2015年、日々の迷走 3 ■12/30 この一年、迷想を振り返って 長崎の畏友「まつを」さんのブログをまねて、わたしもこの一年のトップページの ブログについてタイトルだけ並べてみました。一貫性はまるでなく、糸の切れた 凧状態。言葉のキレもなく、それでいて情がこもっている風でもありません。 ただただ、流れに任せて日々をくぐり、たま~に覚醒、奮起。夏からの百日咳と 年末の食中毒と入院はまったくの予想外でした。 ======= 2015/12 魚尽くしで気づく 懐かしいグリーン・サム・クラブ Green Thumb Club と昨今の ガーデンツーリズム 間伐始まる デジカメの便利と限界 山の神の参拝 初めて の食中毒 三星さんのOBの方にハスカップのことを伺いました(苫小牧市美術 博物館にて) 駅前商店街のSさんにハスカップに関するプロジェクトについて 聞きます 2015/11 皇后さまのお言葉 人知れず、チェンソーの腕磨く 林と祈りとテクニック 山仕事のアジトをハウスのフレームで作る 「ラ・フランス」に思う 共働学舎訪問で思い出したこと 環境未来都市のイメージ 小屋泊まり 北海道のインバウンド最前線 土地の地の利を生かして 2015/10 このところの私的な出来事 村上春樹のノーベル文学賞 ハスカップ博物館 森のガーデン 日米のハスカップ研究者をサンクチュアリなどに案内 地方創生のフォーラム 林業の現場 NPO苫東コモンズの総会 ガーデンツーリズムの時代へ 開拓時代のハスカップ 2015/9 海のグローバル・コモンズ 森カフェのテラス完成 環境コモンズフォーラム (6/27)の概要報告 ドロノキの謎 上品な山菜取りを目指せ しばし留守に します 本当のシルバーウィーク 40周年の同窓会にて 柏原フットパスを案内 2015/8 薪づくりが完了し、ハスカップ聞き取り調査二人目 ハスカップサンクチュアリ 等の動画 胸が膨らむ集い ガイヤシンフォニー第8番 白老川のヤマメ 近現代史を学び直して聞く日本の発信 韓国・済州大学が苫東コモンズ視察 2015/7 ハスカップを追いかける 阿寒の森の研修とハスカップ踏査 NHKの報道 新聞報道の記録 いきなり酷暑へ(白熱セミナー) 今年の薪の生産は22棚(11軒分) 「コモンズ」へのエール オレゴンのハスカップ・シスターズ 珍客到来 地方創生と起業 ドローンの俯瞰景 ゲーテの処世のおきて 夏の焚火 2015/6 ニュースレター14号をアップしました 今年のハスカップの調査一段落して終える 間伐した薪を会員に届ける 明後日の12日から日本を離れます 北海道白熱セミナー 中欧の世界遺産をかけめぐる ハスカップの新しい波 コモンズフォーラム 2015/5 薪づくりにおける分業の意味 森と家具 苫東コモンズの新役員 森林ボランティアの懐かしい本を開く 森づくりへのエール 軽トラック願望 身近な林が実は敬遠されていないか? コシアブラを天婦羅にする 小さなキューケンホフ公園 花鳥風月の神秘体験 地域の共有資源「ハスカップ」の現況を知る フォーラムのご案内 薪を積む つた森山林の修景の効果 2015/4 世界十大戦争 ほっき貝とフキノトウのかき揚げ 千歳川沿いの小鳥のレストラン 黒松内のブナ 熊石にて 磯焼け考 薪の仕事は楽しい! 蔵書印で考える見切り 世界史の中の昭和史 リゾート通勤 NPOとして税金を払う ネパールの地震災害 大島山林でミズナラの大木見つける 千歳のハスカップ原野の今の姿 2015/3 63歳のこれから 川と森の付き合い方「田渕義雄氏」 早い春に備えて丸太を運び終える 人災と自然災害北国の春の「一挙感覚」 明日から岩手へ 三陸の吉里吉里にて 新しい造語「コミュニティ・フットパス」など 「林業新時代が来る」~岩手県の林業事例を振り返って~ 蓄熱型の薪ストーブ 日本森林学会と伐採技術研修 2015/2 春の光 白老のアイヌ民族博物館 飲み屋さん にぎやかな山仕事 「かなぎ(広葉樹)はプロに任せる?!」 「森づくりへの提言Ⅱ」 道内4番目の都市 吹雪のなかイタヤの樹液採る 羽幌の集い集い前後 啐啄同時 雪が落ち着いたら春 今年のスケジュール 日本森林学会 雑木林と図書館 2015/1 謹賀新年 これからはまず「思うこと」に始まる 枝を燃やす ニュースレター13号 山仕事始まる ハスカップの新しい波 中村天風 地元学 いきなり大雪 道南にて 雑木林の手入れと薪を作る手間 コミュニティのフットパス コープ森づくり交流会 ■12/27 駅前商店街のSさんにハスカップに関するプロジェクトについて聞きます (10/10の「日々の迷走」から再掲) 23日水曜日に続いて今日は午後から、長年ハスカップウィークなどの関連プロジェクトを続けてきたSさんにお話を聞きます。いずれ『ハスカップとわたし』という市民史にまとめるべく鋭意記事を収集していますが、『ハスカップと開発』(いずれ開発を苫小牧へ変更予定)という資料集も編集を終えました。こちらは出版ではありませんが内容は市民史とペアにすると俄然厚みを増します。いずれも「ハスカップ」を主役にしていることがミソで、ハスカップを軸にして地域と時代を見ていく絶好の本になります。じっさい、この地にあってネイティブとハスカップは切れない縁をもち、「ハスカップ食生活」はローカルなここだけの文化だと理解せざるをえません。そんなことを考えているのも、ここの人々以外に絶対ありえない。ああ、このローカルな喜びは何なんだ。 ■12/23 三星さんのOBの方にハスカップのことを伺いました(苫小牧市美術博物館にて) NPOと博物館の連携事業の一環で、いち早くハスカップ関連食品「よいとまけ」を工業都市・苫小牧の意外な地域ブランドに育て上げた三星の方に苦労話をお聞きしました。やはり、ハスカップは苫小牧市民の真ん中において、マチのアイデンテティを考える上で欠かせない存在であることを実感します。 ■12/23 初めての食中毒 更新がずいぶん遅れました。実は下記山の神参拝の翌日未明から下血があり、14日月曜日も止まらず病院で受診すると、出血性大腸炎と診断されて、職場近くの札幌の内科胃腸科に即入院と相成りました。検体の培養の結果は病原性大腸菌O-18が発見されたのですが、はて感染経路はどこか、がよくわかりません。絶食3日の後、重湯から全がゆへと食餌療法をとり、安静にしました。が、週末の力仕事のため体力減退は防がねばならず、日中はほとんど横にならないで、職場との電話連絡以外は雑読風の読書。まとまったものでは、山崎豊子著『沈まざる太陽』1,2巻、櫻井よしこ編『アジアの試練 チベット解放はなるか』、それと冥想に関するものなど。病院食はほとんど完食したせいか、体重は入院前後で変わらず。 ■12/12 山の神の参拝 小春日和の12日、山仕事の安全を祈る。わたしたちは作業地が分散するので、まず一帯で一番歴史があるつた森山林の山の神に参拝して、次に大島山林に移動しあたりで一番大きなドロノキに安全祈願した。昨年までは小屋の前でも集ったけれど、焚火の字間がつい長くなるので、公式行事はつた森山林と大島山林に絞ってみた。山仕事を受け持つ10人余りが一連の行事に参加、作業は来週からまた本格化する。 ■12/10 デジカメの便利と限界 記録としてデジカメをずいぶん使うけれども、かつて一眼レフを使ってきた人間にはつまらなさが募る。なにが詰まらないか。とどのつまり、人間がやるべきことをカメラに任せてしまった、つまりアウトソーシングだという。その流れで、これからのハウス・ロボット技術の中には、人間のやるべきことすべてをとってしまわないで、例えば、落ちているごみを見つけたら最後に人間に拾ってもらうロボット開発が紹介されている。ただ生まれてから死ぬまで、雑事を回りの人やロボットにしてもらうのが幸せかどうか。日本人の労働観は「奴隷」を使うような回路がない。これは美徳みたいだ。健全な仕事感覚の中に生まれて幸せ。 ■12/06 間伐始まる 間伐はこれから雪が降る前にいいとこ、進めておきたい。精鋭数人が集い、わたしはまず、今年のエリアを全踏査し、間伐木にマーキングした。間伐すべきものは多く、いわば、前途は洋々としている。仕事は満載、春まで終わる気はしない、すでに。 ■12/06 懐かしいグリーン・サム・クラブ Green Thumb Club と昨今のガーデンツーリズム 当時のある牧師さんの庭。苫小牧でも英国式は可能だと確信した。 近年、かつてからの造園関係者とお会いすることが少しずつ増えて、ガーデニングの世界の変容に驚きます。以前もここで欧州からのガーデンツーリズムを受け入れる時代になったと書きましたが、そんなおりに、もし苫小牧にGreen Thumb Club が残っていたらどんなだったろうと想像もします。苫東会社を離れて札幌通勤を始めたころも、多くの仲間とつながり、まだ、こんな庭(ほとんど種から)を作っていた自分が信じられない。合わせて独り山仕事もしていたのです。そして最終的に庭のガーデニングをあきらめざるを得なくなり、雑木林のガーデニングに専念することになったわけです。99年のわたしの庭の実験は各種の種からいかにカラフルな庭を作るか。しかし、この年以降、地味な庭に変更、今はスペースは駐車場になり、ハンギングを作ったり作らなかったり。 ■12/02 魚尽くしで気づく 岩内の高島旅館に行ってみました。もとは島牧で営業していて、わたしはそちらで毎年3月の海アメマスのフライフィッシングの折に泊まっていました。そのころからざっと15年以上です。岩内のやや高台にありとてもあったまる温泉でした。料理は島牧時代とほぼ同様のメニューで、3種のアワビやカニ、ヒラメの生き作りなど、それはそれはの魚尽くしです。わたしが高島旅館時代に特に好きだったのが写真左の「もんけ」ですがご存じでしょうか。メバルの仲間で、島牧ではどこのうちでも食べる庶民の味だというけれど、市場などで見かけたことがありません。ヤナギノマイに近いみたい。浜の生活と内陸のギャップに唖然とする逸話です。こうして魚三昧の翌朝、なんとなく夕飯は肉を食べたいと思うのには我ながら驚きました。思えばまったく脂肪には無縁な日本料理尽くしだったのです。日頃、脂肪に富んだ食生活にどっぷり浸っていたことなど、思いもしませんでした。 ■11/29 土地の地の利を生かして 薪ストーブや薪などを搬入して、この冬使用する作業小屋が完成した。思えば、こんな平坦な土地で、雑木林を自由に手入れができ、挙句、ブッシュカッター一つでフットパスを作れるところなど、そうそうない。おかげで、スノーモービル1台で、間伐材の搬出ができている。むしろ、3月になると搬出ルートの雪が溶け出して、雪を足さねばならなかった。つまり雪が降る1,2月は除雪し、そのあとは「加雪」するのだ。 そこで考えた。間伐は落葉後で雪のない11月と12月に集中して済ませてしまおう。運搬は雪が落ち着いた2月に集中して行おう。これは胆振の風土が与えてくれたここだけの特典だ。これを利用しない手はない。そして3月はサンサンと降り注ぐ春の光の中で、新しい季節の恵みを声高らかに歌う季節にしよう。こう考えると俄然山仕事に余裕が出てきたような気がする。 ■11/28 北海道のインバウンド最前線 昨日は道内のインバウンド先進地から、凄腕の担当者を呼んでフォーラムを開催。ニセコや富良野、東北海道周遊ルートの阿寒、釧路、そして札幌の、今の動きと課題などを聞こうと、全道から民間と行政関係者180人ほどが集合。学生も10名ほど。海外のお客さん10名で、国内の平均納税者一人分に相当するとか、インバウンドは輸出と同じだとか、経済への寄与度は大きい成長産業だ。10年前に静かに予測されていた観光ビッグバンが確実にやってきた。その急激な変化に、現地は必死に現実の課題解決の対応と今後の対策に追われている。北海道の資源の再評価もしながら、体制づくりが進んでいる。官民の連携も見え、またマズイ部分も丸見えになる。 ■11/22 小屋泊まり 作業の終わりにふたりのスタッフとたき火を囲んでいると、遠くで白鳥の声が聞こえた。好天を予告していると判断して、急きょ、沼ノ端にワインと軽い食事を買い出しに出て、小屋にUターンした。月齢8日程度の月を東南東に見ながら、延々、焚火に当たって夜が更けた、と思ったが実はまだ8時前だった。朝、霜が降りた落ち葉を踏むと、いつもより大きなこわばりを壊すような音が鮮明だ。そして昨日から、野鳥が活性化しているように見える。見かけたのはいつものカケス、ヒヨドリ、クマゲラ、アカゲラ、シジュウカラ、そして白鳥だが、一部は渡りの直前を迎えているのか。しかし今年はのんびりして、いい晩秋だ。 ■11/18 環境未来都市のイメージ 今日は6時過ぎに家を出て,JRで下川へ。仕事のあと地元のNさんに下川の一ノ橋地区に建設された環境未来都市のモデルを案内してもらった。意外に広い、木質バイオマスを熱源に利用する実験ニュータウン。背後には、シイタケ生産施設もあり「産業」も一応セットされている。こういったわかりやすい資源とエネルギー循環は、木とともにあるモデル社会を紹介するにはもってこいだ。ヨーロッパの多くの都市はこのような熱供給はライフラインと考えており、歴史もある。わたしは初めてそれらに接した時に圧倒された思い出がある。Nさんは数日後、スウェーデンの有名な環境都市ベクショーに研修に行くといっていた。時節柄、テロがちょっと心配だ。 ■11/17 共働学舎訪問で思い出したこと 共働学舎新得農場に宮嶋望さんを訪ねました。年明けに行うフォーラムの打ち合わせが用件。かつて森林セラピーにコミットしていたころ、人の心身の自然と快の秘密を知り、風水はじめ、イヤシロチ、マイナスイオン、炭などのややアヤシイテーマを追いかけておりました。そんな折、身の回りの何人かとの話のエピソードに登場するのが宮嶋さんでした。が、お会いするのは今回が初めて。打ち合わせの前後に、生命エネルギーの未科学分野や発酵の話も直に伺うと同時に、チーズ工房も案内してもらった。古くからの日本人の知恵を現代科学が追認するような世界でもあるこの分野で、実践する先端科学者の印象を受けました。そうして紡ぎだされた結晶の各種チーズ。お茶うけに数種いただきましたが、一つずつ濃厚な個性を出しており、特別なうまみには思わずうなります。 事務所に伺う前、草花が霜で枯れた前庭からやや下り斜面の平地と周囲のたたずまいをみて、ここは風水に優れた立地だと直感しました。これは伊達で経験した土地感覚によく似ている。 ■11/15 「ラ・フランス」に思う 山仕事を終えて帰ると、郷里の兄からラ・フランスが届いていました。折り込みのチラシを読むと、チーズやワインによく合う、とあるのですでにひととおり食事を終えていたのに、ブルーチーズと晩酌で残した白ワインをもう一度出して合わせてみました。なるほど、よくマッチします。で、あることを思い出しました。それは福島県の経済界の方と一献したとき、当方の出身がお隣の件だと申し上げたら、実は、今や山が痰名産になっているラ・フランスも米沢牛もオリジナルは福島なのだと教えられたのです。山形は、東京からも離れ特に特産物もない時代に、必死に特産をつくる努力をした結果、福島でなく山形の名物になった、と。 この教訓は、飛躍すればがんばれば地域ブランドは作れる、ということになります。うれしい話じゃないですか。その一方で、わが北海道はちょっとのんびりだ、というよその話も思い出します。インバウンドのバブルが北海道にも押し寄せていますが、浮かれることなく、日本人、特にまず地元の人にも喜ばれ、よその人が評価してくれるものをつくり、それを自信をもって外へも勧める。そうありたいものです。 ホッキと並んでハスカップがその域にあるのかなと。 ■11/14 山仕事のアジトをハウスのフレームで作る この冬の山仕事の前進基地を新築 今は胆振の雑木林でもっともさびしい季節かもしれません。紅葉は終わって、地面に落ちているいろいろなものが妙に目に入り、お世辞でも美しい共感はない。おまけに寒くなる一方だ。本州からの転勤族は、こんな苫小牧を見て「緑がなくてさびしい」などと評する人もいます。けれどもわたしはこの明るい季節が大好き。表情ゆたかで、緑よりも「緑的」だ。 ■11/11 林と祈りとテクニック 新シーズンのチェンソーワークに一歩を踏み出したついでに、一冊の本を紹介しよう。abeプロに借りた「小田切師範が語るチェンソー伐木の極意」だ。わたしはメカや理論にからきし弱いが、著者でありその道の師範とされる小田桐久一郎氏のイントロはもっと人間側に寄っている。例えば、木を伐る前にまず祈るべし(草苅意訳)、みたいなことなど。また伐採を「折ること」と定義する。何を折るのか。「ツル」である。伐採とはツルを折って木を倒すことだと言い切って見せるのだ。すると私たちがオヤマ式とかイナバ式と呼ぶ伐木の方法も、そのための知恵だ、と明快にストンと腑に落ちるのである。だから英語も cut(切る)ではなく、fell (伐る)を使うのである。ちなみに講談社の日本語大辞典では「伐」は切り倒すこと、としている。「ツル」によって倒す方向をコントロールする、というabeプロが繰り返し強調する話とここで一致するわけ。来年の今頃、この小田桐師を胆振の雑木林にお呼びし、1泊2日のレッスンを受けるべく準備がすでに始まっている。 ■11/07 人知れず、チェンソーの腕磨く 林という自然を美しくするにも、そこからエネルギーを得るにも、木というものを切りながら持続して育てなければならない。「伐る」あるいは「切る」。そのベースとなるツールはかつては斧、のこぎり、今は普通はチェンソーと相成った。そのチェンソーとは高速度回転する刃物であり、毎年、林業者が労災で亡くなるニュースが耳に入る。わたしたちは、週末きこりの素人としてこのツールを扱う。だからこそ、毎年毎年、初心に帰ってチェンソーと伐採の初心に帰る。今日はシーズン初め、座学からテクの基礎、応用まで手掛けた。 ■11/06 皇后さまのお言葉 札幌の畏友Sさんのブログで知ったこと。皇后さまのお誕生日のお言葉の美しさ、皇后さまの思い。みこころ、とお呼びしたいお言葉の数々に、そして思いに、なにか洗われる気持ちがしました。 ■11/01 百日咳、60日経過 もうこんなになります。まだ、のどのイガイガ、痛みも消えず。夜中にせき込むこともしばしば。ただ月日の立つのを待てと、医療世界からのお達しか。見立てと対応が後手になり、広まっていき、かなりの患者がいる模様。要注意。 ■10/31 開拓時代のハスカップ 昭和23年、樺太から引き揚げて苫小牧市弁天で開拓に従事した長峰さん、黒畑さん。お姉さんの黒畑さん宅を伺い、開拓時代から品種登録の現在までのハスカップのお話を聞きました。お二人はハスカップに囲まれたような弁天の地から市の西部に移る際、3年ほどかけてハスカップを移植して新たに購入した自分の畑に栽培し、長峰さんは「勇払1号」の品種登録の礎を築き、黒畑さんはご自分のお名前である「ミエ」という品種登録の実績を持ちます。約70年前と今をつなぐ、興味深いお話であるばかりでなく、古い時代のあまり知られていない話は、自分の住む町や地方のアイデンテティを自覚する貴重なきっかけです。自然史はある程度よく記録されファンもいっぱいいますが、社会史、市民史というやや地味な側面の意味もようやく分かりかけてきました。同行者は美術博物館の小玉愛子さん、ライターの菊地綾子さん。 ■10/29 ガーデンツーリズムの時代へ 昨夜はオランダでガーデンツーリズムを進めているイアンさんを迎えた勉強会にでました。今年のガーデンショーを企画運営した「ガーデンアイランド北海道」の内輪の会。25年ほど前、個人的なテーマでフランスやオランダの庭づくりコンペの受賞者たちを廻ったり、そのあと、単身ニュージーランドの庭を見に行ったり、当時は庭づくりにもかなり熱心にアンテナを伸ばしていましたが、北海道のガーデニングがこの短期間でここまでくることは想像していませんでした。来年は欧州から北海道のガーデンツアーが少なくとも二つ以上、組まれそう。これはまさに民間の関係者の労を多とするものです。故人の庭を点景とするならコミュニティに広がれば小さな面になり、もっとつながればガーデン街道になります。雑木林のガーデニングは、その点、時間をかけて大きな風景を作り上げる。残念ながら、わたしたちはその美しい雑木林を目指すネットワークがまだない。 ■10/24 NPO苫東コモンズの総会 苫東の雑木林の紅葉は10月25日前後にピークが来ます。それで3年ほど前から、関係者とともに秋祭りの意味を込めて総会を開いています。去りゆく葉っぱの季節から、きりりとした晩秋と冬の山仕事を迎え、これまでの作業とこれからの作業をリエゾンさせるちょっとした儀式でもあります。 ■10/20 林業の現場 静内のある伐採現場を訪問しました。グラップルやブルで丸太を集め、ハーベスタを使用した伐採作業が進んでいました。長さ10数mのカラマツを幹丸ごと束ねて土場に出して機械で数秒で玉切りします。やはり、とてつもなく早い。日本林業は現場の造材作業費が高すぎると評判でしたが、このスピードならどうでしょう。ただ、本場の林業現場は跡地がいつもきたない。林道も林床もズタズタになります。誰に見せるものでもないし効率がこれで保たれるという利点の裏で、跡地の見栄えは常に犠牲にならざるを得ない。林業と農業はまずそこが違う。1年も放置すれば北海道の林でも確かに草が生えて荒れた地面は覆われる。。だが、このような奥山はともかく、人里近い、わたしたちのコモンズ林業はこうはいかない。ひとつひとつの作業であとの見てくれを心配し、できるだけ、作業をした形跡も見せないよう心がける。人力中心で進める林業の真似事(コモンズ林業)の意味はその辺にもあるかもしれない。 ■10/16 地方創生のフォーラム 午後、札幌パークホテルで開催された地方創生のフォーラムに参加。「地球温暖化」「持続可能社会」などと同様、あちこちで地方創生の活字をみるけれど、かねてから地域づくりとか地域振興と呼ばれたこのことは、人が住む地域があれば、永遠のテーマでネタは実は古い。今回のフォーラムのパネルは小磯修二北大特任教授がコーディネーターを務め、徹底して経済人が中心で、その分、論が走らないで理解できた。一方、前段で施策として説明する官僚の方のお話はその分インパクトに著しく見劣りしてしまった感あり。現場で動きながら論を練り、次の一手を考えながら打っていく。こんななかからゆるぎない地域活動は充実していく。地域に住む意味と面白さはそんなところにあると思う。 ■10/13 日米のハスカップ研究者をサンクチュアリなどに案内 オレゴン州立大学のK先生と北大のH先生は、ともにハスカップの研究者。オレゴンからK先生が来日したのを契機に、ハスカップサンクチュアリなどを案内してのち、厚真のハスカップファームを訪問した。現地の、お互いの質疑と意見交換がさらなるハスカップ理解につながる。(写真左=サンクチュアリで枯れた根を掘ってみる。右=Yファームにて、寒風のなか3時間が過ぎた) ■10/11 森のガーデン 根を残し見た目は枯れていく草花と、葉のみ落として長年月生き続ける樹木。木質化するこれら樹木と草花が進化の上で実はきわめて身近なひとつながりだなんて忘れていたような気がする。人生のある時期、ひょんなことから林のガーデニングに入り込み、なり損ねたことも思いださせる象徴的な風景である。林と園芸草花のコラボ。大きな風景改善を自分の課題として取り組むことができれば、それは至福の営みだと思う。一年は早い。ダイナミックな四季の変化はまるで大地のひと呼吸みたいだ。@半年のイベントを終えあと数日で閉園する道北の庭で。 ■10/10 ハスカップ博物館 いつだったか、誰とだったかは忘れましたが、「どこかにハスカップ博物館とか資料館とかあれば面白いね」という話題になったことがあります。地味なハスカップを北海道遺産に、などという話と一脈通じる話でしょうか。NPOがというか、個人的にというか、声をあげている「ハスカップ・イニシアチブ」もその周辺にあります。「ハスカップとわたし」というエッセー集めと聞き取り調査も少しずつ成果が積み重なっています。そんな折、札幌の先輩から苫小牧郷土文化研究会の「豆ほん」シリーズ全10数冊を譲り受けました。その中に「ハスカップ物語」があります。また、コモンプール資源ハスカップと開発の軌跡について文献・資料調査をお願いしていたものがほぼ出来上がってきました。これらを並べてみたのが上の写真。ハスカップの社会的側面がこれらの中にあぶりだされてくる感じを共有していただけたら幸い。故人を含め実にいろいろな関係者がいらっしゃるのです。この「風景」と「軌跡」をなんとか記録しておきたい。もちろん、ハスカップのサンクチュアリも。 |
2015年、日々の迷走 2 ■10/07 村上春樹のノーベル文学賞 毎年この時期に、氏の受賞が話題になります。期待、憶測、中傷、さまざまで、なるほどと思うものからナニサマカナと思うものまで。わたしはさほど熱心な読者じゃありませんが、彼が現代人、特に若者に共通するデタッチメント性(無関心)に言及していた河合隼雄氏との対談集を読んだころから注目を始めました。また文中に「そのままで十分OKだ」という意味のメッセージが出されますが、これはほとんど般若心経の世界だと思う。村上春樹作品にはそのようなものが「埋め込まれた」読ませ上手なプロだとも思う。おなじ村上姓の龍さんも同年齢で大好きな方で、先日は『オールド・テロリスト』を読破したばかり。ノーベル文学賞には政治性と社会性が不可欠と解く識者もいますが、わたしは今、日本からのメッセージが注目されているように感じられ、彼はそれをさりげなく作品で発信してきたゆえに、時代の方が変化して今回「もしや」という気がします。常識的には若すぎるらしいけど。とうとうわたしもかくしてすっかりブームに乗せられている・・・。 ■10/03 このところの私的な出来事 週末の同窓会のようなものが東京、札幌と2週続き、今週はコモンズの現地視察が2件続きました。余計なことながら8月末にひいた風邪がその後どんどん悪化し咳がとまらず続きました。「おかしいな」。4週目にとうとう医者通いし2軒目の医院の精密検査で百日咳と診断。今も加療中ですがこちらもまだ続いています。月が改まって1,2日は富良野から阿寒、そして釧路を経由して帯広泊。これで570kmでした。富良野から見る十勝連山は当然ながら雪景色でしたが、どういうことか、峠はどこも紅葉しておらず冬のサインはなし。ためてためて一気に紅葉、そして冬へと行くのでしょう。一方、帯広から戻った翌土曜日、山仕事の道具を点検してから初仕事に取り掛かりました。シーズン最後に掃除し目立てしておいたチェンソーはすこぶる調子が良く、今年の雑木林間伐も無事に作業できるよう(山の神には早いのですが)静かに安全祈願しました。「若くないんだから」。体の節々が痛む今朝は、そんな戒めの声が内側から聞こえます。が、いやいや、書斎の物知りでなく生涯現役のプレイヤーでありたい。「年寄(としより)半日仕事」(三浦雄一郎氏が言っていた)と割り切れば、できるのではないか。 ■9/28 柏原フットパスを案内 札幌の旅行グループ26名を柏原フットパスに案内。9割が女性。今日の苫小牧は夜明けのころは快晴だったのに、集合の柏原展望台の10時ころから雨が降り始めました。雨雲レーダーで「雨は10分」と読んで、その間、バス内でNPOや勇払原野などのレクをして、あがってすぐフットパスへ向かいました。45人に乗りのハイデッカーバスは気を使いながら沢の向こうの採草地へ。ガイドの草苅は、径の折々で樹木の「気」や森林セラピー、ヒグマの移動などフットパスの自然放談をしてる間に終了予定時刻になりました。しかし、もろもろの怪しげな話は女性の反応がよく気持ちいいほどです。実はサイエンスはこのような人の心身がすでにわかっていたにもかかわらず「未科学」な分野を追体験している構図なのは面白いところです。1時間ほどで一周して間もなく、また雨、それも本降り。ラッキーでした。わたしの場合、往々にしてここぞというときに晴れてくれます。感謝。 ■9/27 40周年の同窓会にて 週末の26日、大学の同窓会で定山渓温泉に集いました。卒業して40年だからみんな64歳前後のおじさんになっていましたが、大半はまだバリバリの現役で仕事をしています。変わったところでは前スリランカの大使とか、NHKのアナウンサーとか、農学部林学科にあきたらず医者になったものとか、ともかく果敢にチャレンジしてきた者たちの顔がありました。元気なはずです。それでも26人中、物故者はすでに数名、そのうちの16人が全国から集合したからかなり高い出席率。2日目の同窓会の締めは苫小牧研究林で、そこでは元林長だった青井俊樹・現岩手大学教授がガイドしました。元林長だけでなく現役の時より自然観が丸く軽くなったような印象があり、もっときわどく言えば、物事の多面性を知るようになって受け入れるようになった、さらには個々にはこだわらない、ということか。近況の雑談では「認知症がかってる」というのがキーワードであり、体力、知力ともかなりダウンしていることをお互いに認め合う会でもあり、そこに安心も見つけるのでした。 ■9/22 本当のシルバーウィーク 本州の旅行は歩きます。戸隠神社のこの日も前日も10kmずつ、股関節痛を忘れて黙々と。北海道ののどかな田舎者は、本州の大型連休の予想以上の混雑には度肝を抜かれます。御朱印の記帳待ちや渋滞で10kmのほかに立ちっぱなしが2時間ほど。画像には描き切れない人の込みように、早くも困憊する自分がにじみ出ています。非日常の行楽によって出た生活のリズム変調は、いつもの雑木林で復調させねば。で、昼前から刈り払い機をもって出かけます。これが本当のシルバーウィークか。 ■9/18 しばし留守にします 年に一度はどこか、古刹をめぐりたいと思うようになってから、こつこつと本州以南の名所を歩いています。今回は長野の戸隠神社。御朱印帳を持つようになったのがつい最近だったので、それ以前に立ち寄った高千穂神社や霧島神社、松江の神魂神社(かもすじんじゃ)や出雲大社、箱根神社、伊勢神宮など、心身が洗われ力を得たパワースポットの参拝の証はないのが残念ですが、これは喜んでもう一度訪問する機会を作るしかありません。古事記や近現代史をよく読むようになってから、少しずつ自分の生まれたこの国のことを、初めて、親身になって感じるようになってきましたが、古刹めぐりはその課外体験授業(ただし自習)みたいなもの。今、国会前を始め全国でデモの声が聞こえそうですが、わたしは、似て非なる別の非戦の思いから戦没者の慰霊もしてきたいと思います。画像は平成22年に訪れた神魂神社(かもすじんじゃ)。■9/15 季節のたより 昨夜、残ったボリボリを甘辛く煮詰めて酒のさかなに。色は黒ずんだけどさすがの味でした。寝る前外に出ると空から懐かし声。見上げるとたった一羽の白鳥が南西に飛んでいきました。室蘭の知人の話では先週末、マスイチ展望台には朝ハチクマだけでも30羽近く集結したと。壮観だろうなあ。そう、9月はそんな時期なのでした。それにしても天候が穏やかならず。大好きなお月様をとんと拝んでいない。13日が新月で今日は月齢1.8だから、帰宅するころ、JRの跨線橋から西の空にか細い月が望めるはず。これはちょっと朗報。 ■9/12 上品な山菜取りを目指せ 手入れしてきた雑木林に山菜が豊かになるのは正直、うれしい。風景が好みの方向に代わって、かつキノコに関しては確実に出が良くなる。しかし、庶民は一獲千金の大群落に弱く、一家で食べられる限界以上に採ってしまう。春の山菜のフキやタケノコ、秋のキノコでもシメジやシイタケなら保存することもあるけれど、ボリボリは冷凍すると今一つだし、なにより採った日か翌日が一番おいしい。採る楽しみと食べる楽しみを両立させるためには、喜んでもらって食べてくれる人をもつことだ。今、北国は、アキアジやキノコをこんな風におすそ分けする光景が見られるだろう。押し売りにならないよう、気を付けたい。 ■9/8 ドロノキの謎 勇払原野に普通に自生するドロノキは、苫東の緩衝緑地を作る基本樹種として大切にされた樹種ですが、まっすぐ伸びていかない幹や枝をずーっと観察している間に、ドロノキの枝張りに病的なものを感じ取り精神疾患となにか関係がないかと思っていました。今、瀨川拓郎著「アイヌ学入門」を読んでいるのですが、「第5章疫病」の段で「ヤナギ(ドロノキ)の白い粉からは精神を冒す疫神が生まれ、黒い粉からは疱瘡が生まれた・・・」とあります。ガーン。ヤマグワの木から気を感じていた私が、「インド・ネパールの聖なる木」という本の中に、桑の木は仏陀が悟り拓いた樹木であり人々はこの木の下で嘘がつけない、という文章を見つけた時と同じくらいのショックです。でもこれについて共感をいただけるとは思えません。が、たった一人賛同者を得た気分で個人的な話としてとどめることにします。オワリ (^_-)-☆ ■9/6 環境コモンズフォーラム(6/27)の概要報告 「開発こうほう」9月号の「マルシェノルド」に、フォーラムの概要4pが掲載されました。一方、地元の苫小牧民報さんは今年、フォーラム連載はされませんでしたが、ハスカップとコモンプール資源は、苫小牧にとってネタが使い古しているとみられたのでしょうか。というときに、米国のオレゴン州のKさんが、ハスカップの原生地を見に来ます。地元では無名なのに外国の方がこっちを向いておられます。ある製薬会社が北米からハスカップを輸入するという計画も耳に入ります。 ■9/6 森カフェのテラス完成 若葉が萌えひなが育ちキノコが生え、雨や雪が降り時に大地が揺れ月が満ち欠ける森羅万象。それらを差配するものを神と呼ぶとすれば、神を身近に感じる場と時があるような気がします。雑木林にできたばかりの小さなテラス、そこに誕生するだろう森カフェ。コナラの雑木林を歩かずとも癒される不思議な空間。雑木林に出来上がったテラスに使い慣れた椅子とテーブルを置くと、空気は一瞬、凛として、林の薄暗がりに浮かび上がりました。実際、アミラーゼモニターを使ってストレス変化を測ってみようかと思います。 ■9/3 海のグローバル・コモンズ ぼやいても仕方ありませんが(笑い)、往復4時間の通勤のあと、軽く晩酌をして風呂に入るともう、寝る時刻になってしまうから、このホームページを更新するのはモーローとした夜中か、週末だけになってしまいました。当然ながら、本ホームページの定期的な訪問者が激減してしまいました。そ、それで今日のタイトルですが、今、北洋で中国と台湾のサンマ漁のあわを食って日本の漁獲量が減ったという話。クロマグロも実はそうで、要は海のコモンズの持続的ルール化の問題。いわゆる、グローバル・コモンズという国際問題ですね。今は、早いもの、強いもの勝ちですが、さて、そんなわけにいくのか。=(私たちのそれは=ローカルコモンズと呼ばれます) ■8/29 夏の焚火 先週、作業小屋のログハウス前にテラス制作を本格開始しました。テラスは雑木林究極の憩いの空間。モロモロの訪問客を受け入れる青空レクチャー空間であり、勉強会やNPO総会などにも使っていきます。テラスの中心には焚火の炉。これもようやく形が見え始めました。やはり、雑木林ケアセンターの特長はふんだんな薪であり、時間でありましょうか。作業の合間になんとなく誘い込まれて一周してしまったフットパスの、膝にやさしい腐植土のクッションは格別なものがあります。枯れ枝を拾ってきて焚火に取り掛かると、止まらない。 ■8/25 ゲーテの処世のおきて 「済んだことをくよくよせぬこと」「滅多なことに腹を立てぬこと」「いつも現在を楽しむこと」「とりわけ人を憎まぬこと」「未来を神にまかせること」。庶民でも還暦を過ぎればこのことはかなり同感できるのではないか。要するに「取り越し苦労は無駄だ」「今、ここ、に集中せよ」と言っているのかもしれません。なにやら禅の教えにも似てきます。人はかくも煩悩が多いが、反面、いくつかの修養の言葉にたどり着くと、救われることがままあります。連続する昨今の痛ましい事件の根っこは心とその発達の問題とみれる。心を救い救われるための仕掛けを、現代は欠いてしたったのです。本来、林そのものもそうだし、散歩も、薪づくりも刈り払いも、あまたの手作業もその仕掛けの一つだったはず。だったら道具と場を提供する新ビジネスを始められないものか。頭でっかちの比較地獄から、手仕事の世界へ。「雑木林だより」はその広報誌、PRメッセージになるだろう。 ■8/22 韓国・済州大学が苫東コモンズ視察 今月初めオファーを受け、週後半の2日をかけて、視察対応と意見交換セミナーの相互交流を行いました。やはり、コモンズの概念は土地の利用と管理について地域課題の解決に間違いなくコミットするものであることがわかります。詳細は「雑木林だより88」に。 @大島山林にて ■8/15 近現代史を学び直して聞く日本の発信 14日、安倍首相が戦後70年の談話を発表し敗戦記念日の昨日は天皇陛下が「お言葉」を述べられた。簡明な言葉の中に含まれる歴史が重たい。内外に緊張感を増す中の2015年の夏は忘れがたい年になりそうだ。それだけ国の根幹にかかわる難問を抱える昨今ですが、そんな折に、わかりやすい視点で日本の近現代史にコミットしている一人が、意外にも田原総一朗氏ではないかと思います。かねてより国内外の大物実力者と接点を持ちジャーナリストとして遠慮のない激論を厭わず切り込むのを常としてきた方だから当然ともいえますが、発言の背後の情報と視点の確かさが光る。この一年だけでも、渦中の人・百田尚樹氏との「愛国論」、猪瀬直樹氏との「戦争・天皇・国家」と対談集が熱かった。特に後者の中で猪瀬氏は戦後日本をディズニーランド」だと表現。警備は米国にまかせて「過激な世界情勢にはなるべく関わらずに、一国だけの夢の国のような平和を享受してきたこと」を指している。昨今の日本の揺れは、夢の国の「夢」からどうさめるのかという自問自答に関わっている。日本の近現代史はこれからのための壁のような土台だ。合掌 ■8/11 白老川のヤマメ 飛び石の夏休みの午後、白老川本流、水温21度。本流の荒瀬と深みからパームサイズを3つ、引き出す。フライはウェット、パートリッジ&イエロー#12。ロッドは白老の及川バンブー3番。雷雨となり1時間で退散。サケはまだ遡上していない。 ■8/9 ガイヤシンフォニー第8番 土曜日の夜、北海道初上陸の地球交響曲第8番を植苗の「イコロの森」で。龍村仁監督のこのシリーズは1番から欠かさず見てきた。いつもなにかしら宇宙的なものや不可思議な、偉大なもの、いわゆるsomething greatが描かれるが、今回は「樹霊」だ。樹木に霊気を感じるから嫌いだという人もいるが、わたしはむしろ老大木を探して歩く。高山を自然に崇めるのと同じように。映画はめったにみないが、いい刺激を受けた。8月8日は24節気の立秋だとか。季節の移ろいを俯瞰して眺める気分。大地と一体になる。 ■8/7 胸が膨らむ集い 昨日、道北の和寒で地域おこし協力隊と集落支援員として活動する4人をお呼びして、小さな研究会を開催しました。時は地域振興の掛け声がヒートアップするさなかですが、協力隊はその中でももっともシンボル的な存在。どう受け入れ、どう飛び込みとけこむのか。どう、起業し定住に動くのか。まったく動機も手法も異なる老若男女4名の実践とメンバーや町長とのやり取りに、胸を膨らませる人が少なからずいらっしゃった。場所はcafe nido、有名な街の顔・コミュニティ・カフェ。 ■8/3 ハスカップサンクチュアリ等の動画 下記7/31の画像の動画がアップされました。 ①ハスカップ・サンクチュアリ ②大島山林の薪広場 7/31の朝日新聞の広報誌「てくてく」にはNPO紹介記事あり。 ■8/1 薪づくりが完了し、ハスカップ聞き取り調査二人目 *活動予定表更新済み 広葉樹林の間伐に始まる薪づくりがやっと完了。1月あたりから動き始めるからなんと足かけ7か月を費やしたことになる。そうなった理由はその間にハスカップ調査などを挟むから。そのハスカップ関連はこれから「ハスカップの思い出」「ハスカップとわたし」の聞き取り調査が本格化する。開拓とハスカップのエピソードから始めており、前回は苫小牧市静川に住んでいた厚真町の斉藤泉さん、今回は安平町遠浅の大島カツ子さんら。故・大島清さんが3歳の時のご家族勢揃いの写真も見せてもらい、開拓から現在までの時間の長さに思いを致す。その一コマにハスカップと大島山林があって、今に続く。 ■7/30 ドローンの俯瞰景 朝、霧雨に煙る「イコロの森」のボーダー花壇は素晴らしかった。話題のドローンの威力は実によくわかる。降ったりやんだりのなか、大島山林、ついでにハスカップ・サンクチュアリも、走破。ちょいの間だったが、平場のGPSでは表せない上空60mからの俯瞰景を撮ってもらった。これは自然理解に明らかにある視点を付加する。 曳いていくときにドローンらしさを感じる。 ハスカップ・サンクチュアリ。原野ではなく森に見える。 下に私たち3人が見える。 ■7/25 地方創生と起業 江差の旅庭「群来」 苫小牧にいるとあまりピンと来ないのが地方創生だ。ここは経済がダイナミックに動いていて、働く場や地方財政にはダントツに恵まれている。だから「観光」なんて全くと言っていいほど注目されていないし、したがって、地域資源などということも本気で考えてこなかった。だが、道内各地、いやその一部では地域を維持・再生させる切り札として海外からの旅行客・インバウンドに傾注している。去る7/23と24、インバウンドのセミナーを開催するため道南の江差にお邪魔した。来年3月の新幹線開通に合わせてインバウンド受け入れの課題に対応するため準備する地域ニーズ対応でもある。苫小牧にいるとほとんど切実に感じないそんな現実の中に、我らが「ハスカップ」と「コモンズ林業」もある。 知内「青の洞窟」 ■7/20 珍客到来 学生時代の山仲間が東京、熊本、札幌からやってきて、空港での搭乗までの半日をフィールドで過ごしていった。仕事の方は当然みな定年間際ばかりで、一人九州でデコポンを作っている彼だけが定年なしだが、あと10年とか言っていた。勇払原野における個人的な充足感を、よそから遊びに来た友人らが、なにやらゆったりと眺めて感じて、過ごしていった。小屋のベランダに青大将のミドリチャンがいて、恐らく親子の団欒のさなかだった。ミドリチャンはどうやら白内障を患っているのか。右目が白かった。小屋の主のようにどっしりして逃げもしなかった。 ■7/18 オレゴンのハスカップ・シスターズ NPOの恒例のハスカップ摘みはあいにくの雨交じりで、かつ前日すぐそばに小熊が見つかったなどで参加に悪要因が重なったのに、そこはさすが、約30名もいらっしゃった。そのほか、黒松内から「ブナ林再生プロジェクト」の面々9名が視察にこられ、事務局・草苅が案内した。驚いたことにその中に米国オレゴン州で親がハスカップ農園を手掛けているという方のハーフの姉妹(ハスカップ・シスターズと命名)と祖父母の方がいらっしゃって、思いがけない方向に話が展開。最後は北大研究林に案内。甚平の「ハスカップおにぎり」をお土産に買われた。 ■7/15 「コモンズ」へのエール 白熱教室の翌日、当日の参加者から「(コモンズ林業の活動は)全道的な展開をしてほしい」旨のメッセージが届いてびっくりしました。うれしい驚きでしたが丁重に辞退させていただきました。ただ、環境コモンズの仕組みは「理解される」となんとなく思えるのは収穫。今後、まだまだネットワークやルール作りとなると、逃げだしたくなるほど課題は山積。 ■7/13 今年の薪の生産は22棚(11軒分) 薪ヤードの残が見えてきた。26年度の冬は少人数で短期間ながら、22棚の生産になりそう。 d ■7/12 いきなり酷暑へ 昨日今日の苫小牧は年に1,2度あるかないかの酷暑でした。わたしが苫小牧に赴任したころの昭和51年ころ、気温は25℃を超えるのすら年に1,2日した。そのころと何が違うかといえば、駐車場の舗装率。地球が温暖化しているわけでなく、おそらく都市のヒートアイランド現象でしょう。 昨日、武蔵女子短大で行われた「白熱セミナー」でわたしは北海道こそ熱エネルギーを身近な里山の保育から生み出すべき、電気の前に熱だ、と申し上げました。参加者140人。司会は毎日新聞の編集員、パネリストは農林省の官僚、早稲田大学の教授、武蔵短大の教授、そして私でした。パネルのテーマは「地方創生と再生エネルギー」。わたしの話は里山発電から見れば傍系でしたが、北海道ではまず木質バイオと熱だ、という話は結構反応が良かった。 ■7/10 新聞報道の記録 このところの記事をまとめてPDFにしてアップしました。 ■7/9 NHKの報道 約3週間続いたNHK室蘭さんの取材の成果が昨日7/8のほっとニュース北海道で4分前後紹介していただきました。この時間で収めるには取材幅が広すぎたきらいがあり、集約してみると、つまるところ主役はハスカップの動きを可視化した「GPSのグラフ」となりました。これはこれで正解だったと思いました。ただ、活動に顔をだし協力された皆さんは画面に出ずきっと少々がっかりされたと思います。その点わたしは代表してでかい顔が出ましたが、それはそれで不本意であり慙愧にたえないものです(-_-) ともあれ、NPOの活動の一端が新聞を含めて種々くりかえし紹介されたことは今回の取材に感謝すべきことであり、NPOにとっては大収穫でした。 取材開始から放映までざっと3週間。映像作りのご苦労をあらためて感じました。担当されたKさんに心から感謝申し上げたいと思います。 それにしてもハスカップは地味です。イベントの旗でも振らないと目立たない。NPOの取り組みの目的も一般受けしない歯切れの悪いものだった。しかし世の中、往々にしてそういうものです。それでOKだと思います。ハスカップの行く末を見詰めつつマイペースでじっくり参りましょう。どうやら私たちNPOもハスカップの後見人の一人になったようです。 ■7/6 阿寒の森の研修とハスカップ踏査 阿寒の前田一歩園の研修と、釧路湿原等のハスカップ群落踏査を終了し、今日6日、苫小牧に戻りました。結論からいうと、①我らが苫東の雑木林は藪山ながら地域の環境を反映した立派な履歴であり、美林・大径木の林と同じように意味を持つ個別の林だということ、②勇払原野のハスカップ群落が日本一の大群落であるということを直感しました。ハスカップに関しては、あの釧路湿原でも、自生地とされる場所が地元では名も知れない小群落であり、とても摘み採りが風物詩になるような代物でなかったことが理由です。これは生育の適性を如実に表していました。詳細はいずれ、雑木林だよりへ。 7/4 阿寒湖の見える展望台にて。案内は財団の新井田常務(後列左)と酒井さん(撮影担当)。 ナラの大木の居並ぶゾーンにて。直径は160cmほど。推定樹齢は900年。 7/5の朝、ホテルそばのフットパスを歩いて小島の見えるポイントで帯広のアングラーと歓談。「さっぱりですよ」という後ろで大きなライズがふたつ。アメマスのフライフィッシング、今年はやや低調か。 7/5 釧路湿原・温根内のハスカップ。小さな群落が木道わきに散在し、地面は水浸し状態。ヨシ群落のいつもの水位だ。実はあまりついておらず、それらの長さは6,7mm程度。勇払原野の3分の一程度だった。当年生枝がなべて赤い。 ■7/1 ハスカップを追いかける 6/30午前は雨の中、ハスカップのサンクチュアリ視察の方々を受け入れ、NHKさんの取材も敢行。午後はNPOと博物館の連携事業「ハスカップとわたし」の聞き取りを行いました。終日の雨、それなりにスッキリしました。写真上は市民のハスカップ採取のおばさんたち。結構篠突く雨なのに果敢に採っていました。これは次世代の女性に受け継ぐことができるでしょうか。写真下は、この日の午後、かつて静川に住んでいたSさん(81)に「ハスカップの思い出」のモロモロを聞く聞き取り調査風景。植生調査と聞き取り調査のいずれも前田一歩園財団の助成をいただいて実施しています。 |
2015年、日々の迷走 1 ■6/28 コモンズフォーラム 今年のフォーラム開催の背景を表現するキーワードは「交代」ではないでしょうか。ひとつは、ハスカップ現生地=サンクチュアリ周辺植生がハスカップからほかの植生にゆっくり交代しようとしていること。 ふたつめはハスカップの関係者がこれまでけん引してきた方々からやや若い世代に交代しようとしていること。みっつめは土地の所有者が㈱苫東から遊水地の関係者に交代しようとしていること。ちなみに今回のフォーラムには遊水地の中心的存在となる行政関係者は出席していなかったようです。さっそく6/28北海道新聞の朝刊に掲載されています。 ■6/23 ハスカップの新しい波 近年のハスカップのキーワードは「世代交代」。地域のシンボル「ハスカップ」を背負う世代の交代。次に土地と環境の管理や所有者の交代。最後に、ハスカップそのものがほかの植物に置き換わろうという植生変化という課題。5回目の環境コモンズフォーラムではそこに「コモンズ」と「コモンプール資源」という耳慣れない概念を重ねて勉強し意見交換します。6月27日土曜日午後1時半、苫小牧市サンガーデンで。 問い合わせ・申し込みは北海道開発協会(佐々木)tel 011-709-5213 mail kenkyujo@hkk.or.jp ■6/20 中欧の世界遺産をかけめぐる 先週から、ザルツブルグを皮切りに東方に向かいウィーン、ブダペスト、プラハのほかハルシュタット、チェスキー・クルムロフなどの世界遺産を走り抜けました。多い日は1万5000歩、ウォーキングポールを杖代わりに使いました。途中、ドイツに戻りドレスデン、マイセンも。ドレスデンではエルベ川に橋をかけようとしたらユネスコが世界遺産を取り消すというので、「それなら世界遺産はいらない」と市民投票で決めたという話に感動。確かに世界遺産でなくても十二分に街は美しかった。世界遺産は確かに観光誘因のアドバルーンには最適と思いつつも、では北海道のインバウンドは、と考えるとちょっと違う。北欧が今、コモンアクセスの万人権という文化と生活スタイルを世界遺産にしようという動きだしていますが、そちらに近いような気がします。たとえば150年ほどで人口600万近い人口まで開拓した超スピードの歴史、とか。名づければ、「北海道開拓を世界遺産」に、てな具合に。身近なところでは、個人的にハスカップを北海道遺産に、と声を上げたのですが、まわりはニヤニヤ笑っています(笑い ■6/11 北海道白熱セミナー このようなセミナーのパネリストに呼ばれていて、先日フライヤーができました。すでに北海道新聞や朝日新聞に大きく広告が出ました。テーマは地方創生と里山のエネルギー。機長提言する中村さんは耕作放棄地で太陽光発電と養鶏や野菜作りを目指してすでに実績を作っている。こちらは愚直に里山で薪のエネルギーを作り上げる。資本はわずか、喜ぶ人も一握り。さてそれをどう判断するか。7/11@北海道武蔵短大 ■6/10 明後日の12日から日本を離れます 6月2日に行ったハスカップ調査には苫小牧民報さんと北海道新聞さんが同行されたと「雑木林だより」に紹介しましたが、苫民さんはさっそく6/3に、道新さんは今日の夕刊の全道版に紹介して大きく紙面を割いていただきました。いずれも無色透明に近い記事で良かったです。 さて週末から欧州中部に旅行してきますのでHPの更新はしばし留守します。時間があれば掲示板にプラハあたりの画像を載せられたらいいなと思います。 ■6/6 間伐した薪を会員に届ける ■6/5 今年のハスカップの調査一段落して終える ハスカップ・サンクチュアリの3年目の分布調査を終えた。2500㎡のブロックを4日かけて5つ手掛けたことになる。休暇をとったりして合計10人以上が関わった。また27年はハスカップの聞き取り調査も含め苫小牧市美術博物館と連携することとなって、小玉愛子主任学芸員はじめ報道関係者も来訪した。その様子は苫小牧民報さんがいち早く報道。(写真は調査の主役・GPS) ■6/1 ニュースレター14号をアップしました 書いておきたいことのほとんどは「雑木林だより」にもろもろ記しておりますが、こうやってトピックをまとめればまたひと味変わります(笑い)。第14号です。 ■5/30 つた森山林の修景の効果 一昨年、苫東の「つた森山林の管理方針」を提案した流れで、昨年秋、わたしが沿道の修景モデルを創りある業者さんがそのモデルどおり林道の両側20m、合計40mを延長1km間伐した。その仕上がりがなかなか見事。先週、遠浅町内会の見学会でも案内しましたが、メリハリの効いた修景間伐の意味を再発見しました。生物多様性保全や持続可能な森づくりのいずれもの観点で、好ましく見え満足できそう。ただ、保安林なので択伐率の制限がありますが、本来はもっと密度を落としたいところ。 ■5/30 薪を積む いよいよ薪づくり作業は終盤に差し掛かり、もうすぐすべてを割り終え、来週は一部、分譲のために搬出へ。5/30は4.5人で割り、1.5人で運び積みました。実にわかりやすい工程ですが、ここまでちょうど半年かかっています。南富良野からkuriちゃんが応援に。 ■5/28 フォーラムのご案内 平成27年はハスカップ新時代の幕開け。キーワードは「交代」です。1番目はハスカップそのものの世代交代がどうなっているか。2番目はハスカップサンクチュアリの土地所有者の交代、3番目は開発問題の落とし子のような悲しげなハスカップを、開発の狭間でも力強く生きてきた勇払原野のシンボルとして扱おうという見方の交代、4番目はハスカップを親身になってケアする世代の交代。 時代はいつも新時代を待望しています。そして次のステージの新しいプレイヤーにバトンタッチ。そこにある壁はおそらく自分の住んでいる街を第2、第3の郷土と呼べるかどうか、そこにかかっているのではないでしょうか。 (詳細のpdfは上記画像にカーソルを合わせればご覧いただけます) ■5/27 地域の共有資源「ハスカップ」の現況を知る 3年目の調査は一部を前田一歩園から助成していただくこととなった。ハスカップとハンノキ、それから先んじて枯れだしたベニバナヒョウタンボクの枯死の度合い、今年はこれにナラ類の分布も併せてGPSでプロット化した。乾燥化の度合いとハスカップの盛衰は如実である。随伴種としてのハンノキ、ベニバナヒョウタンボク、そしてナラに置き換わるダイナミズムも明示できそうだ。調査予定の計3haをこなすには、あと3日は必要か。ハスカップの生態を本気で調べた人はいないような気がする。ハスカップはまさに「新時代」を迎えようとしている。 ■5/24 花鳥風月の神秘体験 先週末の木曜と金曜の勤務後、わたしより一回りからふた回り若い男女と個別に懇談することになった。どういうわけか、他人同士の二人が、おのおの自然の中での神秘体験を語るのだった。で、わたしは考えた。自分が、稀有な神秘体験を語るに値する、つまりはわかってもらえる人間と見込まれているということではないか。樹木や生き物とと語りたい、花鳥風月願望の一人として誠にうれしい。本題はまったく別の話だったけれども。 23日、薪づくりはあと2日。屋根から眺めるとおそらく22棚、即ち11軒分の薪がでそうだ。 またこの日は遠浅町内会の有志を、里山的な手入れのモデル「つた森山林」などに案内。 ■5/19 小さなキューケンホフ公園 今年のハスカップ関連プロジェクトの打ち合わせで博物館を訪問した帰り、苫小牧サンガーデンの前の植え込みに足を止めた。なんとなくオランダのキュウケンホフ公園を連想。雨の中だったからなおさらだったかもしれない。雨、緑、チューリップの原色がいい。 ■5/18 コシアブラを天婦羅にする 家内が「コシアブラの天婦羅、やはり1年に一回は食べたいね」という。昨日、フィールドでは大きくなりすぎていて時期を失したとあきらめていたのだけど、ダメもとでいいや、と日曜の昼下がり、近くのカラマツ林に行ってみた。なんと、採りつくされたタラの芽の周りにた~くさん残されていた。通りすがりの山菜おじさんが「それはなんですか?」と聞く。聞けばウドとタラの芽しか採らないという。かくして身近なところの資源がかくも温存される、というわけ。めでたいことに違いないが、今一つ、腑に落ちない。 ■5/17 身近な林が実は敬遠されていないか? 不思議に思うのは町内の人で、この身近な山林に入って楽しんでいる方がほとんど見ないこと。秋、キノコもほとんど採られていないし、散策で出会う人も実はほとんどいない。にぎやかになるのは広場だ。昨日の夕方、作業を終えてから山に入ったところ、入口あたりでも、たくさんのスドキが採り放題で、町内会のほとんどだれも、季節の恵み「スドキ」を採っていないと感じた。山菜にあずかる当方はありがたいが、もったいないではないか。林は遠くで思うだけでいいのか、存在するだけで十分なのか。わたしにはちょっと信じがたい。面積と人口密度の関係で、コモンプール資源としての問題はなにもないという、北海道らしい現象か。実はダニが恐れられているらしいが、対策や覚悟の方法はある。 ■5/13 軽トラック願望 地域活動に限らないけれども、各種道具をつかう現場の仕事をしていると無性に欲しくなるのが軽トラック。先日、年配の会員からたしかsambowとかいうネームの軽トラを借りましたが、これがパワーもあってしかも静かでびっくりしました。でも買えば高いんですよね、これが。欲言えばきりがないですが、しかし地域活動の機動力が明らかに革命的に変わる!週末だけ、都合の良い日だけ貸してくれないか、交渉しよう。 ■5/10 森づくりへのエール わたしたちの雑木林保育でできた薪は口コミ中心で少量を分譲していますが、この春会員になったSさんが昨日現場へ引き取りに来られました。残念ながら、いつもより作業参加者が少なくて積み込み手伝いは十分ではなかったのですが、夜、お礼のメールをいただき予想以上に喜んでもらえたことを知りました。それがまるで、森づくり、薪づくりへのエールに読めて、ホームページの「雑木林だより87」で紹介させてもらいました。つくづく、いい理解者に会員になってもらったと思い、胸が膨らんでいます。 自ら割った薪の山にたたずむ女性二人(5/9) ■5/9 森林ボランティアの懐かしい本を開く その本とは羽鳥孝明著「遊ぶ!レジャー林業」。職場の自分の蔵書キャビネットの奥に地味に背表紙を見せていたこれを偶然手にして、なにか不思議な気分がします。3月、日本森林学会の公開シンポジウムのパネリストになった時のわたしのタイトルが「やればできる!コモンズ林業」だったからです。1980年代後半、雑木林や森づくりが注目され、森林ボランティアが出始めたころかと思います。2001年、この本が出てすぐ、すでに個人的に林の管理を目指していたわたしはさっそく手にした一冊でした。副題の「都市から見える森林がある」はまさに都市住民が参画する森づくりの宣言だったかもしれません。身の回りの林をコモンズと位置付けて参加するコモンズ林業もこの流れにありますが、「レジャー」と呼ぶスタンスはちょっと違う感じがします。 ■5/7 苫東コモンズの新役員 NPOの理事が一部交代しました。原口代表と孫田理事が退任(お疲れ様でした)、新たにoyamaさんとinabaさんが理事になり(よろしく~)、昨日の理事会で、留任した瀧澤さんが代表理事に選任されました。監事は留任の中條さんにabeさんを加えた2人体制に。3人の理事のうち2人が女性となったのは、安倍首相に迎合したわけではないのですが、なにか時代を先取りしたような感じもあります。通年外で肉体作業を続けるNPOにしてはちょっと意外な結末となりました。 ■5/6 森と家具 連休の中日、札幌双子山のカンディ・ハウスに行ってみました。緑の斜面に面した家具の美術館のようです。森、堅牢な建物、木製の家具、採光優先の照明。このコンビネーションは残念ながらわたしの日常にはない別天地。森の民族の知恵みたいなものを感じるのだけれども、それは自分の中にもあるのか、借り物なのか、自問してみた。結論は不明。 ■5/3 薪づくりにおける分業の意味 昨日の作業の画像を整理してみると浮かんでくるのが「分業」の図。男女、老若、いつのまにか自分の立ち位置の自覚から、自然と落ち着いて決まる居場所、役割。高齢社会、希望格差社会、人口減少社会、無縁社会・・。いろいろな呼び方がされる現代の課題や病巣に、コミュニティにおける手仕事と分業は、やはり、効きそうだと思わされます。薪づくりの意味はこんなところにも隠されている、と実感するのです。しかし、そうなっていくマニュアルや条件提示はできるのか?と問われれば、妙案はありません。思いと実践あるのみ、そして持続する時間かもしれません。俗にいう積み重ね、というやつ。それも毎年。 ■4/29 千歳のハスカップ原野の今の姿 千歳のハスカップ自生地を探していってみた。ゴミ捨て場と変わった郊外のその一帯はすでに白樺、柏の林に変わっており、それでも群落があった。慣れてくるとハスカップがありそうな植生の組み合わせが見える。だからハスカップは見えていなくても「ありそうだ」とピンとくる。これはわれらがハスカップ・サンクチュアリの将来だ。その足で広場で薪割りをする。林縁のコブシが白く輝いて見える。 ■4/29 大島山林でミズナラの大木見つける 先日の日曜日、フットパスの整理作業で山林を一回りしてこんなミズナラを見つけた。異形の直径84cm。樹齢は200年ほどではないか。 ■4/27 ネパールの地震災害 死者100人台の速報を見たとき、わたしは30年以上前に訪れたカトマンズの街並みやジョムソン街道沿いの石積みの民家を思い出しました。だから同時にネパール全土では被害者は大変な数に上ると直感しました。現在も4,000人以上との数字は増加中ですが、余震を含めてもう2度と家屋に入れない恐怖を味わった方々の思いは痛ましい。昨日今日は雨に濡れて過ごした被災者も多いと聞いた。 ■4/25 NPOとして税金を払う 昨年は受託事業をしたので会計担当者と税務署に相談すると、まぎれもなく課税対象の収益事業に当たるとされた。会計担当者が奔走して、道民税、市民税も概要がわかり、国税を含めると約10万円を納入することになった。会員が企画や分析、原稿執筆などに関わった分を奉仕とした分がそのまま利益に勘定されてしまう仕組みをやっと飲み込んだがあとの祭りだった。いや、そうじゃなく堂々と払う方針は変わらないのだが、つい、「節税」の道も探りたくなる。この管轄エリアでは、収益事業の申請をしているNPOがない、というのも驚きだ。そこにちょっとプライドのようなものも芽生える。 ■4/23 リゾート通勤 いつの間にか日の出は5時前になり、折しもの新月が日々膨らんできました。この季節、札幌から苫小牧に帰る通勤の電車から見る車窓の風景は、絶品。さながらリゾートであり、そこで欠かせないのはビールだ。ああ、今年もいい年になりそうだ、みなさんのお世話になろう、などと独り言を念じて今日もゴクリ。 |