晴林雨読願望 take /草苅 健のホームページ ![]() ![]() 勇払原野のコナラ主体の雑木林。ここは中下層をウシコロシの黄色が占めている |
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●コンテンツ一覧 ●日々の迷想 2023 & 2024 & 2025 2021 |
first upload: Nov. 29 , 1998 last upload: Aug 04 , 2025 |
日々の迷想 ■8/4 朝五時、ボーッとする時間 未明からの1時間、近所からは全く物音もせず通りの車の音もしないこのひと時、ボーッと、ただボンヤリと過ごすのが常になっている。頭にはほぼなにも浮かばず、無心のような、なにか苦しみのようなものはあろうはずもなく、どちらかといえば、ある意味では幸せというものに近く、時々は無我夢中の現役世代と呼ばれる時間を思い出し、ちょっとほろ苦い後悔と失敗で嫌気がさして脇に追いやり、ああ、これは人生後半のご褒美というものか、と思うこともある。同時に、これが老いの正体、ボケの進行か、とも。ならばボケとは幸福の友達である。 ■8/3 雑木林の猛暑 ![]() 林は32℃、とても歩く気になれなかった。 ■8/1 花が誇る ![]() 5月の末に花苗をハンギングバスケットとコンテナに埋め込んでから20日で表に出し、約1か月ほどでそれぞれがモリモリに咲き誇り始めた。葉の色が濃い緑で、虫もついていない。朝晩の2回、花柄を摘み花びらを掃きとる。水やりも様子を見て日に1,2回。鉢が小さいハンギングは特に水を切らしやすく、花々はいったん水切れを起こすと弱り、虫がつきやすい。 薪と花のコラボはあと2か月。台風が避けてくれるよう祈りながら、花々の顔色を見て過ごす。昨日は肥料を切らさないよう、追肥した。うまくいけば10月中旬までこのまま行けるが、先週あたりから少しずつ実をつけ始めた。実りの秋のサインか。メインのインパチエンスはものの本によると「陽の氣」があるという。確かに陽気な貴婦人のような趣もある。そんな理由で花飾りのメインはインパチエンスから離れられない。 ■7/29 補聴器を使って認知能力を下げない工夫 ![]() 音楽用の切り替えもできたが、山仕事中に不覚にも片方を紛失して、補完するか迷っているときに、スマホのイヤホンタイプの写真のものをネットで見つけ試してみた。値段は10分の一以下で集音器の割に、一応聞こえはまずまずだ。米国製。 どうやら補聴器の世界は日本が遅れているという噂だ。この機種はスマホで自分で聴力テストが可能で、状況を選択肢て切り替えられる。だが、聴力は100%戻らない。しかしながら、補聴器関係は長い付き合いになりそうな予感がする。高い補聴器は写真下端の黒い小さなもの。右わきの白い四角は充電器でBlue-Tooth を使用。 ■7/28 渡辺京二著『小さきものの近代 1』を読んで 90歳を超えてからの連載とはとても思えない緻密な労作。英雄ではなく名もなきひとびとの姿が刻印してある。歴史を見る視点は自虐的でなく肯定的なので比較的好んで読んできた。そしてなんとなく氏の軸足は古き良き徳川時代あたりにあるのではないか。「明治という大河の底にはこういう小石がいくつも転がっている」と書く。『黒船前夜』『逝きし世の面影』など、もう一度読んでみたい。特に前者では松浦武四郎のアイヌ観しか知らなかった自分にとってまったく逆の視点が示されて驚いた。 ■7/27 女性はエコが嫌い?! 男という生き物は野生の中にいることにあまり抵抗がない(ような気がする)。キャンプなんかは準備のほとんどが男、父親の仕事だし、典型的なものでは開拓、これは典型的な男の仕事だろう。先般の小屋暮らしについてやり取りをしている間に、ジェンダーによるエコ観の差、快適さの物差しに思いを至した。 思い出したのが、20年近く前にわたしのいた財団の座談会に出てくれた、当時ガーデニングの季刊雑誌BISES(ビズ)の編集長だった八木波奈子さん(小樽出身)がおっしゃったことで、要旨は“北海道の自然(と環境)はわたしには荒々しすぎる。本当はエアコンの効いた部屋にくつろぎながら窓越しにサファリパークのキリンを眺めていたい”というもの。 一般論としてあたっているかはともかく、これは特に多くの女性の本音ではないか、と密かに思った。自分はともかくそれ以外の人もまた来たくなる小屋、そのためには最低限の雑草刈り払いはもとよりできる限り「イヤシロチ」に近づけなくてはならない。が、これは不可能だと諦めつつある。だから、せめて林だけは整えておこう。これならできそう。 ■7/24 屈斜路湖へ一筆ドライブ旅 ![]() ![]() 大学時代の山のクラブが70周年を迎え、OBの約4割300名余りが集まった。その翌日、山仲間が所有する十勝のヒュッテに同期の面々と再集結。午後3時ころの安着祝いから始まってちびちびと夜半まで話は尽きなかった。翌朝も早朝から10時過ぎの出発まで、なんだかんだ、最後は病気と健康が話題になって締めくくられた。約4年間の学生時代に共に山に登りクラブの運営に関わっただけで、その後の半世紀は時々の交友であった。にも関わらずの途切れることのないトーク。その背景を考えてみれば、半世紀というのは自伝の一つぐらいは描ける時間だ。だから共感する事柄、共有する経験は多いのだろう。このようなアソシエーション、つながりは social capital の範疇に入るのではないか、と気づいた。数多のサークルや結社と同様、社会を維持補完する基本的な資本である。(画像はt-tajima氏) わたしはこのあと阿寒湖を経由して屈斜路湖でフライフィッシングを試し、美幌峠から陸別に向かい、70歳過ぎて北海道の開拓に挑んだ関寛斎の記念館を訪れた。 ■7/17 雨の中の雑木林の小屋で あわよくば防腐剤を塗ろうかと出かけた小屋では、本降りの中、雨上がりまで本を読んだ。丁度その頃、小屋から1kmあまり離れたところで体長2mのヒグマが道路を横断していたらしいことがわかった。わたしは小屋のサインをどうするか、朽ちた丸太をいじっている頃だった。勇払原野のあちらこちらで、実に様々な生き物、それは人間も含めてだが、てんでばらばら、思い思いの生命を一心不乱に生きている。そう思わずにおれない一日。 ■7/15 ヤマメのシンコ釣る ![]() 人と付き合うより山川草木、鳥獣虫魚と出会う時間の方が長い。それも歌壇俳壇をうろつくような、たっぷり情緒を持っての探訪である。もうこの愉しみといったら他と比べようがない。というか、いまのような歳相応の付き合いだと、分不相応を承知で言えば、緊張のない良寛さまのような世界と例えるべきか。できれば小鳥など頭に乗ってくれたら最高だ。 今日から雨模様が続くので昨日は思い立って昼前に白老に出かけた。渇水期で瀬の水も心もとない。手前の深みには大小のウグイが泳いでいる。そういえばもうすぐアカハラが遡上する時期だがその前兆かもしれない。そんななか、ヤマメのシンコはやはり流れのあるところで出てきた。チャラ瀬にもいた。 今年からフライにはフライ専用の杖、ポールを使用することにした。平取の道の駅で買った彫刻入りである。だだ、効果はあまり期待できず、おのれの体幹がいかに衰えているかを痛感することとなった。河原の大石小石、ヤナギ、ツルヨシなどをうまい按配にこなすのがむずかしいのだ。そんなわけでゆっくりゆっくり、ビスタリビスタリ(ネパールのトレッキングで覚えた言葉)、である。そうだ、そうすればいいのであって、フライフィッシングをやめる必要はないのである。名著『フライフィッシング』を書いた英国のエドワード・グレイ卿も晩年はたしか杖を突いて川に立っていたはずだ。 ■7/13 このごろ、やっと日本で見え始めている政治風景とは これほど事前に盛り上がっている選挙は珍しいのではないだろうか。注目されるひとつは外国人政策で、正確な言い方かわからないが移民政策のような、放置されてきたかに見える外国人の入国規制である。難民申請、留学生対応、土地買い占めなど。相互主義に反して日本だけが一方的に中国資本に不動産を買われたり北海道の地方で使途不明の囲い込みや違法開発などが取り上げられてきた一方で、メディアの取り上げも一部でしかなかったし一向に世論を動かさなかった。一体これでいいのかと歯ぎしりした国民は少なくない。これが今回の選挙に即応するかのように勃発するように上がり始めた。また国民の所得がここ30年、欧米各国から取り残されたように横ばいだったが、そのからくりはともかく、政府の失策だと糾弾の声が大きくなった。 与党は国民のことなど本気で思っていない、保身だという見方も定着しつつあるのではないか。裏にいる官僚にしても省益のことで頭は占められていると見なされるようになっている。国益を第一に考えていた保守を標榜する国民の多くが、与党を離れ雨後のタケノコのように立ち上がった新党に流れているらしい。与党に期待できないから当然である。新党ではその点、いろいろな政策メニュウが用意されていると報道される。その一連のやり取りの中で遠慮のない既往政策批判と自らの党の取り柄をPRしているゆさぶりのうちに、なんだか国の色々なことが見えてきたというのが真相か。政策の要点を比較したマトリクスを見比べながらTVやネットを見る日はもう少し続く。 こんななかでもトランプのキャッチをまねた日本ファーストという呼びかけがパンチのあるワードになっている。識者に聞くところでは、排外福祉主義というのが欧州のポピュリズムの特徴らしい。ということになると、今の選挙前の活性はいよいよ益々人気取りの政治のステージになってきたということか。ともかく他人事ではなくなっている。 ■7/11 メモ、ブログが役立つとき ~続・弁造さんのアフォリズム~ 何かを発信するため調べものをしてさらに追いかけようとするときに、書籍や文献のメモが実に役立つ。ところがどっこいどこにメモをしたか、そもそもメモしたことも忘れている。そんな折、一番調べやすいのが自分のホームページのメモだったりする。同じ様式で時系列順にただ並べてあるものが強い。次はシステム手帳の年ごとの何があったかの一言メモ。 昨年、思い立って生まれてからのできごと年表をエクセルで作ってみたところ、特に60歳を過ぎてからの仕事上の出版や地域活動、そして病歴など、実に使いでがある。家族の移動なども加わって立体感を帯びてくる。この「迷想」を2018年まで遡ってみただけでも、ああ、こんな本を読んで、こんな旅行体験をしていたんだ、と少しずつ思い出し新鮮な思いで見直すことになった。書くときには瞬発力があってそこそこ洞察も行き届いて、読み返すと隠されていた真意にたどり着く。 折々をメモしておくことは、それが書くことによるカタルシスに当たることも含めて、たいへん重要な行為だと知る。 ■7/8 『庭とエスキース』を読んで ![]() 井上弁造さんのゴミ屋敷のような小さな丸太小屋は、完成しないエスキースが主のアトリエになっている。庭は手放すと原野や荒れ地に戻るという開拓時代が匂う林と畑(いや、北海道は今でもどこでも昔に戻りたがっている)。そこで行われる営みに若いクリエーターは興味津々で向き合い、やがて北海道弁の年配者・弁造さんは亡くなる。 丁寧に北海道弁を切り取り、リアリティがあり、それらは機知にとんだ真理、アフォリズムと呼べるものに仕上がっている。例えば、ボンヤリをからかったら「年寄りからボンヤリをとったら何も残らん」「年寄りとはボンヤリ座っとる生き物だ」などと返す。「ユーモアはぺーソスを越える」など、意味深な言葉の数々を発見しつつたどる楽しみも多々ある。ある薪づくりのシーンでは、手伝ってもらった薪の山をみて「ああ、これでまた薪の暮らしを続けられるなあ」…。これはわたしの毎年の薪暮らしのシーンや感慨とも似る。 庭といい、人といい、そして薪といい、とにかく北海道に住み開拓や風景に関心を強く持つ者にとって共感するところが多い。だから並ぶように歩き、読んだ。ところでなぜ、若いクリエーターは、北海道弁で粗野な言葉づかいを隠さない老人のところに通い詰めたのか。老人の言葉に象徴されるアフォリズムは何を意味するのか。最後までしっかりした答えが見つからなかった。 だが読み終えて、わかった。人はきっと常によりよく生きるためのヒントを探して生きていくからだ。人の日常という足元には、メモを採りたくなるほどのアフォリズムが転がっていて、それらを丁寧に拾い集めている他者は、あるものにとってはヒントの山に見えるのである。ヒントは、抽象化し普遍化し磨いていくうちに音色良く響くようになるのだろう。聞く耳を持つものにのみに響く。まさに啐啄同時であろうか。 |