晴林雨読願望
take /草苅 健のホームページ

 


勇払原野のコナラ主体の雑木林。ここは中下層をウシコロシの黄色が占めている


一燈照隅
雑木林だより

 新里山からの日常発信

地域活動15年の歩みとこれから

 勇払原野の風土を共有する

  



●コンテンツ一覧
●日々の迷想 2023 & 2024& 2025
2021
first upload: Nov. 29 , 1998
last upload: Apr 22 ,
2025

日々の迷想

■4/22 風土は本当に人心を方向づけるか

藤沢周平の手記を読んでいる。氏の『白き瓶 小説長塚節』を読んだ時もなぜか親和性が高い感性だと勝手に感じてきたが、『藤沢周平 遺された手帳』で確信に変わった。まるで寒さで固くなった心を温もりで融かすような雰囲気があった。しかし、それは万民が持つ感想かと問われれば、否である。地域固有の民謡への共感のような、郷土・山形の風土につちかわれた、貧しさとまじめさと、つましさなど諸々の、どちらかというともの悲しさにも通ずる因習のようなものの共有だ。自分を殺して生きざるを得ない、近親縁者に忖度しながら生きねばならない風土にちかいだろうか。「出る釘は打たれる」というのがわたしの土地の戒めとしてよく口にされたのだった。

『…手帳』は娘の遠藤展子氏によるが、実の娘だけに父・藤沢の心のひだを実に良くほどいてみせ、小説家として独り立ちしていく、遅咲きの父の足取りを描いていくのだが、手帳に書かれた本音のその描写が時に痛々しくわたしの琴線に響く。そうして読み進むうちに、上に書いた寒さで固くなったわたし自身の感性が再生したような思いがした。「詩人の方が文学的に純粋かもしれない」「詩人は”表れない”ことを前提にしないと書けない」「(詩は)知的で情熱的な作業だから」などとも書いている。これはわかるような気がする。そしてもうひとつ、藤沢周平氏は血液型がB型だとわかった。科学的根拠はわからないが、これはある、とうれしくなった。

ともかくいつのまにか寒さで固まっていた塊を、藤沢周平の手帳は融かしてくれたようだ。それによってわたしが郷里の桎梏を紐解くことをしないで来たある種の我慢が、一挙に決壊して思い出の洪水となった。そのおかげで、生活と人間関係の絶望的な貧困と歪みを正しく認識することとなった。とりまく桎梏とは家庭、世間、そして土地の風土であるが、自然はあくまで無言で囲むだけだった。近年まれにみる読書収穫である。

■4/20 メール誤配信で予期せぬ功名

おとといの夜、新入会者へのガイダンスのようなメールを出した際、どうやら personal-deffalt というアドレスのフォルダーごと誤って送ってしまったようで、送信直後から誤配信ではないかと通知が相次いだ。1番手は旭川のYさん、2番手は米国のMさんだった。100件以上に訂正を出すのもどうかと考え、通知してくれた方にその都度お詫びの挨拶をすることにした。怪我の功名というのだろうか、久々のメールが一杯届き、思いがけず旧交を温めることとなった。中には、携帯である用件を話したかったが当方の携帯番号を忘れてできなかったという方もいらしたが、わたしの誤配信のメールの末尾に幸い携帯番号入りの署名があるのを見つけて、さっそく連絡をくれた方もいた。これが結構大切な、愉しみなやり取りができて、手間をかけてしまった方々には申し訳ないけれども、むしろ幸運だったような思いが残った。災い転じて…、か、不幸中の幸いか、怪我の功名か、など古来の言い回しが頭に浮かんだが、何が適当かはわからない。ただこういうことでまた縁が再生することがあるなあ、と思った。

■4/1
8 雑木林から丸太を運び出す



ようやく丸太を運び出す。Sさんの軽トラ、スズキ・キャリーを借りて。フットパスや林床には切り株もあるので慎重に運転。ヤードまで片道7kmしかないが、3往復しかできなかった。あと5往復は必要だ。来年秋以降に使う薪だから、ゆっくり行こう。薪ストーブライフを伐るところから始めると、とにかく仕事が次から次とある。



林から厚真の田園地帯にでると、正面には真っ白い雪を抱いた日高ポロシリ岳と北トッタベツ岳のピラミッドが見えた。田園風景にももう緑が見え始めた。田園地帯の境界にはシカ柵がしっかり張り巡らされているが、秋まき小麦畑だろうか、エゾシカの群れがふたつ、悠然と草を食んでいた。境界の高さ2mの防シカネットと、農地の電気牧柵の両方をを越えて。

■4
/16 ネパールのスケッチ



札幌の社会人山岳会の重鎮でもあった故/ima - tomo さんからいただいた 昨年の年賀状は、震える指で手書きされた私信と、奥さまの挨拶が添えられて、まさにお別れのような、しかし、九つの病を背負った自分のように希望を失わないでがんばれよ、とい年寄り予備軍への激励の手紙でもあった。

何度か読み返したのでハードデスクの脇のよく見えるポジションにおいていた。昨日自分の終末をどのようにこなしていくかちょっと思案した時にもう一度開いてみた。1998年のガネッシュ・ヒマールのトレッキングで描かれたF8見開きのスケッチを印刷した2号サイズの絵がはいっていて、いつもは年賀状にプリントしていたものだ。が、これには年賀状じまいのように、生きている証に送ります、と書かれている。ちょうど、『藤沢周平 遺された手帳』を読んでいた時だったので、もの悲しさを帯びた人生の波長がわたしの琴線を揺らしていたためか、今回の読み返しはこれまでと違った心持で味わうこととなった。

ima-tomo さんとは組織的には別につながりもなく、山やオケラの人などが集う居酒屋で知り合い、その後、山や自然ばかりでなく生き方の師範のような付き合いをしていただいて半世紀を過ぎていた。孤高にも見える姿勢に、まわりにファンがいた。わたしは淡彩スケッチでも密かに私淑していて、坂本直行さんや安野光雅氏などプロと並ぶ当方のお手本だった。そういえば、札幌近郊の山や道東の春国岱などにふたりでスケッチ旅行に出かけたこともあった。今なら、歌(短歌)の薫陶も受けておきたかったと悔やまれる。亡くなる数か月前には受話器ごしで元気な病気自慢を聞いたばかりだった。生かされていることに感謝し遺された人生は大事に生きよう、それも前向きに、と静かに決意する再読だった。

■4/14 老いては、妻にも従う

福祉国家としてつとに有名だったスウェーデンの大使か大臣が日本での講演で、「日本は福祉資源が豊かでうらやましい」と語ったことがある。もう20年以上前の話と記憶するが、当時、「福祉資源」は何を意味するのか、そしてやがて日本も深刻な介護の世界に至ることなどに、まったくピンと来てはいなかった。ところがこの頃は、高齢となった親たちの認知症や不調や介護で、たいがいは息子、娘など子らが主役となり、あるいは兄弟姉妹が中心になって世話をするケースが身の周りで目立ってきた。公的支援の前か並行してか、かつてスウェーデンの人が言った「福祉資源」がしっかりと効いているのだ。

わたしの世代もまったく他人事ではなく現実の話になった。子供たちの世話にはなるべくならないで終末を迎えたいという希望を、少し親の責任として考えている方も多いだろう。なにせ、若いころのように体が動かず頭の回転も落ち記憶も判断力も低下を自覚するようになると、目覚めの時など、漠然とした不安が湧くこともある。女性はその点、平均寿命も長いから元気でしっかりしていることが多いだろう。わたしなどもう諦めている。認知症なんか病気じゃない、自然だ、「老いてはアンタに従うよ、頼むぞ」。そんな声掛けは近い。

■4/12 海岸を歩く




人というものはたまには山を仰ぎ、海と向き合うのが良いと思う。大いに気分が変わり、つかの間、気宇壮大となる。昨年の自家製生物暦を見ると、このころ、浜ボーフーを食べ、川エビを採っていた。今朝は山仕事の前に弁天と浜厚真の海岸と砂浜を歩き、山仕事を終えた夕方に川で川エビの準備をした。あいにく、弁天の浜は嵐と護岸工事だろうか、砂浜が変形していた。自然の海と川は、よくこういうことがおこる。(写真奥は日高)

■4/10 これが「氣」というものか

「氣」を学んでいたころ、敏感な熟達者は氣を発する樹木のそばに来ると、掌がむずがゆくなると言われていた。いつのまにかわたしも微妙な氣を感じるようになったが、今朝未明、掌が無性にむずがゆくなったので額にかざしたり掌をあわせたりしたところ、いわゆる氣を発しているようだった。熱による赤外線的なものかと思って体温計で計ると35.2度の平熱だった。 

■4/09 雑木林の一番花咲く




夏には歯を落とすナニワズである。茶褐色の落ち葉の中で、黄色は実に良く目立つ。雪解けが早かったせいで、未だかまだかと待ったが、なんのことはなく開花日は平年並みだった。しかし、新緑までは1か月以上ある。

この冬は、昨年の11月から12月にかけて折角準備した丸太が全数盗難にあったので、3月からさらにもう1シーズン分の除間伐作業を行ったが、それも今日で終わった。念のため、監視カメラをヤブの中にセットした。

■4/08 歴史本の頭休めに「文士の料理店」など

司馬遼太郎氏の歴史ものは概して長編が多いが、今読みさしている『飛ぶが如く』全6巻はとりわけとても長く感じる。事件が盛りだくさんの明治維新前後の、豊富なアクターの氏素性、気質感情まで網羅し、しかも主人公を転々とする描き方だから、人物の系譜は追跡不能になってしまった。その点、「源氏物語」はまだ巻ごとに系譜図があったので参考にして整理できたが、『翔ぶ…』ではそれはもうお手上げだった。それがあと2巻も残っている。

そんな折、勝目梓著『俳句の森を散歩する』と、鷹羽狩行著『名所で名句』は、いわば箸休めの休息となった。しかし、それが嵐山光三郎著『文士の料理店(レストラン)』にいたって、ああこのジャンルの違いは「勉強」と「娯楽」程の差があるなあと痛感した。「文芸の愉しみ」だ。ではアソビなのかと言えばそうではない。『文士…』は文士らの日常をすこしだけ踏み込んで普段知りえない裏話も描いて見せているし、描かれた幾人かの文士は、著者嵐山が編集者として会い、共に食事をしたり、会わずともレストランに赴いて実食していて、かつわたしなど趣味で料理を作る側にもちゃんと料理のツボがヒントとして提供される。

と、先ほどはこの著書の中の水上勉の項を読んでいたのだが、とりわけ自家菜園の禅食を書いた『土を喰らう』の文字を見て、こちらの頭の中には今、山野に出始めるフキノトウと北寄貝のかき揚げや、今週から取り掛かる川エビ、来週には出かけるつもりのアイヌネギと海岸の浜ボーフーなどが次々とが浮かんできて、なにやら読書どころではなくなってきたのだった。


■4/06 雑木林の掃除、もしくはガーデニング




昨日の山仕事の後に、小屋周りを見渡すと…。里山というのは時間をかければこんな風景になる。理想とする空間、風景を創っていくというのは人生の喜びでなくてなんであろう。

■4/04 映画に登場する風景の楽しみ


あまり映画を見ることはないのは、つい感情移入してしまい現実にひきずってしまうからだと思う。暗い映画なら暗く、明るいものならそれなりにいいが、怖いものは恐怖で落ち込むくらいに、考えただけでも恐ろしい。

にもかかわらず、先日は役所広司主演の映画を二本比較的続けて観た。NETFLIX だったかの『銀河鉄道の父』と『PARFECT DAYS』である。いずれもたしかに楽しめた。毎日連続する現実から遠く離れた所へ旅する気分で、これは見だしたら止められないだろうなと思う反面、どこか嘘くさい作り物に、なかば、引いてみている自分がいる。

ただ、登場してくる風景は別だ。『PARFECT DAYS』ではTOKYO TOILET の公園の木立、『銀河鉄道の父』では岐阜で撮影されたという田園風景である。これにはしばし魅了された。風景と言えば、英国のTV番組とされる『THE CROWN』はすごい。英国にはよくもまあ、こんな風景があるモノだというくらいに、現在の英国の田園風景と宮殿が出てくる。なんだか、映画はストーリーでなく風景を見ているだけではないか、と自問するときがある。

■4/02 高齢者ふたりで




早春の雑木林は曇り空だった。手間のかかりそうな根がえりした掛かり木の処理だったので、wada 先輩の助っ人を頼んでウインチで引っ張った。いつもひとりでする山の仕事だが、語り合いの時間もまた格別だ。

■2025/4/01 山仕事の一風景



コモンズの公式ホームぺージを年度末に若い方へバトンタッチしたあと、旧ページはわたしの15年の地域活動のアーカイブとしてリフォームし、数日前だいたい体裁が整った。その最後に、近年思い出の写真というのを半分遊びがてらリンクさせた。大きめの画像をサムネイルでつなげたので、従来のスケッチブック紹介と同じようなツクリになっている。写真はその中の一枚で、2023年3月、根返りしたハルニレ大木の処理に向かうメンバーの後ろ姿である。巨大で危険なモンスターに挑む勇者のような風景でもある。奇しくも山仕事の危険と非日常性を表現できていると我ながら思う。

■3
/29 雑木林の接客用セット



テラスの雪も林床も、完全に雪が消えた。おもてなししたい、林の風景がこのまま約2か月続く。

■3/27 歌に見る市民の共感 32

このところ、俳句の本を楽しく読んでいる。勝目梓著『俳句の森を散歩する』と、鷹羽狩行著『決定版 名所で名句』である。季節と場面を想起するだけでも、気分は見知らぬ土地と風物に飛んでいく。その合間に古い芥川賞作家の芝木好子さん(1914~1991)の『華やぐとき』を開いている。芝木さんの文章は実にこなれていて人情描写は淡々と押さえを感じる反面、町の風物の表現は美しく情調豊かでいつまでもその雰囲気に浸っていたいと思わせる引力を感じる。と思いつつ、ここ1か月余りの読売歌壇俳壇からわたしの共感を。

◎わづかづつ治る腰痛春を待つ  牛久市・Nさん
…気持ち、わかる~、という方は多いはず。腰痛や五十肩はいつの間にか治る。春を待つ、という気分そのものだ。先月初めて五十肩に悩まされたが、それは真夜中の高い枕でする読書でスマホ首になっているせいと気が付いて、運動で対処して改善した。待ちの姿勢を一歩超えて、ひとつ賢くなった。

◎目鼻立ちキリリとすまし冬木立  東大阪市・Kさん
…キリリは冬木立に実にぴったりした言葉選び。高村光太郎の詩に、きっぱりと冬が来た、という主旨の好きな表現がある。それもキリリと謳っていたように思う。たしか、光太郎は父親像を比喩していたかと思う。

◎このふきのとうじゃないってまだあるく  館林市・Mさん
…大量に食べるものではないから、かようにより形のいいものを探すということはよくある。そしてどんどんと思いがけない遠くに至る。山菜や川や海の収穫に共通する。だから当然歩くのは苦にならないのだ。

◎朝刊を小脇に仰ぐ冬の星  藤沢市・ I さん
…冬は星がきれい。夜中トイレに起きた際、暗い部屋から星を眺めると、運が良ければ流れ星すらくっきり見える。朝の新聞、冬なら暗いうちに配達どころか、このあたりは三時前につく。早起きは三文の得だが、家人の誰も起きていない、ひとりの時間というのも、もうけものだ。

◎掛魚まつり漁師の肩に春の風  にかほ市・Sさん
…俳句は季語に限らず、むずかしく非日常的な言葉が多く、漢和辞典、国語辞典、スマホの世話になる。掛魚も読めなくてしらべると「かけよ」だった。秋田の金浦(このうら)で漁師が氏神様にお供えする魚、寒鱈だという。まだ見ぬ知らない新しい世界を垣間見るのだ。

◎岩手広島久留米より友の来て歌会始まる生きてゆくべし  市川市・Yさん
…生きてゆくべし。この決意が生れる付き合いは人生の冥利だ。七〇を過ぎて、にぎやかな社交はもう敬遠して辞退しているが、その分、一対一の個人づきあいは、ちょっと積極的にしようと決め、メールや絵葉書、時には携帯でコンタクトをとったりする。失礼さえなければそれもゆるされよう、と。

◎貧ゆゑにうそをいくつもつきし事許され給え除夜の鐘聞く  高崎市・Yさん
…吾のことかと二度読んだ。この歌を読んでしばらく、自分がいかに貧しい生活をして来たかが頭を離れず、色々なことを思い出した。それもこれも、貧しさがもとだった。中でも仕送りのない学生生活は今になってみれば、無鉄砲だった。自分だけでない、という寄宿舎生活の環境に励まされた。しかし、それで正解だった、そのおかげで今日がある。

◎仮の世に仮の住まいのあるごとく冬の蝸牛の殻のからっぽ  宮崎市・Nさん
…今が仮の世、とまだ悟れないが、土地や住まいというのは仮のものだ、というのは実体験できている。土地や自然は誰のものかという、大きな命題にもつながる。自然を観察している間に、このような気づき、悟りに至る。実に共感できる世界だ。

■3/25 年ごとの気象の違いについて

昨年の「雑木林だより」を見ていてわかったことは、雪解けが一か月早いということで、つまり、積雪が今年はまるで少なかったということのようだ。ナニワズの開花が見られないと書いたが、実は昨年だって雪解けの4月半ばあたりに顔を出しているのだから、わたしの早合点で何もいぶかしがることはなかったのだ。従って、林道も水溜まりも少ない…。異常気象という喧伝が身に染みているのか、どうもおかしい、という方にバイアスをかけるようだ。これは反省せねば。そもそも、冬の間中、セダンで小屋にアクセスできたのはここ30年近くで初めてだったのだから、推して知るべしであった。昨夜も、夜中にガンの渡る声が聞こえた。

■3/22 早春の画像二枚



卒業と旅立ちの季節である。3/22 は朝一番に林道補修、午後はNPOの代表理事として最後の理事会。いささか旅立ちの気分アリ。



この林は約80歳、若い林に更新するために更新するために伐った。ナラなどは切り株から萌芽を出して再生し、周囲からドングリも落ちて世代が代る。若返るために伐るのである。



ペティナイフは、近年よく料理番組に顔を出す売れっ子「伝説の家政婦・タサン志麻さん」が万能のように使っている。洋食の世界では大きな牛刀とこのペティナイフで足りるという話も聞く。到着早々使ってみたところ、実に良く切れる。大きさも手ごろでよく手になじむ。本体23cm、刃渡り12cmで両刃のようだ。このままいけば、すべてをこれで通してしまう可能性もある。だが、大型の魚をさばくには、やはり別にしている出刃包丁を使うだろうし、大きめの野菜や大根などは持ち重みのある菜切り包丁を使いたい。大工さんのノミやカンナではないが、用途によって使い分ける楽しみも格別だから。





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