晴林雨読願望
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勇払原野のコナラ主体の雑木林。ここは中下層をウシコロシの黄色が占めている

一燈照隅
雑木林だより

 新里山からの日常発信

地域活動15年の歩みとこれから

 勇払原野の風土を共有する

  

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●日々の迷想 2023 & 2024 & 2025
2021
first upload: Nov. 29 , 1998
last upload: Nov 09,
2025

日々の迷想

■11/09 初冬に突入



金曜日の雪で雑木林は裸になった。樽前山は真っ白、小屋も自宅も薪をせっせと焚かないと寒い。それにしても落ち葉は美しい。落ち葉セラピーというものもあるのではないか。

■11/08 片山由美子著『季語を知る』を読みながら

立冬の日の夜から、あわせるように雪模様になった。夏タイヤのままだが例年はまだまだ冬タイヤには替えない頃合いで、こんな日は一日の予定がガラガラ変わる。そもそも週初めに医院に行ってから少し熱っぽい感じがする。ゲホゲホ咳をする患者らと同じ空気を吸ったと感じると暗示にかかる方で、そのせいもあろうか。とにかく、体がだるく眠い。それに外は積雪10cmもあるのである。そんなこんなで今日の山仕事は延期して、滅多にないことだが遅い朝食後また横になった。

開いた本は『季語を知る』。片山さんのこの本は俳句でも上級者向けの、季語をよく知り作句する人のためのものと感じたが、読むだけのど素人である当方にはとても学ぶところが大きい。なにしろ、近年辞書を開くのは歌壇俳壇で知らない言葉に出会った時が最も多いのである。それに、俳句は、風物、季節に作者の思いをそれとなく載せて飄々と歌う、その風物と季節描写の幸せな世界を共有できる。

今朝の庭は、咲き誇っていたロベリアがついに雪の下になり、ヒメエニシダ、スティパもあられない姿に代わった。季節はこうして姿を強制的に替えるから、ある意味ではわれわれは季節に支配されているのである。この季節に身を任せざるを得ないという感覚が好きだ。ちなみに春から一目散に咲き続けたロベリアの花言葉は「謙遜」だという。毒を持つので一説では「悪意」もあるらしい。ともかく、片山氏の開陳する季語の世界にはもう少し時間をさいて没入していたい。

■11/07 立冬だとか

小走りのような風景変化、あれよあれよと秋は深まる。

日本の政治風景も高市総理誕生後2週間、目まぐるしく変わって、国民の少なくない人々が日本を取り戻すスピード感に拍手を送っている。この一年、あるいはもう少し前の過去、あれはまるで停滞ではなかったか、内向きの政局ばかりでなかったか、と思い始めている。

話は戻って、季節は今日が立冬。寒さは緊張だ。備えをしっかりせねば、と覚悟する反面、体が休まるインドアの時間が多くなる。読書に励もう。

■11/05 Lilo さんからのメッセージ



74歳の誕生日に 、face book でドイツからメッセージをもらった。2002年に森林療法のメッカ、バートウェーリスホーヘンを単身訪れたときに、森を数日案内してくれた女性 Lilo さんからである。彼女はわたしが泊ったクナイプ療法のクアホテルのオーナー、ルイスさんの女友達でふたりはハンティング仲間だった。英語がルイスさんより上手で、仕事が空いたときにわたしの案内を買って出てくれた。隣の市有林や元フォレスターを紹介してくれお宅を伺ったりと、実に良く相手をしてくれた。それ以来、メールかSNSで簡単なやり取りが続いている。

写真は、 Liloさんと愛犬、背景にあるのはシカ猟のためのハンティングタワーである。三菱RAV4に乗っていた。ここでの1週間の滞在はわたしの森も見方、考え方、人と林の考察などの上で随分勉強になった。当時の画像を開くと懐かしさでいっぱいになる。それから7年後、今度は「北の森林と健康ネットワーク」という市民グループ10人で、もう一度訪問することになった。その足で隣国オーストリアのウィーンの森を公式訪問したのである。

■11/04 奥歯の精緻な画像、初めてみて

健康管理デー。午前は睡眠時無呼吸症候群のC-PAP治療データ(呼吸器科)をドクターに見てもらい、同じく血圧の薬(内科)を処方される。内科呼吸器科だからこの医療機関にすると両科で初診料が3か月処方のつど一回で済む。午後は今年から通うことになった歯医者に3か月の定期健診。若く明るい歯科衛生士が懇切丁寧に応対してくれた。ちょっと気になる症状を言ったら奥歯の画像を撮って見せてくれた。

奥歯の内情は大変であった。上下左右とも治療のあとが痛々しく、よくぞ頑張ってくれたと他人事のように、いや我が事として同情とねぎらいを禁じ得なかった。この夏、ナマコを食べて歯が欠けて以来、ちょっとまじめに歯を労わらねばという気になっている。食事を愉しむことは人生の一大事だ。

■11/03 季節を占う愉しみ

1週間遅れで紅葉のピークが来ると予想した今週、土曜日曜の大荒れで紅葉するはずの葉っぱがほぼ落ちて、雑木林は半分裸の山に変わった。どちらかというと夜間が多くなったガン、白鳥の渡りはまだ続いているが、例年よりも自宅上空を通過する編隊数がかなり少ない。西か東にルートを代えたかもしれないのだが、その理由はわからない。ドングリは昨年の豊作と打って変わってまるでない。 キノコも結局ボリボリとクリタケだけとなった。ヒグマは散発。原野をさ迷ってみたところで、餌は何もないことはすぐわかって戻ったのかもしれない。

季節は波状のように寒暖を繰り返して次第に冬を迎える。この夏の猛暑の影響は随所にでたのであろうけれど、どういう訳か10月半ばから薪ストーブを使う日が例年より多い。薪が足りるだろうか、などと心配もしつつ、季節の移ろいを眺めるひとときは愉しい。

■11/02 落ち枝へ思い入れと共有



独りで林を歩く、というとクマが怖くないかとたいてい聞かれる。ヒグマへの恐れのない歩きは逆に詰まらないんだ、と答える。同じことだと気が付いたのが勇払原野にある雑木林のフットパスでしばしば見かける「ミラクルな落ち枝」である。

わたしがどこか神々しいまでに絶賛して語るうち「〇〇のひとつ覚えみたい」とバカにされるようになってきた。そんなのは確率の問題だと一笑する人もいる。わたしが撮って来たミラクル落ち枝はたいてい一人の時であり、そもそも林は十分に畏れを感じる雰囲気だから、当初は結界をつくられているような思いだった。

写真は15年くらい前の樽前川の源頭。崖に囲まれた、クマでもでたら絶体絶命の場所だった。長く太い落ち枝が地面にグサッと刺さる現象は、寡雪で土壌凍結と融解を繰り返す場所の、腐植層の多いところで見られるから、かなり特異なものと言えるが、みんなでワイワイガヤガヤと遠足モードの歩きでは、珍しいものがあった~、で終わるはずだ。独りだから感じる世界は共有してもらえる人がきわめて少ない。先日、ささみちフットパスで8本の落ち枝を見つけたが、これからは公言するのはもうやめようと思っている。

■11/01 この頃のクマ、ヒグマに思う(補足)

背景にあるもう一つのことを書き忘れた。行政によるボランティア・ハンターへの過度の依存である。北海道でのヒグマ問題が現在のように顕在化したのは、奉仕活動としてのハンターの扱いが手当と権限の両面において、地方の猟友会側から不当とされ協力しないと突き放されたのが発端だった。最近も積丹で同様の事案が発生してもめているようだ。

報道によればこれは道内だけの問題ではなく本州各地でもハンターの手当てや捕獲や駆除1頭当たりの支払い額にずいぶん差が出てきた。これからは競争になる可能性もある。広域ビジネス化され、連携されるかもしれない。国からの補助金が行政にピンハネされてハンターにうまく回っていない、などという噂も聞く。「好きでやっているのだから少額手当でいい」という時代はすでに終わったことに対応しなければならない。

これはヒグマやシカの駆除だけでなく、沿道の風倒木処理など森林整備でも同様で、行政は無料で喜んでやってくれるボランティアに期待しているようだ。こんな状態だから、割の合わない危険な作業に対して相応の理解を示し、逃げと不作為ではなく先手を打つような身軽な地域施策を望むのはこれから当分は無理だろうか。有志が思い立っても複雑な庁内手続き調整などを越えていくにはとてつもないパワーが必要であるらしい。たいていはその前に志が折れてしまうのも容易に想像できるのだが。

こんなことを考えているうちに、これほど地域事情が違う日本で、全国一律の制度で統一するというのが、クマの問題だけでも容易に想像できる。最初のヒグマの駆除が問題化した時、道知事は自らこうすると方向を決めるのではなく、環境大臣に会いに行った。これは意外だったが、自治体の役人は理詰めで「これは元になる国の制度を改めてもらわねば」と知事に上申したのだろう。

地方への権限移譲、、地方分権が謳われる背景もこの辺に根っこが一緒なのだろうと勝手に想像しながらヒグマ問題その他を眺めている。世の中はとかく面倒でまだろこしいものである。

■10/31 この頃のクマ、ヒグマに思う

クマに襲われた死者数が日々過去最高を更新している。襲われた被害者の數に、恐怖におびえる市民のことを加えたら、もうすでに侮れない状態になって自衛隊出動にまで展開している。まるで不可抗力の天災並みである。マンパワー不足のためと自治体は申請理由を述べたが、目に余る出没は突然始まったわけではないから、数々の不作為、手立て不足の積み重ねの結果である、と言って過言ではないだろう。

背景にあるのは、野生生物管理としての頭数調整の失敗、都市計画上の森林や農地と住宅の位置関係の見直し、そして折からのエサ不足あたりが大きく関与している。ただ昨今の出没傾向を見ていると、彼らの棲み処におけるドングリなどの不作とエサ不足のほかに、クマたちが農地や住宅地の方が高カロリーの餌が豊富で取りやすいということを学習し、人の住む領域に頻々と侵入を繰り返していることが気になる。この傾向が続くことはあっても止むことはないのではないか、と見えることが市民にはとても心配のタネである。

また背後には自然保護や生物多様性に関する根強い、概念的な信奉があり、わたしたちの野生生物と市民生活の関係性をお花畑的に甘く見てきた可能性がある。被害に対処するエネルギーよりも、なんとなく守れの声の方が大きくないか。本当の自然から離れた都市生活者と緑がふんだんな地方の生活者との差もある。確かに日本人には伝統的というべきか、非殺生という不文律があるから、西洋人のように本州における霊長類のサルの被害に対してすら、駆除すればよいという単純な割り切り方が出来ない。それに、行政は市民の大きな声やメディアやクレーマーに対して弱腰だという声もあるから、結果的に不作為に陥りやすい。

結局、因果を突き詰めれば、誰にも根本的な責任がなく、市民国民への当然の報いということになるのだろうか。ともかく今からでも遅くはない、安心して暮らせる地域環境に向けて、行政や研究機関は率先してさらに科学的アプローチをしてほしいところ。そして施策に反映してほしい。わたしの住む苫小牧で辛うじてホッとしていることは、エゾシカが市街地で家庭のイチイや街路樹まで食べていた状態が収まったこと。これが捕殺の効果なのか、たまたま餌の豊凶によるのかはわからない。その辺の情報収集と発信、さらに司令塔をどこが担うのか、なんとも歯がゆい時間が過ぎているのは間違いないが、事故が一段落すればまた忘れられるだろう。当面は個人的な自衛策が求められるので、周辺自治体を含め行政が日々更新しているヒグマ出没情報を見ながら野外活動に役立てているところである。

■10/29 雑木林の修景と紅葉



本格的な山仕事初日、にわか雨混じりのなか、印象深い一日となった。注意深くスムーズな伐倒が進んだうえに、一歩ずつ林の修景がこうして進んでいるという実感、加えてその担い手になれているという自負を覚える。そして遅れ気味の紅葉はそれを静かに見守っている。俯瞰すれば、落ち葉の絨毯が見る間にかさを増し風景を落ち着かせる。

■10/28 AIの答え

戯れに AI にある質問をして答えを確かめてみた。全体としてよくできていて、文章の構文もしっかりしており、まとめと称する一文も最後に掲げてあった。どんな情報をもとにしたかも記されている。扱いにもっと慣れた人が操作すれば、これは答えに頭をひねる必要はあまりなくなるというのも頷ける。なるほど、これがAI か。課されたレポートの作成などに威力を発揮できるのはなんとなくわかった。

残されるのはAI に何を応えてもらうか、何を考えてもらうか、という基本問題か。つまり、ツールを操る主としての人の役割が問われるのではないか。だが、その人がこれからどう生きようかという、白いキャンバスを埋めるような創造的な仕事を求めることはできないだろう。人には頭脳だけでなく数多の仕事があり、生きがいというのも感動や達成感などというものもある。満足などもそうだ。とにかく、遅ればせながら AI なるものの便利さは少しわかった。

今朝は新聞の歌壇俳壇を読み、俳句の季語についてちょっと勉強した。さすがにこの世界とは大きな隔たりがあるような気がするが、いやいや作品としてはもう秀作が多々生れているのだろうか。もしそうだとしても、それがどうした、ということだろう。

■10/27 朽ちるもの、無駄なし



土曜日、焚き火の隣でクリタケがまた一回り大きくなって、食べなさいと囁いていた。3日前はパスしたがこの日は意を決して夜はキノコを中心にした白金鍋にしようと少量をかごに採った。2025年秋の記念でもある。キノコ鍋は色々なものを混ぜた方がおいしい。わたしが聞いた白金鍋のレシピは、キノコ各種と豚バラと白菜を鮭と塩コショウでまとめる簡単な秋の一品。

ところで毎年出てくれるこのナラの木はもともと台風で倒れた倒木であり、約10年で切り株は半分もとに戻り、整理して4,5年後から毎年けなげにボリボリとクリタケを発生するようになった。

実は雑木林ではシメジとマイタケを探したのだがまったく気配がなく、スーパーのマイタケとエノキタケで代用した。代わりに出会ったのがシカの頭骨だった。このほかの骨も毛皮もとうになくなっている。それこそきれいになくなったが、林の掃除力はお見事、さすがである。まるで宇宙のように懐深いシステムと言えないか。人という生き物もそのうちのひと切れで、生れて生きて、やがて朽ちて死ぬのだと割り切れば少しだけ気が軽くなる。

■10/26 丹田の充実

何十年も毎朝欠かさず冥想の時間を持ちながら、丹田を充実させるという意味というか感覚というか、これだという自覚が実は乏しかった。それがふと、これかと気づくひと時が最近あったのである。臍下丹田に力を込めるというのは具体的には肛門を締めることになるが、同時に下腹に凝縮が感じられて「我にかえる」ことができるようだ。「我にかえる」というのは、その凝縮のことであり、他を気にすることのない己、自分は自分だという当たり前のことが感じられる段階であり、他と比較する次元を飛び越えるのである。比較地獄との決別である。

とかく他者との比較ばかりで、そのままの自分でいい、そう自分を肯定した試しがあまりない、という話を他人事ではないと思っていた。「我にかえる」というのは何事にも条件反射で反応し浮遊する自分と、実は丹田に居場所のある本当の自分が重なることだ。さらに「丹田常充実」とは日常生活のうえで理想的な心の在り方であるが、それが簡単ではない。ただ冥想は毎朝、心持ちをリセットしその原点に導いてくれる。

■10/25 初霜と紅葉の進み具合



紅葉は新緑と並んで雑木林の一大イベント。同時に季節を占うと思われる。昨夜は3夜連続で流れ星を見たから明朝は冷えると予想した。そのとおり、今朝は初霜。しかし、小屋の紅葉はまだピークではなかった。画像中央のウシコロシがまだ緑のままで、イタヤカエデも樹冠内部は色づいていない。紅葉のヤマ場はあと3,4日でくる。雑木林の今年の景観イベントはわたしを少しジリジリさせる。

■10/24 女性と社会関係資本

今から20年ほど前に、わたしがいた研究所でソーシャル・キャピタルに関する研究会を始めた。北海道の地域社会をより活性化するためにはインフラ整備と同時に、人々の関係性から生まれる信頼や規範が重要な働きをするが、その結びつきを強める方法について現状分析から方向性まで社会学の研究者が中心になって議論するものだった。15年前に『これからの選択 ソーシャルキャピタル』という一冊の本にまとめられたが、門外漢であったわたしだが勉強しながら研究会の事務局と一部の執筆を担当した。

その中の第5章と第6章で、道北幌延町などで女性を中心にしたつながりをフォローして、女性特有のおしゃべりの中に、社会変化を呼び起こす芽のようなものを感じ取り、他の事例とともに考察した経験があった。「女性の世間に向き合う姿勢はやはりまだ見ぬ新たな社会への希望の芽があり、おしゃべりという交流の中に宝が潜んでいる…」。

その後、奄美大島に旅行した折に、与論島、沖永良部島、徳之島の各々でガイドをしてくれた女性たちの地域愛と人びとの関係性を聞きながら幌延などの調査のわたしなりのひとつの結論を思い出した。そして先日、宍道湖に面した松江の循環バス・「レイク・ライン」(1日520円)に何度も乗ってひとり観光をした際には、ガイド兼運転手のある女性の、非常にアドリブの多い語りに浸った。そのときには、再び幌延と奄美の記憶がよみがえって、積極的に関係性を紡いでいくことの意味、そしてそれを比較的スムーズに働きかけることのできるのは女性というジェンダー特性ではないか、という考えに至った。

そして今、日本初の女性総理誕生である。「総理になったらワークライフバランスを捨てて働く」という宣言通り、内閣発足早々動き出し、賛同し巻き込まれるように周囲も動き出したが。これはこれまでの日本では見なかった政治風景ではないだろうか。人類の半分を占める女性という積極性が、よどんだ社会風景のよどんだ霧を晴らし先導できるか、そのような視点に立ち、期待し応援しながら見つめることにしたい。

■10/23 カジカのブイヤベース、翌日は雑炊



スーパーにカジカの切り身が出ていたので早速ブイヤベースを作った。西洋料理店に行くチャンスがあれば、たいていブイヤベースも頼む程、深みのある旨味のブレンドは好みだ。どうやっても美味しい。何も西洋料理だけではない。嫁さんの実家に行くと義母がよく「たら三平」を作ってくれたが、これなどもルーツは一緒だろう。北海道・小樽の「たら三平」はイカやエビなど混ぜない。「糠ニシンの三平」もあった。これはイモや大根との饗宴だ。

ブイヤベースのうまみは引きずりたいから、少し多めに作ったスープと具にご飯を加えて翌日は雑炊にした。リゾットと呼ぶには具が多い。パセリがないので長ネギを刻んだりした。そして翌朝もまた食べた。

■10/22 さらなる幸運か

フットパスの風倒木と掛かり6本を処理するのに3時間。わずか2km弱の径なのにさすがに手間取る。やはり掛かり木は危険だ。樹木の伐採は実は今日がシーズン初日だったせいもある。しかし、その反面、幸運を呼ぶと勝手に決めている「ミラクル落ち枝」が8つ見つかった。神様の降り代である結界を想像させる厳かな「現象」である。

先日は全長2m近いヘビの抜け殻を見つけ小屋に保存した。そして夜、大好きな流れ星ひとつ追加発見。ほぼ天頂に近かったがレモン彗星(オリオン座流星群)だろうか。かなり明るかった。

■10/21 ちょっとした日々の愉しみ



安来のたたら製鉄の博物館では上の画像にある小さな包丁を購入した。「アジ出刃」である。玉鋼を含む合金で、刃渡りは約10cm、幅は最大で約4cmと超小型。お店の女性に「でもねえ、北海道でアジは獲れないし、イワシは包丁要らないし…」とつぶやいたら、「うちではこれでイカをさばきます」と返されて、そうか、その手があった、と即買うことにした。以来、わたしの料理番ではたいていのものはこれで用を足しているが、先日、天婦羅の種にカボチャを切ろうとしたときに不安がよぎってやめた。取説を読み返したら、やはりカボチャなど硬いものは駄目、と明記してあった。

■10/20眠れない夜に

夜中に目を覚まし用を足して再び寝室へ階段を昇ると、目がさえて、というか頭が目を覚まししばらく寝付けないときはよくある。現役で働いていたころはこれではいけない、仕事のために眠らねばと少し焦り、リタイヤしてからは「時間がもったいない」からという理由で本を読んだりしていた。しかし、それもどうかなと今なら思う。次々と浮かんでくる思い出や雑事を浮かぶままにしておくと、もちろん後悔や羞恥に突き進んでいくこともよくある。しかし、その時間たるや意外と望ましい幸福なひと時だと悟った。ただただ流れに任せて振り返ればよいのである。

思い出と後悔などの池に小舟を浮かばせて過ごすのである。そうして深呼吸。いつの間にかまた眠りにつくこともある。随分変わるものだなあと我ながら感心したりしているうちに、歳をとって経験するもろもろを抗わず受け入れるようになると、いわゆる「老い」とか「老人」も悪くない、と気づいた。煩悩をすり抜けているのか、認知や感性の幅が狭まったのか。随流去(ずいりゅうこ)とはこのことを言うのか。

■10/19 ヒグマを警戒する人が激増するなかで



TVを見ていると、この頃のニュースの1割近くがヒグマ関連のように感じる。今年は出没と人的被害がそれ程多い。アウトドアに出かける人たちの間でも、ヒグマが怖くて自粛しているという声をよく聞くようになった。

そんななか、当方は割とよくマイペースで単身出かける。小屋周りだけでも週2回だから、森林を歩いたり滞在する時間はトータルでかなり多いかもしれない。ただ、静川の小屋周辺は、疎林に仕立ててあるので、遠くを見通せるため人とヒグマも出合い頭で遭遇ということはまずない。それと、行政からの出没情報はあてになるので必ずチェックしておく。チェンソーやホイッスルで音も声も立てて存在はアピールしてある。一応、ヒグマ対策は修景する際にも防犯も含めて一応織り込み済みである。

画像は2,3日前に歩いた苫小牧の西の方の錦小沼の園路で、沼と森林が人気の散策コースになっている。だがこちらは見るからにヒグマが出そうな見通しの効かない薮の森だから、これでは人が来にくいと思われ、やはり入口の芝生広場と駐車場に人が多い。森林浴に来て車から出ない人もいる。自然は素晴らしい、森は憩いだ、緑はセラピー、ともてはやされる割には「安心して歩ける」「気持ちの良い」「美しい森や林」という手当てが実はなされていないところも多いのである。さらに極論すれば、多くの人は美しい、気持ちの良い森に出会った経験が乏しくめざめていない。

森林の場合、手入れや手当は基本「伐る」ことだが、教条的に伐採は悪であるという、自然保護が大手を振るったころの原理主義がまだ横行しているのではないかと思う。管理側はこれ幸いと人手不足もあって定期的管理を手控えることにもなる。恐らく、可愛そうだからヒグマを殺さないで、と抗議する人たちと母集団は重なるのだろう。

ヨーロッパと北海道の森林について感じることを正直に言うと、ウィーンやドイツの森は確かに美しかったが、怖いもの、クマなど大型野生動物やモノノケの気配が感じられず、数日でどことなく飽きがくる感じがした。潔癖な管理がなされるとモノノケの気配が消える。そのモノノケの源は薄暗さと色々な生き物がひしめいているという実感だ。多様な生物がいる、ということは、居ない状態と比べれば宝のような面もある。しかしながら、これはなかなか表現が難しい。

■10/18 歌に見る庶民の共感 40

週一度四十首もの短歌読みて四十人の生き様に会う   黒部市・Sさん
…人間は次第に話し相手がいなくなって淋しいものだと、先人、先輩たちはよく言った。それがわかるようになってきた今日、感慨を切り取って表出される詩歌は、まさにそれぞれの生き様そのものだ。出会うことを疎かにしてはいけない、そして常に善意で受け止め、わが同胞と呼ぶようにしたい。

弁当にお菜を並べていくように言葉を選んで葉書に詰める   東京都・Dさん
…言葉選びは創造である。だから、ありきたりな言葉は使わないように、という教えはいつの間にか文章の身だしなみともなる。葉書のプレゼントはだからうれしいし、吟味されたことがわかるものであれば尚更。もって銘すべし。

子供らの幼き頃の夢をみてつたなき母の私もおりぬ   糸島市・Oさん
…アルバムではなく夢というのが奇抜に感じた。そして「つたなき」にどきっと来る。一回目の親は往々にしてつたないのである。回を重ねてもあまり万歳ではない、後悔だらけ、実は親も必死なのである。それを思い知って、このごろは自分の母親も大変だったことが偲ばれるのだ。聞き分けのない息子だったし。

朝まだき翁ひとりのぬなわ(ジュンサイの字が変換されず)舟   秋田市・Sさん
…水墨画の世界か。静謐、山の沼、一体…。山菜と呼ぶか微妙のジュンサイだが、意外と舟の操作が難しいもので集中する。そこで生まれる犯しがたい緊張感も感じたのではないか。それが絵になるのだ。

■10/17 池澤夏樹の描く自然

『アマバルの自然誌~沖縄の田舎で暮らす~』を読んだ。自然科学者ではない作家・池澤氏が、沖縄の田舎の島に住んで身の周りの自然を描写するとこうなる、というとても興味深いタッチだった。素人としての画像もところどころに入っているからドンドン読み進めるスグレモノと言える生活自然史のようであった。結構ていねいに動植物や天文気象なども調べ上げて書くので、かつ、しつこくないためにちょっとした表現モデルのようでもあった。文筆業のプロの観察と表現を通してグイグイと惹きつけるものが、実はわたしたちの身の回りにもあふれかえっているはずだ、見えず描けていないだけだという気づきでもある。平凡な生活にストーリーが生れるのは感性と腕次第というわけか。

■10/16 八雲の坪庭



小泉八雲が松江に住んでいたうちのわずか数か月の借家が、旧居として展示されていた。宍道湖や松江城や武家屋敷などを巡る循環バス・レイクラインのバス停がこの前にあり、八雲の記念館はその隣であった。旧居は、坪庭といえるような庭が南と北側にあり、八雲はそれぞれをよく観察して思いを述べている。愛着が強かったことを偲ばせる。一つ一つの庭木、蹲、飛び石、池に小さいながらもそれぞれに意味を見出し遠近もあってある風景が出来上がっている。縁側に座れば飽きずに眺められる。これに比べれば雑木林の小屋の周りなどは、単なるありのままの自然に過ぎない。ほとんど作意が見えないようなものだ。中景と近景の差とも言えるし、所詮、自然には逆らえないという、とてつもなく大きな相手、風土に対しはなから降参している姿とも言える。せいぜい見える範囲を「手自然」に導くというあたりか。

■10/15 アマガエルよ、寒さの用意はいいのか



20mmに満たないようなアマガエルである。気温10℃余りで動きも鈍いどころか、冬を前にして生きるすべを思案している風な、他人事とは思えない風情である。蝸牛やカナヘビもいるにはいるが、それぞれ冬眠なり世代交代なり、ちゃんとできているだろうことは、想像できる。生き物の知恵として、きっと人間よりうまく対応ができているだろうと思われる。

■10/14 去年の今頃

今月の初めからガンの声や飛来が確認できた。ガンが過ごしたシベリアなど北の地方は冬が早いのだろうか、と向いの年配の方と昨夕立ち話したところだった。昨年は10/25 のブログに渡りのピークだろうか、などと記録がある。紅葉の盛りは月末だった。キノコの五目採りをしたのは10/26 だから、まだまだこれから秋の宝が堪能できるようだ。

■10/13 伯備線沿線の風景

先日の旅行では岡山からJR伯備線で中国山地を越えた。峠に向かっては高梁川(たかはしがわ)、日本海に向かっては日野川に沿って、特急「やくも」が走る。「やくも」はJR北海道のグリーン車のような乗り心地である。中国山地といえば、かつて車で地域振興に関するヒアリングに行ったとき、一日運転してもコンビニはおろかガソリンスタンドも見つからないような山国だったが、人びとは村落でスタンドを経営したりしてひっそりだがしたたかに暮らしていた。歴史もあった。伯備線沿線もほとんど同じ状態で、散在する村落と川を眺めているうち2時間余りで終点の米子に着いた。都会への人口集中、その一方に地方での生業、起業がある。もし地方で住むのならば現在とこれからの医療のこと、生業と収入、教育、家の存続のことなど、懸案は尽きないのだろうが、地方でなければ味わえない喜びもある。前期高齢者も後半に近くなると、その辺のさじ加減が少しわかってきて、いくつかの選択肢と取捨選択も頭の上では可能になる。折り返して、もし若かったら、と「もし」の仮想をしてもいい歳になった。都会もいいし自然に囲まれた田舎も捨てがたい。

■10/12 新幹線とお城の梁



いつものことながら田舎者のわたしには新幹線の技術には驚かされる。速度はもちろんだが正確さ、乗り心地、もろもろのサービスの安定、そして歴史ある動脈である東海道本線や山陽本線の利用度である。北のはずれの北海道にいると、人びとがこれほど多く使う乗り物とその背景に思いが及ぶ、というか想像が出来ない。相応の人口だから支えられているのであるが、これが中学校あたりの地理で習った太平洋ベルト地帯にあたるのだろうか、その相応の人口というのが北海道にいると見えてこない。

神戸から山陽本線で岡山、そこで乗り換えて伯備線、米子から山陰本線に乗り継いで行った松江では、名所めぐりの循環バスで、国宝のお城そばで降りて天守閣まで昇ってみた。1600年代の築城である。あのお城をきれいに石垣を積み囲み、内堀、外堀を設け、城は人力ではとても運べない巨大な角材の梁を縦横にめぐらして、文字通り手づくりしてある。この技術とそれを支える知恵や伝承という文明、あるいは文化というものが、新幹線という西洋起源の文明との対比の中で浮かび上がる。異質のようで同質性をもたないか。空襲で破壊されなかったこの城と武家屋敷のたたずまいなど、われわれの祖先の蓄積にふれることができたのは幸運であった。

■10/11 初霜近いぞ、花仕舞い

留守にしている間に気温がぐんと下がって花たちは花弁を落としてみすぼらしくなっていた。とりあえず昨日はハンギング2個とコンテナ4つを表から下げて捨てる段取りをした。根がしっかり伸びているから、実はハンギングやコンテナ本体から切り離すのにも難儀する。よく育った証拠であり、花たちに文句を言えない。使える土をふるい落とし、出窓の下に格納した。片付けを終えたらたっぷり2時間もかかった。奮闘した花々の始末を今朝、雑木林のわたし専用のくぼみに降ろした。これだけ低温になったのでキノコに期待したが急すぎたのか、どうやらボリボリは終わってシメジやエノキに変わろうとしているようだ。まったく端境の様相だった。明日は薪ストーブを焚こうか、と思う。


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