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●日々の迷想 2021
2021
first upload: Nov. 29 , 1998
last upload: Dec 01
, 2021


 日々の迷想
■12/01 武四郎が好んだ伊達
伊達市長から突然感謝状が届きました。伊達版ふるさと納税的な「こころの伊達市民」
として15年、応援してくれたことの感謝の意とされます。仕事での付き合いもあってのことですが、わずか1,2年続いただけでその後、市の広報誌や切り抜き記事を定期的に送ってくれました。このケアの厚さには恐縮しています。
ところで、松浦武四郎の日誌を読んでいると、武四郎は道内を旅をする拠点として伊達に長逗留するのが常でした。その理由として、西隣の長万部のアイヌ、そして東の室蘭のアイヌは共に気性が荒く、武四郎が好まなかったためようです。それにひきかえ伊達のアイヌはとても気性が柔和だったというのです。
わたしはもう一つ、あることに気が付きました。伊達は、中心部から1,2kmの区域に人口の確か6,7割が住んでいて、高速道路のあたりから噴火湾の方を眺めると、背中に山を背負い、まるで風水の絶好地にように見えるのです。黄金の遺跡もまさにこれに当たります。武四郎は札幌を北海道の首都にするときに開拓史にアドバイスを求められ、彼は大家として誉れ高かった風水の立場で、まず当別を選び、曲折を経て札幌を選んだとされます。
で、わたしは、伊達市の博物館に当たる噴火湾研究所の大島先生に、武四郎は伊達の風水に惹かれたのではないか、と質問してみました。そうしたところ、その説は聴いたことがないから調べてみようと電話口で話され、翌日、早速調べてくれた研究所の学芸員からていねいな回答をもらいました。このような懇切なアフターケアーを象徴する、このたびの感謝状を見て、わたしはこの大分前の話を思い出しました。回答の内容?武四郎の日誌や文献からは風水の記録は見られない、とのことでした。非常に残念な思いでした。

■11/28 風土を比較し自分が住む土地の風土を再確認する旅

明治神宮と日本民藝館を巡った翌日の11/24、タワーマンションの林立する超人工的な街並みを後にし、勇払原野と気候の似た軽井沢に向かった。ずいぶん格差ある移動だ。標高は約900mのリゾートエリアは、約2500mの真っ白な浅間山と、雲の中の八ヶ岳連峰に挟まれていた。そして北海道の苫小牧に負けないくらい寒く、風が強かった。沿線沿道は、慣れ親しんだコナラやカラマツにアカマツを交え、もちろん数々の広葉樹が混じっているが、わたしにはなんとなく勇払原野をリゾートにした趣き、つまりニドム風のイメージがつきまとう。温泉付きの広い部屋で八ヶ岳と眼下の木立のキャンパスを眺めながら、ほぼ一日、一歩も外に出ないで過ごした。日本民藝館や千住博美術館を訪ねたせいか、風土を旅する、という感覚が伴う。御代田の森カフェも出色だった。
■11/26 林を見て歩く愉しみ

秋の小旅行で家人と共に本州に渡りました。東京でまず出かけた森は、苫東コモンズの大島山林と面積が同じ70ヘクタールをもつ人工的な森づくりの明治神宮。日本の林学界の超大御所・本多静六博士らが、雑木林では荘厳さに欠けるとして設計した、移植による森の創造。杉の大木がそびえる国内の名刹古刹とは違った、独特で厳かな雰囲気が漂います。約100年、日本の風土は原野をいつの間にか多様な生物がすむ天然の広葉樹林のような空間と景観に替えました。訪問した11月23日は新嘗祭の日で、この明治神宮でも各地から寄せられたお供え物が、さながら各県の一押し農産品が勢揃いした物産市の様相も見せています。豊穣の国、日本は健在です。リハビリを兼ねたこの日の歩行距離は6km。筋肉が著しく衰えているのでこのあたりが限界でした。
■11/21 焚き付けの枝のにおい

薪ストーブの焚き付けは、薪ヤードや雑木林で要らなくなった木くずなど色々なものを再利用しますが、数日前から林で拾った枝に替わりました。乾いていれば何でもよいけれども、カラマツなどは特に良い感じで燃えます。新聞紙、小枝、小割の焚き付け、小さめの薪と順繰りに積んで、ストーブ内で次第に炎を大きくしていきます。今回の枝は、積まれたヤブの段階から、折る毎にコブシのにおいがしていました。緑のペールにいれ、早朝の焚き付け時にふたを開けた時も、やはりあの芳香が残っていてストーブ周辺に漂っていました。   
*明日から数日、北海道を離れるため、更新を休みます。
■11/20 自分の山で「山仕事」

雑木林はほとんど紅葉を落とし、力強い裸木の風景に替わった。今日は、苫東コモンズの各人17名がマイフォレストと呼べる各々のエリアで、互いに100mほど離れて作業をした。日中は、じっとしていると震えあがるほど寒い。そんななか、事務局の打ち合わせも。
■11/17 捨てればゴミ(産廃)、使えば再生可能エネルギー
普段は雑木林をどうにかして気持ちのいい林にしようと気配りをしていたつもりでしたが、ちょっとした行き違いで見苦しいものを見せてしまいかねません。薪をとった残りの枝や切り株を、雑木林の木の下で腐朽させようと林縁に移動したもの(写真)がその典型です。腐れのない、汚れもあまりない部分はていねいに拾い上げ有効利用した残り物ですが、乱雑に押し込んだためにこんな風になってしまいました。早々に修復を図りますが、勿体ないから薪用に使わせてほしいというリクエストもご近所さんから間髪入れず届きました。里山のネットワークの面白さです。薪にしてもしかり。暖房をとる温かさの次に、「美しさ」が求められるようになりました。
■11/16 花豆を薪ストーブで茹で、食す
いただいた花豆を薪ストーブで茹でてみる。豆料理は初体験だと思う。一回目30分ほど煮たら、味のいい汁が出たけれども、色のついた汁はレシピ通りに一回捨てる。冷ましてからもう一度茹で30分余り。皮はしっかりしているものの、中は柔らかくなってここで汁を半分にしてから豆の半分ほどの砂糖を加えた。それでクツクツ。花豆特有の鮮やかなまだら模様はすでに消えており、よく食べた豆料理になって来た。塩も少々加えておいた。う~ん、これはおいしい。食後のスイーツにもなる。「花豆を食べてとてもおいしかった」、という話をある人にしたら、「要らなくなった花豆をあげる」、と両手のひらひとつ入った小さな一袋が、また来た。
■11/14 人間の体に葉緑素を入れ、皮膚で光合成する世界
…「人類が宇宙さえも手中に収めて100年ほど経った2100年代後半、人間たちは宇宙でのリサイクル生活を考え、実行していた。宇宙へ持っていく食べ物は極力少なくし、排泄物を微生物に分解・無機化させた。宇宙へ行く人間には、独立栄養で生きる能力を植え付けて送り出していた」。食料生産などは宇宙で行っていて、そのため宇宙に赴任する前に皮膚の細胞内で素早く増殖する・・・ヒト型プラスチドaを植え付けられ・・・ソーラーパネルで光エネルギーを得て、自分の体表で光合成して栄養を作り、生活した・・・あたかも植物のように・・・生きていけた。」・・・鈴木創著 『 プラスチドa 』 の冒頭にある一節で、いきなり、SF的世界に引きずり込まれました。
鈴木さんは、わたしが大学4年間を過ごさせてもらった北大の完全自治寮「青年寄宿舎」の同窓で約10年ほど若い方。お会いしたのは先日のリモート懇談会が2回目でした。そこでこの本がちょこっと紹介されたので、Amazonで取り寄せて、上5行はその出だし部分。愛媛大学の教授を本業としながら、『 プラスチドa 』 でなんと、第3回星新一賞を受賞した本格派です。皮膚で光合成して食べ物は基本要らなくなる、という設定に、なるほどと面白く思いつつも、食べて飲む楽しみは捨てがたいが離れられるか、などと想像。引き込まれる空想世界というのは、普段全く触れることのないジャンルだっただけに、我れを忘れるリフレッシュだと初めて知った次第。

■11/12 まだ晩秋の候ですが
今朝、ようやく霜が降りました。朝、5時半、2階から屋根を見下ろすと、かすかに氷が光っていました。薪は、5列で5立方mほど積んであるもののうち、、もう5分の1を燃やしてしまいました。これから、というのに。でも、大丈夫、おととしのアカエゾマツもあるし。ちなみに去年の今頃は、雑木林はこんな風でした。。
■11/9 季節をいただく贅沢と喜び

先日、茨城の山仲間から落花生が届いた際、その箱の埋めぐさと称してアケビが2個入っていました。何十年ぶりかで種を口に含み、幼少の時のように甘みを口でしばし味わってから種をはきだし、皮を味噌炒めにして頂きました。大根、白菜もすぐには食べきれないほど頂いたのでお隣にお裾分けし、白菜については漬かったら漬物として一部持ってきてくれる手はずです。しかし大根は葉を少しつけて新聞紙で包み玄関の靴棚の下に収めていたら、葉の部分が腐り始めいやな匂いがして来たので、雨上がりにベランダに出して葉をすべて切り落とし格納し直しです。この大根は割れが入るほどはちきれて抜群の味なので、シンプルに薪ストーブで出汁で炊いて食し続けています。また、家人の親戚筋から積丹の小さなアワビがいくつか届いたものの、さて、どうしたものか。でも3つ捌いた頃にやっとコツをつかみました。幾つかはおせち用に冷凍し、2枚はステーキにすべく、肝を練ってソースを作ってみました。そのソースが余ったので、パスタを茹でて、初めてアワビの肝のパスタが出来上がりました。なんの変哲もなく見た目は良くありませんが、思わず家人も唸るようなさすがの絶妙の風味です。日常の、食の小さな挑戦と創造は、これも人生の冥利と言えましょうか。
■11/7 エノキタケと立冬
24節気では今日が立冬。街中ではまだ霜が降りていないので、なんとなく穏やかな晩秋で、薪ストーブもお昼で止めてしまう日があります。しかし暦の上では冬の始まりですから、雪が舞う冬の訪れは間近と覚悟しつつ、やはりものみな凍らない秋の名残は、楽しんでおきたい、日差しも温かい。昨日はそんなぬくい小春日和のような日でした。落ち葉で林道が埋まった雑木林に分け入ってみると、季節のサインともいうべきものが確かにありました。



■11/5 晩秋の林の妖精
紅葉する木々の中にあって、ひときわ際立つ白い(正確には黄白色)変化を見せるコシアブラ。ナラやカエデの仲間が葉を落としても、もう少し粘って葉をつけているのでなおさら目立つことになります。そうして葉の色もさらに白くなるようです。来春の山菜としていただくための目印として、この白葉の位置を頭にとどめておく、なんて人もいます。それほど、晩秋のコシアブラのパフォーマンスは見事。


■11/4 アカエゾマツの焚き付けで絵手紙始める
お世話になっている先生に、いただいた資料に何かお礼をしたためるべく思案していたところ、ちょうど数日前から使い始めたアカエゾマツの焚き付けを思い出し、絵手紙の水彩画用はがきを取り出して何十年ぶりかの一発描き。「2年前に間伐したアカエゾマツを焚き付けに(しました)。人はこの木を、”はぜて床を焦がす”などと敬遠しますが、朝未だき、パチパチはぜる揺らぎのリズムこそ、薪ストーブの愉しみでは(ないでしょうか)。」とメモしました。出来心の絵手紙は実に偶然の産物にして、一期一会、瞬間芸のようなもの。だから出す直前にパチリと記録。
■11/2 「ばあそ」
秋はしばしば野菜長者になります。いもや大根や白菜、そしてキャベツ、時には土付きの長ネギ。土付きの長ネギの場合は、畑から抜いたばかりの大量のネギが届くもので、その場合は檀流クッキングに習って「ばあそ」。ネギをどんどん刻んでごま油を熱した大きな中華鍋に放り込んでひたすら炒めるのです。最後は味噌とみりん。檀流は、大量のネギを使うので台所で飲みながらやる、という点にも口角をゆるめ、ほれ込んで作ります。ただ、何十年も前にみた檀一雄の料理本にはたしか「ばあそ」と書いてあったと思うのですが、これでは検索に引っかかりません。とにかくおいしいのです。そして万能。檀流男の料理は画像がなかったのでひたすら想像力を働かせ、テキトーな所も許してもらえる。
■10/31 山仕事の身支度
いよいよ雑木林の保育のシーズンが始まりました。昨日はその手始めでチェンソーワークの小手調べでしたので、一応、晩秋以降厳冬期の身支度を整えました。汗をかいてもあまり寒さを感じない長袖の下着、その上に化繊と木綿の混紡のワイシャツ。これはサラリーマン生活の時にネクタイを締めていたもののお古。学生時代の冬山登山では、高価な冬用下着など買えなかったので、使い古したセーターが下着替わりでしたが、最初、チクチクしたものもやがて慣れて快適なものです。厳冬期でも下着とワイシャツの2枚のいで立ちがもっとも汗をかかない、動きやすいファッションでしたが、山仕事もやはりこれに落ち着いて、これに日本手ぬぐいを軽く巻く。これはプロの山子(ヤマゴ)さんの真似。家人はゴンベサン、とバカにしますが、温度調整には抜群の威力を示し、頬っかぶりもOK、非常時の包帯にもなるスグレモノです。これを基本として必要な都度重ね着して、しばしば着脱するわけです。
■10/29 実のなりがちょっと違う
今年の庭の花々でちょっといつもと違うのは、インパチェンスの実があまりならなかった(見つからなかった)こと、そしてその割にはコンテナ(写真)やベランダ下の砂利の上にたくさんの実生苗が育っていることでした。コンテナはインパだけでなくクリサンセマムも良く出ています。発芽したということは、結実し種を落とした証拠なのですが、モリモリのせいで兆候を見落としたのかも知れません。
このこととの関係の有無はよくわかりませんが、早朝のインターロッキングの上で何羽ものスズメがよく何かをついばんでいます。きっと今でもおびただしい数の種が落ちている可能性があります。アイビーゼラニウムはコンパクトに寄せてコンテナひとつにまとめ、霜の前に2階に移動しました。一応、冬越しの準備はこれで完了。たっぷりの時間があるので、なんと穏やかな気分かと驚きながらシーズンが過ぎようとしています。

■10/26 雑木林を歩く愉しみ
かつて国木田独歩は、武蔵野の雑木林の心地よさに気づいてから、ことある毎に雑木林の良さを喧伝していたようで、きっと周囲はその熱中ぶりには時にうんざりしていなかったかと想像します。しかし、このところ多摩丘陵を主とした画像を見る機会が続き、やはり関東平野の平地林は得も言われぬ魅力があるなあ、と改めて思います。恐らく、林の近傍に都市化が押し寄せ、人工と自然のコントラストがくっきり浮かび上がっていることも影響しているのでしょう。
昨日はぶらりと苫小牧の静川の小屋周辺に行ってみたところ、紅葉に差し掛かった勇払原野版雑木林の素の姿が見えました。関東とは違い、人工などほとんどない、のっぺらぼうの雑木林ですので、人工物と言えばカラマツのログハウスと、対面衝突防止のミラーくらいで、奇妙に雑木林保全などという掛け声はここ地元では生れません。きまって無くなるころに取りざたされるだけです。かつては薪炭をとった二束三文の皆伐跡地のせいでしょう。しかし、これが育って樹林地が再びよみがえってくると、なんとまあ、心地よい散策環境でしょう。評価の尺度を地域が持っていないというのが何ともモッタイナイ気がします。

■10/25 歌に見る庶民の共感 8
新聞の人生相談と歌壇俳壇。「人生いろいろ」をリアルに垣間見せてくれ、強烈なインパクトを持っています。菅前総理が読売新聞の「人生案内」を毎日読むというそのこころは何だったか、想像したことがあります。確かなのは、老若男女、目前にある生活を悲喜こもごもの思いで懸命に生きていること、その多様さ。ああ、生きていて良かった、と癒される人も多いのではないでしょうか。以下、読売新聞から。
◎稲刈りのできる身体を賞めてやり (長岡市 Tさん)
・・・すなお~に共感できる一句。これから益々こういう機会が増えるんでしょうねえ。稲刈りに替わって、「走る」「歩く」「自分で食べる」「用を足す」などなど、さまざまな「できること」が現れ、少しずつ失われていくのか。備えはどうすべきなのでしょう。
◎キジバトのつがいを見れば良いものを見たと一日ほのぼの暮らす (大阪府 Kさん)
・・・人には幸せを感じる能力があって、「わたしはそれを『幸せ筋肉』と呼んでいるんです」と、サロベツの「おていさん」に聴きました。地域力は女性が支えているところが大きいと考え、ソーシャル・キャピタルの観点で道北の女性たちとのの座談会を開いたときでした。何気ないところに幸せの芽は宿っている、その視線は人生を少し、いや大分明るい方に傾けてくれる…。
◎遺さぬがよしと決めたる自分史は読む子に重しくまモンに語る (福岡県 Yさん)
・・・自分の人生って、なにか意味があったのだろうか。この歳になるとふと思い返すもののようです。そして試みる「自分史」。自費出版する人も少なくなく、不景気な出版界をわずかでも支えることになっているのでは。逆に、ご子息らが父や母から聞き書きをして本にしたものも何冊かいただきました。聞き手のまとめによっては下手な小説よりはるかに迫力があり面白く読めました。偉人の伝記とはまたひと味違った表彰状ものです。受け継ぐべき価値観のようなものはこうありたいと想ったものです。

■10/23 目に見える秋、もしくは初冬

ハスカップの実りで見る限り、今年は夏の訪れがやや早く、紅葉の進行具合から推測すれば秋の深まりは足踏みしているような状態のようです。通常、苫東コモンズの総会は勇払原野の紅葉のピークである10/25前後に開催するのですが、まだ数日早いのではないか、という印象です。低温の日が来て強い霜が降りるような日が未だであることなどが影響するのでしょう。期待したシメジは気配がなく、エノキタケがほんのちょっと見かけただけでした。何度も繰り返して味わってきた四季の移り変わりを、今年も来し方を振り返りつつ、いつもとちょっと違った心象風景を伴いながら飽きずに眺めています。帰りしな、東を望むと日高連峰のポロシリ岳、北トッタベツ岳あたりは、もう真っ白で足下の麦畑からのグラデーションに見惚れました。
■10/21 「家族」という一大プロジェクト
パラサイト・シングルなど若者に関する著作も多い社会学者・山田昌弘氏は先日の新聞の人生案内で、「人間の記憶にとって、過去の家族関係ほど複雑に関わるものはない」と断言していましたが、人が人生という長旅を歩き通すには、家族関係はもとより道のりが決して平板でなくその後の人格形成に大きく影響することは、余程の恵まれた人でない限りまずは異論のないところだと思います。そして、きっと歳を重ねた年配者ほど、家族というものの崩壊がかくも日常的になってしまった今日を嘆かない人は少なくないのではないでしょうか。かつては、確かにどこもとても貧しかったけれど、崩壊すれすれまで行っても滅多に家族関係が崩れるのは稀であったし、子供がご飯を食べられなかったり、親から致命的な虐待を受けるなどということはありませんでした。幸せな家族を持つことは人生の当たり前の目標で冥利であり、結婚はその手始めであり、そして子供は家族の絆として大切に守り育てたい宝だったはずが、今日見えている子供の貧困という現象はどういうことでしょうか。しわ寄せが生活力のない、いたいけな子供に収斂してしまって、こんな悲劇が日々繰りかえされている現状に多くの日本人が実は胸を痛めているのは間違いありません。経済的格差と貧困、社会的仕組みの劣化、人としての徳の後退、原因はいろいろ指摘されていてそれぞれもっともですが、自己主張して他を責めてやまない世間の風潮にも一端があるように感じます。家族という、このもっとも身近な足元の一大プロジェクトをなんとかこなしていくことに、なにか社会的動物である人としての大切な試練のような、徳目のようなものが潜んでいるように思えてなりません。そもそもよってたつ「自分、己」のやりくりすら一筋縄にはいかないもので、真摯に学習し軌道修正を余儀なくされる日々が続きます。
■10/19 白鳥が悲し気に南へ渡り、冬をここで迎える当方は楽し気に薪焚く
このところ、昼と夜とを問わず、南へ渡る白鳥の鳴き声が上空で聞こえます。街路灯を目印に国道36号にそって室蘭の地球岬方面、そこから噴火湾を渡って大沼方面に行くのでしょうか。昨夕はかすかに声はすれども群れが見えず、よく目を凝らしてみると、はるか上空、恐らく3~400mもの上空にケシ粒のような編隊を見つけました。いつもより遥かに高い高度ですが、これは一体どうしたのでしょう。この鳥たちの南への渡りの頃になると、定点に固定されたこちらは否応なくここに這いつくばって生きていくことの意味を知らされ、冬を迎える心がけを思い知るのが毎年の常でした。たいしたことではありませんが、夏の服と秋冬物を多少入れ替え、庭のコンテナの花々を霜が降りる前に器から出して片づけます。簡単そうに見えてもハンギングやコンテナの内壁面に根をへばりつかせているので、それを剥ぎ取るのは実は一仕事です。器の中は細根で目詰まりするほどです。その反面、この抜きがたい現象は春先に自分が見立てた土や施肥の案分が完璧だった証でもあり、4か月の頑張りを称えながらの、にんまりした、いやではない作業になります。今年は何にも追われることなく、のんびりやって土日の2日を使いました。薪ストーブは16日の土曜日にこの秋初めて点火をしました。焚き付けの乾燥具合を調べるために割ったドロノキの小割は、さすがにマッチ一本で火がつきそうな逸材(写真)でした。毎年手に入ればしめたものなのですが。
■10/16 霜直前の「クロホウジャク」飛来
昨夕、リハビリの散歩から戻ると、インパチェンスのコンテナに懐かしいホバリングを見つけました。スズメガの仲間クロホウジャク(あるいはホシホウジャクかも)です。いつもは盛夏のインパに時々訪れるのを愉しみにしていました。今年はなんと霜注意報の出る前日です。持ち合わせのスマホで撮影したため羽が動いていますが、もう少しシャッタースピードが速ければ、羽は止まって見えまさにハチドリのホバリングそっくりに見えるものです。実は霜の降りる前に、花々を地上に下ろしてもう片づけるつもりでした。でもこの飛来が彼らの大事な蜜集めだったと考え、片付けは明日にしました。残念ながら昼から小雨交じりの強風のため、庭では見かけることができませんでした。上空は昨日も白鳥の群れが西南の方角に飛んでいきました。
■10/15 中西悟堂
この方との出会いは、幼少の小学校の高学年か中学生なりたての頃に読んだ『定本・野鳥記』でした。山や里山で野鳥の観察を超人的に粘り強く続け、片やでは冬も裸で暮らすような修行のような姿に強く惹かれて、これらはNHKの白黒の「自然のアルバム」というナチュラリスト養成番組のような誘いと、わたしの中ではペアをなしていたように記憶しています。この中西悟堂ですが、現在読んでいる『山と詩人』 の中では詩人として登場し、しかも15ページというとても長い解説が展開されています。著者の視点を簡単にいえば、西洋の影響を受けた近代化に多少とも引っ張られる詩の流れの中で、中西悟堂は宗教的な感性を背負い、山と自然、特に野鳥と渡り合ってきた、という純日本的感性あたりにオリジナリティを見出しており、長いページを割いた理由がそこあたりにあるように読めます。しかしかなりの変人で怪物と言われていた中西は、昭和9年に創設した日本野鳥の会のその後をもれ聞くと、どうも晩年の評価が曇っていることに気が付きます。ウトナイ湖のサンクチュアリが縁で苫小牧は野鳥の会の位置は今、半ば不動のものですが、自然保護運動という側面もあって、マチと野鳥の共生にはまだ課題も多く、人と自然のあり方はまだまだ折り合いを得たようには見えません。
■10/13 宿根草の庭
庭の造作も変わり花を植えるスペースなど無くなったのに、花で彩られた空間を自由にできるのは喜びの溢れる自己実現であることは、今も代わりません。できれば自分の棲む町内も町全体の風景も優しい好ましいものに変えていきたいものです。ニュージーランドのクライストチャーチは、そのような夢をホームガーデンと公園でガーデンシティとして創り出した街です。1996年の年明け早々、飛行機とホテルの予約だけとって、こんなNZの街に一人で出かけたのでした。圧倒されるのは写真のような宿根草のボーダー花壇。今まで見た宿根ボーダーの中でも、ここハグレー公園のそれは群を抜いているように思います。そしてこの公園は樹木のなかったカンタベリー平原の一画に100年以上前に樹木を植えて作ったものと、公園案内に書いてありましたが、樹木のほとんどは直径が1mを超える大木ばかりだったのには驚きました。残念ながら、おびただしい数のスライドから数枚を選んでスキャンしデジタル画像にしたのですが、どうも解像度が良くありません。なので、トリミングもさぼってしまいました。苫小牧はあと数日で霜が降りるので、まず物置に掛けたハンギングを降ろし片づけたのですが、来シーズンはできればコンテナで宿根草をアレンジしてみたいと思っています。



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