| 晴林雨読願望 take /草苅 健のホームページ ![]() ![]() 勇払原野のコナラ主体の雑木林。ここは中下層をウシコロシの黄色が占めている |
| 一燈照隅 雑木林だより 新里山からの日常発信 |
地域活動15年の歩みとこれから 勇払原野の風土を共有する |
| ●コンテンツ一覧 ●日々の迷想 2023 & 2024 & 2025 2021 |
first upload: Nov. 29 , 1998 last upload: Mar 07 2026 |
| 日々迷想 ■3/07 シカが食べない雪の下の緑 ![]() エサがなくて樹木の皮も食べるシカが、こんな青々とした早春の葉やつぼみを食べない。春一番のナニワズである。花はジンチョウゲの芳香がする。シカは漢方のにおいのするコブシや痙攣をおこすとされるツツジを食べない。あと小屋の周りではシウリザクラ。群生するもののほとんどはシカが食べないものと言ってもいいのかもしれない。シラカバは食べたり食べなかったり。地面を覆うフッキソウも残っている。今、シカ対策をそちらのほうから思案している。ハーブ系、薬草系、そしてシカにとって毒のあるものなど。写真は3/6 の雑木林センターの横のナニワズ。 ■3/06 人工衛星と流れ星 2日続いて雪か雨が降ったせいだろうか、3/5 の夜は空が澄んで星がよく見えた。家人が天窓から星がきれいだというので外に出てみると、5分足らずで6つの人工衛星が頭上を飛んだ。西から東が5つ、北から南へがひとつだった。あわよくば流れ星を、と欲張ったがそれはなし。それでも今年は1月から2つ確認したから幸先はよい。いつ飛ぶかしれない散在流星に出会うのは、空が明るい苫小牧では少しハンディがあるけれども、あの幸福を射止めたような感覚は格別である。 残念ながら民間の人工衛星打ち上げは昨日失敗に終わったが、当事者は結果をこれからに利用できるので失敗だと思っていない、と語った。 ■3/05 自分史に世界の出来事を重ねてみると この世に生を得てからの履歴を心得ておく必要に迫られ、5,6年前に年代(元号と西暦)と年齢のわかる自分史的メモをエクセルで作った。これが昔を思い出すときに意外と便利で、記憶をリフレッシュするときにも役立っている。ここへさらに日本の現代史、世界史のトピックを重ねてみる必要を感じ始め、昨日とおとといと、簡単なメモを書き入れた。簡単なものだから、例えば拓銀破綻とか天安門事件などというようにである。これで難航つづきのわが足取りも俄然わかりやすくなってきた。いささか、ちょっとした激動の中に生きてきた風な、一瞬、天然色風に見えてきたからおかしい。 先週あたりから厚真の田んぼにはガンの群れが少しだけみられるようになった。そして今日は二十四節気の啓蟄だ。2日間、雪やみぞれの日だったが、いよいよ春に向けてまっしぐらであろう。おそらく今日の夕方あたりからがんの渡りの声が聞こえるのではないか…、と書いたとたん、正午の自宅上空で鳴き声が聞こえだした。 ■3/04 耳を澄ますと聞こえてくること 拉致問題がもしかして動くのではないか。そう思ったのは去年の秋ごろだったか、北朝鮮のトップ・金正恩がトランプ大統領と会うのを視野に入れてゴルフの練習を始めたといううわさが聞こえたころだった。最近、拉致問題について信頼できる筋が、トランプ大統領が4月に中国訪問するその足で、北朝鮮に向かうのではないかとの憶測を伝えた。北側が非公式にトランプ氏と会いたがっているということが背景にあるとしている。高市首相の解散や総選挙、3月の訪米もその線にあわせて組み立てられたという。いよいよ、高市首相と金主席の会談実現にに向かうのか。それともイランがらみでトランプの訪中は中止になるのか。 ■3/03 森村誠一著『老いる意味』を読む 居間の丸テーブルに置いてあったこの本を一気に走り読みした。副題に「うつ、勇気、夢」とある。老人性うつと認知症に出会い戦ったあしどりなどを含めて、まるで他人事でない章立てとトピックであった。氏、88歳の著書で、普通の感覚で淡々と書かれ、高齢者にはことごとく共通するような、思いを代弁するかのような内容だ。 実のところは森村氏の作品を読んだ記憶がない。が、娘が学生時代に町田の喫茶店でアルバイトをしていると、よくやってきては仕事をしていたというのを聞いていた。読んで知ったが、喫茶店通いはうつ時代の日課のようだった。そんなこともあって生身の人間として氏には関心があって、いわば勝手にかすかな縁を感じていた。やがてうわさで聞こえてきたのが老人性うつだった。 闘病をしながら前向きな作家精神を失わなかった氏の心がけに励まされる思いがしたのだが、特に第5章「老人は明日に向かって夢を見る」で写真俳句をやり始めたころの小文があった。ちょうど今朝、新聞の歌壇俳壇の欄で投稿がしばしば採用されるという山仲間の歌詠みT君にあてて、彼の作品の感想を書いたばかりだったせいもある。よし、これからは鑑賞だけでなく自ら作ってみようかと心が動いた。 ■3/02 「ばけばけ」の描いた地獄 ラフカディオ・ハーンのヘブン先生は、松江の冬を「地獄だ」と悲痛な面持ちで表現した。逃げ出した形にも見えた南国の熊本に赴任してから、初めてストーブのある部屋が画面に出てきたのはおかしかったが、欧米人から見たら、明治時代の暖房のない地方の暮らしが恨めしかったのは想像に難くない。明治のはじめ開拓使に呼ばれたケプロンも、小樽に上陸してから札幌に向かう道すがら、銭函あたりの民家であまりに貧弱な暖房に絶句したようなことを何かで読んだ。 今日読んだ苫小牧郷土文化研究会の豆本『ユウフツ千人隊物語』(岸本安則著)にも、八王子から1800年に蝦夷地は勇払にたどり着いて、海防と開拓に従事した八王子千人同心の100人余りは、寒さと飢えに苦しみ、次々と病気で死に、あるいは本土に帰還したのだった。おまけに勇払原野や鵡川のあたりは火山灰土壌と霧のせいもあって当時作物も育たなかった。 和歌山から空知に集団移住した十津川の人たちも初めての冬に次々と風邪などで亡くなった、とある。寒い、と言っているうちはまだいいが、越冬して暮らすとなると藁やヨシで編んだ家壁や隙間の多い板壁などは寒風とマイナス20度にも及ぶ低温には役に立たないのである。北海道はまさに殺人的な冬の気象でそのままでは凍死するのだった。 生活の改善、あるいは快適さの追求という面で、日本人は意図的にでもあるかのように開発、改善が鈍かったような気がする。国木田独歩の『空知川の岸辺』に描かれた開拓時代の前線の暮らしぶりなど、悲惨であり過酷さは相当なものであった。夢に燃えていた独歩も現実を知って北海道移住を断念したように見える。ほかの多くの見山者も高温多湿の本州以南の風土感覚を背負っての渡道であるから、困惑は無理からぬことであったと思う。 そもそも北海道に本州人がすむようになって、明治維新から数えてもまだ150年あまりであり、暖房の文化を持った欧州、とりわけ北欧では国ができてからだけでも1000年以上の歴史があるから、暖房の文化と技術は雲泥の差があっても仕方がなかったのである。ヘブン先生の「松江は地獄」と逃げ出したかった気持ちは今なら実によくわかる。 ■3/01 雑木林の落ち枝という燃料利用 小屋番で部屋を薪で温めている間に、春の藪だしのコース段取りで林を歩いてみる。雪が消えたばかりの林床にはおびただしい落ち枝があり、その量にはあらためて驚く。 小屋ではこれらを焚き付けに利用し、秋の山仕事では休憩用の焚火に使っている。煙や炎で疲れが飛ぶような気もするし、ひとりの山仕事ではさながら相棒だ。アイヌの人たちは燃料に事欠かなかったというが、コタンが広葉樹林のそばにあるから、無尽蔵の燃料だったと言える。こんなことってありうるのか。 ただ、落ち枝は乾燥する必要があることと、すぐ燃え尽きる。火力が弱い。以前、ロケットストーブという道具作りが流行ったときに作ってみたが、これなら中華料理を作れるくらいに火力があったから、ロケットストーブも落ち枝もいずれもバカにできない。 ■2/28 歌に見る庶民の共感 46 この書き込みは読売俳壇・読売歌壇から、たまたま心に響いた時に印をつけて置いた投稿作品をコピーしている。この背後には残念ながら選に漏れた数多の応募者と生活を凝縮した作品の存在も想像している。そこに日々を詠むという生活者の息づかいも伝わってくるような気がする。勝手な連帯感が沸いてうれしい。 ◎ぽんこつを互ひに笑ひ去年今年 川口市・Kさん …友人ではなく夫婦の会話とみるのが自然か。廃車も遠くないのだが、修理してたまには部品交換して毎日毎日を大切に生きて、また一年が経った。ありがたい。互いに笑いあえて、そこにいたわりの光景も。 ◎苦戦して九十五歳日向ぼこ 成田市・Kさん …日向ぼっこの高齢が単なる慶賀ではないと語る姿に神聖さを感じる。人生は山あり谷あり、苦戦も少なくないのだ。ほぼ1世紀を振り返るのに日向は格別のロケーション。 ◎また年賀状じまいという賀状 小金井市・「ひ」さん …いい加減にしませんか、という苦々しさか、また一人増えてしまったという寂しい嘆きか。年賀じまいの賀状を出すまえに、どう関係を終えるかについて律義に考えてみるのが日本人らしい感性だと思う。迷い、ためらいながら、長い濃淡のある関係をフェードアウトさせる。(*2/12 に前掲(-_-;)) ◎稲挙ぐや津波に呑まれかけし夢 大船渡市・Mさん …「稲挙ぐ」は起きる、「稲積む」は寝ることを指すのだという。大晦日に年神を迎えるために寝るという言葉を忌み、こう表現するのだと知った。初頭の季語として「冬構え」、石組み集団の「穴太衆(あのうしゅう)」などという言葉にも出会った。恐るべし俳句、日本の伝統。 ◎春の星生きているから死ねるのだ 大和市・「お」さん …春らしく晴れ渡った天空の星には明るいメッセージ性がある。作者には死が遠くないという予感でもあったのか。そうなのだ、時には「あまりに健康だったら死ねないよ」、なんて冗談めいた言葉も聞く。生を終えられるという幸運もあるのだ。言い聞かせが力をもつ。 ◎木星をつるしてウルフムーン 野洲市・Mさん …ひときわ明るい木星はなにか意味ありげに頭上に輝く。狼月とは1月の満月らしいが、吊るす、ように見える位置関係、そういえば満月の1月3日は晴れていたから、そんな時間にわたしも外にいて同じような光景を見たような、しかし句にする芸才はなかった。 ◎冬耕の暮るるにまかす一人かな 神戸市・FさN …季語「冬耕」を使った俳句は例としてたくさん出てくる。それほど光景を想起させる深みをもった一語なのだ。日が短くなった斜め光線の下で作者は何を思っていたのか。越し方か、明日やってくる孫たちのことか、それとも春の作業の段取りか。 ◎闇に浮かぶあまたの目あり寒施行 川崎市・Nさん …静川の雑木林の小屋では、鹿、狐、狸、兎、そして鷹や啄木鳥など野生の目は日常だ。さすがに用意された餌を差し出す寒施行の経験はないが、もののけのような気配は事欠かない。それほど冬の生き物たちはエサがないか、乏しい。マイナス20℃近くまで気温が下がり物みなおおい隠す積雪もある北国で、野生の飢えは半端ではない。だが、この地では仏教的な感覚でとらえたことはなかった。 *追記 投稿作品を書きながら鑑賞する愉しみは一入(ひとしお)だ。貸し切りの無声映画館のようであり、日本各地の風土と伝承なども総動員して味わえる。流し読みではなく、踏みとどまって作者の日常まで空想してみる。 ■2/27 ホッとする会話の風景 国内の政治と政局、それにまつわる言論、さらに国際情勢などをネットやSNSでフォローしているとどんどん深みにはまる。今回の選挙ではいつもより数段情報量が多くなって、結果的に食傷気味となってきた人もいるのではないか。比較的よくウォッチする当方はうんざりして離れる時もしばしばあった。 本当に触れたいのはこういう風景じゃないんだけどなあ、と考えたとき正反対のテレビ番組が頭に浮かぶ。ひとつは「病院ラジオ」。病気と折り合ってなんとか生きていこうとする人間の弱さとやさしさが、司会(サンドイッチマン)の語りと人柄によってうまく引き出されてほろりとさせられる。そして「ドキュメント 72時間」。何でもない、普通の日本の庶民の生活が、控えめに切り取られていて素直な共感がある。 地球規模では「地球taxi 」あるいは「街角・駅・空港ピアノ」。素人のほうが役者だ、おもしろいとはかねてから言われてきたことだが、庶民の生活をちょっとのぞき見するような映像に実は安堵の気持ちが起きる。そこにあるのは人としての絆のようなものではないだろうか。SNSに蔓延する嘘や暴力や対立や批判やエンドレスの自己主張の世界とは、日常の庶民はまるで違うのだ。欧米などからの訪日外個人旅行客は、そんな日本人の生活の風景に驚いている。 ■2/26 「歩く人はボケない」か 町医者30年の結論とある。認知症が心配になっている人々は、新聞一面にこの本の広告を見つけてきっと興味を示しただろう。本当だろうか、どれくらい歩けばいいのだろうか、週2,3回でいいのだろうか、などとハウツウの疑問も尽きないだろう。ボケ、認知症は高齢者の一大関心事であることは異論がない。 しかし逆に、歩かないうちに筋力が衰え、直立するバランス感覚もなくなって、つい、ソファや椅子に座ったままの状態を想像してみると、「歩かなくなるとボケる」という反対の意味から推論したほうがピンときた。「それじゃあ、ボケる」。 だからたとえ家の中でも携帯の万歩計を使って歩行距離を推定することにしている。家の敷地から一歩も出なくても、庭仕事や薪運びや階段の上り下りなど、要するに「おーい、お茶」などと声をかけて用事を済ます亭主関白でなければ、歩かない生活など考えられないのである。股関節手術の後の後遺症的歩きにくさをようやく克服しつつあるわたしは、なんとなくこのタイトルが魅力的に見える。そして「よく聞く(聞こえる)人はボケない」「よく食べる人はボケない」「よく飲む人は…」と続いて、要は人生に対する積極心だな、という結論に達する。 ■2/25 ドイツみたいな豚とドングリの話が遠浅・大島山林に 大島山林でスノーモービルの不調対策を打ち合わせした後、早来の図書館で町史を見せてもらった。ハスカップの群落衰退と洪水の関係を調べる一環である。メインの課題の前に遠浅の歴史を紐解くと、明治の30年代、土地の貸し付けを受けた(開拓した)初代の大島清吉さんは、遠浅沼東側のあの一帯320haを持ち、敷地の一部で100頭以上の豚を飼ったとある。それも、ナラの林のドングリを食べさせたからとても成長がよかった、という主旨が書かれていた。まるで、ポークソーセージの本場、ドイツのような話ではないか。わたしが50年前に出会った大島山林は、若いのに美しかったのは、こんな林内放牧の歴史のせいでもあったのだろうか。 ■2/24 食べない快感とアルコール離れに事寄せて 昼に食事をとらない大きな理由は空腹である快感に気づいたせいであった。数年前に検診で逆流性咽頭炎と診断されてからは夕食も腹6分を目標としている。食に関する懸案は、あと、アルコールがある。飲まないほうがよく眠れると言い、そのせいか、周りではたまにしか飲まないという人のほうが多くなった。 一方、昔の会社や役所には、部下に吐くまで飲ませ強くする、などというパワハラ的指導をする上司がいたことなど、今や考えられない。当時、職場の飲み会は多かった。何かと飲み会があり、仕事帰りに愚痴を言い議論していた。北海道では観楓会が職場ぐるみの飲み会の象徴だったような気がする。 ![]() 少し古いデータだが5年ほど前の資料では70代男性の35.2%が毎日飲み、6.5%が週5,6日飲むと答えている。これだとわが飲み仲間は潜在的にいる、というがわかりホッとする。わたしのような晩酌オジサンは置いてけぼりになるのかと思っていたから、そうでもないようなのだ。しかし、仕事を離れれば誘って飲む機会はなくなった。昔はよく付き合ってくれた家人も夕食時はビールのみでさっさと片づけてしまうようになった。飲んで話すのは実に楽しいのにいずれも残念だ。 確か30年ほど前だったか、フランス人がワインを飲まなくなったと言われ始めた時期があり、聞けばペリエという炭酸水を飲むようになったと聞いた。素面(しらふ)状態を良しとする sobar curious という言葉も近年はしばしば聞かれるようになった。若い人はもちろん、中高年でも別に飲まなくてもよいというアルコール離れが確実に進んでいるのは本当のようなのだ。 仕事の緊張から解かれるため、というのは勤め人時代の飲酒理由だったが今はずばり、おいしいからだ。おいしい料理をさらにおいしくいただくために欠かせない。そのかわり、もちろん深酒などしない。特に料理をしながら仕上がりに気を配ってちびちび飲む楽しさ、わくわく感と言ったらない。そして大相撲…、と飲む理由は続くのである。 *2026/01/03 のブログ「酒を飲む動機の変遷」に続く ■2/23 PCとネットの環境整う ホームページ作成の新バージョンソフトが届いてセットアップした。これであと10年くらいはもつ体制ができたのではないか。デスクトップ購入から始まりデータ移動、アプリ購入などを込みにすれば20万円以上かかったが、おかげで更新作業はもとより操作上のストレスも解消されたから、投資に見合ったものと納得できる。それに今やスマホと並んで生活必需品だ、などと書けば何をいまさら、と笑われそうな、そんな時代だ。 ただ、AIやSNSで速く広く情報を得るよりも、一冊の古めかしい本でも佇むように付き合うほうに気持ちがそそられるようになってきた。関心はゆっくりした、静かなほうへ移ろうとしているようだ。 |