晴林雨読願望
take /草苅 健のホームページ

 

勇払原野のコナラ主体の雑木林。ここは中層をウシコロシの黄色が占めている
一燈照隅
雑木林だより

 新里山からの日常発信
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●日々の迷想 2021& 2022 & 2023 & 2024

2021
first upload: Nov. 29 , 1998
last upload: Apr 12
, 2024

日々の迷想

■4/12 歌に見る庶民の共感 26

◎ 戦争は終わりましたか地虫出づ    郡山市 Tさん
…啓蟄のころの歌か。ようやく春の気配を感じて顔を出したが、はて、どうか。蕪村のような洒脱感。人間にはこのような客観視が必要と知るがそうそうできることではない。「戦争」。遠い国ばかりでなく近い国の心配も絶えず、なんだか日常語になってしまった。

◎ われら地震列島の民冬椿    高岡市 Nさん
…高岡市は富山県。能登の大地震は他人事でない。地震列島という表現を他人事と考える日本人はもういないのではないか。日本各地で年間4000回も地震があるのだとか。今回の地震は高名な学者らが当面大地震はないと見立てたところで起きたから驚き。そんなこんな言いながら、今日も高さ数百メートルの高層建築は着々と進んでいるだろう。あたかも、これだけは大丈夫とプラス発想するように。

◎ 冴え返る所詮はひとりこれでいい    神奈川県 I さん
…冴え返る、は新春の季語らしい。春先の寒の戻り。折角温もりに慣れてきたのに体にこたえる。所詮はひとり、と呟くともろもろのしこりが解けて力みが抜ける。これでいい、という呪文も実に効く。肯定しないと力が出ないというから、この句自体がまじないのような力を持つ。「これでいい」、さらに「今のままの君でよい」、こんな言葉をかけられたい…。

◎ 北陸の手伝い何も出来ぬ我お笑い番組見るのを止める   座間市 Aさん
…同感、共感した人の顏浮かぶ。何もできないけど、と様子を見ている間に3か月過ぎた。心構えはもちろん、備えも現実味が増した。台湾の備えは日本を学んだとされるが、避難場所のブースなど日本よりはるかに早く居住性がよい。なぜ我が国は2,3周遅れるのか。世界はLGBTから引き返しているのに法制化してしまったり、『西欧の自死』で移民の行き過ぎが共有されていたのに日本は止まらない。

◎ 手仕事を途中のままに残しおくこの気楽さはひとり居の幸   防府市 Yさん
…一人住まいでなくても気ままに居られる環境は憧れるもの。機が熟したら片づける意欲もわく。何事も追われるうちは多少つらいが、自由意志は湧いてくる。気持ちの良いアズマシサを希求するこころは万人の心根に潜むはずだが、アズマシサの快感を経験しておく必要はある。そういえば気楽な境地があり得る、ということも知っておく必要があるということか。学習と体験。親が子供をキャンプに連れていく意味を連想。

■4/10 雑木林の森カフェ



春のシーズンが本格化。テラスを掃除して森カフェがオープン。

■4/8 風景画家/鹿毛正三画伯の随筆を読む

案の定、同じ郷土の空気を吸った人ならではの共感があふれて、それに画伯の人間臭さと人柄とがあいまって、しばし幸せな時間と余韻を味わった。50年近く前に作品と出会い今年美術博物館の個人展でまとまった作品群を鑑賞して、できればエッセーもと進んだのだった。共感の描写はキリがないほどあったが、風景画家ならではの山、港、海、湖など自然への視線が目を引いた。

特に面白かったエピソードは樽前山。恵庭に棲む画家仲間Nさんは、恵庭から見る樽前を「表樽前」と呼んでいたというから驚いた。白老に疎開し住んでいた版画家の川上澄生氏も社台あたりの樽前山が好みだったようだ。川上画伯の社台や、鹿毛画伯の別荘のあった樽前地区から眺める樽前山は大きくてこちらが本物の「表」だと個人的に思える。もし「裏」はと問われれば、わたしは美笛峠からちらっとだけ見える樽前山だと思う。ともかく、郷土、風土を語るなら、風景画家の声を聴くというのはとても有意義であることをあらためて知った。

■4/5 樽前の見える浜でサクラマスねらう



さすがに海のアメマスやサクラマスをねらって200kmも離れた日本海に出かける気力はなくなった。それで一昨年から年に一二度、地元のアングラーの実績を聞いて苫東の弁天浜にダブルハンドのフライロッドを担いで出かけている。案の定釣れはしないのだが、何も遠くに行かなくても樽前の浜や社台の自然海岸で十分だと思い直して今年は家から15分ほどのこの一帯に出かけることにした。樽前山が大きく見えるところで、車を降りて100m足らず、そして歩行がぎくしゃくなわたしでも砂浜は歩きやすい。実は運動と、海から「氣」をいただくための養生フィッシングだ。海や自然海岸はもともとパワースポットの資質を持っているのである。今日は手始めだから、PALMSという固いロッドで45gのジグを投げ続けた。小一時間でも肩と首が凝って来た。長靴をはいて気張らず安易に行けるのがうれしい。天気予報で風と波の状況をつかんでからだから、ヘビーなところがなく海を身近に感じる。さて今後どうなるか。

■4/4 今年一番の山菜「フキノトウ」食す



山仕事の帰り、勇払川の土手で小さなフキノトウを発見。大きさは2cmほど。今年の山菜初物なので、丁寧に出汁をとって吸い物にしていただいた。今日は、24節気の「清明」。生命がすべて輝く頃。今日は樽前浜でロッドを振る予定で、あと数日したらアイヌネギの様子も見てみるつもり。例年より1か月早い3月中旬から川エビの様子も見ているが、やはりまだ早いようだ。

■4/2 古い「雑木林だより」をのぞく

「林とこころ」の2冊目を出そうか、まだ迷いながら古い「雑木林だより」のリード部分をコピーして綴っている。リード部分の数百字をコピペする作業だけでは意味が浅いのでどっぷり読んでみた。特に2010年、苫東コモンズを立ち上げた頃の「雑木林だより59」や「60」「61」「62」あたりは、初々しい関係性があふれていて地域の人とのつながりもよく見える。

そんなことを思い出しながら、はたしてこのホームページにどれほどの方が時々のぞいてくれているだろうか、と過去や日頃の言動を類推しながら数えてみるとおよそ10人。住んでいる場所も全国に散らばっていて、いわば滅多に会うことができないこころの友達。そういう方々の顔を思い浮かべるだけで、なんだか今日はとても温かい気持ちになった。

■3/30 捨てられた材をエネルギーに代える作業終える



思わぬ3月弥生の大雪でなかなか作業が進まなかった線下地の片付けが昨日終わった。写真は午前の休憩時間。疲れを知らぬ若手に、年寄のわたしが水を入れた感じ。しかし、こういう集いと雑談は、今やっている通称「奴隷労働」をポジティブなものに代えることもある。晴れた日の雑木林の歓談はいつも楽しい。

■3/28 白秋期の山仕事



例年になく林の中にはまだ30cm近い積雪がある。昨日はこれから里山仕事の起点になる小さな集材場所、つまり土場をつくり始めた。ここに、携帯用のウインチで風倒木などを寄せるのである。少しずつ切ってみて、適当な広さになったら完成だ。一年を通じて今が一番山仕事のしやすい時期に当たる。自由に歩け、寒くなく暑くなく、葉っぱがないから明るく、風景は癒し系を通り越してパワースポットに代わる。

■3/26 熊小説

河崎秋子著『ともぐい』を一気に読んだ。家人が知人に借りたもので返却日が迫っていたためだ。数ページ読んで吸い寄せられたので、もともと大した用事のない日々だから予定をすべて返上して約300ページを読みふけった。一気呵成の読破が、これまた極めて快感であることを発見した。

作品では、釧路は白糠近辺のヒグマと狩人と彼の人間模様が、酪農に従事してきた著者のキャリアを映して余すところなく発揮されている。自然描写、動物目線、生殖に関するリアリティなど、際立ち引き寄せられた。時代設定は日露戦争の直前あたりだからまだまだ開拓時代にあたり、北海道らしい無骨な寂寥感漂う風土描写にどこか懐かしさを覚えたのは、わたしが近年そのあたりを時間的にさ迷ってきたせいだろうか。

昨年は、江別出身という千早茜さんの直木賞受賞作『しろがねの葉』を読み、前後して長塚節の『土』を読んで、土地を風土描写でイメージする癖がついた。別海町生まれの直木賞作家・河崎さんも筆の力はその面でもいかんなく出されていた。熊小説なるジャンルがあるか知らないが、帯には確かにそんな言葉があった。『しろがねの葉』『土』『ともぐい』、各々の描く世界は、今の世では想像を絶する世界だが、絵にかいたような幸せなんてないんだよ、という慰め、励ましになる、そんな心持で読んだような、そんな不思議な気がする。

■3/24 捨てればゴミ、採寸して使えば燃料、ああ歯がゆい無駄遣い



苫東コモンズ、何度目かの拾い物である。土地所有者に諒解をとって放置された長材を、小さく丸太にして運び出す準備をした。重機などないからすべて手作業で、トラックなど持たないのでレンタカーを借りての仕事になる。この一連の流れは、薪というローカルエネルギーを得る解決策と扱いにくさという壁が込められている。図式は超簡単。

■3/22 渡り本番

勇払原野の事務所で仕事をしていたころ、東京本部に転勤する職員の送別会を行うちょうど今ころ、厚真や鵡川の田んぼで採餌してウトナイ湖に戻るガンたちの壮大な飛行スペクタクルを眺め、わたしは自然との共生を肌で学んだ。あまりの光景にウルウルすることもあった。それらが苦く若い思い出としてよみがえってくる。春分の日は自宅上空でも朝から特ににぎやかだったし、今日も白鳥とガンの飛行が見られた。
一方、庭の雪は完全に溶けてこれからは見た目も一挙に春に向かう。こんな折り、昨日札幌の会議に向かうためJR南千歳に停めた車が駐車違反の切符を切られて落ち込んだ。駆け足で来る春に免じて、これで厄払いは終わった、とやせ我慢する一日だった。

■3/20 春分の日の田園と林




静川の小屋は、まだ結構な雪でざっと40~50cmはあった。陽ざしが強いはず、もう春分だ。樹木のシルエットはまぶしいほど。マイナス6度の小屋室内をベランダに出てすごす。小屋では辻まことの「山と森は私に語った」を読む。帰り、厚真の田園によると、マガンの楽園、遠くに日高モロシリ岳。

■3/18 ミニコミ誌が映し出す地域

「紙のまちの小さな新聞『ひらく』」3月号を一気に読んだ。特集は不登校を巡る問題だったが、記者の個人的な角度を交えて「自分事」として問題に寄りそう姿はいつも称賛せざるを得ない。美々ワールドの経過や弁天遺跡、文化サークル紹介など、ネイティブならではの人脈を駆使しているから見飽きない。市議会の質疑もほぼリアルタイムで活字に起こしている地味なパワーには脱帽だ。いつも思うことだが、次から次へとニュースや問題が湧いてくるのは世の常だが、苫小牧の地の利と製造業や流通産業の蓄積は生々流転に拍車をかけているように見える。お金になれば人が集まる話は、今号が紹介している明治以来のマッチ工場のエピソードにも顕著だ。

それと郷土愛に根ざした先達が風土保全に立ち上がってきたことも知っている。が、自然保護を唱える団体や政党がそれに乗っかるように関与してくる構図も見え隠れしてきた。古くは岩手の小繋入会訴訟、昭和40年代の熊本の水俣病訴訟など、根っこに地元の心の底から出るうめきのようなものがあるのではないか。そのしくみに気付くことが多くなって、いささか世間を見る目が変わった。市民や庶民というのは虫けらの如く日々を生きる。歴史のほんの一時を懸命に自分と家族とを養い、時々はあるミッションに突き動かされて時間を費やす。ミニコミ誌「ひらく」はそこをあぶりだしている。

■3/16 銀杏草と煮豚



早春の楽しみの一つは、磯の香、ギンナンソウである。小さな発砲スチロールにひとつまみ載せて400円近い。かつてはアメマス釣りの帰りなど、イワノリやフノリとともに磯で摘んだものだが今はそれができない。ちょっと割引が出たというので家人が買い求めてくれた。味噌汁にはなすだけで、磯の香りがよみがえり束の間の至福が味わえる。コモンズの研修でも泊ったことのある道南の銀婚湯では毎年この時期職員総出で一年分のギンナンソウ採りをすると言っていた。山仕事の朝、この味噌汁に久々に「とろろ飯」を加えた。

また、豚の三枚肉がやや安いと言うので早速買ってもらい、数日前だが角煮を作った。米のとぎ汁で3時間、薪ストーブで煮るだけの、超手抜きながら十分美味しく柔らかいことに気づいて以来、もっとも手軽なオヤジの料理として定着している。アクなども掬わない。翌夕はこの煮汁で大根を炊いた。鍋を放置できるクッキングスタイルはとてもいい。 

■3/14 独占、里山時間



晴れた早春の一日、山林に残されたカラマツの一部を自家用の薪にすべくひとりで運んだ。カラマツも里山時間も独り占め、と言いたいところだが、誰もうらやましがるわけではない。薪ストーブの世界では、カラマツは火力も落ちるし、知っている人はカラマツの目に見えないトゲをとても嫌がるからである。その辺の事情を反映して、林内にはカラマツやハルニレ丸太が残っているが、もう腐るのを待つだけだ。しかし、基本、それは贅沢というものだ。皮の手袋をすれば十分扱えるし、熱量だってナラの8割くらいはある。みんな、忙しすぎるのだ。それに、こんなまぶしい春の日に雑木林を歩けないのはお気の毒である。

■3/12 遺言のような後押しにふれて

「このやり方(体制)できっと大丈夫、うまくいくよ」。前の勤め先でトップが亡くなる3日ほど前に、病院にお見舞いに伺った際に聞いた短く弱いひと声だった。こちらはいつも迷いながらの運営で、自信などまるでない手探りの日々だったから遺言のようなこの一言にどれほど励まされたか知れない。人は、亡くなる前に許容とか寛容の態勢になるのだろうか、「励ます遺言」とでも言うべき得難い、かけがえのない肯定と受け取った。天の声のようでもあった。

 昨年の秋、今から20年前に「君の関わる里山のことを本に書いて残しなさい」と熱心に勧めてくれた先生が他界された。「雑木林だよりをまとめて(『林とこころ』の)2冊目を出しなさい」と電話で勧められたのも、確か亡くなる3日前であったから、このひと声もまぎれもなく遺言のような励ましに違いない。背中を押された気がして本気で取り組んでみると、最近の書いたものには切り込みもキレもない。感性の輝きが乏しい。そんななかにあって、10年、20年も遡った「雑木林だより」は、当時はこんなことを考えていたのかと驚くような筆致が随所にあり、学びの場も催しの企画もずいぶん精力的にこなしていたことがわかる。人は知力も体力も感性も衰えるから、時々の記録がかくも大切なものかとあらためて驚いた。この膨大な記録を読み返す時間は、単なる楽しみを超えて来し方のささやかな肯定に繋がっていく。

■3/10 勇払原野の地政学的位置と 「ユウフツ越え」


3/9 午後2時から、苫小牧市勇払の「勇武津資料館」で『ユウフツ越え』の講演を聞いた。講師は資料館の学芸員Tさん。

初期の北海道開拓は勇払川の河口あたりから始まったが、開拓に入った八王子千人同心は冬の寒さの備えもなく次々と死んだ様は実に悲痛だ。北海道の寒さは本州人の我慢レベルを通り越していた。甲州街道など交通の要衝八王子は、わたしには古い繁栄の都に映るが、先年、昭和天皇の武蔵御陵などをお参りしてその感を強くした。そこは温暖な武蔵野の面影が残っていた。

道南松前藩はともかく、道央や石狩空知の開拓は勇払川や千歳川、それと石狩川という川を船で遡上して内陸に移動して行われ、特に1700年代後半あたりから明治初期にかけては、勇払川から美々、駒里を越えて千歳川に入り石狩方面に出た。今日のテーマ「ユウフツ越え」は美々川から陸路を馬に船や荷を引かせて千歳川に行くそのルートを指している。Tさんの話では明治6年、札幌本道ができてからは、そちらの場車道に徐々に役目を代えていったという。

新千歳空港の滑走路でみつかった遺跡調査では、当時の轍(わだち)がしっかりと判別できる写真があり、今までなんとなく漠然と見てきたものが初めて現実味を帯びて伝わって来た。峠とも言える空港周辺は標高100m足らずではないか。そこを越えれば全く風土の違う日本海側に出るのである。古来の目の付け所はさすがに確かだ。

ここの地の利は古くから港の構想が湧いては消えしていることでもわかる。その一つのあだ花が「千歳川放水路計画」だったが、放水路は往時の人々の夢の実現でもあったわけだ。Tさんはそのいくつかの計画を駆け足で触れてくれた。自然保護か開発かと二者択一のようにマスコミでは対立軸に見立てて議論されてきた苫小牧だが、わたしには地政学的な運命だと思えたから、それをどのようにうまく折り合いをつけながら行くのかだ、と見てきた。放水路は「ユウフツ越え」の地域理解を踏まえて100年近い熟議を要する懸案だったのにもかかわらず、急ぎ過ぎて無謀であったかもしれない。

雑木林コモンズをなんとか利活用している当方にも実は無縁の話しではなく、極論すれば現在のコモンズ利用は、巡り巡って勇払原野の「地の利」の恩恵であり、ノベタンになってしまいかねない産業用地の中の、アソビのようなオアシスが苫東の緑地であると言えまいか。わたしたちはその一部の緑地管理プロジェクトに住民サイドから参画していることになろうか。

■3/7 カジカのブイヤベース風



先週あたりから魚屋さんにカジカが出ているので、おととい、エビやアサリとともに大好きなブイヤベース風のスープを作った。肝はもちろん小骨も一緒に煮込んだので見た目はいまひとつで時々骨をとりながらの、ちょっと手間のかかる魚料理だけれども、味は絶品なのでフランスパンを浸すなどしておいしくいただいた。昨日もワインを飲みながら食べて、そして今朝、若干のスープが残してあったので冷蔵庫のご飯でおかゆに。またもや若干の骨があって歯がかけないよう要注意だ。先週はイワシを煮つけたけれど、はて、今頃が旬だったか。食卓には店のニシン漬けも数回出たがどれもおいしい。少し暖かくなったら、来週あたり川エビ採りに出かけるのでいよいよ山海の珍味の季節到来である。





2024/3/05以前は   こちら