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●日々の迷想 2021& 2022
2021
first upload: Nov. 29 , 1998
last upload: Aug 06
, 2022


日々の迷想

■8/6 ボサノバに本格的に乗り出す
半世紀以上前の高校時代にボサノバに出会い、遠回りながらクラシックギターを始めた。勤め人となり子供ができたころから長く中断していたのを、リタイヤしてから少しずつクラシックギターを再開して、今や学生時代より上達しているような気がする。そこで一念発起して、本格的に本命だったボサノバに精を出すことにした。札幌の青年寄宿舎時代の舎生たちは、わたしの下手なボサノバ風のつぶやきを聞かされて迷惑したはずだが、今回は you tube でいい先生が見つかったので、なんとかいけそうだ。久々に胸が躍った。

■8/4 林を庭のように扱う

霧の晴れ間に大島山林に出かけて、林の散策におけるお休みどころの仕上げをして来た。仕上げと言っても、椅子やテーブル、それとベンチが居心地のいいように周りを刈り払っただけだが、これをするかしないかでは、天地の差がある。一方は月見草やスイバの雑草、片やはオオバコがびっしり生えていた。

■8/1 『手仕事の日本』を読んで
6/30の迷想に書いた『民藝の日本』に続いて、同じ著者・柳宗悦のこの本を読んだ。歴史学者の熊倉功夫は「・・・(柳は)そうした日常の道具の美しさを指摘した最初の人物であった。そして美に輝く日常の道具を民衆的工芸の立場から「民藝」と名付けた。これは新しい美の発見であり、新しい美の創造であった。民藝の思想こそ、近代日本が生んだ普遍性をもつ数少ない思想のひとつ・・」と解説している。この、身の丈の庶民の実用のモノと評価に、今まで感じたことのない地鳴りのような感動を覚えた。『手仕事の日本』は手仕事の全国案内マップのようなものであるが、特に東北に多くのページが割かれ、郷里山形の民藝が数多く紹介されていることもうれしい発見であると同時に、独自の民藝を生むほど、中央の文明から隔絶された地勢にあったことを思い起こさせた。

■7/30 これまでで一番大きい

刈り払いをしている苫小牧市静川のログハウス脇の林道に、大きな足跡があった。おそらく、かつてない大きさだ。あってみたい気もする。

■7/28 十分な条件下で花々を育てると


今年も短い花の季節がやってきた。北海道の花期は6月中旬ころから霜が降りる10月下旬までの約4か月だが、日本では珍しく春に植えた西洋起源の1年草が霜までずっと咲き続けさせることができる。春、十分な量と質の化学肥料と元肥を埋め込むことによって、手間いらずにほぼ勝手にモリモリに育つのを眺めるのは格別である。一粒の種から大きな大根や白菜を育てるのと基本は一緒だが、花は鑑賞、野菜は食がついて来る。 生き物は人間も含めて、育つに足る十分な環境を与えてお互いに信頼関係ができれば、実に伸び伸びと育つという見本のようなものだ。しかし、我が家の子育てでは決してそうはいかず失敗の連続だったように思い出す。逆にもしも勝手にたくましく育ってもらうことができたのならば、親としてラッキーだったとしか言いようがない。人を育てるのは花や野菜のようにはいかなかった。だから「あとは自分で育ってくれ」というメッセージをだしている。

ところで、華やかな花たちは、くすんだ薪棚と結構好対照をなしておさまりが良い。6月中頃、直径25cm程のハンギングバスケットが今、40cmを超えて、お盆ころには70cmくらいになる。各々の能力いっぱいに咲き誇るそのさまを見るのが楽しみで、毎年、ガーデニングのトレンドから外れて、飽きもせず、まったく古いタイプの花飾りを続けている。野菜づくりもきっとそうだと思うが、関わる植物が伸び伸び喜んでいるようなのは、まさに至福のイヤシロチの世界で、裏返せば世間へのメッセージでもある。庭や林におけるわたしの目標はこのあたりだと思っている。

■7/26 生活ヨガ
20年前に読んだ龍村修著『生き方としてのヨガ』を読み直している。龍村さんは映画監督・龍村仁さんの弟で、ヨガの師匠は沖正弘師。生活ヨガという求道スタイルは沖氏の教えである。朝、起きがけに呼吸や洗心に思いをいたし体をゆっくりゆるめ、ややしてこの本の数ページを読んで一日が始まる。人はほおっておくと、感謝や下座や奉仕の心を忘れてしまう。そこにクサビを打つように、生活の中のヨガで心身を律する、というわけである。ヨガは不立文字とされ、言葉で覚えるのではなく実践でしか体得できないという。龍村氏は沖正弘師から、30年はモノは書かずに修行に励め、と教えられ実行したという。慢心せずに死ぬまでたゆまず励む、というのは終わりのない積極心の発露である。自分の今を修行の位置にある、と思い込ませることで凡人の背筋がピンと伸びるらしい。

■7/24 庭の花が盛り上がってきて
一日の最高気温が25℃前後になり、霧と雨が続いてあまり快適な日々とはいいがたい。しかし、林の緑は濃く、旺盛に成長しているぞ~、という「気」が満ちている。庭のコンテナやハンギングの花々も、日に日にモリモリになっているのがわかる。生き物にとっては十分満足できる環境なのだろう。昨日訪れた本田山林は、すでにキノコの大饗宴が始まっていた。生き物の本当に好む環境とは、熱帯雨林、つまり rain-forest と呼ばれ象徴する「高温多湿」なのだろうと思えてくる。

■7/21 英国式庭園で目を養生


イコロの森で、MICHIKO展を見る。色紙による不思議な世界が醸し出されている。イコロは本場に負けないイングリッシュガーデンとして評価も高いが、右下の写真のように、ガーデンを切り盛りするガーデナーやスタッフ、経営者の継続に頭が下がる思いで、いつも見るのである。この植苗地区が炭焼きのメッカだったことにちなんで、創立の初代社長Sさんは、当時の地元の古老を探し出し炭焼きを始めたのだが、わたしの部屋には、その炭のオブジェというか、まじないのようなモノがいくつか残っている。ひと箱約3千円の、決して安いものではなかったが、場の気を浄化するものとして、当時何人かの知人・友人に贈った。しかし、「これ、何にするの?」という正直で素直な問い合わせがきて、簡単に説明ができないために言葉に詰まったことを思い出した。Sさんはそんなシュールな世界も好きで、このギャラリーは、新月伐採で製材された木材でできているはずだ。まじないの炭は、新月伐採のそれと似て、しゃべるのが実にもどかしい。(-_-;)

■7/19 脳のトレーニングなるもの
脳は衰えるという医学の教えは、いい年になれば、「言われなくたってわかる」、とほざくようになるもの。60前後からそれとなく自覚症状もあるから、脳トレのメニュウを探していて年明けころに出会ったのが「数独」、ナンプレだった。正直に言えば、わざとアプロ―チしないで来た。それを、ある月刊誌の巻末のそれから始めて、今は中級の、16分あたりを目標とするレベルをこなしている。そうこうしている間に、脳トレは習慣化してしまい、朝から早々に手掛けないと気持ちが悪いことになった。それに、トレーニングと割り切って向き合えば、プラス面は意外に多いとわかった。悠々自適もいいけれども、色々なアンテナを伸ばし、衰退に身を任せることなく、アグレッシブに方向を変えた方が良い、ということが、な~んとなくわかって来た。数独、この発見と自覚は、結構大きいような気がする。

■7/17 林の中では、薪は土に還る

薪づくり作業を一段落して、山仕事の半分は当分平木沼緑地に移動する。うまくいけば、3年放置したフットパスを完全復活させ、室内が暗いログハウスに灯り採りの窓を増設したい。そんな里山景観維持をイメージしながら一帯の片づけをしていると、入口のサインを積んだ古い薪が先々週の風で崩れ落ち、半端にしたままだったことを思い出して応急処置をした。

入口サインと言っても、要らなくなった薪を積んで、栗の木の厚い板にNPO名を書き込んだだけのものだが、薪は見事に腐って一部はボロボロに崩れた。林の中に野積みした薪は、たちどころにしてこのように腐敗する。カビやバクテリアの棲み処となるのであろう。だから、適度な湿度と陽光を得られる雑木林は、生き物の楽園なのだろう。遠浅のヤードとここではそれ程の立地環境の差がある。材を抜き取るところ、薪にして干すところ、木材を腐らせ土に還すところ、その微妙な差が地続きになって使い分けるのが面白い。

7/13 歌に見る庶民の共感 12
戦争も経済不況も安全保障も、今日この頃の絵にかいたような不安材料ですが、そこへ安倍元首相の暗殺テロまで起きてしまいました。日本の歴史に誇りを持てず否定する人も多くいるようで、このままでは日本は滅びる、と警鐘を鳴らす識者も出ています。ところで、庶民は今日も、足元の生活を見つめます。合掌
◎山里の観音堂は訪ふ人の少なけれども掃かれてありぬ  (青森 Sさん)
…里山の大木に注連縄を取りつけるときに、天から覚悟を聞かれた。あとあとまで、周りの薮の手入れや草刈りができるのか、と。人はあまり来ないのだけれど、どうやら荒らさないでいる。この冬は、この大木に枝が触れていた木を念願かなって伐らせてもらい薪にした。神の座はいつも掃き清めておきたい。理想は伊勢神宮のようにありたいがこれはかなわない
◎この人はわたしの事が嫌いだと気付いたときに楽になりたり  (狭山市 Oさん)
…人は人と離れられるとわかった時、ああ良かったと安堵する時もある。うらがえせば、なんとか取りなして仲良くしようという圧力を人は感じているのだ。なかなか言えない心のひだだが、よくぞ短歌で。
◎認知症とんと縁なき米寿母むしりし草を図鑑で調ぶ  (埼玉 Kさん)
…お見事、かくありたいもの。脳の体操と好奇心。簡単そうでもこれがなかなか難しい。しかし、この衰えに逆行して難行を働き、きしむ脳と体に、すこし快感を覚えるようになった。
◎雀より小さくなりてあの母が「しんどいよお」とぽつりと言えり  (垂水市 Iさん)
…偶然、母もの、ふるさとバージョンが続いた。親になってわかる親心、古希すぎて見える人生、ふるさとも受け入れつつ。

■7/10 江之浦測候所の世界

日曜美術館が「江之浦測候所」を特集していた。何とも不思議な世界を、制作者の杉本博司氏の解説を聞きながら、2年前の訪問の時に感じた不思議な印象がよりリアルにイメージされる。解説は、まるで膝を叩くような話しばかりで、波長が合う感じ。自分の位置を知るのがアートである、と語り、自分が何かに支えられていることを知るのが…、などとわたしのモヤモヤを晴らしてくれる。5億年前の隕石と、遥か昔の三葉虫の化石と5000年前の縄文時代のなにかと、ついこの前の肥えひしゃくが並べられた旧みかん小屋は、年月を濃縮した空間なのだ、とも。ここまでで10年かかり、5000年後に完成だという。なるほど、プロジェクトのスケール感がまるで違う。

■7/0 今年のハスカップ事情とマメコバチのこと

今年もハスカップの成りは順調でなく、栽培農家のYさんに畑の様子をきいたら、これまでの40年で最悪という。早なりだった昨年は秋にハスカップはまた花が咲き実も着けたというから、今年の樹勢の衰えは止められなかった模様だ。そしてついに、受粉をつかさどる昆虫はマメコバチだとわかった、という話を聞いた。リンゴの受粉にも使われる小さなハチで、ハスカップの畑にネットを張ってみたら大量のマメコバチを補足したとのこと。今まで、明確には見つかっていなかったので、興味深い。余りに見つからないので、わたしは夜の蛾ではないかと、夜中に観察に行ったこともある。

厚真の帰途、K先生らと遠浅の「そば哲」に寄ると、大旦那の奥さまとハスカップの話になり、ねだったわけではないがデザートとして特別サービス・庭のハスカップを出してくれた。これに久々にグラニュウ糖を振りかけて食べてみたら、やはり、美味しい。昔、ハスカップはこうして食されていたというのもわかる。苦み、渋みと、砂糖のストレートな甘みがコラボする。

店はいつも大繁盛だ。今年のコテージガーデンの様子を奥さまに聞くと、忙しくて庭に手が回らない、とこぼしておられた。趣味と実益は必ずしも両立しないようだが、荒れてはいない。少しほったらかしで、カントリーガーデンの趣が引き立っている。雑草の刈込が送れている程度か。ハスカップの成りと似て、ジューンベリーのトンネルもまったく実が見えなかったが、その一角にウッドデッキが涼し気に置いてあった。大島山林のフットパスにもこんなベンチとテーブルが欲しいね、と話しにしていたところだ。




●日々の迷想 2021& 2022