季節は間違いなく巡る
NO.52
2008/11/03〜

11月、ずいぶんと忙しいスケジュールが続く。
時には、できるのだろうか、と不安がよぎることがある。
それを、ひとつずつ、一歩ずつ、愚直にこなすことで解消する。

悦働。
次から次へと転がり込んでくる雑事。それらすべてを
奉仕だと思うことがある。人の為に働く。そのチャンスを
ハッピーだと思える。

若い頃には考えられなかった展開である。
















年収めの山仕事 1229日(月)くもり 3℃ 中は−6

いろいろなことがあった2008年。この一年の最後の山仕事はタップリ雪が積もった中だった。木や枝に触れるとどっと雪が落ちてくる。横に枝をたっぷりはった小屋の前のミズキには、たわわに綿雪が載っていた。重そうなので手が届くところは落としてあげた。

来年の薪を少々確保するために、被圧された数本を抜き切りして丸太にした。作業は早めに終わったので、ぼんやりと薪ストーブにあたる。静かな小屋、薪ストーブ、外は雪、というだけで人は内省的になるのではないか。その雰囲気にとっぷりつかって過ぎし2008年を振り返った。今年も実り多い充実した年だった。50歳の声を聞いた頃から毎年毎年充実しているような気がして感謝の気持ちが募る。喜んで公私の仕事をさせてもらったという実感。考えてみると、自分のため、というものがかなり公的なものに置き換わって、一つ一つがちょっとしたミッションを帯びるようになっている。そのなかで「悦働」が生まれている。

小屋日誌「雑木帳」の4冊目を新しくした。11月に出た共著「生活見なおし型観光とブランド形成」の編集用の白本(表紙、紙質、ページ数を仕上がりと同じにした見本)の利活用だ。タイトルをつけてみると、ハードカバーのノートはなかなか具合がいい。

室温が上がって20度になった。しかし、乾燥しているから長時間いると鼻の粘膜が支障をきたすことはもう何度も経験済み。あずましい、といって無防備にいることは禁物で、最初はマスクをしているべきだ。ヒュッテン・レーベンにも健康な過ごし方がある、というのは若い頃は考えもしなかった。もっともいい夕方の時間を味わった後、小屋を後にした。

来年は社会が少しでもまっとうな目標をえて進むことを祈りたい。
テーブルに小さなお供えを据えた。



数年前のカラマツ林の作業
これは除伐


こういう風に整理する。これが
あちこちにできる。



さらに林道へこんな風に集める。

間伐の精算に起きる問題 1223() 晴れのち雪

今日の休日は、年賀状の準備でパソコンの前にいました。はがきにプリントをしている間はちょっと細切れの時間ができるので、「雑木林だより」の日々の記述で漏れた大事なことを書いておこうと思います。

それは、現場の雑木林保育で発生した樹木の扱いについてです。保育においては、倒木や枯れ木も倒しますが、本来は密度の調整ですから「生きているが将来は隣の樹木の生育を邪魔したり枯れるもの」を抜き切りします。そこで太くはないが生きている丸太が生産される訳です。それを、林の中に捨てておけば「除伐」、林道へ運び出して何かに役立てれば「間伐」と呼ばれます。簡単に言えばそうなります。

苫東の雑木林を間伐するとき、わたしは小屋の燃料の薪にする残りはできるだけ林道まで搬出し、売却できれば売却し、ブルドーザーや燃料費、アルバイト代を払って残る若干のものは苫東森林愛護組合という会計の収入にし、預かっている小屋の維持費や器具の修理費などにあてさせてもらえないかと考えていました。しかし、これは「他人の土地の木を売って儲けている」という噂が立ちやすいので、間伐の申請をする一番最初の時、土地を持つ会社の担当者に控えめにお伝えし了解をもらう程度にとどめ、文書に書いて覚書を交わすなどはしないできました。今となっては了解を得たのかどうかもうやむやになってしまいました。

案の定というのか、不幸にもというのか、(他人の木を)「伐採して(勝手に)売っている」という話が「悪い噂」のように広がっていることを知りました。どのように伝わっていったかは大体想像がつきますが、冬、11月から3月までに間伐して出てくる丸太を、現場に積んで集め、連休のさなか、本業についていたブルドーザーがしばし休みに入る頃を見計らって破格の値段で借りアルバイトを雇い急いで林道まで運ぶという汗みどろの手間を見た方なら、普通はそれが商いになるものではないことを理解するはずです。また、ボランティアの枠を超えるものすごい重労働であることも一目瞭然になるでしょう。

例えば1ヘクタールの間伐で、20立方の材が出て、林道脇の価格が立米5000円だったとすると、売り上げは10万円となります。ブルドーザーは一日1万円と仮にすると5日、重労働のアルバイトに1万円で延べ6日で6万円払うと、これで既に足が出ます。ちんたらと間伐した30日ほどの作業賃はもちろんなく、チェンソーやブルの燃料費も、通常掛かるブルの運搬費7万円ほども当然でてきません。しかし、それでも間伐はしたほうが良いし、間伐した丸太は腐らすより何かに利用しないと無駄であり、やはりみてくれのいい美しい林にもなりません。

そういう中でなんとかしのいで行われる保育を、「もうけ仕事」と噂をたててくれる方が居るとするならば、このことは予め文書に書いて、会社に対して儲けたらお金を返金するとでもしたためておいた方がよかったかな、ととても後悔しているものです。小さな善意で始まった保育でしたが、わたしのボタンのかけ違いで残念な方向にあることが、実に残念でなりません。林道にようやく積んだ丸太の山をみて、ぼろい商売をやってやがる、と思われるのでしょう。それが人の性(さが)だと思えば、わたしは自分がなんと愚かな手違いをしてしまったのかと、悔やまれて悔やまれてなりません。








今週も森の学校へ   1220() くもり 5℃

 〜窓の外のナラの木々に見惚れる〜

苫小牧の東側の勇払原野一帯で、今、小さなネットワークが生まれようとしているので、丁寧なトレースをしています。地域のことを学ぶ必要もあり、かつ、そこに自分が未知だった視点を探すことの喜びもあり、原田輝治さんが校長をつとめる、イコロの「森の学校」に今週も顔を出してみました。わたしのフィールドであるU病院も苫東も、年末年始の休みにゆっくりやろうと決めました。

ただ、山仕事というのは、こういう内なる誘いをかなぐり捨ててナニが何でもやる、行く、と覚悟しないと、遂行はできないのですが、今の場の流れはその遮二無二を押さえてもいいような雰囲気があります。それもきっといいことでしょう。時間はあります。また、そういう時間をかけて行くべきときです。

森の学校は、午前中昼過ぎまで、スズタケが繁茂し手入れがまだされていない広葉樹二次林を歩きました。炭焼きのあとです。100haの敷地に7つほどの炭焼き窯の跡がある土地柄で、かつては小学校の分校もあったようだと原田校長は紹介していました。石炭がもてはやされて北海道が一大産炭地になる前、地域は、木炭というエネルギーの基地でもあったわけです。戦地から帰った人々の職業の場として戦後の入植が行われたのと同様、北海道は日本の北の端で、時代の要請を着々とこなすべく、開拓や開発が行われてきたことを改めて思い起こします。

小さな沢を挟んで、いままでスズタケだった林床の植生が、反対側はすべてミヤコザサに変わる、そんなダイナミックな場も発見しました。手入れしたくなるような林です。風倒木と枯れ木を倒すだけで見違えるように変わるから、なにか、その日を夢見てしまいます。

午後、原田さんは国内外、とくに欧州の緑を中心に、園芸や森林の役割を語りました。

わたしは講義を聴きながら、何度も大きくガラスで素通しに見える戸外のナラの木を見ていました。直径30cmもない雨に濡れたミズナラと背景の広葉樹林。何度も何度もその居心地のよい構図に見惚れました。樹木と林がなにかメッセージを出しているその中で、こうして緑を語る時間。新しい環境がここにはある、と感じられます。



美々川再生について講演する
辻井先生


セミナー室と林

イコロの林

講演後のティーパーティ

ここの粘土で作った炭窯

植苗地区の森の学校      12月14日(日)と15日(月

先週は、イベントなどが続き林に行く間もなく、心身の健康のため、今日は年休を取った。
北大研究林に先々週のフォーラムのお礼に伺ってから、苫東の雑木林へ。苫東の林
は、環境雑誌「モーリー」19号のトップを飾り、そのほかグラビアに特大で数枚、そして
25ページ以降にわたしの「里山のフラジリティ」という拙文が掲載されている。
http://www.aurora-net.or.jp/doshin/book/shinkan/index.html#mally19
研究林にて

昨日は、地域の勉強会というかネットワークの会が「イコロの森」↓
http://www.ikor-no-mori.com/
であり、ティーパーティ後、炭窯を見せてもらった。11日で仕上げ放熱に3,4日ですから、
2週間で1サイクルだという。

わたしも小さな炭窯で何日か徹夜で番をしたことがあり、そのスピリチャルな営みが忘
れられない。特に、夜。たきぐちを見つめている時間のなんと懐かしいことか。しかし、なぜ
懐かしい和みがあるのだろう。

炭は、そんなせいで、場を浄化する力があるのだろうか。家の中のあちこちにも、庭の
土中にもいっぱい炭がある。

で、前の会社の緑化を設計したとき、移植の樹木の土にたくさんの炭の粉を混ぜたの
を思い出した。そのことをこのSオーナーにすると、

オーナー「それで、なにかご利益っつうか、いいことあった?」
わたし  「ええとお、会社、つぶれた」(一同、大爆笑

窯口から内部

しかし、すごいご利益があったといえるかもしれない。
会社は多額の負債を異例の清算をしてプロジェクトは存続、敷地も土地も、縮小した会社
も残った…。炭はプロジェクトに貢献し、わたしはリストラで外に出た。それも運命、それで
またチャレンジャブルな人生に舵取りできたと考えれば、わたしにもご利益があったといえ
る。


あ、この会で、また人生の扉が開いたようだ。




枝の絡まない林へ

片付けられて陽だまり

おお、美的!

おお、マイ・ゴッド

ここにも妖精が

早めの山ノ神 127() 0℃ 晴れ

11時、植苗病院で山仕事。フットパスに置いたゴミを入れた袋は片付けられ、路に倒したままの枝や細い幹も整理されていた。よし、今後はこの方法でいこう。重過ぎないものを適当に放置して片付けてもらおう。患者さんのちょっとした仕事になるし、わたしもちょっとだけ助かる。

去年から残しておいた太い風倒木2本のうち、一本だけ今日の最後に手をつけた。掛かり木の処理が難しく、やっぱり積んだ丸太に落ちて跳ね返った。恐ろしい。

先週、家の庭から歩道にはみ出たボケモドキを剪定して結構な枝が出た。今日はそれをトランクに入れてきたので、雑木林の小屋に行きストーブをセットしてからすぐこれを燃やした。やはり、生命力の強い潅木だから、メラメラと燃える。全身が煙を浴びる。爽快。

くすぶるボケモドキ

山ノ神は12月11日だが、今年も平日なので早めのお参りをする。といっても、今年からは小屋の周りの大木を守り木と定めて、挨拶をして回った。なじみの大木はミズナラもコナラもハリギリもカラマツもある。最後に、小屋の裏の素性がよろしいコナラにハグし、今年も無事、「悦働」の日々を送ることができたことをこころから感謝した。


挨拶して回った木々  そして快調な小屋のストーブ

ストーブは1時間でようや13度になった。斜め光線の林を窓越しに見ながら、薪のぬくもりを楽しむ。帰りにつた森山林によって、山ノ神の鳥居に参拝。



基調講演





参加者





質疑応答、というより共感の
メッセージの交歓 エンドレス













これからわたしが創ろうとして
いる身近な林の喜怒哀楽マップ











手入れの現場へ







作業開始








ワークショップ講師の上原さん
森林療法の日本の第一人者





























































































こころの森フォーラム   2008/11/29 sat はれ 5度程度

自殺者は減らない、こころは痛みやゆがみを癒やすことなく負荷に折れ、あるいは
破裂する、森や林は、老若。男女の心身の健康に(特にこころに)
もっと役立つ機会を秘めている、そのみちは…

そんなテーマを引っさげたフォーラムを終えました。
こころなどというこそばゆいタイトルなのに質疑は共感の交流の場に。
やってみるものです。(ねらいは↓ちらしに)

http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/201106kokoromor...

北大研究林のご好意・ご協力のもとで。↓
http://homepage3.nifty.com/hayashi-kokoro/mijika02.htm
http://www.hokudai.ac.jp/fsc/

わたしは、進行役をしながら、午後の小一時間、いつものフィールドを
含む苫小牧の数ある林の画像100枚ほどを、本州・広島の美人の巫女さんに透視して
もらった感想を紹介しながら参加者50名の印象メモを採集させてもらいました。

林には各々持ち味があり、こころに映るその日の喜怒哀楽にあわせて
林や森を使い分けようという提案です。巫女さんはいわばシャーマンとかメディスンマン
と呼ばれる人ですが、林の印象を巫女さんに聞く(内容は下記)という無謀な計画は
大成功で、昼食後すぐの眠いひと時、「巫女さんの言葉」という一言で目がかっと開い
たようでした。(爆


0000000000000000000000000000000000

■林の印象を巫女さんにお聞きした内容

○先ずお願いの手紙

北海道の草苅です。このたびは、瀧澤さんをつうじて、imaさんがお持ちのスーパーなお力でわたしが関わっている林の横顔を透視(?)していただけることになり、大変光栄に存じます。林は、人の喜怒哀楽(それと淋)などにまったく動ずる風もなくただそこに在るだけですが、どうも喜怒哀楽(+淋+α)をもった折々に、訪れるにふさわしい森や林がやはりあるように思われます。林と人のこころが、ほとんど結びつきを感じなくなった今日、それは取り戻したいひとつの喪失ではないかとも思われます。

同封したCDには、わたしが関わってきたフィールド5カ所と、公的・私的な所有林6カ所の画像を入れ込みました。必ずしも一番いい顔ではなく、またベストシーズンでもなく、混在しています。どうぞ、わたしのメモもご参考のうえ、眺めた印象を何でも結構ですのでお書き留め下されば幸いです。CDにはこの文面も保存しますので、ファイルに入力して頂くことも可能です。

話は替わりますが今年の5月はじめ、瀧澤さんとimaさんのご厚意で手元に届きましたガーデンクオーツなどが入れ込まれた腕輪は、その後、ずっと身につけております。はっきり申し上げれば、物事がもうしわけないほど順調に進んできた自分の日々がこの腕輪によってさらに加速された、と感じています。ガーデナーを守ってくれるという思いがけない御利益も、危険も伴う山仕事に関わる身にとって、とても覚醒するものがあると思っております。今回のお願いを引き受けて頂いたこととあわせ、ありがたく思います。

2008/08/29  草苅 健
雑木林&庭づくり研究室


○概要説明と巫女さんからいただいた印象(雑木林だより50の8/30への返信)
 〜林のプロフィール+巫女さんの印象〜

1.つたもり山林 

*苫小牧の東の方の海のそばにある森。よく刈り込んであるあたりは森の入り口で、かつては森の所有者が住んでいた場所で、カラマツやヤチダモ、トドマツ、エルムなどの大木が生えています。海に近いために、山を裸にしないで、小さな面積ずつ切っては植えてきました。子供らが遠足に来たりします。林道はフットパス代わりに使います。 

注)1から5は、わたくし草苅が、23年間勤めた「苫東(とまとう)」というインダストリアルパークの中の緑地です。全体は1万ha、緑地だけでも3,000haほどあります。…以下略

*巫女さんのご印象
これから安定に向かう過渡期の印象を受けます。つまり、これからの取り組みで森の波動はどのようにも変わります。

2.小屋周辺 

*つたもり山林の2kmほど北にあり、わたしが20haほど借りて手入れをしています。小屋は一帯の中心にあり、間伐の道具などを入れる作業小屋、兼雑木林の別荘。このあたりは、北海道特有のササがないため、どこでも歩くことが出来、かつ、本州に多いコナラという優しい女性的な樹木が優先しています。小屋から南北にふたつのフットパスが伸びており、小屋に戻ってきます。鬱に悩む方などに隠れた人気があるようです。

*巫女さんのご印象
人を受け入れている森ですね。守っているのは、おっしゃるように女神系のエネルギーですね。きちんとコミュニケーションがとれるはずです。普段から作業の折々に話しかけてくださいね。 

3.雑木林の笹道フットパス

*小屋から南へ伸びるフットパス周辺の林。冬もさほど雪が積もりません。フットパスはほぼ平坦ですが、ゆるやかな起伏があり、遠くまで見通せるせいか、安心感があり、時々はエゾシカやクマゲラの声もします。ルートはずっと若い林に包まれており、頭の上が完全に開けるのは、小屋の前だけです。手入れがされているために、紅葉がとても美しいのが自慢です。カラマツ(落葉する針葉樹)の林だけは、やや暗く荘厳な感じがあります。まっすぐ立っているのがカラマツです。

*巫女さんのご印象
清清しい感じがします。神社の境内のような雰囲気ですね。ここに人が訪れると、癒されるというより浄化された感じがするでしょうね。
 

4.遠浅(とあさ)樹林地

*つたもり山林の北5kmにある雑木林。林を所有している会社から林の入り口や一部をかりて、町内会が公園にして使っています。内陸にあるためか、つたもり山林よりも大きな木が多くひと気があります。林の隣接地に住宅団地と大きな家庭菜園が出来たせいもあるでしょう。赤いあずまやの向こうにあるのはドロノキという昔はマッチの軸にした樹木です。このエリアでは一番太く直径が1mを越えます。今年の秋から、町内会の人たちと風に倒れた木の片づけをはじめます。

 

*巫女さんのご印象
本州の私たちが馴染んでいる森の感じに似ています。その分神秘性には欠けますが親しみやすい印象を受けます。 

5.柏 原

*苫東(とまとう)のほぼ真ん中にある、防風林に囲まれた採草地。夏、南東の海風が吹くために、幅50mほどの防風林が縦横に残されています。そのため、椅子をもって保養地のように遊びにいったり、新緑のころ、山菜採りに出かけたりします。長距離を移動する際のヒグマの通り道でもありますが、ほとんど目撃されることはありません。農道や林道がフットパスとして使われます。

*巫女さんのご印象
草の緑の美しさに目を奪われました。「風の谷のナウシカ」のラストシーンが思い出されます。大分の麦畑に似ていますね。散歩道として歩いてみたいです。陽気な印象を受けました。注)ラストシーンはどんなだった?(take)

6.北大研究林

*昔の帝国大学が各地に持っている森林の研究のための林で、ここは苫小牧にある北海道大学の研究林。北海道には東大が富良野に、九州大学が足寄(あしょろ)と言うところに持っています。苫小牧研究林は、ヨーロッパの都市林と同じで、林業をしながら市民に開放し、動植物や地球環境の研究を行っています。近年は世界中の森林研究者のセンターとしても機能しているようです。苫小牧は渡り鳥の通り道で、ウトナイ湖が水鳥のサンクチュアリになっていますが、研究林は森林性の鳥のサンクチュアリに当たります。面積2,700haをもつこの森は住宅地と接しているため、毎日、カモと遊ぶ市民も多く、わたしは冬になると、小鳥を手に載せて遊びます。

*巫女さんのご印象
川の感じがイギリスの北部と似ていますね。木の精霊と水の精霊が仲良しなのでしょう。野生の鳥が手に乗ってくるなんてすごい! 研究森は、自然と人間の利害関係が一致している良い例ですね。

7.有珠(うす)の沢

*家から車で5分の民有地。雑木林の真ん中を、うねうね曲がりながら小川が流れて、苫小牧にきた30年以上前から好きな場所。水は樽前山の伏流で林の上流で湧いており、水汲みにいく市民がとても多いようです。この「有珠の沢川」はわき出してから海にたどり着くまでわずか4kmほど。

*巫女さんのご印象
小さな竜がたくさんいるようです。時として人間にいたずらするかも・・・水を汲むときはきちんとお礼を言うようにしましょう。

8.豊川・山椒の丘

*自宅のある豊川町の裏山。栗の木のほか、山椒の木が実に多いところです。昨年の暮れ、鎌をもって丘のてっぺんの藪を刈り払い、私設の展望台にしました。その折、展望台の頂上に枝を広げていたとげのある木がじつは山椒の大木だったのです。それでそれまでの仮称「希望の丘展望台」を取り下げ、山椒の丘と命名することにしました。林は所有者のよくわからない手入れのされていない民有林なのですが、散歩や道の刈り払いなどがほそぼそと行われています。身近なだけにもっときれいにしたい場所です。

*巫女さんのご印象
山椒ですか
!下草と木の関係は私にはわかりませんが、こんなに生い茂っていたら木そのものにとっては好ましくないのでしょうか。木のエネルギーよりも草のエネルギーを強く感じます。

9.こもれびの道

*自宅のある一帯がまだ湿地やじくじくした採草地だったころ(恐らく7,80年ほど前)、ヤチダモの防風林が作られ、やがて宅地にされるときに、防風林の半分が残され半分は道路になりました。その残された林にワインカラーの小径が20年ほど前に造られ、車の音が絶えないのに市民がよく歩きます。いわゆる林とはちょっと印象が違うのですが、数kmに及ぶ延長ゆえに、細長い林のように親しまれています。

*巫女さんのご印象
ドミノ倒しのドミノのような印象です。ここには古いエネルギーがありませんね。開発の時に去ってしまったのかな? 

10.糸井山神社

*苫小牧の自宅から最も近く、ことあるたびに出かける小さな神社。開拓の頃から大事にされてきたようで、住宅地を見下ろす砦のような丘の上にあります。写真は雪のない12月頃のようで、この時期、広葉樹林は、とても明るい表情に変わります。神社の裏からは、木々の向こうに樽前山が望まれます。

*巫女さんのご印象
845の写真の木の幹にエネルギーが写りこんでいますね。しおりさんに見せて頂いた写真にもありましたが、マチュピチュ系のエネルギーと思われます。神社というよりも神殿のイメージですね。

11.錦大沼公園

*苫東(とまとう)の反対に、苫小牧の西外れにある森と湖の公園。公園の隣には今日本で一番評価の高いオートキャンプ場と温泉があります。ここも、海から2kmしか離れていないのですが、木々が寄り添って壊れないで森林を維持しています。この森はとぎれることなく国有林となり、支笏湖など一帯の大森林地帯につながり、札幌やニセコとも森で結ばれていることになります。子供達にも人気があり、道や木道がしっかりと使い古されています。湖の正面には小さく噴煙を吐く活火山「樽前山(たるまえさん約1000m)」がどっかと見えるはずですが、この日は残念ながら顔を出しませんでした。 注)樽前山は「8.糸井山神社」の冒頭にアップした写真があります。

*巫女さんのご印象
あらゆる要素を兼ね備えたバランスの良い森ですね。整然とした印象を受けます。大変美しいです。維持管理はさぞ大変でしょうね。冬の写真を見てみたいですね。

 









サロベツからの訪問 11月24日(日)

札幌である会合でお会いした方ご夫婦を、かつて苫小牧で仕事をしていたいわば苫小牧通
の札幌のご夫婦が雑木林に案内され、その様子が地域SNS「どっとねっと」に紹介されています
。本人の許諾をえてその日記をいかに転載。

*どっとねっと=登録のURLはこちら

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林を歩きました。
落ち葉を踏む音と匂いは時間の流れを特別なものにしてくれます。
葉を落とした木々たちは自分の物語をその枝ぶりから想像させ
てくれます。だから冬の森や林はとても好き!

「あなたを待っていましたよ」と言ってると感じる木を見つけ
抱きついてみましょう。と、一緒に行ったメンバーに言いました。

はじめは「えっ〜??」というような様子です。
またおていさんは変なことをさせるな・・・と。
でも、さすが、どっとメンバーです。ちゃんとやってくれました(笑)

そして、それぞれが木々の中をうろつき、見つけました。
やっぱり、あるのです。そういう木が。(笑)
しっかり抱きついてました。

今度はいつ会えるかな。「わたしの木」に。(^^)

takeさ〜〜ん、お留守にお邪魔しました。
エナガが一等先に迎えに出てくれましたよ。(^^)v



肥料袋ひとつで止めた。
どんどん出てくる


このくらい透かさねば

懸案の掛かり木、来週か

イヤシロチへの小さな道  1122() 4℃ 曇り

でがけに、家の玄関の内外で15年近く育ったゴースデンクレストを剪定して、、、、ちいさな焚き付けと薪にした。形が変形してすでに玄関のスペースも玄米にとられて置き場に困っていたのだ。どう、収束するべきか迷ってきたが、薪にすることにした。幹の一部はパワークラフト用の材として利用。

病院のフットパスに埋まっている青いビニールがとても気になる。腐って循環して行く中に、不自然な色で頭をだしているもの。長靴や空き缶などは一応取り除いたのだが、大量のゴミ袋が続々と出る。肥料袋を持ってきてつぎ込んでどうやら少し気分が整った。しかし、いくら埋まっているのか不安になる。医療廃棄物ではなさそうなだけがちょっと気楽。

林は、と見上げると、随分昨年は小さくまとめたことがわかる。枝先の触れ具合などはひどいもので、とても手入れが終了したとは言えないことがわかった。コツコツ、コツコツ。仕事はたっぷりある。


初焚き。ナニをするでもなくただ

小屋によって巻きストーブの初焚き。ゴールデンクレストの先端部を火にくべるとオパチパチと燃えた。コーヒーをわかす。よく燃えるが10℃から室温はなかなかあがらない。本を開いて黄昏時間をまつ。






植苗病院の山仕事を再開  1116日(日)曇り 15

病院の林の手入れを始めた。恐らく2,3ヶ月ぶりの林なので、ぐるりと一周してみた。驚くことにフットパスは進化している。歩かれてこなれて、小径はインフラが進んでいる、といった感じ。最もびっくりしたのは、病院裏の小径から伐採跡地の「イヤシロチの丘」にいく道が完全に「ルート化」していたこと。これは日々、繰り返し病と闘う人々が歩いた証だ。セルフ・セラピーは習慣化しているのだろう。

人工のにおいのする方をさけて、丘の方へ人気は移っているのだと思う。山仕事は少しずつ進める。残された作業エリアはこの人工のにおいのするあたり。それでもわたしにはあり難い。林との往来があるから。イヤシロチに変えて行く手入れを実感できるから。

帰りしな、玄関で懐かしいフットパスの守り手の男性とすれ違った。チェンソーの音で思い立ったのだろうか。新しい若いメンバーを林に案内するところみたいだった。車の窓越しに軽く挨拶した。彼も、思えば1年個々にいるということか。つらい日々である。










林の神々とともに循環型くらし1115日(土) 晴れのち曇り  12

気温も高からず低からず、ストーブをつけるほどでもなし。コナラの葉っぱもまだしっかりついている。ストーブの煙突掃除には絶好であり、この冬の焚きつけなどを集めた。幸せな時間だ。紅葉は確かに先週より終わりに近く林道の落ち葉も増えた。明日からの山仕事(恐らく植苗病院)の為に燃料タンクに混合油とオイルを詰めた。

薪ストーブの焚き付けように、カラマツの枝をリヤカーに集め、ベランダの下に格納。廃材も割って、これで来週はストーブ祭りだ。林のある暮らしをすれば、こんな循環が可能だということに改めて気づく。なんと文明のまっただ中にいるのだろう。この些細な営みは、しかし、天下国家を語るより人にとって意味があるような気がする。

作業後、フットパスをめぐる頃はもう、黄昏の雰囲気になっていた。枯葉を踏みしだいて歩く時間。なにやら、雑木林の神々が喜んでいるような、そんなひと時だった。かそけき光に、風のない光景。神々の宴でもありそうな、そんな時間だった。あたりが神々の遊ぶ庭カムイミンタラのように見える日が、年に数回ある。今日はそんな黄昏。






環境負荷の少ないライフスタイルは気持ちがいい。今は些細な真似事に過ぎないが、落ち枝を拾い、それらで暖を取る暮らしには憧れが消えない。不便な地方に暮らす、というその一点が大きい。不便の意味も今は様変わりした。





Tさんの燻製イワナ。逸品。































ヘルベチアヒュッテにて  平成20年11月8,9日(土、日)

久々のヘルベチアを訪問、家内の山仲間と一献。折りしもミゾレ交じりの荒れ模様で、一晩中、断続的に雪が降っていた。小さな小屋は、料理のために煙り、久々の大勢の出会いでにぎやかだった。団塊の世代の面々がリタイヤを始めその紹介などもあった。いずれ自分の番が来る…。不便で暗く快適とはいえない小屋暮らしから、次第に足が遠のいてきたのは、一種の体力の衰えだと思うけれど、それもまあ仕方がない、気の赴くままにしよう、流れに任せようと従順なこの頃だ。



紅葉がまだ散らない  平成20117日(金)

今日は所用で出かけるために年休を取って小屋に来た。驚くことにまだコナラが落葉していないばかりか、11月の初めにまだ今生の赤さを見せている。これは珍しいことだと思う。






つるバラを焼く  平成20年11月3日(月)

剪定したつるバラの枝を焼いた。毎年の晩秋の営み。メラメラ、パチポチと燃えてああ秋なんだと思う山仕事はまだ何もやっていないがいずれ遠浅の風倒木を片付けたいと思う。





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