晴林雨読願望
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勇払原野のコナラ主体の雑木林。ここは中層をウシコロシの黄色が占めている

一燈照隅 雑木林だより
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●日々の迷想 2021& 2022
2021
first upload: Nov. 29 , 1998
last upload: Jan 27
, 2023

日々の迷想

■1/27 ネズミの奥地放獣(リロケーション)
だいぶ昔のことになるが、北米大陸では街に出没したクマを檻で捕獲してクマスプレーなどで脅して二度と出てこないよう山奥で放すという、奥地放獣(リロケーション)を行っていて、それを中国地方の山の中で実践した人の話を聞いた。山奥とは言っても本州では稜線をまたいだすぐ隣町には迷惑な話でクレームが出るとのことだった。

先週、自宅の物置のタイヤを包んでいるポリエチレンの袋と木灰のレジ袋が破かれたので、もしやと思ってオーソドックスなネズミ捕り器をかけたら、朝、一匹がかかっていて暴れていた。またもや、怯えるネズミと目があってしまった。早く凍死してくれるのがいちばんいい、などといろいろ考えた結果、これまでのように裏山に「リロケーション」するのが一番、と決断した。案の定、ネズミは夕方になっても元気に生きていて、車にのせて数キロ離れた民家のない雪山で放獣した。自由の身になったネズミは一瞬たじろいだ後、一目散に新雪に飛び込んでモグラのように雪のもっこりを残して離れていった。

驚いたのは実は昨シーズン使ったままのネズミ捕り器である。今回の捕獲のために取り出したら、覚えのないネズミのような死骸が毛皮と骨が別々になって残っていたのだ。餌もないのに、かごの上から入り込んで出られなくなったのである。この夏、物置には腐臭があって、何かの死体があるとふんで床にあるほとんどすべての荷物を移動させ中身も点検したのである。腐臭もうすれ放置しているうちに冬になって忘れていた。その際に昨冬空にしたこの捕獲器にはまったく気付かなかった。が、これで謎が解けた。これからは定期的に捕獲器をかけ、物置の穴という穴はすべて塞いでしまわなくては。そして使わないネズミ捕り器は餌がなくてもネズミが間違って入ることのないよう、手立てしなくては。

それにしてもほとんどのものが解けてしまう生物界の見事さ。自然はホメオスタシスが差配する。それはまさに神わざである。

■01/24 勇払原野の雑木林(萌芽再生林)は薪生産に向いている

苫東コモンズの現場では今、除間伐材の藪だしと搬出が盛んに行われている。個人的には、仕事でここの雑木林の除間伐を手掛けたのが平成2年だったから、もう足かけ33年になる。農家などかつての土地所有者が薪炭を採った後の萌芽再生林を、現在は伐採から40年後と70年後あたりの間伐、それからもう一度100年後頃の皆伐というの3段階の収穫モデルを想定して実践している途中であるが、潮風や霧など勇払原野特有の気象と、火山灰土の地味だけでも、いわゆる林業を行うには道内のほかの各地に生育条件はかなり劣るとされる土地柄だ。

だが、平坦であるため、手間を惜しまず抜き切りをして写真のようにスノーモービルを駆使することによって、林を傷めないで薪炭林として利用するのが、勇払原野の「適地・適木・適作業」であることがわかってきた。

薪炭のうちの「炭」づくりはやや特殊な装置産業だが、「薪」づくりはわたしたち素人でも、採算など度外視すれば作ることができ、かつ潜在的、継続的需要が高い。むしろよそに比べ飛びぬけて恵まれている土地だろうと思う。地域にはいわば見捨てられた、不動産として二束三文で取引されたヤブ山が、手入れによって林が美しく生れ変わり、地域の人が遊びに来るようになり、そして癒され、かたやでは暖房用の燃料も取り出せるから、一石3丁、4丁、あるいはそれ以上になる。時にはそれがリゾートにもなるという皮肉な事例も生まれている。

そして最終段階で皆伐によってよって萌芽更新を促すと、造林のための投資が要らない。夢のようなプロジェクトだが、この全体像が地域のコンセンサスに達するまでには、あと数十年待たなければならないような気がする。当然、コモンズの概念の成熟も待たれる。

■01/23 七〇ころからの how to もの
年の瀬に娘からポルトガル料理のレシピ本などをもらった。ついでのように添えられていたのが高齢者用の心身の健康みたいなものだった。ひとつは和田秀樹著『70歳が老化の分かれ道』、もう一冊は綾小路きみまろ著『人生は70代で決まる』。前者は昨年上半期のベストセラー第一位、後者はわたしより一つ年上の人気の漫談家、老化を笑いに昇華する芸風で一世を風靡している。これは正月、寝転んで楽しみながら読んだ。昨日からは、五木寛之著『捨てない生き方』を手にして、昨晩は布団の中で開いた。氏は以前から林住期や白秋期など、高齢者こそ人生の本質がわかる時だ、実りの時間だ、などと年寄讃歌を連発している。わたしはその都度、いい読者だった。

人生後半は登山で言えば下山の時間で、人生を俯瞰できる貴重な時間で、「人生の下山で大切なのは回想と想像」だから、愛着のあるガラクタは人生の宝として捨てるべきでない、とのたまう。おお、とわたしは少し元気が出てきた。今年は断捨離の年にしようかと迷っていたのでちょっと踏みとどまったのである。断捨離やシンプルライフが象徴するミニマライズの逆、表題の通り捨てない生き方を提唱しているのである。4章まで読み進むと、ここで法然と親鸞が出てきて、彼らが捨てたのは「知識」と「教養」だったといい、うすい人間関係は続けた方が良い、などと、さすが、一般によく言われる教訓話とだいぶ違う話しになる。ガラクタに囲まれて回想の世界に住んだ方が認知症になりにくい、などというご高説もあった。なるほど、これは一理ある。が、庶民には、ガラクタに厳しい配偶者というものも居る。こういう本は、その人その人の人生の極意と本音が聞けて、実に楽しい。五木寛之氏はわたしと同じB型だということも知って、ナントナクうれしい気がしたのも、正直、かなりアリガタイレベルにきたということか。。

■01/22 今年は日高山脈の年か
今朝の日曜美術館は十勝の原野で開拓生活を送った山岳画家・坂本直行さんの特集だった。NHKの総合テレビでも前宣伝として断片的に紹介していたので久々に日高の山並みと原野が思い起こされていたところだった。見落としたが昨夜は、大学のワンダーフォーゲル部の後輩にあたる野村さんが、北海道縦断をしたドキュメンタリー番組だったようだが、予告で見たシーンでは日高山脈の冬の稜線を歩く彼を空撮していた。どうも、この頃日高山脈が近い・・・と思っていたら、そうだ、ひょっとして今年は日高山脈国定公園が国立に格上げされる年だった、と気付いた。直行さんには、若いころにずいぶん励まされたような気がするし、山々や自然の淡彩スケッチを始めるきっかけともなった。自然と向き合う自然体とたくましさが凛としていて、かくありたしと思った人は少なくないはずだ。山に登る人でわたし世代前後の人は、この坂本直行さんと言えば日高山脈、日高と言えば直行さん、という連想が強いのではないだろうか。書棚から直行さんの有名な画文集『雪原のあしあと』と『原野から見た山』を取り出してみよう。

■01/19 ケプロンを驚かせた銭函の小屋
薪ストーブを自宅で使うようになってから、特に北欧など欧州北部との比較をすることが多くなったような気がする。昔、フィンランドに森林を歩いたことや森と語るメンタリティなどは、ドイツ人の森への憧れとともに頭から離れない。結果、大きい彼我の差を探るエンドレスの旅のような自然観、風土観を意識するようになった。

かたやには、北海道の寒冷で湿原の多い開拓前風土が、頭の中で思い起こされる。特に、開拓期早々、国防と開拓のために勇払に入植した八王子千人同心が冬を越せず、多くが亡くなった話や、明治30年頃、和歌山は十津川村の災害で、北海道に移住した約2500人のうち100人はその冬に肺炎などで亡くなったという事実などに如実に現れている。

同じころ、国木田独歩が空知川のほとりに新天地を求めて約2週間の旅をしたときに見つけた現地役人が駐留する開拓事務所の、余りの粗末さに驚き、役人からはヤメタホーガイイ、という意味の嘲笑ともアドバイスともつかない言葉をかけられたのも、軛(軛)をひとつにするエピソードだった。

要は北海道開拓は、本州において弥生式の農耕が行われていたころの家屋とほとんど同じ高温多湿対応の住まい様式がそのまま北上して持ち込まれ、内地文化を維持しようとしたものだった。そしてそれは昭和あたりまで続き、暖房を重視した北方型住宅や断熱工法の本格的研究は戦後のようだ。

司馬遼太郎の『街道をゆく 15』の「北海道諸道」を読むと、司馬は、明治4年、北海道開拓計画に関わった米国人ケプロンが、小樽に上陸し札幌に向かう途中、銭函の小屋に一泊した際に、その余りの粗末さに驚いている様を紹介している。悲惨である。ケプロンは南北戦争の兵隊ですらこんなひどいところはなかった、と述べたという。一方、開拓行政トップの黒田長官は当時薪ストーブの存在を知って試作させたが根付かなかったと司馬は書いている。我慢と根性だけでは生き延びられない、過酷でもある風土を持つのがわが北海道であり、自然との関わりや精神的なこと、快適さの感性など、フロンティア期を本当に過ぎているのか、わたしは自問することがある。

■01/17 待望のFM誕生か?!
苫小牧の小さなミニコミ誌「ひらく」が、新年早々うれしい特集をしている。人口の割にFM局がないのはおかしい、などと他人事のように言う人もいたが、遊び気分とは違ってビジネスだから、何かと立ち上げが難しいのだろううなあと思ってみていた。その実、なんどか開局の試みはなされたようで、これまで結実に至らなかったものだ。たかがFMなどという人もいようけれど、わたしは街の民度を示すような重要なツールだと思っていて、チャンスがあれば是非応援したいと思っていた。『ハスカップとわたし』を発刊する際にも、街づくりのプロジェクトとしてハスカップ・イニシアチブを想定し、ハスカップを真ん中に置いて、市民の集うプラットホームのようなものを標榜していたから、スキームとしてはゴールの一つに、当然のようにFM局を掲げていた。

ただ、無責任のようだがこれに関わる人たちは次の世代のように感じていたために、聞き耳をたてつつ地域FM開局の事例調べなどをしながら、地域FMの研究者などと交流を持った時期があった。記事の写真で見る限り、スタッフも若々しい。今年6月ころの開局を目途にしているというから、実に楽しみだ。番組制作講座も開設されるので顔を出してみたいと思う。山田香織さんの、この「ひらく」といい、FMといい、新しい世代のエネルギーをギンギンと感じる。

■01/15 象徴的な山の仕事

山の手入れ、などというと聞こえがいい免罪符ではないのか、本当はどうなのと疑問を持つ人がいる。わたしはいちいち、反論はしないが、昨日、現場を巡っているときに見つけた、あるメンバーのこのような枝片付けを見てもらえばおよそ察しが付くのではないか。地域の人が気持ちよく歩けるように、除間伐で生れる散らばった枝をこんな風にていねいに寄せて片づけるのである。パフォーマンスではない、自然に向かう姿勢がひとつひとつの作業風景に表現されるのはうれしいことではないか。ただ薪が欲しい、という人はこんなことはしない。

■01/13 あの世に行くまで自由時間、という強み
年末からパソコンの作動が急に重くなりとても使用に堪えない状態になった。年末年始には過去にもトラブルになったことがあったが、時にはパソコンを初期化したり、それはそれはストレスの多い難事だった。ところが今回は少しもあわてなかった。考えられることを一つずつ探り原因を絞って、CPUやメモリーの使用率やウイルスソフトの負荷などもチェックした。慌てず、ゆっくり、数日で復旧したのだが、かつての狼狽と今回のこの差は何かと言えば、まぎれもなく高齢者のアドバンテージではなかろうか。あの世に召されるまで自由時間だ、という余裕である。締め切りや約束がない、誰にも迷惑をかけない、だから慌てることはないという信号がやってくるのだ。これは実にありがたいことだ。数日前から、寒中見舞いに一言ずつ書き添える楽しい作業を始めたところだが、この余裕のおかげで、一人ずつ顔を思い出して個別のフレーズを綴っていくことができる。ありがたい話しである。

■01/11 山登りの間に巡る思いの差
もう半世紀の前の話しですが、たしか女性で初めてヒマラヤの8000m峰のマナスルに登頂したMさんに、「登りながら何を考えているんですか?」と伺ったことがある。うろ覚えの記憶になったが、おそらくは彼女の山の会の山行に客人として参加した石狩岳のシュナイダーコースだったような気がする。残雪のステップを切りながら、Mさんは「これから先のことかなあ」と静かに応えられた。「先のこと」、山の登りはいつもロッコンショウジョウのような思いだったわたしとは真逆の答えに、さすが、と思うと同時にちょっとびっくりした記憶がある。70歳を超えて一年、やっとその境地に来れたような2023年、1月。

■01/08 歌に見る庶民の共感 16
先の1/4 に紹介した短歌集で、この項の対象とした庶民ではないが、歌人のさすがと思える印象的なものを幾つかあげておきたいと思います

◎海なりし昔おもひぬ湿原を蘆くねらせて風わたるとき     奥泉一子作
……7000年ほど前は海だった湿原というものを見慣れていると、つい海だったことを忘れがちだが、この殺風景なヨシの揺れる姿はたしかに大昔を懐古するきっかけになるかも。もう50年ほども前のころ、野ネズミの殺鼠剤を播くために、毎年2回、ヘリコプターに乗った。ある年、若いパイロットは播き終えて帰るとき、このヨシ原をうねるように飛んで,、ヨシが左右に揺れるさまを楽しんで遊んだ。湿原にシカの足跡が無数にあった。いい時代だった。

◎縄文土器掘りたる跡に水溜まり映れる空を今日の雲行く     石山朝次郎作
……これも縄文時代を見晴るかすきれいな歌だ。一万年も前の縄文人も見た雲だが、今日のオリジナルだ。この一足飛び感覚がさすがと思う。

◎屯田兵三世我等痛恨の決算沃野をリゾートとなす     那須愛子作
……農家の奥さんだろうか。痛恨の、が痛い。土地を売る痛み、悔やみ、無念さ。短い歌だけに、伝わる「痛恨」がさぞやと呼び起こされた。

◎アイヌの血受け継ぐ人らと踊りつつふつふつと湧く哀しみのあり    菅原恵子作
……偶然なのか、この歌も古に思いを馳せる作品だった。風土と人々と思いを表現する短歌という芸術の底チカラだろうか。そこには歴史を見る目と人々への共感や思いやりがある。

■01/05 渡辺京二さんと龍村仁さん
昨年末は、愛読した渡辺京二さんが鬼籍に入られた。『逝きし世の面影』で古き良き日本人の原型のような姿にふれ、自虐的な方にブレがちな流れの対極にある、大いなるインパクトを感じたのが今は懐かしく思い出す。日本人が戦後、米国の洗脳に気付かないまま国の根幹を失いかねない現状まで来ている今、氏は日本人の素顔を、来日した外国人の観察記録で再現して見せた。『黒船前夜』では、和人がアイヌから略奪し虐待したとする松浦武四郎のアイヌ史観とはまた違った風景を描いた。わたしは松浦武四郎の生地・三重県松阪市に武四郎の博物館を訪れて少しニュートラルな武四郎像に少しでも触れることができたのは良かった。渡辺さんが支援した石牟礼道子氏の『苦海浄土』は勇払原野の雑木林に敷衍して、開拓の歴史と自分の地域活動を重ねてみる静かで熱い機会となったのは記憶に新しい。

今朝の朝刊では、ガイアシンフォニーの龍村仁監督のご逝去を知った。ガイアシンフォニーは全国の自主興行に支えられ、過去の9作品欠かさず見て、苫小牧での上映では王子製紙の成志会館で行われたスタッフの懇親会でツーショットを撮らせてもらったが、写真は見つからなかった。自然とスピリチャルな交流を、これほど丁寧に追いかけた監督は知らない。共感することも多かった。ヨガや冥想をたしなむようになったのも、監督が追い風を吹かせてくれたような気がする。お二人ともわたしにとって輝く巨星だった。 合掌

■01/04 短歌が謳う北海道の風土
正月2日のラジオ深夜便のトップ「ほむほむのふむふむ」は、歌人・穂村弘と俵万智のスペシャル対談で、深夜の約2時間、興味深く聞いた。驚いたことに2022年は短歌ブームだった、というのである。わたしはそんなこととはつゆ知らず、読売新聞が毎週月曜日に掲載するの歌壇俳壇の作品のうちから、毎日早朝10~20を声を出して読むことを、早起きして通勤しなくてもよくなってからの日課にしてきた。ボケ防止も意図した「早朝音読」である。

その一方で、定年後の最大の愉しみは歴史を探ることで、最近は特に、開拓前後の北海道の風土と基盤整備(インフラ)の様子、そこで人々は目の前の手つかずの自然をどう見ていたのかという精神史のようなものに興味が湧いていた。開墾の前に立ちはだかった原始の自然に、人は生半可な精神で立ち向かえないはずで、それを先人はどう乗り越えたのか、心のよりどころは何だったのか。しかし、「風土」などと、やや情緒を交えた描写などとはそうそう出くわすわけもなかった。

それもそのはず、わたしが紐解いていたのは、いわゆる開拓の歴史のような文献が主だったからである。年末の師走になって偶然のように写真の本に出合ったのである。これはもう30年近く前に出版されたもので、開拓最前線と言えるものではないが、大正と昭和初期生まれの歌人らが見た旅の風景や生活景、さらに農業者の歌も網羅されて、かつ意外にも勇払原野や近隣を題材にしたものも非常に多かった。わたしの干支・ウサギ年、今年も実り多い良い年になりそうだ。

そして自然や風土が、深く濃縮されて短歌という短い作品に結実されていることに気づいた。概観すると、荒涼とした北海道の風土に立ち向かおうとしているのは、主に男性であり、女性は「風土にくぐもらせ」人の心理などを風土の中に歌いこんでいるようだ。寒冷地、原野の荒涼、そうでありながら四季の移り変わりに潤いを感じて生活を折り合わせるような営みを彷彿とさせるものが多く、重みのある記念すべき読書だった。

■2023/01/02 年が明けて
昨年、義兄が鬼籍に入られたため、年頭のご挨拶を失礼しました。穏やかな年越しを今年も読書で過ごしました。年が改まる前に、その年に読んだ本や旅行や出来事などを拾い上げて振り返るのがルーチンになりましたが、こうして列記したものをポイと忘れ去って、さて来年は何をしようと、気分を一新できるチャンスというのは、なかなかあるものではありません。たとえそれが長続きしなくても、思いひとつで年忘れになると言う巡りあわせはささやかな発見。うさぎ年生まれなので今年は年男(この歳でもそう呼ぶの?)なのだそうですが、晴林雨読を軸にしていろいろ旅行もしてみたいと思います。ところで、旅、これの企てがこころをウキウキさせることを知りました。と同時に、それは旅だけではなく、前向きな計画そのものに潜んでいる、というのも事実のようです。これは意外と役にたつかも。

■12/30 山宿の雑木自然

昨年の早春、この山宿を訪れた時、谷の対岸に生える雑然とした林に妙に親しみを覚えたが、その際の感想として北欧の人が「(整然とした)森の民」だとすれば、北海道人と自称する自分などはどう呼べばいいのか、と自らに問いかけていた。今になれば、この雑然とした樹林に強い親しみを感じることから、「雑木自然の民」、という呼び名が思い浮かんだ。植生のシンプルなるがゆえに美しく見える森と、多種多様な植物が繁茂していく日本の森。生えては枯れる繰り返しを続けて混然一体となっている様は、自分が人工の構築物にいるから、尚更に悪くない存在に感じるのか。それともこのような、やや仏教的ともいえる森羅万象を受け入れるDNAが宿っているのか。ちょっと不思議な感覚にも感じられる。
その山宿も一旦外の通りに出てみると、聞こえてくる言葉はほとんどが中国語風だった。恐ろしい感染の再来にならなければ良いが、と不安がよぎった。
2022年の年の瀬となりました。いつもお訪問、ありがとうございます。どうぞ良いお年をお迎えになりますよう。

■12/27 藤沢周平が語らせるセリフ
年末年始の休みモードになって(実はいつもと同じなのだが)、横になって読めそうな本を読みたくなり、藤沢周平の文庫本を手にした。「・・・が痛恨事として胸に残ってはいるが、人間の一生には山もあれば谷もあり、このぐらいの不しあわせがあって晩年をむかえることが出来ればよしとすべきなのか・・・」、主人公の布施孫左衛門がそう一人ごつくだりに目が留まった。よろず、自分の仕事人生はどうだったのかと重ね合わせることがままあるからか、生来、自己否定癖が強いせいか、古希を超えてから穏やかで至福の日々が続く幸運に感謝する裏側で、相変わらず来し方がこれで良かったのか自問自責する日がある。これでは余りに居心地が悪いから、無意識に折り合いを求めているのだろうと思うのだが、今朝、これはわたしの「業」というものなのかと思い至った。であれば、当分あるいは末期まで付き合わざるを得ない・・・。小説とは本来こんな風に自分との対話を喚起するものなのか。郷里山形の藤沢周平と思えば肩の力が抜けてますます自省モードにもなってくるのか。このところ、こんな迷想が止まらない。

■12/25 冬至、クリスマス、大晦日、そして新年へ
おとといは、ついに、冬至でした。陽のめぐりは早いように感じます。そしてクリスマス、これから年越しへと進みますが、家人と二人だけなら、クリスマスよりも冬至が来て雪が降ったことの方が、こころに刻まれます。不思議なもので、この頃になると、今年を振り返って、来年はこうしよう、あれもしたい、あそこに旅行しよう、などと夢の懸け橋ができてきます。年を越すのは、昆虫の脱皮のようですが、人間はどっこいそう簡単に捨てきれない反省や汚点も残すのがミソ。こうして煩悩と後悔に打ちのめされて人生は終えるんだ、それでいいのだとある賢者は言います。そういう意見には心底ホッとするわたしです。

■12/22 名著『薪を焚く』を紐解く
 
「薪を焚くということが暖をとる以上のなにかであることを悟った日を、私はありありと思い出せる。・・・」という書き出しで始まるこの本(ラーシュ・ミッティング著・朝田千恵訳『薪を焚く』)は、わたしの周りの薪人(まきびと)にはかなり読まれている名著だ。開いてみるたびにヒントがあり、心に浮かぶ思いがある。

学生時代の山小屋の管理人を含めると、薪ストーブにかかわった年数は半世紀になるが、それは当然、生活の中の薪などではなかった。たまの、非日常の世界だった。それが生活の中の不可欠のライフラインに変わると、北欧の彼らのように薪を焚くというひとつの行為が、風土を科学する精神に裏付けられていたことを痛感するようになった。おそらく、北海道開拓150年の歴史は、温かく暮らすという生活文化に結晶するのが遅かったうえに、石炭や石油電気利用の暮らしに一足飛びに薪の時代を素通りしていたせいだろうか。わたしたちには我慢という精神文化が根強く、アメニティ快適さ追求という望みは贅沢とみなされたからか。

しかし、だいぶ前から広葉樹林の保育を先行させつつ結果的にゆっくりと薪ストーブライフに軟着陸してみると、「薪はエコだ」「とにかく熱量の高い薪が欲しい」というような、いわば嗜好の域を超えて、身の回りの環境と自分の関わりのなかではじめて、薪が辛うじて生まれてくることに実感が伴うようになった。土地所有者との折り合いやコミュニティ的な生産の仕組みなど、社会との付き合い方、もっといえば円満な人間関係も見過ごせないのである。

これらの点で、『薪を焚く』は北国生活の先輩格として、わたし(たち)に多くのアドバイスをしているようだ。今日開いたページ(上左)の写真の脚注にはこうある。「原木はあまりにも長く森に放置しないことー始めの頃に乾燥がうまく進まないと、カビやそのほかの菌類が発生し、のちに乾燥環境をよくしたところで、質の悪い薪になる・・・」、そしてそこには赤い太いペンで線が引かれている。これはここ何年か勇払原野の現場で繰り返し痛感してきたことだったからだ。

こういう追体験を他の例に探すと、それは北海道人の山菜のレパートリーに似ているように思う。青森や岩手の人はキノコやほかの山菜についても選択眼が幅広く調理の経験も多様なような気がするのだ。そうこうしているうちに到達したわたしの気づきは、北海道の薪生活も山菜食も、風土を科学するという一点ではまだまだ開拓期にあるのではないかということだった。試みに、それを21世紀のフロンティアと小さな声で呼んでみると、まあまあ、明るく元気が出るような気がするから、我ながらおかしい。

■12/19 里山の雑木林に森の文庫生まれる

abe-b さんから寄贈された森林と林業技術系の書籍を、ya-taro さんが製作したオリジナル本棚に収めた。小屋は、ラーニング・コモンズのようなICT設備や広いスペースもないが、静かな学びと思索の共有空間の様相を呈してきた。詳しくは雑木林だより120の12/19 へ。

■12/18 人と雑木林のコラボが手自然の風景を創り出す

年の瀬の山仕事で、除間伐木の選木をして巡る。一本一本の樹木と出会いながら、実は山を見る楽しみがある。根雪になる前の最後の日かな、と思っていたら本当にそうなった。落ち葉浄土の上に人の手入れの跡がほの見える風景をアズマシイと思えるのは幸せである。


●日々の迷想 2021& 2022