晴林雨読願望
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勇払原野のコナラ主体の雑木林。ここは中層をウシコロシの黄色が占めている

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●日々の迷想 2021& 2022 & 2023

2021
first upload: Nov. 29 , 1998
last upload: May 30
, 2023

日々の迷想

■5/30 ご当地ラーメン


旅先でその土地ならではの名物料理をいただくのは旅行の愉しみの大事な要素。昼食はその点、比較的安く庶民も付き合える逸品である。そのためには多少並ぼうが、遠かろうが、手間を惜しまず付き合う。

今回の旅行では博多でまず「shin-shin」 の列に入った。前後は台湾人のような人もいた。「長崎ちゃんぽん」は長崎駅そばで、左下の熊本ラーメンは土地の人にすすめられ山の中の「若竹食堂」。熊本の山仲間が連れて行ってくれた。家人が卓に置かれていた梅干を褒めたら、オバサンが袋に分けてくれ、調理していた息子さんは「ついでに借金と婆さんも持っていって」などと冗談を飛ばした。最後は博多空港の搭乗ゲート内で見つけた「一蘭」。東京は有楽町で食べた「中蘭」の絶妙さに唸った時、修行元はこの「一蘭」と聞いてマークしていたが、博多の中心街の本店には訪問できなかったので実にラッキーだった。さすが、うまい。

■5/28 出島の余韻

苫東緑地計画の背景にあった公害、特に水俣病資料館を最終目的地にして九州を旅行した。水俣の話は「雑木林だより」に書くことにして、ここでは特に印象に残った長崎は出島について。長崎は雑木林をテーマにしたホームぺージやSNSで長崎在住の「まつを」さんと知り合い、当地の文化レベルの高さを拝察していた(今回は畏友まつをさんには連絡を取らずに駆け足訪問)。長崎の原爆資料館を含め、初めてみる長崎を「体感」した。振り返ってとりわけ印象深かったのは出島。奥行60m横の長さ200mという、ちっぽけな離れの島に、世界の情報と文化と物資を集中し凝縮させ、ここから日本の発信もしていた。世界地図と日本と北海道をも繋ぐネットワークのかなめ、出島。開拓が始まって150年、自然優先の北海道にいて、聞き覚えて出来上がった想像を越える世界が見えて、まだあまり頭の整理がついていない。一つ言えることは、己が井の中の蛙そのものだということ。ガツンとやられた感じ。

■5/21 新緑冥想


5/20 朝、探鳥会を終えてから単身フットパスの枝拾いに出かける。間もなく開始する刈り払いに備え、事前に落ち枝を径から除いておくのである。そうすると、ワイヤーや鋸刃の支障にならないし、時に刈り払い動作を中断して拾う必要がない。奥のベンチに差し掛かると、いよいよ新緑は本番を見せていた。数日前はウグイス色だった。

この時期の新緑冥想は格別である。座って冥想の態勢をとると、小鳥たちのさえずりのシャワーと新緑の「気」のようなものが降ってきて、虫や風などがなんら邪魔しない。土地の風土をつかさどる神のようなもの、産土(うぶすな)がいらっしゃれば、こちらの真我とつながる格好の条件となる。人の幸せは様々だが、土地とつながっていると感じることの幸福感をわたしは一番にあげる。一年、365日は数多の時間だが、出会いのチャンスはそうそうないもの。

そして今日は24節気の小満。朝からの雨で気温は上がらないことを想定して、今季最後になるだろう、薪を焚いた。
*あすから週末まで、当ブログの更新をお休みします。

■5/19 樽前の浜


自然海岸、樽前の浜へ。気象図 windy で見ると、久々にフライを振るには都合の良い北風だったから。それに弁天浜でサクラマスやアメマスが釣れるなら、ここだって可能性はあるはず、と実は初めて来てみた。冬や春先の日本海なら完全装備は必須だが、5月のここは、軽装、車横付け、足元は長靴のまま、そして家から15分あまり。

しかし、そばでカレイ釣りをしていたおじさんは、「サクラマス釣った人なんか見たことないよ」と自信をもって言う。アキアジのころはもう錦多布の河口に行くというこの方は、ささやかな焚火をしていた。確かに焚火をしに来るだけでもいい。打ち上げられたゴミだらけの砂浜だが、写真のように水際はさすが自然の砂浜風景で、ボーフーは内陸のゴミのなかにポツポツ、そこそこある。が、弁天浜ほどではない。ボーフーは絶滅、なんてことはないことはわかった。

5/18 健康で至る老いという身体の自然
一昨日から昨日今日はさながらメディカル・デイと言ったところか。このところ我慢してきた首と肩の痛みが、整形外科のMRI検査で、正式に頸椎椎間板ヘルニアと診断された。昨日は歯の治療をし、おととい、耳鼻咽喉科で聴力検査を経て今日は午前に補聴器専門店に装着の最終的な相談に行く。午後は、首と肩を揉みほぐしに。

いずれの検査、治療も、歳相応と思われる。かくなる上は、この態様を理解して養生の段階と理解すべし、という内なる声が聞こえる。これは身体が歳を経て少しずつ機能を失ってきた結果であり、病名はつけられたが病ではない。そんな身体という「自然」にもそれなりに付き合おうと思う。

■5/16 霧の中の新緑

霧の苫小牧を嘆いていたころ、「苫小牧や釧路の霧の日もいいね、光線が柔らかくて気持ちが休まる」とある年配者に言われた。たしかにそうだ。霧雨に濡れても、心を洗濯するような趣がある。今日は家人と山菜採り。この時期の山菜は、一期一会と思うせいか、毎日食べても飽きない。。

■5/14 人の行かない秘蔵の風景

はるか昔、苫東の平木沼緑地の広葉樹林を保育するようになって数年後のこと、一帯がどうなっているか踏査しているとき見つけた名もなきルート。折角だから、それに名前を付けた。その名も「まほろばコース」。ヒグマの出没が多くなったり、股関節の手術をしたりでトレースするのを控えていたが、ちょっとした時間ができ天候も良いのでおそるおそる独りで出かけてみた。土地の買収前後から何十年も人が訪れていない秘蔵の風景で、かつて目印につけたテープがひとつも見つからなかった。劣化するに十分な時間が過ぎていたことを意味する。

■5/12 スドキとコシアブラ



素晴らしい雑木林の季節になった。ただ駆け足で過ぎるから、こちらも散策だけでなくいろいろ方策を組み立てて様々な方法で堪能する。わたしにとっての山菜の女王・スドキはこれからようやく本番。明るくなった除間伐跡地でもしっかり出ているのを確認して、小さなかごに少しだけ採って帰って、家庭菜園の野菜を分けてくれる隣のご夫婦に1回分を茹でてから差し上げた。スドキは毎日、朝昼晩続けて食べても飽きないが、昨年、茎が中空であることに気付いて、空心菜のような中国料理に仕上げてみたところ、なかなかよろしかった。

昨日はコシアブラも見つけたから、ごま油と醤油で炒めて昨夜の晩酌時に少々味見してから、今日のお昼ご飯にオニギリにしていただいた。天かすを少々混ぜた。やはり絶品だ。北海道では幸か不幸か無名だが、コシアブラの混ぜご飯は、ネットでも有名なレシピになっており、地元の古老もノーマークだったのは北海道らしくて面白い。木の芽の天婦羅と言えばタランボなのだ。



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