生成りで語る

第7回

●テーマ レイチェル・カーソン 森林公園利用者と森林散策 3 森林をよむ心 ●日時と場所 7月13日 土曜日 am10:30---pm00:30 場所 苫東・雑木林ケアセンター
●ライヤーと薪割り(勉強会の前に)                 先月は22日だったから、今回(7月)が13日というのはインターバルが短い。あっ という間に勉強会はやってきた感じだ。小屋のそばで送電線の下の萌芽更新を撮影して林 道に戻ると、NUKEさんとばったり。急用で欠席するので借用した本などをログに置いて  きた、という。あいさつもそこそこにお別れし、小屋に着いて薪割りを始める頃、今度は ドクターTが早々と到着。手にはライヤー(イングリッシュハープ)のケースが。勉強会 が始まる前に林の中で演奏してみようと思って、とドクター。わたしは、アコースティッ クな音色に耳の神経を集めながら、目の神経は薪の真ん中に集めて斧を振り下ろす。まる でミスマッチのような、あるいはぜいたくな組み合わせというべきか、どちらか?、いや いや両方である。                                  バッハのプレリュード、なかなかドクターの演奏はうまかった。微妙に旋律が躍動する アルペジオは流れるようだった。か細いライヤーの音色、静かな林で十分ミニコンサート は開ける。わたしは薪割りをやめて、ソプラノリコーダーで一番上の旋律だけをなぞって 合奏してみる。うーむ、悪くない。残念ながらカエデのソプラノリコーダーは五分の一音 ほど、ライヤーより音程が低い。さらに小屋の2階に置いてあるクラシックギターを取り 出してチューニングしてから同じ旋律をひいてみる。クラシックギターの音色は、ライヤ ーに比べると太く、音量があって相性はどうかな、と感じた。音量の差は、ギターが共鳴 するホールがあること、そしてクラシックギターが爪でひく性だと思われる。そこへバイ オリンを弾くSさんがやってきたので、いずれ何かやろうね、と話して勉強会に移る。  ●スズムシ効果                                勉強会は、外に少し蚊が出てきたので、小屋の中、しかも念のため蚊取り線香を焚いて 開始。最初の話題はスズムシである。前回の話題であったPTSDの治療に有効とされる EMDR(眼球運動による治療方法)の際に、スズムシの音を聞かせると効果は倍であっ た、という岩手大学の研究を紹介した。インターネットの精神医療のニュースから拾った ものだ。                                      古くから親しまれた虫の音や癒し効果が実証された格好。岩手大学の鈴木幸一教授(昆 虫機能利用額)は69人の学生を実験に使い、PTSDの治療に効果があるとされ、パソ コン画面に左右交互に現れる点をみつめ眼球を動かす療法(EMDR)と、スズムシの音 を併用した場合を比較。学生に過去の恐かった経験を思い出してもらい、リラックス時に 出るアルファ波など脳波を測定したほか、学生へのストレス度を聞いた。結果は、EMD Rだけの場合に比べるとスズムシの音も聞いた場合はストレス減少効果が約2倍に達する ことがわかった、とされる。                             眼球の運動にスズムシ、とくるとこれはもう森林散策にフル装備されているアイテムだ と言うことになる。スズムシは小鳥の声に置き換わったり、そよ風、葉がすれる音など森 林に付随するいろいろなものと置き換えていった場合、類似した結果にたどり着くことは 容易に想像される。別のレポートでは、林のにおいを充満させたところ、アルファ波の出 現が確認された、という内容のものもみた。                      あまりこの手の後追い的実験が続くと、なんだか結論というか話の展開先が意図的な調 査だ、という話になりかねないけど、このような蓄積はこれからもっと必要になる緑の合 意形成のための有力なデータ、あるいはエピソードになるものと思われるので着々とスト ックしておくべきだと思う。                             あるいは単刀直入に、健常者にモニターになってもらって、現代のいろいろな悩みを林 がどの程度解決できるかなど徹底的に調べ上げる調査を始められないだろうか。日常的に 林で散策ができる人としない人、できない人の治癒度など回復に関する疫学的比較…。身 近な緑を持つ地域の犯罪率、とりわけ青少年犯罪などとの関係、ゲームで損なわれる子供 たちの感性と落ち着き度合いなど。もう行われている時候も多いような気がするが一挙に わかりやすいまとめがまだない。                           これらをひもといていくためには、同時に関与する社会的条件を処理しなければならな いので、とても一筋縄でいくものはないが、しかし、「身近な緑」の日常化には、その程 度の積み重ねがないと、行政の施策に反映されることはないだろう。そこにどうコミット していけばいいのか…。                              ●今、なぜ、「レーチェル・カーソン」なのか           ここのところ、書店の環境のコーナーにはレーチェル・カーソンに関する書籍がいくつ か目に付く。有名な「沈黙の春」の新訳みたいのとか彼女の伝記のようなものとか、今、 なぜなんだろうと思っていた。ドクターTはかねてからレーチェル・カーソンのことをし ばしば引き合いに出していたのでそのうち何か話題を提供して欲しいとお願いしていた。 で、ドクターは今回、カーソンの活躍を記録した年表をもとにプロフィールを紹介してく れた。一九〇七年、ペンシルバニアの農家に生まれ、母の影響で自然界に目覚めたこと、 文学的才能をあわせもった科学者であったこと、科学者であるがスピリッチャルな観察眼 をもっていたこと、父親や姉が亡くなって一家の大黒柱としてはたかねばならなかったこ と、姪を養育したこと、一九五八年「沈黙の春」を執筆し始め一九六二年、連載が開始、 この間ガンに犯され一九六四年死去…。                          わたし個人はカーソンの本を一冊ももっていなかった。思えば、「沈黙の春」があまり にも有名でよく自然系の著作に引用されてきたために目に触れることが多く、結局、自分 でじっくり読むことをしてこなかった(同様のケースはミヒャエル・エンデであるが、こ れはこの際触れずにおこう)のである。このメモを書くのを契機に「沈黙の春」「センス ・オブ・ワンダー」、それと埋没原稿を集めた「失われた森」を買い込んで読んでみるこ とにした(それでこのメモの仕上がりが遅れたわけ)。                ●悲しく覚悟する                                で、読後の印象は、「やはり悲しく覚悟しなければならない」ということだ。DDTや その他の農薬に無頓着だった時代は、カーソンの警鐘や監視や抑止の制度整備で一見過ぎ 去ったかにみえるが、どっこい、経済性を優先しようと言う企業論理はモグラたたきのよ うにあちこちで露見されるし、食うために環境を配慮していられない発展途上国などでは 時間差をおいた同じ問題が起きているからである。そして、時代は地球温暖化やオゾン層 の破壊などに地球環境問題に焦点を移している。農薬からCO2(もとはエネルギー)へ 注目の負荷が変わったが、問題解決の重要度はいっこうに落ちていない。むしろ、深刻で 未来にかげりが出そうな気配すらある。                        生物濃縮が結果として出てくることをもっと真剣に考えていくと、「食」に行き当たる。 わたしたちの食は本当に安全なのか、もぐりといかさまはどの程度なのか、商品の表示は もうほとんどアテにならないのか、結局「地産地消」や生産者の顔が見える流通に進むべ きなのか…。多少高くても安全な食料を目指せば、食料自給率があがり日本における農業 の地位は上がるのか、新規就農者が増え失業率の低下に寄与するのか、日本全体として再 度農業に傾斜して派手ではないが質素な身の丈のくらしに戻ることになるのか、とさまざ まな連関が浮かんでくる。                              つまり、「沈黙の春」現象はまったく終わっていなかった。海洋か河川の汚染物質が生 物としてはベントス(底生生物)や根魚などに濃縮されること、食物連鎖のトップにいる マグロの大トロはかなりアブナイなどと連想が進むので、この件はもう終わりにするほか ないけれど、では、なぜ今カーソンかという話は区切りをつけよう。確かに「沈黙の春 」が提起した問題は形を変えて継続していることはもちろんだが、書籍としての流通は、 二〇〇一年の「センス・オブ・ワンダー」の映画化によるのではないか、と思いついた。 話題性のあるものに購買者は寄っていくからだ。出版業界はそこに目を付けたのではない か。ま、わたしはそれで得心がいった。しかし、この問題は重たいから、そんなに読者が 増えるとは思えないのだが、この著作は足元をみつめさせ、日常でできる何かをしなけれ ばという気にさせる。だから、重た〜く感じてしまう。                 なぜ、今、カーソンかのもう一つの答えは、自然の観察力と表現にあるのではないか。 科学として自然を把握するのだがそこに詩人的な情緒の介在を許しそのテーマを天性の文 才にのせて表現していく。50年ほど前とまったく状況は変わっていないじゃないかとい う驚きで生活を見定めた人々は、ではどうすれば負荷の少ない暮らしをしていけるかを考 え始める。ライフスタイルはこれでいいのか。減速生活も含めた見直しを、カーソンの著 作は動機づけたのではなかったか。そしてそれはなぜか…。きっと一文一文に何かがこも っており静かに感動させるからだ。その何かとは、スピリットではないだろうか。    ●農薬で思い出したこと                          ニューヨークでは最近増えだしたアカイエカの繁殖を押さえるために殺虫剤を散布し始 めたようだ。古タイヤ内部の水分に蚊の卵などが産み付けられて移動するからだとされ、 蚊を媒体とする伝染病が蔓延する気配があっての措置なのだという。農薬・殺虫剤はやは り終わっていない。一方で、ドクターがバリ島でベープマットを使ったら、蚊どころかゴ キブリも死んだというエピソードにはみんなで笑ったが、このふたつの現実はどうも笑っ て見ていてはいけないようだと思いをいたした次第だ。                 実は農薬のことで子供の頃を思い出した。わたしは中学の頃、リンゴなどの農薬をおい た納屋(母屋の隣りにあった)に移り住んでいた。戸を開けると農薬のにおいがしたがす ぐ慣れるのをいいことに2年ほどはいただろうか、あるいは間をおいてもっといたかもし れない。食事以外は親からの束縛を受けないですむ空間(離れの勉強部屋兼寝室)だった 訳だ。農薬の揮発性が問題視されるのをみて、最近ドキットして思い出したのだが、もう 遅い。わたしは育ち盛りのあのころ揮発した農薬をたっぷりと吸っていたのではないか。 兄たちに比べて身長が伸びなかったのはそのせいか(笑い)。パラチオン、DDT、硫酸 硫黄合剤、ホリドール乳剤なんてものがあったように思う。               それともう一つ。そのころ痔疾を患った。14,5歳ではとても恥ずかしくて言えない 病気で、風をひいたことにして手術した。痔疾は肝臓機能と結びついていると考えている ので、揮発した農薬を吸っていたわたしは肝臓の機能が低下していたのではないか、と思 う。その後、白目がちょっと黄色いのではないか、と観察していた。30歳の半ばころ、 知人の医者にもそういわれた。後半、ある誤診から不安神経症に陥った。誤診した西洋医 学に見切りをつけ、自覚症状を医学書と照らし自分で漢方薬にねらいをつけ専門家に相談 したところ、その見立てでいい、といわれた。                     サイコカリューコツボレイトウという漢方薬であり、これを一週間飲んだところでまさ に専門家の言ったとおり、症状が格段に改善し始め白目の黄濁が消えていった。しかし、 動悸などの身体症状が完治するまでの5年は長かった。コツボはまず肝機能を改善する、 ということだから、わたしの場合は結局肝臓にずいぶん負荷がかかっていたのだと思う。 それが本当に農薬の揮発によるのか、本当のところは不明だが、コツボのあと、体調はす こぶるよく、ヨガのようなストレッチを毎日するようになって、風邪もほとんどひかない ようになってきた。                                ●ホルムアルデヒドの恐怖                         農学部の学生のころ、合板会社を視察したところ、工場は木材の接着に使う尿素樹脂(ホ ルマリン系)の化学薬品で充満していた。目が痛くなるような強烈なもので、わたしたち 20そこそこの学生は、説明に来てくれた会社の担当者に約一時間、職員の健康管理につ いてのみ質問した。引率の先生はヒヤヒヤだったらしいが、あれは最近注目のシックハウ ス症候群の元凶である。今からざっと30年前の話であり、カーソンの話がなければ思い ださなかったかもしれないエピソードである。                     蚕の飼い始めも家中をホルマリンで充満させる。病気に弱い養蚕を始めるにあたって、 天気のいい日に家人を閉め出して消毒するのである。これは家に棲むいろいろなものが死 んだかも知れないが、家のものにはどうだったのだろうか。少なくとも特別な異常は家人 から出されなかったが、恐い話である。確かに便利な薬品だったのだろう、飼育途中で壊 滅、なんてことをなくしただろうから。こういった試行錯誤をあまたの種類、地域、時々 刻々と営々として続けてきたというのも、20世紀半ばからの地球の歴史といえる。    「沈黙の春」から横道にそれて、思いつくままをかいてしまった。          ●快適だと感じる林の散策                         Sさんは、「森林公園利用者と森林散策」の最終回を用意してくれて簡単にまとめに入 った。今回は札幌のバスガイドさんの協力を得て、どんな林が好感を持てるかのアンケー ト結果。具体的に林相や景観の異なる散策路景観のスライドを見てもらって、アンケート 結果から「情緒性」と「空間性」の2つの景観軸の得点をみた。その結果、歩きやすく見 通しがよく、かつ雰囲気もいいのは、ヤチダモ・ハルニレノ散策路、あるいはヤチダモ・ シナノキの散策路だった。前者は樹高が20mほどある閉鎖した林道で緑のロンネル状、 後者は半分開けており樹高は15mだった。                      ほかのスライドは林に続く農地だったり、切り土のり面をもつ林だったり、うっそうと した藪状の林だったりする。空間と情緒というふたつの軸だけで分析しても好まれる散策 路のアウトラインは見えてくると言えそうである。ただ、林だけにこだわるとそうなのだ けど、2時間近く散策散策する場合の散策路としてみると、畑や原野の中の空の広い、つ まり景観性の高い道もバリエーションとしてコースに組み込んであると、この風景に出会 った途端「ウワー」という感動的イメージになる。だから、このレポートは森林景観に限 定したものとして、コースメニューづくりは次のお楽しみステップということにしておこ う。                                        蛇足として補足すると、厚真町の本田山林の道の多くは、空間性で低く評価されたとこ ろの、完全に植生に囲まれた空間であるにもかかわらず、緑に抱かれたような快適さがあ る。それは、林床がある程度手入れされていること、人手のにおいがしてヒグマの心配を あまりしないでいいこと、オーナーと歩くことが多いこと、などが快適の原因ではないか と思う。そうなのである。先導者、インストラクターなどが存在するかどうかは、リラク セーションの散策に意外と大きな影響力がある。イントロはそうやって導かれて、土地勘 がついたころ、本格的な自分だけの、自己内観を伴うような森林散策へといくのではない か。いつも初めての森林散策探検では疲れてしまう。                 ●アップルトンの理論                             どんな森林景観なら好ましいのかを考えるとき、わたしは「アップルトンの理論」とい うものに注目していて、たまたまSさんの話とはまったく無関係にそんな話をするつもり だったのでそのことを書いた資料(「日本の景観」樋口忠彦)をコピーして持参してい  た。ちょうどいいテーマだったので引き続いてアップルトンの話に移った。        アップルトンは人間が環境から美的な満足感を受け取るのは、「そこの景観が棲息する のに適した場所であることを象徴的に表現しているからだ」としている。そして棲息に適 した生息地の基本条件は、「自分の姿を見せることなく相手の姿を見ることができる」こ とであり、自分の姿を隠す「隠れ場所」と相手の姿をみる「展望」の象徴だという。これ が「危険」を表現する対象に抗して備わっているとき、人間はそこに棲息地の象徴を見て 美的な満足感を感じ取る。                              このようなアップルトンの理論は、林に人が来ることを願って林を育てるときの根っこ のところにおいてきた。見通しのいい、クマなどが万が一やってくるときでも100m手 前あたりから見える林、そうすると少なくとも多すぎる恐怖感はないはずだ…。また、そ の観点でいくと、苫小牧の雑木林は最初から優位性がある。なぜなら、ササがないかまた はササ丈が小さいからササに視界をさえぎられることがない。だから、苫小牧の雑木林は 気持ちがいいのだという確信を持つようになったのであった。              また、アップルトンの話はアンケートによる快適な林の調査結果にも符合する。つまり 人々は見通しのいい、密度の少ない、枝下が高い林がいい、と答えるのである。ドイツの 散策路がとても見通しのいい林で、ときに芝とぽつんぽつんという大木が組み合わさった キャンパスタイプであったりすることとも同じである。苫東のログハウスの周辺の林は、 したがってこんな気持ちを簡単な技術マニュアルに置き換えて育てたものである。だから 結果としては、先にSさんの資料にあった空間と情緒において評価されるとした散策路と 基本的に相似な林になるのである。                         ●彼岸の森をこちら側へ                          人と森林がかけ離れてしまった現実はどうすれば改善できるのか、特に森が人のこころ にとって無形の恵みを与える存在であることに目をつむってはいないか。この勉強会がた ちあがった動機のひとつはそんなところにあったので、人が行きやすい森林散策のことな どがとても重要なテーマになっている。その課題について研究者レベルでいろいろ調査と 議論と提案をした本(「森林をみる心」昭和59年共立出版)がある。以前Sさんから借 りて目を通しそれぞれの論点ともとても興味深かったのだが、特に山形大学の北村昌美元 (?)教授の「彼岸の森と此岸の森」がわたし及びわたしたちの今のテーマとかなり近か ったのでコピーを持参しあらましを読んでわたしなりに若干の解説を説明した。      北村教授もなぜ日本で森が向こう側に行ってしまったのか、とあれこれ仮説を立てて諾 否を選び推論していく。途中の議論は省略するが、行き当たったことはドイツの森は「身 近な細切れ」であり、日本のそれは「ひとまとまりの奥山」だという事実である。ほとん どが平地で伐採になくなりかけたドイツの林は、都市のそばのあちこちに辛うじて戦いの あげく確保された。ここにひとつの原点があるのではないか。              ひるがえって日本は平地はことごとく都市と耕作地に占められ、斜面はからその奥は  「山」と呼ばれる奥山となって人の生活には日常的な関与がなくなったのである。肥料や 燃料の調達というリンクの糸も消えてからというもの、向こう岸はどんどん遠ざかってい ったのだと思う。                                  北村教授はこれに続いて、日本人は近寄りがたい奥山をそのままにして日本庭園という 疑似自然を囲い込んだ歴史を書いている。ただ、これからの森の置き場所を考えるもの立 ちとしては、その歴史よりもこれからの方途を間髪入れずに探りたい。結論をいうと、森 林をこちら側におく、つまり近寄りがたい彼岸から此岸に移すためには、身近なところに 気持ちのいい森林をおけばいい。いわば都市が排撃した緑を、都市林として呼び戻せばい いだけである。そうしさえすれば、人は必ず、気持ちのいい森林の雰囲気の虜になる。    ●いつか来た道                               いつのまにか、いつかたどった道に出会った。もう結論はみえていると言うべきなのだ ろう。要はいつどこで、どのような形でそれが実現に近づくのかということだ。そのモデ ルは、どこかのマチであるかも知れないし、わが苫小牧であるかも知れない。先日は、森 林散策と食餌療法などを通じて自己治癒力を増進させようとしている穂高の施設を体験し てきたのだが、そこでわたしが実感したのは、森林散策を、フィトンチッドの森林浴とい うような身体の健康などの効用にしぼりすぎないことが大切だということだった。おそら く、森林浴のように漠然と歩いて、ひとときをある限られた固有の空間で樹木と対峙して 時間を過ごす。森林の散策は,そんな2段階のプログラムを内側に隠しているのではない か。それが自分のものになっていくと、北村教授がいうように、「好きだから森へ行く」 と言える自然な段階にいく。しかし、ここへ多くの日本人がたどり着くには、今はものす ごく遠く感じられる。                               *こう書いてしまってから、ガイア理論の提言者である J・ラブロック博士がレイチェ ル・カーソンを論じている(「ガイアの時代」工作舎)のが目に付き、読んでみると微妙 なニュアンスだった。科学者からみた、散文的メディア的センセーショナル・プレゼンへ へのアンチテーゼだろうか。以下にに引用したい。                  「そのタイムリーな独創的著作『沈黙の春Silent Spring 』 によってグリーンムーブメ ントの口火を切り、自分たちを取り巻く世界をわれわれ人間がじつにたやすく傷つけられ ることを気づかせてくれたのはレイチェル・カーソンだった。けれども、それに先だって 農薬が生命圏全体にあまねく分布しているという発見がなされていなかったら、彼女も農 薬汚染に対して警鐘をならすことはできなかったろう。その発見を支えた技術によれば、 母乳や南極のペンギンの脂肪中に含まれるまったく取るに足らない量の農薬についても数 値を読み出すことができた。レイチェル・カーソンの時代において農薬は本物の脅威であ り、盲目的かつ指数関数的な使用量増加は、われわれすべての未来を危うくするものだっ た。しかし、われわれはなんとかそれに対処することができた。ただ、だからといってそ の1回の経験を、現実のものも架空のものも含めてあらゆる環境問題に当てはめようとす るのはおかしい。」…                              



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