晴林雨読願望
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勇払原野のコナラ主体の雑木林。ここは中下層をウシコロシの黄色が占めている

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地域活動15年の歩みとこれから

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●日々の迷想 2023 & 2024 & 2025
2021
first upload: Nov. 29 , 1998
last upload: Sept 09 ,2026



日々迷想

■9/09 ソローの余韻

ゆうべは早寝して今朝は4時に起床。

そして枕もとのページが黄ばんだ『川からの手紙』を開く。2,3度読んだことのある20年近く前の本である。フライフィッシャー、クラフトマン、ガーデナー、そしてエッセイスト。毛バリ釣り、手仕事、庭、自然派作家、日本語に置き換えてみるとまたちょっと和風の微妙なニュアンスに代わる。日本にアウトドアライフのブームが生まれたころの牽引者だった。

多様な顔を持つ田渕氏の思いをなぞると、やはり『森の生活』のヘンリー・デービッド・ソローと近い感性と反骨のようなものを感じる。山川草木、森羅万象と向かい合って単なる野生の観察や描写にとどめず、自然と魂とのつながりを言葉に紡いでいく。ソローのようにつながりを宇宙まで広げればまるでヨガの世界である。たかだか日本の自然だが、田渕氏の扱いも宇宙のようにふところは深いと感じる。

自然との対話をポエムなど言葉にすることは日本や一部の民族の手法であり欧米では18世紀ころに始まった、とある本で読んだ。この本でもフライを巻いて寒山の住まいからわずかのところにある川で数匹のイワナを釣るだけでも、ひとつの語りになっている。そこには独特の読み、翻訳が介在している。

今朝は冒頭に面白い文章に出会った。

「釣りという遊びは本質的には一種の老人趣味であろう。もしもそうなら、わたしが憧れるフライ・アングラーは、犬を連れ杖を携えて老友と一緒にモンタナの川の畔に佇んでいる70代の釣り人だ」。もう釣りには年に数回しか出かけないが、70半ばという年代、杖持参、畔で佇む、という点ではこちらも一緒だ。「畳の上の水練」よろしく、芝生の上のキャスティングに俄然やる気が出てきた。
(*氏はたしか80歳代アングラーにになる前に亡くなられた)

■9/08 時は「白露」

朝晩の気温に素直に過ごすと、このところは夜具や普段着の転換が自然に動機づけられる。今日はたんすの夏物と秋冬物を若干入れ替えた。さすがにフリースなどは未だである。ちょうど24節気では白露だという知らせが届いた。そのなかに「山の上にも山があり、山の奥にも山がある」という徳富蘆花の「人生心得帖」の一文があった。今朝は『致知』でノーベル賞を受賞した北川進、坂口志文両氏の「運をつかむ生き方」という対談を読み、「幸運は準備された心に宿る」prepared-maind という箴言をしった。心に刻んでおきたいと思う。

■9/07 一日一食生活

もうだいぶ前から昼ご飯は食べない生活に切り替わった。山仕事でも自宅でも、昼食の時間がいらなくなり使いがってのいい時間が増えたような気がする。午前と午後がひとつながりだ。ただ、大好きなラーメンやそばを食べるチャンスが少なくなったのがややつらい。

さらに今年に入ってからはできるだけ一日一食にした。夜には食事をしながらビールやワインなども偏りなくいただくので欲求不満もなく、しかもおなか一杯食べるのをやめたので、逆流性胃腸炎的な症状がなくなり、それでも体重はなかなか減ることがない。食べる楽しみが食事回数が減った分激減したかといえばそうでもない。

1日2,3km歩く程度の運動であれば、これで栄養とカロリーは十分だと知った。それに日本では、その昔、1食だったとか2食だったとか聞くから、1日3食というのも栄養学に教え込まれた子供や若い人用の習慣である可能性だってある。おなかをすかす快感というのも捨てがたいところがある。

■9/06 トンボがやってきて蚊が消えた



街中では、今年はもうこれでエアコンは不要だろうなあ、という直感がある。もう長袖のシャツが必要だ。例年体育の日にはストーブを焚くから、確実に秋に替わる時節だ。小屋はベランダが22℃、内部が15℃だった。小屋に向かうみちすがら、トンボが群舞していてテラスでは本を読んでいても蚊に邪魔されなくなった。この秋の徐間伐のためにフットパス沿いで選木して歩いたが、キノコは示し合わせたようにまだ出ていない。だがもうそろそろだ。キノコが好きそうな気温になった。

■9/05 「高橋洋一」という変革

このところ、高橋洋一氏への毀誉褒貶が多いように見受けられる。必要な場合は本人が直接間接反応しているからその背景がわかる。なにせこのところ出番が多い。氏はかつてはあの不良債権問題の処理をこなしてきた人だが、小泉政権のころから、特に財政の勘所で重要な顧問(知恵袋、アドバイザー)として裏方を勤め、安倍政権に至っては財政のからくりを指南して重宝された。というよりも、財務省が省益を先行し国民の利益などあと回しにしていたことを実質上暴露した。だから、古巣から「3度殺しても殺しきれない」などと物騒なことを言われているような噂もある。本当の正義の味方をする、数少ない御仁だ。

この件では、オランダ人のカレル・ヴァン・ウォルフレンを思い出す。彼は『日本/権力の構造』や『人間を幸福にしない日本というシステム』を書いた評論家だが、後者の表題をさらに明確に世にさらしたのが高橋氏だったと思う。時おりしも、SNSが興隆しオールド・メディアが偏った報道をしていることがばれてしまい、今日ではあの日経新聞ですら財務省の言うとおりに書く御用メディアであることも白日の下にさらされた。「ザイム真理教」なる言葉も生まれ、隠語は「Z」、ウォルフレンを待つまでもなくこの感覚が共有され始めている。そのかなり大事な部分を高橋氏がリードしてきたとわたしは思っている。これは優れた政治家と並ぶ偉業、変革だと称賛したい。

■9/04 英国人の食するチーズ量



チーズで有名なチェダー地方をwalking している際に、田園地帯の林の中にひっそりと建つパブでランチを頼んだところ、山盛りのブルーチーズがでた。それは北海道でしばしば食べるゴルゴンゾーラがワンパック丸ごとの量だった。苫小牧のスーパーで買えば700円くらいする。たった1回のランチでこの量は多すぎる。塩分も脂肪もだ。

だが、こんな量のチーズを毎日食べていたら、太るのは間違いないし、体にも悪い。それに明らかに太りすぎの女性がかなりいた。俗にいう「洋ナシ型」である。しかし、その人たちは言うであろう、「だって美味しいんだもの!」。

ちなみに写真下がわたしのランチだが、焼き立てパンの右はポテトサラダその右上がくだんのブルーチーズ、中央は玉ねぎの煮たもの、向こうは野菜サラダであった。地元の女性は「こういうところはほとんど缶詰よ」と少し軽蔑するように言っていた。パブもホテルのレストランも出来合いをふんだんに使うから味はどこも一緒になる。しかしこのパブはロケーションと雰囲気がとてもよかった。地元女性も「ここはいい方」と言っており、値段は確か800円程度だったのではないか。

■9/03 身体の仕組みと漢方

スケートのレジェンド「高木美帆」は、体にセンサーを張り巡らせて鉄人の土台を作ったというエピソードを、今朝のSNSで知った。どの筋肉をどうやって鍛えるか、個別に学んだという。さすがだ。こういう考え方、取り組みはすなおに感動してしまう当方だ。だから、ホリスティック医学やヨガに惹かれる。アーユルベーダ的というべきか。痒いから軟膏を塗るというような西洋医学一辺倒の対症療法には限界があるから、自分に合った治療と養生法は自分で探さなくてはならない。

と、2週間前、皮膚科のかかりつけ医から、個人的にたどり着いた十味敗毒湯という漢方を処方してもらって飲み終えるところだ。なんと、著しく改善したのである。しつこい痒みの部分がもともとの色に変わつつあり、しかもでっぱりもへこんだ。もちろん痒みはなくなった。あと2週間処方してもらって完治できればうれしい。そして久々の成功体験になればなお良い。後期高齢者突入記念になる。

■9/02 山菜への関心度

昨日、この「迷想」で山菜への思いを『糸暦』を縁にして綴ったすぐあと、隣の町内まで自転車で行き、そこから散歩を始めた。そこで山菜に関する思わぬ発見をした。

喜ぶべきか、残念に思うべきか微妙なその発見のひとつは、緑道の分離帯に植えられた山椒の実が、誰にも採られずにまだたくさんなっていたこと。おそらく手つかずの状態だ。もう一つは、そこから100mもない広い、樹木に囲まれた公園の直径50㎝以上もある切り株に崩れたキノコが見つかったこと。外周を囲むように植えられた樹種からみて切り株はハルニレで、キノコは小さな萌えたものが黄色を帯びていたことから、あの美味しいタモギタケと推定された。

知らないものには手を出さない、食べない、これは山菜と付き合い食する際の大事な要点であるが、別の見方をすれば、北海道では庶民の山菜食のレパートリーが少ないことを意味している。自然度は高く、色々な天然のものが自生する反面、人々の付き合いは実は意外と浅いのだ。例えば松茸のような貴重で高価なものでもあれば競争になろうものの、そうでもなければ見向きもされない、というところか。この落差が北海道らしい。だから出羽屋の繫盛は、北海道の対岸にある山里文化の象徴といえるのだろう。

ちなみに、雨が上がったらこの山椒の実を摘んで食べようと思う。また、タモギタケは来年の6月末あたりから8月あたりまで毎週チェックしてみよう。いずれも適期に下見するようスケジュール表にしっかりと赤で記入した。

■9/01 旬を味わう「糸暦」

小川糸著『糸暦』を一気に読んだ。月ごとに旬の食を用意し食べていく著書の日常を、卯月から如月、弥生へと連続させていて季節を停滞させない。特に山菜への思い入れは、まさに愛とでも呼ぶべき熱が感じられたが、驚いたことに、それは紛れもなく「わたしのいつもの季節めぐり」と同じだと気づいた。彼女は今ほぼ都会の旅人、わたしは本物の田舎に住んで季節の原野の産物を自ら摘んで、採って、調理し、思いを込めて食していたのである。しかし描く人が替わればこうなるという、香り高い食紀行の一冊だった。

後半は山形の山菜オーベルジュとでも呼ぶべき「出羽屋」の話が占める。あの芸術家・岡本太郎が出羽屋をこよなく愛して足繁く来ていたというのは実に意外だった。現代アートの変人とまで評されるあの岡本が山菜と結びつかないのだ。また、彼女が八ヶ岳のふもとで二地域居住していたのは何かで知ったが、ベルリンに2,3年住んでいたのも知らなかった。

糸川さんが同郷の山形市で生まれ、わたしの実家のそばを走る国道112号を通り(おそらく)、寒河江の先にある出羽屋ひいきだというのもどこか格別な親近感がある。そして、静かな語りの中にわずか薄暗がりのような郷土感をにおわせるあたりも同郷の感性かなと思われ、心地よい余韻が残った。一方で山形がちょっともの悲しい影を帯びるのはなぜか、これはよく考えたことがない。

■8/31 浴衣着て、去る夏惜しむ



27日深夜の雷雨の後、急に涼しくなってしまった。ふと、そのうち着ようと思っていた浴衣にまだ今年は袖を通していないことに気付き、少しあわてたように朝から浴衣姿になった。実際は、お盆のころはまだ暑くて浴衣気分になれなかったのだが、温度が落ち着くと今度はこれではちょっと涼しすぎる、とどうも体感温度は浴衣着衣と折り合わないのだった。北海道の朝晩の気温差が大きいこともチャンスを逃す原因だ。浴衣は、寝苦しいような夜に向いていないか。

郷里のおふくろが縫ってくれた浴衣のほかに、和服がもう一つあってこれは決まって正月に着る。羽織まで袖を通すと、さすがに日本人になって厳かな気分になれる。この点、浴衣も気分転換にはもってこいで、スイカやら線香花火やら日本モードに似つかわしいが、残念ながらそういう気分はここでは盛り上がらない。両親とともにいたはるか昔をしばし思い出した程度。ああ、本当にはるか昔になった。だが、待てよ、あの世が近くなっているから遠い気がしないでもない。思えば不思議なリターン感覚。

■8/30 英国の風景とウォーキングの歴史

「田園に理想郷を求めて」というキャッチが帯にある、中島俊郎著『イギリス的風景』は勉強になった(ただし未だ読み切っていない)。イギリスの湖水地方に代表される田園風景が、1700年代はじめ、貴族の若者の侍従付きギリシャ・イタリア旅行「グランドツアー」を起源とし、やがて絵のような「ピクチャレスク・ツアー」につながって、湖水地方の風景の創造に結実していく。

フットパスの起源ともなる徒歩旅行、すなわち「歩いて旅する」のは貧民であるという固定観念から、れっきとした徒歩旅行を高貴なものとして位置付けるためにも散歩は正装する必要があった、とも明かされている。実際、ドイツの保養地の散策ルートでは毛皮を来て歩くご婦人を見かけたり、少なくともジャージを来て歩くような人はいなかった。正装でなくとも誰もがちゃんとした身なりである。わたしには当初どうもこれになじめなかった。

それはともかく、「田園への愛着、愛情は、世界で初めて産業革命をこうむったイギリス人の多くに共有されていた(前掲『イギリス的風景』)。田園への希求は、産業革命後の労働がいかに過酷なものだったかを示しているのだろう。今日、英国に普通にみられるうるわしき田園風景が、エンクロージャーも含めこのような庶民の長い獲得の歴史だったことは、これまでも多くの文献で見てきた通りだった。この著書はそのいきさつを退屈になるくらい、実に丁寧にち密に書き綴っている。

その徒歩旅行では旅行記が生まれた。ワーズワスはそこで詩を生んだ。出口保夫著『ワーズワス 田園への招待』によれば、それまで西洋人は自然を畏怖するという心は育たなかった、自然を神秘的な存在とは見做してこなかった、自然の中に神を見出すアニミズム信仰や多神教思想を伴うワーズワスの思想は東洋にもつながる一面を持っている、というが、それはワーズワスをもって嚆矢とするようなイメージが書かれている。そしてそのワーズワスのふるさとは湖水地方であった。

英国はひとつ風景や田園や庭園の歴史をみてもそこに記述として流れがわかるようにできている。しかも、それを日本人の研究者や文学者が次々と訪れ、経験し、記録にとどめていることが背景にある。いかに英国が文明や文化の先頭を走っていたか、日本にとってもろもろ示唆に富む国だったことを物語る。

今朝の日曜美術館では、大英博物館の保管する1700年代の絵巻物屏風の展示が話題だったが、語り継ぐこと、継承することにエネルギーを費やす深いふところがないと、文化は衰退し、時に滅びるという鉄則を学ぶようだった。略奪もおおいにしたではないか、と指さすことはここではしないで、あくなき文化収集とまとめという点で英国の国柄を記すにとどめておきたい。

■8/29 久々の雷雨で季節替わる



8/7 は立秋、暑さの終わるとされる処暑が 8/23 、そして一昨日8/27 の深夜は線状降水帯ができて苫小牧は雷を伴う大雨となり、警戒レベル4とされた。行政から避難指示は出なかったが、アッと驚く雷鳴にたじろいだ。9月7日の白露まで1週間以上はあるが、もうすっかり秋である。雷が落ちると季節が替わる。

昨日の小屋は20℃くらいだったので木陰で読書をするには寒くて、ウインドブレーカーを来てファスナーを首まで上げた。いよいよ、秋突入だ。急に涼しさどころか寒さへと変わり、怖れがちらついてくる。小屋や自宅前に積んだ薪がどっと視野に迫ってくる。さて煙突掃除はいつにするか。

■8/28 JAZZ の心地良さ、やっと知る

ずっと長い間、「わかろう」としていたジャンルだ。無理してジャズ喫茶に行っていたこともある。理解しようとしていた。ただ、ビッグバンドのデキシーランドなど一部は楽しく聞けた。あんな風に弾けたら、とピアノの家庭教師に自宅でブグウギを習ったこともあった。ある小さなライブで若いキーボード奏者が「所詮、ジャズですから(適当に感じてくれたらOK)」と突き放したようなことを言っていたのを妙に覚えている。「難しく考えることはないんですよ…」と言いたげだった。

数年前、山仲間から落語やクラシックなど雑多なジャンルの芸能や音楽が入ったメモリーカードを借りてコピーし車中で聞いている中に、かなりの数のジャズが硬軟取り混ぜてあって、「適当に」聞いている間に、あ、これかと思った。リズム、音符にこちらのどこかが微妙に反応しているだけでよい。理解などどうでもよい。

そんな折、こんな夫婦とネットで出会った。阿部大輔と津川久里子のJAZZである。特にウッドベースの音色にずっと惹かれてきたので、すぐファンになった。日本人と英語とジャズ、夫婦の在り方、みたいな自然の語りもいい。この動画はその中でもわたしの好きなボサノバ調で驚いた一本。75歳を前にしてやっとたどり着いた待望の境地かも。

■8/27 草の上で魚釣る



このところの facebook で、昨年あたりから顕著になったのが、欧米人によるフライフィッシングのダブルハンドを使ったキャスティングのデモだ。これが急激に増えた。従来の定番スペイ・キャストとは大分違ったトリッキーなものもある。その刺激を受けて、この春から静川の小屋番のあとには大島山林の薪ヤードに寄って、ダブルハンドのキャスティングを夕方の日課にしている。

今日は Sage #10のダブルよりもずっと軽めの#6の Orvis のロッドにした。6番は久々だが、まずまずいつも通りのキャストはできる。だが動画にあるようなラインを弄ぶような技はまだちょっとうまくいかない。開けた、刈り払われた草地だから、バックキャストのラインループをゆっくり確かめながらできる。

これでも充分楽しい。キャスティングはこれだけでも大会があるくらいだからそのはずである。もう渓流や岩ごつごつの湖でフライをすることは不可能になりつつあるのは残念だが、こうしてシャドウを楽しみながら、歩きやすい大きな川や、砂地の湖、そして樽前浜でのキャスティングに備えておくのは理にかなった心得だと思う。何事にも言えるが、工夫して上達していく楽しさは格別にある。


■8/26 雲水のように小さな庭を掃く

毎朝、5時から6時の、町内が寝静まっている間に、小さな庭の花弁や葉っぱを箒で履く。ほんの5分や10分の些細な仕事だが、修行中の雲水が行う作務を連想する。特定の宗教心はないと思うけれども社会に面した庭という顔をきれいにしておきたいという気持ちは、どこか通じるものはあるかもしれない。身辺をイヤシロチに保ちたい、保つべきという教えに近い。

■8/25 川柳をものすことに

まだいける エアコンオフで夏終わり
 …てなことなら買わなければよかったのに。(-_-;)

OB会病気自慢で佳境入る
 …思わぬ大病自慢に、負けた~と励まされたりして。(^^♪

痩せないな~ 晩酌止めれば? それは酷
 …太めの理由探ってたどり着く解は、見て見ぬふりを。(^_-)-☆

彼どした あいつは生きてる オレはボケ
 …それぞれに「心身」の事情がある。大なり小なり、いずれお互い間違いなくあの世に行く。

*何でもないことを書き留めたい気がして、ふと、川柳に初めて手を出してみた。座って、書きだして、15分。4つも出たらまずまずか。己れと周りを笑い飛ばすにいい道具。自分で突っ込んでみるのも面白い視点だと知った。いずれ政治ネタ、社会ネタにもチャレンジしたいが、タイムリーにできるか。

■8/24 包丁の研ぎなおし



刃先の中央部分がへこんでしまい、切り残すことが多くなった包丁がある。若いころに買ったもので何でもこれで用を足していたが、研ぎ方がまずかった。修復するチャンスをねらっていたことも忘れていたら、昨日、ショッピングセンターの入り口に研ぎなおしのマイクろバスが止まっているのを見つけた。相談してから出直して包丁を包んで持ち出し研いでもらった。片刃の菜切り包丁で、堺重光と印字がある。

家人には台所の狭い包丁スペースでは邪魔だと言われ、大ぶりの出刃包丁とともに書斎にしまっておいたものだ。この出刃は先日、キングサーモンのかまを裁く際に使ったばかりで、最近は安来で買った小さなアジ出刃でイカを裁く程度、この菜切り包丁は実は切れ味抜群で思い出深い代物だった。

この度、ようやく復活である。小一時間、グラインダーを使わない手研ぎで1,200円だった。研ぎ士のプロフィールを見たら、名前のある映画監督で、親の介護で北海道に戻り、宮分の社長と縁あって研ぎ部門の統括をしていたがこの一、二年の間に独立して出張研ぎの世界に入ったとある。紹介された名前をネットで検索すると、関わった映画作品がいくつも出てきた。

思いがけないところにドラマがあるものだ。こちらには包丁を握る楽しみが増えた。

■8/23 風土の共有と武四郎涅槃図

昨日、小屋のテラスで鳥見をしている際、ひょんなことから松浦武四郎の涅槃図を思い出して、画像を調べてみた。財団の仕事で上野遊水地を視察した際に立ち寄った松阪市の記念館で見たものだった。風土の共有とはこういうことか、とふと膝を打った。廟の周りの生き物たちは武四郎が蝦夷地で見たそのものだっただろう。

■8/22 ブッシュカッター使いつつ

この今年一番かと思う日、わざわざ刈払いでブッシュカッターを使うことはあるまいに…、と思いつつ、2時過ぎからエンジンをふかした。意外と爽快で小屋のベランダの温度計は29℃だった。伸びる雑草と、手入れするよぼよぼのオヤジ。しかし手仕事の面白みは刈払いにもある。今、『クラフトフルネス』という本をチラ見しているが、どこか通じる。

■8/21 風土に包まれる安心

白黒テレビなるものを見るようになってから、NHKの新日本紀行や日本風土記のような番組に、特別に惹かれたまま今日に至った。その背景にはどんな意味が隠されているか、実は今も理由を探し続けている。この命題は、土地に生きる、人としての在り方に深くつながっているように思うからだ。

日本百景や自然のアルバム的なものも別番組としてあるが、風土記のひとつの枝葉だと言える。風土の科学的データに当たる博物学のようなジャンルへの関心は、恐らく小学校の恩師によって途を開かれたと思う。当時は気づかなかったその有難い指導(導き)のおかげで、一生の仕事のジャンルもそちら方面に流れた。そして今の自分も、恩師がやがて郷土史の研究に入っていった足取りのように、わたしもそのあたりに近づいているようだ。

風土とは自然も社会も歴史も一切合切まとめてのとらえ方である。分類して細部を究明していく科学とは逆方向かもしれない。そこにもう一つ、土地土地の神様、産土(うぶすな)もわたしは含めたい。ここまでくると、もう科学でも何でもない、妄想、迷想の世界だと言われる。

ところで、風土をしみじみと味わったり産土を感じたりするには、ある程度の時間や契機が必要だ。それにスピリチャル系に対する個々人の許容もあるだろう。そこに欠かせないのは山や川や森、山川草木、森羅万象である。神々が宿るという自然だ。日本や世界各地の自然に触れ歩く喜びもあれば、故郷のようなある地域、いわば定点で付き合いと理解を深める満足や幸福もある。昔々、公務員だった上司に「君の話はしばしば民話風だね」と揶揄されたが、まさにそれである。70台半ばで、今、その最も居心地のいい伸び伸びした域に達した。

ただ、こういった漠然と自然や人をとらえて思いを致す習癖は、やはり和辻哲郎の『風土』にきっかけがなかったかと思う。そしていささか哲学っぽい混沌に入り込んだまま抜け出せない、というところか。自然へのアプローチをやや宗教の色合いを重ねるようになったのも小学校高学年で読んだ中西悟堂のシリーズ『定本・野鳥記』が影響していないだろうか。こうやって思い出せば、そこかしこに分かれ道はあったのである。

なんだかんだ屁理屈を付けて自然が比較的豊富な土地に「長居する」というのは、実はそこに安心があるからであろう。そしていわゆる「骨を埋める」とはこのことを指すのだろう。年齢に相応する満足と安心、そして喜びのようなものを感じていられるのは、風土とともにあることが大きい、これはわたしの近年のささやかな発見だ。

■8/20 貨幣状湿疹の治療、漢方に切り替え

数年前から皮膚科への通院が続いた。ドクガには2年連続で、その後帯状疱疹、そして相前後して貨幣状湿疹なるものにかかり、これが治らない。貨幣状湿疹なるる名称も、実は地元のかかりつけ医が呼んだ病名でなく、札幌の別の医院で診断された名称だった。ちょっと申し訳なかったが、地元のドクターには札幌では「貨幣状湿疹」という病名を言われた、とはっきり申し上げ、この頃は地元医も以前は口にしなかったこの病名を使っている。

今回は、処方された軟膏ではあまりに治らないので漢方を処方してほしいと申し出た。事前に症状を聞きに来た若い看護師は最初から妙にイラついていて大声でネガティブな受け答えだったから、そろそろこの医院はやめようかと考え始めた。そこにドクターが顔を出して、普段扱っていないという漢方の話を持ち出したから、ちょっと微妙な雰囲気になった。しかしドクターは、一瞬いやそうな表情を見せたが私のいう漢方を別室に調べに行き、保健が効くもので2週間分だけ出しましょう、と折り合えた。

漢方はかつて3,4つの病気を治癒した経験があり、と同時に、高齢者特有の衰えは、身体の内部から治癒する必要があるような、漠然とした思いが強い。人間が本来的に持っている恒常性(ホメオスタシス)に期待するのでホリスティック医療やナチュラル・メディスンの領域に、森林療法をフォローしていた時代から高い関心を持ってきたこととつながっているのである。「情報は?」と聞かれたので「症状を入力しAIで調べてアタリをつけました」と答えた。下手な問診は、もうAIに役割を移しかねない。そしてこれから2週間、自分で実験台になる医療である。

■8/19 Bristol という偶然と幸運

勤務していた財団研究所で事務局をしていたコモンズ研究会では、苫東コモンズを含む一連の研究テーマをまとめる意味合いから、急遽、英国とフィンランドに現地調査に向かってはどうかと提案し、すぐ合意が得られた。仕事の側面は強かったものの年休をとって若干の助成を受けつつも経費は基本的に自費というたった3人の調査旅行だ。コモンズを法律や規則で運営する英国と、自然度が高く他人の土地でもルールを守れば立ち入りはもちろんテントを張って泊れるというフィンランドを比較しながら、北海道におけるコモンズのあり方を考察したいというのが狙いだった。当初から北海道の自然と土地所有感覚は人口密度から言ってもフィンランドに近い、という予測をしていた。

この数年前、研究所でソーシャル・キャピタルを研究する一環で地域SNSを立ち上げ運営しており、管理人がわたしだった。北海道のためになる北海道のSNSというふれこみが良かったのか、小樽出身で本州在住の大学教授と、札幌出身でブリストルで活躍する女性がメールでアクセスしてきてメンバーになった。道内では走りの地域SNSで最も多い時で500人もいた。英国の訪問地は、フットパスというコモンズをコッツウォルズというwalking の盛んなエリアを想定していたので、その近くの歴史ある交通の要衝ブリストルは最適だった。かつては奴隷貿易で栄えた港町である。

早速SNSメンバーでもある彼女とコンタクトを取り、現地で案内のアポをとった。また、walking の著名な団体 Ramblers の支部もあり、もと国の役人でフットパス関連の法整備にかかわったという女性などへの取材交渉なども札幌出身の彼女がやってくれた。また、当時、EUの施策である Community Forest の Avon Trust がブリストルにあるためにここをヒアリングできるというのも良かった。ブリストルを選べたのは思えば度重なる偶然のおかげだったが、今もってブリストルで英国の側面を見ることができたのは幸運だったと思う。

■8/18 他人が所有する、美しい田園風景の中を歩ける、という憧れ





ゆるやかな起伏の田園風景は美瑛などを例に出すまでもなく美しさが群を抜く。その中でも延々と続く牧場は、北海道では歩かせてくれるところはまずないのは残念だ。英国は、昔から村人が往来に使っていたという証明があれば、他人の土地でもフットパスとして認めてもらえる素晴らしいルールがある。ただし、牛たちが逃げないよう、柵を超えるゲートがあちこちにあって、それを跨いだり押したりして超えた。遠くまで見通せてクマがいないから解放される。風景を心から楽しむことのできる場とルールが整っているのは、田園風景を愛好するものにとって実にうらやましい。(画像は英国西海岸・ブリストル郊外)

■8/17 強力なマインドコントロール考、『「反日」という病』

副題は「GHQ・メディアによる洗脳を解く」、著者は木佐芳男氏で2018年に幻冬舎から出された。わたしが歴史、特に近現代史の無学に気づいてから一時は猛烈に読んで今も高め安定の日本現代史、特に大東亜戦争以後のエキスがほぼ満載されている。だから初めて知ったような驚きは大きくなかったが、これまで読んだ内容に新たに加わったジャンルがある。興味深かったそれは、岸田秀氏など精神科医による日本人の集団心理の分析である。言ってみれば「日本人のあなたはマインドコントロールにかかっている」というショッキングな分析である。参考文献リストが巻末に12ページある。ドイツなど欧州を含め、歴史学者、ジャーナリストなどの取材を踏まえた渾身の力作だ。

日本人の多くが自虐的な現代史観に陥ったのはGHQによる洗脳、マインドコントロールによることと気づくのは、実は容易ではない。そう仕向けたのは、東京裁判、新憲法、それと戦勝国である米国のWGIP作戦(War Guilty Information Program)である。このWGIP は実に用意周到に仕組まれ、プレスコードやラジオ放送による(米国寄り)真相プロパガンダ、焚書(皇統に関する文献などを焼却廃棄)など多岐にわたっていて、近年の米国の要人が「これほど効くとは思わなかった」と言ったという。今日のメディアの反日ぶり、自虐ぶりの発端はここにあるというべきかと思われる。戦争を扇動したメディアがこぞって反日的スタンスに転向した背景には、「自分たちはWGIP に従い反省した善い人だ」という巧みな転身があるとも指摘している。

このいきさつは、進駐軍を指揮したあのマッカーサー元帥が1951年5月3日にアメリカ上院軍事合同委員会で証言(偽証罪に問われる場)した内容が如実に示している。「Their [Japanese peaple's] purpose, therefore , in going to war was largely dictated by security. …したがって、彼ら(日本人)が戦争に突入した目的は、主にセキュリティ上の理由から、余儀なくされたものだった。」

また洗脳ぶりを示す指標として筆者・木佐氏は MC(mind control) 度なるものを提言している。定義が今一つわからない。が、自分がどれほど洗脳されているか、つまりMC度をを自己診断するには、個人的には南京大虐殺といわれる戦時中の事件があった、と信じるかどうかでわかると考えている。「南京」はまるでリトマス試験紙のような機能を持っている。戦後教育に教えられたままでいれば(=洗脳されたままであれば)、あの忌まわしい「南京大虐殺」は日本軍の手によって実在したものだろう、と見ているはずだ(=推定有罪)。わたしの周辺の多くも実はMC度は高く、楽しく歓談している途中、この件で大きく意見が相違したこともあり、それ以来、大きく溝ができたという残念な経験もある。俗に北と南の辺境にはリベラルが多いと言われてきたが、まさにそのような現実の中にある。この大いなる病から抜け出る方策と、戦後レジームからの脱却は実は双子のようなものである。

■8/16 旅のきっかけ、本の動機

歴史学者・磯田道史氏が京都の骨董街を歩くBS番組を見た。毎年京都には目的をもって旅行するが、歴史学者のメガネで街を見せられてなお一段と興味がわく。さすがに奥がある。骨董屋の店主との語りのうちに、ある言葉がきっかけとなって新たな掛け軸などが出てくると、磯田氏は「これを蔵の奥が深いというんですよね」と語っていた。家すじがよくて子供の時から古文書を読めたという。京都では御所の西にある宿に泊まることが多いので、骨董街は御所の東を通る寺町通りにあるから近い。昨年も歩いたがまた歩いてみる気になった。が、いかんせん京都の骨董は敷居が高すぎる。自然だらけの北海道から出ていく田舎者は、つい、尻込みしてしまいそうだ。

ところで、旅先というのはピピっとひらめき運命づけられるような気がする。芋づるのように興味がつながっていく。本も同じだ。ある本の中のある言葉や地名や名前がきっかけとなって、自分のちっぽけな知のため池にガラクタのようなものが集まって、まもなく忘れ去られる。これでいいのである。それが次の旅につながることもよくある。だから足腰はくれぐれも大事だと思う。

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