晴林雨読願望 take /草苅 健のホームページ ![]() ![]() 勇払原野のコナラ主体の雑木林。ここは中下層をウシコロシの黄色が占めている |
一燈照隅 雑木林だより 新里山からの日常発信 |
地域活動15年の歩みとこれから 勇払原野の風土を共有する ![]() |
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first upload: Nov. 29 , 1998 last upload: May 27 ,, 2025 |
日々の迷想 ■3/27 歌に見る市民の共感 32 このところ、俳句の本を楽しく読んでいる。勝目梓著『俳句の森を散歩する』と、鷹羽狩行著『決定版 名所で名句』である。季節と場面を想起するだけでも、気分は見知らぬ土地と風物に飛んでいく。その合間に古い芥川賞作家の芝木好子さん(1914~1991)の『華やぐとき』を開いている。芝木さんの文章は実にこなれていて人情描写は淡々と押さえを感じる反面、町の風物の表現は美しく情調豊かでいつまでもその雰囲気に浸っていたいと思わせる引力を感じる。と思いつつ、ここ1か月余りの読売歌壇俳壇からわたしの共感を。 ◎わづかづつ治る腰痛春を待つ 牛久市・Nさん …気持ち、わかる~、という方は多いはず。腰痛や五十肩はいつの間にか治る。春を待つ、という気分そのものだ。先月初めて五十肩に悩まされたが、それは真夜中の高い枕でする読書でスマホ首になっているせいと気が付いて、運動で対処して改善した。待ちの姿勢を一歩超えて、ひとつ賢くなった。 ◎目鼻立ちキリリとすまし冬木立 東大阪市・Kさん …キリリは冬木立に実にぴったりした言葉選び。高村光太郎の詩に、きっぱりと冬が来た、という主旨の好きな表現がある。それもキリリと謳っていたように思う。たしか、光太郎は父親像を比喩していたかと思う。 ◎このふきのとうじゃないってまだあるく 館林市・Mさん …大量に食べるものではないから、かようにより形のいいものを探すということはよくある。そしてどんどんと思いがけない遠くに至る。山菜や川や海の収穫に共通する。だから当然歩くのは苦にならないのだ。 ◎朝刊を小脇に仰ぐ冬の星 藤沢市・ I さん …冬は星がきれい。夜中トイレに起きた際、暗い部屋から星を眺めると、運が良ければ流れ星すらくっきり見える。朝の新聞、冬なら暗いうちに配達どころか、このあたりは三時前につく。早起きは三文の得だが、家人の誰も起きていない、ひとりの時間というのも、もうけものだ。 ◎掛魚まつり漁師の肩に春の風 にかほ市・Sさん …俳句は季語に限らず、むずかしく非日常的な言葉が多く、漢和辞典、国語辞典、スマホの世話になる。掛魚も読めなくてしらべると「かけよ」だった。秋田の金浦(このうら)で漁師が氏神様にお供えする魚、寒鱈だという。まだ見ぬ知らない新しい世界を垣間見るのだ。 ◎岩手広島久留米より友の来て歌会始まる生きてゆくべし 市川市・Yさん …生きてゆくべし。この決意が生れる付き合いは人生の冥利だ。七〇を過ぎて、にぎやかな社交はもう敬遠して辞退しているが、その分、一対一の個人づきあいは、ちょっと積極的にしようと決め、メールや絵葉書、時には携帯でコンタクトをとったりする。失礼さえなければそれもゆるされよう、と。 ◎貧ゆゑにうそをいくつもつきし事許され給え除夜の鐘聞く 高崎市・Yさん …吾のことかと二度読んだ。この歌を読んでしばらく、自分がいかに貧しい生活をして来たかが頭を離れず、色々なことを思い出した。それもこれも、貧しさがもとだった。中でも仕送りのない学生生活は今になってみれば、無鉄砲だった。自分だけでない、という寄宿舎生活の環境に励まされた。しかし、それで正解だった、そのおかげで今日がある。 ◎仮の世に仮の住まいのあるごとく冬の蝸牛の殻のからっぽ 宮崎市・Nさん …今が仮の世、とまだ悟れないが、土地や住まいというのは仮のものだ、というのは実体験できている。土地や自然は誰のものかという、大きな命題にもつながる。自然を観察している間に、このような気づき、悟りに至る。実に共感できる世界だ。 ■3/25 年ごとの気象の違いについて 昨年の「雑木林だより」を見ていてわかったことは、雪解けが一か月早いということで、つまり、積雪が今年はまるで少なかったということのようだ。ナニワズの開花が見られないと書いたが、実は昨年だって雪解けの4月半ばあたりに顔を出しているのだから、わたしの早合点で何もいぶかしがることはなかったのだ。従って、林道も水溜まりも少ない…。異常気象という喧伝が身に染みているのか、どうもおかしい、という方にバイアスをかけるようだ。これは反省せねば。そもそも、冬の間中、セダンで小屋にアクセスできたのはここ30年近くで初めてだったのだから、推して知るべしであった。昨夜も、夜中にガンの渡る声が聞こえた。 ■3/22 早春の画像二枚 ![]() 卒業と旅立ちの季節である。3/22 は朝一番に林道補修、午後はNPOの代表理事として最後の理事会。いささか旅立ちの気分アリ。 ![]() この林は約80歳、若い林に更新するために更新するために伐った。ナラなどは切り株から萌芽を出して再生し、周囲からドングリも落ちて世代が代る。若返るために伐るのである。 ■3/21 吉野ケ里遺跡にて ![]() おととい、待望の吉野ケ里遺跡を巡った。BC4世紀からAD3世紀の弥生時代のうち、ここは1800年前の遺跡という。苫東と同様、工業団地造成にともなう事前の埋蔵文化財調査で発見されたことも親近感がある。苫東は静川の縄文の環濠遺跡は雑木林の小屋から1kmも離れていないが、あの縄文遺跡も火力発電所の灰捨て場建設の途次に見つかったのだった。 道路や橋、団地など宅地開発等が行われないと、我々の住む地域の歴史が明らかにならないとは皮肉のようでもあり残念なことでもある。瀬川拓郎氏の書籍などを読むにつけ、厚真などはどれほど未知の歴史が秘められているかわからないという思いを強くする。 ただ日本の歴史を紐解きながら本州以南の古墳やこういった遺跡、奈良や京都などの古刹名刹や名所を巡る旅は、やっとたどり着いた人生のおまけのようであり、かけがえのないご褒美のようでもある。日本に生まれて本当に良かったとおもう時間である。古代の時間にしばしどっぷりと漬かる。 ■3/16 雑木林ファンの来訪 ![]() 早春の林に 3/15 午後、お客さんが来てフットパスを案内。3/14 に書いた中野さんのエッセーに通じる風土への共感を追体験した。 ■3/14 読む愉しみ、書く楽しみ 「愉しみ」という言葉は、豊かな心情や精神的な満足感を強調する傾向がある、という。数日前から、だいぶ昔に白老の中野嘉陽(よしはる)さんにある会合でいただいた『木守りの心』を開いて再度2,3編ずつ読んでいる。2004年から苫小牧民報の「ゆのみ」に掲載されたコラムで、1年分26編が収められている。自然エッセーであるが、同じような風土をかなり親近感のある感性で綴ってあるので、かぐわしい香りある文章となっていてまさに「愉しみ」と表現するにふさわしい作品だ。10歳以上年上の大先輩、できればわたしもこんな格調高い文を書けたらよいと憧れる。もしそれを書けたらエンジョイの意味が濃いわたしの書く「楽しみ」がもう少し深みが出ようというもの。自然と風土をどう見て、どう感じ、どう昇華していくのか、自然エッセーへの興味は尽きない。 ■03/12 コナラとわたしは73歳 ![]() 今日は作業の合間に、わたしと同い年(満73歳)の立派できれいなコナラと出会い、ツーショットをセルフで撮った。 ■3/11 今季最後の焚き付けか ![]() 窓から陽ざしが差し込む日は、もう薪ストーブを焚かなくて済むようになった。 丁度、ストックしていた大小の焚き付けが残り少なくなっていたので、今季最後になるのかな、などと考えながらベランダで焚き付け作りをした。かなり細いものも作ったので、これだけあれば、新聞の上にこれを5,6本載せ、小さめの薪を置けば十分火はついて持続できるだろう。もうあまり、暖房のために構えたくないのだ。冬の終わりころのいつもの願望である。 遠くでガンの声が聞こえたので見上げると、風にもまれながら編隊がふたつ見えた。先鋭隊であろうか、そうか、もう3月半ばだもの。 ■3/10 ペティナイフ ![]() 包丁は比較的いいものを心掛け、だいたい2か月に一度の割合で菜切包丁を含む普通サイズ3本を研ぐ。しかしその際一緒にやる果物ナイフ2本が研いでも研いでも一向に切れない。なぜかそれをずっと我慢してきたが、このたび思い立ってこれらをお役御免にして通販でペティナイフを買った。新潟は三条市の「ただふさ」。 ペティナイフは、近年よく料理番組に顔を出す売れっ子「伝説の家政婦・タサン志麻さん」が万能のように使っている。洋食の世界では大きな牛刀とこのペティナイフで足りるという話も聞く。到着早々使ってみたところ、実に良く切れる。大きさも手ごろでよく手になじむ。本体23cm、刃渡り12cmで両刃のようだ。このままいけば、すべてをこれで通してしまう可能性もある。だが、大型の魚をさばくには、やはり別にしている出刃包丁を使うだろうし、大きめの野菜や大根などは持ち重みのある菜切り包丁を使いたい。大工さんのノミやカンナではないが、用途によって使い分ける楽しみも格別だから。 |