晴林雨読願望
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勇払原野のコナラ主体の雑木林。ここは中下層をウシコロシの黄色が占めている

一燈照隅
雑木林だより

 新里山からの日常発信

地域活動15年の歩みとこれから

 勇払原野の風土を共有する

  

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●日々の迷想 2023 & 2024 & 2025
2021
first upload: Nov. 29 , 1998
last upload: Nov 18,
2025

日々の迷想

■11/18 琵琶湖疏水



開拓と文明、文明と森林、開発と自然。これらに対する関心は依然薄れていない。文明の及ばない静かな大地・北海道が動き出して開拓がはじまり、やがて開発と呼ばれる急速なインフラが進んでまだ100年余り、一方の京都は都が置かれて1000年余り、明治維新の遷都で京都は寂れにさびれ「キツネやタヌキの棲み処となった」と言われた。没落する京都を再興するための府知事の施策は柱の一つが琵琶湖疏水だった。水力発電による市電の運行、産業おこしだったが、その疏水の土木工事を日本人だけの技術で仕上げようとした。選任された主任技術者は21歳だった。

何度か京都を訪れているうちにいつかこの疏水を下る遊覧船に乗ってみたいと思っていたのが、たまたま空席があり滑り込みセーフ。11/13、揺れる船の小一時間の疏水下りを体験した。なんとも一口で歴史比較などできるわけがないが、時間の重みというのが少しわかる。

地下鉄東西線琵琶湖浜大津行きに乗り、乗り換えてスタート地点の三井寺へ。琵琶湖へは歩いて5,6分の場所だった。舟の終点は山科。素晴らしい遊歩道から毘沙門天にお参りしてから叡山電車で鞍馬寺に向かった。


■11/17 正しく歩く訓練を始める

散歩時のウォーキングポール、階段投降時の手すり、これらの補助具は時に要注意だと知った。腰あたりがすっかりこれに頼ってしまって、バランス感覚も衰えてしまっているようだ。そもそも人の身体は衰えるものだが、しかし油断すると生身の体は反応をさぼり、甘えるようになる。そもそも人間の歩行というのは、四つ足動物と違って、転ぶのを防ぐように足を出して歩くのだ、と聞いてわかった。極めて微妙な平衡感覚の上に成り立っていたのだ。少しつらいが、あらためて正しい歩行姿勢を心掛けることにした。健常者にはなかなかわからない世界である。

■11/16 森に満る氣を浴びて



先週は月曜から金曜までの5日間、古都をめぐった。昨年秋の奈良・山の辺の道の北ルートがまだ残っていたこと、琵琶湖疏水というインフラへの興味、そしてパワースポットと一部で噂の高い鞍馬寺、貴船神社が目当てだった。

鞍馬寺から貴船神社への峠を挟む山道は、原生林と称される部分も含んで、じつに鬱蒼とした修験道のような厳かな山道で、パワー(氣)とはこの雰囲気を指すのだと知った。写真は貴船神社奥宮。貴船とは「氣生根」の意で、大地のエネルギーである水と森に囲まれた場所という意味らしい。郷里の最上川の支流のそのまた支流の、鮒やナマズを釣っていた川が貴船川という名前だったので、実はこの言葉の意味にも関心があった。景観構成が、静川の雑木林の冥想テラスあたりにちょっと似ているのも内心大きな驚きだった。

■11/09 初冬に突入



金曜日の雪で雑木林は裸になった。樽前山は真っ白、小屋も自宅も薪をせっせと焚かないと寒い。それにしても落ち葉は美しい。落ち葉セラピーというものもあるのではないか。

■11/08 片山由美子著『季語を知る』を読みながら

立冬の日の夜から、あわせるように雪模様になった。夏タイヤのままだが例年はまだまだ冬タイヤには替えない頃合いで、こんな日は一日の予定がガラガラ変わる。そもそも週初めに医院に行ってから少し熱っぽい感じがする。ゲホゲホ咳をする患者らと同じ空気を吸ったと感じると暗示にかかる方で、そのせいもあろうか。とにかく、体がだるく眠い。それに外は積雪10cmもあるのである。そんなこんなで今日の山仕事は延期して、滅多にないことだが遅い朝食後また横になった。

開いた本は『季語を知る』。片山さんのこの本は俳句でも上級者向けの、季語をよく知り作句する人のためのものと感じたが、読むだけのど素人である当方にはとても学ぶところが大きい。なにしろ、近年辞書を開くのは歌壇俳壇で知らない言葉に出会った時が最も多いのである。それに、俳句は、風物、季節に作者の思いをそれとなく載せて飄々と歌う、その風物と季節描写の幸せな世界を共有できる。

今朝の庭は、咲き誇っていたロベリアがついに雪の下になり、ヒメエニシダ、スティパもあられない姿に代わった。季節はこうして姿を強制的に替えるから、ある意味ではわれわれは季節に支配されているのである。この季節に身を任せざるを得ないという感覚が好きだ。ちなみに春から一目散に咲き続けたロベリアの花言葉は「謙遜」だという。毒を持つので一説では「悪意」もあるらしい。ともかく、片山氏の開陳する季語の世界にはもう少し時間をさいて没入していたい。

■11/07 立冬だとか

小走りのような風景変化、あれよあれよと秋は深まる。

日本の政治風景も高市総理誕生後2週間、目まぐるしく変わって、国民の少なくない人々が日本を取り戻すスピード感に拍手を送っている。この一年、あるいはもう少し前の過去、あれはまるで停滞ではなかったか、内向きの政局ばかりでなかったか、と思い始めている。

話は戻って、季節は今日が立冬。寒さは緊張だ。備えをしっかりせねば、と覚悟する反面、体が休まるインドアの時間が多くなる。読書に励もう。

■11/05 Lilo さんからのメッセージ



74歳の誕生日に 、face book でドイツからメッセージをもらった。2002年に森林療法のメッカ、バートウェーリスホーヘンを単身訪れたときに、森を数日案内してくれた女性 Lilo さんからである。彼女はわたしが泊ったクナイプ療法のクアホテルのオーナー、ルイスさんの女友達でふたりはハンティング仲間だった。英語がルイスさんより上手で、仕事が空いたときにわたしの案内を買って出てくれた。隣の市有林や元フォレスターを紹介してくれお宅を伺ったりと、実に良く相手をしてくれた。それ以来、メールかSNSで簡単なやり取りが続いている。

写真は、 Liloさんと愛犬、背景にあるのはシカ猟のためのハンティングタワーである。三菱RAV4に乗っていた。ここでの1週間の滞在はわたしの森も見方、考え方、人と林の考察などの上で随分勉強になった。当時の画像を開くと懐かしさでいっぱいになる。それから7年後、今度は「北の森林と健康ネットワーク」という市民グループ10人で、もう一度訪問することになった。その足で隣国オーストリアのウィーンの森を公式訪問したのである。

■11/04 奥歯の精緻な画像、初めてみて

健康管理デー。午前は睡眠時無呼吸症候群のC-PAP治療データ(呼吸器科)をドクターに見てもらい、同じく血圧の薬(内科)を処方される。内科呼吸器科だからこの医療機関にすると両科で初診料が3か月処方のつど一回で済む。午後は今年から通うことになった歯医者に3か月の定期健診。若く明るい歯科衛生士が懇切丁寧に応対してくれた。ちょっと気になる症状を言ったら奥歯の画像を撮って見せてくれた。

奥歯の内情は大変であった。上下左右とも治療のあとが痛々しく、よくぞ頑張ってくれたと他人事のように、いや我が事として同情とねぎらいを禁じ得なかった。この夏、ナマコを食べて歯が欠けて以来、ちょっとまじめに歯を労わらねばという気になっている。食事を愉しむことは人生の一大事だ。

■11/03 季節を占う愉しみ

1週間遅れで紅葉のピークが来ると予想した今週、土曜日曜の大荒れで紅葉するはずの葉っぱがほぼ落ちて、雑木林は半分裸の山に変わった。どちらかというと夜間が多くなったガン、白鳥の渡りはまだ続いているが、例年よりも自宅上空を通過する編隊数がかなり少ない。西か東にルートを代えたかもしれないのだが、その理由はわからない。ドングリは昨年の豊作と打って変わってまるでない。 キノコも結局ボリボリとクリタケだけとなった。ヒグマは散発。原野をさ迷ってみたところで、餌は何もないことはすぐわかって戻ったのかもしれない。

季節は波状のように寒暖を繰り返して次第に冬を迎える。この夏の猛暑の影響は随所にでたのであろうけれど、どういう訳か10月半ばから薪ストーブを使う日が例年より多い。薪が足りるだろうか、などと心配もしつつ、季節の移ろいを眺めるひとときは愉しい。

■11/02 落ち枝へ思い入れと共有



独りで林を歩く、というとクマが怖くないかとたいてい聞かれる。ヒグマへの恐れのない歩きは逆に詰まらないんだ、と答える。同じことだと気が付いたのが勇払原野にある雑木林のフットパスでしばしば見かける「ミラクルな落ち枝」である。

わたしがどこか神々しいまでに絶賛して語るうち「〇〇のひとつ覚えみたい」とバカにされるようになってきた。そんなのは確率の問題だと一笑する人もいる。わたしが撮って来たミラクル落ち枝はたいてい一人の時であり、そもそも林は十分に畏れを感じる雰囲気だから、当初は結界をつくられているような思いだった。

写真は15年くらい前の樽前川の源頭。崖に囲まれた、クマでもでたら絶体絶命の場所だった。長く太い落ち枝が地面にグサッと刺さる現象は、寡雪で土壌凍結と融解を繰り返す場所の、腐植層の多いところで見られるから、かなり特異なものと言えるが、みんなでワイワイガヤガヤと遠足モードの歩きでは、珍しいものがあった~、で終わるはずだ。独りだから感じる世界は共有してもらえる人がきわめて少ない。先日、ささみちフットパスで8本の落ち枝を見つけたが、これからは公言するのはもうやめようと思っている。

■11/01 この頃のクマ、ヒグマに思う(補足)

背景にあるもう一つのことを書き忘れた。行政によるボランティア・ハンターへの過度の依存である。北海道でのヒグマ問題が現在のように顕在化したのは、奉仕活動としてのハンターの扱いが手当と権限の両面において、地方の猟友会側から不当とされ協力しないと突き放されたのが発端だった。最近も積丹で同様の事案が発生してもめているようだ。

報道によればこれは道内だけの問題ではなく本州各地でもハンターの手当てや捕獲や駆除1頭当たりの支払い額にずいぶん差が出てきた。これからは競争になる可能性もある。広域ビジネス化され、連携されるかもしれない。国からの補助金が行政にピンハネされてハンターにうまく回っていない、などという噂も聞く。「好きでやっているのだから少額手当でいい」という時代はすでに終わったことに対応しなければならない。

これはヒグマやシカの駆除だけでなく、沿道の風倒木処理など森林整備でも同様で、行政は無料で喜んでやってくれるボランティアに期待しているようだ。こんな状態だから、割の合わない危険な作業に対して相応の理解を示し、逃げと不作為ではなく先手を打つような身軽な地域施策を望むのはこれから当分は無理だろうか。有志が思い立っても複雑な庁内手続き調整などを越えていくにはとてつもないパワーが必要であるらしい。たいていはその前に志が折れてしまうのも容易に想像できるのだが。

こんなことを考えているうちに、これほど地域事情が違う日本で、全国一律の制度で統一するというのが、クマの問題だけでも容易に想像できる。最初のヒグマの駆除が問題化した時、道知事は自らこうすると方向を決めるのではなく、環境大臣に会いに行った。これは意外だったが、自治体の役人は理詰めで「これは元になる国の制度を改めてもらわねば」と知事に上申したのだろう。

地方への権限移譲、、地方分権が謳われる背景もこの辺に根っこが一緒なのだろうと勝手に想像しながらヒグマ問題その他を眺めている。世の中はとかく面倒でまだろこしいものである。

■10/31 この頃のクマ、ヒグマに思う

クマに襲われた死者数が日々過去最高を更新している。襲われた被害者の數に、恐怖におびえる市民のことを加えたら、もうすでに侮れない状態になって自衛隊出動にまで展開している。まるで不可抗力の天災並みである。マンパワー不足のためと自治体は申請理由を述べたが、目に余る出没は突然始まったわけではないから、数々の不作為、手立て不足の積み重ねの結果である、と言って過言ではないだろう。

背景にあるのは、野生生物管理としての頭数調整の失敗、都市計画上の森林や農地と住宅の位置関係の見直し、そして折からのエサ不足あたりが大きく関与している。ただ昨今の出没傾向を見ていると、彼らの棲み処におけるドングリなどの不作とエサ不足のほかに、クマたちが農地や住宅地の方が高カロリーの餌が豊富で取りやすいということを学習し、人の住む領域に頻々と侵入を繰り返していることが気になる。この傾向が続くことはあっても止むことはないのではないか、と見えることが市民にはとても心配のタネである。

また背後には自然保護や生物多様性に関する根強い、概念的な信奉があり、わたしたちの野生生物と市民生活の関係性をお花畑的に甘く見てきた可能性がある。被害に対処するエネルギーよりも、なんとなく守れの声の方が大きくないか。本当の自然から離れた都市生活者と緑がふんだんな地方の生活者との差もある。確かに日本人には伝統的というべきか、非殺生という不文律があるから、西洋人のように本州における霊長類のサルの被害に対してすら、駆除すればよいという単純な割り切り方が出来ない。それに、行政は市民の大きな声やメディアやクレーマーに対して弱腰だという声もあるから、結果的に不作為に陥りやすい。

結局、因果を突き詰めれば、誰にも根本的な責任がなく、市民国民への当然の報いということになるのだろうか。ともかく今からでも遅くはない、安心して暮らせる地域環境に向けて、行政や研究機関は率先してさらに科学的アプローチをしてほしいところ。そして施策に反映してほしい。わたしの住む苫小牧で辛うじてホッとしていることは、エゾシカが市街地で家庭のイチイや街路樹まで食べていた状態が収まったこと。これが捕殺の効果なのか、たまたま餌の豊凶によるのかはわからない。その辺の情報収集と発信、さらに司令塔をどこが担うのか、なんとも歯がゆい時間が過ぎているのは間違いないが、事故が一段落すればまた忘れられるだろう。当面は個人的な自衛策が求められるので、周辺自治体を含め行政が日々更新しているヒグマ出没情報を見ながら野外活動に役立てているところである。

■10/29 雑木林の修景と紅葉



本格的な山仕事初日、にわか雨混じりのなか、印象深い一日となった。注意深くスムーズな伐倒が進んだうえに、一歩ずつ林の修景がこうして進んでいるという実感、加えてその担い手になれているという自負を覚える。そして遅れ気味の紅葉はそれを静かに見守っている。俯瞰すれば、落ち葉の絨毯が見る間にかさを増し風景を落ち着かせる。

■10/28 AIの答え

戯れに AI にある質問をして答えを確かめてみた。全体としてよくできていて、文章の構文もしっかりしており、まとめと称する一文も最後に掲げてあった。どんな情報をもとにしたかも記されている。扱いにもっと慣れた人が操作すれば、これは答えに頭をひねる必要はあまりなくなるというのも頷ける。なるほど、これがAI か。課されたレポートの作成などに威力を発揮できるのはなんとなくわかった。

残されるのはAI に何を応えてもらうか、何を考えてもらうか、という基本問題か。つまり、ツールを操る主としての人の役割が問われるのではないか。だが、その人がこれからどう生きようかという、白いキャンバスを埋めるような創造的な仕事を求めることはできないだろう。人には頭脳だけでなく数多の仕事があり、生きがいというのも感動や達成感などというものもある。満足などもそうだ。とにかく、遅ればせながら AI なるものの便利さは少しわかった。

今朝は新聞の歌壇俳壇を読み、俳句の季語についてちょっと勉強した。さすがにこの世界とは大きな隔たりがあるような気がするが、いやいや作品としてはもう秀作が多々生れているのだろうか。もしそうだとしても、それがどうした、ということだろう。

■10/27 朽ちるもの、無駄なし



土曜日、焚き火の隣でクリタケがまた一回り大きくなって、食べなさいと囁いていた。3日前はパスしたがこの日は意を決して夜はキノコを中心にした白金鍋にしようと少量をかごに採った。2025年秋の記念でもある。キノコ鍋は色々なものを混ぜた方がおいしい。わたしが聞いた白金鍋のレシピは、キノコ各種と豚バラと白菜を鮭と塩コショウでまとめる簡単な秋の一品。

ところで毎年出てくれるこのナラの木はもともと台風で倒れた倒木であり、約10年で切り株は半分もとに戻り、整理して4,5年後から毎年けなげにボリボリとクリタケを発生するようになった。

実は雑木林ではシメジとマイタケを探したのだがまったく気配がなく、スーパーのマイタケとエノキタケで代用した。代わりに出会ったのがシカの頭骨だった。このほかの骨も毛皮もとうになくなっている。それこそきれいになくなったが、林の掃除力はお見事、さすがである。まるで宇宙のように懐深いシステムと言えないか。人という生き物もそのうちのひと切れで、生れて生きて、やがて朽ちて死ぬのだと割り切れば少しだけ気が軽くなる。

■10/26 丹田の充実

何十年も毎朝欠かさず冥想の時間を持ちながら、丹田を充実させるという意味というか感覚というか、これだという自覚が実は乏しかった。それがふと、これかと気づくひと時が最近あったのである。臍下丹田に力を込めるというのは具体的には肛門を締めることになるが、同時に下腹に凝縮が感じられて「我にかえる」ことができるようだ。「我にかえる」というのは、その凝縮のことであり、他を気にすることのない己、自分は自分だという当たり前のことが感じられる段階であり、他と比較する次元を飛び越えるのである。比較地獄との決別である。

とかく他者との比較ばかりで、そのままの自分でいい、そう自分を肯定した試しがあまりない、という話を他人事ではないと思っていた。「我にかえる」というのは何事にも条件反射で反応し浮遊する自分と、実は丹田に居場所のある本当の自分が重なることだ。さらに「丹田常充実」とは日常生活のうえで理想的な心の在り方であるが、それが簡単ではない。ただ冥想は毎朝、心持ちをリセットしその原点に導いてくれる。

■10/25 初霜と紅葉の進み具合



紅葉は新緑と並んで雑木林の一大イベント。同時に季節を占うと思われる。昨夜は3夜連続で流れ星を見たから明朝は冷えると予想した。そのとおり、今朝は初霜。しかし、小屋の紅葉はまだピークではなかった。画像中央のウシコロシがまだ緑のままで、イタヤカエデも樹冠内部は色づいていない。紅葉のヤマ場はあと3,4日でくる。雑木林の今年の景観イベントはわたしを少しジリジリさせる。


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