シンプルな暮らし
NO.83
2014/04/05〜

還暦を過ぎて見えてくる世界がある。
つましく生きていけば、やがてもらう年金で暮らしていけそうなことも頭に浮かべ、
あれもこれも卒業してこれとあれに精を出せる、と踏む。
そうして出来上がる日々は、きっとひとこと、シンプルな生活だ。

おもえば日々余計なものを身につけすぎた。
ネットの情報なども、いわば、ほとんどなくてもいいものだし、
もとより、評価や評判にも購買欲にもますます遠くなるから
心身はいたって身軽に、ピュアになっていくようだ。

ピュアになれば心身はもっともっと自然になり、自然に任せ、
文明生活と自然風味を上手く織り交ぜてくらしたいものだ。
できれば、芸術的なくらいに。


市民大学講座

2014/06/28 sat 曇り時々霧雨  inaba kai kusakari tominaga  ほか受講生など20名


先月はコモンズフォーラムで苫東コモンズの地元広報みたいな催しができましたが、約一か月後には、雑木林の現地で「市民大学講座」。昨年の滑り出しとはまるで違う26年度だ。ケアセンターに参集した17名の受講生に拙著「林とこころ」前後から近年の「苫東コモンズ」や新刊までのお話しをした。雑木林の散策つき。
 

緊張のいらない楽しい2時間だったので、ついつい、用意したレジメや資料のほとんどを説明し忘れて脱線、横道ばかり。エーイ、ままよ!こうなるのも実は聞き上手で感性豊かな女性が多かったから。講座は市民グループ「ゆうべあ」が事務局で今回が今季2回目。「ゆうべあ」は苫小牧のまちづくりに関する老舗グループで、今年で20年になるといいます。それにしても、新聞などで掲載される広報とは違い、こういうリアルなやり取りに手ごたえが強い。反応はとても良くて助かった

。また最初の「林とこころ」2004年から2014年までの間に都合4冊の出版にかかわれた幸運に改めて感謝しないでおれない。挙句、こういった自分の総集編を苫小牧高専で二十歳の青年に講義でメッセージを出せる環境も、面倒ではあるものの感謝の気持ちの方がずっと大きい。
感謝、合掌の心持ちだ。

NPOのメンバーは生徒さんの集まる1時間以上前から、トイレの準備やメイン会場の刈り払いなどで三々五々参集。10時に開始した講義のころにはフットパスの刈り払いを開始しており、さながら里山利用管理の現場を見てもらったことになる。午後も本格的な刈り払いモードで、仕事はぐんぐん進んだけれども、シーズン早々脱水症状も困るので早めに一段落した。蚊もいない、絶好の作業日だった。霧の日はいい。マイナスイオンで心身にもプラスだし、おそらく疲れも少ないはず。

先日薪を搬入した江別の船木会員から、自宅にリッチなワインが半ダース送られてきたので、作業後に参加者でじゃんけんして案分、その場で船木さんに携帯からお礼を述べた。



わたしは散会後、大島山林に行って薪のユニットに所有者名を書いた。先週の白老の民宿で、代表者にアミダくじを引いてもらって、決定したもの。結果は、薪小屋に向かって右から順に、@ショーウィンドウ、AUさん、Btudukiさん、Ckaiさん、D未定、E安倍さん(弟)。帰り際、Uさんによってその旨を告げたのだが、あまりほしくもなさそうでちょっとびっくり。足りているならほかの利活用はいくらでもできるけど、ちょっと関係者にも相談しなくては。

白老で研修会

2014/06/21satくもり -22 sun 霧のち晴れ  abe araki inaba oyama kusa takizawa = 6 person



昨年にj始めたNPOの研修会(6/21)、今年は隣町の白老で3か所を訪問しヒアリングした。

@萩の里自然公園管理運営協議会

事務局長の新岡幸一さんに、午前9時40分から11時15分までご説明とご案内いただいた。協議会は、160haの面積を持つこの公園の、入口からセンターハウスまでの沿道の広葉樹林の取り扱いについて合意形成を図るのが狙い。昨年、新岡さんに呼ばれて管理方針の意見を問われたことがあり、個人的にその後の合意の行方に関心があったことと、当コモンズにも一部共通する問題意識でもあるのが、訪問の理由だ。



試験や作業内容をお聞きしながら、さまざまな考え方があることを知った。と同時に、福岡でヒアリングした「こうのす緑地」を思い出した。かの地では、ある市民グループが、保育に対する一般市民の懐疑的な視線に業を煮やしてほとんど管理らしい管理に着手することなく推移していた。木を切ることが将来に向けた保育なのだという、手間のかかる説明を担うのは容易でないのである。白老では、沿道の様々な植物の固有性をめぐり、いろいろな議論があって、試行錯誤を繰り返されていた。長い一歩に踏み込んだような気がする。

個人的な見解として、公園は野生と人工空間をどの程度に割り振るかも課題であり、快適な自然美という造園的な技術や心理も取り組みたい。が、白老は北大金子勇教授の社会関係資本に関するアンケート調査結果では、人口規模の割には都会的な発想が散見された自治体だった。自然観にも都会的な見方では自然を残すというところに力点が行く傾向を感じた。しかし私の見るところ、自然のバラエティのようなものは白老の随所にあり、それらはカムイミンタラでもある。白老にもっとほしいのは、自由に歩ける半自然や手自然、あるいは造園であるように思う。エリアを決めたら徹底的に透かし、刈ることだと私は思う。

視察後、コミュニティ・レストラン「グランマ」で昼食、歴史ある喫茶店「休養林」でコーヒーをいただきながら店主ご夫妻と歓談。


A仙人の森

以前から私の白老での講演などで知り合いであった堀尾博義さんの山「仙人の森」を午後1時に訪ねた。堀尾さんは17年ほど前に約4haの山林を購入してコツコツ自分の好きな林に仕立ててきた方で、今はこの林の中が本当の住居に変わりつつあるとおっしゃっていた。手自然生活を見事に実践し、カスタマイズしていた。

 
堀尾さんの自作トイレ。


最初に見せていただいたトイレは自然濾過の仕組みを取り入れ沢水を利用したきれいな水洗トイレ。ベッドを持ち込んで寝泊りができるような清潔な空間で、堀尾さんがいうには「ここで息を引き取りたい」。山側が斜面を利用して埋め込みなので温かいらしい。次に見せてもらった五右衛門ぶろは、鋳物の釜から出る遠赤外線が体を芯から温めるようだ、という。

驚いたのは、尾根筋のパワースポット。尾根筋の中央部分に達した瞬間、わたしは堀尾さんに「ここのパワースポットですね」と申し上げたら、堀尾さんは「そうなんです」とおっしゃった。林は、樹種が多様で、いわゆるナラの雑木林ではない。傾斜木、枯損、うらき枝条が落ちていない。適度にすかされ、ヤマモミジが多い。人力で沢筋まで運び、ブルで運材して薪にされている。小屋は掘立小屋で自家製。風通しがよくなって、以前は悩まされた藪蚊がいなくなったという。

 

B大西林業

間伐による木材資源の利活用を学ぶべく、午後3時、大西林業の「ならの木家」に集合した。先代の社長と数回お会いしたことがあり、亡くなった後、息子さんの潤二さんが継いでいる。ショップは、様々な炭製品、木酢液、はちみつ、ほだ木などをそろえている。わたしは竹の炭を購入した。


近く里山風の手入れを開始する広葉樹林に案内してもらった。典型的な萌芽再生林で、若く奔放に伸び始めた雑然さゆえに、もっとも美的でない段階のものである。どんな萌芽林も実はこのようなステージを経過するのだが、改めてうんざりするのは、伐採作業の始末が荒すぎたりするからである。

大西さんはここの伐採跡に、エビガライチゴやクロイチゴ、クマイチゴが侵入してくることに着目して、キイチゴ(ラズベリー)の採取フィールドを目指していた。確かに裸地をみると、キイチゴがいち早く侵入していた。ただイキチゴ園に仕立てるのはなかなか難儀である。また、日本人のベリー文化がどこまで熟しているかもカギになりそう。




最後に炭焼き現場を見せてもらった。大西社長自らが伐採をするというその量もかなりのもので、割って、立て込んで焼く。炭窯は3つ、サイクルは約1か月とのことだった。うっそうとした山奥の炭焼き現場、なつかしい煙のにおいが「気」を活性化してくれる。のり面にクロボク土が露出しており、時々、黒曜石が見つかるという。

*****
密度のある、身近な研修だった。よそを見ることで自分の足元が見えてくる。民宿「500マイル」で海の見える露天風呂に入り一献し、翌朝は朝食後に運営委員会を開き、今年後半のスケジュールや課題を内合わせて9時半過ぎに散会。



薪の配達

2014/06/14 sat  ぐずついた曇り 13〜17℃ 
inaba oyama kai kusa tuduki tominaga夫妻 江別でsasaki支援会員参加 
                          
           計8名

25年冬からの保育間伐で発生した薪の量は、薪ストーブを使用する住宅に換算して8軒分(16棚=みかけ43.2立法m)だった。これを稼働調書に基づいて、稼働したメンバーの働きに応じて一部を配分し、稼働できなかったメンバーの希望者には有償で分譲する。多くの非薪ストーブ会員は働きをNPOに権利を贈与する。今年は分配先がほぼ決まり、今日の配達となった。
 
広場に積んだ薪をまず積み込み。原始的な手渡ししか方法がない。右写真は、商いへの出陣直前。

雨が心配される中、8時に2トントラックのロングをレンタカー会社で借り資材を補給して9時に積み込み開始、1時間弱で1軒分を手作業でつみ終え、新札幌の新会員Tさんに向かった。ドライバー草苅、ナビはkaiさん。1時間少々で到着。

1軒目のTさん宅。ドドドッとおろせた。

午後1時15分に大島山林に戻り2軒目の積み込み。総勢7名でこれも小一時間で済ませて2時20分発。ドライバーはtudukiさん、添乗はkusakari。配送先は江別市大麻のF会員。支援会員のSさんも現場で合流して昨年同様、ガレージの下に全量を収めた。作業後、ペチカに面したリビングで、ハスカップの自家製ケーキやコーヒーをいただき歓談、大島山林に戻ったのは午後6時半だった。
 
1棚は広場にストックしていたもの、もう1棚分はまき小屋から。さすがに屋根の下の薪は商品価値が高そうに見える。
Fさん宅のガレージ。右には昨年分の残りが少々あった。

レンタル時間は12時間で、どうやら1日2軒の配達はかろうじて可能であることは分かった。それにしても冬の間、厳冬期もものかわ作業の成果に、さらにこれだけの手作業を費やして生み出す貨幣価値は実にわずかで、いつもながら商いは大変だと思う。

しかし、「十分楽しませてもらっている」という会員の声がやりがいと成果のプラスマイナス、そのいきさつをうまく表現している。だからこそ、NPOの活動資金としては、会費や寄付、助成金とともに自ら稼いだまさに浄財であり、活動のスケール感もこれで見えてくる。


 


ハスカップ調査B後、刈り払いへ突入

2014/06/07 sat 曇り 17℃くらい? inaba oyama kusa =3 person

今週は暑い日が続いたが、一転、肌寒い日に戻った。作業にはちょうどいい。今日はハスカップ調査の今季通算3回目。ハスカップ・サンクチュアリに設ける50m×50mの調査区の3つ目だ。かなりスムーズに進んだ。GPSも、方角の見極めもうまくいって、50m四方は検縄と巻尺ですんなり囲まれた。わたしは本数の多いハスカップ用のGPSを、oyamaさんはヒョウタンボクとハンノキのGPSを持ち、カウントしていく。枯れているものは登録の番号をinabaさんに告げてメモしてもらう。こうして3つの樹種の分布、随伴、枯死状態をみるのである。
 
苫小牧民報社のSさんが取材の予定だったがこれなくなった。代わりにいくつか画像を送ることになった。改修後の
看板の前でマップとともに。写真右は作業の小道具。GPS、検縄、巻尺、胴縁、カケヤ、野帳、スプレー、これだけ。

この日はちょっとした発見があった。ひとつは、ベニバナヒョウタンボクの実生と思われる更新だ。その数はすごい。30〜50cmの若木が一体に生えているところがある。その場所は、直径20cmほどの樹木群が皮がむけて枯れているところで、大きなステージ変化を始めた、一種のギャップのように見えた。やや高みではあるがナラが生えているわけではなく、かろうじて桜やコブシがみえた。
 
ハスカップは身が大きくなっていた。これは花。調査区の表示として10mピッチに胴縁を打ち込んだ。
ハスカップのジャングルではそれでも現在地がわからなくなる。


もう一つは、ハンノキなどの萌芽更新である。ハスカップを上木の被圧から守るためには、ハンノキなど上木を切ることが効果的と考えていたが、ハンノキも桜も勢いよく萌芽していた。これでは、ハスカップばかりでなく、ハンノキその他も、ただゼロスタートの競争になるだけで、ハスカップを守ることにはならないのである。困った。

調査区域を確定してGPSを使い始めたのが11時、終わったのが1時だった。仕事を始める前の9時半ころから、まずハスカップ・サンクチュアリの看板を建て替えた。inabaさんはアクセス路を刈りはらった。びっしりやることがある。

午後、遅い昼食を小屋に戻ってとってから、青空快適トイレ「leaf let」(落ち葉のトイレ・リーフレット)を移設した。また、小屋へのエントランスと林道沿いの枯れた高枝を落とした。さらに小屋周りとフットパスの刈り払いもした。3人ともほぼ別々の仕事をして散会したのは午後5時だった。
   
高所の危険枝は切るのも大変。トイレは移設し、枕木を半分に切ったV字の便座にした。安定がすこぶるよろしい。

特筆しておきたいのはミドリちゃんのこと。作業の前に材料を取りに行ったのは8時40分ころだったが、なんとなく小屋の裏に回ってみると、いた。緑色の青大将・ミドリちゃんだ。太い胴体で、ゆっくり振り返って、じっと見ている。今年初めての出会いを記念してデジカメをだしアップにしてみた。すると、なんと、眼差しが可愛いでないか。そうか、爬虫類の顔は正面から見るものなのか。これは発見だ。
切れ長の目が、縦長に見えるのが面白い。



ハスカップの新時代を考える 〜環境コモンズフォーラム〜

2014/05/31 sat 17℃ inaba oyama nakatu haraguti kurita hunaki yosida koiso sekiguti sasaki kusakari = 11 person


コモンズ研究会(北海道開発協会)とNPO苫東環境コモンズが主催するフォーラムが活発な質疑と意見交換のうちに終り、次のステップに船出する。

環境コモンズのフォーラムはこれで4回目。「コモンズの概念」を地元で紹介するこれまでの計3回で、初期の目的はおおむね達したと考えていたが、コカコーラさんからの助成をきっかけに、もう少しハスカップに注力しようと思い立ち、「ハスカップの生育状況調査」と「フォーラム」と「出版のためのヒアリング」を企画したのであった。

その後、パネリストの一人が、助成活動期間の今年3月までには参加が無理なことがわかり、それでは、とコモンズ研究会との共催に切り替えたもの。おかげで、講師謝礼や旅費は開発協会の調査費で充当することができ、広報も随分助かった。こうすることができたのは、開発協会の調査事業をまとめた新刊『コモンズ 地域の再生と創造』(北大出版会)でコモンズの原点の重要なひとつはハスカップであり、かつ地域のコモン・プール資源common pool resouces(CPRs)であると位置づけているからである。おそらく、ハスカップをわざわざCPRsであると位置づけたのはこの本が初めてだと思う。

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北大農学研究院の鈴木卓・准教授は、基調提言1で、ハスカップが今世界的に注目されていることを強調。前段では、フルーツハンターと栽培の近年の流れを紹介して、ハスカップがブレイクするかもしれないという期待を表した。

 

基調提言の2で、わたしはハスカップが最も激動した昭和50年代の話を中心に、苫東というプロジェクトが結果的にハスカップの運命を変えたことを紹介。開拓とふたつの港の建設、昭和20年から人口が7倍に膨れ上がったことが、回りまわってハスカップの生息地を狭め、今は勇払原野のなごりをとどめる苫東の、それもNPOが命名したハスカップ・サンクチュアリあたりに濃密に残されている、という顛末を、ざっくりとお伝えした。ただ、どうもハスカップが枯れ始めるのではないかという疑念を,NPOが調査した枯死調査マップで示した。



パネリストは、苫小牧生まれでハスカップと共に人生を歩んできたという大西育子さん、厚真でハスカップ農園を経営する山口善紀さん、日本野鳥の会のウトナイ湖サンクチュアリで勇払原野の野生生物調査をしてきた原田修さんとわたしの4人。大西さんが語る「ハスカップとわたし」は、もっと時間をかけてお聞きしなければならない。ハスカップと人が作った風物詩は、ある種の文化だからである。そこからさまざまなビジネスも生まれていることも注目される。

山口さんは農家になる前は王子製紙の林木育種研究所の研究員であり、ハスカップ専門の農家としての研究と実績のお話は大変な説得力があった。質問への返答も、ハスカップ栽培なら何でも知っている、という経験に裏打ちされたにじみ出てくる自信が見えた。

 
 
原田さんは、野鳥の会の勇払原野に対するスタンスと、原野が絶滅危惧種の宝の山ならぬ宝の原野であることを淡々と強調した。また、勇払原野の弁天沼と安平川下流域950haが、洪水対策として遊水地に指定されることの現状を述べた。野鳥の宝庫の一帯とハスカップの自生地が実はぴったりと重なり、あるいはかつて重なっていたのが興味深い。



わたし自身、ハスカップの花の写真を撮り歩いていた20代に、シマアオジやノゴマを見、さえずりを聞いた。アカモズは毎年見ていたし、チュウヒは今も車窓からよく観察する。原田さんはあまり発言されなかったが、ハスカップをめぐる川下(資源利活用)と川上の環境供給地の話でいえば、ハスカップ原生地の川上をカバーしていることになる。

参加者からは、こういった川上から川下まで、普段まったく顔を会わせることのない方々がハスカップを真ん中において意見交換するような場というのは初めてではないか、という声も聞かれた。原田さんは「ちょっと場違いだったかなあ」とわたしにおっしゃったが、わたしは課題と展望とバランスの取れた理解をしていくうえで、欠かせない分野であることは間違いないと思う。各ステージの関係者が流域協議会に出たようなものか。



北大公共政策大学院の教授で、コモンズ研究会の座長でもある小磯修二氏が冒頭の挨拶で紹介したコモン・プール資源CPRsという意味を、もう一度ハスカップにあてはめて考えてみる必要がやっぱりあるのではないか。わたしは提言の最後に、ハスカップ・イニシアチブに立ち上がろうという提言をした。ひとつは、「北海道遺産への登録」、ふたつ目は、「ハスカップと市民の交流を記録にとどめるエッセー集『ハスカップとわたし』の編纂と出版」、みっつ目は「ハスカップ保全を専門にカバーするNPOなどの立ち上げ」である。

これは開発と自然保護の拮抗の呪縛からハスカップを解放して、ポジティブなシンボルに代えていく地味な活動である。そこに、ハスカップと苫小牧のアイデンテティを再確認するきっかけがうまれるのではないか。さっと、そんな思いを込めたつもりだが、うまく伝わったという自信はまるでない。しかもハスカップ新時代はやってくるのではなく、どうも創らねばならない、ということのようだ。では、誰がやるのか。

ここから先は新聞や「開発こうほう」記事のレポートへの反応などを勘案し、熱い思いをもった人と出会いながらじわじわと考えて行きたいところだ。


春の祝祭と危険枝の除去作業

2014/05/25 sun 16℃ 晴れ abe inaba oyama kusakari tsuduki=2 takagi 2 araki 2   10person


いくつかの作業が合同になった。まず、恒例になった春の祝祭の山菜のパーティは幸運にも薄ら寒い5/24から快晴の翌日に順延となって、10人の祝宴を催すことになった。inabaさんのフキノトウとホッキ貝のかき揚げをメインに、タラノメやウド、oyamaさんが採集したコシアブラなどが次々に薪の前のテーブルに供された。arakiさん親子もパンとお弁当の差し入れ持参で参加してくれて予想外の賑わいになった。シェフはinabaさん。
 

このほか、林道のわだち修復(oyama+kusakari)、残った薪の玉切りと薪割り・薪積み(tsuduki親子)、枯れ木・倒木の伐採整理(kusakari、abe、oyama)というように、スタッフが何役かをこなした。季節も年間で一番いい5月25日。この日は苫東で新緑が最も美しい日の平年の日で、こんな日にもろもろが進んだのはうれしい。記念すべき日だ。
 
こんなのが突如倒れてくればひとたまりもない。

特に薪は残りすべてが積み終わり、現地にはたきつけの木っ端しかない。結局できあがった薪は、16棚(43立方m)弱となった。おととしの成果と並ぶ程度だから、稼働日数に比べればかなり効率がいいことになる。薪割り機と運搬のスノモの効果は、すでにこんなところに出ているのか、と驚く。
 
左手前のブルーシートが最後の0.5棚。右の写真が満杯の薪小屋。

今日の大事な作業のもうひとつの核は、危険枝の整理(abe、takagi父子)。メンバーのabeさんんに仲介してもらい、札幌からTさんとアシスタントのご子息(高校3年)にきてもらい、abeさんがコーディネートしてくれた。当方が依頼したのは、ドロノキ2本とコナラ広場のコナラ一本。午前にドロノキ、午後はコナラとあいなった。

  
ドロノキの樹高は20mあまり。そこに何本かの枯れ枝があり、フットパス上に直径20cmあまりの太い枝が落ちた。

落としたドロノキの枝を見ると中の芯は腐っており、切り落とした枝はすべてフットパスのドマンナカに落ちた。予め、伐採や枝打ちをしておくことの意味はこれだけでも十分だ。
コナラの枯れ枝を見ていると、高齢者のケアを連想させる。古木が枯れ枝を持つのは当然。



ハスカップの再調査
〜サンクチュアリの植生遷移におけるステージについて考察する〜

2014/05/24 sat 曇り 13℃ 単独


ハスカップ調査のデータをマップに落としてみて、どうも数が足りないような気がして調べ直してみた。今回は、調べた個体に赤いスプレーをかけて識別できるようにした。その結果、本数が増えた。カウント漏れがあったということか。最後にもう一度、エリア(50m×50m)内にスプレーのついていない個体はないか歩いてみて大丈夫と確認したから、かなり安心できる数字だ。
今日の道具。赤のスプレーともうひとつ、クマスプレーもある。

9時15分に開始、ちょっと小雨が降ったが1時間半で終了したので、そのまま、西の一帯を踏査してみた。エリアの西隣はハンノキ−ホザキシモツケ群落になってハスカップはいったんとても少なくなる。シラカバやサクラ、ミズナラも混じり、エゾノコリンゴや所によってはススキが入る。幹折れや倒木も少なくない。雰囲気としては荒れた原野。そこを抜けると再び、ハスカップサンクチュアリ状態になる。ハスカップ摘みの人たちが、迷わないようにマーキングするのだろうか、スズランテープや蛍光テープも散見できる。単独で来るには不安な人もいるだろうし、グループで来ても迷子になる可能性は大きい。目印は全くなく、3回ほど回転すれば方角がわからなくなる。
   
@ハスカップの写真撮影には最適だった Aサンナシはこんな状態 B西となりは枯れ木が多 C直径10cmのヒョウタンボクが枯れて倒伏
   
Dさらに奥はもっと乾燥 Eハスカップは微妙な違いで出没を繰り返す F水門。幅8mほど G安平川はシカが横断している。

柏原幹線排水路沿いに南下して、安平川語流点まで500mほど南下してみる。排水路の土手から見ると、ハスカップのサンクチュアリ状態は途中で消えそうだ。少なくとも栽培地のような植生ではなくなる。ほとんど誰も来ない野生の王国は倒木や枯れ木の山だ。安平川合流部近くには錆びた頭首工があり、立派な躯体のコンクリートが打ってある。排水のインフラが真剣に行われていた時代に思いを馳せた。泥川の安平川とその周辺の風景はやや陰々滅々。

路を戻りながら考えてみる。枯れて倒れて原野景観を作っている植生は寿命の短い潅木やヤナギなどだ。思えば、一帯は7000年前は海であり、排水が行われて100年足らずの、海岸から2,3kmのところだ。長い植生の歴史から見ればまだ陸地になって日が浅いというべきか。これらの枯れて分解したものの蓄積の上に大木の混じる森林植生ができると考えれば、「現在、修行中」といった成長段階なのだろう。しかし、放置された過渡期とは、随分と荒れた景観をつくるものだ。ハスカップ・サンクチュアリはその中にあって、まだまだパラダイスのようだ。植生がシンプルで、ミズゴケ・ブルトの実生ハスカップがそのまま優先種になって勝ち誇っている。

やがて、他の植生も生育できる乾燥度にいたって、ハスカップそのものが競争から脱落していく。そういうステージがハスカップ・サンクチュアリのようだ。排水路の左岸も踏査してみると、右岸とほぼ同様だが、ハスカップの密度は右岸ほど出ない。踏みあとも顕著でないように見える。

正午のサイレンがなったころ、コシアブラを求めて国家備蓄のそばのカラマツ林に入ってみたが、見当たらず。小屋の周りもほとんどない。シカに幹を折られたりしたのが効いたのか。5mもある数本のコシアブラの、枝が届くところから少々採取しただけに終る。遅い昼食をとってから、育林コンペのゾーンでチェンソーを出して数本を間引いた。すでに葉がでているから、伐採後の処理量が多い。そのうちの一本であるホウノキから芳香がした。
  
人の棲める風景、里山。ほっとする

久々に長老宅によってみると、スドキの露地栽培に案内された。実生から2年で地面を覆うほどに生えている。驚いた。




ハスカップ原野の現況を調べる

2014/05/17 sat 曇り時々小雨 風強し 9℃ inaba oyama take =3person


ハスカップ・サンクチュアリのハスカップの枯死状態を調べる。昨年のエリアの西側50m×50mで、GPSの扱いもわたしはほとんど忘れてしまって出だしでもたついた。まず調査地の設定を試みたが、昨年同様10mほどの違いがでた。自生するハスカップの地点登録も結果的にはどうも自信がない。初歩的な調査の下準備と打ち合わせが今ひとつだった。いわゆる野外調査のイロハで今年はちょっと躓いてしまった感じだ。寒い日でいまひとつノリが悪かったので、出直す気分と、あと山菜の適期なのでその探訪にひかれ、1時頃にそそくさと現場を離れた。
  

早春の雑木林はうつくしさを超えるナニカ。そこでこんな山菜をいただく。
  

満開のサクラの下で

2014/05/10 sat 18℃ 晴れ araki inaba uemura oyama kai kusakari
6

今日も延々と薪を割りました。読めてきた生産量は16棚、ちょうど8軒の薪ストーブ燃料にあたりますが、薪小屋作りにまい進した今年は、こんなものかも知れません。割り方に徹していると、何もかも忘れますが、割った瞬間にマメくさい匂いにはっとしました。よく見るとエンジュの木でした。エンジュを薪にする際は、長寿のお祈りをされてはいかがでしょう。



それとコブシ。割った途端に芳香が漂う。これはほとんど漢方の世界。

それにしても薪作りは一心不乱になる。「こころ」にはものすごい「休養」と「肥やし」と「安らぎ」をくれる。こころの疲れた方、色々な方に分けてあげたいところ。

3人の女の子が、じっと薪割り仕事を見ていた。そばを覗きにきたので聞いてみるとふたりはNさんの姉妹。いつだったか、真冬の間伐現場にお母さんと散歩に来たことがある。そこで記念写真。ちなみに、男子の秘密基地めいたあばらやは、シートが撤去されている。飽きたかな?
サクラの木の満開の下で、11時のおやつと、間もなくのお昼を過ごす。落ちそうなものはないのだけれど、頭上の枝が気になる。みんなが帰ったあと、薪の前にテーブルを移してみた。とてもいい気分転換になる。


【総括】

ようやく、間伐から薪作りへの一連の作業が終りそうだ。あと最後のユニットに1列まきを積み、1棚弱の薪を割ればいいだけ。外に4棚作る予定は達成できなかったけれども、ほぼ16棚、8軒分というのは妥当なところ。山仕事をしていなかったにしては多く、昨年に比べれば3割の減。何度も繰り返すことになるけれども、この程度で十分ではないのか。

そうしないと、山仕事に追われるのだ。もうひとつ問題があるとすれば伐採届けの期間。あと3年でも終われないかもしれない。やはりそのときはそれに対応して再申請だ。

今季、最も太い間伐木はハリギリだった。大体8等分したから、薪として100切れ以上ができただろう。
【追伸】
5/11に千歳の帰り薪小屋に寄って見ると、立派な薪でカムフラージュされた(爆)6ユニット目が満杯になっていました。薪小屋への収納が完了です。arakiさんファミリーとkikutiさんなど関係の方々、ありがとうございました。壮観です。


5/10の3時から、araki、inabaの両名は山菜の偵察へ。4時過ぎ、ミツバとフキを少々分けてもらった。いよいよ、山菜のシーズン。短い春の一時だかあ、適期は見逃せない。 ドロノキの新緑@柏原試験地5/11


育林コンペのフィールドへ

2014/05/05 mon 10℃ほどか 単独

一輪車と、ハスカップ調査用の胴ぶちを買って薪小屋で加工。そのまま、育林コンペの自分のエリアへ行く。風が強いので落ち枝に要注意だ。昨年のチェンソーのスキルアップ以来なので、今日はまず林道沿いの笹刈りから始める。次に潅木を切る、次に枯れ木、込みすぎなどを抜き切り。少しずつ、見え方を考え比べながら進んでいく。昼飯も取らずに2時過ぎまで。雨がぱらついてきた。帰り際、林道の反対側と比べてあまりの差に驚く。小屋でkaiさんと会う。
  雑木林の間伐モデルゾーンになってきた  


まだ、丸太が残っていた

2014/05/03 sat 8℃ 曇り abe araki inaba oyama kai kikuti kusakari migita wada =9person


例年より、大分早いペースで進んでいるなと思いきや、材がまだ林に残っているというoyama情報。すわっと前夜、軽トラ、トラクターのオーナーに電話し、朝7時前に遠浅から段取り終了、9時半に出向く、との連絡を受けた。
      
左から@migitaさんが大型トラクターのバケットに積んで運んできた。A今季、最も太いのはハリギリ、直径60cm弱。Bもともと穿孔虫の存在は伺えたが、材はしっかりして、幼虫も健在だった。C薪割りのarakiさんと小屋。

運んでもらったら、午前中一杯かかった。それもかなり上質の太いナラが一杯混じっている。4棚近くあるかもしれない。林の中から人力で引きずり出すのは、さぞや大変だっただろうと察する。人間バンバ、奴隷のような仕事だ、といつも冗談が飛び交うアレだ。しかし広場の現場も、フル稼働だ。休みもとらないで、黙々と切り、割り、積む・・・。

で、わたしの目算ではこれで薪小屋すべてを埋めて、外にあと2棚作れる。先週は、連休で終りそう、という安堵感があったから、今回の発見は落胆に近い面もちょっともっていたが、そこはそこ、腐らせないで使い切ることができる達成感と満足感の方がはるかに勝る。幸運だと思う。
  

広場では、abeさんが玉切り、arakiさんとkikutiさんが薪割り、inaba、kusakariが外に1棚を作り、kaiさんはユニットを埋め、後半は3人でユニットに積んだ。壮観だ。



ハリギリがなかなかしぶとかった




外部分譲用に合計4棚を外積み予定
2棚を外に積む

2014/04/26 sat 17℃ 晴れ oyama kai kadi kikutchi kusakari hunaki =6person



幅1.7m、高さ平均2.0m、奥行き1.8mで6.1立方ある。

4月24日、右田さんらが運んでくれた残りの材がヤードに山積。掲示板でチェンソー班が必要!と声をかけておいたので、4人がチェンソー持参。一方、arakiさんらは2,3時間ずつ3日間、薪割りをやってくれていたため、思ったより進捗が早い。
 
見てくれはともかく、乾燥第一。伐って積んで即カバー。

結果、割った薪のドマンナカに薪を積んで合計2棚にシートをかけて終了した。kajiさんは、薪割り機を担当し、帰りにほだ木を若干確保、hunakiさんは奥様お手製のハスカップゼリーを保冷材をいれた容器にいれて持ってきてくれた。甘さ、酸味、そしてちょっとアルコールの香りもする上品。千歳空港に送る車中、「今日は疲れた」。





薪小屋の屋根から

薪割りのベストショットはデジカメではちょっと難しい

昼はサクラの木の下で

薪の山からコマ鼠のように動くメンバーを撮る

oyama棟梁の床造作

転勤先の南富良野から駆けつけたkuriちゃん






























10人で薪割り、薪積み、そして

2014/04/19 sat 5℃ 晴れ araki inaba oyama kai kadi kikuti kurita kusakari nakatsu hunaki  10


4/4に書いた悪路の補修を右田さんが平日にやってくれた。その後、やり残しの玉切りもこなしてくれたので、あとは割って積むだけになった。午前午後の入れ替えを入れて10人が駆けつけて、精力的に進行した。なにせ、薪小屋の初使用であり、スノーモービルから薪割り機、薪の格納庫とひととおり揃っての新シフトだ。一方、oyama棟梁によって、薪割り機の格納場所に、床が張られた。

薪割り機1台に対してまさかり班が6人、積み手二人。ワシワシと進んだが、途中、荷崩れを起こしてやり直すなどもあって、ようやく、2ユニット約10立方mを格納したのみ。「のみ」というのが妥当かどうかわからないが、見た目には進捗が遅々としている。働き手はマイペースで休み休みだが、誰も休もうと言わない。午前はわたしが声をかけたが、11時を回っていたらしい。再開後、すぐ、お昼になった。

メンバーへの薪の配達は6月14日、2トンのロングを予約してある。この日、2軒を回れないだろうか。手っ取り早くやるために、2軒分は小屋に積まないで、野外にシートをかけて積もう。そのほうがはるかに積み込みが楽だ。しかも順序は午前に新札幌、江別の船木さん宅は午後。

風が冷たくなって4時前に散会。

=====

江別から参加した船木さんを千歳空港に送ってから、わたしは小屋のソロ泊に戻る。薪ストーブに火を入れ、焚き火に火をつけて缶ビールを開けて軽く散歩から戻ると、kaiさんが育林コンペの現場から戻ってきた。日没まで、焚き火を囲んでヘッドライトをつける頃、彼は札幌に帰った。
   
酒のつまみはツクネとサラダ。夕日の木洩れ日は素敵だ。さらに暮れなずんで、闇夜に焚き火の炎が揺れる

わたしはいつもの、ありあわせの惣菜とキャベツのサラダで焚き火の晩餐。炎の上がり方が美しい。星空が一段とクリアで、北斗七星が結構早いスピードで回転している。それがわかるほどの時間、外にいた。もちろん、ビールはワインに変わっていた。焚き火を眺めている自分はいつも無心になる。無我、つまり「とらわれ」「こだわり」がなにもない。平静心。まさに冥想の世界に入っている。ソロの焚き火は往々にしてこうなる。しかしネガティブになったりはせず、結果、プロアクティブに我に戻る。
西洋にはロウソクを眺めて一夜を明かすビジルという行があるらしいま、ミニ・焚き火だ

10時前にシュラフにはいって、いつもの定刻5時前に起きた。ささみちフットパスを1周してから冥想テラスにマットを敷いてyoga。ミヤマカケス、ウグイス、イカル、アカゲラの声やドラミングに混じって、6時過ぎに無粋なエンジン音が、半眼の耳に入ってくる。8時前に、kaiさんが時々来ている育林コンペのゾーンに行ってみる。まだ始まったばかりだが、今年は薪作業が早いペースで進行しているから、メンバー各位は連休とその後はこちらに注力できるだろう。
 
霜が降りた朝。フットパスでは霜柱を踏んだ。小屋は日脚の長い影で幻想的に見える

窓から灰を捨てようとしたら、窓の薪のした何かがいる。タヌキだ。うずくまって震えていた。シューズを履いてデジカメを手にそばに行っても逃げる気配もない。毛並みは悪くないが、顔がちょっとやせて見える。昨年5月だったか、昼食の時に寄ってきた、あのタヌキかもしれない。昨年は2匹のエゾリスが仲間入りしたが、今年はタヌキが正式デビューか。小屋の周りでシカ達が落葉食を始めたようだから、動物のかかわりは益々多様性が増しそうだ。エゾリスとタヌキの愛称はなんとしようか。

 


思い出したことを一言memo。先週の植苗病院の作業後、フットパスを一巡りして痛感したこと。それは「風倒木が一本も見えない林は手入れされた林」という指標だ。誰かが目をつけていてくる状態でないと、風倒木や懸かり木のない林は生まれないから当然のことではある。そうあるためにはとても時間がかかるが、気持ちひとつで可能だ。要は風倒木や懸かり木が目(感性)にさわるかどうか。

帰りがけ、ささみちフットパスに横たわっていた懸かり木を一本倒した。カラマツの風倒木も気になるが本数が多いからこれはいずれみんなで。ミラクル&デインジャラス落ち枝は8本。



合同の土木現業所だ。人力がブルドーザーのように機能する








広場と決めたエリアを刈り、集め、片付け、抜き切りし、センター
と思しきところに井桁を組んだ
植苗病院の癒しの林で保育奉仕
〜セラピーの広場とフットパス整備〜


2014/04/12 sat 快晴 5℃ abe inaba oyama kai kusakari takizawa 6名+札幌ウッディーズ18名

毎年恒例の早春の山仕事「植苗病院の癒しの林」保育。こころの病を持つ方々が、病院の周りにある雑木林のフットパスを歩きつつ、自らの力で病を克服していくその過程の、ベースになる林を改善していく奉仕活動で、当NPOに札幌ウッディーズが加わって続いてきています。しっかりと毎日踏み込まれた落ち葉の小径は、美しく、清清しさが感じられますが、これは胆振の早春の若い雑木林が本来持っている特長ともいえるでしょう。

今回は、放置され閉鎖されていた作業道をもう一度フットパスに復活させると共に、毎週行われている森林療法のために広場(車座になるらしい)を新設。これにあわせて、あまり手をかけないで残してきたエリアの間伐も進行。朝9時から午後2時半まで。作業についての印象と考察は下記のとおり。


*****(4/13トップページから)

植苗病院の雑木林を個人的に保育奉仕を始めたのは8年ぐらい前だったでしょうか。それが今、NPO苫東環境コモンズと、ここ4年ほどは札幌ウッディーズの応援が加わり、毎年1,2度、ゆったりした保育奉仕の集いにつながっています。合同で山仕事をした昨日は作業の合間に、瀧澤先生と全山を回ってみました。

なんと、関わってきた林のどこにも、ツルに絡まれたり風倒で懸かり木になったり、あるいは見苦しいほど込んでいるところがどこにも見当たらないのです。すべての木々が平等に、すっくと自分を見せているように見え、内心、目標にしていた、ここ独特の「美しさ」が十分オーラのように出ている・・・。あらためてビックリすると同時にひとつの達成を感じました。総勢24名の作業は、放置されて封鎖されていた路を復元し、残りの過密林分を抜き切りし、森林セラピーの療法で使用する広場を作ること、と多様ですが、いずれもなかなかの出来栄えです。



林をかけがえのないものと日頃考える人たちが、林を歩いて癒されることを願って奉仕する林。コミュニティや身近な林が、このような動機で変わっていくことができればどんなに理想的なことか。植苗病院の林の整備の軌跡は、ある意味で、「これからの林のあり方」を具現しているように思われますし、その根底で支えるているのは、土地を固定的に考えない、林の環境は共有、だから共生して行こうね、という風土へのコモンズ的な思いやりではなかったかと思えてきます。
*****



朝の仕事着手。
  
日本手ぬぐいが寒そうなわたし。

夕方、雪はすべて消えて。
薪を割り始める

2014/04/05 sat 2℃ 曇り時々雪  abe araki oyama kai kusa tuduki+1   7名

雪がほぼ消えて、再び晩秋の景色に戻りました。胆振の春は、雪解けイコール春への突入、ではなくて、イコール雪降る前の風景に逆戻りするのです。気温は上がっていくのに、土壌凍結という天然の冷凍庫状態が気温上昇を妨げるのでしょうか。それとも、植物の器官も凍らせて、水分移動をストップさせるのでしょうか。

間伐の山仕事は、先々週あたりから伐採が運搬にシフトし、今週はついに午後から薪割り機を運び出して、傍らから割り始めました。すでに運んできた長材を、35cmに裁断する作業も3分の1ほどは進んだから、意外と連休には薪がすべて小屋に納まるかもしれません。昨年の薪割り開始は5月12日だから、1ヶ月以上ほど早いことになります。となると、ハスカップの調査や、薪の顧客への販売輸送など、大分余裕をもって展開できることになります。


 
9000年前、縄文人はシンプルライフの文明をすでに築き終え、分業をしていたという。薪作りを見ていると、
すべてのメンバーが各々の分業をわきまえていつしかいそしんでいる。写真左はarakiさん、薪割り担当、右は、
薪を積み始めるkaiさん、手伝うtaitiくんとその父、後ろにabeさんが。


これはうれしい誤算。ただ、材はやはり昨年よりは少ないみたい。昨年は24棚、今年は、16棚ほどか。ユニット6つを埋めて、4棚を外積み。これを早々に顧客用に運搬しよう。随分いい加減な目算だが、意外と当たる。
 
順調な山仕事のツケは「道」に。わだちに掘れたあとの処理は、右田さんに相談しよう。


4時過ぎ、池のほとりでフキノトウをポケット半分だけ採って、早速、夕餉の吸い物にちらし、残りをフキミソに仕立てました。採るのも食するのも至福のひと時であります。ああ、シンプルライフ。

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