地域におけるここだけのミッションを背に

NO.122

2023/04/01

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安平町遠浅の山林を本格的に手入れを始めて約15年になる。手入れをするための前裁きをしながら、山仕事のプロabe-b さんに近所のおじさん、おばさんが加わり、それはそれはのどかなスタートだった。元の山林地主の大島清さんはNPOが山の手入れを始めることを知って大変喜んでくれ、会員になってくれた。しかしその2年後あたりに亡くなった。

山林は少なくとも7,80年、放置されたものだったから、当時もツル切り除伐の連続で、薪なんぞは全くの副産物でしかなかった。山仕事に来た人で希望者には、薪は「いいよ、分けてあげるよ」という感じだった。それが今、津波のようにジワジワと計画的に波状に保育を進め、先が見えるようになった。そしてその原動力は、価値が見直された「薪」と言ってもよいだろう。人の営為の跡にわずかな薪ができたが、昨今は逆に、薪が「人エネルギー」を吸着させて、地域の森づくりというミッションのパワーになっている。

さらにその元は何かというと、コモンズという土地のゆるい貸借関係の存在である。この関係は、日本人ならずとも世界中の人々知らず知らずなじみのあるものだが、法律というルールに分解すると面倒なもので、人情も含まれるから高度な合わせ技とも言えそうだ。

2023年、まだ不完全とは言え、将来的に森づくりを維持できるノウハウが見えてきた。しかし本体の構造は壊れかけた掘っ立て小屋のようなものだから、すき間を埋める目張りも支柱も欠かせない。さいわい、カギとなるマンパワーは入れ替わり立ち代わり調達できる、そんなところまできた。



ささみちフットパス1回目を刈り終える

2023/06/24 sat 曇り 23℃
静川=solo-work

(*遠浅の現場=abe-aki abe-e oyama kawam kuri wada tomi-k)

令和5年の1回目を終える




近年、ヒグマの出没で刈り払いを休んだので、久々の再開である。ささみちフットパスと称する2km弱のこの小径は結構ササが増えていた。そこを先週ちょっと手をつけ、今回残りを刈り終えた。明るいフットパスにするために、原則的に幅は2m、落葉もかき散らした。

それにしても、我ながらきれいないい径だと思う。自分でルートを選んで10年以上も森林セラピー用に育ててきたから復活はひそかな喜びだ。さすがにこの頃はクマスプレーを持参しているが、見通しがいいので恐怖感はあまりなく、ひとりで雑木林を散策するヒヤヒヤ感は格別である。

電気走行と野生動物

静川の帰りはいつも超低速で走るので、ドライブシフトはほとんど バッテリー走行になって、エンジン音がしない。作業中は、刈り払い機の音に警戒音を発して逃げるシカを見るが、こうしてほぼ無音で走ると、開いた窓からきょとんとこちらを見ているシカたちが目に入る。

今日も静かにシカと会ったほか、キツネが道の真ん中で寝そべっていた。10m近くになってからムックと起き上がって迷惑そうな顔をしながら道ばたによけた。こんな出会いは実に楽しい。無音でないと、周囲との一体感は味わえない。補聴器を使うようになったから、小鳥の声もバッチリだ。そしてさいわい、まだやぶ蚊がいない。状況が良ければお盆過ぎまで蚊が顔を出さないこともままある。今年はそんな年か。



薪とストーブと林の扱い


2023/06/20 tue 快晴 26℃

■薪とストーブ屋さんはプラットホームか

お昼過ぎ、札幌は南郷通りのサカシタペチカさんを訪れた。

一昨年、苫東コモンズの少し余った薪を、店のお客さんに斡旋してくれたお礼もまだだった。それと、昨今の薪需要の実情も知りたかった。

薪需要の結論から言うと、依然として筋が見えるような王道はなく、これまで同様「地域調達」という意味合いが濃く、かつては薪ビジネスに参画していた方々が高齢になったりして、世代交代も廃業も進んでいるようだった。そこに木材を扱う大手の参入もあって、販路がかなり抑えられている、という背景もうかがえた。

結局、一時間半余り、社長夫妻と実に様々なお話しをする機会を得たが、やはり薪生産は割に合わない仕事であり、それをいかに地の利のいい場で、地代などの基本料金なしで、数少ないチャンスを生かして調達できるかにかかっていることがわかる。

つまるところ、生産地と需要の場が近いという「ローカル性」、非効率でもやってのける「ミッション性」が不可欠なものとして横たわり、裏には「人付き合いの信用」みたいなものも欠かせない。もうこう書いただけでも、大ロットの堂々としたビッグビジネスなんかでは扱いきれないないことが明白である。ここは変わりようがないということか。

「こうやって作った薪を高い、と言われると頭にくるんですよ」というわたしの持論的冗談をいうと、社長には激しく同意された。もうひとり、強く同意する人に、スチールのチェンソーを扱うHさんがいる。このお二人に共通しているのは、見方を変えれば、「木」と「薪」というものを間に置いて商いを営む雄であり、そこに自分の立ち位置も探してみると、「薪」は共通してアクセスできるプラットホームの様で、かつ、森林という環境と林業行政の今日も反映する、あなどりにくい鏡であることに気付く。

あっという間の交歓だった。日本のアウトドア、特にフライフィッシングと薪ストーブ生活のレジェンド「田渕義雄氏」の話になったり、ノルウェーの名著『薪を焚く』をもとに薪を焚く文化の話になったり、話題はまだまだつきそうにもなかった。

別れ際、奥さまが「薪の余りが出たら遠慮なく言ってね」とおっしゃるので、「今のところ、よく乾燥した雑木薪2,3軒分ストックあります。よろしくおねがいします。」と頭を下げてお店を後にした。

*追記 6/22

北欧の薪暖房の資料やエピソードなどを思い出すと、ライフラインともいえる暖房用薪の調達が社会のしくみとして出来上がっていると感じるが、『薪を焚く』を読む限り、「各自が自分で調達する」のが基本のように見えた。ちょうど、札幌の除雪・排雪の仕組みと似ている。ただ、楽しみとしての薪ストーブライフが主流の今日、欲張って環境負荷の低減という理想まで掲げるのであれば、伐採から始める「自己調達」がフルスケールのスタイルではないだろうか。それが出来なければ、せめて産出する森や林に出かけて行って「薪を受けとる」。この現地に出向いて自ら運ぶ、という手間が難題であることは変わらない。だから、顧客が稀なのはそもそもの話しとして当然なのであった。(-_-;)


行動的冥想と無為のセラピー


2023/06/17 sat 曇り時々薄日 21℃
solo-work @ 静川

一年ぶりの刈り払いは行動的冥想

今日も一人で静川の小屋へ。

平成2年に開始した雑木林の間伐から続いている里山景観創出プロジェクトのフォローで、手を付けてからもう足かけ33年になる。コモンズとしての関わりでも15年になるから、長いような短いような、表現が微妙だ。

ただ、手を付ける前の荒れた林が近くにあったので比べてみた。下左がもともとの放置林、下右が間伐後20年たった車中からの写真。わたしは赴任したころ、放置された若い萌芽再生林が嫌いで、まったく食指が動かなかった。が、必要に迫られて保育に着手したのだった。林内は真っ暗で、数10m先が見えない。それを右のように変えた。この差は実に大きい。



小屋周りは、ところどころ立木の密度を替えて本数をかなり減らした。そのついでに、フタリシズカやオシダ、それとコウライテンナンショウをできるだけ残し、ここ5年はモミジガサも刈るのをやめた。選択的除草である。その結果、植物たちは見事に反応し、里山gardenのような風景を垣間見せるようになった。



このように、少しずつ空いた時間にケアすることで、風景が維持され、変化していくのは里山的楽しみである。ましてここは里山でも何でもない、もともとは林内放牧地だったと市史にあったと記憶する。

今日から当分の間の山仕事はフットパスの刈り払いだが、6月中旬の着手は近年なかったことだ。草が柔らくて随分と刈りやすく、蚊もいない。風も冷たくて気持ちが良い。



ブッシュカッターの刈り払いは、行動的冥想と呼べる作務のような作業であり、集中しながら無心になっていくから精神衛生上もお勧めしたいもの。沢登りも似たようなもので、割合、疲れもしない。霧雨上がりもあって、マイナスイオンなるものも充満しているに違いない。

休み時、テラスの椅子に座って目をつむると、折からの蝉しぐれと、林を渡る風の音、さらに小鳥たちの声が一帯に満ち満ちて、それらに引き込まれるようになる。何もしない、何も考えない無為の世界。この無為というのも、齢白秋期に達した高齢者に与えられたセラピーのようなものか。追い追われるものもなく、意識すれば無為のままいくらでも時間が過ごせる。




ジュンサイは諦めよう

2023/06/11 sun くもり 17℃

薪を割って積んではみたが

大島山林で、新しい薪のお客さんに引渡しをしてから、静川の小屋に行き、やり残した丸太を玉切りし割ってようやく積み終わった。窓の下に小割の薪も運んで補完したので、高さ1.5m程の棚になった。




これを林道から眺めると下の写真のように見える。この見え方は実はちょっと危ない試みだ。折からのキャンプブームだから、正面と右の壁には時価数万円の薪の束が無造作に存在することになる。丸見えなので、挑発しているようになってしまった。これまでは何とも思わなかった光景が、今年はちょっと気になる。

ジュンサイ採



昼休みに、今年の個人的なテーマである「ジュンサイ採り」に行ってみた。日本海や支笏湖などで使ってきたフィッシング用のネオプレーンのウェイダーをはき、片手には収穫用のたらいを持って湖に入ってみた。が、汀線から10m先あたりでドン深になっていて、ジュンサイはそのあたりから先にあった。ちなみにここは水深4~5mあるから、そーっと逃げ戻って来た。

岸辺に、ジュンサイ採り用のボートがあったので、今度はこれに乗って岸辺を離れいくつか採ってみた。ジュンサイは二の腕あたりの深さにあって、ヌルっと逃げるので意外とコツがいる。結構、屈まなければならない。と、しているうちに折りからの南風で、ボートはスルスルと流される。

これはまずい。独りでの遊びにはちょっと向いていないと直感した。身体が不自由な高齢者がこんなところで土座衛門になっては笑われる。しかも、たかがジュンサイのために…。

もともとわたしはジュンサイが好きなわけでもなく、採れるものは何でも自ら採って食することにしただけで、こだわりは薄い。大体において、総合的なコスパが低すぎる。というわけで、すんなり、ギブアップ、今年の山菜は残すところ、山椒の実だけとなった。





北大苫小牧研究林で研修

2023/06/10 sat 雨 15℃程度か
苫東コモンズ会員13名+会友2名 北大関係者=中村林長、高橋副林長、奥田技官ほか2名

鳥獣保護区の面目躍如か、シカの食害の影響が苫東コモンズの比ではない

今年の苫東コモンズの研修予定は2回で、そのうちの1回目は念願の地元北大苫小牧研究林。足元の苫小牧で森林研究の成果を見せてもらった。中村林長ほか4名のスタッフが、週末の雨の中、昼過ぎまでバスで現地を案内していただき、昼食後は、資料館と記念館も懇切な説明付きで見せてもらった。



当方は会友を含め合計15名。そのうちに、同じ北大で森林科学を学んだ人が5名、森林が専門ではないが研究で森林と造詣の深い人が2名含むほか、日頃から問題意識の高い参加者ばかりのせいか、バスの内外を問わず、質疑が百出してスタートから興味深い研修となった。

苫東コモンズとの関係で言えば、上の右写真の実験施設がそのひとつ。北大の小林さんが担当している全国の気温と木材腐朽等に関する研究で、試料は苫東産のコナラ。日本全国を比較するために共通する指標樹木として選ばれたのが全国に分布するコナラで、実は研究林にはほとんどない。しかし美々川・勇払川をはさんだ対岸の苫東に、保全対象にもなっているミズナラ・コナラ群落があって、大学の山の後輩に当たる小林さんから、提供を依頼され札幌の財団に会いに来てくれたのが発端だった。奥田技官から説明されるまですっかり忘れていた。



最も驚いたのは、完膚なきまで食べ尽くされて、もうオシダくらいしか残っていない、まるでドイツのような「そばやの沢林道」の林床植生である。苫東もシカの密度は高いがここまで食害はなく、ミヤコササは間伐後、一斉に休眠から目覚め林床を覆っている。ところが研究林は、ササがもうほとんどないのである。鳥獣保護区というのは文字通り野生王国にあたるが、ここまで差が出るものだろうか。

上の左の写真は、シカをある程度遮断することでによってどの程度林床に影響を与えるか調べる目的で、防鹿ネットで左右を区分して囲ったもの。中央の柱の右はシカが出入りして林床植生がほとんどない。

苫東では大島山林に、同じような目的でつくったシカの食害試験地があるので、その結果についても簡単にお話しした。また、剥土して火山灰むき出しの植生復元の試験も見せてもらったが、苫東よりもはるかに植生の侵入がなく更新が進んでいない。苫東では開発行為で土取り跡地を大面積に造成するのが常だったが、数年でヘクタール数万本のシラカバやイヌコリヤナギの群落が形成されたものだ。



昼近く、樹齢70年程度のカラマツの土場を見せてもらった。研究林では、一部で木材生産も細々と行われているからこのような光景は毎年当然あるのだが、こんな大径木を見たのは何十年ぶりではなかろうか。伐倒作業の共通性からか、切り株のツルや受け口などもチェックしたが、さすが、売却する丸太はれっきとした製品だから、元口のひと玉30cm程度は伐り戻して捨てられていたのが面白かった。コモンズなら迷わず薪に利用するシロモノだ。

右は庁舎前の野草園のスドキ群落。わたしが50年前に苫小牧に赴任した頃、当時の苫小牧演習林の「熊ノ沢〇〇林班あたりだけにスドキがある」と聞き、時々採りに行ったものだ。しかもそれほど豊富にあったわけではない。それが今や、こんな状態があちこちに見られた。恐るべき繁殖力だ。



小屋で雨と付き合う


2023/06/03 sat 曇りのち雨 14℃



遠浅での朝一番の打ち合わせを終えてから、単身、静川の小屋へ。作業途中だった一輪車による丸太の運搬を終えて数本割ったころに雨足が強くなった。ちょうど12時で、午後は雨が上がる予定だったので、薪割りと薪積みは一時間で終わるだろう…。



しかし、延々と雨雲は押し寄せ、仕方なく、雨脚が弱まるまで、窓のそばにいた。もちろん、薪ストーブを焚いてだから、小屋生活そのものである。こんな時、ヒュッテンレーベンに切り替えられるところが、作業用テントと大違いだ。室温は26℃になって、眠気を催したりしているうちに、結局、雨は止まず、3時ころ、小屋を後にした。


雨の小屋も実にいい。苔が生えた屋根のスレートは雨音がしない。ただ、灯り採りのため昨夏新設した窓は、このような薄暗い日には、読書するにまだ不十分だった。

*薪の分譲について

朝のミーティングで、薪の自賄い分に若干余裕が出てきたことがわかりました。勇払原野の雑木林を除間伐して創り出した「雑木薪」(令和4年春割り積み、十分乾燥済み)を、現地引き渡しですが対応できます。ご本人、または周りの方でご希望の方がいらっしゃれば、是非、わたしか、または苫東コモンズの掲示板 ↑ にご一報ください。


苫東緑地のルーツをたどって

訪問:2023/05/25 メモ日:05/30

水俣市立水俣病資料館


昨日の5/29は、わたしが称賛してやまない、そして毎日食べても一向に飽きない山菜・スドキを採りに苫東の雑木林に出かけた。いわゆる苫東の緩衝緑地づくりに昭和51年に造る側として参画し、離職後は個人的にボランティアとして関わり平成22年にはNPOを立ち上げて地域の雑木林保育とローカルコモンズの運営に本腰を入れることになったから、苫東の緑地との縁は、やはり長く、しかも深いものとなっている。

その苫東緑地の誕生から現在に至る経過のルーツには、昭和30年代、40年代の4つの大きな公害の問題があり、その中心には水俣病被害がある。石牟礼道子氏の『苦海浄土』にはその惨状が如実に描かれ、石牟礼氏が代用教員として勤めていたという町には、わたしの古い山仲間がデコポン農家として住んでいるので、訪問は長い間の懸案であった。今回の旅行は住民の憩いの場に変貌しつつある苫東緑地のルーツを探るものだった。

一方、熊本は若い時に読んだ詩人・谷川雁氏の生地であり、昨年暮れに亡くなった、『逝きし世の面影』や『黒船前夜』の著者・渡辺京二氏のふるさとでもあって、表面は穏やかだが燃える魂の持ち主が多い土地柄だという印象を持ってきた。案内してくれた山仲間もそうだし、大学時代の青年寄宿舎で一緒に住んだ数人の熊本県出身の若者たちも、一見、穏やかな人ばかりだった。

被害者、チッソの会社、行政、地域住民を巻き込んでの闘争や反目など当時からの社会の様相は、読んだり聞いたりしたが、5/25 は大量の資料と映像を、ここに住んで親戚からも被害者が出た山仲間から静かなエピソードも聞きながら館内を回り、20分ほどのシアターで締めくくった。家人も納得の様子だった。

ものごとの誕生(その一つが公害対策としての緩衝緑地)のきっかけに、しばしば悲劇が存在しなければならないというのは、それこそ悲劇だが、それが世の常だというあきらめに似た理解も厳然としてある。それが繰り返すという例も少なくない。今でも水銀が微量ながら検出されるという汚染された海は埋め立てられ、60ヘクタールほどの公園になっていた。そこの慰霊碑の鐘を鳴らし、犠牲者のご冥福をお祈りした。

(隣接した広い木材ヤードには、杉丸太が大量に積まれていた。C国の人がいくつも一山買いをして、ここから輸出するらしい。=右下写真)



里山シニア・メニューの提案


2023/05/27 sat 晴れ 23℃
*コモンズ本体は大島山林で薪割り薪積みを継続しながら、フットパス刈り払いに着手

コモンズの周辺作業をしながら

新緑は日一日深まって夏緑と呼びたい色になった。しかし、屋根の上部のミズナラはまだウグイス色で、この遅い早いのバランスが春の醍醐味。苫東コモンズの起源、拠点ともなる静川の雑木林ケアセンター、今年は25年ぶりに防腐剤の塗布などのほか、ライブラリーも新設。いつ見ても赤い屋根と新緑のコントラストがいい。

oyama さんは、先週調達した板材を焼き入れして、エコトイレ「leaf-let リーフレット」の隙間に据え付けた。壁に当たる板材のすき間が1cmにも広がって、用を足す人のお尻がほの見える心配が出てきたからだ。先の理事会で出た懸案を早速解決。このトイレの特長は、西側に壁がないこと(つまり丸見え、しかし人が来ないから心配無用)と、水で流す代わりに落葉を振りかけて終えること。いつも無臭である。

わたしは小屋周りの刈り払いを開始。古い混合油を捨て新しいものに入れ替えてエンジンは一発で始動した。また、2週前に伐倒した丸太を一輪車で少しずつ運び割って、新旧の薪棚完成をめざしたが、残念、時間切れ。

ここ静川の小屋周辺は、苫東コモンズの大きな事業目的である里山景観の再現、いや、初めてだから創造か、そんな取り組みである。小屋を建てて人が集うようになって、周りが里山化していくのを平成9年から見てきた。里山化、イコール、使いやすい好みのカスタマイズだから、実はアズマシイたたずまいにするためには実に細々した手仕事が満載である。やった分だけ、風景が応える。

今日、その手仕事をしながら、「近頃、里山シニア・メニューを提案しようと思うんですよ」とoyama さんに話した。70歳を超えると体力と気力がかなり落ちてきて身体の故障も抱えるようになることと、雑木林の除間伐という「重たい」山仕事を円滑に続けるために、実は「重くはない」多くの周辺業務があり、それを、気の付いた年配者がすでに自発的にこなしてきたが、その行為に名称をつけるわけだ。

かように、「70歳ころから山仕事は別内容」とすることを「里山シニア・メニュー」と呼びたい。やることはこれまで通りで、口は悪いが「70超えたらご隠居作業へ」とも言える。ご隠居だからメインストリームは、より若い世代に任せる。もう十分、土台となる仕事をしてきたのだ、と。oyama さんは即賛意を示し、残りの役員ともゆっくり話しをして、ご隠居らの勝手な提案を定着させたい。ローカルコモンズの世代交代は、果たしてどのように推移していくか、知恵を結集したいところ。


話は変わって、新しい窓から見る戸外の風景も新バージョンになった。採光は顕著に改善され窓辺で字を読めるし書ける。
反対側の窓を眺めていたら、一頭のシカが林道をゆっくり北上していった。野生動物を含むコモンズ共有、面目躍如である。


久々に小鳥の声に包まれた探鳥会とワラビ採り


2023/05/20 霧のち晴れ 14℃

■補聴器の威力知る、AIの聞き耳頭巾は近い!?




日本野鳥の会の苫小牧支部にガイドを依頼して再開した探鳥会の2年目、近年になく小鳥の声がにぎやかだ、と感じる。

町民の利用促進を意図した苫東コモンズの事業の一環だから、会の冒頭、並ぶ薪の意味や、わたしたちの森づくりの目的とあらましもお伝えする。コースは、この2年手掛けてきたエリアのふたつの土場を巡り、開設したフットパスも利用した。枯れ木を伐倒して片づけたところにクマゲラを含むキツツキ類などが集まっていたことも背景にある。

午後は「(苫東)コモンズ休暇」と称する、思い思いに季節の山菜採りに興じる時間。山菜採りにあまり関心のない人や、もっと薪割りをしたい人などもいるから、早い話が自由時間となる。午前も、探鳥会が終わってからの2時間、昼まで余裕のひと時となった。わたしはフットパスの枝拾いに出かけた。

そこで気づいたのだが、わたしは前日から高性能の補聴器を装着していることをうっかり忘れていた。この補聴器は、聞こえの悪い高周波の部分を補正しているので、超高音の小鳥たちの声を全て拾うのだろう。ヒヨドリやキビタキ、ときにはカラスなどの大きなメインの音のバックに、莫大な量の高音のさえずりが充満していたのだ。

これが補聴器のしわざだとすれば、近年はシジュウカラのさえずりを言葉に翻訳した若手研究者もいるから、AIを活用して聞き耳頭巾的な、鳥の声の翻訳補聴器も夢ではなさそうだ。昼休みのときにはそんな話も盛り上がった。

一方、午前の探鳥会後の現場は、薪割る人、積む人、スノモや軽トラの充電用にソーラーパネルを調整する人、不要になったパネル板から再利用の材を取り出す人など、一見バラバラな、しかし今、必要とされる仕事を的確に見つける作業が静かに進行したが、その連携は見事である。実はこれはそうそうできる話ではない。

耳慣れたワラビの、意外と手ごわい茹で方




午後、数人連れだってワラビ採りに出かける。ワラビ畑に車で横付けするコモンズ方式山菜採りだ。今年のワラビは近年にない柔らかさである。小一時間で十分な量が採れて、ご近所にも配れるほどだと言う人もいる。

ところでアク抜きの方法だが、いつもは薪ストーブの木灰で茹でてから苦味がなくなるまで何回か水を替えた。しかし、お気に入りの固さ、苦味にするのに苦労した。今回は、木灰をまぶして熱湯をかけてから2,3時間で取り出した。web でもポピュラーで、oyama さんもこれらしい。これでやってみたら苦味はない。木灰で茹でた時とは大違いである。

ただ、柔らかすぎた。確かに萌え出たばかりで、採る際に何と柔らかいのだろうと感動したほどだから、これまでのモノとはちょっと違ったかもしれないし、このアクの無さはすごい。アクの量と灰汁に浸す時間、さらにワラビの柔らかさとアクの量は、結構センシティブのようなのだ。本州ではアクの無い甘ワラビなるものもあって、アクを抜かなくても食べられるものもあると聞く。

そこで得た結論は、「ワラビのアク抜き、茹で方は微妙である」。

で、どうしたか。まず、シャキシャキのおひたし風は諦める。通常の保存も止める。
朝食では、ワラビをたたいて温かいご飯の上に載せていただいた。がごめ昆布の様でなかなか、いい感じ。それでは、と昼食には茹でた大量のワラビを叩いて少量のショウガを加えだし醤油で整え、冷たいそばに乗せてみた。見た目は悪いがこれもおいしい。家人にも納得してもらう出来だった。

しかも残ったワラビは、叩いて冷凍保存しようと思う。次回は、ネギやミョウガを混ぜて、山形の郷土料理「だし」にして食べよう。



霧の日の新緑に濡れて


2023/05/16 tue 霧雨 14℃

霧の中、スドキ、薪積み、川エビ回収


飽きずに家人と雑木林へ。霧雨の中、新緑はいよいよ深みを増した。新緑はこのような淡い光線の中でより存在感を見せる。

フットパスのど真ん中にたった1本のサクラスミレ。「車から良く見つけたね」と家人。「悪いけど、アンタとは年季が違う」とわたし。

緑の観察ポイント。あと1週間もすれば初夏の風景に変わる。この時期が走り去るようで、いささか、残念。


帰途、薪小屋に残った薪少々を車に積んで、運搬完了。時間に追われることなく、来たるシーズンの用意をすることができることはまさに僥倖、少し豊かな気分になれる。これでこの秋まで薪のことは忘れよう。そして紅葉直後にまた、にわか(へっぽこ)木こりに変身しよう。

さらに今シーズンの川エビ、最後の回収。数10匹の川エビが残っていたが、さすが肉食系だ。放置して約10日、魚肉ソーセージは完全になくなって小さな1匹の小魚がいけにえのように骨だけになっていた。都合3シーズン、ちょっとした好奇心と古い記憶をもとに、風土風物探訪、もう十分楽しめた。そのために聞いた古老たちとの話も面白かった。

わざわざネットを補修して来年も挑む人はいないだろうが、もうそれでよい。こうすればこうできる、それがわかって束の間とは言え、この土地の食を再現できた。これから、ワラビ、ボーフー、サンショウ、そして今年こそジュンサイを採ろうか。



久々の、まほろばコースを歩く

2023/05/13 sat 晴れ

やはり勇払原野ならではのフリー・ウォーク



午前の伐倒作業(6人)のあと、午後は恒例の「苫東休暇」で各自思い思いの山菜採りなどを楽しんだ。冬から早春にかけて、十分山仕事をしたのでせめて山菜の春先とキノコの秋口は、勇払原野の恵みを堪能しようという設立当初からの試みの、3年前に復活させたアソビ時間である。当方を含む何人かは、作業だけでは体力がもたなくなったせいもあるが、地域活動本来の姿だと喜ばれている。

わたしは何年ぶりかで「まほろばコース」に出かけてみた。正確には10年ぶり程になるだろうか。ヒグマが頻繁に出るようになってから、単独行はちょっと控えていた。朝、市のヒグマ出没情報を確認すると、近辺ではまだ目撃例はないとのこと。コースは、ササのない勇払原野の雑木林の特典を活かして気持ちのいい林をただただ縫って、最後は傷ついたシカが最後にそっと眠るような安楽地的風景の「まほろば」(わたしがつけた名称)にたどり着くルートである。

写真中央の小屋から、ささみちフットパス(白点線)を南にたどってから白く細い線を東の方へたどる、反時計回りのフリー・ルートである。わたしが何度も歩いてみて身持ちがいいと思う尾根筋などにテープをつけてきただけのルートだが、意外にも、木に縛り付けたテープは一つも見つからなかった。しかし、見事に「まほろば」に着いた。

距離は2.5km、所要時間は約1時間。依然として、勇払原野の雑木林を楽しむには格好のルートである。


自然な倒木もいいし、何十年も人が歩いていない雑木林風景だ、そこを命が洗われるような思いで黙々と進む。リハビリ中であることを忘れる。

沢を三つ四つ越え、尾根筋を登ったり下ったりして「まほろば」に着いた。保安林のため手つかずで荒れてしまったが、現在手掛けている静川小屋周りを終えたら、元気なうちにちょっと片づけたい。本当にまほろばになりうる素質があるのだ。ちょっとスピリチャルな気分になる風景は、そうそうないものだ。

まほろばコースは最後にこの見慣れた林道に出る。ここから歩いて10分弱、小屋の北のスドキ栽培試験地は健在だった。一面がスドキ畑になるまで、当面、採取は禁止である。

三時過ぎ、大島山林に顔を出して、まだ今年でかけていない奥の林を歩いてみた。(↓)
ここも素晴らしいロケーションに、つくづくフィールドを見直した。こんな雑木林が70ヘクタールも、将来的に保全される緑地として地域に残されたことも強運だったかも知れない。コモンズとして利活用できたことは、天の采配ではなかったかと思われるが、そう考えているのは実はごくごく限られた方だけである。



薪に関する会話

週の中日、イアマフをして独りで薪割りをしていると、背後に人の気配がした。

訪問者 「この薪、ひとつ(1棚)、なんぼするのさ?」
わたし 「自賄いするので、商売はしてないんだけど、もし分けてと言われれば〇〇〇円です」
訪問者 「ずいぶん高いもんだな」
わたし 「そうですかあ?調べてもらうとわかりますが今の流通相場に比べて格安ですけどね」

わたしは昔から、この手づくりの薪が高い、と言われると頭にくるようになっている。
(-_-;)
秋の選木から始まって雪が降るころからツル伐りや除伐を経て本格的に間伐をし、玉切りしてヤードに運び割って積む手間を思えば、値段をつけるのも憚られるほどの労力だ。そして当方は「売らんかな」でなくて、本命は森林公園づくりだ。

幸い、顧客の数人は、「この品質の薪を安く分けてもらって、本当にありがたい」と異口同音にそっとおっしゃる。本音というのはそうやってそっと伝わる。一方で、質の不十分さを指摘する声などもある。人生、いや世間はまさに色々である。

わたし 「実際、ここまでつくる手間は相当なものなんですよね」
訪問者 「いや、わかるよ。かつてオレも薪ストーブやってたから。それに、ちゃんとヤマを見れる人がいないとだめだしね」

最初は単なる冷やかしかと話していたが、いきなり核心に触れてきた。そうなのだ。ヤマを見る人とは、この山林の独自のマニュアルを模索する人、森の所有者に成り代わって保全を考える人を言うが、そんな大事なことを見知らぬオジサンがこともなげにポツリと漏らす。ああ、これだから人生は面白い。

てなことで、最初はムッと来て話に応じていたわたしもだんだん打ち解けてきて、訪問者が町内に住む小さな会社のもと経営者で、わたしより2,3歳年上であることもわかった。若いころ、津軽から大工さんとして海を渡ってきたことなど、しばし世間話と相成った。




スドキは健在だった

2023/05/11 thu 晴れ 12℃

林が明るくなってもスドキは


2020年秋に手掛け始めた「早来38-116」林班周辺のツル切り除間伐は3シーズンが過ぎた。ツルに絡めとられていた放置雑木林はそれまで惨憺たるものに見えたが、今はすっかり様相が変わって、倒木や掛かり木もほとんどなく明るくなった。部分的には穴(ギャップ)ができた。

実はこの明るさを気にしていた。群生するスドキが衰退したのではないかと心配だったからだ。スドキはやや日陰を好んで、上層のない草原などには出現しないからである。そこを2年ぶりに歩いてみた。結果は写真のように、まったく大丈夫だった。林冠はまもなく鬱閉するだろうから、もっとも身近で快適なスドキ場所が近い。

約1棚を作るための山仕事とは



昨秋、リハビリを兼ねて少しずつ作った自家用薪の丸太を割り、積み終えた。今日は2時間半かかったから前回含め合計4時間、薪の量は約0.9棚。 稼働は一回2時間前後を3,4日、高齢者のマイペースモードだったから、元気な時なら1年分の2棚を2日もかからないで生産できることになる。やはり、わたしが唱えてきた一軒分の薪を生産する歩掛は、狂っていないようだ。上左は積み終えた直後で、右はブルーシートで覆いも完了したマイ棚。秋まで乾燥させてから自宅に運び、来年春ころ、不足になったら少し使おうと思う。理想は丸2年、乾燥させたいから。



令和5年、新緑萌え始め


2023/05/09 tue 晴れ 14℃

薪割り半日、のち山菜見回り

自宅用の薪用丸太、見かけ0.7立方メートルを割り始める。一人で効率よくやるには、丸太と薪割り機と自分がどういう位置関係にするかで、サイクルタイムが変わる。そして疲れも違う。今日落ち着いたポジションが下の写真(セルフ)の構図。振りむいて後ろから丸太を取って台に乗せ、割って前と左に薪を投げ、逐次機械を移動。これだと数人でやるのとあまり効率が違わない。ただ本人は疲れる。

山菜は桜の開花とは違って、スドキなどはマイペースの姿の見せ方でまだ早いかも。静川小屋周りでは全く顔を見せていない。コゴミ、ユキザサ、コシアブラ、タラの芽と出会った。大量に採らないで1日おきに少しずつ採っていただくのがベストか。これで採り損ねたら、また来年、それまで生き延びよう。





スドキは日当たりのいい場所のみよく出ており、日陰はゼロ。上左はシカ試験地。中央横に見える帯は更新したシラカバたち。右は出はじめたコシアブラ。タランボは下の掌の右側ふたつ

盗難にあったプラスチックベンチを再びセットした。苫東休暇にピッタリ。この草地なら子供たちの放し飼いにもピッタリだ。うちの子らは柏原の数ヘクタールある採草地で遊ばせた。タラの芽、ウドの時期だった。インダストリアル・パークが休暇やリゾートのような環境であることをもっと利用しない手はない。




井戸を掘ってくれた方々とメッセージ

2023/05/05 晴れ

ニュースレターをもとにしたやりとり

過去の歩みを簡単に振り返ることのできる記録は、数冊の出版やメディアへのリリースをさせてもらった当方にはいつも貴重な履歴であった。令和2年、『勇払原野 苫東の10年』というNPOの記念誌を制作した際に、各人のコモンズと薪生活のエッセーの綴りと合わせて、ニュースレター『勇払原野の spirit 』の、平成22(2010)年の創刊号から令和2(2020)年の25号までを収録したものも、ちょっとした書き物をする際に履歴メモとして実に重宝する。

     ↓ 最新の31号


法人設立の準備から数えて15年を経た令和5年は、コモンズ運営の世代交代、本格的バトンタッチの意味も大きく、文字通り節目の年になりそうである。気力というかメンタルの低下もさることながら、最近、医者に「頚椎症」と診断され、身体的にも自制せざるを得なくなったのも大きい。それはそれで歳相応だから甘受するにしても、心と体の両面から方向転換を余儀なくされたという紛れもない現実は、節目感覚を第3方向からさらに強固にする。適当な言葉は見つけにくいが、敢えて言えばフェイドアウト、静かに舞台の袖からそっと消える。是非スムーズに移行ができて、その結果としてわたし個人が運よくよりプライベートな里山ライフに戻って没入できれば、晴林雨読の70代は夢の実現に近づく。

さて、妙なネーミングのこのニュースレターは、現在の会員やもと会員、支援してくれた方、関係する多くの方々に向かって、数か月から半年のコモンズの出来事や活動を総括し報告する目的で始めたものだった。特にコモンズの基礎になる苫東計画や緑地は、北海道開発庁を中心とした9つの省庁のみならず、北海道庁、苫小牧市など地元自治体のほか、政府系金融の長銀や興銀、北東公庫、民間の拓銀など、さらに王子製紙、岩倉などの民間企業の出資と協力で成り立っていたから、関係者は枚挙にいとまがない。設立当初は各機関からの出向者が大半だった。現場をあずかる苫東会社(霞が関にヘッドクォーター、道庁前に現地本社、苫小牧に事業本部があった)では、出資母体からの出向者とわたしなどプロパーとの絵にかいたような共同作業があって、出向者としてプロジェクトの仕事をされた方々同士は異業種交流のような側面もあり、動き出したばかりのプロジェクトで実に多くのご苦労をされたと思う。

その人々はこのプロジェクトの上を、兵隊さんや風のようにある時に通り過ぎる、ただの駒だったかもしれないのに、中には自分の生業のためよりも地域開発(北海道にあっては現代風開拓)の意義を確信して後進を指導してくれた先人も少なからずいらっしゃった。まるでライフワークのように取り組まれた。仕事で自殺に追い込まれる方もでるほどだったから、決して平たんな道のりでなかった。が、北海道の経済の底上げと振興を内なる旗印に、たびたびの反対運動にも見舞われながらも、一見、のらりくらりと目的を達成しつつある「開発というプロジェクト」の実像を、この頃ようやく初めて実感できるようになった気がする。まさに北海道の開拓と似たような様相である。歴史を創る事業はきっとそうして出来上がるのだろう。そしてその辺のプロジェクトの草創期に、いわゆる「井戸を掘った」方々がいて、70年ほど経った北海道、苫小牧の大型開発の枝分かれのほんのずーっと先っぽに、今のコモンズがあることをまざまざと自覚できる。すき間だらけの大プロジェクトの、そのすき間を埋める、苫東緑地の地元管理ボランティア組織のひとつとしてである。

前置きが長くなった。「井戸を掘った」身近な方々に短いお礼の挨拶とともにこのニュースレター第31号を送ると、卒寿を超えた方からの返事で、束の間、つながりの熱い絆が見えて涙腺が緩んだと言われた。開拓と開発、そしてその社会的軋轢を経ながらの結果としての豊かさの享受、そして社会的コンセンサスとして評価が定まらない現実。歴史を見るスケールというのは、生身の感性や人間技とはズレと距離があるから、「井戸」の評価も次の世代になるのではないか。自然保護か開発かは、いまなお、納まらない地域課題として残っている。イデオロギー的対立と現在のメディア環境も大きい。考えてみるに、わたしのような背景と履歴も他にないのは当然だからコモンズ継続の動機も普通は同じようにはあり得ない訳で、ということは万が一、地域が引き継がないケースも大ありだと思いいたれば、だいぶ気も楽になる。当然ながら人はそれぞれ、一世一代のプロジェクトに挑み、様々な関わりにおいて主役だった脇役だったり、裏方だったり飾りだったりする、ということに過ぎない。


コナラと危険な枝処理のこと


2023/05/02 tue 快晴 15℃

コナラの大木の広場で思い出したこと

4/19の雑木林だよりで書いた清和研二氏の著作の中には、直径148cmのコナラの写真が出てくる。わたしが胆振のこのあたりで出会ったのはせいぜい直径80cm程度だったから、こんな太さが限界かと勝手に思っていたのだが、とんでもない大木があることを知った。これならミズナラと遜色ない。

 95pに紹介されているコナラ

先日、4/29 の雑木林だよりで、大島山林のフットパス・ウォーカーがここのコナラの木が素晴らしいというのを聞いて勝手に喜んでいたのだが、その昔、このコナラを仰ぎ見るために林床を刈り払い広場を創ったことを思い出した。その際には、人が集うと予想したのでこの木の危険そうな枝を、ツリークライムのプロに頼んであらかじめ切り落としてもらったのだ。調べてみれば2014年5月のことだから9年前の話しだ。

4本ドロノキとシンボルツリーのドロノキの危険枝も入れると合計2回、事故防止作業を手掛けたことになる。懐かしいので、4本ドロノキとコナラの作業風景をアップしておこう。この作業を引き受けた高木プロは昨年もう鬼籍に入られた。当時は高校生だったご子息との共同作業だった。






薪運び、始まる


2023/04/29 sat くもり 14℃程度か

薪の運搬は家族行事

桜の開花は2週間も早いという一方で、4月下旬になってもまだ薪を焚く日があった。縄文人の遺伝子ではないが、薪小屋に燃料が乏しくなると、どこか不安になる人もいて、昭和の初めころは玄関に米が何俵か積まれたのを見ないと落ち着いて年を越せない、という年配者の話を思い出す。

そんな時期、さっそく、会員の薪運びが本格化した。空になった会員の薪小屋を早々に薪で埋めるためと、コモンズの薪小屋やヤードを新しくできた薪に明け渡すためである。そしてその薪運び作業は奥さん、子供、友人知人など、応援もさまざまである。



わだちの修復と理事会



春先の径がぬかるんだ時期にフットパスに車を入れると、てき面に大げさなわだちができてしまう。それを毎年誰かが補修する。この辺の因果を知ってもらい共有するために、小さなことだが毎年公表をすることにしている。

今日のメインは34回目になる理事会。
決算と役割分担などの協議を行った。ある程度自由度の高い、かつ着実に進捗の見えるコモンズ活動を展開するために、分担協議はかなり重要だ。特に運営に関わる人の間で、苫東コモンズの背景や方向に関する情報を共有するのは不可欠で、会員みんなが円滑な山仕事を続けるためには、縁の下の頑張りがあることを分担のリストを見ながら痛感する。



気付いたことは自分でやる、というのが分担の鉄則の一つだが、毎シーズンの初め、スノーモービルのバッテリーが上がって初動に難儀するので、ついにソーラーパネルで充電できる仕組みを採ることにしたもの。tomi-k さんの早速の手配。

また、中広場の休憩用いす2脚が盗難にあったようだ。コモンズのネーム入りだからといって安心はできなかった。役員の間にちょっとした緊張が走る。

その足でシカの食害試験地に行ってみると、桜が満開だ。更新したシラカバの新緑も芽生えている。

薪小屋上部の桜も咲きだした。頃合いとしては薪が積み上がるのとなんとなくよくマッチしている。



「あの木、なんの木?」

探鳥会の案内とニュースレター31号を届けるために、町内会のフットパス・ウォーカーのお宅に寄った。

「シンボルツリーのドロノキから昇ったところにある、ちょっとした広場の大きな木はなんですか?」
「はあ?少し刈り払った真ん中の直径60cmくらいの木ですか?あれはコナラです。勇払原野はコナラ群落の日本の北限とされていて、苫東のアセスメントでも、これが重要な保全対象になっているのです。もちろん、骨格緑地『遠浅樹林地』の保全対象もこのコナラを含むミズナラ・コナラ林なんです。」

よくぞ気が付いてくれた!そしてよくぞ名前を聞いてくれた!というのがわたしの実感だった。わたしはコナラのやや女性的な樹形が好きで、苫東の緑化と緑地管理をしていたころは、道路や用地造成の開発予定地からコナラを緑化用に大量に移植してきた。

大島山林の保育を始めてからも、コナラやミズナラの大木には黄色のテープをつけて保存樹扱いにして来たもので、このコナラもその一本だった。しかもコナラの樹形を見てもらうために、みんなでシウリザクラなどの若木を刈り払って、かつツリークライムのプロに危険な枝の切り落としを頼んで、安全を期したこともあった。



あの木なんの木?で思い出したが、わだち修復作業後、土場A(写真左)をみると、ひとまとまりの緑が見えた。なんの木だろう?そばに行ってみると、上で述べたシウリザクラだった。それらは林の中層をうっすらと柔らかい緑の帯が占めている。写真右は今年2月の同じ場所の風景。どちらも実に素敵ではないか。

ちなみに、土場や除間伐跡を見回っているtomi-k さんは、枝の片付けがまだ不十分で、もう少しボサを小さくし、太い丸太と小枝を分けたいものだ、と言っていた。


枯死木など伐倒予定のテーピング、完了


2023/04/25 tue 晴れ 小屋のベランダ17℃
solo-work

復活する試み、ふたつ

残っていた伐倒対象木ノテーピングを99%終えた。たっぷり2時間半を要した。選木は、ひとつひとつの木を見る仕事だが、思えば、この樹木たちも育ってこのかた、人間から眺められたことなどなかったであろう、その表情は、あまりいい育ちでなかったことが偲ばれた。思いがけない広葉樹の大木なども混じっているので、わたしは「木をみて、林全体も見る」この仕事がかなり好きである。山仕事冥利と言えるほどだ。



目前の多くの雑事から開放されてきたので、二つの視点を復活できる。
ひとつは、林道両側の保育の比較ゾーンの観察と広報、もう一つは勇払原野の楽しさを満喫できる散歩ルート「まほろばコース」の復活である。

まず、保育の比較ゾーン。

今の整理を終えると、いよいよ、林道左右の「保育の比較」看板(写真左)の通りとなる。南北に通る林道の左側(西側)は苫小牧市で、平成2年から除間伐を進めてきたゾーン、向かって右側は、厚真町に属する保安林でカラマツや台風56号復旧造林地である。

皮肉なことに、住民の保健に供する保安林であるために復旧予算は出たがその後の管理が行き届かず、造林は失敗に近い。結果、場の植生の方向はグングン天然林に戻ろうとしている。しかし、それはそれで成功である。問題は予算確保のために森づくりする動機も主体も不明なまま、進められたことである。

実施した行政としては一定の役目を果たしたのだが、「あとは野となれ山となれ」。推論すれば、造林などしなくても自然に天然林になる。そこを実例から積み上げた理論、原則がないから先走って無駄な投資をしてしまったのである。その様子を長期間観察し、作業に反映し地方の学会誌などに発表してきたグループがある。それは誰か。NPO苫東コモンズである。

もう一つの復活は、野生のままの径。写真右は、テーピングを終えて、「ささみちフットパス」の厚真側を望んだところ。その「まほろばコース」は正面左奥から北上する。昨年秋、久々に歩いてみようと思っていたところで、ヒグマの出没とわたしの股関節の故障などで、とんとご無沙汰していた。一回りすると1時間近くかかる。林床にササがないからどこでも歩くことができる勇払原野らしいワイルド&ナチュラルコースだ。新緑の時期、フキ採りを兼ねて歩いてみよう。どうなっているだろう。



地域の側からコモンズの林を眺める


2023/04/22 sat 曇り 10℃
静川 solo-work
遠浅 abe-aki abe-e urabe kai kuri kawam tomi-k wada ya-taro = 9 persons

土地を世話する人、日々見届ける人

「伐採は何が起きるかわからないから気を付けてね」

静川のカラマツの現場に、昼過ぎ、地元町議会の議長さん(75)が見えた。遠浅から源武を通ってジムニーでやってきたとのことで、地元NPOの理事もやっている関係もあってしばし立ち話をした。上の言葉は別れ際に言われたことで、さすが建設会社の経営者でもある彼ならでは。労災事故なども経験しているのだろうか、全てのみ込んでの話しに聞こえた。


夕方、遠浅の現場に立ち寄った際には、畑仕事をしていた床屋さん・荒木夫人と会話した。脇の空き地の処理をどうしたらいいか、生えている木は切っても惜しくない種類か、切り株はいつ抜けるか、チェンソーの目立てはどの程度やるものか、などなど。5/20 の探鳥会の案内と、荒木宅から50m先にあるコナラのフットパスのPRもあらためてしておいた。「今、すごく注目されている。まだほんの一部だけど(-_-;)」、と。

荒木家のロケーションは大島山林抜きでは語れない。詳細は『苫東コモンズの10年』に寄稿された一文に詳しい。

夫人の義理の父、徹氏(3代が関わるので、以下、荒木グランパと呼ぶ)も元町会議員で、行政と遠浅の両方の立場から、大島山林を地域の財産として活用できないか、思案していたところだった。で、苫東で緑地を担当していたわたしとの出会いとなった。平成5年頃だったか。

10年ほどたって札幌通勤に変わって(平成10年に会社が経営破綻)NPO設立の準備を始めた頃、荒木グランパは町内会長をしていたので、より親密になっていった。あの頃、わたしは「はまなす財団」で、千歳川放水路断念後の後始末みたいな仕事に関わっており、開発局の担当者とともに、協力してくれた早来町の幹部や関係議員に、「協力してもらいながら締めくくりの挨拶もなかったこと」のお詫びみたいなことと事後経過説明会に事務局側で同席した。その時、町の理事者側に座っていたのが、この荒木グランパだった。

日頃は苫東コモンズの位置から地域をみているが、今日はたまたま地元や地域の側から、出入りする「よそ者の苫東コモンズ」を眺めることとなった。会員は、地域にとっていわば、「通りすがりの旅人」である。最後はそこに住む人、様々な利害に関わる人が、陰に日向に後始末をするのが常である。いや、土地を所有する人(法人)すら旅人でしかないのが普通であり、プロジェクトが土地の上をただ通り過ぎていくのである。

コモンズはそこのところ、どれほど地域に根っこが張れるか、試行錯誤は続くだろう。

危険から逃げるコツ




今日は早めに出かけて「ささみちフットパス」の落ち枝拾いから始めた。新緑前の若い雑木林は、わたしには限りなくリゾートに近い。「里山風リゾート」とよびたいところ。「手自然セラピー基地」でもよい。



枯れ木はうんざりするほどあり、今日もコツコツ、一本ずつ焦らず伐倒する。たいがいは掛かり木になるため、大とびで移動させたり追い切りをするので、切り株数の割にははるかに時間がかかる。

今日も伐倒後見上げたところに、顔面と頭に数本の太目の枝が落ちてきたが、フェースガードをしていてよかった。

切り込みはチェンソーがしてくれるから簡単と言えるが、問題は、伐倒の背後に隠れている危険をどう察知して、どう回避するか、そして逃げるか、のコツをつかめるか。それに運もある。

川エビの実験、終わる



一昨年に、勇払原野の風土と付き合う一環で始めた川エビの手製網による採取。コツがわかったので、あとは個人レベルに移行することになる。

集団で多量に捕獲するのは北海道の内水面漁業規則だったかに違反する可能性があるので、所詮、個人のゲリラ的採取に落ち着く筋合いのものだった。これからはスドキやボーフー採りと同じ扱いになる。

上左は2022年4月はじめの大漁の図。川エビが大好きな知人に届けた。右は2023年4月21日。tomi-k 会員が2日前にセットした一本による収穫。これでも3,4人分のかき揚げに十分だった。実はこれほど採れる。

川エビ漁も、海のアメマス、支笏湖のニジマス、各地河川のヤマメ釣りなどと同様、通い詰めて餌や時期や漁具に踏み込まねば、満足できるいい思いはできない。そこが山菜と、ちと、違うところか。





清和研二著 『スギと広葉樹の混交林』ならぬ
「カラマツと広葉樹の混交林」へ誘う山仕事

2023/04/19 wed 10℃ 雨のち曇り
solo-work

混交林化で生態系サービスは向上する?!

普段は、北海道ではあまりないとされる里山のような風景を創ろうと、萌芽再生林の改善を始めて30年余り、愚直でスローな山仕事はまだまだ続くが、清和氏は表記の著作の副題に「よみがえる生態系サービス」と名付け、いつもの明朗な筆運びで、森林科学的エッセー風の一冊を昨年の秋に出した。

その「スギ」を「カラマツ」に置き換えると、まさに今のわたしのカラマツ枯死木片付け作業が、混交林化を早める手助けになることが意味づけされて励まされる。そしてそれは道内のカラマツ人工林にもそのまま当てはまる。

それにしても、彼の説得力に富むエッセー風筆致は素晴らしく、周囲でも定評がある。出生が月山の麓というから、わたしとはをあの月山を挟んで鶴岡側か山形側か、という関係だったことを、何年か前の著者紹介で知った。

たしか大学の数年若い世代の一人として名前は存じ上げており、教室ですれ違ったこともありそうである、そんな近さも確かにあるが、北大農学部、道立林業試験場、現在は東北大学名誉教授となられた。

そして、今や名うての森林科学インフルエンサーの星という、極めて稀有な存在になったとわたしは仰ぎ見ている。



枯死木は時に、人を殺める


ここ数日の間に折れたカラマツ。上は掛かり木になっていた。掛からないで林道に倒れたら、事故もありうる。責任感で処理したが、あまり楽しい作業ではない。

事故ニュースで、林道沿いの危険木に優先順位を変えた。切り株はできるだけ見えるようにしている。

さて、今日も枯れて直立するカラマツを伐倒した。

2日前、相模原のキャンプ場で、倒れた枯死木の下敷きになって死亡する事故が起きた。今年から始めたこのカラマツの保安林の手入れの動機も、実は林道とフットパス沿いの枯れ木が、わずかの風で倒れる状況となったために、森林所有者の承諾を得て、自主的に始めたものだった。里山風景を再現する、拡大延長でもあった。

事故ニュースには、できるだけ迅速に対応したい。ただ、枯れ木だからたやすいだろうと思われがちなこの作業は、実は、もともと混んでいるために掛かり木は避けられないことと、マイマイガの食害などによって枯れて腐朽が進んでいるために、チェンソーを操作しているさなかに急に倒れる独特の危険が常にある。

だから、コモンズの作業としてメンバーへの応援コールも、すべきかすべきでないかが微妙で、あえて大声で求めたりしないで来た。しかし森づくりの危険と効果を知るには、願ってもないフィールドである。例によって今日も、大トビを扱っている最中に、後ろに飛び跳ねるヒヤリとする一瞬があった

ひとりの山仕事は、それでなくても勧められるものではないが、先の事故の後だけになおさら、ヒヤリハットの反省も他人事でない。かねてから逡巡は続きっぱなしだったが、振り返るとあのためらいと恐怖感は安全感覚のウォーミングアップのようでもある。



近隣のボランティアが創る雑木林公園、ここにあり


2023/04/15 sat 晴れのち曇り 12℃
静川 solo-work
遠浅 abe-aki abe-e urabe oyama kai kawam kawai-h&m naka-f&s tomi-k&m wada ya-taro-= 14 persons

カラマツ造林地の失敗と更新


今日も、延々、黙々、コツコツと枯れて立ったままのカラマツを倒す。直径30cm近いものも多く根元の腐朽が半ばのものもあるから、クサビを一枚使って丁寧に、かつ、上からの落ち枝を気遣いながら慎重に作業を進める。空が開いて、一日も早く広葉樹の後継樹を待ちたい。


20年近く前にわたしが間伐をした時の放置丸太(左)。朽ちて苔むして土に還るところだ。倒したカラマツの枝先には短枝に緑の芽吹きが見えてきた。更新そして遷移へ。これからの長い時間に思いを馳せる。混交林の実現は、もうわたしがこの世を去ってからの話だろう。


相変らず、カラ類が飛来しては、去る。数か所の切り株に播いた餌を採りに来ているのは珍しくカワラヒワ。切り株を転々としている。

作業効率を度外視するからできる素人の森づくり


静川の現場から大島山林によってみる。NPOのメンバーはすでに作業を終え帰り支度のさなかだった。恐らく、今日が今シーズン最後となるだろう、コナラのフットパス沿いの作業の仕上がりを見ながら、すこし遠くまで散歩する。

フットパス沿いの切り株の切り戻しが進んで、枝片付けもさらに手がかけられたようだ。径わきの廃一斗缶も離れた場所に押しやられている。なにより、フットパス沿いの整備感覚が半端でない。これは公共の工事発注と受注する業者の土木作業とはひと味もふた味も違う。徒労と呼ばれるような人力作業の繰り返しであることがわかる。林に捨てられた直径10cm前後の枝も、薪ストーブ利用者に拾われて自宅に持ち帰られたりしている。疑似・里山の共同利用と呼べる世界だ。


結果として、運び込まれた除間伐材を材料として、この薪ヤードと棚が出来上がる。
燃やされるのは来年の秋以降で、それまで1年半はここで乾燥される。気の遠くなる手間と時間である。

そして、このサイクルと大きな手づくりのシステムが、試行錯誤を経てどうやら出来上がりつつあることが自覚される。山仕事の相互補完が自然発生的に、当然の仕事のように進められることと、成果として現出した沿道風景の改善には、正直に言って感動すら覚えた。

1,000m弱の沿道修景に、土場づくりから始めてここまでたった半年である。最終仕上げとして切り株の切り戻しされた跡をみて、メンバーのさりげないリカバーのセンスにも感心した。聞けば、4,5人で当たったのだという。実は、切り戻しはチェンソーが土をかんで傷むから、わたしはこの春最後のチェンソー仕事にしようとひそかに思っていたのである。

帰途、この径のヘビーユーザーである町内のウォーカー野村夫妻宅によって、最近のフットパスの出来栄えの感想を聞いた。賛同の声の押しかけインタビューである。

「いやあ、コナラのフットパスは毎日歩かせてもらっていますよ。」
「手入れされた径もいい感じだし沢型の両側の斜面の緩やかな勾配と風景に、特に心が休まるんですよ。」

などとおっしゃる。寄付だって惜しまないから、なにかあったら声をかけてね、と言われてお宅を後にした。



枯損木の除伐で空、広がる


2023/04/12 wed 曇りのち晴れ 10℃
solo-work

■なかなか進まない枯れ木処理



夜来の雨が上がり始め、予報は天気は持ち直すと告げていた。それが昼には快晴に変わった。しかし、風が強く、林は一日唸っていた。

先日の図書に加えて24冊を搬入し書架に収めた。この雑木林や大島山林の緑地のよってきたる苫東プロジェクトの基本計画などの資料と、経済効果分析などが含まれている。薪以外は関係ないというムキにはまさに及びでないかもしれないが、物事の底流れも一応はわきまえておきたいところ。先人の先見の明は、開拓の知恵や歴史にほの見え、自分たちはその上に乗っかるちっぽけな存在だと感じることがままある。

静川のカラマツの手入れ3日目。小屋周辺は、今日もカラ類がにぎやかで、どうもシジュウカラよりもゴジュウカラの方が目につく。車の荷台に野鳥のエサが残っているのを思い出して、瞑想テラスや切り株数本、そして「木になるベンチ」に播いた。数日前のものはきれいになっているから、ついばんでいるのだろうか。

ここの森カフェのテラスは空が開けているので、いながらにして鳥たちを観察できる。かつてはホーミーを唸って小鳥たちを寄せたつもりで遊んでいたが、カラ類やキツツキはそんなことはまるで頓着なしで、いながらにして肉眼で鳥が見えるのはアズマシイ。流行りの英語では cozy up !というところか。



たかが枯れたカラマツであるが、混んでいるので掛かり木にならないで倒れることはあまりない。また、芯部分が腐っているものも多いので、伐倒方向がコントロールできない場合もある。そんなこんなで、実は予想以上に簡単でない。安全を見てクサビを打つこともある。荒廃感覚をなくすため、倒れたカラマツの枝も落とすから、チェンソーを持つ時間が意外と長い。(おかげで山仕事の日は、夜間にトイレにも起きないで熟睡する。)

それでも上空を見上げれば、明らかに樹冠が開けてきた。いろいろな広葉樹が侵入し更新する手助けになればよい。混交して見えるようになるまで10年くらいか。いやいや、20年は優にかかるだろう。




里山と雑木林の小さなライブラリー、完成


2023/04/08 sat 曇り 14℃
solo-work @ shizukawa
abe-e urabe kuri kusa tomi-k&m naka-f&s wada ya-taro = 10 persons  @toasa

森づくりの山小屋図書館



朝一番、自宅から寄贈図書103冊を運び込んで、本棚に並べる。分類はかなりいい加減だが、右斜め半分はabe-b 技術顧問が提供した資料で、伐倒など林業技術を細かくフォローしているのが特徴。左下半分と棚の上は、わたしがabe-b さんとダブらないよう配慮しつつ、雑木林の写真集や森暮らし、薪エネなど少々と森林療法関係、エコ・デザインそれと若干ネーチャー系の思想的なものなどが並んだ。

棚は昨年、ya-taro さん手づくりした逸品で、ざっと250冊が収められている。主宰する「雑木林&庭づくり研究室」の分室と位置付けたい品ぞろえで、自宅にはコモンズ、森林美学、それと自然のスピリチャル系が残っている。昨年夏、urabe さんと創った窓の下は、丁度良い読書と思索のスポットになる。

カラマツの枯れ木もバカにできない




いよいよ、保安林内のカラマツの枯死木を片づけ始めた。まずは林道とフットパス近くの危険木である。枯れて腐っているのも多いから要注意である。左上は、見当をつけて受け口を切りこんだら急に反対側に動いて修正した妙な試技木。右は上部は枯れて根元はネズミに形成層を食われ、根元をクマゲラと思しきキツツキが大きな穴をあけたところ。今回の対象はこんな履歴が随所にの残るものばかり。

一帯の雑木林間伐を初めて33年、小屋ができて26年、元々なかった里山景観を創り始めてこれほどの年数を数える。遠くの正面に見える小屋周辺と、このカラマツ林はなかば一体だから、大切に時間をかけて手入れしていこうと思う。

目的は何かと問われれば、早々に樹冠を開いて広葉樹の侵入を促して、カラマツを交えた雑木林にすること、と答えたい。数十年、コツコツ手をかけた里山のさらなる実現を目指すものだ。つた森山林が、120年ほど経過した道内でも珍しい里山だから、1kmほど離れたここは、その孫かひ孫にあたろうか。

苫東コモンズの本隊10名近くは遠浅で薪割り、薪積み、風倒木片づけに当たった。夕方、静川から遠浅に移動してから、abe-e さんとフットパスのベンチを軽トラックで運び据えた。歩くには絶好な季節が続く。



川エビが大漁



4月5日に手繕いして川に投入した網を確かめると、一つ目は左、二つ目を足すと右のような状態だった。やはり、早春の今がエビ取りの適期ではないだろうか。川エビが大好きだったinaba 前理事の御主人が亡くなって1周忌になるので、帰途、ご仏前用にお裾分けを届けた。

こんな殺生をしていいのか、という疑問が一瞬湧くがそうではない。殺生の現場を見せない食生活に実は問題があって、鳥、牛、豚、魚各種、いずれも加工された形で台所に届く。山菜にしろ、手頃な川エビにしろ、殺生して口に入る生死の顛末を目にすることが、逆に自分の生命が活かされていることへの振り返りを促す。これで、わたしの今季の川エビ採取は終わった。



新たな現場に入って

2023/04/05 wed くもり 10℃
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保安林のカラマツ林でツル切り除伐開始



この現場というのは、静川の雑木林ケアセンター(ログハウ)の、林道を挟んだ東隣、林小班は厚真4-143という1ヘクタール余りのカラマツ林で保健保安林。10年近く前のある年、春夏の度重なるマイマイガによる食害で枯れ始め、枯損木にテープをつけてみると1/3~1/2 が立ったままで枯れていることがわかる。今日はフットパスの南側だけで約100~200本にテーピングしたようだ。一見、普通のカラマツ林だが、葉っぱが出ないから夏も明るい、異様な林だった。

カラマツ林を含むこの一帯は、平成2年から雑木林の里山景観の創出を目的(写真右)にして営々と修景保育を進めてきたところで、すでに足掛け33年。このカラマツ林も20年近く前、保安林の伐採許可を取ってひとりで間伐したあと。

これから始めるツル切り除伐は、土地所有者と行政(胆振総合振興局林務課)に連絡済みで、コモンズのメイン作業の合間に少しずつマイペースで進める予定だから、この春だけではとうてい終わりそうもない。それがまた、うれしい。

NPOのファイルを小屋に移動



のっぺらぼうの萌芽再生林数百ヘクターとの一画に「ログハウスを建てて世話していたら、周りが里山になって来た」、というのがささやかで手応えある「わたし的発見」で、色々な講演などでも自慢してきた。建物一軒ケアするということになると、林を風景として快適にするだけでなく、林床やフットパスの雑草も毎年何度も刈り、薪も作って、それがひとつずつ毎年積み重なって里山景観に繋がる。いつの間にか、人の気配というものがつく。そして小屋荒らし、盗難がなくなった。

もちろん、小屋の中も掃除したり、窓を磨いたりしないと途端にあずましくなくなる。今日もカラマツ林に行く前後、焚き付けを作った。家庭の主婦が忙しいことに、少し似ていることに気づいた。やるべきことが、足元にナンボでもある。

実は今日のメインは自宅で保管していた苫東コモンズの設立準備から2022年度までのファイルや決算帳簿など一切を、小屋の二階に搬入することだった。さすがに、領収書などの証憑は前日に廃棄したので、だいぶ簡素になったし、自宅書棚は断捨離一年目の今年、ちょっとしたスペースができた。

不思議なもので、これらNPOの誕生から現在までの経過を記した「記憶」のようなものを、設立のはるか前から見守ってきたと言うべきこの拠点小屋に移動させたことで、わたしはすっかり肩の荷が降りてしまった。




立ち枯れヤチダモの焚き付け


2023/04/04 TUE 朝1度 

残り物の捨てればゴミをうまく使う



久々に、朝、薪ストーブを焚いた。

昨日の夕方は、運んでおいた立ち枯れのヤチダモの半割の丸太長さ35cmを小さく割ったら、2週間分の焚き付けができた(写真右)。ということは5玉ほどあれば一冬の焚き付けができるということになる。これはいい話ではないか!!

そもそもこれは、3月4日に ya-taro さんが倒していた枯れ木だった(写真左)。木口を見ると、立ったまま乾燥しており、すぐにでも焚き付けになると見たからだった。しかし薪にするにはきっと燃えすぎるだろう。そこで雪解けの進む巣の^モービル最終日に運び出して、共用の捨て材としてブルーテント脇にぶん投げておいた。最終日のカラマツもそうした。

ところで焚き付けは、なかなか、こだわりが多いから、人によって蘊蓄も色々だ。だが、基本的なところで、手入れ後の山は、焚き付けでいっぱいなのであった。SDGsなどと時代のトップランナー気取りで言う世間だけれども、おじいさんは山へ柴刈りに、の世界がオリジンだと言える。



勇払原野の高級ブランド「おの割り雑木薪」

2023/04/01 sat 晴れ 7℃
abe-aki oyama kai kawai-h&m kawam kuri kusa tomi-k&m wada ya-taro = 12 persons

薪の美



朝から kawam さんがマサカリで割った薪が自作自演で積まれて、夕方にはマサカリだけによる薪棚がほぼ出来上がった。もともと、手割りは機械割に比べて自然な感じで割れて行くのできれいな薪ができるが、それだけで薪棚を積み上げたことはなかった。これが実に美しい。即、インテリアにもなりうるから、別の付加価値をつけてあげたい。その一案が表題である。

ちなみに最も近傍の薪屋さんは1立方mあたり25,000円だから1棚が7万円近い。そろそろ、市場価格とのすり合わせも必要になってくる。

ハルニレの風倒木とカラマツの枯れ木など




薪ヤードから300m程離れたハルニレフットパス予定地の近くでは、ハルニレ風倒木の処理がほぼ終わりに近づいた。相当な量の枯れ木と半枯れ木、そして太いハルニレの丸太が残された。地際の年輪を数えるとざっと80から90ほどある。秋に搬出のルート決めをして運搬はきっと来年の一月になる。

kai さんの手掛けたキハダの風倒木(左下)の周りにも、おびただしいツルが片付けを待っている。わたしの現場(右下)はカラマツの枯死木だらけだが、どういうわけか、主たる戦力はここをはやばやと見捨てて奥へ行ってしまった。仕方なく枯れた丸太を無造作でもまとめて積んでいくしかない。枯れ木のくせに妙に掛かり木になるから、頭にくる、と誰かが言っていたから、薪資源の観点からも費用対効果 B by C の点で難があるのだろうか。無駄な仕事は確かにしたくないものだ。

一日の終わりに道具を一輪車に積んで作業の来し方を振り返る。

1年前は想像もできなかった風景に変わった。人を寄せ付けなかった荒れた林が、今、町民が散歩に来て「気持ちいい」と感想を述べるところまできた。鳥や獣たちもやってきてにぎわうのも何よりだ。おもえば、山林全体が15年前がこうだった。

地域の環境を変える、などと一口に言うけれども、技術も考え方も人付き合いも試されるから個々人がスキルを磨くしかない。

フットパスの緩やかな坂を登りきると、そこにバッテリーの充電を終えて復活した軽トラックがエンジンをかけたまま置いてあった。遠くで「乗っていいよ」の合図をする人がいる。アリガタイ。一輪車とチェンソーなど一式を積み込む。こういうハートの持ち寄りがコモンズらしい。残りわずか100mほどだったが、新年度早々、山仕事のご褒美をもらったような気がした。