晴林雨読願望
take /草苅 健のホームページ

 



勇払原野のコナラ主体の雑木林。ここは中下層をウシコロシの黄色が占めている

一燈照隅
雑木林だより

 新里山からの日常発信

地域活動15年の歩みとこれから

 勇払原野の風土を共有する

  

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●日々の迷想 2023 & 2024 & 2025
2021
first upload: Nov. 29 , 1998
last upload: Apr 14 ,2026

日々迷想

■4/14 樽前浜にて



風向風速の予報アプリ windy では今朝はゆるい西風と表示されていたので、ゆっくり出かけてみると、もうすでに結構なアゲインストの風に代わっていた。サクラマスのライズはなし。これでは海に向かってロッドを振るのはつらい。ツーハンドロッドのフライをはずし、折角だから久しぶりのキャスティングの練習に切り替えた。

画像は砂浜と海だけになったけれども背中側の樽前山は、ここが海に最も近いところで迫っている。その山はもう雪が半分近く消えて春の顔をしている。ただ浜ボーフーはまだだった。

話はそれるが、最近、 face book にはダブルハンドで優雅にキャスティングする画像投稿が多い。それもすべて白人のようだ。そういえば、映画「リバー・ランズ・スルー・イット (A River Runs Through It)」では主人公のブラッド・ピットが芸術的とまで言えそうな優雅なループラインを見せていた(しかしロッドはシングルだったかも)。ダブルハンドはフライラインをかなり自由自在に扱えるので、ループラインの美しさを競って、釣果は二の次になるというのもうなずける。投稿画像はキャスティングの画像がほとんどで魚はかかっていない。今日のわたしもまあ、そんな気分に近いが、もともと釣果はさほど期待していない。15分で着く前浜で海に向かっているだけでも結構満足できる。

しかし次回は怠慢しないでセオリー通り風の穏やかな朝早めの時間に出かけてこよう。

■4/13 ちょっとした不具合直しも心地よい達成感あり

つまらないことでもうれしいことがあるものだ。更新したホームページや画像をサーバーに転送する仕組みがこのところ不具合で時間を要していたのを、ちょっと思いついて別のアプリに替えてみることにしたら、まあ、不具合はうまく改善できた。うれしい。スマホやPCなどは不具合とトライアンドエラーのデパートのようなものだし、家電製品やウォシュレットやボイラー、石油ストーブまで、メンテナンスは不具合との掛け合い漫才のようだ。次から次と終わりがない。こちらは昨今ほぼ時間があるから焦らず慌てず向きあうから、イライラもせずたいていは解決策が見つかる。

これが心地よい達成感が伴うことをこの頃は強く自覚するようになった。ある意味、生身の人間関係の方がはるかに補正が効かない。この頃は去る者は日々に疎し、という意味がひしひしとわかるようになった。荀子の言葉とされる、将(おく)ラズ逆(むか)エズ應ジテ而シテ蔵(ぞう)セズ(去る者は追わず、来るものはことさら迎えようとせず、だれかれとなく同じに応接して、しかも心にとめることをしない)という箴言のファンは多いようだ。しかしこれが難しい。

■4/12 「小屋時間」をエルミタージュと命名



小屋の時間とは何か、といつも思いを致す。心身ともに徹底的に「ひとり」になるのは曰く言い難い特別なひと時なのである。群れない、グループ活動はしない、という近年の姿勢転換はこの方が自然体で楽で、かつ行動より思索に向いているからである。

「楽」というのは隠れ家のように世間から断絶されるからであろう。「籠る」と表現してもいいが、となるとそれは隠れ家=エルミタージュ、ということになる。「小屋(時間)はエルミタージュ」、ふと思いついたこのフレーズはしばらく使えそうだ。

■4/11 クスノキのアロマ



ちょっといいにおいに飢えているような気がして、先月、宗像神社で入手したクスノキのアロマを、クスノキの小さな臼に垂らしてみる。空気が新鮮なものに生まれ変わった。神社の大木のイメージがあるせいか、ひととき場がやや神聖なものに感じる。

■4/10 少しあわただしく動いた林の一日

週の初めから、結構、薪にかかわる小さな力仕事をこなしている間に、疲れが残った。それで夜は少々晩酌もして10時前後には寝て4時過ぎに起きる生活になった。なかなかいいサイクルだと思いつつ、今日の日中はクルクルと相手が替わって若干慌ただしかったかも。

11:00 難病と戦う女性山仲間を同志らが見舞う即時動画をLINEで同時共有したので、小一時間様子を見ながら、最後は本人としばし会話、しかし気の利いた言葉はかけられず → 12:00過ぎに小屋の現地へ。落ち枝を拾いつつ小屋番仕事、薪は焚かず → 13:45 待ち合わせ、立会。土地所有者とこの春に手を付けたい荒れたカラマツ林について説明、案内、情報交換 → 帰宅後すぐ、16:00 管轄する地方自治体に、先日照会した事項へのレスがないことについて確認 → あやまる取次者から担当へ変わって再度、要件説明 → 説明後、内容をまとめてメールしてほしいとの要請あり。部内で検討用にと → 16:40 要点、経過概略を詳しくメモしてメール → 16:50 ハスカップの寿命について栽培家のYさん(ハスカップ振興協議会会長)に携帯アクセス、未知の事項に共感 → 晩酌(-_-;)

風土、あるいはそれによって来る風物に関心を持っている方との交流はこちらも啓発される。行政のかたとも、なるほどそういう仕組みも大切だなと思わされる。自分が住んでいる土地に対して、人であれ、マチであれ、歴史であれ、視線を向けておられればいつも接点はありうる。ハスカップに精通するYさんとの数十分のやり取りは面白かった。

■4/09 イランの真実

イスラム思想研究者の飯山陽(あかり)氏が普段はうかがい知れない、マスコミや識者が決して言わないイランという国とイラン戦争の実際を解説していて興味深い。先日の「言論テレビ」では花田編集長がインタビュウし、月間「正論」5月号では「イラン戦乱は存立危機事態だ」と寄稿している。

一時は東京都議選で日本保守党から出馬したが母体とはいざこざが発生していてやや泥仕合的でyou tube を見るのをやめていたがここにきて大注目だ。ただ、イスラムを垣間見る時に飯山氏の論点はいつも一貫していて、だからこそマスコミにも無視され続けている。余談だが日本のジャーナリズムの中で突出しているという点で、日中関係を論じる福島香織氏とトークのポジションが似ているかもしれない。

「イランが伝統的な日本の友好国はウソ」「日本のマスコミや識者はホルムズ海峡を封鎖すると一番困るのはイランだから封鎖するわけがない」などと言ってきたことに対して、「日本のマスコミや識者はどこで何を勉強してきたのか」と痛烈に批判している。自由主義陣営と独裁者や宗教国家との関係は、マスコミの偏向、あるいは「偏好」報道にもかき消されて読みにくいが、文字通り正論らしい発信を続けてくれる人がいるのは救いである。

■4/08 根返るような大木は重過ぎる



玉切りを4時間。普段から昼食を取らないので林に居っぱなしだから、実は仕事ははかどる。途中から太めの材を扱ったので、ソーチェーンを特に切れ味がよいとされる刃が鋭角な「スーパー」に替えてから特に快調だった。しかし、根返りした太い木は重過ぎる。藪だしでトラックに積むのは一苦労する。薪がゴールであれば、本当は根返りするほど大木にしてはいけないのであるが、ここの当初の保育のねらいは、美しいコナラの大木からなる雑木林風景を実現することにあったから、これはやむなし。根返りや倒伏の都度、対応せざるを得ない。もちろん、放置も方法の一つだ。今日の作業は数年前からの懸案だった根返りを昨年11月に片づけた材の、そのまた後片付けである。来週あたり運び出す予定。掛かり木や周辺の間伐木の玉切りもあったので、夕方にはへとへとだった。

■4/07 ドナルド・キーンの『明治天皇』

なんと、これほど皇室の行事、しきたり、言葉遣い等々の細部にわたり、記述された書物を読むのは初めてではないだろうか。上下巻あわせて1000ページ以上というのは気が遠くなるが、まったく飽きさせない。別世界が展開されている。100p過ぎあたりで明治天皇の父にあたる孝明天皇の開国をまえにした緊張がドラマのように描写され、攘夷派開国派入り乱れての戦場のような場面はノンフィクションとしても興味深い。

角地幸男訳となっているから、キーン氏は日本語で書かれた『孝明天皇記』などの資料から英語で原稿を書いたということであろう。これから祐宮(さちのみや)という幼名の明治天皇が蛤御門の変や江藤新平、大久保利通など明治期の役者もろもろとのやりとり、教育勅語から日清日露戦争をへて下巻の第61章の崩御、最終章の乃木希典の殉死までゴールははるか先にある。早朝読書でこなしている。へこたれないで読了できるか、実はあまり自信がない。が、明治維新と明治を学ぶ教材として異質であり別格だと思う。

■4/06 山菜と山仕事と薪づくりで回る一年



自宅の薪はほぼ使い切ってすっきりしたばかりだが、もう来年のための準備が始めた。まず、空いた薪小屋に遠浅の薪ヤードからタウンエーストラックで3往復して、よく乾燥した薪を運び入れた。薪同士がカランカランと鳴る。2回目と3回目は家人が手伝ってくれたので、積み込みも積み下ろしも各々15分で終わった。明日からは長材の玉切りをひとりで本格化させ、来週早々、丸太を薪ヤードに運ぶ。二日かかるかもしれない。そして連休からは薪割と薪積み。一年が、山菜と山仕事と薪づくりで回る。その合間にハンギングバスケットを作り半年世話する。この単純なサイクルがよろしいようだ。

■4/05 勇払原野にかかわって50年が経って

昭和51年4月に第3セクター苫東に赴任したから、この4月に満50年になる。最初の職場が25年目に倒産してその後札幌勤務となって2回職場が変わったが、住居を移さず週末は雑木林の手入れを続けたから勇払原野との付き合いだけがちょうど半世紀になったわけだ。しがない勤め人人生だったわりに、定点でここ勇払原野の特徴ある風土に付き合えていることは実は得難い経験をさせてもらっていると心から思える。じっと付き合えば土地の神様、産土もたまには微笑んで目をかけてくれ、やがては本当の姿を見せてもくれる。有難い経験をさせてもらっていると巡り合わせに感謝している。

■4/04 タンチョウ



静川の山仕事の後、遠浅に向かう途中、あれ、ツルかなと気づいて車を止めた。雑木林に隣接した厚真町豊川の畑である。ややして、農家の軽トラが数台通っていったが、ツルは全く逃げなかった。動く車には慣れているようだ。この車列が過ぎてからわたしは50m程に近づいて車の陰からデジカメを構えたとき、タンチョウはきれいな飛翔を見せて発った。着いた遠浅では地元の会友に、このごろ山林でモモンガが見れるとバードウォッチングの人が来るという話を聞いた。

■4/03 歌に見る庶民の共感 48

前回投稿は3/13だったから少し早いペースだ。でも俳句や短歌を鑑賞する愉しみは増すばかり。そういいながら自ら創るのは手が出ない。

蕗の薹卒寿の先にある未来   佐倉市・Oさん
…歳をとっても早春のフキノトウを見つけたらこんな風にひらめく。毎年訪れる春、新たな顔が見えることは間違いなく希望を湧かせる。

煮凝りとう黒曜石を割りにけり   松江市・Mさん
…アレッと思わせる一首。まさか、と思いつつ情景を思い浮かべると黒曜石と煮凝りは崩れ方が似ていた。一般にそう呼ぶのかといえば、そうでもなさそうだ。

少し吹き夫にも葛湯供へたる   上尾市・Kさん
…孫の赤子に与えるフーフーをつい仏壇の夫へのお供えにもそうした。情景、ほーふつ。これを俳句にする日常も素敵に見える。

歩み初めし児のやはらかな土踏まず四十億年のはるかなる旅   横浜市・Kさん
…人類誕生してこのかた、土踏まずが受け継がれてきた。そう振り返るだけでも不思議な気がする。立ち上がり、手を使い、やがて時々、老いた土踏まずを眺める人もいる。

街路樹の幹にまかれし赤テープ哀れ古木は伐採を待つ   川西氏・Kさん
…街路樹の寿命が急に注目されている。大風はもちろん何もないのに倒れて道をふさぎ、怪我をする人もでる。ホンコンフラワーではないから、あの劣悪な都市環境では枯れたりするのは自然。付き合わされてご苦労さん、だろう。

心から謝罪をしたら金継ぎの器のような友情を得た   富士見市・Mさん
…おめでとう!謝罪の効き目、よくある感謝より強力のようだ。心からの謝罪など普通にできないから、したほうの長い逡巡も晴れていかばかりか。前よりよい付き合いが始まったか。

夫の指のめくる感触知っている吉川英治の全集処分   武蔵野市・Mさん
…ああ、さぞや。全集をめくる至福を思いつつ、捨てざるを得なくなった夫人のやるせなさにも心寄せた。いろいろ知恵を絞るが最後の結論は「捨てる」。思いを共有した。

妻も我も仕事の悩みある夜の黙(もだ)に包んで食べたるカルビ   生駒市・Tさん
…ひととおりお互いの悩みを語ったり察した後の夕餉か。だが、最後のカルビの一枚を食べ終えるころ、どちらからともなく飛び越えるヒントがチラと、あるいは踏ん切りの一歩が。

春うらら土手行く我に福来たり右にカワセミ左にメジロ   朝霞市・Hさん
…散歩の絵にかいたような意外性。鶯の声やガンやハクチョウの渡り鳥の声なども。それらを福と感じられる感性は持ち合わせたいもの。春ならではだが、日常の人の言葉にも福耳用のアンテナを、なんて。

■4/02 雑木林は輪廻転生の風景



見慣れた風景なのに静川の雑木林はわたしにとっていつも新鮮だ。地面に近づいてみると腐朽していくものと生出ずるものが混在して、しかる後に新しい歴史を創っている。

■4/01 国の長期計画と石油備蓄

政府は国土と国民の安全で安定した暮らしを保障するため長期計画を立てる。今から50年以上前に北海道に工業基地を作ることを決め、その10年後には石油を備蓄する必要がある、とここのほか数か所に備蓄基地建設を始めた。当時すでに苫小牧に住んで用地造成のちっぽけなコマのそのまた子分として仕えていた当方には、しかしはるか遠くの出来事のようにしかみえなかった。今、ここから20kmあまりの備蓄基地から石油が放出されようとしている。

この絵のような大きなうねりには目を見張るばかりだ。国の長期計画は大きな大きな底流れで動いている。もはや庶民の推し量れる尺度ではないと以前から感じてきた。選挙というもどかしい制度でこのジャッジになにかコミットしようとするのは、これまた実にもどかしいものであるのは事実だが、民主主義とは為政者からみても国民から見てもまったく手間のかかる代物だ。

地球温暖化対策などは振り回されただけではないかと思う。個別のエネ政策としての太陽光発電、EV車の扱い、これらは迷走している。そして外国人政策、教育、いずれも歩みがのろいどころか、移民対策など遅れに遅れて先進地域の1,2周遅れで取り返しがつかないのではないかと心配されている。この歳になると、心配すれば切りがない。切りがないからなおさら耳をそばだてる。しかし結局なるようにしかならない。



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