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●日々の迷想 2021all
2021
first upload: Nov. 29 , 1998
last upload: Jan 27
, 2022


 日々の迷想
■1/27 歌に見る庶民の共感 10
この頃、川柳が目や耳につく。すでに紹介した「声高にSDGsと言わねども農夫は還す根は葉は土に えすでーじーず」は共感する人、多々。そのあと、「SDGs言うやつみんな金めあて」、これは金子先生の地球温暖化の論考の感想にもお書きした。「オミクロン検査しなけりゃただの風邪」。然りである。この視点は政府や専門家の見解より、明快でわたしはこの陣地に一画を構えている。
さて、今日挙げる共感。
◎「いち年を介護と家事と畑いじり すき間なき程老後は濃くて」  (深川市 M子さん)
 …無聊にかこつけて老後を送るのと真逆の日々。前向きな姿を想像して励まされるような歌。わたしも頑張ろう。
◎「おでん炊き今日のことだけ考える」  (久喜市 Fさん)
 …目の前の足元に集中する。禅や冥想の教えに「今、ここ」という言葉があるが、思えば、過去も未来も、色即是空。意外なことに、迷いの「今」に腰を降ろせば、救いがそこにある。家事(仕事)は偉大だ。
◎「徘徊の母を見つけて帰る道 空は夕焼けあしたも晴れだ」  (匝瑳市 Sさん)
 …認知症のお母さんを離れたところで見つけての帰途。民の営みへ思いを馳せ、亡き母を思う。何も恩返しできなかった…。
◎「「パパはもっとかっこいいのに」 似顔絵を書き終えた児の小さき溜め息」  (徳島県 Iさん)
 …自然に育つ親子の情。子供には生まれながらにしてピカピカの感性がある。人にはもともと生れながらにして、穢れのない良識、いわゆる仏性(ぶっしょう)が備わっているように。この性に日々向き合う習慣を大切にしたい。
■1/26 北海道のナラ材と枕木
学生時代の山のクラブの先輩が、北海道の鉄道の歴史について本を出したので読ませてもらった。北大の工学部を出て、JR東日本に就職され、近年はインドの高速道路プロジェクトに携わってインド滞在が長く続いていたのは知っていたが、その間に、このような緻密な文献研究もされていたとは知らなかった。道内の鉄道は、道路や河川などと違い、歴史や経緯を俯瞰し総括されたのを見たことがなかったので、わたしにはたいへん興味深かった。山仲間のOBのその後のネット会話では、本の中で紹介された新宮〇工のメイン業務は何だったか、などが話題にされ、木材貿易や薪ストーブ輸入販売なども云々されていた。わたしはあの会社が、設立された大正8年に、朝鮮半島の鉄路のためにナラの枕木30万本を輸出した、とされていることに興味を持った。仮に0.8mおきに敷かれたとすると、延長は270kmになる。一方、苫東の静川当たりのナラは、明治の終わりごろ皆伐され、イギリスの貴族用の棺材として輸出された、と苫小牧市史に記されているが、そのあと、ナラは枕木として大陸で使われ、やがて満鉄で使われたことになろう。満鉄の枕木が北海道産であることがわかって、当時、世界の3大ナラ(オーク)材産地は、一にチェコ、2,3番手にカナダと北海道が続いたと聞いたことがある。
ところでこの商社は薪も販売していて、苫東コモンズの薪単価を設定するときに参考までに調べたことがあった。当時はまさかと思うようなとても高価な印象で、当時は積丹の材だ、と聞いたような気がする。ナラの繋がりの小さなエピソードだ。
■1/24 大相撲の伝統と新しさ
昨日は初場所の千秋楽で、関脇の御嶽海が横綱・照ノ富士を破って優勝した。そして相撲協会の理事会が招集されることとなり御嶽海の大関昇進が決まった。勝負がつくまでは解説者も憶測の域だったが、優勝して間をおかず速報が解説席にも届いた。「大関にふさわしいか」という親方衆の眼力に委ねられていて、実は昇進の目安というのも確たるものはないらしい。そこにあるのは客観的な基準でなく、角界独特の空気感だといい、新聞のコラムはそこが「新鮮」に映ると書いていた。
不文律、ルール不在などというのは、今日日、遅れたものの代表というのかと思えば、そうではない、と。明文化されない空気感というのは、逆に難しさをはらむ。コモンズという仕組みも、それを実験するNPOの運営も、どこかそこに似ていて、あえて明文化しないで現場対応とし臨機応変に対応を折々の理事らがジャッジし、右に左に蛇行して進めてきたことを思い起こした。「今や、最先端の交信技術はテレパシーだ」、という見方とちょっと似ていて、いささか励まされる気がした。
■1/23 e-taxを準備
医療費控除とふるさと納税のために今年はe-tax で確定申告をしようと準備を始めた。ここ数年、政府だけでなく民間もデジタル化の波が急ピッチで押し寄せ、マイナンバー制度などはポイント稼ぎの損得勘定も後押しして、大変なプレッシャーである。経理的な素養も能力も皆無の当方にとって、これらは難関と呼ぶべき壁であり、e-tax にあってはゆっくり準備期間をセットしてストレスを生まないようにしたい。それにしても、この波はなんだ。できませ~ん、などと嘯いていると置いていかれる。時代の流れの本流はどうも明らかにここにあり、世代の交代もこうして進むのだろうか。きっとそうだ。後世の歴史にはそれらしく書き込まれることは間違いない。
■1/20 地球温暖化の知識社会学からのアプローチ
財団の研究所に勤めていた際に、北大の金子勇先生の「エンパワーメント研究会」をサポートさせていただいた。先生は少子化、ソーシャル・キャピタルなど多様なジャンルに社会学の立場で精力的に取り組まれ、野外調査を含め門外漢のわたしもそばで大変勉強させていただいた。先生は10年ほど前から「環境問題の知識社会学」にも取り組んでおられて、先日は「昨年末から現今の「脱炭素社会」や「二酸化炭素地球温暖化論」を相対化すべく、国際環境経済研究所webに7回の連載をしています。本日が第6回目の掲載で、最終回は1月20日の予定です。」とのお便りをいただき、数日の間少しずつだが早速読ませてもらった。(実は科学論文はわたしにはもう辛い(-_-;)) 結論は、「再エネは原発や火発と機能的等価性はない」ということになりそうで、そこへ至る過程で、地球温暖化問題や再エネのからくりも明瞭にされる。関心のある方には是非お勧めしたい論考である。⇒雑感/北の森カフェ1/24
■1/18 寒中見舞い
今年は寒中見舞いを出すことになったので、年末年始はかなりのんびりした流れで過ごしました。いただいた年賀状には、「体が言うことをきかなくなった」とか、体力の衰えを嘆くものが多々見られるようになっています。そんな訳で、ここはひとつ元気よく声を掛けよう、という思いが募り、人は加齢とともに気が目減りするから大地の気を山菜などから分けてもらおう、というメッセージを込めて、山菜の画像をいくつかはめ込んでみました。さすがにこんなのんきなことを書いている方はいなくて、そもそもが気なんて死語になっているようだし、山菜で補おうなどという発想は理解不能かもしれません。でもいいのです、わかる人はしみじみわかる、そんな世界ですから。アイヌネギ、スドキ、コシアブラ、ワラビ、サンショウの絵を選びましたが、そこに早春の川エビも加えました。今年の課題は、ここに弁天浜のサクラマスと川に上がった黒すけのシシャモを足すことが出来たら最高です。
■1/16 「見ること」による動機付け
かつて日本のアイスホッケーは世界の大会にも出場し、王子、岩倉、西武、国土などのチームがしのぎを削って、国内にファンも多かった。たしかBSがデビューする前でもNHKだったか民報だったかで北米のNHLのゲームが放映され、その迫力に魅了された。その後、BSで The Fry-Fishing という番組があり、北米大陸の川や湖でレギュラーの熟年夫婦などがフライフィッシングを披露した。これも非常に面白い、ワクワクする番組だった。海外事情などをこうやってマニアックに見せられるととても刺激が強く引き寄せられる。逆にあれらが消えてから、アイスホッケーは下火になり、道内のフライ人口だって増えているように見えない。
ところが最近のBS番組表で「BS釣りビジョン」なる番組があるのを知り、見てみた。「極北カナダ鱒釣り旅」なるものがあったからである。フライではなくルアーだったが、見知らぬ土地の釣り実況はさすがにワクワクした。「見る」は動機に繋がる。「よおし、今年はロッドを振ろう」という希望が湧いてくるのがわかった。
■1/13 意外な優れもの「ストレッチ・ポール」
股関節の手術以後、足の長さが少し変わったのか、右肩と首筋が極度に凝って痛いと訴えていたら、年明けに娘が写真のストレッチ・ポールなるものを送ってくれました。このポールに仰向けに寝て背筋を伸ばし肩甲骨のあたりを15分ばかりリリースするだけですが、翌朝は揉み返し状態、その次の朝も同じ、そして3日目に痛みとコリが忽然と消えました。なんと不思議な器具でしょう。しかも使ったその晩から熟睡、快眠状態でしたから、痛みはいわゆる好転反応だな、と目星はつけていたのですが、大正解でした。同じような悩みをお持ちの方には、超おススメです。
■1/11 住む土地から「気」をもらう山菜とジビエ
確か気功かヨガの本で読んだのですが、人は加齢とともに心身のエネルギーが減退する、免疫力などもまさにそうで、それを「気」を取り込んで補う、そのために「気場」に身を置くか、「風土の食」を口から取り入れる…、という主旨が書かれていた。その食のひとつが畑の野菜や山菜であり、時には野生鳥獣の肉、即ち「ジビエ」であります。この外に魚もあるでしょう。わたしの「山菜信仰」はこのあたりが起源といってもいいでしょう。(笑い)
ところで、道内に住んでいるとしばしばシカ肉をもらうことがありますが、思わず絶賛するような按配とはいきません。が、先日届いたものは逸品でした。ひとつは生のシカのロース、2回目は時間をかけて塩分発酵させた自家製の生ハム。その昔、ジビエは生活そのものだったものが、欧州ではそのうち嗜好品や贅沢品となり、一方日本では、マニアを除けばまだまだ特別の扱いに至らず、捨てないで興味半分で食する程度の消極的な食材にとどまっています。食文化として定着していないという証明ですが、まあ欧米人に比べれば日本人はほとんどベジタリアンに近いので無理はありません。さて今年の「地のモノ」信仰はこうしてシカで幕を開けました。白老の浅羽ガレイの煮着けもそんな思いで調理し、食しました。早春には山菜の前にまず川エビの出番です。
■1/09 野鳥と出会う賢い「しかけ」
人にはしばしば童心というものがあって、鳥たちの会話が聞こえる「聞き耳頭巾」があったらなあ、などと夢見るものです。そして、もっとそばで会いたい、手や頭に載せたい、庭に呼びたい…などなどとエスカレートします。餌付けはそこでかなり有効な手段ですが、餌依存を誘発し野生にはすべからず、という風潮が一般的になりました。北大苫小牧研究林は、伝統的に?野鳥の手乗せができる場でしたが、今年発見した「やぶ」は、このような願望と野生鳥獣保護を折衷した画期的な妙案と見ました。近くで要らなくなった灌木の根っこや枝を無造作に置いて、そこにどうやら、大学関係者か市民が餌を播いている模様。で、どうなるか。小鳥たちは、人間の餌付けに興味を示さず、外敵から守られたこの薮めがけてやってきては、枝に守られながらいささか悠々と採餌します。ヒトは、それを至近距離で観察できるというものです。これはなかなかのヒット作だと思いませんか?
■1/05 雑木林と薪のエッセー、集まれ~!
いつか、北海道で雑木林や薪の話、、そして薪ストーブのある暮らしをしている人のエッセーを読んでみたいと思っていました。いろいろ探してみたのですが、どうも思い描くものが見当たりません。そこで、このホームページにコーナーを作って、友人知人らのエッセーから始めることにしました。リンク先は「北の森カフェ」、取り立てて大きな目標はありません。好きな人の、カフェのような、ただのたまり場です。
■1/04 人付き合いの濃淡

届いた年賀状を一枚ずつめくり、相手を思い浮かべながらちびちびリとお酒をいただく、というのは正月の愉しみの一つでしたが、この歳になればもう年賀はやめました、というたよりもチラホラ出てきます。年賀状をいつ辞めるか、というのは、年に一度、旧交を温める付き合いの場合などはいささか微妙です。しかし、勤め人の場合、組織が大きいと、こちらがお世話になったと感じて出した場合でも返信が来ないこともしばしばだったことを思い出します。民間の小さな会社の場合は亡くなるまでとことん付き合ってしまうこともあるのに比べれば、特に官庁系は実にあっさりしているようです。考えてみれば、転勤や移動のつど、関わった人に出していたらキリがない、という当たり前の話。このごろようやくわかってきたのは、「去るものは日々に疎し」で、縁があれば再開の機会があるから、付き合いもお互いに断捨離が自然ではないか、ということ。年賀に限らず官庁系の縁切り、わきまえ、理にかなった割といいものだと見直して、「随流去(ずいりゅうこ)」の構えに入ります。残された時間が多くないことを実感するようになると、決断も歯切れを増すような。。
■1/02 新年、2日目
明けましておめでとうございます。年が改まる都度、来し方、特に去った一年を振り返ると、一年前の年頭に心に浮かんだ希望の道筋のようなものが、大なり小なりトレースされ、いくつかは成就している跡が見て取れます。ということは、年が替わるのを機会に「念じてみる」ことの意味が知れるというものではないでしょうか。
ところで、この年末年始はさしたる雪かきもせず読書三昧でした。懸案の古典で言えば、高樹のぶ子の解説になる『伊勢物語」で足ならしをしました。昨年読破した『源氏物語』の下地になっていることは初めて知りました。つまり、在原業平が光源氏のモデルではないか、ということですね。朧気ながら聞いたこともあるような…。それから、山の先輩Tさんによる『北海道の鉄道開拓者』。技師大村卓一の功績を追ったものですが、全般に展開される北海道開拓に関与した開拓史など明治政府関係者をはじめ、内地の人たちの多様さとエネルギー、そして国防と新天地建設への高い意志、人脈にはあらためて圧倒されます。近現代の北海道における地域開発の礎部分に当たります。
さらに『北海道ジビエ物語』。岩崎寿次著の、エゾシカの駆除から食肉ブランド化へのクラスター形成の取り組み(小史)が描かれ、コモンズの特別顧問の小磯修二教授が釧路公立大学学長時代に、「30年かかるつもりで」とアドバイスしたことがバックグラウンドとなって、丁寧なネットワークと研鑽を積んできたことがわかります。
歴史としてみてみれば、開拓も鉄道も遥か彼方の出来事のようにかすんで見えますが、それらがジビエプロジェクトのように、コツコツ丁寧に編み込まれていることを知るのは、懸命に今を生きる人々の元気につながるのではないか。
このほか、時事問題のレポートや人間学の雑誌にも目を通していましたら、二宮尊徳翁の「積小為大」という言葉に出会いました。「小さなことの積み重ねが大きなことになる。大きなことを成し遂げようと思うならば、小さなことを疎かにしてはいけない」の意とか。年頭にふさわしい句として有難く読みました。


●日々の迷想 2021