晴林雨読願望
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勇払原野のコナラ主体の雑木林。ここは中下層をウシコロシの黄色が占めている
一燈照隅
雑木林だより

 新里山からの日常発信

地域活動15年
 苫東コモンズ
勇払原野の風土を共有
  

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●日々の迷想 2021& 2022 & 2023 & 2024

2021
first upload: Nov. 29 , 1998
last upload: Dec 05
, 2024

日々の迷想

12/5  歌に見る庶民の共感 30

情緒。なんと心穏やかになれる言葉だろうか。どこかギスギスしてないかと見まわしてみれば、なんと花鳥風月や情緒に満ちた世界が餓えていた…。その点、歌壇俳壇は、ぜんぶ飲み込んで休まるし、励まされるし、こころのふるさとに戻ったような気がする。数多の秀句秀歌から「選ばさる」のも、そんな詠みばかりだ。

◎すさまじき夜空の音や鳥渡る   鹿嶋市・Tさん
……春秋の一時期、夜半に目を覚ますほどの声がする。ガンも白鳥もどこか悲し気に、寂しげに鳴くから、己の中に眠る悲しさも寂しさも呼び覚まされるのか。四季が二季になったと言われた今年の秋、渡りの声は少なかった。時に、飛行高度が著しく高いこともあった。

◎赤げらの叩けば山気動きけり   東大阪市・Tさん
……たしかに静寂の林でキツツキのドラミングは大気を揺さぶるように聞こえる。ある日、実に雄々しく響くドラミングの音源を探しに忍び足で行くと、それは小さくかわいいコゲラだった。音の大きさは鳥の大きさではなく、樹洞の如何のようだった。しかし、叩く本人もさぞや気持ちがいいだろうと拝察。

◎余生とは思い出探し秋澄む日   ふじみ野市・Sさん
……余生を自覚するとはおいくつなのかと想像。きっと90歳に近くあられるだろうと思いつつ風景を連想した。加齢とともに思い出とも少し吹っ切れたが、反省と後悔はし始めると数珠つなぎで湧いてくるから、自らに禁じる呪文を唱える。余生があまりないはずだからもう止そう、諦めて許してやろう、という自分勝手な言い訳だ。思い出探す澄んだ秋、今年は短かった。

◎経もなく戒名もない友の葬 美空ひばりの歌が流れる   西東京市・Sさん
……こういう会葬を時々経験するようになった。仏教の形式を外れるのはもう当然の時代になったが、身内だけで済ましたという通知は少しさびしい。亡くなった方より残された人の都合が優先させるのだろう。あるいは故人を偲ぶにはそれでよいのかも。親の葬儀に1000人が来たと、権勢を誇って見せる方もおいでだったが、少し苦い思い出が伴う。雪崩の遭難現場での追悼に、ハーモニーの効いた山の歌をで涙したことがあった。

◎食べ物を獲れなくなって死んでゆく分かりやすさに憧れている   東京都・Oさん
……この歌に共感を持つ方は少なくないはず。昔読んだ本に、ジャイナ教では、引き返さないことを条件に断食をして生を全うするという往生があるらしい。お迎えが来る前にこちらから出向くというものか。スウェーデンでは昔、高齢者が自ら山にこもって死んでいったとされる。いずれも安楽死ともちょっと違いそうだが、もしできれば静かな、尊厳も保った死に方か。認知症によって食忘れとなって衰弱して亡くなる方もいらっしゃる。「憧れ」というのがズシンと響く。

■12/2 エゾシカ激減の途

いまや行政も手をあまねいているエゾシカ。猟友会に甘えておんぶしていたのが、猟友会の反対にあってすぐ、鈴木知事が東京に飛んだ、という展開に正直驚いた。いったん、知事として選択肢を示すべきであったと思う。わたしにはまるで責任転嫁のようにに見えた。行政の対応には実に温度差が見える。

地球環境が変動の折、かつてエゾシカの激減の基になったのは、たしか十勝地方の大雪ではなかっただろうか。大雪でエゾシカが大量死したのである。もしそれが胆振で発生したらどうなるか。日頃から雪の少ない当地では可能性は低く、神頼みに似るが、もし平地に大雪が降ってシカの餌がなくなると、神頼みは現実になる。

しかし、胆振、とりわけ苫東は採草地も多いシカの絶好の生息地で、ここが全道でも最も頭数増加し最大密度なのだと研究者に聞いた。実際、我が小屋の数十mとなりは、シカ大群のねぐらで、そこを見るにつけ、エゾシカは生命力では道内最強の野生生物ではないかと思う。-30℃近い厳冬期、ここで眠るのである。もしここに海岸まで大雪が来たらどうなるか?

海水温が上がり海流が変わり、降雪も流動的になって、この冬は大雪が降りそうだ、などという話を耳にすると、わたしはまずシカ対策を想起する。数日前、庭のオンコにシカよけのネットを貼ったばかり。自家用車はすでに2回、衝突し、それが原因で車を買い替え笊を得なかった。いずれ、人身事故と修理保障などで訴訟が起きるのは必至である。野生生物管理は生物多様性の前提であるべき、あるいは緊密に並行すべきだと思う。

■12/1 ヘクタール500本の風景づくり



感性が頼りの山仕事を、もし数値化するとどうなるか。そこでたどりついたのは「ヘクタール500本の風景づくり」。これを広葉樹二次林で実行すると、放置された雑木林が「ガーデニング」のように修景されていき、かつ2,3回、間伐で材とエネルギーを収穫できる。そして樹齢100年以上で最後は皆伐して確実な萌芽更新に任せることができる。だが、その作業にはヒヤリハットの危険も同居している。

■11/27 安全に配慮した伐倒技術



日頃から安全な伐倒に気を付けている。写真は今日の模範的な伐倒を記録した履歴写真。クサビは伐倒方向を決め、材を持ち上げクサビ側に倒れないように安全エリアを確保する。上の1/3あたりのボサボサはツルと呼ばれるもので、これが倒れる際の蝶番の役目をする。伐倒する人は幹の重心や傾き具合など諸々をシミュレーションして、倒れる方向をコントロールする。しかも、その想像力が正しかったか、もろに結果に表れるので、危険でままならないチェンソー仕事が好きだという人は少なくない。

■11/25 二十四節気の小雪を過ぎ

雪が降り始める「小雪」を迎えた。11/22が24節気の小雪だったが、苫小牧の季節感と実に良くあっているといつも見ている。その2日前、小屋は雪化粧となって、自宅の薪ストオーブは本格始動となった。上のリンクの箴言では「裸木」が謳われたが、たしかに青い空に向かって凛とする様は冬の木々の面目躍如たるものがある。

ふりかえってみると、世間では林や樹木を裸木あるいは風景として情緒的につかみ取るというジャンルを歌壇俳壇などに押し込めて、人びとが日常的に感性というアンテナを伸ばして感じ取るという余裕がなかったのではないか、と疑う。少なくとも、私の周りでは日常的にそんな季節感を情緒的言葉で表わす会話が絶えているような気がする。

ドイツ人の多くが夕方のマズメの時間に人が変わったように自分の世界に閉じこもってしまうということを、ドイツ文学者・高橋義人氏の『ドイツ人のこころ』で知ったが、もしそこまで自分の世界に逃げ込むことができるのなら、少し羨ましい気がする。それはともかく、情報や自然科学の知識などと、情緒の脳内バランスはあらためる余地があるのではないか。もっとメソメソ、モヤモヤしてもいいのではないか。人間だもの。

■11/23 このごろの歩きで思う


径は歩く限りにおいて、いずこも「哲学するみち」である。深くこだわり過ぎず、かといって浅く流れず、集中でき、外界とつながるアンテナも感性もフルに動いている。股関節の調子が術後3年目に大幅改善したおかげで、今年は近所も含めてずいぶん歩いた。どれも哲学とは言えないけれど、それに近い妄想のような、冥想のような時間だった。

11/21 市史にみる蓄積

32 .

時折、図書室で苫小牧市史を開く。半世紀近くお世話になっている居住地・苫小牧の歴史をひもとくためだが、そのつど、気の遠くなるような人びとの足跡が偲ばれて興味が尽きない。現在全6冊が出されていて、苫小牧に赴任した昭和51年に、初任者研修で市史編纂室のHさんの講義を受けたことを思い出す。が、半分寝ていた思い出が一緒なので実に慙愧に耐えない。実にもったいないことをしたが後悔、先に立たず。

先日改めて驚いたのは右のグラフである。明治の終わりごろからの、苫小牧の木材生産量だったと記憶するが、いくつかの波を経て、現在の広葉樹二次林や森林地帯が出来上がっていること、二次林が時代時代のニーズに対応してきたことなどが解説をたどるとよくわかる。自然保護か開発かで揉まれた土地柄だが、歴史を透かして見ると抗いがたい土地の定めみたいなものを感じてしまうのはわたしだけだろうか。

11/19 森林公園で人気のスポット「オテーネ広場」



苫小牧市の森林公園はフットパスも整備もされていずこも美しい場所だが、特にどこが?と問われれば、わたしはオテーネ広場を挙げたい。病院や運動公園がすぐそばでアクセスもしやすいせいか、しばしば2,3人の人と会うから、奥の方とはやや違う。

アイヌ語のオテーネとは、水ミチの集まる湿地、というような意味のようで、野球場や展望台下、王子製紙の土場の北あたりを指す地名らしいから、オテーネ広場は正確に言うと、「オテーネを見下ろす丘の上の広場」ということになる。天気の良い11/18 に約3km歩いた。

11/17 詩の世界で (2)



夕方、森林系の同窓会があるので2時ころ山仕事をたたんで帰る準備を始めた。シルバ会苫小牧支部と銘打った3人の会。帰途に着く前に、辻まことの一冊を手にして貸し出し帳に記載した。1980年にわたしが購入し2023年に小屋に寄贈したものだ。この間、何度読み返しただろう。扉の裏にこうある。

「雪の山と森は私に語った。必要なのは情熱と夢ではなく冷静な目覚めだと、愛することではなく憎悪を超えることだと、多弁な歌やマイクロフォンの声ではなく沈黙だと・・・・。目標を失くし錯雑した感情を病む私の心は、この凍結した白い永遠に救われる。」 辻まこと

山や林と「ひとり」が何時間か向き合っていると、心に浮かぶアフォリズムがこうして凝縮されていく。言葉を煮詰めることは悟ることでもある。生きている実感でもある。吾想う、ゆえに吾あり・・・。

11/15 詩の世界で

いわゆる雑多な読書の合間に、詩を読んでみている。茨木のりこ、そして昨日は石垣りんの『詩の中の風景』を何日もかけて読み終えた。詩の読解は若いころから好きだったから、『現代詩手帖』などもよく買っていたが、その後、短歌に出会うまでは詩歌にはとんと付き合いがなくなっていた。短歌は、5年前に中西進著『万葉の秀歌』に始まり、源氏物語に出てくる数え切れない歌、『歴代天皇の御製集』、などを読んでいるうちに、今、人気の現代歌人・穂村弘氏の短歌に出会った。氏のラジオ番組を聞いたりしているうち、彼が山の会の後輩にあたることを知った。歌はちょっとしたブームだ、詩はどうか。

詩は、思いながら、考えながら、味わうから、すとんと落ちるまで結構時間がかかり、その間、ボキャブラリーと感性をフル稼働させる。それでもちんぷんかんぷんの詩もある。ただ言葉づかいの自由度がうんと高いから、言葉選びがかなり弾力的になるように感じる。

と、今月に入ってから、四季ではなく「二季」という言葉を2度も聞いた。春と秋がないというのだ。言葉選びが鋭くなることは創造的なことで正確だ。たしかに、キノコが豊作で木枯らしが吹く秋らしさはない。が、少しずつ薪を焚いて気分を盛り上げている。落葉の中で山仕事も本格化した

■11/13 めちゃめちゃ辛い赤唐辛子




山の辺の道の無人販売所で買ったレモンと赤唐辛子の一部。赤唐辛子のほとんどは冷凍保存した。なにせ、ひとかじりしたら、飛び上がるほど辛い。そしてこの端麗な美しさは絵になる。さっそく今晩は、これとアンチョビーをちょっと入れてペペロンチーノを少々作ってワインの友にした。一束のスパゲッティに長さ5cm程の小さな一本でも多すぎるくらい辛い、しかしうまい。100円のレモンはどうしようか。あと10日くらいで色づくらしいが、なんとなく緑のうちに、サンマにでもドバーっとかけたい気分。

11/11 大和路で古の日本にひたる



先週の6日と7日は大和路は山の辺の道を歩いた。2日で35km、所要時間は11時間ほど。古刹と古墳と山里の田園風景を見ながらの歴史道は、日本に生まれて良かった、と実感させる。正面は景行天皇の古墳、その1kmほど先には崇神天皇の御陵があった。





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