晴林雨読願望 take /草苅 健のホームページ 勇払原野のコナラ主体の雑木林。ここは中層をウシコロシの黄色が占めている |
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●コンテンツ一覧 ●日々の迷想 2021& 2022 & 2023 & 2024 2021 |
first upload: Nov. 29 , 1998 last upload: Sept 09, 2024 |
日々の迷想 ■9/09 過ぎ去るか、夏 夏と言えば、郷里のブランド「こなす」の朝漬け。郷里の義姉が亡くなる以前から、もうこの名物は届かなくなったが時折札幌のデパートで手に入る。これは家人が今年7月4日に購入した逸品。あれは夏の走りだったが、あれからもう2か月。まだ猛暑が続く。「こなす」が食べたい。 ■9/08 令和6年読書の旅 『司馬遼太郎の風景 全11巻』(NHK出版)を全巻読み終えたのは先月の8月27日だった。晴林雨読の積極的実践は見事に成功し、週2,3日の山仕事と読書が習慣化して、まさにリタイヤ後の夢の実現だ。 読書は旅である。居ながらにして世界中の事物と哲学を学び魂が喜ぶ体験ができる。現在も数冊同時に読み進んでいる。「冥想ヨガ入門」(沖正弘著、再々々・・読)、「森林未来会議(熊崎実ら共著)、「北欧の森林」(舘脇操著)、「地域政策の新たな潮流」(小磯修二著)、「あたらしい家中華」(酒徒著)、「びんぼう草」(群ようこ著)、「ケルト紀行」(松島駿二郎著)、「沈黙の作法」(山折哲雄・柳美里対談)、そしておととい、「CARPE DIEM 今この瞬間を生きて」(ヤマザキマリ)を読み始めた。このほかに定期購読の月刊誌を3つ読み進めるから、当然座りっぱなしになってしまう。だから腰と気晴らしのためせっせと歩かざるを得ない。 ■9/06 公園のマップを持って家人と歩く 先日来、夕食のときなど森林公園の walking の話をしていたせいか、今日の散歩には一緒に行こうかな、と家人が言う。毎日、買い物と散歩を兼ねて6,7km歩く人だから、わたしの walking など笑われそうだったが、成果は5km、案の定、鼻で小さく笑われた。しかし、個人的には収穫があった。径沿いの伐倒され朽ちた木々たちの風景もいいかなと、ごく自然に思えてきたのである。 ■9/03 森林公園を歩く 自宅を起点とゴールにする散歩にほとほと飽きて、最近は錦大沼や北大研究林、ふるさと護岸の海辺をルートにしている。このところは久々に金太郎御池や高丘の森林公園を選んでいる。この日は4.7km、山坂を含み1時間半ほど。 金太郎の池周辺は市民の憩いの場で、老若男女が憩う。サンガーデンのある中央公園が苫小牧の「セントラルパーク」とすれば、高丘森林公園は、「ウィーンの森」か。高校生らのジョギングから犬の散歩、車いすなど様々。駅かいわいに若者が居らず、どこへいったあ、といぶかるムキには是非、金太郎の池あたりを訪れてほしい。運動公園87ha、森林公園216haだから一帯だけで約300haある。苫小牧市ならではのさすがのインフラだ。市民一人当たりの都市公園面積はたしか62平方mで全国16位、北海道では6位。 マカバの広場、展望広場をめぐった。簡易舗装にマカバの落ち葉が目立ったころに到着。出会った人はゼロ、シカは6,7頭。 展望広場へは歩きやすいフットパスになっていて雑草はほとんどない。ヒグマを怖がるから市民の足が遠のくかもしれないがヒトの足跡はかなりある。結構、本格的な山道歩きになる。翌9/4 は大島山林をほぼ同じ距離歩いたが、NPOが維持する公園とは管理レベルが大分違う。その差は仕方がない。 ■9/02 NHKの受診料支払いに待った NHK国際ニュースの中国語放送で、日本の歴史と国益に反する発言をした事実に対する処理に不満である。なんとか受診料契約を破棄したくて調べてみたが妙案がない。正面からNHKあてに実名でメールを出すのが当面の方法かと思っているが、肚の虫が納まらない。埋蔵金たっぷりなのに前期150億の赤字と決算処理したり、職員の平均年俸が1800万とは高すぎる。報道内容も偏りを感じる。スクランブルになってほしいと願う昨今は、やたらと災害ニュースで延々と頑張って見せている。やはりなんとも肚の虫が納まらない。 ■8/31 苫小牧の生物多様性戦略 8/30 は4回目の戦略策定員会に出席して、午前はヒグマ勉強会、午後は委員会本番の検討会議だった。研究者や地域活動に参加される多くの方々と行政の事務局の方々のやりとりに耳を傾けながら、約半世紀、ここ勇払原野の風土に身を置いている住民として議論のところどころで思うところを述べさせてもらった。街づくりや緑化などいろいろな委員会に呼ばれて参加したことがあるが、生物多様性戦略は都市計画も包含する非常に総括的なテーマであるだけに興味は尽きない。わたしの来し方と重なるところが大きいせいであろう。この機会に少し明るい未来が描けないものか。 ■8/28 究極のアウトドア「庭の掃き掃除」と「草むしり」 庭に落ちた園芸植物の花びらなどを掃く早朝の「掃き掃除」は、まるで古刹の雲水がつとめる作務ににて、心静まる特別な時間である。これを夕方まで一日3,4回行う日もある。また、カンカン照りの昼日中、ニーパッドをつけて這いつくばりながら行う「草むしり」も、清める楽しみとともに苦行のような自虐的快感みたいなものがある。今年もこれでずいぶん蚊やブヨに刺された。もう出かけることも無くなったせいもあり、これらは最後まで続く究極のアウトドアライフになるのではないか。 ■8/25 呼吸法 人間の機能は意識しなくても自律的に動くが、呼吸は無意識でも継続され、意識的に変えられる。それを利用してメンタルな操作をするのがヨガを起源とする座禅などの呼吸法だ。早朝の冥想では、般若心経を数回唱えたり数を数えたりしてから情動を止滅させていくが、先日来、イントロは山折哲雄氏の呼吸を真似して実践している。氏は、結跏趺坐をして線香をたて半眼で呼吸する。1と2で吸い、3,4,5,6と吐いて、7,8は停めるという繰り返しである。7,8はヨガでは保留息とかクンバクというもので、これまでのわたしの呼吸法とはクンバクをどこでいくつするかがちょっと違う。 山折氏の呼吸法はこれが意外と自然で気に入った。いろいろな入門や方法があるが、ヨガは実践でしか体得できない。頭ではなく体で覚える。アイヌやケルトが文字を持たず伝承させていることとも通ずる。文字化するとそれがゴールになって真実は逆に伝わらなくなる、という理由だ。マニュアルができるとある程度は真似るが、真の到達とは離れてしまうという逆説があるようだ。なるほどだと思う。 ■8/22 地域密着型 社会の中で自分がどんな位置にいるのか、というのは普段まったく気にもしないでいても、時として向こう側から知らされることもあるし、うすうす感じ取れないと不安になることもあるだろうと思う。位置を知った時に希望をもつか落胆するかは別として、である。個人的には、広い意味の地域開発の末端の、さらに傍系に関わり地域の自然環境を扱う仕事に就いた前半の4半世紀と、北海道の開発をどこかで支援する社会科学の研究分野に関わった後半の四半世紀をくくってみると、いずれも一貫して地べた、あるいは地域密着型と呼ぶべき何者かであった、と気付いた。 最近読んでいる地域政策に関する小磯修二氏と宮本太郎氏の対談「社会保障と雇用」では、ベーシックアセットという概念が紹介されていた。一定額を国民に支給するベーシックインカムに対して、アセットは現金給付の他に必要な「サービス」を提供するもので人びとを「コモンズ」につなぐものとしている。ここで言うコモンズはコミュニティや自然環境、さらにデジタルネットワークなど地域に根差した状況をさしており、地域参加に向けた社会保障や福祉政策において大変重要になってくる、と宮本氏は述べている。 こうしてみると地域密着型という概念は、世間における位置を探る時にかなりしっくりくるジャンルだと言えそうだ。国際的視野で天下国家を論じたり地方行政に従事したりコミットするという立場の対極で、いくつかのローカルなNPOの数団体で奉仕活動してきたことや、SNSが出始める頃、mixi 型ソーシャルネットワークを立ち上げて10年の間、社会実験をしていたことなどを、地域密着型は端的に包括する便利な文言でもあるからである。それらは確かにまぎれもなく地域に密着したひとつの型と呼べるジャンルかも知れなかった。 ただ密着する対象は、人それぞれの事情によって仕事やお金だったり家族だったり町内会だったり様々で、それぞれが重たい大切な意味を持っている。普通、人びとは各々に許される範囲でそれに忠実に向き合う。 『地域政策の新たな潮流を探る』というタイトルのこの本は、誰もが経験のない未来に立ち向かう地方のミカタ、と帯にある。たまにはこんな風に自分が済む地域社会を、井戸の底のような立場から位置確認のように眺めてみるのもいいものだと思った。 ■8/20 日本植物学の泰斗・舘脇先生の著書を開く 梅田先生が昨年亡くなる直前に用意してくださった寄贈本のなかにすごいものがある。舘脇操先生の『大東亜共栄圏 植物誌 北方編』(昭和20年積善館)と、『北欧の森林』(昭和34年 日本林業技術協会)である。いまのところ机の上に鎮座させ読み始めるための準備段階だが、後者は北欧各国で彼の地の研究仲間(大学教授など)宅にお呼ばれした際の食事のことが書かれている。 確か先生は、北海道の調理師会の名誉会長だったか?をされていて、食に造詣が深いことを存じ上げていたので断然興味が湧いてきた。そのきっかけとなったのは、半世紀前になるが、舘脇先生が生前やり残したとされる阿寒と大雪の国有林の植生調査に、各々お弟子さんとされた I 先生と S先生の薮漕ぎ(調査ラインを引く役割り)担当として同行させていただいたことがあった。特に阿寒湖畔の営林署の宿ではワカサギのお造りや名品で特異な「荒川鍋」など、まるで料亭並みのもてなしを受けたので不思議に思っていたところ、わたしをバイトに呼んでくれた I 先生が、舘脇先生が食の大家として調理師たちには雲の上の存在であることを教えてくれたのだった。 S先生の大雪もやはり1週間の調査だったが、こちらは学科の仲間3人が一緒だったが薮漕ぎのほか食事担当もやらされた。いずれもワンゲルや山岳部など山関係者がトップで薮を漕ぐ武者振りと食事の腕に一目置かれていたわけだが、何のことはない、人の嫌がる雑用をあてがわれただけだったかもしれない。しかし、その体験はその後の人生でずいぶん役に立っている。今も雑木林のヤブを漕ぎ原野を満喫し、積極的に料理して食のアンテナはまだ錆びていない。人生とはどうもそういうもののようである。 ■8/18 秋近し 朝はすっかり涼しくなって、今朝の5時、ベランダを見上げるとちょっと衝撃的な巻雲だった。やはり、秋は近いと思わされた。このところは、山折哲雄著「早朝座禅」、渡部昇一著「実践・快老生活」、五木寛之著「白秋期」という、既読の老人ものを机わきに置いて時々開いている。時期とネタがどうもしっくりくる組み合わせだ。暑さのため、外に出るのは控えようとの配慮もあって、まさに読書に最適なお盆だった。 ■8/16 歌に見る庶民の共感 28 令和6年もお盆を過ぎようとしています。パリ・オリンピックの日本選手の応援をしているといつのまにか原爆の追悼式典に続き、首相退陣発表と終戦記念日。その前は都知事選、これから新しい首相選びが始まるから何かと気ぜわしい様子は当分続きそうです。苫小牧も余りに暑いので山仕事はやめて散歩だけにとどめました。打ち水と花の水やりの合間にしっかり読書ができるシニアの夏の日、いいものです。以下、夏にちなんだ共感もうれしいもの。表出される投稿者の顔姿を想像しつつ。 ◎身支度のほどに草刈りはかどらず 千歳市・Tさん …自分をユーモアで笑い飛ばす妙味あり。我が事として読んだ人も多そう。この暑さでは、装備も大変だし、はかどり過ぎて熱中症になるのは高齢者、だからこれでOK。 ◎草茂るまゝの中なる節歌碑 下妻市・Kさん …そうだった、晩秋から昨年末頃にかけて、長塚節にちなんだ藤沢周平の著作と原本『土』を読んで感慨を引きずっていたのを思い出した。漱石が娘に読ませたいと言った意味を考えていた。執拗なほどの自然風景描写と歌碑の様子が重なった。 ◎やわらかな隔離のような蚊帳で寝る 川崎市・Nさん …そうでした。東北の田舎の実家では縁側の戸を開けて寝るので、蚊帳の裾を少しだけ開けてさっと入るのでした。うすぐらいのと別世界の感があり、奇妙に熟睡したもの。隔離。時には平時でも必要ではないか。たしかに雷が鳴った時も安心感が高かった。 ◎耳遠くなりたる吾を慰めて滑舌悪しと夫は詫び来る 流山市・Sさん …優しいな。この態度は家庭円満の要諦。病名を2,3度聞き返したわたしに女医さんが「滑舌が悪くてごめんなさいね」と詫びて、こちらが恐縮したことを思い出した。相手の落ち度かもしれないのを自分のせいにして謝ってしまう、というのは日本人独特の奥ゆかしい文化だったが、よその国なら付け入られるネタだ。移民外国人の悪事はそこに付け入っている。 ◎鮎解禁つぐるニュースに八十路われ身を乗り出して画面を見つむ 前橋市・Kさん …多くの読者の共感が目に浮かぶ。いつしか、画像は代償や憧れに代わってそれが視聴率につながる。釣りならなおさら。これを代償に任せず諦めず粘って継続を目指すのも、老化防止と奮起するのが古希超えて3年目の吾。 ◎書き出しを迷いながらも筆跡は強めに初夏を綴る朝顔 越谷市・Aさん …隣との間に簡単な塀をのようなものを造作したついでに、細い竹竿を2本立て朝顔の鉢をおいてみて、この歌を実感、追体験。伸び先を探し求めるさまは動物に近い。そしてしたたかに日本人のDNAをくすぐる。細いツルを1メートル以上も伸ばすので、水切れを起こしやすいのか、炎天下では葉っぱがしおれそうになることを知って、庭で一番顔色を窺わざるを得ないのもこの朝顔だと知った。 8/013 以前は → こちら |