生成りで語る

第8回


                   ■期日  平成14年9月7日 10:30--14:00

                   ■場所  苫東ログハウス

                   ■テーマ このごろ気になる精神神経免疫学

                        穂高養生園における森林散策

                        ほか


 今回はいつもの男性らが参加できず、女性3人とわたしの4人となった。4人というの  は対話が成立する手頃な人数であるようで談論風発、「キツネつきなどの憑依」「シャーマ ン」「霊感」などなど、かなりアブナイ、アヤシイところへ寄り道しまたは到達した。「か なりあやしい雰囲気ね」。終わりの頃、こう締めくくりながらそう言う本人たちの顔はほ  ころんでいた。由緒正しくあやしい世界に入っていると、いやはや、互いに堂々としたも  のだ。表向き科学的なこと以外あんまり言わないしきたりの日常にいたのだなあ、とこの  日のいやに晴れ晴れしい感じの理由についてちょっと驚いたのだった。           ここでは、このあやしい部分は適当にしまっておいて、わたし・草苅の「穂高養生園」の 体験記を中心に簡単にメモするにとどめることにしたい。また、ドクターがしばしば訪問し つい最近も訪れた癒しの島「バリ島」はいずれゆっくり話題にすることとして、今回は記述 しなかった。なぜバリ島が癒しなのか、これは農とグリーンツーリズムの根幹に関わってい ると思われるのである。                               :あやしい部分については、いずれ、わたしたちが成長し、社会ももう一つの世 界観が生まれる頃(それは意外と近いのか遠いのか)、つまりサイエンスで説明の 及ばない不思議な世界も日常の現象と同じように評価されるまでそのままにしてお くことになるのだろうか。東洋医学や気功、ヨガなどが秘めている心身をトータル に見るホリスティックな立場(後述)は、しかし、しっかりと市井の人々に草の根 的に支持されている。欧米ではすでに国が認知しはじめたようだ。問題は当の東  洋のこの国が及び腰であることだ。最近読んだ「魂が癒されるとき」(帯津良一・ 津村喬著)、「生き方としてのヨガ」(龍村修著)はその意味で目から鱗が落ちる 納得の著作だった。                             ■イントロにOリングテストをする                        約束の10時半まで、わたしはナラタケを取ろうと思い、林を歩いてみた。間伐した雑 木林にはずいぶんキノコの発生が多い。手入れが行き届いている林ほどキノコが出ると語 る篤林家もいらっしゃる。間伐の2年後だったかは、ナラタケの畑かと見まごうばかりの キノコの恵みだった。ところが今日は、先週ので具合とまったく様相を変え、イグチの種 類が2,3見つかっただけでナラタケの影が見えない。うろうろ、林と林道を歩いている うちに定刻が近づき、小屋へ戻る。一人、二人とメンバーが車で集まった。        立ち話のはじめにOリングテストをしてみた。Oリングテストは、自分の身体にプラス  に働く物質を手のひらに載せたときに、親指と人差し指でつくるリングの力が強く、マイ ナスのものを載せたとき力が弱まるというもので、パートナーがそのリングを指で開こう とするときの力の大小で判断する。わたしは薪や木の幹などにふれると体の反応はどうな のか、興味があったのだ。ドクターは薬が患者にあうかどうかを見るときなどに使うこと があるといい、少なくともタバコを手のひらに載せると力はほとんどの人で弱まると言っ ていた。わたしは左手の結婚指輪が気になってやってみたがどうもあっていないみたいだ った。逆に薪を手にしたときは強くなったみたいだが、実のところよくわからない。今度 もっとゆっくりやってみよう。                           ■精神神経免疫学とこれから                            小屋に入るとちょっと暖が欲しいような気がした。ドクターもそう思ったのか手際よく 外へ薪をとりに行き、わたしは新聞紙とカラマツの枝をストーブの中の床にすえて、薪を のせマッチで火をつけた。わたしたちは、小屋のストーブの周りに車座になる。      最初に口開けとして、一番新しい森林・林業白書に出ていたデータを紹介した。これは 岐阜県による森林浴の効果実証実験で、森林と都市の中のウォーキングを行い心身に現れ る変化を測定したものである。この結果では、免疫力の指標になる血液中の免疫グロブリ ン量は、都市環境の中では低下、森林環境では増加した。また、免疫担当細胞であるナチ ュラルキラー細胞の活性度は、森林環境の方が都市環境の倍以上高かった。つまり森林環 境下でのウォーキングは身体に絶大なプラス効果があるという結果である。        「そんなこと言ったって、マチの中に森林環境なんてないじゃない?」。そのとおりで ある。だから市民は騒音の多い通りや緑のない細街路などでも我慢して歩き、家庭の庭を 代償にしたりして散歩するのである。ここで、話の方向を見誤ると、「だからみんなで郊 外の林に行こう」「公共の大規模公園などはそのためにある」とあいなる。        しかし、本来の理想を思い起こせばそうではない。「みんなが一番行きやすい町の中心 に大きなちゃんとした緑を持とう」となる。あるいは、「緑の多い郊外や田園や田舎で暮 らせるように仕組みを替えよう」。どうも、森の散策ができない都市は欠陥だと自覚した 方がいいのではないか。1999年、日本の医療費は対GNP比で8.19%だったらし いが、このまま行くと、2035年には倍の16%となって現在のアメリカ並みになると いう試算がある。                                  8.19%というのは実に32兆円弱。おえ〜!すごい!米国人の医者にかかる人の9 割は自然治癒によって治るものだ、というのだから、森林散策によって免疫力を高めると いうのは、極めて経費節減の経済活動と言うことになる。なにもかにも経済でけりを付け ようと言うのはわたしの本意ではないが、公共が国民のためを思って計画する福祉や民生 の構想の多くは経済的な裏付けを重視するきらいがあるから、くどくど述べているのであ る。そうか、経済的にもその方がいいのなら、やらない理由はない…。とまあ、こういっ てほしいところ。                                 ■穂高養生園にて                                  森林散策や林内の作業が精神に障害を持つ人々に治癒効果がみられるということは上原 巌さんの研究やレポートの紹介を通じてこのページでも多少ふれてきたところだけど、先 に書いた自己治癒力を支援する療養に森林散策を取り入れている別の事例をこの春に知っ た。それがこの穂高養生園である。ホリスティック医学の立場にたって、生活習慣病(か つて言われた慢性病)の療養者等を受け入れる長期療養の滞在型施設で、温泉もついてい る。ここへ7月18日から20日まで滞在しプログラムを体験した。          養生園の正面。緑の中に埋もれている。  わたしが養生園を知ったきっかけは星寛治著「農から明日を読む」での紹介だった。そ こでは次のように記されていた。「…長野県穂高町のセルフ・ケアハウス穂高養生園では 食餌療法と森林浴、温泉療法、鍼灸治療などを組み合わせ、ホリスティック医学を実践し ている。東洋医学、食養と、ドイツのクアハウスシステムを総合して、人間の自然治癒力 を高め、慢性病の治療と健康増進を実現しようという目的を持っている。安曇野のゆたか な自然の中で実体験(農作業など)も加わって、入園者は次第に元気を取り戻していくと いう」。                                      実際に行ってみて星さんが描写したことがほとんどその通りと感じられ、とてもいい体 験だったと思う。星さんが養生園を記述した文脈というのは、農や林に本質的に癒しの面 がありグリーンツーリズムの静かなブームはそこへの気づきがもとではないか、というも のだったのだが、これはわたしがこの北海道で見聞きして考えていたこととずいぶんつな がることが多かった。ただ、こちらは医学的な部分はずぶの素人だから、焦点を癒しのひ とつの現場となっている「森林散策」とその「路」においた。ここで使われている散策路 がどのような植生の、どんな整備具合の、どの程度に負荷があり、どれほどのバラエティ ーがあって、人たちはどのように参加し、どう感じているているのか…。         以下、ひとつひとつのステージやプログラムでわたしが感じたことを簡単に書いてみよ うと思う。所詮正味二日の、ショートステイ(2泊3日のわたしが一番短かった)の中の 印象を書くだけなので、確信を見抜いていない、あるいは的を得ていない部分もあると思 われるのだけど、そこは是非、ご自分でも体験してみることをおすすめしておこう。(ち ょっと強引かなと笑いつつ)。                           注:ホリスティック医学                         ホリスティックHOLISTICとは、ギリシャ語のHOLOS(全体的な)が語源    とされ、ホリスティック医学とは人間全体を見る医学という意味。人間の部分 に注目するあまり、全体を見ることを忘れてしまった近代西洋医学に対する反 省からホリスティック医学の考え方が生まれた。1978年、米国でホリステ ィック医学協会が発足し、日本の同恐々会は1987年に設立。ホリスティッ ク医学をつぎのように定義。@ホリスティック(全的)な健康観に立脚A自然 治癒力を癒しの原点とするB患者が自ら癒し治療者は援助(治療よりも養生) C様々な治療法を総合的に組み合わせるD病への気づきから自己実現へ  注)帯津良一・津村喬著「魂が癒されるとき」より   ■わたしが過ごした養生園の一日概観                        松本空港からJR松本駅に出て大糸線にのって穂高からタクシーで養生園へ。千歳を出  てから3,4時間である。穂高の田園地帯から山沿いに少し入ったアカマツ林の多い山里 に目的の養生園があった。タクシーの運転手は、「地元の人が行くと言うことはほとんど ないと思うけど、雑誌などに紹介されているから東京だけでなく全国からお客がやってく るようだ。女性が多いかな」と話していた。                      到着した木曜日は休園日でプログラムは行われないが、食事は出されるので何人かの宿 泊客がいた。受付を済ませ施設内を案内してもらった。ほぼ同じ時刻に受付して一緒に案 内されたふたりは九州から来られた方だった。自生していたように見えるカエデやカラマ ツやおおぶりの灌木が生育している傾斜のある庭を、建物がコの字型に囲んで、その建物 部分から庭のほうへ木製のウッドデッキのテラスが張り出している。ヨガをやったりする にはとても気持ちのよさそうなスペースである。焦点が空、庭の緑の茂みにある。蚊がい ない。夕刻ひぐらしがいっせいに鳴き始める。                    ホールからウッドデッキと庭。ここはとても気持ちがいい。  居室は畳のベッドに布団のセットが端正に布でつつまれ置かれて、自分でベッドメイク する。その部屋とサービスのシンプルさにちょっと感動する。ああ、ここで短いけれどよ りよいライフスタイルを考えるひとときを過ごすのだと、謙虚な気持ちになることができ た。ダウンシフター(減速生活者)のライフスタイルに飛び込む準備段階のような雰囲気 を持っている。廊下には医療、特に東洋医学や代替医療、ヨガ、自然関係その他様々な書 籍の棚があってここで何冊か手にとって読める。薄いカーペットが敷かれた廊下は素足で 歩くので物音がしない。廊下でわたった別棟に瞑想用のドームがある。そして中房温泉か らひいた湯をつかった浴場。「近代化へのがんばり」というものからするりとすり抜けた たたずまいは、どこか日本的ではありながら、多国籍の、あるいはすこし南国的なものに 親和性がありそうな興味深い場づくりである。いや、食事などすべての合図を木鐸で行う ことで思い起こしたのだが、「道場」的というべきなのかも知れない。そう、そう考える とわかりやすい。                                 ■プログラムはどうなっているか                           一日の時間設定はこのようになっていた。                     8:00 森林散策かヨガ                               10:00 朝食                                    13:00 治療(希望者)                               15:30 リラクゼーション(各種のプログラムあり)                  17:00 夕食                                    これ以外の時間は、いわゆる自由時間。わたしは散策に出るか読書をしていた。療養の場 だからもちろん禁酒禁煙であり、早い夕食後は読書のあと、横になって深呼吸していたが 9時半頃に眠ってしまった。そして、夜明けに目が覚め5時にホールで五穀のお茶を飲ん だ。静かなりんとした空気の中で、五穀のお茶の味わいを満喫した。味覚が磨かれている ような感じ。その広い床のうえでヨガをした。初めての地なのにもかかわらず、静寂の中 で瞑想する時、自然とつながる空気と自分が一体となるような思いにたどり着けた。場が とても集中させる雰囲気を持っている。                        個別の内容はおおむね下記のようにまとめられる。                 食事:自家製の野菜や玄米が中心。信州産の穀物(玄米、あわ、ひえ、きびなど)と野菜    を用いた自然食を1日2食。初日の夕食は、お茶碗一杯の玄米、かぶをすり下ろし    スープ、バジルをのせたノンオイルのスパゲティー、きびのハンバーグ、ズッキー    ニの肉詰め、デザートが雑穀のプリンにココヤシと豆乳を混ぜたクリームがのった    もの。翌日の朝は、玄米のほか、水切りした豆腐と野菜の和え物、ひじきの煮物、    キャベツのおひたしの梅肉あえ、とろろ昆布のみそ汁。もひとつついでに2日目の    夕食は、小豆入り玄米、グルテン入りのうどん、温野菜(キャベツ、ジャガイモ、    かぶ、タマネギ)、デザートはくずの力もちのメープルシロップ付き。いずれも味    わい深い食事だった。腹6分、といったところだが、味覚がどんどん研ぎ澄まされ    ていくのがわかる。                                 食事のあと、自分が使用した食器を洗って収納する、というのは新鮮だ。食器洗    いが好きなわたしは特にこのわすかな作業が印象に残った。           外のウッドデッキでいただいた初日の夕食。食べ物にメッセージが感じられ、 何か感謝したい気分で手をあわせる。                   運動:養生園を起点とした森林散策が中心。現在7コースを用意しており、日毎にルート    を替える。緩い坂急な坂があり、ある程度、基本的な体力は必要。所用時間は1.    5から2時間。インストラクターがリードし、雨天の際は傘をさして実施する。こ    れは次に体験記を紹介してみよう。                      リラクゼーション:3時半からのリラクゼーションは、ヨガ、瞑想、イメージ療法から調    理など、いろいろなプログラムがあるようだ。この日は参加者に代表が打診しなが    らジャーナルライティング(JW)ということになった。かつて米国からJWの専    門家が来訪したのをきっかけに始まったらしいが、要は日本人があまり言い表さな    いところの I want を正直に自分でテーマに沿って書いていくエクセサイズであ    る。これがどうリラクゼーションにつながるか、想像できないで始めたが、なるほ    ど、普段考えようともしなかった心の隅を見てみる自己内観は心のリラクゼーショ       ンになる。                                    治療:このほか鍼灸やマッサージなどの治療が希望者に施される。           ■森林を散策してみる                               8時、木鐸がなって、散策の合図。用意された傘を持参して雨の中を出発。参加者は宿 泊客の約半分の7人。インストラクターの方はストレッチパンツをはいて軽装。1時間半 から2時間の予定で、最も負荷が軽いというコースに出発する。養生園が使う散策コース は現在7コースで、かなり急斜面を上るコースもあるらしい。もともと、有明山は修験者 の修行の場だったから、厳しい斜面のコースをとるのは容易かも知れない。       まず別荘の建つ一帯を抜ける。  散策は玄関から建物の脇を通って別荘地をぬける舗装路を上り、中房川にかかる吊り橋 に下った。渡って岩場を上って再びアカマツ林の林道を里の方に下った。傘をさした面々 は無言のままただ歩いている。年輩の婦人はちょっとつらそうで、開けたところで待ち合 わせると5分以上遅れていた。普段、歩かない人にはつらいはずだ。林はほとんど民有地 だとのことだが、ゴミや不法投棄の気配がない。散策路のはじめの部分には自然歩道の標 識があったが、いつの間にか見えなくなった。アカマツ林は手入れのされた快適な林相で 左手下に中房川の沢筋をのぞむ。見通しがいいが、遠くまで見通せる状態でもない。路面 はでこぼこの少なく歩きやすい。                          いよいよ歩道に入る。サインがある。  里に近くなったところで、もういちど林の方へ右折した。婦人は、厳しいなら帰りたい と申し出た。大丈夫、ゆっくり行こうとご主人が励ます。アカマツとカラマツが混じる林 を抜けるとぽっかり安曇野の平野が見える高台に出た。段々畑、民家を抜けて寺の境内に ついた。ここでちょっと休み、舗装道路を上って再度山道に折れた。中房川の右岸の林の 道をたどって出発の吊り橋に出た。そのまま、養生園へ戻る。1時間40分ほどのコース は、変化があり、負荷は大きく感じない。しかしそれも個人の体力によるだろう。    中房川の橋。コースが変化ををもったものに変わる。効果絶大。 渓谷の景観は、里山よりずっと深いところにいるなあと感じさせる。 アカマツの林をのぼる。しばし負荷がかかる。 ほとんどの道はとても歩きやすい。ブッシュもおおいかぶさらない。  翌日は5時起床して、ホールで30分ヨガをする。ひんやりした部屋で雑穀のお茶を飲 むと、やはり実に味わい深い味がする。6時、前日の散策コースを一人で途中までたどっ て7時に戻る。8時の木鐸でホールに出向くと、ヨガだったはずのプログラムが都合で散 策に変更するという。ちょっと残念だったが、新たな散策コースを途中まで行ってみる。 今回は急な展望地を巡るルートであり、常連の女性たちは「地獄だ」といってキャンセル した。コースは有明神社の脇を通って稜線にでるものだが、里を累々と歩く。その沿道に は道祖神が何体も祀ってあり楽しめたが次の予定があったので一行とは途中で分かれた。  以上がわたしの森林散策体験のすべてである。様々な土地の所有者の林を入り会い的に 通過させてもらうもので、日本国中、山里ならどこでもセットが可能なレベルだと思う。 平坦な苫小牧なら負荷をかける斜面を探すことがむしろ難しいが、平坦な苫東のような雑 木林はその分、時間やスピードで負荷を調整すればいい。インストラクターがいるのはい いかも知れない。わたしは個人的に散策はひとりでしたいけれども、イントロ部分は初め ての土地でもあり導き手は必要であろう。                      少しブッシュのかぶさるところもある。 ■これからの医療における森林の位置づけ                       代表にお話を伺った際、来訪者は散策にいくときがもっともリラックスして見えるとい い、心を開いてつらい体験などを語り始めることが往々にしてあるという。また、森林を 森林浴の効果ばかりで評価していては森林を小さく見過ぎていると指摘された。わたしも それは同感で自己内観をともなうこころの動きにもっと重きをおいていっていいと思う。 人間の魂と樹木が交信するようなつきあいをわたしならゴールにしたい。そしてそのため には、自らひとりで歩く動機を見つけなければならないのである。            ではどうすればいいのか。それには行きたくなる森林がまず存在しなければならない。 アクセス性が高くなくてはならない。入って行きやすい植生とデザインも求められる…。 日常的な森林散策となると、いやはや実にたくさんの壁が幾重にも重なって見えてくる。  ただ、話を林から施設とか仕組みに戻すと、このような生活習慣を根っこから考え直す ような、たとえば忙しい現代の日常を減速生活者としてギアチェンジするような契機とな るひとときを、インストラクターのいる場で見つけ、そんなサポートする人たちもいる環 境こそ、日本の各地にあってほしい。幸い、森林も手つかずで残されており、温泉もとて つもなく多い。これからはいわゆる温泉観光というジャンルではなく、こういった個人的 な癒しと気づきの時間を人と森林と温泉が一緒に提供していくという兆しも少し見え始め ている。そしてそれは本来的であるように見える。                   ただひとつ心しておかなければいけないのは、こういった人々のニーズに過剰に反応し て、ハコモノを作ってしまいかねないことだ。専門的なスキルと接客のホスピタリティー レベルと、なによりホリスティックな医療の動機を持たずに温泉と結びつける商業主義は 考え直した方がいいのではないかと思う。一歩間違えば似て非なるものになりかねない。 その点、養生園はホリスティック医学の実践の場としてポリシーをしっかりともたれ療養 のメニューもサービスの面でもソフトの蓄積が感じられた。                     ■8回目を終える                                  冒頭に書いたように、今回はわたしの報告の前後に多くの寄り道をしたため、わたしの 記憶がバラバラになってしまった。妙に楽しかったし、普段使わないキーワードもでてき たのだけど書き記すレベルのものともちょっと異質である。しかしながら、それが「生成 りで語る」ことだと思う。まだ熟成しきっていない思いでも、まあ、気兼ねなく言える状 態というのは得難いなあと思われる。いわばカタルシスのようなものだ。         ドクターは数日前までバリ島の奥地にいたという。バリ島は全体が癒しの場だという指 摘をたまたま目にするけれども、シャーマンというのかメディスンマンというのか、そう いったアプローチは一種のホリスティック医学であろうと見られる。森林をメディスンス トアと考えていたというアイヌの人たちもホリスティックな手法を体系としてもっている ように思う。というわけで、次回はアイヌの人の話を直接伺えるかもしれない。                                      



トップページ
第1回
第2回
第3回
第4回
第5回
第6回
第7回