晴林雨読願望 take /草苅 健のホームページ ![]() ![]() 勇払原野のコナラ主体の雑木林。ここは中層をウシコロシの黄色が占めている |
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first upload: Nov. 29 , 1998 last upload: Mar 25 , 2023 |
日々の迷想 ■3/25 薪づくりを始める ![]() 林に入って行う除間伐をほぼ終わって、今日からは薪ヤードで薪割りを開始した。試しに、そのすぐ隣で、パレットに薪を積み始めてみた。薪にカビなどが生える前に早々に積み上げるのは爽快で、壮観ですらある。それに丸太というボリュームが薪という製品にどのような歩留まりでできていくか、ヤードのストックすべてを片づけるのに、このような作業が何日必要か、などがピンとくる。これは面白い、と思った。 (明日から週末まで、更新を休みます。) ■3/23 息切れサインと養生訓 去年の年の瀬の頃からまた不整脈が始まり、この頃は動くと息切れすることに気づいた。山仕事でソリや一輪車に道具を積んで牽引しながら車に戻るときなど、休み休みになってしまった。もちろん、いっしょに戻るメンバーがいれば当然追い抜かれる。昨日、半年ぶりに札幌へ出て古巣の職場の理事会に出た折は、かつての通勤路だった、わずか7,800mを歩きとおすのがつらく、帰りはさすがに途中のとあるホールに逃げ入りソファに掛けた。当然、あらゆる通行人に追い抜かれた。何ということだ。 晴林雨読などと言って、読書三昧にかこつけて座ってばかりの生活が続いてしまったのか、歩くのが嫌で、すぐ腰が重く感じつらい。これを健康上のサインと見た結論のひとつは、いうまでもなく運動不足だ。もう一つは動脈硬化に伴う呼吸不全。まずは運動不足解消の処方を試そう。心肺機能を使う動作など、ほとんどしないで来たツケが回ったと思う。山仕事はそこそこ体を使うが、心肺機能とはやや違う。心身との対話、特に身体との養生問答に少し軸足を置いて体が発する声に耳を傾けてみよう。 ■3/21 流れ星とシマエナガ ![]() 昨日、気温は14℃、今日の春分の日は10℃、さすがに庭の雪も先週すべて消えたが、山の方は、一見早春の風景だが、土は凍ったままだ。昨夜は久々に大きな流れ星を見ることができた。今年二つ目、そして今日、雑木林に着くや否や顔を見せたのは、ヤマガラ、そしてキバシリ、さらにシマエナガである。何とはなしに春らしい出会いである。シジュウカラも活発に鳴き続けていたが、こちらはチェンソー用のイアマフを装着していて、終日、鳥たちの生ライブにはならなかった。残念。写真は遠浅から静川に移動した際のケアセンター、雪が落ち葉に替わったが、この落ち葉はお盆のころまで腐らないで、突如、消える。。 ■3/19 山菜のトップバッター「山わさび」を忘れていた ![]() わたしは北海道、特に苫小牧に来るまで、山わさびを食べたことがなくて、昭和51年、苫小牧の会社に赴任してあてがってもらった下宿で食したのが初めてだった。最初はイカの刺身などで味わったと思うが、下宿のオバサンは今頃の季節になるとよく食卓に出し、醤油をかけてご飯に乗せてもおいしかった。その後、自宅の庭にも植えたが殖えて大変だった。勇払原野の春の山菜といえば、フキノトウやアイヌネギの前に、実はこの山わさびがあったことをうっかり忘れていた。そもそも、田んぼの畔など、農家が片手間に植えたものがほとんどだから、厳密に山菜採りに興じるという対象とはちょっと違う。さらに剣先スコップやツルハシで凍った土を掘って取ったような記憶がある。それだけをとっても、いわゆる山菜取りの先駆けにあたるだろう。しかし、思い立ったら吉日、山仕事のあと厚真を訪れてふたつみつ入手した。一日おいた今晩、イカを用意していただく予定だ。 ■3/17 吉本隆明の老い指南(吉本メモの3) 読み終えたつもりの『家族のゆくえ』だったが、備忘録として残しておきたい文章がまだまだある。尿漏れに備えた紙おむつをしながら、80歳を超えた思想家は呟くように、こんなふうに書く。 (老人の心身の機能の衰えについて) 「実感で言えば、老齢者の身体の機能はちょうどそれ(注;赤ん坊から以降の発達期の人)と逆の反応をする。病気が回復するところまではいっしょだが、回復するごとに必ずどこか元にもどっていないし、もうもどらない箇所が増えてくる。これが老年期の身体の衰え方の実感だ。」 「精神的能力はどうか。はっきり変化する。精神は発達し、視野は狭く直線的になるといえば、おおよその特徴は把握しているとおもう。」 「老齢になると、衰える部分と拡張される部分がある。身体の運動性は衰える。しかし長い年月を生きてきて、それを使うことに慣れている想像力とか空想力、あるいは思い込み、妄想と言った機能は拡張されるとおもう。」 (時代病の根源について) 「我慢に我慢を重ねていれば、一足飛びに殺し合い・・・家出、放浪…離婚や近親争いも起こりうる。」 「何がむずかしいのか。かつての自然産業優位の牧歌的な社会では黙っていても親しい者のあいだに暗黙の了解と意思が疎通していたのに、現在ではこの暗黙の理解は肉親、辺縁の人間の自然な関係でも不可能に近くなっているからだ。」 「根本的にいえば、配慮の難しさはかえって近親、近縁ほど複雑になるという逆説的な関係が深まってゆくことによっているとおもえる。もっと社会的視野の関係で言えば、現在の大都市では、時間の流れ方は二十年ほど前と比べて二倍か三倍になっており、その影響は全産業の五〇%を超えている。(農村、漁村、林業の自然産業も生産の速度は増しているが)それでも大都市地域の循環速度に比べて格差は大きくひらくばかり・・・」。 「これは大都市周辺の近隣地域で、親子、近縁、子供同士、または先生と教え子の関係などが険悪、苛立ち、突発の事件としてあらわれる大きな根拠だとおもう。時代病的な精神異常といってしまえばそれまでだが、いまのところ根本的に防護する方法は見つかって(おらず、政治家や識者らがおよそ見当違いなことを騒ぎ立てている)・・・。」・・・ 「現在の地域世界の社会状態に、歴史的根拠のある流れをもたらせられるかどうか、その方途を見つけ出すほかに根本的な解決はあり得ないとおもう。」 ~~~~~ いつも里山のなごみ、などと現代社会から見ればあさってのようなことを書く当迷想ブログだが、手仕事でゆっくり体得する人としての営みと、猛スピードで変化する文明社会との間で生まれるズレを、辛うじて補正する手立ては、こういう環境と都市生活の間を意図的に行ったり来たりする日常を創り出すことが意外と威力がある。そんな感想だけメモしておきたい。その結果失ってしまうモノも得るものもいろいろある。そこには諦めとか覚悟とか、これまた世間ではあまり喜ばれない心の動きが横たわっているようだ。 ■3/15 今日の里山の風景 ![]() 今日も朝から快晴、山仕事には絶好の陽気である。そしてようやくハクチョウやガンの上空飛来がにぎやかになった。斜面の枯れ木とツルを片づけて、ふと振り返った風景がこれだった。陽ざしと言い、雪解け具合と言い、いくつか積まれた丸太とやや乱雑に積まれた枝と言い、ああ、これが里山風景だよな、里山らしいなごみだなあ、としみじみ思った。窃盗や人殺し、政局をねらった国会質疑、領土侵略の危機すら報じられる内憂外患の今日、このひととき、この風景は何を意味するのか。世界の末端にある些末な日常、ごくごく小さな幸福のような、なごみがここにはある。 ■3/14 嘘臭くなってしまった言葉たち 癒しの森づくりフォーラムでも話題になった「癒し」という言葉について、造園関係の先輩とメールのやり取りをしていて、妙なことに気づいた。本心では嘘くさい、というニュアンスの言葉群があるのである。というか、うすうす感じていたことだが、この機会にもうすこし突っ込んで考えてみると、それは実は日常使っている中にたくさんあった。そしてそれらは時々、キーワードだった。わたしのカバー範囲で言えば、緑、恵み、自然、森林なども、いわゆる「これが目に入らぬか」、とでもいうような正義の言葉になっていないか。小学生が作文発表で、「生命(いのち)」という言葉を発する(先生のアドバイスなのだろうけど)ときなどはその極みであろうか。これを言っておけば文句は出ない、的なデファクトスタンダードと呼ばれるものか。 しかし、これらは限りなく怪しくて、自由、平和、民主主義、平等、人権、などが連想されていく。煎じ詰めて言えば、これらはイデオロギー的に使い古されて錆びてしまった、しかし極めて便利な言葉だったのだ。ポリコレ(politically correctness)を批判的に追いかけてきたものとして、どれも同一線上に見える。これらの言葉をうまく迂回して表現するのが難しい時もたまにあるが、それらはしばしば括弧書きとなってしまい、そのままだとどうにも読みにくい文章が出来上がる。 ■3/11 手仕事の精神文化(吉本家族論のつづき) 人類などというものはさほど進歩などしていない、進歩したのはマシンなど文明だけで、だからこそ人の生き方を教え考える人間学は不可欠だと思ってきた。一見、何の意味もなさそうな山仕事のように、工夫しながらする手仕事の意味を、しばしば満足感をもって反芻することができる。「思い込める」強みか。加齢とともにその思いが強くなってきている。そんな思いに通ずる文言を、吉本隆明の『家族のゆくえ』に見つけた。 曰く、「(先進地、後進地、西欧・非西欧などの比較のあと)イエスとか釈迦とか孔子、そういった聖人君子がいっていることはいまでも凄いなとおもうが、そのあとの時代は精神性が下がる一方なのではないか。確かに細かいことをいうようにはなったけれど、言っていることはくだらないことばかりだ。・・・すると、後進地域のほうが家族問題や個人の親愛の問題、さらには食べるための生活もうまくやっていたのではないかとおもえてきた。いまから見るとたしかに、なにか幼稚なことをやっているように見えるが、当時の人は精いっぱいそうやっていたわけで、じつは彼らのほうが幸福だったのではないか。時代を経るにしたがってどんどん複雑な要素がからんできて、悪くなってきたのではないか。日本人は常に先進国に統合していこうと考えてきたわけだが、どうもそれは間違いだったんじゃないかとおもうようになった」。・・・これはすとんと落ちてよくわかる。多くをはしょって予言者風だが、わかりやすい言葉とは本来そういうものかもしれない。 ■3/9 ママレードを作る ![]() ![]() 熊本から送ってもらったデコポンで、大好きなママレードを作ってみた。大好きなのに、なぜ、毎年作らないで果肉だけを食べてしまったのか。近年、朝食にトーストを少々食するようになったためか。ネットでレシピをいくつか眺めてから、本番。分量はいつもどおりテキトーにやってみたが、味は申し分なかった。Mサイズのデコポン2個でできる量もわかった。まもなく、川エビ漁をして、ホッキとフキノトウのかき揚げ、アイヌネギと、令和5年の風土の食の世界に突入する。 ■3/7 吉本隆明の家族論 年明けのころから、平家物語の現代語訳と、吉川英治の『私本 太平記』(全8巻)を並行して読んできた。12世紀の話と14世紀を同時に感じられるとは、さすがに読書の世界だが、こうやって読むのはなかなか古い日本を肌で感じるにはいいと思う。太平記は、わたしのはなはだしい欠陥が、この時期を全くと言ってよいほど知らないこと、とりわけ楠正成がとんと想像がつかない。それを補うには、と探したのが太平記だった。しかし、これほどの大河物語となると、人脈、系譜が複雑すぎてついていけないことがわかった。源氏物語の如く、ときどき、系譜が描かれるのでホッとする。 このごろは、これらに並行して吉本隆明氏の『家族のゆくえ』を紐解いている。子育ての反省や夫婦の間柄、そしてそもそも家族ってなんだ、というような基本的なことを考えてみたくなったのだ。吉本氏が80歳を超えてからの本で、強引な筆運びも惜しまず、自分の最も不得意な分野と断りながら、とつとつと本気で言説を述べる姿に、すこし衰えも感じさせ、そこのところがなおさら良い。わたしの家族もごく普通、と納得できるから安心した。人生、いろいろあるんだから、という共感を得るだけでも、なんだか元気がでるではないか。 ■3/5 SDGsと薪 ![]() 昨日、最後の除間伐材ともいえる立ち枯れの丸太を運びながら、一緒にスノモに載ったメンバーと、「これがオジサンたちのSDGsだよねえ」と笑った。2月の最終日、これ(上の画像)が本番の除間伐丸太の最終便だった。大小さまざま、ご愛敬で若干、長さもまちまちである。そして、もったいないからこれも積もう、とフットパス脇の丸太を拾う。高いビルと公共交通網の発達した都会では想像もつかないだろう、ほとんど手仕事の世界。グローバリゼーションと市場第一主義、環境負荷増大の日常から折り返して、落ち着く先が実は SDGsだと思われる。 ■3/3 春の山の歌 スケッチブックの余白には、1980年5月とある。いまから40数年前、定宿にしていた町営白樺荘(だったと思う)のそばの瀟洒なホテルと、山は美瑛富士岳。5月の山は心が浮き立ち、ドイツの「5月の山 An Den Mai」は、小屋やテントで、時には結婚披露宴のステージなどではもハモりながらよく歌った。3月弥生の声を聴いたばかりなのに、気分は5月のような高揚感がある。きっと夜明けが早まり、陽ざしが強くなったせいか。それで、この歌と、このスケッチをペアで思い出した。 Mozart作曲。歌詞は、「うるわし五月みどりは萌え/小川のほとり、スミレ花咲く/スミレひともと手折りてみれば/野に満つ春のゆかし香り」と3番まで続く。まさに春祭りを祝う気分にさせる。明るく季節を歌う習慣はこのころにできたようだ。苫小牧から白金温泉まで250km。あの時はどの山に登って、どこを滑ったのだろう、記憶が定かでない。take/草苅のミニギャラリーはこちら。 ■2/28 サリカリアのタネを播く 今年は桜やコブシの枝を切り取って水に差すという、春先取りの儀式をしなかった。ハスカップの実を培地に押し付けて発芽を待つという毎年の営みもせずに、もう明日は3月、弥生である。なんだか心残りに思っていた矢先、山の本を積んだ棚にサリカリア(エゾミソハギ)の種の入った袋があったことに気付いた。さっそく、皿に水を張って発芽試験を試みることにした。もう20年も前に、今は亡き白老のNさんにもらったものか、どこかで種を見つけて保存したものか、忘れてしまった。もし、まだ使えそうなら、かつてはアヤメが咲いていたという現場の湿地に播こうかと考えている。 ![]() PS:facebookから10年前に私が投稿したこんな居間の桜の写真が届いて、われながら見惚れた。除間伐の仕事で山で見つけたサクラの枝を花瓶に差して、2月に咲いた画像。正面の奥のモノクロ写真は、林学先輩の坂東さんによる、農学部正面の階段、その左は、八木健三先生の描いた日高山脈を、ワンゲルOBがパノラマにしてくれたので額にいれたもの。サクラは格別。 |
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