環境を創る醍醐味
NO.84
2014/07/05〜9/27


日本人に宗教は要らない、とドイツ人の禅僧が言っている。
日常生活がすでに修行になっているというのである。
一方、梅原猛氏からは
仏を目指せというメッセージを聞いたことがある。
仏は恐れ多くて無理だから、せめて
万人の悩み相談に応じる菩薩あたりを目指そうよ、というなら、少し
賛同者も増えるのではないか。

ヨガも日々修行だ。
仕事ももちろん修行のうちと考える。だから全身全霊を込める。

雑木林の草を刈りながら、いつも修行のことが頭に浮かぶ。





ボリボリ群落に遭遇


2014/09/27 sat 晴れ時々曇り 19℃ 風強し
inaba oyama kai tomik & tomim kusakari= 6 persons

本格的に道作りを始めて2日目。先週の残りがあと100mほどあって、5名がチェンソーと刈り払い機をもって従事した。高村光太郎の有名な詩の一節に「ぼくの後ろに道はできる」があるが、まさに方角を合わせて刈り、伐り進んでいくと、無造作に荒れた雑木林に確実に道ができる。思わず「(おお、自然よ)、父よ」と吟じたくなる。そして何度か歩いてみると、そこは昔からあった道のように体になじんでいる。ウソのようなはなしだが、本当にそうだ。


苫東ウッディーズの婦人部のおふたり。ここにも女性の進出!

わたしは今日もGPSをもちながら、大島山林のこれらの道のマップに大修正を加えるべく歩き回った。先週の踏査で、今利用しているマップのルートが実際とはかなり違っていることが分かったからだ。また、28年度までに除間伐を終わらせる予定地の境界線も、GARMINの「近接アラート」という機能によって、進むべき方向をGPSに示してもらい、その場所(半径2mくらい)につくとブザーが鳴るからようにしたから、なんとも独りIT冥利にひたったのだった。

サインの奥のピンクのテープでアラートが鳴った。穂かと区別すべくここには3本のテープ。

oyamaさんとも話したが、この近接アラートは来年のハスカップ調査に活かしたいところ。すでに調査済みの3か所は、境界の角地のポイントはすべて座標値をもっているから、実際、可能だ。この機能のいいところは、カーソルが進むべき方向を正確に示してくれることだ。それを使えば、ハスカップの藪の中に正確な50m四方の調査区を設けることができる。今日のこの収穫は大きい。


(追記)
仕事を始める前に池の周辺に町内会の方々20人ほどが集結していたのであいさつに行ってみると西田会長以下町内会の池周辺刈り払い作業だった。作業リーダーはコモンズの支援会員である和田さん。会長によると、和田さんの人格で人が集まるらしい。また、11月末には広場から池につながるルートで子供たちの駅伝大会を行うとかで、担当の方があいさつに来られた。

毎年、春と秋にはできるだけ山菜をいただくことにしている。だから、大きめの籠を腰にさげるか背中に背負うことが多い。しかし私の場合は、あくまで仕事のついでが多く、そうでない場合でも散歩のついでであり、基本は無欲である。無欲だから、上も下も横もみて、風景の画像もいっぱい仕入れて帰ってくる。なければ俳句の一つでも。

しかし、山菜はむこうからやってくる。今日も、刈り払いルートを婦人部に案内しているとき、ボリボリの大群落に出会って、ほかのメンバーを携帯で呼び寄せ、みんなでワシワシ採った。



 

今日出会ったのはこのボリボリのほか、エノキタケ、チャナメツムタケ、スギタケモドキ(?)、カラカサタケ、ヤマブシタケなど。ニガクリタケは随所に。そしてヌメリツバタケ。ほかには、inabaさんが見つけたウラベニなんとか?というシメジ系、帰り際お会いしたきのこの会の三海さんにキララタケみたいだな、と教えてもらったものなど。



お昼時、並べてみた。これを5人で山分け。


新しい道を作る

2014/09/20 sat 晴れ時々雨 19℃
inaba oyama tomik kai take = 5 person

道作りを終えて林道を戻る

長い間懸案として持ち越してきた大島山林を東西に横断する作業道&フットパス。今日、ようやく段取りを終えて、着手した。今回もGPSを使用して大まかなポイントを事前に落とし、予定のポイントに近づけばブザーが鳴るようにした。が、なかなかすべてがうまくはいかなかった。どうもコンパスとマップ片手に調整と訂正を繰り返してたどり着く、従来の方法の方が誤差は少ない感じだ。むしろ、アナログで作った大まかなルート図を、実績としてGPSから軌跡を読み取って補正するというのがいいみたい。計画は計画、実績は衛星から、というわけだ。



午前、薪小屋の周辺刈り払い班、テーブル防腐剤班、それに道のマーク付け班の3班にわかれ、分担作業。午後、5人一緒に、チェンソー2台で倒木を伐りながら、刈り払い機3台で林床を刈り進んだ。700mのうち、あと100m少々を残すところまで達することができた。今回開設したのは順次南進している作業箇所に、スノーモービルが通れる運搬幹線路を作るのと、それを雑木林フットパスに利用するのが狙い。しかしやってみれば、今後これをどう刈り払いするのか、新しいノルマにも気づいて内心、緊張を覚えたのが本音。



 

今日の作業は、写真下部、濃い青い線で右下から赤い線と交差して左上に上がるルート。実際には赤い線がずっと左に寄っていることがわかった。

それにしても、チェンソーと刈り払い機でこんなに簡単に道ができてしまう幸運に喜びは隠せない。胆振の雑木林の恵みともいえる特長で、根曲り笹がないことと平坦であることに理由が求められる。

刈り払われた雑草畑とて^ブルのバランスが美しい。夕方、ここにきれいな虹が出た。




調査や作業とはいえ、この時期、雑木林を歩く楽しみは格別だ。いろいろなキノコに出会える。エノキタケがすこしまとまって出てきたし、今日は珍しくマスタケに出会った。薄暗がりで出会う赤い鮮烈なキノコはちょっと衝撃的出会いだ。ボリボリは少々、ウスヒラタケも同じく。

特に今年は9月に入ってもほとんど蚊に悩まされないからなおさら、仕事=レクになる。

 


いけの周りに先週からブナシメジ(↑右)が出ていて、数本を手に載せてみた。


書き忘れそうだったが、今年はドングリが豊作だ。エゾリスも蓄えに忙しいのか、林道で出会った。



サインを作る

2014/09/13 sat はれ 21℃ 
oyama tomik tomima take = 4 person


11日と12日未明頃、苫小牧は未曽有の豪雨に見舞われ、あろうことか全国ニュースのトップに両日扱われた。大雨の警報に関するシステムの変更のせいもあったとはいえ、大げさでなく、たたきつけるような雨が時に雷や暴風とともにやってくるというのは、確かに、災害列島JAPANを彷彿とさせた。

一夜明けたコモンズの現地は蚊もおらず、意外にもキノコも多からず、という状況だった。そんななか、キノコの出具合も大いに気にしながら、フットパスのサインの充実と更新を図るべく、午前はサインの準備、午後は「かしわばらフットパス」と「とあさフットパス」の不足のサインを設置して回った。


 



で、あまり出のよくなかったとはいえ、キノコはこんな風↓だった。確かに食用キノコが多発しているという状況ではなかったけれども、tomimさんの籠はこんな風で、中にはハタケシメジも含まれていた。

薪小屋の広場が刈り払われ、美しいフィールドになっていた。テーブルと椅子がいつも通り広場にマッチしている。薪小屋もこの空間がやや異質だということを主張している。


不思議なことに、かつて薪を積んでいた場所が牧草ではなくヒメスイバの植生のまま、復元していない。面白い現象だ。



帰途、大好きな柏原のにおいのするビューポイントに車を止めた。セイタカアワダチソウの繁茂するところだが、帰化植物の侵入、などというお題目とちょっと無縁で、ここ40年くらい見続けた変わらぬこの耕作放棄地の光景を、わたしは、あまり大きな声では言えないけれど、好ましい、時代表現をする数少ない遺産的風景だと思う。

小刻みな土地変更をしなければ、風景というのはとても落ち着くものに、収斂するというのがわたしの小さな悟りである。




秋の醍醐味  スドキの増殖にも挑む

2014/09/06 sat 晴れ一時にわか雨  inaba oyama tsuduki tomik take = 5person

刈り払いが終わって、チェンソーを出すにはまだ早いし暑い。9月はそんな時期に当たる。山仕事の側にとっては端境期の、いろいろとほかのことをやれる貴重なころあい。ただ、その時期はキノコの最盛期に当たる。だから、気もそぞろになる、なんてことはないけれども、まあ、どこか、余禄を求めていないか、といえば嘘になりそう。

ホーマックで作業の資材(板と垂木)などを買って現場に着いたのは定刻より1時間遅れだった。さっそく、今後の看板用に、板はグリーンに、杭にする垂木は茶色の防腐剤を塗った。英国の素敵なアウトドアの看板(看板と杭がともにグリーン)にヒントを得たのだが、「ここはここで」別々でいこう、と衆議一決。仕上げてみるとまあまあ、だった。
  

この看板は、今から20年以上前に、この一帯の保育間伐を始めたころ、自然保護全盛の世にはびこっていた「木を伐ることは悪いことだ」という原理主義に一矢を報いるべく、林道の左側のみ保育して、右側を放置してデモしてきたことに端を発する。頭で考える原理主義者や一般の市民に、「手入れしたエリアとしない所のどっちがいい?」と情緒で見てもらうのがねらいだった。原理主義者が来たかどうかはわからないけれども、実にたくさんの友人、知人、研究者、メディア関係者が来てくれて、異口同音、「なるほど〜」だった。

この比較も画像に保存したし、当初の目的も達したと判断して、右側の南端(先週、シロシメジが出た場所)から小屋の前までのエリアもNPOが設立される10年以上前から保育間伐を進めてきたのだった。そして今、比較のポイントが小屋の前に北上してきたのだ。それで、「左手は保育地、右側一帯から北側は何もしていないエリア。あなたならどちらの森づくりを応援する?」というメッセージを60cm四方の緑のプレートに託した。託した、といえばカッコいいが要は説明を省略した手抜き。ま、わかる人が見れば、わかるべさ、の世界。


時節柄、ボリボリが出始めたようだ。先に来たoyamaさんらがフットパスにどっと出ている場所をみつけ残してあるというので、昼食後、出かけてみた。なるほど、出ている出ている。地面から出ている、やや軟弱な種類だ。味や見た目は木の株から出ているものの方が上だと思うが、それはそれ、初物のうれしさが湧く。帰り際、キノコの山をまさに山分けして、念を入れてじゃんけん。
  



今日の隠れた地味な作業は、スドキの増殖実験。花の終わったスドキの穂を採取して、小屋周りに穂を指したのだ。長老によると、スドキの種子の拡散と発芽力はハンパでなく、長老の自宅の庭の実験地では被度100%になっていたのを見て、ぜひ今年はやってみたいと思っていたのだ。本番は11月あたりでいいようだが、今日は予行演習。みんなで近くの狭い自生地に出向いて採穂、なかなかいい塩梅に穂が刺さって、実験地らしく見えた。




そしてtomikさんから新情報。

各自が入ることになっている障害保険について、自分の作業によって他人を怪我させた場合の補償、いわゆる賠償責任については、契約できないようだとのこと。また、自己責任で活動しても、万が一、賠償責任のからむ事故が発生すると、これまでの判例では、活動の主催者、つまりこの場合はNPO苫東コモンズにかかってくるという。確かにわたしが加入してきた損保ジャ○○の保険証券を見てみると、賠償責任の項目はなかった。今年はやめてしまった専門の森林ボランティア保険は賠償項目はしっかりとある。保険屋さんとそんなやり取りがあったか、忘れてしまったが、これはフォローしておく必要がある。


運営委員会 @雑木林のケアハウス

2014/08/30 sat 23℃ のちウインドブレーカー inaba oyama tominaga-pair kusa = 5 person

午後1時半から運営委員会を小屋で開催。常連二人は参加できなかったが、新人のT夫妻が加わってくれたので結構にぎやかな感じになった。運営委員会といっても実質、NPOの日常的なスタッフが昼食時などに打ち合わせるのが普通なので、冬の間伐作業のテント小屋は、いつも運営委員会のようなものですが、今回あらためて行った運営委員会は9月の理事会、10月の総会に向けた意見交換の意味があります。これでだいたい、来春までの方向が決定。まったく暇がない。
  
写真左=少数精鋭の委員会、中=思いがけずごちそうになったオリーブ油たっぷりの野菜サラダ、右=今季一つ目のヘビの抜け殻


雨上がりの刈り払い最終日、キノコにあやかる

2014/08/23 sat 23℃ inaba kai kusakari tuduki tominaga♂♀ = 6person


土曜日の朝方豪雨となり8時ころようやくやんだ。おそらく林は蚊の猛攻があろうとメロウな覚悟をして出かけたのに、なんと、まったくいなかった。どういうことなのだろう。この年較差が実に面白い。気象が創るニッチだろうか。年格差といえば今日、キノコたちがバースト状態だった。昨年とは天地の差である。名前を覚える気はもうないが、その一斉に出る圧倒的な種の多様さはまるで大地のエネルギーである。発生してくる「気」のシャワーのようなものに打たれる。キノコも大喜びしている風だ。そのほんの一部をお見せしよう。左上はシロノハイイロシメジ。いつものは紅葉の頃に採取していたから2か月早い。風味を活かしてさっそくお吸い物とそうめんに。
  

   

   

  

  

  

山仕事は大島山林のフットパスに、inaba kai tudukiの3人が出向いて昼、小屋で合流。わたしとtomi夫氏は、ささみちフットパスの沿線にできた4本の風倒木を片づけた。tomi夫氏は新人なので、STIHLのチェンソーMS201Cを貸与して、簡単にチェンソーの話をしてから、現場ではわたしが伐倒した後、玉切りから始めてもらった。風倒木は危険だから、感じてもらうにはよかったかもしれない。暑いのに、蚊がいないのには助かった。
  
お昼に大島山林の3人が戻って、午後は林道のセンター部分と豊川への林道を刈った。前後に収穫したシメジ(最後の写真)は山分けした。


於苫東休日吾遊小田園観光 

2014/08/16 晴れ 24℃


家内と久々のドライブ。フィールドも2週も休むとなんだか懐かしく、 山仕事の場がリゾートのように見えるから不思議。で、苫東休日的プチ田園観光。浜厚真〜小屋〜柏原フットパス〜大島山林。使ったお金は、自販機の水、130円。

■浜厚真の自然海岸
 

アクセスが舗装道路になってシャワーと水洗トイレ、海の家ができていて、本格的なサーファーの場になっています。黒松の造林も始まった。火付け役は当NPOの会員の木本宏・木本建設社長。氏が始めた浜祭りはもう30年くらいだろうか。砂浜をえりもに向かって歩く。

■小屋
inabaさんが15日に大掃除をしてくれて中も外もこざっぱり。とてもいい感じ。窓ガラスもピカピカ。蚊はいません。
小屋の周りを独り一周して戻ると家内はベランダで眠っていた。それほど快適な盆の16日@雑木林。
  

■育林コンペ
育林コンペゾーンに行ってみると、笛木さんの0.5haが見事に笹刈りが終わっていて
本格的な間伐を待つばかり、という風情になっています。盛夏の笹刈りは笹の繁茂を
抑えるためには最良の方法でしょうから、先を越された感じ。一番遅く初めてトップランナーに
なりました。そろそろ期限が近づくので、この秋はみんな拍車がかかるはず。年間スケジュールもそのように変更しています。

笛木さんは骨休めすべき休日に、スズメバチの危険も冒しつつの奮戦でした。oyamaさんも少々、kaiさんとわたしのゾーンはほぼ山仕事の跡はみえず。ともかくも、お疲れさんでした。

■柏原と大島山林
誰も来ない柏原にも2組が往来。1番草のあと、採草地は緑に変わって30cm。あのうるわしい芝状態は終わっていた。大島山林はtomi夫さんの刈ったフットパスが分からなくなってきましたが、雑草グリーンはさすが。



北大苫小牧研究林という「都市林」

2014/8/10 sun 曇りのち雨  24℃


 

今週と来週は山仕事はお盆休みで、かつ、どこへも出かけないで過ごす。昨日は特にホームパージのファイル転送ソフトが不具で調整するのに、結構ストレスを感じつつ夕方までかかって終えた。なんだ、原因は自分の勘違いと思い込みじゃないか。

このところ、こういう場合は焦らず、急がず、もうひと踏ん張りしようと決心して実行している。そうしたら不思議なことに答えが向こうからやってくる。ほんのちょっとのツッコミと辛抱で世界が変わるのである。昨日もまさにそんな恰好で、淡々と時間だけが過ぎていった。こうなればちょっとした悟りである。

で、休日の雑務でも机の前に座りきりになって固まってしまうから、久々に散歩するため北大研究林に行ってみた。車で10分、距離は10km。ポールをもって歩くといいのは、上半身が多少でも動くからだが、まてよ、と思う。日常、まったく腕も動かしていないことが、そのポールを若干動かす時のぎこちなさでもわかる。「あれ、この辺を動かすのは久々」と腕がいう。

ちょっとその辺を一周。行きあった人3名、うち一名とは挨拶。ベンチに座ったりして1時間ほど過ごす。それにしても参ったものだ。都市林と都市近郊林の講義をするのに、北大研究林に来たことがあるのが40人の20歳の学生で誰もいなかったのだ。これじゃ、概念の世界にしかならない、と200枚ほどの国内外の都市林や公園の画像を上映したのだった。そうだろう、若者にとって公園や緑なんて優先順位のかなり後順位になっておかしくないのだ。

ただ救いなのは、提出されたレポートの中には、中学までに近所の公園や林でいろいろなことをして遊んだ、とかいう記述が多い。そして、講義で話したことも思ったよりは心に刻まれていることがわかる。ホント、これはちょっと意外だ。いろいろ、カタイことが書いてあるのは体験がないから仕方がない。環境社会学という視点もハタチの学生には無理かもしれないと思うようになった。そうはっきり口には出さなかったが、「心身の不具合(病気)でもおこさないと緑への切実な渇望は生まれない」。だから逆に心身のピンチをくぐってきた学生には、あるいはピンときた可能性がある。

自分でも、子供たちが小さいときは日曜のお昼は、毎週のように弁当と缶ビールをもって演習林や公園や野山や川に来ていた。その子供たちはハタチすぎてからまったくネーチャーに関心を持たない。大丈夫なのか。おそらくは、子供でもできたら、自分がそうされたように、動物園に連れていき「これがライオンさんだよ」とか復唱=再確認し、「緑がきれいだね」などと研究林に連れてきて言うのだろう。


親という役割を演じる段になって初めて、動物や緑を意識し再定義するのだ、と実は作家の別役実が雑誌「アニマ」で書いていた。今から30年も前の話だ。急に思い出した。


気温30度の刈り払いで出会う風景

2014/8/2 sat 快晴 30℃くらいか  inaba oyama tomi夫 take = 4 persons


苫小牧では猛暑にあたる快晴。8時半前に家を出るときには玄関の温度計が27度を指していた。

今日は掲示板で植生復元モデルを刈り払うことにしていた。まず、小屋の前のテーブルで近況報告みたいなことで段取り。kai、tudukiの両名からは仕事などで欠席の連絡を前夜までにもらった。このところ、刈り払い参加者が少数だが、まあ、だいたいいつもこんなもの。各人、いろいろ都合もあるし、当NPOはメンバーに義務みたいなものがない。実は少ない人数でやる山仕事は格別なものだ。そのずっと前は基本的にいつも独りだった。だから、個人的な感想としては、二人いたら、もう超ニギヤカ、なのである。
 
懐かしい二俣の復元。北に向かって左のルートは30年ぶりの復元だ。沿道で見つけた侵入したカラマツ。すべてが倒れた時の実生苗だと思われる。樹齢はおそらく30年。

土地のオーナーに、旧道の復元を頼んでおいたのが6月にはできて、今回は2本のルートを刈り進んだ。約35年前の昭和56年の台風被害のあと、カラマツの風倒木を処理した後放置してきた40haだが、見事に広葉樹林に変わった。わたしは風倒木の処理のあと、数年、約1km近い調査のラインをナイロンロープで設置し、ライン上にどんな植物が侵入してくるか独りで調べていた。広大な緑地管理は「植えない緑化」で進めるべきと考えていたのだ。ゆっくりした植生の変化は、当初カラマツが密集していたから、広葉樹はほとんどなかったものの、灌木、アカシア、シラカバなどが侵入してきて、やがて、わけ入るのもいとわれるくらいのブッシュになった。野生生物の隠れ家だったに違いない。そして30年が過ぎて今がある。
 
午後、小屋周りを刈り始めるinabaさん。右は水の吸い上げが間に合わないのか、シナシナと葉っぱがよれてきたホオノキ。ナラは特にコナラが土用吹きしている。

この秋、この一帯は植生復元のモデルとして改めて本格的に調査をする予定である。つまり、このモデルは、「苫東では木を植える必要がない」ことの重要な生きた見本なわけだ。復元力とは人の管理のスピードを笑うほど。だから、ある程度の時期まではそのまま見守りつつ積極的に放置するのである。やがてシイタケのほだ木を採りつつ間伐をすることになるだろう。もちろん、造林経費も下刈りも不要である。ここで重要なことは、これが放置された人口造林地よりもずっと快適で付加価値を生むだろうということだ。手をかけ始めるとおそらく里山風景を再現できる。
 
「ささみち」を刈り進むと、強い日差しが素敵な逆光の風景に何度も足を止める。ひそかにカムイミンタラだと感じる。精霊が喜んで飛び回っているのではないか、と思うほど。

午前中、3人が4人になり予定ルートがほぼ完了、午後は小屋周りと「ささみちフットパス」を刈って終了。これからお盆休暇に入る。



大島山林を刈り終える

2014/07/21 mon 晴れ 25℃ 1名


news letter 12号と2,3の雑事が早く終わったので昼前から大島山林に刈り払い機をもって出かけてみた。虫のいない今年の夏、地域の人に大島山林を歩いてほしいと思う。ちょうどおととい、abeさんが大回りの1周ロングコースを今年も無言で(いや、独り言いいつつかもしれないけど・笑い)刈ってくれたので、12日に手掛けた分を含めると、あとは5差路の交差点からドロノキの3本群落までと、2年前の南北を結ぶ新設ルートだけである。今日はここをフィニッシュしたから、全ルート遅ればせの開通だ。
 
abeさんが撮影していた5差路の交差点の7/21バージョンとわたし。

鳥が活性化していてさえずり、葉擦れの音が響き、なにか、林がわんわん夏を祝うような素晴らしい日だった。虫はいない。ヘビにもスズメバチの巣にも出会わなかった。これで今年の大島山林の1回目は終わった。先週のabeさんの作業がきつさでは圧巻だったろうと思う。さすがのプロのスピードでこなせばこその仕上がりの速さだ。わたしも結構早く仕上げていくが、わたしの場合はラフにして複数回刈る方が好きだ。刈り払いは行動的瞑想だからである。

おととい、取材のOさんを柏原に案内した時、柏原の採草地と防風林のコンビネーションはさながらリゾートなのだ、と申し上げた。子供が小さいときによく連れてきて独占してきた環境だったのが、フットパスにしようと思った動機でもあった。車でフリーアクセスできて、エリアを占有できる場所なんて、北海道でもめったにないのだ。北海道的なこの雰囲気が、みんな理想的とおもっているのに、だ。
 
今日はシドケの花が目立った。

大島山林の作業が終わってから、かつてフランスで見た牧草地の老夫婦を思い出して、椅子をだして座った。テーブルと椅子もできるだけ絵になるような場所を選んでおいてみているが、町内の人はどう思っているのだろう。見方、感じ方を聞いてみたい気がする。

ハスカップ摘みとフットパスの取材

2014/07/19 sat 曇り 23℃ 会員とその家族、および関係者30名 + abeさん@大島山林

「今年のハスカップはかつてないほど実なりが悪いので、収穫はあまり期待できないかもしれなません。」と2日前の7月17日に緊急速報を出したのに、キャンセルをしたのは2人だけ、残りの大多数の方々は初志貫徹。それで結局ちょうど30人が集まった。

それでどうだったかというと、そこそこ採れたのである。ご不満そうな方はいらっしゃらない。むしろ、やってきて正解!という方ばかりだった。苫東で管理しているスタッフにあとで聞いたら、風のあたらないヘリが良かったようだ。事務局としてはほっとした。三々五々集まって、すぐみなさんハスカップの灌木の藪に入るので、誰がいるかは受付するわたししか知らない。入口や広場の一期一会、ではまた来年、などという会話も飛び交う。ハスカップを楽しみに来る支援会員の方などは、この日に会費を持参される。そして挨拶をして適当な時間に帰る。当NPOらしくてよい。こんななか、一人で大島山林で刈り払いをしてくれているメンバーもいた。これが良い。
 
こんなところもあった(左)。右の写真は船木さんグループの収穫に驚くメンメン。


わたしは地元紙・苫小牧民報の広報誌「みんなの苫小牧」(季刊誌)から苫東コモンズのフットパスについての取材に応じるべく、1時半に小屋で待ち合わせ、柏原フットパス、大島山林と廻った。特に大島山林では、いつもご夫婦で森林を散策されるNさんにもおいでいただいて、日常歩く住民としてヒアリングをしてもらった。
 
ヒアリング風景(左)。右は散会後、テザリングで、掲示板に投稿。スマホを通話放題にしたので、ITの環境は格段に良くなった。

話は変わるけれど、わたしの周囲では、このごろ、少し潮目が変わってきたように思う。わたし自身が、拠点をより苫小牧とか勇払原野にシフトしつつあるのかもしれない。昨年から苫小牧高専の非常勤講師が始まったり、市民大学講座や地元商工関係者の前で、話をする機会があったり、また、休日、地元で地道に地域活動をする方々にお会いして話を聞いたりしていることともつながっている。

簡単に言ってしまえば、「リアル重視」「地元志向」。手ごたえ尊重。プロアクティブ。だから、もう、あまり無理して余計な付き合いはやめた。そのかわり、歴史の勉強を始め、今は週1回、夜、北大のアイヌ民族研究センターのセミナーに通っている。近く、アイヌとコモンズについて平取の二風谷博物館の学芸員のもとへ、北海道教育大学の田端名誉教授と訪問の約束ができるなど、深掘りする楽しみにはどん欲だ。

今日、お会いしていたフリーライターの0さんとは「ゆうべあ」の市民大学講座の準備で久々に顔を合わせて以来、まちづくり系のためになる話をたくさん伺った。Oさんは苫小牧のまちづくり系の生き字引のような方だ。ハスカップ・イニシアチブの展開についても、いろいろ知恵をお借りすることになりそう。


刈り払いに追われる

2014/07/12 sat 24℃ 曇りのちにわか雨   oyama kusakari tominaga 2 = 4 person

遅ればせながら、柏原フットパスの刈り払いに入る。今季は、採草農家に、採草の畑だけでなく農道の刈り払いもしっかり頼むとお願いしていたのだが、依頼通り、大方の部分は刈られていたのは助かった。これでNPOは仕上げから入ることができる。
タート地点はこんな状態だった。すこし恥ずかしくもあり、そそくさと刈った

だいたいにおいて、英国と国内を問わず、田園のフットパスというのは、田園がちゃんと利用されて、所有者や借地利用者が、田園をちゃんと管理していることを前提に成立するものだ。ここ数年の柏原のように、それが逆に、田園フットパスを利用したいという側が田園の道の管理をするというのでは本末転倒になるのだ。
  

申し訳ないことに、いくつかのサインが倒れていたり落ちたりしていた。ホームページや新聞の紹介を信じてやってきたかもしれないフットパス愛好家には迷惑をかけたに違いない。今日はそれを直し、目立つように周りを刈りはらって遅れを挽回しようと努めた。柏原は4人で正午過ぎまでに終え、大島山林でやや遅い昼食をとった。にわか雨をしのいでからは、oyamaさんとふたり、メインルートの一部を刈った。まだたっぷり残っている。林の道は草ボーボーだ。





********
先日、コモンズの土地のオーナーである役員の方が柏原フットパスに行って迷子になったという話を直接聞いた。刈り払いが遅れ気味であったため、今季必要なサインの修復やルートの刈り払いがまだ行われていなかったのが原因だ。あと1週間遅く歩いてくれたら問題はなかったのにと大いに悔やまれた。月に1回ほどのイベントをやる活動なら世話は要らないけれど、保全と利用管理はそうはいかない。はびこる雑草や植生と、日々戦わざるを得ない。「週末日常}(わたしの造語)として、働くことを喜びと思えない人にはなかなか続かない作業だ。そして誰もほめてなどくれなくてもぶれずに黙々とやれる図太さも必要だ。醍醐味でもある。

刈り払いの応用問題「選択的除草」

2014/07/05 sat くもり 18℃ inaba oyama kai kusakari tominaga 2= 6 person

いよいよ、雑草の刈り払いの季節になって、先週の市民大学講座の日から、刈り払い機の出番が来た。今季は伐採シーズンの最後あたりでチェンソーの故障があり、ショップの専門家によれば混合油に原因がありそうだとの診断を得たので、今年から、刈り払い機の混合油もオイルをゼノアの純正を使用した40:1に替えることにして、すでに40リッターは確保した。

また、ご夫婦で参加することになったtomiさんの安全装備や刈り払い機などの準備を先日から少しずつしているが、今日は奥さんの刈り払い機を田中林業で購入。ご主人のtomiさんと待ち合わせて店主と顔つなぎした。わたしと夫妻とは旧知であり、参加頻度はいい線行きそうな二人なので、入会、即、戦力として必要機材を貸与するもの。ちなみに、刈り払い機は61,000円、ハスクバーナのヘルメット10,500円、チャップス14,000円、さらに伐採用のチェンソーは85,000円ほどだから、フルシーズン動くためには15万円以上の基本装備が必要になる。が、当NPOはそのほとんどを貸与している。

今日、tomi夫さんは先週初めて刈り払い機を使ってフットパスを刈り、奥さんはすでに丁寧に刈り払い機の講習を受講して今日が実地初デビュー。先の林業専門店の店主に「女性新人にはちょっともったいないなあ」と驚かれたしっかりした品を、tomi夫さんの世話で装着、無事、試運転、本番初日の数時間を終えた。

 
 
tomiさん夫妻のデビュウ。                      inabaさんが作ったアケビの蔓製落ち葉かご。落ち葉トイレで使用。

ところで、雑木林ケアセンターの周辺は、平成9年に建設して人が集うようになって、初めて、里山の再現が始まった。それまで、のっぺらぼうの、ただただ連なる若い雑木林だったのが、小屋ができて小屋の周りをなにかに世話したり片づけたりして人のにおいがするようになって、里山に変わってきた。さらに同時に、そこは生物多様性を発揮する場になり、それを見せ感じさせる空間になって、シカ、キツネ、タヌキ、ウサギ、アライグマ、エゾリス、コウモリ、トガリネズミ、ヘビ、カナヘビなどが顔を出すようになった。鳥は相変わらずで、昆虫は林の手入れが進むにつれバラエティが増えたと専門家は言っている。
  
左からオニノヤガラ、ベニバナイチヤクソウ、フタリシズカ群落。

前置きが長くなったが、この日のテーマは「選択的除草」。これまではまず「見通せる里山」を目指して密度をhaあたり800本以下にして、ほとんどの灌木を除き、林床の草本も刈った。その効果はてき面で、すっきりした里山景観らしいものができてきた。今年はその応用編。楽しく珍しいラン科植物、林床を這うチョウセンゴミシ、群落を作っているフタリシズカ、ベニバナイチヤクソウ、エンレイソウなど単純に刈るのはもったいない種を刈り残すことにした。ここで見かけるラン科植物は、ササバギンランやコケイラン、ときにはヒメミヤマウズラ、スズムシソウ。今年はオニノヤガラが数株出ており、それも刈り残すことにした。

結果はどうなるかわからないが、少なくとも見過ごしてきた植物たちを発見しやすくなってきたこと、かつそれらが周辺をこぎれいにされたおかげで自己主張し始めるのは間違いない。この秋はこの一帯にスドキ(和名モミジガサ)の種をまいてみようと思う。スドキはほかの植物を威圧するようなものでもないから、これがうまくいけば、ラン科などとスドキが共生し春の祝祭はスドキパーティができるだろう。

 
林道にはまだ落ち葉がたくさん残っているから、やや刈りにくい。ともあれ、こざっぱりした。


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