて今季5回目になる。日ごろから、お互いに自分のフィールドをもち、自ら積極的に自然に働きかけ観察も怠らない4人ならではのコメントがだされ、いずれも謙虚な発言が続いた。なにか、森林という自然のオーラのようなものに感化されるのだろうか。いわば自然な語らいのうちに、かなりドラスティックでプロアクティブな方向に近づいていると思う。そこに、地域みんなの財産である森林を扱うことの責任、もっといえば、something great からの信託のような風を、わたしは嗅ぎ取る。



■2/25 苫小牧のアッケラカンが好き

1月に出版された『コモンズ 地域の再生と創造』のメディアの紹介始まります。トップはセミナー直後の北海道建設新聞でした。今日は2番手で、朝日新聞の道内版「北の文化」シリーズに小磯先生の寄稿が掲載されています。近いうちには地元の苫小牧民報から紹介記事が載ると思われます。苫小牧では「コモンズ」という概念もまったくのニューフェイスですが、現場作業は地味に地味に持続しています。ヒューマンスケールを超える経済のダイナミズムのなかでは、すき間を埋めるような色々な人の営みは粛々と地下にもぐるように進むのではないでしょうか。淡々としたこんなギャップが苫小牧らしいところで、慣れるとアッケラカンとしてこれもいいものです。


今朝の朝日新聞朝刊と新刊。朝日のデジタル記事はこちら

■2/23 胆振・勇払原野にも随分雪が降った。温存してきたスノーシューをそろそろ出さなくてはならない深さだが、陽射しはというと紛れもない春の予感が漂っている。もうひな祭りの節句だものね。2月の2日に間伐したコブシとヤマモミジを水差しに咲いておいたらコブシだけ約2週間で開葉した。早起きのわたしはそれを夜明けの時刻に眺めるのが楽しみ。



薪小屋が着手から半年で竣工した。設計者、棟梁の労を多としつつ、関わったメンバー各位にはご苦労さんと申し上げたい。色々な方々が関わって、周辺環境は大きく変わってきた。今は町内会の方々も作業の手伝いに来られたり、そのおかげか、散歩の方々も増え声をかけていかれる方も多くなったように感じる。
26年、いよいよまた新局面である。


■2/19 管理するSNSがいよいよ限界集落に近付いた今、思うことは「人間は同じ人と付き合っていることに飽きるらしい」という人のサガ。これは人が進歩を目指す証である一方、新しさ好きの刺激願望と表裏をなすもののようだ。みんなとは言わないがざっと2/3か。あとの1/3は残った人との交友をさらに深めて行くので、傍目にはそこにギャップができるから人はますます遠ざかる。どんな仕組みも立ち上がっては崩れる。その前に新しい刺激的なものに、管理者が装いを衣替えすれば衰退がやや遅らせられるのかもしれない。だが、待てよ?人、個人にとって最も付き合いの長いのは「自分」じゃないか。飽きるはずが、自分は自分から去ることはできない。片や「去るものは日々に疎し」。世故に長けた古人はこのようなときにほかにどう表現したのだろうか。浮気しない誠実さというのか、進歩、進化をどう考えるかだ。

■2/16 朝のFM AIR-Gを聞きました。先週の収録がなにか、自分の一生を振り返るようなものに仕立てられて、なんとまあ、お見事な編集。これはいずれアーカイブが出ますのでご紹介します。さて、昨日は、10人で大島山林の伐採と運搬。どうやらリズムが取れてきました。ただ、傾斜木のナラなどは重い。直径30cm、長さ3mにすると、大体280kgほどになりますから、これまたかなりの重労働。股関節がまたきしんでいます。


■2/15 お知らせです。あすFM北海道(AIR-G)の朝の番組に30分ほど登場します。タイトルを「スマートライフ」というコープさっぽろ提供の番組で、自然、森づくり、コモンズのほか、実はどうなっているかわかりません。午前7時30分から約30分です。

■2/11 助成金と会計全体の整理をせねばといささか気になってきて、朝から3つの袋に納まった領収書を取り出した。年度はじめからの大小の紙切れを順序良く並べなおして張って、パソコンの出納簿、預金簿と付き合わせて、やっと納得のいく結末にたどり着いたのが2時頃。領収書をつぎはぎした用紙はざっと50数枚になって、われながらこういう雑務が嫌いでないことを知ります。

 300円の領収書から100万円単位まで、委細くまなく知ることのできる規模の安心と満足感もある。勢いで年間スケジュールをざっと枠組みだけ完成。ヨガは実践して身につける修養だが、ヨガのごとく、実践してチャレンジ枠を広げるのも、修行だ。何であれ、一心に打ち込むことで新たな世界が見える。人生に無駄なことなどない。満足、 合掌



■2/9 通算3回目のポニーによる馬搬。今年はスノーモービルも一緒に稼動。なんとなく、近代化というのか、省力化というのか、微妙な組み合わせだ。2サイクルで12往復したわたしは、あのガサツの機械音に辟易してしまったのが本音。
 

■2/7 2月6日は苫東の「つた森山林」について、北大の専門家の先生、森林のコンサルタントの人、そして40年この林に付き合ってきたわたしとで、これからどのように扱ってどんな姿にしたてるのかを話し合いました。NPOが受託した調査で、すでに昨年の10月から現地にいって、こまかな準備を進めていたものです。「森がどうしてほしいと望んでいるのか」、資料と踏査の結果をふまえてそれを推し量る静かな検討会でした。人生、冥利に尽きると、わたしは思いました。わたしたちの身近な林のすべてでこのような検討が行われればどんなに素晴らしいか、胸がふくらみます。


■2/4 地域SNS「どっとねっと」がその他のSNSの谷間となって、予想どおり限界集落のようなコミュニティになってきました。時代の流れですから起死回生を狙う意味も動機もないのですが、AKBの「恋のフォーチュンクッキー」の地域バージョンがはやっているのに触発されて、メンバーから「これをやろうよ」という声が持ち上がっています。AKBならぬヤブレカブレのYKBで、平均年齢は58ほどですからフィフティエイト。「どっと」やって散ろう!という感じかな(爆)

■2/4 新刊『コモンズ 地域の再生と創造』の執筆や取材で、お世話になった方々や仕事上の関係者にささやかながら本をお送りしたり紹介したりし始めました。なにか、これまでよりはるかに多くのメッセージを頂いています。「地道」「着々」という平均的評価が添えられて、感謝の一言に尽きます。が、さしたる実力もないまま広報先行、というそしりのなきよう、自重して参りたいと思います。

■2/2 abeプロが昨日伐倒したハリギリは年輪を数えると110年+αだった。キツツキがつついたあとが何箇所もあり枝もあらかた枯れていたが、ズッシーンという地響きを伴った。直感的に、「朽ちる直前だったのではないか」。この時期に利用できれば、保全と利用の境界になる。この見極めをしたい。幸い根元は腐れがないように見えた。100年の重みを地響きで知る、これはちょっと次の世代に伝えたい気もする。



 作業後、わたしは雑木林の小屋に、年に数回のソロ泊。小屋でひとりの時間を過ごすと、自然に「あと何年生かしてもらえるのだろうか」という感謝を伴った思いが湧いてくる。ビールとワイン半分とサンドイッチのシンプルな晩餐だから、薪の炎を眺める時間が濃い。



■1/31 もう1月は終る。ちょっと早すぎないだろうか。ただ、たっぷり雪が降り始めているから、いよいよ冬の景観に変わるだろう。毎年のことだけど、たっぷりの雪が林床の藪を画した雑木林の風景、これは楽しみだ。あすは小屋にいって見ようか。

■1/28 加齢とは実によくできたもので、鋭さは角がとれ(俗に丸くなったという)、感性は踊りすぎず(俗に鈍くなったとも言う)、平穏な時間が過ぎるようになる。「嫌なやつとはもう無理に付き合わなくてもいいぞ」、と内なるワタシがささやくので身をまかせ、かといって、新しい出会いには積極的になれる。なにより、あるがままの自分でも十分生きている意味がある、とようやく気づかされる歳頃は、実はもうお迎えが来る年代だ。実によくできている。幸い、日本人は、働くことが奴隷のやることなどでなく、人生の楽しみそのものだ、と自然に思える。こうして一生を終えればそれはそれでシアワセだ。

■1/26 ようやくいつものように雪が降ってきた。今日は風雪状態の湿っぽい雪だったが、結局昨夜から10cmほど積もっただろうか。すぐ融けるのを知りながら、まったく「世間体」よろしく今年3回目の雪かき。通常、日曜日は土曜日の山仕事の休息日にしているけど、昨日は下記のように用務だったからなんとなく閉塞感と欲求不満が募るだろうと予想して、予定は朝晩にセットして日中を山仕事に振り向けておいた。ひとりで山仕事をするのは慣れているのでルンルン気分で出かけた。2時過ぎから雪が降りしきり、帰る頃は薪小屋とスノモが雪に煙った。


■1/25 コープさっぽろの「第4回北海道の森づくり交流会」で苫東コモンズが助成を受けた助成事業の報告をした。関係者が一杯で、さながら森林と環境系の社交場の印象あり。みなさん、どう受け止めてくれただろうか。「森はみんなのもの」という良心的な取り組みを環境コモンズと言い換えるわたしたちの取り組みは、汎用性がありそうだと結んだ。植えない森づくり「コモンズ林業」も提案した。第2部のワークショップではクラフトのアイデアのコンペだったので、長らく温めていた「観音エクボ」のアイデアを提案したらそれでいこうと相成って『万能えくぼ』としてプレゼン、見事グランプリに輝いてしまった。プロが製品にするらしい。
 
講演する西粟倉村の牧さん
    グランプリ発表後に講評するプロのスタッフ

■1/24 ダンスのハッピーな動画が続々出ている。見ていて胸躍るシーンも多い。実際、自治体の場合など発信力の助けはもとより、参加する自治体職員や関係者の結束や企画などが光って、見る側は胸踊る。自治体トップのノリもある意味革命的だ。気恥ずかしいながらノッテイル。見る側にはしばしば今度行ってみようかな、と思わせるし、町長やスタッフも明るそうなので、などと発展型の話題につながりそうなところが面白い。http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=SxEADWg1K1g

■1/22 歴史認識の変化が始まるのだろうか。あのマッカーサーが戦後間もなく米国上院乗員の公聴会で証言していたという内容は、「開戦の詔書」の無念の決意を裏打ちするかのようだ。英語の原文をみたい。
http://www.youtube.com/watch?v=jg3qqeDqLvI
→英語の原文は見つかりました。

■1/19 先週後半は、セミナー(記事はここの打ち上げと反省会、青年寄宿舎の編集委員会と新年会、そして職場の新年会と、水曜日から3連ちゃんの小宴。流石にもう量は嗜まないからさほどこたえないのが助かる。体重も増えない。ただ通勤だけはさすがにいやになってきた。長時間座っているのが坐骨神経痛につらい。そして迎える週末。刹那刹那に集中するから頭が空っぽになって心持ちはすこぶるよろしい。重い丸太を持ち上げひっぱり、そこに腰の道具袋の重さも加わって今度は股関節など腰が痛い。あらためて、身体における「腰」の重みを知る。
 
やはり今年の保育エリアは荒れている。応用問題がいっぱいだ。面倒な作業に果敢に挑むabeプロ。右はスノーモービルの搬出ルートに藪出しされた丸太。

■11/15 北大公共政策大学院でコモンズセミナー。発表者は新刊の執筆者である小磯教授とわたし、そして関口麻奈美さんの3人。大学の先生と院生、学生に混じって、苫東の成田社長、NPO、新聞記者など約50人の参加。北大出版会も出店をだして著者割引で10冊を売上げた。
  

■01/13 新聞を見ていると歴史教育の議論がやはり急だ。先日は東京都の高校生用の副読本?に、マッカーサーが太平洋戦争における日本の戦いは侵略ではなく自衛だったと戦後の米議会で証言したことを載せることになっていたのが、なぜかストップになったとか。韓国でも日本の戦争は韓国にプラスだったとする教科書が出てきそうで問題になっていると報じている。ここへ来て、反日歴史教育に守り一辺倒だったのが、なぜか風穴が開きそうな気配なのだ。東京裁判の判断の重みをいうまでもなく、歴史認識の重大な核心はそのへんにある。ここへきてなにか潮目が変わったのだろうか。
 一方、長崎の畏友まつを氏がオフ会の回顧録をやっていて、そのページの右下のバナーではわたしもwebで参加していて交歓記録がいくつか見えた。10年前になる。いろいろ触発されてなつかしい。が、なんとも難しい、高尚な話をしている。掲示板に色々な人が普段着で向き合っているという構図がいつもすごいなと思う。

■01/11 山仕事は人によっては修行のような一面を持っている。危険であり難しい判断も求められ達成感も高い。集中するから行動的瞑想にあたる。今年のエリアはこれまでよりひねこびれていて、ペースがでない。
 
テントの薪と道具をスノモで引っ張る(左)。右、応用問題を慎重に解く。

■01/10 今日、コモンズの新刊が届く。小さな節目である。その報告は北大で1月15日。新刊紹介の北大出版会のホームページはこちら
■01/09 今、政治の目が離せない。歴史認識にその根源がある。15年ほど前、当時80歳近い道内の高齢なある男性とインドに旅行したとき、偶然にもその方はあの「南京」に行軍した方だった。「虐殺なんてあったわけがない」と明確に言っていたことをしばしば思い出す。そのころから、わたしは教えられた歴史教育にハテナマークをつけて読み始めた。このところはその勢いに拍車をかけて近代と古事記などを、本格的に学ぼうとしている。

■01/03 新年3日目にして朝の好天。早速海岸に出てみました。聞くところでは元旦は大勢の初日の出を見に来た人が護岸プロムナードに列になっていたとか、それも若い人が多かった様子。さすが3日目はこんないい具合なのに日常的な犬の散歩にきた数名とあったのみ。できれば毎日日の出の光線を浴びればいいのに。


■01/02 雑誌「致知」で出会った言葉(仏教詩人・坂村真民)にはっとしました。新しい年、こうでなくては。

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 新しい年を迎えるには、
  新し心構えがなくてはならぬ。
  決してただ漫然と迎えてはならぬ。
   
  そしてその心構えには
  年相応のものがなくてはならぬ。
  50代には50代の心構え、
  70代には70代の心構えが大切である。
   
  還暦になったんだから、
  古稀になったんだからという妥協は
  自己を深淵に落ち込ませるだけである。
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 還暦を過ぎているんだからと、アンジョウーやっていこうなんて思っていたところへ鉄拳一発。

■01/01新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお付き合いください。苫小牧の元旦は朝こそみぞれなど降る不安定な天候でしたが昼過ぎからはほぼ快晴というとても穏やかな日になりました。さて、年末には毎年、南ドイツ・バートウェーリスホーヘンのクアハウスを経営するルイスさんからクリスマスカードをもらいます。その返礼に、市販のNEW YEAR CARDを送っていたのですが、いつのころからか自分の年賀そのものに20円切手を貼って出すようにしています。言葉や画像に、適当な英語で解説するのです。感想はまだ聞いていませんが我ながら気に入っています。