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2016年、日々の迷走 
■12/29 積雪60cm
 
休暇の初日、テントのストーブ脇で昼食をとってから山仕事。積雪は60cmもあって、スノーシューが必須、したがって、えらく仕事がてまどるというか、全くはかばかしくない。考えようによっては、ストレスだ。でも、ナラ独特のにおいを嗅ぎつつ仕事納めができたのはラッキーだし、重い丸太を大トビで転がし、ひとつずつ積んでみせて、やっとちょっとだけ溜飲を下げた。後ろにも70cmの丸太の小山をひとつ作る。
■12/28  言葉のチカラ
身の回りの猥雑なものを排除して身ぎれいに整えると、心地よい空間が生まれ、維持すれば、続く。言葉も、良いものを使い丁寧な言葉選びを心がけると、内側から精進へ向かうようなチカラがあって、人生は変わっていく。シャワーのように善良なメッセージを浴び続けると、私のような単純な人間は天にも登る気がしてくる。7月、宮島の厳島神社でいただいた御御籤(おみくじ)はまさにそれに近い。そのまま素直に心にとめて過ごしてもうすぐ明ける。
===白檮宮兆(かしはらのみやのちょう 大吉) 40===
これは末の子に生れても、そうりょうのやくを務むるうらかたにて、上たる人は国を治め、
下々の者は家をおさめ、すたれたるを起し、絶えたるをつぎすえずえ栄ゆ、労して功あり、
めでたきことも数々。(略) 思うこと、願うこと、かなわずと言うことなし、よき種をまきて
豊年にあえるがごとし。

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わたしは末っ子なのでまず冒頭の一言に注目。そして「下々の者」は家をしっかりと保ち、下火になって衰えていくのを立て直して栄えさせるという。それが無駄に終わらないと励ます。積極心の奨励だ。これは当HPにおいでくださったみなさまにお贈りしたいほど普遍的な意味がある。。胸膨らむメッセージというのは確かにある。

■12/24 氷で輝く林

大雪で荒れた水曜日、余波が安平の雑木林にも及んで木曜日はみぞれと高めの温度。おかげで林は重い水気を得て凍り、枝がダイヤのように光った。枝はたわわにしなってしまった。しかし、嵐のあとはいつもかくも見惚れるほど美しい。
■12/22 原野の開墾生活
 

 
森々と雪が降る北大構内。前後に聞こえる声は若いアジアの人たちのもの。こうして北大という構造の中で見る雪景色はちょっとした冬を体験する舞台装置になっている。異国の人はそれが格好の観光になっているようだ。
彼らが博物館に入ったので私も久々なので入ってみたら、幸運なことに一角で坂本直行さんのスケッチブック展が開催中だった。観光客はここには誰もおらず独占状態となり、下野塚の開墾生活に思いをはせた。縦横が3間と4間程度の掘立小屋で、奥さんによると背筋が寒くなるような貧しい暮らしをしたと語られていた。その寒さ、雪、はかどらない開墾。人生の展望をどう立ててきたのか。
しかし残されている写真は、サムライのような凛とした姿勢がみえ、山仲間を中心とした友人知人の来訪と交友も支えになったようにみえるが、逆に来訪者が直行さんの原野生活に励まされたのではないかと感じた。驚いたのは下の列のスケッチ。数十年前に私が描いたポロシリ岳やアポイ岳のイメージだ。私はきっとそれほど入れ込んでいたのか。それとも山で急いで大きく描くとこうなるのか。きっと両方だ。23日、苫小牧も前夜からの大雪のあと雨が降った。

■12/19 今、一番日の出が遅い
 
JR植苗駅でわたしの通勤電車のなかから撮影。もうすぐ冬至ですからね。ま、無理もありませんが、この時期、家を出るころは車はヘッドライトを付けていきます。これが間もなく冬至のころから折り返すと思えば、ハッピーな気分になります。なに、これがバネになるというのでしょうか、新年を過ぎるころから春に向かう気分がいや増します。それにしても朝マズメの光を浴びることのできることは、幸せ。
■12/17 作業テント、雪でつぶされ復旧、何事もなかったように作業
 
まさに、何事もなかったように仕事ができたのは、町内会の方々のおかげだ。テントが壊れていたら、今季の山仕事は停滞、あるいは頓挫していたかもしれない。
■12/16 札幌駅の蕎麦紀行
 
JR札幌駅の構内にある、知る人ぞ知る、隠れた名店。2か月ごと、異なる道内産地のそば粉を使って店に出す。この日は厚真産。冬は、小エビの入ったかき揚げが人気になる。オススメ。
■12/15 雪でテントつぶれた!
林の現地からは、作業の前進基地である青テントが、先週末の雪と、昨日の雨で、つぶれたとの情報。明日、さっそく、地元の会員が修復のパーティを組んで作業の予定です。昨年まで、崩壊防止のために、ハウスの中央部分2か所に、つっかえ棒2本を差し込んでいたアレを今季、そこに慢心して手当てしなかった結果です。猛省するのみ。(写真は10日前)











■12/13 お詫び・リンクのミスが多発していました。
ホームページのURL変更に際して種々、古いページをめぐってみると、思いがけないところに多数のリンクミスを発見しました。ごめんなさいまし。雑木林だよりは、今晩、aigo4-85までは訂正しました。あしからず、よろしくお願いいたします。
■12/12 歳をとってからの生き方指南

渡部昇一著「実践快老生活」を読む。凡人にとって最も幸せなのは家族だ、という述懐をはじめとして、前期高齢者ライフにはいったわたしにも、かくありたし、というメッセージのような言葉の数々に惹かれつつ読破。長生きしている方が、一番体にいいのは「仕事が成功すること」とおっしゃったという。これはまさにそうだと思う。ついでに言えば、どんな企画や計画でもうまくいくようせっせと励み準備することが人生のつとめでもあり、醍醐味だと思う。また、読書に際しては重要部分には線を引きメモもして自分の蔵書にしていく。そうすればあるとき思いついて探しても考えていたことが蘇る。買った他人の書籍が文字どおり蔵書になって思考の蓄積になる。碩学が語る人生のコツに襟を正して耳を澄ましました。




■12/10 山の神参拝
    

 
大荒れの日となった。JRは軒並み運休、飛行機は欠航が相次いで、さてわれわれの山の神の参拝は、決行された。札幌方面の2名が不参加となったが、現場は粛々と執り行われた。つた森山林の山の神の鳥居に参拝後、大島山林のドロノキに赴き、この一年の安全と健康に感謝し、これからの1年の安全を祈願した。土ソリ(右上)の引き渡しも受け、スノーモービルを格納庫から出してけん引してみた。滑り出しは良し。
■12/06 環境コモンズフォーラム

6回目を北大百年記念会館で12/5に開催しました。行政、コンサル、NPOと研究者など、多彩な顔ぶれが70人ほどが参集しました。公共と民間とでは土地の扱いは違うものの、一般市民ももっと深くかかわるのは同じです。その最適なルールを求めて重層的に自然空間を管理し利活用する。地味ですが大事なテーマ、まだまだ議論と実践の余地があります。いえ、ある意味、始まったばかり。

■12/04 「高機能の目は神様しかつくれない」
 
月刊誌「致知」12月号で、遺伝子工学の村上和雄氏と、アブドラ王国科学技術大学の五條堀孝教授が面白い対談をしています。ダーウィンの自然淘汰説は発表された当時、キリスト教会社会から大変な反発を受けたのは有名な話ですが、その最大の根拠は「目」だったといいます。目のような高機能なものは自然(淘汰)ではできない、神様しかつくれない、というものでした。それでもダーウィンは説を曲げなかったわけですが、五條堀教授は、プランクトンやバクテリアからロドプシンという目の遺伝子が、人類の祖先のクラゲのようなものに移っていったことを発見。植物などから動物へ移動した、と。そしてそれを支えたのが生物の多様性だというのです。この無駄にも見えそうな多様性が、わたしたちの周りにはあふれていますが、目からウロコの心地でちょっと襟を正してこの対談を読みました。今日の真夜中のことでした。
■12/03 今年の山仕事始まる

小春日和のなかで、午後一番、目立てする。午前中のナラの玉切りでだいぶ切れ味が鈍ったから。
■12/02 救急看護師
北海道の地域医療の現状と課題を考える研究発表会(11/29)を、勤務する財団の仕事として開催。地方創生などの旗印の基礎になるのは地域でどう安心して暮らせるか、ですが、そのかなめになる救急看護師の定着率の低さが全国的に課題になっており、研究はその原因究明と対策でした。発表した医大の先生のお話では、予想された通り、日常のストレスフルな救急対応そのものが原因でしたが、年功を積むにつれ、やりがい感も高いという評価も聞きました。生死を分ける対応、そこを見極めるとっさの処置判断では、打ちのめされるような厳しい経験も多々あるようです。しかし、そこで求められていたのは、動じない精神力のようです。事前教育と学習、それと経験が目下の対策でしょうか。わたしたちの日常でも養っておきたいとっさの判断のために、もうひとつ加えたいのは、「肚(はら)」の養成。深い呼吸と瞑想が思い浮かびます。
■11/28 料理本は脳を刺激
 
西加奈子「ごはんぐるり」という料理の本をぱらぱら楽しんでいます。「花のズボラ飯」「深夜食堂」「孤独のグルメ」などの漫画も大変面白かった。どこかクリエイティブな、脳を刺激するみたいで、快感があります。素材、組み合わせ、調理と味付けの工夫など実に二度とない創造のせいか。古い話なら明治時代の村井弦斎の「食道楽」も超ベストセラーだったと聞いて読んでみた。いやいや、なかなか凄い傑作。檀一雄「美味放浪記」、水上勉「土を食らう日々」、開高健「最後の晩餐」、浅野陽「酒呑みの迷い箸」などなど、思い出の品々が思い浮かびます。忘れがたい料理本に出会ってきたものです。これももとは食と酒への執着がゆえ。それに巡ってくる季節の恵みへの期待と隣り合わせでした。これが薄れたら、ダブルでダウンです。余命が少ない時かもと覚悟しなければならないでしょう。
■11/26 小春日和
 
何とも穏やかな晩秋の一日。小春日和とはこのことかと思わせるが、気温は零度。風がないから、寒さはほとんど感じない。雑木林のしあわせ。(案の定、この天気はもたなかった。日曜日の夜半からみぞれになった)

こんな日だから、育林コンペのわたしの「山」に早々に向かって山仕事を開始。先週伐倒した立木が5,6本そのままで、枝を切って積むだけで昼近くになった。

わたしの「山」の50m東にある平木沼はとうとう結氷した。鏡のように見えるが、1,2cmの氷。冬に向かうことを覚悟させるに十分な後継だった。あと1か月で冬至。そこで折り返して春へ。季節は切り返しが速くて、それが助かる。

■11/23 インバウンドは初めての一大道民プロジェクトかもしれない

インバウンド情報の共有サイト「インバウンドインフォ」開設2周年のフォーラムを開催。その道の一線で活躍する方々の密度の濃い、実践的な提案に耳を澄ませながら、ふと考えた。「昨今の北海道のインバウンドの取り組みは、官民、各地域一丸となった初めてのプロジェクトではないのか」。プロもアマも、行政・民間もどこかでかかわる、もてなしなら生活者も関与するという意味でである。また、北海道と地方それぞれの強みと弱みをもう一度振り返る機会にもなった。けれども海外から観光客を呼び寄せるには、こちらからアジアに出かけるアウトバウンドもないと定期便は続かないという指摘も耳に痛い。北海道はパスポートの保持率が低い。難問はほかにも多々ある。しかし知事が言い出した2020年に来道500万人達成に向けて知恵を絞ることには大きな意味があると思う。やっと課題解決のプラットフォームも見えだしているからだ。チャレンジに、ある種、北海道再生のカギもありそうに見える。
■11/20 インダストリアルパークのフォトコンテスト

苫東のフォトコンテストの結果が発表され、笠水上徹明さんの『始発列車』 がグランプリに選ばれました。高度に規制されて美しいのが、米国的なインダストリアルのイメージですが、エリア内に日高本線や港や高速道路、動物検疫所などが少しずつ建設され、わたしたちはというと、その一角で緑地というオープンスペースの修景と利活用に取り組んでいる、ということになります。いろいろな主体が、思い思いの目的を苫東に重ね合わせ、地域課題を解決し利活用まで図る…。この写真は、毎日鵡川方面から70人の高校生を運ぶディーゼル列車で、生活景、産業空間、野生王国の片鱗を、絵のような朝焼けの中に描いて意外性すら感じさせます。苫東フォトコンのねらい通りといったところか。
■11/19 ナラの落ち葉の径
苫小牧市静川の山仕事に行く前に安平町遠浅の作業テントに寄った。テント小屋までのアプローチの200mはナラの落ち葉の絨毯だった。土が落ち葉で隠された状態は、土がむき出しの径よりずっと美しく、苫東の雑木林のフットパスはいつまでも落ち葉に覆われているのが一つの魅力だ。靴も汚れない。当たり前のことだけど、ここでは落ち葉はゴミではないのであります。これというのもナラの葉っぱは栄養が乏しく硬いから虫に食われず一番最後に分解されるらしい。
その点、ハンノキのように植生遷移の初期に生えてくる種は、「明るい攪乱地で早く成長する必要があるため葉に窒素を多く投入し光合成率を高める」らしい(清和研二著「樹は語る」)。そういえば、8月ともなればハンノキは食害されて茶色に代わるが、ミズナラやコナラの葉っぱはめったにそんなことはない。コナラに至っては時々常緑樹のような光沢をしている。


■11/16 日高の海の豊かさを知る

日高の水産関係者や自治体の方々から話を伺って、日高の海がいかに高価な水揚げを誇る豊かな海かを知った。ある自治体ではコンブ加工場だけでも13あり、一軒の拾い昆布だけでも私の年収に近いようだ。日高の人はのんびりだというが、確かにこれでは人々は大きな変化など望まないかもしれない。夜のテーブルにはお造りにサケのブランド「銀聖」と「マスノスケ」(キングサーモン)がさりげなく並び、その間に「マツブ」があった。これは1個が3000円近くで取引されるらしい。驚く高値だ。泊まった宿の朝食には「トキシラズ」のカマが出された。宿のおかみさんはトキシラズが揚がると連絡が来るのだといっていた。
■11/14 満州国のこと
ウィキペディアから
なぜ日本が満州へ進出したか、その時満州とはどういう状態だったかなど、いまひとつピンときません。中西輝政氏はある対談集の中で、「満州国はアジアにおける諸民族の入会地だった」と語っています。これで少しわかりかけてきました。万里の長城の北は異国であったシナの領土が、清の末期に満州を取り込むようになった。シナから満州への不法移民も常態化して、今のチベットや新疆ウイグル自治区、内モンゴルの民族自決を奪って侵略を完成させる原型がここににあった。では日本の行為はどう違ったのか。主張され認知されている歴史物語の裏にもうひとつ別の流れが見えるてくる。
■11/12 冬を迎える準備 「薪作り」と「土ソリ制作」
 


平坦な里山ならではの山仕事をした。長い時間をかけて間伐された林の木の間を縫ってリヤカーで薪材を運んだ。便利な道具を持ち合わせないわたしたちは廃物利用がモットーで、身軽だ。それでもここぞという仕事は、会員の軽トラックやトラクターを動員できる。これは地域やコミュニティに根付いたローカルコモンズだからこその強みだ。目に見えたお金の循環はないが、手間は出入りする。お金に換算すれば結構なものだ。それに「年寄、半日仕事」の隠れたもうひとつのモットーも、継続の秘訣。土ソリ制作も着々(雑木林だより参照)と進み、今シーズンの冬の準備が整いつつある。
■11/11 鹿追でみた未来

昨日は鹿追町の役場で地方創生の取り組みをお聞きしました。そのあと、牛の糞尿からバイオマスによって無臭化し、発生する熱をマンゴーなどハウス栽培(写真上)とチョウザメ養殖に利用し、残りのメタンで水素を作って水素ステーションを建設中でした。市街地を酪農が取り囲んでいてどこから風が吹いても匂うという環境を改善しようとしたのが動機でした。素晴らしい循環です。経済もアクティブに動きます。
また、若者がイベントをしたりアイデアを語り合うピュアモルトクラブという素敵な木造施設(写真下・5億円)が用意され、ヨソものも住みたくなるような場にはよだれが出ました。近年、北欧などで創られてきた「フューチャーセンター」に当たるものだと思います。理想をアイデアし、実現しよう・・・。こんなところに住みたいと思わせる取り組みが現実にあることは心強い。

■11/10 牧場の朝

米国の次期大統領がトランプ氏に決まった翌朝、浦河の牧場の日の出。
■11/8 明日から日高、十勝へ
北大公共政策大学院の小磯特任教授らと、地方創生の総合戦略について、自治体のヒアリングをしていますが、明日から11日まで、日高~十勝に参ります。旅先から各地の映像込みで更新できれば」いいのですが、さて。
■11/6 今日の一言「着眼大局 着手小局」
(人生には折々を生きる支えになる名言があります。日常の読書の中で出会った言葉をメモしてみます。)
「着眼大局とは、広い視野で物事の要点や本質を見抜くこと。着手小局とは細部に目を配り、目の前の重要なことから具体的に手を付ける」こと。どなたかに、眼高視低という言葉を教わったがほぼ同意か。

■11/5 ミゾレの日の小屋もいい
 ⇒雑木林だより 4-93
■11/5 コモンズフォーラムⅥ@北大、「人口減少時代の自然空間管理」~その担い手と手法を考える~
 ⇒チラシ拡大pdf
日 時 2016年12月5日(月)14:00~16:30
場 所 北海道大学「百年記念会館」 1階 大会議室
出演者   環境コモンズ研究会座長   北海道大学公共政策大学院特任教授 小磯 修二 氏
基調講演  北海道大学大学院農学研究院教授 中村 太士 氏
基調報告  NPO法人苫東環境コモンズ事務局長 草苅 健 氏
事例報告1  白老町農林水産課 辻 昌秀 氏
事例報告2  フリーのきこり 陣内(じんのうち) 雄 氏
事例報告3  帯広の森はぐくーむ副施設長 日月(たちもり) 伸 氏

■11/3 前期高齢者の仲間入り
とうとう65歳。前期高齢者と相成りました。歳相応にこれからはチャレンジはほどほどにしてのんびり生きていこうと漠然とおもってきましたが、どうもこの料簡は違うようです。体力も知力もどんどん落ちてきているのは自覚していますが、所詮、それらの能力というのは、「走るのが速い」というのと同じで、個性の一つでしかない。そう割り切ると、前言を翻して「死ぬまでチャレンジだよなあ」という、前向きなあきらめがフフフと湧いてくるのであります。ゆっくり歩くのじゃあ、つまりません、バタンと死ぬまでランニングです。65歳にして自ら老け込むことはない、と悟りました。加齢は味方でした。
講習会記事に、師範からの耳寄りな話などを補足、修正しました。

■10/30 小田桐師範のチェンソー講習会

広葉樹を間伐する営みは一期一会。そんなことをかみしめながらの講習会。この道の先達にまたひとつ優しい視点を学んだ2日間。複雑な応用問題を解くような、広葉樹林を扱うことのできる「しあわせ」を改めて感じることができた方もいるはず。

■10/28 【お詫び】ファイルのアップを間違いました。
ほろ酔いでホームページをいじっていて昨夜はお恥ずかしい失敗をしました。別のトップページをアップしてしまいました。<m(__)m>
■10/26 「自分の花を咲かせる」
月刊誌「致知」の付録の小さな冊子に興味深いことが書いてあります。
『昔、ある人にこういう話を聞いた。オリンポスの神々が集まり、「幸せになる秘訣をどこに隠したら、人間がそれを見つけたときに最も感謝するか」を話しあった。・・・「高い山がいい」「いや、深い海の底だ」「それよりも地中深く埋めるのがいい」と議論百出。すると、一人の神が「人間の心の奥深いところに隠すのが一番だ」と言い、全員がその意見に賛成した・・・」。
幸せの秘訣は人間の心の奥深くにある、というのは、座禅などで本当の自分と出会うということと同じで、幸せの青い鳥は自分の中にあるということにつながります。昔の人は本当にいいことを言います。が、こうして自らの命に目覚めることは、私たち凡人にはなかなか容易ではありません。

■10/23 手入れしてきた林は、やっぱり紅葉が鮮やかだ

NPOの7回目の通常総会を小屋のテラスで開催。折しも、紅葉が美しい。21日と22日、大島山林と平木沼緑地をめぐってみると、手入れした林は正直に反応して確実に鮮やかな色を見せている。大風が来なければ週末がみごろか。
■10/22 留学生が感じた新十津川の印象

厚真の仕事が終わって再び札幌へ戻り、北大国際連携機構へ。ウィーン生まれのスザンネさんにワークショップを見に来るよう誘われていた。シンガポールやタイ、ベトナム、フィンランドなどから北大に留学している学生・院生が、新十津川にホームステイして食や文化や、もちろんオジサンオバサンと交流しての、そのすべてを道産食材のオリジナル・クッキングのレシピを核にして発表するもの。風景が美しい、人がやさしい、おいしい、自然豊かなど、淡々と、しかし楽しそうに印象も語られる。聞きなれた言葉だが、妙に新鮮だ。鏡に反射しているかのよう。
■10/21 紅葉が始まった

午後1時半からの厚真町役場でのヒアリングの前に山林をひとり歩いてみる。手入れを一帯に、こんなにカエデがあったかと思うほど、紅葉がいい。間伐したあたりが特に鮮やかなのは、手つかずのあたりを見て回ればはっきりする。
■10/19 
コープさっぽろの胆振・日高の森活動団体の懇談会

懇談会@平取、19:00~。認定法人NPOきたねっとがコーディネートする会合。数年前に助成をいただいた関係で職場を早退して駆け込む。
■10/16 勇払原野との情緒的付き合いを語る

10月16日の日曜日、郷土文化研究会の公開講座に呼ばれ90分の講演をさせてもらいました。加齢によって変わってきた自然観をもとにコモンズ性に富む勇払原野の風土だからこその付き合い方を考えようというメッセージをこめたつもりです。勇払原野は開発か自然保護かで揺れた近年の背景を持ち、学術的な「希少性」が特に重視されてきた道内でもまれな土地柄ですが、今回は科学がいうエビデンス(事実の根拠)に必ずしも根ざさない「未」科学領域のエピソードばかり集めてお話をしました。いわゆるアヤシイ話の特集です。郷文研事務局の話では、日ハムのリーグ決勝戦とホッキ祭りに人を取られたとのことで聴講は30人ほど。しかしみなさん熱心に聞いてくれて、質問も相次ぎました。語り手としても40年間勇払原野と付き合ってきた、わたしだけの神秘体験や体験に基づいた仮説でつないだ奔放な話を提示し、しかもある部分共有できたらしいのは何よりの喜びでした。松岡正剛「花鳥風月の科学」に背中を押されたと思っています。こんな話ならまたしたいと思ったところでした。 
*昨夜までの本書き込みで不手際がありました。帰宅後、ほろ酔いで片づけた結果です。<m(__)m>

■10/15 山の辺の風景
借りた軽トラで育林コンペのわたしのゾーンNへ


大島山林の作業テントへの資材搬入のあと、育林コンペの現場へ。夕方はつた森山林(下)のコモンズ現場に足を延ばした。山の辺・夕日の里というゾーニングをしたほどに、このあたりは樽前方面からの、一日の終わりの光線が凡人を詩人にする。
■10/12 コモンズ学会の大御所・秋道先生の講演を聞く

北大のM先生からの案内で、文学部の小教室で秋道智弥先生の講演「日本の自然観~人文知からの挑戦~」を拝聴しました。秋道先生の著作はよくフォローしてきましたから親近感は抜群にあり、3年前の富士吉田の国際コモンズ学会でも二言三言屋外立食パーティで北海道のコモンズについてお話を伺いましたからなおさら。今週末の日曜に、恐れ多くも郷土文化研究会でお話する機会をもらいましたので、今、話の内容をまとめている所にとてもいいヒントというのか、背中を押してもらった気がします。「災害を歴史的にとらえよ」「感性を役立てよ」。コモンズの概念には、やはり時代の課題を解くカギが潜んでいるとおっしゃる。心強い思いでこの言葉を聞きました。
■10/10 十和田神社と再び奥入瀬



朝6時、超高齢地元ガイドの案内で十和田神社などを1時間で廻った。標高約400m、西の風が強く、薄いダウンジャケットの上にウインドブレーカーを着ても、ちょっと寒いくらい。クロモジやミズなど本州らしい植物も小道沿いに見つかる。十和田神社はざっと千年の歴史でやはり慈覚大師と修験道が開いたもの、とある。その前に伝説が横たわっており、一方明治になっては大町桂月の筆の紹介、高村光太郎の乙女の像などが人気づくりに貢献、昭和36年に遊歩道の整備が始まる。一大観光地への道は、一日にしてあらず、である。改めて奥入瀬渓谷を歩き、通直なよく伸びた広葉樹をみるにつけ、安定した環境におかれていると推測させる。渓相が美しい。河畔の水量が維持されているのだろう。川筋の光景は北海道であまたの沢登りをしてきた身には別に驚くものではないけれども、フットパスの存在と、バス道のそばという安心、それと樹種の違いとバラエティにやはり心は躍る。
■10/09 奥入瀬のバラエティとシロヤナギ
 
北海道新幹線に乗ることを第一の目的に、奥入瀬渓谷と十和田湖にきました。渓谷の途中、車窓から見た河畔の樹木たちには、雨の中ながらそのバラエティに圧倒されます。いつもシンプルなナラの林を見ているせいかも、豊か~という感じ。折しも、ヨーロッパでもいち早く少し汚く紅葉するトチノキが目立ちます。白神もそうでしたが半端な密度ではありません。湖畔で芝生にそびえる大木はシロヤナギ。直径1mに及ぶものの環境省のビジターセンターで聞けば樹齢は100年程度という。大島山林のドロノキに似て非常に成長が早いようです。明日、早朝の散歩は高村光太郎の乙女の像と十和田神社を廻ります。十和田神社は一大霊場の名刹らしい。
■10/08 雑木林の至福

昼休み、ご飯前に小屋から雑木林に入ってみる。造林地と広葉樹林の合間を丁寧にたどってみたが、収穫はなかった。しかし、このような雑木林を歩くことができる幸せを感じる。
■10/07 語学力はまだ伸びる

ここ1週間ほどのうれしい発見、英語の読解力とヒアリング力が格段に、急に、アップしたようです。65歳(あと3週間で)でです。びっくりです。毎日、昼休みに10分ほど生の英語を聞いたり、通勤電車内で時折かんたんな英字新聞を読んだりしながらも、「もう難聴が進んだから英会話はあきらめた」と思っていたのに、この獲得感覚。継続はちから、やればできる、がんばれ中高年です。さすがにトランプのスピーチなんてついてけません(-_-;)
■10/02 林と人をつなぐ
先日9/17のキノコの勉強会には地元・苫小牧民報社のY記者が取材に来られたので、薪や森づくり、フットパス、それから今、取り組んでいる「林と人のつながり」促進策を紹介したところ、Yさんは「キノコの会だけでなくもっと大きな内容にして書きたい」とおっしゃっていました。その記事が9月28日に出ました。16面にかなり大きく扱っていただき、メインタイトルは「苫東環境コモンズ 林と住民つなぐ取り組み」、サブタイトルは「安平町遠浅の大島山林 探鳥会や講演会開く」。
■10/01 ボリボリの季節
 
朝はだいぶ冷えてきて、10℃を割るようになってきました。素晴らしい晴天が続いて、リタイアしたキノコ好きのおじさんらはいてもたってもいられないキノコ日和が続いています。土曜日は林道整備もかねてフットパスをめぐり、ボリボリ(左)やハタケシメジ(右)に遭遇。蚊もいっぱい、人はほとんどいない状態。これで今年のボリボリの季節は終わるのだろうか?
■9/29 冥想が広まる
昨夜9/28 のNHK番組「ためしてガッテン」のテーマは冥想。そういえば公共施設でも最近は冥想講座が開催できるようになった。かつては冥想は宗教の一つとしてみなされ、ヨガはストレッチ(アーサナといわれます)だけ許可され、ヨガの本丸である冥想は許可が下りなかったと聞きます。おかげでヨガといえば、あのアクロバチックな体位だけが連想されるようになってしまいました。体位とセットになっているはずのその冥想が、国民的番組のゴールデンタイムに出現。
 変わったものです。ベストセラー作家になった相川圭子ヨグマタの国民的人気や脳科学による冥想の科学的発見、それと欧米での市民の広範に進んだ実践などを踏まえたもの、と理解されます。
 悩みの尽きないといわれる現代で、心の健康を保つためには人間学の学びや冥想は不可欠だと私は思いますが、どこまでいくのか、ちょっとしたブームで終わるのか、これからが楽しみです。


■9.28 実験サイトの地域SNSを座談会で終える

人が減っていく地方で、人をつなぐ道具としてICTをどのように使うことができるか。10年以上前大流行だったmixiタイプの地域SNSを創設して実験サイト「どっとねっと」を管理人として立ち上げてから10年。この大きな節目にサイトの終了を振り返る座談会を25日の日曜日午後、札幌エルプラザで。英国からもメッセージをもらい本州、九州のかつてのメンバーとはスマホのスピーカーホーンで交信。10年の社会実験の結論を一言でいえば、「SNSは使いようによって使える」。ただリアルなオフ会も充実させること。人間は複雑にできているのである。匿名では限界もある。SNSは集合知を形成しながら良かれと望む方向に動かすことはできる。
■9/25 坂本直行さん「雪原のあしあと」とアイヌ広尾又吉老人
 
星野道夫エッセーを読んでいると、彼が坂本直行さんに憧れて、いずれは北海道に住む覚悟のようなものがあったらしいことがわかる。それは結果的にアラスカになったが、そのエッセーでは没後直行夫人とお会いしたり北大山岳部仲間がアラスカを訪問したりと懐かしい話が縷々書かれていてこころが懐かしく揺れる。で、書棚のいくつかの画文集のうちのこれを開いてみた。直行さんのタッチを真似ながら何十冊もの淡彩スケッチを山々でしてきたことも思い出した。特に思い出深いのがアイヌの広尾又吉老人。わたしのアイヌの人の見方の原点だ。右下は老人の話に夢中になって聞く直行家の子供たちの図。
 


■9/24 ボリボリ、やっと出る、しかし少々

■9/22 オレゴンのトンプソン先生にハスカップ・スイーツを送る

「涼しくなったら三星のハスカップ・スイーツを送ろう」。今週、急に涼しくなって思い出しました。この夏、米国のハスカップ事情と北海道の思い出に関する原稿を送ってくれたオレゴンのトンプソン博士と翻訳文をくれた川合さんに、お礼にハスカップを原料にしたお菓子を送ることにしていたのです。気分的には、このお礼を送ることができてやっと今年のハスカップの夏が終わります。ちなみに三星では、こういう場合は糸井の本店で、出来立て(賞味期限まで時間のあるもの)をそろえてくれます。ただ海外への宅配はできないので、その足で郵便局の本局へ。郵送料がお菓子本体よりやや高くなりますが、まずまず一安心です。こういうことができるのも恵みの休日のおかげ。理事会と総会の資料を仕上げて、今日は夕方早めにビールを飲み始める予定。
■9/19 星野道夫を読んで「シン・ゴジラ」を観る
朝、写真家・星野道夫のエッセーを読む。森羅万象という漠とした自然観と風土に関心が移って久しいが、アラスカを中心としたエリアの森羅万象をスピリチャルな心眼で見つめた珠玉の言葉が紡がれていて、風土と通底する視点を感じることができた。久々に触発される。数行ごと、ページごとに立ち止まりたい状態になるから、なかなか進まない。自然を見る透徹した眼力に共感し恐れ入る。
 午後、映画館で「シン・ゴジラ」を鑑賞。核分裂をして増殖するゴジラが東京を襲撃するさまと人々の対応は、先の大震災と危機管理を土台にしたのはすぐわかる。思えば日本はスクラップ・アンド・ビルトで発展してきたいう劇中セリフもそのとおりだ。春の熊本の震災のあとも、東北、北海道と大打撃を受けている2016年。約800年前、鴨長明が描いた方丈記の時代と違うのは飢餓とはやり病がないことぐらいだ。災害と共存しなければならない覚悟が、わたしたちはできているか、インフラはどうあるべきか、改めて問われる。

■9/18 雨雲の様子みて「キノコ採取会&食毒判別会」を敢行

午前9時半から小一時間で集まったキノコは25種。食毒も判別、食べておいしいのはエノキタケなどほんのわずかだった。

NPO苫東コモンズでは、せっかく手入れが進む身近な雑木林をもっと町民に利用してもらおうと、今年からイベントに本格的に着手。町内会の回覧板に載せてもらうとこのとおり。
■9/17 難聴の原因を探って軽い「うつ」を知る

きのこ採集会と食毒判別会の予定が、明け方からの雨で中止になりました。➡7時ころ雨雲レーダーによって雨雲南下を確認して「中止を中止!」の連絡、結果、盛況で不作。写真は去年の9月12日のボリボリ(ならたけ)です。「雑木林だより」を見るとおととしの収穫がすごい。刈り払いをしていると、キノコが目に入り過ぎて仕事にならない状態でした。
 さて、今週初めに難聴の検査のため札幌で耳鼻咽喉科に見てもらいました。一通りの検査の所見で、医師は「鼻詰まりから来ていると思う」と診断、点鼻薬を含む3種類の薬を服用始めました。なんと、鼻詰まりは瞬く間に消え、2日後の脳ドックのMRIをみて脳外科医は3年前のデータと比べて「おっ、鼻の曇りが消えている」と気づきました。難聴はどうなったかまだ自覚はありませんが、思わぬもう一つの効果が「うっとおしさ」が消えたこと。恐らくは脳の酸素供給。脳細胞は筋肉細胞の5倍の酸素要求量があり、酸欠に傾斜することによって「こころ」に響くというわけです。体の自然をこうして個人個人が自分流に理解することは実は大事だと思います。自分も主治医にならねば、と改めて痛感。

■9/12 ニュースレター17号を発行しました

ニュースレター17号を発行します。8月に薪づくりを終えた喜びが前面に出ていますが、いつも、なにかそれなりにずしりとした手応えがあります。スケジュールも変更しました。コツコツ、日常的に山仕事をこなしていると、里山らしくなるという日々の実践&実感。
■9/11 青空トイレ、移設
 
2年ぶりで雑木林のエコ�トイレを3mほど移設した。トイレといっても人の居る小屋側に背をむけて、林に向かって座るもの。深さ80cmほどの穴があり、V字型に枕木が渡してある。なんの囲いもない林に向かって用を足すなんてとんでもない、という声と、なんと素晴らしい、爽快、という声に分かれる。でもね、ここに限らず一度誰もいない林の中で用を足してみたらよい。排泄される自分のモノをみて、「ああ、自分のからだこそ、自然だったんだ」という新鮮な驚きに「おどろく」のではないか。(右の写真はふたをした状態。落ち葉の入った籠とトングがついている)
■9/10 地域で起業をめざす若者群

金曜の午後6時、北大のクラーク会館で開かれた「厚真ローカル・ベンチャー・スクール」に顔を出してみた。西粟倉村の社会的起業家・牧大介さんが開設した私塾の第2弾で、そのステージが苫東の隣接する厚真である。このプロジェクトをここまで引っ張ってきた厚真町役場の宮さんは、かつては苫東コモンズのチェンソー講習会や集いに出ていた会員で、2013年1月、苫東コモンズが下川のNPO森の生活と共催した「森を活用した社会的企業とは」(牧さんの講演会)に参加してくれたのが一つのきっかけだったようだ。それにしても、昨今は若い人の地域志向と起業があまりマッチしないで空回りしているようにみえたが、昨日の雰囲気はそれを現実のものにしようという熱気と意志が感じられ、現状をすこし見直した。定員50人に対して80人以上が参加。どうも私が一番歳かさが増しているような、ちょっと居心地のよくない場だったが、取り組みと熱意や良し、見守りつつ応援したい。
■9/9 ノート

職場の引っ越しが近いので書類の整理を始めたところ、ここ10数年の仕事に使ったノートがあった。打ち合わせやヒアリングのキーワードや流れをメモしたものだから、何でもすぐ忘れてしまうわたしはずいぶん重宝した。77冊あった。忙しいときは月に一冊(80p)くらいだった。ところが今は、さほど忙しくないのに、頭は劣化してるのでメモ魔になってきつつあり、ノートはますます欠かせない。。要注意だ。
■9/6 ヤチダモの境内

地方創生に関する自治体へのヒアリングの前後に、5日は羽幌神社に、昨日6日は遠別神社に参拝。地方を訪れて土地の香りをかぐのに神社はうってつけのひとつですが、今回訪れた双方に共通するものがありました。境内がヤチダモでおおわれていることです。羽幌は100年前後かそれ以上、遠別は60年程度の樹齢に見えました。おそらくは海からの風に耐え、神社の雰囲気を創るのはほかの樹木では無理だったのでしょう。苫小牧の防風林にヤチダモが使われた背景と同じです。境内や参道といえば杉やトドマツなど針葉樹になれた目には、あれ、なにか違う、と映るはず。
■9/5 羽幌から

ホームページのURLを変更したついでに、旅先でもHPの更新をできるようにしてみました。これが結構面倒で、ノートはまだ完成していません。というのに、留萌方面に出張となり、今、羽幌のサンセットホテルで書いています。ヒアリングを終えた4時過ぎから、羽幌炭鉱の遺跡群を6時過ぎまで回遊。北海道的な遺産に呆然と立つ感じだった。昭和30年代から40年代、北海道は日本のエネルギー基地だった。それらは今、草木の中。大人になったものだ。粛々と受け止め、対話している。

■9/3 蚊=森林の憩いを邪魔する不快昆虫に意気阻喪
これほど蚊に刺されるなら、人々は雑木林には来ない。刈り払い機を操作しながら、軍手の上や背中から蚊に刺され、ほとほといやになった。使命感のある私たちですら、そんな感じだから、普通は「夏の雑木林散策など問題外だ」。これからはここから発想しよう。私もようやく踏ん切りがついた。

■8/31 日高線、廃線の現状を見て聴く

 
様似町で主催する研究会にあわせて、8/30朝、07:58苫小牧発の日高線で鵡川に向かった。廃線論議で注目されるJR北海道の各路線の中でも、とりわけ、過大な復旧工事(約40億円とか)のため運休中の日高線の鵡川・様似間は復旧・存続は難しそうに見える。2両編成の朝のこの便は、乗客はわたしともうひとりと超さびしい。
 しかし鵡川から静内までの代行バスで、運転手さんに聞いたところでは、朝5時半静内始発の鵡川行きバスは毎日、バス2台に70人の高校生らを乗せて鵡川駅に着き、みんな列車で苫小牧に向かうらしい。帰りも同じ。
 つまり、自ら自動車を持たない世代と人には欠かせない地域交通ということになる。現実を見据えればバス移行は必死に見える。自治体首長は一応廃線に反対するが、住民の手前、賛成といえないところか。現実を直視しもう正直に言えばよい。民はそんなことは知っているし、こういうのを官依存ということもうすうすわかっている。使わないのに残せというなら、これこそあらたな「北海道遺産」に指定し、遺産保存費として道民から毎年ひとりあたり1000円ずつでも負担するか、問うてみるのも手だ。
 下の写真は日高線の終着駅・様似。まさに代行バスが静内に向かって発射する瞬間を待って、鉄道マニアがカメラを構えていた。



■8/28 里山の風景を維持する
 
薪づくりが一段落したので、ようやく次の現場である苫小牧市静川にある雑木林ケアセンターに集まる。10月末にはここでNPOの総会をするのでこのところ夏の終わりごろ、小屋の掃除を手掛けてきた。同時に、小屋周りの林床を刈る。もう何年も刈り続けているので、繁茂状態にはならないが、このところの雨と風のせいで大量の枝が落ちて、邪魔になる。  (注;スケジュール表を更新しました)
  
フットパスも刈り込んだ。ここもササが大量に生えてくるということはないが、ササの元気がみちを狭めようとする。それに抗うように、刈り払い機を振って、フットパスを拡幅する。
 
週末の肉体労働は時に憩いだ。日が傾いたころ、刈り払い機を背負って小屋に戻り、家路までの時間、仕事や家族などこの頃のトピックで談笑する。里山のライフスタイルと呼びたい。
 

■8/25 朝の気


台風の雨の明けた翌朝5時、コンテナの花が朝日を浴びて輝く。朝日は「気」を持っている。朝は4時半ころ起きる習慣の早起き
人間にはちゃんとご褒美がある。

■8/24 フィールド観察メモ  「自然は変わる」


台風9号の雨上がり、苫東訪問。驚くような観察ができた。写真は、その驚きの勇払海岸。
■8/21 ホームページ移転作業が終わりました
昨夜の薪作業反省会を挟んで、8,000ほどのファイルを新しいサーバーに移動しました。いやはや結構な作業で、今日日曜の昼過ぎに完了。この機会に、このホームページの趣向も変えたいところですが、時間との勝負になりますので軽々にいえません(笑い)。当面はこのままかも。苫小牧の自宅の窓の外は強い雨が降って雨音がうるさいくらい。このまま秋へ突入か。
■8/20 ホームページのURL変更
18年、使って来た「雑木林&庭づくり研究室」のアドレスを変更しました。ニフティがホームページのサービスをやめるというので仕方なく行うものです。もっと永続性のあるものと思い込んでいましたが、あっけない通告です。来月の終了後は当分、このページをご覧いただいていなかった方々は突然表示されなくなってので戸惑われるかもしれません。その場合はHPの日本語名を検索されると出るはず。ピーク時から見ると減少したお客さんはまた減るでしょうね。で、この際、ドメイン(HPの住所)をすっきりさせました。これからもよろしくお付き合いくださいますよう。
■8/13 日本と世界の動きとこれからの変化
日本も世界も連日大きなニュースが駆け巡る。テロ、政治的・武力的緊張、EU離脱、移民問題、中国の南シナ海における軍事基地化と覇道、尖閣へのじわじわとした接近、そのかたやに天皇の生前退位のお気持ち公表があり、オリンピックや高校野球もある。先日は都知事選で政党と国民の顔が見えた。評論家の日下公人氏は、一昨年、終戦70年にしていよいよ、日本の時代がやってきたという意味の本を書き、今年2月、「こうして、2016年、日本の時代が本格的に始まった!」を出した。比較文化史家・平川祐弘氏は「日本にうまれて、まあよかった」や「日本の正論」を出した。二人の縦横の時事評論と展望は目から鱗の思いがした。文芸春秋の9月号で、石原慎太郎氏は移民受け入れについて肯定的な意見を述べていて驚いた。まさか!しかし論を読み込むと、日本が移民を受け入れても、腹黒い欧米のような怨恨を生まず、和合して、移民たちが地域に溶け込んでコミュニティの祭りに喜んで参加するような状態になる、という。80歳を超えたこれら3人は、世界から見て独特の道を歩んできた日本、そして歩むだろう日本を描き出していて大変興味深い。オリンピックの戦い方にもその一端が顔をだしているようだ。
■8/11 よその山見てわが山振り返る
 
白老での打ち合わせのついでに、役場の森づくりと林業・林産業の現場を見せてもらった。傾斜のある森林では何をするにも林道が不可欠だが、そこで始まる土木工事は初めのうち森林風致と相いれない様相を見せる。苫東の森づくりはその点、プロから見たら楽な、レジャーのような作業といわれてもおかしくない。いつか言うようになった「年寄り、半日仕事」を合言葉に、毎週末を里山的に持続的に美しい身近な林を目指して働くのである。これはこれで、よそからうらやましがられるミッションと姿勢だと思う。
 

8/10 地域活動の変革おととい、北大のN先生とお会いした折、官と民と地域をつなぐコモンズのような仕組みが今とても求められているという話になって、勇気づけられた。昨日の午後は企業の社会的貢献や社会的起業を中心とするイノベーションのセミナーに出た。地域の原動力でもあるソーシャル・キャピタルと動機付けがどうであるか、そして発信力がカギだと思った。これは仕事でも同じで地域活動にも通じる。要するに今の歩みは間違っていない、という感触が得られて背中を押される気分がした。識者の見方、そしてよその事例は足元を振り返るのにとてもためになる。
■8 /9 ハスカップ特集が終わる
苫小牧民報のハスカップ特集『原野の至宝 ハスカップの可能性を求めて』が8月1日から5日まで5回連載された。今回の特集は「次代へつなぐ」「農家の挑戦」「ブランド構築へ」「世界も注目する機能性」そして「研究最前線」と続き、NPO苫東コモンズはシリーズ1回目で紹介された。ハスカップが注目される多面性が良く現れておりおのおののステークホルダーのネットワークが今できつつあることを物語っている。「ハスカップ新時代」だ。
■8/07 トンプソン先生からのメール
すでに書いた通り、週の初めにオレゴンのトンプソン先生から、かの地のハスカップ栽培研究に関する原稿をいただいた。出版を企画している市民史『ハスカップとわたし』(仮題)を飾ってもらう玉稿のひとつである。さっそくお礼を書いたらすぐに返信が届いた。原爆忌の8月6日だった。草の根では苫小牧でも米国民とこんな交流が始まっていることに、なにか因縁のようなものを感じた。オバマ大統領の訪問のせいばかりでなく、原爆被爆の記憶をたどろうと広島を訪れる人は国内外を問わず増えているのだろうか。他国との間に争いや戦いが頻発する世界だが、個人対個人の草の根では普通はフレンドリーであり、発信はお互いの理解の始まりだとあらためて思う。
■8/06 薪仕事は本当に終わった。最終的には24棚

24棚の生産は過去最高に並ぶもの。ただ、いつまでもこれができるとは限らない。

■8/03 都知事選に世代の価値観を見た
とうとうこういう時代がきたのですね。門田隆将ブログ わたしより若い世代のある部分についてメディアによっては右傾化とかネトウヨなどと表現される中、冷静にリアリストであり続ける若い世代が、実像として新時代の到来を告げているかに見えます。

わたしの近くの彼ら世代が、なぜ、様々な起業をしながら兼業もいとわず生きていけるのか、羨望と驚異の目で見てきましたが、この記事を読んでやっとその謎が解けたような気がします。

妙な言い方ですが、このコメント(↑)はわたしの歴史認識の旅に通底するテーマを含んでいて、大げさに言うと社会認識の枠組みまでも彼らと一部を共有するような気もしています。 
わたしが多感な4年間を過ごした完全自治寮「
青年寄宿舎」の廃寮の動きを記録し、ドキュメンタリー作品『百吟フロンティア』として映画祭に出品した熊本出身の若き監督・遠山昇司氏もコメントしていて、なるほどと思いました。今日はなにか大事な拾いものをした記念日みたいであります。(^_-)-☆


■8/01 オレゴンからハスカップ寄稿


市民史『ハスカップとわたし』(仮称)の原稿を幅広く依頼してきたところですが、このたび米国オレゴン州立大の名誉教授・マキシン・トンプソン女史(90数歳)からA4サイズ3枚の英文原稿をいただきました。タイトルは「北米へのハスカップ導入」。

ロシア由来のハスカップを選抜していた彼女のところへ、1998年北海道のハスカップをある日本人が持ってきてくれて、気持ちが高ぶった話に始まります。2000年に日本へ渡航し2001年から育種プログラムが始まったことなど、目に浮かぶような嬉々とした筆致で縷々描かれています。
その中では北海道の研究者にいろいろお世話になったことが細かく描かれています。そして最後に
Finally, I want to express my sincere gratitude to all the Japanesecontacts in Hokkaido that so graciously provided me information aboutgrowing and processing haskap and generously supplied me with plantmaterials. In honor of my main hosts I have applied a short version
of their names in 4 patented varieties :
と書かれ、お世話になった5人(4人+kさん)の方にお礼を込めて特許の品種名に名前の略称をつかわせてもらった、と結んでいます(勇払原野にも来てくれたKさんが和訳した原稿も併せていただきました)。これでいよいよ、編集に取り掛からねば、という気がしてきました。
 まず今週末は、お礼に三星のハスカップ・スイーツを見繕って空輸しようかと思っています。焼き菓子の賞味期限はせいぜい10日、空輸可能な郵便局に聞いた所要日数は5日。なんとギリギリです。(写真は7月、厚真の山口ファームにて)

■7/30 広島にて

恥ずかしながらあまりにも無知だった日本の現代史を学んでいるうちに、大東亜戦争の真実は個人が踏み込まない限り見えてこないことがわかった。そう、わたしたちは、米国の戦後支配プログラムの呪縛から放たれていない。その回避へ踏み出す一歩として、今回は広島の平和記念資料館、原爆ドームなど平和記念公園を歩いてみた。

写真↑は原爆「リトルボーイ」。殺戮目的にこのニックネームを付けるやり方に米国の腹黒さを見る。しかも下の写真のように、地上600mで爆発させると破壊力は最大になると実験してたどり着いて実行。
このブースが一番混んでいたが、外人が2,3割、その半分は白人だった。ここだけではないが、黒焦げになった死体の画像も相次ぐから、一帯はずっと沈黙である。写真の赤いボールは原爆ドーム上空600mの爆発ポイント。ああ、それにもかかわらず、広島の復興は素晴らしかった。


■7/30 薪作業、終わる

今年の間伐の結果、生み出された薪は結局は22棚、つまり11軒分ということになった。3時過ぎ、豪雨がやってくる中、最後の薪積みを完成させ、ずぶ濡れになりながらブルーシートをかけた。
みなさん、よくやったね、の心境。


忘れていけないのは目的が林の手入れであり、決して薪でないこと。薪は副産物、だが製品化するのにはこんなに人出がかかる。とてもビジネスとして成立はしない。でも、こうして地域ごとの放置された民有林を、そこの人たちが手入れする、その道筋を私たちは提示したい。たった11軒分だが、価値ある22棚だ。

■7/23 今日からしばし
戦没者慰霊の旅にでます。最終ゴールは安芸の宮島。年に数度はパワースポットにまみえようと。
■7/20 コモンズ林業の将来を占う超豪華ゼミ
木炭を作るために皆伐された樹齢約80年の萌芽再生林(広葉樹林)を、皆伐しないで景観も変えないで再生できないか。北海道大学の森林科学の名誉教授お二人に、雨上がりの蚊が襲う大島山林で聞いた。答えはかなり柔らかい、応用問題的対応。前途は洋々。長生きせねば。
■7/18 採りこぼしたスドキ


きのう、蚊の猛攻に追われながら刈り払い機を担いでフットパスを戻るときに、小さなスドキ群落を見つけた。おお、もうあれから2か月。
■7/17 道北とオホーツクの自治体へ
全国の自治体は今年度から地方創生の総合戦略に着手していますが、何かと不評の声が多いこの施策であることはさておき、実際の自治体現場をヒアリングして回りました。もっとも遠いところはオホーツクの雄武町。往復670km。その移動時間や宿泊地で見たもの、食べたものを以下にちょっとだけ。なお、NPOのスケジュールを若干加筆修正しました。

西興部の女性たちがボランティアで手掛けているコミュニティ・ガーデン。
風のガーデンに魅せられて作り始めたもので、ホテル森夢(りむ)の裏庭を
飾る。


西興部の中心部を丘から。

雄武のホテル日の出岬の夕食。1500円追加するだけで、カニが一杯
丸ごとついてくる。

湧別の漁港の北海シマエビ、ゆでたて、30尾ほど入って3400円。
■7/13 北海道は今日から本格的夏か
ようやくか、でも関東と10℃も違うのは冷夏ではないのか。熟睡できるから歓迎なのに、涼しいなら涼しいなりに巷には不満の声、あり。

■7/09 前田一歩園財団の活動報発表会

薪仕事の現場をよそに、札幌のホテルポールスターで前田一歩園財団と秋山財団の合同助成活動の発表会があり、当NPOは19団体の16番目に「勇払原野における自生ハスカップの今昔を可視化する」をテーマに発表。各地の地域活動はこのような支援に助けられており、助成のメニューも対象もより取りみどりであるのは隔世の感があります。今後は、ハスカップの市民史を綴る『ハスカップとわたし』をどう出版につなげるかが課題になります。
■7/2~3 「帯広の森」にて研修

よその林を見て歩き、当事者の話を聞くことは、森づくりに携わる身にはこの上ない楽しみなもの。もう何度も訪れた帯広の森でしたが、個人的には都市林や身近な森づくりについて、これまでにない「ひらめき」を与えてくれる時間でした。レポートは未完ですが
ここにあります。

■6/27 日高路の楽しみ
 



北海道観光の谷間とも言われる、やや地味な日高地方。様似町に所用があり、雨の土日、往復300kmを走った。雨だから、基本、様々なアクティビティはあきらめて、道すがらの旅を楽しむことにしたら、思いがけない楽しみ方を知ることになった。
①様似町の和食どころ「女郎花(オミナエシ)」。ここで昼食にバラ寿司をいただく。②2時ころ、コーヒーは新冠のカフェ「椿」。いずれも大きなガラス窓から太平洋を望む仕掛けだ。カフェは夕焼けを眺める崖の上で牧場の中に店がある。③エンルム岬。アイヌのチャシの文化財になっている。パワースポットであった。
こうしてみると、新しい旅のスタイルが提案できそうだった。アポイのジオパークのセンターも目から鱗の学習ができた。50で勉強を始めたという学芸員の方のガイドにちょっと感動した。人間の可能性はすごい。
■6/25 思い込みと思考停止

  
先日気づいたこと.。柏原の国道234号から道道へ入るループ状のエントランスに育っていた視線誘導植栽のアカエゾマツの下枝がすべて落とされました。オブジェとしての植栽としては上下の枝の節間が込んで見事な円錐形を成していた、付近では稀に見る仕上がりを、誰がなぜ切ったのか、切ることにしたのか。推測だが、管轄のトップが変わって、約30年の間、継承されてきた管理マニュアルに横車を入れなかったか。「針葉樹の下枝は切るべきである」などと。だとすると、それは思い込みの思考停止だ。
 また、一角の草地の広場は、苫東のイメージづくりとして空港から苫東に入ったとたんtomatohマークと刈り払われたモノトーンのグリーンで迎えるのが良い、と30年前に設計時に衆議で決めたことが、15年ほどたったころ、トップが変わってその方の号令で桜が植えられたと聞く。「空地はさびしい、サクラを植栽せよ」。
 トップは時に風景を指図できる。経験知と見識のない人が権力を握ると勘違いして時に恥をさらすことになる。

■6/24 地方創生のミス


木曜日は留萌に出張。留萌線は今年12月に留萌・増毛間が廃線となりますが、 この画像(facebookのHさんの投稿から借用)をみると、北海道はとんでもない鉄道にとって分が悪い、普通に言えば不適地だとわかる。もうJR北海道ガンバレ、の世界でない。一方上の図の東京は、これらの軌道が実は一部重なっている超過密で成り立っている。ここで地方創生が、「地域よ、知恵を絞って勝ち抜け」というメッセージを出しているけれど、きっとそれは間違いだ。それでは地方は元気に生き延びることができない。さらに交通インフラを急げ。これが解決策だ。アンチ公共事業というのは「思考停止」かもしれない、と少しずつ思い始めた。


■6/19 ハスカップは海から来た   

(上の図は北海道のハスカップ自生地(出典:
「特産のくだもの ハスカップ、スグリ、キイチゴ」1996社団日本果樹種苗協会編

(下の写真はハスカップ・サンクチュアリの西の、ハンノキ低木林とヨシ群落に多数見つかるヤチボウズ。ハスカップの実生が、このこんもりの中に見つかる。


5月末から細々とハスカップのフィールドに足を運んでいると、湿原や原野は土地の履歴のにおいがプンプンする分だけ、土地からのメッセージが聞こえるように思う。平坦な原野にも実は細かい起伏があり、小さなエリアだが植生が違うことも多い。湿原は特に水位が数10センチ違うだけで植生が変わる。だから苫東の自然環境調査で北大の故・伊藤浩司名誉教授は「ミズナラ・コナラ・ハンノキ林」を特に位置づけた。現地は水平距離1000mで高さ1mの勾配の、途中に出てくる植生。で、原野がわたしにささやくのだ。「ハスカップは鳥が運んだりはしない。海流が砂やごみと一緒に東(釧路など)の方から長い時間、ひょっとして1万年近くかけてやってきたのだ」。原野を歩きながら、その声から表題のような仮説を立てていくのは我ながら身震いがする。
■6/18 カムイミンタラ

四季も場所も問わず、自然は「神々が遊ぶ庭」のような光景を見せてくれる。かつて冬の雪の中で独りで山仕事をしているときにすら、そう思える神秘の時間と空間を感じた。緑や花の時期はまた格別である。土用の夕方、薪仕事を終えて出向いた静川の小屋が見えたころ、ふとカムイミンタラを思わせる瞬間がきた。残念ながらデジカメ画像では切り取ることはできなかった。
■6/15 ハスカップ豆本の著者に聞く
 
今週の月曜、上の写真右下にある豆本「ハスカップ物語」の著者・奥津さんに、40年近く前のハスカップ事情をお聞きした。博物館の小玉さんと一緒、場所は下の記事と同じ、わたしの職場のライブラリー。ハスカップは文化と呼ぶに値するのか、というあたりに焦点をあててお聞きしたが、感触はイエス。生育地が狭められて、ハスカップはどこか恵まれない、悲劇のヒロインのような側面を持たされていた可能性もあったようだ。印象深い3時間。

6/12 北海道開発の歴史資料が発するオーラ

務める財団のライブラリーを大幅縮小することになり、閉架式の書棚でスタッフと古い資料の背表紙と向き合い、引き出してみる時間が多くなった。北海道の開拓や開発の歴史アーカイブのそれら、まず時間の重みに圧倒される。そうして、人間の仕事というのは、この流れのなかでほんのひとかけらに関わるようなものだとしみじみ思う。人生を振り返ってみるとき、こういった人の営みの記録の海で漂ってみるのもいいものだ。ちょっとした悟りがある。
■6/12 薪を届ける

6/11の土曜日、江別と新札幌の会員宅に薪を届けた。2往復。手渡しで積み、お宅でまた手で下す。昨年薪小屋に積んだ奴だから、まあ、薪というものはまったく人手がかかる。届けた各々のお宅ではちょっとした印象深いシーンに出会う。
■6/5 代替展望

 
5月21日のこの画像(上右)を繰り返し見ている間に、この広場の、このアングルは、林を展望する展望台の代替スポットではないかと思い始める。通常、素敵なスポットは俯瞰する展望台が定番だが、あいにくここにはそれがない。それがあれば、いかにここが安息の場かがよりはっきり意識されるが、平地は、見通しの良い遠望がこれに代わるのではないか。幸いここには緑の広場があった。先代所有者・大島清さんが身体をこわすほど難儀して開拓した畑地あとだ。今朝、瞑想時にひらめいたこのアイデアを、今日は一日反芻してみていた。緑はどんどん濃くなっていく。


2016年、日々の迷走 1

■6/4 世の中は忙しい
G7サミットが無事終わってほっとした方は多い。オバマ大統領の広島訪問で時代の変化、転換、潮目を感じた人もいる。消費税延期ではにわかにベーシクインカムと社会保障のあり方論議が浮上する。かたやで舛添都知事がなんとも常識はずれな公私混同をしてみせ、言い訳している。七飯町での小学生の遭難と発見が世界のニュースになった。ここ10日ほどの出来事。
 雨の予報で、薪づくりを明日に延期したら、なんと雨雲が消えた。読書三昧と庭仕事に切り替え、NPOのスケジュールを変更。

■5/29 今年も8軒分か


薪小屋に登って、できた薪と残りの丸太を数えてみると、今年の生産量は昨年同様8軒分みたい。まだまだ割るべき薪が残っていて、うれしいような辛いような気分。でも総合的にいえば「楽しい」作業というか、典型的な無心になれる手仕事。わたしたちだけでやるのはもったいない代物だ。こころを空っぽにしたい人、そうすべき人にぜひ薪割りと薪積みをお勧めしたい。6月27日月曜日は精神科医の瀧澤代表理事が遠浅公民館で『緑に親しんで健康長寿~認知症予防介護予防』のテーマで講演されます。身近な大島山林利用を促進する活動第2弾です。(第1弾は探鳥会、第3弾は秋の巣箱作り。)
■5/21 ハスカップから原野を知る

新緑とはいえ、この1週間で一段と緑が濃くなった。スドキも大きくなって見つけやすくなったが、茎がやや硬くなった。ハスカップが生きることの環境は奥深い。午前に立ち寄った、乾いた土地の千歳でも元気だし、ヤチボウズの勇払原野でも「これからさ」とばかり生き誇っている。かと思えば過熟状態で、ヒョロヒョロだったりする。勇払原野は神様がいて、その最も身近な神様をわたしは「産土(うぶすな)」と呼んで勝手に親しみ始めて久しい。湿原や原野は厳しい山と違って特に産土の息を感じやすいと思う。7000年前は海だった原野の歴史を足下に感じるからか。
■5/14 新緑と山菜


新緑が芽吹きだしました。薪づくりは前途の収束時期不明のまま、こうして季節だけが駆け足で過ぎていきます。かといえば、ストーブのシーズンが終わったばかりの今、この冬の暖房のため焚き付けの準備も始まっている。
■5/13 新しいパンフは英語バージョンも

@今日の通勤電車の帰り。北広島あたりからずうっと、JR千歳線の沿線の風景はすごかった!本など読んでいる場合でない。それほど、初春の風景が感性を震わせた。春の産土の目覚めか。喜びという言葉が浮かぶ。話は変わって、新しいパンフ ver8ができました。北大の宮内先生がフィールドトリップに合わせ、英文にしてくれたのでそれも一緒にアップ。

■5/10 環境ガバナンスの研究者を案内


8日の日曜日、世界各地の環境ガバナンス研究者16名を苫東の環境コモンズに案内しました。北大の環境社会学の宮内泰介教授の担当するセミナーのフィールドトリップ。環境ガバナンスは、いわばコモンズという仕組みから資源を取り除いた残りすべてに関わる分野だから、「コモンズ」の問題意識そのものにコミットすることになる。そう考えてからはかなり緊張し始め、前日の7日はコースの下見をして道路の片付けまでした。興味深いやりとりなどは、こちらに。

■5/7 森カフェの雰囲気、5/8 視察訪問

薪づくりが本格化していて早くも3棚にカバーがつけられた。わたしは日曜日の視察コースを下見すべく柏原、小屋、ハスカップサンクチュアリを廻った。写真はその時の小屋のテラスとテーブルの雰囲気。ここでお茶を飲んでたたずんでいればおのずと良いアイデアが湧き、こころも優しく和んでくるような、そんな気にさせる。

■5/5 マチの渇望と行動

 
少し迷いがあって珍しく弱気になっていましたが、ふと、手元においてあった白石幸男氏の『手書きの新聞広告』を手にし裏の帯を読んで、秀逸さに感動、元気が湧いてきた。身近に、そうした文章があることに心が躍る。お会いした時の息遣いも彷彿としてくる。

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 「苫小牧に住んでよかった、『三星』もあるし」と言っていただける店になりたいと、私どもは努めてきた。/かつての時代は「どうしたら便利になるか」であった。/「便利」というのは共通の世界のものである。正俊(元の三星社長:草苅注)を先頭にして、お菓子とパンのレベルでは、他都市とくらべて引けをとらないように、他都市のひとをうらやまなくて済むように、頑張ってきた。/・・・・・」 
~~~~~~~~
 ここまで読んで立ち止まらずに得ませんでした。この社をマチと呼びかえてみると思い浮かぶ、ゆるやかな人のつながりと期待。ここには身近な、しかし渇望の夢が見えている。ハスカップはきっとその核になる。三星のすばらしい企業文化と孤高のハスカップに乾杯!!

■5/3 断捨離


 
この連休は、人生のクライマックスともいう「林住期」に向けて、特に書籍と書類を対象にかつてない果敢な断捨離を行った。今日はその2日目。溜めに溜めてきた品々を見納めしながら、自分が半世紀近くこだわってきたことの軌跡をたどることとなった。「やはり、これだったんだ」。思い切った断捨離ができたのは、この歳になって初めてこだわりの現役時代は終わったという自覚があるのと、これからの自分の残された役割みたいなものが、少しみえてきたから。今後の伸び代の期待分、捨てられるわけ。図鑑や専門書のかずかずとも、さよなら。

■4/30 風土とつながる

人間の幸せは各人各種あるのは承知の上で、個人的には、生まれた、あるいは住んでいる風土、森羅万象とつながっている、と実感する時の幸せというのが、わたしにはかけがえがないものに感じられます。先週はそんな風土のなかにしたたかに意味を見出して動いている若い世代の方おふたりに別々にお会いしました。そういう方との多少つながる感覚もまた胸が膨らむことを知りました。
 そして最初の連休の中日、あられ降る雑木林の中を探鳥会で歩きました。さて地元の方に、久々の林はどう心に映ったでしょう。

■4/24 林にて

好天に誘われて昼前、家内と車ででかけ、なかなか楚々とした咲いたばかりの姿に会った。30分ほど林を散歩、週末はコブシがまず満開になる。

■4/24 大島山林のお散歩マップとモーリーの過去の記事PDFをアップ

大島山林の航空写真マップ(最新版)
2008/12「里山のフラジリティそして
モーリー・インタビュー2013/9「行動する森林浴 雑木林のフットパスをアップしました。モーリーの記事はPDFにしていなかったもので、特に2008年のものは、辻井先生、小磯先生らとの立ち上げた財団のコモンズ
研究会の前日に届けられお披露目できたもの。表紙やグラビアを、つた森山林と雑木林の小屋が飾った里山特集でした。

■4/23 薪のご縁


 去年、みゃーみゃー鳴いていたお子らが、見よう見まねで手伝えるほどに成長

 薪割り機を使っても意外と一日で1軒分くらいかも黙々、頭を空にしてやるのみ。

 前年度に比べ多いのか、少ないのか、NPOの活動資金に関わる一大事だけど、本当のところはいつもギリギリまで不明
薪の作業もたけなわですが、もとはといえば雑木林の間伐のいつもの最終段階。いわばクライマックスであります。今日は札幌方面から会員のW家族5人がトラックとマイカーで今年の冬に使う1年分を受け取りに。また、同じく会員のFさんとSさんご夫妻は薪割りの手伝いに雨の予報もものかわ、駆け付けました。雨が降り出すまでの2時間、一気に仕事に邁進。春を呼び込む勢い。

■4/21 苫東コモンズの全国的位置を考える
全国組織「森づくりフォーラム」がまとめた森づくり活動の実態調査結果を見てみました。ざっと見た感じはわたしたち苫東コモンズはこれら対象グループの中で、会員規模、予算ともかなり平均的なところにある、という印象を受けました。ただ、コモンズは「活動延べ人数がやたら多く」「間伐等に専念し」「環境教育には注力をしていない(おろそか)」というのは他と違う特徴がありそう。27年度の活動団体数は約3000でこのところ頭打ち状態。活動資金と参加者不足、それに複雑な各種申請の面倒さに悩んでいるようです。リタイヤすればもっと事業収入があげられるし、事業型に変換も可能だけどしないでいる。機会があったらビジネス感覚のあるNPO運営もやってみたい。仕事をつくり人を雇うことには独特の醍醐味がありそうだから。そんなことも思いながら活動記録ニュースレターの16号をアップしました。

■4/17 森林コモンズはメジャーになるか

今年、三重大学名誉教授の三井昭二氏が「みどりの学術賞」を受賞しました。内閣総理大臣から授与されるもので、この中で三井氏は、森林をコモンズととらえたうえで林業という大きなプロパーなビジネスとは別に市民ボランティアが環境改善のために果す役割が大きくなりつつあることを森林社会学の立場で明らかにした、その功績をたたえるもののようです(わたし流に勝手にざっくり言うと)。この延長線上でいえば、
市民サイドのコモンズ的林業というわたしちのような細々とした営みをアカデミックな立場で正面から認めてくれたようにも取れます。コモンズ的な林業なんてゴミみたいな取るに足らないものという見方を超えて、このような視点がクローズアップされることはうれしい変化。これはもともと林業サイドの不作為や怠慢、それと同時に市民サイドの林業への過信が根源的な背景だとわたしは思っていますが、身の回りの環境、特に林はある程度自分たちで管理できるようにならなければならない…、ここに気づき始めたことは大きい。本州以西で特に元気な自伐型林業とまたひと味違った見方として、森林コモンズやコモンズ的林業がさてどこまで認知が広がるのか。メディアの書きぶりにも注目したいと思います。

■4/14 仏陀とキリストがシェアして暮らす
といっても漫画の話。日本がいろいろな宗教が雑居状態で、いわば受け入れられて共存している状態を例に出す時に、こんな漫画が登場します。日本では当たり前の光景が外人にはびっくりだとか。中村光作の「聖★おにいさん」。天上の休暇を利用して、仏陀とキリストが下界に降りて、東京は立川のぼろいアパートで一緒にくらすというもの。奇想天外だけでなく感覚もちょっとシュールで理解できない部分も知らない若者言葉もありますが、全11巻を通勤電車で「読書」。ヨーロッパで起きているテロの根は深いのはよく知られていますが、30年ほど前ヨーロッパでは移民を受け入れるのは人道上望ましいといいながら、2級市民、3級市民の受け皿を用意して、当て込んできた結末が今のテロを生んだともいえる。日本はその策を採りませんでしたが、特定の宗教や人種への憎悪も偏見もほぼない。日本が平和に貢献する下地を見る気がします。オバマ大統領が広島を訪問することになれば、また新しい歴史の幕が開き展開が変わる。

■4/9 フキ味噌とかき揚げいただく
田園地帯の沿道でフキノトウが見え始めました。薪づくり作業の合間に採ってくれたそれに南千歳駅の帰り道で見つけたフキノトウを加え、ホッキのかき揚げとふき味噌(写真)を作りました。季節一巡り、を実感します。山菜こそ季節の定点かも。
4/6 ネット環境の不調
帰国するとWi-Fiのルーターが不調でいろいろ調べて「コワレタ」と判断。と思ったらホームページのソフトが再起不能のエラー。いずれも新規購入してカムバックしました。ITの危機にも当然寿命があるので驚くことはありませんが、突然やってくる機器の故障はいつもちょっとしたストレスになります。期限に追われたりすればたちまちビッグなストレス。それを年の功で粛々と対応するあたり、ちょっと成長したかなと自分を見直しました(笑い)。新年度が始まり、新鮮度が気持ちよい感じです。

■4/3 昨日帰国しました
4/1の夕方、インドネシアから苫小牧に戻りました。インドネシアの印象は冥想したい場所が随所にあり、特にバリ島はヒンズーの人々が神々と先祖に祈りをささげつつ生きているところ、という感じでした。 食事もおいしく、異国情緒大。 日本が太平洋戦争を戦った命綱の資源の多くはインドネシアにあったこと、天皇陛下が昨年慰霊に行かれたパラオなどのカロリン諸島がその経路にあることなどを思い起こすと感慨もひとしおでした。また初めて本物のスコールを体験しました。毎日です。インドネシアのジョグジャカルタやバリは南半球なので3月まで雨季。朝は晴れ、午後から数回スコールというリズムでした。
棚田の水管理がコモンズとして世界遺産になっており、これもいい見分になりました。パワースポットを地で行く感じと人々の祈りの感覚。やはり大きな余韻が残ります。


↑テガラランの棚田(世界遺産)


↑ボロブドール寺院(世界遺産)

■3/27 明後日から不在します

明日は送別会で飲み会なのでホームページの更新ができませんので、今日書きますが、明後日からインドネシアのバリ島に行ってきます。職場には「インバウンドの研究のためにはアジアへアウトバウンドに行く必要がある」といってあります(笑い)。実は多神教のヒンズーの世界は癒し系なんです。パワースポットと世界遺産を体で感じてきます。週末作業は草苅は休みということになります。


■3/26 薪割りに着手


苫東はやはり野生王国だ。
朝いちばん、緑のトンネルでメスのシカの群れに出会った。逃げない野生動物は心休まる。一昨年秋、森林調査をするために平木沼緑地を行き来している際は、連日、一日に6,7頭の群れに何回となく遭遇した。そしてこの一帯はヒグマも忍者のように往復しているはず。それも毎年、複数の可能性がある。無事故で、共存しているこの空間は、野生生物との「環境コモンズ」でもあるのだ。そしてハスカップ・サンクチュアリの一帯は野鳥の王国。それらに心躍るか踊らないかは、この風土への愛着、生活満足度に直結する。



今週からいよいよ保育作業の最終工程「薪割り」が始まった。薪小屋の上から見下ろしてみると、なんとも壮観である。一冬の仕事の集大成が眼下に散らばっている。昨年はカラマツとトドマツが大量に出たためにカサがあったけれど、今年はナラが多くて明らかに薪の質がいい。8人が集まり、二人はお昼で帰って残り6人。今日は苫東コモンズを里山活動の面から研究対象にする北大の留学生(4月から大学院生)が顔を出した。隣接町内会と雑木林の交流に、はたして「北海道らしい新しい里山」はみつけられるか。とても興味深い。そしてニッポンのおじさん、おばさんがどう映るか、も。


■3/21 道南・熊石にて

往復500km、道南・熊石に海のアメマスのフライフィッシング釣りに出かけた。強い風のためにフライはあきらめ、岩場でノリを採った。サケ稚魚はまだ海に降りていない。サクラマスもアメマスもこの時期、パッとしないとアングラーも漁師も言う。

■3/19 雨の中で
先週、この冬に間伐した材の運搬仕事をほぼ完了して正解だった。この1週間の高い温度と雨のせいで雑木林には雪がなくなった。落ち葉の下の地面は凍ったままだが、風景は冬を脱した。雨の予報どおり、降ったりやんだりだったが、来週からの薪づくり作業につなげるために、スノーモービルを格納し、薪割り機をスタンバイし、そのあとは残った3名で薪を伐り始めた
 

■3/18 地域でビジネスを起業すること
㋁25日の地域ビジネスフォーラムの動画ができました。北海道で行われている世界とつながるビジネス、それもかなり身近なバージョン。ビジネスとかフォーラムとか関係なくても、タダで聞ける講演として、とてもいろいろ参考になります。特にそのスピーカー各氏の発想の積極心。(わたしは2部の最後に主催者として閉会する際に、ちょっと顔を出します)  *アップにトラブルが生じてしばらく失礼しました。

■3/13 NPOの今年のスケジュール案
森づくり研修や、外部講師を招いたチェンソーのスキルアップ講習などの予定が固まってきたので、年間予定表を作ってみました。このほかに、7月10日に前田一歩園の助成活動報告会、秋には北大とコモンズ研究会共催の環境コモンズフォーラムを計画中です。また、市民史『ハスカップとわたし』(仮称)の編集作業と実行委員会が動き出します。ただ、出版経費のめどがつきません。開発関係者が各々のCSR活動に組み入れてもらったり、ファンドのように支援者を募るなどの方法もありますが、少なくとも商業ベースの黒字は見込めません。市民からの「一口一万円応援団」という道も考えられますが、これはどうでしょうね。

■3/13 日本に生まれて良かった


重い重い間伐材が混じった山仕事がちょっと一段落した。というより、雑木林の雪が消えるから、林の中から間伐材を出せなくなるのである。それで自動的に山の仕事はエンド。これからは広場において集めたものを切って割る。
 このごろ深く思うこと、「日本(または日本人)に生まれて本当に良かった」。江戸末期から戦後までの歴史を書籍を中心にコツコツと読んで今を見、もう一度振り返ったときの偽らざる思いだ。世界は、特に白人世界はなんと策略と悪意に満ちてきたことか、とその腹黒さに唖然とするし、抑圧され抹殺され搾取されてきた有色人種ら、アフリカ、南北アメリカ大陸、そしてアジア。列強の欧米各国がアジア各地を侵略し制圧していた江戸末期、ひとりこの世の平和を歌っていた日本が、怒涛の世界に入り込んで100年余り。南京大虐殺はあったと信じている人は驚くほど多いが、従軍慰安婦の強制連行と同様、踏み込んで知る必要を痛感する。それだけで日本観は変わってしまう。


3/10 わたしのソウルフード


映画「かもめ食堂」で主人公役の小林聡美が「だっておにぎりは日本人のソウルフードでしょ」と語ったのを印象深く思っている人は割と多い。わたしは時々、ハスカップの塩漬けを真ん中に入れたおにぎりを、自分で作ったり作ってもらったり、買って食べたりしているが、ハスカップのおにぎりは、どうも勇払原野のそばに長く住んでいる人にとっての、まがいのないソウルフードではないかと思っている。なんというか、ハスカップは毎年待ち望んで食する人だけの「文化」に昇格していて、そのシンプルさと味に感動するのである。そしてそれを感じる人々の間の静かな人気。今日の昼は家内に作ってもらったそれを一個、楚々と食した。2月20日のハスカップを語る座談会記録(苫小牧民報)がとてもよくまとまっていて、読みながらつい、ソウルフードのことを書きたくなった。

■3/6 NPOコモンズの発信力と評価について考える
←2/20の座談会にて
2月13日に始まった苫小牧市美術博物館のハスカップ企画展の報道が矢継ぎ早にあった。2/9 2/13 2/14 2/20 2/23 の5回、いずれも苫東コモンズが顔を出していた。博物館が取材を受けたとき、特別協力のNPOを絶対外さないようお願いしてくれたようだ。一方、あるメディア関係の方から、地域活動の表彰候補にノミネートされているという連絡を受けた。同じころ、ある大学から院生が研究対象にしたいという申し入れがあった。不思議だなあ、と思ったついでに、情報発信と社会的評価について考えてみた。

■3/6 日本の発信力変化
昨年あたりから、日本の時代が来る、と一部の識者が言っていた。といいながら、この頃のニュースは親の子殺し、恋愛の逆恨みからの殺人、いじめ、麻薬などと、オーソドックスな犯罪報道が目についていた。米国ではこのようなものはニュースにならないそうだ。あまりに日常的だから、という。かの国の人種差別はますます顕著で、白人富裕層は丘の上にゲイティッド・コミュニティ(囲いで閉鎖されたマチ)で鎖国状態にするのである。ずいぶん前から指摘されていたが、すでに2000を超えているという。米国的システムが壊れ始めたというのは、大統領の候補者選びにも出ている。米国だけでなくEUも中国も問題の根が深い。宗教も大きくからむがわたしには宗教詩史ほど眠いものがない。先日、「ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたのか」を読んだ。こちらは示唆するところ大である。多神教の魅力だ。近くヒンズーの国に行ってみよう。


■3/2 広葉樹を伐る極意

昨年11月11日にも紹介したこの本、今朝の通勤電車で読了。安全な伐木のために正確な設計と人間関係、教えと学ぶ態度など、どちらかといえばテクよりメンタルに重心を置いている。わたしも、安全確実正確な伐木は真摯な学びとメンタルこそ大事だと共感する。ぜひ、自らのチェンソーマンとしてのスタンスを顧みる契機として、一読を薦めたい本。チェンソーマンは山仕事を先導するキーマンなのでスウェーデンではなり手が殺到するという。給料も高い。うらやましい。そして一つ一つの作業が全く個々別々だからクリエイティブにならざるを得ないという。まったく同感だ。うまくいけば師範とはこの秋、苫東の雑木林でお会いすることになる。


■2/28 恵みの雪に勢い得て間伐材運びまくる


山林の手入れの作業はまだ半ばなのに、先週、林道から雪が消えて、かつ雪が少なすぎて切り株にスノーモービルが当たった時の衝撃があり過ぎだったりでこのままでは間伐材の運搬ができなくなる、と、日曜日、雨ごいならぬ「雪ごい」を密かにしました。当方も神がかってきたのでしょうか、なんとその夜から雪が続き、今週の山林は運搬日和となりました。


■2/27 地域ビジネスのフォーラム


何ともうまく進まない地域プロジェクトとか、とん挫した第3セクターの事業の立て直しとか、シャッター街対策とか、地味で重要な課題に取り組んできた財団のケイパビリティ研究会が、25日のフォーラム「地域に“しごと”をうみ出す北海道創生」で7年の主たる活動を終えました。研究会の足取りは社会的にはほぼ無名で、内外の評価は、あまりぱっとしませんが、地方創生を先取りした地味な議論は意味があったと個人的には思います。かかわった委員のHさんは、よくここまで来たねと言っていました。なかなかうまく動かず、正直なところ、事務局としてプロモートすべきわたしは息が切れそうになっていたのです。
地方創生などといまさら言いますが、じつは昔からの永遠のテーマで、妙案が出ないと国に評されることに対して、元気のいい市町村長らは、「そんな妙案あったら、とっくにやってた」と、開き直りとも言い訳ともつかぬ声が聞こえます。もっともです。
それでも現場でゼロから工夫して立ち上がった人、行政の歯車になって動いてきた人などがちゃんといて、ゲストスピーチをお願いした方々が、各々のエスタブリッシュメントを発表してくれました。いずれも北海道から世界に発信している、誇るべき人たちです。

地域の起業という点でわたしが特に共感し目を見張ったのは共働学舎の宮嶋さん。宮嶋さんは、雑誌「致知」の3月号の「致知随想」欄にエッセーを寄稿し、興味深いことを言っています。氏は以前マリア・テレサとお会いした折、将来は海外にでて難民キャンプやスラムで仕事をしたい、といったのだそうです。そうするとマザーは顔色を変えて、「よその国へ行って食べ物や安全を整えたりする前に、まず自分の身近な場所で、子供たちの心の飢えを癒してあげることが大切よ」、と。そこで氏は新得の、牛の伝染病で捨てられた牧場で、数頭の牛と奥さんと数人のスタッフで、障害を持った人たちも働ける場づくりを始めるのです。一途さと祈り、献身を思い起こし、合掌のこころで反芻したのであります。マザーの指摘は地域で活動する人々すべてへのメッセージでもあります。


■2/20 つづいてハスカップ座談会
ハスカップの企画展の第2弾として公開座談会が10時半から。草苅が、北大の星野先生および厚真のハスカップ宣伝大使&栽培農家の山口さんと3人で。パワーポイントによるNPOからのプレゼンのタイトルは「ハスカップから覗く勇払原野 ~サンクチュアリを可視化する~」で、昨年までのGPS調査とドローンの空中写真がメイン。なぜハスカップ保全のための観察を始めたかと、現状を可視化する取り組みの考え方と結果に絞って、20分お話しました。
 
座談会(写真左)後、昼食も忘れたように関係者と展示フロアで立ち話(写真右)、小一時間。いろいろなハスカップ関係者が一堂に集まりだした感あり。「ハスカップ・イニシアチブ」は動き始めている気がしてきました。「ハスカップ・イニシアチブ」については、共著『コモンズ 地域の再生と創造』の146pに。

■2/14 ハスカップ企画展
昨日から1か月近くの間、市立美術博物館でハスカップの企画展が開催されますが、午後、さっそく講演会に出かけてきました。会場は定員オーバーで会場を拡張する人気。講演したのは、元社長室長の白石幸男さん。『よいとまけと三星』のタイトルで、ハスカップのお菓子よいとまけの商品化のいきさつやエピソードをユーモア交えて語りました。白石さんは三星の手書きの広告を作っていたあの方であり、あの詩情あるコンテンツは氏が金子光晴などがいた同人誌の一員だったことと関係がありそう。昭和2年のお生まれだから今年89歳。NPO苫東環境コモンズはハスカップの聞き取りやフィールド調査で、今回の企画を応援してきた関係で、豊富な展示の一部に名前が見つかすはず。

■2/14 小雨の中の作業
林の手入れをしながら発生材で薪を作るという作業の大変さと魅力を痛感。小雨が降る中、今日もいつもの8名が参集して、安全確実に間伐と玉切りと運搬に従事。目に見えるスピードとは言えないが、広場に運び出された小さな山を見ると、ジワジワと成果は見える。メンバーの幾人かは、イタヤの樹液採取を始めた。林道の雪はとけ、折からの雨で、このままではスノモによる搬出が不可能になる。(写真は昼のテント内。湿度でレンズが曇った)

■2/11 町内の最も身近な林が実は…
苫小牧の、わたしが住む町内は北側が大昔の海岸段丘になっていて、その斜面基部から広葉樹林が広がっています。林齢が50年生ほどのこの雑木林は、中に送電線敷地も含まれていますが、何十年も前から住民の散歩道になっていました。もちろんわたしもよく出かけて丘の上からの展望を楽しんでいたりしました。が、平成に入ってから、度重なる暴風で風倒木がその都度発生して写真のような個所が随所にみられるようになりました。心なしか全体の雰囲気も荒れてきました。実は、この林こそ、早急にコモンズ的な観点から奉仕間伐を立ち上げ整理をすべきだと、気になっていました。しかし、所有者との交渉や町内の合意などを考慮すると、二の足を踏んでしまい、苫東のコモンズに専心することになっています。パートナーもいない訳でなく、所有者もわかったのですが、体が一つしかない。非常に残念。(写真は今日の午後の散歩で)

■2/11 発信する意志とは何? (ご訪問のお礼を兼ねて)
ときどき当ホームページにおいでいただいている読者のみなさま、本当にありがとうございます。1998年からですのでざっと19年目ということですね。よく、物事やプロジェクトなどで10年も打ち込むと飽きる、という人がいますが、わたしも9年か10年で急に熱が冷めることを経験してきました。しかし、ホームページは、個々の取り組みが変遷してもその全体を発信するため、発信する意志さえあれば、生きて手先が動く間は継続できます。ホームという言葉がつく由縁でしょうか、関心あるテーマに絞った自分史を掲げるようなものかもしれません。問題は「意思」です。これも時に迷いが出ます。惰性で進むうちはいいのですが、何の意味があるのだろうと疑問もわきます。そういう時は、蟄居して休むか、今のようにそのこと自体をネタにしてしまうか。人間の日常はことの重要さにおいていくつかのレベルがあるから、とるに足らないことから大事なことまでいくらでも書くことはあるわけですが、問題は発信の意味でありその意味の有無の自信はと問われれば、実はおぼつかないのが実態です。(-_-;) と、また、余計な戯言にお付き合いいただいてしまいました。まことに恐縮です。重ねてありがとうございました。<m(__)m> 機会がございましたら、掲示板にでもひとこと、足跡をお付けくださいますように。

■2/7 昨年のコモンズ活動
先日、昨年のNPO活動の予定&実績表を更新しました。フィールドの調査、管理作業と地域活動の連携が始まって、バラエティがましていますが、地域の人々との交流まではなかなか手が伸びません。今年は、林と隣接する町内会と探鳥会やキノコの勉強会などもぜひやってみたいものです。そして、なんだか、働き過ぎじゃないか、という内なる声もあります。アソビがない?!そうなんです、すべきことが山積みに見えていたからです。このあたり、要反省。(2/11予定と実績の表にハスカップ聞き取り調査の数項目を加筆しました)

■2/7 衰えと加齢の経験知

脳を含む身体の機能が衰えてきているなあ、という自覚はとりわけ還暦の前後から人知れず感じてきたことですが、前期高齢者の直近にある今(64歳と3か月)、さらにヒシヒシと強くあります。隠せません。しかし、そこはそこ、難聴と耳鳴りを友にし、理解力低下など頭の回転が止まりかけるような様をむしろ尋常な幸せとみなし、感性の衰えは平穏がやってきた、と喜ぶ。陰陽、表裏、プラスマイナス、適当にバランスをとってしまう。加齢という誰でもが通る経験を知力に替えていく経験知。恵まれない欠乏一筋のところを、テキトーに見繕っていくのが人間というものなんでしょう。とはいうものの、この頃の山仕事はもっぱら丸太の上げ下ろしで筋肉がついてきたみたい。身体は鍛えることもできる。

■2/3 新刊 『樹は語る』(清和研二著)を読み始める
病院の診察のために休みをとり、空き時間は久々に国会中継を聞いた。防衛、外交、経済、教育や子育てなど未来につながる必要な施策の数々、どれをとっても足らざるものと課題が満載で、正解がわからない。暗中模索ながら将来に向けて知恵を絞り最善と見込まれるところを目指すしかない。自民党議員が政府に質問する午前のやりとりは政府広報と同じだが、意外にも下手な報道より政策ビジョンの全体像はつかみやすいかもしれない。午後ややしてからは民主党の質問が始まり、議論は予定通り政権交代につながりかねない某大臣失態の追及となり、いかに政局に持ち込むかというバイアスがきいてきた。不毛だと直感して聞くのをやめた。
 夕方から、清和研二著『樹は語る』を読み始めた。かぐわしい薫り高い文体にあふれた木々へのまなざしが新鮮に感じられる。これを機会に、わたしはわたしでもう一度「雑木林と語りたい」と思った。拙著「林とこころ」を思い起こしつつ。森羅万象とつながる時間が今は少ない。


■1/30 梢の蕾が膨らんでいる

先週も今週も雑木林は晴天で、先週から新たに雪は降っておらず林道は一部地面が見え始めました。今週からスノーモービルを使って材の搬出を始めましたが、雪が安定していないというのか、固まっていないというのか、キャタピラの回転によって雪の下の落ち葉が掻きだされる始末。昨年もそうでした。春のような陽気にならないと、運材は無理だ、というのが昨年までの結論なのでした。その春の兆しは、見上げたコブシの枝先に見えました。札幌は今週から雪まつり。

■1/28 あらためて「もてなし」のこころ
「日本はホスピタリティのトレーニングが要りませんから」。この日午後に参加した観光庁主催のDMOのシンポジウムで聞いたハワイに住む日本人女性経営者の話。空前のインバウンドバブルが起きて今注目の観光推進組織DMOですが、ハワイの観光振興ではこのDMOの存在が大きいことを実感しました。年間の事業費は400億円、財源は約10%近い宿泊税で、理事はボランティアで無休、CEOは年俸4000万円。
阿寒のDMO的な組織が入湯税を13年かけてようやく100円挙げた話は有名ですが、その規模を考えると、この差は笑えるとハワイ関係者。でも、と続く文脈に冒頭の言葉があります。日本人にはついもてなしてしまう観光資本が潜在している、ということのようです。


■1/26 地域でビジネスを起こすために

仕事でフォーラムを開催します共働学舎の宮嶋さん、ガーデンショーをプロデュースされた高野さん、下川の環境都市をマネージメントされた春日さん、それと地域経済の専門家・北大の小磯先生。研究会を代表してマッカリーナや上川のフラテッロ・ド・ミクニなどを手掛けてこられた東村さん。地域ビジネスの実践家であり有識者の超豪華キャストです。ライブは先着60名のため、申し込みが殺到しています。で、当日の動画は編集後、you tubeで用意しますので、ぜひ、早めに申し込みいただくか、you tube のリンクをご覧くださいますよう。

■1/24 辻まこと的ウラヤマと社会的共通資本
1年ほど前、学生時代の山登りの倶楽部の創部60年の記念誌にこんな原稿を書いていました。忘れていました。昨年の正月に楽しみながらつづったことを思いだしました。来し方の総括みたいなものでしたが、歳のせいでしょうね、こういう、意味を問うことが増えました。そして痛恨の極みを思い出し、懺悔することも。(-_-;)

■1/23 オジロワシ飛ぶ雑木林で

晴れた雑木林の山仕事は楽しい。進み具合はいまひとつだが、まあ、なんとかなるだろう。いいことにしよう。あと1か月が山場だ。
道内はもとより全国的に天気が荒れるなか、晴れて雪の少ないのどかな風景が眼前にある。オジロワシが上空を飛び、近くでクマゲラが鳴いている。一馬力の手仕事に汗を流すシアワセ。


■1/20 ハスカップの企画展
勇払原野のハスカップ原生地を「ハスカップ・サンクチュアリ」と命名して観察活動を続けてきましたが、ここ2年は特にGPSを使ったフィールド調査を本格化させ、ハスカップを「コモンプール資源」と新たにとらえ直すフォーラムを苫小牧市内で開催してきました。また、開拓時代の入植者がハスカップとどのように関わってこられたのか、なども聞き取りを始め、それらの活動の一部は前田一歩園財団から助成いただき実施してきました。27年度は特に苫小牧市の美術博物館とハスカップ調査に関する連携も始まりました。2月13日から約1か月間、苫小牧市美術博物館でハスカップの企画展が開催されます。ハスカップに関して「始まる」ことが多いこの頃。新時代が始まるのではないか、という予感が少しあります。これまでの先人のハスカップの蓄積の上にもう一歩歴史を刻むことになれば。まちづくりと連動した「ハスカップイニシアチブ」は静かに進行中。

■1/16 冬の仕事着

学生時代の冬山登山で、わたしは一部の先輩の教えを受けて、着古した毛糸のセーターを肌着にしてその上には化繊のワイシャツにしていた。山スキーを履いて斜面の新雪をラッセルする時は、上半身はこの2枚の衣服で通した。これが汗をかきすぎない、適度な温度調整テクだった。-20℃近い冬山でも、大丈夫なもので、昨今の厚着の登山風景を見ると驚き逆に心配になる。もしものビバークの時に、何を着るのだ、と。

さて、山仕事もこの薄着がいい。もっとも昨今は肌着の繊維開発が進んだのでヒートテックとか様々な薄くて寒くない下着があり、わたしは下着だけは登山用品店で保温性の高いものを使うようになった。思い出せば、ひと冬に何十日も山を歩いていたので、シーズンの終わりか、次のシーズン初めに下着のセーターを洗剤につけると、それだけで洗濯の水は真っ黒になったものだった。セーターを下着に使うとチクチクしてそれは肌触りが悪かったが、着古すとなじんだ。なじむということは、汗でコタコタになることと同義
だったようだ。


■1/15 アナログの自由

あることがきっかけで、太い芯の鉛筆を多用しています。Fabel Castellの8Bがそれです。ドイツ製。これはどうしても先が丸くなるので、ち密なことには不向き。それでも、モノゴトを大局的に描いたり、道筋を大きく描くデザインや図など考えの整理にはとても有効です。日頃から、細かいことを考えすぎて大所を捕まえ損ねたりした反省からここにきました。おかげでノートはどんどんページがはかどりますが、とても印象的なものが増えました。フリーハンドでやわらかく発想し描く。鉛筆を替えるだけでややそこに近づいた感じ。大事なことにたどり着いたような気もします。

■1/11 冬も森を歩く人々と都市林

午後、北大研究林に行ってみました。北海道では野幌森林公園と並ぶ大きな都市林に位置づけられます。面積は2700ha、北大が所有し様々な研究が行われながら市民に開放されています。午後2時、駐車場には10台の車が止めてあり、網の目の林道やフットパスでカップルやアマチュアのカメラマンたちに出会います。訪問者は年間10万人とか20万人とか言いますが、毎日ここを歩く市民のことを想定すると実際はもっと多いのではないでしょうか。市民の上水の源でもある幌内川は満々と水をたたえ、落ち口にはニジマスの魚影がいくつも見えます。昨年、一昨年の大風による風倒被害はここでも生々しく、針葉樹、広葉樹問わず倒れ、または根返りを起こしています。右の写真、根返りを眺めるわたしを見に来た小鳥(ハシブトガラか)が手のひらに。

■1/09 木を利用するには手間がかかる
  
雪がほとんどない仕事始めになった。根返りした大木の掛かり木があったので、見立てと手順の応用問題として午後からabeプロにデモしてもらった。直径47cmのナラに50cmのナラガ根返りを起こしてかかっている。伐倒の角度をシビアに見定めてから見事によりかかられた方から倒した。根返り木の方も一瞬ブルんと地面を揺るがした。根が帰ってからの荒れ地感覚が嫌いだから、このような傾斜木は見つけ次第に倒している。年輪は50cmの方が約100年だった。参加者9名で後始末して積んだ。一時間半ほどかかった。2棚(一軒の1年分相当)近くあった。このような手間を面倒とみるか、人間一馬力の手間を確かな手ごたえとみるか。豊かな人生は明らかに後者だとわたしたちは思う。

■1/09 苫小牧民報元旦のハスカップ特集

振り返ると27年はハスカップにずいぶんつきあった年でした。フォーラムを開いたり、開拓時代のハスカップを知る年配者にヒアリングをしたり、そんなNPOの取り組みがNHKの夕方の番組で取り上げられたり、あるいは米国からの研究者を原生地に案内したり。その辺の動きもあったのでしょうね。民報社から取材を受け一面がハスカップ記事となりました。これから苫小牧はハスカップも一つの軸として動き出す、そんなメッセージ性も感じさせる特集で、27年はハスカップ・イニシアチブ元年と言えそう。
■1/5 イギリスのチーズ

新得の共働学舎でたくさんのチーズを買い込んできましたが、なかでもやはりラクレットなどが特に私は好き。本当はブルーチーズも大好きなのですが、共働学舎の本体では作らず、ここを出た卒業生が各地で作り始めている。止むなくわたしは比較的安価な「小林牧場」のブルーを常備している。そうして思い出したのが英国のチーズ産地チェダーのパブのランチのチーズの量。800円程度のランチに、しこたまブルーチーズがついてきた。しかし、なんですね、この量を毎日食べていたら、洋ナシのようなお尻になっていくというのもわかります。
■1/3 リンクの総アラタメ
2011年に開設した「北の森カフェ」。長らく更新が滞っていましたのを、とりあえず、刷新しました。心ときめくものだけ、断捨離の視点でとりあえずリンクを張らせてもらいましたが、じつはもっともっとあります。振り返るときのよすがとなる
ようなページを目指してもう一工夫。
■1/1 平成28年、始まる

謹んで新春のお慶びを申し上げます。苫小牧は雪のない晴天の正月を迎えました。そのせいでしょう、樽前山神社は大賑わいでした。