晴林雨読願望
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勇払原野のコナラ主体の雑木林。ここは中下層をウシコロシの黄色が占めている
一燈照隅
雑木林だより

 新里山からの日常発信

地域活動15年 勇払原野の風土を共有
 苫東コモンズ
  

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●日々の迷想 2021& 2022 & 2023 & 2024
& 2025
2021
first upload: Nov. 29 , 1998
last upload: Feb 06,
,2025

日々の迷想

■2/06 氷都と呼ばれたマチで

ネピア・アイスアリーナで行われたアイスホッケー女子五輪予選、スマイル・ジャパン対フランスをBSで観戦して、そのあまりのレベルアップには本当に驚いた。わたしが職場のアイスホッケーチームでゴールキーパーをしていたころ、出来立ての女子チームが入れ替わりで練習をしていたのを下手くそだなあ、などと笑いながらよくみていたから、つい比較してしまうのだ。スティック裁き、ドリブル、パス回し、シュート力、そしてタフさなど、往時とは5歳児と大人ほどの差がある。7対1という快勝もうれしい。

苫小牧に赴任したころは町内の公園に町内会の父兄が水を撒いて造った小さなスケートリンクがいたるところにあって子供らは幼子も器用に滑っていた。沼でワカサギが釣れる頃だと思う。土までが凍り雪があまり降らない土地だからこその風物詩だ。湿原のマチだから、たいてい水溜まりのような沼があって、天然のスケートリンクがあったようだ。ミュンヘンオリンピックの全日本チームが、市内の沼のリンクで合宿した、なんていう古いニュースを見たような気がする。この風土にあって、この競技、あるいは遊びと言える。環境は色々なものを制約し、方向を固め、地方色がでる。

■2/04 ホンモノの刺激



毎日30分から1時間、クラシックギターの練習を心掛けている。古希を迎えた頃に高価な補聴器を付けるようになり、お店で特に難聴気味の高音も聞こえるチャンネルをセットしてもらい演奏時に切り替えるようにしたら、音がとてもきれいになって練習に弾みがついたのだった。ところが調子に乗って昨年スマホで録音してみたら、これがひどかった。プチュプチュ音が多すぎて目立ち、もうギターなんか止めようかと落ち込んでしまったが、気を取り直してレパートリーとなる数10曲の演奏レベルをなんとか維持すべく、多少は難行のように取り組んだ。困ったことに今度は実は時々めげそうになるのである。いささかつらいから、逃げたい。

それでも、去年から取り組んでいる難曲が、ギター界のMozart と呼ばれるフェルナンド・ソルの ESTUDIO 17番。一日の練習の後半、指の動きが良くなったころに弾く。昨日、YOU TUBE でプロのこの曲の演奏を聴いてみたら、なるほど、やはりすごい。実にいい曲だ。美しい。こうしてたまに刺激を受ければまた少し前進できる。人間、どうしても低きに流れ妥協するらしい。わたしもすぐ楽な方に行こうとするが、本物の刺激なるものを鞭か飴玉のように使い分けるとたしかに継続の力を得る。75歳あたりでもう一度動画か録音にチャレンジしてみたい。それまであと1年半しかない。できるだろうか。

■2/02 県人気質

司馬遼太郎の歴史小説を読んでいると、土地土地の気質や藩ごとの訓えのようなものが出ていて実に興味深い。特に藩校のあった歴史あるところ、例えば長州や水戸藩、熊本や薩摩など、学生時代以降に出会った個性派を思い出しながら、なるほどと思い始めた。風土よりも藩の伝統、巷でどんな習慣があったのか、教育を受けたか、土地の気風はどうだったかが大きいように見える。明治維新のころに活躍し歴史に残る人たちが、薩長土肥に偏っていて他は埋もれたように出てこない藩も多いが、司馬小説は時々その埋もれた藩の師弟がひょっこり出てきて、司馬氏が丁寧に気質批評をすることがある。ああいうのも実に面白いと思う。

■1/30 人付き合いからの距離

「よくこれだけ大勢の若者たちを束ねられますね」と、20年以上前の育林コンペの集いで年上の人に言われたことがあった。それ以後も、それらしい評価をもらったこともあったが、いずれもボランティア活動についてだった。関係者の思いはバラバラだから、何かあるテーマに偶然収束した場になったことがあったのだろう。熱があってのことである。まとめる、束ねるということでいえば、思えば中学、高校、大学とクラブ活動にどっぷりつかり、学生時代はごった煮のような人のるつぼの寄宿舎生活だったことなどから、陰でまとめたりするのが好きだったのかも知れない。権威などとはもともと無縁だから、まとまっていく場の雰囲気というものもあったのだろうと思う。確かに、束ができジンと来るうれしい場というものが生れたこともあった。

とりわけ山のクラブは遭難騒ぎなどもしたから関係性は嫌が応にも濃密だった。だから時には言動が相手を傷つけそうな議論もしばしばあった。若かった故の代償だったかもしれない。。社会人になってからも本業のかたわら、いつも何かの地域活動を立ち上げて関わり、しばしば牽引していたような気がするが、たいていは10年もすると疲れが出てきて、そこに組織のほころびもあって見切りをつけたものだった。ほころびは粘り強くケアする寛容さとやさしさがないと繕うのが難しい。付き合いの濃淡は当然ながら人それぞれで、なかなか、うまく長くはいかないものである。

振り返れば凝りもせずグダグダと色々な世話役をしたが、しかし、さすがに70歳を過ぎる頃から、群れざるを得ない地域活動はもう卒業してもいいかな、という気持ちが強くなった。人生の終焉に近づき「ひとり」が独特の意味を持ち始めたことに加え、「ひとりでいたい」という本音に抗しがたくなってきたのだ。それに、知らず知らずのうちにだんだん、こちらがわがままになったりして周りの人たちに迷惑をかけていないとも限らない。これは人として避けねばならない。

それだけでない。身体があちこち故障しだして周りに合わせて同じスピードで動くことができなくなった。結果、群れ状態から必然的に離脱せざるを得なくなった。心身共に、戦線離脱が余儀なくなったと言える。

高齢になったものの諸々の過度な発言は、老害とも揶揄される。それは、世代交代という美しい言葉で言い換えられると、コトは軟着陸したかに見えるが、世代交代というのは実は意外と難しいものだ。生業や利害、損得が絡む場合は継続は動機になり得るが、ピュアな地域ボラの部分は、創設のモチーフが途切れやすいから一世代で終わっても無理はない。と、これはずっと以前から達観していた。それでも、人間そのものも、人生もともに複雑に絡み合い、だからこそ面白いのだし、そこを楽しめる寛容さがないと務まらない。束ねるなんて、そう見えるだけで内実はバラバラだったが、人と付き合いこそ、実に面白いのだから、それで十分、つかず離れず、結構だと思う。

■1/28 星空観察

このところ快晴が続いて星空がきれいだ。数日前は見とれて眠ってしまうところだった。凍死は恥ずかしいからやめてね、と家人は言うが、意外と寒くて目が覚めるから泥酔でもしなければそんな心配はまず要らないものだ。せいぜい風邪をひく程度だ。

この頃は夜8時過ぎには南にオリオン座が現れ冬の大三角形もなるほどと思わせる迫力を感じる。三角形の内部に星がなくて真っ暗であるところが素晴らしい。このような星空を見ているとご褒美のように突然現れるのが流れ星である。昨年は確か15か16、出会った。正直言って、子供のようにうれしい。

嬉しいと言えば朝の日の出前の東の空。うっすらと赤みを帯びた、昨日今日なら6時半前頃からの風景。まだ隣近所から人の気配などしないころだ。雀に餌を播くためにパジャマにダウンジャケットなどを羽織って出るときの、冷気。雀のはしゃぎ。昨朝の朝6時は、南に糸のような三日月が浮かんでいた。あれほど細ければ、お月さんだと気づかない人もいるだろう。2月のフィンランドに行った折、暗い雲が低く垂れこめて病気になりそうだった。「ムンクの叫び」を思い出すほどだった。その点、星空、快晴の朝マズメ、季節を問わず喜びと感謝のこころを引き出す。

■1/26 丸太の盗難とタヌキの共食い

トレイルカメラによるシカのねぐら観察が一段落したと思ったら、小屋の前の丸太が盗難にあった。そこで、バチが当たるからやめなさいよ、と段ボールに当方のメッセージを書いてガンタッカーで取り付けてみた。カメラを、野生動物観察から盗難監視に切り替えた途端、案の定、またやってきて雪の中から掘り上げて残していった丸太を、しっかりと盗っていった。

林に入り込む車はバッチリ動画カメラに収まったのは良かったが、そのあとに入っていた動画は、ベランダ下に出入りしていたタヌキの永眠と、それを食べにきた身近なタヌキによる共食いの姿だった。人間の世界で言えば、身内だろう。いやはや、参った。



勇払原野の定点観測をこの小屋周辺で初めて約半世紀になった。この小さなエリアとは言え、実に色々なドラマを見せてもらった。自然との共生とはこういうことをも含むから、ある時期からこの関係と感覚を悟ってしまい、市街地と自然環境の境界はかなり好ましく思えるようになった、というか、自然への単純な憧れは消えた。本当の自然は、本当に好きな人が行き住めばいい、と。

■1/22 寒中見舞い

楽しみながらひとりずつ顔を思い浮かべて書く寒中見舞いは格別である。恐らくこれで一区切りかと思われる1枚を今日出した。この方からは「これで年賀じまいにする」という年賀が数年前にきたから出さずにいたら、毎年、思いのたけをいっぱい書いて寒中見舞いを下さるのである。気持ちはよくわかる。義務的に追い立てられるのがいやなのだ。年明けに、ゆっくりと義理ではない方々に一筆、と言いつつ一杯書いて出す。こんな後出しの新年のあいさつは、高齢者ならではの楽しみ方ではないだろうか。ひととの関係性など、もうケセラセラ、といういい加減さもいい。 

■1/20 老後の一人住まいをどう生きるか

季節は今日の大寒で折り返すのだろうか。昨日からの暖気で、雪はまたほとんど解けてしまった。ひょっとして一月末までまとまった積雪のない年になるのか。そしてこのまま春に向かうのか?まさかそんなことはない、と思うけど、そう思わせる苫小牧のこのごろ。

正月2日の朝7時過ぎ、うちの台所から3,4mしか離れていない、まさに目の前の独居老人のアパートの換気扇からボヤで真っ黒な煙が出た。やがて窓サッシを外したところからも黒煙が出始め、放水も始まった。その直前、酸素マスクをした消防士に、「歩けないおばあさんが一人で住んでいます!」と大声で教えたら隊員は意を決して飛び込んでいって、おばあさんの悲鳴のような声が聞こえて間もなく、無事運び出された。元旦の夜から朝にかけ隣が焼ける夢を見たから、まさに正夢だったのである。

そんな年明けだったが、「月刊ひらく」を見ると苫小牧の高齢者ひとり世帯は17,910世帯、夫婦世帯は11,479世帯と、なんと独居の方が多いらしい(2022年)。町内で家族の代わりをする人も高齢化したり、行政もそこまではとても手が出ないから、備えがなかったら実に目の前真っ暗の高齢社会になってしまう。ついわが足元を見つめてみるのだった。はたしてうちは本当に大丈夫か、と。

実は先日も、隣町で独居老人のクレーマーにあることが元で理不尽な因縁を付けられ、独居老人のこころに思いを致したばかりだった。行政の支援も拒絶し、キレて孤立する人のようだった。今、わたしたちのコミュニティには、歩けなくなった人、認知症がかった方、難病にかかった方、もろもろ枚挙にいとまがない。人さまざま、上手に老いて死ぬのも楽でない。上でリンクした坂村真民の言葉のようにいかないものか。

■1/18 エゾシカを動画でキャッチ(コモンズを野生と共有)



ライオンは寝ている、という曲があったと思う。その言い回しを借りれば、今回の感知カメラでは「エゾシカは寝ていない」ことがわかった。真夜中にしきりに何か食べている。トレイルカメラは生き生きとした野生を完全に盗撮?していて興味深い。本当に小屋周りをねぐらにしていないのか、まだ結論はだせないが降雪後までもう少し観察したい。YOUTUBE にアップした動画はこちら




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