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晴林雨読願望
take /草苅 健のホームページ

 



勇払原野のコナラ主体の雑木林。ここは中下層をウシコロシの黄色が占めている

一燈照隅
雑木林だより

 新里山からの日常発信

地域活動15年の歩みとこれから

 勇払原野の風土を共有する

  

●コンテンツ一覧
●日々の迷想 2023 & 2024 & 2025
2021
first upload: Nov. 29 , 1998
last upload: Oct 04,
2025

日々の迷想

■10/04 焚き火ときのこの風景、そしてガン初見



暑さもいよいよか。山仕事の帰りはおとといも長袖にうすいウインドブレーカーを着た。ボリボリが出始めたのが何よりの秋の兆候で、テラス上空に赤とんぼが増え、なんとガンの初見。おととい、声が聞こえたような気がしたのは、やはりガンだった。結構大量にキノコが採れたので、帰宅早々、お隣さんにお裾分けした。「大好きなんだよ~」と喜ぶ顔でこちらもうれしくなった。

■10/02 山形のだし



美味しい健康食的サラダ、山形の料理「だし」。たくさんの青紫蘇を隣家からもらったので、長ネギ、みょうが、ショウガ、キュウリを刻み、削ったかつをぶし、あぶった油揚げ、天かすを加え醤油であじつけ。地元山形では「なっとう昆布」というだし用のきざみ昆布で粘りをつける。ナスを入れることも。また、水っぽくなるというのでキュウリを入れない人もいる。野菜をたくさん取って元気になる。

■10/01 終わりのないサイバー攻撃と日常

8/18のブログで「SNSの功罪」という駄文を書いたばかりだったが、その後日本の総裁選で小泉候補陣営がステマ(ステルス・マーケティング)を行ったというニュースがあり、小泉氏本人も認めた。しかしこれを担当した議員へのお咎めや議員辞職へ波及することもなく、既存メディアもことのこの意味の大きさなどにはほぼスルーしている。

と今度は、モルドバの大統領選でロシアがサイバー上の介入をしていることが明らかになった。人間性悪説などという評論はもう時代遅れのたわごとになり、世界は24時間謀略で蔓延していると理解せよ、と諭されるような気分だ。英国に棲む方に「朝から連続テレビ小説を見ているような国民」とやや軽蔑されたことがあったが、なるほど世界はウカウカしていられないのであった。してわれら凡人は、この両極端な平和と謀略の間で股裂きにあいそうだ。

■9/30 池内紀氏の著作を読む

先月、池内紀著『出ふるさと記』を読んで以降、『無口な友人』『ニッポンの山里』『素白先生の散歩』という著作から エッセーを何篇か連続して読んできた。旅をしながら、あるいは散歩をする視線での随筆が多く、歩幅か波長が割と合ったのか淀みなくいつまでも読めそうだった。

シリーズでは『…山里』に似ているがもうひとつ『人と森の物語 ~日本人と都市林~』(2011集英社新書)が目に留まって開くと、第1章が苫小牧演習林の「甦りの森」で、石城謙吉氏『森はよみがえる』(講談社現代新書1994)が下敷きになっているようだった。森や緑、あるいは自然は言葉のイメージが独特の記号性をもつために暗黙の了解のように記号性の方に依存するきらいがあるものだが、氏は「ふれあい」「こころ」「癒し」を空々しいキャッチフレーズの乱用にいささかうんざりしていたようだ。メディアや公園設計とネーミングのトレンドが記号性に便乗して錦の御旗のような描かれることが、森や緑という本質を失墜させてきたようにわたしには見える。

演習林の描き方は下敷きとなった著作のストーリー性をほぼ忠実になぞっているが、表面的にはそれでいいのだろう。やや内情を知る地元民からみると、ある種の対立構造を仕立ててその中で奮闘した人を強調するので、その構造みたいなものがつい浮かび上がってきてしまった。物事の表層、その一枚下、さらいその裏…という風に様々なフェーズがあるということに思いをいたす良い経験をした。色々な考え方を短時間で知り、ふれることの出来るエッセーはだから止められない。

■9/29 早朝、庭の風水を考える



ハンギングやコンテナを表に出して100日が経った。2度の小台風にも耐え、花はスカスカになったがまだ咲き誇る気配がある。太陽が昇る前に庭に出て街路から庭を一望してみると、風水の気の流れというものが頭に浮かんだ。ベランダから庭を見下ろす方角は、風水の玄武から朱雀を臨む構えに似ており、気の流れを大きく阻害しているものはなさそうだ。花や木のしつらえも風水のタブーに触るものはなさそうで、南側に赤や紫の花はよく合致しているようだ。

気の流れが良いとすればそれにもっとも貢献しているのは、恐らく早朝の花びら掃除と花がら摘みであろうか。縁石やインターロッキングから萌え出る雑草抜きもある。一日1回ないし2回、箒と塵取りを手に掃除をすることが意外にも小さな庭の雰囲気をアップしている。それと大切なことは、花々が常にモリモリと元気一杯であること。これこそガーデニングの醍醐味である。5月の末に一度元肥と化学肥料を施した後は水だけ。今年は猛暑を警戒していたので一度も水切れを起こさなかった。10月20日ころまで約5か月、西洋起源の夏花を楽しめるのは北海道の幸運。今年はそれもあと1,2週間で店じまいにしよう。

■9/27 夏の終わりか秋の入口か



林道わきでサインの穴を掘っていて、むき出しの腕とシャツ越しの背中を数か所蚊に食われた。蚊がいないと思っていたこの雑木林にやはり蚊はいたのだ。しかし、開けたテラスにはいない所をみると、風通しの良い疎林はやはり不快昆虫の発生を左右するようだ。

気温は23,23℃で山仕事には少し暑いため、サインを4つ据え付けて腐朽廃材を移動する間に下着を2回交換した。歳をとると、不快感に敏感になるなんて聞いたことがないが、このところ乾いた下着、願望である。キノコはまるで顔を見せない。

作業に取り掛かる前に、焚き火の炉をブロックで急ごしらえした。網付きのドラム缶ではオキが残らないで下に落ちてしまう。地面に直接こうして火床を作れば火持ちはぐんとよくなる。そうして作業中ずっと絶やさず燃やしておけば暖の用はもちろんのこと同心円状に枝拾いが拡大し、枝掃除にもなる。里山の核心部の枝は燃やすに限る。あいにく暑からず寒からずの日だったので、必要性は特になかったのだが、なんとか季節感を演出したくなったのだった。

■9/26 土地に詳しい人の話に耳傾ける



マチの風景としてやや殺風景な苫小牧は、以前から(米)西部のような、とか一時はアラスカのアンカレッジに似た、などと表現されてマイナス評価をする人が少なくなかった。わたしも赴任したての約50年近く前はマチにそんなイメージがあった。それに預かった現地の広大な広葉樹二次林はどこも皆伐跡地でとても若くてヤブだったから、こちらもどうも好きになれなかった。

しかし原野と日高山脈と支笏湖に続く森林、白老や静内方面の清流などは釣りや自然そのものが好きな人間にとって、不足を補って余りあるものだった。そして北大演習林など身近で豊富な都市林と呼べるエリアも充実していた。近海の魚も美味しく、行きつけの居酒屋で板前さんから地魚や調理の話を聞きながら料理をいただくのはどんな講義より面白かった。

近年たまに顔を出す近所のお寿司屋さんではアナゴの話になった。いつもはお酒のあてでいただくナマコは先日歯がかけて歯医者さんにもう止めた方がいいと言われたことを話すとやや同情された。「これからはナマコは諦めホヤで行こう」と内心決めたもののここにはホヤはない。

ところで好きになれなかった広葉樹林の方はあれから半世紀近く経って、今や美しい雑木林に変貌した。当時は樹齢25年生のころのヤブ状態で出会い、それから20年近くしてほだ木生産のため除間伐を開始した。それらの保育年を示すサインを今、小屋周りで6本立てている。その保育からもすでに30年あまり経過している。林の成長と履歴を知るのにちょっとした案内になるが、この情報を共有出来て懐かしがる唯一の人は、今入院中だ。

■9/25 歌に見る庶民の共感 39

文芸を読む趣味があって良かった。たまに活字中毒という言葉も聞くが、世に出た年月を問わず、今なら明治以降であれば新刊旧刊をとわず共感がある。敬う気持ちを多とし、いわばなんでも読みたい。読む意味もある。出来立ての歌壇俳壇の作品はとりわけ響くものあり。

畠の草取るや根の土落としつつ   寒河江市・Oさん
…丁寧な野良仕事の平凡な描写。この風景とこころの切り取りだけで和む。平穏と日常感、このごろ少しわかって来た。これで十分、これで満足。ちなみに寒河江は郷里の隣の市だ。今はどんなマチになっているのだろう。

友の家空家となりぬ昼の虫   東京都・Sさん
…空家は歌心を喚起する。生前のことを思い出すし、どうしているかなども想像してしまう。友人の家であればなおさら。散歩の途上に無常感すら感じ取ることがある。廃屋になると遅からず出てくる虫は回顧を増幅させる道具のよう。庭は原っぱに戻ろうとする。原っぱには懐かしい虫が戻る。日本の自然はもともとの風土を再現、復帰しようとする。

夫逝きてできなくなった半分こ林檎とパピコと扇風機の風   静岡市・Mさん
…つい家人との二人生活を並べた。うちもよく半分こするから。そうか、そんな淋しさもあるわけだ。パピコというのは知らなかったが半分こするように作られたようだ。簡単な、子供ようなしぐさだが、そもそも仲が良くなければ始まらない行為。

食みこぼす飯を拾いて淋しかりわが身の老いに気づかさるる朝   伊勢原市・Sさん
…御意、同感、数え上げればきりがないが、老いる自分というものに高齢者は自ら寛容になってくるから、はて初めて気づいた日はいつだったか、などと思いは遡る。従容として老いは受け止めつつ、必要な養生には努めねば。転ばぬよう、奥の筋肉を甘やかさないよう、そして好奇心も絶やさぬよう。

■9/23 山道の僥倖



チタンとセラミックが埋め込んである左の股関節に、筋肉が錆びているようなギクシャク感があり、できるだけ歩くようにしている。しかし近所の散歩には飽きてしまったので、できれば自然の中のハイキングをしたいところ。そういう時はもよりの森林公園などへ行く。

高丘のカラマツ広場から坂を登り始めてすぐ、造園関係で公私ともにお世話になったNさんと出会った。ボランティア仕事で径の風倒木を片づけていた。20年ぶり近い空白があってのことで、「Nさん!」と呼びかけられた相手の「はてな?」から破顔への一瞬の変化が、久々の幸運のように感じられた。

日頃、東の方の山仕事の帰り道、沿道のナラの大木の並木を愛でつつ通るが見事なそれらの並木道を彼が手がけたというだけでなく、そのもとになった移植実験がわたしの森林による景観形成の企図に強く連動していたから、実は日常的に思い出を繰り返していたのだった。そして少し不義理もあったので心のどこかでなんとか会うチャンスはないものかと思案していたのも事実だった。そうしてこの出会い。僥倖ということを感じつつ昔話に花が咲いたことは言うまでもない。

林は紅葉の気配がないが大型の葉っぱから落ち始めている。ドングリは多くない。気温、風とも心地よい。マカバ広場から池に戻る短い行程だったが、径のわきに山椒が実にたくさん生えている。これからは山椒コースと呼ぼう。

■9/22 雑木林保育と人たちの記録

小屋周辺の保育の履歴を調べるために、当ホームページの「雑木林だより」を遡ってみた。探していた林班の保育年は平成16年(苫東破綻から6年目、札幌通勤のさなかの週末山仕事だった)とわかったのだが、たどり着くまで閲覧した山仕事とよその山探訪の記録は思った以上に重厚だった。加えて実に色々な属性の方が小屋を来訪し案内しその何割かは泊っていった。このような往来が実は今の静川の里山再生につながったのだとわかる。「雑木林だより」という履歴はわたしのセカンドワークの足どりそのものであった。そしてそれは今も続いている。

■9/21 身体変化観察

昨年、帯状疱疹になって自分の免疫力なるものをふと考える機会があった。実は10年近く前になかなか治らない咳を百日咳と診断された時に、ドクターから60歳を越えれば子供の時に打ったワクチンの効果、すなわち免疫も消える、と教えられた。

ドクガに2年続けてやられ、この頃は貨幣状湿疹という治りにくい皮膚病に取りつかれている。先日は背中のデキモノが感染性粉瘤と診断された。大腸憩室炎も昨年4回目の炎症が起きたが早々に気づいて医師と相談し投薬で収めた。医師とのコンビが良かったようだ。冷静になって観ると、病的位置というようなことがわかるようになってきている。ネットでの検索も病原のあたりを探るのに、下手な医者の問診より優れているときがある。

関節周りの微細な筋肉、体を支えるメインの筋肉ともども衰え、脳のめぐりもおめでたくなり、段々終末期へと向かっている。いちいち病気と騒げば確かに病気だが、人間の体も自然、という大枠で考えてみたときに、衰えや老いは当然の結果であり、この頃は自分との付き合い方が少し見えてきたような気がする。今になって初めてわかる境地である。養生の精神とはよく言ったものである。

■9/20 「バアソ」、実は台湾料理「バーソー」



檀一雄の食の随筆に「たくさんの長ネギをもらったのでバアソをつくろう」「ちびちび飲みながら中華鍋一杯」みたいな文章をよんだ覚えがあって、男の料理に励んだ頃から時々これと似たものを作るが、はて、バアソという料理名がネット検索では出てこない。満州かどこかで地元のばあさんに聞いた、とかいうものだったかもしれないと出所は勝手に諦めていた。

で、猛暑のこの夏、野菜栽培の悲喜こもごもが聞こえてくる中、野菜上手の家庭菜園から、青シソ、長ネギを大量に、ピーマン、ズッキーニ、ゴーヤなどを少々いただいた。ネギはこのバアソにしてお酒のあてやスープの具用にストックした。魅力は台所で飲みながら、それも今日は大相撲を見ながらできる、ということだった。見るからに新鮮なネギを少しずつあめ色近くまで炒めネギみそ風にして保存した。

このあともう一度検索してみると、やはりもの好きな人の「檀流を作ってみた」という書き込みがあって、正式には豚バラやニンニク、ショウガ、酒を入れるという檀による実に簡単なレシピだけがあったようで、台湾料理だとわかった。料理は素材に対していろいろな試みができるので創造する愉しみがある。野菜といえども生の素材は時間とともにどんどん手元から逃げていく。そして新鮮な素材は生がもっともピュアで十分美味しいことが多い。料理も慣れてくると、食材にかなった手のかけようがなんとなく見えてくる。

■9/19 寺田寅彦の光る言葉

家族が子猫を飼い始めてその猫は子を産んでみんなに可愛がられる。そんな微笑ましい日常風景を描いた『仔猫』という随筆の末尾に、彼はこう結んでいる。

「私は猫に対して感ずるような純粋な温かい愛情を人間に対して懐く事の出来ないのを残念に思う。そういう事が可能になるためには私は人間より一段高い存在になる必要があるかも知れない。それはとても出来そうもないし、仮にそれが出来たとした時に私は恐らく超人の孤独と悲哀を感じなければなるまい。凡人の私はやはり仔猫でも可愛がって、そして人間は人間として尊敬し親しみ恐れ憚りあるいは憎むより外はないかもしれない」。

明治以降の日本の文豪と呼ばれた人の著作や評価の高い文学作品を読むと、文章とは人となりを表わすだけでなく高い素養や人品によってはじめて書かれるのではないかと痛感させられる。こうして考えさせられたり、しばしば薫陶を受けたりしていると、このまま死ぬまでこれら文学の泉に浸って漂っていたい気がするほどだ。

寺田がこの随筆で描いた暮らしの観察と人心の機微はネットコンテンツやAIにまつわる世界では再現が不可能で、紙に打たれた文字をひとり読み進む静かな時間にしか訪れない、そんな気がして仕方がない。情報やその速さなどと、この機微を産み出す感性と思考という異質なもののどちらが大事かなどと天秤にかけても仕方がないが、今や双方を味方にせざるを得ず、このバランスが崩れるとガサガサした突っつきあい的言論世界(例えば今のSNS)しか生まないような気がする。

■9/17 久々、小屋の主、あらわる




今日は小屋の薪ストーブの煙突掃除日。梯子に昇るのは毎年少しずつ億劫になってその分慎重になる。た。岩登りで使ったシュリンゲにカラビナを付け足場にかけセルフビレーしてゆっくりと。

いよいよ、林の主、キノコが出始めた。まずはカラカサタケ、そして。クリタケも少々。

それにもうひとつ、かつては小屋の守り主だった大きなヘビの抜け殻だ。作業を終えてふと横をみるときれいに一直線に伸びていた。長さをはかると180cmもある。放置して傷む前に記念に薪ストーブの上に丸く安置した。

キノコは雑木林の主、大きなヘビは小屋の守り神のように感じる。この季節感、一体感。

■9/16 森林公園は人の足跡が創る



林は林床の植生が踏みしだかれただけで、かなり履歴が残る。そして履歴は径となる。植生復元力と人跡の妙だ。人一人、大型の獣でもなんとなくわかるし、シカなどは群れの通った後は立派な径に見える。その風景はたいてい一期一会である。

雑事の帰りに高丘の森林公園につながるオテーネという広場あたりを歩いた。刈り払いの気配など感じないような放置状態でここ一両日の暴風雨で枝が散乱していたが、そこはかとない人気(ひとけ)を感じて、それが散策の励みになる。半自然の林こそ、マチと奥地の緩衝地帯と呼ぶにふさわしく、foot-path walker にはたまらない環境だ。国立公園のような一級品ではないが、そこには必ず初めてみる、かつもう二度と会えない景色がある。

注:画像の木漏れ日の林、いい絵は撮りにくい。が、歩く身には悪くない。半自然の半日陰。

■9/15 歌に見る庶民の共感 38

机の前に渡部昇一著『日本の歴史』と竹田恒泰著『日本国史』を置いていつでも開けるようにしている。そして実に良く開く。俳句、短歌、天皇の御製などを読む流れは、日本の歴史という大河の中に浮かび、とりわけ俳句は庶民の今を歌っているように見受ける。日本各地の庶民は元気だ。

雨ふれば学校休む友のいた遠い昭和の傘の黒さよ   仙台市・Uさん
…学校休むのは知らず。しかし珍しかったし貴重だった。わたしの郷里の実家には屋号入りの唐傘が何本かあったがさすがに通学には使った覚えがない。ただ黒い傘の骨を有料で治しに来る商売人がいた。鍋の鋳かけなども同じ職人だったろうか。昭和はそんな時代だった。

先生はテキパキし過ぎて淋しいと老の患者ら口口に云ふ   所沢市・Kさん
…まぶしい人もいる。まぶしいとつい本音が言いにくい。少し陰りのある、もごもごした、不明瞭なくらいの語りの方が、患者の気持ちがわかってもらえそうな、明朗な医者がやや反省を込めて投稿したものか。年寄りの気持ち、わかる。でも、そうか、と笑い飛ばす医者も好きだ。

勤続の賞状持ちて面会せる六十男を母は褒めおり   小山市・Tさん
…勤続だけでも十分立派な仕事。そんな当たり前のことを言ってくれる人などもういない。人生のハードルをうんと下げて自己受容することを、老いてから知った。

うたた寝の妻へ団扇の風送るだんだん年取り愛おしくなる  田 川市・Hさん
…これもちょっと昭和の風景っぽい。風送る行為の時、はっと気づく夫婦のきずな。もとは赤の他人なのに最も近いとは。検査入院で六人部屋に入った時、高齢の男性が呟いていた。

大病の後の断捨離西日さす   行橋市・Nさん
…気落ちして断捨離を決意か。病床で活用に見切りをつけた。断捨離は気持ちひとつだがそこまでの道のりが長い。痛ましいが大病は背中を押した。諦め、覚悟、西日はそれを慰めてくれる。

洗脳の解けし八月十五日   八王子市・Tさん
…八十年前、洗脳は解けたのか。戦争に傾斜させた集団規律は崩れたが、GHQの洗脳は今も効いている、と実は米国が驚いているという。東京裁判史観、戦後レジーム…、開明、脱却の日は来るのか。八月十五日はまだ揺れる。

■9/14 前線通過の後始末

昨夜から今朝未明まで前線をともなう低気圧が通過して、庭は花々のコンテナが倒されたりした。からっと晴れた朝、荒れた後によくあるあっけらかんとした久々の惨状が目に入った。太陽と惨状がきわめてチグハグに映るのである。ベランダのテーブルも閉じたガゼボ(日よけパラソル)ごと飛ばされていて風の強さをしのばせる。まさにちょっとした台風一過さながら。

襟裳岬は風速30m弱、白老では12時間雨量370mmなど雨風は台風並みだったから予想以上の規模のようだが、雨のことばかり気にとめ風は頭から飛んでいて、そのうち収まると看過してしまった。そして気づいたときには夜半で暴風雨が吹き荒れていた。外に出て移動するには遅かったと観念して、被害が軽微であることを祈った。

草花はしかし良く耐えた。ハンギングは花弁がかなり落ちた以外はほぼ無傷、問題はコンテナだがこちらは倒伏の際に伸びた茎があちこちぐしゃりとつぶされてしまって、自慢だった四方見はまったく台無しである。人気ない五時過ぎ、ポット本体や底石や植物破片を数軒隣まで拾い掃き回った。掃いて取れない路面にこびりついた花弁は、乾いてからもう一度掃き集めることにしてひとまず家に引き上げた。花々は大ダメージだが、数日もするとなんとか元に戻ったかのように復元するのが常だ。植物は樹木と草花を問わず、時間経過とともにさりげなくすき間を埋め元に戻る生命力が救いだ。植物は歩き回ったりせず動きは遅いが、強いことにはあらためて感心する。

東北の実家で、イネや果樹や野菜などの暴風雨被害は子供心にも胸を痛め見てきたけれども、被害は結局受け入れ諦めねばならない。わたしたち日本人の精神のどこかに、この天災に対する諦め、従順さのようなものがいつのまにか埋め込まれているようだ。そうでないといつもひやひやして泣いてばかりいなければならない。これは戦いとか征服とは真逆だ。

■9/13 朗読の魅力

徳冨蘆花の『ミミズのたわごと』を読んで、明治の文豪はすごいなあと思った。その流れで昭和の文豪のひとり、谷崎潤一郎の『猫と庄造と二人の女』を手にした。谷崎の本は実は読んだ覚えがなく有名な随筆『陰翳礼讃』を開いた程度だった。この小説もうまいなあ、すごいなあ、とほとほと感嘆する。と、何気なく時折就寝前に聞くNHKラジオの朗読の番組を見ると、この小説が読まれているので早速聞いてみた。25回だとか書いてある。この朗読がまたうまい。男と猫と二人の女性の心のひだを、谷崎はきめ細かく読者を引き込むように描いて目を離せないが、朗読はそれより一段と凄味があって「引きずり込まれる」。ネットの解説をみたところ、「会話の軽妙さと人物描写を見事な関西言葉で俳優・本多信也が朗読」とあった。恐るべし、芸。

■9/12 手づくりの愉しみ



お盆のころに始めた看板の木彫りが順調に進んで、おとといの 9/10 、枕木の添え木に挟まれた看板をほぼ水平にはめ込むことができた。穴は深さ50cmと決めて掘りこんだが、人間の水平を審査する目は鋭いので水準器を使って何度もレベルを採るのに難儀した。そんなこんなで、行って戻っての手間数や枕木のとてつもない重さを考えれば複数人で簡単に片づけるのも手であったが、こつこつと少しずつ木彫りをするのは、まるで円空にでもなったような静けさ、穏やかさがあり、それをひとり、林の環境でこなせたことは喜びに昇華していくようだった。作業はいろいろ道草して彫り始めて足かけ8日目か9日目になるだろうか。






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