2010年の日々の迷想
■12/31 大晦日。万感を込めて、ただただ家の主(夫と親)を演じて。合掌
■12/30 山仕事は今年最終日で、図らずもコナラの大木を発見。夕刻、娘が帰省して一挙に年越しモードに。で、さすが年末、一年を振り返りはじめ、忸怩たる思いもする。安岡正篤翁はこういう。「大器晩成という言葉があるが、人は自然が晩成した大器だ。(高等動物の中で)一番あとで作ることに成功した。…人間もなるべく晩成がよい。まあ、死ぬ頃なんとか物になるというくらいの覚悟でぼつぼつやるがよい。」わたしなど、なんとまあ、励まされることか。
■12/29 9月と10月のNPOに関するフォーラムなどは広報の関係で活字になっているので、それらをひとつずつリンクしました。
new のサインが入っています。
■12/29 連休初日は寝坊し、雪が降り止まないので山仕事を明日にして、読書三昧。歴史物で足慣らしのあと社台ファームの『吉田善哉 倖わせなる巨人』を途中まで読みました。坂の上の雲、を読む気分であり、苫東の隣接地の話で引き込まれる。競馬は先祖たぐり、という言葉も知らなかった視点で目が止まりました。

■12/28 年賀状に一言添えを書きながら楽しみました。日曜に完成したものに昨日の昼、100枚、今日の御用納めのあとに残り全部をほろ酔いでフィニッシュ。相手の顔をフラッシュのように思い浮かべて、さっと書く醍醐味。お笑いでいう「整いました」ってのをやるわけですね。できればもっと余裕をもってしたいところ。で、明日からは休暇に突入。まず、山仕事からか。
■12/26 それにしても山仕事は危険と隣り合わせです。昨日のサクラ(直径30cm)は腐れが入っていて、チェンソーを入れて1,2秒で倒れました。一触即発ならぬ一触倒壊。万が一、歩行者に倒れたときは大怪我になる。沿道の風倒木の手入れの重要性を再認識した日でした。
■12/25 このHPは林に関心&造詣の深い方が比較的多いと思いますので、臆することなく林のこと、特に山仕事を丁寧に書いていますが、こんなこと、読み手としてはどうなのかな、と思うことがよくあります。今日もまた、そうでした。(^_^;) 現場というその中のごく細部に、面白い出来事がある、という感じがますます募ります。
■12/24 いよいよ冬将軍、到来。今晩はマイナス6℃でしたが、今季初めての低温はさすがに寒い!明日は、久々に晴れた中で山仕事ができたりしたら幸せ〜。
■12/23 幌延から女性のお客さんが二人おいでになって、雪降る苫東を案内。こちらとしては結構な降りなのですが、 こんなの序の口、ってな感じです。大島山林、小屋のあたりを巡りながら、わたしの話すことといえば、どうも林とメンタリティーの話しばかりだったなあ、と反省しますが、お二人には「関心内」であったのが救い。最後は、駐車場のそばで、小鳥を手に乗せました。Gさんはもうなかなか現場を離れませんでした。
■12/20 夜中、重苦しい夢を見る。若い頃に登っていた冬山で、何度か反省したことのある山々の行動。命を落としていた可能性がある体験。メンバーとしてもリーダーとしても未熟だったそれらにおいて、わたしは助かってきた。山仕事でも同じ。あるいはトラウマのように沈んでいたこれらが睡眠の最中に浮かんできたのは、自分にどこか傲慢さでもあったのだろうか?こう思うと益々眠るチャンスを逸する…。で、結果。未明の刻、ただ合掌するのみだ。
■12/19 午後から作業服のジーベックに行って、冬の作業用のこまごましたグッズを物色する。下着に始まって、手袋や靴下、今よりベターと思えるものを買ってみる。帰宅後、寒気が緩んだベランダでチェンソーを分解して掃除。これがまた、とてもリフレッシュになる。チェンソー事故に備えた防護靴は、STIHLにせざるを得ないな、と思った。サイズがやや大きいのだけどインナーなどもあるので足を合わせよう(^_^;)
■12/18
夜半から風雪。それも10時頃にやんだので、山仕事へ。ツルの絡まる一帯で、難事のトンネルみたいなところ。年内にはここを潜り抜けたいところ。
■12/18 外はこの冬一番の風雪ですが、風の音がほとんどしないので、無声映画のシーンのようです。おもわず「美しい」。数日前、郷里の兄からラフランスが届きました。と、昨日はなんと熊本は八代から晩白柚(バンペイユ)がつきました。季節の産物の嬉しいこと。と同時に中沢新一の『贈与の礼』を思い出しました。
…アメリカインディアンは贈り物は動いていなければならないモノで、贈与の霊が動き流れていくとき、世界は物質的に豊かで人々の心が生き生きとしてくる、と考える、そして贈与がモノを結びつけるエロスの力をもっているのだ、と。ふむふむ、贈り物は確かに人をつなげる。あり得る。
贈与はエロスで結びつけ、売買はロゴスで分離する。ブッダは惜しみない贈与の果てにブッダの人格を得た。贈与のことしか語らなかったというイエスもまた、存在とは惜しみなく愛を放出し続ける父なる神で、…とあり、さらに、ハイデッガーは、存在とは贈与するものである、と表現にたどり着いた…。「贈与には霊がつきまとう」。…
…ううむ、お返しが難しくなった(爆
■12/17 北大農学部の小池孝良教授を訪問。森林美学、生物多様性など昨今の大きなテーマを幅広く、かつ、深くカバーされ、大学の伝統への思いも熱い先生で、今後、森林の全的とらえ方で、北海道ばかりでなく日本をリードするかもしれないと直感。新刊『森への働きかけ』を直接購入させてもらい、たくさんの資料もいただきました。おって、ここでもご紹介していきたいと思います。
■12/16 先週から忘年会が始まりました。夕べは地域SNS「どっとねっと」のオフ会をKKR札幌のマイヨールで。英国ブリストル、幌延、旭川と遠方からこられるのと、70代の方も集まるネットのコミュニティです。日常的に書き込むアクティブライターばかりですから、日ごろの消息は職場などよりずっとよくわかっているという不思議な世界。それにしても安い。ドリンク付きで3000円で、道庁の雪景色を見ながら歓談するのです。さすがにおなかがすいて、2次会はお好み焼き「ちぼー」へ。会食の値段はしかし2,30年前と変わらないか、安いかもしれませんね。

■12/14 安岡正篤を読む。「六然(りくぜん)」にこうある。
・自處超然(じしょちょうぜん)
  自分自身に関してはいっこう物に囚われないようにする。
・處人藹然(しょじんあいぜん)
  人に接して相手を楽しませ心地よくさせる。
・有事斬然(ゆうじざんぜん)
  ことがあるときはぐずぐずしないで活発にやる。
・無事超然(ぶじちょうぜん)
  事なきときは水のように澄んだ気でおる。
・得意澹然(とくいたんぜん)
  得意なときは淡々とあっさりしておる。
・失意泰然(しついたいぜん)
  失意の時は泰然字弱としておる。
朝、こういう言葉を浴びて浄化しておきたいもの。というか、ほぼ、できていない構えだ。自省、内省まで日々やることは楽ではないが、変革期の今、むしろ当然の課題、として考えてみようというのが今回のメモ。
■12/13 北海道イニシアチブという場合のイニシアチブと言うのは、まだ誰もやっていないことをする、の意味だけど、村上龍の「希望の国のエクソダス」が描いた世界(ある種のエコタウン、場所は野幌みたい)こそ、本州とは違ったスタンダードを取り込んだそのものかと思いきや、今晩のス○ートシティセミナーで、それが千葉の柏の○キャンパスなど、日本各地で行われていることを知りました。北海道はかねてから、しわ寄せと急場しのぎと実験場だったのだから、未来志向のモデルを、と思っていたら、北海道イニシアチブと歌ったわりには、どうも拙速だったんですねえ。それに、進取のシナリオが描けない状況なのか。今日の夜、そのセミナーで仕切っていたスピーカーのおじさんたちは、どこか遊民みたいなわたしには別世界の方々のようでしたが、ああいうところからプロジェクトが動き始めることも良くある訳で。(^_^;)

■12/11 山仕事の安全を祈願する山の神の神事は、風雨のなかでした。この頃の産土(うぶすな)の神々に見透かされているようなのが、ありがたいのです。(笑い)メンバーの2礼2拍手1礼にそろえようと気遣うあまり、一人の時のような盛りだくさんのお祈りにならず「形だけ」になったのが心残りといえば心残り。でも、シンボル「どろのき」からは「ご神木としてはまだ未熟なので一杯お祈りされると困る」というメッセージも又聞きしているので、これで一応約束を守ったといえるでしょう。
■12/11 もう12月。今年の忘年会は1回目が欠席、昨日は二つ目でこれは出席。笑いながら、聞き、しゃべっているというのはそれだけでも十分意味がありそう。確かに、実に他愛無いことをしゃべっています。(^_^)v
そして、もう冬至なのですね。通勤の朝日で気づきました。7時10分ころ、まだ太陽は生まれたばかり。ということは、暗いうちに起きて、薄明かりで出勤、ということですが、この薄ら明るい時刻というのが、ペーソスがちょっとただようんですねえ。でも、考えようで、この時間帯はすべての汚れを消し去って清浄の一日にクリーンアップする時間帯でもあります。
■12/8 この前、関係するネットワークのセミナーに若手家具職人の須田さんを呼んで話を聞きました。「旅する木」という面白い名前の工房で、石狩の当別町にあります。スライドで作品の数々を見せてもらいましたが、どれも唸るアートでした。ホームページのトップにあるクラフトはわたしも忘れがたい代物、それは子供の乳歯をいれる容器。↓  http://tabisuruki.com/
印象的な話がもうひとつ。キッチンのある部材に「ありがとう」という文字を小さく彫り込んだところ、それが使い手がとても喜んでいるという。言葉まさに生きている。今日のニュースではレバノンの遺蹟でのろいの文字が書かれた鉛版が見つかったというが、この話はその真逆。
■12/07 反省を込めてこれからは歴史力を付けようと決意してから、わたしは歴史おじさんに変わります。(笑い) もう細かいことは覚えるつもりはないので流しますが、根本のところの誤謬、そこへ政治家と外交官の怠慢、というのはわかってきました。自虐的になるはずです。これらは歴史認識という形で操作されている、というのはかなり恐ろしい根深いことです。民は、どう抗えばいいのか。歴史力を付けるしかない。

■12/06 ちょっとハスカップのサンクチュアリのことをことを考えておりましたが、色々な関係者がおいでのなかで、一定のスタンスを持ってハスカップを勇払原野の宝と位置づけていく方法。これは画像保存とエリア保存だな、という発想に至りました。サンクチュアリは常に盗掘の危険もあり場所指定が難しいのです。ちょっと踏ん切りがついたので、画像、カット、エリアの3点を考えてみようと思います。画像はわたしが描いた昔のカット。市内では盗作らしいのが見られます。(-_-;)
■12/05 時節柄というべきか、乾燥した部屋での会議などがたたって気管支が不調。山仕事でぶっ飛ばせるかと思いきや、逆効果で、夜半、マスクをして一汗かいて見ました。痰が切れ始めればしめたものですがまだその途上。日曜日だし、今日は安息日にしよう。本を読んで散歩する、という普段できずにきたプログラムも今日はしてみよう。諸賢も、風邪にはご用心、あれかし。

■12/04 植苗病院の雑木林の支援保育。道内では数少ない森林療法を実践している現場ですが、数年前から個人的に応援していたものを、今回は苫東ウッディーズが応援。さすが頭数、かなり進みました。特にこの林をこよなく愛するとおっしゃるMさんが、伐採して玉切りした先から、片付け、積んでくれたのが好を奏しました。雨はパラリとちらついただけで、今回もセーフで作業日和。
■12/3 うんうん唸って原稿を書いていたのですが、書きたいことを素直に文字にしてみれば、という声がして、パソコンを離れ鉛筆で書いてみたら、あ〜ら、不思議、すらすらとそれらしい筋書きが出るじゃないですか。(笑い 違うものです。デジタル的発想とアナログほどの差、あり。煮詰まったときの原稿は、これから、先ず鉛筆だなあ、と。

■12/2 毎週末の土曜日に雑木林に出かける頃から始まるNHKラジオ「土曜楽市」。残間江里子さんとNHKの女性アナウンサーが担当する、笑いのあるマジメ番組です。わたしはそこで残間さんの語りのエネルギーに圧倒されると同時に、やりきれなさを覚えるときがあります。それは、語りの重なり。相手のおしゃべり中を意に介さずしゃべってしまうこと。そ、おばさんのあれですが、アレはかなり聞きづらくて、ま、これが残間流だと思ってきたのです。が、このごろ、「おばさんの底力」という私的研究(うそ)のなかで、これは社会の中に重要な「コミットメント」の発露だという、わたし流の観察結果に至りました(笑い ただそれだけですが、週末のわずかな時間の付き合いで、いつか書こうと思っていたこと、やっと書き終えました。
■12/1 遅い学習とは知りつつ、歴史を学び始めました。入試で世界史も日本史も選ばなかった結果がこんなところに「無知」と出る…。なんともまあ、恥ずかしいことです。歩きながら体感した、西洋との生活保障格差、自殺に象徴される安心のなさ、そして中国、韓国の歴史を利用した政治に無力な今の日本。みずからも歴史力をつけなければいけない、と。
■11/30 大学時代の寄宿舎、これが明治38年以来つい3年ほど前まで続いていたのですが、その学生の日誌をOB諸氏で編集中。これまでも100年以上かかっていますが、本にまとめるまでの前途も長い。早急に段取りをしたがったわたしですが、少し見方を変えました。カメの様な歩みでもいいのではないか、これはこれからの高齢社会そのもののプロジェクトだ!こう考えると、また新しさが見えるのであります。(写真は、月1回のペースで北大教育学部で開かれる編集会議)
■11/30 苫東ウッディーズのabeプロに、チェンソー講習会をしてもらった折、氏は欧米の伐木方法を伝授してくれたのですが、これは理にかなった安全なテクだと感じ入り、試しています。おとといは珍しく40cmクラスの太めにも遭遇したので、あらためてテクの威力を実感。こちらの意志どおりにコントロールできる一体感もいい。独製チェンソー「スチールSTIHL」のデモDVDをnokoさんにもらったので、これも結構参考になります。お薦め。

■11/30 雑誌「KAI」が宮沢賢治の北海道旅行を特集しています。大正13年の足取りを追っていますが、札幌を「ビューティフルサッポロ」と称し、苫小牧では旅館から海までの1kmあまりを歩き、当時東洋一といわれた王子の製糸工場を見学した。いち早く自家発電してマチの電灯にも供していたというから、賢治はそんな工業と人口2万の町並みをかいま見たはず。それは牧歌的な風景と近代的な景色が入り混じったものだったようだ。それにしても、KAIは、どこか、活字が大好きなおじさんの、道楽のような雑誌で、品があるのがいい。
■11/28
再び、身体の固化について。わたしの固まり方はこの頃特にひどい。臀部のデン筋と股関節を脊椎をつなぐ腸腰筋、それと股関節を内側に曲げるときの筋、これもめちゃめちゃ、固まってしまっている(と、整体の施術士がいつも言う)。ちょうど、山スキーで新雪を大きなストライドでラッセルするときに使う一連の筋肉の劣化。固化の方は、運動もしないで同じ姿勢でいるようになってから。このこわばりを、精神の硬化防止とともにやれたら一石二鳥だけど、さてどうすればいいのか、答えがありません。自分の老いとの付き合い方法は、自分の心身をテキストにして学び体得していくしかない。整体やカイロとも仲良くし、かつ、この頃は古典ともつながりが増している。ちなみに、山仕事の重たい荷物を持つ労働は股関節にはあまりよくない。翌日に特にきしむような気がする。
■11/27 歳をとってくると先達の人生の教訓が身にしみてきます。中国の朱新仲の教訓とされる「人生の五計」では次のようなテーマを掲げる。
1.生計…いかに生くべきか。社会生活に置ける価値観
2.身計…いかに社会に足しよしていくべきか。社会生活に置ける価値観
3.家計…いかに仮定を営んでいくべきか。一家の維持
4.老計…いかに歳をとるべきか。老ゆるはかりごと。
5.死計…いかに死すべきか。死生一如の死生観。
この老計を読んでいると、とかく身体は固まっていく、とまるでわたしの身体と同じ現象を指摘していてちょっと嬉しくなってきます。ところが、そのあとの言葉、「精神まで硬化してしまう」という。「老」は老いるではなく、ねれる、と読み、老熟することをいう。別の書では、海老は死ぬまで脱皮し固まらない、と賞賛している。だから古来ありがたがるのだという。当方は、身体の固化はもちろん、内心、しなやかさを失っている感性に驚いていたのでした。

■11/27 北海道経済学会シンポを聴講すべく午前の職場を経由して北大へ。その通勤の途中、田園リゾートを車窓からパチリ。雑誌「KAI」の今月号が宮澤賢治の北海道旅行を特集していて、そのなかに「ビューティフルサッポロ」などという言葉が出てくる。苫小牧で、王子製紙の近代産業などに感銘を受けているフシガあり、それは大正13年のことだった。風景でも脱皮する…。植苗の田園は、そんなことがついこの前のようにデンと構えています。
■11/26 昨夜の会合の後は久々にサッポロのマチマチに出て(といっても駅そば)、ワインバーに入りました。といえばカッコイイのですが、12月の忘年会の幹事になっているので、1次会の近間の、2次会の下見です。若い同僚につきあってもらい、ワインなどをはさみ、日ごろ話さないような話題を言うのもいいものです。酒はしばしば、詩人になったり、歌手になったり、夢遊の旅人になったり人の行動パターンは色々ですが、わたしの願望としては、カウンターの向こうで誰彼となく待ってくれて相手をしてくれる止まり木のようなママさんがいる、なんてのが理想なんです。が、なんと、それが家の家内になってしまっている、というのは幸せのような、(まてよ)そうでないような。(爆
■11/25 農業農村とミティゲーションをテーマとした研究発表会、終了。専門家集団の真摯なやり取りは身が引き締まる気がする。懇親の場では、さらに、国の今の体制の話しに。国益を考える緊張は、やはり、このあたりもかつてないほどだと思う。
■11/24 能力に不相応な仕事をしているせいだと思いますが、フィールドでの瑣末な山仕事にはいつもとても充実感を覚えます。一歩一歩、着々。ここ10年以上ずっとですが、なんと言うんでしょうね、ひとつのアプローチを身につけているのでしょうか、若い頃には全くなかった安定にあります。仕事の不安は一杯、雑事の山積には「できるだろうか」とこっちも正直不安がつのりますけど、意外とできるものでして(^_^;)。それを繰り返してきたらいつのまにか不安がちいさくなった。本当に、思うのは、「おかげさまで」。友人知人同僚に支えられて、今がありえています。感謝、合掌
■11/23 好天の中で山仕事。札幌から今季2度目で最後のいつもの応援を頂き、またまた林は装いを変えました。暑くなく寒くなく、さっぱりした光景は胆振の雑木林ならでは。作業後、
わたし 「楽しめました?」
Nさん 「はーい、いつもどおり、たっぷりと」
作業後の斜め光線の中、シンボル・ドロノキの根元に寝そべって写真を撮っていたTさんには、
わたし 「どうですか、どう見えます?」
Tさん 「ん、この場はちょっと去りがたい!」
わたし 「それはドロノキが喜びますね」
■11/23 『いまこそ、感性は力だ』(行徳哲男・芳村思風対談)という、ちょっと毛色の変わったものを読了。西洋人は理性を人間の本質と考えている、が、理性はよりよく生きて行くための道具だ、という語りかけは、わたしは意を強くする。本当の羅針盤は、理性とは別にある、というのはなかなかわかってもらえないことだが、その羅針盤が実は一人一人に眠っているとわたしは思います。それが東洋的メソッドの中にあるということになると、ホントかい?ということになりますが、これ以上はわたしには説明ができません(笑い)。実のところ、数日前にリンクした、身近な林を、喜怒哀楽&明憂愛淋の感性で歩こう、という「苫小牧を林する」マップの発行趣旨とぴったりであっと驚いたのでした。感性は理性の一歩先を歩いている、という感じ。これは学力偏重のアンチテーゼにもなるはず。
11/22 news letter「勇払原野のspirit」の第2号をアップしました。
■11/22 登別温泉で純和風の料理を頂いて、ふと気づきました。ぎょ、油がほとんど使われていない。だからでしょうか、満腹感があるのに、翌朝はしっかりおなかがすいている…。ちょっと驚きます。油と香辛料でそそられてきた日常の食欲が、今、改めてダシやうまみで再発見する。養生のきわみかもしれません。温泉と食と、そして森林の散策、そしてさらに噴火口というパワースポット。この噴火口が気の爆発だということをとんと忘れていたのではないか、見直しました。
(-_-;)
■11/21 「とまこまいで林する」というマップをアップしました。「こころの森フォーラム」の一環で、当NPOが制作編集に当たったものです。(アップするのを忘れていました(-_-;) 自宅の身近なところにいくつもの林を持っている苫小牧は臨海都市であると同時に臨森林都市。そこに自分の大好きな居場所を見つけられればわたしたちはもっと心身の健康が得られるのではない、というのが制作の趣旨です。喜怒哀楽&明憂愛淋とともに歩こう、と呼びかけています。錦大沼から苫東の雑木林のフィールドまで。胆振の雑木林はこれから楽しみの本番です。(マップはここからも直接ジャンプできます)
■11/20 晩秋の雑木林はやはりすごいな。できればこのまま泊まりたいくらいの風情。うまく雰囲気を切り取ることはできませんが、まあ、画像のような感じです。ここで、アラ60オーバーが先週の手入れの片づけ。たかが倒した木の始末(切って割って薪にして積む)でも、数時間が掛かります。内容は、世間から見れば、何の役にも立たない瑣事。ああ、瑣事ってなんて甘美なんだろう!
■11/19 不思議ですが、わたしが良く訪問するブログや掲示板でも「歴史をもう一度学び直そう」などと決意を語る人がいることを知りました。歴史認識は今をコミットする礎であり、かつ、自虐か誇りかの分かれ目ですから、ことは軽くありません。
■11/19 今、大学時代の寄宿舎の日誌をピックアップして編集し発刊する準備をしている関係で、メーリングリストを作りました。いつのまにか、このほかにもう5つほどを管理しています。今回のは合計で60人ほどいらっしゃるんですが、ご高齢は80歳代。でも、今日、おふたりから登録を辞退したいという依頼メールが来ました。文面は、「メールのやりとりくらいはいいのだけれど、もう新しいことにはついて行けない」というものでした。わたしは潔くOKして登録からはずしました。かと思うと、やはり80代の方から、寄付したいから早急に口座を開いて欲しい、とも。
高齢社会のインターネット利用は、だんだん簡単になるとはいえ、多様化して、やさしさへの多様化自体が難しさに見えてきます。ということになると、「メールの交換」というもっともシンプルな交信が生き残る可能性はあるのではないか、と思い始めました。そ、シニアネット、みたいにです。(スパムやウイルスの問題はおいといての話ですが)
■11/18 葉が落ちてからの雑木林はパラダイスです。週末に林で仕事が待っている、ということそのものが喜びになります。痛いほど、身体を使う、汗をどんどんかき、日本手ぬぐいでぬぐう、昼は、焚き火を囲んでおにぎりを食べる、というまあ実にシンプルライフ。雪が少ない年末まで、やっておきたいことが一杯だ〜。
■11/18 一生の不覚だ、と内心忸怩たる思いがするのは自らの歴史の不勉強だ。と、こんな記事を見つけた。「…日本は犯罪国家だと歪んだ歴史観を刷り込まれた若者たちの多くは自虐意識に蝕まれ、日本や日本人としての誇りをなくしてしまっています。意外と知られていませんが、非行に走る若者の志操の喪失は、歴史の無知と無関係ではない…」。
尖閣問題に端を発して中韓との関係をおさらいしながら、やはり、隅々の民の生活が国としての振る舞いと密接につながっていることを痛感している矢先に、上の言葉に出会ったのですが、ことここにいたってわたしはもっと歴史を学ばねば、と決意を新たにしました。今頃、何をいまさら、ですが、死ぬ前に少しでも遅れを取り戻しておこう、と。
さらにまた今日、別の本で知ったことだけれど、生前、P・F・ドラッカーは、日本という国は世界最強の問題処理民族だ、と言っていたらしい。外交辞令的なヨイショを差し引いて聞くとしても、近代では明治維新や大戦処理とその後の復興などを指しているようだ。もって銘すべし、か。
■11/17 4月に買った園芸草花小さなカランコエが職場で20cmにも育ってしまいました。毎日見ているうちに鉢を少し大きなものに変えねば、とおもいながらズルズル1ヶ月。こういうことってよくないこと。きっと何かが同期してに滞ってしまっているのではないかと思う。家から用土を持参して、明日は植え替えよう。
■11/17 文春新書「日中韓 歴史大論争」を読み終えました。歴史問題を櫻井よし子氏を真ん中において2005年頃から中国と韓国の論者と議論していた部分に、このたびの尖閣漁船事件を突如足して出した刊行物です。わたしの読後感は、論者のディベートでなぜ櫻井氏らの論点がくっきり公正に見えてくるのか、という点。これは随所に共産党一党支配の言論統制と、少数民族抑圧など中国の背景がもろにみえてくるから。読後感のもうひとつは、お人よしはかつて美徳のひとつだったかもしれないが、国家同士の関係では悪、お人よしの領土感覚はいまや一方的に搾取されるということ。自らの歴史に関する無知を恥じ入りながら、かなり早いピッチの読了にわれながら驚きます。
■11/17 札幌ウッディーズの河崎会長にお会いしました。元気のある地域とかコミュニティを維持して行くために欠かさせない大事なもの、それが昔からのコミュニティのほかに「年代」に宿っていないか、というわたしの想像に対する感想などを聞いたのですが、河崎さんの答えはイエス。指導林家としての公的な活動や地域とオール北海道のPTAの要職を経てみてきた河崎さんならではの視点はわたしにとってとても新鮮な良識に映ります。年代に宿る、といったときに大事なのは中心になる「ヒト」ですが、これは河崎さんのような、基本的に認める寛容さと是々非々を率直にいうぶれない判断力があるかどうか。これが欠かせない。そしてこれは俗に人徳というのかも知れないなあ、と。
■11/15 再びこのところ、国民は自らの内部に潜むナショナリズムと緊張を感じた人は多いはず。そして、国民はほとんど咀嚼され操作されたニュースを繰り返し見させられているのがはっきりしています。だから、真相を知るべくネットのリアルタイムは欠かせないと思うようになります。尖閣列島の問題は、流出問題に焦点がいっているけれども、これはかなり瑣末な話で外交の本題から目をそらすための目くらましになっている気味があります。一連の事件で中国側から被害を受けた死傷者はいなかったのか(いる、というニュースが見え隠れしています)、必要以上の情報操作はなかったのか(アルアル)。緊張感をわきに、冷静に見ておきたいと思います。
■11/14 量販店で円高還元が行われていて、わたしは、そっと、ワインのおこぼれに預かっています。昨年まで1000円をやや切るお手ごろワインが、5割程度にダウンしています。あるうちはこれでいこう、と決めました。それと豪州のカスクワイン、いわゆる箱のワインですが、これも以前から結構いけます。一方、ドイツワインには手をださず、と○ち、&○たるワインはいうに及ばず。味覚と値ごろ感でいって、あれで売れる、というのがわかりません。ともかく、楽しみつつ飲み続けられるものとして、もう日本酒を挙げることはできなくなりました。結果、酒はほぼのこりません。(^_^)v
■11/14 チェンソーの講習会は小屋で開催。環境を享受する側と、供給する側はアンバランスになっている。その供給側ボランティアというのはとても少ないが、わが苫東ウッディーズも基本は供給側。そこでは研鑚を積んで安全で効果的なスキルを身につけよう!というねらいだ。今日は、北欧や米国の最近の伐倒スタイルを学んだ。安全性の極致を求める手法といえそう。
■11/13 前の文の書き出しも「このところ」となっていて、キーを押す指が一瞬止まったのだけど、ままよ!「このところ」、安岡正篤の「人生の五計」を読んでいる。それも、朝にチビチビと。言葉には行動を導く働きがあるから、いい言葉を発する意味は大きい。また、積極心で自他を見ることの意義は計り知れない。安岡は、そんな意味もあってか、心身がきよらかな朝に、孔子や先人の人生を考え抜いた秀逸な言葉に出会え、というのだ。ただ、当勤め人は日の出のずっと前に起きてはいるが熟読する時間はないので、それは列車の中などになる。で、昨日目にした「五計」では、「志のあるものが、それぞれの場において、自ら信ずるところを実践する他に世の中をよくする道はない…一灯一隅を照らすという、自らの座しておる一隅を照らす…、」。自らの足元から明るく代えて行く、これを一灯行というらしい。すとんと落ちる言葉だったので、すかさず傍線をひいた。わたしもこの一灯行でいこう、と軽く決意するのが、軽い自分らしい。
■11/11 このところ、HPがようやく10万アクセスをカウントしてからですが、気持ちをちょっと入れ替えて少しマメに更新するようにしています。それはオフで面対する方々からしばしば訪問しているよ、というメッセージを頂いたからでもあります。しかし、所詮、範囲の狭い、里の山の手入れの話しが中心ですから、そうそう頑張ることもないよなあ、と思っていたのを、やはり悔い改めて真面目に更新することにしました。といっても、帰宅して軽く晩酌してPCに向かうともう22時。明日の早朝出勤のためできればあと1時間ほどで布団に入りたい…。それで滞る、ってわけです。
 今日、先日6日のドロノキのフォーラムに関する記事が、11/8
苫小牧民報さん11/9北海道新聞さんに掲載されています。
■11/10 先々週から、苫小牧市民に長く親しまれている苫小牧民報が掲載してくれた10/16の環境フォーラム6回シリーズが終了しましたので、アップしました。11/6のシンボルツリーの入魂式などのフォーラムは、11/8に苫小牧民報が、11/9は北海道新聞が掲載しています。これはあすアップできるかと思います。なにせ、札幌通勤の身は夜がアタフタで、おまけに晩酌もちゃんとするものだから、誤操作を避けるホームページアップには時間が足りない(^_^;)
■11/09 先週末のフォーラムでは、シンボルツリーの愛称を書いていただいたのですが、集計してみたら、これが百人百様、同じ愛称ががほとんどなくて、それは何故かな、と。事務局の用意した候補案にも目もくれずひたすら「マイ・アイデア」をかかれました。これもすごいものだなあ、と感服します。たまたま参加者がイメージが豊かだということでしょうか、それともシンボルツリーがそれを促したか…。で、結末はこちらへ。
■11/07 北大苫小牧研究林でちょっとしたイベントに参加したあと、研究林の研究概要を紹介してもらい、そのあと、あの地球温暖化などを測定する高所ハイテク装置のクレーンを見せてもらいました。装置もさることながら、そこは森林再生後300年そのままの姿の天然林。驚くような多様性が見えた。自然が生まれ朽ち、倒れ、また芽生えるドラマが風景としてある。久々の大感動だ。
■11/06 しめ縄奉奠を含むフォーラムがつつがなく終わりました。それにしても、しめ縄を頂いたドロノキの凛々しさは格別です。ご神木などという厳しい呼び名こそ使うのは止めましたが、恐らく若いドロノキなのに威風堂々たるものです。
早来神社の高橋宮司の式典もとてもアットホームで、〆には、講話を頂きました。そのあと、「自然と人のつながり」をテーマにして踊るという IKURAさんが飛び入りで踊りたいとおっしゃいますので、ご神木と祭壇の前後左右で踊ってもらいました。詳細は「雑木林だより64」で。
■11/06 step by step 。ものごとはひらめきで大きな転換を迎えることがある。そうであっても基本的に着々と進めるしかない。問題は、意図して目指すかどうか。あるいは念じるかどうか。人それぞれや身の回り、もっと大きな地域、それらの将来というのも、着々と、どこを目指すのかという、思いにかかる。未来は始まっている、という意味はそこにある。今日は、これから大島山林に多くの人が集う。あまり耳慣れないコミュニティ・フォレストへの道筋が見える。胸膨らむ応用問題的テーマ、これも step by step でいくしかない。
■11/04 7月から9月まで、地域の人のつながりについて道内10地域に2000通のアンケートを出して約6割の回答を得ました。人口のわずか1000人の村から札幌の一角まで、随分幅広いのですが得られた回答を縦横斜めに分析していると、思いがけないいくつかの発見にはっとします。それを裏付けるような肉声が、実は自由記述に盛られていました。今日、ようやくまとまった全編20pを読んでいてウルウルしてきました。日本人のハートがみえてくるのです。「…今棲んでいるところはミドリに囲まれた植物が好きなわたしには離れがたく、ご近所の方々も新設で、冬の除雪も手伝ってくださるのでありがたく感謝しています。若いときは町内会のお世話もさせていただきましたが、今はお世話になるばかりです。…」 信頼とお互い様のこころ。これは右往左往、商店の定まらない政治とまったく別世界の、実生活というものがあります。予想していたこととはいえ、驚きました。
■11/03 思ってもいなかった休日!アタフタと働くサラリーマンの多くはそんな感じがあるようだ。だからこそ、普段、あまりできないことを片付けられる…。といってもわたしに何ができるわけでもなく、まず家内と市内外れのラーメン店で遅い昼食をとって海辺を東へ進み、雑木林の小屋によって北外れのドロノキまで行った。頃合の天気は降ったりやんだり。つきあっている勇払原野の風土感覚はかくして生まれてくるみたい。
■11/02 先日仕事で取材させてもらった平取のママさんグループ「かえーるCLUB」が主催し、平取の食材を利用したランチをテルツィーナのシェフが披露するというので参加。「女性力」を静かにフォローしているものとしては、あるひとつの形に思えて、心からエールを送るものです。このママさんたちの独自企画には、川上町長も来られてしっかり平取の持ち味を紹介。ちなみにこの店は札幌のタウン誌「ぽろこ」でイタリア料理の人気NO1として定評のあるところ。
■11/02 昨日はわたくしめの59の誕生日でした。主として女性が多かったのですがお祝いのメッセージをいくつか頂いた中に、長崎の、植物と語るKTさんがいらっしゃいます。KTさんは、樹木の根っこはインターネットのように四方に張って、かの地からも見えるのだ、と。そしてそのメールのタイトルが「ドロノキ よろこぶ」でした。不思議なことがあるものです。わたしたちのささやかな手入れと片付けの作業の思いが、ドロノキに伝わっているというのです。「思い」というのが、「思い」と実際の「営み」で発信されるということだろうか、と節目のような安堵を味わったのでした。
■10/31 昨日、林でシロノハイイロシメジをとりました。極上のだしが出るのです。凍っておりちょっと水っぽい感じもしましたが、夜、さっそくこのだしで「そうめん」をいただきました。チャナメツムタケとナメコもとりましたが、これは今夜の味噌汁に。あの暑い夏の一ヵ月後に、晩秋の味覚を味わうとはどこか不思議な気がしないでもありません。
■10/30 札幌ウッディーズとの共同作業初日。町内会とNPOは来週のフォーラムに備え、シンボルツリーのドロノキの周りをで片付け。町内会長やKさん「いやあ、随分、ドロノキがしっかりと見えてきた」。場は、栄えて繁茂し手入れを怠ると暴れてくる。それを押さえてなだめてきたのが日本の風土だ。ここ、大島山林も、気持ちのいい林に代えて行くには、かつて牛や馬が林内のササや若ばえを食べて片付けてくれたように、人々が、コツコツと手を加える以外に担い手はいない

*当日のイメージは札幌ウッディーズの那須川さんが「活動の記録」に記されています。

 
■10/30 10月にしては珍しい雪が降ったのは27日、三日後の今朝は、庭のバケツに氷が張っていました。個人的には初氷というところです。紅葉は、まだ十分美しい状態で、記憶では紅葉が哀れではない形で11月に突入できるのは、ここ35年あまりの苫小牧では記憶にありません。

■10/29 先週の遠足で、わたしはミラクルな落ち枝を9つ、発見しました。一日としては最も多かったような気がします。依然として謎で、よそでは見たことのある人と全く見かけないこのことは、どこの学会マターなんでしょうか。恐らく、寺田寅彦が存命で、かつ、このミラクルが耳に届けば、このテーマでかなり興味深い科学エッセーを書かれただろう、という仮説は、過去数回書きましたので飽きられる前に止めます(爆
■10/22 大島山林の、町内会とNPOの営みは、どうもコミュニティ。フォレストを一歩ずつ創って行く作業ににているようです。ローカルな今に、がっぷり四つで向き合う。これは喜び、といえます。
■10/20 NPO初めての通常総会と2回目のフォーラムの翌日、つまり10/17ですが、雨の大島山林に出かけた折に、木と語る女性がいらっしゃって、池周辺の雰囲気とドロノキの大木とのやり取りを伺いました。不思議なこととはいえ、すとんと落ちるのです。それから、だれにも不都合なことがないよう、しこしこと裏の段取りを始めました。風景は、あるいはもっと瞬時の光景というのは、その土地の履歴ばかりか、近未来も映す、ということをあらためて痛感しました。持続する営みを君たちは続けられるのか、祀るというのは誓いであり、始まりなんだ、と。
■10/19 秋晴れの好天が続きますが、昨夜は寝床で、今晩は帰宅の8時頃、闇夜にハクチョウやガンの仲間の鳴き声がします。鳥たちは、明らかに夜、飛んでいます。カォー、カォー…。風流なこころをもっていたら、ここはひとつ短歌のひとつでも作るところ。
■10/18 日曜日のキノコはすでにボリボリは不発で、そのかわり、大島山林でチャナメツムタケを少々。これはボリボリとはまた一味違いますね、当然ながら。今朝の5時すぎ、玄関の温度計は4℃でしたから、あと10日以内で、急激に紅葉は進むはず。週末は、樽前に沈む夕日を眺める大人の遠足&運営委員会の予定で、午前は、ご神木の周りを整理する作業、来週はさらにブッシュの間伐、そして11月6日のシンボル・ドロノキのしめ縄の儀式へ。〆るのか、奉納にするのか、町内会の雰囲気とながれにまかせましょう。
■10/17 今日晴天。朝一番には町内清掃でしたが、ゴミひとつ落ちていない町内というのはちょっと誇らしくもあります。さて、今日は家内とふたりでボリボリを採りに行こうと思っています。越冬用も、などと勇み込むとだめなもので、ちょっとだけ、と思いつつ参ります。
先週のこれはニガクリタケか?
■10/16 苫東環境コモンズの1回目の
通常総会と、2回目の環境フォーラムが終了しました。講師を務めていただいた方はじめ、関係するみなさん、お疲れ様でした。何かと忙しい中、メンバーのみなさんが持ちやもちやのポジションを、結構スムーズに動かしてくださいました。共催のもう一方の財団のスタッフも流れるように淡々と仕事をこなしてくれたのも大きかったです。釧路公立大学長の小磯先生、霧多布湿原トラスト理事長の三膳時子さん、NPOねおすの宮本さん、映像クリエイターの北川さんのご協力とご提言等は、おのおのとても濃い、深いお話しばかりでした。そればかりか、積極心から発想される世界が表現されていたと思います。
■10/14 どうやらキノコはばんばん出ているようです。ひょっとしたら番狂わせになるかも。「シゲキ」というやつかも。道北のサロベツでは、コシアブラが妖精のように白くなった、という情報が届きました。11日のフィールドのコシアブラは、ほら、こんな緑です。
■10/11 雨上がりの今日、小屋の周りはどっとボリボリが出始めました。これから少しつづくのではないでしょうか。紅葉はウルシ程度、チョウセンゴミシが黄ばみを感じる程度。あと2週間以内に紅葉のピークが来るとはチョット考えにくい今日でした。
■10/10 畑の力に目が行きます。食は土からの気功そのものという説も、郷里の畑を見ているうちに自ずとわかってきます。下は露地の青菜、ホーレン草、白菜など。里芋も。
■10/8 ヘビのミドリちゃんの話の次に龍脈の話題になっていますが、日高の山並みが海に沈む襟裳の猿留山道、ここでわたしはとても胸の膨らむ思いをしました。樽前のあの風景、そしてこの猿留、共通する土地のちからが感じられます。
■10/6 先日、道北の下川で、これからの観光地は、「美しい」「おいしい」「もてなし」のほかに、「気持ちがいい」という土地の資質、つまり「イヤシロチ」的な面が必要だ、という話をしました。わが町の樽前山の麓も、闘病の方などがひっそりと元気をもらいに訪れている、という逸話も話しました。講演後、ある方がみえて、やや小さな声で、風水では樽前は積丹、手稲山とつづく龍脈の重要なところらしい、とおっしゃる。で、わたしも思い出しました。荒俣宏の「風水先生」では、たしか手稲山から続く北海道の西の龍脈が樽前山あたりで屈曲し、この辺りに火山がたくさんある。これが大変なエネルギーをもちモノが良く育つというわけ。まさに誰も証明していない怪しげな話しですが、わたしの五感+1はこれを是とします。マイ・パワースポット、これは自らの感性で探し、位置づけるものといえます。
■10/5 ヘビ・ミドリちゃんらしい脱皮あとを、是非欲しいという方、来訪。きれいにはずしたのも上手ですが、頭までするっとヌードしたそのテクに感服!
■10/3 先月の9月は、学会やフォーラムが目白押しで、当方も3件に参加しました。9/4は造園学会の支部大会、これは柳生慎吾さんが講演したシンポでした。9/10は日本計画行政学会の全国大会で、ここでは、札幌ウッディーズの河崎会長、北の里山の会の孫田さんらと組んで、公私にわたる山林所有者と市民ボランティアの間の課題について議論しました。9/25は下川で行われた森林療法のフォーラムです。左の欄の「林のレポート」にもレジメをリンクしてあります。
■10/2 小屋でこの夏以降2本目のヘビの抜け殻を発見。前回8月はベランダの屋根裏、今度は、薪の上。ミドリちゃんは、しばしば、外に積んだ薪の上に寝そべっていた、とかつて思い出を書きましたが、太さで言えば、今回のがミドリちゃんらしい太さか。結局、2匹のヘビさまがこの小屋にいることになるのですが、喜ばしいことです。親子でしょうか?暑いから2回脱皮したのでは?との説も出ましたが、いえいえ、きっと複数と考えたほうが自然です。とてもきれいな抜け殻でした。
■9/30 ビール好き、ワイン好きには夕まづめの頃から、なにか、人恋しくもあり語らいへの願望みたいなものがありますね。わたしもその一人ですが、一人で飲んでいてもおかしくない場がバー。先日来、密かにワインバーに寄ることがあります。一度一人で下見したあと、先日は若い友人と行って見ました。うん、なかなかいい。

■9/29 twitterなるものをちょっと体験しようと登録ほか、経験者の話など聞き始めました。コミュニカティブが好きかきらいか、という選択はもちろんありますが、それはそれとして、ちょっと可能性を知ってみたくて。結果的にまだ本丸を体験していませんが、なるほど、という感じは得つつあります。先週の下川では、ワールドカフェという一種のワークショップ的なコミュニケーションを経験しました。コミュニケーションスキルというのは未開拓な部分が多い、というのは実感でもあります。地域SNS「どっとねっと」の集合知と似た目標があるようです。
■9/26 昨日から道北の下川町で行われた日本森林療法協会のフォーラムに参加。積極的に参加された方ばかりですから、交流もその流れでビシバシと。往復600kmあまりの運転疲れで、詳細は後日あらためて。取り急ぎ、フォーラム終えたばかりの戸外で展開された夕焼けの画像を(^_^)v
■9/24 書き忘れていましたが、敬老の日に小屋にいったところ、「奥のささみち」のフットパスのサインを置いた丸太が、ナニモノかに穿り出されてました。目当てはアリか?して、ナニモノの手によるのか?アライグマか、それともクマか?
■9/23 肩こりと目の疲れで整体にいったところ、体中の筋が、腰もお尻も腹も肩甲骨も首もゴチゴチだといわれ、ここのところ3週、カイロと整体に通っています。12年前のリストラ後は完全な室内勤務になり、往復3時間の通勤もすべて座りっぱなしで固まってしまうこと、そして運動の時間など取れなくなったことが大きいのでしょう。むむむ、これは毎朝のヨガ・アーサナだけでは足りないということか。丹田に力を込め上半身をリラックスさせ、かつ威儀を正す…。何事も全身で行い、正しい呼吸を心がけ、自分の体の癖をつかみ自分でコツを見つけるしかない。人間の身体はすぐ歪む、だらける。ただ生きるだけでも実に大変。自然といえば、自分の身体ほど不思議な自然はありません。あと何年この自然=「からださま」とお付き合いするかわからないですが、いよいよまでもってもらい、よろしくお願いしますと拝みたい気分になります。ほんと、いとおしい、やや痛ましい、年相応、越し方の因果もあってガタガタの「からださま」です。
■9/20 雑木林の小屋に行って見ました。この夏、グングン伸びた枝や高茎草本に空間が埋められた感じがします。別名「荒れた感じ」。はびこって行く草木を押さえるのは刈って切ること、それが雑木林の手入れなのに、今年は、専念できませんでした。本当は小屋の周りは、家庭菜園のようにかまってやらなくては駄目なんです。今年はそれができなかった…、という思いが残ります。繁茂も暑さも蚊も、抗いがたい風土のすることだから、和辻哲郎がひもといたようにモンスーンに住むものとして静かに諦めるのが道かとも思い始めました。
■9/19 来月16日に2回目の環境フォーラムを午後1時半、苫小牧市サンガーデンで開催します。この午前中は11時からNPOの通常総会を開きますが、これは個人会員が対象になります。詳細は、
こちらです。11月には「こころの森フォーラム」の5回目があります。NPOの今後のスケジュールは「苫東環境コモンズ」のページへ。

■9/19 植苗のフットパスを歩いたその夜、今度は植苗病院開院25周年記念パーティが市内ホテルであり、出席。地域の精神科医療を実にきめ細かく実現していくために、幅広いネットワークと多くの協力があったことがしのばれました。わたしにワインのいろはを教えてくれた医師のY先生、わたしの内科の主治医y先生とお会いすると「あれ、君はどういう関係で?」。そうなんですよね、わたしは全く医療と関係ない。で、「森林療法の裏方…」と語り始めると、すぐ合点が行ったようです。、新聞記者をやめ今は福祉の現場にいるNさんとは旧交を温めました。理事長らは、大阪でゴロゴロしている時代に、作家の萩本義一氏から「北へ行け」と背中を押されたのが、開院の始まりだったというエピソードもどこか面白い。大志をもって北へ行く、なかなかいいフレーズです。
■9/18 植苗の田園フットパスを満喫。思えば植苗から柏原にかけては、まさに美瑛の丘陵のようななだらかな地形が続いて、農耕地がきれいに区画されているから、保養地にもなれる光景わけ。風景の質はとても高いのですが、そこは
なにかと地の利の高いところだから、風景のフォーカスポイントにデンと鉄塔がたっていたり。
■9/15 代休で自宅にこもって雑務をこなした夕方、家内と北大研究林に行って見ました。5時ころですからまさにマジックアワーです。やさしいですねえ、この時刻の光線は。それにもう誰もいない。ふたりで、小一時間歩きながら、まあ、これはお互いの人生の確認みたいなものとも思えます。林の散策、ご夫婦も含め、やはり、お勧めしたい場であり時間です。歩きたい林を身近な場所にもっともっと創っていこう、これが研究室やNPOの目指すところでもあります。
■9/12 昼前に小屋にいってみました。残念ながらまだいっぱい蚊がいます。わざと半そででいったものですから、もうあちこち、指も首も。林の手入れで景観を改変するテクは何となく自分の物になりつつある今、もうひとつの快適さ、「蚊」の問題は、今のところ、天気任せ。さて、どうする?
■9/12 昨日、二つ目の学会を終了。昨日のあるセッションの写真を見てください。驚くべき閑散、しかし、討論はとても熱く、時代の課題を紐解くメッセージにあふれていました。社会的使命をおびたアソシエーションに、志をもった研究者らが全国から集って、この考え、この試行はどうだ、と打診し、各々の識見に照らす。そして活力とか、次の目標とかを得て自分の巣に戻っていく。社会変革の芽はそんなところで静かに醸成されるんだろうという気もします。フラットな真剣な場は、それなりに厳しいけれどつながりと連帯感の、つまりネットワークが名刺の数以上にまた確実に生まれるわけですね。
■9/09 先月から携帯をiphone4に代えました。革命的な端末。パソコンよりずっと機動的かもしれません。そこで入手したのが上のアプリケーション。先生の乏しい星座の世界、当分、わたしの先生です。
さて、明日は、日本計画行政学会。当方もからむセッションでは、公共から個人所有者まで含めた山林管理と新しい公共のかかわりを議論します。道内の発表者は、下記。
4-1「森林保育を実践する市民活動の課題と展望」
○河崎 盟(間伐ボランティア「札幌ウッディーズ」 会長)
4-2「企業所有地で展開する雑木林保育の経過と課題」
○草苅 健(NPO 法人苫東環境コモンズ)
4-3「私たちは里山を管理できるか〜公有林管理における市民参加の課題〜」
○孫田 敏(北の里山の会 代表)
■9/04 日本造園学会の北海道支部と環境省が主催する『北海道のミドリと生物多様性フォーラム』がかでる2・7で行われ、柳生真吾さんの講演「雑木林はテーマパークだ」を聞きました。生い立ちから始まって虫少年がやがて週末、八ヶ岳のふもとの藪を手入れしに通う話し、そして今は
八ヶ岳倶楽部を経営するオーナーで園芸番組などの人気パーソナリティ。そんな経験を記した同名の新著「雑木林は…」が講演テーマ。
国がリードする「生物多様性」は、なかなか難解な世界です。具体的に自然保護とどう違うのか、自生種をどう取り込むのか、外来種をどうブロックするのか、これらが第2部のパネルディスカッションでまず3人のパネリストによって話されました。4人目のパネリストがじつはこのわたしめであり、わたしは、里山がテーマパークであると同時に「セラピスト」であり、その放置されて荒れたステージを「イヤシロチ」にしていく過程が、じつは多様な生き物が生きる空間作りだった、ことを市民とNPOの立場で語りました
■9/02(夜) いやあ、蚊のことを書くのは憚られるのですが、すごかったです。雑木林の林道に立てば、一人に数10匹がまとわりついて、そのまま車の車内までついてきます。顔、べこべこ、不快感は100%。これでは今、人を呼び込むのは不可能です。さてどうするか。
■9/02(朝) 今日は今年何日目かのNPO休暇。雑務をまとめてこなすために仕事は年休を取るわけですが、休んでこまごましたことをこなすと、なんだか不思議な気分になります。ある種、風土に自分という存在を捧げるような、表現はむずかしいのですが、地域とか土地としっかりつながっているというような。この感覚、実はとても大切な感覚だと、ひそか〜に思っています。
■8/31 こんなに蚊が多いと、夏場の林の利用は諦めざるを得ません。刈り払いは止めるわけにもいかず、我慢して進めますが苦痛を伴うようなら益々人は林から離れます。かといって、落葉期間の林の美しさは広報されていなかった。とすると、人は林からどんどん離れる…。意外とこういう単純な構図も描けるのかもしれません。蚊だけでなく春はダニもいます。今年、ここを含む胆振のお客様のなかに、ふたつやられて切開手術した人もいらっしゃいます。蚊のいない林の手入れ。これはとてつもない大きな命題です。数年前の天皇の植樹祭で蚊の心配をした人はいたのかわかりませんが、あの時は雨の少ない「蚊ゼロ」の奇跡的な年でした。
■8/29 甲虫アートのNさんを雑木林とフットパスに案内。素材の豊富さに驚かれた様子で、枝のクラフトをみて「なにかわたしも、利用方法を考えてみようかな」と。浜厚真に打ち上げられた木っ端を拾いつつ、「宝の山だ!」。ビジネスなどといわなくても、そういう自由なやわらかい発想を持ちたい。いわゆるゴミ拾いを諦めて、シナリオ変更をしたのも賢明だったかも。「砂浜のパワーウォーク」、「砂浜休日」。そこに休日の源みたいなものも見え隠れするのです。
(左:ケースに入ったサジムシスプネラ、右:今日の浜辺)
■8/28 早来神社の宮司さんを訪れ、11月のドロノキのしめ縄奉納の相談。昨今、神社会では「中今」という言葉を使うのだとか。先人と未来の間にいる人間を、つながりの中で証言する言葉のようだ。これは「人と土地」のつながりを表すとてもいい表現だ。
■8/27 平取の佐々さんのニセウ園をお邪魔した折、富川の馬事関係者にお会いしたので、日ごろに直接聞きたかったことを訊ねました。「ダー○ーグループの牧場の買収というのはほんとうに進んでいるんですか?」「ええ、どんどん。この前は鵡川の西○牧場400haも売られました」。外国資本による日本国内の土地取引は、水源林にも及びそうな勢い、懸念。日本人名義のダミーが絡むから、気づいたときはもう遅い…。昨日は、そのような文献調査を先ず始めようという申し合わせを、関係する研究会の幹事うち打ち合わせで決めました。夜は、NPO2回目の理事会。静かなところでテーブルを囲んで核心にかかわる議論を粛々と。自由意志で参加し、自然体で行こうと言う姿勢を変えず、従ってどんどん個人正式会員を増やそうという路線ではなく気軽に応援していただくファン倶楽部を設けることになりました。
■8/25 昨日、アイヌ民族の博物館などで有名な日高の平取町に仕事で行ってきました。都市から農村への移住プロジェクトを手がけているNさんにお会いしたら、小さな地域ビジネスのショップを案内してくれました。じゃーん、そこで発見したのが、「葉っぱビジネス」ならぬ、わたしの「木っ端ビジネス」など。散策用ポール1500円とシラカバの枝のホルダー250円を購入しました。ポールは柄の所に成功な彫り物がしてあるのがミソ。
■8/22 英国からのお客様を案内した折、小屋のベランダの屋根裏のコマイに、ヘビの抜け殻を発見。おおお!長らく姿を見せず心配した、あのミドリちゃんだろうか、それとも…。
■8/21 今月の苫東休日は浜厚真海岸で合流して、鵡川の河口目指して遠足。あれはきっと、潮風のタラソテラピーと、足裏マッサージ、それと風土からメッセージを受けるトリプルの癒しだったなあ、というのがいつわらぬいつもの感想。累々たる流木の解決方法はついに浮かばなかった…。
■8/20 なかなか、面白い本を読んでいます。「腰痛はアタマで治す」。著者はもと川崎ベルディのキーパー、伊藤和麿氏、35歳ほど。腰痛を始め、体のゆがみに悩む人が大量にいるのに、もう整形外科は信用を失墜して、整体などに頼らなければいけなくなった現状に、割としっかりかみ合った本。もともと、人間は、二本足で立ち上がって以来このかた、文明は進歩したのに身体は二本足にふさわしい進化にいたっていない、だから歪む、どんどんずれる、と考えたほうがいいようですから、そこのところにしっかり応えられない整形外科はもう不要だ!とわたしは思っていました。必要なのは、整体の知識と、自らの養生の意志。そこでこの伊藤さん。本の中に、少なくともわたしの症状にはピッタシの項目がしっかり読み取れます。「腸腰筋(ちょうようきん)」と「梨状筋(りじょうきん)」。固まった姿勢でいると固まってしまうこれらの筋肉には、トリガーポイントという痛みのスポットができる、これを筋肉の位置と働きを理解していかにほぐすか。それも自ら。いわば、インナーマッスルのありかを熟知して、自分で治さなくてはならない!まさに、これだと思います。養生の具体的処方箋だと思われます。腰痛に悩む方などにはプラスなること大、必読です。集英社新書、700円。
■8/18 お盆の休みの間、読めずにあった本を数冊読破しようと決めました。その一冊は「森林美学」、旧仮名遣いで700pもあるもの。わたしは学生の時、今田敬一先生の文献を通して解読していましたが今から20年ほど前の平成3年に新島善直・村山醸造両氏による「森林美学」が北大から復刻版が出て、即、買ったのはいいけどパラパラ程度。それをこの夏は、少しだけじっくりたどりました。複雑な世の中になったので、すとんと今の行政の仕組みに落ちては来ないかもしれませんが、根源的な真摯な部分が良く伝わります。後継する北大の小池先生は、こんなhpを開陳しています。ソデは、ドイツに行って、「大地の神を鎮める意味をも持つという森林教会の意義を学ぶことが出来た」と書いています。この森林教会とはなにか。これは興味ある話です。
■8/17 週に数回、業界紙を見るにつけ最近目立ったことは、道内各地域の建設業の企業が、地域のゴミ拾いと雑草刈り払いに参加している事実。社会貢献活動の一環だ、と紹介されています。こうなると、ほとんどNPOなどの半ば民間のセクターと変わらない存在になってきます。企業市民などとも呼ばれていましたが、少しずつ現実になっています。で、この先はどうなるのか。企業として行っていたことが、個人レベルまで降りてくると、地域のことは地域で、という意識につながっていくことは間違いないでしょう。少なくとも、身の回りの環境整備は、役所がやるもの、という思い込みは解消されていくのは時間の問題になりつつあります。
■8/15 昨日、家内の実家のある小樽に墓参りに行く途中、家族連れでごった返すモエレ公園に寄りました。そして今朝早く、近くにある伊藤整の碑に行ってみました。アゼン!そこはいつもながら、イタドリやハマナスやススキやクズや山葡萄が繁茂する魑魅魍魎。そのギャップ!合理主義の風景と繁茂のパワーに包まれてしまった光景と、北海道の両極端を見ました。人々は明らかにモノカルチャーのモエレの方に美と快を感じているように見えます。日本的な風土をプラス評価する価値軸、これは諦めか、芸術表現か。生命力の現場はかくも猛烈なもの。
■8/13 お盆休みに入って2日目はやっと動ける体制。国道36号を運転していると、道をカラスアゲハが10頭近く横断、おお、今がその時期かとちょっと驚き。大島山林の草の伸び具合を点検して、その足で、団体会員になっていただいた安平町の牧場に挨拶。そして数日振りの小屋へ。猛暑のへたり、みたいなモノもどこか感じるかと思いきや、今年はコナラの食害もマイマイガもなくて結構平穏な伸びる年かも。またもや、蚊のいないベランダで読書、そして午睡。
■8/12 地域SNS「どっとねっと」に小屋の掃除の日記を書いたところ、茶道をたしなむ女性からこんなメッセージが寄せられました。わたしたち3人の行為は「しつらえ」にあたるのではないか、とおっしゃいます。
「…主客同一で茶を楽しむのが茶事なのですが、その際、亭主は心を込めてしつらえ(茶室・庭・路地などや掛け軸や花など)ます。そのとき「あなたのためだからこうした」と主張するようなしつらえは慎むべきとされています。反対に客は主張しないけれど、まさに自分たちが楽しく過ごせるためにしつらえてくれたことに気づき、さりげない会話のなかに、その趣向をほめ、感謝します。(小屋掃除は)そのような茶事の場が共有できていますね…」。
なるほど、雑木林の手入れをしてきたのも、実はここに胸膨らむイヤシロチを創りたかったというのが動機でしたから、そういう意味では、林も小屋も一身同体ですね。
■8/10 日本の水資源は森ですが、その水源林を対象に外資系の買取が始まろうとしている、とニュースが流れたのは去年の春ころでした。あらためて関係する報告書(今年1月)を読んで見ると、慄然とするものがあります。バブリーなドバイのマネーがすでに日高の牧場を買収したというし、このレポートをぱらっと読み進んだだけでも、わたしはグローバリゼーションに立ち向かわねばならないと思い始めました。日本の魅力は外国人でも土地が所有できることだ、と言われて、日本人が本気で守ろうともしなかった水源の森林までもが、匿名の投資家の差し金のさらにまた差し金が関わった代理人によって買われて、中国やどこかにミネラルウォーターとして出て行く…。まんざら出鱈目とばかりは言っておられなくなった…。そう、ここで湧き上がるのが、穏やかな風土の陰に安住して、ひっそり眠っていたナショナリズムかもしれません。明日、早速、第一歩の動きを起こすことになるかもしれません。

■8/9 パソコンのモニターが不穏な動きをするので、新しい物を安全のために注文していたところ、到着の翌日、とうとうモニターは、たたいても倒しても全く画像を表さなくなりました。そこですかさず、いや、仕方なく、ほろ酔い状態で交換。して、より大型画像の快適なPCライフへ。備えあればPCライフもストレスから開放される、っつうことを学びました。(^_^)v
■8/8 25度を超える日が年に数日しかないのが30年以上前の苫小牧でしたが、15年ほど前から平気で25度を超えるようになって来ました。その頃、わたしが気づいたのは、スーパーの駐車場も一般家庭の庭も、ベアグラウンド(裸地)がなくなったことでした。そう、もう、マチのなかの大きな裸地は学校のグラウンドだけ。今日、その苫小牧、32度。2階の部屋はもう暑くてたまらずベランダへ。そこは、やはり涼風の道でした。いい夏です。フライに川へ出る、という感じにもちょっと遠いし、家にいるのが正しい過ごし方、これに共感いただけるご同輩は多いはず。
■8/7 通称「小屋」、こと雑木林ケアセンターの掃除。法人化するずっと以前からここはNPOの拠点だったところですが、思いついて、「NPO」の表札をつけました。そして、メンバーと大掃除。きわめてあずましく(comfortableに)なりました。と同時に
やや社会性も出てきたような。
■8/6 英国からのお客さんを囲み6人の小さなオフ会を札幌駅前の「○ぶりや」で。男性は二人だったので久々「両手に花」状態でした。雰囲気はいいのですが、魔が差してどなたかがワインを所望、ではボトルで、ということになったのですが、これが余市ワインなど。4000円以上の聞いたことのない辛口」表示を頼んだのですが、びっくりするような期待はずれでした。チリや南アフリカの安いおいしいワインは普段の自宅の晩酌に任せて、ここは大人しく日本酒を飲んでいれば良かった、と後悔しました。ほかで飲んだ十勝ワインも驚くほど若い。美味とは遠かったこと、それに比べて富良野ワインはしっかりしていたことを思い出した。今は、山○ワイナリーが評判だ。そんなこんなで、北海道にワインの歴史は浅いんだということをまたもや痛感。オフ会が実りあった分だけその落差にガックリしたのでした。(^_^;)
■8/3 苫小牧市内のNPO法人「がるだする」から会報を頂きました。『森と水の庭・ウトナイ』の製作者・北川さんの寄稿があったのがきっかけのようでしたが、前後3部拝見して、随分、勇払原野に“ひと”が関与するようになった、の感がします。あの広さと深みですから当然ともいえますが、いずれ互いのポジションを明らかにして整理する時期が来ます。それからまた、次のステージです。
■8/1 昨日、i phone4 に移行したのはいいのですが、電話帳が移らない、メールもまだ、という状況、そしてパソコンのディスプレイが不調、で、わたしの情緒もいささか不安定(-_-;) これをストレスに感じないよう、ゆっくり、気持ちを落ち着かせねば、といつものマジナイを。で、夜中2時、パッチリ目が覚めホームページの更新だけは済ませておこうと。万が一、更新が滞ったら、パソコンのトラブルだとご推察願いたく…。7/31の庭は、どっと蝶が出てきましたが、残念、カラスアゲハは朝は見えませんでした。 
■8/1 昨年の今頃は小屋や苫東で何があったか、昨年の「雑木林だより」を見てみると、まず、苫東環境コモンズを初めて社会起業研究会でプレゼンしていました。そしてその翌日、釧路公立大学の小磯学長らを苫東に案内。小屋は、というと、スズメバチが巣作り中で、共生せざるを得ないな、などと諦め始めている、そんな塩梅。今、野外作業は刈り払いが主で、観察が楽しい時期。キノコが顔を出している
■7/30 ガイヤシンフォニー第7番をみました。意外に森羅万象の神さまのことや神事がちりばめられている、というのがちょっと思いがけない印象でしたが、思えば、これまでの作品もそうだったと思いお越しました。ま、だから、淡々と見ていられる。驚きは、そのチラシの中に、10月、北大で、この7番と『森と水の庭ウトナイ』が同時上映され、龍村監督と北川陽稔さんがゲスト出演するとのペーパー。その文面には、『地球交響曲』と『…ウトナイ』との2つの映像作品を比較して、グローバルな視点とローカルな視点からのアプローチで環境を考えるきっかけになれば、と記されています。苫東の林と当方が少なからざる時間登場するこの映像が、ローカリぜーションの一翼にポジションをえていることに、とにかくビーックリしました。
■7/25 雑草もグングン伸びる伸びる!今日は観念して垣根とイチイのトリミングのあとは、花壇から雑草を抜き、ネコの額ほどの畑と裏の草取りをしました。ハーブの多い庭のいいところは、何気なく刈ったり摘んだりするときに芳香が漂うこと。今、ラベンダーが全開で、小さな庭が大きく見えます。ひょっとしたら今日あたりカラスアゲハが大発生か、と期待していたのですが、今のところやってきたのはモンシロチョウだけ。なにせ、我が家はカラスアゲハの食草である山椒がたくさん生えた雑木林の丘を背負っているので特別なようなんですよねえ。
■7/24 天候が手の内にあるのではないか、と錯覚しそうなほど、天候が大体思った方向に流れます。これは逆に、天候を左右する超能力がついたというわけではなくて、天候とか風土の自然をかなりすなおに積極心で受け入れられるようになったことの裏返し。今日も、何となく雨が上がりそうな中を小屋に向かいました。そこにあったのは、雨」に付随している素顔の数々。
■7/19からサロベツにでかけて女性だけ4人の座談会を開いていました。土地とコミュニティと人のつながり、それと「女性力」に注目した平易な言葉を使った集まりです。メンバーは、羽幌、幌延、鷹栖という道北に住む方々で、「どっとねっと」という当方が関わる地域SNSの日常的な書き手です。時代は間違いなく女性というジェンダーの登場を求めていると思いますが、そんな風はまだみえませんね(^_^;)
■7/17 4回目の月例遠足はつた森山林で「ハスカップ摘み」でした。苫東という限定したエリアで環境保全活動するNPOですから、とりたてて特典みたいなものがないなかでハスカップ摘みはわずかなプラス行事かも。曇りのそよ風で蚊がいない、という絶妙のコンディションの中、家族・友人同伴で30人以上が満喫された模様ですが、初めての出会いもガチャガチャと、そこがまた面白いところ(^_^)v。
■7/16 業界紙に加森観光の社長が社会資本について語るインタビューが目について読み進むと、最後の方で、苫東に道内の大学をまとめる…ほどの思い切ったインフラを、という例えの提案がみえました。また、ある高名な先生は、アイヌ民族の記念碑的施設もありうる、と含みのあることをおっしゃいます。それらの話を聞くたびにわたしの脳裏に浮かぶのは柏原。この風土を切り刻む開発は天が笑うだろうと思います。勇払原野の風土がにおうこの場の使い方は、そのまま風土がにおうまま利用するもの。それが何なのか。浅知恵ではないもの。milieu therapy ミリューセラピー、日本語に訳すと風土療法という耳慣れないものがありますが、柏原はこのmilieuという言葉がキーワードのような気がしています。環境という空間の次の大きく包摂する概念、天と地とのハザマの…。
■7/12 日曜の午後夕方近く、白老の川にフライロッドをもって行ってきました。7月はいつも行かないでじっとしているのでしたが、その理由を忘れてつい。フライを投げてから、わたしの賢明なこれまでの選択を理解しました。そう、解禁の6月は、太公望によって根こそぎ、大型のヤマメと降海型のメスは釣られてしまう。そして7月は残されたシンコヤマメの世界になるが、10cmほどのシンコは非常に釣りにくい、つうか、針に遊びに来るようなもの。従って、ここ何年か、ヤマメつりはやや大きくなった8月以降と決めていたのでした。川に佇むのは、しかし、たまらなくハッピー。#2の軽いタックルだったが、風景を楽しめた程度で、釣果の問題ではなくなってきた…。なにせ、不安定な川や湖の石に躓いて無様に転ぶのだ。これにはガックリしっぱなし。(-_-;)
■7/11 先日、小屋の前のミズキの木にちょっと変わったカラスアゲハがいました。画像として撮るべくファインダーで追っかけていても、なにかおかしい。カラスアゲハと違うのは羽の下部が紅い斑紋であること。そして、パタパタと幹を昇っていく姿が、なんか、自分の慣れ親しんだ家みたいな感じ。おかしいなあ、と思ってふと調べてみると、そう、ミズキに特有の、つまりミズキの葉っぱを食べて育つ「アゲハモドキ」という蛾であることが判明。いやあ、なぜ、あそこまで姿かたちを似せたものを、万物の神は創らねばならなかったのか…。そんなことを思わせる昆虫です。いやはや、これが蛾。漢字で書くと、「擬鳳蝶蛾」。

■7/10 左のわき腹が1ヶ月ほど張りと言うのか痛みがあった。いわばインナーマッスルのような痛み。2週間ほどしても治らないので内臓疾患かとおもって内科医に相談した。腎臓の辺りですね、と検査したが特に異常なし。まあ、やっぱり、自分の身体は自分でケアするしかない。整体にいってみたら背骨が歪んでおり、その補正の力がわき腹にかかっている、と若いその女性はいう。なるほど。思い出した。人間の身体は直立してからこの方、歪むように出来ていたのだった。禅では「威儀即仏法」を説くのだという。姿勢の歪みは脳をも不安定にするのだと諭している。合掌
■7/7 白老で気功を教えている新岡さんに白老で気を感じるような場所は、とお聞きすると萩の里のセンター前と写真の場所を教えてくれました。先日は雨上がりにそこでリズムに合わせた香功(しゃんごん)。画像としてみると、やはり、身の引き締まる
ようなあるものが伝わってくる…。
■7/5 一昨日のフォーラムでちょっと変わったマップを配りました。「喜怒哀楽とともに歩くマイマップ」「とまこまいを林する」というもの。おととしの第1回フォーラムで実施したアンケートで得た参加者の情緒表現を、身近な林ごとにメモしてあり、自分の居場所を見つけようと提案しています。精神科医・瀧澤先生の面白いメッセージもあります。幻のマップですね、いわば。(笑い
■7/4 薪に勢力を取られてフットパスや小屋の刈り払いがすっかりおろそかになっていました。まず大島山林のNPO分担部分を。終わって汗を拭いていると、自治会の方がカルピスを出してくれてしばし歓談。その足で小屋にきて小屋周りとフットパスを。気温は30度、笹は葉を閉じ始めていた。
■7/3 今日はこれから「こころの森フォーラム」。またしても霧雨。4回のうち3回まで、雨。しかし、雨や濃霧の中のワークショップは、それはそれは忘れられない思い出をちゃんと残してくれています。さて、今日はどうでしょう。 → 結果は、「結果オーライ」。霧雨のおちついた一日を終えてみると、カンカン照りよりずっとよかった。緑も深くて。最初23人、やがてセラピーでは手ごろな人数になり密度の濃いコミュニケーションが可能になった。ものは考えようとはよくいったものです。
■6/28 眠気のあまり書き残したのがハスカップサンクチュアリ。鳥が落とした糞から萌え出した実生のハスカップが見られる場所に、薪作業のあとに行って見ました。丁度今頃はワタスゲの1種のサギスゲとヒメワタスゲが咲く頃ですが、案の定!15年ぶりでした。
■6/27 この冬除伐した材を薪にする作業を、今日も11人が加わって果敢に終了。
丸太の山はなくなりました。除伐に延べ100人、やぶ出しに20人、薪にする作業に延べ30人がかかっていますので、いやいや、壮大な事業だといえます。ということは、地元の方々と、NPOなどヨソモノのコミュニケーションもまあ、まずまずだったのではないでしょうか。それはともかく、疲れました。(-_-;) 今日はあまりにも眠いので、「雑木林だより」などの更新を何もせずにこのまま、床につこうと思います。クー
■6/26 ほぼ一年ぶりの支笏湖は小さな宇宙だった…。30度にもなった日で、湖岸もそれに近い温度であり、当然ながら昆虫は羽化して水面スレスレに飛び交って、それをちびっ子のアメマスが追っかけていた。カゲロウが羽化して、ジャンプとダウンを繰り返していた。そこへ10cmほどのアメマスがわれ先にとアタックする。と、わたしのウェーダーの周辺には、無垢なアメマスたちが寄ってくる。針、フックというものを知らない子供や若者を釣っても全く自慢にもならない…。わたしはほとんどフライをやめて写真家になった。そうしてみると、つくづく、支笏湖は森羅万象の住処だ、とあらためて気づくのだった
■6/23 このごろ、庭は花、ではなくて垣根、植え込みなどの手入れが先になってしまう。そして去年もそうだったけど、コンテナの花の苗は7月になってようやく植え込む始末。でも、それもいいんじゃないかと思う。これだと、ハーブなどが萌え出てくるのを楽しんで見ていられるし、遅ればせに植えた夏花が霜の降りる10月末まで元気にもつから。ちょっと、サボりの言い訳に近いけど。(^_^;)
■6/20 刈り払いにはリズムがあります。そのリズムも結構、楽天的な2拍子。その拍子に、眼球を動かしている自分を発見しました。目と手を動かしている山仕事の世界は、危険を伴う重労働な分だけ、子供らが環境学習などには決して使えないメソッド。やはり大人になって初めて覚えることのできる「生涯学習」的なものなんだと理解しました。しかし、刈り払いの世界に入り込むには、世間からはかなりずれていないと難しいでしょうねえ(爆 ずれてて、ああ、シアワセ!
■6/19 今朝は朝から好天気。イボタの垣やオンコのトリミング、レンギョウの剪定、そして納屋のペンキ塗り替え1/2面を10時までに終了。庭仕事をしていると、いろいろなことを学びます。そのもっとも基本的なところは庭は暴れる、だから意図的に抑えなければいけないこと。剪定整枝を「いじめ」に結びつける人もたまにいますが、そうじゃない。生命力を再生させる日本の風土の宿命だと考えないと、いろいろのことがほころびる。里山が生まれる必然がそこに見えます。さ、これから札幌の職場へ(^_^;)
■6/17 今、スイスをちょっと勉強中。来年は還暦ですから、ひとつ長期休暇をとってアルプというコモンズを歩いてみたいな、と。
■6/15 毎晩おいしくワインをいただいていると語ったら、ある方が「ハイチオール」に含まれているLステインがとても肝臓の負担を少なくしてくれる、とおっしゃる。それである血液検査をする際にハイチオールを朝晩飲んで受検したら、おお、数値はがくんと低下。同じ時期に人体実験された同朋も、二日酔いしなくなった、と。だからなんなんだ、と突っ込まれるとあまり明答はできないけど、さらなる同朋の「健康晩酌」の一助にはなるんじゃないかなあ…。わたしの畏友らは李白や杜甫のような方が多いから(^_^;)
■6/13 手を余しつつあった薪をメンバー12人で片付け。この人数でもあと2日近く係る。しかし、頃合は初夏を過ぎて夏本番。本当に早々に片付けは終わるのか…。
■6/12 フットパスの現場をみたいと、NPOふらっと南幌と石狩市のかたが見えました。大島山林→柏原フットパス→小屋のささみちフットパス、というトリプルコースを案内。平らな農業地帯を歩く南幌には南幌の歴史がにおいますが、面々には雑木林が中心のここはどう映ったでしょうか。
■6/12 今週の水曜、木曜と道北の西興部と士別を訪問。特に士別にははじめて宿を取って地元のひとからお話を聞きました。7月にかけて道内10箇所で行うアンケート調査の準備です。地域では、人と人のつながり、地域のパワーの蓄積は静かに進んでいる、その構図が明確にみえるような気がしました。公民館方式、自治会制度、市民セクターの集える組織的な広場、そこへ外発的な企業などの誘致。それらが相共振してつむがれていく地域。都会の刺激とは離れたところに、ちゃんと住み場所があることはこれからは勇気ある人たちが?ライフスタイルで示さねばならないのだろうと思います。写真は、士別の素晴らしい景観のうち、サフォークランドと向かい側のかわにしの丘。
■6/7 昨日午後、『森と水の庭・ウトナイ』のDVDをイコロの森で鑑賞。おみごと!夕刻からのトークでわたしは開口一番、製作者の北川陽念さんをそうねぎらいました。対価を得るという意味では仕事ではないけれど、仕事らしい仕事でもあった、と北川さん。このDVDは勇払原野のうちと外にいるいろいろな人をつなぐ契機になればいいと思うしそうなりそうな予感も一杯あるんです。ありのままが映し出されている安心感と穏やかさが、この作品の最大の特徴とみました。間もなく、道の駅ウトナイやイコロの森でDVDは販売されそう。応援のためにゲットせねば。(^_^)v
■6/5 大島山林で刈り払いを開始。nokoさんもブッシュカッター持参で応援にこられたのにはびっくり。数百メートル、形だけ刈った後、二人でサイン設置作業へ山林を一周して13時終了。新緑はいよいよ濃くなった。小屋によると、そこはそこですごかった。いや、新緑の陰影のこと。毎年のことだけれど、画像に残さないわけには行かない…。
■6/5 3日から出かけた乙部町は、やはり地域の運営というものを考えされました。高齢者が大変な熱意で町内会活動に参加することとか、祭り、小さいながら新しく設定される雇用、奥尻の地震を教訓にした防災用の水=泉の復活など。便覧を見ているうちに4500人の町のメニューとは思えないモノを見つけたような気がします。
■6/3 今日はこれから道南の乙部町に出かけます。人口4700人ほど。寺島町長にお会いできるかも知れません。楽しみです。
■6/1 ここ2日、朝はどんよりした曇り。なんとなく重苦しく思いつつも、まあ、曇りなんだと、しばらくしてTVをつけると札幌は快晴。わたしは、ママチャリでJR糸井駅に行くので、やはりウィンドブレーカーは欠かせず着込み、北広島あたりで暑さが耐えられなくなります。困ったものです。(笑い そして札幌駅ではDバッグに詰め込む…。でもこれ、各々が各々のアメニティに合わせて、工夫するしかない。と思っていたら、やはり手袋をした高齢者が夕方、前の席に(^_^;)
■5/30 山林の作業用幹線道路について、小型トラックが入れる程度の改良してもらうための打ち合わせを土地所有者と10時から。今日も、新緑がまぶしい日。至福の思いを胸にしつつ植苗病院のチューリップと雑木林を画像に収めた。
■5/29 小屋や大島山林に向かう道は、通り過ぎるのがもったいないほどの春爛漫、新緑の饗宴。家ごとの園芸も芽を見張るものが多いので、車を止めて画像に収めたいところですが、ぐっと押さえて車の流れにあわせて次の目的地に。
■5/27 北川陽棯さんのてがける
地球環境映画祭の苫小牧バージョンが6月5日と6日、イコロノ森で開催。そこでは、わが勇払原野がある種あたたかな眼差しで初めて新鮮な観点が表現される見込み。採るに足らない、つぎはぎのB級の自然とみなされていた原野が、こんなに魅力のある身近な自然だったのか…、わたしもまだ完成版を見ていませんのでなんともいえないのですが(爆、おそらくそんな仕上がりになっているはず。6日は3時からのトークに、わたしも参加。
■5/25 こころの森フォーラムの4回目は、白老のポロト湖で。出来れば、「喜怒哀楽+淋」とともに歩む林のマップも間に合わせたいところです。フォーラムのいずれのセッションも内容があります。是非、お申し込みを。先着40名。
■5/22 当研究室の長年の懸案であった「柏原フットパス」。今日、その第一歩となるサインがNPO苫東環境コモンズのメンバーの手で設置されました。さすが、元がいいと、仕上がりはいいです。風土がしっかりしているから、ちょっとしたサインとマップで別天地めぐりが可能になります。
■5/21 漿果樹ハスカップを世界が注目しているようです。ブルーベリーの次の機能性食品としてものもあるようですが、ともかく品種改良の波が来ていると。ご存知の方も多いかと思いますが、ハスカップは上のカットのような紫の小さな酸っぱいベリーですが、これは勇払原野の夏の風物詩であり、他人の土地ながらまさにコモンズのように市民が勝手に入って採取する場でした。
■5/18 魔法の木っ端ビジネス起業家・アルカサルの益子さんに、幼少の頃の秘密機知についてその奥の部分をいずれ語るべく、
わたしの試論をアップ。わたしたちは何故林に入るを嫌がったり、ドイツ人が何故好むのか、などを語るときにちょっと便利な表かも。
■5/16 ささみちや柏原のフットパスのサインの用意が本格化してきた。まだ、試行錯誤しながらだが、すこしだけカッコいい方法をと、スタッフと模索。小屋と広場があるのはラッキーだ。依り代なわけだけど、こうして、人の気配がする手自然が次第に生まれてくるのだなあ、と感じる。これもひとつの新しいコミュニティだ。
■5/15 昨日、ある有名でかつ優良な会社の方から、「職員の心の健康のためにあなた方が手入れしている林を散策してもいいのですか」と聞かれました。「苫東の公園緑地は実はそのために用意されているんです」とわたし…。この種の、かなり実感を込められたオファーは、わたしは初めてでした。なんだか、記念すべき日だと直感しました。と同時に新しい展開が始まるような予感がします
■5/15 広井良典著「コミュニティを問いなおす」を読みました。すらすらとは読めない本ですが、かなり的確に現代をとらえている、と見ました。頼るべき心棒を失った現代人に今更アニミズムもないでしょうが、独りになって静かに探すしかないのかもしれません。森や林の意味は、底にあるのかもしれない、と本気で思い始めています。
●5/12 オリジナルなことこそ面白いんだなあと思い始めています。何がとはうまく言えませんが、あえて言えばスタイル。人生のスタイルでもいいし、表出のスタイルでももちろんOK。どうやってもいいんだ、という声はしかしそう簡単には聞こえないものです。実際はしなやかな発想で生まれる多様な形、モノ、コト。そうやっていいんだというメッセージ、そして進んでいく秘訣。そこを世代から世代へうまく伝えることが出来たら。
●5/09 今朝の冥想での発見。座ってからの自分の居場所を、田園、山辺、林の中の三相を想定して「林の中」においてみる。と、仕事などの日常が彼岸に見えるわけですが、これがこころという条件反射から別の世界を創るのに効果大、と知りました。体とこころの営みに発見は終わリがないようです。
●5/08 石狩市の森林ボランティア「クマゲラ」さんの、市民を対象としたイベントに呼んでいただき、小一時間講演しました。タイトルは「里山の手入れと林の中のリラクゼーション」。しかし、話は飛び飛びし、タイトルに関した話はほんの一部だけになりました。ごめんなさいm(__)m 写真はグループの活動場所のトドマツ林。
●5/08 いずれお願いしようと思っていたのですが、ブログ「林のアジール」と掲示板の本拠地がこの「雑木林&庭づくり研究室」であることをまだご存じない方もおいでのようです。「お気に入り」の登録はぜひ、この↑URLを。更新頻度の一番多いこのページを先ず開いていただき、ブログ「林のアジール」か、掲示板へお進みいただくと、HPのカウンターに着実に反映される利点もありますので、どうぞよろしく。m(__)m
●5/07 『21世紀はミリューセラピーの時代である。…(生きられる)風景が人を包み込み癒す積極的な治療媒体として、大きな力を持つ…』。先日、講演であまりいい印象をもてなかった方の、気になるタイトルのために安くない著作を購入して開いて見ると、意外にもわたしが追いかけてきたテーマと同じような言葉が並んでいました。驚きです。そして、風景を見てもらって行うアンケートは、おととしのこころの森フォーラムとそっくりの手法でした。風土とその風景が心身に静かに与えているあるもの。まだまだ未開拓の分野だということを改めて知りました。
●5/05 昼過ぎ、雑木林の小屋へ。メンバーのnokoさんに一昨昨日にいただいた防腐剤のうちパインを、フットパスを歩くために作っておいた杖に塗ってみました。おお、やっぱり、ごろっと雰囲気が変わりました(次写真)。夕方は、フットパスのサインをどうつくるか、明野南通りに面してカナディアンハウスの事務所をもつチバグリーンの社長さんを訪問して詳細を相談。わたしの家のベランダを一緒に作ってくれた実力派の匠(ビルダー)で、見本を訳もなく作ってくれました(下、縦写真)。ラミネート加工して、留め、下げる…。
●5/04 あわよくば、松前のサクラも見れないかと道南に出かけました。3日から4日にかけて770kmのロングドライブ。松前のサクラにはちょっと早く、辛うじて「冬桜」を堪能した(写真左)。今回は図らずもパワースポットめぐりになったみたい。ひとつは、八雲のパノラマパーク(写真右)、二つ目は、恵山岬、三つ目は上の国の道の駅あたりの日本海。こういうスポットは風土感覚のなかでクサビのようなものに感じられます。
●5/02 山仕事でエコにすることは出来るが、イージーにすることは可能なんだろうか。わたしの独断では、これは機械メーカーの怠慢ではないかと思うし、外材に頼っている間に、素人でもいろいろな人が操れる運材機具などの開発を怠ってきたとつくづく思ってしまう。だから今、こういったコミュニティの林の活動も人力以外頼る術がない。揚句、マシンから小道具、ファッションまで、スチールやハスクなど欧州のカタログから選ばざるを得ない。痛感の日だったけど、仕事は大いにはかどった。人間の素朴な1馬力の底ジカラに静かに乾杯したのでした。イタタッ(笑い
●5/01 もう5月だ。日がたつのが早いけれども、ストーブは相変わらず手放せない。花が咲き、昆虫が出始める季節の予感がない。連休初日といえる29日、二橋愛次郎さんのボタニカルアート展がイコロの森で開かれたのでオープニングにお邪魔した。二橋さんは能吏であっただろうほかに、クラフトマンの才に秀でておられ、なにか、そのウィットというのかひねりに人は静かに感動してしまう。そこに辻井達一先生がヒントの油を注ぐ…。どうやらそんな構図だ。そのまま小さなパーティとなり、深更まで。
●4/29 連休はあれもできるこれもしようと計画を練るものですが、それは極力止めました。折りしも、連休初日は強い風を伴った雨です。こういうときは、静かに、雑務を片付け読み進めなかった本を開くに限ります。
●4/27 庶務的なものが山積しているので、取りこぼしのない様に心がける。割とこういう手仕事みたいなことが向いているような感じもある。打ち込めることは何より。夕食後、PCに向かって会員名簿を整理し、会費納入のリストなど作る。
●4/26 すでに4日目のNPO休暇。午前中は税務署、午後一番には自治体と土地所有者とコミュニティ関係者と打ち合わせ。コツコツ、愚直に参るのが大事な道だと思いますゆえ、今日も記念すべき実りのひとつと刻印。実にいい天気でしたので、厚真の田園に出向き、幌内神社にお参りしました。
●4/24 「苫東休日」初日報告。つた森の池にはアカガエルの卵があり、奥にはクマゲラらしき食痕など、春の動きは確実に感じられます。昼、焚き火を囲む歓談。雑木林の春のしあわせ、です。
●4/24am 昨日、4回目のコモンズ研究会が開催。地域やコミュニティに気持ちのいい、みんなが安心してアクセスできる環境を得るためには、実に手の込んだ手続きを用意しなければいけない、…これは現代の宿命なんだと悟りました。できればこの関係性をつながり、と理解して、楽しめるようになればなんのことはないわけで。(^_^;) そして今日は、1回目の月例遠足。寒い曇り空ですが、歩くにはちょうどいい感じかも。
●4/22 ミラクルな落ち枝についてある先生とやり取りしているうちに、もし寺田寅彦がこれを見たら、どんな科学随筆を書いただろうか、という話になりました。寺田の描き方は、実にバランスの取れた、言葉と科学の粋を集めたようなものですから、わたしには般若心経のような位置にも見えます。あさって、天気がよければいくつかみつけたいところ。
●4/18 「手とび」を使って快調に丸太を整理しました。午後から、平木沼緑地の小屋に行ってフットパスを一巡り。汗をかかない、蚊もいない、戸外に出るには最高の季節。いやそれよりも、林が明るい!元気がでる!特に「元気が出る」というのは、今、樹木たちが目覚めて水をねから吸い上げ始めている、そのせいかと思います。この時期の林は要チェックです。(写真中央が手トビ)
●4/17 山仕事の道具は20数年来の付き合いになる田中林業さんで調達しています。今日は田中さんに注文しておいた「手とび」を受け取りに行きました。薪ストーブの緩やかな暖がなんともいえない雰囲気を作っています。ハスクバーナやスチールのカタログを見ていると、林業を営むための道具とファッションの工夫に目が行きます。釣りの世界などは、フライフィッシングはかなりマニュアルがあり入門できますが、同じフライ(ただしジャンル的にはウェットフライ)でも和風フライ「てんから」に伝習のためのマニュアルが見えないのと同様、山仕事が危険であることもあわせて、結構、プロや達人の世界におしやられてきた傾向が、林業にもあったのではないか。それに加え、産業が外材に勝てないと異口同音に言い募って努力を怠っていなかったか、とわたしは実は感じているのであります。フィンランドの林業光景などは実に省力化され、カラフルなファッションの画像を見たことがあります。あれなら、山仕事はアウトドアの延長に見えます。事実、そういう面があります。
●4/17 「緑の癒し」に関する講演会に行ってきました。看護科の学生も多い会場で、「園芸療法」の実践を聞ける、という関心もあったようです。内容は、生と死のことから、園芸療法の設計の事例など。携わったプロジェクトの実績紹介に移ったあたりで「行政に土地をタダで提供させた」「教えてあげた」「(依頼者を)有名にしてあげる」などにアレッ。ははあ、有能で冷徹なプロデューサーでもあるんだなあ…と知りました。ただ事業の協力者はいただろうと想像されるのに、その方々への気遣いがないためにただの自慢に見えかねない終わり方になったのは予想外でした。緑、生と死、癒しという言葉がかもし出すニュアンスに期待した方は意外だったかもしれませんねえ。事業の顛末やコンセプトを美声でよどみなく話され、司会や質問者には判を押したように絶賛されたのですが、その分だけ、ギャップができたように感じました。話とは、なんと難しいことかと、なんだかこっちが反省するひとときにもなりました。イヤ、ホント、ムズカシィ(-_-;)
●4/15 天気が悪いです。でも週末がよければいいかな、と。これからまもなく出勤です。朝、6時15分。→今戻って22:00。地域活動をするにはちょっと通勤に費やす時間が長いですね。反省しても仕方ないけど(^_^;)
●4/13 苫小牧のガーデニング愛好者の裏方を組織していた頃、トップガーデナーだったSさんと、新設法人の税務研修会で一緒になりました。お聞きすると、70歳代で、介護ホームにチャレンジしているとの話し。動機はと聞けば、「周りに困っておられる方が一杯いらっしゃるから」。わたしには、なーんとなく、国や自治体に頼りきらない支え合いが、各地で生まれ始めたことの実感と重なります。
●4/12 NPO活動のための休暇をとって、昨日の午前はまず安平町で、NPOの説明と大島山林を中心とした活動のアウトラインを説明。そのあと、同じ苫東で進められているある企業のホダ木生産の現場で作業評価。今後も、整理しなくていけないことは山積ですが、整理の糸口はみえつつあります。写真右は採草地と防風林、今年、ここをフットパスの里として紹介したいと密かに思っています。
●4/8 終末にはNPOへの参加申し込みをメールで受けられるよう手配します。振込用紙ができてやっと体制ができました。でも今日の昼、安平町にお住まいのTさんから、山仕事への参加の意思表示。どっひゃー!静かにHPや掲示板をご覧になっておられる方がいらっしゃる!こういう広がり方がベストでしょう。「あご、あし、けが、道具」を自分持ちで集う、地元中心の林に手入れ。なんだか、自律的でいいなあ、と思います。
●4/7 時節柄、年度の計画を立てつつ、自分がやれそうもなさそうな計画を立てていることに慄然とします。(爆 ナントカナルというマジナイは不可欠ですが、それにしても無謀のような気もしましてね。でも、基本のところは、イケル、という楽観。要は積極的に取り組むというそれだけで、問題のかなりの部分は底のところで解決が進むような気がします。若い人に伝えたいところです。
●4/4 山仕事をするには少し暑いと感じるようになってきました。勝手なもんですが、作業にはやはり適温というのがありましてね。(^_^;)それにしても季節、というこのめまぐるしく変わる様は、目を離せない気がします。刻々と、まるでお月様のようです。しかしお月様とは違い一進一退しながらなので撹乱させられますが、いつのまにかやはり確実に進んでいる。そして、びっくり。先週まで上空を飛んでいたガンたちはもうどこへ行ったのか、さっぱり声が聞こえないんですよねえ。
 作業を一段落した山林を巡ってみました。わたしの願いは、手入れした林と放置してきた部分の違いを、できるだけ多くに人に見てもらうこと、そして、手入れした雑木林がこんなに気持ちよいものだったのか、と気づいてもらえること。そうして、林を手入れする「担い手」が、またどこかに生まれること。そ、札幌ウッディーズのコボレ種・苫東ウッディーズのように、です。(^_^)v
●4/2 月末からママチャリ通勤にかえました。JRの糸井駅までのわずか10分ほどですが、フレッシュマンのような爽快さがややあり、また、なにより、早朝ともいえる朝6時半の冷気は気持ちいいものです。清浄を地で行く感じでしょうか。植苗の農地はおととい、まだ雪がありマガンが残っていました。写真右に編隊がいます。
●3/30 早春の春の息吹、と思っていたら大雪。年度末は忙し。(-_-;)
●3/29 凡人は常に予習を怠らないこと、必須と痛感。外は晴れて寒風。
●3/27 二つの送別会で最終電車になったので、山仕事の現場に着いたのは11時前。写真は昼前に見つけたフキノトウ。霜にあたってやや葉先が黒ずんでいるけれど、夜は、今年初のホッキとのカキアゲに!!午後、雪が降ってきて2時半頃には吹雪模様に。
●3/26 年度末、転勤などで送別会が入る。お別れはちょっとさびしいけれど、それを口実に一献傾け歓談出来るのはラッキー。26日は、若く優秀な道の森林行政に携わってきたTさんと6時からスペイン風居酒屋で。8時過ぎ、山仲間でもあるシェフが東京に戻るので、岳人の根城「つる」(↓photo)へ。懐かしい女性たちも来ていて、これまた幸運な10人ほどのプチ・宴。見せの主のOさんには悪いけど、貸し切り状態というのもすごくアズカシカッタ(^_^;)
●3/24 事故などで難聴気味なせいか、ライブの話に集中できずにいます。聞き流す習慣が昂じて、ほとんど何も理解していないのではないか、と。(笑い 歳のせいでもあるし、いろいろなきっかけがあろうとも、やはり、脳の訓練かとおぼろげに。こういうときは、同じ思いの同胞らと集い語るのがもっとも落ち着くみたい。が、わたしより年配の方々には、それはまだまだ可愛い老いの入り口なのだとたしなめられ諭されること、しばしば。煩悩といえば、そうでもあるような。(-_-;)
●3/22 マガンを見に行く。厚真町から苫小牧市植苗に向かって、折からの地吹雪にもめげず、らくらく採餌しています。人と野生が環境をシェアしている、ということが痛烈に身体で感じる光景。↑

●3/21 NPOの経過一覧(未完成)を作成しようとメモをてみると、おととし2008年の4月から、実に多くの関係者と打ち合わせをしているのが記録されていました。我ながら丁寧な足取りだとびっくりしますが、それでも決して思いや概念が伝わってはいないのが現実で、そしてそれは「無理のないこと」と割り切っています。この活動は当方らの勝手なもので周辺を巻き込むようなものであり、少しでも合意やご理解が得られ、ひょっとして協力が得られるようなら儲けもの。気長に、愚直に、かつ周到に積み重ねてしていくだけ、と知りました。ちょうど林の手入れのように。
●3/20 大島山林の山仕事は9時から。その1時間ほど前に現場に着いて、ひとわたり現場を廻って作業をイメージ総括。札幌ウッディーズのサポートは今日15名ほどだったから、当方が11月末に着手後は総計恐らく60人工ほどの作業をしてきたことになります。今日も、苫東ウッディーズは女性2名を含んで4名が参加。昼前後から小雨の降る中、精力的にフットパスの分岐まで手入れが進みました。

●3/19 山陰地方の中山間地のヒアリングから先ほど戻りました。山間の集落は、北海道のやや広々とした風景とはちょっと違って、まさに斜面の迫る山の中で、耕せる耕地も乏しい場所ばかり。そこで営まれる地域運営。そこに静かに、耳を傾けました。下は鳥取・智頭町新田の神社。この新田集落は18戸の全戸がNPO会員となって、人形浄瑠璃など、地域活動を展開していました。
●3/14 明日15日から本州は山陰地方に出張します。hpの更新はしばらく出来ませんが、ブログ、掲示板、メールは今までどおりOKです。旅先から1,2度ブログを書けると思います。
●3/13 大島山林を手がけるようになってから、お昼は車で5分の「そば哲」で野菜天をつけたもりそばか、隣のイタリアレストラン「ピノピアノ」を利用するのですが、これは今までは考えられなかった組み合わせ。
昨年までなら、カラマツの丸太小屋でストーブにあたってカップめんとおにぎりというパターンでしたから、随分都会っぽい異色のシチュエーションといえます。つまりここは、市街地に直結した林な訳です。いわば「溜まり場」。だからエプロンした主婦が見えたりする。使われる林、住む人に昔から親しまれていたコモンズ的雑木林。そこで道央圏のうでに覚えのある有志が、静かに地味に、ひとつの風景をこさえているのでした。道新の石川さんが描いてくれた情景がそのまま、展開されています。
●3/11 リゾート列車、今朝も撮影をしてみました。やはり、あのシバレはないので輝きが足りません。図らずも春到来を知る羽目に。そして、夜、米国領事館が主催する官・産・NPOのパートナーシップに関するシンポ。彼我のNPOの時間差、そして温度差がはっきり。米国は税制の優遇があるから、と日本を嘆くのもいいですが、
●3/10 リゾート通勤列車、昨日のシバレル朝日の風景を撮りそこね、ホゾをかみましたので、今朝は名誉挽回で撮ったものの、低気圧が来るという朝でした、さすがにここにはマガンの群れもなく、ただの雪原…。このままでは春は少し後ろにずれ込むかもしれません。豪雪は、胆振を通り越して道東にいったよう、シメシメ。
 夜、関係する社会的起業の研究会で釧路の生活支援ネットワークサロンの日置さんのお話を聞く。地域課題をビジネスにする、という意味を込めたタイトルですが、課題はビジネスになる、と読み替えるとこれは革命的。
●3/09 なんと、今朝はマイナス11℃。そして明日は大雪だという話しです。波動の春、恐る恐るやってくる春を、恥ずかしがりやとも称するらしいけど、どうも張るって言うのは、慌しいドサクサ紛れのなかにやってくるんですね。。突如として消える雪に、そろそろ、祭りの宴を張らねば、と。なにか、面白い工夫はないものか…。話は変わって、長崎の畏友「まつをさん」のHPを見ると、極小ハウスの「カバノン」の端正な佇まいに感動してしまいました。今年、ログの居住まいは作業小屋からちょっと改善したくなりました。いや、是非そうせねば…。
●3/08 道北の方から、ハクチョウ飛来とフキノトウ確認のメールを頂きました。ギョエー、と驚きましたが、昨年も確か、胆振よりも道北の方が早かったと記憶します。ともかく、この冬はしっかり寒いです。今日もマイナス5℃、明日も真冬日。住んでる方からすると、このメリハリは悪くないんです。

●3/07 前日タップリ林にいたのに、午後、やはり森へ行きたくなって研究林へ。すべる路面に気をつけながら、急斜面を登って丘の上の神社に参拝。神社からの森の眺望はパワースポットのような気になるし、上り口のミズナラの大木(直径約1.5m)には惚れ惚れする。
●3/06 大島山林の山仕事を終えて午後4時、H新聞の記者の方からNPOのことでサンガーデンで取材をうけた際、室内に赤々と燃えるペレットストーブが気になっていました。明らかに石油ストーブと違う薪ストーブの色、ただし、炎の揺らぎがなくフラット。取材後、店主に聞けば10kg450円ほどのモノが1日2個、つまり20kgで900円ほど。これはほぼ灯油並だそうです。炎はとてもよかった。主役の座を占めることが出来る炎、これが不思議。
●3/05 作家の村上春樹氏が故河合隼雄氏と対談したときに、彼はデタッチメントからコミットメントに変わってきた、という意味の発言をしています。コミットメントというのは今思えば、内側に閉じていた感性などを、積極的な他との関係に向けていく意志みたいなものを指すだろうと思います。これは、世間と関わっていくときに大事なキーワードに思えます。昨夜、2009年の自分の動きを手帳から拾いメモしながら、わたしの2009年も、このコミットメントそのものだった、と振り返りました。感謝の気持ちで、合掌せざるを得ません。
●3/04 夜明け前に起きていると、夜明けが段々と早まっているのが実に良くわかります。漆黒の闇から、ちょっと明るさが見え始めるそのころ、恐らく、そのちょっとした転換の瞬間は、暗から明への添え木のようなものなのでしょう。その一日が、どこか、新しい励ましのように感じられ、朝のもつ清浄さに打たれる…。今朝の空気はモヤがかっていたのですが、レースのカーテン越しに、清浄さのシャワーがやってきました。
●3/02 当NPOを詳しく丁寧に紹介した記事が、(財)北海道開発協会の広報誌「マルシェ・ノルド」に掲載されています。まだまだ馴染みの浅い苫東環境コモンズという概念と背景を知るのには助けになりそう。ゆるやかな関係を上手に育てていくには、息の長い取り組みが必要だと痛感しますが、そこにたちはだかる問題はやはりどこにでもある事なかれ主義とか硬直性とか、自律性、ここへ来て改めて浮き彫りになってくる事柄があります。土地は基本的にフローとしてとらえると見誤るのではないか、と思います。その土地に旅人のように関わる方々には、だから普通、誠意というものが一番欠けてしまう…。これは苫東に35年ほど関わってきたわたしのささやかな体験談です。
●3/01 今日から3月ヤヨイだ〜!そして満月である。丘橋のうえから、お月様を振りかえりつつ帰宅へ。まさに月はカレンダーだ。実に刻々変わっていく。
●2/28 NPOねおすの若いグループの方々が小屋を来訪したので、雑木林を案内する。冬の雑木林の雰囲気と、早春の気配が濃厚な陽射しで、ウキウキするひと時。
*キャプション=2週間越しのツルに絡まれたトドマツらは、ついに安部プロの応援を頼んだ。すでに必要な一応の手はずは済んで上部のツルが切れるのを待っていたもの。で、大分傾いてきたのだが、かた雪の候、誰かが下を通ると危ないので早急に片付けよう…。安部プロは丹念にこつこつと仕上げていく。この土地の所有者は、こんな危険な作業をもいとわずに切磋琢磨して林を生き返させる奉仕の営みのことなど、ついぞ考えたことはないはずだ。繰り返される無欲の作業、そこにあるのは、秘めたる自己実現か。森や林は所詮みんなのものだという頭がある。
●2/27 昨夜は上弦の朧月、そして今朝は快晴、抜群に気持ちいい。10時前に札幌ウッディーズの13人が応援に来てくれて3時まで精力的に山仕事を。朝は遠浅自治会の荒木会長が、昼には元の山林所有者・大島さんのおばさんがちょっと挨拶に来られました。ほんとによく、人と会う場所です。
●2/24 NPOの打ち合わせなどには職場は年休を取って対応。そうすることによって、地域と自分の関係が浮き彫りになってくるメリットもあります。今日は今年2日目のNPO年休で午後苫東へ。NPOの事業計画説明に1時間あまり、苫東の緑地検討会で講師を1時間あまり、そして極め付きは夜、中小企業同友会のハスカップ利活用研究会でハスカップの保全と地域ブランド形成の話を1時間あまり。3バージョンを同じ日にするのは私の希望でもありましたが、それにしてもちょっとハードでした。9時前に無事終了。評価の有無などとは関係なし。いわば悦働の世界(^_^;)
●2/23 おとといの夜は青年寄宿舎の日誌出版の編集会議。やっと、表に出すべき日誌のエキス部分の絞込みが進んできました。出版に向けた編集の一歩が始まった感あり。明治の後半から戦後にかけての学生のこころのうち、それを取り巻く大人、社会のにおいが、会議の中で横溢します。特に宮部金吾先生が、学生たちの飛び出し発言や行為をやさしく包む感じが、すごい。そして学生たちはあそびもなにも選択肢が少ない時代だから、ピュア。こんな日誌に触れえるのは幸運だと思いつつ。
 そして昨夜は、札幌駅のアイリッシュパブで先輩の帰国祝いをT先生と。ビールやらワインやらウィスキーやらを少々ずつやって談論風発。中韓はもちろん、スペイン、イタリヤ、ベルギー、フランスなどバーやグリルがまとまって界隈にあるのはちょっとうれしい。8時に散会し、昨夜も特急で帰宅。
●2/21 快晴。今日は午前中、山仕事へ。いざ。(8時)……と、今4時、帰りました。林も快晴で、もったいないので、小屋に行き、林めぐりしました。もう春の陽射しだから、スキーのシールに雪がダンゴに。(-_-;) 難儀しました。でも、春の陽射しはみごとにウレシイ!
●2/20 白老の森林フォーラムでは懐かしい顔、多数にあって、終了。平均年齢72歳のコミュニティ・レストラン「グランマ」で昼食をいただきましたが、職員のみなさん言い顔で給仕していました。もちろん、広いお店はほぼ満員です。こんなお店でした。
そして 、もひとつ。会場に持参した拙著『林とこころ』15冊が完売。昨年だったかも、ある博物館で完売したことを思い出します。著者としてはこんな嬉しいことはありません。出版してから5年半、ジワジワと。
●2/19 王子製紙の栗山の博物館が閉館するというニュースが入りました。ドロノキという素材を品種改良していち早くバイオマスの開発などをしてきた林木育種研究所が前身で、わたしはここの千葉茂元所長やスタッフの方々に、サラリーマンの初期に、いろいろと勉強させてもらいました。そんな縁もあり、方策を探るOBのお話に耳をそばだてました。恐らく、NPOの出番になるのではないか、と思いますが目を離せません。
●2/17 実に冬らしい冬ではないでしょうか。今朝は、わたしの出勤する6時30分、苫小牧の自宅あたりはマイナス11℃でした。しっかり冷える、ということは、風がない快晴の日が多いことの裏返し。冷えても寒さを感じない、だから、「こんな冬なら毎年でも」と思わせるわけですね。冬は冷えて、夏はうんと暑い。こう望んでいる人は意外と多いです。
●2/14PM 下を書き込んで5時間後。パソコンの前で午前を費やしたので、そそくさと小屋の駐車スペースの除雪に出かけた。コレさえしておけば、ヒュッテンレーベン(小屋の暮らし)はいつでも可能。しかし、このストーブはほとほと熱効率が悪くて小屋は温まらない。小屋が寒すぎるせいももちろんあります。ほぼ冬の室温はマイナス10℃ですからねえ。(^_^;)
●2/14AM 今日も青空が広がる朝。パワーポイントのファイル作りを終えたら、もう一度小屋にいって、駐車場の除雪をしよう。薪ストーブにあたるのも捨てがたいし。
●2/13 明るい日差しを浴びると、胸が膨らむようです。今日は終日、いろいろなことを希望色に見立てて考えることもできたような気がします。そろそろ、雪目を心配しなくては。あれは痛い、そして涙ぽろぽろ泣きっぱなしになるから要注意だ。小屋の屋根のツララから落ちるしずくを偶然画像で切り取ることに成功。タップリ雪が降って、林床の雑然さがほぼ消えた。地面は真っ白である。こういうときは、スキーを出したくなります。シールをつけたスキーのスベリも快調で、早春の喜びを独占した思い。一方、それから出かけた大島山林では、残念ながら、3本セットの掛かり木は、整理が能わなかった。ツル伐りや掛かり木、倒木の整理はまさに人生のようなもので、一筋縄にはいかない、けれど充実しているという感じ。ああ、社会にとって限りなく雑事に近いこの作業の手ごたえはうまく表現するのはむずかしい…。
●2/11 昨夜は北の森林と健康ネットワークのゼミで約二時間の講演。先月の1回目は「里山の手入れの現場で見てきたこと」、そして今回は「林とこころはどうつながるのか」。特に今回は、林との長い付き合いで気づいた冥想的な部分も少し丁寧にお話しました。ことがことだけに、話さなかったほうが良かったかなあ、という迷いも反省もつきまといます。ただ、話しながら、林とこころのミスマッチはGHQ(おっと、おおげさか)や科学信奉、都市文明崇拝などの社会環境が創りだした悲劇なんだなあ、と思い始めました。で、ひるむこころを奮いなおして、チャンスがあればまたやろう、と考え始めました。なぜ、今、NPOなどが身近な林の手入れを始めるのか、その意味もはっきりしてきました。こんなにたっぷりと、「ひとりよがりな」「林の体験」を話す機会をもらえるなんて、なんと幸せなことか。
●2/9 日曜の山仕事では、10人ほどの助っ人が駆けつけてくれたので、路上駐車が満杯に。個人宅や除雪の邪魔になってお叱りをうけました。そこで今日はNPOの代表理事の名前で、
町内会にお詫びの手紙を送りました。思えば正式には会長以外にメッセージを送ってもおらず、何となく通じていると思い込んでいました。こういうメンテナンスって欠かしてはいけないし、実は欠かさないできたものでした。猛省して再出発です。
●2/7 その苫東ウッディーズのnokoさんから布草履をペアでいただき、早速履いています。フローリングの家なので、いやいや、音が静かで断然暖かいです。なにか、ほんわかして、裸足なのにぬくもりが湧いてくる。不思議な草履です。
●2/7 胆振でも滅多に降らない大雪の日に、札幌から雑木林の手入れの応援に約10人がおいでになりました。その名も札幌ウッディーズ。苫東・大島山林の入り口部分から、徐々に奥へ入っていく風致作業の、強力な助っ人です。こちらはそのこぼれだね「苫東ウッディーズ」、キャンディーズのような熟年女性が登録ナンバー2と3を占めています。(^_^)v
●2/6 宮本太郎著『生活保障』、五木寛之著『歎異抄の謎』を読み終えました。前者は通勤だけで10日ほど、後者は2日ほど。続いて、山折哲雄著『親鸞を読む』と福原直樹著『黒いスイス』を読み始めました。本当は小説を読みたい気分なんですが、どうも、手が出ません。しかし、小説のようにガンガン読み進める読書をしたいんですね、本音は。感性を全開にして。その点、読み直し、戻り、傍線をひきつつ、という鈍行列車的な読書は、勉強でありいわば「仕事」。松岡正剛氏のいうような、まさに本はメモ帳と化すのでした。(笑い
●2/3 今日は節分、恥ずかしがりながら家人と豆をまきました。明日は立春。言葉ソノモノが、いい響きです。でも、ここ2,3日の寒さは半端でないものでした。朝はマイナスの12,13℃、今晩、駅に降り立ったら11℃。久々に鼻毛が凍ります。しかし、素直ないい冬、といった感じ。
●2/2 砂川神社訴訟の日記「どっとねっと」にのせたら、本州のH さんや英国のMさんなどから、目からウロコの話題が寄せられ、レス交歓は50を超えました。人知を超える世界と社会。そのコントロールと歴史。展開はとてもとても勉強になります。この地域SNSの登録は↑から。
●2/2 最近、比較的
アクセスの伸びる日があります。50ほどですが、低め安定の固定のお客様に支えられてきたのがどうしたのか、と不思議に思います。NPO関係のリリースのせいかもしれませんが、依然不明。かねてお知り合いの方々との再会などがどんどん続いており、これはひとえに感謝。
●1/31 金曜日29日の夜、第1回目のNPO理事会。事務的な連絡と打ち合わせはさっさと進めて歓談。会員の募集は4月からに。思いがけない企業へも団体会員のお願いに行くことになった(^_^)v。今日の北海道新聞の朝刊(苫小牧・日高)の「人ものがたり」には、「美しい森、追い求めて」のタイトルでわたしの動機やプロフィールなどの記事が掲載。これが意外に大きな記事なのでもうびっくり。後日、スキャンしたものをリンクします。身の丈の地味な作業をこなしていくスタンスがよく書かれて好感を持ちました。
●1/28 今読んでいるのは、宮本太郎著「生活保障」、コレがなかなか進まないところへ、昨夜は五木寛之著「歎異抄の謎」を購入。どうも、こちらはすらすらと進行して読破寸前。著者の訳とは言え、数百年の時空を超えて、人の行き方を根っこのところで問いかけているのが少しだけわかります。
●1/27 砂川神社訴訟の判決のあと、SNSで神社と欧州の歴史事情などと比較して議論しました。GHQに廃止された神社の系譜は、やはり大事な感性と価値基準をも失うことになった、という見方があります。そして自然信仰まで排除されてしまった感があります。わたしの山形の郷里でも、土地改良のため鎮守の森も売却するなど、個人の田畑を残すために共有地を処分したようでした。こんな風潮のなかで、どう自然との向き合い方をリカバーできるのか、そもそもそれは不要なものなのか、むずかしいテーマが目の前にあります。

●1/26 数日前、たまたま異業種の方々と新年会。飲める人達だとは知っていましたが、終わってみるとワインは一人あたり1本を消費。どっひゃー!コレくらい飲めば、飲んだー、という感じも味わえますし、談論風発、千客万来のムード。消費量は多そうなビールとワインですが、さて文化まで熟しているか、という疑問がちょっとします。きっと、まだまだですね。
●1/24 札幌と苫小牧のウッディーズが合同で山仕事をすることになりました。夕方はボランティアでフットパスなどの地図を創ってくれるMさんも加わり、解散前は総勢6人で氷の路上で歓談。さすがに手馴れた方々が集まれば、風景はどんどん変わっていきます。爽快感あり。

●1/23 朝、とんとんと窓をたたく音。隣のOさん、「タラ、食べないかい?」と。こうしてスケソウダラを2本いただいて、なかなか絵になるポーズ。で、さばく前に絵手紙を一枚描きました。↑ 上手下手をあまり考えずに大胆にかけること、そして一言をひねる楽しみ。こうしておもむろに出刃で切り身に。 合掌
●1/23 昨夜は北海道神宮で人と地域のつながりに関するフォーラムに参加。権禰宜(ごんねぎ)のKさんの話はこういった席では珍しい興味深いものでした。ただ、つながりの最も原始的な部分、つまり自分と自分、自分と土地や風土、という部分にはどのパネラーも触れられません。アンタッチャブルでもあり、合意の可能性もないからだと思われますが、神社というのはこれから日本的な風土とのつながりのシンボルとして在り様がある、と密かに思っているのであります。…
●1/21 BSハイビジョンで北欧紀行はフィンランド。小林聡美は「かもめ食堂」でおなじみでしたが、いかんせん、フィンランドの林がほとんどでないで、「フィンランドには森があります」などと言わせているアンバランスがいただけないと思っていました。それが今回は湖もムーミンもタップリ。(^_^)v
●1/19 今日はどうしたことか、帰宅すると二つの贈り物。ひとつは栗山の「ワークセンター栗の木」坂本さんから栗の木健康パン。先日のNPOの検討会でほぼ30年ぶりにお会いして森づくりとハスカップの話をしたばかり。そして今日は苫小牧のハスカップ研究会の大西さんと苫東会社でお会いしました。なにか、ハスカップが呼んでいます。2月、苫東のハスカップの話をしてくれ、と頼まれました。もうひとつは、待望のデコポン。熊本の山仲間・大見大兄から。お礼はメールにしようか、絵葉書にしようか、それとも今年始めた絵手紙にしようか。しかし絵手紙はまだ自信とゆとりがないです(^_^;)
●1/17 苫東環境コモンズのページを少しずつ拡充しています。法人登記が済んだことから、今日は設立趣旨と定款を「環境コモンズとは」に挿入。そしてもうひとつ、このNPOの母体ともいえる森林愛護組合が実施した3シーズンの育林活動の報告書『雑木林からの発信』(h12)。学生さんを中心とした選考会の実況の再録が圧巻です。森づくりの夢に燃えた彼らは、今、日本や道内のの各地で森づくりの担い手になっているようです。
●1/16 久々に小屋の薪ストーブの前で時間を過ごしました。そばにいるだけで眠くなる。気温は10度以下でもそうなるから、眠くなるのは室内の気温だけではないのがわかりますし、やはり、緊張がほどけて来る感じはありますね。薪ストーブ=セラピスト説、今年もますます健在ということになります。 
●1/13 札幌法務局苫小牧支局から夕方電話があり、法人登記が完了したとのこと。登記の期日は1月7日。知事の法人認証は1月4日でしたから、受理から順調に2ヵ月半で法人になったことになります。その新しい属性で、夕方6時半から、北の森林と健康ネットワークのゼミで2時間の講演をさせてもらいました。気分一新し、自信を持って思うところを丁寧に述べることにしたら、まずまずのできになりました。我ながら、わたしのテーマは、すき間だなあ、と思いますね。(^_^;)
●1/11 久々の小屋。今年初めて。作業もいいけど、大事なことを忘れてますね。そ、薪ストーブのまえでゴロゴロする薪ストーブのセラピー、現代人に必須の…。よし、今週末はこれでいこうか。日誌には今年来訪者2名の記録あり。

●1/9 年始めの山仕事を大島山林でしました。山仕事ってとっても幸福感があるんですよねえ。あの3K仕事が?と、きっとお分かりにならないかも知れませんけど、なにかはっとするものがあります。数多の情報の中でどう生き残るか、みたいな現代の競争やものさしを飛び越えるような胆力を、この、どこにでもみつかる山仕事は大いに養ってくれるのではないか、そんな浮世離れした夢想もします(笑い)。瑣事、たとえば日常の食器洗いなどにも、この扉は開いているような気がします。
●1/8 午後、市民活動に関するゼミで、若い頃、とても勉強になった方の一人Sさんとばったり。30年ほど前、森づくりの試験地のデータ解析やハスカップの研究などで、手作業、山仕事から分析、学会発表など何でもこなす方々で、自然保護などという頭でっかちな理念に少し距離を置いたポジションにも感銘を受けていました。いわばその後の人生でお手本にしてきたかも。場所を変えて懇談すると、コモンズの記事を見て懐かしく思い会いたかったのだとおっしゃる。今は70歳を越えて、地域でNPOの代表を精力的にこなされている様子です。社会のすき間を埋める庶民のひと働き。これがググッとせりあがって見えました。

●1/6 NPOの知事認証の連絡が来て、正式な知事認証は1/4ということになりました。とりあえず、ワンステップ経過です。今週中に、法務局で法人登記、そして登記の完了届け、あわせて道税事務所の手続きをすれば、事務手続きは完了ということになります。内輪のささやかな乾杯は、その雑務を終えてから、ということにします。(^_^;)
●1/3 快晴でしたからすかさず今年初の
日の出を見に車を走らせました。といってもすぐそこ、家から5分、田中林業さんの裏手のふるさと護岸です。と、背中にはお月様が。快哉を叫びたいような新年の朝。散歩の人もちらほら。みなさま等しく、今年も幸多かれと、合掌。
●1/1 新年あけましておめでとうございます。苫小牧の元日は風もない比較的穏やかな朝を迎えました。元旦はいつもその年に到達したいことや達したい心境などをわざわざしたためたりしますが、昨年の元日のメモをみると、まずまず肯定的な評価をしてもいいような気がしました。ひとつは、描く課題がこじんまりしているせいですが、もうひとつは、自分の力よりもよそからの支えのおかげです。そして、それを呼んだのは「明確な言葉」だったのではないか、と思います。明確な言葉を使うことは、気づきを呼び起こすとともにそれ自身が祈りにつながるような実感があります。昨年お会いしたHさんが、「希望しないで到達した現実はない」という意味のことをおっしゃいまして、なるほどそのとおりと思っていましたら、その後間もなく、宇沢弘文氏と内橋克人氏の対談集のタイトルは「未来は始まっている」でした。まず、明らかな願望をもつ、そこから始まるのだということでしょう。折角だから、今日は大きな風呂敷を広げて見たいと思います。夜半に修正するかもしれませんが。(^_^;) 

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