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●日々の迷想 2021& 2022
2021
first upload: Nov. 29 , 1998
last upload: May 25
, 2022


日々の迷想

■5/25 米国製シカ警報器 Deer Warning を装着
先月、苫小牧の住宅街の道道で、夜、エゾシカと衝突した物損事故は、保険で車両の修理をしましたが、工事費はなんと50万円。数年前は30万円といずれも軽くなかったことから、ついに写真の警報器を取り付けました。

大分昔、野外活動で蚊に刺されないために高周波の新器具ササレーヌにいち早く飛びつき、全く用をなさなかった反省と、シカ警報器なるものが発売された時、「効かない」という噂を聞いたために買い控えしていたものです。

このたび販売の代理店に聞くところでは、当時、ニセモノが登場しこれらはほとんど効かなかったようだ、との説明を聞いて装着を決意。車両の両側に1個ずつ取り付けた小さな筒状のものから、異なった周波数の音が出て、その周波数の差から生れるウナリのようなものに野生生物が立ち止まることを利用したもののようです。

これによってシカ等の野生生物との衝突リスクを低減させる、と取説にあります。シカが住宅街の庭木まで食べ始めた胆振地方では、もはや必携のアイテムだと思われます。効くかどうかはまだ半信半疑ですが。

■5/23 山の忘れ物は奇妙に見つかる
春の到来は勇払原野の中でも微妙に時間差がある。東北のある地域でもコシアブラご飯が定番だと知って、無性にまたしつこく食べたくなって、近くのいつもの穴場にいってみたら、ラッキー、まだ間に合った。今年2回目のコシアブラ炒め(ご飯にまぶす)をつくるところ。
 山とか林は地方ではかくも身近である。そしてこの頃のしみじみとした実感、それは「山の忘れ物はよく見つかる」こと。トングや手トビ、カメラなど。先日は冬のスノモで落とした魔法瓶を、見つけてくれた人が届けてくれた。それでは、と2年前になくしたハンマーを探してみるつもり。伐倒する際にクサビを打つためのもので、ひょんなことから見失ったままだった。何故だろう、山の神が導いてくれるのか。山の道具は愛着という念力が届くのか。下草が出る前の今週あたりがリミットか。

■5/21 鳥を聞き、見歩いて

復活した大島山林の探鳥会。山林の利用促進という目的どおり、町内からも10人以上、合計20人余りの会となった。身の回りの鳥を知りたいという潜在的な願望があるようだ。

■5/19 雑木林の新緑

林道沿いの、気になる掛かり木を片づけに行く。道すがらの雑木林の新緑は、今シーズンのピークを思わせた。心が洗われる、とはこのことだ。言葉を失う感じで軽トラックを運転した。裏山的付き合いのしあわせ。

■5/17 司馬 ”体すら自分のものでない?”
作家の故・司馬遼太郎氏は、東北大学医学部同窓会の講演で、仏教の無我の論は臓器移植的な分野の中では、「自分の体のどの部分も、わが所有物ではない」との見方を示した。約30前に発刊された「春灯雑記』の冒頭にある。驚きである。氏はかねてから土地は誰のものか、と歴史や皇統と関連付けて考えを示し、わたしも、対談集『土地と日本人』などを通じて、碩学らの知見に触れ少なからず影響を受けた。「人間の迷いは”我”が固定的実体だと思い込むことから生ずる」「”我”も仮のもの」とする仏教の教えは、心が単なる条件反射であるとする「色即是空」の表現を替えたものだと思われる。冥想をすると、揺れ動く我、またの名を心というこのうえに、別の何かが存在することをうすらぼんやりと感じることができる。自分の体と心は、この何かに属しているのか。いわんや、土地は・・・と拡大すると土地の歴史の見え方が変わった。

■5/15 スドキ、猛烈な速さで伸びる

日本野鳥の会のメンバーと来週の探鳥会の下見をしたあと、雑木林を歩いてみると、すでに伸び切ったスドキ群落も見つかる。昨日、スドキを採集したコモンズ休暇のメンバーは、来週中か週末がピークかな、と話していたのに、である。こんなことだから、少し気ぜわしくなるのだ。ちょっとうれしい誤算だ。

5/13 いよいよ山菜本番、気ぜわしい季節始まる

あっという間に山菜の季節が来た。浜ボーフーはやや大きく、コシアブラも時期を逃すところだった。そう思っただけで気がせかされる。コゴミも少々採った。ボンナ、アズキナはパスした。スドキは葉の直径が1cmほどであと1週間から10日。写真上は昔、山で使ったカドタのピッケルで、ボーフーを茎と根の間で切り取る格好の採取道具だ。下は伸縮する高所用窓掃除用ポールでアタッチメントをL字の金具に代えて、背の高いコシアブラを引っ張って曲げる。こんな風にして海から山まで移動。

■5/11 葉わさびとムール貝
 

小樽で身内の葬儀があった帰り、南樽市場で花わさびとムール貝と出会い、即、購入。花わさびは、小さなわさび根も刻んで熱湯をかけただけで、塩もみ。辛みや風味が出る前の苦みがメインだが、それも季節特有のものして有難くいただいた。ムール貝の産地は聞き漏らしたが、近年は寿都町あたりで養殖をしているような話も聞く。比較的安く、味もバッチリ。

50年以上前、北海道に着いたばかりの4月28日、オタモイ海岸の岩場で潜ってムール貝(通称、ニタリ貝)を採って、焚火をして食べた思い出がある。翌年も友人と連れ立ってオタモイに出かけたが、人はこの時期、防寒具を着ているのに、バカバカしいほど元気だったのが、おかしい。郷里の高校では、4月から体育の授業でプールで水泳をしていたことと関係があったのか、抵抗はなかった。

■5/8 プロジェクト70年の風景
山仕事の帰りに、待ち合わせの時間調整に掘り込み港に寄ってみた。開発局が昭和26年に発足し、その翌年から苫小牧の掘り込み水路は工事が始まったと聞く。本州に比べて道民所得は大きな格差があり、このギャップを埋めるためには付加価値の高い製造業を誘致する必要がある、と当時の為政者は考えたらしい。そしてそれが今日、北海道の物流の5割以上を占める一帯に成長を遂げた。

昭和26年はわたしが生れた年でもあるから、苫小牧港はほぼ70年の歴史だ。あらためて港を眺めると、実に壮大な水路幅で、奥の勇払ふ頭は霧にかすんでぼやけているほど遠い。莫大なインフラのもとに、石油などのタンク群、あまたの煙突、工場、倉庫などが見える。

開拓や開発に、人知、資機材、資金を総動員してきた先人の歴史には頭が下がる。農地開拓、鉄道の敷設、その歴史を紐解いてみると、浪漫も技術革新も、あるいは悲劇を含む人間ドラマも満載だったことがわかる。人々の幸せを目指した、明治以来の北海道プロジェクトを、自分の存立基盤を別のところにおいて自然破壊という一点で批判するとすれば、天に唾をする行為であるばかりか、自己欺瞞と言ってもいいかもしれない。

薪の運搬で江別に赴いて、壊されて復元もされないという開拓記念塔を遠望し無念さを感じていたせいもあったのか、先人の営みに思いを馳せることになった。北海道開拓150年というけれど、道民としての歴史と言えばそれしかないわたしたちは、まだまだフロンティアの位相に置かれているのではないか、と本州以西を目の当たりにしながら思う。その道民の一人として、なにか米粒のような、いや、ちり芥のような何かになれているのかどうか。



●日々の迷想 2021& 2022