晴林雨読願望
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勇払原野のコナラ主体の雑木林。ここは中層をウシコロシの黄色が占めている

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●日々の迷想 2021& 2022 & 2023

2021
first upload: Nov. 29 , 1998
last upload: Sept 28
, 2023

日々の迷想

9/28 人を正直にさせる環境と状態を醸すらしい「樹木と焚火」
いま、ある講演録をパワーポイントの資料をもとに再現している。数年前に自分が数百人のお客さんのまえで行ったものである。なんだかこの講演がこれまでの風土と緑の体験についてもっとも総括的に語れた気がして、主催者に記録の有無を聞いたらテープも活字もないとのことだったので、思い出しながらのひとり作業となっている。

この中で、仏陀が悟りを開いた菩提樹(インドではピパールと言っていたと思う)の話をしたのだが、わたしが気を感じる身近なヤマグワがこれに相当するのではないかというわたしだけの経験から仮説を考えだして述べた。と思っていると、昨日、「火のそばだと人は正直になる」というフレーズが目に飛び込んだ。ある薪ストーブの会社のポエム風広報であった。焚火の前でタレントなどが能弁に語る番組が近年見たのだが、わたしには肌合いが合わなかった。テンションが上がり過ぎていて、正直という雰囲気には見えなかったのだ。自分に正直になる、自分を見つめる、という時間は恐らく独りの時に訪れる。昨今のような犯罪過多の世の中に、焚火や薪ストーブ、ある種の樹木、あるいは林が、なにかしら人らしい気を送れないものか、と思う。今こそ出番だ。

9/26 森林で療養するとは?  ~わたしが見た庭と緑 6 南ドイツ・ヒュッセン~

札幌のはまなす財団で街道研究会の事務局をしていたころ、ドイツの複数の観光街道を巡る機会があった。ここはロマンチック街道の南の終点であるフュッセンにあった森林療法の散歩道。森に囲まれて小さな澄んだ湖があり、10月なのに水を浴びる療法もなされていた。医師の処方に従い森を歩く運動療法「クナイプ療法」がまだ盛んだったころで、わたしもずいぶん北海道で森と心と体の勉強もしていたから、森でリラックスする「環境」がピンときた。その2年後の2002年、ちょうど50歳の時、このクナイプ療法の発祥地である同じ南ドイツのバートウェーリスホーヘンに単身でかけることになる。あのころは、療法ができる環境としくみの「採集」に実に熱心に取り組んでいた。それらが現在わたしの「みどり観」の血肉になっている。ここぞというビューポイントにはたいていベンチが置いてある。このような緑の中で、不安を忘れ緊張を解き続けたら、リフレッシュは当然のこと、病気も治っていくような気になった。こういったグレードの高い「みどり」をわたしたちは求めている。

9/24 続々・試している大地
上田さんは北海道と苫小牧にさほど長い期間住むことにはならなかったが、風土や社会の見方が是々非々で偏りがあまり感じさせず、切れ味のいい表現をして見せたが、北海道への視線は正直で、つまるところ悲観的で寂しい印象だった。きっと本心はもっときびしかったのではないか。国木田独歩の章では、「…北海道生まれの多くの作家は出て行き、来た作家もとどまらなかった」と書く。そして「北海道は人をどっと吸い込み、、移動させてしまう大地だった」と結論付ける。どういう訳か、夢に満ち溢れた北海道というような、知事がPRするような北海道観では当然なくて、、歴史が浅く風景もどこか寂しく、ビンボーったらしい北海道に共感するような著者の方が、わたしには親しみがある。それを描ける方が一冊の本を残してここにいない、ということがわたしはとても寂しく思う。

■9/21 続・試している大地

なんだか気になってところどころを再び読み始めた。本人の本職は編集ではなくマーケティングだった。東京で病気になって白老に療養に来たのがきっかけで67歳で苫小牧に移り住んだと書いてあった。北海道への視点は深く鋭い。そして少し悲しい。北海道の女性のことや国木田独歩の空知のことなども章を起こしている。昨日も小屋のテラスである章を読んだ。「はじめに」でこんなことが書かれている。

「…半都市化した街のマンションに住み、消費だけの生活では何が改まるでもなかった。私は道内のあちこちを歩き始め、自分が目を逸していたことが多すぎると思った。北海道のことばかりでなく、人間の力と営みや自然の大きさについてである。広い区画のうねる農地や酪農場、高い山の間に走る電線や鉄塔、深い森を越えたところに見える集落の灯、寒風の漁港に舫っている漁船、もう根が尽きて手が出せないとでもいうように残っている原野や湿原。北海道が人を魅了するのは自然ばかりではなく人間の力と文明を考えさせてくれるからである、と思った」。

原野や湿原の目線はわたしも同じだ。だが、確かな目と筆の力でこうまで読者を立ち止まらせ考えさせる方が、もう他界されたことにが残念でならない。

■9/19 試している大地
初めて出した拙著の書評をいくつか見ている間に、本の片付けも一緒だったからだろう、表題のなつかしい本にであった。上田榮子氏の、副題は「北海道視記」、帯には「日本で唯一の殖民地だった北海道」とある。東京で編集関係の仕事をして何かの縁で晩年に苫小牧の住民になったと聞いた。コモンズの現場にも足を運んでくれて、雑木林のフットパスを歩きビールでBBQを楽しんだ記憶がある。道新文化センターで文学系の講師をされていたとおり、優れた文芸の才に恵まれた方だったと思う。かつて忘れた頃にメールを出したら、目もよく見えなくなった年寄にメールなどよこすんじゃない、と怒られた。そしてしばらくして亡くなったと聞いた。飲み会などだけでももっとお付き合いして薫陶を受けておくべきだったと、『試している大地』をめくりながら思った。まさに、試されているという思いは共有するからガツンときた。言葉にパンチがあった。いずれあらためて筆を起こそうと思う。しばしば、怒っていた上田さんに、今は合掌するのみ。

■9/17 歌に見る庶民の共感 21
朝、家人に声を聴かれないようにドアを閉めて俳句と短歌を声を出して読む。なんという健全、なんという庶民のこころ。ここには右も左もない世界がある。いや、当欄は読売新聞だから世間では真ん中よりやや右寄りか?それであってもここだけはノーサイドのこころだ。今日は俳句のみ拾ってみる。

◎父の日てふ面映ゆき日の暮れにけり    町田氏 Tさん
…もっとも、ツーランク上の扱いを受けるのが母の日だとおもっていたら、母の日以外は全部父の日だと思っていた御仁もいたそうだ。確かに面映ゆいこれには古希を迎えた時に、もう気を使わないでいいよ、ありがとう、と子らへラインに書いたことがある。

◎おほかたは妻に分があり冷やし酒    国分寺市 Nさん
…夫婦円満の秘訣はカカア殿下とか、妻の言うことはすべて正しいと思うこと、なんてことが夫側から言われる。これはなかなか意味が深いことが、歳を経ることにわかってくる。少し悔しいが、というところが酒に出た。

◎水鉄砲おれには本気らしい妻   下妻市 Kさん
…夫というのは妻にとって時々憎たらしい存在のようだ、と感じる時がある。奥さんの思いと自己抑制のバランス。絶妙で座布団2枚。

◎忌に集ひ父似母似と鰻食ぶ    深谷市 Oさん
…生々流転、日が経てば失われた人たちも笑顔の中で語られる。妙に、鰻は思い出深い。どこで誰とどんな気持で食べたかまで思い出すことができる。北海道ならとりわけ滅多に食べる機会がないだけに、本州や九州に出向けば名店を探す。そしてさすがだ、と庶民の声をあげる。

■9/14 生きた記録がホームページに記憶されて
1998年にスタートした当ホームページは、花の Green Thumb Club 、北大の青年寄宿舎、NPO苫東コモンズを枝分かれさせ、この研究室が辛うじて骨格となって細々と生き残っている。レポートや報道記録のPDFなど容量をまとめると膨大だから、外部のサーバーにも便乗していたところが、もう不要だとして外部ドメインの更新をしなかったために、結構重い容量のリンク先がかなりストップしてしまった。1週間ほど前に気づいて、少しずつ修復している。

修復作業の中身は時々の記録だが、目を通してみると随分いろいろなことがあったなあ、と感慨深い。記録によって、記憶がよみがえる。アルバムとは少し違うのは、そこに自分の概念が言葉で受け継がれ、自問自答が描かれ、曲折とちょっとした苦悩を経て現在にに至ったことが見える。年齢的には人生の収穫期と言われる今、仮にわたししか見ないページだったとしても、満足感は薄まらずにある。記録、記憶とはそういうものだと知った。感謝、合掌。

■9/11 病院の安らぎ、歳をとった人の勝手な仲間意識
人工股関節の手術から2年。定期健診に出かけた先の待合ロビーは、同年配かそれ以上の人で一杯だった。膝や腰や腕、いずれも辛そうである。若くない娘や息子に付き添われている人もかなりいる。眺めているだけで、なにか同朋意識が芽生えるような気がする。これは外科的外来の場だが、事務や会計受付の方を見ると診察料はすべて自動支払機になっているから、扱いに困っている高齢者も多い。しかし、うまくできたもので周りの人がみんな手伝ってあげている。中には看護士や事務員に大きな声でゆっくり説明されても飲み込めないでいる人もいる。小さな声では聞こえないし、早口ではついていけない。高価な補聴器をつけるようになった当方には、いまでも、この早口の説明(特にコンビニ紋切型)にはお手上げだ。病院はそんなわけでスローでかなり安らぐ非日常空間でもある。わたしには残念ながら友達はあまりいないが、勝手な仲間意識みたいな、高齢社会の支えあいを垣間見たような気がして、束の間とはいえ勝手に安らいだ。

■9/09 ポルチーニか?

小雨の降る中、小屋を起点とするフットパスに入ったら、素晴らしいキノコに出会った。ヤマドリタケモドキ、いわゆるポルチーニではないかと直感した。でも違うかもしれない。イグチにもいろいろあるので、採って食べたりしないが、このアングルで風景を眺めるだけで胸が踊った。

■9/06 日本人の緑願望は借り物でないか      ~わたしが見た庭と緑 5~

日本人は身の周りの緑に対して、欧米人とはかなり違った感性を持っているのではないかと思う。例えば、上の写真は、緑被率40%と言われるオークランドの住宅街だが、歩いてみるとなんだか緑が多すぎ圧迫感がある。わたしの住む近隣では白老に「林に囲まれたこと」で特徴づける温泉付き住宅地があるが、ここもうっとおしい。霧がかかり冬は寒いところで、緑の過多は良しあし微妙なのだ。友人の先生の協力で帯広三条高校で生徒数百人にアンケートをしたら、通勤時の田園景観など緑には充足している彼らは、ことさら緑の公園など期待していなかった。

しかし日本では、住民一人当たりの公園面積を欧米に並ぶべく、努力してきたし、明治以降、欧米でビックリ仰天した公園のありさまに、追いつき追い越せの精神で懸命に模倣してきたようだ。だが、どうも日本人の公園感覚は、それら都市計画的なものと違う。英国が産業革命による環境劣悪化に、労働者が緑やオープンスペースを求めて暴動を起こした渇望とは、ほぼ無縁なのだ。神社仏閣の境内や、花見の行楽や、土手の花火と、とかく緑への渇望の向きやベクトルが違う。国立公園もアメリカがモデルのようだし、欧米化は喫緊の目標だった。先日、、ひさびさに厚真のニュータウンに行ってみたが、わたしにはやはり暗くて圧迫感を感じた。「緑豊かなマチ」は行政や有識者の喧伝に刷り込まされた結果なのではないか。

ただ待てよと思う。インドの田舎では菩提樹の根元に牛たちが占領して憩っていたし、上のオークランドも陽ざしが強くて日光を遮りたい願望は確かにあった。つまるところ、胸に手をあてて、自分は何を「快」と思うのか、もういちど考えてみて、コツコツと実現に向かうしかない。その思いが都市計画にどう反映されるかだ。白幡洋三郎・飯沼二郎の共著『日本文化としての公園』を読みながら、我が意を得たりといっしょに考えた。日本各地の緑は、近代・現代を経てもうひとつ成熟して次のステージに向かうのではないか。




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