| 晴林雨読願望 take /草苅 健のホームページ ![]() ![]() 勇払原野のコナラ主体の雑木林。ここは中下層をウシコロシの黄色が占めている |
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first upload: Nov. 29 , 1998 last upload: Mar 23 ,2026 |
| 日々迷想 ■3/23 絵にかいたようなしわ寄せ 空港近くのいつものパーキングをネット予約しようとしたところ、ずっと満車で受け付けていないとweb 表示されていた。まさかと思って口頭で窓口に連絡を採って確かめたところ、道内空港の駐車場が一斉に値上がりして以来、千歳空港周辺の駐車場は毎週のように満車が続くという。そして中国人が来なくなってから道民利用が増えたこともある、ともいう。そこへ3月末の旅行シーズンも背景にあると付け加えた。予約リストは月末まで空きがない。なんとも…。なにかが動いている…。よそを探して数日のパーキングは可能になったが、のんびり構えていた分、久々に少し焦った。 ■3/22 ただ乗りはいけないという美学 なんだか非常に難しいヒヤヒヤものの状況の中の首相訪米だったが、問題の根っこのところに「ただ乗りすべからず」という倫理的なトーンが感じられた。win-winとかgive-anda-take とかつまるところ一方的にどちらかが得をするのではなく応分の負担、犠牲のようなものの提供が浮世のマナーだという見方である。ただ乗りの英名は文字通りフリーライダーである。 もしただ乗りをすると日本の場合、通常庶民は良心の呵責を感じるように育てられた。居心地が悪いから、自分はただ乗りをしていないかを常に気にしているわけで、どちらかといえば往々にして気を使いすぎて面倒だと思う人もいる。米国は自国の豊かさと力によるリーダーシップによって覇権と背中合わせのお節介を引き受けていた。警察官のようなパックス・アメリカーナである。今、欧州は伝統を前に出し、歴史的にはニューフェースの米国に、ちょっと先輩ヅラをし始めたフシがある。そして米国はお前たちはただ乗りだ、と批判する。 さて今回の日米外交は、複雑な貸借関係を明示し歴史を踏まえた下打ち合わせを経ていたように見える。おいしいとこどり、恩知らず、やらずぶったくり、自己中心、我利我利亡者など、日本的お互い様ルールを踏み外すのはどうなのかという選択にも見えた。米国が求めたい応分の負担ができないのは、そもそもあなたたちが定めた憲法のためだ、という日本側の本音と実情も十分感じていたのではないか。米国は蜂の巣をつつきすぎると、これが出てくると知っていた。 ズルをしちゃいけないという普通の感覚。嘘や不正やまやかしなど、なんでもありの近年の情勢のなか、国際法などあってないかのように安全保障理事国自らが放棄してきた。こんな中だからこそ、身をただすという美学はひとりでも貫いてほしいもの、と自戒を込めて思った。また、国際的な取引を離れて卑近な日常に置き換えると、損得に走って感謝を忘れると道を間違う、人々の共感をどう得るかという点では、突き詰めてみると感謝という当たり前の言葉がすこしクローズアップして見えた。 ■3/21 丸太を割る作業へ 「四季が薪で回る」 ![]() 昨年は11月に開始した雑木林の保育。ツルや枯死木、傾斜木を除伐し、株立ちなど密度調整してから使える丸太を35cmに玉切りして、スノーモービルと鉄の橇で雪のあるうちに運び出す。運び出さないでそのまま腐らすのも方法だが、苫東コモンズではできるだけ林間に入り込んであくまで運ぶ。それも雪解けの先々週あたりで終わって、先週あたりから薪割りと薪積みが始まった。家庭用暖房を薪で自賄いするメンバーが、こうしてほぼ1年中片づけにあたる。夏は手入れした雑木林のフットパスの刈払いもある。相当な手間数だが、再生可能なエネルギーを利用するというローカルでないとできない営みは、個人個人がしっかりと手ごたえを感じている。四季が薪で回るという手仕事の世界だ。午後から行われた41回目の理事会で、ハスカップ保全や景観形成作業を含む令和8年度の計画を固めた。 ■3/20 図書館の資料室 安平川の流量と治水の歴史を知るために、前回の安平町の図書館に続いて地元苫小牧市立図書館2階の資料室に行ってみた。さすがである。地域のあらゆるといってもいいくらいの多種多様な文献資料がわかりやすくそろっているのである。目的のコーナーにたどり着く前に、市民文芸や俳句、川柳などの冊子にも足止めされて見入った。知っている方や話題も少なくないので、顔や活躍の様子が思い浮かんだ。 先日、コモンズ研究でご一緒した小磯修二先生からご自身がまとめられた『本の力でまちづくり~北海道恵庭市からの発信~』という冊子が送られてきて、帯には「まちづくりの地域資源は「あたりまえ」の中にある」とコメントがある。中身は恵庭のブックファーストの取り組みなど、図書館が地域に果たしてきた役割がふんだんに紹介されている。まさしく地道な、普通のことに、市民を導く教えのようなものが図書館にはある、といえる。 アフリカだったかの言葉に村の長老は図書館のようなものだというのをかつて聞いたことがある。何でも知っている長老などというのはAIの時代になって軽視されがちだが、問題を見つけて解決を見つける知恵はどうか。本と向き合う静かな時間というのは自らの発見にもつながる、見過ごしかねない泉のような面がある、そんな気がする。 ■3/19 ハスカップと安平川の治水の関係 勇払原野の湿原は、降雨に依存するので遷移が止まっているか遅い、と昭和50年前後、北海道の自然環境調査で専門家の北大伊藤浩二教授(当時)に指摘されている。この原野の一角を占めるハスカップの国内最大の自生地も当然のように同じ状況にあり、主要河川である安平川が氾濫すると自生地一帯は1か月も滞水したままで、いわば遊水地状態だったのをわたしも経験している。記憶に残る40年前はまだかろうじて乾燥化が進行中と言ってはいたものの、ホザキシモツケなど灌木に阻まれて移動できないなどという状態ではなかった。 これが今は違う。湿原の植生の中を移動することも難しく、ハスカップの花も見当たらない。明らかに乾燥がさらに進んでハスカップは枯死したか半死の状態と観察される。かつて自然環境調査で指摘されたような大雨による突発的な冠水、滞水状態がなくなって、冠水にも耐えるハスカップの独壇場がなくなったものとみられる。ハスカップは今、多様な植生との競争の中に置かれて生育地を奪われていくという格好だ。 その原因は皮肉にも安平川の河川改修、つまり治水の成功である。数日前になるが試みに早来町史の年表で河川の氾濫を調べてみると、明治12年から昭和60年まで17回の洪水が記録されていた。これが近年、幸い洪水が回避され、結果的にハスカップ自生地の不定期な洪水がなくなり、いろいろな植生が生きられる環境に変わったのである。競争に負けて独壇場の地位を失ったハスカップは衰退の一途である。開発か自然保護かという単純な二者択一ではない、地域として取り組んでおくべき懸案であるのだが、ハスカップには我が事として向き合っているずっしりした後見人が今、いないのである。「ハスカップこそ正真正銘の北海道遺産」と囁いたくらいではほとんど共感は得られないのは当然だった。 ■3/18 国会の質疑とSNS 国民が国会を見る機会が増えているといわれる。最近になって、国会は面白いという評価もあるという。それもそうだろうな、と思える節がある。かつてわたしが非常にびっくりしたのは、モリカケ問題の時の愛媛県知事の参考人としての発言だった。あれで疑惑の真相が暴かれカケ問題は根拠何もなし、と判明したのにもかかわらず、メディアはそのやりとり報道はほぼ無視して文科省OBのM氏の発言だけで世論誘導した時だった。安倍は退け!客観的に見てこの手のバイアスは今も枚挙にいとまがない。支持政党なしの国民は意外とフェアで冷静に見ているのではないかと思う。 ところが昨今はNHKの国会関係報道以外でもSNSで質疑がみられる。昨年まで、とんでもない時間つぶしのようなスキャンダル追及もなされていたが、それらの議員はこの衆院選でほぼ落選した。結局あれらは劇場にされていたわけだ。 国会の質疑は割とよく見、ラジオでも聞く方かもしれない。さすが行政マンだった議員だなと思ったのは昨日の予算委員会の猪瀬議員だった。それから、もう落ちてしまったが日本保守党の島田洋一氏だった。これらの質疑で共通することは、新聞やTVのニュースではとても知りえない日本の現状や具体、さらに緊張感が質疑の中で展開されることだろう。これなら地上波のTVニュースを見る人などいなくなる、と思うほどの落差がある。情報満載なのである。結局、わたしたち大方の庶民はながらく国益などをだれかに任せてお花畑的な空間に身を寄せていた、といえそうだ。そんなゆるい政治環境の時代が終わりつつある、ということだけは確かなようだ。 ■3/17 苫小牧研究林ではコブシもシカに食べられる ![]() 昨日夕方近くなって、北大苫小牧研究林を歩いた。倒木が放置され雑然とした林が、それなりになごみである。意味あって放置されている、と頭で理解しているからか。それとも腐朽して土にかえる自然をそのまま受け入れる安定した情緒のせいか。 シカが激増した。入口から奥までずっとシカの群れに監視されている。樹皮も齧られて倒木の枝も裸になっている。恐るべきことに、コブシまで食べられている。背に腹は代えられない。いざとなれば何でも食べる、というK教授の言っていたとおりだ。鳥獣保護区の成れの果てのような皮肉である。これでは洞爺湖の中島のようになってしまう。 ■3/16 「イギリスの田舎町からみたグローバリズム」 英文学者小泉章夫著の副題で、書名は『東は東、西は西』、これも20年以上前の本ながら読み応えのある滞在記だった。随所に目からうろこの発見があり、イギリスのノーフォーク州ノリッジを中心にイギリス人の暮らし方、考え方の型のようなもの、そしてイギリス人が日本という国をどう見ているか、実にわかりやすく具体的に書かれていた。例えば移り住んだ当初の不動産選択の難儀さ、不満などこまごまと並べてくれたために妙に臨場感があり親近感があった。不誠実なリフォーム屋とか電気屋も登場したので余計だった。 ![]() (画像は20年前、英国にコモンズとフットパスについてヒアリングに行った時の風景。向こう左の方は英国の農林省の官僚OGのスーザンさん、、右は英国オープンスペース協会のコーディネーター、クリスさん。@ブリストルの人気のB&Bの一室にて) 田舎町という割に意外と日本が知られていたのは、ほかの欧州各国と違うように思う。その理由は明治の維新前から、アーネスト・サトウをはじめ多くの外交官などが、来日した際の滞在記をものにし刊行されてきたせいだろうという。その辺は2025年の大相撲ロンドン巡業の盛況にもつながりがありそうだった。また、英王室についても実に詳しい。離婚や不倫は実は珍しくもないことだと初めて知った。さらにサッカーのワールドカップに対する熱狂ぶりにもグローバリズムとローカリズムがうかがえた。 それにしてもイギリス本は面白い。このところ、立て続けにイギリス物を並行して読んできたのは、造園、風景、田園という視点で見ると個人的にもっとも親和性を感じているほかに、どうもイギリスに先進性のようなものが見てとれるからだろう。さらにその中にイギリスならではの「豊かさ」をかぎ取っているからだと気が付いた。それも宮本光晴著『日本人はなぜイギリスに憧れるか』ではっきりした。さらに怠惰な富者に憧れているからだ、とちょっと驚く著者の推論があった。示唆に富む。 ■3/15 WBC、ベネズエラに準々決勝で惜敗 家人との応援むなしく、負けた。打てなかった。負けたのは悔しいが実力は5分に見えたので、運や勢いの差かと気分を変えた。たまたまついていなかったのだから仕方がない…。庶民の心配は、不覚にも3点を取られて逆転されたI投手や、13打席だったかで一本もヒットを打てなかったK野手がトラウマにならないのだろうか、とかそんな心配をちょっとしながらTVのスイッチを切った。彼らも必死に気分の切り替えをしているはずだ。 ■3/14 発信方法の選択「ホームページとブログ」そして「note」 web でブログとは時系列で書き込まれた日記のようなものという定義で、ホームページは企業のそれのように全体像を紹介するものを指すようだ。ということになるとわが「雑木林&庭づくり研究室」は両方を兼ねたものになりそうだ。ホームページのコンテンツの中にブログ仕上がりの「日々迷想」と「雑木林だより」がはめ込まれているからである。最初は勇払原野の雑木林からの発信が動機だったが、目的が変遷を経て、まさに北海道と勇払原野を主とした超個人的な気づきと足跡を包含するようになってきた。もう自分用のメモみたいで、日常的にそんな感じで使っている。 こうわざわざ書くのは、「note」 が便利だという噂を聞き勧められたりもしたからだ。調べると収益を得るためにもプラスだというからこれは当方にはまず無縁だ。利用は無料だというが、ただ、欠点はプラットホームを運営者がやめたら終わるという点である。運営側も経営事情と不可分だから、いつストップするかわからない。そのストップに合意して参加するから、他力本位、外部依存になるのである。これはSNSで多少苦い思いをしたから以前から手を出すつもりはなくなった。 わたしのweb では生命線は自分側に置きたい。いよいよという時にさっと自ら手を引くようにしたいのだ。それで拡大路線には手を伸ばさず、あくまで風土考察の履歴を残していく路線に絞って行こうと思った次第。それというのも、人間、加齢とともに見られる、認知されることに極めて淡白になっていくようだ。まるで人知れずこの世を去る予行演習のごとくである。 ■3/13 歌に見る庶民の共感 47 昨日の雑木林上空は、わたってきたガンとハクチョウの編隊飛行で終日にぎやかだった。人口は増えないが、この時期何万、何10万という鳥たちが来るというのは不思議な自然だ。さて今回は短歌とトーク。 ◎七草の粥をたくとき少しだけ優しい人のふりをする朝 北本市・Uさん …家族の健康を気遣って伝統の食習慣をなぞってみる…。確かにいい人になったような気になれそう。それを少し露悪的に言ってみる。 ◎ぽつぽつとできないことの増えてゆく母は静かに雨を見ている 大阪府・Kさん …心身の衰えを日々実感されている、介護の娘さん。そのやさしいまなざしが浮かぶ。「わたしもいずれそうなる」と介護者も自分を見ている。 ◎引っ越した友より三つの図書館に行けたと元気な声ありうれし 奈良市・Kさん …これで当分、いや死ぬまで楽しめるぞ、散歩の楽しみも増えた、声はそう言っているようだ。嬉しさは伝染する。人と人の会話は、そんなことで十分。声はうれしい、とわたしも思うからできるだけ発したい。 ◎北海道物産展みたいな人だ名を聞くだけで嬉しいんだから 横浜市・Kさん …たしかに北海道の物産展はどこでも一番人気らしい。そんなに喜ばれるのなら物産で地域おこしだ~、ということに。北海道の今の実像でもある。それにしてもこの例えのような名前の人というのは、近しい親友なのか、お日様、太陽のようなキャラクターか。 ◎おとす、こぼす、やたら躓くこの日ごろ八十九歳引力に負く 浜松市・Fさん …この1週間90歳以上の方お二人と言葉を交わしたが、この年齢になると元気さと病気がち加減の差は開く。つまるところ引力にあらがえないのか?情けないなどと思わないで、これも自然だと開き直ってほしいところ。もう実践中とみた。 ◎AIが言ってましたと主張するクレーマーに勝つ経験値がある 熊本市・Kさん …いいこと聞いた!生身の人間には実経験というものがあるが、アンタ(AI)にはないだろう、これは決め手だ。どんな理詰めの回答だろうが情報だろうが、日々の生活や手仕事でつかんだ答えにはかなわない。一歩も譲らず、これで行こう! ◎本革のセカンドバックを買いし時グンと背丈が伸びた気がした 岐阜市・Aさん …なにか新調した時のぎこちなさと新生の感覚。腕時計や万年筆ですらそう。新しくするという変化は思いがけない効果が生まれるようだ。 ◎黴生えたチーズみたいに癖のある親友と飲む雪の夜の酒 北名古屋市・Tさん …癖のある、という言葉にオレのことか、と。鼻をつままれるブルーチーズがわたしは好きだから、こんな親友とオレも雪見酒を楽しみたい。黴だらけでもいい。 ■3/12 シウリザクラを齧ると 雑木林の若い枝はことごとくシカに食べられる。小屋の前に常設した監視カメラには、間伐後に片づけておいた枝を時々やってきては食べるシカ数頭が夜中に映っている。それほど、柔らかい芽や枝先を好むのに、若枝が全く食べられないのがコブシとシウリザクラだ。コブシは強烈な漢方のにおいがあり、これがシカに嫌われていると想像が付いたが、シウリザクラはどうか。 昨日、雑木林を一巡りした際に、シウリザクラの群生地に寄って枝を齧ってみた。ちょっとごぼうのような味がした後、渋いというのか苦いというのか、そんな感覚があったのち舌がしびれてきた。ひょっとして毒かもしれないというような気もした。ああ、これか、シカが嫌うのは、と納得できた。そういえば、シウリはアイヌ語の「苦い木」という意味だったことを思い出す。そうやって見ると、この世に生を受けたもので無駄なものなんてないというからなあ、などとまとめてしまった。植物、動物に限らず、生存のために捕食者にとって毒のように働く成分をもつというのはよく聞く話ではある。 しかし、私の目前の仕事はナラ類が将来的に林を存続させられる方法、あるいは見方を見つけることに尽きる。見方というのは例えば大雪でシカが激減して食害が減り容易に更新できるまで待つ、などという考え方、とらえ方を指している。そういう自然の見方もあると、この頃は思う。それこそ自然なのだと。 ■3/11 物事のおわり 旧植苗病院の裏山の萌芽再生林のその後をみにいったら、なつかしい病院棟が大型ユンボなどで倒壊されるさなかだった。心を病む人たちに林のセラピーが効く、という精神医学の方向を信じてわたしと一部の関係者が延長3km近いフットパスを創ったのだった。精神医療の専門誌にも紹介された、かつては皆伐されてはげ山になった切り株の山は、この20年で見事に若い林に生まれ変わっていた。そのかたわら、棟は無残な姿だった。生々流転、そんなプチ今昔物語である。 |