2008年 更新時のメッセージ あるいは「日々の迷想」


■新年あけましておめでとうございます。昨年はおかげさまで感謝の一年でした。今年も地道ではありますが、念ずるほうへ赴こうとこころに決めたところです。きっとまた諸賢のお知恵をいただくことになります。代わらぬご厚情を。合掌

■年末あたりから真面目に始めたこと二つ。ひとつは小鳥を手に乗せて遊ぶこと。正月は休暇で帰省中の娘も誘った。キャーキャー言って驚いていました。そして、町内の裏山の展望台整理。ほとんど人も訪れない、荒れ放題の荒地の枯れ草を少しずつ刈った。いや、刈らせていただいた。町並みと太平洋を眺められる台地の丘。これは得がたい。1/6

■連日、マイナス5度以下、先週の最低では氷点下12度。いつもどおり、普通に寒い、という意味を今年ほど新鮮にうれしく思ったことはないかも。2008年もうまく回っています。年を追うたびにいい年になっていくという能天気な感覚が、体力の衰えや老いの感覚に逆比例して存在するという皮肉。日常を一歩ずつ大事に、しなやかに生きてみたいもの。1/13

■昨夜は、青年寄宿舎の明治以降の日誌復刻編集会議。原稿用紙3000枚分の3分の1をデジタル化終了、3分の一を手書き終了。中高年のおじさんたちが、かつてお世話になったというその一点で膨大な奉仕作業を展開中です。明治30年代から戦後まもなくまでの学生の息遣い、今を見つめる視点として意味がある…。そこにまた、OBの善意が積もる。本州のおおかわ、太田の両氏、苫小牧の成田氏、大きな力でしたよ。お疲れさん!1/17

■長老の自宅前の田んぼから、日高の主峰・幌尻岳がくっきり見えた。ズームで少し引っ張ってみたのが上の写真。あそこに氷河の跡・七つ沼カールがある。午後、映画「アース」を見た。寒冷が緩んでもがくホッキョクグマの画像を軸に、地球環境に人類はどう向き合うのかという問いかけを映画全体が提示する。地史的なはるか昔、惑星がぶつかって地軸が23.5度傾いた結果訪れるようになった絶妙な季節。蓄積される熱の中、寒冷である意味を考えさせられるこのごろだ。昨日は灯油のボイラーが壊れた。1/20

■林と心、6回目の勉強会は遂に佳境に。「林と冥想」をテーマにしましたが、このテーマはズシリと重たい。「林そのものが冥想である」かどうかは、なかなか説明の要る話のようでありながら、その実、実体験を援用すると、すんなり納得できる面もある。これは実際、かなり意欲的なテーマである分だけ心身の実践がないととても難解なテーマであります。精神科医Tさんの意欲的資料、わたしの冥想を整理した資料のあと、天外伺朗氏の冥想CDを聞きつつルームで30分冥想。1/26

■マイナス10℃ほどの冬の林を歩く慣習。これは本州の都会人はもちろん、北海道に住む人もあまり考えない行動ではないでしょうか。ましてや高齢者にとっては、低温で脳卒中にならないか、転んで凍死しないかとか、色々な不安と隣り合わせです。しかし、ああそれなのに、北大演習林の散策風景…。行きたい人が行きたくて散歩するのだけれど、そこは自己責任とベターライフの願望がしっかりペアになっている、と散歩風景は語っています。わたしなら、これで死ねば本望…という感じでしょうか。2/2

■春のような陽光を雑木林のベランダで浴びて、人間、たかが日の光と風景でこんなにも胸が膨らむのか、と驚かされました。その逆が冬季うつ病でしょう。だから、このシチュエーションというのは照明や明るさでコントロールできそうな気がやはりします。うきうき、わくわく。そのことと親和性が高いのは音楽、歌、口笛、お酒…。光景。侮るべからず、です。2/10

■50を超えてから勉強することがぐんと多くなったような気がする。地域SNSでもネットワークの中で学ぶことも多いし、先日来、夕方から北大のアイヌ・先住民研究センターの講演会に出たりする。刺激的な内容だ。飲み会はほとんどなく、いわゆる硬い話に終始する日々。http://www.cais.hokudai.ac.jp/2/17

■その分かどうかわからないが、映画にはまりそう。「アース」「かもめ食堂」とみて今週は「母べえ」。心がしなやかになる、といったら家内に笑われた。http://earth.gyao.jp/ http://www.nikkatsu.com/movie/official/kamome-movie/ 

■3年近くに及ぶ地域SNSの実証実験の第一段階が終わります。助言してくれた北大の先生お二人が加わる研究会で、お礼を述べました。公益を念頭に置いた業務中のことですが、仕事とは割り切れないメンタリティをかけてのていねいな日々だったと思い起こします。前半の1年半は暗中模索、後半の1年半でようやく運営の波に乗り340人ほどの比較的少人数の、手ごたえのあるコミュニティが見えてきました。コアメンバーの平均年齢が55歳ほどというのは異色なようです。。そこには、今までもこれからも、地域社会を豊かにすると目されているソーシャルキャピタルのプロトタイプがどんとあるように感じます。このまま、新しいステージに引き継いでいきます。ログインはこちら。2/22

■土曜、北大が主催の「持続可能なツーリズム」をテーマにした観光フォーラムを覗いてみました。「誰のための」「どんな」「ハウツー」…。学会は論争する場だから、と前置きをして実にグサッと来る意見の応酬。ですがさすがに議論の先に積み上げがしっかりと明示されるのは気持ちよい。色々な意見を聞くうちに、自分の考え方がいかに硬直化していることかを思い知る。そして、全く別の考え方の枠組みに触れる快感。でも朝から晩まで議論を聞いているというのは、脳みそが疲れますね。わたしはエコツーの運動論もさることながら、エコツーが自然を表面だけなでるようなガイドの次にあるもの、そこに肉薄したものがいるのではないかと思った。つまりディープエコロジー。しかしこれは次の機会にもこないかもしれない。3/2

■映画やDVDづいたついでに、ヨガのDVDを借りてみた。ナレーションで呼吸のリズムを取ってもらうと呼吸がとても落ち着く。また、我流の矯正にも役立つ。驚いたことに、DVDをみてヨガ・アサナをした翌朝の冥想がとても快適で深い。3/8

■先日、加藤則芳氏のアパラチアン・トレイルの講演を聴いた。山脈の東側に吹きだまった西洋文化、そこにH.D.ソローのウォールデンがあるのを知って、大分話がつながった。ATの維持保全やバックパッカーのサポート体制に米国の良識のようなものがみえる。最近、あまり感じなかった横顔。3/8

■2008年の春祭りを行う。季節の変わり目を、静かに小屋でみつめて、飲むのである。たいていはふたりか三人。静かに静かにそれをやると、季節のエネルギーの塊みたいなものがグツグツと沸いてくる。サトウカエデの樹液を採取してみた。かなり甘い。風土と付き合うような実感。折りしも、マガン・ヒシクイが雑木林の上空をにぎやかに往来している。3/16

■先週からカエデの樹液を採取。大地のエネルギーを感じる春早く、この胎動が起きる。最も早いものは一週間で2リットル、暗くなると止まり、晴れれば旺盛。歩足り歩足りのリズムが、快晴の今日はほぼ1秒ごとだった。カナダ産のサトウカエデは砂糖水のように甘いが、イタヤカエデも負けていない。3/21

■6年ぶりに島牧の江ノ島海岸に出かけた。海のイワナ「アメマス」をフライで釣るため。いろいろな趣味を捨象してきたが、結局、こういう自然神と交信するかのような行為だけが残っている。海との会話。海岸にはブナの枯葉ガ押し寄せて解け、ミネラルが磯やけを癒やすという。でも、もうブナの葉は消えかかっていた。3/21
■U病院の山仕事、今年2日目。毎朝、この雑木林のフットパスを利用しているという方が、ごみ拾いをしてくれた。きれいな気持ちよい林になった、とお礼を言われた。「希望が丘展望台」が気持ちよいこともご存知だった。気持ちよい「場」は発見だ。林のもうひとつの恵みもこうして再発見されれば「林とこころ」の新時代が来る。3/30

■サトウカエデ対イタヤカエデの糖度対決は、サトウカエデが僅差で勝った。糖度計で計るまで、心の中で「道産子イタヤカエデ、がんばれ」と思っていた自分がおかしかった。僅差でほっとした。3/30

■2週間でサトウカエデ22リットル、イタヤカエデ7リットルの樹液が取れてそれぞれの穴に同じ樹木で栓をしてあと始末を終えました。癒合するのを待ちます。今回の手作業を通じて春の樹木の勢いを初めて感じ取ることができました。なにもしないで放置する自然との付き合いが自然を保全することではない、ということを考えるものですが、木を切って山を守る、などはその典型でしょう。この体験はなにかに書いてみたいと思います。4/6

■この頃、ヨガのビデオを見たあと、あるいはその翌朝に営む冥想がとても深いことに気がついたと以前も書きました。やはり新鮮な驚きです。ビデオのおかげでいつもより丁寧にリラックスして体の緊張をほぐしていること、ナレーターが進める呼吸のリズムが普段の自分のそれよりより自覚的にかつスローだからだと思われます。出勤前の早朝の一時間、ゆっくりほぐしているつもりが恐らくはアタフタと進行しているのでしょう。日常が以下に緊張しているものか、そしてリラックスの度合いがこれほど違うのかと実は今更ながら驚いています。4/6

■フットパスの枝拾いをする。ずいぶんと落ちているものだ。と、この、不要な枝を随時捨てて行く、樹木の営みとはなんだろう、と立ち止まった。太陽光線のあたらない部分に葉がなくなり、循環が途絶えて腐れて落ちる、ただそれだけのことではあるが、枯れながら生きるとは、人のあるべき生き様と同じではないか。人はしかし、本来不要なものもズルズル引きずるけれど。4/13

■パワースポットと思しきあたりに、格好の切り株を見つけた。腰をかけると、会陰部に切り株の出っ張りがあたって、大地とわたしを結ぶのだ。なんとも言いがたい心地よさが残る。なんという恵みだ、と感動した。強風で林は唸っていた。4/13

■フットパスの枝拾いをする。ずいぶんと落ちているものだ。と、この、不要な枝を随時捨てて行く、樹木の営みとはなんだろう、と立ち止まった。太陽光線のあたらない部分に葉がなくなり、循環が途絶えて腐れて落ちる、ただそれだけのことではあるが、枯れながら生きるとは、人のあるべき生き様と同じではないか。人はしかし、本来不要なものもズルズル引きずるけれど。4/13

■3,4年前に買った新井満著「自由訳・般若心経」をめくってみると、新しい感覚があります。千数百年、全く理解されないでありがたがられた珍しいお経、と新井氏は言いますが、現代に通じるメッセージを、もちろん彼の訳でも感じることが出来ます。特に朝日、夕日の「アマテラス」の画像がすごくいい。4/14

■林とこころを考えるならば、自己内観はその中核といえます。さらにその真ん中にあるのは、何か。内観法ではそれは「母」だと言っていますが、わたしはこれは大変支持します。思い出す幼少、具体は昭和30年中ごろ、当時TVのあるお宅に、プロレスを見せにもらいに行ったものです。わたしはそのほかに、隔週金曜日午後8時からのウォルトデズニーも母に無理やり頼んで押しかけたのでした。あのWDにどれほど生き物たちへの夢を育んでもらったか。90歳を超えて今も命を全うしている母に、感謝する次第。合掌 4/18

■シロップ作りをしてから「勇払原野」にぐんと近くなりました。勇払原野には氏神さまがいらっしゃる、と密かに感じてきたわたしです。季節の営みをするほど、この産土(うぶすな)の息づかいが感じるようになるのではないでしょうか。4/20

■林とこころUの勉強会は、植苗から浜厚真、ちょうど勇払原野のパワースポットを思いながらただ歩いてみました。土地のパワーというものにしっかり焦点を当てながら場をみると、そこはいつもとは違う見え方になる…ような。風景に凝縮される意味、だから人が営みの中で尽くすべきことが見え始めます。4/20

■このメッセージを振り返って読んでみると、どうもここのところはスピリチャルなことのオンパレードみたい。案の定、take/草苅は宗教がかっている、といううわさも出ているようで、思わず笑いました。「がかっている」どころか、自然からのスピリチャルな教えにどっぷりです。(爆)  林と樹木に付き合って行くと、自ずとそうならざるを得ない、というのがわたしの自然の成り行きだったのですが、どうもいろいろ距離が出来たようです。4/26


■首も肩も肩甲骨も凝っており、左肩はまわすと痛みが走り、骨盤が痛んで足がしびれる…。これはちょっと治療が要る、とS町の整体師をお邪魔しました。気功を交えてたっぷり二時間でした。触診時に描かれたたわたしの背骨は左右に2,3回曲がっていました。体は真っ直ぐ立つようになり、肺に空気が一杯入ってきます。体のゆがみに泣き、我慢している人は大勢居ます。わたしがうまくいったら、お勧めします。師は不思議な方で、朝、なんでもない右の腰が抜けたような感覚だったのだそうです。それは予約したわたしの来訪の予告であり、そういう気を感じるらしい。ハイテンションの大きな声も、なんだか心地よくなってくるから不思議。さらに不思議なセラミックをもらいました。4/29

■手入れがされていない雑木林をみると、ウズウズとしてくるのですが、昨日はさすがに一人でやるのは無理だ、と断念せざるを得ないボリュームでした。ちょっと圧倒されてしまった70ha前後。でもま、森林所有者に対し、雑木林&庭づくり研究室として、修景作業として風倒木処理の支援をすることなら話は進むはず。U病院が一段落すれば次はこちらだ、ともう胸の奥で決心がついたようでした。4/27

■早朝、小鳥の声をシャワーのように聞きながら、身体とこころをほぐしました。染み入るのです、鳥の声。萌芽の元気な枝が気を発するように、早春のさえずりというのも、その勢いがあるようです。木々と鳥たち、そしてまだ眠っているだろ爬虫類や昆虫たちをまとめて連想すると、自分もただその一員だ、というステージの共有感覚が極自然と沸いてきます。この感覚は安心と幸せが形をかえたもの、といってもいい。5/3

■5/5肌寒い雑木林に出かけて、アイヌネギとアズキナを採りました。ほんの一握りですが、家族で頂くには十分です。年に1回か2回、こうして毎年出始めの旬の山菜を、大地から「気」をもらうつもりで頂くので少し厳かな気分になります。合掌 5/6

■宮崎県綾町のもと町長・郷田實氏の「結いの心」を読み終えました。熊本県人吉市、綾町、諸塚村、高千穂町とヒアリングしたのはついこの前ですが、この本で、かつての京都・美山町を含めて「人繋がり」の地方自治のすがたがわたしには見えてきました。経済の役割ももちろんです。5/10


山菜の季節は少しずついろいろなものを頂く。アズキナ、タラノメ、アイヌネギ、今回はスドキ、コゴミ、コシアブラ。コシアブラやタラノメは新芽を頂くときに、ごめん、と謝る気分になってしまいます。そして、ポキッ。殺生ではないよ、また芽を出してね、頼むよ、という気持ちもこめて。大量に採取することはなく、わざわざでもなく、風のように駆け抜けるようにして、さっと戻り、さっと調理して、ゆっくり頂く。目と鼻と耳と舌とで季節を味わう。風土と付き合っている、という実感が濃厚にあります。5/17


■「林とこころU」9回目の勉強会は、新緑のU病院の会議室を借りて。糸口は、生命学をベースにしてわたしにとっては新鮮な環境哲学を提示する森岡正博氏の資料。捕鯨問題や温暖化問題の裏を読もうとすると、どうも世界の環境思想の底流を幅広く知る必要がでてきて、そこで最近出会ったのが彼でした。ほんのイントロをさらっただけで、あとは気持ちのいい雑談を3時間。この様子も近日中にレポートしたいのですがちょっとまとまった時間が要る…。無念。5/19

■裸足で、雷がとどろく中、新緑に囲まれて1時間気功を習いました。いわゆる樹林気功と呼ばれる形態ですが、深い呼吸でリラックスして行くうちに、体のこわばり、痛みがわかってきます。ずいぶん、歪んでいるのか、左半分がどうもつらい。気がとどこおっているという意味そのままを信じて、空と地面と緑のあいだで人つながりになる快感。自分の体と向き合う時間でもあります。5/18

■家内のすすめで「ミス・ポター」を見ました。シンプルな純愛もので、わたし好み。たった一人のトラストを創るところで終わりますが、これは「今はたったひとりのコモンズ」の追い風になりそう。5/24

■地域SNSの実験サイトを運営していたのですが、先日、この1年半の足取りを分析してレポートにしました。SNSのネットワークはケアしながら育てる感じ。とれも勉強になりました。5/24


■栗山の自然再生の現場「ハサンベツ」に行って見ました。沢型の長い地形に町民のボランティアの方々がなにか作業をしていました。自然復元的なものの難しさは、人の営為が見えないこと。何もしないで遷移に任せることとの違いに思いを馳せました。そして栗山公園で「新四国88ケ所」を巡って、安平のI先生宅にお寄りしました。あっという間に予想外の3時間。もっとも多く関与したいことを話題にすることの充実。5/25

林とこころUの勉強会Hをアップしました。もうまとめる能力がないので、キーワードを記すだけでもいい、と開き直りました。しかし、縛られないこころで自由に話すことというのは、意外とないものです。肉親でも友人でもないのであればなおさら。でも実はそれが日常的には必要なのだと思います。5/25

■面白い言葉を見つけました。「意味の森」。体のことです。書いたのは博覧強記の松岡正剛。弱さが強さの反対語ではない、という極めて微妙なスタンスにたちながら、「強い身体はフラジャイルな情報を遮断しかねない」と言います。そのフラジャイルな情報には、身体と花鳥風月が含まれるはず。そして色々なアイデアを紹介。われわれの内なる元型を探せ、というユング、自分の中の体癖を探すように薦めた整体学の野口晴哉、いやあるがままがいい、自分探しはやめよと言った森田療法の森田正馬…。「わたし」という概念が棲むわれわれの体は、賑やかな「意味の森」だと。5/31

■6/4に札幌で開催された第3回疏水サミットで25分のスピーチをする時間をいただいて山辺の話をしました。この話をするために、松岡正剛氏の「フラジャイル」をもう一度目を通し、ドイツ文学者高橋義人氏の「ドイツ人のこころ」に出会ったのですが、長い間疑問に思っていたことがぱっと開けたような、そんな発見も幸運ながらありました。山辺は気象のエコトーンであるだけでなく、うつろいの象徴、こころの表層と深層にも通じる不思議なゾーンであることが見えてきていますが、さて現実の山辺の向こう側、つまり捨て去られた林を、ケガレチから開放するための道筋は全然見えません。6/8

■先週まで、新緑を寿いでいたのに、今週は蚊の猛攻にあいました。この移り変わりの速さはさすがです。緑のつぼみが見えた頃、すでに小さな毛虫が発生していましたから。この時期、なんだか、新年を迎えるようなワクワク感があるのはなぜでしょうか?6/8

■ただ新緑のパワフル・シャワーを浴びに柏原に出かけました。土地の気、緑の気、それらがジンジンと心身に滲みて来る感じ。新緑は5月の後半にやや足踏みしたようです。6/1

■落ち葉絵の画集を拝見しました。八十台&七十台のご婦人と、フクロウをモチーフにしてどんな森づくりができるか、そんなご相談から派生してついついマチの模様について意見交換をすることになりました。が、ある種独特なマチの有り様への意見に結構共通点が見出せることにまず驚きました。遠距離通勤を理由に、近所づきあい以外はとんと離れていた自分ですが、熱い話に引き込まれてまた「ひと肌脱ぐ」ような話をしてしまいました。ま、それが人生の醍醐味ですね。6/11


■一昨日のあさ、シャスターデージーのまぶしさに引かれて写真を撮りました。なんというか、花が太陽に向かって整列して、いっせいに気を発している、そんな状態。翌朝は、曇り。庭の花々は吸引力を失ったかのようにバラバラの方角を見ています。6/16

■春は駆け抜ける。新緑から一転、かの猛攻、そして今週はせみ時雨。野生のラン科植物、今年はじめてのツツドリとアオバト。目と耳はいつのまにか、季節の移ろいに集中している。6/16

■10回目の勉強会(「林とこころU」スピリチャリティ)を終えました。女性3人と男性3人というのが良かったのでしょうか、興味ある話題が尽きないうちに終了の5時前になりました。吉本隆明の『「蟹工船」と新貧困層』で口開けし、ぐるぐると迂回しつつ、ハワイのネイティブの癒やし技法「ホ・オポノポノ」へいき、「たそがれ」とドイツ人の話に飛び、最後は般若心経をどう理解するか、というあたりをうろうろ。色々な意見を交換し合う刺激。それも普段は滅多に語り合うことのないテーマですからとても充実した午後でした。まとめは当面時間がなく、早くて今週末になりますので悪しからず。6/22

■ささやかな庭仕事にも、どこか季節にせかされているような気がして、気が重いような6月。しかし手がけてみるとこんな楽しい手仕事はありません。昨日は、元気がなくなった芝に目土をやりました。張り替えるより、カムバックさせたい。そちらの方がより道楽に近いから。今日はコンテナをいくつか手がけ、来週はハンギングを。気に入った花々を2週間前から少しずつ集めてくるのも楽しみのひとつ。懸案が目白押しのように待っているのですが、庭仕事のようにコツコツと楽しみに代えていくのです。思えば胸膨らむことの方がずっと多いし。合掌 6/22

■先週、雑木林に来られフットパスを歩かれた方からメールをいただきました。鬱に悩む方が一緒におられて、思いがけずも歩き終える頃は鼻歌気分だったとか。きっとハミングでもされたのでしょうか。また行きたいとおっしゃっている、という話でした。壊れやすいフラジャイルな人間にとって林は逃げ込んでもいい癒しの場所だということを思い起こします。6/24


■フットパスを刈り払って戻るとき、ホオノキの葉っぱが目に入り、一度作ってみたかったホオ葉寿司に挑戦してみました。季節や風土とタップリ付き合う幸せを感じました。6/29

■玉村豊男氏の『里山ビジネス』を読んでいます。さすが、というフレーズが随所に出てきて、グローバリズムの地方を生きていく哲学のようなものが、思いがけない言葉でつづられている。実際の生活がそこにあると、人は足を向けるのだという何気ないくだりは、小さな観光は生活の中にあるというわたしの思いと重なる。その、本当の生活、本当のコミュニティというのがむずかしい。6/28

青年寄宿舎のホームページが出来ました。明治から昭和にかけての学生の日誌をデジタル化したものです。旧財団の中高年のOBの作業で、現在進行中。7/19

■三島のグラウンドワークのワークショップを体験しました。グラウンドワークの聖地である三島のことは20年近く前から画像や話で見聞するばかりでしたが、行ってみると、なるほど、官民のパートナーシップでここまでやれるのか、と。レポートを雑木林だよりにアップしました。一人の山仕事をしているとWSはまるでまぶしい社交界。7/22

■小屋の守り神だろうか。小屋の二階のとても人間なら入れないところに、アオダイショウ(恐らく)が鎮座していました。去年は、わたしがベランダで読書する後ろ1m以内のあたりの丸太に寝そべっていました。昆虫もめちゃめちゃ飛び交う炎天下の、おお、雑木林の魑魅魍魎。7/26

■英国のforetry commission のことを、林とスピリチャリティの勉強会で知りました。今日はその概要のメモをレポートしました。ついでにコミュニティ・フォレストのメーリングリストも作りました。英国発のブリティッシュトラストBTCVやグラウンドワークを学んでいたときにノーマークだったのが不思議。8/3

■暑中お見舞い申し上げます。いろいろな人とコトがつながってくるというときがままあります。プラスの渦になって周辺が動いて行く。当然ながら胸膨らむことも多くなります。今、さまざまな奉仕を一緒にざーっと進めるうちに、それらは全くバラバラに存在してるのではなく、過去の営みや言動や思いをぞろっと全部ひきずっていることに気づきます。歳ごとのひとつひとつに各々意味もあったと考えられる幸福。親兄弟友人知人自然風土、そして見聞きした芸術など一切合財に感謝。合掌。8/3

■黒松内町で行われたフットパス国際フォーラムに参加。歩く権利を獲得する闘争の結果として、今のフットパスがあることを改めて教えてくれる。魅力的なフットパスとはなにか、の問いにもソツなく応えるランブラーズ協会のミルズ氏。8/24

■先週は手がけていた原稿を4つ、脱稿した。実力のなさがモロに出てしまうために今回は大いに悩んだ。が、それも遂に手元を離れた。その戸惑いのさなか、釣友が近くの釣ガイドを申し出てくれたのだった。8/16

■小屋のベランダにヨタカの躯がありました。内臓はもうほとんど天へと昇華していました。ベランダはクワガタやスズメバチの飛行ルートで、緑ちゃんもきっと小屋のどこかにいる。生き物とともにいる自然な場所。そしてさすが夏休み。小屋のドアには4人の方の置手紙(メモ)が挟んでありました。なんと、最も遠い方は鹿児島でした。8/11

アンジェら・マキの「手紙」について。
なんか、気になる歌が流れているなあ、と思ったらNHKのみんなのうた「手紙〜15歳のボク〜」でした。

何を信じて生きていけばいいんだろうか、という15歳の「ボク」の問いに大人になった「ボク」が天の声のように応える形の歌詞構成。

大人のボクは「苦しくて甘い今を生きてるよ」と少し明るく先輩のように歌いあげます。

この↑の動画で子供たちが一人ふたりと涙を流し始める様は、印象に残りはなれません。心配しなくて良いよ、今のあなたでいいよ、そのまま頑張って、と声をかけたくなります。

おもえば、「良いよ、今のままで」というメッセージをくれる人はこの頃は周りに居ないのでした。昔ならじいちゃんばあちゃんがそうでした。

だから自分と向き合って未来の自分をみつけだし、「未来の自分」という立場の自分が、自らにあやういOKサインを出す…。

随分、深い歌詞だと思うのと同時に、思春期の子供たちの不安をどう泳ぎきるのか、宗教的とまでいえそうなひとつの見本を示しているようにもみえます。8/31


■今年はわたしにとって出版に縁のある年のようで、年末まで3件の予定(共同執筆等)があり、そのうちのひとつがでました。9/5

■現存する社会は、あくまで民が選んだもの、と思えば昨日今日の現実社会の不安は、民の求めてきたものではないはず。ここのところ、民はしっかり選んできたのか、その問いがきつく刺さります。時代の舵とりはちょっと変わる気配がでてきました。9/2

■このホームページが10月で10周年を迎えるようです。思い込みの多い、日々の山日記と釣り日記と、勉強会の日記、そのあとスケッチブックなどをアップして来ましたが、しばしばご訪問いただいた方々にはこころから感謝です。

でも、SNSやメーリングリストがレベルアップして、当方のようなごく個人的な日常描写のサイトに、忙しい時間を割いておいでいただき続けるのは、至難のわざです。これから日常の心象スケッチタもつぎ込んで参りたいと思い始めました。遅すぎる反省だったかもしれません。これからはちょっとましな方へ。
(^_^)v 8/31

喜怒哀楽の森プロジェクトが始動します。8/31

たそがれの小屋にいくために林に入った途端、この一週間、胸につっかえていたモヤモヤが霧散しました。これはなんだろう。こんなリアルに変化を感じたのは初めて。記録しておこう。9/7

■学生時代、山のクラブの顧問だった八木健三先生のお別れの会に出席。最後に挨拶された奥様は先生がひまわりが大好きだったとおっしゃるのを聞きながら、そうだ、先生はひまわりのようだった、と思い出しました。明るく、物怖じせず。そして、「私利がなく善意で人と付き合う人だった」…。人はかくありたし。初めて先生の姿勢に宗教のにおいを感じ取りました。9/6


■秋には早い美瑛を訪れ「大地」を感じる。朝霧のたつ畑の草道を歩き、十勝連峰、トムラウシ、表大雪の山々と向かい合うと気宇壮大な気分になる。「大地のちから」。田園とはかくも偉大なものとこうべをたれる秋の一日。9/20


黄昏の研究林を歩きながら、秋のある催し物の打ち合わせを、思いを込めて、延々二時間。しかしあっという間でした。二人語りの林道というのは、話の核心部に容易にたどり着き、こころの深い部分で言葉が交わされる不思議な時間&空間。まるでお互いの魂と魂が語りあうような姿勢が生まれるといつも思うのです。9/15

■再びコモンズの勉強をしています。日本では入会地がそれにあたりますが、苫東の雑木林なども実は新しいコモンズにあたるのではないか。事実、土地所有者も林に入ったりハスカップを取ったりすることは事実上承認しています。つまり、「環境はみんなのもの的」合意はすでにある程度培われていて、常にルールを守っている、という状況をどのように担保するのか、利用するだけでなく管理を手伝う、という段階をどのように創るのか、そこが今問われています。9/13

■ヒグマの生息・移動エリアの真ん中にある病院の精神医療の取り組みが、近く医学専門雑誌の11月号で紹介されます。フィールド作りの担い手の一人としてインタビューを受けていたので、その初稿が伝送されてきたのですが、グラビアが多く、林とこころのメッセージが伝わるとてもいい企画。「森に癒やされ、森を育む」というのが特集のタイトルも普通でいい感じ。12回目の「林とスピリチャリティの勉強会」記録をやっとアップしました。9/13

■昨日の新聞でおやっと思った記事。米国の先生が宮沢賢治の英訳をしていて、「雨ニモマケズ」を初めて肯定的表現にした、と。すなわち、Strong in the rain これはかなり違和感アリ。雨にも風にもめげてしまいそうな、弱い自分だけど精一杯行くよ、大丈夫だよ、という弱さといつも隣り合わせの自分であって、「強さ」を目指しているわけではないと思うのです。そもそも弱さは強さの反対語かどうかも疑問です。これはグローバリゼーションの理解ではないのか。新自由主義が賢治解釈にもやってきたみたい。(-_-;)9/23

■9月。小屋には珍しい大勢の
お客さんが見えた。あいにく全員にお会いすることが出来ませんでしたが、その代わり、小屋の中に入れておいた日誌を、ベランダのテーブルに移動し、勝手にお書きいただくことにしました。9/21

■いよいよテレビに赤いゴーストが出てきて、買い替えの時期を知りました。家を建ててまもなくですからざっと20年。ボイラーも17年ほど持ってくれました。いずれも平均耐用年数ははるかに超えているようです。電化製品が壊れないでもち続けてくれること、家族が元気であること、これらは一つながりの「健康」。場がイヤシロチ的に存在していることに感謝。合掌。9/28

■「小さなフィールドにこもってないで出てこいよ」。これは昨年春、ある先生に言われた言葉。雑木林で林の「作業」とこころの「観察」を繰り返して安住してきたわたしへの、次を誘うメッセージでした。場はそれからしなやかに流れ、流れに身を任せながら丁寧に自分の役割をみつけこなしてくるうちに、少しずつ社会性を帯びた役割をこなすことになってきました。あと、何年働き、生きるのかわかりませんが、種々折り合いをつけ、奉仕の日々に喜びを覚えて行くモードに切り替わったことを感じます。9/27

■9/26札幌市緑化センター主催のセミナーで女性を中心とした50人のまえで、林とこころの話をさせていただきました。園芸や福祉のボランティアを志す方々のようでしたが、わたしは里山管理を例にしてこころの話で収束しました。女性は実にコミュニカティブであること、この特性は地域のコミュニティには絶対不可欠なんだと再認識しました。女性はコミュニカティブ。当方の話を終始笑みをうかべながら、うなづきながら聞いてくださるボラ志願者に向かい合いつつ、わたしはこの言葉を反芻していました。9/27

つた森山林の黄昏を歩いた。苫小牧のなかでも樽前山に沈む夕日を見る場所として特筆したいところだから、山際の道はどこか哲学の小径のようだ。10/4

■朝、ハンギングやコンテナの花の手入れをすると、秋が来ているのを感じます。一部は黄色に変わりかけ、葉がややまばらで「寒さの積算」という言葉が自然と頭に浮かぶ秋本番。7月初め、タップリの元肥を与えそれに応えて10月まで咲いてくれた花々には、この時期、ねぎらいの気持ちを伝える…。これは深まる秋の儀式。10/4

■林にいる時間が長いほど、林の深さがわかり、色々な森を訪ねるほど、森の意味が伝わってくるようです。今回のドイツとオーストリアの森の旅行は、表面的に流れそうなくらいに慌しかったにも拘わらず、そこはズッシリと得るものがあったと思えるのが救いでした。レポートを言葉でるいるいとつなぐのはやめて、画像にちょっとだけ言葉を足すようにしていくつもり。今日は2日目を追加しましたがキャプションは未着手。10/26

■振り返ると、ウィーンの森の印象がとても深いことがわかります。なぜなのか、今日24日、苫東の雑木林の黄昏時に考えました。…「ニュートラルになれる」。あそこを一人で歩くと、ニュートラルになれた…。総てのひらめき、成熟は、無心から始まる……10/25

■10月11日からドイツとウィーンの森を歩きました。森林保養地の森林研修と気候療法を体験し、後半は芸術を育んだウィーンの森へ。とりあえず、画像の一部だけ少しずつアップします。加齢のせいか、時差ぼけが楽になってような。10/21


■冬に備えてカラマツの焚き付けを集め、煙突を点検。簡単な作業のあと、
を歩いてみると、どうも11月15日のここは、勇払原野の神々が喜び集う庭カムイミンタラではないかと第6感がささやきました。11/16

■月末の11月29日、「こころの森フォーラム」を開催します。奇しくも平成のはじめに北大研究林を中心に行われていた「森のフォーラム」の進化版?今日11日、その実行委員に別バージョンでの復活について挨拶をしてきました。11/11

■まだ、コナラの紅葉は続いています。11月の初旬に紅葉のピークもどきがこんなに味わえるとは。
南ドイツのブナの紅葉もウィーンも素敵でした。でも所詮旅の風景。やっぱり、いつでも会える林こそ、わがアジール。
11/7

■連休初日、南幌のNPO設立シンポへ。フットパスと地域ブランドが関係しているから。磯田もと副知事の話に感銘を受けた。中日、欧州ツアーの簡単なメモを画像中心にまとめアップしました。明日は青年寄宿舎の年次総会。11/2

1日に57歳。加齢に特に嘆きはなく、むしろ次第に好調になってきている身辺を喜んでいます。多少、肉体のさまざまな衰えは隠せず発露しますが、それを補う充実があるのは、産土(うぶすな)の神々と日々親しくお付き合いいただいている方々に感謝するほかありません。合掌 11/01


■U病院でこの秋の初仕事。山々へのお祈りをこめて小径を一周する。小径は、日々歩く人によって進化していた。こころの営みを感じる。こころはどう、折り合いを見つけることができたのだろうか。イヤシロチの丘に、しっかりと踏み跡ができているのはうれしかった。気持ちよいというファンがいるのだとう。11/16

■仕事で、森林保養地とフットパスのことも書いた共著の出版をいたしました。その出版記念フォーラムも。ご都合の合う方、関心をお持ちの方は是非。11/22

■ホームページが正味丸10年。パソコンにはまったく出遅れていたものの一人だったのに、一見自在にいじくるように。が、まったく素養がなく自立なんかはできていないのは白状するまでもありません。初期化してまた立ち上げるストレスなどできれば真っ平ゴメンという感じ。それにもかかわらず、社会関係資本に橋渡し型で広げるものがあり、このブリッジングと呼ぶ機能は随分使わせてもらったのは事実であり、感謝しきれるものでないと思われます。
 ネットで広がった輪、ネットで受発信した情報は計り知れないけれど、それがもう所与のことと扱われる目先のスピード。文明はどこまでいくのか。
 しかし、どこかから、「そんな情報に右顧左眄しないで、まず手仕事とともに哲学することだ」というメッセージも耳元にビンビン聞こえている。今のところどっちも魅力的だ。11/24


■24日、サロベツからお客さんが来ていた、というのを後で知りました。きっと、サロベツとここでは風土の違いは大きいはず。双方とも湿原があるという点は一緒で、海沿いも一緒。どんな印象をもたれたか、とても興味津々。11/26

■29日、北大研究林でこころの森フォーラム。日浦林長が研究林の概要を端的に離されてから、精神科医・瀧澤紫織さんの講演、「森の中に居場所がある」。わたしは、身近な林の画像を巫女さんに見てもらった結果をお話し、喜怒哀楽の林マップのために参加者の印象表現も採集させてもらいました。11/30

■近年、掌がべっとりするのでよく手を洗うようになりました。どうもそれがしょっぱいのです。一日に7,8回も洗うでしょうか。さて、その原因ですが、どうも掌から「気」が出るようになったのではないか?顔に掌をかざすとモハーとなりますし、掌同士を向かい合わせるとやはり何かを感じます。12/06

■山の神様に祈る。雑木林を歩くと、今日は、木々、枝先、落ち葉に神々や妖精が宿っているような、そんな気がする日でした。美しい。胸に空気が一杯入り込んでくる喜び。12/07

■出版記念フォーラムとNPO関連の懸案の研究会をかなり充実したなかに終えました。終えたことが、もうひとつの扉を開けたことと同じのように見える充実。人との繋がりのパイプ、ズシリと。12/14

■12/14はイコロノ森で森の学校の開校式。記念すべき日になる。わたしがこれから活動の中心にする環境コモンズも、事実上、2008年の12/14、この日に動き始めたと記録しよう。12/15

■小さな地域のネットワークが生まれつつあります。人生は毎朝のように新しい扉が開きますが、それは自らの修行でもあり、自己実現の方向でもあります。その流れで今週もイコロの森の学校に出向きました。落葉樹の林の、和みやチカラをいまほど強く感じる時期はありません。苫東とはまた違った勇払原野の顔。12/21

■年賀状を作る。マンネリした構図だけど、相手の顔を思い出して一言書き添える楽しみは捨てがたいですね。作家の池波正太郎は元旦の次の日からもう翌年の年賀状を書き始めたといいます。その、年賀状の美味しさ。作業の合間に、
雑木林の後悔事を書きました。12/23

■先日(12/27)、地域SNS「どっとねっと」の忘年会にあたるオフ会をしました。実験サイトとしてスタートして2年余り。地域にはそれぞれがコミュニケーションの媒体があるといいのですが、それをSNSでやってみるというのは、実験としてかなりいい、という印象を深めています。登録はこちらから。12/30



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